労働法

2024年11月20日 (水)

育児介護休業法の改正

 育児介護休業法は,20254月以降,パワーアップしていきます。「育児休業,介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」は,その名称からわかるように,育児休業と介護休業がメインですが,その他の制度の拡充が著しいですね。どんどん制度が変わっていくので,それを追っていくのは大変です。今回の改正では,第1に,育児面では,子の看護休暇の改正が注目されます。第2に,介護面では,介護離職防止のための措置の強化が目につきます。第3に,在宅勤務(「住居その他これに準ずるものとして労働契約又は労働協約,就業規則その他これらに準ずるもので定める場所における勤務」),つまりテレワークについて,育児や介護のために講じることの努力義務が導入された点も,テレワーク推進派の私としては注目しています。
 個人的に最も気になっているのは,「子の看護休暇」が「子の看護等休暇」になり,看護以外のためにも休暇がとれるようになったことです。まず対象となる子の範囲が小学校3年生にまで拡大され,取得事由に,インフルエンザなどの感染症による学級閉鎖と,さらに「入園,卒園又は入学の式典その他これに準ずる式典」(改正後の施行規則33条の2)が追加されました。また,労使協定による継続雇用期間6か月未満の労働者を除外するということができなくなる点も重要です。入社してすぐの従業員も,この休暇をとれるということです(介護“休暇”も同様)。
 もっとも,取得事由の拡大については,コメントしたいところもあります。現在でも幼稚園の入園,卒園に両親が参加することは珍しくありません。今回の法改正は,フレックスタイムや裁量労働制の対象でない労働者が,年次有給休暇を取らなくても,その日に休暇をとることができるようにするということです。ただ,子の看護等休暇は,企業がとくに有給扱いとしていなければ,無給となるので,依然として年次有給休暇をとって参加する人はいると思います(年次有給休暇は多くの労働者は完全消化していませんので)。また,休暇取得に対する不利益取扱いは禁止されています(法16条の4)が,古い世代の上司がいて,子どもが病気や学級閉鎖の場合はさておき,(とくに男性従業員がこの休暇を取得しようとしたときに)入園式や卒園式で休むことに良い顔をしない人もいるような気がします。企業は,きちんと上司を教育する必要があるでしょう。
  そう書きながら,実は心のどこかで,ここまで法律で定める必要があるかという気持ちもあります。入園等に関する今回の追加事由は企業の任意の判断にゆだね,就業規則でこの事由を実際に追加した企業は,くるみん認定で考慮するといったぐらいのほうが適切な気がします。それに学級閉鎖も,本人が病気でないことが前提で考えると,テレワークの権利を与えるような規制も考えられたのではないかと思います。狙いは悪くないとしても,やり方をもっと考えたほうがよいということです。
 

2024年11月15日 (金)

