労働法

2022年6月24日 (金)

尼崎のUSB紛失事件

 尼崎市で全住民の情報が入っているUSBメモリスティックが,これを持ち出した外部業者の社員の不注意で紛失してしまったという大変な事件が起きてしまいました。今日見つかって良かったですが,多くの人が論じているように,非常に困ったものです。
 第1に,市民の観点としては,もし神戸市で同じことが起きたらと思うとおそろしいので,これを機会に入念な点検をしてもらいたいです。政府もそのような通達を出しているようです。市民の個人情報にアクセスするような作業を外部に委託するのであれば,それはよほどセキュリティ管理をしっかりしなければ,とても許容できるものではありません。尼崎市は,「委託時に情報管理のルールを設けていたが,初歩的なミスが次々と明らかになった」(神戸新聞NEXT),ということのようです(市の担当者は,記者会見でも,PWの桁数をもらすという大きなミスをおかしています)。ルールは設けるだけではダメで,実効的な管理体制が必要です。あまりにも当然のことなのですが,「デジタルトラスト」の重要性が言われている今日,そこから大きくかけ離れている「初歩的なミス」で今回の事故が引き起こされたのだとすると,これはほんとうに情けないことです。業者の責任は当然ですが,尼崎市にも重い責任があり,市長は事態を深刻に受け止め,早急に何らかの今後に向けた対応をしなければなりませんし,その後に自分もしかるべき責任をとらなければならないでしょう。前にもフロッピーディスクを使っていた自治体の不祥事が世間の嘲笑をまねいたことがありましたが,メモリースティックで個人情報を外部へ持ち運んでいること自体,おそろしいことです。自治体のデジタル対応の遅れは悲惨なレベルですが,今回のことをきっかけに自治体のDXを本気で進めてほしいものです(内部で処理すれば安全というわけではありませんが,今回のような事故は回避できるでしょう)。
 第2は,労働法の観点です。この業者が,従業員に対して,秘密管理についてどのような義務を課していたかはわかりませんが,就業規則に違反しているのであれば,懲戒処分を受ける可能性はあるでしょう。しかも,報道によると,今回の作業は再委託していたようです。再委託先の従業員は,きわめて低い賃金で働かされていた可能性はないでしょうか。もし,この従業員が損害賠償を請求されることになると,元受託企業も再受託企業も落ち度がある可能性があるので,その場合には,過失相殺がされるでしょうし,それとは別に,損害賠償責任制限法理がかかってくるかもしれません。その際には,従業員の賃金額も考慮要素となってくるでしょう。ただし,故意による損害惹起であれば,責任は制限されませんが,重過失があっても同様と解される可能性があります。
 話は変わりますが,東大阪のセブン・イレブンの契約解除事件については,セブン・イレブン側が第1審では勝訴したようです(判決内容は,まだわかりません)。加盟店オーナーの労働者性は労組法上のものも含めて,否定される裁判が出ていますが,継続的な契約の解除については,たとえ労働契約法の適用がなくても,一般の権利濫用規定(民法13項)は適用可能で,その枠内でどのような判断がなされるのかという点は理論的に関心があるところです。契約において解除事由が具体的に列挙されていて,その事由に該当することをフランチャイザー側が立証できていれば解除は有効となると考えるべきであり,これは実は労働契約における解雇と同じだと思っています。ただ,その場合でも納得同意を得るように誠実交渉を行うべきというのが私の立場であり(拙著『人事労働法』(弘文堂)208頁以下),これは個人のフランチャイジーに対する場合にもあてはまると考えています(このことは,同書285頁では明記されていませんが,人事労働法の準用という観点から,そのようにいえると考えています)。オーナーは,損害賠償も請求されているようですが,損害賠償制限法理は,信義則が根拠なので,雇用労働者以外の個人事業主にも,理論的には適用可能性があるといえそうですが,かりにそうだとしても,今回の事件が賠償額が減額されるべき事案であったかは,よくわかりません。

2022年6月16日 (木)

