つぶやき

2022年12月 8日 (木)

トキソプラズマとリスク選好

 妊婦が感染すると子どもに悪影響を及ぼすかもしれないとして警戒されるトキソプラズマですが,これが妊婦・胎児だけでなく,人間の行動に大きな影響があるかもしれないという記事をみて,ハッとすることがありました。
 124日の日本経済新聞の「サイエンス」欄で,「オオカミを操る寄生体 群れのボス指名,野心あおる」という記事で,この寄生体が「脳を乱して攻撃性を高め,野心をかきたてる。こうした気質がリーダーへと導いていく」とし,「恐れを知らぬリーダーが誕生すると仲間も大胆になる。大きなリスクをとる行動は繁殖や勢力拡大で時に幸運をもたらすが,同時に慎重な気質によって救われてきた命を危険にさらす」とされています。このトキソプラズマは,「既に人類の3分の1以上に寄生しているとの情報もある」とされています。そして,「トキソプラズマの感染率が高い国にサッカーの強豪国が多い」という意味深なコメントが付されていました。
 ところで,本日の日本経済新聞の「Deep Insight」では,あの世間を騒がせているFTXトレーディングを率いたサム・バンクマン・フリード(Sam Bankman-Fried)のことが紹介されていました。経済学者が「51%の確率で地球を2つ手に入れるが,49%の確率で全て失う」という賭けの話を提案したとき,普通の人は怖くて乗れたものではないのに,彼は「すごい価値がありそう(な賭け)だ」と答えたというのです。
 もちろん彼がトキソプラズマの影響を受けているかは,よくわかりません。ただ一般論として,世の中には過度のリスクをとろうとする人がいて,それが大成功をもたらすこともあれば,周りの者におそろしい危険をまきちらすこともあります。ひょっとすると,それが寄生虫の仕業であるかもしれないとすると……。恐ろしい話ですが,人間と寄生虫との共生の奥深さを感じさせる話でもあります。いずれにせよ,リスクをおそれない性格が遺伝的なものではなく,実はその地域の特性(寄生虫がいるかどうか)に左右されていることであるとすれば,移民などで住むところが変われば子孫も性格が変わることになりそうですね。

2022年11月30日 (水)

黙食について

 小学校の「黙食」(昔からあった言葉でしょうか)の要請がなくなるようです。文部科学省の通知で,「飲食はなるべく少人数で黙食を基本」とされていたのが,削除されて,「座席配置の工夫や適切な換気の確保などの措置を講じた上で,給食の時間において,児童生徒などの間で会話を行うことも可能」ということに変わったそうです。文科省は,もともと黙食を義務づけてはいないという趣旨のことを言っているようですが,なるべく黙食を基本とする,と言われたら,現場は,おしゃべり禁止令と捉えるでしょう。
 ただ,古い世代からすると,食事中はしゃべってよいというように,政府から言われると,ちょっと違和感もあります。もちろん,私もいまは,食事中おしゃべりします(たくさんします)が,子どものときは,食事中はしゃべるなと言われていました。食べるというのは,非常に大切なことであることに加え,口のなかのものが飛ぶかもしれないというマナーや衛生上の観点もあったのかもしれません(それと,寿司屋の大将が,新鮮なネタの寿司を出しても,隣の人とおしゃべりばかりして,食べてもらえずに残っているのは,あまり良い気分がしないと言っていたことを思い出しましたが,作った人の気持ちも考えるべきですね)。いずれにせよ,私の感覚では,食事中のおしゃべりは,基本的には行儀が悪いのであり,もちろん大人になると,その感覚はなくなっていきましたが,今回は小学生相手の通知ということで,ちょっと違和感をおぼえたのです。
 昔の日本では,特別な日を除き,食事は決して楽しい場ではなかったと思います。食事を家族団らんでとるというのは,それほど古いことではないはずです。西洋風の外食が一般的になり,それが家庭内の食事のとり方にも影響したのでしょう。小学校での給食の黙食は可哀想という意見が出てきたのも,こういう食事風景の変化と関係しているのだと思います。それに,しゃべりながらも行儀良く食べることができれば,それそれこそ,(グローバルスタンダードの観点からも)よい躾けになるでしょう。
 ただ,そう思う反面,たしかに黙食はいきすぎでしょうが,小学生は,給食の時間は,あまりおしゃべりはせず,出されたものをしっかり噛んで味わって食べて,昼休み時間を十分にとって食べたものを消化してから,午後の勉強に臨んでもらえればな,と思ったりもしてしまいます。