テレワークと過労

 先日の学部の授業(法学部生以外に向けた授業)で,これからの働き方というテーマで,「ムーブレスワーク」や「テレワーク」の話をし,そのメリットとデメリットを紹介しました。ちょうど日本経済新聞(1111日電子版)で,「『在宅勤務日はフレックス』解禁 柔軟な働き方後押し」という見出しの記事が出ていたので,その内容も紹介しておきました。労働基準法制研究会でも,テレワークへの対応のため,労働時間規制について,いろいろ見直しをしようとしているようですね。やればやるほど規制が複雑になるということにならなければよいのですが。
 そのようななかで,今朝のNHKの朝のニュースで,テレワークによる過労死のことが報道されていました。テレワークであろうとなかろうと,過労になることは,十分にありえます。時間主権の回復というテレワークのメリットを活かすためには,当然のことながら,いくつかの前提があるのです。納期がきつい過重な仕事が与えられると,過労による健康障害の危険が出てくることは当然です。テレワークの場合,休息時間の確保も,実際上は自身の判断となる部分が多いでしょうから,そこでうまく自分の時間の調整ができなければ,過労に追い込まれていく危険があるのです。ただ,子どものときから,他人が決めた時間のルールに合わせることに慣れてきた人が,突然,自分で時間の調整をしろといわれてもうまくいかないでしょうし,ましてや多くの仕事が与えられ,納期が厳しいということになると,追い込まれてしまいます。
 実は研究者も,この点は似た問題があり,それが原稿の締切です。自分で納得するものを書きたいが,締切日が決まっていると,眠る時間や食事の時間などを削ってやるしかありません。もちろん知的創造性が必要となる仕事なので,時間をかければよいというものではなく,ほんとうはしっかり休んだほうが良いのですが,なかなかそういう切り替えができないこともあります。
 それでも,研究者は,文系であれば,もともと孤独な作業なので,ある程度,経験を積むと,孤立していても自己コントロールができるようになるでしょうし,そもそもきつい原稿依頼であれば,断ることができることが少なくないでしょう。しかし,多くの業種や職種では,そういうわけにはいかないでしょうから,孤立や過労を回避するために,周辺のサポートがあったほうがよいでしょう。これも,上司の仕事だということで,そのうちテレワークに特有の安全配慮義務や健康配慮義務の理論が深まっていくかもしれません。一方で,つながらない権利などの発想については,一部の労働者には,これが会社のシステムにアクセスできないという方法でされると困るという意見もあるようです。つながるかどうかは自分で判断させてもらいたいということです。つながりを拒否する権利だけを認めてくれれば十分で,つながるかどうかは自分に判断させてほしいということです。こういう自己決定を認める解釈は,労働法ではなかなか認められないのですが,そろそろ新たな発想も広がってきてほしいです(パターナリズムからの脱却)。
 「テレワークと過労」というのは,それとは対極的な「テレワークと過小労働(さぼり)」とともに,テレワークの問題点として意識されてきたものです。テレワークであっても,現行法上は,企業に労働時間管理責任や安全(健康)配慮義務があることに変わりはないのですが,これだけではちょっと足りません。必要なのは,かつての野田進先生と和田肇先生の本の名前である『休み方の知恵―休暇が変わる』(有斐閣)です。欧州に留学経験があると,日本人は休み方が下手だということを痛感します。私も2016年に『勤勉は美徳か?―幸福に働き,生きるヒント!』というタイトルの新書を光文社から出しています(Kindle Unlimited にも入っています[入れられてしまっている!?])。まじめに働きすぎなくてもよいということや,そのためにどうすればよいかということを,法制度の説明も合わせて説明しています。親の言うこと,学校の先生の言うことを聞くのはよいですが,上司の言うことをまじめに聞くことは必ずしも必要ありません。自分にとって良い上司かどうかを判断し,やりたくない仕事はやらない勇気をもつことが,過労から逃れるために必要です。これはテレワークかどうかに関係なくあてはまる話です。拙著を読んで,幸福に生きるためのヒントを得てもらえればと思っています。 

 

 

2024年9月26日 (木)

解雇規制の取材ラッシュ(?)

