国内政治

2023年1月14日 (土)

円滑化協定

 岸田首相は,今回の外遊中,イギリスとの間で,「円滑化協定」を締結しました。「円滑化」とはなんぞやと思い,調べてみると,これは「facilitation」の訳でした。何を「facilitation」するのかというと,この協定の略称は,「日英部隊間協力円滑化協定」であることからわかるように,「部隊間の協力」の円滑化です。「部隊」とは何かというと,これはこの協定の正式名称をみればわかります。正式名称は,「日本国の自衛隊とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国の軍隊との間における相互のアクセス及び協力の円滑化に関する日本国とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国との間の協定」です。実質的には,軍事協定ということです(自衛隊を軍隊と呼ぶかは議論がありますが,他国からは軍隊とみられているでしょう)。同様の協定は,すでにオーストラリアとの間でも結ばれています。この協定はRAAと略称されることもありますが,それは「Reciprocal Access Agreement」の略称であり,「相互アクセス協定」という訳になるでしょう。「日英軍事相互アクセス協定」くらいの呼び方をすべきで,「円滑化協定」という「無色」な略称を使うのは,何らかの政治的意図を感じてしまいます。
 ウクライナ戦争や中国・台湾問題などから,日本の安全保障をめぐる状況は大きく変わりつつあるということですが,岸田政権の軍備増強への前のめりの姿勢には不安がないわけではありません。平和ボケと言われるかもしれませんが,日本がG7の一員でいることの意義は,アジアの国であることにあるのであり,西洋的な価値観にすり寄り,それに迎合するだけでは日本の存在意義はありません。たんにアメリカの対中国戦略の駒になりさがるだけです。日本の置かれている地政学上の位置を十分に踏まえ,日本ならではの戦略を提示していくべきだと思います。それは直ちに中国融和策や親中政策をとるべきということではないのですが,軍拡競争に乗ってしまうのには,どうしても抵抗があるのです。タモリの「新しい戦前」発言が話題になっています。彼の真意はよくわかりませんが,感覚的にはよくわかります。だから具体的にどうすべきかは,私もよくわからないのですが,ただ岸田政権が,どこまで深く考えて軍拡路線に走っているのかが,これまで他の分野で地に足のついた政策を展開してこなかっただけに気がかりなのです。安全保障問題を正面にかかげて総選挙をしたほうがよいかもしれませんね。

2022年11月11日 (金)

死刑を軽く語るな

 葉梨康弘法務大臣の「死刑はんこ」発言が問題となっていますね。このブログを書いている途中に更迭というニュースが飛び込んできました。当初,首相は個人の説明責任の問題ということで,いつものように任命責任を放棄していました。国民が選んだ議員ポストの辞職とは違って,大臣は首相自身で選んだのですから,首相自ら責任をとるべきです。最初からスパッと更迭しておけばよかったのですが,いろいろ言われてから更迭ということですと,首相もやはり事の重大性がわかっていなかったと思われても仕方がありません。いずれにせよ,山際氏にしてもそうですが,大臣の質が悪いのであり,自民党の人材不足は深刻に思えますね。
  葉梨氏は,問題が起きた当初は,発言全体を聞いてもらうと,法務行政の重要性を指摘したことがわかってもらえると反論していましたが,問題はそこではなく,死刑をジョークのようにして語る人権意識の希薄さです。そこに,この人の大臣不適格性があるのです。更迭は当然ですが,首相も同じように人権意識が低いと思われても仕方がないでしょう。なお葉梨氏は発言を撤回しているようですが,撤回ということの意味がよくわかりません。
  ところで,刑事訴訟法475条では,第1項で,「死刑の執行は,法務大臣の命令による」,第2項で,「前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間は,これをその期間に算入しない。」とされています。
 かつて鳩山邦夫が,法務大臣のときに,死刑を自動的に行うべきとした発言に民主党議員がかみついたことがありました。死刑は,法務大臣の責任でやるべきことであるということでしょう。死刑判決が裁判で確定しているのなら,むしろ淡々と行うべきということかもしれません。そうだとすると,淡々とハンコを押しそうな大臣のほうがよいことになるのかもしれません。
 しかし,それはやはりおかしいのです。鳩山邦夫の言葉のほうが,人間としてまともです。死刑という制度には,いろいろな考え方がありますし,イタリアのように死刑がない国もあります。個人の死生観にもかかわるでしょう。そう簡単に死刑の命令を出せるわけがないというのは,人間として当然です。そこを,自分自身で事件を精査し,自身を納得させ,遺族感情もふまえて心を鬼にし,最後には法の執行という自分の責務に忠実であるべきと言い聞かせてハンコを押すのでしょう。国家により禁止している殺人を,刑罰としてであれ命じるということの重みをかみしめない人は,法務大臣としてふさわしくありません。もっと言えば議員としてもどうかな,と思います。選挙民は,よく考えて投票してもらいたいです。

