労働・雇用政策

2026年10月 6日 (火)

外国人労働とデジタル優先主義

 

 外国人を雇用する職場での法令違反が,繰り返し確認されています。厚生労働省が9月15日に公表した2025年の監督指導結果によると,技能実習生を雇用する事業場では監督対象の73.2%,特定技能外国人を雇用する事業場では76.5%で,労働基準関係法令違反が認められました(ただし,これは法違反の疑いがある事業場を対象とした監督の結果です)。気になるのは,違反の内容です。技能実習,特定技能のいずれについても,違反は,使用する機械等の安全基準,健康診断結果についての医師等からの意見聴取,割増賃金の支払の順に多くなっています。
 こうしたなか,2027年4月1日から,技能実習制度に代わる育成就労制度が始まります。新制度は,日本の人手不足分野における人材の育成・確保を目的とするものです。ただ,人手不足への対応の仕方となると,出てくるのが「デジタル優先主義」です。ここでは,具体的には,人手不足のときに,いまの仕事のやり方をそのままにして,足りない人数を補おうとするのではなく,まずデジタル技術によって仕事を変えられないかを検討する,ということです。重要なのは,単に新しい機械やソフトを買うことではなく,業務の再編成です。AIに任せられる事務作業や,機械に任せられる運搬作業はないか。このようにして,仕事を一つずつ見直すことで,必要な人数だけでなく,人に担ってもらう仕事の中身も変わる可能性があります。そのうえで,日本人,外国人,AIや機械が,どのように分業すれば効率的に仕事ができるかを考えることになります。もちろん,国籍で役割を固定する話ではありません。
 実は,外国人の受入れとデジタル化を結び付ける仕組みは,すでにあります。物流倉庫分野では,特定技能外国人を受け入れる企業に対し,入庫・在庫・出庫を管理する情報システムの利用が求められています。ただし,これは業務全体を点検して,省力化の余地を尽くしたかどうかまで確認する仕組みではありません。一定の機能をもつシステム等の利用を受入れ条件に組み込んだものであり,デジタル優先主義とは少し違います。
 もう少し踏み込むなら,外国人を受け入れる企業に,DXに対応するための業務体制の点検と省力化に向けた計画の作成を求め,その実施状況も確認する仕組みが考えられます。もちろん,AIや機械でできる仕事が少しでも残っている間は,外国人を採用できないということではありません。また,高度な専門人材や,日本で暮らす永住者などの採用一般を対象とする話でもありません。人手不足対策として設けられた受入れ制度を利用する企業の取組を,どう位置付けるかという問題です。
 DXが,外国人を排除するためのものと受け取られると困ります。むしろ,外国人を危険な作業からできるだけ遠ざけるためにも,仕事のやり方を変えられないか,ということです。そうすると外国人への依存を減らせるかもしれません。のみならず,十分な安全対策もないまま外国人を働かせている職場は,日本人にとってもブラックである可能性が高いのです。DXへのサポートこそ,政府が優先的に取り組むべき雇用政策なのです。

2026年10月 1日 (木)

