社会問題

2022年7月 3日 (日)

モルヒネ誤投与事件に思う

 ネットニュースでみましたが,必要量の100倍のモルヒネを投与されて90歳代の患者が死亡した事件で,処方した医師と調剤薬局の薬剤師が書類送検されたそうです。医師のミスですが,薬剤師もそれを見逃したようで,ひどい話です。薬剤師が処方箋の内容について,発行した医師に問い合わせることを「疑義照会」というそうですが,それが機能していなかったのでしょう。その背景には,医師と薬剤師の力関係があるのかもしれません。疑義照会されると不機嫌になる医師がいるという噂もあります。もしほんとうに疑義照会をしにくい状況がもしあるのだとすると,それは患者軽視も甚だしいことです。なお,薬剤師法24条には,「薬剤師は,処方せん中に疑わしい点があるときは,その処方せんを交付した医師,歯科医師又は獣医師に問い合わせて,その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによつて調剤してはならない」とされ,違反には50万円以下の罰金という刑罰がついています(326号)。ただ,今回の薬剤師の書類送検は,この罪ではなく,業務上過失致死罪(刑法211条)の容疑ということのようです。
 ところで,医師も人間であるからミスもあるでしょう。それをチェックするのが薬剤師であり,そこできちんと対応できないのであれば,ロボット調剤と同じであり,むしろそれに任せたほうがよいといえます。こういうチェックも今後はAIに任せたほうが安心であるともいえるのであり,処方箋を機械的に処理するだけであれば,薬剤師不要論も出てくることになるでしょう。これは「AIが仕事を奪う」の典型的なテーマであり,人間の調剤ミスの割合を考えると機械化を進めたほうがよいという議論もあるのです。今回のような重大なミスがあり,また疑義照会という法律上の義務でさえ機能しにくい状況が解消できそうにないのなら,本気で機械化を考えていくべきでしょう。薬剤師の人たちは,これは一部の人の問題で,大多数の薬剤師はきちんと対応していると言いたいでしょうが,こうしたありえないミスで人が亡くなっていることの重みを認識してもらう必要があります。国民が納得できるような改善策をしっかり提示できなければ,その職業上の権威に大きく傷がつくことになるでしょう。
 もちろん医師側にも問題がないとはいえないでしょう。私は宇沢弘文の『社会的共通資本』(岩波新書)の考え方に深く賛同しており(前にも採り上げたことがありました),宇沢は医療制度を社会的共通資本の典型の一つに挙げ,医療制度を市場メカニズムに乗せることを批判し,医師が医学的見地から最も望ましいと判断した診療行為をおこなったときは,そのときに必要となる費用が医療機関の収入となるべきであると主張しています。医師の報酬は,それにふさわしい高いものが保障されるべきであるという主張も含まれているのですが,その前提には,医師がどのような医療が必要かについて,その専門性と職業的倫理に基づき明確に提示することが大前提となっています。医学教育は,専門性だけでなく,職業的倫理の習得もさせなければならず(やってくれているとは思いますが),そうしたプロが必要と考えるものは,社会できちんと負担すべきということになるのです。それが国民にとってきわめて重要な医療サービスの提供体制を整備するための基本的な枠組みということです。私は,この考え方は正しいと考えますが,現実の医師にどこまでの倫理性があるのかが気になります。大多数の医師は職業倫理をもって誠実に仕事をしていると思います。しかし,例外もいるのであり,その例外的な医師に患者としてぶちあたらないようにするために,どうすればよいか。それは医師側から,自分たちの職業的権威とプライドをかけて対応をしてもらえたらと思います。上記の薬剤師と同じことです。
 ミスがあったあとの対応が重要です。医療事故はよくあることで仕方がないということで済まさず,誰一人もミスで亡くなることがないように努力してもらいたいです。今回の事故は重大なインシデントとみて,厚生労働省も医師会もしっかり対策を講ずるよう望みたいと思います。

2022年6月30日 (木)

SMBC日興證券相場操縦事件

 岸田政権は,「貯蓄から投資へ」と言い,個人の株式市場への参加を促してきているのですが,その一方で,金融所得への課税を強化しようとしたこともあり,ちぐはぐな感じがします。
 SMBC日興證券で問題となった「ブロックオファー取引」は,証券会社が,取引市場外で,大量の株式を購入し(持ち合い解消などの目的で大量に売りに出されることがある),それを市場価格より安価に相対で取引時間外に個人投資家に売却し,その差額を証券会社が利益として得るという取引だそうです。株が大量に出回ると市場価格が低下してしまい,ブロックオファーが成立しない可能性があるので,証券会社が株式を購入して相場を支えることがあり,それが今回の相場操縦という金商法上の犯罪(159条,197条1項5号など)に該当するのではないか,ということが問題となりました(日本経済新聞2021113日の記事「市場の公正揺るがす SMBC日興社員,相場操縦疑い 時間外取引,不成立恐れ買い支えか」も参考にしました)。
 相場の安定という名目で,相場が人為的に操縦されているということになれば,個人はそういう市場に参加することに,とても臆病になるでしょう。個人がなけなしのお金を少しでも殖やしたいと思うとき,リスクはできるだけ取りたくありません。証券投資はただでさえリスクがあるのに,その取引市場において透明感がないとなれば,「貯蓄から投資へ」はうまくいかないでしょう。
 今回,逮捕されている社員には外資系の会社からきた人たちもいたそうで,その高いスキルで会社に大きな利益をもたらしていたそうです。そのことが会社による違法性のチェックを甘くしていた可能性もあるということですと,これはこの会社の組織ぐるみの問題です。SMBCのブランドイメージも大きく傷つきました。どう挽回するのか。また政府は,証券市場に対する国民の不信感の払拭のために,どのような対応をするのでしょうか。参議院選の主要なテーマではないのかもしれませんが,注目したいところです。