EUの労働政策

  EUは長い目でみれば斜陽の地域であり,労働法の分野でも, EUから学ぼうという姿勢が強すぎる人が多いのはどうかと日頃から思っているのですが,そうは言っても,やはりまだ学ぶことはありそうだと思うこともあり,私の評価は揺れ動いています。とくにEUは戦略をたてるのが上手であり,たとえばデータ社会となることを見越して,GDPR(一般データ保護規則)でルール形成を主導して,競争上優位に立とうとする姿勢などは見事です。
  いま労働法の世界で最もホットなissueは,プラットフォーム労働でしょう。私もいま共同研究に着手しています。昨年12月のEUの指令案は,おそらく多くの労働法研究者がすでに分析を始めていると思います。プラットフォーム労働やフリーランス政策などで,なかなか突破口がみつからないなかで,EU労働法は,多くの研究者が参考にしようとしているでしょう。そうしたなか,濱口桂一郎『新・EUの労働法政策』(JILPT)は,最新の動向も入っていて,とても役に立つ貴重な文献です。いつも,お気遣いいただき,ありがとうございます。
 ところで,私がいま関心をもっているのは,プラットフォーム労働という新しい現象にどう斬り込んでいくかです。新たな発想が必要となるのですが,そういう問題関心からは,EUはやや保守的かもしれません。また,プラットフォーム労働は,雇われない働き方の一類型であり,フリーランス政策の一つとしても注目すべきものです(濱口さんからは『フリーランスの労働法政策』もいただき,これも大変参考になる本で感謝しております。超人的な仕事量ですね)。日本労働法学会誌の最新号でも「プラットフォーム・エコノミーと社会法上の課題」が扱われていますし,ジュリストの最新号でも「プラットフォームワークと法」が特集されており,当面は,デジタルプラットフォーム,フリーランス,EUが,労働法研究のキーワードとなりそうです。
 ところで,濱口さんからは,もう一冊,『ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書)をいただいておりました。お礼が遅くなり申し訳ありません。先日の税制調査会でも,濱口さんのジョブ型への思いのこもった熱弁を聴いて,感銘を受けました。私の印象では,「ジョブ型」は,諏訪康雄先生の「キャリア権」と同じように,いまや「創業者」の手から離れた概念であり,各人がそれぞれ定義して使ってよいような気がします。ただいろんな人が「ジョブ型」という言葉を勝手に都合良く使って適当な議論をしていることは,「本家」としては看過できないことであり,そのいらだちは理解できないわけではありません。
 労働者の採用がジョブ限定となり,賃金も職務給になっていくという意味でのジョブ型については,政策的に誘導するかどうかではなく,DXが進むと,おのずからそうなっていきます。だからジョブ型に備えた政策を考えなければならないという点こそ重要だと思っています。ジョブ型となれば,雇用は流動化しやすいし,解雇は現行法の下でも理論的にはやりやすくなります(解雇回避の範囲が狭まるからです。もちろん,実際に解雇をどこまで自制するかは企業次第です)。この点の私見については,拙著『雇用社会の25の疑問―労働法再入門―(第3版)』(2017年,弘文堂)の第12話「ジョブ型社会が到来したら,雇用システムはどうなるか。」を参照してもらえればと思います。

 

 

 

2022年6月14日 (火)

