デジタル技術

2023年9月23日 (土)

Digital divide

 昨日の続きですが,耳鼻科の待合室にいると,70代半ばくらいの女性が,「予約はできるのでしょうか」と受付の人にたずねていました。私よりも先に来て待っていたようですが,後から来た人が先に呼ばれていくことに疑問をもったようです。受付の人は「できます」と答えて,オンラインで予約されている方がいて,順番どおりにお呼びしています,と丁寧に答えていました。その女性は「電話で予約できますか」とたずねたところ,「予約はオンラインだけです」との答えで,「私はそういうのができないので……」という言葉に,受付の人は申し訳なさそうでしたが,どうしようもありません。
 予約は電話でも受け付ければよさそうなものですが,そういうことをすると,ややこしくなるのでしょうね。そうなると,スマホをもたず,ネットで予約ができない人は不便になります。これもデジタル・デバイドの一つでしょうが,こういう方に合わせてアナログ的なものを残していこうという議論になっては困ります。ここは行政の出番だと思うのですが,なにか手はないでしょうか。
 一方,当のクリニックも,受付後に,紙と鉛筆を渡されて住所や年齢などを書かされました(鉛筆というのが,なんとも言えないのですが,小学生になったような気分でした)。前にも別のクリニックに関して同じような不満を書いたことがあるのですが,オンラインで入力したものを,また鉛筆で手書きしろというのは,なんという無駄なことでしょうか。そして,この紙と鉛筆は,診療後に薬局に行ったときにもありました。初めての薬局に行ってしまったのが失敗でした。家の近所で以前に行ったことがあるところだったら,不要だったのでしょうが。
 クリニックの支払いは現金かもしれないと思い,そのためにわざわざ銀行で引き落として行ったのですが,やっぱり現金のみでした。現金は日常生活では使わないので,このためだけに引き落とさざるをえないのです。便利なところにATMがない時代がくると,現金払いというのは,とんでもなく迷惑なことになります。薬局は,クレジットカードが使えましたし,電子マネーもOKです。クリニックでは近所にあるその薬局を推奨してきたことからすると,両者は提携しているのでしょうから,支払い方法も提携してもらいたいものです。
 アナログとデジタルが混在していて,非効率だなと思う反面,アナログ以外無理という人たちもいて,難しいですね。行政の出番と言ってみたものの,デジタル庁は,マイナンバー問題からもわかるように,あまり頼りにならないようで,いったいこの国はどうなるのでしょうかね。このままでは,そう遠くない未来に,デジタル後進国に転落してしまうでしょう。そういえば,手帳をかかげて「聞く力」を自慢した首相が登場したことが,凶兆だったのかもしれません(森保ノート,栗山ノート……。もう十分です)。

2023年7月13日 (木)

官報のデジタル化

 3日前の日本経済新聞で,「政府は法令や企業情報などを載せている刊行物の官報について,紙の出版からインターネット上での公表を原則にする」という記事が出ていました。
 新しい法律についてはだいたいフォローできますが,それよりも下位のものは,私の情報収集力の弱さによるのでしょうが,なかなか適時にはフォローできません。実務をやっているわけではないのでそれほど急ぐ必要はないにしても,ある程度の速度で情報収集しておく必要があります。
 そういえば先日,職業安定法の指針の名称が長いというクレームをこのブログで書きましたが,令和4610日の厚生労働省告示198号で,名称が短くなっていたことに気づきました。改正前の名称について間違った情報を流して,たいへん申し訳ありませんでした。とはいえ,名称が依然として長いことに間違いはないのですが。

 改正前の名称
「職業紹介事業者,求人者,労働者の募集を行う者,募集受託者,募集情報等提供事業を行う者,労働者供給事業者,労働者供給を受けようとする者等が均等待遇,労働条件等の明示,求職者等の個人情報の取扱い,職業紹介事業者の責務,募集内容の的確な表示,労働者の募集を行う者等の責務,労働者供給事業者の責務等に関して適切に対処するための指針」

 改正後の名称
「職業紹介事業者,求人者,労働者の募集を行う者,募集受託者,募集情報等提供事業を行う者,労働者供給事業者,労働者供給を受けようとする者等がその責務等に関して適切に対処するための指針」