2022年6月29日 (水)

尼崎市USB事件の続報

 日本経済新聞の電子版で,「BIPROGY(ビプロジー,旧日本ユニシス)の平岡昭良社長は28日,東京都内の本社ビルで開いた定時株主総会で,兵庫県尼崎市の全市民約46万人の個人情報が入ったUSBメモリーを同社の再々委託先の社員が一時紛失した問題について謝罪した」という記事が出ていました。「再々委託」だったのですね。
 この業界のことはよくわかりませんが,労働法的な観点からは,一般的に重層的な下請け構造や再委託構造というのは,いろいろ問題が起こりやすいわけです。そこに労働法上の問題があるということは,経営上の問題も当然ともなうものとなるでしょう。途中に事業者が入るほど,手数料が抜かれていくのでしょうから,末端の労働者の賃金は低いのではないかと想像してしまいます。ブラックな職場で,自分たちの個人情報を取り扱われたくないですね。
 BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)は,今後,どんどん進んでいくでしょうし,自治体が一定の苦手分野についてアウトソーシングすることは,それ自体は悪いことではありません。ただ,何をアウトソーシングするかが重要で,個人情報の重要性についての意識が低い自治体が,今回のような業務でも,安易にアウトソーシングするということがあっては困ります。そのような姿勢が,受注企業から甘く見られて,再委託禁止などと契約で定められていても,平気で無視されるということが起こるのかもしれません。
 前にも書いたように,個人情報の重要性に鑑みると,企業は,自治体内部で専門職員を育成すべきです。昨日の日本経済新聞では,データ分析や人工知能(AI)などの専門人材を別枠で新卒採用する企業が増えている,という記事も出ていました。自治体に集まっている個人情報は,デリケートなものが多いはずなので,そういうものを扱う業務は,できるだけアウトソーシングしないで自前でやってもらえないでしょうか。
 DXへの対応が遅れている自治体は,アナログ時代の仕事の仕方をひきずって,人間がやる必要のない仕事にまで多くの職員を配置している可能性があります。そういうところは,思い切って事業の再構築をすべきでしょう。業務や職場のDXを進め,それに合った人材を採用し,市民の個人情報をしっかり守る態勢を強化してもらいたいです。これは尼崎市だけの問題ではありません。私が住む神戸市も,兵庫県も,そして日本政府も,今回の事件をきっかけに,DXの推進と同時にセキュリティのいっそうの強化を進めてほしいです。人間が介在するとミスが起こりやすいのであり(だから自治体が自前でやっても不安が残ります),セキュリティ・バイ・デザインの発想で,DXの制度設計をしてもらいたいですね。

2022年6月24日 (金)

