週末は天気がよかったですが,体調があまりすぐれず,ゆっくりしていました。今日は,当初は私が変人扱いされていたことが,徐々にノーマル化しているのではないか,ということについて書いてみます。
コロナ前の段階では,日程調整のときにスマホを取り出す人は,少なくとも私の周囲にはほとんどいませんでした。みんな手帳を取り出して日程を確認していました。いまは手帳を使う人は激減しているのではないでしょうか。私は数年前から年賀状や名刺も廃止しましたが,さすがにこれはまだ少数派のようです。でも,そう遠からず多数派になるでしょう。なお,近距離通信規格のNFCを搭載しているスマホをおもちの方は,私のデジタル名刺であるUnited Cardで名刺交換(というか個人情報交換)をすることができますが,いままでNFCのないスマホの人としか会ったことがなく,このタイプの名刺交換に成功したことはありません。
出張についても,コロナ前から出張数を減らしていましたが,いまはまったくしていません。個人旅行は徐々に増やそうと思っていますが,出張はそもそも必要がありませんよね。海外出張も同様です。このことは研究費の取得の必要性を著しく下げることになりました。これまでは資料収集などのための出張がよくあったからです。
いつも書いていることですが,プリンターも廃棄しました。どうしても必要な場合には近所のコンビニでプリントアウトします。先日の相続がらみのときはよく利用しましたが,日頃は基本的にはプリンターを使うことはありません。セブンイレブンのネットプリントは便利で,QRコードをかざし,支払いはNanacoでやれば,スマホだけもっていけばプリントアウトできます。問題は,店舗に機械が1台しかないことです。マルチコピー機なので,いろんな用途で使う人がいるから混んでいることがあります。でも今後はプリントアウトをする必要性はなくなっていき,プリントアウトのためにコンビニに行く必要性も激減するでしょう。リコーと東芝が事務機の生産部門を統合するという記事が出ていましたが,これは時代の流れです。
在宅勤務が普通になるので,ペーパーレスに対応できない企業は生き残れないでしょう。昨日も書いたように医療のペーパーレスは喫緊の課題ですし,これは介護などでも同じです。医療も介護もこれからの社会においてとても大切な分野なのに,最もデジタル化が遅れている感じなのは大きな問題です。医療や介護のサービスそれ自体はアナログ的なものが中心であるとしても,デジタルで業務全体を効率化することにより,アナログ的なサービスの質の向上をする余力がでてくるのです。そのことに経営者が(もちろん政府も)早く気づかなければ,利用者のニーズに応えられないだけでなく,若い人が働き手として集まってこなくなります。一番困るのは,これにより医療や介護の事業者がいなくなっていくことです。
5月13日の東京新聞にAI関係の記事(「AIに仕事が奪われる? 働く者たちの未来はどこへ 創作活動もデータ合成で…その対価は」)のなかで,私のコメントも出ています。前日に電話取材を受け,すぐに記事になりました。AIと雇用のことですから,私としてもいろいろ考えることはあり,授業の合間の30分間でしたが,質問にお答えしました(そのうちのごく一部分が記事になりました)。
ChatGPTやBardの登場により,AIと雇用という問題は,新たな段階に入ったかもしれません。当分は,このテーマについて,エッセイ的なものの執筆が続くでしょうが,そのうち『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)のその後,というようなものを書く必要が出てくるかもしれませんね。基本的には,当時から予想されていたことが起こっているのですが,自然言語処理の社会実装は,少し予想より早かったです。これまでは,AIの雇用への影響については,少し悲観的な予測をもって臨むべきだと述べていましたが,悲観の程度を少し高めなければいけないでしょう。
教育も雇用も,もはや生成AIを無視して議論をしていくことはできません。いろんな人がリスクを指摘していますし,もちろんリスクは大きいのですが,それに対応することはできるはずです。ビジネス界からの声は,競争に出遅れた人が追いつくために,先頭集団のスピードを弱めようとする狙いもあるので,ここはできるだけビジネスとの利害関係がない人(研究者など)に客観的な議論をしてもらえればと思います。また研究者であってもビジネス親和的な人とそうでない人もいるので,できればそうでない人も入って公平な議論をしてもらいたいです。規制される側のOpenAIのCEOであるAltman氏からはライセンス制の導入提案がされていますし,AIにより生成されたものである場合は一種の「原産地証明」を義務づけるなどのアイデアもありますが,そういうものを含めて建設的な議論を期待したいですね。
