労働・雇用政策

2024年11月 2日 (土)

ドラフトと移籍の自由

 昨日のドラフトの話の続きです。プロ野球球団は,ドラフトで指名した選手とは独占的な交渉権をもち,入団が決まれば,保留権をもちます。プロ野球選手会のHPをみると,次のように説明されています。「NPB[筆者注:日本野球機構]には保留制度という選手の移籍を禁止する制度があります。そのため球団が保留権を有する選手については国内国外を問わず選手が他球団に移籍するために契約交渉練習参加等を行うことはできません。ですのでNPBでは選手が自分の意思で他球団に移籍ができないのが大原則です。会社を自分で辞めて他の会社に転職するように球団を移籍することはできません」。
 この移籍禁止の唯一の例外がFA制度です。同じHPによると,FAには,国内FAと海外FAがあり,1度目の国内FA権を取得するためには145日以上の1軍登録が8シーズン(2007年以降のドラフトにおいて大学社会人出身者であった場合は7シーズン)に到達することが条件とされ,2度目以降の国内FA権を取得するためには前回の国内FA権行使後145日以上の1軍登録が4シーズンに到達することが条件とされています。阪神では,現在,大山,糸原,坂本,原口がFA権をもっています。全員いなくなると痛いですが,それはファンのわがままで,選手にとっては移籍は大事な権利です。
 ところで,ドラフト指名から,移籍の制限までの,こういう仕組みは,独占禁止法に違反しないのかということは,以前から議論があるようです。実は,公正取引委員会・競争政策研究センターが,2018年に,労働法研究者の間でも有名な「人材と競争政策に関する検討会」の報告書を出したとき,「複数の発注者(使用者)が共同して役務提供者の移籍・転職を制限する内容を取り決めること(それに類する行為も含む。)は,独占禁止法上問題となる場合がある」(17頁)としていました。その後,公正取引委員会は,20196月に,「スポーツ事業分野における移籍制限ルールに関する独占禁止法上の考え方について」を発表しています。そこでは,スポーツ事業分野において移籍制限ルールを設ける目的には,①選手の育成費用の回収可能性を確保することにより,選手育成インセンティブを向上させること,②チームの戦力を均衡させることにより,競技(スポーツリーグ,競技会等)としての魅力を維持・向上させること,というものが挙げられています。そして公正取引委員会は,移籍制限ルールによって達成しようとする①と②の目的が,「競争を促進する観点からみても合理的か,その目的を達成するための手段として相当かという観点から,様々な要素を総合的に考慮し,移籍制限ルールの合理性・必要性が個別に判断されることとなる」と述べています。
 プロ野球の場合,①や②は,選手の移籍制限として,どこまで合理的かについては,かなり疑問があるところだと思います。①は移籍金のようなものでも対応できますし,②は競技としての魅力は,もっと別の方法でも高めることができると思うからです(西武ライオンズは,今シーズンの成績はボロボロでしたが,収益はアップしたそうです。顧客サービスがしっかりしていたのでしょう)。それに戦力の均衡というのなら,JリーグのJ2などのように,球団数を増やして,入れ替え戦をして,強いチームだけ生き残るようにすればよいという考え方もあるでしょう。
 独占禁止法の競争政策という点からどうかということもありますが,労働法の観点からは,彼らが労働者かどうかはさておき,一人の就労者が移籍の自由を制限されていることの違和感は小さくありません。江川卓事件のようにドラフト回避的な行動を,当時は世間も私も冷ややかにみていましたが,今では彼は彼なりに,自分をルールで縛るのなら,そのルールの範囲内でやれるだけの抵抗をして,どうしても入団したい巨人に入るということを貫徹した点で,すごいことをやったなと評価したい気持ちもしています。阪神は,江川にかなりやられましたし,敵としてみると困った投手でした。でも江川は,ストレートとカーブだけで,真正面から向かってきた投手でした。いま振り返ると,その投球は江川の生き方が反映していたのかもしれません。 
 プロ野球ファンとしては,プロ野球選手の「働き方改革」というものも考えていってもらいたいです。フリーランス法が施行されたことで,個人の事業者の働き方に関心が高まってきていると思います。公正取引委員会は多忙だと思いますが,なんとなく年中行事となってしまっているドラフトについて,FA制度のあり方も含めて,もう一度検討の俎上に載せてもよいような気がします。そういえば,公正取引委員会は,9月に,「プロ野球組織は,構成員である球団に対し,選手契約交渉の選手代理人とする者について,弁護士法……の規定による弁護士とした上で,各球団に所属する選手が,既に他の選手の選手代理人となっている者を選任することを認めないようにさせていた」ことについて警告を発したということがHPで掲載されていました(「(令和6919)日本プロフェッショナル野球組織に対する警告について」)。