2022年11月20日 (日)

天彦の気持ちがわかるかも

 法科大学院の入試が終わりました。コロナ以降,いろんな試験の監督をしているとき,ほとんどの学生はきちんとマスクを着用していますが,ときどき,試験時間終了間近になると,マスクをはずしたままにしている学生が出てきます。マスクに対する適応性は人それぞれですが,日本人の多くは他人の目を気にして我慢してつけています。ただ,このマスクのために,集中できない人もいるでしょう。試験の場合には,みな同じ条件でやるべきとはいいながら,黙って試験に取り組んでいて,少なくとも他人への感染リスクはかなり低いのでマスク着用をそれほど厳格に求める必要はないような気もします(咳がでる人はエチケットとしてマスクをする必要はあるでしょう)。
 こういうことを考えると,佐藤天彦九段の反則負けのことが気になります。棋士は,対局中は普通は喋りませんので,感染リスクは比較的低いでしょう。終盤の大詰めで集中して考えている時間帯に,マスク不着用をとがめられて敗戦となるというのは,やはり厳しすぎる感じがしますね。高度な集中力が求められる知的な世界において,マスクごときに影響を受けるのはどうかという気もします。
 もちろん私は,少しでも感染リスクがあるところに出ていかなければならないときはマスクを着用しますし,他人にもマスクをつけておいて欲しいと思います。でも,それもときと場合によるでしょう。受験生や棋士に,どこまでうるさく言うべきかは,よくわかりませんね。私自身は,マスクをつけていると苦しくなるし,口内が乾燥するなど身体によくないし,階段を降りているとき下がよくみえなくて危ないこともあるなどの理由で,できるだけマスクを付けなければならないようなところには行かないようにしています。幸い,私の現在の仕事の多くは,リモートでできるので,マスク着用機会は最小限に抑えられていますが,これからも同じようにいくかは何ともいえません。いまは対面型は少人数のゼミ形式の授業しでかしていませんが,やりにくさはあります。いつも書いているように,学生の言葉がマスク越しでは聞き取りにくかったり,こちらも声を張り上げて話すので喉が痛くなったりします。教師は大学でも自宅でも出張先でも,どこからでも授業をできることとし,学生のほうも,大学でも自宅でも下宿先でも,どこででも授業を聴講できるような状況を,はやく実現してほしいです(規制やローカルルールの改正が必要)が,私の定年までに実現しますかね。

2022年11月18日 (金)

