社会問題

2022年7月22日 (金)

国民葬の正しいやり方

 安倍元首相の葬儀は国葬でやることが閣議決定されたそうです。国葬とすることによって,国家行事となるのでしょう。この葬儀は,安倍元首相への弔意に基づき行うというのは違った性格をもつことになるでしょう。人の死亡の政治的利用と思えなくもありません。多くの税金が使われる可能性もあります。すっきりしないものがあります。
 読売新聞オンライン(https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220714-OYT1T50431/)によると,岸田首相は,多大な功績があったからだと言っているようですが,政治家の功績について,同じ自民党内で評価するだけでは国葬の理由としては不十分に思えます。もし自民党内でそういう声が多いのであれば,自民党で葬儀をやればよいと思います。
 多くの国民が,葬儀の行われた増上寺や奈良の亡くなった場所に詰めかけているのは,その非業の死を悼む気持ちからであり,その政治的な功績とは関係がありません。安倍元首相は有名人であり,スターだったのです。彼が来るといえば,見に行きたくなるという人だったのです。そういう人だから多くの国民が悼んでいるのです。私だって近くに住んでいれば,手をあわせにいくでしょうが,だからといって国葬を望んでいるわけではありません。
 時代の流れは,葬儀はシンプルにというものです。安倍元首相のご家族がどのような葬儀をするかについては,他人がとやかく言うことではありませんが,政府が,国葬として盛大な葬儀をすることが,故人をしのぶ良いやり方であるという発想に基づいて行動しているのであれば,それに違和感をおぼえる国民は多いでしょう。
 かりに政府で何かやりたいのであれば,クラウドファンディングで資金を集めればよいのです。あっというまに億単位のお金が集まるでしょう。葬儀の費用って,いくらでもかけることができるものですが,クラウドファンディングで集まった資金が民意であるとみて,その範囲でできることをやるというのが,ほんとうに国民の気持ちに寄り添った葬儀になるのではないでしょうか。
 多額の税金を使うとなると,アベノマスクなどの安倍政権時代のネガティブなことが想起させられて,かえって国民の弔意に水を差すような気がします。物価高で国民の生活苦が本格化すると予想される秋に,こういう国家行事をやることの政治的センスも問われることになるでしょう。
 首相が私人として安倍元首相追悼プロジェクトを立ち上げて,クラウドファンディングで資金を集め,国民の弔意を全面に受けながら国民葬を主催するというのであれば,反対する人はいないでしょうし,野党も反対できないでしょう。そして,岸田首相は若者も含め多くの国民から大喝采をもって迎えられるでしょう(そういうときに,補助的に国費を投入するということも,あまり反対する人はいないと思います)。
 どうやったら自民党の保守派に気に入ってもらえるかということではなく,どうやったら国民の多く(自民党支持者だけでない)に気に入られるかを考えてほしいものです。税金は,国民のことを考えて,大切につかってください。
 

2022年7月14日 (木)