2022年10月27日 (木)

法的センスのない権力者

 宗教法人法811項は,「裁判所は,宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは,所轄庁,利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で,その解散を命ずることができる」という宗教法人の解散命令に関する規定です。そこで,解散命令の根拠となる事由の一つとして挙げられている「法令に違反して,著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」(1号)の文中の「法令に違反して」に,民法の不法行為が含まれるかどうかについて,岸田首相の答弁が1日で変わったことが問題となっています。
 旧統一教会の抱える数々の問題はひとまずおき,法人の解散というのは,法人にとっての一種の極刑であり(解散命令は刑罰として課されるのではありませんが),どのような場合にそれが許されるのかは大きな問題です(解散したあとも,構成員の宗教活動自体は,もちろん継続できます)。解散請求は,利害関係人もできますが,やはり所轄庁の求める解散請求は,公権力の介入となるので,慎重な対応が求められます。そうした介入の根拠となる規定の解釈がコロコロ変わるのは,大変な問題です。
 オーム真理教の解散命令に関する裁判で,東京高裁(抗告審決定)は,次のように述べています(19951219日)。
 「宗教団体が,国家又は他の宗教団体等と対立して武力抗争に及び,あるいは宗教の教義もしくは儀式行事の名の下に詐欺,一夫多妻,麻薬使用等の犯罪や反道徳的・反社会的行動を犯したことがあるという内外の数多くの歴史上明らかな事実に鑑み,同法が宗教団体に法人格を取得する道を開くときは,これにより法人格を取得した宗教団体が,法人格を利用して取得・集積した財産及びこれを基礎に築いた人的・物的組織等を濫用して,法の定める禁止規範もしくは命令規範に違反し,公共の福祉を害する行為に出る等の犯罪的,反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから,これを防止するための措置及び宗教法人がかかる存在となったときにこれに対処するための措置を設ける必要があるとされ,かかる措置の一つとして,右のような存在となった宗教法人の法人格を剥奪し,その世俗的な財産関係を清算するための制度を設けることが必要不可欠であるとされたからにほかならない。右のような同法8111号及び2号前段所定の宗教法人に対する解散命令制度が設けられた理由及びその目的に照らすと,右規定にいう「宗教法人について」の「法令に違反して,著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」(1号),「2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」(2号前段)とは,宗教法人の代表役員等が法人の名の下において取得・集積した財産及びこれを基礎に築いた人的・物的組織等を利用してした行為であって,社会通念に照らして,当該宗教法人の行為であるといえるうえ,刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって,しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為,又は宗教法人法2条に規定する宗教団体の目的[筆者注:2条は,宗教団体の主たる目的を,「宗教の教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成すること」とする]を著しく逸脱したと認められる行為をいうものと解するのが相当である」。
 これによると,解散請求のためには,「刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって,しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」という事由が必要と考えられます。岸田首相の答弁は,これをふまえたものかもしれませんし,そうした限定的な解釈も理解できないわけではありません。国会で批判されたからといって,すぐに解釈を変えるというのは困ったものです。被害者救済という点で,機敏に反応したということかもしれませんが,そういうのが悪いポピュリズムなのです。
 実は,東京高裁の判決の理由付けには,「反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから,これを防止するための措置」が必要だとする部分があります。民法の不法行為や公序良俗違反の行為のなかには,こういうものも含まれるでしょう。明文の禁止規範に反しなくても,違法性が高いものがあるのです。この点では,首相が,翌日に「行為の組織性や悪質性,継続性などが明らかになり宗教法人法の要件に該当すると認められる場合」も含むと答弁変更をしたことは,その内容自体は理解できるのです。つまり政府解釈は,当初のものも,変更後のものも,どちらもありうるものです。問題は,そういう解釈の是非について,よく吟味しないまま国会で話してしまったことです。事柄の重要性がわかっていなかったのだと思います。これだけで十分に政権がつぶれてもおかしくないほどの大失態といえるでしょう。
 こうした不安定な政府解釈が,かえって政権の解散請求についての警戒感を高め(政府による法人への恣意的な介入への危惧),ひいては旧統一教会の延命につながることにもなりかねないのです。彼らにも,絶好の反論の根拠を与えてしまったように思います。
 経済政策のスローガンくらいなら,適当な思いつきで話されても,罪はないかもしれませんが,宗教法人の解散請求というのは次元が異なるものです。そういうところの感覚が鈍いのは,まさに法的センスのなさであり,そういう人は権力をもってはならないと思います。

