労働法

2024年2月14日 (水)

LSの授業で学生に何を伝えたいか

 昨日のLSの話の続きですが,昨日で今期のLSの授業はすべて終わりました。私はLSの講義では,司法試験対策ということはあまり意識せず,労働事件を扱う将来の実務家を育成するという意識をもって授業をしています。試験に役立ちそうなことは,私ではなく,実際に試験を突破してきた実務家の先生の授業がありますので,そちらに委ねることにし,私のほうは,判例を素材に,生の事件に向き合い,そこで法的な知識をどう活用して,事件を処理していくかということに重点をおいた授業をしているつもりです。裁判所の判断が必ずしも正しいわけではなく,最高裁判例を絶対視する立場にはありません。
 判決の実質的妥当性となると,これは価値観の問題にもなってくるので,なかなか簡単には結論が出せません。労働法の事件では,労働者保護の結論になれば実質的に妥当であると言いやすい事例が多いとはいえ,そのようなケースばかりではありません。私の立場は,納得規範によるというもので,企業がどこまで労働者に納得を得るように誠実な説明をしているかということをポイントに評価しようと思っています。人事上の諸措置は,基本的には,就業規則に基づいて行わなければなりませんが,形式的な根拠があるだけでは不十分で,いかに具体的な措置をとる段階で労働者に向き合って誠実に説明したかに着目するのです。そして,それをしていた企業には,プラスの評価をするという解釈をとるのです。
 集団的労使関係でも,労働組合への誠実交渉というのが,やはりポイントになります。労働委員会の実務では,企業がしっかり誠実交渉をする態度をとって労働組合と向き合っているかを重視して,紛争解決に取り組んでいます。
 法的な解釈問題はいろいろありますが,結局のところは,個別労働関係にしろ集団的労使関係にしろ,相手と誠実に向き合う姿勢がトラブルの回避や解決に役立つのです。そうしたことを解釈論に取り込もうとしているのが,『人事労働法』(弘文堂)です。

 

2024年1月 4日 (木)

年次有給休暇の取得推奨

 3日前に,地震の際の本の落下の危険について書きましたが,どうも落下防止テープなるものがあるようであり,そのテープは貼っても本の出し入れに困らないようなので,勤務先の大学の事務に在庫があるかたずねてみようと思います。
 ところで,14日は御用始めのところが多いでしょうが,勤務先では年休取得推奨日になっていました。自由年休だけであった時代は,年休をいつ取得するのか(時季指定権の行使時期)の判断は労働者の自由でなければならず,使用者は「事業の正常な運営を妨げる場合」にしか,年休に介入できませんでした。その後,計画年休制度ができて,5日を超える部分は,労働者の時季指定権を取り上げられる可能性が出てきましたし,さらに「働き方改革」で,「年5日の年休の確実な取得」が,使用者の義務になったため,年休の取得について,使用者からの圧力(?)がかかるようになりました。年休の法的性格は変わったのです。
 ただ,私見では,年休は,5日に限定せず,すべての日数を,(労働者の時季指定や計画年休の有無に関係なく)使用者の付与義務とすべきだと考えており,現行法は半端な内容だと思っています。理想は,エグゼンプションを広く認め,休息は個人の裁量でとれるようにし,あえて現行法の年次有給休暇という形での休息をとらなくてもよいような働き方が広がることです。ただ,現状では,そこにまで至っていないので,当面は年休法制を残さざるを得ないでしょうが,現在の労働者の時季指定による取得という方法は,自由な働き方ができる自己管理型従業員にこそ適用すべきものと考えています。それ以外の(伝統的な働き方をする)旧来型従業員には,年休はその名のとおり年ごとにすべて取得できるようにすべきです。具体的には,労働者が1年内にその保有する年休を取得できそうにないなら,使用者のほうから労働者の希望を聞きながら完全取得をさせなければなりません。私は,これは立法論ではなく,解釈論としても成り立つのではないかと考えていますが,学説上は誰からも相手にされていないので「珍説」なのでしょう(こうした扱いは,とくに珍しいことではありませんが)。詳しくは,拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)の189~190頁を読んでみてください。

2023年12月27日 (水)