尼崎のUSB紛失事件

 尼崎市で全住民の情報が入っているUSBメモリスティックが,これを持ち出した外部業者の社員の不注意で紛失してしまったという大変な事件が起きてしまいました。今日見つかって良かったですが,多くの人が論じているように,非常に困ったものです。
 第1に,市民の観点としては,もし神戸市で同じことが起きたらと思うとおそろしいので,これを機会に入念な点検をしてもらいたいです。政府もそのような通達を出しているようです。市民の個人情報にアクセスするような作業を外部に委託するのであれば,それはよほどセキュリティ管理をしっかりしなければ,とても許容できるものではありません。尼崎市は,「委託時に情報管理のルールを設けていたが,初歩的なミスが次々と明らかになった」(神戸新聞NEXT),ということのようです(市の担当者は,記者会見でも,PWの桁数をもらすという大きなミスをおかしています)。ルールは設けるだけではダメで,実効的な管理体制が必要です。あまりにも当然のことなのですが,「デジタルトラスト」の重要性が言われている今日,そこから大きくかけ離れている「初歩的なミス」で今回の事故が引き起こされたのだとすると,これはほんとうに情けないことです。業者の責任は当然ですが,尼崎市にも重い責任があり,市長は事態を深刻に受け止め,早急に何らかの今後に向けた対応をしなければなりませんし,その後に自分もしかるべき責任をとらなければならないでしょう。前にもフロッピーディスクを使っていた自治体の不祥事が世間の嘲笑をまねいたことがありましたが,メモリースティックで個人情報を外部へ持ち運んでいること自体,おそろしいことです。自治体のデジタル対応の遅れは悲惨なレベルですが,今回のことをきっかけに自治体のDXを本気で進めてほしいものです(内部で処理すれば安全というわけではありませんが,今回のような事故は回避できるでしょう)。
 第2は,労働法の観点です。この業者が,従業員に対して,秘密管理についてどのような義務を課していたかはわかりませんが,就業規則に違反しているのであれば,懲戒処分を受ける可能性はあるでしょう。しかも,報道によると,今回の作業は再委託していたようです。再委託先の従業員は,きわめて低い賃金で働かされていた可能性はないでしょうか。もし,この従業員が損害賠償を請求されることになると,元受託企業も再受託企業も落ち度がある可能性があるので,その場合には,過失相殺がされるでしょうし,それとは別に,損害賠償責任制限法理がかかってくるかもしれません。その際には,従業員の賃金額も考慮要素となってくるでしょう。ただし,故意による損害惹起であれば,責任は制限されませんが,重過失があっても同様と解される可能性があります。
 話は変わりますが,東大阪のセブン・イレブンの契約解除事件については,セブン・イレブン側が第1審では勝訴したようです(判決内容は,まだわかりません)。加盟店オーナーの労働者性は労組法上のものも含めて,否定される裁判が出ていますが,継続的な契約の解除については,たとえ労働契約法の適用がなくても,一般の権利濫用規定(民法13項)は適用可能で,その枠内でどのような判断がなされるのかという点は理論的に関心があるところです。契約において解除事由が具体的に列挙されていて,その事由に該当することをフランチャイザー側が立証できていれば解除は有効となると考えるべきであり,これは実は労働契約における解雇と同じだと思っています。ただ,その場合でも納得同意を得るように誠実交渉を行うべきというのが私の立場であり(拙著『人事労働法』(弘文堂)208頁以下),これは個人のフランチャイジーに対する場合にもあてはまると考えています(このことは,同書285頁では明記されていませんが,人事労働法の準用という観点から,そのようにいえると考えています)。オーナーは,損害賠償も請求されているようですが,損害賠償制限法理は,信義則が根拠なので,雇用労働者以外の個人事業主にも,理論的には適用可能性があるといえそうですが,かりにそうだとしても,今回の事件が賠償額が減額されるべき事案であったかは,よくわかりません。

2022年6月22日 (水)

核問題をきちんと議論してほしい

 NHKプラスでみた再放送番組のなかで,道傳愛子さんがJacques Attali氏やIan Bremmer氏らにインタビューをしているものがありました。それを観ていて感じたのは,ウクライナがロシアに攻撃されたのは,核兵器を放棄しながら,NATOに加盟しなかったからで,アメリカもいざというときには頼りにならないということを教訓として,日本が核兵器をもとうとするのではないかという懸念がもたれていることです。日本は, NATOに加盟しておらず,同盟国のアメリカも頼りにならないとわかれば,ウクライナの二の舞にならないように,核兵器をもつことが必要だと考えるかもしれないと思われているのかもしれません。そして,それは世界にとって最悪のシナリオであるというのが,世界の識者の意見なのでしょう。
 日本は,歴史上,唯一の戦争被爆国です。しかも2回も民間人相手に核爆弾を落とされた国なのです。この日本が,核兵器をもとうとするかもしれないと疑われていること自体,世界の平和におそろしく危険なメッセージを与えることになります。日本が原因で,泥沼の核競争の歯止めがなくなるということは避けなければなりません。唯一の被爆国である日本人が声をあげなければ,いったい誰が声をあげるのでしょうか。その意味で,核兵器禁止条約の会合にオブザーバーとしても参加しない行動は,誤解をいっそう強めてしまわないか不安です。「聴く力」ではなく,「伝える力」が必要です。
 広島出身(東京生まれだそうですが)の岸田首相には責任があります。本気で平和を実現したいと考えるならば,広島らしい,原爆の問題と向き合った解決策を打ち出す必要があるでしょう。アメリカの「核の傘」に入る選択肢を,最初から放棄せよと言いたいわけではありません。しかし,「核の傘」について日本内の少なからぬ国民が不安に感じていることも知っておいてもらえばと思います。そもそも地球上の人々はみな頭上に爆弾がぶらさがっている状況下で生きているのです。その爆弾のスイッチボタンは,どこかの独裁者も握っています。その爆弾を一つひとつ取り除いていくしか,ほんとうの平和は実現できないのです。岸田首相には,日本だからこそ,また広島出身の首相だからこそできることがあるはずです。核の問題をうまく解決して世界平和に貢献できるような,スケールの大きな平和構想を語って欲しいです。
 今回の参議院選挙でも,平和は重要なテーマです。安全保障という言い方よりも,端的に世界平和の実現というテーマで議論してもらいたいです。経済が再生しても,平和がなければ,意味がありません。この面では,共産党は良いことを言っていると思いますが,ただ,かりに共産党が政権をとっても,Japanese Communist Party という名称であるかぎり,まともな国が近づいてこず,うまく国際協調ができないであろうという点が残念です。党名変更(せめて英語表記について)を真剣に考えるべきではないかと思いますが,余計なお世話でしょうね。

2022年6月17日 (金)