 句読点を入れて161文字から89文字への減少なので,文字数は半数近くになりましたが,なお長すぎるので,前のクレームは維持しておきたいと思います。
 話を戻すと,ChatGPT時代には,情報収集を自ら検索して追跡するというGoogle型ではなく,簡単な問いかけで入手できるようにするパターンに変わっていくのではないかと思います。いまでも,法令提供情報をしてくれる業者と契約をすれば,そういうことは可能でしょうが,できれば,政府のサービスとして,アプリで事前に設定して,関心のある分野の法令の改正情報がすぐに届くようにしてもらえたら助かります。
 インターネット官報は,助かる面もありましたが,紙の官報のPDFにすぎないようなので,ほんとうのデジタル化とは言えませんでした。公布という概念を,デジタル時代にあわせて根本的に変えていくことが必要でしょう。もはや紙の官報という時代ではないのは明らかです。

2023年7月11日 (火)

マイナンバーカード問題

 数日前に,個人情報保護委員会がデジタル庁に立入検査する予定であるという報道がありました。マイナンバーは,行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(通称は,マイナンバー法)でいう「個人番号」であり,「個人番号」に含まれる個人情報は「特定個人情報」と呼ばれ,個人情報保護法の特例が認められています。個人情報保護委員会は,個人情報保護法とマイナンバー法に関する監視・監督をする権限をもっている行政委員会です。
 ところで,マイナンバーカードをめぐるトラブルは,もちろん様々な原因があるのでしょう。ただ私の経験から,もともとマイナンバーカードの取得のときから,霞ヶ関も自治体職員も前向きではなかったのではないかということを,前に書いたことがあります。また,運転免許証がない私にとって,マイナンバーカードは身分証明の重要な書類となるはずでしたが,かなり長い間,写真があるマイナンバーカードは本人証明にならず,写真のない健康保険証の提示ならOKというようなおかしなことが続いていました。政府がちょっと号令をかければ変わることなのに,本気でマイナンバーカードを国民に普及させようとはしていないのだなと思っていました。
 これも前に書いたことがありますが,父が市役所にマイナンバーカードを取りにいくのが体力的に難しかったとき,そのことを自治体の担当職員に告げた私に,そこまでしてカードを取得する必要があるのですか,という唖然とするような言葉を投げかけられたことがありました。結局は,職員が出向いてくれて本人確認し引き渡してくれたのですが,高齢者であっても,確定申告はするのであり,E-Taxでマイナンバーカードを使うのです。
 職員たちにとっては,マイナンバーカードは,国民からの反対は強いし,政府の本気度はよくわからず,でも事務作業が多いというものですから,やる気にならないのかもしれません。それでもほとんどの人はきちんと仕事をするのですが,人為的なミスが起こりやすい土壌があるのではないでしょうか。とくに現在のトラブルは,健康保険証について,保険機関の職員が,保険者番号とマイナンバーとの紐づけにミスしたことが原因のようですが,そもそもこんな面倒なことを人の手でやらせるとミスがでないほうがおかしいような気がします。デジタル化の背景には,常に「ゴースト・ワーク」があるのですが,今回の人の手による紐付というアナログ作業も,一種の「ゴースト・ワーク」といえるかもしれません(晶文社から翻訳書が出ている同名の書も参照。同書については,近いうちに私の短評が出ます)。いずれにせよ,デジタル庁が,人による無味乾燥なアナログ作業に頼っているというのは,悪い冗談のような気もします。
 とはいえ,一部の人がやっているようなマイナンバーカード返納運動はいかがなものかと思います。政府が悪いと言いたいのでしょうが,紐付けのミスをした人の肩身がますます狭くなるかもしれません。どっちにしろマイナンバーは付与されているのであり,マイナンバーカードという「物」に当たるのではなく,もう少し違った形で建設的な抗議をしたほうがよくないでしょうかね。

 

2023年7月 5日 (水)