保護からサポートへ

 厚生労働省の「新しい時代の働き方に関する研究会」報告書では,労働者を「守る」と「支える」の2つの視点が重要とされています。「守る」視点とは,「全ての働く人が心身の健康を維持しながら幸せに働き続けることのできる社会を実現するためには,いかなる環境下においても全ての労働者に対して守るべきことがあるという」視点,「支える」視点とは,「全ての働く人が活躍し,やりがいを持って働ける社会を実現するために,働く人の多様な希望に応えることができるよう,働く人の多様な選択を支援する必要があるという」視点とされています。
 報告書のなかの具体的な検討事項については,厚生労働省のやりたい政策がそれとなく埋め込まれて誘導されている可能性があるので,その適否についてしっかりみておく必要がありますが,それはさておき,これまで私がフリーランスの問題において「保護」という言葉を使わず,「サポート」という言葉を使うよう気をつけてきたのは,まさに「守る」と「支える」の違いに対応したものであったといえます。つまり「保護」は,従属労働者に対して与えるもので,「サポート」は,自営的就労者が,その自立を実現するために与えるものです。今回の報告書の「支える」は,労働者の多様な選択を支援するというものであり,私がいう「サポート」とはやや異なるのですが,「支える」政策を突き詰めると,本来は,従属労働者の議論から徐々に離れ,自営的就労者に関する議論に近づいていくことになると思います(なお,フリーランス新法は,「サポート」よりも,「保護」に近い立法になっています)。いずれにせよ,今後の政策では,伝統的な労働者として想定していた「労働者弱者論」,「企業強者論」とは距離をおくべきであり,もし今回の報告書を受けて,労働基準法制においても,労働者の多様化を軸に,そうした方向での検討がされたらいいですね。せっかく新たな時代の問題に取り組むなら,DXも視野にいれながら,大きな議論をすべきでしょう。なお,私がおよそ10年前に執筆した「労働法は,『成長戦略』にどのように向き合うべきか」季刊労働法24728頁以下(2014年)では,従属性概念を中核とした規制の見直しを提案し,規制内容の決定レベルの分権化と規範内容の明確化を志向する議論をしていますが,この報告書には,これと通じる部分もあると(勝手に)思っています。
 さらに想起されるべきなのは,私の前記の論文よりも,さらに20年前に出されている,菅野和夫・諏訪康雄の共著論文である「労働市場の変化と労働法の課題―新たなサポート・システムを求めて」(日本労働研究雑誌418号)でしょう。そこでは「サポート」という言葉が使われていて,労働者像の多様化や労働市場における必ずしも弱者ではない労働者の登場を前提にした政策提言がなされています。労働者に対しても「サポート」という言葉が使われていますが,意味するところは,私と同じような使い方です。というか,私の用語法も,この論文から学んだものなのです。
 「保護」から「サポート」への移行は,労働法の理論体系を根本的に変えるものです。そして,それは私の頭では,従属性のグラデーション化を通して,従属性の薄い労働者を対象としたデロゲーションを認めることと,従属性はないけれど別の要保護性のある自営的就労者を対象としたサポート・システムを策定することという動きに結びついていくのです。こうした大きな絵を描きながら政策を再構築していくことが必要だと思っています。

2023年12月13日 (水)

