デジタル技術

2024年7月 9日 (火)

司法試験のデジタル化

 今週は司法試験期間なので,LSの授業はありません。試験日程は,10日から14日(12日は休み)の長丁場です。会場は,札幌市,仙台市,東京都,名古屋市,大阪市,広島市,福岡市,那覇市(又はその他周辺)ということですが,受験生はこれらの都市に住んでいるとは限らず,猛暑のなかで移動しなければならない受験生は大変でしょうね。2026年度からは,CBT(Computer Based Testing)方式になり,パソコンの利用となりますが,試験会場への移動は必要となります。ゆくゆくは,IBT(Internet Based Testing)方式で,リモートで受験できるようになればいいですね。司法試験に知的体力以外の要素をできるだけ取り除いてあげたほうがよいでしょう。法曹の仕事もデジタル化していくのであり,それに合致したような試験方式も必要です。もちろん不正対策は決定的に重要なことですが,それをデジタル技術により克服できれば,いろんなところに応用が聞きます。いちばん遅れていそうだった司法の世界において,司法試験をとおして,そうしたデジタル技術の活用の最先端を走ることになれば,イメージも変わってよいと思います。ぜひ法務省関係者には頑張ってもらいたいです。
 各法科大学院でも,本番の司法試験に先行して,期末試験でCBT方式を導入することが検討されています。学生に慣れさせるためには,望ましいことですが,ここでも不正対策などの観点から現時点ではいろいろと問題がありそうです。不正を避けるために,パソコンを貸与するとなると,保管場所の確保など,お金のない国立大学では難しいです。指定業者などを作って,不正ができないような設定(通信機能の停止など)にして,期末試験時にのみ学生に貸与するというjust in timeのレンタル方式などは無理でしょうかね。いずれにせよ,大学関係者の知恵だけでは限界がありますから,技術者の方にゼロベースで考えてもらって,費用と効率の折り合いをつけながら試験方式を開拓してもらいたいです。その際に重要なのは,不正が1件でも起きれば失敗というゼロリスクを目指さないことです。リスク低減は必要ですが,ゼロをめざすと時間がかかるので,ある程度のリスク低減を見込むことができれば,あとは不正行為者には,司法試験受験資格の永久剥奪のような強い制裁による抑止で対応すべきでしょう。そして,さらにIBTについても,遅くとも2030年くらいには司法試験への導入ができればよいですね。

2024年6月11日 (火)