司法試験のCBT化に期待

 司法試験のCBTcomputer based testing)化が進められるという情報が,同僚の間で話題になっています。2026年の司法試験からの導入のようです。受験者にとっても,採点者にとっても,助かることになるでしょう。いまどき,手書きで大量の答案を書くというのは,法学のテストというよりも,体力テストのようなものになっていて,実際の仕事では手書きで文章を書くことなどほとんどないのに,なぜ試験でそういうことを課すのかという疑問は高まっていました。法曹界は,思った以上に,上の方たちはDXに積極的なのかなという気もします。重要事件の裁判記録をデジタル保存していればよかったのに,それもせず無造作に破棄してしまったという大失態について,最高裁が割と迅速に謝罪という対応をしたことは,逆にデジタル対応への意識が強く,この大失態がいかに情けないことかということが自覚できていたからではないかと,私には思えました(実際にはどうかわかりませんが)。
 朝日新聞デジタル(2023626日)によると,「不正防止などの観点から,当面はオンラインではなく,試験会場に用意するパソコンを使って受験する方式を想定している。同様の手法は,米国の弁護士試験などで導入されているという」ことのようです。ゆくゆくは不正防止について技術的防止策を開発し,あらゆる国家試験がオンラインで受けられるようにすべきでしょう。司法試験には,ぜひその先鞭をつけてほしいです。
 当然,法科大学院の期末試験もCBTでやれるようにしてほしいです。国家試験とは異なるので,もちろん不正防止対策は重要とはいえ,いろいろ実験できると思います。最初から完璧を目指すことはせず,その時点でのできるかぎりの対策はしたうえで,何か問題点があれば徐々に解決していくという姿勢で臨んでほしいです。
 手書きは趣味の世界にとどめ,仕事での文書はデジタルが基本という社会は必ず来るのであり,どうせならできるだけ早く対応してもらいたいです。なおデジタル文字のほうが拡大ができるので,採点する側の(老眼の)高齢者に優しいです。デジタル技術は高齢者や障がい者にフレンドリーであるという,いつもの話にもつながります。

2023年6月24日 (土)

医療のダイナミックプライシング

 病院やクリニックの待ち時間の長さには困ることが多いのですが,みんな諦めているのかもしれません。ただ,これだと忙しい人たちはなかなか病院に行けず,病気の早期発見ができないというようなことになりかねません。すでに多くの人が要請していると思いますが, ダイナミック・プライシング(Dynamic Pricing)で,混雑緩和を図ってほしいですね(現在でも,時間外,休日,深夜の加算はありますが,時間内でも差を設けようということです)。高齢者の多くは,時間的な余裕があるので,そういう人たちが朝一番とか,良い時間帯を独占しているのは困ったものです。年齢層によって時間帯を分けるのが難しいとすると,繁忙タイムには料金を高くし,閑散タイムには料金を下げるという方法をとってもらえないでしょうかね。診療報酬が決まっているのがネックですが,診療報酬(点数)の上下20%くらいは,診療機関の裁量で決められるということにして,ソフトを開発したらどうでしょうか。料金の変動を知るためのスマホをもっていない高齢者には効果がないかもしれませんが,こういうシステムを入れると,高齢者の間にもデジタルが浸透していくかもしれません。
 普通のサービスでは,客を待たせた場合には,お待たせしてすみません,という一言があることが多いですが,医療機関の場合は,私の経験では,そういう声はあまり聞かれません。患者はいくらでも待たせてよいということでしょうが,その意識から変えてもらいたいですね。ついでにいうと,自由診療もダイナミック・プライシングをしてほしいです(感染症が流行となる時期の予防注射において,希望者が多くて,なかなか普通の病気の診療のために来ている人の順番が回ってこないことがあります)。
 診療報酬の点数がもっとわかりやすくなることも必要でしょう。診療報酬というと,医療機関においては,7割が保険機関への請求となるので,それが重要に思えますが,やはり3割は患者が負担しているので,患者にとっては医療行為というサービスの対価という面があります。自分が受けた医療行為がいくらかというコスト計算はしっかりしておきたいので,明確にわかるようにしてもらいたいです(ネットで探せばわかるのですが)。自分が受けている医療行為の点数が高いものであれば,閑散タイムで点数が低い時間帯を選ぼうとして,医師のほうも点数の高い難しい医療行為を,余裕をもってできるというメリットがあるかもしれません。
 厚生労働省というとDXから最も縁遠い官庁というイメージもありますが,国民の利便性を高めるという点でも,ダイナミック・プライシングの導入を検討したらどうでしょうか。

