つぶやき

2024年5月20日 (月)

脳の活性化

 できるだけ「柔らか頭」をもちたいという気持ちで,ずっと研究をしてきたつもりですが,だんだん年をとると,それも難しくなってきています。脳のなかに蓄積された知識が,自由な発想の邪魔をします。その意味で,子どもがうらやましいです。せめて,子ども向けの番組をみて刺激を受けようと思っていますが,実際,大人でも勉強になるものがたくさんあります。NHKのEテレのお気に入りは,「ノージーのひらめき工房」です。「レッツ」のときは,視聴者参加となります。この番組の刺激を受けて,Amazonなどの空き箱を使っての工作をしたりすることもあります。週1回の番組が楽しみです。「ピタゴラスイッチ」も,必ずみています(同じ内容のものが何度も出てきますが,飽きません)。見逃しても,NHKプラスできちんとフォローします。ビー玉は偉大です。Kugelbahn(ドイツ語で「玉の道」)にもかなりはまっていて,ときどき積み木を組み立てて遊んでいます。毎回違う設計にして,いろんな玉の道を考えているので,ボケ防止に役立ちそうです。 

 それにしても,いまの子は,学習環境が良すぎますよね。NHKの子ども向けの番組やテレビ東京のシナぷしゅなどをみていると,英語は23歳くらいから自然に親しめますし,YouTubeでは,その気になればいくらでもすぐれた学習番組があります。イタリア語も,初歩から勉強できます。むかし,オランダ人が英語が得意なのは,地理的にBBCをいつも観ることができて,子どものときから英語に親しんでいたからだということを聞いて,羨ましく思ったことがあります(もともとオランダ語と英語の言語的な近さもあるのですが)。でもいまや日本にいても,インターネットをうまく使えば,世界中の言語に親しむことができます。それが良いことかどうかはよくわかりませんが,少なくとも学習機会が豊富であることは肯定的にとらえることができるでしょう。
 もちろん,いつも言っているように,外国語はただ話すだけで意味があるのではなく,何を話すかが大切であり,自分の国の言語で考えたほうが深い考察ができることは多いでしょう。

 それでも,いろんな言葉を話すこと自体,楽しいことであるはずです。最近,神戸でも三ノ宮あたりに行くと外国人がわんさかいます。英語はいやですが,イタリア語が聞こえてきたら,思わず「Di dove siete?」(どこ出身ですか)と話しかけたくなります。イタリア語を使っていると,頭が活性化されていき,ボケ防止にもつながりそうです。できれば早く円高になって,イタリアを再訪したいのですが,その前に失効して4年経っているPassport(Passaporto)を再発行してもらう必要があります。ユーロ高がおさまるまでに,戸籍入手も含めて,オンラインで手続を完結できるときが来たらよいのですが。

 

 

2024年5月18日 (土)

オレは痛風だったのか?

 先週発症した右足のアキレス腱の付け根の痛みは,整形外科医の最終診断は痛風でした。しかし,私は,その診断結果に疑問をもっています。

 振り返ると,連休明けの57日(火曜)に,少し痛みを感じはじめました。触ると痛いので,筋肉痛の一種かと思っていました。でも,違和感はあったので,翌日(水曜)は,鍼に行こうと思ったのですが,うまく予約がとれませんでした。予約がとれる時間をメールで返信してもらっていたのですが,こちらのメール確認が遅れ,その間に別の人の予約が入ってしまいました。その日は,もう普通には歩けずに,足を引きずっていましたが,それでもかなり外で歩いてしまい,症状が悪化してしまいました。夕方に整形外科に予約をしようとしましたが,混んでいるので断念したこと,その晩は痛みでよく眠れなかったこと,翌日(木曜)に行った整形外科(2番目に近いところ)は,保険証を忘れるなどのことがあり,結局,診断を受けることができなかったこと,ただタイガーバームのおかげで夜の睡眠はできるようになったことなどは,前に書いたと思います。その翌日(金曜)は,授業が終わったあとの10時半ごろにすぐに別の整形外科(木曜は休診であった,1番近いところ)に予約を入れたのですが,なんと診てもらえたのは16時近くでした。そのときのレントゲンは異常なしで,そこでさらに血液検査をしてもらうことになり,その結果は翌週ということで,結局,病名は不明のまま週末を迎えました。とりあえずは,ロキソニンを飲んで様子をみるということになりました。

