つぶやき

2024年9月10日 (火)

いろいろ(将棋,相撲,阪神)

 西山朋佳女流三冠の棋士編入試験が始まりました。棋士番号が大きい,四段に成りたてのバリバリの若手棋士5人が試験委員です。3勝したら合格です。初戦は,高橋佑二郎四段との対局でしたが,見事に勝利をおさめました。西山女流三冠は振り飛車一本です。後手番でしたが,最後は角捨ての強気の攻めで切り込み,相手も必死の防御で反抗しましたが,追いつきませんでした。史上初の女流棋士の誕生の予感をさせるような勝利でした。次の日曜には,NHK杯では藤井七冠とも対局しています。収録は終わっているはずですが,その対局も楽しみです。
 大相撲の九月場所が始まりました。関脇に陥落した貴景勝は,力なく2連敗で今日から休場です。このまま引退になる可能性が高いのではないかと思います。よく頑張ったので,ゆっくり身体を治して,第2の人生を歩んでほしいです。大の里は順調に3連勝です。他の力士とは実力が違う感じがします。ところで今日の結びの一番の琴櫻と猿飛の対戦は疑惑の一番となりました。最初は両者同体ではないかと思いました。猿飛の身体も飛んでいましたが,Videoでは琴櫻のほうが早く落ちていました。猿飛が死に体であったわけでもありません。少なくとも物言いがつくべき一番だったでしょう。照ノ富士の引退が近く,新しい横綱をつくりたいという協会の気持ちはわかりますが,露骨なことをやると,ファンが減るでしょう。辛口コメントで有名な貴闘力がどう言うか楽しみです。
 阪神は,勝負の7連戦が始まりました。まずはDeNAとの3連戦です。予想どおり,青柳と東の先発でした。途中でスコールがあって足場が悪くなった青柳が打たれて逆転されたときはいやな予感がしましたが,今日の阪神は粘り強かったです。ムードメーカーの森下が打って雰囲気が変わり,最後はゲラと岩崎を温存しながら快勝しました(森下は,守備でも好返球でチームを救いました)。もちろん油断ができるわけではありませんが,まずは今シーズン12勝2敗の東を打ったことで,一つの山を超えました。巨人と広島の首位決戦は,巨人が先勝しましたので,首位巨人とは2.5ゲーム差のままで,2位の広島とは0.5ゲーム差となりました。広島は息切れ気味ですが,ここから盛り返せるでしょうか。4位のDeNAと阪神の差は3ゲームとなりました。

2024年9月 4日 (水)

ネットが使えない恐怖

  自宅でテレワークを行う上では,電力,Wi-Fiルーター,プロバイダー,パソコンが不可欠となっています。特に懸念しているのは電力であり,停電が発生すると非常に困りますが,数時間は電力を維持できる機器を一応備えています。ただし,実際に使用したことがないため,いざという時に使いこなせるかは不安です。大学の研究室やホテルの部屋など信環境が整ったところへ移動することは可能ですが,できればそのような事態が発生しないことを祈るばかりです。
 これまでにモデムやWi-Fiルーターが故障した経験がありますが,有線接続が可能なため,それほど心配していません。パソコンに関してもスペアがありますし,iPadやスマホも複数台持っているため,こちらも大きな懸念材料ではありません。
 先日,プロバイダーのトラブルが発生しました。原因は不明ですが,土曜と日曜はプロバイダー経由のインターネットが使えませんでした。月曜の朝に復旧しましたが,その間は非常に不安でした。プロバイダーの会社は,土日にはサポート担当に連絡できないため,この点は大変困ります。働き方改革は労働者の労働時間を確保する上で重要ですが,エッセンシャル・サービス(現代社会では,通信会社もこれに該当するでしょう)に関してはシフト制などで対応してもらわないと,利用者からするとたいへん困ります。結局,現時点でも,まだプロバイダー会社からの説明はありません。
 プロバイダー回線が使えなくても,スマホのテザリングでネット接続は可能です。しかし,NHK+やYouTubeをテレビで視聴することはできませんでした。また,4G5Gには通信量の制限があり,長時間の使用には向いていません。このような状況を考えると,Elon Muskのスターリンク(Starlink)をバックアップ用に契約すべきかと考えています。これは災害対策にもなりますが,もう少しコストが安ければありがたいです。それに,「X」(旧Twitter)には少し不信感があるため,Muskに頼るのは悔しい気もしますが,彼が良いビジネスの機会を見つけていることは間違いないのでしょうね。