雇用政策に関心をもっている私たちは,AIの開発が止まらず,社会実装もどんどん進むという前提で議論をする必要があります。記事では,雇用面への考慮が,AIの議論において少ないのではないかという私のコメントが使われていました。実際,少し前まではSFの話であったことが現実化していく社会の到来が間近に迫っているなか,人はどのように生き,働くのか,ということを真剣に考えなければなりません。教育の現場でも,やることを根本から変えなければなりません。政府も,危機意識をもって動いてもらいたいところです。これは何度も繰り返して訴え続けたいと思っています。
子どもの日ですが,あまり鯉のぼりはみなくなったような気がしますね。童謡の「こいのぼり」には,大きい真鯉のお父さんと小さい緋鯉の子どもたちしか出てこず,お母さん鯉は登場しません。お母さん(女性)が露骨に疎外されている感じがします。鯉のぼりという風習自体,男の子の成長だけを祝うという点で,いまの時代には合わなくなっているのでしょうか(でも,ひな祭りのほうは,まだ衰えていないような気がしますが)。
ところで,今朝の日本経済新聞の社説「子どもの声を聞ける社会に」では,「少子化対策はもちろん大切だが、子どもがすくすくと育っていける環境づくりも車の両輪として急がなければならない」と書かれていました。政府の司令塔となる,こども家庭庁は,まず子どもの性被害対策に取り組むそうです。子どもの性被害は最も卑劣なことの一つですが,後を絶ちません。異常者が一定数いるのは確かなのでしょう。日本で最も有名な芸能事務所における少年タレントの性被害はずっと昔から言われていることですが,多くのメディアはあえて報道しなかったという点で共犯だという意見もあります。メディアは,この件については,しっかり事実を明らかにしてほしいですし,親たちは男同士だから安心なんてことはないということを知っておかなければなりません。
この他,子どもの公園での事故も後を絶ちません。大人の私生活の監視は問題がありますが,子どもについては,徹底した監視をデジタル技術を使ってやってもよいでしょう。公園だけでなく,保育施設,幼稚園,小学校なども,監視カメラで「ガラス張り」にしてよいのではないかと思っています(ただし,労働法的には,労働者の監視ということにもなるので,その点の問題は解決しなければなりません)。こども家庭庁とデジタル庁とが協力して何ができるかを考えてもらいたいです。
第4次産業革命は,既存の産業とデジタル技術が融合して○○テックという領域を次々と生み出してきました。子どもに関する政策は多岐にわたりますが,そのどれにおいても従来の施策とデジタル技術との融合をめざすことを,まず第一に考えてもらいたいです。
オープンAIのCEOが日本に来日して,首相や自民党議員と面会したとのことで,首相との面会って割りと簡単にできるのだなと驚きましたが,それくらいChatGPTは重要ということでしょうか。日本は,世界で一番「生成型AI」の利用が上手で広がっているとおだてられて,それに乗せられてはいけない気もしますが,どうも他国よりも日本での利用が急速に広がっているのは確かなようです。イタリアでは個人情報保護の観点から一時利用を禁止したようです。欧州ではGDPRの共通規制があるので,他国も同じような状況にあるのかもしれません。個人情報の適切な利用のためのルール作りは必要ですが,昨日も書いたように,この技術の利用を止めることはもはや不可能です。どううまく使うかについて考えていくことに注力すべきでしょう。
技術はしょせん技術です。その技術をどう活かすは人間の知恵にかかっています。殺人兵器のようにしてしまうのか,人類を多くの労働から開放し,より意味のあることにエネルギーを集中できるようにするのか,それは人間にかかっているということです。その意味で,文理融合というのは,ほんとうに重要なのです。拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令)では,社会学者の吉見俊哉氏の言葉を参照しながら,「工学系は目的に対する手段の学問であるが,目的と手段をつなぐ技術体系が限界に達したとき,その先を見定めることができるのは,そのような体系自体を内在的に批判していくことができる,価値を扱う文系的な学問である」とし,これを受けて私も「目的手段的な思考は,つねに目的や手段の適切性に対する吟味が必要となります。その意味で,文系的な学問の重要性は変わらないでしょう」と書いています(331頁)。この話はChatGPT時代には,よりいっそうあてはまるのであり,プログラミングもChatGPTでできる時代がきているなか,いま必要なのは,実は文系的な価値の学問であると思います。哲学の時代ともいえるのです。いっとき文系不要論も出ていましたが,それは現在の大学の文系学部が不要かもしれないというだけで,価値を扱う文系的な素養は,今後いっそう求められることになるのです。そして,そういう素養は,大学に入ってからではなく,初等教育の段階から学んでいくことが必要なのでしょう。真の教養教育,つまり現代のartes liberales の習得が大切なのです。