ジェンダーギャップ指数の読み方

 恒例の世界経済フォーラム(WEF:World Economic Forum)のGlobal Gender Gap Report2022年版が発表されました。日本の総合順位は116位で,先進国のなかでも,また東アジア・太平洋地域のなかでも最下位ということで,みっともない感じです。もっとも,こういうランキングは,何に着目して評価されたかが重要です。主たる評価項目は,Economic participation and opportunityEducational Attainment, Health and SurvivalPolitical Empowerment4つで,それぞれ経済,教育,健康,政治と略することができるでしょう。このうち,日本は,教育は1位ですが,経済が121位,健康が63位,政治が139位です。たしかに,経済と政治が低いのはわかるのであり,ここは改善しなければならないところですが,健康が63位というのは解せません。WWFは,Sex ratio at birthHealthy life expectancy でみたようです。つまり,出生時の男女比率と健康寿命です。実は日本は,前者は1位,後者は69位なのです。日本は平均寿命も健康寿命も女性のほうが高いのですが,健康寿命の男女差はそれほど大きくありません。ここがマイナス評価となったのでしょうか(レポートを詳しくみれば説明してあるかもしれませんが,それは他の方の分析に任せます)。健康寿命の男女差が順位を引き下げている(比重はそれほど大きくないかもしれませんが)とすると,大いに疑問があります。むしろ平均寿命が女性のほうが男性よりかなり長いことなどもふまえると,健康面での格差があるとは考えられず,それに教育レベルでの格差がないにもかかわらず,管理職の女性比率や政治面での議員・閣僚の女性比率が小さいということを,どう読み説くかというこそ大切です。教育水準が上がっても,そういう女性人材を,日本社会は十分に使いこなせていないことが問題なのです。これは人権問題というようなことではなく,日本社会の仕組みが非効率になっていると捉えるべきでしょう。人権問題とみてしまうと,実は女性の幸福度はそれほど低くないといった議論も出てきて,話が混乱してしまいます。私は個人的には,政治家になりたくない,管理職や経営者になりたくないと女性が思うのなら,それを尊重すべきであるので,結果としてのジェンダーギャップだけながら必ずしも問題視しませんが,実は,その根底にある日本社会の(かつての成功の基礎となった)「男の論理」で,女性の能力発揮が妨げられている状況があることが,真の問題だと思っています。能力ある女性が,大企業から離れて,フリーランスになったり,スタートアップで活躍したりするのは,組織文化に愛想をつかしているという面もあるはずです。能力ある女性に見捨てられるような組織が社会に数多く存在している状況こそ,日本の危機なのです。
 政治の世界はなかなか変わりそうにありません。今回の参議院選挙で,女性の当選者が増えたとはいえ,まだわずかです。それのみならず,その選挙スタイルは旧来型のようです。全員をみたわけではありませんが,当選したら支援者に囲まれて万歳をして,深々と頭を下げてお礼をするというようなところに象徴されています。これでは男性文化に染まった女性が増えただけではないかという懸念があります。そういう女性が増えてジェンダーギャップの数値が減少しても意味がないのです。男女は別であることを前提に,男性中心の論理,文化,考え方を揺るがせて,新しい風を吹き込むことこそ,女性に期待したいのです。それは,新しい価値観をもつ人が増えている若い男性にもフィットするものです。こうして男女ともに,生きていくうえでの様々な場面で選択機会が広がっていくことが理想です。
 ところで,私の周りをみてみると,大学は,普通の社会よりも比較的男女平等が進んでいるところだと思いますが,労働委員会の委員をみると,どうでしょうか。全国における労働委員会委員の女性比率,さらには会長,会長代理の比率を一度,調べてみてもよいでしょう。絶望的な数字が出てくる予感があります。さすがに中央労働委員会は,公益委員は,(名前だけからの推測ですが)女性が7人いて約半分です。会長代理には,両角さんがいます(いつかは,女性会長が誕生するかもしれませんね)。

2022年7月10日 (日)

安倍元首相事件の影響

 暑さとコロナのぶり返しや,安倍元首相の死亡という暗いニュース(何度もテレビで流されたものをみて,脳に残ってしまい,その夜は寝苦しかったです)で,陰鬱な日曜日でしたが,そういうなか,参議院選挙の投票に行ってきました。投票場は,歩いて15分くらいの近所の小学校ですが,行って帰ってくるだけでぐったりです。オンライン投票に変えてもらいたいものです。投票場でのあまり手際のよくないアナログ的な手順も,不快指数を高めました。現場で働く方は頑張っているのでしょうが。
 ところで,安倍元首相の襲撃事件について,奈良県警の不手際が指摘されていますね。起きたことがあまりにも重大なので,警備態勢が批判されても,しかたがありません。ただ,あのような無防備な場所で演説ができること自体が,日本が平和で安全であることの証しともいえます。前の参議院選で当時の安倍首相の遊説に対して,野次を飛ばした人が排除された事件で,今年の325日に札幌地裁で国家賠償を認める判決が出ていますが,その当時から,警察が聴衆の野次などに神経質に対応していたことがわかります。襲撃者がいるとすれば,政治的な背景がある人で,そういう人は本人に向かって野次を飛ばしたり,何か叫んだりするだろう,という思い込みがあったとすると,どうしても背後は警備の死角になってしまいますが,今回もそういうことだったのでしょうか。
 警察としては,個人的な逆恨みによる強い殺意をもっていて,しかも銃の扱いに長けているような人の犯行となると,その対策は難しかったのかもしれませんが,言い訳にはならないのでしょうね。今後,日本で外国の要人を招いた会議などを実施するためには,日本の警察の信用を回復する必要があるでしょう(来年は広島サミットもあります)。テロリストに狙われる危険性のある外国の要人からすると,政治家として日本で最も重要な人の一人(元首相で,首相退陣後も与党の最大派閥の領袖であった)が,白昼堂々と,演説中に背後から銃弾を1回のみならず2回も発射されて殺されるような国には,怖くていけないでしょう。安倍氏の事件は,自民党の勝利に貢献した可能性があります(香典票)が,そのような影響だけでなく,警備についての国際的な信用を失墜させた影響も心配です(アメリカのBlinken国務長官は,弔問に日本に立ち寄ってくれるそうですが)。

