労働法

2023年9月16日 (土)

労災保険制度

 昨日の続きです。
 労災保険制度の趣旨というと,通常は,民法の不法行為から始まり,無過失責任論,それを根拠付けるための危険責任論や報償責任論などの説明をするのですが,そもそもなぜ医療保険ではいけないのかというところから考えていく必要があります。
 日本の健康保険をみると,医療の現物給付だけでなく,傷病手当金のような所得補償もしています。労災保険とかぶっているのです。もちろん給付内容は労災保険のほうがよいので,労働者は労災保険の請求を求めます。業務起因性などの業務上かどうかの判断では,労災保険か健康保険かの違いが出てきて,労働者性の問題がかかわってくると労災保険か国民健康保険かの違いが問題となります。労働者性のほうが問題は深刻であり,もし労働者性を否定されると,国民健康保険の適用になり,そこでは,たとえば傷病手当金は任意の制度にとどまり,実際には支給されていないのです(いまは新設が認められていない国民健康保険組合において,認められる例があるにとどまっている)。
 労災保険が労働者に有利な内容となっているとすれば,そもそもなぜそうなのかが問われなければなりません。労働者は保護されるべきだということで終わると,まさに昨今のフリーランスの問題に背を向けることになります。精神障害にかぎっても,心理的負荷というのは,別に労働者だけにあるのではありません。もし労災保険制度が,工場労働者の危険・有害労働だけに限定されているのならば,ブルーカラー的な仕事に従事しないフリーランスには,適用の可能性を否定してよいでしょう。しかし,今日の労災保険は,そういうのではなく,まさに精神障害に関する認定基準の拡大が示すように,どんどんホワイトカラー的な仕事でも,業務の危険性を認めて,労災によるカバーの範囲を及ぼすようにしているのです。こうなると,ホワイトカラー的な仕事に従事するフリーランスとの関係はどうなのかということが,問題とならざるをえないでしょう。だから特別加入があるのだという意見もあるのですが,これはこれで問題です。そもそもフリーランス新法の参議院の付帯決議にあるような,希望者に特別加入を広げるというのは,特別加入制度のもつ例外としての位置づけと整合性があるのかという問題があります。「みなし労働者」を無限定に広げるとなると,これは,労災保険は労働者のための制度という性格を失うことにつながります。もちろん特別加入の保険料は本人負担である(発注者側などが負担してくれれば別ですが)とか,いろいろ制限があり,使い勝手が悪いので,特別加入の拡大は労災保険の拡大だとはストレートに言えないという留保はつけられますが,それでもやはり制度の対象をフリーランス全員に広げうるということ自体が,すでにこの制度の普遍性(労働者だけのものではないこと)を示していて,そして,そのことは通常の医療保険との違いを曖昧にするのです。
 また労災保険の労災予防的な機能というのはありえても(メリット制で事業者の保険料にはねかえる),とくに精神障害の認定基準の晦渋さは半端ではないので,事業者にとって予防行動をとるインセンティブにならないでしょう(これは安全(健康)配慮義務の内容の不明確性とも関係します)。要するに,予防行動をしても仕方がないと思わせてしまうのです。私の提唱する「人事労働法」的には,これは非常に問題です。法の遵守は,そのことにメリットがなければ,うまく機能しないと思っています。精神障害の悪化に関する認定基準は,行政に対して,医学的な判断の尊重を求めていますが,これについては,裁判所のレビューもあり,行政,医学,司法と三段階のフィルターをとおして,ようやく最後の結論がでて,しかもそれは個別判断とされているので,普通に考えれば,そんなルールの遵守にまじめに取り組もうとする気はなくなるでしょう(どこまでのことをすればよいのかが,はっきりしないということです)。もちろん,企業には従業員が精神的にも健康な状態で働いてもらうことには大きなメリットがあるので,従業員の健康に配慮することへのインセンティブはあるのですが,それは義務の履行という法的な話とは別の人事管理の問題です(もっとも,「人事労働法」は,その人事管理の発想と労働法とを融合させようとする試みなのですが)。
 業務起因性や労働者性の判断が,労災の適用範囲に関係がないことになれば,上記のような問題は解決します。私は働き方に中立的なセーフティネットを構築すべきで,労災保険も改革の対象に入れるべきだと思っています。国民健康保険,健康保険,労災保険を統合し,業務起因性の有無や労働者の有無に関係なく統一的な制度を設け,そこでの給付で充足されない労働者に固有の損害があれば,そこは民事損害賠償でやればよいというのは,一つのアイデアだと思っています。厚生労働省は絶対に受け入れないと思いますが,なんでも考えてみようというのが研究者の仕事です。実現可能性などにあまりこだわらず,まずは本筋の制度はどういうものかを考えていくことも大切ではないかと思います。

