対話によって学ぶということ
ソクラテス(Socrates)は,自ら文書を残さず,対話を通じて人々に問いを投げかけました。私たちが今日,ソクラテスの思想を知ることができるのは,プラトン(Plato)がその内容を対話篇として書き残したからです。しかし,ここで考えてみたいのは,文書を通じて知恵や情報を伝えることと,その場で対話をしながら知恵を授けることとは,同じなのでしょうか,ということです
たとえば,プラトンの『ソクラテスの弁明』を読んで深く感銘を受けたとしても,それだけでソクラテスの弟子になったとは言えないでしょう。師弟関係というものは,師が書いたものを読んだというだけで成立するものではありません。対話を重ね,問いを投げかけられ,ときには考えを否定されながら,師の思考の進め方を直接学ぶ。そのような過程を経て初めて,「師から教えを受けた」と言えるのではないかと思います。
もちろん,書物から学ぶことは大切です。むしろ,本当に教えを受けたいのであれば,まずその人の著書や論文を読み,何を考えているのかを自分なりに理解したうえで,会いに行くのが本来の筋でしょう。私はこれまで,「とりあえず一度会って話を聞きたい」という依頼は,基本的にお断りしてきました。まず書いたものを読んでもらわなければ,対話の出発点すらつくれないからです。
とはいえ,教育という点でみると,書物だけで完結するものではありません。対面での授業には,言葉の内容だけでなく,間の取り方,表情,声の調子,その場での応答など,文章には残らない多くのものがあります。リモート授業も,物理的には離れていても,相手の反応を見ながら言葉を交わすことができるという点では,一種の対面です。少なくとも,書物を一方的に読むだけの学びとは違います。
では,対面であれば,しっかり学生に知恵を授けるというようなことはできるかというと,私には自信はあまりありません。自分にもよくわからないことが多いので,少人数授業では,学生と一緒に考えるという形にならざるを得ませんでした。授業方法自体も試行錯誤で,とくに学部の授業は,毎年大きく違います。師がしっかりした知識を授けるというような。古典的な師弟関係と呼べるようなものを,結局,誰とも築けないまま,教師人生を終えることになるのかもしれません。それでも,ソクラテス的な方法で,学生に「自分がいかにわかっていないか」に気づいてもらう教育は,多少なりともできたのではないかと思っています。知識を与えるのではなく,問いによって思考を揺さぶり,自分の理解の不十分さに気づかせるという教育です。こうしたソクラティック・メソッドは,明確な答えや知識をすぐに得たい学生には,あまり向いていないかもしれません。しかし,本当に賢くなりたいのであれば,これほど有効な方法はないと思っています。
師の思想や考え方を,書物だけでなく,対話を通じて肌感覚で学びたいという関係は,どこか寺子屋的でもあります。大学を定年になった後も,理想的な「師」となれるかはともかく,小さな学びの場を続けることができればと思っています。

