つぶやき

2023年12月 4日 (月)

プロの力

 OpenAIAltman氏が,CEOを解任され,同社に多額の出資をしていたMicrosoftに入社すると決まったと報道され,4日後に電撃的にOpenAIに復帰するという報に接して,多くの人は驚いたでしょう。私もそうです。展開が速すぎます。復帰劇の背景には,Altmanがいなければ,社員の大多数がMicrosoftに移籍すると言い出したことがあったようです。いったい,この会社のガバナンスはどうなっているのかという疑問も提起されていますが,いずれにせよ社員の力が重要ということがよくわかる出来事でした。生成AIなどのように,知的独創性が求められている最先端の企業を支えているのはプロ人材であり,彼ら・彼女らは自分の働きやすい環境を求めて企業を移っていくのです。AltmanのいないOpenAIは,彼ら・彼女らから選択されず,Microsoftを選択するという意思表明をしたことで,OpenAIは譲歩せざるを得なかったようです(経営陣は刷新されました)。
 プロの時代とは,キャリアに対する自己決定権を取り戻す時代でもあります。自分の能力を最大限に発揮できる企業を,自分で選ぶ時代です。そこでは,雇用という選択肢以外のものも視野に入っているのであり,自営で取引する発注者を選択するというフリーワーカーとしての働き方もあるのです。今後は後者の働き方が増えていくでしょう。
 今回のOpenAIの騒動をみて,経営者が,プロ人材を引き留めることがいかに大切かがよくわかったと思います。働く側は,プロ人材になることができれば,自分のキャリアの自己決定ができるということです。みんなが高いレベルのプロ人材になれるわけではありませんが,経営者との関係を逆転させるには,どうすればよいかということを考えるためのヒントをくれそうな出来事であったと思います。
 なお,私は,今年の4月13日の経済教室(日本経済教室)で,「個人がその能力や適性にあったスキルを磨き,多様なジョブや複数の企業にまたがり,職業キャリア(雇用労働だけでなくフリーランスなども含む)を自律的に実現することこそが優先的な価値となる。諏訪康雄・法政大名誉教授が提唱したキャリア権の保障は,こうした価値を実現する政策の基本理念となる。」と書いていますが,その論考も参考にしてください。

 

2023年12月 1日 (金)

COP28

 121日になり,テレビ体操の背景も変わり,いよいよ冬という感じになってきました。今年は暖冬ということのようですが,光熱費の値上げもあり,できるだけ暖房をつかわないようにしようと思っています。ユニクロのヒートテックにはお世話になりそうです。
 ところで,1昨日に気候温暖化(地球温暖化と書いたほうがよいようなので,そう書きます)のことを書きましたが,ちょうどCOP28UAEで始まりした。世界各国から首脳が集まるそうで,日本からも岸田首相が行くそうです。しかし,素朴な疑問として,世界から多くの人を集めると,その輸送は飛行機であり,大量の二酸化炭素が排出されるわけです。なぜリモート会議でやらないのでしょうか。この種の会議は対面型でやるのがよいということかもしれませんが,本気で地球の温暖化のことを考えるならば,飛行機を使わないで会議を開くということこそ強いメッセージになるでしょう。
 なぜ産油国のUAEで開くのかというのも気になります。あえて産油国で開催して,脱石油を打ち出すといことであれば意味があるでしょうが,そういうことでもなさそうです。
 政治がイニシアティブをとり国際的に協調しなければ,地球温暖化に取り組めないというのは,そのとおりなのですが,日頃から地球温暖化について目立った発現をしているようには思えない岸田首相が行く必要があるのかという疑問もあります(そもそも国内でやることいっぱいあるはずでしょう。Biden大統領も行かないそうです)。本来なら,環境大臣がいるのだから,その参加で十分ではないかと思いますが,岸田流の「適材適所」による人事ですから,非専門大臣には任せられないということでしょうか。そういえば,COP25では,当時の環境大臣である小泉進次郎氏が目立っていた気がします(彼は,いまはライドシェア解禁で頑張っているようですね)。
 地球温暖化はそのしわ寄せがとくに途上国に行っているという意味で南北問題でありますし,欧州の自動車のEV戦略の迷走などをみていると,国際政治やビジネスとしての意味合いも強いです。いろいろな利害がからまっているのでしょうが,各国の政治家がわざわざ飛行機をつかって対面で集まるというのですから,せめて,地球の未来を考えたときに,なにを協力してやれるのかを真剣に議論して何らかの成果を残してほしいですね。

2023年11月29日 (水)