2023年9月15日 (金)

新しい労災認定基準(精神障害)

 912日の朝日新聞Digitalでも取り上げられていましたが,労災保険の精神障害の場合の認定基準(「心理的負荷による精神障害の認定基準」)が今月から改正され,2011年の通達は廃止されました。2020年の改正では,評価対象となる「具体的な出来事」にパワーハラスメントが追加されましたが,今回は,「顧客や取引先,施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」(いわゆるカスタマーハラスメント)と「感染症等の病気や事故の危険性が高い業務に従事した」が追加されました。また,精神障害の悪化の業務起因性が認められる範囲が見直され,改正前は,悪化前おおむね6か月以内に「特別な出来事」(心理的負荷が極度のものと極度の長時間労働[発症前1か月におおむね160時間を超えるような時間外労働をしたことなど])がなければ業務起因性を認めていなかったのですが,悪化前おおむね6か月以内に「特別な出来事」がない場合でも,「業務による強い心理的負荷」により悪化したときには,悪化した部分について業務起因性を認めるというものに変わりました。
 認定基準の原文をみると,次のようになっています。
 ①「精神障害を発病して治療が必要な状態にある者は,一般に,病的状態に起因した思考から自責的・自罰的になり,ささいな心理的負荷に過大に反応するため,悪化の原因は必ずしも大きな心理的負荷によるものとは限らないこと,また,自然経過によって悪化する過程においてたまたま業務による心理的負荷が重なっていたにすぎない場合もあることから,業務起因性が認められない精神障害の悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められても,直ちにそれが当該悪化の原因であると判断することはできない。」
 ②「ただし,別表1の特別な出来事があり,その後おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合には,当該特別な出来事による心理的負荷が悪化の原因であると推認し,悪化した部分について業務起因性を認める。」
 ③「また,特別な出来事がなくとも,悪化の前に業務による強い心理的負荷が認められる場合には,当該業務による強い心理的負荷,本人の個体側要因(悪化前の精神障害の状況)と業務以外の心理的負荷,悪化の態様やこれに至る経緯(悪化後の症状やその程度,出来事と悪化との近接性,発病から悪化までの期間など)等を十分に検討し,業務による強い心理的負荷によって精神障害が自然経過を超えて著しく悪化したものと精神医学的に判断されるときには,悪化した部分について業務起因性を認める。」
 ④「 なお,既存の精神障害が悪化したといえるか否かについては,個別事案ごとに医学専門家による判断が必要である。」
 かなりわかりにくい文章で,①から④は私が勝手に番号を振ったのですが,要するに,①は,たとえば,うつ病の悪化前に業務による心理的負荷があったというだけでは,それだけでは悪化した部分について業務起因性は認められませんが,②おおむね6か月以内に「特別な出来事」があり,自然経過を超えて著しく悪化した部分は業務起因性を肯定し,さらに,③そうした「特別な出来事」がなくても,業務による強い心理的負荷が認められる場合には,やはり業務起因性を肯定するというものです。業務起因性があれば,労災保険の対象となります。
 しかし上記の認定基準は,よくみると,従来の部分は「おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合には,当該特別な出来事による心理的負荷が悪化の原因であると推認し,悪化した部分について業務起因性を認める」として,医学的認定と推認という言葉が使われているのに対し,改正で追加された③の部分は,「当該業務による強い心理的負荷,本人の個体側要因(悪化前の精神障害の状況)と業務以外の心理的負荷,悪化の態様やこれに至る経緯(悪化後の症状やその程度,出来事と悪化との近接性,発病から悪化までの期間など)等を十分に検討し,業務による強い心理的負荷によって精神障害が自然経過を超えて著しく悪化したものと精神医学的に判断されるときには,悪化した部分について業務起因性を認める」としていて,個別事案における判断事項を列挙し,精神医学的な立場からの十分な検討により判断することが前提のように読めて,そう簡単には推認はしないという姿勢がみてとれます。さらに,④で念を押しているようにも思えます(前の基準よりも医学的判断の必要性を強調している内容になっているように思えます)。
 裁判官は,この認定基準を参照するでしょうが,認定基準は慎重な留保をつけながら③を追加したとみて,悪化部分についての業務起因性を容易に認めない趣旨と解釈するのではないでしょうか。朝日新聞の記事では,最後に,「精神疾患が悪化したと言えるかどうかの基準が明確に示されておらず,楽観できない」という過労死弁護団全国連絡会議の玉木一成幹事長の言葉を紹介していますが,まさにそのとおりでしょう。
 とはいえ,この認定基準の改正は,精神障害の分野での労災認定の範囲を広げる一連の流れのなかにあります。これをどう評価するかは,労災保険という制度の枠内で議論しているだけでは不十分だと考えています。そもそも労災保険制度とは何かというところから考えていかなければなりません。この点は,後日,改めて論じます。

