労働判例

2022年6月23日 (木)

山形大学事件・最高裁判決に思う

 前にこのブログでも採り上げた,山形大学事件・仙台高裁の判決は,上告審で破棄されました。労働委員会としては一安心というところです。最高裁が,誠実交渉義務について割とくわしく述べるという副産物までありました。
 本判決は,第二鳩タクシー事件・最高裁大法廷判決の原点に返ったのだと思います。同判決を参照して,次のように述べました。
 「労働委員会は,救済命令を発するに当たり,不当労働行為によって発生した侵害状態を除去,是正し,正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復,確保を図るという救済命令制度の本来の趣旨,目的に由来する限界を逸脱することは許されないが,その内容の決定について広い裁量権を有するのであり,救済命令 の内容の適法性が争われる場合,裁判所は,労働委員会の上記裁量権を尊重し,その行使が上記の趣旨,目的に照らして是認される範囲を超え,又は著しく不合理であって濫用にわたると認められるものでない限り,当該命令を違法とすべきではない。」
 大法廷判決は,労働委員会の裁量が広い理由を,「使用者の右規定違反行為に対して労働委員会という行政機関による救済命令の方法を採用したのは,使用者による組合活動侵害行為によって生じた状態を右命令によって直接是正することにより,正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復,確保を図るとともに,使用者の多様な不当労働行為に対してあらかじめその是正措置の内容を具体的に特定しておくことが困難かつ不適当であるため,労使関係について専門的知識経験を有する労働委員会に対し,その裁量により,個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し,これを命ずる権限をゆだねる趣旨に出たものと解される」としています。
 いずれにせよ,今回の判決が,「正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復,確保を図るという救済命令制度の本来の趣旨,目的」が再確認されたことは,当然とはいえ,重要な意味をもっています。仙台高判の内容は,最高裁のまとめをそのまま引用すると,「本件命令が発せられた当時,昇給の抑制や賃金の引下げの実施から4年前後経過し,関係職員全員についてこれらを踏まえた法律関係が積み重ねられていたこと等からすると,その時点において,本件各交渉事項につき被上告人[大学側]と上告補助参加人[組合]とが改めて団体交渉をしても,上告補助参加人にとって有意な合意を成立させることは事実上不可能であったと認められるから,仮に被上告人に本件命令が指摘するような不当労働行為があったとしても,処分行政庁が本件各交渉事項についての更なる団体交渉をすることを命じたことは,その裁量権の範囲を逸脱したものといわざるを得ない」というものでした。
  団体交渉の目的を,労働条件についての合意の達成に限定し,それが事実上不可能であれば,団交を命じることは労働委員会の裁量を超えるとしたものといえますが,労組法72号で団体交渉拒否が不当労働行為の一類型に含まれ,労働委員会による救済が認められているのは,上記の大法廷判決に即していうと,団体交渉拒否が組合活動侵害行為の一類型であり,それにより集団的な労使関係秩序が乱されるので,それは専門的な知識経験に基づく労働委員会の命令により回復することが必要だということなのです。誠実交渉義務違反があったとの判断の適法性は司法審査に服しますが,いったん侵害された労使関係秩序をどのように回復させるかは,その要否も含めて,労働委員会が広い裁量をもって判断できるというのが,最高裁大法廷の述べていることです。
 仙台高判は,3重の意味で誤っていたのでしょう。第1に,誠実交渉義務によって乱された集団的労使関係秩序が,時間の経過だけで回復したかどうかという視点が欠落し,「有意な合意」の達成の事実上の可能性だけしかみなかったこと,第2に,誠実交渉義務においては,要求事項についての合意達成の可能性の真摯な模索が大切なのですが,それは要求を受け入れない,あるいは受け入れられない場合であっても,それについて労働組合の納得を得るように,十分に説明する義務があるという点を見落としていることです。第3に,根本的な話として,労働委員会が,何のために存在し,どういう点に着目して不当労働行為の救済という仕事をしているのかについての理解が不十分であったことです。
 最高裁は,当然とはいえ,まっとうな判断をしたと思います。差戻審では,不当労働行為の成立については否定される可能性が残っていますが,労働委員会の救済命令について,過剰な司法審査は排除されるべきということが確認されさえすれば,この最高裁判決は十分に意味があったといえます。
 なお,この判決をめぐっては,誠実交渉義務違反が,どのような意味で不当労働行為となるのか,という理論的な難問も実は関係しています。これは上記のように,集団的労使関係秩序の侵害という観点から説明されるのでしょうが,仙台高判(および山形地判)のような考え方が出てきたのには,団体交渉の要求事項が組合員の労働条件である場合,組合員の個別的利益と組合固有の集団的利益が交錯し,そのなかで(結果として)個別的利益を重視する視点があったのではないかということです。個別的利益の救済可能性がなければ,不当労働行為の救済も不要と単純に考えてしまったのではないかということです。第二鳩タクシー事件は,1号事件における個別的利益と集団的利益の関係が論じられたものであり,反対意見もあったことから,最高裁内でもこの点について激論がかわされたことが推察されますが,多数意見も集団的利益の固有性(独自性)を認める判断はしています。2号事件は,1号事件と違い,漠然と集団的利益を守るものと考えられてきたとは思いますが,でも要求事項に関係する個別的利益(実質個別紛争だけでなく,このケースのように集団性のある個別的利益というものもありえます)について回復可能性が事実上ないという場合に,集団的利益を軽視すると,仙台高裁のような判断が出てしまうのでしょう。不当労働行為救済制度における個別的利益と集団的利益の関係は,私の修士論文以来のテーマであり,依然として理論的に解決されていないと思っています。そして,理論的な検討が不十分であると,今回の下級審のような不適切な判決が出てしまう可能性があるということです。これは研究者の責任です。

2022年5月29日 (日)