2023年6月12日 (月)

AIに流されて

 授業の中で,ChatGPTの話題が出ない日はないような気がします。これからはChatGPTをどう使うかを学ぶことが重要で,そのうち,それについての教習本のようなものがどんどん出てくるでしょう。道具として使いこなすことでよいと思うのですが,同時に,この技術に振り回されないように,自身の「本質的な部分」が浸食されないようにする必要があります。とはいえ,その「本質的な部分」というのは,自分で使っておきながら,よくわからない言葉であり,そもそも「私って何?」ということと関係します。
 過去の私と今日の私は細胞レベルでは違うのであり,これは昨日のテーマでもあった「アイデンティティ」の話でもあります。著名な生物学者の福岡伸一氏は「動的平衡」という言葉を使っておられます。人間は,細胞レベルでは入れ替わりながらも,平衡状態を維持しているのです。
 以前にチームラボの猪子寿之さんが,NHKのテレビで語っていた人間と渦のたとえも面白いです。彼が言うには,人間は環境のなかに生きているもので,それが人間という構造を与えていると言っていました。それは鳴門の渦潮のようなもので,渦潮はそこだけを切り取ってしまうと消えてしまうのです。海の流れのなかにずっと置かれているから渦として存在するのです。人間も,そうした動的なものであるということなのでしょう。このある意味での空白性が人間の本質なのかもしれません。
 私たちは外的環境からたえず刺激を受けながら変化しつつもアイデンティティを保持しているのです。それは肉体レベルでは,食料を得てタンパク質で細胞を作って,死滅した細胞は老廃物として最終的に便として排泄されるという代謝を繰り返しながら自分の身体を維持しているというのと同じことなのかもしれません。
 そう考えると,私たちに構造を与えてくれている外的環境の中に突然現れたChatGPTなどの生成AIに対しても,流されながら,ときには大きくバランスを崩しながら,なんとかバランスを取り戻し,新しい環境に適合して,自身の同一性を維持していくことになるのでしょう。そう考えると,どういう変化が自分のなかに起きて,自分が変わっていくのかが楽しみでもあります。

2023年6月 9日 (金)

キャリア官僚と東大生

 今朝の日本経済新聞で「霞が関『東大卒』10年で半減」という見出しの記事が出ていました。総合職試験(院卒者試験・大卒程度試験)出身大学別合格者数で,合格者2027人中,東大が193人と最も多いものの,過去,最小人数だそうです。調べてみると,2012年度の試験では合格者1326人中410人,2013年度は1753人中454人,2014年度は1918人中438人が東大出身であったことを考えると人数も比率も大幅に低下しています。東大生の霞が関離れは顕著であり,ある面からは良いことといえるかもしれませんが,少し心配になります。
 東大生がどうかということよりも,学力的には十分に試験を突破できるにもかかわらず,あえて忌避している学生が増えているということだとすると,それは記事で書かれていたように,「長時間労働やサービス残業の多さから霞が関には『ブラック職場』との呼び名も定着した」という,働き方改革が十分に浸透していない事情と関係しているのでしょう。
 議員が無意味に威張っていて,それに奴隷のごとくこき使われるような働き方は,プライドの高い東大生には耐えられないことなのかもしれません(対議員に対するこのプライドは,鼻持ちならないようなものではないでしょう)。さらに時間主権が奪われている働き方は,若者には魅力がないのであり,自分の力を発揮する場は,規制改革の動きから民間にもたくさんあるということを考えると,あえてブラックな職場を選ぶ必要はないということでしょう。国家公務員総合職の仕事は,やりがいのある大きな仕事ができるので,本来は志のある若者が憧れてしかるべきものなのですが,どうもメディアなどで報じられているところをみると,残念な働き方が多いので,そこに行く気にならないのもよくわかります。
 もちろん東大生がキャリア官僚にならなくても,他の大学の出身者がなればそれでよいということかもしれません。東大生だから優秀で,東大生が減ると,国家公務員総合職の質が下がるというのは,東大関係者の大きな思い上がりなのかもしれません。むしろ東大生の比率低下は,東大生的な優秀さが,国家公務員の仕事には求められないことの現れにすぎないとみれば,ポジティブに受けとめることもできるでしょう。ただ,私は,東大生の良さは,私大のような強い学閥を作らないところにあると思っていて(実際にはマジョリティなので学閥があるような印象はありますが,結束力はそれほど強くないと思います),省益重視は困ったものですが,省益よりも出身大学の学閥重視になってしまうと,もっと困ったことにならないかという危惧があります。考えすぎでしょうかね。
 いずれにせよ,世はまさにChatGPT時代に突入するわけであり,知識の豊富さ,情報処理の速さなど,東大生的な頭の良さは,あまり社会には役立たなくなる可能性があります。新たな官吏養成の仕組みが必要なのかもしれません。議員の相手は優秀なAIロボットに任すことができれば,議員レクというようなブラックな労働から解放されます。そうなると国家公務員としての本来の大きな仕事に従事できるという魅力がクローズアップされるのではないかと期待しています。