2023年9月 9日 (土)

従業員の監視

 ビッグモーター問題は,損害保険会社と中古車修理業への不信を高めることになりました。損保ジャパンは,かなり悪質であったようで,社長の辞任となりました。やむを得ないでしょう。不正を認識しながら,取引を継続したのですから。同友会の代表までされた親会社の櫻田会長は,雇用政策などの考え方には賛成できるところも多かっただけに残念ですが,辞任すべきでしょう。損害保険会社というのは,何かあったときに,きちんと査定をして保険金を支払ってくれるのか,ということが消費者としては気になるわけで,そこは保険会社が,きちんと公正な仕事をしてくれるという信頼の下で成り立っている商売なのです。そして,そういう信頼があるから,尊敬される仕事でもあるのです。しかし,ビッグモーターがやっていた不正を知りながら,客を紹介してくれるからという理由で不正を黙認し,契約者に損害を与えていたということであり,保険業界の信頼性を損なった罪はきわめて重いと思います。今朝の日本経済新聞の社説でも,書かれていたとおりです。
 ところで,この事件の余波は思わぬところに及んでいるように思います。同業の別の会社は,客が預けた中古車の整備や修理の状況をオンラインで閲覧可能とするように,職場にカメラを設置するということのようです。これにより,事業者が故意に傷をつけて保険金を請求するといった不正がないことを,客がチェックできるようにして,安心してもらおうということでしょう。こうした透明性は良いことのようにも思えますが,カメラの設置は,従業員の就労状況のモニタリングという意味もあり,従業員に対する指揮命令の強化になるのではないかと思います。もしそうなら,労働法的な発想では,このような方法をとる業務上の必要性がきびしくチェックされることになるでしょう。顧客サービス(顧客からの信頼の確保)というだけでは,不十分かもしれません。いずれにせよ,当該従業員の納得同意を得たうえで実施するのが望ましいですし,録画データの取扱いについては,個人情報保護法の制限がかかってくるので,慎重な取扱いが必要です(得た情報の目的外利用には本人の事前の同意が必要ですし,「個人データ」に該当するものであれば,第三者提供も制限されます。個人情報保護法18条,27条)。コンプライアンスを意識した対応が,新たなコンプライアンス問題を生まないようにしてもらいたいです。
 本来は,上司がきちんと責任をもって監督して,客にはわが社を信頼をしてほしいと言えるようにするのが,正しい経営だと思います。その信頼を損なったのは,別企業とはいえ,経営者側であったのであり,従業員がそのとばっちりを食っていると言えなくもありません。実は,同様なことは,保育園での園児虐待問題が起きたときに,保育園内に監視カメラをつけて,保護者に常時保育状況を閲覧できるようにすべきではないかということを私も言ったことがあるので,今回もそれと同じようなことなのかもしれません。ただ,幼くて,何も話せない子どもたちを相手にしている職場での監視については,業務上の必要性は相当高度であり,そこは中古車修理の現場とは次元が違うようにも思いますが,いかがでしょうか。

2023年9月 5日 (火)