2024年8月30日 (金)

共通善の実現方法

  少し古いエッセイですが,松下良平氏(武庫川女子大学教授)が,TASC Monthlyの第551号(202111月)で「趣味は世界を道徳的混乱から救う」という興味深い随想を書かれていました。
 それによると,道徳には集団や関係に根ざすもの(共通善の尊重など)と,個人に根ざすもの(自由や権利など)の二つがあり,本来,思想や信条が異なる人々が共存する社会では,個人に根ざす道徳が基本となるべきであり,一方,家族や友人関係,地域の互助組織など「仲間」から成る共同体では,集団に根ざす道徳が基本となるべきとします。
  しかし,松下氏は,この二つの道徳が相互にその領域を侵犯しつつあると指摘します。その具体例として,違法も辞さず政府を私物化する「トランプ現象」や,家族や友人関係においても個人の道徳が過度に重視されることを挙げています。そして,こうした状況を回避する可能性を秘めているのが「趣味の共同体」であると主張します。趣味の場で「実践や批評の卓越性を追求しつつ,各人が個性を発揮して自由に競い合いながらも,共同体の共通善を追求することで,二つの道徳はうまく調和する」というのです。
 
ここで思い出されるのが,故安倍晋三元首相がTrump氏と頻繁にゴルフを行っていたことです。思想信条が異なる者同士でも,ゴルフの場では仲良くできるのです。こうしたことが,個人的な道徳を超えて,集団的な道徳を実現する契機となるのかもしれません。もちろん,Trump氏がこれによって共通善の重要性に目覚めることはなかったでしょうが,ともかく個人の道徳が暴走するのを抑えるきっかけが,このような「趣味の共同体」にあるとは言えそうです。かりにもしパレスチナ(Palestine)とイスラエル(Israel)の間で「日本アニメの共同体」が広がれば,共通善の基盤が形成され,和平の可能性が広がるというのは楽観的すぎるでしょうか。日本が果たせる役割として検討する価値があるかもしれません。
 共通の趣味があれば,見知らぬ人との間でも,心理的距離がぐっと近づくというのは,誰しも経験があるでしょう。趣味をもつ人が増えていくことは,とりわけ個人的道徳が強調されがちな国際関係において重要だと思います。オリンピック(Olympics)も,本来はこのような共通善を広げるための場であるはずですが,実際にはどうでしょうか。

2024年8月22日 (木)

4分1と3分の1の違い

 阪神タイガースの岡田監督が,昨日の時点で,記者から残り30試合(しかない)と言われて,まだ4分の1もあるではないかと返したそうです。たしかに,残り30試合で首位と4ゲーム差と考えると追いつくのは厳しいなと思いそうですが,まだ1ヶ月以上も試合があるとなると,挽回が不可能ではない感じもします(先頭を走っているのも,逃げ切るのは大変ということを岡田監督は言いたいのでしょう)。厳密には,これまで戦ってきた113試合のうちの4分の1強の30試合が残っているということですが,全体143試合からみると,8割はすでに終わっているので,残りは5分の1ということもできそうです。ただ,気持ちとしては,残り5分の1と思うと焦るでしょうが,残り4分の1あると思うと,まだまだやれるという気持ちになれそうです。ここで投手陣と打撃陣を整備して,新たな開幕のような気持ちで始めれば,4ゲーム差くらいは簡単にひっくりかえせるかもしれません。
 人生でも還暦を迎えて,人生80年と考えたとき,残り20年で4分の1しかないと考えるか,岡田流にこれまで60年生きていて,その3分の1が残っていると考えるかで,やはり気分が変わってくるような気がします。3分の1マイナス4分の1なら,たった12分の1しか差がない(ちなみに分母が1違いの場合は,引いても,掛けても同じです)のですが,感覚的的には,3分の1÷4分の11.33倍くらいの違いがありそうです。ということで,人生も岡田流で考えたほうが,前向きになれそうですね。還暦は,まさに言葉どおり「元の暦に還る」のであり,野球でいえば開幕のようなものなので,ここで「戦力」を整えてもう一勝負ということになりましょうか。

2024年8月21日 (水)

