デジタル技術

2022年6月19日 (日)

有罪率99.9%の功罪

 一昨日に続いて刑法の話です。司法統計年報(令和2年)によると,地方裁判所で無罪となった事件が72件(総数が47117件なので,無罪率は0.0015です)です。有罪率99.8%です。つまり日本では起訴されるとほぼ100%近く有罪となるとして,カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)やそれに乗った外国人(や日本人)が批判していました。人質司法がどうかはさておき,有罪率が高いことだけをみれば,有罪となるような事案だけが起訴されているからだと考えることは十分可能でしょう。
 ところで日本では,逮捕されても,起訴されないことが多いと言われており(不起訴処分),この点が一昨日に再掲したイタリアの事情とは異なっています。また起訴されて有罪判決となっても,執行猶予がつくことが多いと言われています。冤罪事件もあるのですが,圧倒的多数のケースでは被疑事実がほんとうにあるのであり,ただ,そのときでも,実刑をうけないことが多いという事実のほうが非常に重要だと思えます。日本の刑事司法は,犯罪をしたから処罰をするということだけを考えているのではなく,犯罪の種類によりますが,被疑事実を認め,被害者と示談をしたり,反省していたりするなど,悔い改める姿勢をとっていれば,できるかぎり許そうとしているのでしょう。このような扱いが,実は再犯を防止し,治安の維持につながっているとも言われており,そこは非常に評価すべき点ではないかと思います。ただし,ほんとうに身に覚えのない事実であるために否認している場合もあるのであり(男性諸兄にとっては,痴漢の冤罪がこわいですし,教員であれば,ハラスメントの冤罪がこわいです),そのときに否認しているがゆえに長期的に勾留され,あげくに嘘の自供をさせられるというのは,重大な人権侵害となります。とくに社会的に有名な人が関わる事件で,検察の威信をかけたものとなると,逮捕した以上は,起訴し,有罪にもちこまなければ面子にかかわることになり,そこにひょっとしたら無理が生じて,村木厚子さんのケースのような証拠捏造という恐ろしいことが起きてしまうのかもしれません。最近でも一部上場企業の社長の事件が,起訴されたものの,無罪判決で確定したものがあり,国家賠償事件となっています。
 こういうことが起きてしまうのは,実は,被疑事実を認めない人の圧倒的に多数は,犯罪をおかしているにもかかわらず,それでも自分の罪を認めないというきわめて悪質な人であり,それが99%の範囲の人なのでしょう。しかし,ほぼ100%という数字が,わずかに紛れ込んでいるかもしれない,ほんとうに無実の人の叫びを聞き落としてしまう危険性があり,検察官には,そこをきちんと見極めてほしいのです。検察官が起訴の段階でしっかりスクリーニングしているという信頼が高い日本社会では,起訴だけで社会的信頼は失墜するので,裁判で無罪となっても,そこから信頼回復するのは,普通の人は不可能に近いのです。こうしたことになるのは検察官に高い信頼があるからであり,それだけ検察官には重い責任があるといえます。
 起訴便宜主義には,メリットとデメリットがあると言われています。デメリットの一つは,巨悪を見逃しているのではないかという批判ですが,私は,検察官は,実体法の範囲でやれる限りのことはやっているのではないかと思っています。検察審査会という民主的チェックもあります。むしろ,上記のような治安面でのプラスの効果も考えて,起訴便宜主義を評価しなければならないと思っています。問題は,犯罪者の発言とはいえゴーンの批判が,海外にも大きく報道されて日本は後進的という印象を国際的に植え付けられそうな点です。そうしたことが起こらないように,検察には頑張ってもらいたいところです。
 取調べの可視化は重要ではありますが,それだけでは十分でありません。検察官にも(岸田首相流の?)被疑者の供述の「聴く力」をしっかりもってもらい,同時に供述の嘘を見破るスマートなスキルを身につけてもらえればと思います(嘘の供述を意図的にさせてしまうのは論外です)。
 そして,ここでもAIは活用されるべきではないでしょうか。刑事分野でのAIの活用というと,プロファイリングを活用した容疑者捜しや再犯可能性の予測などが典型的ですが,画像解析による供述の信憑性の判定などにおいても,利用できるでしょう。「デジタルファースト」は刑事司法でも重要な原則ではないかと思います。

