労働判例

2023年11月22日 (水)

判例の新しさ

 「最近の判例」と言うときは,だいたい23年くらい前までのものを考え,「近時の判例」と言うときは10年くらい前までのものを考えています。このように自覚的に分類すればいいのですが,あまり深く考えずに話していると,平成に入ってからの判例は,比較的新しいと言ってしまいそうです。平成というだけで新しいという感覚があるのですが,これは昭和世代の悪い癖(?)でしょう。私が判例を西暦表記にしたいと思うのは,いまよりどれくらい前のものかは,西暦にしたほうがわかりやすいからです。東亜ペイント事件の最高裁判決は昭和61年のものですが,何年前かすぐには計算できません。1986年の判決というと,簡単な引き算でできます(37年前です)。ただ今度は,この37年というのが,どれだけ古いかというのも,年をとってくると時間感覚が若い人とは違ってきますよね。
 こんなことを書いたのは,学部2年生相手に授業をしていて,先日,採用内定取消に関する大日本印刷事件を扱ったのですが,学生にとって就活に関係する重要な判例だから自分のことと思って判決を読んでほしいと言ったものの,学生には,事実関係がなんとなく古めかしく感じたようです。よく考えると,判決の出た昭和54年(1979年)というと,44年も前,つまり半世紀近く前なのであり,これは学生にとっては歴史の世界の話です。私が学生のときに昭和20年代の判例というと,とても古いと感じたのと同じようなものですね。
 こうなると,ほんとうに大日本印刷事件・最高裁判決を,拙著の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載していてよいのか,という気もしてきますね。もちろん同書は,時間的な新しさではなく,現在において意味のある判例という基準で選択しているので,大日本印刷事件はなお必要ですが,今後,就職活動のあり方が変わっていくと,少なくとも新卒の内定という観点から同判決を選ぶ意義は大幅に低減するかもしれません。
 学生たちからは,「採用内定当時知ることができず,また知ることが期待できないような事実」という判決中の文言は,SNSをチェックしたらわかるような事実も含まれるのであろうか,というような質問もありました。最高裁判決が採用内定取消を認めるかどうかの重要なポイントとしている点ですが,これを現代風にどこまでアレンジできるか,そして,それが難しくなり,時代の変化に対応できなくなったときには,「最新重要判例200」の選外となっていくのでしょう。

2023年11月20日 (月)

本日のLSの講義

 今日のLSの講義では,まず団体交渉のところで,山形大学事件と朝日放送事件の最高裁判決を扱いました。山形大学事件については,私独自の理解もあるのですが,まずは判決文の内容を素直に読んで確認してもらい,それについての通説的な理解を示したうえで,私のそれに対する批判を述べました。学生には,私の批判の部分については聞き流すだけでよいと伝えています。LSの授業では,私の授業であるといっても,私の意見を本番の試験で書いて不合格となっては困りますので,最高裁の判決文をしっかりふまえたうえで,あとは自分で考えて立場を決めてほしいと言っています。
 山形大学事件・最高裁判決の行政裁量論は,労働委員会の事件としては妥当なのです(懲戒免職の場合の退職手当不支給処分の適法性を肯定した宮城県教育委員会事件・最高裁判決のように,行政の裁量論に疑問の余地がある場合もあります)が,その前提にある誠実交渉義務の理解については,この最高裁判決とカール・ツァイス事件・東京地裁判決との関係をどう理解するかが難問です。個人的には,カール・ツァイス事件・東京地裁判決の誠実交渉義務論のままでよく,「合意達成の可能性の模索」こそが誠実交渉義務にとっての不可欠の中核的な要素であると考えています。最高裁は,合意成立の見込みがなくても誠実交渉義務があるという立場と読めますが,その立場だとしても,それは特殊な事例での判断と位置づけるべきでしょう(もともと事例判決ですが,その射程を限定すべきということです)。
 朝日放送事件では,使用者性の判断が先決事項であるという私の理解を強く押し出した授業をしました。学説によっては,義務的団交事項性の判断を先行させ,その事項について現実的・具体的な支配・決定力のある主体を使用者として認めるという見解もありますが,それは論理が逆転しているというのが私の理解です。こちらは自説のほうが分があると思い,少し丁寧に説明しましたが,この論点についても,学生には,最高裁判決の示した使用者性の判断基準と,それの事案へのあてはめを丁寧におさえておくようにして,学説に振り回されないようにという指示をしておきました。
 もう一つは都南自動車教習所事件・最高裁判決です。要式性を欠く労使間の合意に規範的効力があるかは,それ自体はそれほど面白い論点ではありませんが,書面性を欠く労使間の合意を,組合員が援用して賃金請求などができるかというところは,時間を割いて議論をしました。代理や第三者のためにする契約や労使慣行論など,いろいろな理論構成がありえます。そのうえで最後に,労使間では書面性がないような約束事は,事実認定として,拘束力のある合意として成立したとは認められないだろう(集団的労使間においては,要式性を欠く合意というものは考えにくいということ),というちょっとしたオチもつけておきました。

