判例の新しさ
「最近の判例」と言うときは,だいたい2~3年くらい前までのものを考え,「近時の判例」と言うときは10年くらい前までのものを考えています。このように自覚的に分類すればいいのですが,あまり深く考えずに話していると,平成に入ってからの判例は,比較的新しいと言ってしまいそうです。平成というだけで新しいという感覚があるのですが,これは昭和世代の悪い癖(?)でしょう。私が判例を西暦表記にしたいと思うのは,いまよりどれくらい前のものかは,西暦にしたほうがわかりやすいからです。東亜ペイント事件の最高裁判決は昭和61年のものですが,何年前かすぐには計算できません。1986年の判決というと,簡単な引き算でできます(37年前です)。ただ今度は,この37年というのが,どれだけ古いかというのも,年をとってくると時間感覚が若い人とは違ってきますよね。
こんなことを書いたのは,学部2年生相手に授業をしていて,先日,採用内定取消に関する大日本印刷事件を扱ったのですが,学生にとって就活に関係する重要な判例だから自分のことと思って判決を読んでほしいと言ったものの,学生には,事実関係がなんとなく古めかしく感じたようです。よく考えると,判決の出た昭和54年(1979年)というと,44年も前,つまり半世紀近く前なのであり,これは学生にとっては歴史の世界の話です。私が学生のときに昭和20年代の判例というと,とても古いと感じたのと同じようなものですね。
こうなると,ほんとうに大日本印刷事件・最高裁判決を,拙著の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載していてよいのか,という気もしてきますね。もちろん同書は,時間的な新しさではなく,現在において意味のある判例という基準で選択しているので,大日本印刷事件はなお必要ですが,今後,就職活動のあり方が変わっていくと,少なくとも新卒の内定という観点から同判決を選ぶ意義は大幅に低減するかもしれません。
学生たちからは,「採用内定当時知ることができず,また知ることが期待できないような事実」という判決中の文言は,SNSをチェックしたらわかるような事実も含まれるのであろうか,というような質問もありました。最高裁判決が採用内定取消を認めるかどうかの重要なポイントとしている点ですが,これを現代風にどこまでアレンジできるか,そして,それが難しくなり,時代の変化に対応できなくなったときには,「最新重要判例200」の選外となっていくのでしょう。