2022年10月25日 (火)

政治家の言葉

 首相をはじめ,政治家の言葉に力がないことへの不満は,このブログでもよく言っていることですが,そういうなかで,今日の野田元首相による安倍元首相の追悼演説は新鮮でした。言葉に力がありました。原稿を読むのはもちろんよいのです。自分で考え抜き,言葉を厳選し,感情を込めて語った内容だから,人々に伝わるのです。政治家というのは,本来そういうことができる人であるはずです。
  国を思う気持ちでは安倍さんと同じであったと野田さんは語りました。実際には,そういう高いレベルのことを,二人が腹を割って語り合う機会は,ほとんどなかったようです(その例外が,上皇が天皇であったときの生前退位をめぐるものであったようです)が,そのことは与野党の関係がどうあるべきかということを考えさせられます。国会で些末な議論に時間の多くを費やし,感情的な対立だけを残し,それが政治的な立場を超えて議論していかなければならない重要なテーマの議論に障害となっているというのが現在の政治状況のようにも思えます。国葬問題が象徴するように,国会(とくに野党)で議論をまとめられないまま,閣議決定だけで物事を進めてしまう現在の政権の姿勢は危険です。野田さんは,国会軽視に警鐘をならし,最後に民主主義を守ろう,言論を守ろうと呼びかけました。国会の場にふさわしい格調の高いものであったと思います。
  安倍さんから,彼や民主党などに向けられたであろう誹謗中傷には口をつぐみ,自身が安倍さんの病を揶揄するような失言をしたことを率直に詫びて頭を下げた姿勢も潔く,徳の高さをうかがわせるものでした。この追悼演説は後世に残るものとなるでしょう。
 政治家が,役人から何かキャッチフレーズとなる言葉をもらい,その中身を精査せずに,ただ役人に言われるまま連呼し,そのことが断固たる政治信念であるかのように見せるというようなことが多すぎます。それは実は安倍政権の時代からあったことでした。論理的ではあるが,無味乾燥な言葉の羅列のスピーチは,法律家にとっては慣れたものですが,法律家の間だけでしか通用しないでしょう。
  もちろん,たんに扇情的なだけのスピーチは危険です。理想は,政策はしっかり練り上げたものを立てたうえで,それを国民に語りかける言葉をもつ政治家なのです。

2022年9月28日 (水)

