労働法

2023年4月 1日 (土)

学説批判の難しさ

 日本労働研究雑誌2・3月号の学会展望「労働法理論の現在―2020年から22年の業績を通じて」で,三井正信さんの論文「ユニオン・ショップ再考」広島法学433号・4号が取り上げられていました。この論文の存在は知らなかったので,助かりました。サイト上に掲載されていたので,すぐに読みました。三井さんは,この論文で,従来のユニオン・ショップ無効説を改め,有効説を唱えておられます(ご本人は「新生有効説」と命名されています)。従来の有効説は論拠が弱いが,無効説も理念が先走りで現実的ではないということで,労働者の代表としての労働組合の存在意義を活かすためには,どのような解釈をとるべきかについて検討し,新たに理論的根拠を強化したうえで有効説に転向したということです。
 労働者個人の自己決定を活かしながら,ユニオン・ショップの有効性を根拠づけるというのがポイントです。これは労働協約の根拠を労働者の組合加入時の意思に求める私の見解と実は親和性があります。私見では,任意加入であることが,労働協約中の組合員に不利益となる条項や労働条件の不利益変更の拘束力を根拠づけるのですが,ユニオン・ショップが有効である現行法の下では任意加入が担保されていないので,こうした拘束力の正当性根拠が不十分となり,それゆえ組合員に対する不利益制限法理が(やむをえず)必要となると分析し,そのうえで解釈論としては,ユニオン・ショップ無効説をとったうえで,任意加入を担保し,労働協約の拘束力を貫徹すべきであるという議論をしています(23年前の2000年に発表した「ユニオン・ショップ協定が労働団体法理論に及ぼした影響」神戸法学雑誌493号。その後,加筆修正したものが,『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)の第4章)。三井さんは,ユニオン・ショップ締結企業において,組合加入を雇用条件とする同意は,労働組合という強固な利益擁護団体の保護に包摂されることへの同意であり,それについて労働者の自由意思(合理的な理由を客観的に求める判例の理論を前提)があれば認められるとします。私の立場からは,三井さんはユニオン・ショップがあるからといって私のように正当化を諦めることをせず,ユニオン・ショップ自体を私的自治から正当化する可能性を模索したものと位置づけることができ,言われてみるとその手があったかという気がしました。もっとも,そこでいう労働者の自己決定論は,私に言わせれば真の自己決定論ではなく,山形県民信用組合事件・最高裁判決の悪しき拡張例ではあり賛同はできませんが,それは単なる学説の相違にすぎず,この論文自体は,明確な主張のある優れたものであり,今回の学会展望でセレクトされて当然であると思いました。
 ユニオン・ショップをめぐっては,有効説の側には,労働者は団結しなければ価値がないという素朴な議論から,労働組合は公的団体性を帯びており公正代表義務が(実質的に)課されるのであるから,ユニオン・ショップによる組織強制には問題がないとするタイプの議論まであり,無効説には,憲法論(13条の自己決定論や28条の消極的団結権の承認)からする議論もあるし,ユニオン・ショップ協定が過半数組合により締結される多数派の横暴であるという視点からの議論まで多様です。結論は,(過半数の)労働組合による労働者の代表という仕組みを,規範的にどう評価するかという部分に左右されるところが大きく,三井さんは衰退する労働組合運動のなかで,なお労働組合の重要性を説いたものですが,これには,強いシンパシーを感じますが,同時に,もう無理な議論かなという感想です。
 学会展望のなかでは,解雇のことや,労働協約の規範的効力のことなど,三井さんの論文中の法律構成に関する法技術的なところに議論が集中してしまった感がありますが,私の理解では,それらはあまり論文の本質的なところと関係しないのではないかと思います(もちろん解釈論の論文である以上,論評の対象にはなるのですが)。著者が最もこだわったところが,「すごく縁遠い神々の争い」(池田悠発言)として切り捨てられたように思えるのはやや残念であり,私達がこだわってやってきた団体法の研究は,おそらく次世代には継承されないのだろうなと,寂しい気持ちになりました。でも,これでよいのでしょうかね。

2023年3月28日 (火)