2023年5月25日 (木)

AI信仰は悪か?

 前にも書いたように,鉄腕アトムやドラえもんを生んだ国である日本では,欧米に比べて,AIやロボットへの抵抗は弱いと言われています。そもそも自然に対しても,それを克服の対象としてきた欧米と違い,日本人は共存することを重視するメンタリティをもってきたわけです。災害の多い国土において自然に対して畏敬の念をいだき,神まで宿らせ,いわば受け身の姿勢で臨んできたのが,私たち日本人なのです。AIやロボットについても,もしかしたらこうした自然に対するのと同様の姿勢で接しているのかもしれません。
 ところで朝日新聞デジタルに今日アップされていた戸川洋志氏の「日本のAI信仰に哲学者が思うこと ChatGPT熱が高まる国で」というインタビュー記事は,こういう日本人のAI信仰について警鐘を鳴らす内容で,興味深く読みました。そこでは, ChatGPTに対して注意が呼びかけられていて,とくに「考える」ことへの悪影響を心配されています。割とよくある批判であり,かつてのテレビをみると白痴になるという議論などと共通するもので,新しい知的技術が出て大きな影響力を及ぼすようになると,従来の知的行動のパターンが変わってしまい,それを警戒する声が出てくるのは当然のことです。実際,テレビは悪影響があったでしょうし,私も子どもたちにテレビを無制限にみせるべきではないという意味で,危険なものだと思っています。ただ,ネットが普及するまでは情報収集手段としてきわめてすぐれていたことも否定できないでしょう。 
 ChatGPTについても,当然悪影響はあるでしょう。しかし,テレビと同じなのです。結局は,使い方であり,それを教える教育が大切ということです。ChatGPTのデメリットは,誰もがわかっていることです。面白がって使っていると知らぬ間に思考力が低下してしまう危険性があることは容易に予想できます。ただ,そういう危険性を十分に認識したうえで,それをどううまく使いこなすかを考えるということこそ,私たちがやらなければならないのです。欧米はAIを規制する方向に向かっているのに日本人は能天気だという意見もありますが,それは日本人の西洋コンプレックスの一つのように思えます。戸川氏がそうだというわけではありませんが,欧米がどうかというよりも,AIへの拒否反応が弱い日本人の特性を活かして,いかにしてリスクをうまくコントロールしながら,この魅力ある技術をうまく利活用して,社会課題の解決に活かし,その面で世界をリードする国になるかを考えることが大切ではないかと思っています。

2023年5月21日 (日)