魚からの警告

 私が気づいていないだけかもしれませんが,気候温暖化のことが,あまり議論されなくなっているような気がします。自動車産業のEVシフトややいろんな産業での脱炭素化ということは耳にしますが,もっと大きな視点で地球の未来を語ってくれる経営者がどれだけいるかということが,少し気になります。ESGという言葉も,これが定着したからなのか,それともブームが過ぎたのか,あまり耳にしなくなりました。菅政権のころに言われていたGXは,いまどうなっているのでしょうかね。環境大臣の名前もすぐには出てきませんね。
 ただ,スタートアップ企業などをみていると,社会にある様々なニーズをうまくとらえるビジネスがやはり成功しているようであり,そうした社会のニーズは地球の持続可能性を意識したものが多いと思います。若者をはじめ,人々の価値観も変わってきているはずです。ビジネス面でも,やはりESGは無視できないものでしょう。
 ところで,気候温暖化の影響は,自然の世界で最もわかりやすく発現するのであり,その代表例が魚の動きです。かつては福岡で穫れていたふぐが,北海道で大量に穫れるようになったということを,先日のNHKの朝のニュースが伝えていました。海水温の上昇のためです。北海道ではふぐを食べる習慣があまりなく安く買えるようですが,それだったら飛行機代を払ってでも北海道に行きたいと思う関西人は多いでしょう。10年ほど前に,お祝いごとのために,わざわざ博多に行って「い津み」という名店でふぐ料理を食べたことがあり,ふぐと言えば,下関か福岡かという感じだったのですが,もうそうではないのかもしれません。
 今朝の日本経済新聞の春秋では,鮭についても,同じようなことが書かれていました。福岡で穫れるものが北海道で穫れるようになるということは,北海道で穫れるものがロシアなどの外国に行かなければ獲れなくなるということです。これは困ります。魚は日本人にとっては文化です。でも,ほんとうはこれは単なる食文化の話にとどまらないのでしょう。魚が人類の危機を警告してくれているととらえるべきなのです。気候温暖化のことを,みんなと一緒にもっと真剣に考えていきたいと思います。

2023年11月25日 (土)

東芝の思い出

 東芝が非上場化するというニュースが出ていました。非上場化は,経営陣が,アクティビストの声を気にせず経営に専念できるというメリットがあると言われています。東芝は,JIP(日本産業パートナーズ)の傘下で経営再建をめざすそうです。
 東芝の場合には,国の政策が見え隠れしており,つぶすにつぶせないという独特の存在価値がある会社のようです。外資に狙われては困る会社でもあります。その一方で,歴代社長が不正会計問題で,刑事裁判に問われるなど,問題のある会社でもあります。
 実は,東芝には思い入れもあります。30年ほど前にMilanoに留学したとき,Duomo広場の北側にあった「TOSHIBA」という看板をみて,よく日本を思い出したものです。いまのようにインターネットがなく,日本の情報があまりほとんど入ってこない時代で,お金がないなか,1日遅れで,日本で発行されるものとは違い情報も多くない日本経済新聞(6500リラ(約650円))を,Duomo近くの新聞販売店(Edicola)で週に何日か,無理して買っていたくらいです。東芝の看板は,懐かしい故郷を思い出す貴重なものでした。それにイタリアに持っていったパソコンはDynabookでした。研究室の同僚イタリア人からは,物珍しそうにみられました(研究室のパソコンはMacintoshだったと思います)。日本のことが,まだそれほど知られていなかった時代に,高性能のノートパソコンを持ち歩く日本人の存在は珍しかったと思います。留学の思い出とDynabookは切っても切り離せないものなのです。東芝の衰退は,その意味でも悲しいことです。復活を期待しています。

2023年11月23日 (木)

