社会問題

2024年12月 6日 (金)

誰を信用すればよいのか

 野村證券の社員が取引先の老夫婦に対する強盗殺人未遂,現住建造物等放火の罪で起訴されたという記事が出ていました。産経新聞の記事でみると,「元社員は広島支店に勤務しており,顧客だった広島市の80代の夫婦宅に放火し,現金を奪った。起訴状によると,728日午後535分~745分ごろ,夫婦宅で妻に睡眠作用のある薬物を服用させて昏睡状態にした上,2階寝室の押し入れにあった現金約1787万円を盗み,放火して殺害しようとしたとしている。」
 もう無茶苦茶です。強盗殺人(強盗致死傷罪)は,刑法240条で,「強盗が,人を……死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する」となっていて,法定刑は死刑と無期懲役しかありません。現住建造物等放火罪は,刑法108条で,「放火して,現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物……を焼損した者は,死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」となっていて,死刑,無期懲役または5年以上の有期懲役で,これは殺人罪(刑法199条)と同じです。強盗殺人が未遂であっても,放火のほうは既遂である可能性があり,こうなると強盗殺人が未遂でも死刑の可能性さえあるのではないでしょうか。
 大学を出て,大企業に就職し,妻や子どももいるかもしれず,そうした人生を捨ててしまうほどの動機があったのでしょうか。お金はおそろしいです。闇バイトによる凶暴な強盗殺人犯とは違った意味で,ある面では,それ以上に恐ろしいところがあります。野村證券は,社員教育ができていたのかということを問われても仕方がないでしょう。社員教育というのは,信用が何よりも大切な会社では,たんに良き市民であるためのものにとどまらず,ビジネスに必須のものなのです。資産運用を考えている人の資産は,長年こつこつと貯めた貯金であったかもしれません。それを少しでも老後の資金を増やしたいということで,リスクも感じながらも投資などの運用をするのです。証券マンは,それをプロとしてサポートする仕事です。他人の人生に寄り添い,しかも他人の懐事情も知り尽くしたうえで,老後の資金を確保できるように行動することが求められているのです。信用ができない人には任せられません。
 富裕層は,複雑でオーダーメイドの運用戦略を求めることが多いので,人間に頼る人が多かったと思いますが,一番大切な信頼関係が不安になってくると,やっぱりAIに任せたほうがよいと思うようになっていくかもしれません。高齢になると,「オレオレ詐欺」などもあるので,他人に騙されないように,慎重な行動がする人が多いはずです。現時点では,デジタル嫌いの人が多いので,AIに直ちに移行することはないかもしれませんが,これからの高齢層は,AIにも慣れていて,人間の関与なしに資産運用をしていくほうがよいと考える人が増えていくでしょう。ロボットアドバイザーの最大手のウェルスナビが伸びてきているのもそのためだと思われます(先日,三菱UFJの傘下に入ると発表されていましたが,これは一層の飛躍が期待されることを意味していそうです)。

2024年12月 4日 (水)