年功型処遇変更のシナリオ

 岸田首相は,先日のアメリカ出張で,ニューヨークの証券取引所での講演をした際に,労働市場の改革についてアピールしました。日本語版が外務省のHPで掲載されています。5つの優先課題があるとしたうえで,「第1に、「人への投資」だ。 デジタル化・グリーン化は経済を大きく変えた。これから,大きな付加価値を生み出す源泉となるのは,有形資産ではなく無形資産。中でも,人的資本だ。だから,人的資本を重視する社会をつくりあげていく。まずは労働市場の改革。日本の経済界とも協力し,メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを,個々の企業の実情に応じて,ジョブ型の職務給中心の日本に合ったシステムに見直す。これにより労働移動を円滑化し,高い賃金を払えば,高いスキルの人材が集まり,その結果,労働生産性が上がり,更に高い賃金を払うことができるというサイクルを生み出していく。そのために,労働移動を促しながら,就業者のデジタル分野などでのリスキリング支援を大幅に強化する。」とされています。日本語版ではキーワードは盛り込まれているのですが,英語版でみると,少しインパクトが小さい感じもしました。いずれにせよ,経済界と協力して年功型の処遇を変えるということを,すんなりそのまま信じるほどアメリカの投資家は甘くないと思います。労働市場改革は,新しい資本主義などと同じように,それだけではほとんど意味がない言葉です。
 年功的な職能給を職務給に変えるというのですが,経済界も協力してというのは,どういうことなのでしょうかね。経団連が音頭をとって,職能給を止めようということになるのでしょうか。そもそも年功型の処遇は,どうして存在しているのかが重要です。私も,年功型の処遇は変わっていくと考えていますし,企業は変えていくことになるでしょう。ただ,それを引き起こすのは技術革新などの客観的な要因です。年功型処遇は,長期雇用や企業内人材育成というものと密接に関係しているものです。これが日本型雇用システムです。まずは,このシステムの功罪をしっかり総括して,何が問題であるのかをきちんと示す必要があるでしょう。年来の労働市場改革の試みがうまくいっていないのは,このような総括をしないまま,票になりそうなところだけ手を入れていこうとするからです。同一労働同一賃金という名の不合理な格差の禁止規定なども,その類いです。
 DXによる定型的な業務の消滅,非定型的な業務に従事するプロ人材の需要の増大,技術革新のスピードによる企業内人材教育の難しさ,外部労働市場から労働力を調達する必要性などがあいまって,これまでの日本型雇用システムが激変して,それが賃金体系などに影響していくという一連の大きな構造改革を見据えた改革提言でなければなりません。
 「スローガン」というのは,ときには必要ですが,それが行きすぎると,あとに失望がきて,政府の信用がなくなります。国内だけでなく,国外での信用も落とすようなことはやめてもらいたいものです。いずれにせよ,この問題では,解雇改革にどこまで本気で取り組めるかは避けて通れません。岸田首相は,解雇改革に本気で取り組めるでしょうか。まずは山本陽大さんの『解雇の金銭解決制度に関する研究』をしっかり読んで勉強してもらいたいものです。

2022年9月21日 (水)