見習い労働

 近所のスーパーのレジでは,客が少ない時間帯(夕方など),若い店員が「研修中」というプレートを胸につけて働いています。こういう風景は昔からよく見かけます。あえて「研修中」ということを示しているのは,サービスが不十分でもご容赦くださいという意味でしょうかね。スーパーのレジくらいなら,それでよいでしょうが,職種によっては研修中の人のサービスを受けたくない,研修中の人にサービスをさせるならば料金を値引きしてほしい,と言うような人もいるかもしれません。研修医の治療を受けたくないという人もいるかもしれません。私も若いころなら,そんなことを口に出さないまでも,心のなかでつぶやくことがあったかもしれませんが,いまは日本の未来を支える若い人が経験を積むことが大切だと思うので,少なくともベテランがサポートしているなら問題なしという前向きな気持ちになっています(レジくらいなら当然そうですが,医療の外科手術となるとちょっと心配ですが)。
 労働法の世界では,試用期間中であっても「労働者」として扱われることは当然ですし,通常は,特別な解約権が留保されていると解されるものの,労働契約それ自体は普通に成立していると判断されます。試用期間中の賃金については,特別の規定はありませんが,最低賃金の減額特例が認められる可能性はあります。
 ところで日本では試用期間が,実質的には研修期間としての意味をもっていることが多いと言われています。留保解約権の行使は実際には容易ではない(あるいは有効性の判断についての予測可能性が低い)こともあり,試用期間は,実際には,雇用継続を前提としたうえでの見習い的な期間という位置づけになっていると思われます。そうした見習い期間の賃金を多少なりとも低くすることは,期間はそれほど長くないはずなので,企業の教育コストを考慮し,かつ,本人のスキルアップの利益も考慮すると,通常はとくに問題がないと思われます。
 一方,イタリアでは,見習い労働者(apprendistato)は,労働協約上の賃金等級が引き下げられています(イタリアの労働者は職務給ですが,同じ職務に従事していても,見習い労働者であれば,賃金が低くてもよいのです)。情報が古くなっていますが,拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,日本労働研究機構)で,2003年当時の見習い労働の規制内容を比較的詳しく紹介していますので,関心がある人は読んでみてください(44頁以下。現在では,見習い労働は,2015615日委任立法8141条以下で規制されており,時間ができればしっかり勉強したいと思っています)。
 日本において,見習い労働をめぐる明確な法制度はありませんが,研修や見習いの期間は,労働契約の期間であるとはいえ,通常の労働契約とは違う面があると考えて,これを解釈論に反映させることはできるでしょうか。そんな問題意識は前から持っていたのですが,改めてKLM国際航空の東京地裁判決(2022117日)をみて,気になってきました。いまこの会社は,日本人客室乗務員との間でいくつかの訴訟が起きていますが,この事件は,無期転換ルールの5年要件において,当初の訓練のための契約2カ月分が算入されるかが問題となっています(算入されるかどうかで無期転換が生じるかどうかが決まります)。裁判所は,訓練契約が労働契約であるかどうかは,労働者性の問題であるとし,結論として,これを肯定しました。現在この会社では,訓練は訓練契約ではなく,通常の労働契約の期間内で行われているようなので,今後こういう紛争が起こらないのかもしれませんが,この事件では,過去の訓練契約の期間の法的な性質が問題となっています。東京地裁のように労働者性の問題としてみれば,それを肯定する結論になるのは自然なように思えます。この事件を,学生のリクエストで大学院でとりあげたときに,私が論点として指摘したのは,労働者性の問題よりも,無期転換ルール(労働契約法18条)の問題ではないか,ということです。たとえば,大学教員任期法では,TATeaching Assistant)らは,学生として在籍している期間は,年数要件に算入されないと明記されています(72項)。このほか,年数要件には10年の特例があるなど,そもそも形式的な年数で無期転換申込権を付与することに無理があることがわかるのですが,試用期間についても,本来はTAなどと同様に,通算契約期間から除外することがあってよさそうです。今後,技能育成について企業に一定の負担をしてもらうという政策をとるならば,研修や見習い段階の労働の法整備をきちんとして,企業への訓練の義務づけと合わせて,その期間内は労働法や社会・労働保険の特例を定めるというような見習い労働法の制定を考えてみたらどうでしょうか(トライアル雇用など,散在する既存の仕組みを整理することも含みます)。そのなかには,無期転換の特例を組み入れることも当然含まれてくるでしょう。

2023年11月30日 (木)