献本御礼

 唐津博先生から,『労働法論の探究―労働法の理論と政策』(旬報社)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。はしがきを拝見すると,古稀を迎えられて,一区切りとして,これまで公表されてきた論文をまとめられたようです。収録されているものは,すでに読んだことがある論文ですが,改めて拝見すると,唐津先生は労働法の伝統的な考え方に忠実に,手堅い議論をされていることがわかります(それゆえ,少し面白みがないところもあるのですが,論文とはそういう面白みを追求するようなものではないということでしょう)。はしがきでは,ご自身の議論の基本的スタイルを,「憲法を基礎づけるデモクラシーの理念のもとに整備,展開されるべき労働関係・労使関係の法理論と法政策・法制度の相互作用・調整を構想して,個人の自由・自立と自律・自治を起点かつ基点とする労働法ルールの可能性を探る,というものである」と書かれています。「個人の自由・自立と自律・自治を起点かつ基点とする」というところに特徴があるかもしれませんが,この基本的な考え方にはまったく異論はありません。ただ,これをどのような方向で具体的に議論を展開していくかによって,いろいろ立場が分かれていくのでしょうね。唐津先生には,結果として,私とは学説的に相容れないところが多いのですが,拙著を丁寧に紹介していただいたこともあり,よき理解者であったと(勝手に)思って感謝しています。かつて関西労働法研究会のあとの飲み会で,原因は忘れましたが,何か学問的なことで,顔を真赤にして若手に説教していた姿が思い出されます。学問に熱い情熱を注いでこられた唐津先生も,もう古稀だと思うと,ときの流れは早いなと思わざるを得ません。

 もう一冊,唐津先生も共著者となっている,浜村彰・唐津博・青野覚・奥田薫子『ベーシック労働法(第9版)』(有斐閣)も,著者の皆さんからお送りいただきました。ありがとうございます。第9版というのはすごいですね。「シンプル・イズ・ザ・ベスト」というコンセプトで執筆されたと書かれていますが,内容も充実していて,十分に専門的な学習のための基本書として活用できると思います。定評ある安枝・西村のプリマ・シリーズに近いタイプのような気がしました。

 

 

2023年3月27日 (月)

労働組合法上の労働者概念

 先日の神戸労働法研究会では,Uber Japanほか事件の東京都労働委員会命令について議論をしました。ここでは細かいコメントを差し控えますが,この命令は,労働者性を肯定する結論が先に決まっていて,理由はそれに合わせたという印象は否めませんね。ただ,労働者性の判断は往々にしてこういうものになるので,結論の妥当性が正面から問題となるといえそうです。
 ところで,労組法上の労働者性については,契約内容の一方的決定が判断要素の一つに挙げられています。契約内容が一方的に決定されていて,決定されている側の当事者が多数であれば,団体交渉によって契約交渉するのになじむというのは一般論としては理解できます。拙著『雇用社会の25の疑問(第3版)』(2017年,弘文堂)で,イタリアの鉄道会社と乗客たちの団体交渉の例をあげています(第5話「労働者には,どうしてストライキ権があるのか。」55頁を参照)が,団体交渉には,いろんなタイプのものがありえるのです。契約内容の一方的決定が団体交渉に適しているということであるとすると,約款を使っているような契約の多くは団体交渉に適したものとなります。もしそうでないとするならば,労働にかかわる契約条件であるところに特殊性があると考えるべきなのでしょうかね。それでも従属的な労務提供者であればわからないわけではありませんが,従属性が希薄であっても,労働者に含むというのが通説の考え方ですので,そうなるとやはり疑問が残ります。
 日本法では,労働組合以外の団体交渉については,事業者協同組合のように相手に団体交渉義務がある場合でも,交渉拒否に対して不当労働行為として団交命令がでるというような特別な手続はありません。そうだとすると,そこに労組法上の労働者の特殊性を見いだすことができるかもしれません。ジュリストの論文(「フランチャイズ経営と労働法―交渉力格差問題にどう取り組むべきか」ジュリスト1540号(2020年)46頁以下)でも書いたように,労組法上の労働者概念はもともと広い意味で捉えられていたのですが,不当労働行為の行政救済制度が導入されたところで,労働者概念は限定的に解す必要が生じたのではないかと思うのです。どの研究者からも相手にされていない見解ですが(私の場合,こういうものがたくさんあって,引退前に一度まとめてみたいと思いますが),世の中にたくさんある団体交渉適格のあるもののなかで,あえて不当労働行為による救済制度が必要なものはどれかという視点でみると,労組法上の労働者概念は広いという前提は疑う余地があり,労働組合の資格審査(5条1項)において審査される労働組合の定義(2条)における労働者(3条)の範囲は,もう少し限定されるべきという考え方もできないわけではないと思っています(兵庫県労働委員会でそういう立場がとられているわけではなく,あくまで研究者としての一私見です)。そうなると,労組法上の労働者概念と労基法・労契法上の労働者概念が違うという考え方からして見直す必要があるのではないかと思えます。