M機械事件

 追い出し部屋の実態を裁判所が克明に認定したM機械事件(別に会社名を書いてもいいですが,いちおう配慮してMとしておきましょう)の東京地裁判決は,会社側がどうして和解できずに判決にまで至ってしまったのかと思ってしまいますが,この判決文のパワハラの実態を知ってしまうと,この会社に入社しようとする人はいなくなるのではないかと心配します。それはともかく,法的には,この判決の前半部分の,試用期間の延長の可否という論点が興味深いです。裁判所は,就業規則上は明文の根拠がないもののの,試用期間の延長ができることがあるとしています。試用期間は,留保解約権が付着していて,労働者の雇用を不安定ならしめるという意味で,労働者に不利な面があるのですが,すでに留保解約権が有効と認められるような状況にあり,そのうえで能力や適性をさらに判定するために,試用期間を延長しようというのは,労働者にとって有利な面もあるので,試用期間延長イコール労働者に不利,とは決めつけられないところです。そういうことも考慮したのか,裁判所は,一定の要件下での試用期間の延長の合意(最終的に6カ月まで延長)を肯定しています。ここでポイントになるのは,就業規則における試用期間3カ月という規定と,試用期間を延長する個別の合意との関係を労働契約法12条の問題とみていることです。もし同条の問題だとすると,試用期間を延長する個別合意はいっさい認められなくなります。しかし,労働契約法12条の定める最低基準効は,就業規則に「違反」する労働契約の効力がどうなるかというを定めたもので(同条の見出しは「就業規則違反の労働契約」),その労働契約の効力を論じる前提として「違反」があったかどうかをみる必要があります。文言だけをみると,「基準に達する」かどうかを問題とすべきことになりますが,その「達する」かどうかという点も,「違反」の有無を問題とすべきことになるのです。本件のような場合に「違反」があったかどうかは,就業規則の趣旨をどう解するかによりますし,さらに労契法12条の趣旨からも,禁反言の原則に実質的に反しないような場合,すなわち労働者が自由かつ対等な立場で就業規則に抵触する労働契約を締結した場合には,12条は適用されないとする解釈も可能です。というようなことを,実はかつて毛塚勝利先生の古稀記念の論文集に寄稿した「就業規則の最低基準効とは,どのような効力なのか」山田省三ほか編『労働法理論変革への模索』(2015年,信山社)113頁以下で論じています。同論文は,日本労働研究雑誌680号の学界展望(「労働法理論の現在~201416年の業績を通じて」(2017年)でも取り上げていただいていますが,すでに労働法学ではおそらく誰からも忘れられている論文です。とはいえ,私自身は,最低基準効を突き詰めた基礎理論的な論文を書いたつもりで,こういうのが,ときどき具体的な事案の解決で「活用」可能なことになるのが,おもしろいです。ということで,この事件でも,試用期間の延長について,十分にインフォームされていて同意をしたものであれば,有効とする余地があるということになります。現在の私の人事労働法の議論では,納得同意を得ていれば有効としてよいという主張になります(『人事労働法』(弘文堂)では,40頁の補注⑶の最後に一言言及しているにすぎませんが,その前提には,上記の論文で展開した理論的検討があるのです。上記論文は,参考文献として,同書31頁に挙げています)。
 なお,試用期間の延長の合意が認められても,解雇(留保解約権の行使)が有効となるとはかぎらず,本件では,解雇を有効とするのは難しい事案であったと思います(本件では,判決は,試用期間の延長は認められないと判断し,その後の解雇は試用期間中の留保解約権の行使ではなく,普通解雇によるものと善解したうえで,結論として解雇は無効)。私は試用期間における解雇制限には副作用が多いと考えており,2007年に初版を刊行した『雇用社会の25の疑問―労働法再入門』(弘文堂)でも,実は最初に書いた原稿は,第9話「会社は,試用期間において,本当に雇用を試すことができるか」でした(第3版まで,内容を多少修正しながらも,このテーマは維持しています)。今後,ジョブ型の即戦力採用が増えてくると,試用期間の果たすべき役割がより大きくなります。長期的な労働契約関係の初期段階である試用期間の特徴を前提とした三菱樹脂事件・最高裁判所大法廷判決の射程は狭くなります。ただ,ジョブ型が増えても,企業は,試用期間中の解雇は容易にできると安易に考えてはだめです。私見では,どのような能力や適性を必要とするのかという採用基準を具体的に明確にし,その要件に合致していない場合でなければ解雇できないのであり[修正しました],ただそのハードルを超えさえすれば,解雇回避努力の要請は原則として課されず,そのあとの要件は,きちんと誠実説明を行う手続義務に収斂されるのです(拙著『人事労働法』110頁および208頁以下を参照)。本件は,採用基準の明示が不十分であった可能性があり,そうなると,人事労働法の観点からも,解雇が無効とされることになります。
 政策的には,試用期間中(だいたい6カ月くらいまで)の解雇規制は緩和してよいと思いますが,そのときでも,きちんと手順を尽くす必要があるのです。そういうことを果たしていれば,本件のような企業にとって不名誉となる判決が出なかったかもしれません。納得同意の重要性を再認識する事件だと思います。
 法律論はともかく,私のような尖った人間は,本件で解雇されたような新入社員にシンパシーを感じないわけではありません。判決も,社会人経験のない若者への暖かい目線を感じられます(裁判官も,尖った人なのかもしれません)。ただ,立場が変わって自分の部下にこういう人がいたら困るだろうというのも率直なところですね。パワハラ発言をした上司としては,内定の段階で,きちんと人物を選別していてほしいと思っているかもしれませんね。

 

 

2022年5月28日 (土)

労働判例百選(第10版)