 自己診断は,当初はアキレス腱痛でしたが,その後,痛風かもしれないと思ったのですが,整形外科の金曜段階の診断では,医師の考えている痛風の症状と違うということで,痛風とは診断されず,その可能性があるという程度のものでした。自宅では痛みはかなりおさまっていたのですが,靴を履いて歩くとやはり痛くて,足をひきずらなければ歩けませんでした。腫れはひどく,患部には熱もある状態で,もしかしたら痛風以外の可能性もあると思い,調べていくと,蜂窩織炎という病名にぶつかりました。細菌が足のなかに入り込んで炎症を起こすというものです。ネット上の画像からみても,私の症状とぴったりなので,私の自己診断では,ここで蜂窩織炎となりました。ということで,日曜日にも空いている皮膚科があったので,そこに行きましたが,すでに整形外科にかかっていて,その血液検査待ちであると正直に言うと,その結果を待ったほうがよいという感じで,結局,炎症を抑える薬をもらっただけで,きちんとした病名はわからないままでした。皮膚科の医師が言ってくれたのは,痛風であることは否定せず,ばい菌が入ったかもしれませんという程度でした。

 こちらは病名を知りたかったのですが,それはそう簡単にはわからないということですね。そして,医師から得た情報は,私がネットで調べて得た情報以上のものはなく,結局,この足の腫れと痛みの原因が,細菌か尿酸かはっきりわからないまま(個人的にはビールを飲んでよいのかわからないまま),月曜を迎えました。午後に整形外科に行って血液検査の結果をみたところ,尿酸値はやや高いが,異常値ぎりぎりのところで,白血球数は多く,CRPという炎症の値も高いということでした(その他の数値は良好で,それを知ることができたことは良かったです)。医師は,おそらくは尿酸値を決め手として,痛風だと診断したのでしょう。尿酸値は,それほど高くないのです(医師は知らないのですが,私は25年人間ドックを受けているので,今回の数値はそのなかでかなり低い方の数値でした)が,痛風の発作がおさまると下がることがあるそうです。とはいえ,私の場合,尿酸値が痛風発作でいったん上がったあとサイトカインの影響などで下がったのか,それとももともと低い(それほど高くない)ままであったのかは,はっきりしません。検査をしたのが,痛みがはっきり始まった火曜から4日目の金曜であったので,なんともいえないところです。個人的には,今回の尿酸値だけでは,痛風と診断しきれないのではないかと思っています。

 実は,皮膚科にもらった感染症を抑える薬を飲み始めたところ,腫れは引き,痛みもどんどん軽くなりました。そのため,個人的には蜂窩織炎に対して薬が効いたという仮説も立てなくなりました。ただ,これも,時間の経過により何もしなくても,同様の進行をしていた可能性もあります。飲み始めたのが,痛みが始まった火曜から6日目の日曜だったからです。

 そんなこんなで若干の痛みを抱えながら月曜を迎えましたが,そのころには,テレビ体操も問題なくできるようになりました。ただ,アキレス腱を伸ばすような動きをすると痛みはあり,それが完全に消えたのは昨日(2度目の金曜)でした。

 結局,痛風だったのか,蜂窩織炎などの感染症であったのか,それともアキレス腱の炎症だったのか。皮膚の組織をとればわかったかもしれませんが,そこまでしなくても,わかる方法はないのでしょうかね。個人的には,医師には,腫れ具合や色などで判断して,これは痛風だろうとか,そうじゃないだろうかというような,数値だけではわかりそうにないことで,その経験からくる所見を教えてもらいたかったのですが,やはり見て触っただけでは難しいのでしょう。とはいえ,血液検査をして数値をみたとしても,尿酸値,白血球数,CRP定量だけでは,だいたいの診断しかできないのです。診断とは,そういうものなのかもしれませんね(あまり医師にかかったことがないので,医師に過大な期待をしすぎなのでしょう)。

 今回のことで,医師から,こちらの知りたかったことは何もわかりませんでした。数値で示されても,医師からの説明は説得力があるものではありませんでした。一方,個人でネットで調べたもののほうが,はるかに情報があったのですが,これをどうすれば正しい病名の診断につなげることができるのかが素人にはできません。やはり医師に頼るしかないのですが,実は,どの医師にかかればよいのかも大きな問題です。整形外科(蜂窩織炎には詳しくないでしょう),皮膚科,あるいは今回は行きませんでしたが,内科なども候補にありましたが,それぞれ専門領域のことしかわからないでしょう。

