国内政治

2025年11月 4日 (火)

鉄の女2.0

  BSフジの「プライムニュース」は,かつては反町理さんの番組という印象が強かったですが,彼が過去の不祥事で退いてからは日替わりキャスター体制が続いていました。ところが10月からは長野美郷さんが見事に後継者に任命されました。最初は「お飾り」かと思っていたのですが,よく勉強していて鋭い質問もするし,政治家や著名人に対しても堂々としており,見事なキャスターぶりです。フジのイメージチェンジ戦略の一環と見る向きもあるかもしれませんが,私は実力で勝ち取ったものだと思います。
  
昨日の番組では,「“東洋のサッチャー”になるか」というテーマで高市早苗首相が取り上げられていました。1979年にイギリスで初の女性首相となったマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)。保守党の党首でしたが,当初は,女性に首相が務まるのか,と懐疑的な声が多かったそうです。しかし,彼女はその偏見を力強く打ち破りました。その強い信念と指導力から,「鉄の女(Iron Lady)」と呼ばれるようになりました。この呼称は,首相になる前にソ連(Soviet Union)を厳しく批判した演説を行った際,ソ連の国防省機関紙が揶揄的に「鉄の女」と呼んだことに由来します。ところがサッチャー氏はこの表現を逆手に取り,自らの信念と強さを象徴する言葉に変えました。まさに見事なイメージ戦略でした。
 そしてこのイメージを現実のものとしたのが,1982年のフォークランド紛争(Falklands War)です。アルゼンチン(Argentina)との短期戦を制し,軍事や外交は「女性には向かない」と見られていた時代に,その固定観念を鮮やかに覆したのです。 一方で,労働組合への強硬姿勢や国営企業の民営化など,新自由主義的な改革を次々と打ち出したことでも知られています。これにより,「英国病(British disease)」と呼ばれた経済の停滞を立て直しました(労働法の観点からすれば,サッチャー時代のイギリスは苦難の時代だったともいえます)。
 いずれにせよ,女性だから弱者に優しい政治をするだろうというような期待は裏切り,国家の再生を目指したリーダーでした。ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)さんもそうですが,個人の政治信念において性別は関係ありません。もちろん,ふたりとも世論の支持を得るために身だしなみには気を配っていたようですが,それもつまらないことで足を引っ張られないようにするための周到な準備だったといえるでしょう。
 さて,高市首相はどうでしょうか。彼女は保守派に属し,政治的には右の立場にあります。女性だからリベラルな政策をとるだろうという期待は,もとよりありません。高市首相の選択的夫婦別姓への慎重な姿勢や女性天皇に対する消極的な見解には,彼女の保守的信条がよく表れています。女性だからといって女性が望む政策をとるとは限らない,というです。もっとも,政権を担う以上は一定の妥協も必要でしょう。それは以前にイタリアのジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)首相についてコメントしたときにも述べたとおりです。
 高市首相は,その尊敬するサッチャーがフォークランド紛争の勝利で政治的成功を収めたことを十分に意識しているかもしれません。もし北朝鮮による拉致問題の解決において,目に見える成果を上げることができれば,「鉄の女2.0」として長期政権の可能性も見えてきます。
 彼女が外交や安全保障の分野で,Trumpにみられるようなマッチョな手法とは異なる,どのような手法を使ってくれるか期待しています(労働政策のほうはあまり期待していませんが)。

2025年10月24日 (金)

「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」

 「世界の真ん中で咲き誇る」というのは,安倍首相がよく用いていたキャッチフレーズだそうですが,高市首相も外交・安保政策において,これを引き継いでいるようです。しかし,この言葉に少し違和感があります。その意味をしっかり理解しているわけではありませんが,もし「咲き誇ること」自体が目的であるならば,どことなく権力志向が強すぎるような感じがします。
 国民が求めている真の強さとは,日本の国力に見合った強さであり,必ずしも咲き誇ることではありません。派手に目立つ外交ではなく,地道であっても確実に国民に成果をもたらす外交こそ必要です。話が飛躍するかもしれませんが,戦前,松岡洋右外相が,満州事変後の世界からの日本への批判に反発し,国際連盟を脱退するという派手なパフォーマンスを演じて,国内の一部では快哉の声もあったものの,世界から孤立し,第二次世界大戦への悲劇につながりました。「咲き誇る」というと,中身よりも,外観という感じがして,そういうものは追求してほしくないのです。
 外交とは,本来,成果を誇示するものではなく,国家として着実に利益を積み重ねていく営みです。真の強さとは,力を見せつけなくても,したたかに生き残ることのできる強さのことではないでしょうか。もちろん「世界の真ん中で咲き誇る」とは,強いアメリカの傘の下で咲き誇るということであれば,それはそれでしたたかな戦略かもしれないのですが……