割烹料理からイタリアンに

 伝統的なことは男性が独占し,女性は排除されたので,女性は新しいものに関心を向けざるを得なかったという話を聞いたことがあります。
 割烹店など一流の高級料理店は,男性が料理人で,客をもてなすのは和装の女性というのが定番です。これは現在でも変わりなく,日本文化のようになっていますが,このスタイルは,明らかに客が男性であることを想定して展開してきたものと思われます。伝統的なものは男性好みにできあがっているのです。そこから排除された女性が,イタリアンやフレンチなどの洋食を好み,そして,それが徐々に広がっていったのです。
 もう15年前くらいになりますが,私が当時最年少であった会で、参加者のほぼすべてが男性という宴会で,事務局にイタリアンレストランを提案すると,そんなところは年輩の方は受けいられないという理由でいったん拒否されたことがありました。「イタメシ」という言葉もあり,カジュアルな印象も強かったのでしょう。ちゃんとした宴会は,膳のある和食でなければならないという意識は,いまはどれほど残っているかわかりませんが,少し前までは主流でした。おじさんたちは,伝統的なものしか味わわないなか,その外にある多くの美味しいものを食す機会を逃していたのかしれません。結局,その会ではイタリアンの提案がとおりました。高級イタリアンのすごさを知ってしまってからは,イタリアンの提案を拒む人はいなくなりました。中華,和食,イタリアン,フレンチとバリエーションが広がり,宴会も楽しくなったのです。
 伝統的によいものは,男性と一部の女性が独占してきたという図式で世の中をみると面白いです。雇用の世界もそうでしょう。日本型雇用システムの最大の受益者は,男性正社員でした。均等法後は,そこに一部の女性が加わりました。日本型雇用はいわば「割烹料理」です。一方で,「イタリアン」も「スパニッシュ」もいいよと言って自由な働き方をする女性が,フリーランスには多いのです。伝統にこだわらず,自分で「料理」の味を確認し,それがよいと思えばそれを楽しむというのが,実はフリーランス的な働き方の醍醐味なのかもしれません。男性たちは,フリーランスの人は「割烹料理」を食べたいと言っているのだから,食べさせてあげなければならないというような上から目線の議論をしがちですが,それは誤解なのです。彼女たちが求めているのは,何を食べようが,基本的なルールは同じにしてね,ということです。もちろんフリーランスの中には,女性だけではなく,男性も最近は増えてきています。少し前までは,自分はフリーランスでも,息子はやっぱり会社員でいてほしいという女性もいました。しかし,そういうことにならないようにしなければなりません。
 宴会が「割烹料理」から「イタリアン」を含むものに移行して多様化していったように,実は仕事の世界も,伝統的な日本型から,フリーランスも含めた多様なものへ移行していくことになるでしょう。イタリアンも,サイゼリアから,Sabatiniまでいろいろあるように,フリーランスの世界もいろいろです。そうした多様化の先陣を走っているのが女性たちです。
 「割烹料理」を中心に据える発想から脱却することが,多くの人が自由に働ける社会を実現するための第一歩です。

2022年11月10日 (木)

真の権力者

 昨日はElon Muskのことを書きましたが 彼はなんといってもTeslaという 電気自動車の会社の経営者として有名ですが,さらにSpaceXという宇宙ビジネス会社でのStarlinkという衛星通信サービスが注目されます。ウクライナが,対ロシア戦で善戦しているのも,このStarlinkが無償で提供されているからで,国民のインターネットの利用をサポートしたり,さらに軍事的にも活用されたりしているようです。
 衛星通信の場合には,速度やレイテンシが気になりますが,Starlinkは,地球に近いところで衛星が数多く飛んでいるそうなので,問題がかなり解決されているのでしょう。日本ではそれほど問題になっていませんが,海外ではインターネットが使えない地域もまだまだ残っているので,衛星通信の発達はインターネットを文字どおり世界中で使えるようにすることに貢献するでしょう。日本でも,大災害が起こると通信障害などが起きたとき,衛星通信が機能すれば助かることが多いのではないかと思います(なお,私は都市部に住んでいますが,自宅内で4Gがつながりにくいときがあり,またWiFiも部屋によっては届きにくいところがあるので,やや不便です。ウェブ会議では,念のため,有線でつないでいます)。ネットの接続が生活に不可欠なものとなるなか,地上の基地局だけでは限界があり,衛星通信があればかなり安心です。電波の届きにくい離島でのテレワーク(ワーケーション型)においても安心かもしれません。
 だからStarlinkのようなサービスは大切だと書きたいのですが,よく考えると,Elon Musk氏はTwitterも,Tesla も,Starlinkも牛耳るとなると,これって個人にあまりにも巨大な権力が集中することになることですよね。恐ろしいです。権力集中というと,政治権力のことを考えがちですが,このデジタル社会において真の権力者は誰かということをよく考えておかなければなりません。

2022年10月28日 (金)

