労働法

2024年6月23日 (日)

AI法

 5月21日に,EUのAI法が可決されました。AIに関する包括的な法律ですが,これはAIを規制する一面がある一方,AIの利用に関する見通しのよいルールを設けて,過剰な利用による弊害を回避し,他方で,開発者や事業者たちが慎重になりすぎて過小な利用となることによって,この技術の潜在的な価値を活かせないことがないようにするものといえるでしょう。
 AI法はリスクベースアプローチをとったとされ,AIシステムを,①unacceptable risk(許容できないリスク),②high risk(ハイリスク),③limited risk(限定されたリスク),④minimum risk (最小リスク)というようにリスクの程度に分け,それそれに合った規制の内容としています。①に該当すると禁止となるので,重要なのは禁止するほどではないが,リスクが高い②をどのように扱うであり,AI法の中心も②に関するものとなっています(具体的には,リスクマネジメントシステムの構築などのAIシステムに求められる要件(requirements)と,provider やdeployer の義務が詳細に定められています)。労働に関するものでは,「雇用,労働者管理,自営的就労へのアクセス(employment, workers management and access to self-employmen)」において,募集・選考,労働条件に影響する決定,昇進・契約関係の終了,個人の行動や特徴に基づく仕事の割当,個人の監視や評価のために使用されるAIシステムが,②に分類されています。将来のキャリア,個人の生活,就労者としての権利にかなりの影響を及ぼす可能性があるからだと説明されています。雇用も自営も区別しないところがデジタル社会に適合的ですね。
 ③については,いわゆる透明性の義務のみが課されています。そこには,たとえば生成AIやディープフェイク(deep fakes)も含められ,コンテンツがAIによって生成されたものであることを示しておかなければならないとされています。
 日本でも,従来のAI関係のガイドラインを統合する形で,4月19日に「AI事業者ガイドライン」が発表されています。先日,閣議決定された「骨太の方針」では,「AIの安心・安全の確保」という項目で,「我が国は,変化に迅速かつ柔軟に対応するため,『AI事業者ガイドライン』 に基づく事業者等の自発的な取組を基本としている」とされています。ガイドラインの内容は,まだよくみてはいませんが,一見したところ,たいへんわかりやすく,使い勝手がよさそうです。ここでも,EUと同様,リスクベース・アプローチがとられるとされていますが,雇用や労働面におけるAI利用のリスクについてハイリスクと分類され,強い規制対象となるかについて,今後の動向が注目されます。
 いずれにせよ,個人情報保護と並び,AIの利用規制は,今後のデジタル労働法においても中核的な領域を形成すると考えられますので,私たちも,その議論や規制の動向を注視しておかなければなりません(フォローしていくのは大変なのですが)。

2024年6月18日 (火)

復職は4割?