 

2023年2月27日 (月)

フリーランス新法案

 先週,フリーランス新法が閣議決定されたという記事が出ていました。昨年11月くらいに新法成立かと思われていたのですが,11月は閣僚の辞職が相次ぐなど,それどころではなかったようですね。ようやく閣議決定がなされましたが,これから国会での審議がスムーズにいくか予断を許しません。
 ところで法案では,フリーランスという概念は使われず,「特定受託事業者」となっています。労働者性はなく,事業者のなかの一類型ということでしょう。
 新法の概要をみると,その趣旨について,次のように書かれています。
 「我が国における働き方の多様化の進展に鑑み,個人が事業者として受託した業務に安定的に従事することができる環境を整備するため,特定受託事業者に係る取引の適正化及び特定受託業務従事者の就業環境の整備を図り,もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的として,特定受託事業者に業務委託をする事業者について,特定受託事業者の給付の内容その他の事項の明示を義務付ける等の措置を講ずる。」  
 法案は,取引の適正化は公正取引委員会・中小企業庁,就業環境の整備は厚生労働省ということで,役割分担をしています。これは行政サービスのワンストップ化とは逆行するもので,フリーランス側のことを考えていないようにみえますね。フリーランスが,労働者と事業者の両方の性質をもつことから,それぞれに関係する役所が「出張」してきて,分け合って担当しましょうという感じです。もう少し「野心的な」(?)法律が必要なのですが,これは研究者のほうでもまだ十分な検討ができていないので,役人に期待するのは難しいのかもしれません。
 もちろん,この新法は,昨今話題となっている,デジタルプラットフォーム就労者の労働者性などには関係ありません。フリーランスが事業者であることを前提に,これまで下請法の適用範囲が限定的であったことから,それを実質的には拡張しようとしたものであり,同時に,労働者に適用されているもののうち,募集情報の表示の適正化とハラスメント対応措置,そして継続的な業務委託関係にある場合における育児介護との両立への配慮と中途解除の場合の予告期間などを特定委託事業者にも及ぼそうとした法律です。後者の面では労働法の適用の拡大という意味があり,前者の面では,潜在的には独禁法の適用対象であったが,下請法ではカバーできていなかった取引関係も対象とするという意味で,実質的には適用(実務)の拡大という意味があります。もっとも就業環境の整備の部分は,雇用類似の労働者というカテゴリーの人たちにとっては,物足りないと思うでしょうから,彼ら・彼女らは,自分たちがフルスペックの労働法が適用される労働者であるとして訴訟を起こしたり,団交拒否問題を労働委員会に持ち込んだりすることは,新法制定後もなくなりはしないでしょう(それが激増するとは思えませんが)。
 いずれにせよ,新法は,フリーランスについて関心をもって研究をしてきた私のような立場からは,世間にフリーランスという働き方が認知されるきっかけとなるという点では前向きにとらえられます。新法が薄味の内容であったことは,私たちの法制度構築に向けた研究を邪魔するものではなさそうなので,むしろ幸いなことだと言うべきなのでしょうね。

2023年2月 6日 (月)

同一労働同一賃金では格差はなくならなかった?