『ハラスメント対応の実務必携Q&A』

 弁護士の岩出誠先生から,弁護士法人ロア・ユナイテッド法律事務所編・岩出誠編集代表『ハラスメント対応の実務必携QA―多様なハラスメントの法規制から紛争解決まで』(民事法研究会)をお送りいただきました。いつも,どうもありがとうございます。ちょうどパワハラ関係の裁判例について調べる必要があったので,さっそく活用させてもらいました。この7月に出た経済産業省の性同一性障害の事件までフォローされていました。早いですね。いわゆるソジハラ(SOGIハラ)の判例という位置づけです。SOGIとは,Sexual Orientation Gender Identityの略語であり,LGBT理解増進法(「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」)が制定された今年は,ソジハラ対策という面でも大きな転換点になる年といえるでしょう。
 パワハラは,何がパワハラかよくわからないという問題があって,これは指針が出されていても,解決されていません。パワハラかどうかの認定は,明らかな逸脱行為の場合は別として,簡単ではないのです。ただパワハラかどうかの認定はともかく,従業員が主観的にもパワハラと感じる出来事が起きているのであれば(明らかに根拠のないものは除く),そこには経営上ないし組織上の問題があるとみるべきだと思います。前にWedgeにも書きましたが,パワハラは結局のところ企業風土の問題であり,経営側からすると,その組織体質が問われるのです。もちろん,ビッグモーターのような企業は,報道されているとおりであるとすると,これはもはや異なった社会規範や独自の法規範(?)の下で経営がなされているので,どうしようもないのですが,とはいえ,こうした企業は,そのうち市場からの退場を余儀なくされるでしょう。
  経営者には,法的な問題は,本書を参考にしながら勉強してもらう必要がありますが,その前に,組織の風通しをよくし,パワハラをはじめとするハラスメントの芽を摘んでいく取組も大切です。おそらく,これからの弁護士は,こういう紛争予防という点でも,アドバイスをすることが期待されるのではないかと思います。私の『人事労働法』(弘文堂)は,労働法と人事管理(経営)を融合させるという目的に向けたささやかな試みであったのですが,これからの弁護士はMBAを取得して,労働法などの法的知識とあわせてトータルで企業にアドバイスすることが必要なのかもしれません。ちなみに,ビッグモーターの前副社長はMBAを取得しているという噂ですが,おそらく労働法の知識はなかったのでしょう。リーガルな面に弱ければ会社を潰してしまうのです。中小企業がよく頼りにする経営コンサルタントも,法学をしっかり学んでいない人のアドバイスは危険です。ゆくゆくは,経営コンサルタントは弁護士がやるようになるのではないでしょうか。というか,そういうことができない弁護士は,AI時代には生き残れないような気がします。

 

2023年9月 4日 (月)

事業協同組合の使用者性

 広義のフリーランスに対して,労働組合にこだわらなくても,中小企業等協同組合法に基づく事業者協同組合があるではないかという議論に,労働法学では,あまり良い反応がありません。事業協同組合は団体交渉をすることを想定している団体ではない,という疑問があるからでしょう。中小企業等協同組合法には,事業協同組合の行う事業のなかに,きちんと団体交渉(組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結。9条の216号)が含まれており,誠実交渉義務(「誠意をもつてその交渉に応ずるものとする」)も相手方に課されています(9条の212項)し,紛争調整手続も定められています(9条の22)。紛争調整手続の実効性は不明確であり,労働委員会の手続のようにはいかないでしょうし,救済内容も違うので,この点は問題として指摘することができるとしても,そもそも事業協同組合は,団体交渉をすることを目的としていないのだから,労働組合的なものとして位置づけるのは適切ではないという意見となるとやや疑問です。これは中小企業等協同組合法の明文の規定と抵触するからです。ただ,このような議論が出てくる背景には,事業協同組合は,もともと使用者団体としての適格性をめぐって議論をされていたことが関係しているのかもしれません。
 かつて「合同労組の活動が盛んであったときに,企業横断的な統一交渉・協約の相手方として事業協同組合が注目された」ことがありました(東京大学労働法研究会『注釈労働組合法(下巻)』702頁)。実際,使用者団体としての協約能力という論点で,よく言及される土佐清水鰹節協同組合事件(高松高判1971525日)は,まさに事業協同組合の事件でした。ただ,水産業協同組合法によるもので,同法では,水産加工業協同組合の事業について,「所属員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結」が挙げられているだけで(9319号。上記事件の当時に,どのような規定があったかは確認できませんでした),団体交渉についてのその他の規定はないようなので,その点は事業協同組合と異なります。
 フリーランスの問題の登場により,私たちは,使用者や労働者といった分類で考えていくことは適切でないという意識をもつべきなのかもしれません。労働者のように団体を結成して団体交渉を申し込むこともあれば,使用者のように団体を結成して,団体交渉に応じることもあるのです。同じ団体がその両方を担うこともあるでしょう。これからのフリーランスの事業協同組合は,そういう性格をもつものとなるのかもしれません。
 ちなみにフリーランス新法は,業務を受託するフリーランスをサポートすることを目的とする法律ですが,3条の契約内容明示義務に関しては,フリーランスが委託者である場合にも課されます(法律上は,これは「業務委託事業者」の義務であり,これは「特定業務委託事業者」とは異なり,フリーランスに業務委託をする人という広い定義なので,委託側がフリーランスの場合も含むのです)。ここでもフリーラスは,サポートされる労働者的な立場だけでなく,責任を負う使用者的な立場ともなりうるのです。