Integrity

 政権の悪口ばかり言っていますが,今日の経済対策の発表は,自民党が対策規模を25兆円から29兆円にして自画自賛しているようですが,いったい誰のお金だと思っているのでしょうね。金額は巨大ですが,国民はピンとこないでしょう。具体的なものがみえてこないのが,この政権の問題です。なんとNHK19時のニュースのトップは,王将社長の殺害事件の犯人逮捕の話に取られてしまっていました。
 国民の多くは,将来に向けた投資に充てるお金を少しはもっていますが,無駄遣いする余裕はありません。借金はできるだけしたくないと考えています。そういうなかで,政府の大盤振る舞いをみると,とても違和感があります。
 結局,日本がこれからどういう国になっていくのかというビジョンがないのです。ビジョンがあって,それにお金を使うからわかってほしいという説明がなければならないのですが,まず額ありきで,それが大きければ国民が喜ぶと思うのは大きな間違いです。将来世代が払わされる借金で,現在の国民の生活防衛をしてほしいと思っている人は少ないのです。こういうことは,しつこく言い続けたいと思います。
 ところで話は変わって,本日の学部の授業では,「良い仕事」について議論しました。杉村芳美『「良い仕事」の思想―新しい仕事倫理のために』(中公新書)を採り上げ,学生に「労働」というものは,これまでどのように考えられてきたのかを知ったうえで,どう考えるかという意見を求めました。そこでの議論はさておき,この本では,第8章(最終章)のタイトルが,「仕事におけるインテグリティ」となっています。インテグリティ(integrity)は,とても難しい言葉で,おそらく受験英語には出てこないでしょう。全体性とか完全性といった意味ですが,誠実性と訳されることもあります。近年では,経営学でも好んで使われる言葉になっているようです。仕事におけるintegrity とは,私たちが仕事に臨むときの心構えのようなもので,それは自分の価値観に誠実に働くというような意味であると思います。自分の価値観とは,自分のアイデンティティの基礎であり,人格の総体なのです。アイデンティティは,いろいろな経験を積みながら確立していくのですが,その時々の自分のアイデンティティを体現する価値観に誠実であることが大切なのだと思います。私は,労働を,自身の帰属する共同体への貢献であると定義していますが,その貢献の仕方は自分のもつ適性や能力を活用することでよいのであり,そうした活用の仕方に,インテグリティという要素がかかわってくるのではないかと思っています。自身の価値観は,共同体への貢献という社会的価値の重要性を学びながら洗練されていくのであり,そういう二つの価値の交錯するなかに仕事の倫理性の本質があるのではないかと思っています。学生のなかには,仕事の倫理性にこだわっても,十分な報酬がなければ困るという意見もありました。それは,そのとおりだと思うのですが,なぜ報酬を得なければならないのか,そしてその報酬とは通貨なわけですが,なぜ通貨のようなそれ自体何も価値のないものに,私たちはこだわることになったのか,そういうことも同時に考えていかなければならないと思っています。無償の労働,物々交換,そういうものをキーワードにして労働をみていくのも,とても重要な研究テーマだと思っています。
 さて,日本の政治家のintegrity はどうなのでしょうかね。

 

2022年10月17日 (月)

研究費のつけ方

 今年は日本人からノーベル賞が出なかったですね。たった1年であれこれ言えるわけではありませんが,日本の基礎研究の低下は,つとに指摘されていますので,気がかりです。
 少し前のNHKの朝のニュースで,2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんが,基礎研究と徹底して役に立つ研究を分けろ,と言われていました。成果がいつでるかわからないが重要性のある基礎研究と,実用性の高い研究はかなり性格が違うので,両者を混在すると大変な弊害が出てしまいます。吉野さんは主として自然科学のことを念頭においていたのかもしれませんが,法学でも同じことです。よく出す例ですが,ローマ法の業績が頻繁に発表されるわけがないのであり,これと知的財産法などの最先端の企業関係法とは同じには扱えません。成果がすぐに出ないからといって予算を配分しなくてよいということではないのです。もっとも,分野によっては,一人で「両利き」の研究をすることも可能でしょう。「両利き」は,英語では,ambidexterity という難しい言葉なのですが,経営学ではよく使われているようで,右手で深化(exploitation)を,左手で探索(exploration)をめざすということのようです。イノベーションをうむのは探索であり,深化だけではいけないということでもあります。
 研究も同じで,深化は専門性を習得するには不可欠ですが,どうしても専門領域に狭く閉じこもりがちです。そこでそこそこの評価もえられて居心地がよいし,自分の蓄積したものを活用できるので楽でもあります。しかし,独創的な研究をするには,そこから抜け出して探索をする必要があるのです。もちろん,そうなると当然,新領域では専門性がないわけですから評価はえられませんが,その探索からみつけだしたものと,これまで深化させたものとが融合すると新たな画期的なものが生み出されます。ただ,これは従来の専門分野の枠組みをこえるものなので,適切に評価されず,そうなると研究の予算もつきにくいということになります。だから目利きが必要です。
 ただ,評価の対象を研究にするのではなく,人にすることもできます。同じNHKの番組をみていて,実はノーベル賞が日本からも出ていたことがわかりました。沖縄科学技術大学院大学(OIST)のSvante Pääbo教授(Wikipediaによると,スウェーデン国籍)が,ノーベル医学・生理学賞を受賞していました。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの交配を明らかにした画期的な研究成果を発表されています。OISTは,まさに研究者に予算をつけて,5年ごとの成果で評価するという方式を導入していると紹介されていました。外部資金は科研費も含め,作文力の勝負というようなところもありますが,これではいけないと思っています。研究者を信用して研究費をつける,というようなスタイルがもっと他の研究機関にも広がってほしいですね。そのほうが,既存の学問の枠組みや垣根を越えた独創的な研究がうまれてくると思います。