 24日の日本経済新聞の朝刊で,「非正規の待遇改善を今こそ」というタイトルの社説が出ていました。春季労使交渉が始まるなか,非正社員の処遇の改善は,政府にとっても重要なテーマとなっています。賃上げによる物価高の補填,景気の浮揚などを目指して,賃上げは政府の政策の重要な柱となっています。エコノミストも賃上げに向けた大合唱です。たしかに,この時期に労働組合が賃上げを実現しなくては,どうしようもありません。いまは経団連も賃上げに理解を示す状況なので,絶好のチャンスでもあります。ただ経団連は中小企業の事情をどこまで考えているのかは,やや心配です。また賃上げは物価高をもたらすので,経営者は,継続的な賃上げへの覚悟が必要となります。
 ところで,ここで振り返っておきたいのは,あの働き方改革でやろうとした日本版の「同一労働同一賃金」は何だったのかということです。2012年の労働契約法の改正の際に導入された旧20条が出発点で,短時間労働者法を改正して2018年に制定された短時間有期雇用法8条に引き継がれています。「同一労働同一賃金」は,改正労働契約法が施行された20134月から,10年が経過しようとしています(改正短時間有期雇用法8条の施行が大企業は2020年4月,中小企業は2021年4月であったので,そこから起算している人もいるかもしれませんが,それは間違いです)が,不合理な格差を禁止して格差是正を目指すという課題は,解決できなかったということではないでしょうか。私は,中央経済社から『非正社員改革』(2019年)を上梓しましたが,そのときのサブタイトルは「同一労働同一賃金では格差はなくならない」というものでした。非正社員の労働条件の状況を放置してはならないのは当然ですが,それは,同一労働なのに賃金に格差があるといった「正義」の観点から切り込むのではなく,貧困の問題として,社会保障政策で対処すべき問題であるというのが私の年来の主張です。そして貧困の原因となる技能不足の問題の対処こそが本丸の政策であるということもまた私の主張でした(同一労働一賃金への疑問は,拙著の『雇用社会の25の疑問』(弘文堂。初版は2007年)や『雇用改革の真実』(2014年,日本経済出版社)でも書いていました)。
 現在の岸田政権が,リスキリングに着目し,また130万円の壁の撤廃に取り組もうとするのは,その点では正しいことなのです。リスキリングは,広い意味では非正社員の職業訓練も含むことであるし,また130万円の壁は,賃金を上げても就労調整するので所得は増えないということで,これは広い意味で貧困の問題なのです。貧困の問題は,賃金ではなく,所得補填の施策で対応しなければならないのです。また,正社員との格差是正という間違ったスローガンは,賃金などの労働条件の水準だけを問題とするものですが,なぜ賃金が上がらないか,労働条件が改善しないかという根本の問題に手をつけなければ,非正社員の処遇は改善しません。さらにデジタル時代ですので,それを組み入れた政策でなければなりません。デジタル技術を活用した省力化・省人化の影響を真っ先に受けるのは非正社員です。これからは,デジタル化により,単純労働は減り,高付加価値の人間の仕事が相対的に増えるので,賃金は上がるでしょう。しかし,その賃上げの恩恵に浴することができるのは,高いスキルの労働者だけです。非正規「雇用」に着目するのは間違いで,大切なのは,「労働者」個人なのです。非正社員であろうと正社員であろうと,デジタル時代に対応したスキルを習得しなければ,高い賃金は期待できません(というか非正社員や正社員という区別自体がなくなっていくのです)。130万円の壁が問題であるのは,こうしたスキルの習得へのインセンティブをそぐ面があることです。民間企業の扶養手当も,連動していることがあるので,そうなるとこの壁の影響は大きいものです。
 賃金という目先のことにこだわってきた政策では何も実現できません。個人のスキルアップをどうすればよいかを考える政策こそ求められているのです。こうした問題を考えていくうえで,いまこそ拙著を多くの人に読んでもらって問題意識を共有してもらえればと思っています。

 

2022年12月29日 (木)