強制ボランティアは概念矛盾

 今日は阪神とオリックスの優勝パレードがありました。神戸と大阪でそれぞれ行なわれ,神戸では午前中は阪神,午後はオリックスでした。天候もよく,多くの人が集まったようです。
 ところで,少し興ざめになるような話で申し訳ないのですが,やや気になったのは,毎日新聞にあった記事(「阪神・オリパレードへの府市職員動員 「ボランティアではない」」)です。実際に,どうなったのかわかりませんが,記事どおりですと,大阪府と市の職員がボランティアで駆り出されているというのです。職員が真に自発的にやっている場合はかまいませんが,事実上の強制があるとすると,これはボランティアとはいえませんよね。ボランティアは,イタリア語の同じ意味の言葉であるvolontarioという言葉をみてもわかるように,volontà「意志」という言葉から来ています。名詞ではボランティアの人ですが,形容詞では,自由意志による,というような意味です。仕事上の関係のある上司からボランティア活動するよう求められたとき,自由意志によるというのは,なかなか考えにくいというのが,労働法的な発想です(公務員でも同じでしょう)。
 民間企業においても,こういう大きなイベントであれば,事実上の強制ということが起こりそうですが,もちろん業務として命じる根拠がなければ,労働者は拒否できます。根拠があっても,処遇面は別の話であり,たとえばそれが就業規則上の休日でのことであれば,就業規則に基づく手当が請求できますし,法律上の休日(週に1日の休日)にあてはまれば,割増賃金の対象となります(三六協定も必要です)。労基法上の休日労働ではなくても,時間外労働による割増賃金が発生する可能性もあります(ここでも三六協定は必要です)。代休を付与したらどうなるかというのは,休日の振替をめぐる有名な論点であり,これは労働法の本を読んで確認してください。
 いずれにせよ職員は,知事や市長の駒ではないので,どうしても金を使えないというのなら,知事・市長みずからが,自分でボランティアを集めればいいのです。職員だからボランティアを頼みやすいというのはおかしいです。ボランティアに頼るという以上,むしろ仕事上の関係のない人に頼むということにしなければおかしいでしょう。
 そもそもほんとうに重要な行事であれば,きちんと税金を使って警備の人を雇うということにすべきではないでしょうか。維新は,倹約の仕方を間違っているような気がしますね。使うべきところに使わなければ,よい政治はできないでしょう。なお,神戸のほうのパレードについては,「兵庫県と神戸市の職員はいずれも公務扱いで休日出勤となり,代休が取れる」と書かれていました。

2023年11月21日 (火)

試験監督

 昨日の4限の授業が終わったあとに,昨年のLSの労働法の受講生で,先般,司法試験に合格した3名が,わざわざ挨拶に来てくれました(ほかにも昨年の労働法受講生の合格者は結構いて,労働法での合格率は高かったようなので,ひとまず責任を果たせたというところでしょうか)。私の期末試験を経験していたので,司法試験の本番の問題がやさしく感じたと言ってくれました。授業では試験に役立つことはあまり話していないつもりですが,そんななかでも授業から何か労働法の面白さを感じ取ってくれた人が,弁護士へと旅立ってくれるのは嬉しいことです(3人とも弁護士志望)。彼らの今後の活躍を心より期待したいです。
 司法試験は,今年度から,法科大学院に在学中での受験もできるようになりました。試験制度がよく変わるので,こちらはついていくのが大変ですが,教師としてやることには変わりはありません。
 先日は神戸大学の法科大学院の入学試験(筆記試験)もありました。1セット2時間の試験を3セットやるということで,私には想像もつかないくらい過酷なことだと思うのですが,受験生の集中はものすごいもので,いつもながら驚いてしまいます。受験生の意気込みに圧倒される一方で,試験監督をやるほうは,たんに監視しているだけで,これを2時間×3の6時間集中して行うことは不可能です。ここからは,いつもの愚痴です。こういうのを教員にやらせるというのはまったく非効率であり,機械ができることは機械にさせるという方針で臨んでもらいたいです。そもそも人間が監督しても,学生とはテンションが全然違う(試験監督を好きでやっている研究者はいないので,みんな前向きには取り組めません)ので,低いテンションが伝わって,受験生の邪魔になっていないか心配です(もちろん,そうならないように配慮はしています)。だからといって,気合を入れて監督すると,それもまた受験生に余計なプレッシャーがかかるので迷惑なことでしょう。監視カメラを設置して,おかしな動きをAIで解析してもらうほうが,学生にとっても邪魔にならないし,教員は苦役から開放されるし,結果として,不正行為をする学生の摘発可能性が高まるというように,よいことばかりなのです。
 受験生が人生をかけて真剣にやっているのに不謹慎なことを言うなと言われそうですが,そういう精神論が働き方改革を阻害するのではないでしょうかね。いつも同じようなことを言っているのですが……。

2023年11月18日 (土)