少し前に自宅マンションから双子の2歳児が7階のマンションから転落するという事故がありました。ご両親の悲しみを思うと,胸が痛みます。窓に鍵をかけていたということですが,それをこじ開けていったのでしょう。事件性はないとされています。事故の原因は今後検証されていくでしょうが,2歳児の月齢にもよりますが,少しでも掴むとっかかりがあれば,2才児であればよじ登り,鍵を開けるということはありえると思います。昨日までできなかったことが急にできるようになったり,1回は失敗したことも,すぐに再チャレンジしてできるようになったり,これくらいの年齢の子の運動機能の発達は驚くべきものです。昨日の情報は捨てて,リセットして今日の子に向き合うくらいの気持ちでなければ危ないですよね。
子どもは,てんとう虫のように,高いところに登りたがります。なぜかわかりませんが,もともと握力は赤ちゃんのころから強く,それに加えてキック力もついてきている2歳児であれば,かなりのところに登ってしまいます。登ると達成感を得て,いっそうのチャレンジをしたがります。子どものチャレンジ精神や好奇心はとても大切なものですが,危険きわまりないです。保護者のほんのちょっとした隙が大きな事故につながります。ホモ・サピエンスは,危険を顧みない好奇心があったからこそ,アフリカから出て世界中に移動していったのです。そういうDNAがあることも自覚しながら,なんとか子どもの事故を防がなければなりません。
子どもの転落事故がなかなかなくならないことを考えれば,ここでもAI監視技術の活用はできないでしょうか。高齢者施設での夜の危険な動きの察知では利用されていますし(人手を減らすことができます),寝ている乳児が動けばアラームが鳴るといったベビーモニターは,おそらく多くの赤ちゃんのいる家庭が使っていると思います。危険性がまだ十分に認識できないまま,好奇心が勝ってしまう幼児にも,同様のモニター技術で事故防止を測ることが広がればよいですね(私が知らないだけで,すでに商品は出ているのかもしれませんが)。児童虐待防止のためのAI監視も言われていますが,まずはうっかり目を離した隙の事故を防ぐためのAIの利用促進を,こどもまんなか社会における施策にも取り入れてみたらどうでしょうか。
特定保健指導は,しつこく受けろという葉書が届き,大学の本部から名指しもされたので,仕方がないから受けましたが,やっぱり前に受けたときと同じで,時間の無駄でした。私はかなり努力をしており,数値も改善しているので,まず初めにいまやっていることをすべて相手に言いました。指導側は,どういうわけか管理栄養士で,食事面ではまったく非の打ちどころがないことがもわかったようです。結局,「ブロッコリースプラウト」がいいですよということが唯一建設的なアドバイスでした。なんでこういうことになるかというと,対象者の選定を間違っているのです。私は昔の不摂生がたたり,数値は悪いですが,それでも年々少しずつよくなっています。この傾向をみてもらえれば,私に強引に指導を受けさせる必要がないことはわかるはずです。先方は2年分のデータしかもっていませんでした(どうせなら過去25年分をみてほしい)が,それでも改善していることがわかるので,なんとなくやりにくそうでした。腹囲やBMIの数値が悪いからひっかかるのですが,腹囲の検査はとてもいい加減なものです。
劣等生が心を入れ替えて勉強し,成績が悪いながらもちょっとずつ上がってきているときに,その時点の点数だけをみて,おまえは努力不足だから,しっかり指導してもらえと言われているようなものです。どうせやるなら,栄養士ではなく,もっとトータルに健康の問題についてアドバイスをしてくれる人を配置してもらいたいものです。たとえば体質的に太りやすい人に,食べないようにと言ってもストレスがたまり,かえって寿命を縮めかねません。私は今回,太りやすい体質を改める漢方薬があればアドバイスしてほしいと言ったのですが,それはわからないということでした(そりゃそうですよね)。ちなみにChatGPTに聞くと,きちんとアドバイスをしてくれました。人間をつかった指導は無駄が多いので,個人の自己健康管理に役立つアプリを開発し,行動経済学の知見をもちいて,その利用を促すような制度をつくることを考えるべきです。ここでもDXの遅れの弊害があらわれています。
Chat GPTは,企業でも,活用する例が増えているようです。私も,日常的に使っています。Google検索では自分で回答を探すわけですが,Chat GPTでは,回答を教えてくれます。これにより,人々の生活は,大きく変わる可能性があります。日本のことを日本語で調べたときの正確性は低いように思いますが,それは,ネット上で流れている情報が日本語のものはまだ限定されているからでしょう。外国のことについては,かなりの正確性をもって詳細に教えてくれるのではないかと思います。もちろん私の専門の法制度の分野では,厳密なことを調べるときには信用できませんが,日常的なことについての検索は,結構,使えるようです。ちょっとふざけて,「How can I become friends with Paddington?」というような質問をしたら,まじめに答えてくれたので,相手はAIとわかっていながら好感をもってしまいました。危ないですね。