社会的責任と法的責任

 ネット情報ですが,ファミリーマート事件とセブン-イレブン・ジャパン事件の中労委命令の取消訴訟の東京地裁の第1審で,労働者性を否定した命令を維持する判決が,66日に出たそうです。判決文をみていないので論評はできませんが,どのような判断がされたのか大注目です。社会的に重要性をもつ判決文については,中労委のサイトで,できるだけ早くアップしてほしいです。またアマゾンの配達員の労働組合の結成も話題になっていますし,ウーバーイーツの配達員のユニオンの不当労働行為紛争も東京都労働委員会にかかっているようです。
 これらの動きについての,私の考え方は,すでにいくつかの媒体で書いていますが,それは要するに,労組法上の労働者性や使用者性という法的問題とは関係なく,まず企業の社会的責任として,しかるべき協議に応じて,加盟店や配達員の働く環境の改善に取り組むことが大切ということです。社会的責任が根底にあり,そのなかで法的責任とされている部分は,もちろん法的な責任をとり(その具体的な意味は,違反に対して法的なサンクションがあるということです),でも法的責任にかからない場合でも,まったく責任をとる必要がないというわけではなく,社会的責任をはたすべきであるということです。いったん裁判や労働委員会で争われるようになっても,上記のようなところをうまく取り込んだ和解ができるのがベストだと思っています。
 個人的には,現行法では,基準が明確にされず,裁判をしてみなければわからない労働者性や使用者性の問題にこだわりすぎると,かえって時間やエネルギーを空費するのであり,むしろアクションを起こすとすれば,その対象は司法よりも,立法のほうではないかと思っています。もともと労働者性や使用者性は,明快な基準で判断されるものではない以上,どう結論が出ても,どちらかの当事者に不満が残り,最高裁まで争われることになるでしょう。法的な責任にこだわるのは,私に言わせると,時代が変わって新しいルールが必要となってきているなかで,なお旧来のルールで解決を模索しようとするものなのです。個々の当事者の抱える問題を解決するという観点からは,そういう行動に意味がないとは言いませんし,私も法科大学院では,旧来のルールの下での解釈論を教えています。しかし,その一方で新しいルールを模索することも大切であり,そのことが,ひいては働いている人にとってプラスになり,またそうした人を活用して事業を営んでいる企業の持続可能性にもプラスになるのです。そうなると司法より立法となります。医学でいえば,新しい病気が現れたときに,現在の知見に基づいて,どのようにすれば良い治療ができるかを考えることも当面は重要ですが,新たな知見で治療に臨めないかを考えたいということです。
 ところで,フランスの労働法典では,2016年以降の法改正により,プラットフォーム企業に対する「社会的責任(responsabilité sociale)」として,一定の「法的な責任」を定めています(詳細は,浜村彰・石田眞・毛塚勝利編『クラウドワークの進展と社会法の近未来』(労働開発研究会)の第6章「フランスにおけるクラウドワークについての法的状況」(鈴木俊晴・小林大祐執筆)を参照)。対象となる労働者は,「travailleur indépendant」(独立労働者,自営業者)であることが明記されており,労働法典の本来の対象である従属労働者(travailleur subordonné:salarié)ではないけれど,デジタルプラットフォーム企業は、一定の「社会的責任」(労災保険の保険料負担,職業訓練の拠出金,団体権等の承認など)を負うべきであるとしています。これが私が言っている「社会的責任」と同じ意味なのかは,はっきりしません。フランス法の原理的なところは今後の研究に託すとして,いずれにせよ,プラットフォーム労働者について,労働者性がないとしても(裁判所において従属労働者として認められる余地はありますが),立法で企業に一定の「社会的責任」として具体的な義務を定めたところは大いに注目されます。
 私は,企業の「社会的責任」は,企業(会社)のもつ本来的な公共性に起因する基底的な責任であり,法的な責任は,そのなかの一つにすぎないと考えています。プラットフォーム企業の「社会的責任」の原理的根拠は,人間の労働を使って利益を上げているという点に求められるのであり,それはその労働が従属労働であるか独立労働であるかは関係ないのです(とくにICTの進行は,こうした区別をいっそう意味のないものとしています)。フランスのように立法化された部分は法的責任となりますが,そうではない部分も,なお社会的責任はあり,それについては,いかにして企業がその責任を果たすことができるようにするかを考えていくかが重要なのです(これは,私の「人事労働法」の考え方につながります)。もちろん,立法(そこにもハードローからソフトローまで多様なアプローチが含まれます)もあれば,自主規制もあるし,そういう様々な方策を視野に入れて立法構想を立てることが重要なのです。これが,まさに私が最も力を入れて取り組んでいる研究課題です(拙稿「DX時代における労働と企業の社会的責任」労働経済判例速報2451号も参照)。

2022年6月12日 (日)