 昨日の日本経済新聞において,「解雇無効で勝訴の労働者,『4割』も復職 厚労省調査」という記事が出ていました。「労務関係者には勝訴後も大半は退職するとの見方が多かったため,復職率の意外な多さが注目を集めている」と書かれていまいた。「労務関係者」は誰を指すのかはさておき,これまでは解雇裁判で労働者が勝訴しても,実際には復職が困難で解決金を得て退職する例が多いので,それであれば,法律で金銭解決制度を導入したほうがよいという主張を私もしてきました。
 では,記事で書かれているように,退職する例が少ないとなると,私の主張の前提が崩れるのでしょうか。まず,記事では,「勝訴後に復職した労働者のうち19%は退職していたことがわかった」とも書かれています。多くの「労務関係者」が退職する人が多いというときには,この復職後の退職を念頭に置いているのであり,結局,全体で3割近くしか復職していないということであれば,解雇の金銭解決の必要性を疑問視しなければならないほどのことではないでしょう。「「4割」も復職」という表現は意外感を与えて読者をミスリードするものであり,気をつけなければなりません。
 また,約3割は復職したままであるという事実についても,評価は難しいところがあります。解雇裁判で労働者が勝訴しても結果的に退職していると考えられていたのは,人的な信頼関係が重視される労働関係において,解雇という極限的なことを企業が行い,労働者が企業を訴えるというこれもまた極限的なことを行ったあと,信頼関係が復元することは困難であるという推察が前提にあり,そのことが,退職例が多いという形で実証されていると考えられてきたのです。上記の推察が正しいとなると,退職例が少ないのは,もっと悲惨なことが起きていることを示唆しています。つまり企業は辞めさせたくても,十分な解決金を払えないので辞めてもらえなかったり,労働者は辞めたくても,再就職は容易ではないなどの理由で,十分な解決金が払われなければ辞められない,ということがあったり,さらにその両方が生じているので,退職が起こらず,仕方なく労働関係が継続している可能性があるのです。そうだとすると,この点からも私たちが提唱する「完全補償ルール」による解雇の金銭解決制度の導入が必要となります。今回の調査の実物を私はみていないので,これらの点はきちんと説明がされているのかもしれませんから,最終的な論評は留保しておきます。
 なお,解雇については,大内伸哉・川口大司編著『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(有斐閣)の冒頭で書いているように,「許されない解雇」と「許されうる解雇」があり,「許されない解雇」は,差別的解雇や報復的解雇のような文字どおりに許されてはならない違法な解雇であるので,解雇無効判決後に退職しない労働者がいても不思議ではありません(たとえば労働組合の役員に対する反組合的解雇が無効となれば退職しないのは当然です)。また,一応「許されうる解雇」の範疇に入っても,解雇事由がそもそも存在しないような解雇などは,実質的には「許されない解雇」であり,やはり退職しない労働者がいてもおかしくありません。こういう解雇も少なくないであろうと予想されることから,復職者が3割程度であれば,それほど違和感はないのです。解雇規制で最も重要なのは「許されうる解雇」をどう扱うかにあり,金銭解決のターゲットは,「許されうる解雇」にあるのです。

2024年6月14日 (金)

官僚に休息を

 先日,NHKのクローズアップ現代で,官僚の過労問題が採り上げられていました。まだこんなに働いているのかとわかり驚きました。議員レクの問題も改善されていないようです。目の前の仕事に追われてしまい,やりたい政策に取り組めないという不満をもらす若手官僚の声も紹介されていました。

 私は先般ジュリスト1595号に書いた「労働時間規制を超えて」という論文の最後に,官僚ら政策担当者が,長時間労働によって,独創的な政策立案のための時間もエネルギーも投入できないことこそ真の問題であるというメッセージを込めました。これは取り方によっては官僚を揶揄しているようにも思われるかもしれませんが,まったく逆で,とりわけ厚生労働省の官僚に時間を与えて,しっかり将来をみたバックキャストの発想で労働政策に取り組んでもらいたいという応援メッセージです。それと同時に,若手官僚にそういう機会を与えることができていないかもしれない上司世代に対する批判,そして,さらには官僚を部下のようにこきつかおうとする政治家への嫌悪感も根底にあります。

 あまりに現実をみすぎていると,抜本的な提言ができません。もし私が厚生労働大臣になれば(なりたいわけではありません),本気で働き方改革をします。仕事はテレワークが原則,出社した場合でも17時で仕事は終了,週休2日は絶対保障(休日出勤はなし)くらいのことを決めなければダメでしょう。緊急の場合の例外はもちろんありえますが,緊急の定義はきわめて厳格にすべきです(国民の生命や身体に重大な影響がある場合や国益を深刻に損なう危険がある場合など)。人手が足りなくなるかもしれませんが,これくらいの勤務条件を実現すると,官僚になろうという人はもっと増えてくるのではないでしょうか。国のために何かをしたいという若者は潜在的にはたくさんいるからです。

 国益というと,国会対応もしなくてよいでしょう。とくに大臣答弁の準備など,大臣が自分か政策秘書といっしょにやればよいのです。もちろん官僚の勤務時間内に終わるようなレクや多少のサポートは求めてよいでしょうが,残業をさせる「権利」はありません。野党からの質問なども,勤務時間内にできる範囲でやればよく,あとは断ってよいでしょう(「できませんでした」という勇気をもとうということです)。それでは充実した質疑ができないというならば,会議の日程の入れ方も含め,官僚がしっかり対応できるような時間的な余裕をもって質問書を送るべきなのです。

 これは国会を軽視することではありません。その逆です。裁判でも,双方の当事者に十分に主張してもらうためには時間をしっかりとって手続を進めます。国会のような重要な場であればこそ,質問への回答には(内容に応じた)適切な時間的余裕を与えて,きっちり答えられるようにすべきなのです。そんな悠長なことを言ってられないということかもしれませんが,そういうことを言っていれば,優秀な若者はほんとうに官僚にならなくなるという危機感をもつべきです。