宝塚のイメージダウンを避けてほしい

 11月16日の日本経済新聞の春秋で,宝塚に住んでいたことがある手塚治虫さんと宝塚歌劇との関係のことが書かれていました。実は私も,幼いときに神戸から宝塚に転居して,小学校2年まで住んでいました。駅から10分くらいのところで,宝塚歌劇と当時あったファミリーランドという動物園+テーマパークはとても身近な存在でした。母が生前,幼い私を抱いて宝塚駅から阪急電車にのると,劇団員の女の子たちが,よく声をかけてくれたという話をしていました。宝塚から西宮に引っ越したあとも,妹たちが母と宝塚歌劇をよく観に行っていて,鳳蘭,榛名由梨,安奈淳というような名前を,よく食卓で耳にしていました。ベルばらは,日本中の誰もが知っている作品でしたね。ということで,前にも書いたように,最近の劇団員の死亡事件は辛い話です。一昔まえまでは当たり前であったことが通用しなくなっていることでしょう。これは,ここだけの話ではありません。宝塚歌劇が「近代化」をするためには,抜本的な組織改革をすることが不可欠でしょう。
 映画の「阪急電車―片道15分の奇跡」(原作は,有川浩『阪急電車』)にもあるように,阪急電鉄の今津線の各駅は個性があります。私にとっても,いろいろな思い出がつまっている線です。宝塚南口駅にある宝塚ホテル(いまは移転),逆瀬川(さかせがわ)駅からバスで行った温泉スパのチボリ(いまは廃業),小林(おばやし)駅にある聖心女子学院,仁川駅にある阪神競馬場(私は競馬はしませんが,競馬があるときは,人があふれていて,ハズレ馬券が散らばっていたことが印象的です),甲東園にある関西学院,門戸厄神(もんどやくじん)にある同名の神社,そして大阪と神戸の中間地で神戸線の特急がとまる西宮北口です(西宮東口,南口,西口という名の駅はありません)。昔は,そこからそのまま阪神国道駅を経て,今津駅までつながり,阪神電車と接続していました。いまは今津まで行くときは,いったん西宮北口駅で乗り換えが必要です。
 野球は阪神ファンですが,住んでいるところをはじめ,生活の大半は阪急色でしたし,それはいまもあまり変わっていません。現在は神戸線沿線にいますが,今津線沿線で長く住んでいた私としては,その起点である宝塚は大切な場所です。そのイメージがいま悪化しているのはとても悲しいですね。

2023年11月 9日 (木)

還暦

 コロナ禍で中断していた高校時代の旧友との年2回の飲み会(まあ,プチ贅澤グルメの会という感じでしょうか)を,この夏に復活させたのですが,これまで4人で集っていたのが3人に減ってしまいました。友人といっても,年賀状を廃止した私は基本的には連絡をとっておらず,この飲み会のときにだけ会うという薄く長い関係なので,その間に彼(Mと呼びます)が死亡していたことに気づきませんでした。仲間の一人が自宅まで行ったところ,すでにMの自宅は処分されていたとのことでした。昨年のことであったようで,Mは還暦までたどりつけませんでした。
 Mは子どものときから秀才のほまれ高く,東大文1⇒法学部というエリートコースを歩んでいたのですが,どういうわけか司法試験には縁がなく,本人の能力をまったく活かせない仕事にずっとついたままでした。昨日,司法試験の合格発表がありましたが,旧試のころは,ほんとうに狭き門で試験地獄に陥る人が少なくありませんでした。貴重な頭脳が無駄になってしまったと思わざるをえません(本人は気にしていなかったような気もしますが)。いまでは試験回数の制限がありますが,もっと早く設けていてほしかったですね。
 Mは,最後に会った2020年2月に,その年の3月でリタイアすると言っていました。お金も十分に貯めたということでしょう(いま流行りのFIREですね)。その後は,自家菜園などで悠々自適の生活を送っていると思っていましたが,おそらく病気だったのでしょう。残念なことです。独身で子どももいませんでした(おそらく)。
 年に2回という付き合いだったものの,ぽっかり穴があいたような気分です。還暦にもなると,そろそろそういう同世代の人が増えてくるのかもしれません。飲み会の仲間は,私以外には,私よりももっと社会に役に立たなそうことをやっている英文学者と,社会にたぶん貢献しているであろう精神科医だけとなり,企業人などは周りにいないので,話題は仕事の話はほとんどなく,健康のことや子どものことなどです。Mがいなくなると,いっそうそうなるかもしれません。昔はワインのボトルをガンガン空けていましたが,お酒の量も先日は少し減ったような気がします。着実に体力は衰えてきていますが,まだ先は長いです。ここまできたら,無理をせず,マイペースな生活を続けて,Mの分も長生きしたいなと思います。

2023年11月 7日 (火)