 

2022年4月30日 (土)

教育の目的

 昨日の話の続きです。自分自身の「優勝」をめざすという話です。
 私自身を振り返っても,若いときには競争社会に巻き込まれていました。そもそも小学校に入学したときから,成績をつけられて,競争せよと言われていたわけです。試験で良い点をとるのは,自分にとっての満足感があるし,親も喜ぶし,周りの人からは尊敬されるし,良いことばかりです。そして,知らぬうちに,良い点を取れない人に対して優越感をもつようになります。しかし例えば私が小学校4年生で到達したことを,誰かが5年生でようやく到達できたとして,その1年の差は大人になったときに,どれだけの違いを生むのでしょうか。50歳くらいになると,無視しえる程度の差でしょう。
 まえにこのブログで,教育における修得主義と履修主義のことを書いたことがあります。修得主義で行こうということです。修得主義を徹底させて,早く進める人はどんどん進んでもらい,そうでない人はゆっくり進んでもらうというのでよいのです。そういうことになると,教師は対応がたいへんとなりそうですが,それを回避するために,AIを使うのです。アダプティブラーニングです。いつも書いている話ですが,いまこの話が重要と思うのは,教師の労働時間が問題となっているからです。
 NHKの番組でも,この問題は採り上げられていました。このままでは教師のなり手がいなくなる危険があります。学校側が労働時間の規制を遵守するのは当然ですが,問題の根幹は,医師の場合と同様に,業務量の多さにあります。これを解決しなければどうしようもありません。教師の仕事をできるだけ軽減し,本来の知的労働中心のものに変えるためには,デジタル技術の活用は不可欠です。介護労働なども同じですが,今後はデジタル技術を活用して業務軽減ができない職場には誰も来なくなるでしょう。アナログ職場の教育現場には良い人材は来なくなります。そうすると教師の質は下がり,意識が高く裕福な家庭は,デジタル対応ができて職場環境が良く優秀な先生が集まってくる一部の学校に子どもを行かせるようになり,教育格差が生まれます。働き方のデジタル対応は,待ったなしの課題です。
 もちろん,より重要なのは,教育内容です。実は修得主義だけでは不十分なのです。これもNHKの番組で,山中伸弥先生が,「VW」の重要性を語っておられました。「VW」は「Vision Work hard」の略です。「Work hard」のメッセージは多少気を付けなければなりませんが,日本人には(幸い?)あまり難しいことではありません。問題は「Vision」です。山中先生にとっては,これは研究における「Vision」なのですが,人生における「Vision」に置き換えることもできます。私は人生のVisionは「社会課題の解決のための貢献」に置き換えることができると思っています。その貢献の仕方は,個人の特性に応じて変わってしかるべきです。教育の目的とは,子どもたちが,どのような方法で,自分なりに社会課題の解決に貢献できるかを探すことの手助けをすることなのです。山中先生の場合は,生命の謎にせまり,いま治すことができない病気も治せるようにすること,というVisionを,30歳くらいのときに見つけたと言われていました。「社会課題の解決のための貢献」というのは大きすぎるVisionなので,それをこのように具体的なVisionにして明確化することが必要です
 この意味の具体的なVisionレベルの探索についてまで,アダプティブラーニングに採り入れていくことが,これからの教育に求められています。教員の問題は,こういう新たな教育に携わることができる人をいかにして探し(あるいは育成し),そうした人に,いかにして意欲をもって教育を取り組んでもらえるかということにあります。教育政策から,教員の人事管理まで,多様な問題がそこには横たわっています。業務量が増えるかもしれませんが,業務の質は大きく変わります。おそらくここでもデジタル技術の活用が重要なポイントとなることでしょう。

