労働判例

2024年3月27日 (水)

早稲田大学事件を素材に「採用の自由」を考える

 先日の神戸労働法研究会では,早稲田大学事件(東京地判2022年5月12日)も採り上げました。公募の教員募集の選考から落ちた大学教授が訴訟を起こした事案です。明治大学商学部教授と所属する労働組合東京ユニオンが原告です。原告が提訴に至った経緯は,ネット上でもみることができます。
 原告Aは,被告であるB大学の大学院アジア太平洋研究科の専任教員の公募に応募しましたが,書類審査で不合格となりました。そこで,Aは大学側が採⽤選考過程や評価基準について情報を開⽰し説明をする義務に違反し,Aの採⽤選考に対する期待権や社会的名誉を侵害したと主張して,不法⾏為に基づく損害賠償⾦等の⽀払を求め,またAの加⼊する労働組合が,大学側が採⽤選考過程等に関する情報開⽰や説明を交渉事項とする団体交渉を正当な理由なく拒否したと主張して,団体交渉を求める地位にあることの確認と,不法⾏為に基づく損害賠償の⽀払を求めました。すべての請求が棄却されました(Aからの未払賃金の請求は認容されました)。
 個人情報保護法上の個人情報の開示は,現行法の条文でいえば33条1項に基づき請求できますが,その対象となる個人情報は,「保有個人データ」であり,「個人データ」は,「個人情報データベース等を構成する個人情報」であるので,本件では,選考過程での個人の評価などが,データベース化して管理されているかが,まずポイントとなります。このような「個人データ」が存在していないとなれば,開示請求を受けた個人情報取扱事業者は,遅滞なくその旨の通知をしなければならず(同条3項),その際には,本人にその理由を説明する努力義務があります(同法36条)。
 本判決は,個人保有データ該当性を否定したので,この論点はそこで話が終わっています。ただ,判旨は,かりにAの個人情報がデータベース化されている場合であればどうだったかについても判断しています。個人情報保護法33条は,「当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」には,個人情報取扱事業者は開示を拒否できると定めています(2項2号)。この点について,本判決は,「B大学は,採⽤の⾃由を有しており,どのような者を雇い⼊れるか,どのような条件でこれを雇⽤するかについて,法律その他による特別の制限がない限り,原則として⾃由にこれを決定することができるところ,⼤学教員の採⽤選考に係る審査⽅法や審査内容を後に開⽰しなければならないとなると,選考過程における⾃由な議論を委縮させ,B大学の採⽤の⾃由を損ない,B大学の業務の適正な実施に著しい⽀障を及ぼすおそれがあるからである。したがって,B大学は,個⼈情報保護法28条[現在は33条]2項2号により,これらの情報を開⽰しないことができる」としています。ここでは「業務の適正な実施に著しい⽀障を及ぼすおそれ」の解釈において,三菱樹脂事件・最高裁判決の影響が及んでいることがわかります。ただ,同判決のいう「法律その他による特別の制限」に,個人情報保護法33条があてはまるとする解釈もありえるでしょう。ここでは,開示の例外となる開示拒否事由の判断のところで採用の自由を重視した解釈をとるのか,あるいは保有個人データの開示規定は,「法律その他による特別の制限」と解して,「業務の適正な実施に著しい⽀障を及ぼすおそれ」の該当性は,きわめて限定する解釈をとるのかによって結論が違ってくるでしょう(なお,個人情報保護法のガイドライン(通則編)3-8-2では,「個人情報取扱事業者の業務の実施に単なる支障ではなく,より重い支障を及ぼすおそれが存在するような例外的なときに限定され,単に開示すべき保有個人データの量が多いという理由のみでは,一般には,これに該当しない」とされていますが,具体性に乏しいので,あまり参考になりません)。三菱樹脂事件・最高裁判決の伝統的な解釈であれば,前者となりそうですが,同判決の妥当性が揺らいできているともいえるので,後者の解釈も可能かもしれません。
 なお,Q&Aでは,「個人情報取扱事業者は,雇用管理情報の開示の請求に応じる手続について,あらかじめ,労働組合等と必要に応じ協議した上で,本人から開示の請求を受けた保有個人データについて,その全部又は一部を開示することによりその業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合に該当するとして非開示とすることが想定される保有個人データの開示に関する事項を定め,従業者に周知するための措置を講ずることが望ましいと考えられます」と書かれています。これは「望ましい」というレベルの話ですが,ある種の「共同規制」を認めたといえるかもしれません(33条2項2号の内容の具体化は,労使の合意で決めてよいということ)。もっとも,本件との関係では,採用の自由論をあてはめると,「雇用管理情報」に採用選考に関する情報は含まれないということになるかもしれません。
 以上のような個人情報保護法の議論とは別に,採用の自由との関係では,そもそも本件で問題となっているような不採用に関する情報の開示を認めることの適否という論点もあります。実はこの論点は,かつて守島基博さんと『人事と法の対話―新たな融合を目指して』(有斐閣)のなかで議論したことがあります(8~9頁)。そこでは,新卒採用の場合を中心に論じていますが,中途採用であっても,正社員採用の不採用理由開示は難しいという話が出てきています。
