昨日,愛知県で起きた事故により,大混乱が生じました。日本の大動脈といえる東海道新幹線のど真ん中で事故が起きると,たった1日だけでも大きな影響が生じます。新幹線の重要性を改めて知ることになりました。
ちょうど昨日は,大学院で,JR東海事件の年休に関する東京高等裁判所の判決(2024年2月28日)を扱ったところでした。私も連載中の「キーワードからみた労働法」の「第201回 年次有給休暇における企業の配慮義務」のなかで,この事件の第1審判決を扱っていましたので,控訴審には関心をもっていました。控訴審判決は,会社側の逆転勝訴となっています。年次有給休暇の取得において,時季変更権の行使時期が遅すぎて,年休が取得できるかどうかが直前までわからないことへの不満があり,また恒常的な要員不足がある状況で,はたして会社は時季変更権を適法に行使できるのか,といった点が問題となったのですが,裁判所は,前者との関係では,「使用者が、事業の正常な運営を妨げる事由の存否を判断するのに必要な合理的期間を超えて,不当に遅延して行った時季変更権の行使については,労働者の円滑な年休取得を合理的な理由なく妨げるものとして信義則違反又は権利濫用により無効になる余地があるものと解される」とし,「使用者の無効な時季変更権の行使によって労働者が年休を取得できなかった場合,使用者は労働者に対し,労働契約上の債務不履行責任を負うことになる」という一般論を述べたうえで,このケースでは,東海道新幹線の運行という事業の性格やその内容,東海道新幹線の乗務員としての業務の性質、時季変更権行使の必要性、労働者側の不利益等を考慮すると,「勤務日の5日前に時季変更権を行使したことについては,事業の正常な運営を妨げる事由の存否を判断するのに必要な合理的期間を超えてされたものということはできない」としました。また,後者については,「使用者による時季変更権の行使は,他の時季に年休を与える可能性が存在していることが前提となっているものと解されることを踏まえると,使用者が恒常的な要員不足状態に陥っており,常時,代替要員の確保が困難な状況にある場合には,たとえ労働者が年休を取得することにより事業の運営に支障が生じるとしても,それは労基法39条5項ただし書にいう『事業の正常な運営を妨げる場合』に当たらず,そのような使用者による時季変更権の行使は許されないものと解するのが相当である」という重要な一般論を述べたうえで,本件では,配置人数が十分であったし,それだけでなく,代替要員確保の努力までも考慮して,恒常的な要員不足状況であったことを否定しています。
この判決において,とくに前者の論点との関係で,「鉄道事業法が,鉄道等の利用者の利益を保護することを目的の一つに掲げ(1条),国土交通大臣に,鉄道事業者の事業について輸送の安全,利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるときには,鉄道事業者に対して列車の運行計画の変更等を命じる権限を付与していること(23条),とりわけ,東海道新幹線は,東京,名古屋,大阪を結ぶ大規模高速輸送手段として日本の社会・経済の維持,発展に必要不可欠な産業基盤の一つと位置付けられていることも考慮すると,JR東海には,需要に応じた東海道新幹線の列車の運行を確保することが,JR東海の社会的使命として強く期待されていたことが明らかである」と述べており,こうした判断が判決の結論にも影響しているように思えます。
労働供給の確保の重要性を強調すると,労働者の希望に沿った年休取得への配慮には限界があるという議論になりやすいですし,その一方で,労働供給の確保といっても,それは事業者側の都合であり,労働者の年休権に優越するものではないという考え方もあります。控訴審は,労働供給の確保は,社会的使命であるというように,ワンランクその重要性を引き上げて,「事業の正常な運営を妨げる場合」の該当性を広げたという見方もできるでしょう。
授業のなかでは,社会的使命は労働者の権利を制限するのに十分であるのか,他方,権利を制限するとしても,年休の取得時期の変更だけであり,権利制限の程度は大きくないのではないか,その一方で,日本の休暇文化の遅れなどを考えると,解釈としても使用者の「通常の配慮」はもう少し使用者に厳しいものであってよいのではないか,他方で,JR東海での年休取得の仕組みは,新幹線運行の重要性に鑑みると,合理性がないものとはいえないのではないか,などいろいろな観点からの議論がなされました。
労働供給の確保という点では,労働関係調整法の公益事業において,争議行為の際の通知義務というような手続的規制があり(37条,8条),憲法上の団体行動権への一定の制限が認められていることもふまえると,労働基準法39条5項ただし書でいう「事業の正常な運営を妨げる場合」該当性を解釈するときにも,その事業の性質を考慮するということは,それほど突飛なことではないといえないか,というような問題提起もしてみました。ただ,これは社会的使命論に,法的な根拠付けを与えるとすればどのような可能性があるかということからの,やや無理なこじづけかもしれません。むしろ個人的には,事業に関する社会的使命をふりかざす議論は,労働者の保護をめざす労働法ではかなり危険であると思っています。ということで,この事件の判断は難しいのですが,JR東海における年休の取得システムには,制度としては,乗務員の意向を事前に把握する形になっていたり,競合した場合の優先順位をきちんと決めたりするなど,合理性がないわけではないように思える一方,個々の乗務員レベルとの関係では,もう少し早めに時季変更権の行使をする余地がなかったのかは気になるところです。
さらにデジタル時代の議論としてこの事件を論じると,他の労働供給制約問題と同様のアプローチが必要ではないかと思います。すなわち,新幹線などの列車運行の自動化を進めて人手に頼らないようにすること(これは乗務員側には有り難くない話かもしれません),そしてAIを活用した精度の高い需要予測ができるようにして,もっと早期に余裕をもって人員配置を行い,時季変更権を可能なかぎりしなくてすむ態勢をつくることです。今後の「通常の配慮」には,こういう判断要素を組み入れるのが,デジタル時代の労働法の解釈論といえるでしょう。