2025年10月21日 (火)

高市政権誕生

 自民党の高市早苗総裁が首相に選出されました。ついに日本にも女性の首相が誕生したことになります。もっとも,今回の選出は,女性が勝ったというよりも,保守思想を前面に掲げ,安倍政権の正統な後継者という立場を明確にしたうえで,自力で首相の座を勝ち取ったという印象があります。そこには,党内の長老をうまく取り込みつつも,潮目を見極めて勝負に出た彼女の政治的感覚の鋭さがあったのでしょう。
 一方で,日本維新の会との連立が今後どのように作用するかは未知数です。維新側にとっては,参議院選挙では伸び悩んだものの,衆議院で一定の議席を持っていたことから,今回の連立に踏み切れたといえます。しかし,勢いとしてはすでに下り坂であり,大阪・関西万博が一定の成果を上げたとはいえ,維新の支持が今後劇的に回復するとは考えにくい状況です。兵庫県でも維新への評価は高くなく,「大阪の地域政党」という印象は依然として残っています。それでも,高市さんにとっては,首相の座を手にするためには,落ち目とはいえ維新との連携が欠かせなかったということです。
 日本維新の会の政策のなかで,とくに注目しているのは社会保障改革です。党のサイトをみると,その主たるテーマは「社会保険料を下げる」ことにあります。とくに現役世代の手取りを増やし,経済を活性化させようという姿勢が鮮明です。具体的には,次の4つの柱が掲げられています。 ⑴ 薬局で買えるお薬への保険適用を見直す。 ⑵ 窓口負担のあり方を公平に改革する(富裕な高齢者の窓口負担は引き上げる)。 ⑶ 医療のデジタルトランスフォーメーション(医療DX)を推進する。 ⑷ 病床数の適正化を図る。
 これらの政策は非常に合理的で,方向性としてもよいと思います。医療の効率化は,高齢化が進むなかで現在の医療提供体制を維持するためにどうしても必要ですし,高齢者であっても富裕層の医療負担はある程度高くてもよいと考えます。今回の連立政権合意文書のなかにもこの改革方針が含まれていますが,自民党は本当にそれを受け入れるでしょうか。議員定数の削減や企業献金の禁止も大切なテーマではありますが,それ以上に,国民の生存に直結する社会保障という大きな課題に,維新がどこまで切り込めるのかに注目していきたいと思います。

2025年10月10日 (金)

高市とMeloni

 自民党総裁になった高市早苗さんが首相に選ばれれば,日本では初の女性首相ということになります。イタリアではすでに Giorgia Meloni(ジョルジャ・メローニ) 首相が誕生しています。彼女もイタリア初の女性首相で,右派勢力に指示されていることも高市さんと重なる部分があります。
 メローニ首相は,意外にも安定した人気を保っています。イタリアは,他の欧州と同様,連立政権の国ですが,その中でメローニの率いる「イタリアの同胞(Fratelli d’Italia)」が3割前後の支持を維持しているというのは,かなり安定した状態といえるでしょう。この点について,イタリアの友人のMaurizio に聞いたところ,メローニは,何もしないから支持されているという分析をしていました。強引に押し付けない分,反発も起きないということです。もしそうなら,それで本当にいいのか,という気もします。
  確かに,イタリアの経済は厳しく,公的債務が大きい以上,思い切った経済政策を打ち出す余地は限られています。財政再建の足かせの中で、やりたくてもできないという現実があるのかもしれません。しかし,そうやって何もしないことが結果として政権を安定させているのだとすれば,それは少し危うい安定にも見えます。
 政治が何も動かないまま,連立の名のもとに停滞が続くという構図は,日本でも大連立が起こるとあてはまるようになるかもしれません。だからといって,日本は,国債が円建てで日銀など国内で保有されているので破綻はしないから,安心して財政出動してよいという話に高市さんが乗っかると,それはそれでほんとうに大丈夫なのかという心配もあります。
 いずれにせよ,イタリアを一つの参照点として,その共通点と相違点をみながら,日本の将来を考えることは興味深い試みかもしれません。