2022年7月 8日 (金)

平和と言論の大切さ

 この日本で,政治家が銃弾に斃れることがあるなんて信じられないことですが,そういうことが起こってしまいました。安倍晋三氏のご冥福を,心よりお祈りします。岸信介の娘である安倍氏の母も,逆縁はほんとうにお気の毒です。
 私の生まれる前の事件でしたが,当時の野党第一党の社会党の浅沼稲次郎委員長の暗殺事件は,子どものころから,誰に教えられたわけでもなく,何となく知っていて,政治家というのは大きな危険と背中合わせの仕事だという思いをもっていました。あれから半世紀以上が経ち,この浅沼事件やさらに戦前の原敬暗殺,515事件,226事件などは,はるか昔の歴史上の出来事となり,政治活動とは平和的なものだというように多くの人が思うようになっていたと思います。元総理大臣で,なお与党内で権力をもっていた人が,選挙遊説中に殺されるなど,とても想像できないことでした。
 ただ,Putinの戦争が連日,メディアで報道され,アメリカで頻発している銃の乱射事件(個人だけでなく,警官も起こしている)も伝えられているなかで,なにか暴力的なものが私たちの日常に入り込んで,慣れを生んでしまうのではないかという懸念がありました。もちろん,これが今回の事件と関係しているのか,よくわかりませんが。
 今回の犯人に政治的な動機があったかよくわかりませんが,もし犯人が暴力で政治を変えようとしたのであれば,それは大きな間違いです。政治への不満は,言論と投票で表明すべきなのです。何のための普通選挙でしょうか。男女に関係なく,財産に関係なく,誰でも18歳以上であれば選挙できるのです。このことのもつ価値と力は重いものです。
 もちろん,今回の参議院選挙で,安倍氏の死への同情というだけで,自民党に投票するという行動はすべきではありません。「野党の言うことは聞かない」といったような民主主義の根幹を崩す発言をする大臣がいる与党内閣には,厳しい目を向けなければなりません。いずれにせよ,国民は,冷静に,どの政党や議員が平和と人権を守ることを最も真剣に考えているのかを判断し,そういう政党や議員に託すしかないのです。その努力を惜しんで,暴力に訴えても,何も変えることはできません。暴力は,結局は,権力者を利することになります。権力者による国民の自由の抑圧を正当化することになりかねないからです。たとえ権力の壁は厚くても,そこで歯を食いしばって言論を守ることこそ,私たちの社会の未来にとって大事なのです。選挙に負けた大統領が,議会を占拠するよう呼びかけるような野蛮な国になってはいけないのです。安倍氏の死を無駄にしないためにも,平和と言論の大切さを,私たちはいま一度しっかりかみしめ,子どもたちに伝えていかなければならないでしょう。

2022年7月 3日 (日)