 もちろん教員のような専門職となると話は違うともいえそうです。ただ,大学の教員といっても,実情をみると,完全に専門職として扱われているとは言い難いところもあるのであり,そうしたなかでは,社風(学風)にあうなどの非言語的な要素(組織のために膨大な雑用に忠実に専念できる姿勢など)を重視することは避けられないのです。そうなると,やはり理由開示は難しいという議論があてはまりそうです。
 では,これでよいかということですが,私は『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(弘文堂)において,「企業は求職者の能力や適性のみを基準として採用選考を実施するよう求められていると解すべき」とし(63頁。93頁も同旨),「今後は,……ジョブ型雇用が増えていくことが予想されるので,従来の採用の自由論は修正を余儀なくされるだろう」(63頁)と書いています。こうした考え方からは,開示についても積極的に求められることになるでしょう。研究会で私が意見として述べたのは,企業は,少なくとも採用基準を開示した場合には,その基準にどのような理由で合致しなかったかの説明をする必要があるのではないか,ということです。採用基準の開示は,適切な人材を獲得するために必要なことであり,とりわけ中途採用の場合には必要なことでしょう。しかし,開示した以上は,そのあとの選考理由についてもきちんと開示すべきということです。これは企業にとって負担の重いことですが,抽象的な基準を開示したければ,そうする自由はありり,その場合は不採用の事由の説明も抽象的なものでたります。あとは求職者が,企業の採用基準の開示に関する姿勢を判断するということです(採用基準が抽象的であれば,優秀な人材が集まりにくいでしょう)。いずれにせよ,これは手続的なルールであり,実体上は,前述のように,能力と適性のみを採用基準とするのが,労働法の理念に適した採用となると考えています(もちろん,その能力の意味は,ある程度広くとらえるべきでしょう)。
 本件で,B大学側が示していた採用条件は,「〔1〕原則として博⼠学位を有すること,〔2〕博⼠学位取得後,B⼤学⼤学院アジア太平洋研究科の修⼠課程及び博⼠後期課程の研究指導,講義科⽬を担当できるに⼗分な期間の研究教育上の経験及び実績を有すること,〔3〕博⼠後期課程で研究指導を担当できるに⼗分な質及び量の研究実績を有すること(具体的には,邦⽂⼜は英⽂による既刊研究論⽂7本以上の研究業績を有し,うち少なくとも3本は評価の⾼い学術誌に掲載された査読付き論⽂であること),〔4〕⽇本語及び英語の両⽅で授業を担当できること,〔5〕科学研究費補助⾦など競争的外部研究資⾦を代表者として獲得した実績,⼜は同等の優れた職務経験を有すること,〔6〕B⼤学⼤学院アジア太平洋研究科及びアジア太平洋研究センターなどの業務運営の諸役職・委員等を,責任をもって遂⾏できること,〔7〕B⼤学⼤学院アジア太平洋研究科及びアジア太平洋研究センターの研究・教育活動に貢献できること」とされていました。これらの条件を開示している以上,これらの条件との関係で,Aがどう評価されて不採用となったかの理由や過程を開示することは必要ではないかと思われます。大学側としては困るかもしれませんが,公募をする以上は,やむを得ないのです。ただし,こうした意見には,研究会のなかでも,当然のことながら反対論がありました。いずれにせよ個人情報保護法の解釈とは別に,採用にどこまで法的な介入ができるのか,あるいはそうすべきかということをゼロから再検討し,どんな形であれ,三菱樹脂事件・最高裁判決の束縛から解き放たれていく必要があるように思います。
 もう一つ,団体交渉のところの論点では,判決は,「Aは,B大学から⾮常勤講師として雇⽤されていたものであり,また,B大学にはAに対する本件情報開⽰・説明義務が認められないことは前……⽰したとおりであるから,専任教員に係る本件公募の選考過程は,AとB大学との間の労働契約上の労働条件その他の待遇には当たらない」としています。義務的団交事項は,現存する労働契約の労働条件その他の待遇に限定されるのかは疑問があります。組合員であることを理由とする採用拒否を不当労働行為とみる通説の立場からすると(判例も例外的にではありますが不当労働行為の成立可能性を認めています),そうした場合には労働契約成立前の選考過程のことについても団交事項とすることは当然のことといえるので,義務的団交事項としてよいと思われます[追加:。これは使用者性の問題とも関係しています]。ましてや本件のように純然たる新規採用とはいえず,すでに非常勤講師としては契約関係があった場合には,判決の結論には疑問があるところです。 ただし,私見では,個別的事項は義務的団交事項には含まないと解しますので,結果として不当労働行為は成立しない[追記:し,本件では損害賠償請求も認められない]ことになります(前掲『人事労働法』245頁。なお,当然のことですが,私は,労働委員会の委員として仕事をする場合には,私見ではなく,判例・通説にしたがっています)。