金銭感覚

 岸田政権の支持率が下がり,安倍元首相の国葬反対が高まる状況(死後にいろいろなことが起きてしまい,安倍さんには気の毒な気もしてきました)ですが,これは当然のことでしょう。国葬の根拠として内閣府設置法4333号があると言われていますが,それは内閣府が「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」を所管してよいというだけで,国葬をやることの積極的な根拠にはなりません。国葬をするかどうかについてはルールがない状態で,いきなり首相の発案でやるといったにすぎず,その思いつきで税金が最初は25千万円,そして166千万が使われそうで,そして最終的にはその何倍にもなるとも言われています。少し前にインフレ対策として,住民税非課税世帯への5万円の給付も発表され,9000億円の費用がかかると発表されていました。一部の国民の懐に入る9000億に比べると,16億であれ,かりにそれが100億となっても,たいした額ではないであろうということかもしれませんが,どちらにせよ税金から出されるお金であり,納税者としてはこの大盤振る舞いには納得できないでしょう。あんたのお金ではない,と言いたいところです。しかもこれを予備費から出すということですが,予備費は政治家が勝手に使ってよいお金ではありません。有力な憲法学者らが参加する「立憲デモクラシーの会」が指摘しているように,大幅な予備費を計上して,閣議決定でばんばん使われるような状況にもっと厳しい眼を向けるべきです(最近の予備費制度の濫用について))。憲法83条は,「国の財政を処理する権限は,国会の議決に基いて,これを行使しなければならない。」,85条は,「国費を支出し,又は国が債務を負担するには,国会の議決に基くことを必要とする。」,86条は,「内閣は,毎会計年度の予算を作成し,国会に提出して,その審議を受け議決を経なければならない。」とされています。たしかに,87条は,「予見し難い予算の不足に充てるため,国会の議決に基いて予備費を設け,内閣の責任でこれを支出することができる」(1項)としていますが,「すべて予備費の支出については,内閣は,事後に国会の承諾を得なければならない」(2項)としており,これはあくまで例外的なものという位置づけです。
 国民のほとんどは,みずから弔意を示すことには反対しないでしょう。でも,国に強制されてやるものではありません。しかも税金を使うのです。そうなると6割以上が反対するのです。一般の人にとっては億というお金には縁がありません。数千円の賞与・一時金の引上げにも大喜びするのです。最低賃金は時間あたりではありますが,まさに1円や10円単位の世界です。そういうのが普通の国民の金銭感覚です。日本で資産1億円以上の世帯は130万くらいだそうで,最も多い3000万円未満の層は約4200万世帯です。この層は,まさに家計のやりくりをして懸命にこれからのインフレに耐えようとしているのです。
 昭和世代は,もったいない意識が強く,なかなかモノを捨てられず,食べ物は残さない,古いものも修理しながら使い続けるという感覚をもつのですが,そうした感覚からは,アベノマスクの無駄金は許容できないことです。統一教会問題もありますが,国民はいまでもアベノマスクのことは覚えているはずです。その安倍さんの葬儀に税金を使うというところも,すっきりしないところなのではないでしょうか。
 さらに東京オリンピックで税金がどうも変な使われ方をしているという報道が次々と出てきています。これまたやらなくてもよいと思っていた東京オリンピックに桁違いのお金が費やされ,あげくに負のレガシーを残してしまったのかもしれないのです。
 こういう国民の庶民的な金銭感覚もまた,国葬反対につながっているのではないかと思います。

2022年8月16日 (火)