季刊労働法284号

 季刊労働法284は,前に土岐将仁さんの評釈を紹介しましたが,その他にも,いろいろ読み応えがある論稿が掲載されていました。なかでも,石田眞先生の,豊川義明『現代労働法論―開かれた法との対話』(日本評論社)の書評では,率直に批判的なことが書かれていて興味深かったです。
 石田先生は,豊川弁護士の「法解釈方法論」について,豊川弁護士の主張する「事実と法の相互媒介」の意味が必ずしも明確ではないと指摘しています。法的三段論法を重視すると,法規範どうしの比較や法律の違憲性の評価などのプロセスが判断外となる危険性があるとする豊川弁護士に対して,石田先生は,裁判の恣意を抑えるための法的三段論法の形式論理の重要性を指摘します。
 末弘厳太郎の「三つ巴」論にもあるように,事実認定,法律解釈,結論は,相互に独立した段階的なプロセスではなく,一体的なプロセスといえますが,ただ裁判として示されるときには,外形的には法的三段論法は維持される必要があり,このことにはあまり異論がないと思います。裁判では,結論を出すことを避けることはできません。どのような結論であれ,そこに至るまでの法的な形式論理がきちんとあるからこそ,裁判が恣意的な感情的な判断によるものでないことを,少なくとも外形的に示すことができ,裁判の信用性を担保することになります。
 一方で,裁判での事実認定は,純然たる客観的な事実の発見ではなく,裁判官による法的なフィルターにかけたうえでの「法的事実」の創出という面があります。そうした「法的事実」は,当然,適用すべき法律についての裁判所の解釈の影響を受けているわけで,純然たる客観的なものではないのです。「三つ巴論」のプロセスは,客観的な作業ではなく,裁判官の価値観に基づく事実認定や法解釈がなされています。判例評釈では,事実認定についての論評はしないものの,法解釈への論評は,事実認定への論評も包摂していることになります。
 ところで,話は少し変わりますが,季刊労働法の同じ号に掲載されている,新屋敷恵美子さんは「イギリスにおける労働者(Worker)概念と経済的従属性・コントロール・事業統合性」という論文のなかで,集団的労使関係法上の労働者概念について,イギリスの最高裁が,条文の文言の法解釈を重視しているのに対して,日本の労働組合法3条について,「どこか法から離れたものとなっている印象である」と書かれています(132頁)。イギリスでも,Uber判決にあるように, 法の規制目的は,法解釈で考慮はされるのですが,判決文のなかではそれをストレートに押し出すということはないということでしょう。これは先の議論でいうと,イギリスでは,形式的な法的三段論法を意識し,裁判所は,文言に忠実に解釈した法律を適用して事実にあてはめて結論を出すという形を厳格に維持しているといえるのかもしれません。この点で,日本の労組法3条のINAXメンテナンス事件などで,最高裁はもちろん法律を事実にあてはめて結論を出すという形はとってはいるのですが,適用すべき法律についての解釈が示されていないため,裁判所がピックアップした事実(あるいは判断要素)から,裁判所がしたであろう法解釈を推測するしかないということになっています。
 ところで,先般の事業場外労働のみなし労働時間制に関する協同組合グローブ事件の最高裁判決(2024416日)では,労働基準法38条の2の「労働時間を算定し難いとき」 について,従来の判例と同様,それをどのように解釈すべきかは示さないまま,たんに業務日報の正確性の担保に関する具体的な事情の検討不足を指摘して原審に差し戻しています。この事件については,ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号でも採り上げていて,実務的にこの事件をどうみるかという観点から論評していますが,判決自体が「労働時間を算定し難いとき」をどう解釈すべきかを示していないので,その点の理論的論評は今回はしませんでした(同連載の以前の号ではやったことがあります)。
 ここであえて書くと,事業場外の労働であっても,GPS(Global Positioning System)機能を使えば技術的には移動履歴の把握は可能ですし,そのようにしてリモート監視下に置き,かつスマホなどで常時連絡が可能な状況にすることにより,具体的な指揮監督下に置くことができるので,労働時間の算定はできると考えられます。そうだとすると,技術的には労働時間の算定が困難な場合はほとんどなくなり,あとはそうした(情報通信)技術の導入についての費用面からの困難性をどう考えるか,そして在宅勤務の場合,リモート監視下に置くことがプライバシーとの関係でどうなるかというような,いわば規範的困難性をどう考えるかが論点となってくると思います。そして,こういう技術的,経済的,規範的な困難性についてどう解す
べきかこそ,本来,裁判所に判断を示してもらいたいところです。協同組合グローブ事件でいうと,GPSの導入可能性について経済的困難性がどれくらいあったか,また業務でGPSを活用することによる本人ないし訪問先(外国人研修生や研修実施企業)のプライバシー保護などの法的な問題による制約がどの程度あるのかなどのような,まったく異なる争点が出てくることになります。セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件(季刊労働法では,この事件の高裁判決の評釈も掲載されています)のようなMRに勤怠管理システムが導入されている事案で上告されれば,最高裁も何らかの法解釈の判断をすると思うのですが。

 

 

2024年4月 8日 (月)

国会でのタブレット禁止に思う

 Yahooニュースで,「うんざり」「全く意味不明」...国民・玉木代表が嘆息 本会議場のタブレット使用に歴代正副議長が「拒否権」発動という記事が出ていました。国会の本会議場でのタブレット使用は,品位や権威の観点から禁止されているということのようです。玉木代表が嘆息するのは当然です。そういえば,河野太郎デジタル大臣がスマホでメモ内容を確認しながら質問をしようとして,制止されたこともありましたね。
 自分で作成した原稿を紙で印刷して持ち込まなければならないなど,どれだけ時代錯誤であるか。他人に作ってもらった原稿を読んでいるだけの人にはわからないのかもしれません。デジタル化を政府が本気で進めるなら,まず国会議員から紙を禁止にし,全員,原稿はタブレットかスマホ上のものを読むことを義務づけたらいいのだと思います。これなら裏方作業をしている役人の仕事の軽減化にもつながるでしょう。
 国会におけるデジタル化を阻む慣行こそ,その権威を損なっているといえます。おそらくタブレットなどを禁止しようとしている人は,議員にしろ,事務局にしろ,タブレットやスマホをミニパソコンとして使ったことがないのではないでしょうか。私たちの生活において,スマホは携帯電話としての利用はごくわずかで,主として情報収集・発信の手段であるわけで,何か調べたいときにスマホを使ったり,自分のメモをスマホで確認したりすることが禁じられるなど,現代社会ではありえないのです。
 ライドシェアも解禁されたとはいえ,安全性を重視して,規制のがんじがらめです。新しい時代に対応できていません。高プロ(労働基準法41条の2)を,健康確保といった観点から,規制のがんじがらめにして,使い勝手の悪いものとしているのと同じようなことです。
 このように,いろんな面で世間から遊離しているようにみえる国会ですが,実は,それは日本社会におけるデジタル格差を映し出しているのかもしれません。格差をつけられているほうが,日本の支配層にいるのは嘆かわしいことです。