刑法の改正

 刑法が改正され,懲役と禁錮が拘禁刑に変わることになりました(刑法9条改正)。これにより,多くの法律の改正が必要となります。「刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案」も同時に可決され,関連法の対応が書かれています。労働基準法や労働組合法でも懲役や禁錮刑が定められていたので,3年以内の改正刑法の施行に合わせて条文が修正されます。以前にイタリア語のreclusione はどう訳すべきであろうか,というようなことをブログで書いたことがありますが,今後は「拘禁刑」と訳すことができそうです。そこで,ふと以前に,イタリアの刑法のことについて,いろいろ考えたことをブログで書いたことを思い出しました。ネット上では消えてしまっていますが,手元に昔のメモが残っていたので(掲載したものと同じかどうかは不明ですが,ほぼ同じだと思います),再掲します。おそらく2018年の52日と3日に書かれたもので,ちょうどTOKIOのメンバーの事件があったころの話がネタになっています。

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201852日 起訴便宜主義について思う

 「山口メンバー」は「山口さん」になりました。起訴猶予になったからだそうです。
 日本の刑事訴訟法248条は,「犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる」と定めています。これを起訴便宜主義といいます。検察官は,状況によっては,起訴(公訴提起)しないこともできるのです。
 強制わいせつにおいて,犯罪行為があっても,被害者と示談が成立していて,初犯であるというようなことがあれば,起訴猶予となるのが相場なのかもしれません。ただ示談が成立していれば起訴しないのであれば,非親告罪にした意味がないような気がします。もちろん公訴提起により被害者が裁判に出廷することなどによる二次被害が起こらないようにするための配慮は必要ですが,性犯罪が社会にとって危険な犯罪であり,かつ加害者本人が社会復帰を望んでいることを考慮すると,社会にとっての危険性はいまだ軽微とはいえない可能性があります。
 ところで,イタリアでは憲法112条に次のような規定があります。
 「Il pubblico ministero ha l'obbligo di esercitare l'azione penale.」
  検察官は公訴提起をする義務がある,という規定です。これを起訴法定主義といいます。犯罪行為があったと確認した以上は,起訴しなければならないということです。あとは裁判官が量刑も含めて判断するということでしょう。検察官は行政官であり,犯罪の嫌疑があるのに,司法の判断に服せしめるかどうかまでを判断してしまってはだめということでしょう。
 日本の検察官を信用していないわけではないのですが,起訴猶予によって(元)容疑者の扱いが一変してしまったことで,ちょっと驚きです。禊ぎが終わったとまでは誰も考えていないでしょうが,そういうムードがやや現れているような気もします。
 性犯罪は再犯率が比較的高いようです。データは裁判で有罪判決を得た場合のものがありますが,起訴猶予になったものもありますでしょうか。別に今回の「山口さん」に個人的な恨みはありませんが,書類送検までされる性犯罪は相当悪質なものであったはずです(クラブで酔ってホステスの胸をむりやり触ったというたぐいのものではないでしょうそれでもダメですが[加筆])。マスコミも,そのあたりをよく考えたうえで,横並びではなく,各社で報道姿勢を考えてほしいものです。
 なお,直接この話に関係しませんが,イタリアでは,対象が存在してない場合(たとえばカーテンの向こうに殺そうとしている人間がいると思ってそこに向かってピストルの引き金をひいたが,そこには誰もいなかったとか),犯罪を引き起こすことに適しない行為(単なる胃腸薬を毒薬と誤信して,それを飲ませて殺そうとしたとか)である場合は不能犯(reato impossibile)とされ罪には問われません(イタリア刑法典492項),その場合には,裁判所は保安処分(misura di sicurezza)を命じることができます(同条4項)。不能犯は,当該行為については犯罪を起こす可能性がなく,問題なく無罪ですが,それでも社会への危険はある以上,裁判官は一定の処分を命じるのです。日本の刑法では,そもそも不能犯の規定がないですし,保安措置を命じるといった規定はありませんが,イタリアに歴史的に濃厚にあると思われる「新派」的な立場によれば,犯罪をする危険のある者から,いかに社会を守るかということが大事になってくるのです(刑法における旧派と新派の議論については,ぜひ刑法の専門書を読んで確認してください)。無罪であっても,起訴猶予であっても,社会を守るということが大切です。それはとくに性犯罪にあてはまることではないかということです。加害者の人権も大切というのが私の基本的スタンスですが,マスコミ報道をみながら,少しバランスをとった意見もいうべきだということで,あえて書いてみました。