 

2023年11月17日 (金)

消防におけるパワハラ事件

 先日,大学院の授業で扱った糸島市消防本部長事件の福岡高裁判決(202368日)は,暴言,暴力などのパワハラを理由に消防指令という地位にあった消防職員A40歳代後半)が分限免職処分になった事件でした。1審は取消されていましたが,控訴審はこれを有効としました。
 この職員のために退職した人もいるなど,問題はあったのでしょうが,授業のなかで,判決のなかで気になる箇所が議論となりました。控訴審判決は,Aの非違行為を列挙したうえで,「公務員である消防職員として必要とされる一般的な適格性を欠くと見ることが不合理であるとはいえないし,前記のAの行為,態度は,Aの素質,性格等によるものであり,注意又は指導を行ったとしても,容易に矯正することができないと見ることが不合理であるともいえない」というのですが,この組織では,Aはそれなりに評価されていたから昇進してきたわけです。組織内でもパワハラ対策の方針について明確なものはなかったという事情もありました。Aには,大きな問題のある言動があったことは確かですが,注意や指導をしても無理なほど本人の性質や性格に難があると決めつけることができるのだろうかという疑問が提起されました。本件は公務員の事案ですが,民間部門でいうと,解雇は性急すぎるので濫用という判断もありえたかもしれません。
 パワハラによる処分は,昭和生まれ世代の40代以上の人にとっては,自分が育成されたときとはまったく異なるルールが適用されたという不意打ち感がありえます。もちろん,それに適応していかなければならないのですが,その適応のための第一次的な責任を負うべきなのは組織であり,組織の責任を個人に全面的に転嫁してはいけません。
 とはいえ,嘆願書なども出てきているので,Aをいまのポストに残すのが難しいということも理解できます。授業では,違うポストに降格させる可能性はなかったのか,という意見もありました。また,もしこういう事件が民間部門であった場合には,まさに解雇の金銭解決がぴったりなのではないかということについても議論しました。懲戒解雇ではなく普通解雇なので退職金が支払われるから実質的に金銭解決になるという話ではなく,私たちが唱えている完全補償ルール(大内伸哉・川口大司編『解雇規制を問い直す』(有斐閣)を参照)による金銭解決を適用できれば,妥当な解決となるという話です(組織のために切らなければならないが,しっかり補償はするということです)。同書では,懲戒解雇の場合は補償をゼロとすることがありえるとしています(296頁にいう「C型」)が,裁判官が一部補償という選択ができることも想定しています。

2023年11月16日 (木)

懲戒解雇と退職金

 ビジネスガイド(日本法令)の最新号(940号)の「キーワードからみた労働法」(第197回)のテーマは,「懲戒解雇と退職金」です。第184回で「退職金」をテーマとしましたが,今回は,それと連続して,懲戒解雇の場合の退職金の不支給や減額の問題を採り上げています。宮城県教育委員会事件の最高裁判決(2023627日)で,飲酒運転で物損事故を起こした県立高校の教員が,懲戒免職と退職手当の不支給処分を受けた事件で,退職手当の3割支給を認めた控訴審を破棄し,最高裁が不支給処分の適法性を認めたことから,民間部門の相場感からはやや厳しいと思えましたので,この判決を切り口にして,少し詳しく検討してみました。実は民間部門でも,少し前に,みずほ銀行事件で東京高裁(2021年2月24日判決)がやや独特の判断基準で厳しい判断をしていたので,この論点は気になっていました。
 退職金の不支給・減額をめぐる判例法理に対しては,退職金の性質論をどう考えるか,就業規則上は退職金の不支給しか規定しない場合でも一部不支給とする法的根拠はあるのか(損害賠償ではない),さらに具体的な額としての3割とか4割といった数字は何を根拠としているのか,など不明確なところがたくさんあります。永年勤続に対する功労は完全には抹消されていないということで,一部支給を認めるとしても,基本的には退職金は企業の任意の制度で,その制度設計は労使の合意で自由にできるのであり,そこに裁判所が,ほとんど実質論だけで,介入してしまっていることの妥当性は議論の余地があるでしょう。それとは別に,本稿でも少しふれているのは,退職金の一部支給は,広い意味での解雇の金銭解決という意味もあるということです。退職金の性質論だけでなく,紛争解決の妥当性という観点からもみることができそうです。裁判官の頭には,そういう発想もあるのかもしれません。
 判例の解説は,拙稿をみてください。いずれにせよ,退職金が話題になってきている今日,これと関連する,懲戒解雇の場合の減額や不支給というテーマも,理論的な検討を深める必要があると思われます。