「同一労働同一賃金ガイドライン」の改正に思う

昨日のアップでは重複箇所があったので直しました。
 

 今日から,「同一労働同一賃金ガイドライン」の改正版が適用されます。正確には,ガイドラインだけでなく,短時間有期雇用法の施行規則や雇用管理指針なども改正されています。施行規則では,パート・有期労働者を雇い入れる際に,「法第十四条第二項の規定による説明を求めることができる旨」,つまり通常の労働者との待遇の相違の内容や理由について説明を求めることができる旨を明示することが新たに必要となりました(短時間有期雇用法6条1項,同法施行規則2条1項4号)。
 ところで,「ガイドラインの改正」と聞くと,労災認定基準のように,判例に即した改正というものがまずは考えられます。今回も,法施行後に出された最高裁判決などを踏まえたものといえそうで,賞与,退職手当,無事故手当,家族手当,住宅手当,病気休職,夏季・冬季休暇,褒賞などについて記載が追加されていますが,判例そのものは,必ずしも明確なものではなく,判例に即した改正と言い切れるのか疑問がないわけではありません。もし法律に書かれておらず,判例も明確に言っていないことを,行政が次々と書き加えていくのであれば,それはガイドラインという形式を使った新たな規制ではないのか,という疑問も生じます。しかし,実際に今回の改正内容を読んでみると,そこまで大げさなものではありません。それでは,これで企業は安心して,「この待遇差は適法,こちらは違法」と判断できるようになったのでしょうか。
 均等待遇であれば,もともと話は比較的簡単です。同じ状況の者について差別的取扱いをしてはならないというルールだからです。難しいのは,均衡待遇です。職務内容,職務内容・配置の変更の範囲,その他の事情を考慮して,待遇差が「不合理と認められるもの」であってはならないと言われても,それではいったいどの程度の差まで許されるのかは,なかなかわかりません。
 これは企業の人事担当者だけの問題ではないでしょう。現場で相談を受ける行政の担当者も,簡単には答えられないはずです。私も具体的な企業の賃金制度を示されて,「この差なら大丈夫でしょうか」と尋ねられて,自信をもって答えられるわけではありません。ガイドラインに具体例をいくら追加しても,この問題は根本的には解消しないのです。
 そう考えると,今回の改正で,むしろ注目したいのは別のところです。前述のように,雇入れ時に,労働者が待遇差の内容や理由について説明を求めることができる旨を明示することが義務づけられました。今回の制度見直しの議論でも,基本的な法的枠組みを変更するのではなく,説明義務の改善や労使コミュニケーションを通じて待遇改善を進めるという方向が示されています。これは,私が以前から重視している「納得同意」という考え方に,かなり近いように思います。
 どこまでの待遇差なら「不合理ではない」かについて,行政があらかじめ完璧な答えを示すことには限界があります。それよりも,なぜ正社員と非正社員との間にこのような待遇差を設けているのかを企業がきちんと説明し,労働者との対話を通じて,できるだけ納得を得られる労働条件を形成していくことのほうが重要です。法的な限界線が明瞭でない領域だからこそ,説明と納得のプロセスが重要になります。それは紛争を未然に防ぎ,裁判を回避するという意味でも大切です。
 同一労働同一賃金政策について,私はこれまでかなり批判的なことを書いてきました。そもそもの政策の出発点から,方向を間違えたのではないかという思いもあります。とはいえ,一度始めた政策を,行政が途中で,これはうまくいかなかったので,やり直しますと言うのは容易なことではないのでしょう。制度が動き出せば,その制度を前提とした実務も組織もできあがってしまいます。
 私が政策についていろいろ批判的なことを書くとき,理想論だけで,出来もしないことを言っても仕方がないと思われていることでしょう。ただ,現場では,現行の制度を少しでもよいものにしようと努力している行政官がいて,そういう人たちが「今の制度を本当にこのまま続けてよいのだろうか」と考えるときに,外部からの批判が少しでも支えになればと思っています。
 もう少し引いた視点から,なぜ労働政策はうまくいかないことがあるのか,そして政策形成をどう考え直すべきなのかについては,拙著『労働政策論の再創造』(弘文堂)の第1章で論じています。異論もあるでしょうが,頭の体操として読んでいただければと思います。

2026年9月15日 (火)

フリーランスの社会保険と制度間格差

 厚生労働省は9月14日,勤務時間が極端に短い「正規型労働者」として雇用される個人事業主やフリーランスの,健康保険・厚生年金への加入に関する通知を出しました。会社が報酬を支払う一方で,本人からそれを上回る会費などを徴収し,使用関係や業務の実態に疑問があるケースへの対応です。同省は,すでに3月18日にも,個人事業主などを法人の役員にして,同様の仕組みで社会保険に加入させるケースについて通知を出していました。今回は,役員ではなく,短時間の「正社員」という形をとるケースへの対応となります。
 通知は,事業所との間に「常用的使用関係」があるかどうかを,契約書の文言だけではなく,労働時間や勤務内容などの実態から総合的に判断するとしています。そのうえで,報酬が業務の対価としての経常的な支払いとは認められず,業務も経常的な労務提供とは認められないという両方に該当する場合には,原則として被保険者資格を認めないとしています。短時間正社員という働き方そのものを否定するものではなく,健康保険・厚生年金の適用に必要な使用関係の実態を問うものです。
 社会保険料の負担を軽くするために,実態を伴わない雇用関係を作り出すのであれば,それは制度の濫用として非難されるべきでしょう。利用するフリーランス本人だけでなく,こうした仕組みを用意し,利用を勧誘する団体も非難を免れないでしょう。フリーランスの支援という名目でも,このような負担回避を正当化することはできません。
 ただ,その背景にある制度間格差にも目を向ける必要があります。そもそも,受け取る報酬よりも多い会費を支払ってまで,「雇用される」形をとることに,なぜ意味があるのでしょうか。その理由を考えるうえで重要なのが,保険料の算定方法の違いです。市町村の国民健康保険では,事業所得などを含む前年の所得に応じた「所得割」や,加入者ごとの「均等割」などによって保険料が決まります。他方,健康保険・厚生年金では,基本的に,勤務先から受け取る給与や賞与などを基礎として保険料を算定します。本人が別に営む事業から得た所得まで,算定対象に加える仕組みではありません。
 この違いからすると,本業で相応の事業所得を得ている人でも,少額の給与を基礎として健康保険・厚生年金に加入すれば,国民健康保険・国民年金に加入する場合より負担が小さくなることがあります。とくに,事業所得が多く,国民健康保険の保険料が高くなる人には,加入の誘因が強く働くでしょう。さらに,健康保険の被扶養者にできる家族が多い人にも,同様の誘因があります。国民健康保険では家族もそれぞれ被保険者となり,その人数が保険料に反映されますが,健康保険では被扶養者の人数によって保険料が増えることはありません。本人の事業所得が保険料の算定に反映されなくなることに加え,家族の分の負担も軽減され得るのです。会費を支払っても,なお世帯全体の負担が減るのであれば,こうした仕組みを利用する経済的な誘因が生まれます。本人の所得や負担能力に大きな変化がないのに,どの制度に所属するかによって負担が変わる。ここに,雇用と非雇用を分けて社会保険を設計していることの問題が表れています。
 私が日頃から主張している個人単位のセーフティネットは,こうした区分を離れて,保障と負担の両方を設計し直そうとするものです。雇用されているかどうかや,配偶者の働き方に左右されず,一人ひとりに必要な保障を行う一方で,負担能力のある人には,働き方にかかわらず,それに応じた公平な負担を求めるという考え方です。
 具体的には,必要な医療や介護は現物給付によって保障し,生活に必要な所得の不足には,給付付き税額控除型の最低生存保障で対応することを考えています。その財源についても,給与所得か事業所得かといった違いによって不合理な差が生じないようにする必要があります。現在の事業主負担の扱いも含め,税・保険料・給付を一体として組み直すという方向です。いつものことですが,社会保険関係の話になると,どうしても,そういう方向に議論が行ってしまいます。