 『労働判例百選(第10版)』は,今回は執筆者ではないので,自分の研究費で購入しました。判例百選は振り返ると,2002年の第7版で初めて執筆に加えていただき,第8版と第9版まで書かせてもらいました。事件は,それぞれ高知放送事件・最高裁判決,第四銀行事件・最高裁判決,パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件・最高裁判決でした。第9版は,すでに評釈を書いていた事件であり(第8版もそうでしたが),同じようなことを書いても意味がないと思い,自説を「180度回転させて」,すでに発表している評釈とは正反対のトーンで書いてみました。読者には読み比べてもらえると教育的効果があると思ったのですが,この試みは成功したかはよくわかりません。いずれにせよ,この原稿は,自説によるものではないので,私の業績リストには加えていません。まあ,こういうこともあって,判例百選は第9版で引退となりました。短い間でしたが,どうもありがとうございました。編者の先生には心より感謝しています。判例百選の執筆者に名を連ねるということは,現役バリバリということを意味するので,少し寂しい気がしますが,今回の執筆者には,私の知らない研究者の名前もたくさんいて,世代交代があるのは読者にも新鮮でよいことでしょう(今回はオランゲレル(烏蘭格日楽)さんも入ってよかったです)。拙著の『最新重要判例(第7版)』(弘文堂)は,ロートルの私が一人で200の判例を扱うという無謀なことをしていますが,『労働判例百選』の良い意味でのコラテラルな効果に便乗して,労働判例の理解の広がりに貢献できればと思っています。
 選択判例を見比べると,ほとんど重なっていますが,『労働判例百選』のほうが収録判例が少ないにもかかわらず,私が採り上げていないテーマも採り上げられていて(障害者雇用など),拙著の第8版がもしあるならば,判例選択の参考にさせてもらおうと思っています。また,同じ項目でも,違う裁判例が採り上げられているものもあり,私のほうが保守的な選択をしている感じがしましたが,拙著では解説で新しい動向を書こうとしている点の違いによるものだと思います。
 それはともかく,一読者としてコメントをいうとすれば,本を開けた瞬間,余白が少ないなと思いました。できるだけ多くの情報を盛り込もうとしたのでしょうかね。事件によっては,文献の引用がやや多すぎるのではないか,と思うところもありました。巻末に文献一覧を載せて,文中では引用を簡略化したほうが(菅野・2019など),読者にとっては読みやすいのではないかと思いましたが,判例百選にはすでに固まった様式があるのかもしれませんね。

 

 

2022年4月24日 (日)

人事労働法からみた労働者派遣法40条の6の問題点

 昨日の神戸労働法研究会で,東リ事件・大阪高裁判決についてオランゲレルさんに報告してもらいました。何度検討しても,いろんな論点が出てくる判決です。
 私は,ビジネスガイド(日本法令)に連載中の「キーワードからみた労働法」の第177回「労働契約申込みみなし制part2」のなかで,この判決に言及しています。その原稿のなかでもふれたのですが,労働者派遣法40条の8(厚生労働大臣の助言等の規定)が注目される規定です。発注企業は,偽装請負かどうかの判断について,厚生労働大臣(都道府県労働局長)が判断を示せば,それに従った行動をとるかどうかが,免責につながる法適用の潜脱目的や善意無過失性の成否とリンクさせる解釈をとることが望ましいのではないか,ということが昨日の研究会でも少し議論されました(労働局が偽装請負と判断したにもかかわらず,請負を継続すれば潜脱目的ありとし,労働局が偽装請負でないと判断したのであれば,それを継続しても潜脱目的なしとするなど)。人事労働法の観点からは,行為規範性を重視するので,偽装請負の該当性というような,一般の人には(のみならず専門家にとっても)判断が難しい規範が問題となる場合には,ことのほか,行政の事前の関与が重要となると思います。立法論的には,本格的な事前審査手続を導入すべきだと考えています(拙著『人事労働法』(弘文堂)88頁)。
 ところで,規範の曖昧性というのは,実は,労働者側にも影響することがあります。「キーワードからみた労働法」の上記論考のなかでは,日本貨物検数協会(日興サービス)事件もとりあげていますが,そこでは労働者の(みなし申込みへの)承諾の有無が問題となりました。承諾の意思表示については,1年間の制限があるのです(労働者派遣法40条の62項を参照)が,この事件では,所属する労働組合が団体交渉で直接雇用を求めているだけでだったため,これでは承諾の意思表示にならず,その後に個人が意思表示をしたときは1年を経過していたので,労働契約の成立は認められないとされたのです。しかし私は,この判断には疑問があると書いていました。私は,40条の6の立法政策的な面からの妥当性については疑問をもっているのですが,それはさておき,法律でこういう制度を設ける以上は,その趣旨に沿った解釈が求められるのであり,そうした観点から,労働者の意思表示の有無を厳格に解釈するこの判決には違和感をおぼえたのです。この事件には控訴審判決(名古屋高判2021年1012日)が出ていたのです(「キーワード」の執筆時には,控訴審判決のことは知りませんでした)が,それは地裁判決の結論を維持したものでした。裁判所は,40条の6のような規定は,立法論的に望ましくないものであり,解釈論としても,直接雇用の成立要件を厳格に解して,同条があまり強いインパクトをもたないようにしたとみることもできるかもしれません。ただ,労働者側からみると,前述のように偽装請負の成否の判断が難しいために,承諾期間(「当該労働契約の申込みに係る同項[40条の61項]に規定する行為が終了した日から1年を経過する日までの間」)の1年の起算点も不明確になるのであり,しかも承諾の方式について明文の規定がない以上,労働組合に直接雇用のことを任せていた労働者の行動をネガティブに評価することは,労働者にやや酷な気がします。
 派遣先に偽装請負などに関して説明義務があったとまでいうのは行き過ぎであり,その点では判旨相当ですが,曖昧な規範に翻弄される労使双方の状況をみると,この規定はそれ自体に根本的に問題があるという気がします。
 偽装請負などの違法派遣があれば,派遣先と直接雇用が成立するという立法政策は,前述のように私は反対ではありますが,それを導入する政策的立場があることまでは否定しません。ただ,そうした政策的立場を立法化する以上,きちんとその制度を前提に当事者が行動できるようにし,裁判をしても不意打ち的な結果が出てこないような制度にしなければなりません。そういうことをせず,しかも日本貨物検数協会(日興サービス)事件のように不明確な規範の影響が労働者側にネガティブに出てくるとなると,いったい何のための法改正であったのかということになります。
 企業側は「法適用の潜脱目的」や「善意無過失」の免責によって,不明確な規範の弊害をある程度緩和することができるようではありますが,「法適用の潜脱目的」や「善意無過失」自体が明確な概念ではありません。実際に,偽装請負とされたときにも,なおこの概念によって制裁を免れることができるかは,裁判をしてみなければわからないでしょう。一方,労働者側は,承諾の要件や承諾期間についての規定が曖昧で(そもそも労働者の承諾期間の制限ということが正面から規定される内容になっておらず,みなし申込みの拘束期間が1年という定めが同条2項および3項で定められているにすぎません),あとは裁判所にしかるべく解釈してもらえばよいということになっています。以上のことは,裁判法学的労働法の欠点そのものなのです(前掲・拙著の序章も参照)。こういう欠点は,40条の6の政策的・理論的問題を論じるより前に,労使双方のウィン・ウィンを目指す人事労働法の観点からして,容認しがたいものです。
 以上のような問題意識を共有してもらえる研究者や実務家が増えればいいのですが。

