労働・雇用政策

2023年5月27日 (土)

雇用保険の拡大は誰のためのものか

 岸田首相が長男を首相秘書官につけるという公私混同をしているなか,その長男の行動が問題となっています。526日の日本経済新聞によると,首相は「国民の皆さんの不信を買うようなことなら誠に遺憾だ」と発言したそうです。見出しでは,「公邸私的利用で首相が長男注意,報道『誠に遺憾』」となっていましたが,首相は「国民の皆さんの不信を買うようなことなら」という条件付きの遺憾表明なので,まだ正式には表明していないことになります。したがって,「国民の皆さんの不信を買うようなこと」が確認されれば,新ためて遺憾表明すべきものでしょう。でも「国民の皆さんの不信を買う」かどうかの判断は難しいでしょうから,結局は遺憾表明はしないでしょう。とはいえ,そもそも判断が難しいような「国民の皆さんの不信を買うようなこと」を条件とするのがズルいのです。結局,首相は,この問題に真摯に向き合っていないことになります。そもそも「遺憾」というのは謝ったことにならないというのは,前に谷沢永一氏の本を紹介したときにも書いたことです。
 ところで,今日の本題はここではありません。同日の記事で,パート・アルバイトにも雇用保険の拡大という記事が出ていました。「政府は2028年度までにパートやアルバイトの人らへ雇用保険を拡大する。非正規の立場で働く人にも失業給付や育児休業給付を受け取れるようにし,安心して出産や子育てができる環境を整える。企業側は人件費が増え,人員配置の見直しなども迫られる。」というものです。
 雇用保険は労働者も保険料を拠出するので,同じ時給であれば手取りが減ることになります。非正社員のなかには,家計を支えているわけではないので,雇用保険の受給ができることよりも,保険料の負担のほうが困るという人もいるでしょう。この改正は,非正社員のためではなく,雇用保険の財源を広げるためとみるべきかもしれません。正社員にとっては雇用保険の財源が安定するのはよいことなので,有り難い話かもしれません。つまり,非正社員への雇用保険の拡大は,給付をもらえる人が増えるというより,保険料を払う人が増えるということがポイントなのかもしれないのです。また,企業にとっては,事業主負担が増えるので,時給に転嫁できないとなると,非正社員の雇用を減らす方向に進むかもしれません。これは社会保険料の対象の拡大と同じ話です。ということで,非正社員への雇用保険の拡大というのは,いったい誰のためのものかを明確にした議論をしなければ,世論を誤誘導することになるのではないかと思います。そのあたりは労政審できちんと議論されると思いますので,そう簡単には話が進まないと予想しています。

2023年5月26日 (金)

日本企業は過去を捨てて変われるか

 日本経済新聞で,「ジョブ型雇用,御社は?」という特集で,日本企業のジョブ型への取り組みが紹介されています。おそらく,大企業がジョブ型なるものを導入しようとしても,相当難しいと思います。ジョブ型の定義にもよるのでしょうが,安定雇用を前提としながらジョブ型を実現するというのは不完全なものとならざるをえません。もちろん日本型ジョブ型なるものを目指すことはできるでしょうし,それがある程度うまくいくこともあるかもしれません。ただ,前の経済教室にも書いたように,これからのジョブ型の本筋は,個人のキャリアをベースに考えたものであり,特定企業での雇用を前提としたものではありません。ジョブ型というのは,それ自身が何か具体的な人事管理の方向性を示すものではなく,採用の際にどのようなジョブを遂行するのが労働契約上の義務であるのかを明確にするということがポイントであり,そこから職務給的な賃金の話や解雇の話などが演繹的に導きだされてくるのです。そういう前提のうえで,具体的にどう人材を活用するかということが問われるので,ジョブ型はパソコンでいえばOSのようなものです。そこにどのようなアプリを乗せるかが各企業の腕の見せどころとなるわけです。
 おそらくジョブ型への移行は,日本型雇用システムというOSをもっている既存企業では,簡単にはいかないでしょうし,失敗するでしょう。日本におけるジョブ型への移行は,スタートアップ企業や外資系の企業など,日本型雇用システムとは縁がなく,すでにジョブ型のOSを導入している企業が増えて,そこに人材が吸収されていくという形で起こるのだと思います。では既存の日本企業に未来はないのでしょうか。
 セブン&アイ・ホールディングスの井阪社長は,株主総会で,前回より賛成投票率が減ったものの再任されました。もの言う株主からの反対提案をはねつけることに,とりあえずは成功しました。しかし,同時に,長年グループの収益の足をひっぱってきたイトーヨーカ堂を切れない現経営陣への株主側からの不満もはっきりみえました。イトーヨーカ堂はグループの祖業であり,これなしではグループのアイデンティが失われることになるのかもしれません。経営的にも,セブンーイレブンの食品部門を支えるのはイトーヨーカ堂であり,コンビニとスーパーとのシナジー効果が出ているというのが現経営陣の言い分であり,それが一応株主には支持されたということでしょう。しかし,それはイトーヨーカ堂という会社をいまのままでグループ内に取り込んでおく説明としては弱いように思います。おそらくより大きなのは雇用問題なのでしょう。イトーヨーカ堂を切ると,大規模なリストラ問題が出てきて,そこには日本の経営者はなかなか踏み切れないのです。
 これはジョブ型の話とは関係がないようですが,セブン&アイ・ホールディングスの話は日本の会社の良さと悪さが出ていて,これがジョブ型移行の難しさにも通じるところがあるように思えます。祖業へのノスタルジー,雇用確保の優先度の高さ,再生に向けた根拠の弱い願望的展望などは,数字重視のアメリカ流の投資家には理解できないものでしょう。そこを押し切ることができて,日本流の良さを維持できるか。ジョブ型というときに出てくる反対論も,やはり過去の日本型雇用の人材育成や集団的主義的な仕事の仕方などと相容れないという過去へのこだわり,雇用の安定性への悪影響,日本型でも引き続き生産性を維持できるという根拠の弱い願望的展望なのです。
 このような観点から,セブン&アイ・ホールディングスが,どのように変わっていくかは,ジョブ型の行方との関係でも参考になるものとして注目したいと思います。