2023年9月 3日 (日)

そごう・西武労組のストライキ

 バスケットは,日本が見事に勝ちました。まだまだ世界レベルでは強い国がたくさんありますが,とくに体格差で劣る日本の小柄な2人のポイントガード(富樫選手,河村選手)が,ときには大柄な選手をかいくぐってレイアップ(layup)シュートを,またときには外からの3ポイントシュートをして活躍する姿はとても頼もしいです。五輪での活躍も期待しましょう。
 話は変わり,そごう・西武の労働組合のストライキが,8月31日に実施されました。私はギリギリで回避する可能性があるかなと思っていましたが,すでにスト権を確立しているので,組合としても何の成果もないままでは,引き下がることができなかったのでしょう。従業員に同情的な世論の後押しもあったような気がしました。実は,ビジネスガイド(日本法令)に連載中の「キーワードからみた労働法」の次号(10月号)では,このそごう・西武労働組合のスト権を確立したという話を受けて,「ストライキ」をテーマとしてとりあげて,その法的解説を行っています。最後の締めのところでは,労働組合側がストライキに突入することについては,慎重な判断が求められるとしたうえで,しかし経営側は労働組合をストライキの突入という状況に追い込まないようにすることが重要だという趣旨のことを書いています。ストライキは,本格的に実施すると,相手方の企業だけでなく,取引先など関係者にも大きな影響が及ぶことがあります。製造業における工場のストライキもそうでしょうが,多くの客を抱える百貨店のストライキは,その影響はいっそう大きいものとなるでしょう。ただ今回は,要求が実現するまで徹底的にストライキをするということではなく,最初から1日と決めていたようで,ストライキとしてはパンチの小さいものになりました。百貨店のストライキの難しさは,経営側に打撃を与えるためには,客を犠牲にしなければならないということであり,やりすぎると世間の支持を受けられなくなります。とはいえ,そこを意識しすぎると,中途半端なストライキになってしまいます。争議行為の落としどころはしばしば難しいものとなりますが,今回も,これで終わったのか,まだ続くのか,外部の人間にはわかりにくい状況です。
 そもそもストライキは憲法上保障されている勤労者の権利なのですが,これまではあまり行使されてきませんでした。私はこの点に物足りなさを感じていて,拙著『雇用社会の25の疑問(第3版)』(2017年,弘文堂)の第5話「労働者には,どうしてストライキ権があるのか」で,スト先進国といえるイタリアと比較した議論などもしていたのですが,そういう立場からは,今回のストライキは前向きに評価すべきなのかもしれません。
 ところで,今回は結局,セブン&アイ・ホールディングスは,そごう・西武の株式を予定どおり売却しました。新たな株主は,雇用は保障すると言っているようです。ただ,いずれにせよ,親会社であるセブン&アイ・ホールディングスから説明を受けたいというのが,労働組合の要求であり,それ自体は,親会社に法的な義務があるかどうかはともかく,私は理解できるものだと思っています。セブン&アイ・ホールディングスのような大企業が,伝統ある有名な百貨店の株式を取得し,そしてそれを売却したというのであり,そうした経済活動自体は自由に行ってよいとしても,その百貨店には多くの従業員や取引関係者などが関わっていることも考えると,こうしたステークホルダーのことを軽視した行動をすることは,企業の社会的責任という観点からは問題となってきます。大事なことは,株式売却などの経営判断はしてよいのですが,それをきちんとステークホルダーの納得がいくように説明することであり,直接雇用関係がない,子会社の従業員を組織する労働組合への説明もその一つなのだと思います。
 もっとも売却が実行された以上,セブン&アイ・ホールディングスは,そごう・西武の従業員の雇用問題には,少なくとも形式的には決定力はないことになります。セブン&アイ・ホールディングスは,ストライキにも負けずに,初志貫徹したということで,経営者的には成功したことになるのかもしれませんが,失ったものも大きい気がします。
 なお労働法の観点から気になるのは,ストライキで閉店した日,ストライキを実行した組合員の賃金はカットされるのは当然として(労働組合のスト資金などから補填はあるでしょう),その他の従業員の賃金はどうなったのか(争議行為不参加者の賃金請求権および休業手当請求権の存否),テナントで店舗を出しているが休業せざるを得なくなった企業の補償はどうなったのか,ということも気になります。ストライキを行った労働組合や組合員が,損害賠償責任が負うかどうかは,このストライキの正当性の有無にかかってきます(労働組合法8条。いわゆる民事免責の問題)。今回のストライキの争議行為としての正当性については,執筆当時の情報(7月末時点)を前提に,多少の分析はしていますので,関心のある方は,前述したビジネスガイドの最新号を参照してください。