モルヒネ誤投与事件に思う

 ネットニュースでみましたが,必要量の100倍のモルヒネを投与されて90歳代の患者が死亡した事件で,処方した医師と調剤薬局の薬剤師が書類送検されたそうです。医師のミスですが,薬剤師もそれを見逃したようで,ひどい話です。薬剤師が処方箋の内容について,発行した医師に問い合わせることを「疑義照会」というそうですが,それが機能していなかったのでしょう。その背景には,医師と薬剤師の力関係があるのかもしれません。疑義照会されると不機嫌になる医師がいるという噂もあります。もしほんとうに疑義照会をしにくい状況がもしあるのだとすると,それは患者軽視も甚だしいことです。なお,薬剤師法24条には,「薬剤師は,処方せん中に疑わしい点があるときは,その処方せんを交付した医師,歯科医師又は獣医師に問い合わせて,その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによつて調剤してはならない」とされ,違反には50万円以下の罰金という刑罰がついています(326号)。ただ,今回の薬剤師の書類送検は,この罪ではなく,業務上過失致死罪(刑法211条)の容疑ということのようです。
 ところで,医師も人間であるからミスもあるでしょう。それをチェックするのが薬剤師であり,そこできちんと対応できないのであれば,ロボット調剤と同じであり,むしろそれに任せたほうがよいといえます。こういうチェックも今後はAIに任せたほうが安心であるともいえるのであり,処方箋を機械的に処理するだけであれば,薬剤師不要論も出てくることになるでしょう。これは「AIが仕事を奪う」の典型的なテーマであり,人間の調剤ミスの割合を考えると機械化を進めたほうがよいという議論もあるのです。今回のような重大なミスがあり,また疑義照会という法律上の義務でさえ機能しにくい状況が解消できそうにないのなら,本気で機械化を考えていくべきでしょう。薬剤師の人たちは,これは一部の人の問題で,大多数の薬剤師はきちんと対応していると言いたいでしょうが,こうしたありえないミスで人が亡くなっていることの重みを認識してもらう必要があります。国民が納得できるような改善策をしっかり提示できなければ,その職業上の権威に大きく傷がつくことになるでしょう。
 もちろん医師側にも問題がないとはいえないでしょう。私は宇沢弘文の『社会的共通資本』(岩波新書)の考え方に深く賛同しており(前にも採り上げたことがありました),宇沢は医療制度を社会的共通資本の典型の一つに挙げ,医療制度を市場メカニズムに乗せることを批判し,医師が医学的見地から最も望ましいと判断した診療行為をおこなったときは,そのときに必要となる費用が医療機関の収入となるべきであると主張しています。医師の報酬は,それにふさわしい高いものが保障されるべきであるという主張も含まれているのですが,その前提には,医師がどのような医療が必要かについて,その専門性と職業的倫理に基づき明確に提示することが大前提となっています。医学教育は,専門性だけでなく,職業的倫理の習得もさせなければならず(やってくれているとは思いますが),そうしたプロが必要と考えるものは,社会できちんと負担すべきということになるのです。それが国民にとってきわめて重要な医療サービスの提供体制を整備するための基本的な枠組みということです。私は,この考え方は正しいと考えますが,現実の医師にどこまでの倫理性があるのかが気になります。大多数の医師は職業倫理をもって誠実に仕事をしていると思います。しかし,例外もいるのであり,その例外的な医師に患者としてぶちあたらないようにするために,どうすればよいか。それは医師側から,自分たちの職業的権威とプライドをかけて対応をしてもらえたらと思います。上記の薬剤師と同じことです。
 ミスがあったあとの対応が重要です。医療事故はよくあることで仕方がないということで済まさず,誰一人もミスで亡くなることがないように努力してもらいたいです。今回の事故は重大なインシデントとみて,厚生労働省も医師会もしっかり対策を講ずるよう望みたいと思います。

2022年6月30日 (木)

SMBC日興證券相場操縦事件

 岸田政権は,「貯蓄から投資へ」と言い,個人の株式市場への参加を促してきているのですが,その一方で,金融所得への課税を強化しようとしたこともあり,ちぐはぐな感じがします。
 SMBC日興證券で問題となった「ブロックオファー取引」は,証券会社が,取引市場外で,大量の株式を購入し(持ち合い解消などの目的で大量に売りに出されることがある),それを市場価格より安価に相対で取引時間外に個人投資家に売却し,その差額を証券会社が利益として得るという取引だそうです。株が大量に出回ると市場価格が低下してしまい,ブロックオファーが成立しない可能性があるので,証券会社が株式を購入して相場を支えることがあり,それが今回の相場操縦という金商法上の犯罪(159条,197条1項5号など)に該当するのではないか,ということが問題となりました(日本経済新聞2021113日の記事「市場の公正揺るがす SMBC日興社員,相場操縦疑い 時間外取引,不成立恐れ買い支えか」も参考にしました)。
 相場の安定という名目で,相場が人為的に操縦されているということになれば,個人はそういう市場に参加することに,とても臆病になるでしょう。個人がなけなしのお金を少しでも殖やしたいと思うとき,リスクはできるだけ取りたくありません。証券投資はただでさえリスクがあるのに,その取引市場において透明感がないとなれば,「貯蓄から投資へ」はうまくいかないでしょう。
 今回,逮捕されている社員には外資系の会社からきた人たちもいたそうで,その高いスキルで会社に大きな利益をもたらしていたそうです。そのことが会社による違法性のチェックを甘くしていた可能性もあるということですと,これはこの会社の組織ぐるみの問題です。SMBCのブランドイメージも大きく傷つきました。どう挽回するのか。また政府は,証券市場に対する国民の不信感の払拭のために,どのような対応をするのでしょうか。参議院選の主要なテーマではないのかもしれませんが,注目したいところです。

2022年6月29日 (水)