2025年10月 6日 (月)

政治と透明性

 昨日の私的領域と公的領域の続きです。両者の区別ということを聞くと,古代ギリシャにおけるオイコス(oikos:家)とポリス(polis:都市・政治共同体)の区別を思い浮かべる人も少なくないでしょう。古代ギリシャの民主制は、市民がアゴラ(agora:広場)に集まり,互いに弁論を戦わせて意思決定を行うというものでした。そこでは政治が透明な場で行われることが重要とされ,個人的な感情や利害が入り込むことは戒められていました。民主制とは,本来「市民がみんなで決めること」を重んじる政治制度であり(ただし,市民には,女性,外国人,奴隷は含まれていません),個人の能力が最大限に発揮されることが重視されるため,そこに私的な政治的取引(談合)があってはならないのです。
 このような観点から見ると,今回の自民党総裁選には少なからず違和感を覚えます。表向きは透明性を重視した手続のようにみえても,実際には特定の政治家や派閥が主導し,「貸し借り」の文化や露骨な論功行賞人事がなされようとしています。自民党に根強く残る村社会的な文化が,いまだに政治の透明性を曇らせているのでしょう。そうした構図は,まさに公私混同と呼ばれても仕方がないでしょう。
 とはいえ,現代社会では「私的領域の尊重」もまた一つの価値です。昨日も書いたように,プライバシーや個人の自由が過剰に守られた結果,逆に社会全体の利益に反することもあるかもしれませんが,それほど私的領域は強くなっています。ただ,少なくとも政治の場は,社会全体の利益(公益)を考えるものであってほしいです。  
 誰もが透明な場で議論しながら意思決定をしていく。そうした政治空間をどう再生するかが問われています。そう考えると高市自民党はすでに最初から,躓き始めているようにみえます。どこかで村社会の論理から脱却して,透明で開かれた政治に飛躍できるか。それとも,このままズルズルと古い自民党の体質をひきずるか。もちろん後者であれば,自民党に未来はないでしょう(今回はとりあえず首相には選ばれるのでしょうが,それを許す野党も情けないのですが……)。

2025年10月 2日 (木)

環境は票にならない?

 最近,「環境政党」という言葉を耳にする機会が減った気がします。ヨーロッパでは緑の党(ヴェルディ)などが今も活動を続けていますが,全体としては環境よりも経済を重視する傾向が強まっているように感じます。今回の自民党総裁選について,私は党員ではないため内部事情に詳しいわけではありません。しかし外部から見ていて気になったのは,環境やエネルギー政策がほとんど議論の俎上に上っていないように思える点です。
 その背景には,いくつかの要因が考えられます。第1に,物価高や景気対策,安全保障などが喫緊の課題として国民の関心を集めており,環境分野が相対的に後景に退いている可能性があるからです。第2に,日本政府はすでに「2050年カーボンニュートラル」や「GX(グリーントランスフォーメーション)」といった長期的な政策方針を打ち出しており,党内では争点として新規性がないことがあるのかもしれません。
 そして第3に,より懸念されるのは,環境政策に消極的な姿勢を示す米国のTrump大統領に対し,日本の政権与党が迎合しているのではないかという点です。首相に選ばれると,まずはTrump大統領の来日もあり,政策を合わせる必要があるのでしょう。米国が環境政策に距離を置く場合,日本もその流れに引きずられる危険性があります。これでは情けないです。
 環境政策は,未来の世代に直結する課題です。野党なら生活に直結する政策にこだわるのは仕方がないとしても,責任与党である自民党は,次世代に対する責任を果たす姿勢を明確に示すべきです。たとえ現在の国民に一定の負担を求めることになっても,持続可能な社会の構築に向けて踏み出すことにこそ,政治的リーダーシップの知性と情熱が問われるのではないでしょうか。自民党員の皆さんには,ぜひこの視点から候補者の姿勢を見極めていただきたいと思います。

2025年9月23日 (火)

国連軽視?