2022年4月18日 (月)

『労働法における最高裁判例の再検討』

 注目していた労働法律旬報の連載が書籍化されました。『労働法における最高裁判例の再検討』(旬報社)です。お送りいただき,どうもありがとうございました。いまやマスメディアで労働法というと,濱口さんか沼田さんかというくらいの存在感のある沼田雅之さんが筆頭編者で,浜村彰,細川良,深谷信夫共編という書籍です。労働法学の重鎮と次代のエースが編者に入ったという感じでしょうか。この連載では,石田信平さんの三菱樹脂事件の論文をゼミで扱ったこともありました。
 古い判例を検討し直すという企画はとても重要だと思います。採り上げられている最高裁判決は,いずれも重要で,LS生などが深く学習するのに役立つでしょう。解雇に関するものやロックアウトに関するものが落ちているのは,前者は制定法となったから,後者は実際上の重要性が低下したから,ということでしょうかね。日本食塩製造事件などは,解雇の観点からも,ユニオン・ショップの観点からも,採り上げてもらいたい判例でしたし,このほか第二鳩タクシー事件も,労働委員会関係者としては気になるところですが,ないものねだりですね。
 第四銀行事件では,私の判例評釈も批判的に検討され(沼田さん),また,日新製鋼事件では,私の論文が批判的に検討されています(井川志郎さん)。前者については,第四銀行事件の評釈を書いたころ,私自身もともと判例の就業規則法理に批判的な集団的変更解約告知説を発表していて(『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)で書いた集団的労働条件の段階的構造論),ただ,それはそれとして判例をどう評価するかという難しい作業をしていた頃のことを懐かしく思いだしました。第四銀行事件の最高裁判決は,みちのく銀行事件の最高裁判決とともに,『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載はしていますが,先週から始まった今学期の学部の授業で,いきなり就業規則の話をしたときには,秋北バス事件以外は,詳しくふれませんでした。就業規則論自体は重要ですが,私の『人事労働法』(弘文堂)では,すでに新たな理論フェーズに入ってしまっています(詳細は,同書34頁以下)。後者のほうは,日新製鋼事件について,デロゲーションを認めた判決だという私の理解への批判がありましたが,前からこの点は,皆川宏之さんの指摘もあり,それはおっしゃるとおりかもしれないと思っています。ただ,労働基準法の強行規定性というのは,それほど絶対的なものではないのであり,この判決をそうしたことを示したものとして挙げてもよいだろうと思っています。もっとも,この点についてもまた,『人事労働法』では,上記の就業規則論と関係して,新たな理論フェーズに入っていて,判例がどうかということより,強行規定の任意規定化を理論的にどう展開すべきかということに関心が移っています。
 ところで,私も実は判例を新たな視点で学生たちに学んでもらいたいという観点から,10年前に『労働の正義を考えようー労働法判例からみえるもの』(有斐閣)を刊行しています。今回の沼田さんたちの本のような硬派なものではなく,軽いタッチで描いています(ただし内容は決して軽くはなく,もしかしたらむしろ難解もしれません)が,比較して読んでもらえれば,労働判例を多角的に理解できるのではないかと思います。

 

2022年4月16日 (土)

『労働者派遣法(第2版)』(三省堂)