2024年10月22日 (火)

障害者雇用政策

 107日の日本経済新聞に「障害者「雇用代行」に賛否 1200社利用,企業にジレンマ」という記事が出ていました。法定雇用率の達成が困難な企業に代わって,障害者が働く場を提供するビジネスが拡大している,ということです。障害者が,私たちの社会の一員として種々の分野の活動に参加できるようにするという「ノーマライゼーション(normalization)」の理念からすると,こうしたビジネスは肯定的には評価できないということになります。しかし,これにより,少しでも障害者が雇用される機会が増えるというのでれば,その点は肯定的に評価できるという意見もあります。
 しかし,後者の評価には賛成できません。デジタル化の進展は,障害者というものの概念を変えてしまうかもしれないというのが私の見解です。人間の機能の減退は,他人との比較,個人のなかでの年齢ごとの比較などから出てくるものですが,そのどれであれ,視力の減退には各種の眼鏡を使うのと同様,いろんな機能や能力の減退は,デジタル技術に補ってもらうということになるのです。ノーマライゼーションの強い推進は,事業者側に,デジタル技術を活用した障害者との共生へのインセンティブとなるでしょう。
 その一方で,あまりゴリゴリと障害者雇用率の達成に向けて圧力をかけることは望ましくないとも思っています。障害者雇用の基礎にある社会連帯の理念は,強制的な圧力とはなじまないものであり,事業者が自発的にノーマライゼーションを実現していくよう誘導するためには,どうすればよいかということを中心に考えていく必要があります(もちろん障害者を虐待するような悪質な事業者もいるでしょうが,そうした事業者には徹底的に改善に向けた圧力が必要です)。先日も紹介したことがある新経済連盟の「規制改革提言2024」(913日)のなかに障害者雇用促進法の見直しという項目があり,「そもそも,法定雇用率の政策的位置づけ(最終目標なのか,他の目標達成のための手段なのか)の再検討が必要ではないか」という記載がありますが,そこには障害者雇用行政に対する事業者の不満が透けてみえるところです。
 障害の有無にかかわりなく,自身の適性をいかして社会参加ができるノーマライゼーションの理念の実現に向けて,政府も事業者も,そして国民自らも知恵をしぼっていく必要があります。この問題については,拙著『雇用社会の25の疑問–労働法再入門(第3版)』(2017年,弘文堂)の第16話「障害者の雇用促進は,どのようにすれば実現できるか」も参照してみてください。

2024年10月19日 (土)