尼崎市USB事件の続報

 日本経済新聞の電子版で,「BIPROGY(ビプロジー,旧日本ユニシス)の平岡昭良社長は28日,東京都内の本社ビルで開いた定時株主総会で,兵庫県尼崎市の全市民約46万人の個人情報が入ったUSBメモリーを同社の再々委託先の社員が一時紛失した問題について謝罪した」という記事が出ていました。「再々委託」だったのですね。
 この業界のことはよくわかりませんが,労働法的な観点からは,一般的に重層的な下請け構造や再委託構造というのは,いろいろ問題が起こりやすいわけです。そこに労働法上の問題があるということは,経営上の問題も当然ともなうものとなるでしょう。途中に事業者が入るほど,手数料が抜かれていくのでしょうから,末端の労働者の賃金は低いのではないかと想像してしまいます。ブラックな職場で,自分たちの個人情報を取り扱われたくないですね。
 BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)は,今後,どんどん進んでいくでしょうし,自治体が一定の苦手分野についてアウトソーシングすることは,それ自体は悪いことではありません。ただ,何をアウトソーシングするかが重要で,個人情報の重要性についての意識が低い自治体が,今回のような業務でも,安易にアウトソーシングするということがあっては困ります。そのような姿勢が,受注企業から甘く見られて,再委託禁止などと契約で定められていても,平気で無視されるということが起こるのかもしれません。
 前にも書いたように,個人情報の重要性に鑑みると,企業は,自治体内部で専門職員を育成すべきです。昨日の日本経済新聞では,データ分析や人工知能(AI)などの専門人材を別枠で新卒採用する企業が増えている,という記事も出ていました。自治体に集まっている個人情報は,デリケートなものが多いはずなので,そういうものを扱う業務は,できるだけアウトソーシングしないで自前でやってもらえないでしょうか。
 DXへの対応が遅れている自治体は,アナログ時代の仕事の仕方をひきずって,人間がやる必要のない仕事にまで多くの職員を配置している可能性があります。そういうところは,思い切って事業の再構築をすべきでしょう。業務や職場のDXを進め,それに合った人材を採用し,市民の個人情報をしっかり守る態勢を強化してもらいたいです。これは尼崎市だけの問題ではありません。私が住む神戸市も,兵庫県も,そして日本政府も,今回の事件をきっかけに,DXの推進と同時にセキュリティのいっそうの強化を進めてほしいです。人間が介在するとミスが起こりやすいのであり(だから自治体が自前でやっても不安が残ります),セキュリティ・バイ・デザインの発想で,DXの制度設計をしてもらいたいですね。

2022年6月24日 (金)

尼崎のUSB紛失事件

 尼崎市で全住民の情報が入っているUSBメモリスティックが,これを持ち出した外部業者の社員の不注意で紛失してしまったという大変な事件が起きてしまいました。今日見つかって良かったですが,多くの人が論じているように,非常に困ったものです。
 第1に,市民の観点としては,もし神戸市で同じことが起きたらと思うとおそろしいので,これを機会に入念な点検をしてもらいたいです。政府もそのような通達を出しているようです。市民の個人情報にアクセスするような作業を外部に委託するのであれば,それはよほどセキュリティ管理をしっかりしなければ,とても許容できるものではありません。尼崎市は,「委託時に情報管理のルールを設けていたが,初歩的なミスが次々と明らかになった」(神戸新聞NEXT),ということのようです(市の担当者は,記者会見でも,PWの桁数をもらすという大きなミスをおかしています)。ルールは設けるだけではダメで,実効的な管理体制が必要です。あまりにも当然のことなのですが,「デジタルトラスト」の重要性が言われている今日,そこから大きくかけ離れている「初歩的なミス」で今回の事故が引き起こされたのだとすると,これはほんとうに情けないことです。業者の責任は当然ですが,尼崎市にも重い責任があり,市長は事態を深刻に受け止め,早急に何らかの今後に向けた対応をしなければなりませんし,その後に自分もしかるべき責任をとらなければならないでしょう。前にもフロッピーディスクを使っていた自治体の不祥事が世間の嘲笑をまねいたことがありましたが,メモリースティックで個人情報を外部へ持ち運んでいること自体,おそろしいことです。自治体のデジタル対応の遅れは悲惨なレベルですが,今回のことをきっかけに自治体のDXを本気で進めてほしいものです(内部で処理すれば安全というわけではありませんが,今回のような事故は回避できるでしょう)。
 第2は,労働法の観点です。この業者が,従業員に対して,秘密管理についてどのような義務を課していたかはわかりませんが,就業規則に違反しているのであれば,懲戒処分を受ける可能性はあるでしょう。しかも,報道によると,今回の作業は再委託していたようです。再委託先の従業員は,きわめて低い賃金で働かされていた可能性はないでしょうか。もし,この従業員が損害賠償を請求されることになると,元受託企業も再受託企業も落ち度がある可能性があるので,その場合には,過失相殺がされるでしょうし,それとは別に,損害賠償責任制限法理がかかってくるかもしれません。その際には,従業員の賃金額も考慮要素となってくるでしょう。ただし,故意による損害惹起であれば,責任は制限されませんが,重過失があっても同様と解される可能性があります。
 話は変わりますが,東大阪のセブン・イレブンの契約解除事件については,セブン・イレブン側が第1審では勝訴したようです(判決内容は,まだわかりません)。加盟店オーナーの労働者性は労組法上のものも含めて,否定される裁判が出ていますが,継続的な契約の解除については,たとえ労働契約法の適用がなくても,一般の権利濫用規定(民法13項)は適用可能で,その枠内でどのような判断がなされるのかという点は理論的に関心があるところです。契約において解除事由が具体的に列挙されていて,その事由に該当することをフランチャイザー側が立証できていれば解除は有効となると考えるべきであり,これは実は労働契約における解雇と同じだと思っています。ただ,その場合でも納得同意を得るように誠実交渉を行うべきというのが私の立場であり(拙著『人事労働法』(弘文堂)208頁以下),これは個人のフランチャイジーに対する場合にもあてはまると考えています(このことは,同書285頁では明記されていませんが,人事労働法の準用という観点から,そのようにいえると考えています)。オーナーは,損害賠償も請求されているようですが,損害賠償制限法理は,信義則が根拠なので,雇用労働者以外の個人事業主にも,理論的には適用可能性があるといえそうですが,かりにそうだとしても,今回の事件が賠償額が減額されるべき事案であったかは,よくわかりません。

