労働判例

2024年12月 5日 (木)

あんしん財団事件・最高裁判決

 先日の神戸労働法研究会において,同僚の行政法学者の興津征雄さんに,あんしん財団事件・最高裁判決(202474日判決)についての判例報告をしていただきました。以前にこの事件と類似の争点が問題となった総生会事件でもご報告いただいたことがあり,再登板をお願いしました。労災保険の支給決定について,メリット制の適用をうける特定事業主に支給決定処分の違法性を争う原告適格があるかは,行政事件訴訟法の問題だからです。興津さんの論評は,季刊労働法に掲載される予定ですので,そちらをご覧になってください。
 ただ,この問題は,行政法だけで決着がつくものではなく,労働法の観点からの議論も必要となります。
私は,この判決には反対ということではないのですが,すっきりしないところが残っています。そのすっきりしなさの原因の一つは,202212月に出された厚生労働省の「労働保険徴収法第 12 条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会報告書」です。同報告書は,「労災支給処分に関する特定事業主の不服申立適格等」という項目で,次のように書かれています。
 「審査請求人の不服申立適格については,基本的には行政事件訴訟法第9条第1項に規定する「法律上の利益を有する者」と同一と解釈してよく,当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいう。そして,当該処分を定めた行政法規が,不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず,それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には,このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たると解するのが判例の立場である。
 行政事件訴訟法第9条第2項では,処分又は裁決の相手方以外の者について前項に規定する法律上の利益の有無を判断するに当たっては処分の根拠法令の趣旨及び目的を考慮する際に,当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的を考慮することを裁判所に求めている。
 労災支給処分の根拠法規は,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡とい う保険事故の発生を要件として処分がなされるとしており,事業主の保険料に係る経済上の利益に係る要件は見当たらない。
 労災保険法の目的は迅速かつ公正な保護により労働者の福祉を増進することにあり,仮に労働保険徴収法が行政事件訴訟法第9条第2項の関係法令に当たるとして,労働保険の事業の効率的な運営を図るという目的を勘案したとしても,特定事業主の保険料に係る経済的な利益を労災保険法に基づく労災支給処分の中で保護していると読み込むことはできないと解される。また,労災支給処分が行われた段階では,未だ被災労働者が発生した事業場の特定事業主において具体的にどのような不利益が発生するのかが明確になっておらず,将来の労働保険料の支払いにおいて不利益が一定程度発生する可能性があるということにとどまるということ,……仮に特定事業主に労災支給処分の不服申立適格等を認めると被災労働者等にとって看過できない重大な不利益が生じる恐れがあること及び……保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性を主張することができ,特定事業主にも実効的な手続的保障を図る途があることも,この結論を支持する要素となる。」 
 この報告書は,あんしん財団事件・高裁判決(20221129日)の結論に正面から異を唱えたものであり,最高裁もその影響を受けたものといえます。厚生労働省が設置した検討会で,たった2回の会合しかなく,しかも2回目の会合ではその間に出された高裁判決(原告適格を肯定)を批判する委員の意見が並べられており,そして開始から2カ月も経たないうちに報告書を仕上げて(1回目の会合が20221026日,2回目の会合が127日,報告書が1213日),原告適格を否定する結論を提示するというのは,行政が最高裁に何らかの影響を及ぼそうとしたとしか思えません。そして,その狙いは十分に成功しました。これが,この判決にすっきりしないものを感じる理由です。
 もちろん,労働法の研究者のなかで,事業主の原告適格を否定することに異論がある人は少ないと思います。たしかに,被災労働者にはまず迅速な救済をし,特定事業主の保険料への反映はまた別の手続で検討するということであれば,それで問題はないと言えそうな気がします。しかし,労災保険の支給要件に該当しないにもかかわらずになされる支給は適法ではなく,本来は許されないものでしょう。それでも労働者に有利なものであるので,たとえ事実上の不利益な影響(当該事業主に対するメリット制だけでなく,保険の支出が増えて,全体の保険料に軽微とはいえ影響を与える可能性があります) が事業主に及ぶとしても仕方がないということであれば,これは非常に違和感のある議論です。報告書は,以下にみるように,この点について説明しようとしていますが,支給決定処分が司法によりチェックされないこと自体,行政の無謬性ということを想起させ,いやな感触があります。
 もし「迅速」な救済を重視するのであれば,せめて事後の保険料額の決定手続で,支給要件の該当性が否定された場合には,遡って支給決定を取り消すということにしなければおかしいのではないでしょうか(被災労働者のために,既払い額の返還については,上限を設けるというような配慮はあってよいと思いますが)。
 報告書では,この点について,「労災保険制度の趣旨に照らすと,一度確定した労災支給処分を事後に取り消すことに伴い被災労働者等に生じる不利益は極めて大きく,他方で,当該労災支給処分は,労災支給処分とは当事者や主張・立証も異なる保険料認定処分の不服申立等においてその支給要件非該当性が判断されたものに過ぎず,被災労働者等の法的地位の安定性の要請に重きをおくべきと考えられる。よって,労災支給処分の支給要件非該当性を理由として裁決又は判決による保険料認定処分の取消しが行われた場合であっても,そのことを理由に労災支給処分を取り消すことはしないという対応をとるのが適当と考えられる。そのように考えても,法律による行政の要請に抵触しないと言える。」と述べています。
 「法律による行政の要請に抵触しない」というのは,そういう説明もできるというだけで,堂々とまったく問題はないといえるものではないと思います。
 法学全体からみるとマイナーな論点かもしれませんが,労働者,事業主,行政のさまざまな立場の利害が交錯するこの問題は,その理論的な問題点だけでなく,厚生労働省がとった動きや1審から最高裁までの判決の推移も含め,学部ゼミなどで議論をするのに適した素材であるといえそうです。

 

2024年11月11日 (月)