 

2024年3月25日 (月)

ファーストシンク事件の示唆するもの

 先日の神戸労働法研究会では,ファーストシンク事件・大阪地判(2023421日)が採り上げられました。アイドルグループのメンバーの労働者性が争点となっていますが,事件は芸能事務所が,辞めたタレントに対して,契約違反があったことなどを理由に,契約書に基づき,1200万円×5回分の違約金1000万の請求をしたというものです(元タレント側からは未払賃金請求の反訴)。

 判決は,このタレントは労働者性があるので,違約金の約定は労働基準法16条に違反するとして,請求を棄却しました。労働者性が認められるかどうかは微妙なところです(後述)が,かりに労働者でないとしても,公序良俗違反であること(民法90条)は言えそうな事案であったと思います。ということで,結論は妥当ですが,それは労働者性があるからではなく,契約内容が不当だったからです。
 この事件は,労働者性をめぐる議論が,いかに争点を誤誘導するかを示していると思います。労働基準法の労働者性というのは,労働基準法の適用範囲を画定する概念です。労働者性概念が実際に意味をもつのは,労働基準法の規制内容が,労働基準法に固有の内容を含んでいる場合です。そこでいう固有の内容にも,実体面と制裁面とがあり,労働基準法が,民法の公序良俗違反の範囲を拡大して定めているとすれば,そこには実体面に固有の内容があることになり,また,公序良俗違反ではあるが,強行的・直律的効力を認めたり(一部無効の法理の特別規定),罰則や行政指導などの公法的なサンクションが付着したりする場合には,そこに制裁面における固有の内容があることになります。ただ後者の制裁面の固有の内容については,脱刑罰化論などもあり,立法論としては,規定によっては労働基準法から外してもよい(民法の公序良俗違反にゆだねる)ものがあると思います。これは労働者概念の多様化とも関係しており,多様な労働者を一律に強い制裁内容をもつ労働基準法の適用下に置くべきではないということです。

 実は私が労働者概念を自身の研究テーマから外したのは,労働者かどうかよりも,個々の就労者や個々の契約に対してどのような法的ルールを適用すべきかという議論をすることこそ重要ではないかと思ったからです。こうした発想で最初に書いたのが,1999年に発表した日本労働研究雑誌「労働保護法の展望-その規制の正当性に関する基礎的考察」(日本労働研究雑誌47032-42頁)です(その内容は,現在の「労働基準関係法制研究会」の問題関心と重なる部分がかなりあるように思います)。2004年に発表した「従属労働者と自営業者の均衡を求めて-労働保護法の再構成のための一つの試み」『中嶋士元也先生還暦記念論集 労働関係法の現代的展開』(信山社)47頁以下は,それをさらに展開したものです。また,その間に発表している「労働法と消費者契約」ジュリスト120090-98頁(2001年)のなかでは,労働基準法16条を正面からとりあげて,違約金について労働者性の問題で処理することの疑問を明確にしています(91-92頁)。

 このような問題意識を四半世紀前からすでにもっていた私としては,本件のような違約金の問題を労働者性の問題として処理しようとすると,やはりおかしくなるな,ということを再確認できたような気がしました。労働者性の判断基準としてみると,指揮監督がどうかとか,諾否の自由がどうかとか,出口のない議論に陥りがちで,あげくは,アイドルや芸能人は独自の基準でやらざるを得ないというようなところに落ち着いてしまいかねないのです。

 本判決は,結論はこれでよいと思いますが,それは当該タレントが労働者であるからではなく,契約内容が単にひどいからです。だから労働者性が否定されても仕方がないような芸能人でも,多額の違約金の約定がある場合であれば,あきらめてはいけないのです。なお,今後は,これはフリーランス法の問題となるかもしれませんが,高額の違約金だけではフリーランス法には直接抵触しないと思われるので,そうなると独禁法の優越的地位の濫用の問題として扱われ,いずれにせよ公正取引委員会マターとなるでしょう。ただ私法上の問題であれば,公序良俗違反で裁判で戦うことになります。

 ところで,こういう裁判は,芸能事務所がいかにひどいことをやっているかを示すことになりかねず,どうしてこんな訴訟を事務所側から起こしたのか理解に苦しむところです。労働者性が肯定されると,すでに退職しているとはいえ,労災保険や雇用保険,社会保険の未加入問題も出てくるのであり,司法手続とは別の手続とはいえ,実務上はどう処理されるのでしょうかね。私が弁護士なら,こういう裁判は,あぶなくてできないですね。