2022年6月22日 (水)

核問題をきちんと議論してほしい

 NHKプラスでみた再放送番組のなかで,道傳愛子さんがJacques Attali氏やIan Bremmer氏らにインタビューをしているものがありました。それを観ていて感じたのは,ウクライナがロシアに攻撃されたのは,核兵器を放棄しながら,NATOに加盟しなかったからで,アメリカもいざというときには頼りにならないということを教訓として,日本が核兵器をもとうとするのではないかという懸念がもたれていることです。日本は, NATOに加盟しておらず,同盟国のアメリカも頼りにならないとわかれば,ウクライナの二の舞にならないように,核兵器をもつことが必要だと考えるかもしれないと思われているのかもしれません。そして,それは世界にとって最悪のシナリオであるというのが,世界の識者の意見なのでしょう。
 日本は,歴史上,唯一の戦争被爆国です。しかも2回も民間人相手に核爆弾を落とされた国なのです。この日本が,核兵器をもとうとするかもしれないと疑われていること自体,世界の平和におそろしく危険なメッセージを与えることになります。日本が原因で,泥沼の核競争の歯止めがなくなるということは避けなければなりません。唯一の被爆国である日本人が声をあげなければ,いったい誰が声をあげるのでしょうか。その意味で,核兵器禁止条約の会合にオブザーバーとしても参加しない行動は,誤解をいっそう強めてしまわないか不安です。「聴く力」ではなく,「伝える力」が必要です。
 広島出身(東京生まれだそうですが)の岸田首相には責任があります。本気で平和を実現したいと考えるならば,広島らしい,原爆の問題と向き合った解決策を打ち出す必要があるでしょう。アメリカの「核の傘」に入る選択肢を,最初から放棄せよと言いたいわけではありません。しかし,「核の傘」について日本内の少なからぬ国民が不安に感じていることも知っておいてもらえばと思います。そもそも地球上の人々はみな頭上に爆弾がぶらさがっている状況下で生きているのです。その爆弾のスイッチボタンは,どこかの独裁者も握っています。その爆弾を一つひとつ取り除いていくしか,ほんとうの平和は実現できないのです。岸田首相には,日本だからこそ,また広島出身の首相だからこそできることがあるはずです。核の問題をうまく解決して世界平和に貢献できるような,スケールの大きな平和構想を語って欲しいです。
 今回の参議院選挙でも,平和は重要なテーマです。安全保障という言い方よりも,端的に世界平和の実現というテーマで議論してもらいたいです。経済が再生しても,平和がなければ,意味がありません。この面では,共産党は良いことを言っていると思いますが,ただ,かりに共産党が政権をとっても,Japanese Communist Party という名称であるかぎり,まともな国が近づいてこず,うまく国際協調ができないであろうという点が残念です。党名変更(せめて英語表記について)を真剣に考えるべきではないかと思いますが,余計なお世話でしょうね。

2022年6月17日 (金)