2026年9月12日 (土)

外国人労働者の賃金を守るのは,誰のためか

 アメリカの連邦地裁が,外国人農業労働者の賃金を引き下げたトランプ政権の規則について,その賃金算定方法などを違法と判断しました(United Farm Workers v. U.S. Department of Labor)。アメリカには,農繁期などに外国人を一時的に受け入れるH-2A(臨時農業労働者プログラム)という制度があります。この制度では,国内では必要な労働力がまかなえないことと,外国人を雇うことによって,同じ仕事に就くアメリカ国内の労働者の賃金や労働条件を悪化させないことが要件となっています。労働市場テストに加えて,賃金保護が考慮されています。後者の賃金保護として,「Adverse Effect Wage Rate(AEWR:悪影響防止賃金レート)」というものが設定され,H-2A制度を利用する使用者は,原則として,AEWRや連邦・州の最低賃金などのうち,最も高い額以上の賃金を支払う義務があります。この賃金保護は,H-2A労働者だけでなく,同じ使用者の下で実質的に同じ仕事をする国内労働者にも及びます。AEWRが引き上げられれば,国内労働者にも影響があるということです。
 今回問題となった規則は,H-2Aの仕事を二つに区分し,全体の約92%を占める下位区分について,同種労働者の賃金分布の17パーセンタイルを基準としました。必要とされる経験などが比較的少ないロースキルのジョブには,かなり低い水準のAEWRを適用することにしたのです。裁判所は,仕事を二段階に分けること自体を否定したわけではありませんが,約92%もの仕事に17パーセンタイルという低い水準を適用しても,アメリカ国内の労働者の賃金への悪影響を防止できるとする理由を,労働省が合理的に説明していないことを問題としました。
 住宅費の扱いも問題になりました。H-2A制度では,使用者が一定の労働者に住宅を無償で提供することになっています。ところが新しい規則は,住宅の価値を考慮して時間給を引き下げる仕組みを採りました。裁判所は,形式的には家賃を控除していなくても,実質的には労働者に住宅費を負担させるものであり,無償提供の原則に反すると判断しました。
 外国人労働者の賃金を低くすれば,使用者にとっては,国内労働者より外国人を雇うほうが有利になります。したがって,外国人労働者の賃金を守る規制は,外国人のためだけのものではありません。外国人を低賃金の労働力として利用することを防ぎ,国内労働者を含めた労働市場全体の賃金水準を守る役割を果たします。
 このことは,日本にとっても他人事ではありません。厚生労働省が8月31日に公表した2025年の外国人雇用実態調査によると,外国人労働者数の推計は約204万人となり,前年から約22万人増加しました。企業が外国人を雇用する最大の理由は,「労働力不足の解消・緩和」で,68.2%に上っています。外国人労働者は,いまや日本の人手不足を支える重要な労働力になっています。
 一方,賃金には在留資格による差があります。一般労働者の「きまって支給する現金給与額」は平均29万2400円ですが,専門的・技術的分野では30万6500円,特定技能では25万4100円,技能実習では21万3500円です。技能実習生の月間超過実労働時間も21.4時間で,全体平均の17.6時間を上回っています。さらに,海外から直接入職した人のなかには,紹介会社や個人を介しているため,入国前に相当の費用を負担している人も少なくないでしょう。
 もちろん,これらの賃金差のすべてが不当だというわけではありません。年齢,経験,職種などの違いも考慮する必要があります。ただ,外国人労働者が高い紹介費用を負担し,在留資格によって職場移動も制約されるなら,低い労働条件を受け入れざるを得なくなる危険があります。その結果,外国人労働者だけでなく,同じ分野で働く日本人の賃金にも引下げ圧力がかかります。
 日本では,外国人を何人受け入れるかという「量」の議論が注目されがちです。しかし,本当に重要なのは,どのような労働市場のルールの下で受け入れるかという「質」の問題です。もっとも,職務に必要な技能や経験の違いを,外国人受入れに伴う賃金規制にどのように反映させるかは,別の検討課題です。今回の連邦地裁も,AEWRを複数の技能区分に分けること自体を否定したわけではありません。問題とされたのは,仕事の約92%に17パーセンタイルという低い水準を適用しても,国内労働者の賃金への悪影響を防げるとする合理的な説明がなかったことです。
 比較法研究では, H-2Aのような一時的外国人労働者の受入制度は,これまで必ずしも主要な研究対象ではなかったかもしれません。しかし,そこには,労働市場テスト,賃金規制,外国人と国内労働者の利害関係など,興味深い論点が詰まっています。