専門業務型裁量労働制はどうあるべきか

 前に専門業務型の裁量労働制の本人同意のことを書いたところですが,今度は専門業務型裁量労働制にMA業務も追加するということが報道されていました。厚生労働省のHPをみると,労政審の労働条件分科会は12月には毎週開催されていたようですね。年末までご苦労様です。委員の方も役人も大変ですね。
 裁量労働制は,企画業務型と専門業務型が徐々に内容的に接近してきているようであり,それなら両者を統合することも考えてよいかもしれませんね。専門業務型こそ裁量労働制にふさわしいという見方もできますが,専門業務型の業務に従事しているということと,実際に働いている人が,どこまで裁量労働制にふさわしい働き方をしているかは別の問題であり,だからこそ同意義務といった議論が出てきているのでしょう。ただ,そうなると企画業務型との違いが,だんだんはっきりしなくなり,両制度間の導入手続の違いをどう考えるかという話が出てきます。それとは別に,私のいつもの議論でいうと,そもそもプロ人材には労働時間規制は不要で,健康確保措置を別途に切り出し,それについてはデジタル技術を活用した自己管理をすべきということになります。
 ところで,私自身には専門業務型裁量労働制が適用されていますが,教育の面では裁量労働ではありません。告示により,「学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)」は専門業務型裁量労働制の対象に含められていますが,そこでいう「主として研究に従事するもの」は,通達により,「業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり,具体的には,研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に,その時間が,多くとも,1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて,そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること」とされています(https://www.mhlw.go.jp/general/seido/roudou/senmon/index.html)。この「5割」という基準は何を根拠とするのかよくわかりませんが,いずれにせよ教育業務は裁量労働制に適さないものであることを前提としたものといえるでしょう。しかし研究と教育(授業)とを分けるのは現実的ではありません。大学というのは研究成果を学生たちに伝達する場であるはずなので,授業の準備作業には研究的性格も入っているのです。それで何が言いたいかというと,私の場合でいうと,裁量労働制の適用に不満はなく,裁量労働制を適用してもらってよいと納得しているところがポイントで,それは研究業務が5割以上だからとかということとは関係がないのです。現行法を維持するとしても,裁量労働制の適用は,本人の納得同意こそが中核に据えられるべきで,それ以上の規制はどこまで必要かを精査しながら,制度を見直していくことが必要ではないかと思っています。そして最終的には,上述のように,プロ人材には健康自己管理を,という発想でいくべきなのです。

 

 

 

2022年12月25日 (日)

専門業務型裁量労働制の同意義務

 この1週間ほどは,ゆっくり新聞を読むことができていなかったので,今日は,少しまとめて日本経済新聞の電子版を読みました。Mutiの「私の履歴書」が一番楽しみなのですが,それはさておき,ふと目にとまったのが,12月21日の「『専門型』も本人同意義務」というタイトルの記事です。専門業務型裁量労働制における同意義務について,2023年に政省令を改正し,24年に導入すると書かれていました。政省令の改正となっているので,労働基準法の改正ではないということでしょうね。
 ビジネスガイドで連載している「キーワードからみた労働法」の「第185回 裁量労働制」でも労働者の同意についてはコラムで取り上げていました。これは法的にはかなり難しい問題です。企画業務型裁量労働制でも,その導入のために労働者の同意を得る義務があるとするような規定ぶりではなく,労使委員会が,使用者が労働者の同意を得なければならないことを決議すると書かれているだけなのです。専門業務型裁量労働制では,厚生労働省令(労働基準法施行規則)の改正によるということでしょうかね。
 労政審の労働条件分科会の資料をみると,「本人同意を得る際に,使用者が労働者に対し制度概要等について説明することが適当であること等を示すべきではないか」という意見もあるとされています。労働者に十分に説明して納得同意を得たうえで制度の導入をしたほうがよいのは当然なので,この意見に応える形で法改正がなされることには賛成です。ただ,せっかく法律の専門家でない人も審議会の委員に入っているのですから,非法律家の目から,労働基準法の規定をもっとわかりやすくしてもらえないかという意見を出してもらえたらいいですね。世間では,本人同意義務というのが,どのような法理論構成で認められるかについて,わかっている人はほとんどいないでしょうから。

2022年12月10日 (土)