2023年10月31日 (火)

アムール事件

 大学院の授業で,フリーランスに対するハラスメントで安全配慮義務違反を認めたとする裁判例(アムール事件・東京地判2022525日)を採り上げました。安全配慮義務は,もともと「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」における信義則上の義務として一般的な射程をもつものですので(最3小判1975225日。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第120事件),業務委託契約関係のみがあり,雇用関係がない場合でも適用されてもおかしくありません。労働契約に類似のものについては,労働契約法5条の類推適用という言い方もできると思います。もっとも労働契約に引き付けなくても,安全配慮義務の射程は広いものであり,たとえば運送契約とか,そういう取引関係でもあてはまりうるものだと思います。その意味で,業務委託契約関係において安全配慮義務が認められるためには,アムール事件で言及しているような「実質的な指揮監督」という要素は必ずしも必要ではないと思います(実質的な指揮監督があったら,安全配慮義務違反が認められやすくなるという事情はあると思いますが)。判例には,重層的下請関係があるような場合の元受企業が下請企業に対して負う安全配慮義務については,実質的な指揮監督関係に言及するものはあります(最1小判19801218日,最1小判1991411日。後者は,前掲・拙著の125事件)が,11の業務委託契約の場合において,安全配慮義務を認めるうえでは,この判例の射程は及ばず,実質的な指揮監督とは異なる判断基準が適用できないかが検討されるべきでしょう。
 安全配慮義務が雇用契約・労働契約の「専売特許」でないとすると,そうした指揮監督や指揮命令の呪縛から解かれてもよい気がしますが,ただどこまで義務の射程が広がるかは気になるところで,今後の理論的課題でしょう。
 ところでアムール事件をみていると,フリーランス新法がなぜ制定されたかということがよくわかる気がします。契約書をきちんとかわしてくれない,報酬をきちんと支払ってくれない,納入した物(このケースでは,文章)に文句をつけて受領しないというような,下請法がもともと問題としていて,でも下請法の適用範囲にならないから保護されないという典型ケースであるように思います。それに加えて,ひどすぎるセクシュアル・ハラスメントが付着している事件です。
 安全配慮義務違反というかはともかく,本件において,会社も,その代表取締役(加害者本人)も損害賠償責任を負うのは当然ですが,今後のフリーランスのハラスメントからの私法上の保護という問題を考えるうえでは,ハラスメント以外の要素である,いわば取引上の優越的地位からくる問題を,どのように考えるかが重要でしょう。フリーランス新法14条1項3号は,「取引上の優越的な関係を背景とした言動であって業務委託に係る業務を遂行する上で必要かつ相当な範囲を超えたものにより特定受託業務従事者の就業環境を害すること」に対する必要な措置を講じる義務を,特定業務委託事業者に課しています。ここではいわば「取引上のパワハラ」というようなものが考慮されていますが,こうしたものがどこまで損害賠償責任の対象となるのか,その前提となる義務違反というものをどのようなものと考えるべきなのかが気になるところです。広義の安全配慮義務に押し込むのか,裁判例において発達してきた職場環境配慮義務に組み入れるのか,それともより広義の就業環境配慮義務のようなものを措定して,雇用関係の有無に関係なく広く就業者に対して,契約の相手方は就業環境に配慮する義務があり,フリーランス新法14条1項各号に挙げられているハラスメントの場合には,この義務に違反したかどうかをみることにするか,というようなことが考えられます。もっとも,この最後のアプローチでも,就業環境配慮義務違反があったとされるためには,さらに具体的な要件がそろう必要となると思われるので,どのような場合に義務違反が成立するかを検討することが今後の課題となりそうです。

 

2023年10月28日 (土)