2026年9月11日 (金)

医師の働き方改革を,医療の未来から考える

 厚生労働省で,「令和8年度医師の働き方改革の推進等に関する検討会」が始まっています。2024年4月から勤務医に適用されている時間外・休日労働の上限規制について,その実施状況などを踏まえ,今後の改革の進め方を検討するもののようです。医師の働き方が重要であることは,いうまでもありません。医療の重要性を理由に,その担い手の過重労働を正当化することはできません。
 ただ,私が考えるAI共生社会を見据えるなら,もっと大きな政策的視点が必要に思えます。それは,国民の生存を支える医療サービスを,これからどのように提供していくかという視点です。医療は,人々が生きるために不可欠な「社会的共通資本」の一つです。所得を保障しても,必要な医療を受けられなければ,生存を保障したことにはなりません。
 DXによって業務を効率化し,医師の負担を減らすことは,最低限取り組むべき課題でしょう。しかし,既存の医療提供体制を前提に,同じ仕事を短い時間でこなすだけでは不十分に思えます。必要なのは,AIの活用を組み込んだ医療サービス全体の再設計です。
 たとえば,安全性と有効性が確認されたAIを,受診前の相談や継続的な健康管理,診療の支援などに活用し,必要なときには適切な医療職や医療機関につなぐ仕組みが考えられます。これは,患者に,AIを使って自己責任でやってくださいという話ではありません。むしろ,これまで医療につながりにくかった人にも支援を届け,医師の治療が必要な場合には,確実にそこへつなぐための構想です。
 そのなかで,医師や病院の役割も考え直す必要があります。医師が従来担ってきた仕事のうち,何をAIに委ね,何を医師や他の医療職が担うのか。患者の生活や希望を踏まえた治療方針の検討,複雑な状況への対応,必要な処置など,人間が担うべき役割を具体的に検討すべきでしょう。AIによって生まれた時間も,診療件数を増やすためだけでなく,患者との対話や医師自身の休息,教育などに振り向けられることが必要です。
 病院についても,社会として必要な医療機能を確保することを出発点とすべきです。病院,診療所,在宅での療養支援などを,AIや情報基盤で結びつけ,必要な施設と人員の配置を考えるのです。病院という建物が重要なのではなく,住民に医療を保障するうえで何が必要かという視点が大切なのです。
 もちろん,こうした再設計を,個々の医療機関の経営判断だけに委ねることはできません。共通の情報基盤の整備,AIの安全性の評価,導入費用や人材育成への支援には,公的な関与が必要です。診療報酬も,新しい役割分担に合わせて見直すべきでしょう。医療サービスの提供体制を抜本的に見直す構想については,拙著『労働政策の再創造』(弘文堂)の第7章第3節以下も参照してください。
 この視点からみると,医師の自己研鑽が労働時間に当たるかどうかは,現場にとっては重要な問題かもしれませんが,それは法的な線引きの問題であり,医療サービスの将来を考えるうえでの本質的な問いではありません。もちろん,自己研鑽そのものが重要でないと言いたいのではありません。問うべきなのは,AI共生社会の医師にはどのような知識や能力が必要で,それを身につける時間や費用をどう保障するかなのだということです。法的な区分の細部に,医療の将来を考えるための検討時間が過度に奪われることも避けてほしいと思います。
 国民の生存を支える医療を,AIと人間の協働によってどう保障するのか。そのなかで病院や医師にどのような役割を求め,医師が健康を保ちながらその役割を担える条件をどう整えるのか。労働時間規制の運用を出発点に医療を考えるのではなく,実現すべき医療の姿から,医師の働き方を議論してもらえればと思います。