マイナ保険証

 122日から健康保険証の新規発行がなくなりました。マイナンバーカードに保険証の機能を載せた「マイナ保険証」に一本化するそうです。そのようななか,厚生労働省の省令(療養担当規則)によって,医療機関に対してマイナ保険証による「オンライン資格確認」を義務付けられたことについて,その義務がないことの確認を求めて国を訴えた裁判で,先月28日,東京地方裁判所は,医師たちの訴えを退けたようです。法律論としては,省令でそのような措置を定めることは憲法41条(国会が国の唯一の立法機関であるとする規定)に違反するという主張であったようです(弁護士JP記事を参照しました)。
 マイナ保険証は,医療機関にも負担をかけているということで,困ったものではあります。ただ,デジタル推進派の立場からは,マイナ保険証はもっと活用すべきで,できればマイナンバーカードを持ち歩かずに,スマホを提示すればOKというようにしてほしいですし,政府もその方向で進めているようです。上記裁判での原告たちも,マイナ保険証一本というのが困るということにすぎず,マイナ保険証それ自体がダメと言っているわけではなさそうです。
 ところで,マイナンバーカード反対派(返納者ら)は,その主たる根拠として,情報漏洩への不安と監視社会になることへの不安を挙げていたと思います。情報漏洩については,国の安全対策への信用ができていないことが理由でしょうし,マイナンバーを活用した国家の監視の強化のおそれについても,政府への信用の問題です。とくに後者については,国家権力は権力を濫用するものだから,マイナンバーカードだって目的外利用をするにちがいないと考えて,自分たちはマイナンバーカードを使わず,できるだけ私的領域を守りたいというのは一つの考え方でしょう。ただ私は,マイナンバーカードの利用については,現時点では,リスクと利便性の天秤の問題と考えており,利便性を活かし,リスクをできるかぎり抑えるという方向で対応してもらえればと思っています。
 いずれにせよ,マイナンバーカード一般の問題とマイナ保険証は,ひとまず切り離して考えてよいでしょう。マイナンバーカードは良しとしても健康保険証は使えるようにしてほしいという意見はありえますし,その具体的な現れが,医療機関側の声(の一部)が上記の裁判ですし,利用者側にも,そのような声があるでしょう。
 ところで,健康保険証とは何のためのものなのでしょうか。私たちは医療機関で診療サービス(療養の給付)を受ければ,その対価として医療費を支払わなければならないのですが,皆保険ということで,原則として,国民健康保険か健康保険に加入して保険料を支払っており,その保険でカバーされる保険診療については,保険機関から医療費(診療報酬)が支払われ,私たちは一部負担金として原則3割だけ支払うことになっています。健康保険証は,どの保険機関から残額を支払われるかを確認するための書類ですので,医療機関からすると医療費を確実に受領できるように,保険証の確認は重要な意味をもっているわけです。逆にいうと,この書類がなければ,私たちは医療費を全額支払わなければなりません。健康保険証が新規発行されないとなれば,それに代わる保険証がなければ困ります。それがマイナ保険証(あるいは資格確認書)です。マイナ保険証は,マイナンバーカードを取得して,それに健康保険証の登録をすればよいものです。この登録作業はスマホ(あるいはPC)でやるのですが,上述のように,近い将来,スマホのマイナポータルをつかってマイナ保険証を提示できるようになりそうです。マイナンバーカードの携行率が低いことが問題であると言われますが,私のようにスマホ一つしか持ち歩かない人間にとっては,マイナンバーカードだけ携行しなければならないのは面倒です(紛失の危険大です)。同じように思っている人も多いでしょう。スマホ化ができなければ,マイナンバーカードは所有している人は増えても,利用者はそれほど増えないでしょう。
 ただ,こうしたことを高齢者にやらせるのは大変かもしれません。今後,行政サービスのデジタル化を一挙に進めることにし,必要なスマホなどでの手続ができていない家庭のサポートのために,自治体がこういうことに精通しているアルバイト職員を雇って,各家庭に訪問させて設定などをすべて代行し,そこでマイナ保険証の登録なども一緒にやってしまうということができればよいと思います(医療機関のオンライン資格確認についても,コスト面に不安のある中小の機関には補助金で支援したり,技術的な問題があるとすれば,サポート員を派遣するなどをしてもよいでしょう)。
 というように思うのですが,現実には,そう簡単にはいかないのでしょうね。ただ,結局のところは,マイナ保険証などのようなデジタル化は,どこまで政府が本気でデジタル化を進めるつもりなのか(デジタル化がなぜ必要なのかを理解することが,まずは出発点です),そして,そのために政府全体が緊張感をもって国民にデジタル化の意義や必要性を理解してもらうために努力をするのか,にかかっています。役人のなかには,なんでマイナンバーカードなんて導入するのだろうか,マイナ保険証なんてなくてもいいだろう,と思っている人が必ずいるはず。そういう人がいるかぎり,国民への対応もいい加減になり,説得力も下がります。このあたりも含めて,政府の姿勢が問われることになります。

2024年11月24日 (日)