 国会の答弁は,そもそも何でも大臣が答える必要はないでしょう。大きなことは大臣が,細かいことは官僚が答えればよいのです。それにより,いろいろレクをする時間や大臣答弁用の作文の時間も省略できるのです。首相は,きちんと自分で答弁ができるエキスパートを適材適所で大臣に据えるべきです。もし政治家に適当な人がいなければ,民間から登用することも考えるべきでしょう。デジタル大臣や少子化担当大臣などは,むしろ民間のほうに良い人材がいるのではないでしょうか。

 クローズアップ現代では,官僚の働き方を変えるためには,官僚と政治家は対等であること,そして,官僚の役割を社会で守るという意識を国民がもっともつことが大切だというような趣旨のことが言われていたと思いますが,そのとおりだと思います。政治家との対等性については,まずは役所の幹部が,政治家に対して,部下たちを守るために,どれだけの発言ができるかということとも関係します。

 私は,官僚に対してとくに親近感をもっているわけではなく,ことさら擁護するつもりはありませんし,また仕事の内容に疑問があれば,当然きびしく批判はしますが,同時に,官僚も公務員とはいえ労働者なのであり,その労働条件を改善し,ひいては国のために,意欲ある優秀な人材がしっかり活躍できるよう応援するための発言をするのもまた,労働法研究者としての私の仕事だと思っています。

 

 

2024年6月12日 (水)

社会権論

 昨日の季刊労働法における石田書評の続きです。石田眞先生は,豊川義明弁護士の「社会権論」をとりあげています。石田先生によれば,「社会権論」には「国家志向型社会権論」(国家の積極的な役割を含意する社会権論)と「個人志向型社会権論」(個人の自由・自律を基底に据える社会権論)との対立があるなか,第3の「社会志向型社会権論」(国家と個人以外の社会の存在に着目する社会権論)があるとし,豊川弁護士が「社会」を重視する議論をされていることから,この第3の社会権論を志向しているとします。そのうえで,そこでいう「社会」とは何かについて,石田先生は「自然発生的人間集団」と「人為的人間集団」があるとし,そのどちらによるかで「社会」と「国家」および「個人」との関係が異なり,とくに「人為的人間集団」として社会をとらえると,個人との関係で「強制」や「排除」の契機をはらんで緊張感が生じ,また国家とは「部分社会」と「国家」との関係という問題に遭遇して緊張感が生じるとします。そして,この2つの緊張関係をどう規範的に整序するかの検討が大切であると石田先生は主張されます。

 この問題は,私のような「個人志向型社会権論」に親近感をもつ立場からは,人為的社会集団の典型である中間団体の社会学的な実在性(あるいは事実上の権力性=社会権力性)を認めたうえで,それをできるだけ個人によってコントロールできるような規範論こそが重要ということになります。具体的には,中間団体の典型例といえる労働組合でいうと,その正統性の淵源を私的自治に求め,それが機能しない例外的な場合にのみ立法や司法の介入を認めることになるのです(つまり,「国家」は,「社会」による抑圧から「個人」を守るためにのみ介入できるということ)。一方,人為的人間集団であっても,社会権力性をもたないのであれば,徹底的に国家から自由であるべきで(つまり個人のことも放任してよく),国家による介入は許されないことになります。

 ところで,今日,プラットフォームは,新たな社会権力となりつつあり,従来の国家と個人と社会の枠組みではとらえきれないものになりつつあります。取引型プラットフォームについては,政府も次々と規制を加えようとしており,EUでもこの面で積極的です。私見では,ここでも個人を守るためのときにのみ例外的に国家が介入できるという図式でとらえるべきだと思っていますが,プラットフォームの重要性に鑑みると,これは国家が管理すべき公的な存在とみることもできるかもしれません。つまり,国家の枠を超えるようなプラットフォームが登場するなか,権力と自治という枠組みは根本的な再考を求められているのかもしれないのです。さらに労働の場でもプラットフォームが登場し,それがグローバルなものとなっていくなか,どのような規範的な枠組みで対応していくかは,労働問題でもあるのです。というようなことを,石田書評を読みながら考えていました。