 

2023年4月13日 (木)

経済教室に登場

 日本経済新聞の経済教室に,昨年1月(テレワークがテーマ)以来の登場となりました。今回は労働市場の流動化がテーマとして与えられたので,久しぶりにキャリア権の議論をしました。諏訪康雄先生の議論の受け売りなのですが,そこに解雇の金銭解決の議論を組み込んでいます。デジタル時代をみて,さらに雇用大調整時代の到来が予想されるなか,キャリア権の議論の重要性がますます高まるであろうということが議論の軸です。昨今のあやしいジョブ型をめぐる議論については,JILPTの濱口桂一郎さんがいろいろ批判されているところであり,いずれにせよデジタル化,ジョブ型,流動化などはつながっていて,それを体系的に整理して,キャリア権の観点から一貫した労働政策論を展開すべきなのです。新しそうなところだけつまみ食いしてスローガンに掲げる安直な政策を展開するなというのが私のメッセージですが,首相やそのブレーンに届くでしょうかね。
 これと関連して,もう一つのメッセージは,企業を頼った政策ではいけないということです。拙著『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書)でも書いた企業中心主義から個人中心主義への移行を政策面でも実現し,そのために個人の力をいかにエンパワーするかを政策の主たる目標に据えるべきなのです。そのためには,教育政策が重要であり,そこにキャリア権が関係してきます。個人単位の社会保障への再編も,個人中心主義への移行の柱となります。個人がエンパワーする政策こそ,個人の自立を助けることで,これも広い意味でのSocial Securityなのだと思っています。
 今回のテーマは,法学的な観点からの議論でということを言われていたので,キャリア「権」を持ち出しました。実は見出しにこの言葉を当初は入れる提案をしていたのですが,あまり世間になじみがないということで,結局,入れることは断念しました。権利かどうかはさておき,エンプロイメント(employment)からキャリア(career)へのニーズが高まるというトレンドを押さえることは大切で,政策担当者が見落としてはならない点です。

2023年3月 7日 (火)

転職力の時代?

 9年前に『君の働き方に未来はあるか?―労働法の限界と,これからの雇用社会』(光文社新書)を上梓ししたとき,当時,よく使われていたエンプロイヤビリティ(employability)に「転職力」という日本語をあてました。そして,これについて「他社から引き抜かれる力であり,他社に引き抜かれることを恐れる現在の企業から,より良い労働条件を引き出す力でもあります」と述べていました(166頁)。
 これからは,納得できない労働条件であれば他社に転職できるような力を身につけることが必要だということを説きたかったのです。「君は会社に辞めてやると言えるか」ということを問いかけたのです。会社べったりの職業人生は危険であるので,いつでも辞められるような準備をし,かつそういう心構えをする必要があるということが大切なのです。そんな強い労働者なんていないか,いてもごく一握りにすぎないというのが,当時の反応でしたが,そのときはそうかもしれないが,いずれ変わるというのが私の考えでした。そんななか,ある報道番組で,若者の間で自分のキャリアを高めるための転職が徐々に増えてきているという話が紹介されていました。転職への心理的ハードルがどんどん下がってきているようです。それと同時に,企業のほうで優秀な人材のリテンションのための賃上げが起きているという話も紹介されていました。いよいよ「転職力の時代」に突入したのかなという思いです。
 ただ,「転職力の時代」となると,勝ち組と負け組がはっきりしていくことにもなります。企業内での正社員の間であれば,差がつくといっても,それほどのものではありません。さらに近年は,正社員と非正社員との間も差がつかないようにしようとされています。しかし,「転職力の時代」は,そういう平等主義的な処遇からは離れることになります。あえて平等という言葉を使うなら,本人の技能の市場価値に対して平等ということでしょう。これは,日本人が過去半世紀以上の間,慣れ親しんできた平等感とまったく違うものです。昭和どっぷり世代の私も,競争社会が良いとは全然思っていません。いまは自分自身は,競争から落伍して,わがペースで走っている感じです。
 しかし,私のようなシニア(入口?)の人間はさておき,これからの若者は競争社会に巻き込まれて行かざるを得ないのです。日本だけが特別な存在でいることはできません。転職力を付けろ,プロになれという,拙著のメッセージは,彼女ら・彼らに向けているのです。
 拙著に対しては,自分には転職力はないが,子どもには転職力もたせないという反応をくださった読者も少なくありませんでした。最近では,あまり聞かなくなったエンプロイヤビリティですが,政府は,これを転職力と言い換えて,雇用政策のキーコンセプトに据えてみてはいかがでしょうか。
 なお,この本もKindle Unlimited に入っています。