2022年4月27日 (水)

感謝されない日本

 日本経済新聞の電子版で「ウクライナ政府がツイッターに投稿した各国の支援に感謝を示す動画に日本への言及がなかったことがわかった。」という記事が出ていました。武器支援をしていない国は,感謝対象から除外されたようです。後から追加で「感謝」されたようですが,武器を提供しない支援など,やっている国の自己満足程度のもので,やられたほうはさほどは感謝していないのでしょう。命が危険にさらされ,祖国滅亡危機にあるともいえるわけですから,武器支援国こそ感謝の対象となるのは,わからないではありません。日本のほうも,他人に感謝してもらうためにやっているわけではないから,別に感謝されるかどうかは関係ないと格好つけたいところでもあります。ただ,国民の税金を使ってウクライナ支援をしているのですから,感謝されていないとなると,あまり意味のない支援にお金を無駄に使っているのではないかという疑問が出てきます。なぜ感謝されないような支援をしているのか。ウクライナは,そもそもアメリカの議会で真珠湾攻撃発言をしたり,昭和天皇とヒトラーと同列にしてみたり,日本に十分に配慮をしているとは思えません。基本的には利害関係がないので,うまく支援をもらえれば有り難いという程度の国に思われている可能性もあります。近くにいない外国というのは,その程度のものかもしれず,それがとくに問題とは思えません。日本も,ウクライナ支援は,ウクライナへの同情もありますが,国益にかなうからやっているという冷徹な計算があると思います。それでもいいのですが,感謝対象国から外されてしまうのは,世界に日本のプレゼンスの小ささを露呈してしまったことにはなっていないでしょうか。これではかえって国益を損ないます。もっとお金を有効に使う必要があります。
 ところで日本に来たウクライナ人の不満として,英語が通じないことがある,ということが報道されていました。これはウクライナ人にかぎらず,日本に来た外国人が共通して言うことです。私たちが,昔タイに行ったときに不安に感じたのは,英語が通じないことでした。外国に行って通じる言葉がないというのは不安なものです。現在,日本人のなかにウクライナ語を学ぼうという人が出てきているようで,やりたい人はやってもらってよいのですが,ウクライナ人の支援にはつながらないでしょう。ウクライナの人が求めているのは,おそらくサバイバルするのに必要なコミュニケーションであり,現在なら,ポケトークなどの翻訳機械を提供するほうが,よほど意味があるのではないかと思います。デジタル技術がここでも課題解決のために最優先されるべきなのです。
 意味のある支援,感謝される支援とは何か。自分たちの自己満足で行動していると,善意の押し売りになってしまいます。国民の善意の行動は止められませんが,政府レベルは,よく考えて行動してもらいたいです。とりあえず何かやればよいというのは,安倍政権で終わりにしてもらいたいです。

2022年3月24日 (木)