刑法の改正

 刑法が改正され,懲役と禁錮が拘禁刑に変わることになりました(刑法9条改正)。これにより,多くの法律の改正が必要となります。「刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案」も同時に可決され,関連法の対応が書かれています。労働基準法や労働組合法でも懲役や禁錮刑が定められていたので,3年以内の改正刑法の施行に合わせて条文が修正されます。以前にイタリア語のreclusione はどう訳すべきであろうか,というようなことをブログで書いたことがありますが,今後は「拘禁刑」と訳すことができそうです。そこで,ふと以前に,イタリアの刑法のことについて,いろいろ考えたことをブログで書いたことを思い出しました。ネット上では消えてしまっていますが,手元に昔のメモが残っていたので(掲載したものと同じかどうかは不明ですが,ほぼ同じだと思います),再掲します。おそらく2018年の52日と3日に書かれたもので,ちょうどTOKIOのメンバーの事件があったころの話がネタになっています。

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201852日 起訴便宜主義について思う

 「山口メンバー」は「山口さん」になりました。起訴猶予になったからだそうです。
 日本の刑事訴訟法248条は,「犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる」と定めています。これを起訴便宜主義といいます。検察官は,状況によっては,起訴(公訴提起)しないこともできるのです。
 強制わいせつにおいて,犯罪行為があっても,被害者と示談が成立していて,初犯であるというようなことがあれば,起訴猶予となるのが相場なのかもしれません。ただ示談が成立していれば起訴しないのであれば,非親告罪にした意味がないような気がします。もちろん公訴提起により被害者が裁判に出廷することなどによる二次被害が起こらないようにするための配慮は必要ですが,性犯罪が社会にとって危険な犯罪であり,かつ加害者本人が社会復帰を望んでいることを考慮すると,社会にとっての危険性はいまだ軽微とはいえない可能性があります。
 ところで,イタリアでは憲法112条に次のような規定があります。
 「Il pubblico ministero ha l'obbligo di esercitare l'azione penale.」
  検察官は公訴提起をする義務がある,という規定です。これを起訴法定主義といいます。犯罪行為があったと確認した以上は,起訴しなければならないということです。あとは裁判官が量刑も含めて判断するということでしょう。検察官は行政官であり,犯罪の嫌疑があるのに,司法の判断に服せしめるかどうかまでを判断してしまってはだめということでしょう。
 日本の検察官を信用していないわけではないのですが,起訴猶予によって(元)容疑者の扱いが一変してしまったことで,ちょっと驚きです。禊ぎが終わったとまでは誰も考えていないでしょうが,そういうムードがやや現れているような気もします。
 性犯罪は再犯率が比較的高いようです。データは裁判で有罪判決を得た場合のものがありますが,起訴猶予になったものもありますでしょうか。別に今回の「山口さん」に個人的な恨みはありませんが,書類送検までされる性犯罪は相当悪質なものであったはずです(クラブで酔ってホステスの胸をむりやり触ったというたぐいのものではないでしょうそれでもダメですが[加筆])。マスコミも,そのあたりをよく考えたうえで,横並びではなく,各社で報道姿勢を考えてほしいものです。
 なお,直接この話に関係しませんが,イタリアでは,対象が存在してない場合(たとえばカーテンの向こうに殺そうとしている人間がいると思ってそこに向かってピストルの引き金をひいたが,そこには誰もいなかったとか),犯罪を引き起こすことに適しない行為(単なる胃腸薬を毒薬と誤信して,それを飲ませて殺そうとしたとか)である場合は不能犯(reato impossibile)とされ罪には問われません(イタリア刑法典492項),その場合には,裁判所は保安処分(misura di sicurezza)を命じることができます(同条4項)。不能犯は,当該行為については犯罪を起こす可能性がなく,問題なく無罪ですが,それでも社会への危険はある以上,裁判官は一定の処分を命じるのです。日本の刑法では,そもそも不能犯の規定がないですし,保安措置を命じるといった規定はありませんが,イタリアに歴史的に濃厚にあると思われる「新派」的な立場によれば,犯罪をする危険のある者から,いかに社会を守るかということが大事になってくるのです(刑法における旧派と新派の議論については,ぜひ刑法の専門書を読んで確認してください)。無罪であっても,起訴猶予であっても,社会を守るということが大切です。それはとくに性犯罪にあてはまることではないかということです。加害者の人権も大切というのが私の基本的スタンスですが,マスコミ報道をみながら,少しバランスをとった意見もいうべきだということで,あえて書いてみました。