2026年9月 5日 (土)

2026年度最低賃金

 厚生労働省は9月3日,47都道府県の地域別最低賃金の答申が出そろったと発表しました。答申額の全国加重平均は,現在の1121円から56円引き上げられ,1177円となります。目安制度が始まった1978年度以降で2番目に大きな引上げ幅です(厚生労働省「令和8年度最低賃金額答申」)。今後,関係労使からの異議申出に関する手続を経て,各都道府県労働局長が正式に決定します。
 兵庫県の答申額は,現在の1116円から56円引き上げられ,1172円となっています。発効予定日は10月1日です。過去10年間の推移をみると,次のようになります。2016年度の819円から,844円,871円,899円,900円,928円,960円,1001円,1052円,1116円となっていました。2016年度から2026年度までの10年で353円,率にして約43%上昇したことになります。とくに2022年度以降の上昇は急速です(厚生労働省「最低賃金に関するデータ・統計」)。
 最低賃金法は,低賃金労働者について賃金の最低額を保障し,労働条件を改善するための法律です。最低賃金を下回る賃金を定めた契約部分は無効となり,使用者が地域別最低賃金以上の賃金を支払わなければ,罰則の対象にもなります。現実の賃金の多くが最低賃金より十分に高ければ,最低賃金は,例外的な低賃金を排除する最低基準として機能します。ところが,現在の最低賃金は,そのような位置づけにとどまらなくなりつつあります。
 2025年度の地方最低賃金審議会で用いられた厚生労働省の調査によると,改定後の最低賃金を下回ることになる労働者の割合を示す「影響率」は,小規模事業所では全国平均で27.7%,兵庫県では30.7%でした。この調査の対象は,事業所規模30人未満,製造業等については100人未満の事業所です。全国の影響率は2016年には11.1%でしたから,大きく上昇しています(厚生労働省「地域別最低賃金額,未満率及び影響率」)。最低賃金が,その影響がとくに小規模事業所に集中し,そこで働く相当数の労働者について賃金の見直しを直接迫るようになっているのです。このことは,労働組合による交渉が及びにくい非正社員や小規模事業所の労働者の賃金を底上げしているという点では,重要な意味があるといえます。その一方で,最低賃金が「違法となる賃金の下限」ではなく,公的に決められる「現実の賃金」に近づいていることも意味します。そこで気になるのが,前にも書いたことがあるように,使用者に「最低賃金をきちんと支払っていればよい」,「毎年,最低賃金に合わせて賃上げしているのだから,それ以上に引き上げる必要はない」という意識が生じないかということです。本来,仕事の内容,経験,能力,責任などを評価して決めるべき賃金まで,最低賃金を起点として決められるようになれば,経験者と未経験者,責任の重い仕事と軽い仕事との賃金差が縮小し,不公平感を生むことにならないでしょうか。
 最低賃金の決定方法についても,見直す余地があります。これも毎年書いていることです。現在は,中央最低賃金審議会がランク別の目安を示し,その後,47の地方最低賃金審議会がそれぞれ審議します。2026年度は,33府県で中央の目安額を上回る答申が出されました(厚生労働省「令和8年度地域別最低賃金答申状況」)。地域の人手不足などを反映した結果とも考えられますが,近隣県に負けたくないという競争が審議に影響した可能性もあります。中央最低賃金審議会の「目安制度の在り方に関する全員協議会」でも,2026年2月,近隣県等との過度な競争意識や最下位争いによって,目安を大幅に上回る引上げが行われたのではないかという点が,正式な検討事項とされました(厚生労働省「令和7年度地方最低賃金審議会の審議結果を踏まえた論点(案)」。また,同審議会では,2026年2月から目安制度のあり方に関する検討が始まっており,2027年度中をめどに全体を取りまとめる予定とされています(厚生労働省「目安制度の在り方に関する全員協議会の今後の進め方」)。今後の議論の展開に注目です。
 もっとも
,個人的には,最低賃金制度にどのような役割を担わせるのかというこそ,より重要な問題です。労働基準法28条は,賃金の最低基準について最低賃金法に委ねています。このような罰則付きの最低基準を設定する制度として位置づけるのであれば,客観的なデータに基づく算定方法をあらかじめ明確にし,現在の二段階の審議をもっと簡素化することも考えられます。ここでもデジタル優先主義があてはまります。AIを利用すれば,地域ごとの生計費,賃金,企業の支払能力などに関する資料の整理や,将来の雇用・企業経営への影響の試算を,現在より効率的に行うことはできるでしょう。もちろん,最低賃金制度にどのような役割を付与するかは人間が決めなければなりません(現行法でいえば,同法9条が掲げる生計費,賃金,通常の事業の賃金支払能力をどのような比重で考慮するかなどです)。人間とAIの分業のあり方を明確にし,そこで効率的な政策実施がなされていくべきなのです。
 ただ,人間が決めるべき最低賃金制度の役割という点では,もともと最低賃金法1条の定める目的には多様なことが書かれており,制度趣旨が不明確になっているという問題もあります。最低賃金に生存保障の中心的な役割までを期待する向きもありますが,そうするのであれば,最低賃金の適用を受けないフリーランスなどをどう考えればよいのかいうことが気になります。生存保障という点からすると,労働者かどうかは関係ないのであり,本来は,税制や社会保障制度を含む他のセーフティネットとの関係を整理しなければならないでしょう(拙著『労働政策の再創造』(弘文堂)では,雇用というステイタスにこだわらない生存保障のあり方を検討しています)。
 