コース別雇用

 先週のLSの講義では,『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第17講「雇用差別」を扱いました。そのなかで収録されている判例の一つに兼松事件・東京高裁2008131日判決があります。均等法制定前に採用された女性労働者が,均等法制定後も賃金差別などが残っていたということで,その賠償を求めた事件でした。裁判所は,労基法4条違反を認め,不法行為の成立を認めましたが,損害額の算定は困難ということで,民事訴訟法248条に基づき,1カ月10万円という損害額を認めました。それなりにアクチュアル(actual)な意義をもつ判決であろうということでケースブックに選択されています(私の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)でも掲載しています)。ただ当初の男女別コース制は,いまの時代からは考えられないような男女の異別取扱いであり,しかも均等法制定まではそれが公序良俗に反しないと判断されていることもあり,とても古い時代の事件だなという印象もあります。判決が出たのは,それほど古い話ではないのですが,内容が古いのです。現代の雇用差別の事件となると,ハラスメント関連の判例に重点をおいて授業をしたほうがよいかもしれませんね(もちろん,ハラスメント関連の判例も扱いましたが)。
  とはいえ,男女のコース別は歴史的な話であり,現実にまったくないかというと,実質レベルでみると,そうは言い切れません。むしろ男女別の雇用管理というものを完全になくすことは,とても難しいようにも思えます。最近でも,巴機械サービス事件(このBlogでも,以前に地裁判決のほうをとりあげた記憶があります)に出てくるような,実際上は,総合職は男性で,一般職は女性というような取扱いがなされている場合は少なくないような気がします。この事件では,女性は説明を受けてわかったうえで一般職に就いているとされ,コース別雇用が均等法5条違反とはされませんでしたが,その後のコース転換の運用が不十分であるとして,均等法63号違反とされました(東京高判202239日。1審と同じ)。兼松事件でも,コース転換の運用に問題があるとされました。
  兼松事件の場合は,入り口の男女別については,均等法前という時代背景もあって適法とされ,巴機械サービスのような平成に入って以降のものについては説明がきちんとされているから適法とされていますが,どちらも女性への総合職への転換のチャンスの与え方に問題があり,そうなると男女差別となるということです。制度の運用がきちんとされているかが,裁判所にチェックされるということです。
  もっとも,競争にさらされている民間企業では女性差別などをしていると,評判が下がりますし,それだけでなく,企業の業績を真剣に向上させたければ女性労働力を粗末に扱うなどできるわけがありません。いつも言うように,DX時代は女性のほうが相対的に力を発揮しやすい可能性があります。そうなると男女差別が残るのは,昭和の時代から活躍している企業で, ESG投資などを気にしなくても(当面は)やっていけるような企業でしょう(大企業とはかぎりません)。しかし,そういう新しい時代に適応しきれていない企業が,いつまでも日本の中心に居続けられていては,日本の未来は暗いでしょう。

2023年10月26日 (木)

パワハラ加害者への懲戒処分

 今日の大学院の授業で扱った判例は,東京三協信用金庫事件・東京地判2022428日でした。パワハラ発言を理由に,本部事務部長の地位から考査役職へと降職され,さらに職能資格も降格された懲戒処分の有効性が争われた事件です。パワハラ発言とされる言動をしたとされる労働者は,昭和40年生まれの男性で,発言を受けたのは,昭和50年生まれの総務部人事研修担当の係長の女性でした。結論は,懲戒処分有効というものでしたが,いろいろ考えさせられるところがありました。
 懲戒処分は,懲戒解雇のような雇用終了型懲戒処分だけではなく,より軽い雇用維持型懲戒処分でも,労働者の利益を保護する必要があり,懲戒事由の該当性や懲戒処分の権利濫用性などについて厳格に判断する必要があります。もっとも,ハラスメント系の事件では,第一次的な被害者は別の労働者であり,その利益をまず保護する必要があり,パワハラについても,事業主には労働施策総合推進法30条の2において,雇用管理上必要な措置を講じる義務があると定められていて,さらにパワハラ指針によると「就業規則その他の職場における服務規律等を定めた文書における職場におけるパワーハラスメントに関する規定等に基づき,行為者に対して必要な懲戒その他の措置を講ずること」もこうした措置に含まれています。つまり,パワハラという非違行為に対しては,懲戒処分という労働者にとって不利益性が大きい処分をあえて行うことが事業主に求められているのです。ただ,懲戒処分は,企業秩序の侵害に対する制裁であり,直接的にはパワハラの被害者の利益を守るためのものではありません。実際には,被害者は,パワハラの加害者に対して厳正な処分をするように企業に求めてくることはありますが,だからといって企業がその要請を受け入れなければならないわけではなく,企業のほうは,懲戒法理に基づき,加害者とされる労働者の利益にも配慮しながら,適正に処分をする必要があります。
 もっとも,今日は,パワハラの被害者のためにも,加害者に懲戒処分をせよ,という声が強くなる傾向があるような気がします(実際にそうした処分に値するような非違行為をしていた場合もあるでしょう)。ただ,労働法的には,被害者である労働者の利益も重要ですが,加害者である労働者の利益も重要です。ここのバランスが適正にとられなければ,よい法的解決にはつながらないように思えます。とくにパワハラの場合には,何が違法なパワハラかの基準が不明確であり,さらに事実認定に争いが生じることが多いことも念頭に置く必要があります。
  今回の事件で一つ気になったのは,パワハラ的言動について被害者は30分と言っているけれど,実際には5分であったと認定されているところです。この点について,裁判所は,「経験則上,パワーハラスメントに当たる発言を受けた被害者が,加害者から加害行為を受けた時間を主観的感覚に基づいて実際よりも過剰に申告するということはあり得る」とし,過剰申告があったからといって,供述部分の信用性が左右されるものではないとしています。ここだけとれば,そのとおりという気もしますが,判決全体をみると,加害者側の労働者に厳しい判断がされているという印象を受けないわけではありません。
 パワハラは,加害者個人の行き過ぎた行為による場合もあるでしょうが,基本的にはそうした個人を管理職などに配置していた組織の問題といえます。懲戒処分は,上記のような法律に求められている企業の義務をはたすという意味があるとはいえ,本来的には企業がパワハラが起きないような組織管理をする責任があるのであり,加害従業員に懲戒処分を課すことが,企業の本来的な責任をあいまいにしてしまうことがないようにしなければなりません。企業の職場環境配慮義務には,従業員にパワハラをさせないような(また,それによりパワハラの被害者がうまれないような)人事管理をすることも含まれているのであり,懲戒処分を課さなければならないような事態が生じるのは,企業の人事管理の失敗だといえるのです。そうはいってもパワハラが起きてしまったらどうするかという問題は残ります。上記の事件では,加害者側は管理職として不適格であるという面がありそうなので,人事上の処分としての降格をするということでもよかったかもしれません。