 

 

2024年6月 5日 (水)

労働安全衛生規制の根拠と労働者性

 かなり古い論文になりますが,日本労働研究雑誌566号(2007年)に,経済学者の江口匡太さんの「労働者性と不完備性―労働者が保護される必要性について―」が掲載されています。私が編集委員であったときの「雇用と自営のあいだ」という特集号に掲載されていて,私が解題も書いていたので,よく覚えています。江口論文については,次のようにまとめています。

 「同論文によると, 「雇用」 とは,契約の不完備性があり市場からの望ましい労働サービスの調達ができない場合に用いられるものであるのに対し, 「請負」とは, 不完備性がなく市場からの労働サービス調達を得ることができる場合に用いられるものであるとする。 そして, 不完備契約である 「雇用」 では, 事後的に労働者は使用者の指揮命令を受けることがあることから要保護性が生じる。そのため, 労働法が, 雇用契約で働く 「労働者」 のみを保護するのは, その不完備契約としての性質から説明できるとする。 また, 専門的技能を用いる業務については, 働くほうに安全対策の負担をさせたほうが効率的であるとして, こうした業務で「請負」 が用いられ, 発注者側が安全衛生面の負担を負わないことの合理性が説明されている。 また, 転職しやすい場合には, 労働者の要保護性が小さくなるが, 業務の諾否の自由がない 「労働者」 には, やはり保護の必要性があるとする。この論文でとくに注目されるのは, 企業が 「雇用」 という組織的取引を用いる理由を不完備契約により説明し, そこから 「雇用」 で働く者の要保護性を導き出している点である。 これは, 労働者性の特徴を「使用従属性 (人的従属性)」 とする伝統的な労働法の立場が, 不完備契約という経済学の理論と整合的であるという主張である。 ところが, 最近の労働法学の議論は, むしろ 「使用従属性 (人的従属性)」 を重視する伝統的な立場に再考を促そうとするものである」。

 もちろん経済学の論文ですので,的確にまとめることができていないかもしれませんが,私がこの論文から何を学んだかということはわかるような紹介をしています。

 ところで,昨日採り上げた個人事業者への労働安全衛生規制の拡張の動きは,上記の江口論文の内容にあてはまらないように思えます。むしろ労働安全衛生規制の拡張をすべきような就労者は「雇用」で働く労働者と性質決定すべきものといえそうです。それは同時に,指揮命令関係下にない者に対して注文者が労働安全衛生規制の責任を負うことへの違和感につながっていきます。

 労働者概念をめぐる議論にも関係しそうです。労働法の議論では,労働者概念は実態を考慮して判断するとし,そこで使用従属関係(広い意味での指揮命令関係)の存否をみていくことになるのですが,むしろ行為規範としてみた場合,注文者と個人事業者との間で,職業リスクについての情報の非対称性があり,契約で十分に書き込めず不完備性がある場合には,注文者はその就労者を雇用する責任があり,働く側が労働者として雇用されることを認めない場合には,注文者は契約を締結してはならないというような議論もありえそうです。あるいは,私が考えている労働者性の事前認証制度においては,当該契約における職業リスクについての客観的な評価がなされて,労働者(雇用)かどうかが判定され,当事者はそれに従わなければならないといった発想もありえます。これまで労働者性の判断を客観的に行うべきという場合には,たんに契約の実態から総合判断で労働者性を決定するということを意味していましたが,そうではなく,業種や職種の客観的評価から事前に労働者性の有無を決定するという発想もあるのであり(ただし,労働者性が否定されていても,事前の契約どおりに契約が遂行されなければ,遡って労働者性は肯定される),それはAIによる審査にもなじむものといえます。それこそが真の意味での客観性ではないでしょうか。

 政府の立場は,個人事業者に対する安全衛生の問題と,労働者性の有無は別の問題であるとして切り離していますが,そもそも労働者性の判断と労働安全衛生規制とは密接に関連して交錯しているのであり,原理的に考えると,両者を切り離すことはできないのではないかというのが,江口論文から導き出されるような気がします(江口さんからは,そんなことは言っていないと叱られるかもしれませんが)。

 

 

2024年5月21日 (火)