自己責任の覚悟

 学部の少人数授業(2年生向け)で,東芝柳町工場事件・最高裁判決を扱いました。労働法の知識がない法学部生が,この判決をどうみるのかは興味深いところですが,驚いたことに,大半はネガティブな評価をしていました。契約で2カ月となっている以上,何回更新しても,2カ月という期間の契約をかわしていたことに変わりはないので,雇止めが実質的に解雇の意思表示とみられ,解雇の法理が類推されるということに違和感があるようなのです。これがLSの授業ですと,最高裁判決に異論を唱える学生はほとんど出てこないのですが,学部学生だと,契約は守るべしというところから出発するので,最高裁判決には賛成できないようです。法学でよく出てくる「実質論」の「いかがわしさ」を直感し,それを拒絶する潔癖感が出ているという言い方もできそうです。もちろん,それは若く未熟な議論と切って捨てることもできるのですが,それは危険なことです。安易に実質論に流れてしまうと,法学にとっての生命線といえる,法律を使った論理的な議論というものが揺らいでしまいます。ただ,法律の使い方としては,実質論をふまえたうえで妥当な結論を出すことも大切だということを学生たちに知ってもらう必要があります。最高裁が,形式論と実質論のバランスをどうとってきたかを,本講義で(批判的に)学んでもらえればと思っています。
 ここ数回の授業でふと感じたのは,学生たちのなかにみられる自己責任に対する覚悟です。たとえば契約で合意をすれば守らなければならないというのも自己責任ですし,対企業関係では労働者は弱者であろうという労働法を学習した後は常識となることについても,学習前の学生たちは,そこまで労働者は弱者なのか,企業だって中小企業であれば決して強者ではないのではないか,という感覚をもっているようです。とはいえ,自分自身は強者ではないので,これから社会に出ていくのには不安があるとも感じているようです。学習前の学生たちは,労働法のようなもので守られないことを前提に,どうやって自分で生き延びていくかを考えようという姿勢があるように思います。それが,これから労働法を学んでいくことによって,そこまで頑張らなくても労働法で守られているから何とかなると思ってもらっては困りますね。
 かつて『君の働き方に未来はあるか?~労働法の限界と、これからの雇用社会~』(2014年,光文社新書)という本を上梓し,労働法に頼らない働き方について論じたことがある私としては,学生たちがもっている「覚悟」を頼もしく思うと同時に,その気概をこれから学習を深めていっても失わないようにしてもらいたいと思っています。

2023年10月14日 (土)

飲み会

 宴会の開催は,私のまわりでも少しずつ復活しており,先日も,労働委員会で委員の交代があったことから,歓送迎会があり,参加してきました。大学でも,来週,久しぶりにそういう会があります。存在を忘れられないようにするために,たまには参加しようと思っていますが,コロナ以降,外では親族以外と飲食をすることがなくなっていて,初めての人と飲食の席をともにするのは,どうも落ち着きません。そもそも外では酒を飲むペースがわからなくなり,ついつい飲み過ぎてしまいがちです。ワインは自分のペースで自分の好きなものを,自分のお金で飲むほうがいいです。食事も同様で,食べたいものを,自分で注文して食べるほうがいいです。それに,飲んでいると,他人に気をつかいながら飲食することを途中で忘れてしまい,迷惑をかけてしまいそうで心配です。
 学生との飲み会となると,もっとためらってしまいます。ついつい昭和世代の悪い癖で説教めいたことを言ってしまうおそれは十分にありますし,酒の席だからここまではよいというような基準は,まったく共有されていないでしょうから,学生からやりすぎと言われるおそれがあり,そういうことなら,最初からやらないほうがよいと思います。パワハラやアカハラと言われると大変ですからね。そもそも交流を深めるというのは,酒を飲まなくてもできるのであり,必要不可欠なものではありません。気心が知れている人たちとの間でならばともかく,そうでなければ,あえて飲み会をしなくてよいように思えてきました。
 そういう私も,昔は飲み会が大好きでしたが,だんだん面倒になってきました。そういうことを言う人が同世代のなかで増えている感じがします。みんな年をとってしまったのかもしれません。ただ,ゼミのOB会は,もう長い間やっていないので,いつかはやりたいですね。神戸労働法研究会もかつては研究会後に毎回飲みに行っていましたが,オンライン開催にともない,それもなくなりました。数年前に一度,オンライン飲み会をしましたが,それでもよいかなと思っています。でも私から声をかけることはないでしょう。
 飲食店の人に聞くと,やはり飲み会は減っているようです。ほんとうに親しい人だけで飲みに来て,時間もそんなに遅くまでいないということが多いようです(でもそんなに売上が減っているわけではないようです。3時間いても,2時間いても,つかうお金はそれほど違わないのかもしれません)。コロナで日本の飲み文化も大きく変わったのかもしれませんね。

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