情報を学ぶとは

 323日の日本経済新聞に出ていた西垣通さんの「情報教育」に関するインタビューの内容は重要だと思います。
 西垣さんは,情報教育の拡充は望ましいと評価しながらも,「内容がプログラミングなどの理系(工学系)のデータ処理に偏りすぎているのです。職業としてのプログラミングには向き不向きがあります。その能力を国民全員に求めるのは無理です。」と述べ,「もっと根本的なことを教えてほしい。情報社会でいかに生きていくか。そのための基礎的な教養が教えられていない。」と注文をつけています。
 そして,情報の「本質」の正しい理解を強調し,「情報は生命活動から生まれるのです。動物は,敵が来たとか食べ物があるとか,身体と結びついた生命的な情報を交換しながら生きています。動物的本能をもつ赤ちゃんが,話し始める。そうして生まれる社会的な情報を,効率的に伝えるために,機械的なデジタル情報があるのです。」とコメントしています。最後に,「我々が生きている現実の世界をAIなどのデジタル技術で補強すること自体は,とても大事です。高速道路などインフラの老朽化対策や病気の診断にも活用できる。少しずつ慎重に,人間が生きるためのIT社会をつくっていく。そういう道筋をつけるのが,真の情報教育ではないかと思いますね」と述べています。
 情報の重要性は,私も『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か―』(日本法令)において,梅棹忠夫の情報論を引用しながら論じています。私は人間の労働の中心が,これからは情報(とくにデジタル情報)のやりとりというタイプのものにシフトしていくと考えています。そして,情報は,人間が生きていくために必要なもので,それを蓄積し,後世に伝えていくのが教育なのです。教育によって伝えられた情報に,新たに個人が価値を付加しながら互いに提供して社会課題の解決に貢献するというのが労働の本質なのです。この意味で,教育と労働は,密接な関係にあります。そうした情報の伝達や蓄積に活用されるのがデジタル技術ですが,これは専門の技術者にならない限り手段的なものにすぎないので,すべての人が同じ程度に学ぶ必要はありません。デジタル技術をどう活用するかは,例えばパソコンの原理を知らなくてもパソコンの使い方を知っていればよいというのと同じです。もちろん,より深く知った方が,より広い活用ができて望ましいのですが,DX時代に誰もが求められる基礎的なデジタル教育と,それ以上の専門的な教育とを適切に振り分けておかなければ,過剰教育をもたらし,他の重要な教育・学習に割く時間が奪われる危険があります。足の遅い人には,足が速くなる方法を教えるよりも,足を使わなくてもやっていける方法を教えたほうがよいのです。デジタルが苦手な人は苦手でよいのです。そういう人もデジタルを活用できるようにすることこそ,デジタル技術の専門家に考えていってもらいたいことで,重要な社会課題の解決となります。
 デジタル技術は,あくまで手段であるということを忘れてはならないわけで,文理融合の「文」は,そうした手段をどういう目的で活用するかの知恵の部分を担当することになるのだと思います。理想は一人の人間が文理を兼ね備えることですが,複数の人間でうまく分業することでもよいでしょう。

2022年3月19日 (土)

技能承継とデジタル技術

 3月17日の日本経済新聞の朝刊の「DX TREND」に,「中小企業で遅れていたデジタル化による経営革新が動き出した。染色加工の艶金(岐阜県大垣市)は品質検査で過去2000件分の熟練社員のノウハウを分析し,人工知能(AI)が若手を指導するシステムを開発」という記事が出ていました。
 これは,DX関係で私がよくやっている話であり,大きく言えば,熟練労働者の技能も,デジタル化(AIに学習させることなど)により,技能承継が容易になるということです。このことは,二つの意味があります。一つは,「匠の技」の後継者がもしいなくても,その技は引き継がれるということです。この点は,拙著『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』(明石書店)においても採り上げています(139頁以下)。テレワークとなると技能承継が難しくなるのではないかという企業側の不安に対して,そもそも技能承継のあり方が変わるので,テレワークであるということのデメリットは減少するということを書いています。このほかにもICTの発達のなか,ARの技術などを活用することによって,遠隔地であっても熟練労働者からのサポートを受けることができやすくなるという話もあり,これは熟練労働者が減る中で,なんとか効率的に技能承継しようという文脈で出てくる話です(この点は,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)233頁以下も参照)。
 その一方で,承継技能の容易化は,人間の熟練を要する仕事であっても機械によって代替できてしまうことを意味しており,いわゆる「AIが仕事を奪う」という話につながります。人手不足になっても大丈夫ということは,当初はAIやロボットが人間を補完してくれるから大丈夫という意味なのですが,ゆくゆくはAIやロボットが人間を代替するということになるのです。
 この種の話は,すでに起きていたことですが,日本企業での実例が少なかったことから,私のような法律家が語っても,リアリティをもって受け止められていなかったのですが,実例が今後は増えていくであろうし,そうなると世間の受け止め方も違ってくるでしょう。5~6年前に言っていたような銀行のリアル店舗がなくなる(ATMや窓口がなくなる)という話も,当初は相手にされていなかったのが,いまは誰もがそうなるだろうねと考えているのと同じです。
  私の本には,『君の働き方に未来はあるか?』(光文社新書),『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書),上記の『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』のように,タイトルやサブタイトルに「未来」という言葉が入っているものがありますが,そこで語った未来は,ほとんど実現してきています。それは偶然ではなく,デジタル技術を活用してすでになされていることは,必ず数年後には一般化するという「法則」のようなものがあるからです。あとは,そのスピードの問題です。
 先日の学内のある研究会でも議論したのですが,個人のキャリアは,デジタル技術の発達を見据えたものでなければなりません。ほんとうの競争相手は機械です。まさにエリック・ブリニョルフソン= アンドリュー・マカフィ『機械との競争』の世界なのです。そしてこの機械との競争は,正面から行うのではなく,いかにしてデジタルとアナログを組み合わせるかというデジアナ・バランス指向(つまり機械との共生)が,この競争に勝ち抜くために必要な発想だと思っています。
 いずれにせよ,記事が採り上げている,AIが若手を指導するという話の背景には,着実にAIが人間の仕事の領域を深く浸透してきているという現実があることを,私たちは気づいておかなければなりません。