 痛風ならまた発作が起こる可能性があります。私は痛風の経験がこれまでなかったのですが,今回のことが痛風であったのなら,再発を気にしなければならないでしょう。痛みがある間は,どうしようかと思っていましたが,いまはもし痛風でも,そんなものぶっとばせという気分になっています(「喉元すぎれば熱さ忘れる」ですかね)。

 ネット情報といえば,医学的なこと以外に,痛風の予防のこともかなり勉強しました。プリン体が問題であることや,プリン体の多い飲食は何であるかなどの知識はすでにもっていましたが,アルコールの摂取それ自体が,尿酸値を上昇させるということも学びました(厚生労働省のHPから,「アルコールと高尿酸血症・痛風」)。プリン体の少ない焼酎でも,たくさん飲むと,やはり尿酸値を増加させるのです。プリン体の多い食べ物は珍味が多く,また夏にかけてビールを止めることは難しいので,せめて日頃はできるだけ水分をとって,尿酸がたまったとしても,できるだけ尿で排出できるようにするという作戦を採用することにしました。かりに痛風でなかったとしても,これは身体に良いことでしょう。

 

 

2024年5月13日 (月)

愛着理論と社会保障

 昨日の愛着理論の続きです。フリーランスの時代においてなぜ社会保障が重要かというと,それはたんに雇用労働者との間に格差があるだけではありません。社会保障は,英語ではsocial security です。Security には,安全や保障という意味もありますが,主観的な安心という意味もあります。乳幼児が親の愛着があってこそ精神的に安定して,より積極的にsocialな活動に踏み出せるという話は,親を政府に置き換えると,フリーランスの社会保障に応用できそうな気がします。国民がさまざまな仕事をしていくうえで,セーフティネットを充実させることは,安心していろんなことにチャレンジしていくうえでの基礎となるのです。これは国の経済政策においても考慮すべきことでしょう。
 そもそも雇用労働者の場合には,労働法によってsecurityが与えられていますし,手厚い被用者保険もあるので,フリーランスに対してこそsecurityが大切といえます。独立してやっていくためには,政府による精神的・物的な安心の提供が必要ということです(加えて,地域社会や仲間たちとの共助共済も大切です)。
 もちろん,乳幼児ではないので,本人の自助は必要ですが,その自助が実現できるようにするためにも,安心の制度的な保障(セーフティネット)が必要なのです。今日言われている社会保障の見直しに,こういう視点があればよいなと思います。その原点が,乳幼児の愛着にあるというのは突飛な考えでしょうか。
  社会保障の中核にある社会保険は,強制保険である点で,しばしば父権主義(paternalism)によるものとも呼ばれ,個人の自己決定や選択の自由を重視する立場から批判の対象となってきました。社会保障を,父権的な強制保険ではなく,母性主義(maternalism)により個人に安心感を与える公的扶助を中核に据えることにしてはどうでしょうかね。もちろん,甘えさせるだけではダメというのは,人間の育児と同じですが,安心をベースにした自助ということであれば,それが理想でしょう。母性主義というと,母親へのサポートという話になりがちですが,ここでは,父権主義との対比で,母性的なアモーレで個人に寄り添うということなので,意味がまったく異なります。
 「母の日」の余韻のなかでの「甘ったるい」話かもしれませんが。

2024年5月12日 (日)

母の日

 母の日です。井上陽水の「白いカーネーション」のことを書こうと思ったのですが,前に書いたことがありそうだと思い,調べてみると,2年前のBlogに,次のようなことを書いていましたので,再掲します(少し訂正を入れています)。