『講座・現代社会保障法学の論点[下巻]現代的論点』

 大阪大学の水島郁子さんから,『講座・現代社会保障法学の論点[下巻]現代的論点』(日本評論社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。同書には,水島さんの「第5章 働き方の変化と社会保障」が掲載されており,労働法とまたがるもので,後述のように私の文献も引用してくださっていることから,お送りいただいたのだと思います。

 この論文では,働き方の変化からくる社会保障法上の論点について扱われていますが,非正社員の社会保障については,講座の別の論文で採り上げられていることから,本論文では兼業労働者とフリーランスの問題が扱われています。どれも興味深い論点です。

 兼業労働者については,まず労災保険法の2020年改正で,複数事業労働者と複数業務要因災害という2つの新たな概念が登場したことが説明されています。重要なのは,このことが,労災保険の法的性格に変化をもたらしたのかです。労災保険の独り歩き(労働基準法の災害補償責任の責任保険という原点からの乖離)という指摘はつとにされており,実際,通勤災害や障害や遺族補償における年金給付に典型的にみられるように,労働基準法の災害補償責任の枠を超えた補償がなされています。その意味で,労災保険制度が,すでに生活保障機能をもっていることは確かでしょう。ただこれは「おこなわれている法」であり,「あるべき法」としてみた場合,これを労災保険という枠組みのなかで行うことが妥当かが問題となります。労災保険については,使用者(事業主)の集団的責任論としてとらえる見解(ドイツ流のもので,西村健一郎先生らが主張)が有力ですが,こうした事業主全体で責任をシェアすることについては,現行法の説明としてはありえても,こうした責任論を是として,補償の範囲を拡大していくことが妥当かについては,なお検討の余地があると思われます。就労者の生活保障は重要であるとしても,その目的のために必要な制度としては,健康保険の枠内での所得保障もあるし,死亡事故については,厚生年金による遺族補償もあるわけで,そうした関連する制度のなかで労災保険のもつ役割は何かを問う視点が必要となるわけです。そうすると,事業主責任の個別性を重視せず,メリット制のところを配慮するだけで,どんどん責任範囲を拡大していくことについては,これでよいかという疑問も出てくるところでしょう。水島さんは,「本改正は,労働者の生活主体としての側面に着目したものであり,保障についての基本的な考え方を雇用関係ベースから労働者ベースに変更するものといえる」(103頁)と評価されており,法改正の内容を前提とするとそういうことになるでしょう。この改正は,労災保険を労働基準法から一層乖離させることになりそうですが,それは労災保険の発展とみるのか,それとも実は労災保険の独自性を弱め,総合的な事故補償制度の一つに位置づけやすくし,将来的な制度の抜本改革をしやすくする動きとみることもできそうです。これは実務レベルの問題ではなく,労災保険とは何かという本質論にかかわり,すぐれて理論的な問題です。

 雇用保険については,65歳以上の「マルチジョブホルダー制度」以外は,兼業労働者に対応したものは存在していません。水島さんは被保険者資格の拡大を支持されていますが,雇用保険の前提とする生計維持の家庭モデルの古さをふまえると,ここでも生活保障という目的のために最も適切な制度は何かという点から再考すべきでしょう。私たちが『解雇規制を問い直す』(有斐閣)で提案する「解雇の金銭解決」では,事業主に帰責性のある失業については,事業主に費用負担させる解雇保険で対応すべきとしています。一方,労働者からの自発的な失業については,モラルハザードの問題など,制度の根幹にかかわる論点が横たわっています。個人的には,雇用保険が扱っている問題は,事業主帰責の解雇保険と,その他の総合的な所得保障制度に分けて考えるという発想で臨む必要があるのではないかと思っています。また現行の雇用保険制度に付着している育児や介護のときの休業給付や教育訓練給付は,むしろフリーランスを含めて,普遍的に適用されるべき真の社会保障制度の枠内で対応すべきもので,雇用保険制度の枠内で行うことを見直す必要があると考えています。

 次に,フリーランスについては,皆保険・皆年金ということで最低限の保障はあることもあり,水島論文では,被用者保険(社会保険)との関係では詳しい分析は省略されていますが,「私見は,将来的に,社会保障制度を普遍主義的な制度に組み替える可能性まで,否定するものではない」(115頁)と書かれていて,普遍主義の主張として,私の文献を引用してくださっています。心強いです。