201853日 請願権
 昨日,イタリアの刑法のことを語ったので,そのついでに,ぜひ紹介しておきたい本があります。それがBeccariaの『Dei Delitti e delle Pene(犯罪と刑罰について)』です。大学で法律を勉強したことがある人なら,誰でも知っているものですが,有りがたいことに,この本の訳書があります。ずいぶん前にいただいて,たぶん紹介をしていなかったと思うのですが,それがお茶の水大学の小谷眞男さんの翻訳したチェーザレ・ベッカリーア『犯罪と刑罰』(東京大学出版会)です。小谷さんには心より御礼を申し上げます。素晴らしい訳であり,解説もきわめて充実しています。
 ところで,この本のなかにBeccariaが死刑について語ったところがあります(第28章)。彼は死刑反対論者です。終身刑の支持者です(ちなみにイタリアでは死刑は憲法で禁止されています[274項])。なぜ死刑がダメなのかということが,実に説得的に論じられています。ここでは紹介しきれませんが,最も有力な論拠は,死刑では,犯罪抑止につながらないということです。
 死刑というものを,犯罪の予防という刑事政策的な観点から考えた場合(これが新派的な発想),死刑という手段のもつデメリットと,死刑により解決される政策課題との間の関係を検証するというアプローチが必要となります。Beccariaは,終身刑で長期間隷属的な状況が続くほうが,犯人に過酷なものとなり,それだけ市民に対して抑止力が働くというのです。死刑でこの世から消えることができるというのでは,本人の犯罪抑止力は弱い,ということです。[これには宗教的な背景があるかもしれません:加筆]
 Beccariaは,賢明なる君主は死刑廃止論のもつ真理性に気づくはずだけれど,それを妨害するのが中間的特権層だというのです。君主には,ローマ時代の五賢帝のような人も出てくるが,おそらく中間的特権層は徳も見識もなく,権力をほしいままにしたい存在ということなのでしょう。特権層は変化を望まず,先例を踏襲するものであり,新しい提案に耳を傾けません。Beccariaは,「もし王座にまで届くようなことがあれば,つねに傾聴されたであろう人々の率直な請願を,さえぎり押し殺してきたのは,中間層の専制なのだ!」と述べています(小谷訳)。「だからこそ,光で照らされた市民たちは,ますます熱心に君主たちの権威の継続的増大を求めているのだ」(小谷訳,100頁)。
 
君主の権威の増大をいうのは現代の感覚からはおかしいような気もしますが,当時を考えるとそうおかしいことではありません。国家の統治を社会契約的に考えた場合,ボッズブ(Hobbes)のいうような「リバイアサン(Leviathan)」が生まれますが,それをプラトン(Platon)的な哲人政治に変えるためにも,中間的な権力を排除し,権力をもつ君主を教化していくことが必要だということでしょう(この本が出た25年後にフランス革命が起きていますが,中間団体の否認が革命時の思想として重要となっています)。
 その意味で請願権というものは,ひょっとするともっと注目されてもいいのかもしれません。実は日本国憲法にも請願権の規定があります。それが16条です。長谷部恭男『憲法(第7版)』(新世社)では,「請願は,議会制度が十分に発達していなかった過去においては,被治者の意見を為政者に伝える一つの経路として機能したが,国民主権が確立し,国民の参政権が十分に保障された現代社会においては,もはや意義は有しないと考えられている」と書かれています(305頁)。
 しかし,アメリカでTrumpが登場して民主主義のプロセスに十分な信用がおけなくなりつつある現在,Beccariaのいう「光に照らされた市民たち」による請願のプロセスというのは,もっと考えられてもいいのかもしれません。CNNでアメリカの元国務長官Albrightさんが,Trump政権を暗に批判するために,HitlerMussoliniも民主主義から生まれたと言っていました。民主主義は手段ではありますが,唯一絶対的なものではないというのは,Churchillに言われるまでもなく,多くの人がわかっていることです。間違った人が選ばれたときの対策を,暗殺やクーデターのような暴力的な方法に頼るべきではないでしょう。これでは民主主義の正面からの否定です。民主主義から生まれた強大な権力を抑制するのは,最後は「知の力」であると信じたいものです。 
 翻って日本はどうでしょうか。現在の首相は,直近の選挙でも大勝し,民主的なプロセスで大きな権力をもつようになっています。側近や忖度する官僚が中間的専制者になっているとすれば賢明な市民が立ち上がらなければなりません。Beccariaなら,打倒安倍にエネルギーをかけるよりも,中間的専制者を排除して,いかにして首相を知の力で賢政に導くかを考えるべきだと言ってくれるかもしれません。憲法学者は,こうしたことは非民主的として否定するでしょうか。憲法記念日にみんなで考えてもらいたいことです。

2022年6月13日 (月)