渋谷労基署長(山本サービス)事件・控訴審判決から思うこと

 研究者コースの大学院で渋谷労基署長(山本サービス)事件の控訴審判決(東京高判2024919日)について報告をしてもらい,議論しました。よくわからないところが多い事件でした。訪問介護事業と家政婦紹介あっせん紹介事業を行っている会社Aにおいて,24時間介護の必要な重度要介護者Bのところに,訪問介護ヘルパーと家政婦として送り込まれたC7日間の泊まり込みでの業務(休暇取得者の代替業務)の後に心疾患で死亡したところ,家政婦は家事使用人(労働基準法1162項。労働基準法の適用除外)であるとして,労災保険の不支給処分がなされたことに対して,取消訴訟がなされたケースです。第1審(東京地判2022929日)は,Cは,家政婦としての家事業務と訪問介護としての介護業務の双方を行っているが,前者は要介護者の家族Dとの雇用契約によるものであり,それについては家事使用人としての扱いになるので,労災保険の対象とはならないとされ,介護業務の部分(時間的には家事業務よりもかなり少なかった)は業務の加重性は認められない(複数業務要因災害が認められる前の事案)として,結果としてC側の敗訴となりました。ところが,控訴審の東京高裁は,原判決を取り消して,不支給処分を取り消しました。高裁判決は,CA会社との間で,家事業務についても雇用契約を結んでいると判断し,かつCは家事使用人には該当せず,そしてCには「短期間の加重業務」があったとして,業務起因性を肯定しました。
 
 結論は妥当であるとしても,この法律構成でよいのか,ということは議論になりました。とくにDBの子)とCの契約はどうなったのか,ということです。重度の要介護者を抱える家族としては,同じヘルパーさんに,介護業務以外に自費負担で家事業務もお願いするということは,よくあることなのでしょう。この場合,家事業務については,サービス会社にあっせんを依頼することはありますが,意識としては,あくまで自分が契約者というものでしょう(私の個人的な経験からも,契約者とならざるをえないという感じです)。もっとも,このときの契約は人を雇うというよりも,プロの人材に介護と融合しているような家事を業務委託するか,あるいは,専門会社にプロ人材の派遣を求めるという感覚であることが多く,いずれにせよ,直接,ヘルパーを「雇用」する契約を締結する意識はないような気がします。業務委託なら,今日ではフリーランス法の問題となり,プロの派遣であれば,労働者派遣の問題となるでしょう。
 家政婦が家事使用人であることはおかしいというのは,濱口桂一郎さんが,『家政婦の歴史』(文藝春秋)という本で,歴史的経緯からも,きちんと説明されています(マニアックな本だと思いますが,労働法に関心のある人が読むと,とても面白い本だと思いますし,もちろん勉強になります)。GHQによる労働者供給事業の禁止に巻き込まれ,なんとか派出婦会の事業は職業紹介として生き残ったが,家政婦は女中と同じ家事使用人にされてしまい,労働法の適用対象から除外され,労災保険から除外され,その後,かろうじて特別加入だけ許された存在になってしまったということです。そして,濱口さんは,家政婦ビジネスの正しい法的な地位は,一般家庭(非事業主)が雇い主であるとみるのではなく(つまり職業紹介ではなく),家政婦紹介所が雇い主となった労働者派遣であるとします。
 ただ,労働者派遣となると,派遣先が労働者を指揮命令することになりますが,本判決のような場合には,要介護高齢者の家族が,プロのヘルパーに指揮命令をするというのは実態に合っているのかはやや疑問があるところです(たしかに,ヘルパーにいろいろなリクエストはするでしょうし,本件のDもそのようですが)。
 
 本判決は,A会社とBさんは,家事と介護の両方について単一の雇用契約を結んでいたとし,Dの存在は契約当事者から消えていきました。DBにしていた指示は,A会社の指揮命令を代行していたということかもしれませんが,やや苦しい法律構成です。また,Dが提示していた日給16000円の趣旨は,どうみても家事業務に対する賃金のように思えるのですが,裁判所はそれを家事業務と介護業務の全体に対する賃金であると認定していました。ここは,裁判所の説明が,よく理解できませんでした(私の理解不足なだけかもしれません)。もちろん,Cさんの自宅での就労の実態からみると,家事と介護を分けることには無理があり,第1審のような結論はAさんに酷であるというのはよくわかります。ただ,そのことから契約の単一性まで認めるのは,やや強引な気がするのです。
 ここからは,私のいつもの議論となります。病気やケガなどについて,私は,雇用労働者であれ,家事使用人であれ,フリーランスであれ,そのステイタスに影響されずに,統一的な保障が認められるべきではないかとか考えています。さらに,就労しているかどうかによっても左右されるべきではないと思います。本件のCさんのような働き方をする人が救われるようにするためには,こういう個人に着目したセーフティネットの構築こそが必要なのです。もちろん,そうなると,労災保険としての優遇がなくなります。従前の収入(平均賃金に準拠する給付基礎日額)が反映しないことにもなります。しかし,私は種々の制度の狭間に落ち込み不公平な結果が生じないようにすることこそが重要で,そのためにも,(現実性はさておき)公的な保障は,個人に着目したミニマムなものを内容とする制度にすることが必要だと考えています(ただし,本件のような死亡の場合,遺族補償というものをどう考えるかは,個人単位の保障を考えるとすると,検討が必要です)。

2024年10月23日 (水)