「いまの子どもたちは,レコードプレーヤーで音楽を聴いていた時代のことなど,想像もつかないかもしれませんね。中学生くらいになってから,家に新しいステレオが届いたのをきっかけに,おこづかいでレコードを買って聞くようになりました。当初はフォークソング,とくに吉田拓郎のものばかりでしたが,一つだけ井上陽水のものをもっていました。それは,自分で買ったものではなく,年長のいとこからもらったものなのですが,陽水がアンドレ・カンドレから井上陽水という名になって2枚目のアルバムの「陽水 センチメンタル」でした。これは何度も聞きましたね。ギターの練習によかった「東へ西へ」もありましたし,「夏まつり」も耳に残っています。子どものころは,陽水の曲は,心にしみるということはなかったのですが,年を重ねていくと,陽水はいいなと思うようになってきました。
 「センチメンタル」に入っている曲に「白いカーネーション」があります。短い曲ですが,頭に残っています。今日は母の日なので,ついつい私も口ずさんでしまいました。もうレコードは手元にありませんが,YouTubeで聴くことができました。とても懐かしかったですね。私の世代より上では,私と同じように思わず口ずさんでしまう人も少なくないのではないでしょうか。
 白いカーネーションという花は,亡くなった母を偲ぶものだそうですが,陽水の曲でもそういう意味で,あえて「白い」と言っているのかはよくわかりません。ただ,歌詞のなかにある「どんなにきれいな花も,いつかはしおれてしまう。それでも私の胸にいつまでも」というのは,亡き母のことをいつまでも思っているという意味で理解することもできそうです。
 私自身,この年齢になっても,9年前に亡くなった母のことを,いまでもときどき思い出すことがあります。母は偉大です。世間では,幼いときに死別したり,虐待などで離別せざるを得なかったりという理由で,母親の愛情に十分にふれることができていない子どもたちもいるでしょう。母の日が,赤いカーネーションを贈ることができない境遇の子どもたちのことを考える日でもあればと思います。」

 ということで,以上のようなことを書いていたのですが,母が亡くなったのが9年前というのは,いまでは11年前になります。
 ところで,最近「attachment」(愛着)という言葉をよく耳にします。愛着理論は,乳幼児期に,どれだけ親(とくに母親)と触れ合っていたかが,その後の性格形成に大きな意味をもっているということのようです。乳幼児はとても弱い存在で,多くの危険にさらされています。不安に感じることが多いので,泣き叫んだりもするのです。そのときに,ぐっと抱きしめてくれる人が近くにいてくれれば安心します。そして安心できるから,外界に向かっての冒険もできるようになるのです。つまり「愛着」があるからこそ,子どもは精神的に安定し,社会性を身につけていけるのです。「愛着」を与えるのは,肉親でなくてもよいのかもしれません。でも肉親のほうが,より深い愛情を注げる可能性が高いでしょう。私たちは,親からそういう愛情を注がれて育ててもらったことに感謝し,同時に,親からそういう愛情を注いでもらう機会が何らかの理由でない子に対して,きちんと「愛着」のための手を差し伸べられる社会をつくらなければなりません。

2024年4月17日 (水)

神戸大学のコスパ

 神戸大学の同窓会組織の雑誌「凌霜」の最新号に,経済学研究科の小林照義教授が「学生が求める大学コスパ」というエッセイが掲載されていました。一橋大と大阪公立大学と神戸大の3つの大学が集まる「三商大ゼミ」で,神戸大学側からは「神大コスパ悪い説」の検証をしようという提案があったそうです。結局,それはやらなかったそうですが,小林教授は,神大生からそういう提案が出てきたことについて思うところがあったようです。「神大と同レベルの入試難易度の私立大と比較したとき,神大の方が授業料は安いものの,私立大の入試科目の少なさや通学の利便性,私大生の順調な就職状況を考えたら,神大はコストパフォーマンスが悪いのではないか」ということです。

 たしかに,少なくとも神大のロケーションには問題がありそうです。六甲台キャンパスの景色(とくに夜景)は素晴らしく,ややハードな運動を兼ねた散歩をするには最適です。しかし通学となると,急な坂が続きますし,バスはいつも混雑しています。いったんキャンパスまで上がってしまうと,飲食できるところが少なく,キャンパスの居心地はあまりよくありません。コロナ禍でリモート学習を経験してしまうと,通学したくないと思う学生が出てきてもおかしくありません。

 個人的には,大学の教育面だけでいえばリモート学習でよいと思っているので,神戸大学も,地理的なハンディを乗り越えるために,もっとリモート学習環境を高めるべきだと思っています。自然豊かな環境というのは,教育以外の面で活用すればよいのです。大学の周りで学生の住居,食事,リクリエーションなどが完備しているならともかく,教育施設だけ飛び地のようにあるのでは,これからの学生には魅力的ではないでしょう。もちろん飛び地といっても,バスに乗れば10分くらいで行けるところなので,陸の孤島のような感じではありません。それでも電車から降りて混雑したバスに乗らなければならず,ちょっとした飲食をしようと思えば,降りてこなければならないというのでは,やはりいまの学生からは敬遠されかねません。