 自民党総裁選で解雇規制のことが話題になったことから,突然,私のところにも取材等が増えました。一昨日は大学にTBSから取材依頼があり,昨日,Zoomで取材を受けたのですが,いきなり夕方にNスタという報道番組でインタビュー内容が使われました(関西のTBSでは,私の登場した部分は放映されていなかったようです。そもそもこの番組は関西ではなじみがないですね)。
 実は,取材を受けるときには,テレビに出演するとはわかっておらず,テレビ局の記者が解雇規制のことを勉強したいのかなという程度で,事前に送られていた質問事項もきちんとみていませんでした。直前までポロシャツでいいかなと思っていたのですが,やっぱり前日,1時間だけ着ていて洗濯に出さずにハンガーにかけていたYシャツに着替えたところ,いきなりテレビで使われると言われてびっくりしました。着替えておいてよかったです。
 テレビ用の話となると多少は身構えるので,今回のような不意打ちは困るのですが,解雇のことは最近話すことが増えていたので,なんとか対応できました。途中10分のインタバーバルをはさみ,1時間ちかく話しましたが,実際にテレビで使われたのは,ほんのごくわずかでしたが(これはいつものことです)。
 解雇規制の話は,実に多くの切り口があり,多くの取材やインタビューは,聞き手の関心に応じて,個別に,私との間でいろんなストーリーが作り上げられていく感じです。ただ,中身をみると,法律上の解雇ルールとは何かという初歩的な質問があり,それに対する答えはだいたい定型的です。初歩的とはいえ,日本国民のひょっとすると大多数は解雇に関する法的ルールをわかっておらず,私に取材をしてきた人もわかっていた人は驚くなかれ,皆無です(多少知識があるとしても,解雇には普通解雇,整理解雇,懲戒解雇があるという3分類があるというところから話をしようとする人がいますが,法律家の目からは,厳密性に欠ける分類であり,初歩的な話をするときに邪魔となります。整理解雇の4要素が,あかたかも解雇一般の要件として理解されているのも困ったものです)。そのうえで現在の解雇ルールの問題は何かという話があり,これはかなり難しく,よく説明しなければ理解してもらえません。加えて,金銭解決の話がありますが,こちらは精密に話すとわかってもらえないので,かなり「雑に」話さなければならないというので,これはこれで難しい作業です。
 TBSの取材では,渡邊優子さんの取材を受けました。とくに印象的であったのは,日本の解雇規制は厳しいのかという質問です。これについては,ある意味では厳しいし,ある意味ではそうではないという答えとなり,その理由を丁寧に説明しました(ただ,番組では使われていません)。解雇ルールは曖昧であり,それが実際の裁判では企業に厳しく適用されうること,したがって結果として解雇は厳しいように思えるが,解雇ルールそれ自体は,日本型雇用システムの変化が裁判官にも認識されていき,たとえばジョブ型のようなものが広がっていくと,決して厳しく作用するとは限らないこと,そうなると,むしろ現行ルールよりも,解雇をする際には十分な金銭補償を義務づける私たちが主張している
ルールのほうが労働者にプラスになるというのが,私の説明のエッセンスとなります(これを実際に全部説明したわけではありません)。一方,解雇が厳しくないというのは,解雇と言いながら実は「雇用調整」のことを言っているのであり,つまり希望退職募集などのルートで,合意解約が結構なされているので,その意味で,雇用調整はそれなりに行われており,このことをとらえて「解雇」規制はそれほど厳しくないといっているのだろうと述べました。重要なことは,雇用調整ができるかどうかだとするならば,日本の解雇規制は厳しくないと言ってもよさそうであり,労働法的には,これは厳密な意味での解雇がなされているわけではないし,労働者が納得して退職できているなら問題はないという評価になります。しかし雇用調整ができているから,日本の解雇規制は緩く,見直しの必要性がないという話になると,それは首をかしげたくなります。なお,解雇規制の厳格さを論じる際に,OECDの指標を持ち出すのは適切ではありません。このことは大内伸哉・川口大司編著『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(有斐閣)の第3章(川口,山本陽大執筆)でしっかり説明されていますので,ご覧になってください(忙しい人は,90頁からみてください)。
 また,数日前に受けたJBpress インタビュー記事も,今日掲載されています。ライターの河端里咲さんがまとめてくれました(もちろん,私もかなり手を入れています)。こちらはインタビュアー(interviewer)の問題意識である正社員の安定雇用への疑問という視点が割と出ている内容となりました。上の世代がどうみても自分より仕事ができないのに,でも企業は上の世代の解雇がなかなかできないので,自分たちの可能性が制限されていることへの若い世代の不満です。実力主義で雇ってほしいと思っている若者にとっては,能力不足の解雇が実際上難しい日本の解雇ルールへの不満があるのです。

2024年9月20日 (金)

