教育の質の低下と宇沢理論
最近,教育の現場に対する信頼が揺らいでいると感じます。学力の低下や教員の過重労働といった構造的な問題に加え,信じがたい事件が報じられることも増えました。たとえば,小学校の男性教員が女子児童を盗撮し,SNSで画像を共有していたという報道は,教育者としての倫理以前に,人間としてのモラルが崩壊しているとしか言いようがありません。このような事件が起きてしまう教育現場に,子どもを安心して預けられるのかと,深い不安を覚えます。
最近,経済学者・宇沢弘文氏の『社会的共通資本』(岩波新書)を読み直しています。宇沢氏は,教育・医療・環境など,人間が豊かに生きるために不可欠な制度や資源は,市場原理に委ねるべきではなく,専門家集団が公共性と倫理に基づいて運営すべきだと説いています。何を社会的共通資本と捉えるかは人によって異なりますし,私は労働それ自体も含められるのではないかと考えていますが,いずれにせよ教育はまさに社会的共通資本の典型だと思います。
本来,教育は,人類社会が築いてきた文化と価値の継承であるはずです。しかし,近年の教育の現場では,成果主義的な発想や効率重視の姿勢が強すぎて,教師は,現場の成果管理者のような扱いになってしまっていないでしょうか。その結果,教育の本質が見落とされ,倫理や使命感が後回しにされてしまっているのではないでしょうか。今回のような教員による性加害事件は,教育の「商品化」がもたらした副作用の一端かもしれません。
子どもたちの未来を守るために,教育のあり方を根本から問い直す必要があると強く感じます。そしてその問い直しの出発点として,宇沢弘文氏の思想は,教育をどのような公的サービスと位置づけ,そして,そこにどのような人を配置すべきかということを考える際の重要な示唆を与えてくれます。そして,この面でも,AIの活用は重要なポイントとなると思います。人類の文化や価値の継承をAIにゆだねるのは情けないと考える人もいるかもしれませんが,むしろAIを活用して,どう人類の文化や価値を継承するかということを考えていく必要があるのです(AIという魔物をうまく使ってやれ,という気概でしょうかね)。