2023年8月30日 (水)

フリーランス新法の付帯決議

  フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が可決されたときの衆議院の付帯決議において,「偽装フリーランスや準従属労働者の保護については,労働基準監督署等が積極的に聴取し確認すること」というのがあるのですが,「準従属労働者」という言葉が入っていて驚きました(参議院でも類似の付帯決議あり)。この言葉は,おそらく研究者のなかでは,私くらいしか使っていないもので,イタリアにある「lavoratore parasubordinato」の訳です。労働者(lavoratore)のなかには,「autonomo」な者と「subordinato」な者がいて,前者が独立労働者,すなわち自営業者,後者が従属労働者,すなわち労働者であり,その中間にあるのが準従属労働者です。これは二分法のカテゴリーとしては自営業者ではあるのですが,経済的な観点からの一定の従属性がある者をどう扱うかという問題関心から生まれてきた用語だと思います(この言葉については,拙著『イタリアの労働と法』(2003年,日本労働研究機構)20頁以下を参照)。イタリアでは,準従属労働者の扱いについて,いろいろ議論がありましたが,いずれにせよ,この中間的な就労者(lavoratore)を措定して政策を考えていけば,見通しがよくなります。私は,書籍では『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)の204頁の表で,この言葉を使っており,また,フリーランス協会でプレゼンしたときにも,この概念をもちいて説明したことがありました。その後は,同協会の代表理事である平田麻莉さんも,この概念をもちいて資料を作成されていて,おそらくそういうこともあって,付帯決議のなかに入ったのかなと推察しています。もしかしたら,私が知らないだけで,これまでも,いろんな方がいろんな箇所でこの言葉を使われていたのかもしれませんが。
 それにしても,この付帯決議(参議院)のなかには,「労災保険の特別加入制度について,希望する全ての特定受託事業者が加入できるよう対象範囲を拡大する」というのがあって驚きました。特別加入は,労働者以外の者のうち,業務の実態や災害の発生状況などから,労災保険法によって保護するのにふさわしいかどうかという視点で対象者を絞っていくとされてきたのですが,特定受託事業者は,その概念上,従属性にかかわる要素は含まれておらず,業務委託の相手方である個人事業主か一人社長であれば,これに該当する広い概念なので,そういう事業者にまで希望者全員に特別加入を拡大するというのは,やりすぎでしょう(なお,特定受託事業者は,法人も入るので(212号),ここは「特定受託業務従事者」(22項)とすべきであったかもしれません)。そんなことをすると,労災保険は,原理的に崩壊の道を進むようになるだろうという点(国民健康保険などとの違いはどうなるか),実務的には,特別加入は業種によってはあまり機能していないので,拡大しても意味がないままに終わるかもしれないだろうという点など,気になるところがたくさんあります。
 いずれにせよ,議論の本丸は,労働者の境界線が不明確になってきているなかで,「労働者のための制度」というものの存在理由が,急速に揺らいできていることにどう対処すべきかという点にあるのであり,そこで必要なのは,就労者全体をみたセーフティネットのあり方という大きな視点です。特別加入制度の際限ない拡大というのは,誤った政策であると言わざるを得ないと思います(特別加入制度については,ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の第172回(2021年11月)でもとりあげています)。

2023年8月24日 (木)