雇用指針とガイドライン

 解雇のことを基本から話してもらいたいという依頼がいくつか来ています(今日も,解雇規制についてオンライン取材を受けました)。ふと思い出したのが,2013年に国家戦略特区関係で八田達夫先生が座長をしているワーキンググループからの依頼です。東京にまで行ってプレゼンをしました。
 この特区構想については,最終的に雇用に関する部分は,解雇規制の見直し論とはまったく異なり,国家戦略特別区域法37条に基づき福岡に「雇用労働相談センター」が設置され,そこで,個別労働関係紛争の未然防止のための相談を受け助言をし,その際のマニュアル(?)として「雇用指針」が設けられるというもので終わりました。「雇用指針」となっていますが,指針というよりは,労働法の個別法部分の基本的な判例をまとめながら,簡単な解説をしたものです。当時,私が提唱していたのは,解雇ルールについてのガイドライン方式ですが,それは「雇用指針」とは似ても似つかぬものでした。当初のガイドライン方式の狙いは,解雇ルールの明確化にありました。私は,政府がガイドラインで解雇の正当な理由などを示し,企業がそれを参考にして,就業規則に明記し,そのとおりに解雇をすれば解雇は原則として有効となるとすべきであると主張していました(そのエッセンスは,日本経済新聞の201349「(解雇規制の論点(上))ルール作成,企業の責任に」で書いていますし,より詳しくは『解雇改革―日本型雇用の未来を考える』(2013年,中央経済社)で書いています)。
 この提案に対してはガイドラインを解雇の効力に連動させることに反対論があったようで,結局,「雇用指針」となりました。これは,法律家の目からみれば,どれほどの意味があるのかという疑問もあるのですが,判例をわかりやすくまとめることには意味があると判断されたようです。このあたりが法律家と非法律家とでは感覚が大きく違うところです。特区でやる以上は,もっとやることがあったと思うのですが,労働法専攻の大学院生でもつくれるような「雇用指針」をつくってどうなるのだろうかという疑問は,厚生労働省のほうももっていたことでしょう。
 それでいまどうなっているのかと思って検索してみると,「雇用労働相談センター」(EEC)は,福岡以外にも各地にあり,関西にもありました。KECC(関西圏雇用労働センター)というものです。そのサイトには「雇用指針」がリンクされていましたが,どうも内容は改訂されていないようです。10年以上も同じままであれば,これで指針というわけにはいかないでしょう。本気でつくったものではないので,そのアップデートまで面倒をみるつもりはないというところでしょうか。もしそうだったら削除したほうがよいような気もします。
 ということで,解雇ルールについて,せっかくアイデアを出したのですが,特区構想は(私に言わせれば)迷走してしまい,いまなお解雇問題は,何が本筋の議論かはっきりしないままです。
 このガイドラインの構想は,その後の拙著『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(2021年,弘文堂)の基礎になっています。政府が「標準就業規則」(ガイドライン)を策定し,それにデフォルトとしての法的効力を与え,各企業がそのデフォルトから逸脱した就業規則を作成したい場合には,従業員の過半数の支持を得ながら行うなどの所定の手続を踏まなければならないというものです。これはガイドライン方式を,解雇以外のすべての労働条件に及ぼすという意味をもっています。
 解雇については,私はその後,たびたび書いているように,『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(2018年,有斐閣)において完全補償ルール型の金銭解決制度を提唱していますが,それが当面は難しいのなら,次善の策として,ガイドライン方式を,まずは解雇で適用してみたらどうでしょうかね(前掲『人事労働法』では,207頁以下を参照)。

2024年9月13日 (金)

自民党の解雇規制論争に望みたいこと

 自民党総裁選に出馬した小泉進次郎氏の「聖域なき規制改革」は,お父さんの小泉純一郎元首相の「聖域なき構造改革」を真似ているだけかもしれませんが,改革という姿勢自体は評価できます。さらに,その勢いで解雇規制に踏み込むことも結構ですが,無謀な斬り込みによってあっさりとかわされ,討ち取られるような結果になっては困ります。
 解雇規制の「緩和」という話になると,これまでの規制改革論が一気にかき消されてしまう可能性があります。私は法学者の中でも解雇規制の「改革」に前向きな論者の一人であると自負していますが,決して規制「緩和」論者や「自由化」論者ではありません。解雇規制の論点はすでに出そろっており,単純な緩和や自由化といった議論にはなりません。政治家にはまず十分に勉強してから議論を進めてほしいと願います。おそらく小泉氏にはそれが難しいでしょうから,少なくとも周囲にいるブレーンたちがしっかり理解し,助言することが求められます。