ナッジから意思理論へ

 学部の少人数授業で,今回は,大竹文雄さんからお送りいただいた『あなたを変える行動経済学』(東京書籍)の第6章「ナッジとは何か?」をベースに,ナッジについて議論しました。この本は,一連の行動経済学に関する大竹さんの本のなかでも,とくにわかりやすく書かれている入門書です。私は,これからの労働法の政策でも,リバタリアン・パターナリズムに基づく,選択の自由と適度の誘導のコンビネーションによる「ナッジ」は有力な規制手法となるのではないかと考えています。それだけでなく,この議論は,突き詰めれば,人間とは何かということにも行き着くのであり,自分自身を知るためにも,重要なものなのです。
 学生はみな「ナッジ」という言葉を聞いたことがないと言っていました。高校までには習わないのでしょうが,大学2年生の後期でも「ナッジ」という言葉を聞いたこともないというのは,ちょっと問題かなと思ってしまいました。
 学生からは,エスカレーターでは止まるように指示されているのにそれを守る人がいないので,こういう人を止まらせるために,ナッジは使えないかという問題提起がされました(たぶん関西特有の問題と思いますが,ちなみに私は歩きません)。学生のなかには,エスカレーターの段差を大きくすればよいとか,スピードを上げればよいとか,物理的なアーキテクチャ的手法が提案されましたが,これは言っている本人たちもわかっていたように危険な方法であり,「ナッジ」でもありません。エスカレーターを歩くことによって生じた事故の動画を大きなモニターを設置して流すといった方法はどうでしょうか。「わかりやすさ」も,人間の脳に伝わりやすいので「ナッジ」の一種です。
 大竹さんの本では,「ナッジ」と「スラッジ」の違いを指摘されていました。ナッジは,「特定のアウトカムを達成するための選択アーキテクチャの意図的な変化」なのですが,その「アウトカム」は,行動者本人の利益にならないようなもの(これがスラッジ)であってはならないのです。為政者が,自分に都合のよいように国民を誘導するようなことがあれば,これはナッジとはいえないし,あるいは危険なナッジというべきなのです。学生からは,現実には両者の違いは,国民にとってわかりにくいのではないかといった意見もありました。専門家が巧みに制度設計をして,国民をマインドコントロールするようなことがあってはならないでしょう。学生たちは,そうした危険を感じて,政府がナッジを使う場合には,そのアウトカムの妥当性をきちんと吟味しなければならないとか,あるいは,現にいろいろ使われているかもしれないナッジに対して自覚をもって警戒心をもつべきではないかという意見を出してくれました。
 「意思決定決定のボトルネックを見つけることがナッジを選ぶポイントとなる」(169頁)という点も重要です。なかでも「認知的な負荷が過剰」な場合もナッジが効果的とされます。情報があっても,それを分析する知識がなければ適切な行動がとれません。ナッジは,「わかりやすさ」も重要なのです。従業員の過労状態を検知したAIが,「リフレッシュ体操の指示」をパソコン画面上に流すというのは,おそらくナッジに該当するのだと思います。本人はその指示に従わない自由がありますが,リフレッシュ体操をして疲労を軽減させたほうが本人にも,企業にもプラスになります。ただ,たんに過労状態を指示するだけでは,どうしたらよいかわからない労働者もいます。そのようなときに具体的な行動を指示するのは,それを業務命令として出せばナッジではありませんが,あくまでも提案という形であればナッジなのだと思います。私は,こうしたナッジを採り入れた仕組みを導入することを,企業の配慮義務の中心に据えるべきだと主張しています(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)273頁などを参照)。大竹さんの本で紹介されている看護師の残業削減の例もまた,きわめて興味深いです。二交代制の病院で,日勤の看護師は赤のユニフォーム,夜勤の看護師は緑のユニフォームを着ることにしたら,残業が減ったというのです。なぜそうなったかは本を読んでみてください。「社会規範」と「わかりやすさ」というナッジを使った例として紹介されています(177頁)。
 ナッジの文脈で出てくる「社会規範」は,社会一般に通用しているルールというようなもので,広義には法も含むでしょうが,ここで想定されているのは,法のような強制力をもつのではないものであり,道徳規範,あるいは,世間の目というようなものといえばわかりやすいかもしれません(「社会規範」については,飯田高『法と社会科学をつなぐ』(有斐閣)159頁以下を参照)。
 私は,企業の社会的責任も,「社会規範」として議論できると思っており,それを見える化することをとおして,強制力がなくても,ナッジとしての効果をもたせることができると思っています。これは,実は労働法においても,規制手法の一つとして部分的には採り入れられているとみることもできるのですが,これはまた別の機会に論じることにしましょう。
 このほか「デフォルト」の活用も,すでに法学の世界で議論されていることです。強行規定(法規)と任意規定(法規)とは,法律の規定のもつ効力の違い(前者は当事者の契約では逸脱できないが,後者は逸脱できる)という点から説明されますが,機能的には,任意規定は,契約の当事者に,適正な合意についての情報を提供するという機能があり,そしてデフォルトに支配されやすい(固着性)という行動経済学の知見も踏まえると,任意規定は「緩やか」に当事者を誘導する機能をもつのです。任意規定の活用は,労働法においては刺激的な問題提起なのですが,リバタリアン・パターナリズムを受け入れるならば,十分に活用可能であると考えています。そのためには,労働者弱者論からの脱皮が必要です(拙著『人事労働法』(弘文堂)では,任意規定やそれと同様の機能をもつ標準就業規則を活用した規制手法を活用する発想に基づいています)。

2022年12月 7日 (水)