 いずれにせよ,労働法と社会保障法は,細かい制度論になると,違いが鮮明になりますが,原理レベルにたちかえり,働く人のセーフティネットをどうするかというところでは,共通性があり,その内容にも相互関連性があります。労働法の研究者であっても,社会保障の問題に関心をもっていかなければならないと考えています。

 

 

2024年4月28日 (日)

使用者の義務

 昨日は,久しぶりに隔月実施の例外で2カ月連続の神戸労働法研究会の開催となりました。報告内容は,季刊労働法で掲載されるので,ここでは紹介しませんが,2つの報告で関連する論点として出てきたのが,労働法上の義務の効力論です。
 努力義務を例にあげると,教科書的な説明では,努力義務は私法上の効力がありません。もう少し言うと,法律上の義務ではあるが,義務内容を司法の場で実現することはできない(労働法でいえば,労働者に権利性は認められない)ものであり,行政指導などの行政的な手法による義務の履行が想定されているものです。ただ,努力義務という言葉は,義務の名宛人の任意の履行に期待するというニュアンスが強く,そうなると義務といっても,道義的な義務と同じようにも思えます。とはいえ,私法上の効力がないといっても,義務違反により損害が発生した場合に,損害賠償請求が認められることはあり(たとえば均等の配置・昇進に関する男女差別が努力義務規定であったときも,女性の昇格差別を不法行為とした裁判例は少なくなかった),その意味では損害賠償責任という制裁による履行強制効果はあるともいえます。逆に,短時間有期雇用法8条は,労働契約法旧20条のときからの解釈として,同条には私法上の効力があるとしながら,「不合理な待遇の禁止」に違反した場合の直律的効力は否定し,履行確保を実質的には損害賠償に全面的に頼っているのであり,これはいわば「不完全な」私法上の効力ということができるでしょう。

 このほか,高年法の高年齢者雇用確保措置義務や労働者派遣法の2012年改正前の40条の440条の5における派遣先の直接雇用申込義務なども,学説上は異論があったものの,私法上の効力を否定する考え方がとられてきましたが,違反に対する損害賠償責任はあると解されてきました。
 ただ行為規範としてみた場合,こうした義務の性質の違いにどこまでの意味を認めるべきでしょうか。一定の法の理念に基づき義務づけがなされているのであり,履行強制方法に違いがあるとはいえ,これらは等しく履行すべき義務なのです。どうもこの点が正しく理解されないこともあり,私法上の効力がないとすると,ただちに履行しなくてもよいという誤解があるように思います。もちろん,裁判所をとおした制裁がないとしても,実際には評判などを気にして事実上の履行強制があるということはあるでしょう。ただこれは恩恵的な履行ではなく,やはり義務の履行であるということを明らかにしておきたいです。私はこういう発想をもっているので,『人事労働法』(弘文堂)では,法律上の義務は,私法上の効力があるかどうかに関係なく,標準就業規則で定めるデフォルトとの関係では,原則として差をつけない解釈を展開したつもりです。

 ところで,労働委員会の救済命令は,交付の日に効力が生じます(労組法27条の124項)。この意味は,救済命令が出た場合,使用者は,命令の交付日から命令を履行する公法上の義務があるとするのが一般的な解釈でしょう。ただし,この義務に違反しても,ただちに制裁があるわけではありません。命令の履行については,再審査をした場合,中央労働委員会から履行勧告があることがありますし(労働委員会規則51条の2),取消訴訟を提起した場合には,緊急命令が発せられることもあります(労組法27条の20)が,他方で,再審査や取消訴訟が認められているということは,初審命令の効力はあるとはいえ,公法上の義務は原則としてなく(あるいは抽象的なものにとどまり),中央労働委員会の履行勧告や裁判所の緊急命令が発せられた場合にのみ具体的な義務となるという解釈もありえないわけではなさそうです。とはいえ,不当労働行為の迅速な解決のために専門的な機関として労働委員会が設けられている以上,初審命令の交付日から効力があるという規定の意味は重いのであり,交付日の時点から具体的な履行義務があると解するのが妥当でしょう(命令が確定した後は,法文上も,義務が強化されているとみることができます[労組法27条の132項,28条,32条]が,それ以前の段階でも履行義務はあるということです)。そうなると,たとえ初審命令に不服があり,使用者が再審査申立てや取消訴訟提起をしていても,なお初審命令の履行義務はあると解すべきですし(おそらく通説),さらにこれが公法上の義務であるからといって,使用者の対労働組合・労働者との関係で,当然には私法上の履行義務がないとまではいえないと思います。労働委員会は,労働組合や労働者の(私法上の)権利を守るために,救済命令を発したといえるからです。もちろん私法上の履行義務があるといっても,その違反に対してどのような制裁があるかは上記の法律の規定どおりのものとなるのですが(この場合も,一般条項である不法行為として損害賠償責任が生じることはありえるでしょう),命令の履行は恩恵的な行為ではなく,法律上の義務の履行であり,義務違反はコンプライアンスの観点から厳しい社会的批判を受けるべきあるという点は再確認したいところです。