 解雇の自由化を主張するならば,たとえばアメリカのように原則として解雇を自由とする制度が一応は考えられます(ただし,差別的解雇は除外されます)。もしその立場を取るなら,それは一つの見解ですが,日本ではそのような主張は受け入れられないでしょう。アメリカ型を提案しないのであれば,どのような解雇規制を採用するのか,具体的に示さなければ議論は空回りしてしまいます。金銭解決についても,数日前に書いたように,事前型か事後型かによって制度設計は大きく異なります。解雇の予測可能性が欠如していることが問題であるならば,それは解雇の要件に関することなのか,雇用終了コストに関することなのか,もしくはその両方なのかによって議論が変わってきます。
 また労働力の流動化が求められているのなら,自発的な移動を促す政策をとるべきであり,必ずしも解雇規制を変更する必要はありません。私は,これは政策の一貫性の問題であると考えています。現行の雇用調整助成金と解雇規制は雇用維持型の政策ですが,雇用流動型の政策に転じる場合,雇用調整助成金は緊急時のみに限定し,解雇については差別的・報復的な解雇を除き,一定の金銭補償によれば労働契約を解消できるという解雇規制を採用する必要があります。労働市場の流動化に関しては,岸田政権の改革にも評価できる部分がありましたが,解雇の問題に踏み込まなかった点で腰が引けていたという印象です。
 解雇規制の議論を深めていくと,最終的には私たちが提唱している完全補償ルール型の解雇規制に行き着くと考えています。このルールのもつメッセージは,「不当な解雇は無効」ということではなく,「解雇をしたければ,企業は十分な補償をしなければならない」というものです。これは法的には「十分な補償をしない解雇は無効である」ということと同義ですが,ニュアンスはかなり異なると考えています。
 解雇には「許されない解雇」と「許されうる解雇」があります(これについては,『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(2018年,有斐閣)の序章を読んでください)。後者は,解雇の理由は正当であっても,企業側には「許される」ためにさらに充足すべき要件があるというのです。現在の解雇ルールでは,その要件が明確ではありません。客観的合理性や社会的相当性といった要件は不明瞭であり,とりわけ整理解雇では4要素の総合判断となって,裁判の結果の予測が難しいです。労働者が解雇によって被る損害(逸失賃金)を完全に補償すれば,解雇は可能となるというルール(完全補償ルール)を導入すれば,解雇の要件と雇用終了コストの双方が明確になります(補償額は勤続年数に応じて算出され,政府の統計資料に基づき適宜改定されることが想定されています)。
 現行の制度下でも労働審判などで金銭解決が行われているから,あえて金銭解決制度を導入する必要はないという意見もありますが,これは解雇に関する法的原則と実態との乖離を放置するもので,法律家としては看過できません。こうしたギャップは労働者や中小企業経営者のように交渉力の低い側に不利に働きがちです。中小企業では労働組合が組織されていないことが多いため,従業員が不当に弱い立場に置かれるという意見もあり,そうした実態が完全にないとは言い切れませんが,労働問題に不慣れな中小企業経営者が,戦う労働組合であるコミュニティユニオンに対して交渉力で劣位に立つケースも存在することを指摘しておきたいです(これは,経営者は労働組合法を学ぶべきだ,という話にもつながり,拙著の宣伝となっていくのですが)。
 いずれにせよ,どのような具体的な解雇規制を考えているのかを明確にし,その上で議論を進める必要があります。無責任な規制緩和論がなされていくと,真の解雇規制改革論の展開可能性が潰されてしまう危険があります。かつて日本型ホワイトカラー・エグゼンプションが,野党からの批判にきちんと反論できず挫折し,その後何年もかけて高度プロフェッショナル制度として実現したものの,本来必要とされていた本格的なエグゼンプションとはほど遠いものとなってしまったという失敗を繰り返してはならないのです。

 

 

2024年9月 7日 (土)