労災保険給付の支給処分の取消訴訟の原告適格

 総生会事件で,東京地裁判決を維持した2017921日の東京高裁判決は,労働保険の保険料についてメリット制の適用を受ける特定事業主が,労災保険給付支給決定の違法性を争うことができるかという,行政法上の「違法性の承継」と呼ばれる問題について,これを否定的に判断した際に,その理由の一つに,事業主は,労災保険給付支給決定の取消訴訟を提起する原告適格(行政事件訴訟法9条)があることに言及していました。それなら,実際に取消訴訟を提起すればどうなるかということで,やってみた事業主がいたのですが,原告適格は認められないとした東京地裁の判断が2022415日に登場しました(あんしん財団事件)。ところで,その控訴審が先日(1129日)出されて,地裁判断はひっくり返され,一転して,事業主の原告適格は肯定されました(差戻し)。おそらく上告されると思いますが,実は,この間に,厚生労働省で,「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」も開催されていて,①保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性を主張することはできるが,②これが認められても労災支給処分自体は取り消されず,また,③労災支給処分に関する特定事業主の不服申立適格も認めないという線で,取りまとめをしようとしているようです。
 これは,労災保険給付の支給決定により保険料の増額処分を受ける特定事業主の不服に配慮しながら,被災労働者や遺族の法的地位の安定性にも配慮するということなので,その気持ちは理解できます。ただ,先日の大学院の授業で,厚労省の上記検討会で提出されていた論点資料(今回の報告書案のベース)に基づき議論をしたときには,労働保険料の認定決定において,労災保険給付の支給要件非該当性が認められたとすると,たとえ支給決定は取り消されないとしても,不支給という判断がほんとうは正しかったという理解がなされかねず,民事損害賠償請求の判断に影響するかもしれない,という意見が出てきました。労災保険制度のなかでの法的安定性はあっても,もう少し広くみて民訴まで視野にいれれば,現行より労働者に事実上不利になる面があるということです。
 ところで,あんしん財団事件の控訴審が,事業主に取消訴訟の原告適格を認める判断をだしたことから,厚労省の原案は,少なくとも③については裁判例とバッティングすることになりました。もともとは総生会事件の東京高裁の判断とあんしん財団事件の東京地裁の判断が正反対であったので,厚労省はあんしん財団事件(地裁)の線でいこうとしたのでしょうが,東京高裁レベルでは総生会事件とも判断が一致してしまったので,このままでは行政対司法の対立ということになってしまいます。労災保険給付の不支給決定における取消訴訟において,事業主に補助参加を認める最高裁判決(レンゴー事件・2001222日)があるのですが,報告書案は,「補助参加の要件である法律上の利害関係と,不服申立適格等に関する要件である法律上保護された利益は異なるものである」として,同判決の先例性を否定しています。ただ,これはやや苦しい説明であるような気もします。
 労災保険制度において,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるのは,(レンゴー事件・最高裁判決からロジカルに考えると予測できないものではなかったものの)労働法実務のこれまでの常識からすると,天地がひっくり返るほどのショッキングな判断です。その点で,厚生労働省の報告案③のスタンスは理解できるところです。ただし,最高裁であんしん財団事件の控訴審判決が支持されてしまう可能性は十分にあり,そうなった場合にそなえてプランBも考えておく必要があるでしょう。事業主の原告適格を認めることの問題点がどこにあるのかを理論的に精査したうえで,その問題点にできるだけ対応でき,被災労働者や遺族の救済という労災保険の機能が損なわれないようにするためには,どうすればよいかについて,知恵を絞ることが必要です。いずれにせよ,報告書案で,何が何でも突っ走るという玉砕戦法は危険でしょうし,立法してしまえばよいという乱暴なことは考えないほうがよいでしょうね(もちろん①についても,ほんとうにこれでよいのか,という点も,議論の余地があるでしょう)。

2022年12月 4日 (日)