旧統一教会問題を考える

 第2次岸田内閣の閣僚は,旧統一教会系と無関係な人が選ばれるかと思っていましたが,そういうことではなかったようですね。ひょっとしたら,そんな人はほとんどいないのかもしれません。この問題への政府の緊張感の低さが残念です。創価学会と関係が深い公明党への配慮もあるのでしょうか。もしそうなら,与党政権への国民の不信感はますます増すでしょう。旧統一教会問題は,政治の本質と違うと言いたいかもしれないのですが,安倍政権時代から問われているのは政府への信用であり,信用できない政府は,どんな政治をしても国民はついてこず,結局,国民の関心をひくためには,わかりやすくお金をばらまくしかなくなり,将来世代に莫大な借金を残すことになってしまうのです。
 その一方で,安倍元首相を殺害した犯人に同情する声があるのは,困ったものです。自家製拳銃で殺害するというのは恐ろしい犯罪であり,模倣犯が出てくるおそれがあります。私たちの生活の安全が脅かされることになるという不安があります。刑事責任能力がないのならば別ですが,そうでないかぎり,しっかり罪をつぐなってもらう必要があります。もちろん,この犯行に至った事情には気の毒なところがあるのは確かであり,この犯人にとくに寛大な対応をするよう求める声が国民の間で出てきているのは,理解できないわけではありませんが,犯行に対する罪とは切り離して考えるべきでしょう。
 犯人の母親を非難する声もありますが,これも難しいところがあります。以前に紹介した,岡田尊司『マインド・コントロール』(文春新書)でも書かれていたことですが,カルト教団のメンバーとなって,家族と縁を切った人がほんとうに不幸なのかがはっきりしないところがあります。家族からすると,自分の肉親がカルト教団の餌食になってしまい,悔しく絶望的な気持ちになり,怒りをそこに向けるのはよくわかりますし,私も同じ立場になれば冷静でいることができる自信はありません。しかし,親だって,ある意味で子どもをマインド・コントロールしているところがあるのであり,なぜ親ならそれをしてよいのかは明確ではありません。親が子にカルトに気をつけろという教育はしてよいでしょうが,少なくとも成人が自分の意思でカルト教団に入信し,自分の財産を寄付してしまったことをどう考えたらよいかは,(たとえ家族に犠牲が及んだとしても)とても難しい問題だと思います。
 もちろんカルト教団にも,大きな問題があります。法人は宗教法人も含め,自然人を基本とする私たちの社会において,単なる個人の集合である団体であるにとどまらず,法人格を付与されて,自然人とならぶ社会の一員と認められる存在です。しかも宗教法人は,免税の特権まであります。政府が宗教の教義に踏み込むことはしてはなりませんが,法人としての活動いかんでは,法人格や特権を剥奪することは可能です。宗教法人法81条は,一定の場合には,裁判所による解散命令を定めていて,実際,オウム真理教には解散命令が下されています。その合憲性が争われた裁判で,最高裁は,解散命令の制度は,「専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし,かつ,専ら世俗的目的によるものであって,宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく,その制度の目的も合理的であるということができる」とし,信教の自由を保障する憲法201項に反しないとしています(最高裁判所第1小法廷1996130日判決)。
 ただ解散命令により,宗教法人としての活動はできなくても,信者の宗教活動は可能であり,別の宗教団体を形成することもできます。そのため,もう一歩踏み込んだ介入が必要であるという議論もありえます。たとえば,一定の基準を設けて,それに合致する反社会的な団体は,もはや宗教団体とは認めず,カルト団体と性質決定してしまい,憲法の保障から外すという考え方もありえるでしょう。あるいは,それが行き過ぎだとしても,一定の団体について,客観的な指標にもとづき反社会性を認定して公表するという方法で,国民に情報を流すことくらいはやってよいかもしれません(それゆえ,名称変更は容易に認めるべきではありません)。慎重な議論が必要ではありますが,議論をすること自体は始めてよいと思います。
 しかし,いま最も問題があると思われるのは,法的な話ではなく,旧統一教会のような,多くの犠牲者が出ている団体から選挙の支援を得てきた政治家たちの道義的責任です。政府は,被害者対策のための行動をとろうとしていますが,そういうことでお茶を濁されては困ります。この宗教団体がいろいろ問題を抱えていることは,多くの国民が知っていたことです。それにもかかわらず,この宗教団体が多くの政治家にとりいることに成功していたことに,いま国民は慄然とし,かつ,それに対する岸田政権の対応の甘さに不安を抱いているのです。岡田氏は,カルト問題は依存症と似ていると指摘しています。依存症で苦しむ国民がいるなか,当該依存性物質の販売業者から支援を受けているのと変わらない構造だと言われれば,少しは首相も真剣さが増すことになるでしょうかね。
 首相は,誰から支援を受けるかは個々の政治家の問題と考えているのでしょう。それなら,リスクをおかしてでも支援を受けたいのなら,どうぞお好きにと言うことにしましょうか。あとは私たち国民の問題です。国家が民主的な手法で特定の宗教団体に乗っ取られないようにするために,私たちの対応が問われるのです。国民は次の選挙まで,旧統一教会と関係のある政治家のことを忘れてはならないでしょう。旧統一教会との関係を断ち切った政治家,過去の関係について釈明した政治家,関係を継続することとし,その理由を説明した政治家,何も説明しない政治家など,いろいろなタイプがいますが,私たちは個々の政治家の言動をしっかり評価しなければなりません。18歳で選挙権をもつ子どもたちにも,カルトの危険性をしっかり教育することも必要でしょう。

 

2022年8月10日 (水)