電子投票の導入を早急に実現せよ

 今朝のNHKの「おはようニュース」で次の参議院選挙をひかえて,障害者の投票のかかえる問題について採り上げられていました。重要なテーマです。郵便投票の要件は厳しいようで(総務省の関連サイト),例えば私の父のように歩行が大変というだけでは,郵便投票はできないようです。父もおそらくもう何年も投票をしていないのではないでしょうか(公職選挙法施行令55条によると,居住施設によっては,不在者投票ができるところもあるようですが)。何となく見逃してきましたが,これは重大な権利侵害といえなくもありませんね。
 こうなると,いつもの話ですが,電子投票の導入です。これはどうなっているのかとググったら,総務省のHPサイトが最初にヒットしました。議論はあったようですが中断しているようです。デジタル庁がせっかくできたのですから,国民の基本的な権利にかかわる投票についてこそ,優先的にデジタル化に取り組んでほしいですね。トラブルが起きてはいけないということで,及び腰になるのもわからないではないのですが,公職選挙のようなところできちんとできるシステムを作れば,いろんなところに応用できて,行政のデジタル化も進むのではないかと思うので,そういうことをやろうというチャレンジ精神をもってもらいたいです(現行のもので何とかできるうちは,それでいこうという発想はダメなのです)。
 今朝のニュースでは,先進的な(?)自治体が,障害者への対応のマニュアルを作って対応しているということが紹介されていて,ちょっとずっこけました。もちろんないよりはるかにマシですが,マニュアルを作るという発想が,アナログ的すぎます。そもそも,マニュアルを作って事前に読むなんてことは不可能です(いつ障害者が来られるか,わかりませんし)し,障害者が来てから,マニュアルで確認しても時間がかかりすぎて,事務が渋滞してしまうでしょう。役所の発想は,危機をできるだけ事前に把握して,それへの対応を考えて,それを文章化して,現場の「兵隊」に読ませればよいと思っているのかもしれませんが,現場の「兵隊」の立場からすると,負担が重すぎますし,そもそも面前にリスクがあるという状況がないなかで,それを頭で想定してマニュアルを読んでも頭に入りません(これは,私のセンター試験の監督経験から言っていることです)。一つの対策として,動画でみせてくれるとわかりやすいというのはあります。最近では,いろんな商品の取り扱い説明書は,それだけ読んでも意味がわからないことが多くても,YouTubeで動画で確認して対応できることが多いです(一般消費者が勝手に投稿してくれているものも参考になることが多いです)。しかし,そんなことより抜本的な解決は,デジタル技術の活用です。
 選挙の障害者対応も,電子投票の導入でかなりの部分が解決するでしょう。障害者が働きやすいようにするデジタル技術を開発するというのは,今後の雇用社会における重要な課題ですが,これは電子投票にもつながる話です。これからの政策は,デジタル技術を活用することを前提に,そこで生じる問題を「走りながら」解決していくというくらいの姿勢で臨んでもらいたいです。これが私の期待している「デジタルファースト政策」です。
 最高裁判所裁判官国民審査についても,最高裁大法廷は,先日の525日の判決で,在外国民の審査を認める規定を欠いていることを違憲と判断して,立法府の不作為を断罪しました。最高裁は,「在外審査制度の創設に当たり検討すべき課題があったものの,その課題は運用上の技術的な困難にとどまり,これを解決することが事実上不可能ないし著しく困難であったとまでは考え難い」と述べて,「在外審査制度を創設する立法措置をとることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠ったものといえる」とし,こうした立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるとも述べています。最高裁のいう「運用上の技術的な困難」は,デジタル技術の導入にもあてはまるものかもしれませんが,こういうものを乗り越えるべきだというメッセージが最高裁判決に込められていると思います。インターネットで投票できれば,国境を超えても問題はありません。
 海外在住者だけでなく,障害者などの移動困難者の選挙や最高裁判事の国民審査の投票について,抜本的な対応策を導入しなければ,憲法違反となりかねないのではないでしょうか(憲法学者はどのような議論をしているでしょうかね)。
 もちろんセキュリティ,本人確認など,簡単にやれることではないかもしれませんが,やれないことでもなく,しかも,やれば多くの人の公的な権利が守られるということであれば,政治家はもっと真剣に取り組むべきでしょう。現政権は,あまりそういうものに関心がないような気がしますが,「1票の格差」問題も含め,真剣に取り組んでもらわなければ,自分たちの議員としての地位の民主的正統性が揺らぐことになることを理解してもらえればと思います。

2022年6月 1日 (水)

面接解禁

 6月になり,朝のテレビ体操も内容が変わりました。今日からコロナ関連の規制も緩まったようであり,自粛していた宴会を再開しようとする動きが出てきているようです。しかし,私は,大人数の宴会には参加する勇気はまだありません。マスク着用で食事をするのは気が進まないですし,でもマスクがなければ怖いですし,席の間の距離を置いてくれればよいですが,それなら会食という感じにはならず,大声を張り上げて話すとなると,感染リスクが高まるなどと考えていると憂鬱になります。懇親を深める会というものの必要性は否定しませんが,デジタル時代における新たな懇親のあり方というものはないのでしょうか。
 61日は,採用面接の解禁日でもあります。経団連は,すでに就活ルールを廃止しているので,これは政府が定めたものです。昨年11月に発表された政府の「2023 年度卒業・修了予定者の就職・採用活動日程に関する考え方」によると,従来の就活ルールを踏襲して,広報活動開始は,卒業・修了年度に入る直前の3月1日以降,採用選考活動開始は,卒業・修了年度の6月1日以降,正式な内定日は,卒業・修了年度の10月1日以降となっています。違反しても法的制裁があるわけではありませんが,多くの企業は従っているでしょう。
 学生は,いまだに従来型の就活をしている人が多いようですが,そういう方法で就職して,10年後にその会社に残っている可能性は低いのではないでしょうか。いつも言っているように,企業の求める人材は変わりつつあります。「いま,あなたを必要としている」という企業に入っても,機械に代替するまでの一時的な雇用かもしれません。問題は,そうした時限的な需要であることについて,企業も人事担当者も実感していないところです。騙そうとしていれば,良心の呵責もあるでしょうが,心底から企業の永続性を信じて,そしてその組織に学生を迎えたいと思っているところが厄介です。デジタル代替は起こるのであり,起こらないような企業は沈没していきます。それなりの企業に就職すれば,親も喜ぶし,友だちも優秀な人がいるでしょうし,組織もしっかりしていて帰属感もあるでしょう。でも企業は営利組織です。人材は,「人財」などと持ち上げられても,しょせんはコマにすぎません。株主構成が変わり,経営者が変わると,企業文化が激変する可能性があります。企業とは,そのようなものです。幸いにも,そういう荒波に飲まれないで安定的に成長していく企業もあるでしょう。人本主義を貫徹できるような企業もあるでしょう。でも,その数はそれほど多くないと考えておいたほうがよいのです。私なら,学生たちにそうアドバイスします。結局のところ,いちばん大切なのは,自分はどのような形で社会への貢献ができるかということです。企業に雇用されるというのは,その方法の一つでしかありません。企業に雇用されるというスタイルが肥大化してしまっている社会は異常であるという感覚をどこかでもっておいたほうがよいです。あたかも確立した制度のようになってしまいっている就活のスケジュールに乗ってしまう前に,自分の人生設計をしっかり立てて,自分主体で就活スケジュールを立てなければ,あとで後悔することになるのではないかと,老婆心ながら学生たちに伝えておきたいです。