すかいらーくの新勤務時間管理方式について

 新聞報道でしか知りませんが,すかいらーくホールディングスが,アルバイトの時間管理を従来は5分単位とし5分未満を切り捨てていたのを,1分単位とすることとし,過去2年の差額分の賃金を支払うと発表したそうです。労働組合の要請を受けたものだそうですが,厚生労働省の,労働基準法上は賃金は全額払わなければならないというコメントとセットで報道されていて,すかいらーくが違法な行為を是正したというような印象を与えています。事実の詳細はよくわかりませんが,ひょっとしたら誤解があるかもしれないので,ここで,すかいらーくのケースがどうであるかとは切り離し,一般的な説明をしておきましょう。
 重要なのは,法定労働時間の枠内での通常の賃金と法定労働時間の枠を超える場合の割増賃金とで分けて考える必要があるということです。そもそも,賃金を1分単位で払わなければならないというような原則はどこにも定められていないと思います。労働者の賃金は時間給であるという誤った考え方があり,ホワイトカラー・エグゼンプションは「脱時間給」であるというミスリーディングなネーミングを付与する日本経済新聞のような立場もありますが, 法定労働時間の枠内であれば,賃金をどう定めようが,最低賃金や差別禁止規制(非正社員への均等・均衡規制なども含む)に反しないかぎり自由に決めることができます。アルバイトの時給において,5分未満を切り捨てるという合意をしておけば,それも有効となります(理論的には,民法90条により公序良俗に反すると判断されることはありえますが,結論として,そうは判断されないでしょう)。これは賃金全額払いの原則(労働基準法24条)とは無関係なのです。賃金全額払いの原則は,発生した賃金請求権を前提に,その全額を支払えというものですので,例えば3時間3分働いたのに,3時間分の時給しか支払われなかったというのは,「賃金の決め方の問題」であり,そういう契約であれば,3時間分の時給賃金しか発生しないことになる以上,3時間分の時給賃金を支払うことで,賃金を全額払ったことになるのです(ただし,きちんと1分単位で支払うかのような労働条件で契約をしている場合は,それは契約上,3時間3分に相当する賃金を支払うべきことになり,実際に契約がそのように解釈されることも多いでしょう)。「賃金の決め方の問題」は,法律マターではなく,契約・交渉マターであり,したがって,労働組合が交渉により1分単位で計算するように求めることもまた自由で,企業がこれに応じれば1分単位になるということです。そういう決め方をした以上は,今後は1分単位で計算された時間賃金を支給しなければ,全額払いの原則の違反となります。ちなみに精密に時間管理ができる場合,秒単位で支払うという合意も可能でしょう。なお,これをかりに賃金全額払いの原則とみた場合も,行政通達は独自に,1カ月単位で端数処理のルールを定めており,100円未満の端数の四捨五入を認めています。しかし,これは行政解釈にすぎず,労働基準法24条の解釈として,ほんとうに許されるかは何ともいえません。誰かが裁判で争えば,違った法解釈が示される余地もあるでしょう。通達はあくまで行政が決めた解釈にすぎず,最終的な法解釈ではありません。
 以上の話と割増賃金は話がまったく異なります。割増賃金は,その決め方について法律に縛りがあり(なお,計算方法については自由に決められるが,最終的な額は拘束されるというのが判例・行政の立場),割増賃金は時間数に連動して算定され,勝手に端数時間を切り捨てることはできません(切り上げることは,労働者に有利な扱いなので,労働基準法13条により許されます)。割増賃金にも全額払いの原則が適用されると解されているからです(この解釈には異論はないでしょう)。もっとも厳格な時間連動を求めることには無理があるということで,ここでも通達は,事務簡便のための端数処理について,ルールを定めています。ただこれはあくまで事務簡便のためのものであり,時間の端数にせよ,割増賃金の時間あたりの額を算定する際の円未満の端数にせよ,理論的には,当然に四捨五入的な扱いをしてよいというわけではありません。もっとも,どこかで区切らなければいけないわけですが,通常はコンピュータ処理がされている以上,円未満や分未満でも,できるだけ細かく計算して積み上げてほしいと考える人がでてきてもおかしくはないかもしれません(なお,以上の通達については,1988314日基発150号を参考にしてください)。
 以上のことは,法定労働時間の枠内での通常の賃金の話と枠外での割増賃金とでは,法的ルールがまったく異なるということに関係するものですが,この点について,実は厚生労働省も,疑問符がつく通達を出しています。それは,フレックスタイム制(労働基準法32条の3)の月またぎの繰り越しについて,賃金全額払いの原則違反となるというものです(198811日基発1号)。具体的には,たとえば清算期間を1カ月とするフレックスタイム制において,月の総労働時間を超過した労働をした場合,その労働時間を次期に繰り越して,次期の総労働時間を減らすという取扱いは,労働時間の貸借制としてありうることですが,法定労働時間の枠を超える場合は別として(これは法定の割増賃金の対象となる),そうでない限りは,やはり「決め方の問題」として,超過があろうがなかろうが,賃金は定額にするといった合意も有効となるのです。ところが,通達は,これが賃金全額払いの原則に反するとしています。賃金は,法定労働時間を超える時間外労働以外の部分も,時間給で計算しなければならないという法律上の根拠のないルールをもちこんでいるからです。いったい実務は,この点はどのように運用しているのでしょうか。通達には逆らえないということかもしれませんが,それなら過剰な規制となります。
 なお,ある月の総労働時間より少ない労働しかせず,次期にその分だけ余分に働いた場合,これも法定労働時間の枠内におさまっていれば,定額にする取扱いであっても「決め方の問題」として有効となるはずです。ところが通達は,これをやはり時間給の発想で,前期は過剰に支払われているとみて,翌月に定額でしか支払わなくても,前期の過払いの調整をしたという調整的相殺の考え方(これについては,拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第94事件の福島県教組事件を参照)で適法としています。前述したことからすると,通達の前提はおかしくて,前月の過払いもなければ,当月の過小払いもないと解すべきなのであり,ほんとうは調整的相殺の問題ではないのです(菅野和夫『労働法(第12版)』(2019年,弘文堂)の541頁を参照)。