 

2022年10月12日 (水)

みんな大好きアンパンマン

 以前に里中満智子さんの「私の履歴書」のなかで,やなせたかしさんは,94歳で亡くなる前日まで仕事をしていたと書かれていました。Elizabeth女王も,96歳で亡くなる直前,選ばれたばかりのイギリス首相と会っていましたよね。高齢になっても仕事ができる身体で,しかも呆けていないのは素晴らしいですし,うらやましいです。私は死ぬ前日まで原稿を書いていられるでしょうか。
 そのやなせたかしさんですが,亡くなっても,その影響力には,すさまじいものがあります。この点でも,うらやましいです。アンパンマンは,日本中のどこにでもいそうです。大人には気づかないとしても,子どもならわかるようなところにアンパンマンやその仲間たちのキャラクターが潜んでいます。もちろん,神戸のモザイクあたりにいくと,アンパンマンミュージアムがあるからかもしれませんが,堂々とアンパンマンファミリーが顔をみせてくれます。アンパンマンたちの像がありますし,高速神戸駅から地下でJR神戸のほうに歩いて行き,そのあと地上に出て海のほうに向かうと,その間ずっとアンパンマンたちの顔をみることになります(下を向けば,ということですが)。
 アンパンマンを嫌いな子どもなど聞いたことがないですが,私には何が魅力なのか,いまひとつよくわかりません。アニメを観るような年齢になる前から好きなようですから,あの丸顔が魅力的なのでしょうかね(でも,ばいきんまんもドキンちゃんも人気がありますよね)。それとアンパンマンという音もいいのでしょうね。どことなくピンポンパンと音の感じが似ています。1歳や2歳児くらいだと,まだ言葉はきちんと話せないですが,「ア」も「パ」も「マ」も出しやすい音ですよね。このネーミングが成功の秘訣かもしれません。
 ただし,アンパンマンが人気があるのは日本だけということを聞いたことがあります。日本のアニメは世界を席巻しているのですが,アンパンマンは違うようです。アニメ自体は,昔観ることがあったときには,ものすごく面白い内容とは思いませんでしたので,そのあたりが外国人の親には敬遠されているのかもしれません(また,食べ物の話ということも関係しているかもしれません)。「みんな大好きアンパンマン」という歌詞につられて,海外の子どもにも,アンパンマン関係のグッズのお土産を買っていくと,がっかりされる可能性があるから要注意です。

2022年10月 9日 (日)