2023年10月23日 (月)

秋北バス事件

 本日の学部2年生相手の少人数講義は,秋北バス事件を取扱いました。いまさら秋北バス事件かという感じですが,秋田のバス会社で管理職に導入された55歳定年制をめぐる紛争が,日本の労働法において最も重要な判例と言われる秋北バス事件・最高裁大法廷判決を生み出したのです。これは,ちょっとしたドラマでしょう。まだ法律の勉強をほとんどしていないはずの2年生相手ですので,法学ってこんな議論をするんだということを味わってもらえればと思っていたのですが,結構面白い意見を述べてくれました。多くの学生が反応したのは「合理性」という概念です。「合理性」って曖昧だよねという意見(色川幸太郎反対意見もそのことは強く述べています)と,社会が変化するのだから,こういう弾力的な概念のほうがよいという意見がありました。企業に対して,合理性というような形で制限をかけるのはいかがなものかという,労働法の洗礼を受けていない段階での学生ならではの率直な意見があったり,他方で,この程度のことで合理性があると言って,労働者が退職させられてしまうのはおそろしいといった感想を述べる学生もいました。法廷(多数)意見は,就業規則では一方的な変更を認めるけれど,あとは労働組合をつくって頑張ってねというメッセージを発しているので,それを受けて,やはり労働組合は大切だという組合関係者が泣いて喜びそうな意見を言ってくれた学生もいれば,労働組合ってそこまで頼りになるのかという疑問を提起する学生もいました。定年制についても,いろいろ議論が出てきましたが,定年と雇用保障との関連性からすると,今日のように転職志向が強くなって雇用保障の意味合いが変わってきているなかでは,定年の存在意義もなくなるのではないかという意見もありました。秋北バス事件・最高裁判決は,当時の55歳定年制が合理的な制度であると述べたという意味もあるのですが,その定年制自体が徐々にその役割を終えようとしているのかもしれません。ということで,実質的に初回となる授業から,秋北バス事件を素材に,実にディープな議論ができました。
 改めてこの判決を読み返すと,3人の反対意見(意見としては横田正俊裁判長と大隅健一郎裁判官の連名の意見と色川意見の2つ)の理論的な筋の強さには,改めて感銘を受けました。私の博士論文の原型も,この反対意見にあるのであり,懐かしい気分になりました。重要判例を読み返すと,やはり得るものが大きいですね。 

2023年10月22日 (日)

