イタリア

2022年12月21日 (水)

スカラ・モビレ

 父は告別式までは,葬儀場の霊暗室にいるので,今日も顔を見に行ってきました。眠っているようでした。告別式の日は,雪の予報が出ていて心配です。
 コロナ感染者がかなり増加しています。父は幸いコロナ感染はしていなかったので,その点で葬儀に不自由なことはありませんが,もしコロナ感染をしていたら,おそらくいろいろ制約があったことでしょう。葬儀場が混雑しているのは,コロナ死が増えているからなのかもしれません。
 ところで話は変わり,インフレ手当を出す企業が増えているという記事を読みました。ヤマハは一律5万円などとなっており,気前がよいなと思いましたが,そういう企業が増えているのでしょう。インフレ手当というと,イタリアの物価調整手当(indennità di contingenza)を思い出します。従業員の臨時の必要に対応した手当というような意味ですが,戦後,インフレ期に定着化し,scala mobile(エスカレータの意味)と呼ばれて,賃金の重要な要素を占めるようになりました(『イタリアの労働と法』(2003年,日本労働研究機構)102頁)。これにより,インフレとなると,賃金も上がりますが,そのことがさらにインフレをもたらすという悪循環が起こりました。そういうこともあり,私がイタリアに留学していたとき,ちょうどこの制度の廃止にぶつかりました(1992年以降の廃止)。インフレにともなう賃金購買力低下は,自動的な上昇制度ではなく,団体交渉により行うべきということです。このころ同時に団体交渉システムも変わっていますが,詳しいことは,30年くらい前に書いた論文を参照してください(「イタリアにおける賃金決定機構の変容-その『弾力化』と『制度化』」日本労働研究雑誌41325-32頁(1994年))。
 日本のインフレ手当は,春闘前に決定されたものです。企業が積極的にこういう手当を出すのは,賃上げに対する政府や社会の圧力があることに加え,それが基本給の引上げにつながるのではなく,臨時の賞与的なものであるからでしょう。もちろん最初は任意恩恵的給付であっても,これが反復して支給されるようになれば,事実たる慣習として契約の内容となり,権利性がでてくる可能性が,理論的にはあります。労働者には有り難いですが,企業としては困るかもしれません。また,こうした手当は,労働組合にも危険な面があります。イタリアの教訓は,交渉を経ないで,インフレ率だけにより自動的に手当額が決まるような制度は,かりに当初は労働組合が求めたものとしても,かえって労働組合の交渉力を弱める可能性があるということです。

2022年10月31日 (月)

イタリア憲法の革新性

 イタリアで,正式にGiorgia Meloni政権が誕生しました。労働・社会政策大臣は誰かとみてみると,あまり知らないMarina Calderoneという女性でした。政治家ではなく,政党に所属しないindipendente(独立系・実務家)です。 インターネット情報では,Consulente del lavoroとなっていました。仕事の内容としては,日本の社会保険労務士に近い感じでしょうか。学位は,economia aziendale となっていますので,経営学ですね。賃金政策などへの取り組みが期待されているのでしょう。いずれにせよ,民間からの抜擢という感じでしょうから,どのように手腕を発揮するか注目です。なお,イタリアでは保健省(Ministero della Salute)は,労働・社会政策省とは別にあります。憲法上も健康保護は独立して規定されています(32条)。
 ところで,季刊労働法の次号に掲載されるイタリアの解雇法制の論文を書いているなかで,イタリア憲法が今年注目すべき改正をしていることに気づきました。まず憲法9条です。日本の9条とはまったく異なり,1項で「共和国は,文化の発展及び科学技術研究を促進する」,2項で「景観並びに国の歴史的及び芸術的財産を保護する」となっていたのですが,これに3項が追加されました。
 「環境,生物多様性及び生態系を,将来の世代の利益のためにも保護する。国家の法律は,動物の保護の方法及び形態を規律する。」
 環境,生物多様性,生態系,動物の保護が,憲法のなかに書き込まれました。すごいことですね。
 次いで憲法412項です。憲法411項は「私的な経済活動(iniziativa economica)は自由である」という規定で,経済活動の自由を保障したものです。その2項で,従来は,「社会的雇用に反して,又は,安全,自由,人間の尊厳に損害をもたらすような方法で展開してはならない」と定められていたのですが,「社会的効用に反して,又は,健康,環境,安全,自由,人間の尊厳に損害をもたらすような方法で展開してはならない」と改正されました。経済活動に対する制約原理として,社会的効用(utilità sociale),安全,自由,人間の尊厳に加え,健康と環境が挙げられたのです。なんと21世紀型の内容でしょうか。日本では,憲法改正は大問題ですが,こういう内容の改正なら,誰も文句は言わないでしょうね。
 憲法412項は,労働法においても,企業経営の自由との関係でよく出てくる規定なのですが,企業経営の公共性(社会的効用による制約)を正面から採り入れ,そこに環境や健康も組みんだことは,今後の労働法の議論にも何らかの影響をもたらすかもしれません。私の現在の問題関心とも合致するところがあり,まさかこういう形で,再びイタリア法と邂逅できたとは,という気分です。

