Terminator(映画)
AIが発展したあとの世界のこととして,よく映画「ターミネータ(The Terminator)」が話題になります。この映画は1984年のもので,2029年の未来を予測し,殺人ロボットが跋扈する社会と人間との戦いを描きました。アーノルド・シュワルツネッガー(Arnold Schwarzenegger)の出世作でもあります(後半は彼の顔はつぶされた状態で出ていましたね)。当時は,新たなSFアクション映画ということでした。
ロボットが人間の逆襲を受けていたため,その人間側のリーダーであるJohn Connorsが生まれてこないようにするために,その母親であるSarah Connorsを暗殺する(シュワルツネッガーが扮する)殺人ロボット「T-800モデル101」がタイムマシーンで送り込まれるということで,それを阻止するためにJohnも部下のKyleを同じようにタイムマシーンで送り込み,両者が戦うということでしたが,その間にSarah とKyleが結ばれてしまい,Johnを妊娠するというところで終わってしまいました。KyleはJohnの部下であったはずが,父親になってしまうというのは,どういうことかという疑問が残りました。Johnが生まれることを阻止するというロボット側の作戦は食い止められて未来は変わらなかったといえますが,Johnの父が変わるという形で未来は変えられたということでしょうか。よくタイムマシーンで戻ってきた者が両親を殺したとき,その者(生まれる可能性がなくなる)はどうなるのかという問題と似ています。
話を戻すと,私たちは映画で描かれていた2029年に近づいています。実際,現代のテクノロジーの進化は目覚ましく,AIやロボット技術は日々進化を遂げています(映画では,ロボットが電話帳を使って,Sarahを探していますが,アナログ的なのはちょっと笑えます。携帯電話の進化が予想できていなかったのでしょうね)。もちろん,現実の2029年は「ターミネータ」が描いたディストピアとは異なります。私たちはまだ殺人ロボットとの戦いには直面していません。ただ,戦争で無人ドローンが使われているという点では,部分的には同様のことが起きているともいえます。ということで,「ターミネータ」の未来像は,依然として,警鐘として受けとめておく必要があるのでしょう。私たちは,技術の進歩を歓迎しつつも、それが人間の価値観や倫理観とどのように調和するかを考え続けなければなりません。
そんなことを考えているとき,2040年の未来を語るという趣旨のエッセイの依頼が来ました。2040年は予測困難な未来ですが,生成AIには書けそうにない,人間ならではの想像力を駆使して構想を練ることにします。
ところで,この映画でシュワルツネッガーが言った「I’ll be back.」というセリフは有名です。Sarahを探して警察署に来たときに,担当者から受付を断られたあと,この発言をして,そのあとすぐに車で扉をぶちやぶって入ってきたというシーンでのものです。普通の言葉ですが,あまりにも印象的なシーンなので,それに合わせてこの言葉が有名になります。「また戻って来る」というとき,「I’ll be back」と,ちょっと気取って言うと,映画を知っている人は,くすっと笑うでしょう。