韓国の物流ストに思う

 11月29日の日本経済新聞の電子版で,韓国の物流ストに対して,韓国政府が,運送業者に業務開始命令を出したという記事が出ていました。それによると,貨物事業者の法令をもとにストライキをしている者に現場復帰を求め,もしストを継続すれば免許停止や罰金を科す構えのようです。運送業者は個人事業者のようです。個人事業者のストライキが,韓国の法制上,どのように考えられているのかわかりません。
 日本では,労働者の場合には,争議行為に対して,労働関係調整法上の公益事業(8条)についての一定の制限があることに加え,緊急調整の決定にともなう50日間の争議禁止という(すごい)規定があります(38条)。このほか,電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(スト規制法)というものもあります。「公衆の日常生活に欠くことのできない」エッセンシャル・サービスは,憲法28条で保障されている団体行動権の中核にある争議権ですらも,一定の制限を受けざるを得ないということです。日本の場合,運輸事業は公益事業に含まれているので(労働関係調整法811号),もし同じような物流ストを労働者が行えば,労働委員会が職権で調停をすることができますし,さらに政府が乗り出すとすれば,上記の緊急調整がありえることになります。ただ緊急調整は,「内閣総理大臣は,事件が公益事業に関するものであるため,又はその規模が大きいため若しくは特別の性質の事業に関するものであるために,争議行為により当該業務が停止されるときは国民経済の運行を著しく阻害し,又は国民の日常生活を著しく危くする虞があると認める事件について,その虞が現実に存するときに限り,緊急調整の決定をすることができる。」(35条の21項)と定められていて,かなり要件は厳格です。争議調整は,中央労働委員会で行われます(35条の3)。緊急調整がなされている間は,労務に従事しなければ(争議行為を継続すれば)罰則が適用されます(401項)。つまり,国民経済の運行を著しく阻害したり,国民の日常生活を著しく危くしたりするような場合であれば,この緊急調整・争議行為の50日間の禁止という規定の発動の問題となるのです。
 緊急調整の決定は,195212月に一度,発動されています。当時は,賃上げを求める電産スト,炭労ストが国民生活に脅威を与えていました。その後,1953年に上記のスト規制法が制定され,当初は3年の時限立法でしたが,その後,恒久法になっています。2014年の電力自由化の際に,スト規制法が再び話題となり,厚生労働省の部会で検討されました。労働組合側はスト規制法の廃止を要求しましたが,通りませんでした。たしかに労働関係調整法上も公益事業に関する規制があり,電気事業は公益事業と明記されているので,同法の規制で十分という組合側の考えもわからないではありません。スト規制法は,憲法28条との緊張関係があることも考慮されるべきでしょう。
 ところで,日本ではあまり想像できませんが,たとえばコロナ禍で,エッセンシャル・ワークにおいて,待遇改善を求めてストライキをするような組合が出てくればどうなるでしょうか。エッセンシャルだからこそ待遇を改善してよいということにもなりそうです。ところが,彼ら・彼女らはギグワーカーで労働者ではないから,労働組合が結成できないとなればどうでしょうか。こうなると,この前の都労委のUber Japan1社事件の命令の話にもつながってきます。労働者性を肯定すると,ギグワーカーもストライキができることになります。ところがエッセンシャルな業務ということを重視すると,理論的には,前述のように,内閣総理大臣が,労働関係調整法82項に基づき公益事業としての指定をし,緊急調整を決定して,争議行為を禁止するということもありえないわけではありません。フリーランス新法がどうなるかわかりませんが,新法では扱わないであろう団体法の領域に入ってくると,難しい問題がいっぱい出てきます。
 なお,イタリアでは,エッセンシャルな公共サービス(servizi pubblici essenziali)な部門でのストライキについての規制がなされており(イタリアは憲法により明文でストライキ権が保障されていますが,他の憲法上の権利との調整から一定程度の制限はありうると解されています),そのなかで,憲法上の人格権に対する重大かつ切迫した損害が発生する(根拠ある)危険性があるときには,専門の委員会が,徴用(precettazione)を命じることができるとしています(イタリア法における徴用については,拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,日本労働研究機構)220頁以下)で概要を紹介していますので,関心のあるかたは参照してください)。この命令の対象には,独立労働者(自営業者)のストライキも含まれています。独立労働者のストライキが憲法上保障されているかどうかは議論がありますが,少なくともスト規制法での徴用の対象を考えるうえでは,エッセンシャルな公共サービスの提供が従属労働か独立労働(自営)のどちらであるかは関係なく,サービスが停止すること自体が問題だとされているのです。
 ここには労務の集団的放棄をめぐるきわめて難解な理論問題が横たわっており,研究を深めるのに足りる重要テーマ(まさに労働法の香りが強いテーマ)だと思います。若手研究者の取組みに期待したいです。

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