KLM事件

 大学院の授業(LSではなく,研究者向け)では,学生が関心ある判例をチョイスして候補をだしてもらい,それを適切と判断すれば,授業で採り上げるということにしています。今回は,KLM Royal Dutch Airlines事件(東京地判2023327日)を扱いました。いろいろ興味深い論点があり,結論の妥当性についても議論の余地がありそうです。
 まず事案として興味深いのが,日本人差別が問題となっている点です。KLMの客室乗務員のうち日本人だけが有期雇用であるのは,憲法14条,労基法3条,OECD多国籍企業行動指針に反するという労働側の主張は,裁判所には認められませんでした。労基法3条についていえば,そこで禁止される国籍差別として主として想定されてきたのは,日本企業が,アジア系の外国人を差別するようなケースだと思いますので,外国企業による日本人差別の場合に同条の適用が問題となるケースというのは珍しいのではないかと思います。
 ただ本件では,労基法3条の適用余地はあったのでしょうか。裁判所は,準拠法のところの判断で,KLMの日本支店は,ほとんど機能しておらず,オランダ本社の中央集権的な支配に服しているという趣旨の判断をしています。その結果,法律の適用に関する通則法(通則法と略)121項による強行規定の適用の判断基準となる最密接関係地法は,オランダ法であるとしているのです。通則法122項によると,最密接関係地法は,労務提供地法と推定され,それが特定できない場合には,雇入れ事業所所在地法と推定されることになります。KLMの日本人客室乗務員の場合,オランダと日本を往復して仕事をし,労務提供地は特定できないことになりそうなので,雇入れ事業所所在地法が最密接関係地法となりますが,本判決は,上記のような日本支店の位置づけを考慮して,オランダ法が雇入れ事業所所在地法であると判断したのです。こういう判断になってくると,労基法の適用を根拠づける「事業」についても,日本支店は,オランダにある本社の事業の一部となり,労基法が適用されないという解釈もありうるような気がします。また労基法の公法的側面と私法的側面を分け,後者は通則法によるとしても,そうすると本判決の立場からは,やはりオランダ法が適用されることになるので,日本法(労基法)は適用されないことになりそうです。授業中は気づかなかった論点ですし,私は何か誤解しているかもしれませんが,あとから気になってきました。
 授業では,KLMが主張し,裁判所も認めた日本人にだけ有期雇用にしている理由(要するに,日本人が乗務する日本線は採算が悪くなればリストラされる路線であること)は,ほんとうに合理的なものとなるのかということに疑問が出されました。とはいえ,そもそもKLMは,準拠法は契約書に明示されているように日本法であると考えていたのであり,オランダ人はオランダ法で,日本人は日本法で処遇しようとしていたのです。これは基本的には望ましいことのようにも思えます。そこで生じた処遇の違いを,差別禁止規制で扱うことについては違和感があるという問題提起もされました。
 問題は,通則法121項に関する結論です。こちらは国際私法の問題なので本来は専門外ですが,労働契約の特例規定(12条)があるので,労働法の立場からも軽視はできません。雇入れ事業所所在地法がオランダ法になるという結論は,通則法では想定されていなかったことではないでしょうか。通則法121項で,主として想定されているのは,外国企業に雇用されて,日本で就労している日本人が,当該企業の所在地の知らない法律を準拠法として選択されてしまうというようなケースであり,そうした準拠法選択は,労働契約に内在する非対等性から,労働者の意に反して事実上強制的になされるおそれがあるので,そんなときでも日本法の強行規定の適用の意思を表示すれば,日本法の保護は受けられるのです。日本人の最密接関係地法が日本法であるということも前提となっています。ところが,本件は日本人から,オランダ法の強行規定の適用を求めたのです。こうした意外なことが起こったのは,オランダ法の有期雇用の無期転換ルールが,日本よりも労働者に有利なものだったからです。
 オランダ民法典668a条では,無期転換の要件がトータル3年か更新3回というものでしたので(同条については,大内伸哉編『有期労働契約の法理と政策―法と経済・比較法の知見をいかして』(弘文堂)の173頁(本庄淳志執筆)も参照。同条はその後の改正があるようです),KLMは日本の無期転換を避けるために5年で打ち切ろうとしたのですが,オランダ法が適用されると,3年を超えているので無期転換が認められ,実際,そうした結論となったのです。
 オランダ民法典668a条が強行規定かというところは,少しツッコミどころがあります。同条については協約によるデロゲーションが認められているので,その点をどう考慮するかです(「集団的デロゲーション」)。個別的デロゲーションが認められているとなると(個別労働契約によるオプトアウトなど),強行規定性は希薄となります(任意規定に近くなる)が,集団的デロゲーションであれば,なお強行規定性は維持されていると解すべきなのでしょうかね。ただ,もし本判決のように,オランダ民法典668a条が日本人客室乗務員にも適用されるとわかっていれば,KLMはオランダの労働組合とデロゲーションの協約を締結していたかもしれないので,その点では,KLMにはやや気の毒な気もします。この点も授業では議論されました。
 もう一つ気になるのが,本件では,客室乗務員が加入する労働組合が,労働委員会のあっせんの場で,契約の更新期間の上限を,日本の無期転換ルールをふまえて,トータル5年とすることについて,KLMと合意していることです。こうした合意をした背景には,KLMが,オランダ側の労働許可の関係で,無期雇用とすることは不可能であるという誤った説明をしていたことなども関係しているのですが,本判決は,労働組合の同意は,動機の錯誤による無効とはならないとしています(錯誤がなくても,労働組合は同意をしていたとして因果関係を否定)。また,この同意は,労契法18条の趣旨を没却するようなものでも,同法19条の潜脱を図ったものでもないと判断されています(そもそも,この事件では,契約のトータルの期間が5年を超えるような期待には合理性がないと判断されています)。
 ただ,本判決は否定していますが,本件を無期転換権の事前放棄の問題とみることもできます。こうした放棄は行政解釈によると無効とされていますが,私が気になるのは,これが労働委員会の場でのあっせんでなされたということです。労働委員会が,合意書の内容形成にどの程度関与したかわかりませんが,私は昔書いた論文で,デロゲーションが認められる要件として,労働者が任意に加入した労働組合,または,労働行政機関において,企業からの情報提供と説明がなされて,当該個人が書面により同意を行うという手続がふまれた場合というのを挙げたことがあります(「従属労働者と自営業者の均衡を求めて-労働保護法の再構成のための一つの試み」『中嶋士元也先生還暦記念論集 労働関係法の現代的展開』47頁以下(2004年))。実務上も,労働委員会の和解やあっせんでは,強行規定に関係するような労働者の権利も譲歩の対象に含む内容の合意がされていることがあると思います。厳密にいうと,こうした合意の有効性には疑義が有りうるのですが,実務的にこれで紛争の解決がなされているのです。それに理論的な根拠を与えるとすれば,労働者の強行規定由来の権利であっても,一定の要件を充足すれば,放棄できるということであり,その一定の要件に,労働組合や労働行政機関の関与が入るのだと思います。本件では,個人ではなく,労働組合が主体となって,かつ労働委員会の関与のあるなかでの合意なので,上記の観点からは,いっそうのこと,無期転換権の放棄だって認められてよいといえそうです。ただし,企業からの情報提供と説明が具体的にどこまで不十分であったかということは気になるので,結論としては,やはり無期転換権の放棄は難しいということになるかもしれません。