哀悼

 Alain Delon(アラン・ドロン)が亡くなりました。私たちより上の世代では,二枚目の代名詞でしたし,「太陽がいっぱい」が印象的です(私はこの映画のDVDをもっていて,昔は,アラン・ドロンを知らない世代に観せたりしていました)。どこか暗い影がある美青年であり,男性からも,同性愛者でなくてもその美しさに惹かれた人は多かったのではないでしょうか。晩年は,いろいろ問題を抱えていており気の毒でした。また今回改めてWikipediaで知ったのですが,彼は幼いころから,あまり良い家庭環境にはなかったようですね。彼の独特の憂いを含んだ表情は,そういう過去から来ていたのかもしれません。いずれにせよ,ジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)と並ぶフランスの大スターの死去は,映画界における大きな損失です。
 もう一人,日本のフォークシンガーの高石ともやさんも亡くなりました。フォーク少年であった私は,拓郎派でしたが,もちろん高石ともやさんのフォーク界での存在の大きさも知っていました(途中からは,マラソンランナーとしてのほうが有名になった感じがありますが)。とはいえ,御本人の歌としては「受験生ブルース」くらいしか知りません。私の世代なら誰でもくちずさむことができる歌でしょうが,その歌詞の内容は現在でもリアリティがあります(作詞は,中川五郎)。ただ,少子化が進み,大学の推薦入学も増え(東大にも推薦入学,正確には「学校推薦型選抜」があることを最近知りました),受験というものが徐々に縮小していくなか,いつかは「受験生ブルース」がリアリティを失う時代がくるかもしれません。個人的には,本人の到達度に応じた持ち点である成績スコア(AIで審査しデータで管理)で合否が決定できれば,受験は不要となりますが,私が大学教員をやっている間には実現しないでしょうね。

2024年8月19日 (月)

新幹線の臨時列車

 先日の台風直撃を受けて,816日,東海道新幹線は始発から運休をしましたが,それを2日前には発表していました。台風の進行の予測が正確にできるのが驚きですし(いまさら驚くことでもないのでしょうが),それに早めに対応して,旅行客への便宜を図ったJR東海の動きもよかったといえるでしょう。ただ,前日に臨時列車を出したと報道されていたので,ふと思ったのは,先日,このBlogでも採り上げた年休に関するJR東海事件です。臨時列車などの増発の可能性があることが,年休の取得日の特定方法や時季変更権の行使などに影響してくることが,この事件をとおしてわかったのですが,私は労働者の休暇保障の観点からは,AIなどを使って事前予測をして,できるだけ早い時期に年休日を確定できるような取扱いをすべきではなかろうかと考えていました。とはいえ,突然の台風などとなると,AIの予測にも時間的に限界があるでしょう。臨時列車を出して公共交通機関としての社会的使命を果たすべきなのか,それとも労働者に無理をしても働いてもらうということになるのか。実際に,今回の臨時列車がどれだけ労働者に無理がかかっているのかわからないので,無責任なことはいえません。ただ,欧州人的な発想(古い発想かもしれませんが)でいけば,臨時列車を出してもうかるのは鉄道会社なので,自分たちはこうした追加的な仕事はしないとしてストライキをしたり,みんなが困っているときにこそ,ストライキをすれば,自分たちの要求事項が社会に知ってもらえると考えたりするのでしょうが,そこは日本の労働組合はそういった発想にはならないし,ストライキをすれば世論の支持を得られないのでしょう。もちろん旅行者としては,計画運休を早めに告知し,臨時列車で対応するというのは,有り難いことです。とはいえ,その背後に労働問題がないことを祈ります。

2024年8月17日 (土)