 

 

2024年4月27日 (土)

競業避止義務と競争法

 昨日の日本経済新聞の記事に「米独禁当局「競合に転職禁止」違法 新ルール,賃金抑制を是正 経済界は猛反発」というのが出ていました。FTC(アメリカの公正取引委員会)の若きLina Khan委員長は,いろいろやってくれますね。
 日本においても,公正取引委員会の「人材と競争政策に関する検討会報告書」(2018年)では,フリーランスが中心ですが,労働者を含む就労者の競業避止義務のことが扱われています。日本法でも,優越的地位の濫用など,独占禁止法に抵触することはありえます。ただ,労働者に対するものについては,労働法で具体的な規定は設けられておらず,民法の公序良俗違反かどうかの判断に任せてきました。
 大企業が,優秀な人材を抱え込んで,競争上不当に優位な立場にたつことは問題ではないかという議論はずっとあります。これまでの議論では,とくに退職後の競業避止義務については,これを定める約定の有効性を,企業側の利益と労働者の職業選択の自由とを衡量して有効性を判断する傾向にありましたが,市場に及ぼす影響(競争制限的効果)も考慮すべきという議論がないわけではありませんでした。また在職中の競業避止義務については,副業規制の問題と重なり,従来,その有効性はあまり疑問視されていませんでした。しかし,大企業がデジタル人材を抱え込んでいることを批判するベンチャー企業の経営者の声などもあり,副業解禁の動きが広がってきました。
 競業避止義務に関する法的ルールは,かなり曖昧なものであり,どのような約定が有効となるかについて,予見可能性が低いものとなっています。『人事労働法』(弘文堂)では,在職中の競業避止義務は,デフォルトとしては認めてよいが,その具体的な範囲については,労働者の納得同意を中心とした制約をかけています(120121頁)。労働市場の流動化が進むと,この義務に対する適切な法規制のあり方重要性を高めるでしょう。今後,アメリカの動きに刺激を受けて,この問題をめぐる議論が活発になる可能性はあると思います。

2024年4月24日 (水)

映画撮影技師と労災保険

 先日のLSの授業では,労働者性がテーマで,まずは『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第3講の新宿労基署長事件を扱いました。そこのQ1は,「Zが労災保険法上の「労働者」とされるか否かによって,Zの遺族のXにはどのような違いが生じるのか。」というものです。この事件は,映画撮影技師のZが脳梗塞で死亡したため,Zの子のXが労災保険の遺族補償給付等の支給を請求したところ,新宿労基署長は,Zの労働者性を否定して不支給決定をしたというものでした。労働者性の判断を学んでもらうための教材ですが,Q1はその前提として,労働者性が認められるかどうかによって,どのような差があるかを答えてもらうものです。労働者であれば,Xは遺族補償給付を受けることができますし(労災保険法16条以下),社会復帰促進等事業(同法291項)として特別支給金もあります。一方,労働者でなければ,子であるXZによって生計を維持していて,18歳未満で未婚であれば国民年金の遺族基礎年金が支給されます。その額は年間816,000円であり,労災保険が適用されて,給付基礎日額の153日分(労災保険法別表第1)に特別支給金の加算のある労働者と比べて,ずいぶん差があります。遺族基礎年金は,たとえば労災保険の給付基礎日額が8000円となる程度の収入があったとすると,102日分になり,特別支給金を除いてみても労災保険の3分の2程度になります。特別支給金を入れると,もっと差がつくでしょう。LSでは支給額のことまでは聞きませんし,私も正しい答えはよくわからないのですが,重要なことは,労働者でなければ,死亡事故の場合,遺族が国民年金,ケガや病気の場合は,本人が国民健康保険の適用となり,労働者でも業務災害でなければ健康保険の適用になるといった違いがあり,それぞれ給付内容や保険料負担,自己負担の有無などが異なるという点にあります。要するに,この設問は,労働者でなくても,狭義の社会保障(医療,年金)でカバーされるということ,しかし狭義の社会保障の場合は,労災保険の場合とは内容に差があるということです。