 

2023年9月30日 (土)

経済産業省(トランスジェンダー)事件

 本日の神戸労働法研究会では,例の経済産業省事件の最高裁判決(最3小判2023711日(令和3年(行匕)285号)について,大学院生が報告してくれました。この事件は,行政法(国家公務員法)の事件ではありますが,広い意味では労働法の事件ということで,1審も控訴審も,労働法の研究者が評釈を書いていますね。
 MtF(男性to女性)型のトランスジェンダーの職員Xは,性別適合手術は受けず,戸籍上も男性のままであるなか,20097月にカミングアウトして,同年10月に女性トイレの使用などの要望を出しました。その後,20107月に職場で説明会が開かれ,Xはその後は女性として勤務していたのですが,トイレについては,他の同僚女性職員の羞恥心や嫌悪感などに配慮して,女性トイレの使用制限がされていました(本件処遇)。これについて,Xは201312月に国家公務員法上の措置請求をしたところ,人事院は20155月に措置をしないという処分をしたため,その取り消しを求めて訴えが提起されました(そのほかにも,国賠法による請求などがありましたが,最高裁がとりあげたのは,この争点だけでした)。1審はX勝訴,2審は国勝訴と結論が分かれましたが,最高裁は全員一致で2審判決を破棄し,1審判決を支持しました。補足意見も4つあり(同調意見も含めると5つ。つまり全員),個人の意見を書かずにはいられないような事件だったのでしょう。補足意見からは,最高裁が,きわめてX救済のために前向きな姿勢で議論していたことがうかがえます。法廷意見は,次のようなものでした。 
 「本件処遇は,経済産業省において,本件庁舎内のトイレの使用に関し,Xを含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。そして,Xは,性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ,本件処遇の下において,自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか,本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり,日常的に相応の不利益を受けているということができる。一方,Xは,健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの,女性ホルモンの投与や≪略≫を受けるなどしているほか,性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に,Xが本件説明会の後,女性の服装等で勤務し,本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また,本件説明会においては,Xが本件執務階の女性トイレを使用することについて,担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり,明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに,本件説明会から本件判定に至るまでの約410か月の間に,Xによる本件庁舎内の女性トイレの使用につき,特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ,本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
 以上によれば,遅くとも本件判定時においては,Xが本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて,トラブルが生ずることは想定し難く,特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり,Xに対し,本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると,本件判定部分に係る人事院の判断は,本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し,Xの不利益を不当に軽視するものであって,関係者の公平並びにXを含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして,著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」
 国家公務員法87条は,「一般国民及び関係者に公平なように,且つ,職員の能率を発揮し,及び増進する見地において,事案を判定しなければならない」と定めており,本件は,この点について著しく妥当性を欠くものとされました。
 最高裁は,Xの不利益と比べ,他の職員への配慮の過度の重視というバランスの悪さを問題としています。もっとも,2審までで言及されていた「性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは,法律上保護された利益である」という部分は採用しませんでした(宇賀克也裁判官の補足意見では言及されている)。Xの不利益が,たとえば憲法上保障されている権利を侵害しているとなると,他の利益との衡量をかなり難しくするのですが,この点には法廷意見は言及しませんでした(人権論でぐいぐい押すということはしなかったということです)。しかし,Xの日常の不利益をきわめて重くとらえる判断をしていることは,明らかと思われます。一方で,他の女性職員の違和感などは抽象的なものにとどまり,Xの不利益を甘受させるだけの具体的な事情がなかったのであり,それゆえ最高裁は,これを重視しませんでした。