労働組合の存在意義

 10月18日の日本経済新聞の朝刊で,「変わる労組() 交渉・要求力弱まる執行部 賃上げ,旗振り役は企業・政府に」という見出しの記事があり,そこで「ここ数年の賃上げは,政府が旗を振って会社側も呼応してきた。主役であるはずの労働組合は存在感を示せずにいる」と書かれていました。
 春闘への政治の口先介入に加え,とくに与党が政策目標として最低賃金の引上げを掲げており,経済界でも経済同友会の代表幹事である新浪剛史氏がこれに沿った発言をするというような状況が起きています。その一方で,労働組合の役割が大きく低下しているのではないかと懸念されており,上記の記事も,そうした関心から書かれたものといえます。もちろん最低賃金でも,中央最低賃金審議会をはじめ都道府県レベルの審議会には労働者委員が参加しているのですが,労働組合の影響は間接的なものです。
 従来,労働組合は賃金交渉の主要なプレイヤーとしての役割を担ってきました。労働者の集団的な力を背景に,企業との対等な交渉を通じて賃金の引上げを勝ち取るというのが,組合の存在意義を示す機会でした。労働法の授業では,歴史的には,こうした労働組合の活動は,市民法に違反し,また争議行為は社会の安寧秩序にも影響して弾圧の対象になってきたけれども,徐々に,労働組合の社会的意義が評価され,その活動が法認され,日本では憲法で保障されるまでになったというようなことを説明します。
 賃金の決定という伝統的に労働組合の最も重要とされる交渉領域に,政府が関与してくることは歴史を考えると危険なことであり,労働者の賃金が上がれば,それでよいではないかという結果主義ではすまない問題があります。このblogでも,ときどき書いてきたように,本来,保守的な政権は,経営者側の意向をくんで,労働組合を敵視するものであるという観点からは,労働者(労働組合)側は決して油断をしてはなりません。経営側にとっても,長く続いたデフレによる経済の沈滞から脱却するため,消費の喚起のためにも賃上げを受け入れる余地がありますし,加えて,これを機会に政府と組んで労働組合を弱体化できれば,なおさらよいと考えているかもしれないのです。ただ,日本の協調的労使関係の文脈では,労働組合の弱体化は,経営側にとっても,かえって困るということもあるので,賃上げの手柄を政府に独り占めさせずに,ほんとうは,うまく労働組合に花をもたせるようなことを考えたほうがよいのかもしれません。
 ところで上記の記事は,立教大学の首藤若菜さんの「労働組合の意義が薄れているとの指摘もあるが,企業ときちんと交渉して労働条件を守るにはこれからも組合が必要だ」という主張を紹介しながら,「組合が現場から集めた不安や課題など生の声を経営トップにぶつけて交渉する働き手の代表者としての存在意義までは失われていない」と書かれています。
 ただ,労働組合というのは,戦い続けていなければ,ノウハウなどが継承されなくなり,戦わなければならないときに戦えなくなるというのは,よく聞く話です。デフレ時は,賃金の現状維持で購買力が維持されるので,とくに戦う必要はなかっただけです(経営者は,さすがに名目賃金の引下げを求めたりはしてきませんから,賃金面での争いは起きにくい状況がありました)。 記事のなかでは,組合向けにコンサルティングを行う会社のことが出てきますが,内部でノウハウが継承されなければ,こういう外部のビジネスに頼ることになるのかもしれません。
 
 労働組合は,今後どうなるのでしょうか。労働組合の形態は,ギルド型のミドルスキル以上の労働者の団結もあれば,低スキルの単純労働者の団結というタイプもあれば,日本のような企業の従業員(基本的には正社員中心)を連帯の基礎とする団体もあります。私はいまから10年近く前に有斐閣の法学教室416号(2015年)の「戦後70年を考える」という特集において,憲法の観点から労働組合のことを扱った「憲法の沈黙と労働組合像」という論文を執筆したことがあります。ここでは私なりの労働組合像を憲法に照らして分析しています。ややペダンティック(pedantic)な印象を与える気負った論文でしょう(その意味で「法学教室」にふさわしいものではなかったかもしれません)が,法律家の目で労働組合を論じたらどうなるかということについて自分なりに考えた試論を提示しています。個人的には気に入っている論文であり,最後の部分では,現在の労働組合の危機を乗り切るための視点も提供しているのではないかと思っています。

2024年10月10日 (木)