 神大ブランドが威力をもっているかぎり,神大に通いたいという学生は,こうした不便は織り込み済みで神大を選んでいるのかもしれませんが,これがいつまで続くでしょうか。

 

 

2024年4月11日 (木)

価値観の断絶

 産政研フォーラム141号の大竹文雄さんのコラム「社会をみる眼」の「技術・家庭科男女共修の長期的影響」は,とても面白かったです。中学校での技術と家庭科の科目は,1977年生まれ(中学になるときに1990年)以降かどうかで,大きく変わったそうです(知りませんでした)。それ以前は,技術・家庭科は男女別であったそうです(私も,もちろんその世代です)。それ以降は,男子も家庭科を学び,女子も技術を学ぶようになります。その影響について調査した原ひろみさん(明治大学教授)たちの研究が紹介されていて,技術・家庭科の男女共修化によって,家事労働時間の男女平等化が観察され,それが現在でもなお進行中であるというのです。男女共修第一世代は現在46歳で,それ以前の世代と比べ,男性は家庭での子育て時間や家事労働を重視し,女性は性別役割分担に反対し,正社員の比率も高いそうです。大竹さんは,「今まで伝統的な価値観で運営がなされることが多かった企業でも,意思決定者の過半数が新しい価値観をもってくると,働き方改革が進む可能性がある」と述べています。ただ,「部長級や経営トップ層の年齢層は,まだ技術・家庭科別学世代であ」り,「古い価値観の世代は,働き手の多数派が新しい価値観をもていることに気が付かないと,企業の組織運営はうまくいかない可能性がある」と指摘されていて,まさに同感です。価値観がどこかの世代のところで大きく変わっているということは直感的にはわかっていたとしても,これがきちんとした経済学の分析により,しかも46歳という明確な数字で示してもらえたことで,問題点がわかりやすくなりました。教育による価値観の断絶は,他の場面でも起きているかもしれず,今後も経済学者の方の実証研究に注目していきたいですね。

2024年4月 9日 (火)