格差是正の方法

 昨日の日本経済新聞において,「正社員,待遇下げ「平等」の衝撃  非正規との格差是正 最高裁が手当減額容認」という記事が出ていました。「衝撃」というのは,おどろおどろしい見出しですね。
 済生会山口総合病院事件は,山口地裁判決(2023524日)までは確認できていましたが,その控訴審が出ていたことは知らず,またその上告が不受理になったことも知りませんでした。ということで,この日経新聞の記事でやっとわかったわけです。高裁判決は未確認ですが,地裁判決が維持されていたようです。地裁判決では,ある病院において,これまで正社員にのみ支払っていた扶養手当と住宅手当を廃止し,非正社員も含めた全従業員に新たな手当を創設して払うことにしたわけですが,これが正社員から見ると就業規則の不利益変更になって,その合理性が争われたという事件でした。裁判所は変更の合理性を認めて労働者側の敗訴としています。この判断が最終的に最高裁で維持されたということなのでしょうね(維持されたということと,記事が書くように,(積極的に)容認したというのは別のことです。上告不受理は,上告受理事由に該当しなかったということであって,高裁判決を正当と是認したのではありません)。短時間有期雇用法8条の不合理な待遇の禁止規定は,たしかにその前身である労働契約法旧20条の時から非正社員の処遇の改善が立法趣旨にあったことは明らかでしょう。しかし,条文の文言上は,単に「不合理と認められる相違を設けてはならない」というだ
けであって,格差をどのように是正するかということについては何も定めていません。立法趣旨からすると常に非正社員の処遇を引き上げる方向でのみ考えるべきだという解釈もありえないわけではありません。しかし,それは現実的ではないこともあります。経営状況が良い場合であればともかく,不合理な格差の禁止はそういう事情に関係なく適用されるのです。正社員の労働条件の引下げという方法の格差是正も,就業規則の不利益変更の合理性審査などをパスすれば可能なのだと思います。その合理性審査のなかで,非正社員の処遇改善を法律により求められているという事情がどう考慮されるのかは,新たな論点だといえます。定年延長の社会的要請を受け入れたことによる人件費の増大が,就業規則の不利益変更の必要性を根拠づけるという判例(第四銀行事件)もあったので,それとのアナロジーで,短時間有期雇用法の影響は変更の(高度の)必要性を根拠付けるという解釈もありえるでしょう。逆に,短時間有期雇用法8条の趣旨からすると,短時間有期雇用法の影響は,変更の必要性の要素として考慮してはならないという逆の解釈もありえるかもしれません(私は支持しませんが)。
 しかし問題は,こういう細かい解釈論よりも,端的にどうすれば,より公正な労働条件が実現するかです。短時間有期雇用法8条の理想的な使われ方は,企業に,個々の労働条件について,正社員と非正社員との間に不合理な格差がないかを精査するためのきっかけを与えるというものであり,その結果によっては,正社員にこれまで認めてきた労働条件を改めるということはありえるわけです。あるいは同法142項に基づく説明義務において,格差を非正社員にきちんと説明できないようなものについては見直しをすることとし,その結果として,正社員にだけ認めていた特定の手当を撤廃したり,正社員の手当の額を削減したうえで,非正社員もその額で支払ったりすることなども格差改善の形としてありえるわけです。
 そもそも私は非正社員の処遇の改善に,このような法律の強行規定を用いることには反対であり,しかもそれを非正社員の引上げだけを求めるという形で行うのには無理があると思っています。非正社員の処遇は改善したが,それにより,企業の経営状況が悪化し,結果として,全体の労働条件の引下げが必要となるということでは,元も子もありません。つまり,非正社員の労働条件は,正社員の労働条件と関係しているという視点が必要なのです。全体的にみてバランスの良い労働条件の再構築をすることが目指すべき目標で
あり,その結果,労働条件が引き下げられる正社員には,短時間有期雇用法8条の趣旨を丁寧に説明して納得をしてもらうよう努めることが必要であり,そして同条は,本来は,そのような労使交渉を促進するための道しるべとして用いられるべきものといえるのです。山口地裁の判決は,このような視点でみると,問題とする面はあまりなかったという判断を,不利益変更の合理性判断のなかで行ったとみることができるのではないでしょうか。
 労働契約法の旧20条や短時間有期雇用法8条のほんとうの立法趣旨は,正社員と非正社員との間の格差ある労働条件を,いかにして格差のない公正な労働条件に移行するかという点にあると再構成し,それが正社員の労働条件の不利益変更につながるのなら,その点について,きちんと合理性審査をしていくのですが,この合理性審査もまた,さらなる公正な労働条件(正社員の労働条件の引下げが行き過ぎないようにする)の移行への道しるべとなるという方向で考えていくべきです。
 いまのところは,そう考えていますが,この判決についても,いつか神戸労働法研究会できちんと議論して考察を深めていきたいです。

 

 

2024年10月 3日 (木)

間接差別

 住宅手当というのは,正社員と非正社員との間の格差ではときどき問題となり,最高裁では,ハマキョウレックス事件でも,長澤運輸事件でも,不合理性を否定していますが,控訴審判決では肯定したものもあります。事案によるのでしょう。ただ,同じ問題が,正社員の総合職と一般職の間で起きた場合,どうなるのでしょうか。労働契約法32項の一般的な均衡待遇の問題として扱うとしても漠然としていますし,就業規則の合理性の問題とするのもハードルが高そうです。ということで,総合職と一般職が実質的には男女差別であると論じる方法が出てきます。少し前に話題になったAGCグリーンテック事件(東京地方裁判所2024年5⽉13⽇)は,そのような事件であり[追記:総合職は社宅の提供と家賃補助で,一般職は住宅手当],結論として,会社に賠償命令が出されました(先日の神戸労働法研究会で,この事件がとりあげられました)。
 短時間労働者法が制定される前に,正社員と非正社員との間の格差について,男女間の(間接)差別として禁止されることがあるのではないか,という議論があり(欧州では,当初はこの方法で格差是正が図られました),有名な丸子警報器事件判決では,正社員に女性がいたこともあり,賃金格差について,労基法4条の問題にはならないとされましたが,最終的には不法行為の成立は認められ,格差の一部の賠償が認められました。AGCグリーンテック事件では,総合職に女性がいて,一般職に男性がいるケースでしたが,直接差別ではないが,間接差別であるとして賠償が命じられた点が注目されます。
 男女雇用機会均等法は,間接差別(7条)を禁止したうえで,それに該当するものを,同法施行規則2条で定める3類型に限定していますが,その類型に該当しない場合にも間接差別として司法上の救済を受ける可能性は否定されないというのが行政の立場でした(追記:施行通達でも,「則第2条に定める措置は,あくまでも本法の間接差別の対象とすべきものを定めたものであって,これら以外の措置が一般法理としての間接差別法理の対象にならないとしたものではなく,司法判断において,民法等の適用に当たり間接差別法理に照らして違法と判断されることはあり得るものであること」とされている)。そして,今回の判決は,これを司法の場で初めて認めたということです。一般論としては,間接差別は企業側の主観的意図が問われないため,不意打ち的なことになりがちで,企業が格差を是正をしなかったことに過失があったとして損害賠償責任を認めると,やや企業に酷といえることがあるような気もします。ただ,今回の事件は,研究会では,その法律構成をめぐってはいろんな意見が出ましたが,会社の対応に問題があることに異論はありませんでした。私の見解については,次の「キーワードからみた労働法」でとりあげる予定です。