最低賃金1500円

 兵庫県の最低賃金は目安よりも1円高い1052円となりました。10月から施行されています。かなり大幅なアップだと思いますが、現在の衆議院選挙では,各党は最低賃金を1500円とすることを公約にかかげています。自民党も,石破茂首相は,少なくとも総裁戦のときは,2020年代に全国平均1500円にするという目標をかかげていました。1500円について到達目的をいつにするか(即時か,5年以内か,2020年代かなど),全国平均か全国一律かなどでは違いがありますが,1500円という数字が相場となりつつあります。産経新聞の109日の記事「最低賃金1500円『高すぎる』 衆院選の与野党公約に悲鳴 年89円増額で人件費膨張」で書かれているような,中小企業の経営者からは悲鳴が上がっているようでもあります。89円というのは,与党の方針にしたがうと,1年にこれくらいの賃金が上がるという数字です。
 最低賃金というと,経営者側の努力を強調する声があるし,助成金の活用もいわれますが,最低賃金が賃金の一つである以上,その賃金に見合う労働がなされる必要があります。最低賃金1500円というのは結果にすぎず,「結果にコミットする」という宣伝を各党はやっているのかもしれませんが,1500円に上がるような経済環境をつくることこそ約束してもらいたいです。
 ただ本気で1500円となると,企業はこれまで最低賃金ぎりぎりで働いてもらった人には辞めてもらい,デジタル化を加速して省力化を進めるでしょう。デジタル人材の採用は進みますが,こういう人は最低賃金よりもはるかに高い賃金で働いています。これによって企業の体力は強化されていきます。この流れに乗れない企業は廃業をよぎなくされ,そこで失業が増えることになります。最低賃金の引上げは,企業と労働者の選別を進めるということです。中長期的な政策として本当に重要なのは,最低賃金近辺で働く必要がないようなスキルを身につける教育政策です。こういう主張をしているのは,ざっとみた限りでは自民党だけですよね(デジタル人材の育成など)。教育面では,無償化の話は多いのですが,むしろ何をどのように教育するのかこそ重要だと思っています。理系人材,文系人材などに関係なく,個人のもっている適性を伸ばして,社会に貢献できるような人材の育成が求められているのです。そうした政策を進めることが,少し長い時間的スパンでみれば,国民の所得を持続的に引き上げ,「誰一人取り残さないようにする」ことにつながるのだと思います。

2024年9月21日 (土)

新経済連盟の労働政策提言

 新経済連盟の「規制改革提言2024913日に発表されています。労働関係については,すでに613日に発表されていて,このBlogでも紹介した「労働基準法等の見直しに関する提言」に相当する「04労働基準関係」に,新たに「05障害者雇用関係」,「06労働者派遣関係」が追加されています。障害者雇用関係では,法定雇用率の見直し,業務委託スタッフの法定雇用率への算入などが提言されています。法定雇用率の見直しについては,「企業規模・業務を問わず一律であるため,人手不足に苦しむ中小企業を中心に達成のハードルが著しく高い」,「障害者の就労ニーズに関する統計がないため,現在のニーズを踏まえた雇用率となっていない疑いがある(数ありきの雇用率設定?)」,「法定雇用率の政策的位置付けが明らかにされていない(法定雇用率が最終目標?それとも他の目標達成の手段?)」ということが,提言の理由にあるようです。障害者雇用については,個人的には,合理的配慮や差別禁止に関する政策と法定雇用率の政策の併存状況にあるなか,行政が両者をどのように組み合わせて障害者雇用促進政策を進めていて,それが現場にどのような影響を与えているのかということを,もっと知りたいと思っています。
 労働者派遣については,「労働者派遣 ・請負の区分に関する疑義応答集の見直し」に加え,「労働者派遣契約における事前面接の解禁」(特定行為をしない努力義務を定める労働者派遣法26条6項を参照)が挙げられています。後者については,撤廃論も根強いなかで,派遣先による差別的な労働者選別の懸念などから,なかなか実現には至っていません。しかし,派遣労働者側にもメリットとなるところが少なくないと考えられることと,もともとの特定行為の禁止の趣旨に,事前面接をすると,派遣先と労働契約が成立して,労働者派遣の定義から外れ,(職安法で原則禁止されている)労働者供給に該当する蓋然性があるということだったのですが,派遣先が事前面接をしたからといって,ただちに労働契約が成立し,労働者供給に該当する蓋然性が高いといえるのか疑わしいこともふまえると,たとえ努力義務規定であるとはいえ,法律上の義務とされている以上,それを撤廃すべきとする提言は,いまいちど検討する余地は十分にあるように思えます(この義務がそれほど強い要請によるといえないのは,努力義務にとどまっていることに加え,紹介予定派遣の場合には適用除外とされていることからもわかります)。