2022年6月 7日 (火)

健康診断と健康診査

 法律において「健康診断」という言葉が使われることがありますが,私が不勉強なだけかもしれませんが,その定義はどうも明確ではないように思えます。 労働安全衛生法66条のように,「健康診断」の定義はされていなくても,「健康診断」として何をするかが明確になっているものであれば,そういうものを健康診断と呼ぶと考えれば済むので,「健康診断」の定義をあえてする必要はないのかもしれません。しかし,次のような場合はどうでしょうか。
 育児介護休業法は,小学校就学の始期に達するまでの子を養育する労働者に対して,子の看護休暇というものを,原則として,年間5日認めています。この休暇は,「負傷し、若しくは疾病にかかった当該子の世話又は疾病の予防を図るために必要なものとして厚生労働省令で定める当該子の世話を行うための休暇」と定義されています(16条の2)。そこでいう「厚生労働省令で定める当該子の世話」とは,「当該子に予防接種又は健康診断を受けさせること」とされています(同法施行規則32条)。「健康診断」という言葉が出てくるので,そこでいう健康診断がどういうものであるかがはっきりしなければいけません。常識的には,健康診断とされるものの範囲は特定できるのだと思います。ただ若干気になるのは,母子保健法に基づく「健康診査」が「健康診断」に含まれるのかです。いわゆる一歳半児検診や三歳児検診については母子保健法121項では「健康診査」とされており,男女雇用機会均等法12条でも「健康診査」という言葉が使われています。もし「健康診査」と「健康診断」が別の概念であるのであれば,「健康診査」のために子の看護休暇をとることはできないことになってしまいそうです。
 ネット上は「健康診断」と「健康診査」は根拠となる法令によって言葉が違うだけで内容は同じという情報が飛びかっているようであり,おそらくそういうことなのかもしれませんが,その根拠はよくわかりません。
  同じ労働法の分野の法律なので,まぎれがないようにするためには育児介護休業法施行規則にいう「健康診断」には母子保健法上の「健康診査」も含むという括弧書きを入れておいてもらえればと思います。
 前から男女雇用機会均等法の説明をする時に,12条に軽くふれて,女性労働者の保健指導と健康診査に必要な労働時間の確保することができるようにしなければならないという規定があると説明はしていました。そのときに「健康診査」という言葉への違和感(これはどういう意味であろうという,かすかな疑問)はあったのですが,あまり突き詰めて考えていませんでした。
 

2022年6月 6日 (月)