COP29とSDGs

 国連気候変動会議COP29が,アゼルバイジャン(Azerbaijan)のバク(Baku)で行われています。Bakuには行ったことはなく,一度行ってみたいところです。少し前に読んだ,古舘恒介『エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来』(2021年,英治出版)の最初に,この都市がいきなり登場します。古舘氏は,エネルギーの歴史をたどるなかで,まず最初のエネルギー革命は,火の利用にあったとし,その象徴といえるBAKUを訪問したところから,エネルギーの旅が始まります。そう言えば,ギリシャ哲学のHērakleitos(ヘラクレイトス)は,「万物は流転する」と述べたことで有名ですが,彼は「万物の根源は火」と考えていました。万物を変化させる根源に火があり,火こそがエネルギー(変化をもたらす能力)と捉えていたということです。
 私たちは,火を活用することにより,太陽エネルギーなど,自然界のエネルギーに依存する生活から脱却して,自分たちでエネルギーの制御ができるようになりました。しかし,燃焼は,二酸化炭素を発生させるので,これが気候温暖化をもたらします。火の国と言われるアゼルバイジャンは,何世紀にもわたって燃え続けているYanar Dag(ヤナル・ダグ)があるところとしても有名です。かつては,その名のとおり火を神聖視した拝火教(ゾロアスター教)の中心地でもありました。
 この火の国であえてCOP29が開かれたのには,何か深い理由があったのでしょうか。もはや気候変動への取組みに時間的猶予は許されないなか,火が燃え続けているこの国での会議で,対立する先進国と途上国の参加者たちは何を感じたのでしょうか。
 ところで,燃焼は,燃料と酸素(O)があり,それに熱エネルギーが加われば起こる現象なので,酸素(O)は不可欠ですが,Cを含む炭素化合物以外のものを燃料にすれば,二酸化炭素(CO2)は発生しません。水素(H)が期待されているのは,そのためです(水,すなわちH2Oができるだけです)。アンモニア(NH3)もそうです。ただし,アンモニアには窒素(N)が含まれているので,燃やすと窒素酸化物(NOx)という有害物質を発生させます。窒素を含む化学肥料は,生物の成長には役立つのですが,それが大気や土壌に流出すると環境汚染につながります。とくに一酸化二窒素・亜酸化窒素(N2O)は,CO2CH4(メタン)と並ぶ,大きい温室効果(太陽エネルギーを地表に閉じ込める効果)があり,さらに,紫外線を抑えているオゾン(O3)の層を破壊する効果もあると言われています。CO2を出さなければ,それで大丈夫というものではないのです。
 SDGsは,Marx(マルクス)が宗教について言ったのと同じような「大衆のアヘン」だと言う人もいます(斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020年,集英社))。その趣旨はわからないではありません。SDGsの運動に取り組んでいれば,それで十分というわけではなく,次のステップ(斎藤氏であれば資本主義にブレーキをかけること)に行かなければならないということでしょう。SDGsが資本主義の免罪符になっては困るということです。それはあたかも,Marxが,宗教が資本主義のもたらす害悪の鎮痛剤となり,共産主義への移行に向けて立ち上がる気持ちを奪うことを危惧したのと同じということです。
 ただ,まずはSDGsの意識を高め,とりわけ気候変動問題について一人ひとりが考えていくということは大きな意味があると思っています。これだけ資本主義にどっぷりつかっている私たちの生活を,暴力革命によらずに変えることは容易ではありません。だからといって暴力は容認できません。SDGsは,「アヘン」であっては困りますが,何が問題であるかを考えるためのきっかけにするため,こういうスローガンを掲げること自体は悪くないと思っています。そうした個人の意識改革の広がりの威力は軽視できないと思っています(斎藤氏の提唱する「脱成長コミュニズム」も,それを支持するかどうかはともかく,こうした意識改革に大きな影響を及ぼすものとなるでしょう)。とはいえ,時間がないことは否定できないのですが。

 

 

2024年11月 9日 (土)

ガラスの天井?