裁判官の弾劾

 岡口基一裁判官に対する弾劾裁判には,いろいろ考えさせられました。裁判官の弾劾について,憲法は,「裁判官は,裁判により,心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては,公の弾劾によらなければ罷免されない」としており,逆にいうと,公の弾劾があれば,罷免できるということです(78条)。また,憲法は,「国会は,罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため,両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける」(64条1項)と定めているので,弾劾は,国会に設置された弾劾裁判所によることになります。「弾劾に関する事項は,法律で定める」とされており(642項),実際,裁判官弾劾法という法律で弾劾手続が定められています。同法によると,罷免事由は,①「職務上の義務に著しく違反し,又は職務を甚だしく怠つたとき」と,②「その他職務の内外を問わず,裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」です(2条)。本件では,②の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」の該当性が問題となったようです。
 裁判官の訴追は,国会議員で構成される訴追委員会が行いますが,訴追委員会への罷免の訴追の請求は,国民は誰でも行うことができます(裁判官弾劾法151項)。また最高裁判所も,「裁判官について,弾劾による罷免の事由があると思料するときは,訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない」とされています(同条3項)が,本件では,最高裁判所は訴追の請求はしていないようです。もちろん裁判官が身内をかばうということもあるので,最高裁判所が訴追請求をしていないことは重視できないのかもしれませんが,岡口裁判官は裁判所からすでに懲戒処分を受けているようであり,それで十分だと判断されていた可能性もあります。ただ,懲戒処分といっても,裁判官への懲戒の種類は,戒告と1万円以下の過料(裁判官分限法2条)だけであり,それと罷免との差は極端です。もう少し中間的な処分はありえないのでしょうかね。
 憲法に根拠があるとはいえ,国会議員が裁判官を裁くことには違和感もあります。とくに今回のような表現行為について,裁判官を罷免できることに危うさも感じられます。裁判官のSNSでの発信行為をどうみるかは難しいですが,表現の自由ということの前に,そもそもSNSは通常の国民の日常の生活の一部です。裁判官といえども,そこは同じでしょうし,同じだと考えるべきでしょう。もちろんSNSを利用する際には,モラルは必要でしょうし,裁判官の場合は,いっそうそれが厳格に求められるとはいえそうですが,それをどうみてもモラル面で問題なしといえない人が混じっていそうな国会議員(今回の弾劾裁判所の裁判長と裁判員がそうだと言っているわけではありません)だけでモラル面の判断をさせることには違和感があるのです。
 罷免の法的性質は不勉強でよくわからないのですが,かりに懲戒と同種のものであるとすれば,労働法的な感覚でいえば,これは懲戒解雇(免職)であり,懲戒事由該当性は厳格に判断されますし,非違行為と処分との均衡も問題となります。岡口氏の投稿による被害者側の不快な感情はわからないではありませんが,裁判官の身分保障の重要性,表現行為だけで罷免されることによる,裁判官への萎縮効果の危険性など,多くの人がすでに指摘している論点が私も気になります。
 司法の独立性は重要である一方,裁判官の逸脱をチェックするシステムが必要であるのは当然です。三権分立は権力を分立させ,互いにチェックさせるシステムですので,行政による懲戒はできないとしても(憲法782文),国会議員による罷免は認めるということは理解できないわけではありません。しかし,憲法の解釈はともかく,現状をみた場合,裁判官の弾劾は,実体面では,明確で限定された基準によりなされるべきであるし,手続面では,国会議員に全面的にゆだねることにはおおいに疑問があります。実体面では,重大な犯罪行為がある場合に限定すること,手続面では,国会議員以外の外部の有識者の参画(弾劾裁判所や訴追委員会の構成員とするかはさておき)を認めることが望ましいでしょう(個人的には,いずれも憲法には反しないと思います)。裁判官のモラル違反を国会議員が裁くということには,国会議員自身がモラル違反について同僚議員への自浄作用を働かせることができていない現状をみても疑問があります。たしかに国会議員には選挙という形で政治責任を問われるのに対し,裁判官にはそういう場がないという違いはあるのです(最高裁判事だけは国民審査がありますが)が,いずれにせよ,犯罪行為でもないモラル違反についてまで,国会議員だけで裁判官を罷免できるということが,司法制度の独立性を危険にさらさないか(とくに国会議員に対する刑事裁判に影響しないか)という視点で,今回の弾劾裁判をみておく必要があると思います。

2024年4月 2日 (火)

新入社員へのメッセージ

 

 41日の日本経済新聞で,社長の夢として「社会課題の解決」や「世界一」を目指すものが一番多かったと紹介されていました。社長が個人的にどのような夢をもつのかは自由ですが,企業が何のために存在を「許されている」のかという原点に帰ると,それは広い意味での「社会課題の解決」にあるからであり,それを抜きにした企業経営などないと思っています。「社会課題の解決」以外の夢を掲げている経営者は,この点をどう考えているのか知りたいところです。

 解決すべき「社会課題」は多様であり,多くの企業はその解決を目指していると信じたいです。「社会課題の解決」を本業のプラスαとしてとらえているところ企業もあるかもしれませんが,「社会課題の解決」と関係しない本業というものの価値に私は懐疑的です。株主のなかには,「社会課題の解決」とは無関係に短期的な利益を追求した要求を突きつける者もいるでしょうが,「社会課題の解決」という企業の大義をいかにしてそうした株主にも説得できるかが経営者の資質といえるでしょう。

 4月に入り,新しく入社した社員も,自身が「社会課題の解決」に貢献するという気概をもって仕事に臨んでもらいたいです。そして,自分が選んだ企業が,自身の力を発揮できる場でないと判断すれば,迷わず,自分に適した企業を見つけるようにアクションを起こしてもらいたいです。できれば,そういうミスマッチが起こらないように,学生の間に情報を収集し準備しておいたほうがよいでしょう(それでも実際に働いてみると,話は違うということは起こるのですが,少しでも,そうしたことを減らすための情報収集活動が必要なのです)。

 これからの社員はプロ人材にならなければなりません。企業がどのような「社会課題の解決」に取り組んでいるかをしっかり見極め,それに自分の力でどのように貢献できるかということを具体的にイメージして企業を選択する必要があるのです。自身のキャリアは自分で築いていかなければなりません。場合によっては,起業するという手もあります。企業に雇われるだけがすべてではありません。