自民党の次期総裁に期待すること

 自民党の総裁選の候補者のうち,河野太郎氏が解雇の金銭解決に言及し,さらに小泉進次郎氏が,解雇規制と労働時間規制の改革に言及したことには驚きました。労働市場改革は解雇改革をしなければいけないという点については,昨年4月に日本経済新聞の「経済教室」の「失業給付見直しと雇用流動化() 政府、人材育成に積極関与を」で,「政府が現在検討している金銭解決制度は労働者からの申し出によるものしか認めていないため、根本的な改革からは程遠い。企業の申し出によるものを認めないのは解雇誘発への懸念からだが,デジタル化に起因する雇用調整が不可避なことを無視したものだ。流動化を想定した労働市場改革論で、解雇規制改革に言及しないのは画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くと言わざるを得ない」と書いていた私としては,論点になることは望ましいことです(さらに経済セミナー738号での太田聰一さんとの対談のなかでの私の発言も参照)。
 さらに振り返ると,いまから10年前の201465日にやはり「経済教室」の「(雇用制度改革の視点(上))経済変化踏まえ見直しを」で,解雇改革と労働時間制度改革についての提言をしています。小泉氏が,解雇と労働時間に言及したのは,10年遅れとはいえ,その間に十分に政策が進んでいなかったことからすると,むしろ必要かつ当然のことを言ってくれたという気がしています(だからといって小泉氏が総理になることを応援できるかというと,それは別の問題です)。なお,この10年間で,私の改革論はさらに「進化(?)」しており,解雇については,金銭解決について以下にみるように「完全補償ルール」を提唱し,労働時間については,労働時間規制からデジタルによる自己健康管理へという政策提言に移行しています(労働時間についての近時の私見については,さしあたり,ジュリスト1595号の拙稿労働時間規制を超えて―働き方改革関連法の評価と今後の展望を参照してください)。
 それはさておき,解雇の金銭解決については,せっかく議論をしてくれるとしても,十分にその内容がわかったうえでやってもらわなければ困ります。この議論は法的にも複雑なところがあり,政府が意図的に議論を操作誘導している面があるので,よく理解し整理したうえで議論をする必要があるのです。若干説明をしておきます。
 まず解雇の金銭解決の議論には,次の2つ(ないし3つ)のものがあることをふまえておく必要があります。
 第1は,現在の労働契約法16条について,解雇が権利濫用となった場合(正当でない場合)の効果を無効とするという部分を,使用者の一定の金銭補償を条件として,労働契約の終了を認めるというものです(事後型の金銭解決)。事後型には,労働者申立てしか認めないパターンと,使用者の申立ても認めるパターンがあり,厚生労働省は,労働者申立てしか認めないパターンについて検討しています。一方,ドイツは,労働者からだけでなく,使用者からの申立ても認められています。もちろん,申立てだけで金銭解決がなされるわけではなく,いろいろな要件が追加されます(とくにドイツでは裁判所による解消判決がなされる必要があります)。
 もう一つは,使用者が一定の金銭補償をすれば,解雇の他の要件(正当理由)を問わずに解雇ができるというものです(事前型の金銭解決)。これは言葉を換えれば,一定の金銭補償があれば解雇は正当だとするものです。たとえば,借地借家法において建物の契約更新の拒絶には正当事由が必要とされていますが,判例上,相当な「立ち退き料」が支払われることを正当事由の有力な事情としていることと似ています。
 解雇法制については,その予測可能性の低さが問題点と指摘されます。その意味は,まず労働契約法16条の解雇要件の不明確性(客観的合理性,社会的相当性)について言われるのですが,事後型はその点については直接には問題としません。ただし,金銭補償基準を明確化すれば,少なくとも雇用終了のコストの予測可能性の低さのほうは改善されます。
 一方,事前型は,解雇要件の不明確性と雇用終了コストの予測可能性の双方を解決すべく,解雇要件を金銭の支払いに置き換えようとするものです。私は2013年に発表した『解雇改革―日本型雇用の未来を考える』(中央経済社)では,要件論における明確化(事前に解雇事由を開示させ,それに則した解雇であれば基本的には有効とすることなど)と効果面における金銭解決の導入とその基準の法定を提唱していましたが,2018年の川口大司さんとの共編著『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(有斐閣)では,事前型の金銭解決を提唱しています。そこでは,金銭補償額を,本人の将来の逸失利益(賃金センサスから推計されるもの)の全額とする(その意味で完全補償)という形で明確にするもので,さらに中小企業の負担を考えて労災保険と類似の解雇保険の創設を提唱しています。解雇規制の不明確性を取り除く一方で,労働者の生活保障のために,企業に重い補償責任を負担させ,その負担は集団保険によってカバーするという構想です。
 なお,6月21日に閣議決定された規制改革実施計画では,政府の事後型でかつ労働者申立てのみ認めるタイプの金銭解決について,反対論をふまえた調査の開始とその後の検討が書かれています。このタイプの金銭解決が認められても,実際には解決金の相場が明らかになる程度の効果しかないでしょう(その効果を過小評価はできませんが)。ただ,これは事前型の完全補償ルールとはまったく異なるもので,こちらのほうの金銭解決については,議論されそうな感じはありません。これは厚生労働省が,金銭解決の議論を勝手に(あるいは労働組合側を忖度しすぎて)矮小化し,誘導しているからです。自民党の次期総裁が,政治のリーダーシップで正面からこの問題に取り組んでもらえればと思います。生成AI後の大きな雇用改革が予想されるなか,望ましい解雇法制を用意するためには,あまり時間は残されていません。いますぐに導入できなくても,何が問題であり,どのような政策的チョイスがあるかを明らかにするだけでも,政策論義としては意味があると思います。
 なお,解雇の金銭解決について,ドイツ法の内容や日本法における客観的な議論状況について詳しく知りたい方は,山本陽大『解雇の金銭解決制度に関する研究─その基礎と構造をめぐる日・独比較法的考察』(2021年,労働政策研究・研修機構)が大変参考になります。

2024年8月 4日 (日)

令和6年度地域別最低賃金

 最低賃金の決め方は,一般の人にはわかりにくいものです。中央最低賃金審議会で決めているのは,目安であり,各都道府県の地方最低賃金審議会を拘束するものではありません。また新聞報道で労使が折り合ったとされる目安についても,まずは中央最低賃金審議会の目安に関する小委員会で審議され(テレビなどで流れているのは,この小委員会のものです),「目安に関する公益委員見解」というものが出され,これが実際上は目安として報道されているものとなります。この公益委員見解については,労使がともに不満を述べて,報告書にも労使の合意がなかったと明記されているので,「労使が折り合った」という報道の意味がわかりにくいのですが,最初から労使は合意に至らず,不承不承(?)「公益委員見解」に従うということがお約束であり,そのうえで,今回でいえば全国すべて50円の引上げという公益委員見解を出すということには承諾したということなのでしょうね(ただ,これは推測であり,このあたりのインフォーマルな部分は,いつか委員として参加している先生から教わることができればと思っています)。これを受けて兵庫県の最低賃金についても,兵庫地方最低賃金審議会での審議がなされ,明日くらいに決まるのではないでしょうか。もし目安どおりであれば,50円の引上げとなり,10月以降,兵庫県の最低賃金は1051円(時給)となります(追記:実際には1052円となりました)。