 Harrisの敗因はいろいろあるでしょうが,彼女の責任以上に民主党の責任が大きいかもしれません。若者から圧倒的な支持を受けていた民主党の重鎮バーニー・サンダース(Bernie Sanders)は,「民主党を牛耳る大金持ちや高給取りのコンサルタントは,この悲惨な選挙戦から本当に教訓を学べるのか。何千万人もの米国人が抱える政治的疎外感を理解できるのか。おそらくできない」と指摘し,今回の選挙戦を主流派の失敗と批判しました(日本経済新聞11月7日電子版「ハリス氏大敗の裏に「消去法でトランプ氏」 経済失政響く」)。
 そもそもBiden大統領の撤退が遅すぎたことも一因でしょう。アメリカ国民の過半数は理念より経済を重視し,現状に不満があるため,現政権が勝つのは相当難しかったともいえます。そう考えると,Harrisはむしろ善戦したのかもしれません。中絶権,環境保護,移民への寛容さといった理念は批判されにくいものの,これでは「明日の自分たちの生活はどうなるのか」という不安が生まれます。対して,移民に対する不寛容,貿易の保護主義などを掲げたTrumpは,「食べていけるアメリカ人」という分かりやすいイメージを提供しました。彼自身が大金持ちで脱税疑惑があり,道徳的に問題があっても,彼しか頼れる人がいなかったということでしょう。まさに「消去法」でTrumpが選ばれたのです。
 ただ,気になるのは,アメリカでもやっぱり女性の大統領は無理だという声があったことです。多くの男性有権者が男性であるという理由だけでTrumpに票を入れたのであれば,アメリカでも,女性にとっての「ガラスの天井」があるという厳しい現実を示していることになります。もっともHarrisも,女性・黒人・若さを強調しており,これも属性によって人を見ることのあらわれといえます。
 話は変わりますが,将棋の西山朋佳女流三冠が受けている棋士編入試験の第3局では,棋士側の上野裕寿四段が勝利し,西山さんは1勝2敗となり,後がなくなりました。ただ,今回はどうか分かりませんが,いつかは女性の棋士が誕生するでしょう。そうなると,現在女流棋戦における妊娠中の福間香奈女流五冠のタイトル戦の扱いのようなことが問題になるかもしれません。福間さんは,白玲戦や女流王将戦では,本人の対局日変更の要望が通らず不戦敗となり,タイトル奪取はなりませんでした。女流王座戦は第1局だけ行われ,第2局以降は対局日が出産後の2月に変更されました。さらに,11月に開催予定であった倉敷藤花も出産後に変更されました。5つもタイトルを持ち,さらにタイトルの挑戦もしているトップ中のトップにいる福間さんには,次々とタイトル戦がやってきます。棋士も女流棋士も若い方が強い傾向にあるため,今後,妊娠した女流棋士の公式戦の扱いを検討する必要があります。実際,日本経済新聞の電子版10月30日には「日本将棋連盟は女流棋士の出産に関する規定を整備する方針を示した。出産に伴う休場期間が対局と重なり,対局日程の変更が困難になった場合,対局料の補償や次期トーナメント戦での優遇措置を検討する。地方開催が多いタイトル戦に関しては,対局日のほか対局場所の変更も柔軟に対応する」とありました。
 もし女性の棋士が誕生した場合,名人戦や竜王戦などがどうなるのかを考えておく必要があります。いまは女流棋戦だけの話で,一般の棋戦は棋士は男性だけで問題となっていませんが,いつか女性がタイトル戦に登場する日が来るかもしれません。そのとき,女性棋士が妊娠などを理由として,対局日の変更を求めた場合にどうするかを検討しておくべきでしょう。個人事業主である棋士ですが,フリーランス法でも妊娠・出産などへの配慮規定があるため(13条),同法が将棋の棋士に直接適用されるかどうかはさておき,日本将棋連盟も,社会的な責任という観点から,何らかの配慮をすることが求められるのではないかと思われます。

2024年10月24日 (木)