 ただもう少し考えると,芸能事務所は,タレントの育成などいろいろ経費がかかっているし,本人も自分の夢のために,契約内容を理解して署名しているので,そうみると当然にはこの違約金が不当とはいえないかもしれません。本件では,弁護士がそういう事情をふまえて提訴していたのであれば,そのことについて理解できないわけではありません。また1200万円なんて違約金は,普通の労働者なら署名しないので,そうした額について署名すること自体,労働者性を否定する要素といえなくもありません。高額の違約金があるから労働者としての拘束性が生じるのではなく,そうした違約金に署名すること自体,労働者性を否定する徴表であるともいえるのです。ということで,労働者性を認めることについては,かなり疑問があるのですが,ぞれでも社会通念上は,個人への1000万円の違約金の請求は無茶苦茶であり,結論は動かせないところでしょう。

 

 

2024年1月30日 (火)

若い医師の過労死・過労自殺を防げ

 研究者コースの大学院の授業で,長崎市民病院事件・長崎地裁判決(2019527日)を扱いました。医師の過労死について病院側の安全配慮義務違反が問題となった事件です。昨年は,近所にある甲南医療センターの医師の自殺が問題となりました。若くて優秀で真面目な人ほどリスクが高くなるという印象があり,それでなくても医療人材の不足が言われているなか,社会的に医師の過労問題には真剣に取り組まなければなりません。2024年問題もあります。
 裁判では遺族に対する事後的な補償しかありません。これにより病院側が経営体制を刷新して,働きやすい環境になればよいといえるのですが,問題はそう簡単にはいきそうにない点にあります。
 医師には,まず患者への対応という本来の業務があります。救急の患者もあり,患者の受け入れ態勢いかんでは,休息を十分にとれないことがあります。宿日直当番もあります。労働時間はもちろん適切に算定され,時間外労働に対しては割増賃金が支払われるのが大前提なのですが,それが医師の業務を軽減するわけではありません。
 患者への対応ということに限れば,病院が業務量を減らすためには,患者の受け入れを減らすしかありませんが,これでは住民の医療ニーズに応えられなくなる懸念があります。病院ができることとしては,医師の増員,業務の効率化(DXなど)によって医師に雑用をさせないことなどが挙げられますが,これには相応の費用がかかります。その費用については,税金を用いる価値があると思いますが,コロナ禍での補助金不正申請などもあり,簡単にはやりにくい状況があるかもしれません。
 医師の増員については、まずは医学部に入ろうとする若者の数を増やす必要があります。ただし,質の低い医師が増えることは避けなければなりません。これらをふまえると,教育体制をしっかり整備し,優秀な人材が長く安定的に働けるようにすることこそ,国が積極的に取り組むべき課題と言えるでしょう。授業の中では,宇沢弘文の「社会的共通資本」の話もしました。医療は社会的共通資本であるということを前提に,その公的目的から,市場メカニズムには不適合で,倫理性の高い専門家による自主的な管理が望ましいといえそうですが,
 ところで判決にもどると,自主的な研鑽は病院内で行われていても,労働時間に該当しないとしています。学会への参加やその準備に要した時間も自主研鑽の範疇に入るとして,やはり労働時間該当性が否定されました。「自主的」である以上,使用者の指揮命令下に置かれていた活動とはいえないということでしょうが,「自主的」という名の強制のおそれもあります。これは,あたかも大学受験する学生が,試験前に受けるプレッシャーと同じようなものなの(大学受験も自主的なものです)か,職場の上下関係において暗黙のプレッシャーがあるのかといったことは,よくわかりません。でもこの種の「自主研鑽」が,若い医師を時間的にも精神的にも追い詰めているという話はよく耳にするので,せめて労働裁判では,このあたりの自主性はしっかりチェックしてほしいですし,行政は,自主研鑽とされているものでも,ある種の活動に過労につながるリスクがあるのであれば,それについて枠をはめるような介入(ガイドライン策定など)をしてもよいかもしれません。
 昔はみんなやっていたから,お前たちも従え,というような昭和的な価値観は,令和の時代には通用しません。若い世代は,上司世代とは,まったく違った環境で育ち,違った感覚で働いているという意味で,外国人に接するのと同じようなつもりで臨んだほうがよいのです。
 判例研究のつもりの授業が,いつのまにか医師が過労に追い込まれないようにするにはどうしたらよいか,ということを考える授業になっていました。

 

2024年1月23日 (火)