 鎌田耕一・諏訪康雄編,山川隆一,橋本陽子,竹内(奥野)寿著『労働者派遣法(第2版)』(三省堂)を初版に続いてお送りいただきました。どうもありがとうございます。労働者派遣法にしぼった体系書であり,執筆メンバーの充実ぶりからもわかるように,信頼性の高い本です。労働者派遣法は,授業では,まとまって扱うことはあまりないのですが,個々の判例を扱うときに,労働者派遣のケースがけっこうあって,労働者派遣についての知識を要するという場面が少なくありません。法人格否認の法理,雇止めなどがそれです。もう一つ,重要なのが,昨日も言及した使用者性の問題です。労働者派遣とそれと隣接する業務委託契約(偽装請負がありうるので)の場合における派遣先・委託先の使用者性の問題です。
 実は兵庫県労働委員会で,先月,大学が警備業務を委託していたことに関係した国際基督教大学事件の東京高裁判決(2020610日)を採り上げて検討する機会があったのですが,この判決は,中労委の結論は維持しているものの,使用者性についての判断枠組みについて,中労委と見解が違っていました。この事件は,セクハラ問題を契機とする解雇について,最終的に撤回されたのですが,それについて大学側が,労働組合から求められたこの件で謝罪や金銭補償をすることを議題とする団体交渉を拒否したというものでした。大学側の使用者性は一貫して否定されているのですが,問題は判断枠組みです。朝日放送事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(2022年,弘文堂)の第179事件を参照)が基本となるのですが,中労委は,この議題は「解雇を含む一連の雇用管理,すなわち,採用,配置,雇用の終了に関する決定に関わるもの」であり,こうした「一連の雇用管理に関する決定について,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していなければならない」という基準を示しました。一方,取消訴訟の地裁は,「雇用終了の決定について,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していることが必要であり,かつ,それで足りるというべきである」とし,高裁判決もこれを支持し,「当該労働者の採用の場面において,当該事業主が雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配,決定できる地位になければ,仮に当該労働者の配置や契約終了(解雇)の場面においては,これを現実的かつ具体的に決定できる立場であっても『使用者性』は否定されることになるが,そのような結論は相当でないといわざるを得」ないとして,中労委の判断は採用できないとしています。結論は,雇用終了についても,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していることが否定されたのですが,判断枠組みは大きく異なっています。
 裁判所は,団体交渉事項ごとに使用者性を考えるという帰納的アプローチを明示的にとっており(相対説),私はこういう立場にもともと反対なのです。集団的労使関係における当事者とは誰かというのが先決問題であるべきであり(演繹的アプローチ),たとえ当該事項について具体的な支配決定力があっても,それと使用者性とは別問題なのだと思っています。中労委も帰納的アプローチのように読めなくもありませんが,ただ少なくとも,この事件等での判断枠組みは,当該団交事項における具体的な支配決定力にとらわれないという点では,結論としては演繹的アプローチと近似してくる面があると思っています。
 ちょうど,この論点について,上記の本で言及されていました。山川先生が書かれている箇所なので,とくに注目されます。派遣の場合,派遣先が直接雇用を求める議題で団体交渉が申し込まれた場合において,それが採用に関する事項であるので,その採用に関する点で,雇用主と部分的同視できる現実的かつ具体的に支配,決定できる地位にあるとすれば,使用者としてそれに応じなければならないのかという論点において,山川先生は中労委のすでに先例のある中国・九州地方整備局事件の判断に言及したうえで,もし上記のような採用の点だけで使用者性を認めてしまえば,労働組合が採用を求めて団交を申し入れたあらゆる事業主が使用者に該当してしまうという不都合があるとし,さらに事業主が労働者を採用するということは,単に採用するのにとどまらず,その後の配置や雇用終了等の雇用管理を行うことも想定されているので,使用者該当性の判断は,採用,配置,雇用の終了の一連の雇用管理全般について雇用主と部分的に同視されるかという観点に立ってなされることが必要だと述べておられます(284頁以下)。この点は初版でも言及されていた部分ですが,第2版では前記の国際基督教大学事件にもふれて「謝罪や補償にかかわる団交も委託元の行為が解雇と同視されることを前提とするのではないか,また,雇用の終了は労働契約の解消を意味するが,これについてのみ雇用主と同視される場合は,委託元が取引先としての力関係の中で委託先にその従業員の解雇を求めたにとどまる場合とどう異なるかといった問題を検討する必要が生じよう」(286頁)というように,裁判所の判断基準にかなり不満をにじませるコメントをされているのが興味深かったです(山川先生が中労委の会長をされていた時の事件だから当然かもしれませんが)。

 

2022年4月 6日 (水)

真実告知義務

 阪神は昨日連敗を脱出したとはいえ,後半はまったく点がとれず,その悪い流れのまま,今日の試合に入ってしまいました。伊藤は力投して,打点もあげるなど孤軍奮闘しましたが,92死でつまずいてしまい,結局,12回にチームも力尽きました。抑えの投手が不足している弱みが出てしまいました。今シーズンの目標は,優勝などはとんでもなく,なんとか勝率5割を目指すことになりそうです。
 話は変わり,ビジネスガイドの最新号の「キーワードからみた労働法」は,「真実告知義務」というテーマで書いています。個人情報の適正取得やプライバシーなどが問題となっている今日,これは意外と難しい論点です。聞いてはいけないことを聞く方も聞く方だけれど,嘘をつくのもダメだよね,という従来の常識的な議論ではおさまらない話です。それに,真実告知義務には,もっと複雑な話もあって,言って欲しいことを言ってくれないという不作為は,どう評価すべきなのか,という論点もあります。
 ドリームエクスチェンジ事件・東京地判でも,この点に関連して,少し気になるところがあったので,採り上げて紹介しました。この事件では,バックグラウンド調査を人材サービス会社がきちんとやっていなかったことから,企業が前職での本人の地位を誤解してしまっていたということがあり,理論的には,企業が誤解していそうなことについて,労働者側は積極的に誤解をなくすよう真実を述べる義務があるか,という論点があります。なおこの事件は,このほかにも,採用内定取消の有効性,解雇無効とされた場合の賃金請求,中間収入の控除,訴えの利益などの重要論点について,いろいろ興味深い判断をしています。下級審判決とはいえ,検討に値するものだったので,神戸労働法研究会で,1月に千野弁護士に報告していただきました。

 

2022年3月26日 (土)