2024年9月12日 (木)

三菱重工長崎造船所事件・最高裁判決

 後期のLSの授業は,労働時間のところから始まります。労働時間の概念ということで,まずは三菱重工長崎造船所事件の最高裁判決を扱うことになるのですが,これまでは最高裁の事実認定を確認し,判旨の内容(労働者上告と会社上告の判決がありますが,主として前者を扱います)を検討していました。ただ,いつも同じことをやっていたら飽きてしまうので(学生は毎回新しく判決をみるので飽きはしないでしょうが),もっと事実関係に深く迫るようなこともできたらなと思ったりもします。
 言うまでもなく,長崎造船所は,江戸幕府が建設したものを明治政府から三菱が払下げを受け,その後,造船大国日本を支える造船所となりました。そういう歴史的な事業所で起きた労働事件となると,学生の見る目も少し変わってくるかもしれません。
 私の本棚に眠っていた鎌田慧『ドキュメント労働者!19671984』(1989年,ちくま文庫)を引っ張り出すと,そこには「反合理化闘争―三菱重工業長崎造船所」という章があります。長崎造船所の第3組合である三菱重工長崎造船労働組合(長船労組)のことが書かれています。長崎造船所には,このほか全日本造船機械労働組合三菱重工支部長崎造船分会(長船分会・第1組合)と全日本労働総同盟全国造船重機械労働組合連合会三菱重工労働組合長崎造船支部(重工労組あるいは長船支部・第2組合)とがありました。第2組合は,第1組合から1965年に分裂して誕生し,第3組合はそれとは別に1970年に結成されています。第2組合が従業員の圧倒的多数を組織する組合です。上記の最高裁判決は,第3組合の長船労組の組合員が提訴したものでした。ちなみに,私の『最新重要判例200労働法(第8版)』(2024年,弘文堂)では,三菱重工長崎造船所事件が,この労働時間に関する事件(第98事件)以外に2つあります。1つは政治ストの正当性が問題となったもので,これは第1組合(長船分会)の組合員が訴えたものです(第164事件)。もう一つは,ストライキのときの賃金カットの範囲が問題となったものであり,こちらは第3組合(長船労組)が訴えたものです(第168事件)。また計画年休の労使協定の効力が問題となった福岡高裁の事件(第113事件)でも,原告は長船労組(そのときの名称は,全国一般労働組合長崎地方本部長崎連帯支部長崎造船分会)の組合員でした。長船労組は,しっかり日本の労働法の歴史に名を刻んでいるといえるでしょう(その後,2013年に組合員の従業員がいなくなり解散したという情報が掲載されているブログをみつけました)。この判決について,石川源嗣氏の『労働組合で社会を変える』(2014年,世界書院)は,はしがき(10頁)で,次のように書いています。
 「2000年に最高裁が初判断し,確定した『作業着への着替えも,労働時間』との長船労組提訴の判例は『労働者が始業時刻前及び終業時刻彼の作業服及び保護具の着脱等に要した時間が労働基準法上の労働時間に該当するとされた事例』として,いまでも実際に活用している。私たち以外でもこの判例による恩恵を受けている全国の労働者と労働組合は多いと思う。」
 中卒出身者のブルーカラーは,社内では身分差別を受けていました。会社に恭順の姿勢を示すこともできたでしょうが,出世を諦め,労働運動に身を投じて,労働者の権利擁護と地位向上に取り組むことを選択した組合員が,第3組合を支えていました。会社が打ち出した労働時間に関する管理の見直しは合理的なものであったかもしれませんが,組合員らには,奴隷的な労働のなかのささやかな息抜きでもあった従来の緩い労務管理からの決別のように思え,それへの抵抗に全力で取り組んだということでしょう。労働時間だけでなく,就業規則の不利益変更,労使慣行の効力,一般的拘束力の否定などは,法的な概念をまといながら,そのなかには労働者の必死の訴えがあったのかもしれません。
 それはともかく,上記の最高裁判決では,当初は就業規則で,始終業時刻とされる時間に,どのような状況でいなければならないかなどが具体的に定めていなかったときに,現場でこのあたりが妥当であろうという感じで続けられていた運用方法(の一部)が,裁判所の判断する客観的な労働時間概念に照らして妥当であったと認められたものです。そういう観点から見ると,結果としてではありますが,労使自治で決めたルールは,それなりに合理性があったということです(もちろん,これは結果論で,ただちに中核的活動以外の周辺的な部分は合意や慣行で決めてよいとする2分説が支持されるわけではないのでしょう)。こうした労使間の不文のルールを,就業規則で明文化して変更していこうとすると,どうしても紛争が起きてしまうのであり,これは労働委員会に持ち込まれる事件にも,しばしばあるパターンです。
 判例の形成という点では,労働組合が裁判に持ち込んでくれるのは有り難い面があるのですが,そうなると長い時間とコストがかかり,とくに労働者側に多くの犠牲がのしかかるように思います。一般論として,不文であっても既存のルールを変更しようという場合,経営側は労働側としっかり話し合って,できるだけ紛争にならないようにするのがベストだと思います(ストライキのときの賃金カットの範囲については,逆に,労使慣行とは関係なく,賃金2分説という法理論で労働組合は戦い,高裁まで勝っていましたが,最高裁で敗れました)。

2024年9月 5日 (木)