 社会課題の解決というのは,突き詰めれば,私たち人類が生きていくうえで必要なニーズを満たしたり,充実した生活を送るために必要なものを作ったりすることです。後者にはentertainmentのようなものも含まれます。私のいう社会課題というのは,このような広い意味のものです。一人ひとりはきっと自分なりに社会課題の解決に貢献できることがあるはずです。それを見つけ出して,それを発揮する場を探すことが大切であるということを,新入社員に伝えたいです。

 

 

2024年3月26日 (火)

学生の不祥事におもう

 神戸大学の学生の迷惑行為が問題となっています。3月末というのは大学側もあわただしい時期であり,謝罪会見に臨んだ副学長は,退任直前であったかもしれません。詳しいことは知りませんが,非公認課外活動団体であっても,対外的には神戸大学内のサークルという位置づけとなるようなので,学生が社会的批判を受けるような行為をしたときに,神戸大学が一定の責任を負うのはやむを得ないことでしょう。神戸大学は,学生向けに,課外活動団体への参加を推奨するようなことも書いています。
 私は,学生の課外活動については,何が本業かについて見失っている学生もいるので,無条件で賛成はできません。やはり本業である勉学があっての課外活動ということが,きちんと実践できていることが必要です。先日,エレビーターで一緒になった,ゼミに向かっているであろう学生たちが,こちらが教員であることを知っているかどうかはわかりませんが,競馬の重賞レースの話を楽しそうにしているのを聞いて,複雑な気分になりました。ときには気晴らしが必要とはいえ,大学施設内に学問の府としてのピリッとした緊張感がないのが残念です。
 部活動やサークル活動は,就職に有利に働き,それなら勉学よりも大切だという時代もありましたが,いまでもそうでしょうか。
DX時代はずっと学習し続けなければいけません。大学生時代の時間も無断にはできません。

 大学生が社会性を身につけるという点からは,課外活動にも意味があるでしょう。しかし,団体のなかには,上下関係が厳しいなど,前時代的なものもあります。そして,今回のように,報道どおりであれば, 幼稚な暴走が起きてしまうようなことも起きるのです。
 今回のサークルはどうかはさておき,昔から存在する伝統ある課外活動が,実は社会の変化についていけず,因習を保持する場になってしまっていないかの点検も必要でしょう。そこに大学側ができることがあるかもしれません。昔も,蛮カラを気取ってハチャメチャなことをするような学生はいましたが,時代は変わっています。伝統を守ることと打破すべき因習を温存することはまったく違うことです。

 勉学と課外活動との適度のバランスをきちんととって,充実した大学生活を過ごして,社会に出ていってほしいものです。

 

 

2024年3月18日 (月)

福井に注目

 敦賀まで北陸新幹線がやってきました。関西まで,あともう少しというところですが,つながる予定はいまのところはないようです。福井県は7年ほど前に三国温泉(芦原温泉の近く)に行ったことがあります。カニを食べに生きました。近くには自殺の名所(?)の東尋坊もありました。
 望洋楼という旅館に泊まりました。温泉も料理もとても良いところでした。ただ,神戸からはあまり便利がよいところではありませんでした。一番困ったのは,旅館のチョックアウトの後,近くに観光に適当なところがなかったことです。東尋坊に寄っだだけで,あとはすぐに帰るしかないというのでは,せっかくここまで来たのにもったいなと思った記憶があります。新幹線の開通により,状況が変わっているかもしれませんね。
 敦賀から芦原温泉駅までは新幹線で行けることになりましたので,もう一度,三国温泉に行ってみたいです。ただ,これまでも新大阪から特急サンダーバードで行けたので,新幹線のメリットを発揮するためには,ぜひ新神戸や新大阪から,乗り換えずに芦原温泉まで行けるようにしてほしいですね。
 かつてのゼミ生には,なぜか福井出身の人が多く,福井県庁に就職するなど地元に戻っていた人も数人いたはずです。福井出身の学生は,まじめで,素直で,とてもよい学生であったという印象が強いです。これまでは芦原温泉駅やその先の金沢駅では降りたことはありますが,福井駅で降りたことはありませんでした。でも,いつか恐竜博物館は見に行きたいなと思っています。ゼミ生たちは,福井に来てくれたら,いつでも案内してくれると言ってくれていました。その約束はいまでも有効でしょうかね。

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