2022年5月15日 (日)

沖縄こそDXの拠点に

 今日は沖縄返還の日で,50周年の記念の年でもあります。「ちむどんどん」(欠かさず観ています)では,ちょうど主人公の比嘉暢子の東京出発と沖縄返還の日が重ねられていました。
  この時期は,沖縄の早い梅雨にぶつかりやすいのでしょう。50年前も今年も,5月15日は雨だったそうです。2011年に沖縄で日本労働法学会があったときも,あまり天気が良くなかった記憶があります(私もオランゲレルさんの報告の司会で行きました。その後,みんなで首里城に観光に行ったことを覚えています。首里城があんなことになるとは悲しいです)。
 沖縄返還といえば,憲法判例でも出てくる西山事件が有名です。アメリカと日本との間で,米軍基地の返還費用を日本政府が肩代わりするという密約をすっぱぬいた毎日新聞記者が,国家機密の漏洩として起訴されて有罪となったものです。国家の隠蔽体質が明らかにされ,この密約はいまなお沖縄返還後の米軍基地問題などが解決されていないことの原因にもなっているように思います(事件は,スキャンダラスなハニートラップのような報道の仕方がされましたが,この問題の本質は,そういうところにはありません)。
 ウクライナの問題があり,ロシア,中国,北朝鮮という核保有国の脅威が現実のものとなりつつあるなか,対中国という観点からの沖縄の重要性がいっそう高まっています。逆さ日本地図というものがありますが,これでみると,日本列島と台湾の中間にある先島諸島などは,中国が太平洋に出て行く際にどうしても通らなければならないところであることがよくわかります。アメリカにとっても,沖縄をおさえておくことは,対中国という点では,どうしても必要なのでしょう。だからといって沖縄に基地の負担をおしつけていてよいわけではありません。ただ,どうしても避けられない地政学上の要衝であることを理解したうえで,どう沖縄の基地問題と向き合っていくかを,私たちは考えていく必要があります。反対もいいのですが,対案が必要でしょう。
 基地問題と並んで,沖縄と本土の経済格差も大きな問題です。ただ,この点については,沖縄のほうにも戦略が必要です。WBSの原田亮介キャスターも言っていましたが,沖縄はシンガポールを目指すというのも面白い発想だと思いました。またNHKのニュースでは,沖縄でシングルマザーにITの教育をしているということも報道されていました。沖縄は,観光以外は目立った産業がないのですが,それゆえに思い切った経済政策をとることができるのではないかと思います。教育面でもデジタル産業に特化したものとし,世界から人材を集め,これからの日本のデジタル技術の発展拠点にすればよいのです。自然豊かな沖縄は,ワーケーションの場でもあります(私も移住したいくらいです)。情報インフラを徹底的に整備し,本土ではぐずぐずしてなかなか進んでいないDXの先頭に立って,引っ張る存在になってもらえればと思います。そうすれば,沖縄は20年後くらいには,日本で最も豊かな県となり,基地なくしても経済的に自立できるかもしれません。
 コロナ前の20199月に,当時からすでに出張は控えていたのですが,沖縄経営者協会のお招きで,沖縄ならぜひ行きたいということで講演をお引き受けしました。そのときのテーマは,「デジタル経済社会の到来と企業経営」というものでした。聴衆の反応は,すごく受けが良かったというものではありませんでした。あの頃は,こういう話をどこでしても,経営者の方からの反応はいま一つだったので,仕方がないのですが,沖縄は,いまこそこのテーマがぴったりあてはまるような大きなチャンスを迎えているのではないかと思います。
 残念ながら,県のホームページでみた「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画(案)」はダメだなと思いました。官僚の作文という感じです。もっと「ちむどんどん」するようなものを書いてくれなければ困ります。沖縄を本気で変えていこうとする強いリーダーシップと斬新な発想をもった人が登場しなければ,沖縄はなかなか現状を打開できないでしょう。うまくいけば,一気にLeapfrog 的発展が期待できるのに,もったいないです。これは,沖縄への愛を込めた激励です。

2022年5月 4日 (水)