東亜ペイント事件・最高裁判決の先例性

 今年4月の滋賀県社会福祉協議会事件に関する最高裁判決は職種変更の事案でしたが,この判例評釈において,東亜ペイント事件の最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)の第33事件)が先例として挙げられています。たとえば,ジュリスト1600号に掲載された橋本陽子さんの論考がその一例です。いくつかの有力な教科書をみても,職種変更と勤務場所の変更が「配転」として扱われ,東亜ペイント事件は配転の事案であるため,職種変更の場合にも適用可能とされているように読めます。しかし,「A」という上位概念が下位の「B」と「C」という各概念で構成されている場合,B概念に関する判例がA概念に関する判例と位置づけられ,C概念にも適用されるとするためには,やはり説明が必要でしょう。なぜなら,この場合,A概念がB概念とC概念で構成されるという整理自体が,どのような理論的根拠に基づいているのかが,必ずしも明確ではないからです。
  東亜ペイント事件の最高裁判決は,勤務場所の変更,つまり転勤に関する事案に関するものです。なかでも住居の変更を伴う転勤について下された事例判決です(なお,判決内ではこの会社の就業規則に「配置転換」という言葉は出てくるだけで,その他は「配転」という言葉は登場せず,「転勤」という言葉しか出てきません。また,事案としても営業職からの変更はないという意味で職種変更の要素がない事案で,勤務場所の変更だけが問題となっているのです)。私は,東亜ペイント事件判決は,滋賀県社会福祉協議会事件とは本来は無関係であり,もし私が答案を遠慮なく採点するなら,滋賀県社会福祉協議会事件に関する検討で何の説明もなく東亜ペイント事件を先例として持ち出すと不合格としたくなります(実際には不合格とはしませんが)。
  配転に職種変更と勤務場所の変更(転勤)が含まれるとする概念整理そのものの妥当性は否定しませんが,だからといって職種変更と転勤のもつ意味が大きく異なることは忘れてはなりません。職種変更は現代ではジョブ型やキャリアといった観点から論じられることが多く,企業の人事上の必要性と考量される不利益性の内容もそれに関するものが多いです。一方,転勤では,ワーク・ライフ・バランスなどが問題となり,考慮される不利益性の内容が職種変更の場合と質的に異なります。企業が人事異動に関する大きな権限を保有し,職種や勤務場所の決定について広い裁量をもっているのですが,法的な視点からは両者の異質性をしっかりと見極めたうえで(とくに権利濫用性についての)判断をする必要があります。
 そもそも配転に限らず,人事上の権限行使については,就業規則の(合理的な)根拠が存在するか,特約により制限されていないか,そして当該権限行使が就業規則に則して行われているか,さらにはそれを基礎づける業務上の必要性と労働者の不利益性を考慮し,権利濫用がないかなどを判断すべきものです。この判断構造は基本的にすべての人事権に共通します(もちろん,私の「人事労働法」の立場からは,納得規範を適用するため,やや異なった判断構造をとります)。そのなかで,たとえば解雇であれば解雇の特質に応じたアレンジがなされ,懲戒や出向なども同様です。職種変更と転勤も,それぞれの特質に応じたアレンジが必要です。職種変更と転勤を配転として単純に一括りにすることには,理論的な疑問が残ります。
 拙著『人事労働法』(弘文堂)では,住居の移転に伴う転勤をその他の配転とは区別し,第5章「人事」ではなく,第7章「ワーク・ライフ・バランス」の中で,労働時間や休息,育児・介護と並ぶ項目として扱っています。
 LSの授業では,学生の司法試験の受験のことを考慮して通説から離れることはできるだけ回避していますが,職種変更と転勤の違いについては私としては看過できないので,その点については説明し,東亜ペイント事件の位置づけについても私見を述べました。もちろん,司法試験では通説に基づいて記述するようアドバイスしています。
  このことは以前にも触れた内容ですが,少し気になったので,改めて書きました。

2024年8月 6日 (火)

あんしん財団事件・最高裁判決に思う

 あんしん財団事件の最高裁判決(202474日)については,前に速報的な紹介をしましたが,昨日は,大学院の授業(最終回)で,学生に報告してもらい,検討しました。高裁判決のときも,授業で取り上げて,かなり検討をしましたが,最高裁では結論が逆転したことから,もう一度検討し直しました。今回の最高裁判決を改めて読み直してみると,バランスがとれているようには思えるものの,もやもや感が残るものでした。おそらく,労災支給処分と保険料認定処分を「切り離す」ことの違和感です。労災支給処分は,被災者の早期救済を重視し,事業主に取消訴訟の原告適格は認めないものの,保険料認定処分は,違法性の承継を認めて,メリット制の適用を受ける特定事業主が支給要件の非該当性を主張できるようにして(そこで支給要件該当性が否定されると,安全配慮義務違反の民事損害賠償事件にも事業主に有利に影響するかもしれない),それでみんなに不利益がないということかもしれません。しかし,保険料認定処分で,支給要件の非該当性が認められると,被災労働者は,支給されるべきではない給付を受けていたことにならないか,という疑問が出てきます。手続が違うからよいというのは便宜的な議論のように思えます。最高裁は,結論が決まったものについて,なんとか理屈をつけて作文したという印象を否めません。もちろん,多くの研究者からの支持(高裁判決批判)もあるから,最高裁もそれでよいと考えたのでしょう。ただ,労災保険については,ときおり最高裁のこうした制度趣旨などを形式的になぞったような判断がなされて気になります。特別支給金や年金の将来分の非控除説などがその例であり,しかも後者との関係で,労災保険給付を(損害賠償をした)事業主が代位取得することまで否定している点もそうです。