 石破茂首相が国連総会で演説を行うと報じられています。日本の首相は,昨年の岸田前首相もそうでしたが,国連総会でのスピーチを辞任の花道のように用いる傾向があります。しかし,国内での支持を失い,選挙にも敗れた首相が,国際舞台で発言をすることに対しては,違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。国民の信任を欠いた首相が世界に向けて語ることを,他国の人はどう思うでしょうかね。
  今回の演説に関連して注目されるのは,パレスチナ国家承認の問題です。政府は「二国家解決の立場は変わらない」としながらも,「今はその時期ではない」と判断を見送りました。しかし,では一体どのような時期になれば承認するのか。その説明は十分ではなく,結局のところアメリカの了承がなければ動けないのではないでしょうか。これでは「日本外交は米国から独立していない」という従来の評価を,再び裏づけただけでしょう。
 パレスチナ承認を見送ることが妥当かどうかは,私にはよくわかりません。しかし,日本政府の説明は,国内での国会答弁のような言い回し(「いかに実効性のあるものにするかが大切」など)にとどまり,国際社会に説得力をもつものとは思えません。結局,「自民党村」のなかでしか通用しないような論理を,そのまま国際舞台に持ち込んで,みっともない姿をさらけ出すだけではないでしょうか。
 国内政治に目を移しても,自民党総裁選では経済政策が主要なテーマとなっています。ただ,それはトランプ大統領が導入した関税政策の影響を大きく受けたものです。対米関係に左右される日本経済の現実を直視せざるを得ませんが,だからといって国際舞台での日本の姿勢までが米国依存一色に見えてしまうのは情けないです。
 たしかに,日本の首相がアメリカから完全に独立して政治を行うことは現実的には難しいかもしれません。しかし,国際社会においては,もう少し自律的で堂々とした姿勢を示してもらえればと思います。国連総会という舞台は,本来であれば日本の外交的立場を力強く発信する機会のはずですが,残念です。まだ石破さんのプレゼンを聴いていない段階で,評価を下すのは早すぎるかもしれませんが。

2025年9月20日 (土)

自民党総裁選

 小泉進次郎氏が,自民党総裁選に立候補を表明しました。昨年は解雇規制の見直しを口にして失速し,私もいい加減な政策提言をしてほしくないという批判をしました。今年は多くの候補とも賃上げには言及しているものの,解雇など労働市場に関連するディープな規制改革には触れていないようです。その一方で,野党も主張している給付付き税額控除に言及する人もいて,今年は労働関係では,この制度が注目を集めることになるかもしれません。
 給付付き税額控除は,税額控除に加え,一定の所得水準以下であれば給付が行われる仕組みであり,低所得者対策として期待されています。ただし,制度設計の具体的な中身によって姿は大きく変わります。勤労所得に対する税額控除の仕組みとするならば,就労インセンティブを損なわないという利点があります。ただ,他の社会保障給付や最低賃金制度との調整はどうするのでしょうか。私は,給付付き税額控除は,現行の生活保護を含むさまざまな所得保障制度の統合的な枠組みとして構想すべきだと考えています(社会保障と税の統合)が,そうした議論は今のところなされていません。いずれにせよ,この制度をしっかり論じるには高度に専門的な議論を要するため,総裁選で語られても具体案が示されることはないでしょう。昨年の解雇規制と同様の「雰囲気だけの議論」をするなら,主たる争点にすべきではないでしょう。
 むしろ注目すべきは,もう少し紛れのない議論が可能な,外交や皇位継承問題です。たとえば,パレスチナ(Palestina)国家承認の見送りに見られる対米追従外交をTrump政権下でも継続するのか(Trump政権にどこまでつきあうのか),あるいは皇位継承問題にどのようなビジョンをもっているのか。さらに,環境問題にどう取り組むのかも重要です。こうした国家の基本的方向性に関わる論点で,各候補がどれだけ個性的な主張を展開できるかに注目したいです。自民党の村社会のなかでどう生き延びるかということよりも,国民に向き合って政党として生き延びれるかを考える候補者にでてきてほしいです。

2025年9月 8日 (月)