 

 

 

 

2024年3月13日 (水)

ロボ配達

 東京の日本橋で,ウーバーイーツが,ロボを使った配達をする試みを始めたというニュースをみました。アメリカで始まっているという話を聞いたことがありますが,いよいよ日本でもか,という感じです。ギグワークの典型とされるフードデリバリーサービスの配達員ですが,私は将来的にはこの仕事は人間の仕事ではなくなっていくので,こうした業界を念頭において未来の労働政策を論じるのは適切でないという立場にあります。フードデリバリーサービスのように,人々の生活において必要とされるものであっても,実は今回のロボ配達のように機械を用いて対応できるものが多いのであって,人間が必ずしもやらなくてもよいのです。定型的な業務はAIや機械が対応するというのが,今後の労働政策の大前提です(さらに生成AIによって,機械の進出は,非定型的な業務にまで及ぶでしょうが)。
 もちろん,いつも述べているように,そうした技術革新の方向性はわかっても,完全な(あるいはそれに近い)省人化の実現時期が,30年後か5年後かでは議論の仕方が変わってきます。ロボ配達についても,実際にどれくらいのスピードで普及していくかは何とも言えません。ただ,技術的に可能である以上,社会実装はちょっとしたきっかけで一挙に広がるとみています。その他の業界でも,たとえば規制が少し変わるだけで,がらっと状況が変わり,社会実装が進む可能性はあります。

 とくに配達の自動化は,高齢者が増えて買い物困難者が増えることが予想される一方,人手不足が広がるなかで,デジタル技術がその解決策になるということを示すものです。ウーバーイーツのロボ配達の試みは,これからの社会課題の解決方法の一例として注目したいと思っています。それと同時に,こうした動きを,人間と機械との協働関係を考えるきっかけとすべきであると思います。

 

 

2024年3月 2日 (土)

ドライバーに日本語は必要か

 昨日のテレ東のWBCを観ていると,タクシードライバー不足のため,外国人を採用する必要があるものの,日本語能力の向上が問題となっているということが言われていました。実際に働いている外国人ドライバーのインタビューでも,日本語でのコミュニケーションが大切と語っていました。もちろん,日本語ができたほうがよいのですが,できなくても十分にやれる仕事だと思います。これはいつも書いているように,海外に言ってみると,何も会話をしなくても,行き先まで運んでもらえる経験を何度もしているからです。たしかに,かつては多少,不便なこともありました。タイのスワンナプーム(Suvarnabhumi国際空港からタクシーに乗るとき,空港のタクシー乗り場の担当者に英語で行き先を伝えて,それを紙にタイ語で書いてもらい,それを運転手に渡すということをしていました(いまも同じであるかわかりませんが)。運転手はタイ語しかできないので全く会話はありませんが,きちんとホテルまで連れて行ってもらっていました。町中でタクシーを拾うと同じようには行きませんが,乗るときに地図で行き先を示すとか,行きたい場所の名前を言うと,だいたい通じました。いまならGooglemap があるので行き先の指示に困ることはありませんし,アプリに入力すれば,それで十分でしょう。実際,数年前のマレーシアでは,ライドシェアサービスのGrabを利用したときは,アプリだけで問題はありませんでした。大切なのは,事前に料金が確定していることです。時間帯と距離で決まっているので,予期せぬ渋滞があっても料金が上がったりすることはありません。行き先は事前にアプリに入れていますし,料金は事前決済なので,あえて会話をする必要はないのです。同じことを日本のタクシーでもやれないことはないでしょう。何か法的制約があるのか知りませんが,技術的には可能です(もちろんライドシェアがほんとうに解禁されれば,いっそう問題がないでしょう )。