鈴木焦点の焼き打ちと島耕作

 この夏に起きた「米騒動」は,日本史で習う,1918年に魚津から広がった米騒動とは異なるものですが,神戸に住んでいる人にとって「米騒動」という言葉は,やはりドキッとする響きがあります。この米騒動は神戸にまで飛び火し,812日には,当時世界有数の企業になりつつあった鈴木商店が焼き打ちされる事件を引き起こしました(神戸新聞社も被害を受けています)。鈴木商店は神戸を拠点に,財閥系企業に伍して世界有数の企業へと成長しましたが,1927年の昭和金融恐慌で破綻してしまうという,劇的な運命を辿った会社です。鈴木商店が残したものは,その後の日本経済にも数多く引き継がれています。
 鈴木商店が焼き討ちされた理由は,米騒動の中で「米を買い占めている」という噂が流れたからです(その直前に行われていた小麦の買い占めと混同された可能性もあります)。とくにその噂に基づいて鈴木商店を批判していたのは大阪朝日新聞でした。しかし,その根拠は非常に怪しく,証言者として名前が挙がっていた人も,実際には伝聞に基づいており,鈴木商店の社員が買い占めをしているところを直接見たわけではありませんでした。鈴木商店の経営は,大番頭の金子直吉が担っていましたが,金子はこの報道に対して一切言い訳をしませんでした。人々は「新聞が書いているから正しいだろう」と信じ,噂がどんどん広がっていくという悪循環をたどります。城山三郎『鼠―鈴木商店焼打ち事件―』(文春文庫)は,この偽情報がどのように広がっていったかについて丹念に取材し,鈴木商店の「冤罪」を晴らしています。このときの偽情報の形成過程は,SNS時代の今日においても,多くの教訓を与えてくれるものだと思います。
 ちょうど先日,弘兼憲史の漫画『社外取締役 島耕作』で「沖縄辺野古の抗議活動にアルバイトが参加している」という伝聞情報を断定的に書いたことで批判され,出版社と弘兼氏が謝罪声明を出しました。私はこの漫画を読んだことがなく,今回も前後の文脈がわかっているわけではないので,この件での具体的なコメントはできませんが,一般論としては,フィクションであることが明らかな漫画の登場人物のセリフにおいて,厳密な裏取りまでは求められないと思います。ただ,この漫画は,そういう曖昧なことが許されないくらい,影響力のある作品だということなのでしょうかね。リアリティを追求しすぎると,読者が,何が現実で何がフィクションかがわからなくなることがあります。成功した作品こそ,フィクションであることを一々断っておかなければならないのかもしれません。
 話を鈴木商店に戻すと,城山三郎の本の内容が正しければ,大阪朝日新聞の罪は重いと言えるでしょう。勝手な推論や思い込み,そして政治的な対立(私は新聞が政治的に中立であるべきだとは考えていませんが,事実が歪められてはいけないと思います)などが,真実を見る目を曇らせるのです。私たちは常にメディアに対して注意を払わなければならないということです。
 フェイク情報に踊らされないためのリテラシーが,ますます重要になっています。情報を発信する側も,受け取る側も,常に気をつけていかなければならないことです。

 

 

2024年9月28日 (土)

袴田事件に思う

 静岡地方裁判所で,元死刑囚に対して無罪判決が言い渡されました。裁判官は,検察による証拠の捏造を断罪し,袴田さん側に謝罪しました。検察は捏造の根拠が示されていないとして不満を示しており,控訴の可能性もありますが,そういうことをすると、世論の反発が強まることが予想されます。これは,一人の人生(おそらくお姉さんの人生も含めれば二人の人生)を大きく狂わせる,取り返しのつかない出来事となったかもしれないのです。そのことを思うと,冷静にこの事件をみていられません。
 もちろん,事件の真相は依然として不明ですし(誰が犯人かわからない),最も気の毒なのは被害者であることに変わりはありません。しかし,事件の悲惨さから,安易に犯人を特定しようとすることがあってはなりません。刑事裁判には冤罪を生まないための厳格な手続が定められており,それが法的正義を実現するためのものです。いったん判決が確定したあととはいえ,再審手続のハードルが非常に高い現状は,手続的正義としてどうなのかという疑問があります。再審は例外的な手続かもしれませんが,冤罪を防ぐ最後の砦でもあります。
 検察が証拠を捏造したとは信じたくありません。しかし,袴田さんの血痕がついた衣類が,事件発生から1年以上経って発見されたという不自然さは,どうしても疑問を禁じえません。血痕が1年後も残っているかについては専門家の意見が分かれているようですが,発見の経緯も含め,静岡地裁は踏み込んだ判断を下したのでしょう。「捏造」という言葉が使われなければ,検察も人道的な配慮から控訴を断念しやすかったかもしれませんが,裁判長は,裁判が終わらないリスクを理解したうえで,それでも検察を厳しく断罪する必要があると判断したのかもしれません。
 一人の冤罪も許さないという観点からすれば,疑念が残る証拠で有罪判決(ましてや死刑判決)を下すことは,人権の観点からは、当然、許されるべきではありません。過去にも村木事件のように,証拠の捏造が明らかになった事件がありました。検察は,半世紀以上前の事件のことに,いつまでもそのメンツにこだわるべきではなく,人道的な観点からこの事件に終止符を打ったほうがよいと思います。
 昨日の日本経済新聞の社説では,「現行の刑事訴訟法には再審手続きに関する規定がほとんどなく,検察側が持つ証拠の開示がされないため,再審が認められるハードルは非常に高い。これが長期化の要因となっている。再審請求手続きにおける証拠開示の制度化や,検察の抗告禁止を含む法整備を早急に検討すべきだ」と指摘されていました。私もそのとおりだと思います。ただし,政治家に任せきりにしてしまうと,これをきっかけに,自分たちの利益を守るために(再審の問題を超えて)検察権力を制約するようなものができるおそれもあります。有識者の視点を取り入れたうえで,客観的かつ信頼性のある法整備が求められます。