裁量労働制の同意の撤回について

 私たち大学教員にも適用されている専門業務型裁量労働制は,新たに労働者の同意を得ることなどが,労使協定に定める事項として追加されたのです(追記:施行は2024年4月ですが,それまでに対応が必要)が,その同意は撤回も可能とされています。でも,もしほんとうに撤回すればどうなるのでしょうかね。就業規則の規定の仕方によりますが,専門業務型裁量労働制の適用が例外的な位置づけであれば,本来の労働時間制度にもどるのだと思います。ただ,企業によっては,ある部門において,全従業員を専門業務型裁量労働制の適用を前提に採用していて,もし制度の適用を望まないなら採用しなかったであろうということもあります。同意をしなかった労働者に対して不利益取扱いをしないことも労使協定で定めるべき事項なのですが,では実際に上記のようなケースで,一人だけ同意を撤回したら,どういうことになるのでしょうか。
 ところで,専門業務型裁量労働制においても,労使協定の締結がされているだけでは対象労働者に当然に適用されるわけではなく,個人の同意や就業規則の合理的な規定が必要と解すべきものでした(追記:労基法上は同意が不要であっても,労働契約上は労働条件の変更なので必要ということです)。その意味で,法律で同意要件を課す(厳密にいうと,労使協定の締結事項に追加すること)のは,就業規則の合理的な規定ではいけないという点に意味があるといえました。人事労働法の観点からは,もともと就業規則の合理的な規定ではだめで,適用対象となる労働者からの納得同意(単なる同意では不十分)を得ることが必要となります(同書では企画業務型裁量労働制について,拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)179頁)。ただ,いったん納得同意をした場合の撤回に対して制約を課すことは認められるべきだと思っています。労基則では,労使協定について同意の撤回の手続を定めるべきとしていますが,就業規則で,その手続をかなり厳格な内容とすることは許されるのではないかと思っています(撤回についての制限については,拙稿「キーワードからみた労働法 第185回 裁量労働制」ビジネスガイド202212月号82頁を参照)。
 裁量労働制などにおける本人同意の要件は,それが労働者に不利益な効果をもつという点で例外的であり,一種のデロゲーションを定めたといえるので,撤回権を認めてバランスをとるという発想もありえるのですが,私は本人の同意(納得同意)をしっかりチェックするのが本筋ではないかと思っています。撤回権は労働者の権利であると言い出すと,十分に保護しなければならないという議論になりがちですが,それでよいでしょうか。それに,いったん撤回したけれど,やっぱり同意をすると労働者が言い出したとき,企業はそれを拒否できるのでしょうか(裁量労働制は,必ずしも労働者に不利とは限らないので,こうした同意を申し出る人が出てきてもおかしくないのですが,それは法の想定外のことでしょう)。
 一般論として労働者にとって不利益となる同意の撤回という法制度はあってよい気がしますが,労働時間規制(裁量労働制や高プロなど)において,こういうものを導入すると,いろいろ混乱が生じる気がします。実務上は,なにか問題は起きていないのでしょうかね。

2023年11月27日 (月)

受忍義務説と労働法的パトス

 今日のLSの授業では,団体行動権を扱ったのですが,学説の対立がなぜ起こるのかということの説明に力を入れすぎてしまいました。プロレイバー(prolabor)とは,なにかということです。初期の文献を読むと,戦後,団結権が憲法で保障され,なんとか,この団結権を解釈にいかして,労働者や労働組合の権利を拡大していこうとした労働法学者の情熱がよく伝わってきます。そうした情熱は運動論と法解釈論との融合という形をとったのですが,徐々に日本社会も豊かになり,熱気は少しずつ冷め,最高裁の冷淡な態度もあり,労働法の主流が,法解釈論としてのブラッシュアップを重視する方法論をとるようになっていきます。たとえば,企業施設を利用した組合活動といっても,使用者の所有権や占有権を無視できるのであろうか,使用者の権限を制限する受忍義務説の根拠が憲法28条の団結権だけでは不十分ではないか,そもそも労働組合には団体交渉権があるのであり,そこでしっかり交渉して企業施設の利用についてのルール形成をすればよいではないか,こういう「冷静な」最高裁の判断が説得力をもつようになるのです(学説のなかでは,山口浩一郎先生や下井隆史先生らが,反プロレイバーの「再入門学派」として強烈な問題提起をしました。『労働法再入門』(1977年,有斐閣)を参照)。しかも,最高裁は,企業の所有権や占有権を絶対視するわけではなく,特段の事情があれば例外もありうるとするバランス感覚ももっていました。それ以上の組合活動の保障は,フランスやイタリアに例があるように,立法で解決すべきなのであり,解釈論として受忍義務を認めるのには限界があるということです。こういう整理は,文章にすると,とても説得力があり,LSの学生にとっても理解しやすいでしょう。でも,それではちょっとつまらないのであり,資本主義社会の限界なんてことが言われている現在ですから,資本主義社会のなかで,資本の論理に対抗する原理を憲法28条に見出して,運動論的と言われながらも,なんとか労働者の保護のために解釈を展開しようとしたプロレイバーの努力もみてほしいなと思い,少しそうしたことを授業では語りました。
 私も,いちおうは菅野シューレの末席を汚しており,研究者としては,法解釈と運動論は区別するのは当然と思っていますし,再入門学派の系譜にあると自分では思っています。しかし教育者としては,実務家候補生には,ロゴス(論理)だけの労働法を教えるのではいけないとも思っています。学生たちには,1979年の国鉄札幌運転区事件・最高裁判決は,それとして学習してもらう必要がありますが,判例が斬り捨てた受忍義務説に学説が込めていたパトス(情熱)も理解したうえで,ロゴスとのバランスのとれた良き法曹になってもらいたいと思っています。