労災保険のメリット制

 大学院の授業で,あんしん財団事件の東京高裁判決(2022年11月29日)を素材に議論をしました。労災保険の支給決定について,事業主に取消訴訟の原告適格を認めた判決に対して,疑問はあるとしながら,メリット制の対象となる特定事業主の手続保障はどうなるのかが議論の焦点となりました。
 行政の通達(2023131日基発01312号)は,特定事業主は,保険料の決定を争う取消訴訟で,支給要件の非該当性の主張はできるとし,ただ,そこで勝訴しても,支給決定が取り消されることはないという立場です。この内容は妥当といえますが,実は,あまり知られていないようです。それでは特定事業主の手続保障につながりませんが,通達とは異なる内容の上記の高裁判決が出ており,それは上告されているので,最高裁が,高裁判決を支持する可能性がある以上,最高裁が決着をつけるまでは,積極的に周知しづらいのかもしれません。
 ところで,この問題はメリット制とは何かというところから考えていかなければなりません。メリット制が,労災予防へのインセンティブという意味をもっているとするならば,この事件でも問題となったような精神疾患の事案で,メリット制がどれだけ予防に効果的かということを,よく検討する必要があると思います。精神疾患の認定基準は変更されて,業務起因性が認められる範囲が広がってきて,それ自体は理解できることですが,その分だけ予防という点では,事業主にすると結果論ではないのかと考えたくなるケースが増えるおそれがあります。そう考えると,労災保険法の目的にもある「迅速かつ公正な保護」(1条)という要請が,誤った支給決定を争う機会を事業主から奪うほどの強い正当理由になるかは,慎重な検討が必要でしょう。
 このほか,メリット制を適用するとしても,少なくとも事業主に過失がある場合に限定すべきではないか,というような議論も,授業の中では出てきました。
 思うに,工場労働のように,労災のパターンが比較的予測されやすく,それゆえ事業主の予防策もある程度明確である場合には,無過失責任による補償責任(労働基準法の災害補償責任)を認めることは,理解を得やすかったと思います。無過失責任といえば,報償責任や危険責任という観点から説明されるのが普通ですが,加えて,事故類型から過失を推認しやすいという点で,あえて過失を問わなくてもよいという説明も付加できるような気がします。それだけなら過失の推定をして,使用者に反証の余地を与える手続のほうがよいのでしょうが,そこに労働者の迅速な保護という理由を持ち出すことができるのだと思います。もしこうした説明ができるのならば,精神障害のような事案になってくると,そのパターンは多様であり,予防策も多様となり,「これをしていなかったから過失が推定される」とは言いにくいケースが増えてくると思います(実際,あんしん財団事件では,いったんは不支給決定となり,労働保険審査会での再審査でそれが覆ったという微妙な事案でした)。そうなると,無過失責任の正当化根拠がゆらいでくることになり,そのようななかで(労働基準法の災害補償責任の責任保険である)労災保険の支給決定がメリット制に反映してくるとなると,どこかの段階で事業主に反証を認める機会を設けるべきという意見が出てきてもおかしくないのです。それが違法性の承継を認めるというようなやり方か,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるか,あるいは,昨年の行政通達のようなやり方によるのかはさておき,何らかの手続は必要となるでしょう(あんしん財団事件では,事業主側のメリット制適用の結果の差額が合計で約760万円とかなり大きいことから,こうした手続の必要性をいっそう意識しやすくなるでしょう)。
 労災補償とはそもそも無過失責任なのだからとか,支給決定の誤りは想定されているとか,そういった議論もできそうですが,やや乱暴な感じがします。もちろん精神疾患について,事業主がしっかり取り組むことは当然のことです。しかし,労災予防策は,メリット制ではなく,違った方法のほうが効果的ではないか,という問題意識をもった検討も進めるべきでしょう。
 いずれにせよ,原告適格の問題は,行政事件訴訟法9条の解釈問題ではありますが,同条2項に「当該法令の趣旨及び目的を考慮する」となっているので,労災保険法の問題にもなってくるわけです。その際は「迅速かつ公正な保護」ということの意味を深く考察していくことが必要であると思っています。

2023年11月22日 (水)

判例の新しさ

 「最近の判例」と言うときは,だいたい23年くらい前までのものを考え,「近時の判例」と言うときは10年くらい前までのものを考えています。このように自覚的に分類すればいいのですが,あまり深く考えずに話していると,平成に入ってからの判例は,比較的新しいと言ってしまいそうです。平成というだけで新しいという感覚があるのですが,これは昭和世代の悪い癖(?)でしょう。私が判例を西暦表記にしたいと思うのは,いまよりどれくらい前のものかは,西暦にしたほうがわかりやすいからです。東亜ペイント事件の最高裁判決は昭和61年のものですが,何年前かすぐには計算できません。1986年の判決というと,簡単な引き算でできます(37年前です)。ただ今度は,この37年というのが,どれだけ古いかというのも,年をとってくると時間感覚が若い人とは違ってきますよね。
 こんなことを書いたのは,学部2年生相手に授業をしていて,先日,採用内定取消に関する大日本印刷事件を扱ったのですが,学生にとって就活に関係する重要な判例だから自分のことと思って判決を読んでほしいと言ったものの,学生には,事実関係がなんとなく古めかしく感じたようです。よく考えると,判決の出た昭和54年(1979年)というと,44年も前,つまり半世紀近く前なのであり,これは学生にとっては歴史の世界の話です。私が学生のときに昭和20年代の判例というと,とても古いと感じたのと同じようなものですね。
 こうなると,ほんとうに大日本印刷事件・最高裁判決を,拙著の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載していてよいのか,という気もしてきますね。もちろん同書は,時間的な新しさではなく,現在において意味のある判例という基準で選択しているので,大日本印刷事件はなお必要ですが,今後,就職活動のあり方が変わっていくと,少なくとも新卒の内定という観点から同判決を選ぶ意義は大幅に低減するかもしれません。
 学生たちからは,「採用内定当時知ることができず,また知ることが期待できないような事実」という判決中の文言は,SNSをチェックしたらわかるような事実も含まれるのであろうか,というような質問もありました。最高裁判決が採用内定取消を認めるかどうかの重要なポイントとしている点ですが,これを現代風にどこまでアレンジできるか,そして,それが難しくなり,時代の変化に対応できなくなったときには,「最新重要判例200」の選外となっていくのでしょう。