ペーパーレス

 週末は天気がよかったですが,体調があまりすぐれず,ゆっくりしていました。今日は,当初は私が変人扱いされていたことが,徐々にノーマル化しているのではないか,ということについて書いてみます。
 コロナ前の段階では,日程調整のときにスマホを取り出す人は,少なくとも私の周囲にはほとんどいませんでした。みんな手帳を取り出して日程を確認していました。いまは手帳を使う人は激減しているのではないでしょうか。私は数年前から年賀状や名刺も廃止しましたが,さすがにこれはまだ少数派のようです。でも,そう遠からず多数派になるでしょう。なお,近距離通信規格のNFCを搭載しているスマホをおもちの方は,私のデジタル名刺であるUnited Cardで名刺交換(というか個人情報交換)をすることができますが,いままでNFCのないスマホの人としか会ったことがなく,このタイプの名刺交換に成功したことはありません。
 出張についても,コロナ前から出張数を減らしていましたが,いまはまったくしていません。個人旅行は徐々に増やそうと思っていますが,出張はそもそも必要がありませんよね。海外出張も同様です。このことは研究費の取得の必要性を著しく下げることになりました。これまでは資料収集などのための出張がよくあったからです。
 いつも書いていることですが,プリンターも廃棄しました。どうしても必要な場合には近所のコンビニでプリントアウトします。先日の相続がらみのときはよく利用しましたが,日頃は基本的にはプリンターを使うことはありません。セブンイレブンのネットプリントは便利で,QRコードをかざし,支払いはNanacoでやれば,スマホだけもっていけばプリントアウトできます。問題は,店舗に機械が1台しかないことです。マルチコピー機なので,いろんな用途で使う人がいるから混んでいることがあります。でも今後はプリントアウトをする必要性はなくなっていき,プリントアウトのためにコンビニに行く必要性も激減するでしょう。リコーと東芝が事務機の生産部門を統合するという記事が出ていましたが,これは時代の流れです。
 在宅勤務が普通になるので,ペーパーレスに対応できない企業は生き残れないでしょう。昨日も書いたように医療のペーパーレスは喫緊の課題ですし,これは介護などでも同じです。医療も介護もこれからの社会においてとても大切な分野なのに,最もデジタル化が遅れている感じなのは大きな問題です。医療や介護のサービスそれ自体はアナログ的なものが中心であるとしても,デジタルで業務全体を効率化することにより,アナログ的なサービスの質の向上をする余力がでてくるのです。そのことに経営者が(もちろん政府も)早く気づかなければ,利用者のニーズに応えられないだけでなく,若い人が働き手として集まってこなくなります。一番困るのは,これにより医療や介護の事業者がいなくなっていくことです。

2023年5月17日 (水)

東京新聞登場

 5月13日の東京新聞にAI関係の記事(「AIに仕事が奪われる? 働く者たちの未来はどこへ 創作活動もデータ合成で…その対価は」)のなかで,私のコメントも出ています。前日に電話取材を受け,すぐに記事になりました。AIと雇用のことですから,私としてもいろいろ考えることはあり,授業の合間の30分間でしたが,質問にお答えしました(そのうちのごく一部分が記事になりました)。
 ChatGPTやBardの登場によりAIと雇用という問題は,新たな段階に入ったかもしれません。当分は,このテーマについて,エッセイ的なものの執筆が続くでしょうが,そのうち『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)のその後,というようなものを書く必要が出てくるかもしれませんね。基本的には,当時から予想されていたことが起こっているのですが,自然言語処理の社会実装は,少し予想より早かったです。これまでは,AIの雇用への影響については,少し悲観的な予測をもって臨むべきだと述べていましたが,悲観の程度を少し高めなければいけないでしょう。
 教育も雇用も,もはや生成AIを無視して議論をしていくことはできません。いろんな人がリスクを指摘していますし,もちろんリスクは大きいのですが,それに対応することはできるはずです。ビジネス界からの声は,競争に出遅れた人が追いつくために,先頭集団のスピードを弱めようとする狙いもあるので,ここはできるだけビジネスとの利害関係がない人(研究者など)に客観的な議論をしてもらえればと思います。また研究者であってもビジネス親和的な人とそうでない人もいるので,できればそうでない人も入って公平な議論をしてもらいたいです。規制される側のOpenAIのCEOであるAltman氏からはライセンス制の導入提案がされていますし,AIにより生成されたものである場合は一種の「原産地証明」を義務づけるなどのアイデアもありますが,そういうものを含めて建設的な議論を期待したいですね。
 雇用政策に関心をもっている私たちは,AIの開発が止まらず,社会実装もどんどん進むという前提で議論をする必要があります。記事では,雇用面への考慮が,AIの議論において少ないのではないかという私のコメントが使われていました。実際,少し前まではSFの話であったことが現実化していく社会の到来が間近に迫っているなか,人はどのように生き,働くのか,ということを真剣に考えなければなりません。教育の現場でも,やることを根本から変えなければなりません。政府も,危機意識をもって動いてもらいたいところです。これは何度も繰り返して訴え続けたいと思っています。