 

2022年3月 4日 (金)

ワクチン接種

 3回目のワクチン接種券が届きました。大学で再来週に職域接種となります。すでに2回モデルナを打っているので,つぎはファイザーをといきたいところですが,ファイザーは不足しているそうなので,素直に職域接種のモデルナにすることにしました。それにしても接種券は紙で送られてきて,予診票も紙に記入ということで困ったものです。いつもの愚痴ですが,接種券が入っている封書にはいろいろと紙が入っているのですが,そこに書かれている情報の大半は,メールで所定のサイトのURLを送ってもらって,そこに情報をアップしていてくればすむことで,また予診票に相当するものも,所定のサイトの画面に入力すれば情報が接種会場に渡るというようなことにしておいてもらえれば助かるのですが。送る自治体のほうも,私たち市民も,また接種をする側の医療機関(私の場合は大学)も大変なのです。みんな我慢して乗り切ってしまうので,いつまで経ってもデジタル化が進まないのですよね。
 先日,父のワクチン接種について,近くのかかりつけ医ではワクチンが足りないので予約できないと言われて,仕方がないので,少し遠方のところにまで連れていき接種してもらってきました。やっと初回です。父のかかりつけ医が,父が高齢なので,副反応もあることから,あまり接種を積極的に勧めていなかった(むしろ消極的であった)こともあり,この時期でようやく1回目となりました。本人の感染や副反応のリスクよりも,接種していなければ,周りの人に不安を与え,人間関係が困るであろうということで,本人を説得して連れていきました。父の場合,自力歩行ができないので,移動がたいへんですし,副反応も心配なので,近くのかかりつけ医でと思っていたのですが,そうはいきませんでした。しかも2回目は初回と同じところでなければならないということで,また3週間後に連れていかなければなりません。その日は私のワクチン3回目接種と同じ日なので,もし私が接種で調子がわるくなれば,父の2回目はキャンセルになってしまいます。事前に日程を調整しておけばよかったのですが,うまく予定がつきませんでした。ワクチンがもっとたくさんあって,近くでいつでも簡単に打てるということであればよいのですが,そうではないために窮屈な日程調整をしなければなりません。しかも接種券やら予診票やら紙を持ち歩かなければならないのも面倒です。
 こういう不満は小さなものなのでしょうが,私たちは日常のこうした,なんか気が利かないことが多いなという感じを抱くことをとおして,政府や行政への不満をつのらせていくのです。みんな大変なんだから,我慢しなければいけないというと,日本人はそうだとすぐ考えてしまいがちですが,我慢は進歩を止めてしまい,次の世代の人にさせなくてもよい我慢を引き渡してしまうことになりかねません。少なくとも簡単に使えるデジタル技術を使わないがための非効率については,我慢をせずにもっと文句を言ってよいのではないでしょうかね。