英文の翻訳も,英語の添削もやってくれるので,学校では困るかもしれませんが,うまく味方につけて活用していかざるをえないのでしょうね。いずれにせよ,子どもたちは,こういうものを使って,普通に日常生活を送っていくことになるのでしょう。学校では,このツールを,どのように使うかということを,その危険性も含めて,しっかり教えてもらいたいです。そのためには,先生方に,まず習熟しておいてもらう必要があるでしょうね。
話は変わり,前にレジネラオ菌のことについて書いたとき,温泉法違反ではないかと書きましたが,公衆浴場法違反だと報道されていました。なお,同法違反の事実であっても,公益通報者保護法により保護される通報対象事実となります。
再び(?)AIが注目されています。私も話題のChatGPTを,早速使ってみましたが,感想はまずまずというところでしょうか。専門的な仕事には使えませんが,ちょっとした文章を考える際には役立ちそうです。こうした「生成(generative)AI」の登場は,すでに想定されていたことではあります。ただ,AIが生成した文章,音楽,画像などが,私たちの日常に入り込む世界が,今後どうなっていくのかは,まだ想像しづらいところもあります。いずれにせよ,「AIが作ったからfakeだ」という発想から改めていかなければならないのかもしれません。
AIが仕事を奪うというのは,当初の警句を発するという段階をすでに終えています。AIが着実に社会に浸透していくなかで,どういう社会課題が生まれ,それを人間はどのように(AIも活用しながら)解決していくのか,という各論の段階に入っています。AIが仕事を奪うというのは,現在の仕事(ジョブ)を基本としている発想ですが,むしろ,どういう仕事が必要となり,それをどう人間が担うのかという発想が大切なのです。仕事・労働は,社会課題の解決への貢献活動であるという私の定義からは,必然的にこういう結論となります。
AI時代において残るのは,創造的な仕事であるということは,私もずっと言い続けてきたことですが,これももちろん括弧付きです。将来的には,創造的な仕事もAIがやれるようになるということです。創造的とは何かということが具体的に定義できれば,AIはそういう仕事ができるようになるでしょう。生成AIは,そうした可能性を,すでにみせてくれています。
AIとあたりまえに共生する社会のなかで,人間に求められるのは,いかにして生きるのか,何のために生きるのか,ということを考えていくことです。そして,それこそが人間らしい営みなのです。哲学の時代が来るということです。
2月1日になって,朝のテレビ体操の内容が少し変わりました。
今日は比較的暖かくなると予報が出ていましたので,午後のリモート会議の前の時間帯に,いそいでJR芦屋駅近くにある芦屋市役所の出張所に行ってきました。
父の戸籍集めの作業は,遠方は郵送で,近場は直接役所に赴いてということにしています。郵送でやると定額小為替が必要で,いちいち郵便局に行かなければならず,200円の手数料が取られます(前は100円でした)。また戸籍は一つとって,初めてその前の戸籍がわかるので,一度に作業が進まないのが困りものです。しかも普通郵便は,前より時間がかかるようになっていて,なかなか作業が進みません。速達もつかいますが,郵便代は馬鹿になりません。政府は,2024年から相続登記を義務づけるそうですが,岸田首相は自分で手続を試してみてください。どれだけ面倒かよくわかると思います。少なくとも,戸籍は,市町村をまたがっても,オンライン取得できるようにしてもらいたいです。この部分のデジタル化が進むだけで,ずいぶんと作業が楽になります。今回は返信用切手をつかうことで,家に残っていた切手を多く消化できたことだけは,よかったです。
私が知らなかっただけですが,登記情報がオンラインでみることができたのは,意外でした。法定相続情報一覧図の交付は,オンライン申請できませんが,相続登記の申請だけならオンラインでできます。住民票や印鑑登録証明書は,近所のコンビニで取得できるので助かります。まだやっていませんが,準確定申告(被相続人の確定申告を,相続人が行うもの)も,オンライン申請(e-Tax)ができるようです。このようにオンライン化が進んでいることをみると,やっぱり戸籍の対応の遅れが気になります。自治体内でしかオンライン対応ができていません。マイナンバーを利用した戸籍事務の処理を,国主導で進めてもらいたいです。戸籍は,本来,国の事務ですよね。
戸籍がどうかというと,とたんに保守的な議論が出てくるのですが,戸籍だけ特別なものというように考えないでほしいです。戸籍が変わると,日本社会も変わるかもしれません。保守派はそれがいやなのでしょう。私は保守的な価値観にも一定の理解は示す気持ちはありますが,戸籍については,技術的にデジタル化が可能であるかぎり,それを進めていくべきだという立場です。