日経新聞にインタビューで登場

 今朝の日本経済新聞の電子版の「オピニオン」欄で,編集委員の水野裕司さんの「解雇の金銭解決,日本も動き 柔軟な設計で新陳代謝促せ」というタイトルの記事が掲載されています。そのなかで私たちの『解雇規制を問い直すー金銭解決の制度設計』(2018年,有斐閣)もとりあげていただき,編著者である東大の川口大司さんと私の発言が紹介されています。政府の金銭解決とは違った方向で,抜本的な解雇規制を提言した私たちの問題提起に関心をもっていただけたのは,たいへん有り難いことです。この本は,いろんな意味で実験的な本であり,内容も少し難しいところがあるかもしれませんが,きちんと説明をする機会さえ与えてもらえれば,一般の人にも理解できるものだと思っています。水野さんも,しっかり質問してくださり,うまく読者に伝えるよう努力してくださったと思います。一研究者としては,私たちの提案が労政審などで採り上げられるかどうかは,どうでもよい話ともいえるのです(研究者としての評価が高まるわけでもありません)が,一国民としては,きちんとした私たちの提案に向き合ってもらわなければ困るという気持ちが強いです。私たちの提案した法制度をそのまま導入すべきであるといっているわけではなく,そこで示している考え方をふまえて,制度設計の検討をしたほうがよいということなのです。その時期が早ければ早いほど日本の経済にとってプラスになり,後れれば後れるほど,制度導入に混乱と困難が生まれやすくなります。次の参議院選挙の結果次第かもしれませんが,その後のしばらく選挙がない時期に,ポピュリスティックな議論から距離を置いて,解雇法制も改革を進めておくことが必要です。安倍政権のときにも同じような時期があったのですが,政府はうまく制度設計づくりに取り組めませんでした。「解雇イコール労働者への不利益」という固定観念を壊し,金銭解決を労働者の保障制度に組み直すこと,具体的には,企業は十分な金銭補償をすれば解雇できるが,それができないかぎりは解雇してはならないというところがポイントなのです。しかも,労働市場の流動化が進むと,解雇による逸失利益は減り,金銭補償額も低減することになり,そういう方向へと労働市場の構造改革を進めることが必要であるというメッセージも同書には含まれています。解雇法制は,労働市場改革の最も基礎になる部分です。ここにきちんと取り組まなければ,他のところを,どういろいろいじっても大した成果は出ないでしょう。そろそろ政治家や政策担当者は,このことに気づくべきでしょう。厚労省も,労政審とは別に,若手官僚を集めて,現在同省がやっている議論とはまったく別の解雇規制改革プロジェクトを立ち上げてみてはどうでしょうか。若手にとっても,非常にやりがいのある仕事になると思いますが(余計なお世話ですね)。

 

2022年6月 3日 (金)

みずほの裁量労働制廃止に思う

 昨日の日本経済新聞で,みずほ銀行が,企画職に20年前から導入されていた裁量労働制を廃止するという記事が出ていました。裁量労働制が,過重労働を引き起こし,行員の働きがいを奪っていることが理由のようです。
 導入されていたのは裁量労働制のなかの企画業務型裁量労働制(労働基準法38条の4)だと推察されますが,今回のみずほの動きが,大企業における企画職における裁量労働制の「失敗」を意味するものであれば,これは労働法的にも注目すべきものとなります。裁量労働制,とりわけ企画業務型裁量労働制はもともと評判がよくないところがあり,やっぱりこういう制度はないほうがよいという議論になっていかないかが心配です。
 注意すべきは,この銀行の企画職が,ほんとうに裁量労働制に適した業務をしていたのか,です。労働基準法上は,企画業務型裁量労働制について,「事業の運営に関する事項についての企画,立案,調査及び分析の業務であつて,当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量に委ねる必要があるため,当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務」を対象とするとしています(同条11号)。みずほでは,もしかしたら「当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしない」というような働き方になっていなかったのかもしれません。もし,そうだとすると,裁量労働制は,企業が,割増賃金(労働基準法37条)を支払わずに長時間労働をさせることが可能なシステムにすぎないものとなります。本来,そうならないように,厳格な要件(労使委員会の5分の4以上の多数で,所定の事項についての決議をして,労働基準監督署長に届け出ることなど)が導入されているのですが。
 私は裁量労働制については,こうした厳格な要件があるため,使い勝手が悪いので見直しが必要だという主張と並んで,この制度を導入しても,日本ではこれに適したプロ人材が少ないことが問題だという観点からの懸念も表明してきました。自らの裁量で業務を遂行し,賃金は成果で評価して決めてもらうという人材がもっと増えなければならないのですが,そういう人材が少ないので,日本企業の競争力は高まらないのです(類似の問題意識で,かつて現代ビジネスに寄稿したことがあります。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55457?imp=0)。
 みずほも,結局は,企画業務型裁量労働制にふさわしい人材がいなかったということなのでしょうかね。時間管理(さらに健康管理)をきちんとできるだけの裁量が与えられていない労働者が,割増賃金のない働き方をさせられるとなると,働きがいがなくなってしまうのは当然でしょう。ほんとうは,その逆に,時間管理も健康管理も自分でやるから,しばられない働き方をさせてほしいという人材を多く抱えなければダメで,そのためにも現在の法規制は厳格すぎるという声が企業のほうから出てきてほしいのですが,今回のみずほの動きは,その逆のようです。
 そう思ってしまったのは,日本経済新聞で連載されていた「みずほリセット100日」を読んだからでもあります。記事で指摘されていたのは,閉鎖的な企業風土,「言うべきことを言わない,言われたことだけしかしない」行員たち,社内のデジタル化やデジタル戦略の遅れ,取引先への上から目線,出世のモチベーションが専用車のあるポストにつくこと,情報システムという基盤技術をベンダー任せにしていること,文系出身で占める経営企画部の力が強く,ポストは年次で決まる要素が強いことといった数々の大企業病でした。もちろん,その解決に挑んではいるものの,記事をみるかぎり,なかなか結果が出そうにありません。おそらく,これはみずほだけでなく,他の業界も含めた大企業に共通する問題であり,また役所にもあてはまるものでしょう。上記のような大企業病があるかぎり,優秀な若者は逃げていくでしょう。
 裁量労働制の廃止という時代に逆行する動きのなかに,本来なら従業員のやりがいを高めるために活用可能な裁量労働制を使いこなすことができなかった企業の「未来のなさ」が現れているように思います。