石破退陣表明

 石破茂首相が,自由民主党総裁を辞任すると表明しました。阪神優勝で盛り上がる関西では,ニュースの扱いは2番手でしたが,こちらのほうが日本にとっては大きな出来事です。
 次に誰が首相になるのかはまだ見えません。石破首相以外にふさわしい人物が浮かばず,自民党が与党の地位を失う可能性もあります。茂木敏充氏には人望がなく,高市早苗氏なら野党が結束して野田佳彦政権が再登場するかもしれません。小泉進次郎氏は「軽い神輿」として担ぎやすいと見られていますが,その一方で大化けする可能性もあります。
 林芳正官房長官は首相就任を目指して参議院から衆議院に鞍替えしました。小泉氏や「コバホーク」(小林鷹之)といった世代が首相になれば,自身の機会が失われるため,出馬は必至でしょう。林氏が首相になるとすれば「これが最後」という覚悟かもしれません。
 石破氏は満を持して首相になったわけではなく,むしろ旧安倍派の面々の厚顔無恥さが想定以上だったのかもしれません。本来,選挙の責任を取るべきは旧安倍派の関係者だったと思います。選挙とカネの問題が自民党内部で「軽微な罪」とみなされていて,安倍派の面々の扱いが不当に重いという捉え方が党内ではあったとしても,結果として選挙とカネが選挙に敗れた主因となったのです。旧安倍派は巧みに石破氏に自分たちの責任を転嫁しましたが,有権者はその点を見ているはずです。
 石破おろしは,自民党の延命のための策だと党員の多くは考えているかもしれません。しかし,実際には党の寿命を縮めることになったのかもしれません。麻生太郎などが動いてキングメーカー気取りであることが,一番見苦しいことではないでしょうかね。

2025年8月15日 (金)

昭和100年,終戦80年,プラザ合意40年

 今年は,終戦80年といわれますが,昭和20年が終戦ということなので,昭和100年という人もいます。1925年に大正天皇が崩御して,昭和天皇が践祚しました。そのときの首相は若槻礼次郎です。若槻は,帝国大学法科大学(後の東京大学法学部)の首席であったという伝説的な秀才でした。大蔵省に入ったあと,政治の世界に入りました。東條英機などの軍人とは異なり,昭和初期を支えるべきエリートでしたが,彼らでは戦争を避けられませんでした。
 大蔵省出身者の首相は,戦後,池田勇人,福田赳夫,大平正芳,宮沢喜一が出ていますが,現在,大蔵省・財務省出身で首相に近い人というのはいませんね(コバホークあたりが近いかもしれませんが,国民民主党の玉木氏も意外に近いかもしれません)。
 首相になるほどの人は別として,官僚をみていると,細かいことには丁寧で隙がないものの,何のためにいまその仕事をしているのかという肝心のことを見失っているのではないか,と思うこともあります。政治家になるならば,この混迷の世界において,どのような未来シナリオを描いているのかを語れる人でいてほしいです。
 ところで,終戦から現在までのちょうど中間の1985年にプラザ合意がありました。円ドルのレートは1986年には,239円から168円へ急降下しました。円高は輸出依存の日本経済にとって大ダメージです。円高はその後,2011年には80円を切るレベルにまで至ります。そして現在では150円前後の円安になっています。プラザ合意後に円高になったとき,日銀は公定歩合(政策金利)を段階的に大きく引下げました(それでも今よりは高いのですが)。お金は不動産投資や株に集まりバブルが発生しました。そして,日本企業は,アメリカ買いに走ります。三菱地所がロックフェラーセンターを買収したりするなど,次々とアメリカの不動産などが日本企業に買われていきました(任天堂も,大リーグのマリナーズを買いましたね)。おそらくTrumpはそのときのことを覚えているのでしょう。日本製鉄のUSスティールの買収に敏感であったのは,そのためかもしれません。理屈ではないのです(読売ジャイアンツが中国の企業に買収されたらどうでしょうか)。今度は,日本の政策金利に注文をつけてくるのではないかと思っていたら,案の定,昨日のニュースで,アメリカのBessent財務長官が,日銀の利上げを示唆するような発言をしたと報じられていました。何らかの介入があった可能性があります。もちろん日本政府は否定していますが,投資家たちは,利上げや円高になることを想定して行動することになるでしょう(日本株売りにつながる)。
 アメリカが,関税の次には,円安是正のため利上げを求めてくることは十分に予想されていたと思います(アメリカ国内では,Trumpは,FRBに激しく利下げを求めています)。関税を上げられ,円高となると,日本の輸出産業は大きな打撃を受けるでしょう。こういう状況になったときには,財務省などの官僚出身の能吏型の政治家のほうがよいのか,それともMachiavelli(マキャヴェッリ)的な,狐の狡猾さとライオンの獰猛さをもち,Trumpを手玉に取るような政治家が必要なのか。私にはよくわかりませんが,自民党は,石破おろしをするにせよ,しないにせよ,よく考え,責任をもって総裁を選んでもらいたいものです。

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