2022年2月25日 (金)

PWの別送

 最近は減ってきましたが,電子メールでZipファイルが添付されていて,その後にパスワードを記した別便のメールが送られてくるということがあります。これでセキュリティが十分なのか,私にはよくわかりませんが,ただ政府はもうこの方式(「PPAP」と言ったりもするそうです)はとっていないそうです。
 そもそも郵便であっても,書留で送っていない程度の内容のものを,そんなに厳格な方法で送る必要があるのかという疑問があります。役所によっては,何でも書留というところもありますが,いちいち受取をしなければならず面倒です。税金の無駄遣いでもあるでしょう。30年前にイタリアに留学していたときは,郵便が信用できないので,何でも書留(posta raccomandata)で送り,そうでなければ紛失したり大幅な遅延は仕方がないという感じでしたが,日本の状況はそういうものではないでしょう(イタリアでも,現在は違うと思います)。
 それにパスワード別送方式が,どれだけセキュリティに資しているのか,よくわかりません。誤送信対策だとしても,送信先アドレスが間違っていた場合には,パスワードも間違った宛先に送ってしまう可能性が高いでしょう。Zipファイルで圧縮して送る手間は,送信先を間違わないようにすることへの慎重さに充てればよいわけですし,実際にそうしたミスはほとんど考えられません(とはいえ,私もうっかり宛先を間違って送ってしまったことが,ないわけではありませんが)。
 私の場合は,まったく見知らぬ人に添付ファイルを送るというようなことはまずないので,大事な内容の添付ファイルは,その相手との間でしかわからないようなパスワードをかけて,その合い言葉のようなものをつけて送ることが多いですし,私の周りでもそういうことをしている人が多いです。もちろん,どうしても漏れたらいけない超極秘の文書があるときは,そもそもメールは使いません。
 ところで,初めて仕事をした事業者からは,マイナンバーの提示が求められますが,通常は,先方から返信用封筒(書留用)を送ってきます。メールで番号を知らせて欲しいと言ってくるところもまれにありますが,個人情報をきちんと管理できるのか心配になります。もちろん,そういう方法の場合,いくら提示が義務であっても,安全対策をするまでは提示を断ります(某役所でそういうことがありました)。とはいえ書留郵便のほうは,郵便局にもっていかなければならないのが面倒です。最近のあるケースでは,マイナンバー管理サイトを通して提示することができ,ネットで完結できたので助かりました。ただ,こういうケースはごく少数で,主流は,上記のように返送用書留郵便に,台紙も送ってきて,そこにマイナンバーカードの表裏をコピーして切り貼りして返信するように求めるという超アナログな方法です。もちろん,セキュリティ無視のメール送信での提示要求は論外です。パスワード別送のような半端なセキュリティ対策をする企業が多いという現状もあわせて,これが現在の日本のデジタル技術のレベルを示しているのかもしれませんね。

2022年2月16日 (水)

日本の教育が危ない? 日本の教育が危ない?