 ところで,ある学生から,メリット制の適用を無過失の事業主にも行っていることの疑問点が出され,はっとしました。メリット制は,最高裁もいうように,「事業主間の公平を図るとともに,事業主による災害防止の努力を促進する趣旨」とされています。「事業主間の公平を図る」という点では,労災保険が多いところと少ないところで保険料の差が生じることは当然といえそうですが,「事業主による災害防止の努力を促進する趣旨」のほうは,無過失の事業主にはあてはまらないと思います。「事業主間の公平」といっても,メリット制が適用される特定事業主の数はわずかであり,労災保険の保険料を支払っている全事業主間の公平性というのは,あまり強調できないのではないかという気もします。むしろ重要なのは災害防止の努力の促進というほうであり,そこにメリット制を活用するのなら,それに適した方法をとるべきということになるのです。そこから出てきた一つのアイデアは,労災支給手続と保険料認定手続を,まったく違う趣旨のものに変えたらどうかということです。どちらも支給要件の該当性を判断するとなると,判断が不一致の場合の気持ち悪さが残ります(精神障害についても,業務起因性の判断を広げる認定基準が出されているので,労災支給処分は幅広に認められる一方,保険料認定との関係では支給要件を否定するというような実務が広がっていく可能性があります)。労災保険給付の基礎となる労働基準法上の災害補償責任は無過失責任であることからすると,労災支給処分がされたケースのなかには,事業主が無過失の場合と有過失の場合とがあり,災害防止の努力という観点からメリット制に反映させるべきなのは,過失がある場合だけではないかということです。そうすると,保険料認定手続では,業務起因性だけでなく,過失の有無についても判定する(あるいは,重過失・故意があるかを判定する)ことにし,メリット制の適用できる場合を限定するものと位置づければ,この手続に独自の意味を与えることになります。業務起因性があり労災支給処分は適法であるが,過失がないからメリット制を適用せずに保険料額を認定するといったことを,矛盾なく行うことができます。このアイデアは現行のメリット制を根本的に見直すことになるのですが,今回の最高裁判決や(厚生労働省が公表していない?)通達の運用を前提とすると,こうした見直しがなければ,気持ち悪さが残り続けるように思います。

 さらにデジタル労働法の視点を追加すれば,労災保険の支給決定手続に,AI審査を導入し,そこで業務起因性について,A業務起因性あり(故意あり),B業務起因性あり(重過失あり),C業務起因性あり(過失あり),D業務起因性あり(軽過失あり),E業務起因性なしという判定も同時に行い,保険料額に反映させるのは,たとえばABだけとし,また事後の民事損害賠償でも,この判定を尊重して,審理のスピードアップを図るというようなことにすればどうでしょうか。さらに附帯私訴的な発想で,労災の支給決定手続でも,労働者が請求すれば,AIに損害賠償の審査もしもらってもよいかもしれません。というような妄想的な議論が膨らんでいきますが,何か根本的に考えていかなければ,この最高裁判決や行政実務への違和感は消えません。バランスがとれているからいいだろうというのは,少なくとも研究者がもってはいけない発想です。妄想的見解も,ときには大当たりすることがあるので,ダメ出しされ続けても,めげずに頑張ることも大切です。

 

 

2024年7月30日 (火)

中倉陸運事件

  先日の神戸労働法研究会では,中倉陸運事件・大阪高判2024119日(令和5年(ネ)860号,861号)を千野弁護士に報告してもらいました。今回も活発な議論ができたと思います。
 事案は,貨物自動車運送会社Yの現場の営業所長Aが,乗務員Xについて,うつ病であることがわかったうえで採用しておきながら,Xが精神障害3級の手帳があることがわかったところで,Y会社の指示により退職勧奨をしたというものです。就労したのが3日間であり,本人の雇用継続のための措置について検討していないことからすると,障害者雇用促進法の精神に反して許されない,というのが第1印象であり,実際,裁判所はY会社に慰謝料80万円の支払いを命じているのですが,判決を読んでいくと,どこか違和感が残る部分もありました。争点は,退職合意の有無とその有効性,および,退職勧奨行為の違法性(不法行為)です。
 退職合意については,X側は解雇されたと主張していますが,この主張は認められていません。第1審は,本件は解雇ではなく,退職合意があったとし,そのうえで,Xの錯誤や心裡留保を否定し,さらに,Y会社の退職勧奨行為自体は,Xに執拗に迫って退職の意思表示を余儀なくさせるような行為とはいえず,退職に関する自由な意思決定を阻害するものであったとは認め難いとして,公序良俗にも反しないとしました。本件の退職勧奨は,Xが提出した扶養控除等申告書中の「精神障害3級」との記載を目にしたY会社の取締役業務部長が,A所長に服薬等があるのであれば,本社として雇用を継続することは難しい旨の意向を示し,それがA所長をとおしてXに伝えられたというものでしたが,これだけをみると,この退職勧奨行為は,たしかにXの自由な意思決定を阻害するほどの執拗なものではなく,裁判所の判断は妥当といえそうです。ただ,そうだとすると,損害賠償も認められないことになりそうですが,裁判所は,不法行為には該当するとしたのです。契約の公序良俗違反かどうかの判断に,労働者が同意をした経緯などは考慮しないということであれば,こうした判断もあるのかもしれませんが,労働者が同意をした経緯なども合意の公序良俗違反性に影響するという解釈によれば,一貫しない判断となりそうです。それとは別に,労働法においては,山梨県民信用組合事件・最高裁判決以降の自由意思法理に照らして,労働者に不利益な同意の存否について判断するというアプローチもあり,その観点から,労働者の同意がなかったとする判断はありそうです。ただ,同法理は,退職の場合には適用されないとするのが裁判例の傾向であり(自由意思法理については,ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の次のテーマで取り上げていますので参考にしてください),それによれば,やはりこのケースでは同意があるということになるのかもしれません。
 さらに,そもそも本件で,不当な退職勧奨行為があったかという点について,少なくとも,これまでの裁判例に照らすと,退職勧奨行為の態様だけをみると不当とは言いづらいところもあります。
 では,Y会社に何の問題もなかったのかというと,そうではありません。たとえ退職勧奨行為が執拗になされたものでなくても,退職勧奨をしたこと自体が,前述のように障害者雇用促進法の精神に照らして問題があるでしょう。実際,Y会社には,職安の所長から,不当な退職勧奨による心理的虐待があったとして,改善措置が求められています。この点をふまえると,本件の退職合意は,障害者雇用促進法35条による障害者差別があったとし,同条がかりに私法上の効力のない規定であったとしても,公序良俗に反するとして無効とすることは可能性であったように思います。退職を求める行為だけをとりあげると不当ではないし,Xは任意に退職に応じたとしても,Y会社のXに対する一連の対応を総合的に評価すると,Xを退職させる合意それ自体が障害者差別的な内容を含むものであり,公序良俗に反するといえるのではないかということです。
 では損害賠償責任のほうはどうでしょうか。Y会社が合理的配慮をまったく講じていないところは問題であり(障害者雇用促進法36条の336条の2も参照),上記の行政指導でも,是正が求められています。かりに,退職合意を無効とすることができないとしても,Xを,退職を余儀なくさせるような事態に追い込んだ点で職場環境配慮義務違反があるとして,損害賠償責任を認めることはありえるでしょう。(有効に)退職したかどうかということと,退職に至る過程でのY会社の行為とは切り離して評価できるはずです。この点は,セクシュアル・ハラスメントなどにより退職した労働者が,職場環境配慮義務違反で損害賠償請求をする場合などと似ています。
 実際,控訴審判決は,「Xを既に採用し,雇用主という立場にありながら,Xが服薬治療を受けているという抽象的な情報に接しただけで,病状の具体的内容,程度,業務遂行に与える影響といった諸点の検討を何もしないまま,即日,上司であるA所長をして退職勧奨をさせたというY会社の対応が社会通念上不適当であることは明らかであって,そのことは,結果的にXが退職勧奨に応じて任意に退職をしたことによって左右されるものではない」と判断しています。広い意味での合理的配慮義務違反の不法行為を認めたような印象を受けます。理論的には,もし退職合意が無効となった場合にも,退職過程での会社の行為の評価として,同じ程度の慰謝料が認められることになるか,それとも雇用が継続する場合には,精神的な苦痛は慰謝されたということになるかが,気になります。これは不法行為の問題ですので,専門家の千野弁護士にまた別の機会に教えていただければと思っています。