 最低賃金は,政府の手柄として可視化されやすいので,政策的に引上げ論が出てきやすいのですが,ほんとうは自発的な賃上げの流れが生じるようにするための経済政策こそが必要です。最低賃金の引上げは,低賃金で人を雇っている企業が不正競争をしているという視点から(最低賃金法1条でも,「事業の公正な競争の確保」が最低賃金法の目的の一つに挙げられています),ある程度の引上げは必要でしょうが,今日では低賃金では人が集まらないという状況があり,むしろ最低賃金に関係ない賃上げ競争が繰り広げられているともいえます。

 労働力不足時代においては,労働者保護のために賃金を上げるということだけでなく,むしろ賃上げによる人件費に耐えられない企業の廃業が増えないようにすることへの対応も必要です。最低賃金を思い切って上げることは大切としても,どこかに労使合意によるデロゲーション(derogation)の仕組みを設けておく必要がないかも議論したほうがよいように思います。減額特例(最低賃金法7条)だけでは不十分でしょう。うまく最低賃金に柔軟性を盛り込むことができれば,最低賃金設定の自由度は格段に高まるでしょう。

 もちろん,以上とは別に,現在の最低賃金の決定方式でよいのかは重要な論点です。現行制度のように,いわば労使の交渉に公益委員がかかわるというような三者構成でよいのか,むしろ,データを用いて適正な最低賃金をAIに設定してもらうことでもよいような気がします。現在の公益委員は,おそらく奉仕の精神でやってくれているのだと思いますが,いつまでもそういう善意に頼ってばかりもいられないでしょう。良い委員人材がみつからなくなる危険性にもそなえた対策が必要でしょう。

 

 

2024年7月12日 (金)

現金支払いがデフォルトでよいか?

 11月に施行されるフリーランス法の「解釈ガイドライン」である「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方」によると,「報酬の支払いは,できる限り現金(金融機関口座へ振り込む方法を含む。)によるものとする。報酬を現金以外の方法で支払う場合には,当該支払方法が,特定受託事業者が容易に現金化することが可能である等特定受託事業者の利益が害されない方法でなければならない。」とされています。 

 もちろん,現金以外の報酬支払いができないわけではなく,その場合の明示事項が,公正取引委員会規則118号以下において定められているのですが,まずは現金ということにこだわる姿勢が,時代遅れに思えます。フリーランス法を新たな労働社会の働き方に向けた一歩とみたい私にとっては,なお古い労働法制をひきずり,その延長で対応しようとしている部分がみえてしまうと,がっかりします。もう少し新たな発想の人たちに,これからの法律を任せたいなと思います。

 いまでは税金も◯◯ペイで払うことができる時代であり,報酬についても現金でもらうほうが例外でしょう。労働者の賃金も◯◯ペイでの支払いが可能となりました。これまでは,口座に振込まれたお金を◯◯ペイに移動させることが面倒でした。

 ということですので,フリーランス法における現金支払いをデフォルトとする「思考」は見直してほしいです。実際のフリーランスには,デジタルポイントなどで報酬が支払われている人もいるでしょうし,いろんな報酬形態があってよいはずです。法は現物給付を想定していないようにも思えますが,雇用労働者であっても,通貨払いの例外が認められているのです(労基法241項)。

 これからの法律には,原則を堅持して例外としてデジタルに道を開くという半端なことではなく,デジタルを中心にする発想(「デジタル・ファースト」)を出発点とすることが必要だと思います。

 

 

2024年6月29日 (土)