2024年9月24日 (火)

不平等条約

 自民党の総裁選の党主催の那覇での演説会で,石破茂氏が,日米地位協定の見直しに着手すべきと言及したことが話題になっています。那覇に行ったからリップサービスで発言したというような軽いものではなさそうです。石破氏自身,安全保障の専門家を自認しているのであり,日米地位協定のもつ意味や見直しの難しさは十分にわかったうえで,あえて,これまでのような運用の改善だけでは不十分ということで思い切った発言をしたようです。勇気ある発言であり,なお沖縄を苦しめている米軍基地問題について,中央の政治は見捨てていないということを示した点でも意味があると思います。
 日米地位協定17条というのが問題の条文です。私は専門家ではないので,この条文の意義について詳しく解説することはできませんが,はなはだ素人的なコメントとしてあえて言うと,治外法権ではないにしても,日本の司法権がかなり制限されていることは間違いないでしょう。軍の公務中の事故や事件とされたら,実際上手出しができなくなり,アメリカの配慮にすがるということでは,情けない気がします。一応,この点に関する外務省の関連するサイトのリンクを張っておきます。
 次元が違う話かもしれませんが,江戸幕府の末期に,列強から不平等条件を押し付けられたとき,その内容として,関税自主権の喪失と並ぶものとして領事裁判権があったことは,日本史で習うことです。明治政府は,これは日本が欧州のような法治国家になっていないことが原因だと考えて,欧州化を進めていき,ようやく1894年に,陸奥宗光の外務大臣のときに,イギリスとの日英通商航海条約により領事裁判権の撤廃をはたしました。ノルマントン(Normanton)号事件(イギリスの船が和歌山沖で座礁し,イギリス人ら船員は救命ボートで脱出して日本人に救助されたが,日本人乗客25人は全員死亡したという「不自然」な事件で,領事裁判権による裁判で船長は微罪にとどまった)により,日本の世論が条約改正を強く求めたことも後押ししました。イギリスに続いて,アメリカ,フランス,ロシア,オランダとの間でも同様の改正がされました。関税自主権も含め,不平等条約が完全に撤廃されたのは1911年で,明治も終わろうとしていました。半世紀以上,日本は外国と不平等な状況に置かれていたのです。
 明治政府の努力はたいへんなものであったと思います。現在の沖縄の問題は,もちろん世界に展開する米軍との間では,沖縄だけで解決できるものではないのかもしれませんが,絶対に個別の解決ができないものともいえないでしょう。ノルマントン号事件のときに,当時の日本人が味わったであろう屈辱感と同じようなものを,沖縄の人たちがずっと持ち続けているかもしれないのです。しっかりした戦略と理論武装をしなければ打開できないものでしょうが,陸奥宗光がやったような粘り強い外交で,少しでも沖縄の人が納得するような地位協定の見直しが実現できるか,これからの政府の対応に注目してこうと思っています(だからといって,必ずしも石破氏が首相にふさわしいと言っているわけではありません)。

*なお,「日本外交の父」と呼ばれる陸奥宗光については,昨年,日本経済新聞の朝刊で,辻原登「陥穽 陸奥宗光の青春」が連載されていて,愛読していました。現在は単行本になっています。その波乱に富んだ人生(投獄された経験など)は,実に興味深いです。

