カミカゼ・ドローン
少し前に,アメリカの「アジア系米国人ジャーナリスト協会」が,ウクライナ戦争でのロシアによる無人ドローン攻撃について「Kamikaze Drone」という言葉が使われていることについて,アジア系に対する差別を助長するとして抗議を申し込んでいるという記事が出ていました。Tsunami と同様,KamikazeやHarakiriなどは,日本語がそのまま使われており,日本人としては複雑な気持ちです。Kamikazeという言葉は,自爆テロのときにも使われます。神風特攻は,外国人には衝撃を与える攻撃であり,日本人としては忘れたくても忘れてはならない黒歴史です。どうしてあんな愚かな作戦で若い人たちを無駄死にさせたのか,怒りを禁じ得ません。
外国人からすると,日本人の精神性にカミカゼ的なものがあるのではないかと思いたくなるようです。私の知っている外国人は,親しくても,そういうことをあからさまには聞いてきませんが,おそらくは聞いてみたいと思っているでしょう。私としては正面から聞いてほしい気持ちもしますが,それならこちらから話題を切り出せばよいのですが,そこでうまく説明できるかというと,あまり自信はありません。どうして神風特攻隊がうまれたのか。実は,そういうことを,私たちはきちんと総括できておらず,それゆえ,外国人にもうまく説明できないため,彼ら,彼女らの疑問や疑念はいつまでもなくならないのでしょう。
神風特攻は軍関係が対象で,民間施設や民間人を相手にはしていないので,無差別な自爆テロとは違うし,ましてやウクライナの無人ドローンは「無人」である点でまったく違うものです。しかし,そういうことを言っても,自爆=カミカゼは,外国人には定着してしまっているのです。ただ少なくとも現在の「無人ドローン」と「神風」はまったく無関係であるということは,やはり日本人としては,しっかり政府に海外向けに説明をしておいてもらいたいですね。
日本人のなかには,神風特攻について,あの死を無駄にしないために,彼らを英雄視しなければいけないとする考え方もあるようですが,それは間違った考え方です。あの死を深く悼みながら,ああいうクレージーな命令を発した上層部への怒りを忘れてはならないのです。いろいろ批判もある百田尚樹ですが,彼の『永遠の0』(講談社新書)は,この問題についての良い教材です(かつて,この本は,このブログの前身でとりあげたことがあります)。理不尽な神風特攻に対して悲しみと怒りをかみしめ,そういうことが二度と起こらないようにするために,どうすればよいかをしっかり考えておく必要があります。そうしなければ,外国人の疑念を払拭できないどころか,私たちやその子孫が同じことを繰り返してしまわないか,心配になります。