水町勇一郎『 労働法(第9版)』

 水町勇一郎さんから,『 労働法(第9版)』(有斐閣)を頂きました。どうもありがとうございました。はしがきを見ると,この2年間にも,大きな法改正があることを改めて確認することができました。本書は,いまや司法試験受験生の教科書の定番といえるでしょう。実務家の方は,これと並んで『詳解労働法』(東京大学出版会)を利用することになるのでしょうね。非正社員の処遇のところなどは,水町労働法が広がることは,社会にとって良くないことだと思っていますが,こればかりはどうしようもありません。今日の神戸労働法研究会では,少し前に話題になった茨城の家電量販店における労働協約の拡張適用の事例について山本陽大さんに詳細な分析をしてもらいましたが,水町さんの教科書でも早くも紹介されていました。情報の新しさという点でも,本書の利用価値は大きいでしょう。
 ところで,研究会では,いままでほとんど考えたことがない労組法18条の論点について教えてもらいました。そのうえで思ったことは,労組法18条は何のために存在しているのか,よく考え直したほうがよいのではないかということです。ドイツ法を参考にした制度ですが,山本さんによると,本家のドイツ法でもこの制度は大きく変わってきているようです。また研究会では,これも有名な建設アスベスト事件の最高裁判決を,高橋聡子さんに報告してもらいました。通常の判例分析だけでなく,環境リスクに対する法規制のあり方といった広い観点からも議論することができて,これも勉強になりました。個人的には,労働安全衛生法の目的それ自体の重要性は高まる一方,同法の規制手法自体が根本的な見直しを求められているのではないかという感じがしました。今後の検討課題です。

2022年1月27日 (木)

昭和ホールディングスほか2社事件

 今週の大学院(研究者コース)の授業では,昭和ホールディングスほか2社事件(東京地方裁判所2021324日判決)をとりあげました。団交拒否事件で,親子会社の類型における完全親会社の使用者性,親会社と子会社(2社)の誠実交渉義務,および労働委員会の救済命令の裁量が問題となったもので,典型的な論点についての判断を示しているのですが,気になる部分もありました。とくに都労委,中労委,地裁と微妙に判断が違っているところが興味深いです。
 使用者性の判断については,東京地裁は,いつものように朝日放送事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の179事件)の判断枠組みを援用し,これが親子会社の事案の親会社の使用者性の判断にも適用できることを確認したうえで,本件の親会社は経営について相当程度の支配力をもっているものの,経営戦略的な観点から行う管理や監督の域を越えて,子会社の従業員の労働条件等について雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実かつ具体的かつ具体的に支配,決定していたとはいえないとして,その使用者性を否定しました。子会社は独立した存在で,子会社だけで人事労務委員会をつくり親会社とは独立した人事管理をしていたことなども考慮されました。株主としての支配力だけでは使用者性は根拠づけられず,集団的な「労使」関係の当事者としての実態が求められるということでしょう。この点は,都労委の段階から使用者性が否定されていて,結論は変わっていません。
 この事件では,子会社の工場があった土地を親会社が所有して子会社に賃貸していたところ,この土地を親会社が売却したことから,「土地譲渡にともなう雇用問題」などについて,子会社の従業員で組織された労働組合が,団体交渉を子会社だけでなく親会社にも申し込んでいました。土地売却に関係する事柄であるので,親会社こそが団体交渉に応じる主体としてふさわしいという組合側の主張については,東京地裁は「団交のテーマそのものから直ちに使用者性が判断されることになるものでもない」と述べています。この判断は,個々の団交事項ごとに使用者性の判断をしていこうとする学説や裁判例があるなか,そうではなく使用者性は義務的団交事項の判断よりも前に決定される先決事項であるとする私の立場と親和的なものではないかと思っています。もっとも,そもそも土地売却それ自体は義務的団交事項ではありませんから,もともと組合側の主張には苦しいところがあります。
 この土地売却問題の義務的団交事項性について,都労委は否定したために,子会社との関係での不当労働行為も否定されました。都労委は,土地売却により組合員の労働条件が現実に変更されること,あるいは変更されることが見込まれることについて組合による疎明がなく,実際に本件土地売却により組合員の労働条件に何らかの影響があった事実も特に認められないので,この議題は,組合員の労働条件との関連が明らかであるとはいえず,義務的団交事項とはいえない,と判断したのです。ところが,中労委は,この点について,団交事項は,抽象的ではあるものの,「実質的に見て,雇用主であり,本件工場に係る事業の主体である子会社2社に対し,本件土地売却により本件工場等で勤務する従業員の処遇や勤務地等の労働条件等について何らかの影響があり得るのかについて,説明を求めたものと解することができる」とし,子会社は,「本件土地売却による当時の時点における組合員の勤務地,労働条件の影響の現実的可能性の有無,事業用定期借地権の法的性質等については,回答する必要があった」と判断しました。