2024年7月23日 (火)

JR東海の社会的使命とその果たし方

 昨日,愛知県で起きた事故により,大混乱が生じました。日本の大動脈といえる東海道新幹線のど真ん中で事故が起きると,たった1日だけでも大きな影響が生じます。新幹線の重要性を改めて知ることになりました。

 ちょうど昨日は,大学院で,JR東海事件の年休に関する東京高等裁判所の判決(2024228日)を扱ったところでした。私も連載中の「キーワードからみた労働法」の「第201回 年次有給休暇における企業の配慮義務」のなかで,この事件の第1審判決を扱っていましたので,控訴審には関心をもっていました。控訴審判決は,会社側の逆転勝訴となっています。年次有給休暇の取得において,時季変更権の行使時期が遅すぎて,年休が取得できるかどうかが直前までわからないことへの不満があり,また恒常的な要員不足がある状況で,はたして会社は時季変更権を適法に行使できるのか,といった点が問題となったのですが,裁判所は,前者との関係では,「使用者が、事業の正常な運営を妨げる事由の存否を判断するのに必要な合理的期間を超えて,不当に遅延して行った時季変更権の行使については,労働者の円滑な年休取得を合理的な理由なく妨げるものとして信義則違反又は権利濫用により無効になる余地があるものと解される」とし,「使用者の無効な時季変更権の行使によって労働者が年休を取得できなかった場合,使用者は労働者に対し,労働契約上の債務不履行責任を負うことになる」という一般論を述べたうえで,このケースでは,東海道新幹線の運行という事業の性格やその内容,東海道新幹線の乗務員としての業務の性質、時季変更権行使の必要性、労働者側の不利益等を考慮すると,「勤務日の5日前に時季変更権を行使したことについては,事業の正常な運営を妨げる事由の存否を判断するのに必要な合理的期間を超えてされたものということはできない」としました。また,後者については,「使用者による時季変更権の行使は,他の時季に年休を与える可能性が存在していることが前提となっているものと解されることを踏まえると,使用者が恒常的な要員不足状態に陥っており,常時,代替要員の確保が困難な状況にある場合には,たとえ労働者が年休を取得することにより事業の運営に支障が生じるとしても,それは労基法395項ただし書にいう『事業の正常な運営を妨げる場合』に当たらず,そのような使用者による時季変更権の行使は許されないものと解するのが相当である」という重要な一般論を述べたうえで,本件では,配置人数が十分であったし,それだけでなく,代替要員確保の努力までも考慮して,恒常的な要員不足状況であったことを否定しています。

 この判決において,とくに前者の論点との関係で,「鉄道事業法が,鉄道等の利用者の利益を保護することを目的の一つに掲げ(1条),国土交通大臣に,鉄道事業者の事業について輸送の安全,利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるときには,鉄道事業者に対して列車の運行計画の変更等を命じる権限を付与していること(23条),とりわけ,東海道新幹線は,東京,名古屋,大阪を結ぶ大規模高速輸送手段として日本の社会・経済の維持,発展に必要不可欠な産業基盤の一つと位置付けられていることも考慮すると,JR東海には,需要に応じた東海道新幹線の列車の運行を確保することが,JR東海の社会的使命として強く期待されていたことが明らかである」と述べており,こうした判断が判決の結論にも影響しているように思えます。

 労働供給の確保の重要性を強調すると,労働者の希望に沿った年休取得への配慮には限界があるという議論になりやすいですし,その一方で,労働供給の確保といっても,それは事業者側の都合であり,労働者の年休権に優越するものではないという考え方もあります。控訴審は,労働供給の確保は,社会的使命であるというように,ワンランクその重要性を引き上げて,「事業の正常な運営を妨げる場合」の該当性を広げたという見方もできるでしょう。

 授業のなかでは,社会的使命は労働者の権利を制限するのに十分であるのか,他方,権利を制限するとしても,年休の取得時期の変更だけであり,権利制限の程度は大きくないのではないか,その一方で,日本の休暇文化の遅れなどを考えると,解釈としても使用者の「通常の配慮」はもう少し使用者に厳しいものであってよいのではないか,他方で,JR東海での年休取得の仕組みは,新幹線運行の重要性に鑑みると,合理性がないものとはいえないのではないか,などいろいろな観点からの議論がなされました。