2024年8月25日 (日)

病気休暇

 817日の日本経済新聞の電子版で,「仕事しながら通院する人,4割に 両立支援の法整備課題」という見出しの記事があり,「育児や介護と異なり,両立を支援するための法整備が進んでいないとの指摘の声が上がる」と書かれていました。実は,厚生労働省は,病気休暇制度を導入しようという呼び掛けをしています。ネット上で確認したパンフレットにも,「新型コロナウイルス感染症など病気の影響により,療養が必要になった場合に取得できる休暇を,年次有給休暇とは別に設けておくことは,万が一に備えたセーフティネットとなり,労働者の安心につながります」と書かれています。
 労働者のなかには病気になったときに備えて年次有給休暇を取得せずにいることもあり,これは年次有給休暇の本来の目的とは違う使用法ですし,結局,病気にならないために取得機会を逸するということもあり,病気休暇制度があれば,こういう問題は若干回避できます。「若干」というのは,やはり年次有給休暇は有給であるのに対して,病気休暇は,原則として無給となるので,無給の病気休暇しかないならば,年次有給休暇を取って置くということは起こり得るからです。
 業務上の疾病以外の病気(私傷病)により労務を履行しないことは,原則として,企業には帰責性がないので,賃金請求は認められません。判例上,軽易な業務なら従事できると申し出ていれば,実際には就労しなくても(企業が就労させなくても),賃金請求が認められることはあります(片山組事件・最高裁判決,拙著『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)の89事件)が,そうした申し出ができる状況になければ,賃金請求は認められないのです。4日以上仕事ができなかった場合には,健康保険から傷病手当金(3分の2の補填)が支給されることはありますが,労働契約上の賃金という点からは,企業に支払う義務は基本的にはないのです(逆に,企業に帰責事由があれば,労働基準法上,平均賃金の6割の休業手当の請求が認められますし,別段の定めや合意がなければ,民法5362項により10割の賃金の請求もできます)。
 有給の病気休暇をもし制度化するなら,これは傷病手当金の労働法への取り入れというようなことになり,その妥当性は問題となりえます。ただ,無給であるとしても,病気による欠勤が,就労義務違反や労働契約上の債務不履行とはならない正当な労務不提供であるということが確認されれば,労働者には安心感を与えるでしょう。このような意味で,無給の病気休暇制度の法制化くらいまでは,企業は許容すべきかもしれません。企業側としては,労働者の年次有給休暇が余っているなら,そちらで充当してほしいと言いたいかもしれませんが。
 なお,ドイツには,賃金継続支払法(Entgeltfortzahlungsgesetz)により,企業は6週間,従前の賃金の100%支払う義務が課されています。ずいぶん昔にこの制度に関する論文を読んだとき(水島郁子「ドイツにおける疾病時の賃金継続支払」季刊労働法172号(1994年)),ドイツはずいぶんと気前がよいなと思ったことがあります。
 日本に話を戻すと,私傷病欠勤が長引いても,ただちに解雇にはならず,傷病休職にして,雇用を継続する企業も少なくありません。これは解雇猶予措置であり,正社員の場合には長期の勤続期間の途中で病気になるということはありうるので,そんなことでいちいち解雇していては人材の無駄遣いとなるということでしょう。病気になっても解雇しないということは,企業への忠誠心を高めるという効果も期待できます。ただ,こうした取扱いをしている企業でも,さすがに有給ではなく,賃金は無給で,所得保障は傷病手当金にまかせているところがおそらく多いはずです。
 病気の労働者が増えつつあるなか,私傷病にかかって労務提供ができない労働者の雇用保障や所得保障のあり方は,社会保障法にもまたがるこれからの重要な研究テーマとなるでしょう。