 つまりタクシードライバーに日本語能力は必須ではなく,あればよいという程度のことだと思います。コミュニケーションがとれて,サービスが良かったと思えば,チップをはずむことにすればよいということで,つまり付加的なサービスにすぎないのです。ということは,問題は,アプリの利用を私たちのほうができるかどうかにあるのです。スマホをもたなかったり,アプリを使えなかったりする人がいればダメですが,いまやスマホを使えないのは,電話をかけられないのと同じようなことです。つまりこれは,日本人側で解決しなければならないことなのです。外国人ドライバーの活用の障壁は,日本語の難しさではなく,日本人側のデジタルデバイドであるかもしれないのです。

 

 

2024年1月 7日 (日)

大地震に備える

 能登地震の悲惨な状況をみて,改めて家屋倒壊の怖さがわかりました。被災地域では耐震構造でない家屋も多かったようです。これを教訓として,住宅の耐震度を全国的にチェックし,必要な補修などについて,ある程度は強制的にやってもよいのではないかと思います。家屋の倒壊は,本人たちだけの問題ではなく,周りにも被害を与える可能性がありますし,救出のためのマンパワーがとられ,他の救出を困難にするなどの影響が出てしまうからです。費用をどこまで公費でまかなうかは議論があるでしょうが,とにかく事前にやれることをやっておくことが必要です(現在でも一定の要件を満たせば,税額控除や固定資産税の減額があるようです)。
 道路の寸断により陸の孤島と化しているような地域には,ドローンの活用ができるはずです。日頃からドローンで物資を運搬することを,各地域でシミュレーションしておくのが望ましいでしょう。充電不要のスマホ,スターリンク(Starlink)などの人工衛星を使った通信網なども,情報不足による孤立を防ぐために必要でしょう。水は,WOTAの水循環型シャワーなどが役立つでしょう(お湯は出るのでしょうかね)。仮設住宅の迅速な建設技術も役立つでしょう。こういういろんなアイデアや技術を結集して,たとえ災害があっても,迅速に日常生活を復興できるシステムを平時から準備しておく必要があると思います。
 地震と共生しなければならない国土に住む私たちは,はたしてどこまで地震に備えたシステムを構築できているでしょうか。最悪の場合,死者が約32万,全壊家屋が約240万と想定されている南海トラフ地震は,明日にでも起こる可能性があるのです。今回も,人々の献身的な救助活動や医療活動,ボランティア活動などがされていて,それには頭が下がりますが,人力以外に,もっと活用できる先端技術があるようにも思えます(実情がわかっていないだけかもしれませんが)。それに住民のほうにデジタル化が浸透していれば,たとえば緊急SOSの発信などにより,救えた命がもっとあったかもしれません。とくに高齢者こそ,スマホが頼りになるはずです。デジタル技術は,弱者にとってこそ力強い武器となりえるのです。今後の復興においてもデジタル技術は頼りになるでしょう。この面でも政府の早急な対応が必要です。

 

2023年12月10日 (日)

国会でのスマホ使用

 少し前に,河野太郎デジタル大臣が,参議院の予算委員会で辻元議員の質問に,スマホで検索をして内容を確認しながら返答しようとしたところ,議長から注意されたことが話題になりました。どうも審議中のスマホの使用は認められていなかったようです。 
 一昔前までなら,スマホの持ち込みや使用の禁止はわからないではないですが,いまはどうでしょうか。スマホはネーミングがミスリーディングで,実は電話ではなく,超小型コンピュータのようなものです(私も電話として使用することはほとんどありません)。スマホでの検索は時間がかかるので,質問時間が減らされるという批判もありますが,その場でわからないという返答よりも良いという見方もありえます。
 スマホをみながら授業中に報告をする学生は,私の経験では何年か前から現れ始めました。授業での報告は,紙媒体でなくてもよいとしており,本人が事前にメールで送った資料を,こちらは授業中ノートパソコンでみて,本人はスマホをみながら報告するということもありました。何も問題を感じませんでした(いまではスマホよりも,ノートパソコン持参学生がほとんどなので,学生はそれをみながら報告することになります)。スマホの利用は,人々がメモをみながら話すのと同じで,しかも通信機能をつかって内容を確認できるという点では,メモより優れているのです。
 単に相手をやりこめるということだけを考えていれば,スマホの検索で一呼吸を置かれるのはいやかもしれませんが,いまや世間では利用が当たり前の道具です。私もよく考えると,テレビや日常の会話で少しでも何か不明な点があれば,机の前ならPC,居間などであればiPad,それ以外であればスマホで,すぐに調べて解決を試みます。よほど時間がないときでないかぎり,あとで調べて確認するということはしません。それに単純なことであれば,Siriに聞けますし,少し複雑になっても,ChatGPTの利用で,迅速に解決ができます。いずれにせよ,近くにPCなどがないときに,スマホを使えないとなると,とても困ります。どんな会議であっても,きちんと議論をするための道具としてのスマホの活用を制限したりしているようではいけません。これでは,ますますデジタル後進国になるでしょう。