円安

 円安が進行しています。私も,わずかですが海外旅行のときに使わずに残っていたドルが貯まっていたので,ドルが上がり始めたころに135円で早まって売ってしまいました。
 数年前に東南アジアに行ったとき,ずいぶん物価が安いなと思ったものです。たとえばタイやマレーシアなどは実感として3分の1くらいでした。為替レートが,国力の違いを表しているような気がして,日本人であることが誇らしい気持ちにもなりました(そういう上から目線でみてはいけないのでしょうが)。いま円安で,海外の人たちがもしかしたら日本人のことを,そのときの私のようにみているかもしれません。これから日本に来ると,外国人旅行客を待ち望んでいた観光業界などが,もともと高いサービス精神をさらに高めて発揮し,それをきわめて安価に外国人に提供していくのです。円安のメリットを活かして経済の活性化を図るのは当然ですが,少し複雑な気分です。
 円安の原因は日米の金利差にあると言われます。たしかにドルを買えば,高い金利がつきますが,急に円高になる可能性もあるので,為替で儲けようとする人は要注意です。政府の円買いの市場介入にもかかわらず,180円くらいまで上がるという展望もあるので,ここで思い切ってドルに賭けるという人もいるかもしれませんが,先のことはまったく読めません。私はそういう博打は運の無駄遣いと思うので,やらないことにしています。コロナ後のアメリカ旅行などを楽しみにして,いまからドルを買っておくくらいのことはやってよいのでしょうが,当分はハワイ旅行も難しいでしょうね。
 円安の原因が日米の金利差ということであれば,アメリカでそのうちインフレがおさまり,景気が悪くなったときには金利を下げるでしょうから,そうなると問題が解決するという見方もできます。しかし,円安は国力の低下という日本側の問題を反映しているという見方もできます。日本の将来性が暗いと考えると,円資産を保有する外国人が減るでしょう。円が売ってドルを買う人が増えていくと,円安になります。実際,日本の膨大な財政赤字,少子化の進行,デジタル化の後れ,地政学リスク(私たちが感じている以上に,中国,ロシア,北朝鮮と接していることは,外国人からすると,大きな不安定状況とみえるでしょう)など,あまり明るい材料がありません。そして円安は,輸出関連企業の利益が賃金に反映して国民にその恩恵が浸透する前に,エネルギーを初めとする海外からの輸入品のインフレで,ただちに生活に打撃を受け,苦しむ国民を増やしてしまう危険性があります。
 円安がどうかということよりも,結局は,日本という国の抱える構造的な不安要因が気になります。

2022年10月 6日 (木)

やっぱり米が好き

 日本経済新聞の926日の電子版にあった「自治体が相次ぎ小麦の生産拡大を支援している。需要が減少傾向にあるコメからの転作を促し,農家の経営安定を目指す。」という記事に目がとまりました。米の需要がどんどん減っているそうで,減反政策も終わり,農家は競争力のある農業生産に取り組まなければなりません。ウクライナ戦争で,小麦不足が言われるなかでは,小麦への転作がいっそう進むのはやむをえないのかもしれません。
 私も若いときには,毎回の食事がずっとパンでも大丈夫でした(それに耐えれなければ留学はできませんよね)。でも徐々に,1日1回は米を食べるようになり現在に至っています。白米も玄米も好きです。もちろんパスタも好きですが,最近は米粉のパスタも悪くないと思っています。パンも米粉のものがあり,味は私には悪くありません。なんとか米をいっぱい食べて,米作で頑張る農民を応援したいです。みんなもっと米を食べましょう。私自身は,食事の量が減っているので,米をたくさん食べるといっても限界があります。11回米を食べるというのは朝のことで,夜はおかずしか食べないようにしています。米にしろ,小麦系のものにしろ,12回以上食べれば,体重が増えてしまいます(もちろん量によるのですが)。だから11回なのですが,米がなくなれば困ります。インディカ米やタイ米はパエリアにはよいでしょうが,日常の食事には物足りません。ということなので,若者にはもっと米を食べてもらいたいです。ハンバーガーが好きな人は,映画「Super Size Me」を1回は観ておく必要があるでしょう。
 おいしい米は,ふりかけなどがなくても,それだけですばらしい味がします。旅館で食べるブランド米となると極上の味で,何もかけなくても,何杯もお代わりできてしまいます(体重の面では危険ですが,幸か不幸か,日常生活ではなかなか手が出ない価格なので,その点は心配ありません)。おいしい米の伝統を守り,日本の素晴らしい食文化を,なんとか残していきたいものです。