労働法の観点からみた知床遊覧船事故

 知床の遊覧船事故は,14名が死亡,12名が行方不明という悲惨な結果になってしまいました。亡くなった方の悔しさや遺族の悲しみを思うと辛くなります。社長は「お騒がせした」ことを詫びていますが,根本的にズレてしまっていて,話になりません(社長も刑事責任を問われる可能性がありそうです)。
 こうした事故では,どうしても船長の責任が問われることになるのですが,船長もおそらく亡くなっており,会社の体質がいろいろ明るみになるなかで,船長も犠牲者ではないかという気がしています。
 この遊覧船の船長が,船員法の対象となるのかは,よくわかりませんが,かりに船員法が適用されても,船員の「雇入契約」は,広い意味での労働契約の一種です(そのことを前提に,労働契約法は,船員には一部適用除外がされています[20条])。
 いまかりに,この船長が通常の労働者と同じような立場だと考えてみましょう。他の会社が船をだしていないような悪天候が予想されるなかで,会社の指示で出航せざるをえなかった場合,このような指示(労務指揮)を拒否できるというのは,この種の事件でよく参照される千代田丸事件・最高裁判決(19681224日)から導き出しうることです(この判決は,事案が少し特殊なので,読み方はやや難しいところがありますが)。理論的にも,労務指揮権というのは,労働契約に内在する限界として,生命に危険のあるような業務に従事させる命令を有効に出すことはできず,したがって,労働者はそれに従わなくても債務不履行ではなく,懲戒事由にも該当しないというのが普通の考え方です。
 一方,船長は,自身のことだけでなく,多くの乗客の命を預かる面があるので,そのために行動すべきともいえます。ただ,専門家としての船長が,専門知識に基づき出航をすべきではないと判断したとき,そのことを理由として出航命令に背くことが正当化されるか(命令違反が免責されるか)というと,それははっきりしません。自身にとっての危険性ゆえに命令に従わないことは免責されても,乗客のための危険回避行動ゆえに労働契約上の義務違反を免責されるという法理はないように思います。もちろん,一般法理や条理などで船長を免責させることはありえるのであり,裁判になると,そういう法律論で事件処理を目指すべきではあります。ただ,現場ですぐに判断しなければならないとき,企業の(目先の)利益と矛盾する場合でも,乗客の生命を優先させてよいという明確なルールがなければ,どうしても危険な行動に突入するということが起きてしまうのではないかと思います。
 これと似たような問題は,実は公益通報についてもあります。企業内の不祥事を外部に告発するのは,企業に不利な行為であり誠実義務違反となりそうですが,社会にとっては有益なことで,これを優先させるべきといえます。この場合,社会のためということから,労働者の誠実義務違反が免責される(懲戒処分が権利濫用となるなど)可能性はあるのですが,それが可能性にすぎないものであれば,従業員がいざそういう場面に遭遇したときに,どう行動してよいか迷うことにあるでしょう(その結果,告発をしないということになる可能性が高いのです)。公益通報者保護法は,こういうときに,どういう行動をとれば免責されるかを示すことを目的とした法律といえます(実際には,行為規範としての明確性にやや難がありますが)。このような発想による,企業の利益より公益を優先させる行動をとる労働者を支える法律は,その業務が人々の生命に関わるような業務に関しては,とくに必要なのかもしれません。
 こういう法律がないなかで,会社の指揮命令下に置かれ,誠実義務も課されている労働者に,客の生命の保護や社会利益への貢献といったことについて大きな責務を課すのは酷です。職業倫理の問題といっても,限界があります。やはり企業が社会的責任をはたす行動をとることこそ,最も重要だと思うのですが,今回の事故で一番気になるのは,同業他社の行動です。他社は,今回の出航が危険であることは十分にわかっていました。しかし,知床遊覧船が出航するのを。結局は黙認してしまった形となっています(船長に出航しないほうがよいと忠告した同業者はいたようですが)。もちろん他社がやることだから,口を出せないということかもしれません。余計なことを言うと,営業妨害と言われてしまう懸念もあったかもしれません。それでも,この出航の危険性を,現場の近くで一番理解しているのは,同業他社やその従業員であったはずです。どうして無理にでも止めなかったのかということが,悔やまれます。ただし,詳しい事実関係をわかっているわけではないので,私の事実認識が間違っていたら,申し訳ありません。いずれにせよ今回の件で,同業他社を非難するつもりはありません。ただ今後への教訓として,こういう事故を防ぐためには,現場にいる他企業が危険な業務をする企業を止めることもまた社会的責任であるということを明確にすることが重要でしょう。そのうえで,たとえば,同業の企業で自主的なルールをつくり,それを互いに遵守させることにし,それを遵守しない企業には,他企業が客にその情報を提供すべきこととし,そうした行為は業務妨害罪にあたらず,不法行為にもならないということを法令で明確して,社会的責任をはたした企業が損をしないような法制度を設計することも一考に値するのではないかと思っています。
 これは労働法の問題ではないようですが,客を危険に巻き込むような業務を労働者に強いる企業は「ブラック企業」なのであり,そういうところで労働者が働かなくてすむようにするという点では,労働法の問題ともいえるのです。