2024年9月16日 (月)

所得税の源泉徴収廃止提案について考える

 河野太郎氏が国民全員に確定申告を義務づけ,源泉徴収を廃止する提案をして話題になっています。現在,源泉徴収されている会社員が全員確定申告を行うようになると,税務職員の負担が増すという反対意見もありますが,全員がe-Taxを利用すれば,負担はそれほど増えないのではないかと思います(マイナンバーカードも,もっと広がるでしょう。返納したような軽率な人は後悔しているのではないでしょうか)。むしろ,気にすべきことは,現在の制度における企業の負担です。年末調整の事務料は半端ではないでしょう。今年の定額減税でも,大変だったのではないでしょうか。
 納税者の負担も指摘されていますが,これまで確定申告をしてこなかった普通の会社員であれば,申告はシンプルに行えるはずです。慣れれば,パソコン上で15分ほどで終わると思います。私のように原稿料などの雑所得がある場合は,それを手作業で入力する必要がありますが,手元に源泉徴収票があれば,時間はそれほどかかりません。私はパソコンで申告していますが,スマホを使えばもっと簡単にできるかもしれません(実際には試したことがないので何とも言えませんが)。
 
副業が一般化し,フリーランスになることが増えると予想されるなか,若者は今から確定申告に慣れておいたほうがよいでしょう。確定申告を導入すると,未納者が増えることが懸念されていますが,これは国のサービスを受けるためには税金を支払うことが当然であるという教育を子供のころからしっかり行うことで改善を図るべきことがらです(ちなみに自民党の裏金問題は,所得税の未納問題に関係しています。日本という国のことをほんとうに考える保守政治家であれば,自身の納税がクリアにすることは最低限の義務でしょう)。
 確定申告すると,自分たちの払った税金がどう使われるかに対する意識も向上するはずです。所得控除や税額控除の項目については,その背景にどのような政策的意図があるかを探るのも勉強になるでしょう。政治への関心も高まり,そうなると民主主義の活性化につながるかもしれません。
 もちろん,将来的には,納税が自動的に行われ,確定申告も不要となる時代が来るかもしれません。これについては,費用の控除は自動化できないという意見もありますが,AIが自動的に算定し,異議がある人だけが申告するという方法も考えられます。現在でも,給与所得控除において概算的な費用計算が行われているため,費用計算の自動化はそれほど突飛な発想ではないと思いますが,いかがでしょうか。

2024年9月 2日 (月)

大学から研究者が消える?

 今朝の日本経済新聞の社説に,「若手が研究に専念できる時間を増やせ」というものがありました。これまでも大学研究者の多忙ぶりは何度も記事になっています。今回の記事では,とくに医学部のことを念頭においたことが書かれていますが,文科系にも多くの部分が該当します。大学では無駄な作業が多すぎるので,効率化や外部委託などを真剣に考える必要がありますが,現状ではマネジメントのセンスが欠如しています。最も重要なのは,研究者に必要な資源(カネ,時間など)をどのように提供するかです。研究者はもともと高いモチベーションをもっており,インセンティブをあえて提供する必要はありません。むしろ,そのインセンティブを損なうようなことを避けることが,大学の人事管理において重要です。このような視点をもつ大学がどこまで存在するでしょうか。
 現在,東大法学部の学生でも,官僚を志望する人が減っているといいます。東大卒の官僚や官僚出身の政治家が,知性のない(きつい表現で申し訳ないですが)首相に振り回されている姿をみると,官僚になる意欲を失ってしまうのも理解できます。つまり,官僚ブランドが低下し,民間企業で活躍したいと考える若者が増えているのです。知的エリート層に国を思う気持ちがないわけではないでしょう。ただ,自分が国のために何ができるかを考えたとき,官僚になることがプラスにはならないと考える人が多いということでしょう。知的エリート層が政治や行政に目を向けなくなる社会の未来は暗いものです。
 同様に,博士課程の進学者らが,大学の研究者となることを避ける可能性も危惧されます。たとえば民間の研究所やシンクタンクのほうが自分の能力を発揮できると感じる人が増えることが予想されます。これは大学教授ブランドが低下していることと関係しています。数年前から,国立大学での就職を望む研究者のなかには,「大学のセンセイになる」ことが目的で,必ずしも研究を行う動機をもたない人が増えているように思えます。国立大学が教育機関としの役割を強化すること自体は悪いとは言えませんが,それだけなら,学費の安い学校ということになるだけで,私立大学でも奨学金を充実させるよう国が助成すればよいともいえます。ましてや,国立大学で教える教授陣の研究能力が下がり,質の低下が進むと,その存在意義が失われるおそれもあります。そうなると,研究の志のある若者はますます大学の研究者になることを希望しなくなるでしょう。
 こうした動きは,もはや避けられないかもしれません。研究者を希望する人にとって魅力的な環境をどのように整備するか,それを文部官僚が頭で考えても答えはでないでしょう。研究者目線での取り組みが求められますし,文科系と理科系では状況がかなり異なることも考慮すべきです。早急にこの問題に手を付けなければ,(真の意味での)研究者が大学から消えてしまいかねません。