2022年9月18日 (日)

イタリアの政治と法

  久しぶりにイタリアの労働法(解雇法制)に関する原稿について執筆依頼がありました。もう引退したつもりだったのですが,実戦で投げるよう急遽要請されたので,老骨に鞭打つ感じで緊急登板することになりました。イタリアの解雇法制は,2015年のJobs Act で金銭解決制度がさらに進歩したのですが,憲法裁判所からいろいろな規定について「異議申立」(違憲判決)がなされる事態となっています。理論的にも面白いところがありますが,今回はイタリアの解雇法制の動きを,憲法裁判所の判決を通してしっかり追うということをもって,責めをふさぎたいと思っています。本格的な研究は,明治大学の小西康之さんや早稲田大学の大木正俊さんにお任せします。
 イタリア法の論文を書くとき,知っておいたほうがよいのは,政治的な動きです。いまはYouTubeTelegiornale(テレビでのニュース放送)の動画を,少し時間的に遅れますが観ることができるので,現地に行かなくても情報入手はできます。直接イタリア人と話すのも,いまやオンラインで簡単にできます。とはいえ,やはり日本語で専門的な分析がされている文献があれば助かります。そういう記事が,先週金曜日の日本経済新聞の経済教室に出ていました。八十田博人さんの論考です。八十田さんは,EUの専門家で,とくにイタリアのことについて詳しい方ですが,共立女子大学で教鞭をとっておられたのは,今回初めて知りました。
 この論考を読んで,イタリアの救世主として世論の支持が高いDraghi首相が,政権を投げ出した背景がよく理解できました。25日に国政選挙があり,右派圧勝と予想されるなか,第一党に就く可能性があるGiorgia Meloni率いるFdI(Fratelli d'Italia)を中心とする右派連合の政権がどうなるのかについても言及されています。
 ところで,労働政策の面でみると,Draghiより10年前に実務家内閣を率いたMonti政権では,Montiと同様に経済学者であったForneroが労働・社会政策大臣となり,2012年の解雇改革を断行するなど大胆な労働市場改革をしました。Draghiは,大学教授歴があるものの,それよりもECB(欧州中央銀行)の総裁として世界的に有名なエコノミストでしたが,この内閣で労働・社会政策大臣に就いたのは,民主党の政治家であるOrlandoでした。彼は労働政策の点ではDraghiと距離があったようです。Draghi政権が誕生した20212月は,新型コロナ真っ只中であり,イタリアでは一時的に経済的解雇が禁止されている時期でした。Orlandoは,その禁止期間を年末まで延長していくことになります。同じ実務家内閣とはいえ,Monti政権が解雇規制の緩和をしたのに対して,Draghi政権は,緊急避難的とはいえ,解雇規制を強化する方向の措置を講じてきたのです。
 アフターコロナで,経済が正常な状態に戻った後,イタリアの政治状況の変化も予想されるなか,解雇法制がどうなっていくか注目です。また,日本では,今後,雇用調整助成金の活用の成果が検証されていくでしょうが,イタリアではやや類似の所得保障金庫(Cassa Integrazione di Guadagni)がコロナ禍でも活用されてきており,法学者と経済学者で,両国を比較してみるのは面白いテーマだと思います。