2024年8月14日 (水)

もう一つの障害者雇用対策

 今朝の日本経済新聞では,「ギグワーカー働きやすく 賃金・休日,基準明確に 厚労省が指針 待遇改善,働き方多様に」という見出しの記事が,まず目に飛び込んできました(紙媒体のものなら,いっそうでしょう)。ただ,厚生労働省がどういうことをしたいのか,よく伝わらない記事でもありました。私は実際の施策内容がわからないので,この記事が使っている「みなし」という言葉が,法律用語としての「みなし」という意味なのかよくわかりませんでしたが,たぶん違うでしょう。たぶん労働基準法上の労働者性の判断基準についての新たな通達を出すということなのでしょうが,編集委員の水野裕司さんらによるきちんとした解説記事によって補充してもらいたいですね。
 それよりも今朝気になったのは,Yahoo ニュースでみた共同通信の「障害者5000人が解雇や退職  事業所報酬下げで329カ所閉鎖」という見出しの記事です。閉鎖が増えているのは,障害者と雇用契約を結んで事業を行う「就労継続支援A型」で,これは障害者の就労へのサポートのためにも,また一般就労への移行のためのステップという意味もあります。日本経済新聞の5月17日の「沖縄の観光産業,障害者が支え 官民で働く環境整備」
という記事では,「沖縄県で積極的に障害者を雇用する企業が増えている。20236月時点の障害者雇用率は企業の法定雇用率(2.5%)を大きく上回る3.24%で,2年連続で全国トップだった。雇用に熱心な『ールモデル』」となる中小企業がけん引役となり,障害者でも働きやすい職場づくりが広がっている。」と書かれています。これは成功例ですが,一方で,A型事業所には,補助金目的の悪質な事業者もいるということも言われていて,きちんと事業で稼げておらず指定基準(生産活動からの利益が賃金総額を上まわっていること)を満たしていない事業所もあり,共同通信の記事によると,事業所閉鎖の増加は,「公費に依存した就労事業所の経営改善を促すため,国が収支の悪い事業所の報酬引き下げを2月に発表,4月に実施したことが主な要因」のようです。このほかにも,A型の場合は,最低賃金の引上げなどの影響も受けるし,事業者が増えて競争激化という問題あるなど,経営環境の厳しさもあるようです。この事業分野におけるスタッフの確保の難しさという問題もあります。日本中に広がりつつある労働力不足の影響を最も強く受けそうな分野の一つでしょう(ここでも職員側の業務をデジタル化で効率化できる部分があるのではないかと思います)。さらに無視できないのは,こうした事業所に仕事を発注する企業や個人がどれだけいるかということです。雇用問題というと,事業者と労働者という図式だけで考えがちですが,障害者雇用となると,こうした事業所に発注する側,つまり社会一般のこうした事業所への理解と支援という要素が大切です(この点で労働法の適用領域のなかでも,かなり独特のものではないかと思います)。それが不十分であると,政府の補助金がますます必要となってしまい,そうなると補助金目当てで,制度趣旨どおりの事業をしてくれない業者がどうしても参入してしまいます。この事業には補助金はどうしても必要であるとしても,それ以上に厚生労働省に力を入れてほしいのは,就労継続支援事業というものを,より広く認知してもらうための広報活動をし,社会からの支援を得やすくして,この事業ができるだけ自力で存続できる環境を整備することではないかと思います。これがより効果的な障害者雇用対策(自立支援政策)ではないでしょうか。私が不勉強なだけで,すでにやってくれているのかもしれませんが,私の周りでも,この事業についてはほとんど知られていません。A型,B型といった表現も,一部の専門家や業界の人しかわからないので,見直したほうがよいかもしれません(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律施行規則6条の10にある法令用語です)。国民目線は,ここでも必要です。