兵役

 国の安全保障の重要性は総論としては誰も否定しませんが,個人の安全保障もまた大切と考える人が多く,この両者のどちらを優先するかが問題となります。祖国を守るために自分や家族の命も差し出すというのは,国の安全保障重視の立場であり,戦時中の日本人が強要されたものです。現在のUkraine(ウクライナ)は自発的にそういう立場にいる国民も多いのでしょうが,それは祖国消滅の危機にさらされているからなのでしょう。東大准教授で,メディアにもよく登場される小泉悠氏は,ロシアの侵攻が,ウクライナのアイデンティティを形成させたという趣旨のことを言っていたと思います。しかし,そのウクライナの人も,本音のところはどうなのでしょうか。
 徴兵制は,祖国のために死んでもらうという考え方が根底にあるはずですが,しかしそれでは徴兵制を導入した人たちやそれを運用している人たちが,死ぬ可能性があるかというと,それは小さいわけです。徴兵制というのは,いわば上級国民には適用されないことが多く,現在のロシアでも「赤紙」が来ても戦争に行っていない人が多いそうです。ロシアに限らず,兵役義務のある国でも,実は様々な方法で兵役を免れる仕組みがあり,エリート層は,実際には兵役を免れていることが多いのではないかという疑いがあります(本当のところはわかりませんが,Trump氏の兵役逃れが問題となったこともありました)。しかし,こうした抜け道の情報は一部の人しかもっておらず,国民みんなが知っているわけではありません。自分は戦争に行かなくてもいいとわかっていたら,国の安全保障の重要性ということだって,声高に主張できるでしょう。
 ところで,かつてイタリアに留学中に,電車のなかで,これから兵役に行くという若者といっしょになったことがありました。兵役を免れる合法的な方法はあったそうですが,それはあとから知ったそうで,そのことを彼は,悲しげに語っていました。当時のイタリアはどこかの国と戦争していたわけではありませんでしたが,交戦国に派遣される可能性はあり,命の危険はあったはずです。不公平だし,気の毒だなと感じたことを覚えています。
 イタリアでは,民法典上は,徴兵されると労働契約が解消すると定められています(2111条)が,1946年にこの規定は廃止され,現在は,労働ポスト保持権が認められており,日本法でいえば,法律上の休職権が保障されているという感じです。イタリアでは,労働関係の中断(ないし停止)の一類型と位置づけられています(拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,労働政策研究・研修機構)174頁)。韓国では,在学中に兵役となることが多いそうです。兵役が残っていると,仕事に支障があるので,企業に採用されにくいということのようです。戦前の日本では,どうだったのでしょうか。「赤紙」が来ると,生きて帰ってくることを想定した議論などすべきではないということだったかもしれませんね。日本で,兵役期間中の労働関係というようなことを議論しなければならない時代が来ないことを心より願っています。

2024年8月13日 (火)

官僚たちの夏

 城山三郎が通産官僚のことを描いた作品のことではなく,数日前に日本経済新聞で取り上げられていた霞が関の蒸し風呂状態のことです。エアコンの設定温度が高かったり,夜には切られたりというような劣悪な労働環境で官僚(とくに厚生労働官僚)が働いているということのようです。ちょっと信じられないのですが,これが事実であれば,即刻改善しなければならないでしょう。いつも言っているように,日本の多くはすでに亜熱帯気候だと考えたほうがよく,しかも湿気が多い不快指数が高い国です。国の重要な政策を担う官僚には,きちんとクーラーが効いている良好な環境で働いてもらう必要があります。テレワークの推進ももちろん必要です。

 若い官僚であれば,多少は劣悪な空間でも働けるでしょう。しかし,大学の同級生たちが民間企業で,エアコンが効いて快適な空間,あるいはテレワークや場合によってはワーケーションでばりばりと仕事をして,しかも高給を得ていたりしているときに,なんで自分はこんな環境で働いているのかと思うようになると,官僚志望の人は減り,あるいは転職者が増えるでしょう。

 記事を読んでいると,官僚がかつての炭鉱労働者のような環境で働いていないかと心配になってきました。苦労して働いた経験は将来に役立つことがあるとしても,やらなくてよい苦労もあります。寿命を縮めながらも,日本のエネルギー産業を支えるべく炭鉱労働に従事してくれた人たちのことを思いながら,現代において日本のために働いてくれている官僚にはせめて少しでも涼しい環境で働いてもらえればと思います。有力な政治家には,炭鉱労働者の苦労を知っていなければならない家系出身の人もいるのであり,ここで一声かけて官僚の労働の環境改善に取り組んでもらいたいです。

 盆踊りのシーズン。あまり聞かれなくなった炭坑節を口ずさみながら,そんなことを考えていました(荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」は盆踊りに向いていないと思いますが,なぜかいまでも定番ソングになっています。でも,それだったら炭坑節を流してほしいですね)。

 

 

2024年8月11日 (日)