2026年9月 4日 (金)

年収の壁をなくせば働く時間は増えるのか

 「年収の壁」が,短時間労働者の働き控えを招いているといわれています。収入が一定額を超えると税や社会保険上の取扱いが変わり,本人や世帯全体の手取りが減ることがあるため,労働時間を調整する人がいるからです。労働政策研究・研修機構(JILPT)が8月26日に公表した「社会保険の適用拡大への対応状況等に関する調査」は,この壁をなくせば,どの程度,労働時間が増えるのかを考えるうえで興味深い材料を提供しています。
 2024年10月から,従業員51~100人の企業にも,週20時間以上,月額賃金8万8000円以上などの要件を満たす短時間労働者への社会保険の適用が拡大されました。この調査によると,新たに対象となる短時間労働者がいる企業のうち,社会保険を「適用する」方針をとった企業は65.1%でした。
 労働者側をみても,新たに社会保険に加入した人や,加入するために労働時間を延ばした人の割合は16.8%で,加入を避けるために労働時間を短縮した人の10.9%を上回っています。社会保険に入ることを一方的に嫌がり,働く時間を減らす人ばかりではないのです。さらに重要なのは,現在,年収などを意識して就業調整をしている短時間労働者への質問です。もし年収や労働時間による調整が不要になれば,現状より長く働きたいと答えた人は64.7%に上りました。しかし,「もっと働きたいし,実際に働ける」と答えた人は28.3%にとどまりました。27.0%は,もっと働きたいものの,実際に働けるかどうかは分からないと答えています。この差が示唆するのは,働く意欲があっても,育児,介護,家事,健康上の事情など,税や社会保険制度とは別の制約があるということです。
 ところで私は,拙著『労働政策の再創造』(弘文堂)で,社会保障システムそのものを根本的に見直し,給付付き税額控除に近い「最低生存保障制度」を導入することを提唱しています(とくに第7章第3節を参照)。この制度では,すべての個人について最低限の生存を保障する水準を定め,所得がそれに達しない場合には,所得がゼロの人も含めて公的給付を行います。そのうえで,所得が増えるにつれて給付をなだらかに減らし,保障水準を超えた後は累進課税へと連続的に移行させます。年金もこの仕組みに統合し,医療,介護,教育などは,社会的共通資本として現物給付を中心に保障します。
 制度の単位を世帯ではなく個人とし,社会保険料の負担も含めて税と社会保障を一体的に設計すれば,「被扶養者でいられるか」「第3号被保険者でいられるか」によって働き方を調整する必要はなくなります。ある年収を超えた瞬間に手取りが減るという,税・社会保障制度上の壁は原理的に消えるのです。もっとも,こうした制度を導入しても,育児,介護,家事,健康といった生活上の制約までなくなるわけではありません。短時間労働者の労働供給を妨げているものには,「制度上の壁」と「生活上の壁」があるからです。後者に対しては,当面,保育や介護サービスの整備,柔軟な勤務時間,短い時間でも働きやすい職場づくり,健康上の事情への配慮といった別の政策が必要です。この面でも,私は,将来のAI共生社会では,働く場所,時間,仕事量を個人がより柔軟に選択できるようになり,より自律的な働き方が広がるというシナリオを描いています。そうなれば,「生活上の壁」も現在より小さくなりうると考えています。
 いずれにせよ,今回のJILPT調査は,年収の壁の見直しが無意味であることを示しているのではありません。その目的を,人手不足の解消だけに求めるべきではないことを示しています。人をもっと働かせるためではなく,働き方の選択によって不合理な不利益を受けない社会保障制度をつくるために,年収の壁をなくすべきだということです。

2026年7月 3日 (金)