いわゆる経営事項については,それ自体は義務的団交事項ではありませんが,労働条件や雇用に関係する部分については義務的団交事項に該当すると解するのが通説ですが,同様に,親会社にのみ処分可能な事項(土地売却)であっても,それが子会社と密接に関係するものであれば(子会社の事業用地に関係する事項であるなど),労働条件や雇用に関係する部分については義務的団交事項に該当する,ということでしょう。この点は都労委より中労委の結論のほうが妥当だと思います。東京地裁も,団交事項は,本件土地売却にともなう子会社の従業員の処遇や勤務地等の労働条件等への影響の有無や程度について説明を求める趣旨であったと解釈し,このように土地売却自体は処分可能でないとしても,それに関する雇用の問題として,この事項が議題と解されるかぎり,処分ないし説明は可能であって,なお義務的団交事項に該当すると述べており,中労委と基本的には同様の立場であると考えられます。
 この事件では,最初の団交で,上記の事項について団交拒否され,その後,組合はさらに3回の交渉申入れをし,そのいずれも書面での簡単な回答だけで交渉拒否されています。事後の3回の交渉においては,雇用面についての議題は明示的には掲げられておらず,議題とされたものは親会社しか処分できない事項であり,子会社の義務的団交事項ではないので,中労委は,団交拒否は不当労働行為ではないと判断していました(都労委は,前述のように初回から不当労働行為でないと判断)。ところが,東京地裁は,初回の団交拒否があり,組合がきちんとした回答を得ていない以上,初回における要求事項は,第2回以降の団交の議題にも含まれているという解釈をして,事後3回の交渉でも,初回における義務的団交事項について団交拒否をしていると判断し,不当労働行為の成立を認めました。
 東京地裁は,「確かに,団交事項は,団交申入れの相手方である使用者が団交に応じる義務があるか否かを判断することを可能にするものであることを要するというべきところ,団交申入書に記載された団交事項は,労働組合が交渉を要求する事項の内容及び範囲を相手方にも明らかにするため記載されるものと解されるから,申入れに係る団交事項もその文言を基礎に判断されるべきである。 もっとも,団交申入書に記載された団交事項の意味内容を,団交申入書のその他の記載文言や団交申入れに至る経緯を踏まえて確定することが許されないものでもない。」としており,その内容自体は,異論はないものの,後半部分に示された基準に則して,どこまで団交事項の範囲を広げて解釈できるかが重要となります。団体交渉は使用者の「応諾」義務であることを考慮すると,不明確性があった場合には組合に不利に解釈されるべきであるようにも思いますが,本件では,会社側にとって団交事項になっていたとみても不意打ちにはならないような事情があったと判断できる余地がありそうです。中労委と東京地裁と,どちらの判断が妥当か微妙な事案ですが,そういう場合には,労働委員会に要件裁量はないものの,中労委の判断を尊重するという姿勢をもってもらえればなと,労働委員会関係者としては思ってしまいますね。
 結局,初回の団体交渉についてのみ不当労働行為と認める内容の文書交付を命じる救済命令を出していた中労委は一部取り消されました。東京地裁は全4回の団体交渉についても不当労働行為と認める内容の文書交付を命じるべきであったとしたのです。
 ところで,組合側は,救済命令としては,文書交付にとどまらず,団交応諾命令も出すようにと求めていました。この点は,東京地裁は労働委員会の裁量の範囲内であると言っています。団交拒否が認められたからといって機械的に団交応諾命令を出すべきではなく,中労委は,「現時点でこれを敢えて団交において再度説明することに意味があるとは言い難いこと,子会社2社は,本件以外の労働条件に係る団交には応じていることなど」を考慮して,文書交付にとどめていると判断し,東京地裁もこの点は受け入れました。また東京地裁は,中労委が,本件命令の確定に伴い,上記団交に応諾することを見込んで,「今後,このような行為を繰り返さないようにいたします。」という内容の文書交付でよいとしたとみています。ただ中労委は,そもそも初回の団交拒否のみを不当労働行為だとみていたし,義務的団交事項性も都労委との判断が分かれるほど微妙なところもあったことから,あえて団交命令を出す必要性に懐疑的であったことに加え,本件では,土地売却にともなう雇用問題について,組合には答えずに,従業員向けの説明でやっているところに,いわば組合の頭越しをするという組合否認がありました。実際,中労委は,支配介入の成立を認める判断のなかで,「労使関係が緊張状態にある中で,このように組合らからの団交申入れを拒むと同時に,あえて従業員宛てとしてその団交事項に係る内容について書面での回答を行うことは,殊更に組合らを無視し,組合員らやその他の従業員をして,その交渉力に疑問を抱しめ,組合を弱体化させるおそれがある対応というべきであり,このことは,子会社2社も十分に認識していたということができる」と判断しているので,この点こそ労使関係において看過できない問題であるとみていた可能性があります。そのため,この支配介入という点をふまえて,救済命令としては文書交付が適切と判断したのではないかと勝手に想像しています。