2024年7月22日 (月)

びっくり仰天の内閣府のアイデアコンテスト

 いささか旧聞に属しますが,内閣府の「賃上げを幅広く実現するための政策アイデアコンテスト」で,とんでもないものが優勝したということを,先日,NHKの収録に行った時に,旧知の外部ディレクターの方から聞きました。教えてもらったサイトをみると,「残業から副業へ。すべての会社員を個人事業主にする。」というものが優勝していました。これは,「名ばかり個人事業主」を推奨するもので,ありえない政策です。いまは削除されていてみることができなくなっているのですが,朝日新聞の711日の沢路毅彦さんの「脱法行為?賃上げアイデア「残業時間は個人事業主に」 内閣府が表彰」という見出しの記事から引用すると,「ホームページに掲載された資料によると,まず定時以降の残業を禁止。以前は残業でこなしていた業務を委託契約に切り替え,社員は残業していた時間は個人事業主として働くという。」というものであり,記事では,「このスキームは『脱法行為』とされるリスクがある。個人事業主かどうかは実際の働き方によって判断されるため,残業の時と同じように企業が指揮監督,拘束していれば,労働関連法の規制が及び,残業代や社会保険料の支払い義務が発生するからだ。また,本来なら通算するはずの労働時間がきちんと管理されなければ,過重労働に陥るリスクもある。」と,きちんとコメントされています。労働法を少しでも勉強したことがある人にとっては,まともにコメントすることもバカバカしいくらい,今回の受賞は悪い冗談としか思えません。こんなことができれば,企業はやっているのであり,いまごろになって新しい政策アイデアとして提示するほうも提示するほうだし,それを優勝させてしまう審査側のレベルの低さにも呆れます。

 こうした政策が許されるとすれば,これまで残業としてさせていた業務について,仕事のさせ方などを根本的に改め,違法とならないような業務委託形態とする必要がありますが,かりにそういう業務委託形態ができるとしても,残業の部分だけそのようにするなどというのは無理があることであり現実的ではありません。

 役人がこういう発想になったのは,自分たちはサービス残業をやっているから,それをせめて業務委託の形でやらせてもらえないか,ということかもしれませんが。いずれにせよ,こういう政策は論外であり,内閣府は,当分は,労働政策に対していっさい口を出すことを控えるべきでしょう。厚生労働省が弱体化しているせいかもしれませんが,労働政策に他省庁が介入してくることが増えているような気がします。ただ,内閣府のレベルがこの程度であれば,やはり(私からすれば頼りない)厚生労働省に頑張ってもらうしかないですね。

 

 

2024年7月19日 (金)