アメリカ大使欠席問題について思う

  昨年も書いたことですが,86日や9日を,日本のメディアが,広島や長崎に原爆が投下された日と言っているのは,誰が投下したかの主語をはっきりさせない表現で不適当だと思っています。アメリカが原爆を投下した日というようにはっきり言うべきであり,そうしないから原爆投下がまるで自然災害かのような印象を与えてしまっています。補償問題をめぐる日本政府の対応を追及する話に焦点が移ってしまい,それはそれで重要としても,原爆投下という国際法違反の行動をしたアメリカの責任こそが,ほんとうはより重大なことです。これは,当時の日本政府や天皇の戦争責任とは別の問題です。
 そのアメリカの駐日大使が長崎市の式典には参加しませんでした。イスラエルの大使を招待しなかったことと,アメリカの大使が参加しないことは別の問題であり,両者を結びつけて不参加を正当化しているアメリカには,原爆投下への真摯な反省の態度がうかがえません。これこそが報道価値がより高いことです。アメリカでは,報道官にこの点に問いただすやりとりがあったということが,HuffPostで報道されていました「「長崎に原爆投下したアメリカの大使出席は特に重要では?」問いただされた米国務省の見解は」。いつまでも昔の話を引きずるべきではないという意見も理解できますし,ことさらにアメリカと喧嘩するようなことをすべきではないのですが,しかしこの人類史上最もおぞましい出来事の一つである原爆投下,しかも長崎へはトドメの投下であり,この責任について,アメリカに軽く考えられては困ります。日本人としては,せめて1年に1度(8月6日と9日)は,きちんと過去の歴史において何があったかを語り継いでいかなければならないでしょうし,同時に,アメリカの罪を忘れはしないということをアメリカに向けて発信し続ける必要があるでしょう。 
 ということで,長崎市がイスラエルを招待しなかったことの適否はもちろん議論があるでしょうし,アメリカ以外の国がそれにどう対応するかは自由ですが,アメリカだけは違った立場にあるというように思っています。皆さんはどう考えますでしょうか。

 

 

 

 

2024年8月 7日 (水)

株取引と認知バイアスと労働

 日経平均株価の歴史的な乱高下で,とまどっている人も多いことでしょう。余裕資金で運用するようにせよという忠告を聞いている人でも,これだけ急激に下がったり,上がったりということになると,やはり落ち着かないでしょう。余裕資金であるかぎり,何もせずじっとしておいたほうがよいのだと思いますが,何もしないで見過ごすというのは,心理的な負担もあります。
 もっとも,行動経済学でいう「プロスぺクト(prospect)」理論では,むしろ人々は「損切り」をしづらいと言われます。損切りは損害を確定することになり,人々はそうしたことをできるだけ先延ばしにしたがる「損失回避バイアス」があるからです。こうしたバイアスを避けて合理的な判断をするために,一定以上の下落があれば売るというルールを最初から決めておくべきという忠告を受けることもあるでしょう。
 82日と5日の下落では,自身の「損切りルール」を決めていた合理的な人は,とっとと売ってしまったかもしれません。難しいのは,「損切りルール」は,市場の乱高下のようなときにはあてはめるべきではないという点です。「損切りルール」は,個別銘柄において,業績がdownwardになっているような場合には有効なのでしょうが,市場全体が大荒れのときには,嵐が過ぎるのを待つほうがよいのです。ただ,いまが嵐なのかの判断は,普通の場合は難しいので,結局は,投資信託のプロに任せたほうがよいということになるのでしょう。
 ということで,投資信託をつかうのは,合理的な行動といえるのですが,ここでも,なかなか合理的に行動ができないのが人間です。例えば,馬券を買うときに,プロの予想屋の話を聞くのではなく,自分で馬の状態をみたり,いろんな情報を分析したりして,納得して馬券を買うことにしている人がいるように,株も投資信託に任せず,自分で銘柄を選びたいという人もいるでしょう。これは合理的な判断ではないのでしょうが,そこには「コントラフリーローディング(
contrafreeloading)」という認知バイアスが働いている可能性があります。手数料を払っているから完全にfree loadingではないのですが,やっぱり自分で苦労したいという心理が働くことが多いのでしょう。これは「労働」の意味を考えさせるという点でも深い意味がありそうですが,機会を改めてまた考えてみたいと思います。

 

 

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