2023年11月14日 (火)

宝塚歌劇団問題におもう

 宝塚歌劇団の25歳の劇団員が死亡(おそらく自殺)した事件が,大きな社会問題となっています。現時点で原因として伝わってきているのは,過重業務とパワハラです。いつも言っているように,過重業務だけでは,なかなか人間は自殺まではしません(もちろん,個人の性格などもありますし,過重性の質や程度にもよります)が,パワハラが加わると,とても危険なことになります。閉鎖的な組織で上下関係に厳しいようなところでの「いじめ」問題は,組織がしっかり責任を負うべき問題だといえます。
 NHKの朝ドラの「ブギウギ」でも,少女歌劇団のことがでてきますが,先輩の絶対性と修行時代の厳しさが(それほどではありませんが)描かれていました。そういう場で,少し行き過ぎた性格の人が出てくれば,パワハラが起きてしまうということもあるのでしょう。もっとも,かつてなら,世の中はそういうものだという程度の扱いで,そこを耐えなければいけないというような精神論がまかり通っていたのでしょう。しかし,いまはそういう時代ではありません。誰一人,いじめやパワハラで死ななくてもよい社会をつくらなければなりません。
 今回の問題で,歌劇団側は,過重労働のことは認めましたが,パワハラの存在は認めていません。パワハラ該当性は判断は難しいので見解の相違ということが起こりがちですが,今後,徐々に真相が明らかになっていくでしょう。
 ところで,宝塚歌劇団では,団員との関係は業務委託契約であったようです。労働法は契約形式に関係なく適用されるので,団員が労働者と認定される可能性もあり,もしそうなると,かなりの影響がでてきそうです。団員たちの間で労働組合の結成という話も出てくるかもしれません。また,劇団側のいう安全配慮義務は,労働契約であるかどうかに関係なく認められるものであり,もし劇団の実質的な指揮監督が強ければ,義務違反は認められやすいでしょう。さらにかりにパワハラが認められると,労働契約関係になくても,フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)により,特定業務委託事業者は,適切に対応するために必要な体制の整備その他の必要な措置を講じなければなりません(14条13号)。つまり,業務委託契約であっても,委託者側には,一定の責任が課されているのです。
 このように業務委託契約であっても,安全配慮義務はありますし,ハラスメントに関する責任も避けられませんが,問題はそこから先であり,労働基準法などの労働法や社会保険の適用まであるとなると,根本的にビジネスモデルが変わるかもしれませんね。
 フリーランス新法が制定された今年,ジャニーズ問題や宝塚歌劇団の問題などがあったこともきっかけとなって,芸能人の働き方改革が進んでいくかもしれません。エンタメ業界の人も,フリーランスかどうかに関係なく,働く個人として同じなのです。従属労働かどうかで労働を分断しないほうがよいという視点が重要と指摘してきた私としても,今回の問題から,労働を提供している人は誰もが等しく(広義の)人格的利益が保護されるべきだという当然のことを,再認識できた気がしますし,こうした視点を社会にいっそう強く訴えかけていく必要があると思いました(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令)277頁では,「労働の分断」に対する疑問を述べています)。

2023年11月13日 (月)