年金改革にみる政治の貧困

 昨日夜のBS-TBSの「報道1930」に八代尚宏先生が登場していました。立憲民主党の山井和則議員と経済評論家の加谷珪一氏と並んでいました。年金制度改革の問題点をあぶりだす良い番組だったと思います。おそらく八代先生と山井議員は,労働者派遣に関してはまったく折り合わない立場ですが,年金制度改革について,八代先生は理論派で山井議員は現実主義的という違いはあるものの,大きなところでの問題意識は共有しているような気がしました。今回の改革でとくに問題であるのは,やはり国民年金の保険料納付期間を60歳から65歳に5年間延長することの是非であり,負担も増えて,給付も増え,それだけ年金財政を安定させるというものであったのに,立憲民主党の大西議員が負担増だけ取り上げて追求し,自民党も土壇場で世論を気にして改革を見送りました。日本経済新聞の7月14日の電子版の中川竹美さんの「年金納付5年延長 増税恐れ「異例の早さ」で封印」という見出しの記事のなかに,7月3日に開かれた厚生労働省の審議会で,当時の橋本泰宏年金局長(5日に内閣官房内閣審議官に就任)が,「負担と給付はセットだが,保険料負担の増加だけを切り取った批判を一掃できていない。力不足をおわびしたい」として,納付期間5年延長論の議論先送りを宣言したということが出ていました。
 「力不足」とは,政治家を説得できなかった力不足ということでしょうか。それなら最初から力関係は決まっています。八代先生は,年金改革のようなものは,与野党関係なく,一体で改革を推進していくべきものであるということを主張されています。重要な指摘であり,国民の将来にとってきわめて大きな問題について,現在の政治家の近視眼的な議論に翻弄されるというのは,絶対に避けなければならないことです。八代先生は政治の貧困を嘆いておられました。これは私が労働政策との関係でもいつも言っていることです。たとえば安倍政権時代,解散さえしなければ,選挙が何年もないという時期がありました。そこで多少,国民には不人気でも,将来のために必要な政策を打ち出すチャンスがあると思っていました。労働時間制度改革,解雇改革,非正社員改革など,私が中央経済社から出した政策提言の本の内容などは,未来の労働社会のための提言であり,それを実現するチャンスでもあったのです。しかし安倍元首相は,大義なき解散を行い,選挙に勝ち続けて,その政治力を著しく高めましたが,国民にとって不人気だが,やるべき政策というのには,ほとんど着手されなかったと思います。「働き方改革」のような世論迎合的な政策は,まったく意味がなかったとは言いませんが,こんな政策は,どの政権でもできそうなことなのです。
 未来をふまえた社会保障や労働政策は,選挙を気にせずに与野党が大きなビジョンをもって一致して取り組まなければなりません。今回の納付期間5年延長論の先送りは,立憲民主党と自民党の合作で,国民に大きなツケを残したものです。
 番組でも指摘されていましたが,そもそも厚生年金加入者(第2号被保険者)の多くは,65歳まで厚生年金の保険料(国民年金の保険料も込み)を払い続けているのであり,実際の負担増は第1号被保険者だけです。その人数がどれだけかわかりませんが,この層の目先の負担増(しかし,給付も増加)のために政策をゆがめてしまったということになります。ほんとうに生活が苦しい人には,保険料の減免制度もあります。安心・安定が大切というのであれば,5年の辛抱さえすれば安心・安定が増すということを説得し,保険料増加の負担は,他の経済政策で家計負担をできるだけ抑えるようにするといって説得することこそ,政治家の仕事でしょう。
 納付期間5年延長は政治の勝利かもしれませんが,政治家が目先の一票を得るために,私たちの子孫のために残すべき資産を食い潰したという点で国民の敗北であるということを,よく理解しておく必要があるでしょう。

2024年7月16日 (火)

制度・規制改革学会の雇用分科会シンポ(告知)

  明日(17日),制度・規制改革学会の雇用分科会において,オンラインでミニシンポジウムが開催されます。「労働市場改革の論点―法学者の視点」というタイトルで,専修大学の石田信平教授と神戸大学の劉子安助教に,ご自身の関心をもっている改革論についてお話をしてもらい,その後,討論をする予定です(私は最初に趣旨説明と簡単な問題提起のプレゼンをします)。学会員の方で関心のあるかたは,ぜひのぞいてみてください(学会のFBZoomミーティングのURLの案内がされていると思います)。また学会員でない方は,この機会に学会への加入を検討してみてください。
 本日は,リクルートワークス研究所の研究員の方々からインタビューを受けました。これからの労働政策のあり方について,大きなことから,小さなことまで,いろいろお話しをしました。本日の内容は,その後に,ライターの方が文章に起こしてくださるそうです。
 働き方改革から5年以上が経過して,労働基準関係法制研究会も進行中というなかで,労働政策のあり方への関心が高まっていることが感じられます。労働法研究者も,労働法解釈の狭い領域から飛び出て,より自由に独創的な議論をすべき時代に来ていると思います。