 215日の日本経済新聞朝刊のインサイドアウトの「学校パソコン,もう返したい 1人1台ばらまき先行,教師なお「紙と鉛筆」」という記事は衝撃的でした。教師が簡単にデジタル対応できないのは予想できていましたが,それでも「GIGAスクール構想」が失敗に終わりそうな現実を目の当たりすると絶望的な気分になってきました。問題意識をもっている親たちは,自分の子を公立学校には行かせたくないと考えるようになるでしょう。子に十分なデジタル教育をしてくれる私立学校や海外の学校へと退避するかもしれません。 現時点のデジタルデバイドに配慮して,低いほうに合わせた教育を継続するのは,格差をつけないようにする優しい政策のようですが,根本的な解決にはならず,いっそう深刻なデジタルデバイドを生んでしまうのです。これは労働政策の面で,労働者の能力開発についての政策を後回しにして,現時点の生産性の低い労働者の賃金を格差是正という理由で引き上げる政策を進めると,よりいっそう格差を固定化するというのと似た面があります。しかも教育のほうは,教師側のデジタルデバイドも原因ということなので,問題はいっそう深刻です。
 現在の子どもたちは,デジタルネイティブです。ゼロ歳児でも,1歳近くになると,スマホやタブレットを触り,適当にスクロールしながら画面を変えていきます。もう少し大きくなると,パスワードも突破してしまいます。ももちろん,昔から赤ちゃんのリモコン好きは有名です。子どもにデジタル機器を触らせないようにしようと思っても,おそらく現代の生活ではそれは不可能に近いことでしょう。まだ言葉を話せなくても,Siriに語りかけたりもします(そうすると,Siri は片言でも聞き取って答えたりもします)。在宅就労が増えて,親が子を膝に乗せてパソコン作業をすることも増えているでしょう。(良いか悪いかはさておき)デジタル環境にどっぷりつかった子どもたちが次々と入園,入学してくるなかで,「紙と鉛筆」しか対応できない教師は,親だけでなく,子との間でもコミュニケーションがとれないでしょう。学校に入ったとたん,途上国レベルの教育ということになっては困ります(実はいま途上国とされている国は,デジタル的にはもっと進んだ教育に取り組んでいるようです)。
 良い教育ができなければ,人材劣化が起こったり,あるいは人材流出が進んだりするので,どっちにしろ日本の将来は大変なことになります。首相をはじめ偉い人たちは,自分たちの孫に対してどのような教育を受けさせたいかということをよく考えて,公教育の改革に真剣に取り組んでもらいたいです。教育委員会の幹部にも,デジタルスキルのある人に加わってもらわなければ困ります。

 

2022年2月13日 (日)

教科書のデジタル化

 相変わらず研究室の机の上が整理されておらず,大事な本をいただいておきながら読めていないものがあります。昨日は,大学院の入試で土曜出勤し(学生はリモートですが,教員は大学に召集されています),空き時間がかなりあったので,久しぶりに研究室に長く座って,机の上に積み上げられている文献を読んでいました。
 そのなかに藤本茂・沼田雅之・山本圭子・細川良編著『ファーストステップ労働法』(エイデル研究所)がありました。お礼とご紹介が大変遅くなり申し訳ありません。初心者向けの読みやすいレイアウトと内容になっていますが,なんといっても判例をQRコードで読めるようにしたのが素晴らしいです。こういうことは,これまでもやれるはずだったのですが,労働法のテキストだと判例の数が膨大なので,少し難しいかなとも思っていました。ただ,初心者向けの教科書となると判例を絞り込めるので,本書のようなやり方が可能となったのでしょうね。本書は紙媒体ですが,おそらく今後は教科書も電子書籍が一般的になり,判例や論文も電子化されてネット上にアップされていると,書籍を読みながら,リンクされている判例や論文に飛ぶということも簡単になると思います。権利関係の処理がどうなるのか,よくわからないところもありますが,技術的には可能でしょう。やっぱり紙で読みたいという人も少なくないようですが,少なくとも私は,少なくとも判例や論文を紙で読むことは最近はほとんどありません。
 オンライン会議やオンライン授業では,私は,二つのパソコン(場合によってはタブレットかスマホ)を並べて,一つは会議参加用(マイクとビデオ)で,もう一つは資料確認用で使っています。会議用パソコンでは資料が画面共有されていますが,別のパソコンで資料の確認ができるという感じです。資料のファイル(多くはPPTのスライド)にハイパーテキストが設定されていれば,すぐにいろんなデータにアクセスできます。このような方法にすれば,会議や授業は,対面型のものより,ずいぶんと効率化できるでしょう。
 ところで,電子書籍は,これからはNFT(非代替性トークン)の時代が来るかもしれません。いまはダウンロードして閲覧する権利を購入するだけですが,書籍内のデータそのものの「所有権」を譲渡することが,ブロックチェーン技術をつかったNFTの特徴です。まずはコミックなどで,電子書籍のNFTが始まるでしょうが,法律の教科書として電子書籍の有用性が広く認識されると,NFTの波が押し寄せることになるでしょうかね。老舗の出版社も早く対応しなければ出遅れることになるかもしれませんよ。