 労働供給の確保という点では,労働関係調整法の公益事業において,争議行為の際の通知義務というような手続的規制があり(37条,8条),憲法上の団体行動権への一定の制限が認められていることもふまえると,労働基準法395項ただし書でいう「事業の正常な運営を妨げる場合」該当性を解釈するときにも,その事業の性質を考慮するということは,それほど突飛なことではないといえないか,というような問題提起もしてみました。ただ,これは社会的使命論に,法的な根拠付けを与えるとすればどのような可能性があるかということからの,やや無理なこじづけかもしれません。むしろ個人的には,事業に関する社会的使命をふりかざす議論は,労働者の保護をめざす労働法ではかなり危険であると思っています。ということで,この事件の判断は難しいのですが,JR東海における年休の取得システムには,制度としては,乗務員の意向を事前に把握する形になっていたり,競合した場合の優先順位をきちんと決めたりするなど,合理性がないわけではないように思える一方,個々の乗務員レベルとの関係では,もう少し早めに時季変更権の行使をする余地がなかったのかは気になるところです。

 さらにデジタル時代の議論としてこの事件を論じると,他の労働供給制約問題と同様のアプローチが必要ではないかと思います。すなわち,新幹線などの列車運行の自動化を進めて人手に頼らないようにすること(これは乗務員側には有り難くない話かもしれません),そしてAIを活用した精度の高い需要予測ができるようにして,もっと早期に余裕をもって人員配置を行い,時季変更権を可能なかぎりしなくてすむ態勢をつくることです。今後の「通常の配慮」には,こういう判断要素を組み入れるのが,デジタル時代の労働法の解釈論といえるでしょう。

 

 

2024年7月 5日 (金)

あんしん財団事件・最高裁判決

 昨日の7月4日,最高裁の第1小法廷で,あんしん財団事件の判決が出ました。労災保険の不支給決定の取消訴訟について,原告適格を認めた控訴審判決を破棄する判決です。第1審の請求却下判決が結論として正当とされました。「違法性の承継」という行政法上の論点も関係する判決です。判決の分析は,今後しますが,ざっとみておくと,要するに,労災保険の支給決定がなされるとメリット制の適用により保険料が増額する可能性のある特定事業主は,保険料の決定の基礎となる労災保険の支給決定についての取消訴訟の原告適格があるかという問題で,最高裁はこれを否定したのです。
 条文上は,行政事件訴訟法9条1項の「法律上の利益を有する者」の解釈問題となり,その定義については,最高裁は「当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者」として従来の判例を踏襲しています。そのうえで,本件では,「特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額の決定に影響を及ぼすこととなるか否かが問題となる」とし,結論としては,労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に労働保険料の決定に影響を及ぼすものではないから、「特定事業の事業主は、その特定事業についてされた労災支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということはできない」として,原告適格を否定しました。
 なぜ労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に労働保険料の決定に影響を及ぼすものではないかというと,「特定事業について支給された労災保険給付のうち客観的に支給要件を満たさないものの額は,当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とはならない」からだとします。
 最高裁は,労災支給処分によって労働保険料まで確定されるとすれば,事業主にこれを争う機会が与えられるべきであるが,それでは,労災保険給付にかかる法律関係を早期に確定するといった労災保険法の趣旨が損なわれるとします。たしかに労災保険法は,被災労働者等の「迅速かつ公正な保護」を目的に掲げているのです(1条)が,それは「特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎となる法律関係まで早期に確定しようとするものとは解されない」と述べています。
 また,「労災保険率は,労災保険法の規定による保険給付及び社会復帰促進等事業に要する費用の予想額に照らし,将来にわたつて,労災保険の事業に係る財政の均衡を保つことができるものでなければならない」とする労働保険料徴収法の規定(12条2項)との関係でも,「客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額を特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とすることは,上記趣旨に反するし,客観的に支給要件を満たすものの額のみを基礎としたからといって,上記財政の均衡を欠く事態に至るとは考えられない」ので,「労働保険料の額は,申告又は保険料認定処分の時に決定することができれば足り,労災支給処分によってその基礎となる法律関係を確定しておくべき必要性は見いだし難い」とします。
 ということで,労災保険の支給決定の手続は,労働保険料に影響をしないのであるから,事業主は,支給決定処分についての原告適格が認められる「法律上の利益を有する者」ではないとしたのです。そして,最高裁は,念のために,「事業主は、自己に対する保険料認定処分についての不服申立て又はその取消訴訟において,当該保険料認定処分自体の違法事由として,客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができるから,上記事業主の手続保障に欠けるところはない」と述べています。これは現在の国の運用を認めたものです(以前は事業主には争う方法がありませんでした)。
 労働者の救済は迅速に行ったほうがよいが,事業主の保険料の確定は急いで決めなくてもよいので,そこはあとでじっくり(?)争えばよいということでしょう。ただ,事後の保険料の決定手続で,客観的に支給要件を満たさないことが確定すると,労働者側は根拠のない労災保険給付をもらっていたことになります。それは手続が別であるから構わないということでしょうが,常識的には違和感があるものではないでしょうか。また,労災保険の支給決定は,安全配慮義務違反による損害賠償請求の民事事件に実際上は影響するので,労働保険料だけの問題ではないという面もあります。事業主に取消訴訟の原告適格を認めるかどうかはさておき,労災保険の支給決定手続に,事業主にも何らかの形で手続的関与を認めるとしたうえで,被災労働者等の「迅速な」救済を図る工夫をすることこそ,「公正な」保護につながると思いますが,いかがでしょうか。手続の迅速化では,ここでもデジタル技術の活用をはじめ,いろんなアイデアがありそうです。以上が,まずは判決をみたときの雑駁な感想であり,このあと大学院の授業でみっちり検討したいと思います。

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