2022年5月30日 (月)

育児介護休業法は難解

 育児介護休業法の改正のうち,とくに重要な部分が10月に施行されますが,JILPTの『2022年版 労働関係法規集』(いつも助かっていますが,医療法とか余計なものが入ったのは残念でした)をみると,新旧対照ができてよかったのですが,それゆえ改めて,条文が難解きわまりないものであることが確認できた感じがします。正直なところ,条文を読んだだけでは,何が書いてあるのか,よくわからないところも多々あります。施行規則の重要性が高いのも,この法律の特徴です。法改正について情報を行政が独占し,行政にすがらなければ,どのような権利義務があるかわからないようにしているのではないかと邪推したくもなります。情報の政府独占は,民主主義社会において,最も避けるべきことなのですが。
 批判するばかりでは建設的ではないので,どういう条文を作ったら読みやすくなるかを考えるプロジェクトを立ち上げてみたいなとも思っています。市民目線での法文を,というのは,昔から主張しているので(『労働法実務講義』(日本法令)では2002年の初版のときから,このようなメッセージをこめたコラムを書いていました[初版では200頁]),いつか本格的に着手してみたいです。やってみると,現在の法律と変わらないものとなるかもしれませんが,それはそれで意味のある発見となるでしょう。

 今回の改正について,お暇な方は,次の育児休業クイズをやってみてください。初級編ですから,対象者は,労働法を専門とする弁護士や社会保険労務士以外の方です。

1 改正により育児休業が2回まで分割取得できることになります。その条文上の根拠はどこにありますか(育児介護休業法)。

2 改正により新設される出生時育児休業は,2回まで分割取得できることになります。その条文上の根拠はどこにありますか(育児介護休業法)。

3 概念の問題です。出生時育児休業は,育児休業の下位概念でしょうか,それとも並列的な概念でしょうか(育児介護休業法)。出生時育児休業申出は,育児休業申出の下位概念でしょうか(育児介護休業法)。出生時育児休業給付金と育児休業給付金の関係はどうでしょうか(雇用保険法)。

2022年5月10日 (火)