2023年11月20日 (月)

本日のLSの講義

 今日のLSの講義では,まず団体交渉のところで,山形大学事件と朝日放送事件の最高裁判決を扱いました。山形大学事件については,私独自の理解もあるのですが,まずは判決文の内容を素直に読んで確認してもらい,それについての通説的な理解を示したうえで,私のそれに対する批判を述べました。学生には,私の批判の部分については聞き流すだけでよいと伝えています。LSの授業では,私の授業であるといっても,私の意見を本番の試験で書いて不合格となっては困りますので,最高裁の判決文をしっかりふまえたうえで,あとは自分で考えて立場を決めてほしいと言っています。
 山形大学事件・最高裁判決の行政裁量論は,労働委員会の事件としては妥当なのです(懲戒免職の場合の退職手当不支給処分の適法性を肯定した宮城県教育委員会事件・最高裁判決のように,行政の裁量論に疑問の余地がある場合もあります)が,その前提にある誠実交渉義務の理解については,この最高裁判決とカール・ツァイス事件・東京地裁判決との関係をどう理解するかが難問です。個人的には,カール・ツァイス事件・東京地裁判決の誠実交渉義務論のままでよく,「合意達成の可能性の模索」こそが誠実交渉義務にとっての不可欠の中核的な要素であると考えています。最高裁は,合意成立の見込みがなくても誠実交渉義務があるという立場と読めますが,その立場だとしても,それは特殊な事例での判断と位置づけるべきでしょう(もともと事例判決ですが,その射程を限定すべきということです)。
 朝日放送事件では,使用者性の判断が先決事項であるという私の理解を強く押し出した授業をしました。学説によっては,義務的団交事項性の判断を先行させ,その事項について現実的・具体的な支配・決定力のある主体を使用者として認めるという見解もありますが,それは論理が逆転しているというのが私の理解です。こちらは自説のほうが分があると思い,少し丁寧に説明しましたが,この論点についても,学生には,最高裁判決の示した使用者性の判断基準と,それの事案へのあてはめを丁寧におさえておくようにして,学説に振り回されないようにという指示をしておきました。
 もう一つは都南自動車教習所事件・最高裁判決です。要式性を欠く労使間の合意に規範的効力があるかは,それ自体はそれほど面白い論点ではありませんが,書面性を欠く労使間の合意を,組合員が援用して賃金請求などができるかというところは,時間を割いて議論をしました。代理や第三者のためにする契約や労使慣行論など,いろいろな理論構成がありえます。そのうえで最後に,労使間では書面性がないような約束事は,事実認定として,拘束力のある合意として成立したとは認められないだろう(集団的労使間においては,要式性を欠く合意というものは考えにくいということ),というちょっとしたオチもつけておきました。

 

2023年11月17日 (金)

消防におけるパワハラ事件

 先日,大学院の授業で扱った糸島市消防本部長事件の福岡高裁判決(202368日)は,暴言,暴力などのパワハラを理由に消防指令という地位にあった消防職員A40歳代後半)が分限免職処分になった事件でした。1審は取消されていましたが,控訴審はこれを有効としました。
 この職員のために退職した人もいるなど,問題はあったのでしょうが,授業のなかで,判決のなかで気になる箇所が議論となりました。控訴審判決は,Aの非違行為を列挙したうえで,「公務員である消防職員として必要とされる一般的な適格性を欠くと見ることが不合理であるとはいえないし,前記のAの行為,態度は,Aの素質,性格等によるものであり,注意又は指導を行ったとしても,容易に矯正することができないと見ることが不合理であるともいえない」というのですが,この組織では,Aはそれなりに評価されていたから昇進してきたわけです。組織内でもパワハラ対策の方針について明確なものはなかったという事情もありました。Aには,大きな問題のある言動があったことは確かですが,注意や指導をしても無理なほど本人の性質や性格に難があると決めつけることができるのだろうかという疑問が提起されました。本件は公務員の事案ですが,民間部門でいうと,解雇は性急すぎるので濫用という判断もありえたかもしれません。
 パワハラによる処分は,昭和生まれ世代の40代以上の人にとっては,自分が育成されたときとはまったく異なるルールが適用されたという不意打ち感がありえます。もちろん,それに適応していかなければならないのですが,その適応のための第一次的な責任を負うべきなのは組織であり,組織の責任を個人に全面的に転嫁してはいけません。
 とはいえ,嘆願書なども出てきているので,Aをいまのポストに残すのが難しいということも理解できます。授業では,違うポストに降格させる可能性はなかったのか,という意見もありました。また,もしこういう事件が民間部門であった場合には,まさに解雇の金銭解決がぴったりなのではないかということについても議論しました。懲戒解雇ではなく普通解雇なので退職金が支払われるから実質的に金銭解決になるという話ではなく,私たちが唱えている完全補償ルール(大内伸哉・川口大司編『解雇規制を問い直す』(有斐閣)を参照)による金銭解決を適用できれば,妥当な解決となるという話です(組織のために切らなければならないが,しっかり補償はするということです)。同書では,懲戒解雇の場合は補償をゼロとすることがありえるとしています(296頁にいう「C型」)が,裁判官が一部補償という選択ができることも想定しています。