2023年9月23日 (土)

Digital divide

 昨日の続きですが,耳鼻科の待合室にいると,70代半ばくらいの女性が,「予約はできるのでしょうか」と受付の人にたずねていました。私よりも先に来て待っていたようですが,後から来た人が先に呼ばれていくことに疑問をもったようです。受付の人は「できます」と答えて,オンラインで予約されている方がいて,順番どおりにお呼びしています,と丁寧に答えていました。その女性は「電話で予約できますか」とたずねたところ,「予約はオンラインだけです」との答えで,「私はそういうのができないので……」という言葉に,受付の人は申し訳なさそうでしたが,どうしようもありません。
 予約は電話でも受け付ければよさそうなものですが,そういうことをすると,ややこしくなるのでしょうね。そうなると,スマホをもたず,ネットで予約ができない人は不便になります。これもデジタル・デバイドの一つでしょうが,こういう方に合わせてアナログ的なものを残していこうという議論になっては困ります。ここは行政の出番だと思うのですが,なにか手はないでしょうか。
 一方,当のクリニックも,受付後に,紙と鉛筆を渡されて住所や年齢などを書かされました(鉛筆というのが,なんとも言えないのですが,小学生になったような気分でした)。前にも別のクリニックに関して同じような不満を書いたことがあるのですが,オンラインで入力したものを,また鉛筆で手書きしろというのは,なんという無駄なことでしょうか。そして,この紙と鉛筆は,診療後に薬局に行ったときにもありました。初めての薬局に行ってしまったのが失敗でした。家の近所で以前に行ったことがあるところだったら,不要だったのでしょうが。
 クリニックの支払いは現金かもしれないと思い,そのためにわざわざ銀行で引き落として行ったのですが,やっぱり現金のみでした。現金は日常生活では使わないので,このためだけに引き落とさざるをえないのです。便利なところにATMがない時代がくると,現金払いというのは,とんでもなく迷惑なことになります。薬局は,クレジットカードが使えましたし,電子マネーもOKです。クリニックでは近所にあるその薬局を推奨してきたことからすると,両者は提携しているのでしょうから,支払い方法も提携してもらいたいものです。
 アナログとデジタルが混在していて,非効率だなと思う反面,アナログ以外無理という人たちもいて,難しいですね。行政の出番と言ってみたものの,デジタル庁は,マイナンバー問題からもわかるように,あまり頼りにならないようで,いったいこの国はどうなるのでしょうかね。このままでは,そう遠くない未来に,デジタル後進国に転落してしまうでしょう。そういえば,手帳をかかげて「聞く力」を自慢した首相が登場したことが,凶兆だったのかもしれません(森保ノート,栗山ノート……。もう十分です)。

2023年7月13日 (木)

官報のデジタル化

 3日前の日本経済新聞で,「政府は法令や企業情報などを載せている刊行物の官報について,紙の出版からインターネット上での公表を原則にする」という記事が出ていました。
 新しい法律についてはだいたいフォローできますが,それよりも下位のものは,私の情報収集力の弱さによるのでしょうが,なかなか適時にはフォローできません。実務をやっているわけではないのでそれほど急ぐ必要はないにしても,ある程度の速度で情報収集しておく必要があります。
 そういえば先日,職業安定法の指針の名称が長いというクレームをこのブログで書きましたが,令和4610日の厚生労働省告示198号で,名称が短くなっていたことに気づきました。改正前の名称について間違った情報を流して,たいへん申し訳ありませんでした。とはいえ,名称が依然として長いことに間違いはないのですが。