2021年12月29日 (水)

労働者性

 先日の神戸労働法研究会では,労働者性に関する二つの裁判例(芸能アイドルについてのHプロジェクト事件(東京地判202197日),劇団員についてのエアースタジオ事件の高裁判決(東京高判202093日))が採り上げられました(前者は弁護士の松尾剛行さん,後者は石田信平さん)。偶然に報告者の論点が重なる裁判例となったのですが,そのためか,労働者性をめぐる深い議論ができたと思います。
 労働者性は,その判断基準がはっきりしないので,裁判例は非常に不安定です(労組法上の労働者性との違いという一般の人にはわかりにくい論点もあります)。最近,EUではプラットフォーム労働におけるcontroll要件について5つの基準を示し,そのうち2つ以上充足すれば,要件該当性を推定するという指令案を発表しており,日本のメディアでも大きく報道されましたが,これも基準の不明確性への対応といえます。私が提案しているAI審査に少しだけ近づいてきているといえなくもありません。ただ,5つのうち2つ満たせば推定というのは,簡便ではありますが,アバウトすぎるのではないかというツッコミを,おそらく法律家ならしたくなるでしょうね。
 話を元に戻すと,どちらの判決も諾否の自由が問題となっていますが,東京地裁と東京高裁の判断は正反対で,そこからも労働者性をめぐる判断の混迷ぶりがわかります。
 個人的には,一昨日にも少しふれたようにエンターテインメント系の業種はかなり特異性があるので,立法論としては,それに応じた特別な法的ルールを設けることも,十分に考慮に値すると思っています。これを労働者かどうかという議論をやっているかぎり,裁判は不安定性をかかえます(そうしたなかで,諾否の自由を過度に重視する問題判決が登場してしまうのです)。どちらの事件も,裁判所は限られたトッププロ(要するに,自分の名前で金がとれるだけの技芸をもつ人)をめざす途中過程のある時点だけをみて労働者かどうかを論じるもので,そこに無理があるような気がします。
 とりわけエアースタジオ事件には二重の意味でおかしいところがあります。第1に,裏方業務の労働者性を,1審も控訴審も肯定していますが,これを公演業務と区別してみることが妥当かということです。一般論として,業務に応じて労働者性を判断することはありうるのです(とくに労災保険の適用など)が,劇団員の裏方業務は,公演に出演して役者として一人前になるという過程で出てくるものであり,そうしたものをトータルでみる視点がなければ,劇団員に対してほんとうに労働者として保護すべき実態があるか判断できないでしょう(劇団員が従事していたカフェ業務のように,明確に他と切断できるところは,そこだけを切り出して労働者性を判断するのはもちろん可能でしょうが)。アイドルにせよ,劇団員にせよ,トッププロになるまでの修業時代は基本的にはボランティアであり,何らかの金銭的給付があっても,それを賃金とみるのは適切ではないという見方もできるのではないかと思います(関西医科大学事件で問題となったような研修医とはかなり違います)。エアースタジオ事件の控訴審は,1審と異なり,公演業務の労働者性も否定しました。これがもう一つの問題点です。高裁は公演出演への「諾否の自由」がないという判断をしており,そこでは「劇団員らは公演への出演を希望して劇団員となっているのであり,これを断ることは通常考え難」いと述べているのですが,だからといって,企業から強制されて働くという従属性の観点からみるべき「諾否の自由」がないということにはならないと思います。この判断がおかしいというのは,おそらく異論はないところで,研究会でもそのことは当然の前提で議論していたと思います。
 私はかつて,労務提供に関係する法律関係を,すべて労働者性の判断の対象とするのは適切ではなく,前さばきとして,カテゴリカルに労働者性の判断から除外できる労務提供関係があるのではないかということを考えていたことがあります。これは無償労働契約論にもつながるもので,例えばボランティア(有償ボランティアも含む)を,最低賃金違反の労働契約とみるのか,それとも労働基準法(あるいは労働契約法)の適用から外れている契約とみるのか,という話につながります。後者のような契約を,契約の目的から判断できないかを探るために,20年ほど前に「労働判例」という雑誌の海外の判例を紹介するコーナーで,イタリアの破毀院判例を紹介したことがあります(827号。政治家の無給の秘書の労働者性を否定した判例)。解釈論としては,そのようなアプローチもありうるのではないかと今でも思っていますが,立法論としては,前述のように,エンタメ系(楽団員なども含む),ジャーナリスト,スポーツ系などは特殊な労働者として別の法的枠組みで扱うことが可能で,海外にも同様の例があります。こうした就業者を事業者とみて,そのうえで独禁法などにより保護したり,フリーランス新法のようなもので保護したりしようとする考え方もありますが,いずれにせよ芸能人などは業界が特殊なので,それを想定しながら一般的なルールを考えていくのは適切ではないし,そもそもこのカテゴリーを「保護」するという発想をどこまでもつべきかというところから,議論していく必要があると思っています(なお,おそらく問題意識は違いますが,文化庁の「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」は興味深いです)。日本音楽家ユニオンのような労働組合的な活動をするものもありますが,これも労組法上の労働組合かどうかというのとは違う観点から論じることも可能だと思われます(なお,最高裁まで争われた新国立劇場運営財団事件は,労組法上の労働者性という観点から議論されていますが,そういう問題の設定の仕方がはたして妥当であったかは議論の余地があるのです。このことは,このブログで,少し違う角度から書いたことがあります)。
 もちろん,芸能アイドルの例のように,彼らや彼女らが年少者である場合には,その点に着目した保護は必要です(研究会でも議論となりました)。この点では,いわゆる「光源氏通達」(昭和63730日基収355号)において,子役や児童タレントの労働者性について,「芸術性,人気等当人の個性が重要な要素となっていること」などの要素があれば労働者性を否定してよいとされています。この通達は,芸能人一般の労働者性を否定する趣旨に解されることもあるようですが,ごく一握りのトップタレントだけ労働者性を否定する趣旨であることは,通達を読めば明確だと思います。また仮に労働者性がないとしても,私は労働基準法56条(最低年齢)のような規定は,労働者性の有無に関係なく考慮されるべきものであり,立法論としては非労働者であっても年少者の労務(パフォーマンス)を利用することについては一定の規制が必要だと考えています(以前に同旨のことを中嶋士元也先生の還暦記念論文集に寄稿した論文で書いたことがあります)。そうでなくても,企業側のCSR ESGのSの観点から,年少者を活用した営利事業には,一定の自制が求められるべきだと思います。
 劇団員の裏方業務についても,「やりがい搾取」のようなことがないよう配慮することは重要ですが,だからといって労働者性を肯定することとは別です(当人たちの多くも,何らかのトラブルがあったときに事後的に労働者性を主張することはあっても,最初から労働者として扱ってほしいと考えている人がどこまでいるかは疑問です)。重要なのは,本人が裏方業務の厳しさを十分に理解して納得していたかであり,その点では本件では,(使用者側の主張ですが)社員での安定した地位(労働者性あり)を得る選択肢が提示されていたという事情をどう評価するかもポイントとなるでしょう(「人事労働法」では,これは納得同意の問題となります)。
 ところで,「諾否の自由」の判断について,これを限定的に解するドイツの判例があるという情報がJILPTの山本陽大さんから提供されました(JILPTリサーチアイ第61回「クラウドワーカーは「労働者」か?─連邦労働裁判所2020年12月1日判決」|労働政策研究・研修機構(JILPT))。ドイツの民法典では,労働者の定義を定めた規定があり(611a条。2017年に新設),人的従属性(persönlicher Abhängigkeit)の下で,指示に拘束され,他人決定的な労務の給付が義務づけられているかどうか(weisungsgebundener, fremdbestimmter Arbeit)で判断されるのですが,当該判例の事案では,基本契約は締結されているものの,実際に業務を受注するかどうかは本人に諾否の自由があったクラウドワーカーの事案で,評価システムにおいて継続的に労務を提供するように誘導するインセンティブシステムがあったことなどを重視して,労働者性が肯定されました。これについてはドイツの学説上も批判があるようであり,諾否の自由を限定的にとらえる立場が定着するかどうかはわかりませんが,形式的な諾否の自由があるからといって,労働者性を否定することには直結しないということであれば理解できるところです。
 労働者性については,私は立法論と解釈論を行ったり来たりするような議論をしているのですが,法律の議論でよくあるような,判例の蓄積を通して類型化して基準の精緻化を図るというアプローチには限界があると思っています。労働者性という論点をめぐっては,判例評釈は,解釈論を詰めるのではなく,解釈論の限界を明らかにする目的でなされるべきなのかもしれません。

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