学生の直感的違和感

 今日は,LSの授業でも,学部のゼミでもユニオン・ショップを扱いました。偶然だったのですが,LSでは『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第19講の「三井倉庫港運事件」を扱い,学部のゼミでは,日本食塩製造事件・最高裁判決を扱ったためにテーマがかぶりました。後者では,解雇のことを議論してもらおうと思っていたのですが,初学者である学生は,この判決については,解雇よりも,ユニオン・ショップに興味をもったようで,そちらのほうに意見が集中しました。たしかに,この判決は調査官解説をみてもわかるように,組合からの除名が無効であればユニオン・ショップ解雇が無効となることが言いたかった判決ともいえるので,そうなるのも仕方ないところがありました。それにしても,学生全員がユニオン・ショップに対する違和感を口にしたことは,こちらの予想を超えていました。たしかに,普通に考えれば,ユニオン・ショップ解雇が解雇権濫用とならないとする結論はおかしいと考えますよね。さらに除名が無効であれば解雇が無効であるという牽連説にも異論を唱える学生がいました。初学者の直感的な意見は正鵠を射ていることが多いので,私にも参考となります。彼ら・彼女らは,これから労働法を学習していくと,判例や通説に「毒されていく(?)」のでしょうが,法理のほうが時代後れの可能性もあるので,ぜひ批判的な精神をもって学んでもらいたいですし,こちらもそういう精神を刺激するような授業をしていかなければなりません。
 ユニオン・ショップ解雇への疑問と並んで,整理解雇はどうかということも少し議論をしました。労働者に帰責性がない解雇だから,こういうのは認められてよいのだろうか,だからといってリーマンショックやウクライナ戦争など企業にはどうしようもない事由による経営悪化であれば,企業にも責任がないのではないか,というような話になります。さらに,これからのDXの影響のことを考えると,これについていけない企業の衰退と本人のスキル不足という複合要因による解雇が起こることが予想されます。こうなると,労働法では手に負えなくなり,産業政策とリンクした雇用政策の出番となるでしょう。いずれにせよ,学生たちが社会に出ていく時代は,法律上の解雇制限が労働者保護として十分に機能するとは到底考えられないので,特定の企業に縛られずに,スキルアップを常にはかるというキャリア戦略が必要となります。学生時代は,そのための準備時期としなければならないでしょう。

2023年11月 4日 (土)

年休取得6割

 11月3日の日本経済新聞で,「有休取得,初の6割超  昨年,義務化が追い風」という記事が出ていました。見出しがわかりにくいですが,令和5年就労条件総合調査(令和4年の調査)で初めて6割を超えて62.1%となり,その原因は2018年の法改正(2019年施行)で5日までの年休の義務化が影響したということです。
 年休の義務化とは,本人が年休の時季指定したり,労使協定による計画年休で定められた日数が,5日に満たない場合には,5日までは使用者が時季指定して付与しなければならないというものです(労働基準法397項および8項)。つまり企業は,労働者が年休取得を希望しなくても,5日は必ず付与しなければならないのです。これにより,時季指定は基本的には労働者が行うものであるという原則は大きく修正されました(計画年休制度でも,労働者の時季指定権は奪われますが,労働者の過半数代表が同意をして年休日を特定するので,実質はともかく労働者側の関与が残っていました)。
 ただ,これは,日本の年休法制がそもそもおかしかったのです。年休の取得率が低いのは,労働者に一方的に時季指定をして取得しろとする仕組みにあるのであり(もちろん根本の原因は時季指定をしにくい状況があることともいえるのですが),年休というのは,本来,労使が話し合って時季・時期を特定するか,使用者が労働者の意向をふまえたうえで指定するというのでよいのです。時事通信社事件・最高裁判決でも認めているように,労働者がまともに長期継続型の「正しい」方法で年休を取得しようとすると,企業は困ってしまうということです(同判決については,拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第112事件を参照)。
 こういうことを言うと,折角の労働者の権利を放棄するのかという反論もありそうですが,現実には年休はようやく6割程度であることをふまえると,使用者の義務として100%を目指したほうがよいのです。現行法の5日までというのは中途半端であり,だから取得率も6割までしか向上しないように思います。私は年休を完全取得させるのは使用者の義務であることをベースに制度を構築すべきであるという立場です。詳細は,拙著『労働時間制度改革』(2015年,中央経済社)200頁以下をみてもらいたいですが,そこで書いたポイントは,労働者の年休は,計画年休でも労働者の時季指定でも完全消化されない場合には,使用者(雇用主)がすべて指定できるとすること,年休の翌年度への繰越は認めないこと,10日間は継続取得とすること,全労働日の8割以上の出勤という要件は削除することです。なお,ホワイトカラー・エグゼンプションが適用されるべきような自立型の労働者については,計画年休導入前(労働基準法の1987年改正前)のように,すべての日数を労働者の時季指定により特定するという方法でよいと考えています(同書207頁)。こういう人は取得したければ取得するということでよく,また時季も労働者が選べるようにしたほうがよいのです。逆にいうと,現行法の当初の規定は,ホワイトカラー・エグゼンプションの対象となるべきような人に適したものであったのです。
 もし労働時間制度について本気で改革したいと考えている政策担当者がいれば,ぜひ拙著を読んでもらえればと思います。8年前の本ですが,まだ新たな視点は得られるのではないかと思います。