201853日 請願権
 昨日,イタリアの刑法のことを語ったので,そのついでに,ぜひ紹介しておきたい本があります。それがBeccariaの『Dei Delitti e delle Pene(犯罪と刑罰について)』です。大学で法律を勉強したことがある人なら,誰でも知っているものですが,有りがたいことに,この本の訳書があります。ずいぶん前にいただいて,たぶん紹介をしていなかったと思うのですが,それがお茶の水大学の小谷眞男さんの翻訳したチェーザレ・ベッカリーア『犯罪と刑罰』(東京大学出版会)です。小谷さんには心より御礼を申し上げます。素晴らしい訳であり,解説もきわめて充実しています。
 ところで,この本のなかにBeccariaが死刑について語ったところがあります(第28章)。彼は死刑反対論者です。終身刑の支持者です(ちなみにイタリアでは死刑は憲法で禁止されています[274項])。なぜ死刑がダメなのかということが,実に説得的に論じられています。ここでは紹介しきれませんが,最も有力な論拠は,死刑では,犯罪抑止につながらないということです。
 死刑というものを,犯罪の予防という刑事政策的な観点から考えた場合(これが新派的な発想),死刑という手段のもつデメリットと,死刑により解決される政策課題との間の関係を検証するというアプローチが必要となります。Beccariaは,終身刑で長期間隷属的な状況が続くほうが,犯人に過酷なものとなり,それだけ市民に対して抑止力が働くというのです。死刑でこの世から消えることができるというのでは,本人の犯罪抑止力は弱い,ということです。[これには宗教的な背景があるかもしれません:加筆]
 Beccariaは,賢明なる君主は死刑廃止論のもつ真理性に気づくはずだけれど,それを妨害するのが中間的特権層だというのです。君主には,ローマ時代の五賢帝のような人も出てくるが,おそらく中間的特権層は徳も見識もなく,権力をほしいままにしたい存在ということなのでしょう。特権層は変化を望まず,先例を踏襲するものであり,新しい提案に耳を傾けません。Beccariaは,「もし王座にまで届くようなことがあれば,つねに傾聴されたであろう人々の率直な請願を,さえぎり押し殺してきたのは,中間層の専制なのだ!」と述べています(小谷訳)。「だからこそ,光で照らされた市民たちは,ますます熱心に君主たちの権威の継続的増大を求めているのだ」(小谷訳,100頁)。
 
君主の権威の増大をいうのは現代の感覚からはおかしいような気もしますが,当時を考えるとそうおかしいことではありません。国家の統治を社会契約的に考えた場合,ボッズブ(Hobbes)のいうような「リバイアサン(Leviathan)」が生まれますが,それをプラトン(Platon)的な哲人政治に変えるためにも,中間的な権力を排除し,権力をもつ君主を教化していくことが必要だということでしょう(この本が出た25年後にフランス革命が起きていますが,中間団体の否認が革命時の思想として重要となっています)。
 その意味で請願権というものは,ひょっとするともっと注目されてもいいのかもしれません。実は日本国憲法にも請願権の規定があります。それが16条です。長谷部恭男『憲法(第7版)』(新世社)では,「請願は,議会制度が十分に発達していなかった過去においては,被治者の意見を為政者に伝える一つの経路として機能したが,国民主権が確立し,国民の参政権が十分に保障された現代社会においては,もはや意義は有しないと考えられている」と書かれています(305頁)。
 しかし,アメリカでTrumpが登場して民主主義のプロセスに十分な信用がおけなくなりつつある現在,Beccariaのいう「光に照らされた市民たち」による請願のプロセスというのは,もっと考えられてもいいのかもしれません。CNNでアメリカの元国務長官Albrightさんが,Trump政権を暗に批判するために,HitlerMussoliniも民主主義から生まれたと言っていました。民主主義は手段ではありますが,唯一絶対的なものではないというのは,Churchillに言われるまでもなく,多くの人がわかっていることです。間違った人が選ばれたときの対策を,暗殺やクーデターのような暴力的な方法に頼るべきではないでしょう。これでは民主主義の正面からの否定です。民主主義から生まれた強大な権力を抑制するのは,最後は「知の力」であると信じたいものです。 
 翻って日本はどうでしょうか。現在の首相は,直近の選挙でも大勝し,民主的なプロセスで大きな権力をもつようになっています。側近や忖度する官僚が中間的専制者になっているとすれば賢明な市民が立ち上がらなければなりません。Beccariaなら,打倒安倍にエネルギーをかけるよりも,中間的専制者を排除して,いかにして首相を知の力で賢政に導くかを考えるべきだと言ってくれるかもしれません。憲法学者は,こうしたことは非民主的として否定するでしょうか。憲法記念日にみんなで考えてもらいたいことです。