法定労働時間

 6月23日の日本経済新聞の電子版に「1日8時間労働,長いか短いか 77年間変わらぬルール」という見出しの記事が出ていました。厚生労働省の労働基準関係法制研究会で,法定労働時間のことが話題となったようです。世間では長時間労働は,法定労働時間の問題であるという誤解があります。法定労働時間というのは,それを超えれば罰則がかかるとか,割増賃金の支払義務が発生するとか,そういう効果との関係での基準であり,現実の労働時間の規制力を直ちにもつわけではありません。むしろ労働時間の実効的規制は時間外労働の規制のほうにあるはずです。もちろん法定労働時間が短くなれば,割増賃金発生の起算点が早まるわけで,労働時間数が同じであれば収入が増えるでしょうし,コスト負担を避けようとする企業が労働時間を減らすという時短効果が生じる可能性はあります。ただ割増賃金の時間外労働抑制効果については疑問があることはすでに指摘されていることです。むしろ法定労働時間が6時間になったからといって,業務が過重であるという状況に変わりがなければ,時間外労働とされる部分が増えるだけで,労働時間の短縮につながらない可能性はあります。他方で,法定労働時間はどうあれ,企業は所定労働時間を6時間とすることは可能であり,とくに育児世代においては,それは育児介護休業法で権利としても認められています(同法23条1項,同法施行規則74条1項を参照)。同法は賃金面については何も定めていませんが,もしかりに,これを法定労働時間という労働時間規制全体の議論にもちこんで,割増賃金で対処しようとするものであれば,あまり筋のよい議論とは思えません。労働時間規制は,より大きな視点での体系的一貫性のあるものとすべきだからです。
 労働時間を短縮すればこんな良いことがあるという指摘は,いろいろできるでしょう。ただ,有識者の研究会では,より高い次元から考えてもらう必要があります。おそらく研究会では,まだブレインストーミング(brainstorming)の段階で,いろいろな自由な議論(放談?)をしたうえで,徐々に本格的な検討がなされていくのだと思います。せっかく立派な方が参加されているのですから,今後は,労働時間規制は何のためのものなのか,そのためには,実は労働時間規制がほんとうに適しているのか,というような根本からの深い議論がなされることを期待しています。

 

2024年6月23日 (日)

AI法

 5月21日に,EUのAI法が可決されました。AIに関する包括的な法律ですが,これはAIを規制する一面がある一方,AIの利用に関する見通しのよいルールを設けて,過剰な利用による弊害を回避し,他方で,開発者や事業者たちが慎重になりすぎて過小な利用となることによって,この技術の潜在的な価値を活かせないことがないようにするものといえるでしょう。
 AI法はリスクベースアプローチをとったとされ,AIシステムを,①unacceptable risk(許容できないリスク),②high risk(ハイリスク),③limited risk(限定されたリスク),④minimum risk (最小リスク)というようにリスクの程度に分け,それそれに合った規制の内容としています。①に該当すると禁止となるので,重要なのは禁止するほどではないが,リスクが高い②をどのように扱うであり,AI法の中心も②に関するものとなっています(具体的には,リスクマネジメントシステムの構築などのAIシステムに求められる要件(requirements)と,provider やdeployer の義務が詳細に定められています)。労働に関するものでは,「雇用,労働者管理,自営的就労へのアクセス(employment, workers management and access to self-employmen)」において,募集・選考,労働条件に影響する決定,昇進・契約関係の終了,個人の行動や特徴に基づく仕事の割当,個人の監視や評価のために使用されるAIシステムが,②に分類されています。将来のキャリア,個人の生活,就労者としての権利にかなりの影響を及ぼす可能性があるからだと説明されています。雇用も自営も区別しないところがデジタル社会に適合的ですね。
 ③については,いわゆる透明性の義務のみが課されています。そこには,たとえば生成AIやディープフェイク(deep fakes)も含められ,コンテンツがAIによって生成されたものであることを示しておかなければならないとされています。
 日本でも,従来のAI関係のガイドラインを統合する形で,4月19日に「AI事業者ガイドライン」が発表されています。先日,閣議決定された「骨太の方針」では,「AIの安心・安全の確保」という項目で,「我が国は,変化に迅速かつ柔軟に対応するため,『AI事業者ガイドライン』 に基づく事業者等の自発的な取組を基本としている」とされています。ガイドラインの内容は,まだよくみてはいませんが,一見したところ,たいへんわかりやすく,使い勝手がよさそうです。ここでも,EUと同様,リスクベース・アプローチがとられるとされていますが,雇用や労働面におけるAI利用のリスクについてハイリスクと分類され,強い規制対象となるかについて,今後の動向が注目されます。
 いずれにせよ,個人情報保護と並び,AIの利用規制は,今後のデジタル労働法においても中核的な領域を形成すると考えられますので,私たちも,その議論や規制の動向を注視しておかなければなりません(フォローしていくのは大変なのですが)。

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