吉野家の外国籍学生排除問題について

 吉野家が,新卒採用の説明会に外国籍の大学生の参加を拒否していたことが報道されていました。拒否の理由は,就労ビザの取得が困難で,内定を出しても入社できない可能性があるため,ということのようです。これがどこまで説得的な理由となるかはよくわかりません。過去にそうした例があったからといって,そういう取扱いを一律に行うのだとすると問題でしょう。差別というのは,そういうステレオタイプな発想による取扱いから生じるのです(「君は黒人だから・・・」「君は女性だから・・・」という発想がダメということです)。
 法律論でいえば,労働基準法3条は均等待遇原則を定め,国籍を理由とする差別的取扱いを禁止していますが,通説は,これは労働契約成立後を対象とするものなので,採用前の段階には適用されないとしています。ただ,労働契約締結前を対象とする職業安定法の3条も,均等待遇原則規定を置き,「何人も,人種,国籍,信条,性別,社会的身分,門地,従前の職業,労働組合の組合員であること等を理由として,職業紹介,職業指導等について,差別的取扱を受けることがない」と規定しています。今回の吉野家のケースは,「職業紹介,職業指導等」をどこまで広く解釈するかによりますが,たとえ法律に抵触しないとしても,採用時の公正な取扱いは,企業の社会的責任として果たすべきものです。どのような基準で選考をするかは企業の裁量があるとしても,基本的には能力と適性に結びつく基準で採用選考するというのが,公正な採用のポイントです(拙著『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(弘文堂)63頁)。今回は採用基準の問題ではないともいえますが,たとえそうであるとしても,企業には,とりわけ性,年齢,障害,国籍などに関係する取扱いは差別的であると誤解されないような慎重な行動が求められ,「強い」対応(就職説明会から排除するなど)をする場合には,本人に納得をしてもらえるように誠実に説明すべきとするのが,人事労働法の発想です。
 採用前なのだから,そこまでやる必要があるのかという疑問も企業側にはあるかもしれません。しかし,就職説明会を実施するなど一般的な形で求人をしている企業は,そこに参加を求めてきた求職者との間では,信義則が適用されるべき社会的接触が生じているとみることもできるでしょう。そうなると法的な関係があることになります。かりにそこまで言えなくても,企業は求職者との社会的接触がすでに生じている以上,求職者の人格的利益に配慮した行動をとるのが,企業の社会的責任として求められるのです。こうした非法的な責任まできちんと果たすことは,企業に求められる良き経営の基本といえるのであり,それが企業価値を損なわないためにも必要なのです。ESG投資の時代の株主は,そういう点を見逃さないでしょう。
 私は吉野家の牛丼には関心がありませんが,誰もが知っている著名な企業が,今後,どのように変化していくかについては関心をもって見ていきたいと思います。

2022年5月 5日 (木)

休日は大切

 今日で連休(連続の休日)が終わる人も多いでしょう。今年のゴールデンウイークは,後半は晴天が続いて,人出も多かったようであり,いよいよコロナとの共生が始まったといえるかもしれません。マスクをつけていない人も徐々に増えているようです。私は当分はマスク着用派でいるつもりであり,マスクを付けない人が集まるところには行かないつもりです。これはコロナ対策ということもありますが,長年悩まされてきた秋や春に起こるしつこい咳の症状が出なくなったことでQOLが飛躍的に向上したので,因果関係はよくわかりませんが,いまの行動形態を変えなければ,それが続くのではないかと期待しているからです。
 明日も休みにして,来週の月曜から仕事が始まる人もいるでしょう。ただでさえ月曜は,週休2日の場合でも,これから5日働かなければならないと思うと気が重いのに,連休明けとなるといっそうでしょう。これがもし週休3日で,たとえば水曜が休みとなると,ずいぶん気が楽になるかもしれません。2日頑張れば休みがあるというのと,5日頑張れば休みがあるというのとは,大きく違うはずです。
 週休3日は,英語ではfour-day workweekと言い,アメリカなど海外でも導入の動きがあるようです。労働日の短縮がどれだけ生産性の向上に役立つかは業種によって異なるのでしょうが,テレワークなどと並び,労働者の時間主権(や場所主権)を強化する動きとして注目されています。もちろん,生産性の向上により,企業にもメリットがあることが,徐々に実感されてきているのではないかと思います。
 労働基準法は最低基準規制なので,週休は1日でよいというように,どうしても控えめになりますが,これからはデフォルト設定が法の重要な役割であるという私の発想からは,「標準就業規則」はせめて週休2日にすることは考えてもよいかもしれません(拙著『人事労働法』(弘文堂)187頁以下では,そこまでは踏み込んでいませんが)。ただ,それより重要と思うのは,労働基準法が休日労働をわりと簡単に認めていることです。週1日の貴重な休日であっても,三六協定と割増賃金という条件がそろえば,合法的に労働させることができます。もちろん就業規則上の根拠か本人の同意は必要となりますが,休日に労働をさせてもかまわないということ自体が大きな問題であるというのが,私の年来の主張です。 
 休日労働は原則禁止とし,労働基準法33条に該当するような場合を除き,納得規範に基づき例外的に許容するという規制にしていくことが必要と考えています(詳細は,上記拙著188頁)。

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