校閲の仕事はなくなるのか

 昨日受けたテレビの取材では,「校閲の仕事は,将来的にはAIにかなり置き換わるでしょう」と断言してしまっていました。ところが,家に帰って日本経済新聞をみると,校閲大手・鷗来堂の社長へのインタビュー記事が掲載されていました(もともとは『日経ビジネス』の記事のようです)。タイトルは「『AIに仕事奪われる』と考えるのは甘い」というものでした。
 普通に考えれば,校閲という仕事はAIの影響を大きく受けそうです。しかし,校閲会社の経営者という立場から,「そう簡単には仕事はなくならない」と語るのも,よく理解できます。おそらく,この問題は「どちらが正しいか」という話ではありません。重要なのは,校閲という仕事を,さらに細かな「タスク」に分けて考えることです。
 たとえば,文学作品のように,作者独自の表現や微妙なニュアンスを読み取り,作品全体との整合性まで考えながら校閲する仕事は,現在の生成AIでも容易ではありません。こうした仕事は,当面は人間が中心に担当するでしょう。一方で,私が日頃接している文章は少し性格が違います。表現の美しさよりも,情報の正確性,論理の一貫性,用語の統一などが重視されます。とくに,以前に新書を書いた際に,ある出版社の校閲の方の仕事の質の高さに驚かされたことを覚えています(明らかに法律の専門家ではないのに,判例で紹介した事案の間違いを指摘してきました)が,現在では,そのかなりの部分は生成AIでも十分対応できるようになってきたという印象をもっています。そうした経験から,私は「校閲の仕事はなくなる」と言ったのです。正確に言えば,「校閲という仕事のなかには,AIが代替しやすいタスクがかなり含まれている」ということです。逆に,人間でなければ難しいタスクも残ります。
 こうしたことは,校閲に限った話ではありません。AI時代に仕事がなくなるかどうかは,「職業」単位で考えるべきではなく,「タスク」単位で考えるべきなのです。どの仕事にも,AIが得意なタスクと,人間が担い続けるタスクがあります。もちろん,AIで代替できるとしても,今すぐすべてをAIに置き換えることが経済的に合理的とは限りません。コストや責任,品質保証などを考えれば,人間が行ったほうがよい場面も,当面は残るでしょう。ただ,これから校閲という仕事を目指そうと考えている人には,これまでと同じ形で,この仕事が続くとは考えないほうがよいと言いたいです。
 一方で,校閲ビジネスそのものは,形を変えながら発展していく可能性があります。今回の記事でも,校閲研修事業など,新たな事業展開が紹介されていました。 校閲だけではなく,質の高い情報発信を支援するという方向へ価値を広げていけば,長年蓄積してきた知識や経験は,十分に活かすことができるでしょう。
 AI時代における仕事の変化とは,まさにこういうことなのだと思います。仕事が突然なくなるのではありません。まずタスクの構成が変わり,その変化に合わせて仕事そのものが姿を変えていく。そして企業は,従来の強みを活かしながら,新しい価値を生み出す方向へ進化できたところが生き残る。仕事の未来は,そのような視点で考えることが必要なのです。

2026年6月 7日 (日)

