労災保険制度
昨日の続きです。
労災保険制度の趣旨というと,通常は,民法の不法行為から始まり,無過失責任論,それを根拠付けるための危険責任論や報償責任論などの説明をするのですが,そもそもなぜ医療保険ではいけないのかというところから考えていく必要があります。
日本の健康保険をみると,医療の現物給付だけでなく,傷病手当金のような所得補償もしています。労災保険とかぶっているのです。もちろん給付内容は労災保険のほうがよいので,労働者は労災保険の請求を求めます。業務起因性などの業務上かどうかの判断では,労災保険か健康保険かの違いが出てきて,労働者性の問題がかかわってくると労災保険か国民健康保険かの違いが問題となります。労働者性のほうが問題は深刻であり,もし労働者性を否定されると,国民健康保険の適用になり,そこでは,たとえば傷病手当金は任意の制度にとどまり,実際には支給されていないのです(いまは新設が認められていない国民健康保険組合において,認められる例があるにとどまっている)。
労災保険が労働者に有利な内容となっているとすれば,そもそもなぜそうなのかが問われなければなりません。労働者は保護されるべきだということで終わると,まさに昨今のフリーランスの問題に背を向けることになります。精神障害にかぎっても,心理的負荷というのは,別に労働者だけにあるのではありません。もし労災保険制度が,工場労働者の危険・有害労働だけに限定されているのならば,ブルーカラー的な仕事に従事しないフリーランスには,適用の可能性を否定してよいでしょう。しかし,今日の労災保険は,そういうのではなく,まさに精神障害に関する認定基準の拡大が示すように,どんどんホワイトカラー的な仕事でも,業務の危険性を認めて,労災によるカバーの範囲を及ぼすようにしているのです。こうなると,ホワイトカラー的な仕事に従事するフリーランスとの関係はどうなのかということが,問題とならざるをえないでしょう。だから特別加入があるのだという意見もあるのですが,これはこれで問題です。そもそもフリーランス新法の参議院の付帯決議にあるような,希望者に特別加入を広げるというのは,特別加入制度のもつ例外としての位置づけと整合性があるのかという問題があります。「みなし労働者」を無限定に広げるとなると,これは,労災保険は労働者のための制度という性格を失うことにつながります。もちろん特別加入の保険料は本人負担である(発注者側などが負担してくれれば別ですが)とか,いろいろ制限があり,使い勝手が悪いので,特別加入の拡大は労災保険の拡大だとはストレートに言えないという留保はつけられますが,それでもやはり制度の対象をフリーランス全員に広げうるということ自体が,すでにこの制度の普遍性(労働者だけのものではないこと)を示していて,そして,そのことは通常の医療保険との違いを曖昧にするのです。
また労災保険の労災予防的な機能というのはありえても(メリット制で事業者の保険料にはねかえる),とくに精神障害の認定基準の晦渋さは半端ではないので,事業者にとって予防行動をとるインセンティブにならないでしょう(これは安全(健康)配慮義務の内容の不明確性とも関係します)。要するに,予防行動をしても仕方がないと思わせてしまうのです。私の提唱する「人事労働法」的には,これは非常に問題です。法の遵守は,そのことにメリットがなければ,うまく機能しないと思っています。精神障害の悪化に関する認定基準は,行政に対して,医学的な判断の尊重を求めていますが,これについては,裁判所のレビューもあり,行政,医学,司法と三段階のフィルターをとおして,ようやく最後の結論がでて,しかもそれは個別判断とされているので,普通に考えれば,そんなルールの遵守にまじめに取り組もうとする気はなくなるでしょう(どこまでのことをすればよいのかが,はっきりしないということです)。もちろん,企業には従業員が精神的にも健康な状態で働いてもらうことには大きなメリットがあるので,従業員の健康に配慮することへのインセンティブはあるのですが,それは義務の履行という法的な話とは別の人事管理の問題です(もっとも,「人事労働法」は,その人事管理の発想と労働法とを融合させようとする試みなのですが)。
業務起因性や労働者性の判断が,労災の適用範囲に関係がないことになれば,上記のような問題は解決します。私は働き方に中立的なセーフティネットを構築すべきで,労災保険も改革の対象に入れるべきだと思っています。国民健康保険,健康保険,労災保険を統合し,業務起因性の有無や労働者の有無に関係なく統一的な制度を設け,そこでの給付で充足されない労働者に固有の損害があれば,そこは民事損害賠償でやればよいというのは,一つのアイデアだと思っています。厚生労働省は絶対に受け入れないと思いますが,なんでも考えてみようというのが研究者の仕事です。実現可能性などにあまりこだわらず,まずは本筋の制度はどういうものかを考えていくことも大切ではないかと思います。