2023年11月 2日 (木)

労災保険の特別加入の拡大

 今朝の日本経済新聞のトップニュースは,労災保険の特別加入を,原則として,フリーランスの全業種に拡大するという内容の記事でした。フリーランス新法の附帯決議を受けたものですが,これは労災保険制度の根幹に影響を及ぼす大きな政策変更といえます。今後,労働政策審議会の労働条件分科会(労災保険部会)で検討されるのでしょうが,そこですでに出されている資料では,論点を「1 加入対象業務と保険料率の設定」,「2 特別加入団体の在り方」,「3 災害防止措置の内容」としています。しかし,論点1のなかの「加入対象業務」と「保険料率の設定」という技術的な問題とは分けて議論してもらいたいです。
 厚生労働省の資料のなかにもありましたが,創設時の特別加入制度の趣旨は,次のように説明されています(労働者災害補償保険審議会 昭和401020日)。
 「特別加入については,業務の実態,災害の発生状況等から,労働基準法の適用労働者に準じて保護すべき者に対し,特例として労災保険の適用を及ぼすのが制度の趣旨であるので,その実施に当っては,いやしくも労災保険本来の建前を逸脱し,あるいは制度全体の運営に支障を生ずることのないよう,あくまで慎重を期する必要がある。 かかる見地から,特別加入者の範囲については,業務の危険度ないしその事業の災害率に照らし,特に保護の必要性の高いものについて考慮するとともに,特別加入者の従事する業務の範囲が明確性ないし特定性をもち保険業務の技術的な処理の適確を期しうるかどうかを十分に検討すべきであり,また将来全面適用となるべき労働者についての保険加入の促進にも資するよう配慮する必要がある。」
 ここには特別加入制度は,その対象をきわめて限定的なものとする趣旨が明瞭にあらわれています。社会保険(健康保険や国民健康保険)と違う労災保険制度の存在意義を明確にするという意味もあったと思われます。しかし,今回の改正が,希望するすべての特定受託事業者を特別加入制度の対象とするとなると,それはたんに,これまでやってきたような少しずつ特別加入の対象カテゴリーを広げていくということ(これは対象範囲の量的な問題です)とは違い,この制度の性質,ひいては労災保険制度それ自体も質的に変えてしまうおそれがあります。
  労災保険制度は,原理的には,職業上の危険というものがベースにあり,雇用労働者はその危険にさらされるから,危険が顕在化したときには使用者の無過失責任で補償されるというものです(労働基準法上の災害補償責任の責任保険)。特別加入制度は,使用者の責任というものは関係ありませんが,雇用労働者と同様の職業上の危険があるということで,任意で自分で保険料を負担するのであれば,例外的に労働者とみなして補償対象としていたのです。しかしフリーランスをみんな特別加入させるのであれば,職業上の危険は度外視されることになり,もはや労災保険制度の依って立つ原理は失われることになるでしょう。
 また,これは労働者性の問題とも密接に関係しています。特別加入の対象者は労働者でないことが前提ですが,労働者か労働者でないかをめぐる紛争は後を絶たないのであり,その点にメスをいれないまま,労働者でない人を前提とした制度を拡充していくことでよいのかも気になります。
 全フリーランスを特別加入せよという結論だけを与えられて,その解答をどううまく書くかを考えるだけの審議会では困ります。この問題については,ぜひ理論的体系性も軽視しないでもらえればと思います。もちろん,特別加入制度を設けても,自分で保険料を払ってまでして労災保険に加入したい人はそれほどいないだろうから,別にたいした影響はないというようなことで制度改正を安易に進められても困ります(そんなことはないと信じていますが)。問題はそういう実際上の話ではなく,理論的なところにあるからです。

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