2023年11月16日 (木)

懲戒解雇と退職金

 ビジネスガイド(日本法令)の最新号(940号)の「キーワードからみた労働法」(第197回)のテーマは,「懲戒解雇と退職金」です。第184回で「退職金」をテーマとしましたが,今回は,それと連続して,懲戒解雇の場合の退職金の不支給や減額の問題を採り上げています。宮城県教育委員会事件の最高裁判決(2023627日)で,飲酒運転で物損事故を起こした県立高校の教員が,懲戒免職と退職手当の不支給処分を受けた事件で,退職手当の3割支給を認めた控訴審を破棄し,最高裁が不支給処分の適法性を認めたことから,民間部門の相場感からはやや厳しいと思えましたので,この判決を切り口にして,少し詳しく検討してみました。実は民間部門でも,少し前に,みずほ銀行事件で東京高裁(2021年2月24日判決)がやや独特の判断基準で厳しい判断をしていたので,この論点は気になっていました。
 退職金の不支給・減額をめぐる判例法理に対しては,退職金の性質論をどう考えるか,就業規則上は退職金の不支給しか規定しない場合でも一部不支給とする法的根拠はあるのか(損害賠償ではない),さらに具体的な額としての3割とか4割といった数字は何を根拠としているのか,など不明確なところがたくさんあります。永年勤続に対する功労は完全には抹消されていないということで,一部支給を認めるとしても,基本的には退職金は企業の任意の制度で,その制度設計は労使の合意で自由にできるのであり,そこに裁判所が,ほとんど実質論だけで,介入してしまっていることの妥当性は議論の余地があるでしょう。それとは別に,本稿でも少しふれているのは,退職金の一部支給は,広い意味での解雇の金銭解決という意味もあるということです。退職金の性質論だけでなく,紛争解決の妥当性という観点からもみることができそうです。裁判官の頭には,そういう発想もあるのかもしれません。
 判例の解説は,拙稿をみてください。いずれにせよ,退職金が話題になってきている今日,これと関連する,懲戒解雇の場合の減額や不支給というテーマも,理論的な検討を深める必要があると思われます。

2023年10月31日 (火)