規制手法論

 労働法における規制手法論は,非常に重要なテーマです。しかし,この分野については,必ずしも十分な議論の蓄積があるとはいえないように思います。もちろん,山川隆一先生の一連の業績のように優れたものがあり,まずはそれを読めば多くのことを学ぶことができます。だからこそ,その先の議論を担う若い研究者がもっと出てきてもよいのではないかとも思います。
 私自身は,伝統的な規制手法よりも,むしろ選択アーキテクチャやナッジのような行動経済学的な手法に関心があります。企業や個人をどのように誘導すれば,望ましい政策目標に到達できるのか。そのための制度設計をゼロベースで考えていくことが重要であり,現在であれば,その中心にはAIやデジタル技術の活用があります。
 先日,大学院の授業で,山川先生の和田肇先生古稀記念論集『労働法の正義を求めて』(日本評論社)所収論文「労働政策の実現手法の動向と課題―個別的労働関係分野を中心に」を取り上げ,規制手法について議論しました。その際,実務経験のある学生が,補助金のような誘導策は,本当にうまく機能しているのだろうか,「くるみん」の認定のようなインセンティブ型の制度も,期待されたほどの効果を上げていないのではないか,という趣旨の疑問を投げかけてくれました。私自身も,同じような問題意識をもっていました。
 労働法の世界では,近年,ハードローだけでは限界があることが論じられていますが,だからといってソフトローがうまく機能しているかというと,そこにも疑問が残ります。ソフトローのあり方についても,もう一段踏み込んだ検討が必要なのではないでしょうか。
 さらに私は,労働分野に限らず,個人への現金給付や事業者への補助金を中心とする政策の効果に懐疑的です。もちろん,困っている人を支援することは重要であり,その際に現金が効果的であることもあるでしょう。ただ,行政に申請をして支給されるという制度は,制度の存在を知っている人(法人・自然人。以下,同じ)や,実際に申請するために必要な知識や面倒な手続をするだけの時間的余裕のある人でなければ利用できないという面はないでしょうか。そうすると,いったんそうしたノウハウを身につければ,申請に通りやすく,その積み重ねにより体制が整って,次なる申請が通りやすくなる一方,本当に支援を必要としている人が,いつまでも支援にアクセスできず,結果として格差の固定化が生じるおそれがあります。
 あまり知られていないと思いますが,障害者雇用に関する優良な中小事業主に対する認定制度(もにす認定制度)があります。この認定制度の事業主向けのマニュアルをネット上でみてみたのですが,もし私が定年後独立して開業して,この認定制度を受けようと考えるかというと,とてもその気にはならないでしょう。膨大なマニュアル情報を目にするだけでやる気がなくなります。よほどの時間があり,こういう役所の文章を読むのに耐えられる(たぐいまれな)根気がなければ読めないでしょう。そして,一般に,この種の申請は,どこか一つでも記載が不十分であれば落とされたり,あるいは修正を求められたりします(「もにす認定」が,どうであるかは知りません)。
 国民のためになる制度とは何か。政策目的を実現するために最も重要なことは何か。税金をつかってやることだから,厳正に審査をしなければならないという発想は理解できないわけではありませんが,やり方を間違えて過剰な厳格性を求めると,結局は,多くの無駄を生むだけに終わったということになりかねません。トータルでみて投入した費用を上回る効果が得られていれば,細部で無駄があっても仕方がないという割り切りも必要です。
 申請はネット上で1時間以内に完了できるような制度設計にすべきでしょう。補正すべき点は,すぐにその場でAIにチェックしてもらえるようにすべきでしょう。許可されれば迅速に支給されるべきでしょう。金銭給付は,専用口座の利用などによってお金の流れを可視化・透明化することも考えられるでしょう。不正に対するペナルティではなく,不正が起きないようなアーキテクチャを構築するのです。
 ただもっというと現金給付というものに問題があるような気もします。これは最後の手段であり,まずは現物による支援を考えるべきではないでしょうか。たとえば,デジタル化に関連する支援であれば,補助金を出すのではなく,直接,技術者や専門家を派遣するほうが有効な場合も少なくないでしょう。
 とはいえ,たとえば厚生労働省をみると,日々業務に追われているはずです。たたでさえ官邸からの圧力がすごいものとなっていそうです。だからこそ,しがらみのない研究者の側から,次の時代の規制手法を提案していく必要があると思っています。
 昨日,私のもとにも新作『労働政策の再創造―AI共生社会の生存と自由』(弘文堂)が届きました。そこには,いろんな論点を盛り込みましたが,まずは労働政策のプロセスはどうあるべきかというところから話をはじめています(第1章。第2章でも政策を論じて,そこから目線は,歴史に向かい,そして,最後はAIと共生する未来へと展開していきます)。ご関心のある方は,読んでもらえればと思います。

2026年5月12日 (火)

「ビジネスと人権連続研究会」に登場

 私は会員ではないのですが,アジア国際法学会日本協会の「ビジネスと人権連続研究会 – 第5回 デジタルプラットフォームギグワーカーと企業の人権尊重責任~デジタル経済時代の国際ルールの行方~」にゲストスピーカーで呼ばれて,「Platform economy and labor law in Japan」というテーマで,英語でプレゼンをしてきました。2026年6月の第114回国際労働総会において新たな国際労働基準の採択が見込まれていることもあり,最初のプレゼンは,ILOの「包摂的労働市場・労働関係・労働条件部」上級専門家の方で,私は2番目の報告者でした。ILOの動きもふまえながら,ということですが,基本的には,自分の見解を述べました。
 ILOの方向性は,私が想像していたほど介入主義的ではなく,「状況を見ながら進める」という姿勢が強いように感じました。担当者は,「principle-based approach」という表現を使っていました。各国の事情や政府の立場が大きく異なるため,なかなか明確な方向性を打ち出すのが難しいということなのでしょう。
 私は,ILOに期待されているのは,少なくとも日本の労働法学者の多くが考えているように,もっと明確に労働者保護の方向へ舵を切ることではないか,という趣旨の発言をしました。しかし,ILOの担当者は,「それは政治的問題でもある」と繰り返しており,そう簡単に結論を出せる作業ではないというニュアンスだったように思います。国際機関として,多様な国家間のバランスを取りながら進めていく難しさがあるのでしょう。
 準備は大変でしたが,このような機会をもらったので,これからは英語での発信ももう少し積極的にやってみようかな,という気持ちにもなりました。昨年のBocconiでのプレゼンテーションもそうでしたが,なぜか英語で話をする機会が少しずつ舞い込んできます。長い間,英語から遠ざかっていた私に対して,「定年後は海外でも仕事を見つけなさい」という神のお告げなのかもしれませんね。

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