 改正前の名称
「職業紹介事業者,求人者,労働者の募集を行う者,募集受託者,募集情報等提供事業を行う者,労働者供給事業者,労働者供給を受けようとする者等が均等待遇,労働条件等の明示,求職者等の個人情報の取扱い,職業紹介事業者の責務,募集内容の的確な表示,労働者の募集を行う者等の責務,労働者供給事業者の責務等に関して適切に対処するための指針」

 改正後の名称
「職業紹介事業者,求人者,労働者の募集を行う者,募集受託者,募集情報等提供事業を行う者,労働者供給事業者,労働者供給を受けようとする者等がその責務等に関して適切に対処するための指針」

 句読点を入れて161文字から89文字への減少なので,文字数は半数近くになりましたが,なお長すぎるので,前のクレームは維持しておきたいと思います。
 話を戻すと,ChatGPT時代には,情報収集を自ら検索して追跡するというGoogle型ではなく,簡単な問いかけで入手できるようにするパターンに変わっていくのではないかと思います。いまでも,法令提供情報をしてくれる業者と契約をすれば,そういうことは可能でしょうが,できれば,政府のサービスとして,アプリで事前に設定して,関心のある分野の法令の改正情報がすぐに届くようにしてもらえたら助かります。
 インターネット官報は,助かる面もありましたが,紙の官報のPDFにすぎないようなので,ほんとうのデジタル化とは言えませんでした。公布という概念を,デジタル時代にあわせて根本的に変えていくことが必要でしょう。もはや紙の官報という時代ではないのは明らかです。

2023年7月11日 (火)

マイナンバーカード問題

 数日前に,個人情報保護委員会がデジタル庁に立入検査する予定であるという報道がありました。マイナンバーは,行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(通称は,マイナンバー法)でいう「個人番号」であり,「個人番号」に含まれる個人情報は「特定個人情報」と呼ばれ,個人情報保護法の特例が認められています。個人情報保護委員会は,個人情報保護法とマイナンバー法に関する監視・監督をする権限をもっている行政委員会です。
 ところで,マイナンバーカードをめぐるトラブルは,もちろん様々な原因があるのでしょう。ただ私の経験から,もともとマイナンバーカードの取得のときから,霞ヶ関も自治体職員も前向きではなかったのではないかということを,前に書いたことがあります。また,運転免許証がない私にとって,マイナンバーカードは身分証明の重要な書類となるはずでしたが,かなり長い間,写真があるマイナンバーカードは本人証明にならず,写真のない健康保険証の提示ならOKというようなおかしなことが続いていました。政府がちょっと号令をかければ変わることなのに,本気でマイナンバーカードを国民に普及させようとはしていないのだなと思っていました。
 これも前に書いたことがありますが,父が市役所にマイナンバーカードを取りにいくのが体力的に難しかったとき,そのことを自治体の担当職員に告げた私に,そこまでしてカードを取得する必要があるのですか,という唖然とするような言葉を投げかけられたことがありました。結局は,職員が出向いてくれて本人確認し引き渡してくれたのですが,高齢者であっても,確定申告はするのであり,E-Taxでマイナンバーカードを使うのです。
 職員たちにとっては,マイナンバーカードは,国民からの反対は強いし,政府の本気度はよくわからず,でも事務作業が多いというものですから,やる気にならないのかもしれません。それでもほとんどの人はきちんと仕事をするのですが,人為的なミスが起こりやすい土壌があるのではないでしょうか。とくに現在のトラブルは,健康保険証について,保険機関の職員が,保険者番号とマイナンバーとの紐づけにミスしたことが原因のようですが,そもそもこんな面倒なことを人の手でやらせるとミスがでないほうがおかしいような気がします。デジタル化の背景には,常に「ゴースト・ワーク」があるのですが,今回の人の手による紐付というアナログ作業も,一種の「ゴースト・ワーク」といえるかもしれません(晶文社から翻訳書が出ている同名の書も参照。同書については,近いうちに私の短評が出ます)。いずれにせよ,デジタル庁が,人による無味乾燥なアナログ作業に頼っているというのは,悪い冗談のような気もします。
 とはいえ,一部の人がやっているようなマイナンバーカード返納運動はいかがなものかと思います。政府が悪いと言いたいのでしょうが,紐付けのミスをした人の肩身がますます狭くなるかもしれません。どっちにしろマイナンバーは付与されているのであり,マイナンバーカードという「物」に当たるのではなく,もう少し違った形で建設的な抗議をしたほうがよくないでしょうかね。

 

より以前の記事一覧