2024年8月18日 (日)

南海トラフ地震臨時情報とは何だったのか

 817日の日本経済新聞の春秋と社説で,地震情報のことが採り上げられていました。地震予知はできないし,そのために予算を注ぎ込みすぎることへの問題点は,以前から指摘されてきました。島村英紀氏の戦いなどは,その著書『私はなぜ逮捕され,そこで何を見たか。』について,かなり前にBlogでも採り上げたことがありました。また,まだ読んでいないのですが,小澤慧一氏の『南海トラフ地震の真実』(東京新聞)も,どうも南海トラフの地震確率の高さへの疑念を告発したものだそうです(小澤氏の署名記事「南海トラフ地震30年以内の発生確率「70~80%に疑義 備えの必要性変わらないけど…再検討不可欠」もあります)。
 いすれにせよ南海トラフは来ることは間違いないので,用心を怠ってはならないのは言うまでもありませんが,今回の臨時情報は,地震のことを忘れるなという警告にはなっても,おそらく想定以上に人々の行動を縛ってしまい,観光業などに大きな打撃を与えてしまったかもしれません。そもそも,南海トラフの西端のほうで起きた地震について,静岡あたりから紀伊半島,四国,そして九州南部まで延びる一連の地域のどこが危ないかはわからないのであり,1週間という期限も地震に対する警戒期間の区切り方としては,あまりにもいい加減ということで,もしかしたら,今回は強すぎる警告であったのかもしれません。
 「春秋」では,かつて,統計に基づき50年内に大地震が起こるという予測に対して「浮説」として批判した学者が,実際に18年後に関東大震災が起きたために逆に批判されることになったという話を紹介しています。南海トラフ地震は確率としては,言われているほどは高くないかもしれませんが,明日,起こるかもしれないのです。地震確率の発表は,地震が起きたあとに,だから「言ったでしょ」という政府からの言い訳に使われそうですし,確率が低いとされているところでも,実際に地震は起きているので,その場合は,「地震の予知は難しい」というのであり,結局,確率などあまり当てにならないということです。
 社説では,今回の臨時情報について,「危機感を伝え,備えてもらうことで,被害を減らす狙いがある。発表時の記者会見で『普段よりも確率が高まった』と説明しながら『必ず発生するわけではない』と付け加えた。戸惑った人も多いだろう。背景情報を含めて,ていねいに説明すべきだった。」と書いています。そのとおりです。テレビでは,政府の人がそれなりの説明をしていましたが,誰に向けて説明しているのかわからないような,一般市民には伝わらない内容でした。結局,記者会見の内容からすると,政府側も地震の予知などできないことがわかります。しかし,政府は,もともと高い確率を発表しているなかでの「臨時情報」なので,一般市民がそれにより警戒感を高めるのは当然です。そして,1週間過ぎたから解除したとなると,今度は警戒感を弱めることになってしまいます。これこそ,政府の発表が,防災について誤誘導していることにならないでしょうか。いずれにせよ,地震対策は,コロナのときと同様,政府情報に振り回されずに,自分が信じられる情報を自分で見つけることが大切です。ただ,そうなると,何のための政府なのでしょうね。

より以前の記事一覧