道幸哲也先生

 北海道大学名誉教授の道幸哲也先生が亡くなられました。学者には長命の方が多く,道幸先生は1947年生まれということですと,まだ若すぎます。道幸先生のことは,改めて書くまでもないことですが,北海道労働委員会の会長を長年努められたこともあり,とくに労働組合法関係の業績が多数あります。最近でも,季刊労働法で論文を拝見することがあり,さらに少し前にご著書のお礼を書いたばかりだったので,突然の訃報に接しておどろくばかりです。
 道幸先生の業績は組合法関係以外にも,『職場における自立とプライヴァシー』(日本評論社)は,このテーマにおける先駆的な業績として,よく参照されるものでした。そのほかにも,ワークルール教育の分野でも意欲的な活動をしておられました。お弟子さんもたくさん育てられました。私は道幸先生とは直接的な師弟関係はありませんが,世代的には師の世代なのに,まるで同輩のように親しく話しかけられたことをよく覚えています。また北大の研究会に行かせてもらったときにも,暖かく迎えていただき,感激しました。
 労働法学への貢献というのは,どなたかふさわしい方が書かれるでしょうから,私が出しゃばるつもりはありませんが,研究者としても,実務面でも,超一流の存在感をみせた個性豊かな先生でいらっしゃいました。喪失感は大きいです。安らかにお眠りください。

2023年8月22日 (火)

会計年度任用職員

 前期の学部の労働法の授業で,公務員について1回分をあてました。これまでは特別職の非常勤職員のことが問題となっていたのですが,2017年の地方公務員法(地公法)の改正で,2020年度以降,会計年度任用職員という制度が設けられて,地方公務員法333号での任用要件が厳格化され,これまで広く同号で採用されていた人のうち,「専門的な知識経験等に基づき助言,調査及び診断等の事務を行う者」以外は,会計年度任用職員として任用されることになったことから,少し問題状況が変わりました。非常勤職員の勤務関係は不明確なものとされており,一般職の非常勤職員が,地公法17条に基づき行われてきた以外に,特別職の非常勤公務員としても任用されるなど,整理が必要となっていました。2017年改正は,そうした問題に終止符を打つためのものと考えられますが,労働法の観点からは,これまで再任用拒否などをめぐり紛争となることが多かった特別職の非常勤職員が,一般職の会計年度任用職員に移行したことにより,問題状況がどうなるのかが気になるところではあります。もっとも,労働契約法は,もともと公務員には適用されない(211項)ので,その点だけみれば,改正前後において変わりはありません。
 会計年度任用職員は,任期は最長1年ですが,その更新はありえます。法文上は,まず「会計年度任用職員の任期は,その採用の日から同日の属する会計年度の末日までの期間の範囲内で任命権者が定める」(地公法22条の22項。最長は1年ということ)とされ,「任命権者は,会計年度任用職員の任期が第2項に規定する期間に満たない場合には,当該会計年度任用職員の勤務実績を考慮した上で,当該期間の範囲内において,その任期を更新することができる」(同条4項)とされており,ここでは更新とは,当該会計年度内のものに限るようです。しかし,会計年度をまたがることが認められていないわけではなく,それについては,新たな「採用」と位置づけるようです。ということで,地公法上は,「採用」と「任期の更新」があるのですが,私の理解が間違っていなければ,通常の意味での更新はすべて(新規の)「採用」となるということです。
 いずれにせよ,同一の職員が,同一の職で会計年度任用職員として継続して就労することはありえそうなので,再任用拒否(雇止め)となったときには,やはり問題が出てきます。これについては,特別職非常勤公務員に対するのと同じような処理になる可能性があるのですが,一般職と特別職で何か違いがあるのか,一般職となると,労働法から余計に遠くなりそうでもありますが,このあたりのことはよくわからないところがあります。公務員労働法研究者のホープといえる早津裕貴さんの『公務員の法的地位に関する日独比較法研究』(日本評論社)は,労契法211項による全面適用除外は,違憲無効とする余地も生じるとしています(255頁)。そこまで言うかはともかく,少なくとも会計年度任用職員は,一般職としての採用ということにして,地位が明確になったとか,期末手当が支給されるようになったとか,そういうことで満足せずに,より根本的な整理が必要でしょう。公務員の勤務関係のprivatizationを進め,どこまで労働法の領域に取り込めるかは,理論的にも興味深いテーマといえるでしょう。そうみると,違憲無効かはさておき,労契法211項は,ちょっと嫌な規定で,いろんな議論の芽を摘むような気がしますね。

2023年8月21日 (月)