アムール事件

 大学院の授業で,フリーランスに対するハラスメントで安全配慮義務違反を認めたとする裁判例(アムール事件・東京地判2022525日)を採り上げました。安全配慮義務は,もともと「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」における信義則上の義務として一般的な射程をもつものですので(最3小判1975225日。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第120事件),業務委託契約関係のみがあり,雇用関係がない場合でも適用されてもおかしくありません。労働契約に類似のものについては,労働契約法5条の類推適用という言い方もできると思います。もっとも労働契約に引き付けなくても,安全配慮義務の射程は広いものであり,たとえば運送契約とか,そういう取引関係でもあてはまりうるものだと思います。その意味で,業務委託契約関係において安全配慮義務が認められるためには,アムール事件で言及しているような「実質的な指揮監督」という要素は必ずしも必要ではないと思います(実質的な指揮監督があったら,安全配慮義務違反が認められやすくなるという事情はあると思いますが)。判例には,重層的下請関係があるような場合の元受企業が下請企業に対して負う安全配慮義務については,実質的な指揮監督関係に言及するものはあります(最1小判19801218日,最1小判1991411日。後者は,前掲・拙著の125事件)が,11の業務委託契約の場合において,安全配慮義務を認めるうえでは,この判例の射程は及ばず,実質的な指揮監督とは異なる判断基準が適用できないかが検討されるべきでしょう。
 安全配慮義務が雇用契約・労働契約の「専売特許」でないとすると,そうした指揮監督や指揮命令の呪縛から解かれてもよい気がしますが,ただどこまで義務の射程が広がるかは気になるところで,今後の理論的課題でしょう。
 ところでアムール事件をみていると,フリーランス新法がなぜ制定されたかということがよくわかる気がします。契約書をきちんとかわしてくれない,報酬をきちんと支払ってくれない,納入した物(このケースでは,文章)に文句をつけて受領しないというような,下請法がもともと問題としていて,でも下請法の適用範囲にならないから保護されないという典型ケースであるように思います。それに加えて,ひどすぎるセクシュアル・ハラスメントが付着している事件です。
 安全配慮義務違反というかはともかく,本件において,会社も,その代表取締役(加害者本人)も損害賠償責任を負うのは当然ですが,今後のフリーランスのハラスメントからの私法上の保護という問題を考えるうえでは,ハラスメント以外の要素である,いわば取引上の優越的地位からくる問題を,どのように考えるかが重要でしょう。フリーランス新法14条1項3号は,「取引上の優越的な関係を背景とした言動であって業務委託に係る業務を遂行する上で必要かつ相当な範囲を超えたものにより特定受託業務従事者の就業環境を害すること」に対する必要な措置を講じる義務を,特定業務委託事業者に課しています。ここではいわば「取引上のパワハラ」というようなものが考慮されていますが,こうしたものがどこまで損害賠償責任の対象となるのか,その前提となる義務違反というものをどのようなものと考えるべきなのかが気になるところです。広義の安全配慮義務に押し込むのか,裁判例において発達してきた職場環境配慮義務に組み入れるのか,それともより広義の就業環境配慮義務のようなものを措定して,雇用関係の有無に関係なく広く就業者に対して,契約の相手方は就業環境に配慮する義務があり,フリーランス新法14条1項各号に挙げられているハラスメントの場合には,この義務に違反したかどうかをみることにするか,というようなことが考えられます。もっとも,この最後のアプローチでも,就業環境配慮義務違反があったとされるためには,さらに具体的な要件がそろう必要となると思われるので,どのような場合に義務違反が成立するかを検討することが今後の課題となりそうです。

 

2023年10月28日 (土)

コース別雇用

 先週のLSの講義では,『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第17講「雇用差別」を扱いました。そのなかで収録されている判例の一つに兼松事件・東京高裁2008131日判決があります。均等法制定前に採用された女性労働者が,均等法制定後も賃金差別などが残っていたということで,その賠償を求めた事件でした。裁判所は,労基法4条違反を認め,不法行為の成立を認めましたが,損害額の算定は困難ということで,民事訴訟法248条に基づき,1カ月10万円という損害額を認めました。それなりにアクチュアル(actual)な意義をもつ判決であろうということでケースブックに選択されています(私の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)でも掲載しています)。ただ当初の男女別コース制は,いまの時代からは考えられないような男女の異別取扱いであり,しかも均等法制定まではそれが公序良俗に反しないと判断されていることもあり,とても古い時代の事件だなという印象もあります。判決が出たのは,それほど古い話ではないのですが,内容が古いのです。現代の雇用差別の事件となると,ハラスメント関連の判例に重点をおいて授業をしたほうがよいかもしれませんね(もちろん,ハラスメント関連の判例も扱いましたが)。
  とはいえ,男女のコース別は歴史的な話であり,現実にまったくないかというと,実質レベルでみると,そうは言い切れません。むしろ男女別の雇用管理というものを完全になくすことは,とても難しいようにも思えます。最近でも,巴機械サービス事件(このBlogでも,以前に地裁判決のほうをとりあげた記憶があります)に出てくるような,実際上は,総合職は男性で,一般職は女性というような取扱いがなされている場合は少なくないような気がします。この事件では,女性は説明を受けてわかったうえで一般職に就いているとされ,コース別雇用が均等法5条違反とはされませんでしたが,その後のコース転換の運用が不十分であるとして,均等法63号違反とされました(東京高判202239日。1審と同じ)。兼松事件でも,コース転換の運用に問題があるとされました。
  兼松事件の場合は,入り口の男女別については,均等法前という時代背景もあって適法とされ,巴機械サービスのような平成に入って以降のものについては説明がきちんとされているから適法とされていますが,どちらも女性への総合職への転換のチャンスの与え方に問題があり,そうなると男女差別となるということです。制度の運用がきちんとされているかが,裁判所にチェックされるということです。
  もっとも,競争にさらされている民間企業では女性差別などをしていると,評判が下がりますし,それだけでなく,企業の業績を真剣に向上させたければ女性労働力を粗末に扱うなどできるわけがありません。いつも言うように,DX時代は女性のほうが相対的に力を発揮しやすい可能性があります。そうなると男女差別が残るのは,昭和の時代から活躍している企業で, ESG投資などを気にしなくても(当面は)やっていけるような企業でしょう(大企業とはかぎりません)。しかし,そういう新しい時代に適応しきれていない企業が,いつまでも日本の中心に居続けられていては,日本の未来は暗いでしょう。

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