 少し前までは,ここまででよかったのですが,現在はほんとうなら労災保険の特別加入のことも話をしなければならないのかもしれません。映画撮影技師のような芸能従事者は,20214月以降,労災保険の特別加入のカテゴリーに追加されているからです(労災保険法施行規則46条の186号)。こうなると,労働者でないとしても,特別加入する道があるので,そのことも考慮して答えなければなりません。ということで,Q1に対する解答をつきつめていけば,大変なボリュームとなるので,時間の関係上,今回は特別加入のことは省略しました。ただ,もし特別加入が,政府が検討しているようにフリーランス全般に広がると,特別加入のこともきちんと話さなければならないでしょうね。たとえば特別加入で,みなし労働者になるとはいえ,本来的な労働者とではかなり差があって,給付基礎日額の選択といった特別の方法があったり,保険料の負担の仕方が違ったり,業務上外の判断も違ったりするなどの説明が必要で,そうなると労働者性の話をする前に労災保険法の話をしたほうがよいということになりそうです。でも労働者性の話というのは,ほんとうはそれだけを独立して論じても意味がなく,労働法の適用対象の範囲の問題であるという私の主張からすると,まずは労働者とされることにより適用される労働法の内容(また,労働者とされないことにより,どういうことになるか)から説明するのは当然ということになるのです。

 いずれにせよ,このQ1は,実はフリーランスと労働者の間のセーフティネットの格差という問題を扱っており,それはまさに今日のHOT ISSUEになっています。ケースブックの利用者の先生方は,Q1をいろんなかたちで活用して授業をしていただければと思います。

 

 

2024年4月19日 (金)

川口美貴『労働法(第8版)』,『労働者概念の再構成(新版)』

 関西大学の川口美貴さんから,『労働法(第8版)』(信山社)をお送りいただきました。充実の第8版というところでしょう。改版のスピードは半端じゃないですね。 さらに,もう1冊『労働者概念の再構成(新版)』(関西大学出版部)もお送りいただきました。ありがとうございます。
 後者のほうは,12年ぶりの新版だそうです。現在,労働者概念が再び注目されつつあるなか,学界に大きく貢献した業績をリニューアルされたということで,すばらしいと思います。
 もちろん,川口さんの労働者概念には異論もあるところです。「自ら他人に有償で労務を供給する自然人で,独立事業者でない者」というすっきりした定義がなされていて,(前にも書いたことがあるのですが)これは就労者を統一的にみようとする私の立場と基本的には通じるものがあるのですが,川口さんは,これを広く労働者(労働保護法制の対象者)に引きつけてしまおうとするところで,私とは根本体な方向性の違いがあります。また,「独立事業者でない者」という消極要件の範囲が明確でなければ,ご本人が主張されている労働者概念の客観性・明確性は損なわれるのですが,おそらく批判を意識されて,「供給する労務の内容が,①労務の供給を受ける事業者の事業内容の一部ではなく,②専属的継続的な労務供給でもない」という独立性の要件は充足することがほとんどなく,判断が難しそうな「独立した事業に必要な資産を有しそれを利用して労務を供給する」という要件が問われるケースはほとんどないと説明されています。
 労働者性を明確に定義しようというならば,これくらい思い切った定義をする必要があるのかもしれません。グレーゾーンとされてきた人たちは,基本的に,労働者として扱う方向に解釈することになるのでしょう。フリーランス法の「特定受託事業者」も,川口説によると,基本的には,労働者になってしまいます。
 私にとっての最大の疑問は,労働者概念は,労働法の適用範囲を画するための概念であり,労働法がこれだけ発展して多様化し,その適用範囲も柔軟に判断してく必要があると思われるなか,統一的な労働者概念で労働法の適用範囲を論じていく必要がどこまであるのかということです。このあたりは,川口さんとは根本的な考え方の違いがあるかもしれません。

 

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