 

2022年1月20日 (木)

プライバシーポリシー

 2年生相手の基礎科目(基礎法政論)は新年に入り,残りの授業は一人ずつ自由にプレゼンをしてもらうことになっています。初回は,Webサイトで掲載されている会社のプライバシーポリシーが読みにくく,私たちの個人情報を事業者相手に十分に守ることができないという問題関心をもった学生が,プライバシーマークのようなものを応用した第三者評価を活用すべきではないかという提言をするプレゼンをしてくれました。
 学生は読みづらいプライバシーポリシーの例としてGoogleのものを挙げていました。オンライン授業なので,すぐに学生が画面に映してくれて,みんなで検討できました。これをみると,確かにきれいにつくられていますが,長大で動画まであり,これをどれだけの人がすべて読んでいるかははなだだ疑問です。でもプライバシーポリシーをきちんと読まなければ,私たちが個人情報を提供できるだけの信頼ある事業者かの判断はできません。
 読みやすさを向上させる手段の一つとして簡素化が考えられます。例えば重要な情報だけアップすれば簡素化はできますが,必要な情報があるのに無理に簡素化すると,利用者の利益を損なう心配があります。情報のランク付けをする(重要な情報はフォントを大きくするなど)というアイデアもありますが,低ランクのものは読まないことになり,それでよいのかという問題もあります。
 そこでプライバシーポリシーを検証して,ランク付けをしてくれる第三者機関があればよいということになるのですが,そういう機関は,政府系のところが多くて,ほんとうに市民目線で判断してくれるのだろうか,という不安があります。プライバシーマークのほうは,一般財団法人日本情報経済社会推進協会というところが評価して付与することになっています。民間での取組といえそうですが,経済産業省がしっかり関係していて,この協会の会長も経産事務次官経験者で,天下りポストのようでした。だから悪いということではないのですが,なんとなく政府色が強い点で,気持ちがよいものではありません。
 自分では対処できないことは,信用できる他人に託すということはありうることで,実は情報銀行はそういうものなのですが,あまり普及していないような気がします。情報銀行が信用できるのかという問題はあるのですが,これにも認証制度があって,一般社団法人日本IT団体連盟というところが所管しています。ここの会長は,Yahooの川邊健太郎氏でした(現在は,Zホールディングス社長)。これは純粋に民間団体と考えてよいのでしょうね。
 学生には,個人情報は重要だけれど,うまく活用されることは,自分にも社会にもプラスになりうるので,どのようにうまいシステムをつくっていけるかを考えてほしいというアドバイスをしました。官に頼るのは,権力と私的領域は対立関係にもなりうることは忘れてはならないし,だからといって,いたずらに権力と敵対してもダメで,権力をどう統制して国民のためになるようにしていくかが,民主主義社会における知恵の出しどころなのです。そこにデジタル時代ゆえの知恵も加味されるべきです。プライバシー侵害を,デジタル環境でのものに限定すると,プライバシー・バイ・デザインという発想は有用だと思います。プログラムの設計段階から,プライバシー対応仕様にするということです。
 ところで1月17日の日本経済新聞の複眼「個人データ,活用と保護」では,このテーマに関係する論考が集まっていました。利用者の合意を必要としても,合意の強制になっているだけではないかという指摘は重要であり(ショシャナ・ズボフ氏),他方で,東京大学の宍戸常寿さんが言うように,「何でも同意を求めると『同意疲れ』にもつながる。データが生む価値とのバランスを考え、顧客と信頼関係を築きメリットを提供する企業は同意がなくてもデータが得られるといったルールを整備してはどうか。産業界も丁寧に説明し、適切な範囲で活用する体制づくりが急務だ。」という提言は,ほぼ我が意を得たりという感じです。

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