とくに,他の女性職員の違和感に関して,事実として認定されているのは,職場の説明会で,Xのトイレ使用について,数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えたという点だけでした。研究会では,(官僚の世界の風通しの悪さから)女性職員が明確に異を唱えることは難しかったのではないかという指摘もありました。たしかに,もし明確に多数の女性職員が異を唱えていたらどうなっていたかということは気になるところでした。ただ,この点についても,宇賀裁判官は,「Xが戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員がXと同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は,トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので,研修により,相当程度払拭できると考えられる。Xからカミングアウトがあり,平成2110月に女性トイレの使用を認める要望があった以上,本件説明会の後,当面の措置としてXの女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかったとしても,経済産業省は,早期に研修を実施し,トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ,かかる制限を見直すことも可能であったと思われるにもかかわらず,かかる取組をしないまま,Xに性別適合手術を受けるよう督促することを反復するのみで,約5年が経過している。この点については,多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえないように思われる」と述べておられます。2審までで問題とされていた上司のハラスメント発言も含め,経済産業省側の対応が断罪されているように思えます。
 これをトランスジェンダーの肩をもちすぎであると批判すべきでしょうか。私は,個人がいかにして納得して働けるようにするかは,企業経営にとって最も重要な経営理念であると考えています。拙著『人事労働法』は,そういう観点からの労働法体系の構築をめざしたものであり,本件のような公務員においても,その精神はあてはまると思います。 また,これは障害者雇用促進法の合理的配慮にも通じるものであり,個人の有する能力の有効な発揮について,個人の特性に応じた配慮をすることは,障害者だけでなく,労働者全般に対して企業に求められる義務だと思っています(ただし,それが過重な負担となるときはこの限りではありません)。
 なお,トイレ問題にかぎっていえば,理想は,性別トイレをなくし,誰でも使えるジェンダーフリートイレをメインで設置することだと思っています。もちろんプライバシーが守られ,安全性も万全となっていることが大前提です。男性の使用後のトイレに入りたくないというような女性の意見もあるようですが,それはどこまで重視すべきでしょうか。ジェンダーフリートイレにより,トランスジェンダーのトイレ問題はかなり解決するのではないかと思っています。ただし,職場ではありませんが,新宿ではこうしたトイレの設置の試みが失敗に終わったようであり,この点では国民の意識改革が必要かもしれません(「ジェンダーレストイレ」わずか4カ月で廃止 新宿・歌舞伎町タワー 「安心して使えない」抗議殺到の末に)。もちろん,すべての企業がジェンダーフリートイレを設置できるわけではありません。費用などの過度の負担となる場合は,そこまでやらなくてもよいのですが,そういう場合には,女性職員の理解を得るように,しっかり情報提供や研修をしていくことが求められるでしょう。不便や違和感は,基本的には,生来のものではないので,教育の力で解消することは可能なのです。
 本件は,MtFのトランスジェンダーであれば,当然に,女性トイレを使用できるということを言った判決ではありません。事実関係として,Xがカミングアウトし,職場での説明会の後は女性として勤務し続け,何もトラブルがなかったということ,5年もの間,この女性は,トイレのためには2階上か下のところに行かなければならなかったこと,それにもかかわらず,国側は,そういう状況をつくったことについての,具体的な正当化理由を示していなかったこと,そういう事情があることが考慮されたからこそ,国は敗訴したのです。
 実は,国と霞が関の職員の関係で,個人の要求にそった措置がなされなかったからといって,最高裁で国が負けることはないだろうと思っていたのですが,おどろくなかれ,最高裁は,トランスジェンダーの不利益を十分すぎるくらいに考慮しました。補足意見で次々と繰り出されたメッセージも印象的で,最高裁は変わったという印象を強く与えています。
 性的な多様性も含め,多様性一般の議論は,賛否が対立します。こうした問題にどう立ち向かうべきかという大きな議論も必要ですが,個別の訴訟事件では,最高裁の法廷意見がいたずらに大きな議論をせずに,当該事案に即した判断をして,適切な解決を導くという抑制的な態度をとったことは評価できるのではないかと思います。本件はあくまで事例判決であるということを忘れてはなりません。しかし補足意見にこめられたメッセージもくみとらなければなりません。これらをふまえて,今後は,民主的フォーラムで,みんなで熟議することが必要なのです。
 いずれにせよ,賛否はともかく,読み応えのある判決といえるでしょう。

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