内閣改造に思う

 第二次岸田政権が誕生しました。今回の内閣改造は,「黄金の3年間」があり,支持率低下があっても,選挙のことはあまり考える必要がないのですから,ウクライナ戦争やそれに起因する物価高など国内外の情勢に対応した政権の強化ということが目的なのでしょう。これに加えて,安倍元首相の死亡による混乱状況にあり,かつ旧統一教会問題で揺れる安倍派をにらみながら,党内での岸田首相の立場を強化する狙いもあったのでしょう。このことは,早々に岸田政権を支える麻生派と茂木派の領袖の党四役留任を決めたことにも現れているように思います。安倍派は,旧統一教会問題で,下村博文氏は安倍後継レースから外れ,萩生田光一経産大臣が有力候補となるなか,彼も旧統一教会問題があるので,同じ安倍派の有力メンバーである西村康稔氏を経産大臣にしたということかもしれません。通産省出身の西村氏をこのポストにつけることは,誰も文句をつけられないでしょう。このようにして面倒な安倍派の処遇をすませ,さらに安倍氏に近かったものの,茂木氏と関係が悪いと言われていた高市早苗氏は入閣させ,女性大臣でもあるので,見栄えの点を考えても,悪くない選択となりました(もう一人の女性大臣は,少なくともテレビでは,文科大臣への就任を無邪気に喜んでいるようにみえましたが,本来はこの国の未来にかかわる重要なポストで,責任の重さに顔をひきつらせるくらいであってほしいです)。河野太郎氏はデジタル大臣で,デジタル強化の姿勢をみせる一方,高市早苗氏とともに,総裁選を争った二人を閣内に入れて,挙党態勢をアピール意味もありました。加藤勝信厚労大臣は,またこの人かという気もしますが,手堅い人事なのでしょう。防衛大臣は,アメリカの覚えがよかったそうですが,あまりにも頼りない感じであった岸信夫氏を外して(国家安全保障担当の首相補佐官になります),ハマコーの息子の浜田靖一氏の再登板となりました。防衛大臣経験者で,これも手堅い人選なのでしょう。親中派と言われる林芳正外務大臣の留任は,中国シフトというよりも,岸田首相にとって派閥内の最大のライバルとなる林氏を閣内に入れておく意味のほうが大きいかもしれません。同じ宏池会系の麻生派の後継者の有力候補である河野太郎(麻生派は河野氏のお父さんから派閥を継承している)氏の入閣にも,同様の意味があるのかもしれません。
 ということで,いろいろな思惑があるのでしょうが,要は国民のためにきちんと仕事をしてくれればよいのです。労働政策は,外交や安全保障よりは重要度が下がるのかもしれませんが,問題は山積です。今日は,経済同友会の「規制・競争政策委員会」に呼んでいただき,同委員会が4月に出した提言をテーマに講演をしました。そこでは,スタートアップに対する労働時間や解雇についての適用除外の可能性などについて議論をしましたが,これらについては,スタートアップにかぎらず,すべての企業を対象とした本来の規制それ自体を見直す必要があるのではないかということを述べてきました。こういう話になってくると,厚生労働省よりも,むしろ西村大臣が就任した経産省のほうに期待できる部分が大きいような気もします。

2022年7月26日 (火)

自民党と旧統一教会

 安倍元首相の亡くなったあと,気になる話が出てきました。この悲劇の思わぬ副産物です。もしかしたら政界では常識であったのかもしれませんが,これほど多くの自民党議員が旧統一教会と関連があるとは知りませんでした。いまでも同じかわかりませんが,私たちが大学に入学したときは,クラスごとにオリ合宿というのがあって,上級生が「オリター」としていろいろなアドバイスをしてくれるのですが,そのなかの重要なものとして,「原理研」には気を付けろというのがありました。とくに地方から出てきた人などは狙われやすいということで,私の周りでも「原理研」に勧誘されて,一度も授業で見かけず,そのまま,二度とキャンパスで会わなかった人がいました。原理研と関係する統一教会の活動に身を投じたのだろうと言われていました。その後も,統一教会は,合同結婚式などで世間を騒がせ(私が中学生くらいのころにファンであった桜田淳子の参加は驚天動地でした),カルト集団として,多くの被害者を出してきました。
 それでも多くの政治家がこの組織と関係をもってきたのは,集票力があったからなのでしょう。安倍さんが支持していたということで,安倍系の議員は安心して統一教会と関係をもってきたのかもしれません。集票力のある組織に,政治家はなびくのです。その組織がカルトであろうと関係ないのでしょう。先の参議院選挙で兵庫県から当選した自民党議員(閣僚)も統一教会と関係があったようです。身近なところから,こういう議員に厳しい視線を向ける必要があると思っています。そのためにも,メディアはしっかり情報を出し,野党は追及をしていく必要があるでしょう。