有期雇用労働者と就業規則の不利益変更

 有期雇用労働者の期間途中で就業規則の不利益変更があった場合には,労働契約法9条・10条の問題となるのはわかるのですが,その契約が更新された場合,更新といっても新規の契約であるとみると,あらためて就業規則の適用については,今度は7条の問題となるということになりそうです。たとえば,○○手当を支給しないとする不利益変更が,いったん10条の合理性がない(あるいは同条但書により,期間内は変更しない旨の特約がある)として認められなかったとしても,次の更新のときには,○○手当の支給が定められていない就業規則が前提で労働契約が締結されたとして7条の問題となり,緩やかな合理性審査により合理性が肯定されるということもありえるでしょう。ただ,先般紹介した宮崎学園事件の福岡高裁宮崎支部判決では,更新途中で60歳以降の年俸の引下げという就業規則の不利益変更があったケースで,60歳になった有期雇用労働者に改正後の就業規則が適用された事案では,雇用がずっと継続されていて実質的に無期雇用のような状況にあったとして,10条の問題として処理されています。
 しかし,荒木尚志『労働法(第5版)』(2022年,有斐閣)420頁では,「有期契約更新は新契約の締結であるので,基本的には7条の問題となる」としたうえで,「ただ,7条の合理性判断において,反復更新されて継続してきた従前の労働条件との比較が考慮されることは十分あり得る」と書かれています。私は,この見解でよいと思っています。これを10条の類推適用と呼んでもよいと思います。10条の合理性審査は,従前の労働条件との比較という視点から導き出されたものとみることができるので,形式的には有期雇用の更新は,その都度の新規契約の締結なので7条の問題とせざるをえないものの,これまでの更新実績を考慮して,実質的には10条の問題とみるということでよいのだと思います。7条の合理性については,とくに法文上の制限はないので,柔軟な解釈を許容するものであると思います。
 以上とは別に,就業規則というものを,当該事業場の制度とみて,それに沿った内容の労働契約を締結するかは,個々の労働者がどのようにそれを労働契約の内容に組み入れたかによって決まるという立場によると(私のいう段階的構造論は,こうした立場です),(実質的に)10条の問題とみるかどうかでは話は終わらず,制度としての合理性だけでなく,労働契約の組入段階での合理性(正当性)が問題となり,そこでは現在の私見によると,納得規範が重要となります。
 この問題と似ているようで違うのが,就業規則の合理性と有効性との区別です(荒木・前掲書446頁を参照)。就業規則の不利益変更の合理性が否定されれば,当該労働者との関係では就業規則は適用されませんが,だからといって当該就業規則が無効となるわけではなく,他の労働者との関係では,7条の効力や12条の効力は発生するというのが荒木説です。私は,これは合理性が12条の効力発生の要件となるのか,という問題として考えています。契約説の立場からは,就業規則それ自体は何も効力がない契約のひな形であり,それについて法律が,7条,10条,12条のような効力を付与しており,あとは,それぞれの効力について要件を考えればよいのであり,合理性は12条の効力発生の要件にはならないということです(荒木説と結論は同じです)。
 ただ,合理性概念自体において,集団的な合理性と個別的な合理性というものを区別して考えられないかというように問題を設定すると,さらに話は少し変わってきます。第四銀行事件の河合裁判官の反対意見(「本件の就業規則変更は,企業ないし労働者全体の立場から巨視的に見るときは,その合理性を是認し得るものである反面,これをそのまま画一的に実施するときは,一部に耐え難い不利益を生じるという性質のものであった」とし,「経過措置を設けることが著しく困難又は不相当であったなど特別の事情が認められない限り,本件就業規則の変更は,少なくとも上告人[大内注:原告労働者]に対する関係では合理性を失い,これを上告人に受忍させることを許容することはできないと判断すべきであった」)には,こうした発想がうかがわれますし,相対的無効論もこの延長で出てきます(もともとは,菅野和夫先生と諏訪康雄先生のディアローグで論じられていたはずですが,かつてはBibleのように読んでいたあの本が,いまは研究室のどこかに埋もれてしまっていて確認できません)。10条は合理性の判断要素だけをみると,集団的な合理性とか個別的な合理性とか,そういう区別の視点はでてきませんが,就業規則の集団的規範が個別労働契約の内容となるという以上,二つの合理性を区別して考えることは,理論的にも必然となるのです。もちろん,あえて個別的な合理性という言葉を使わなくてもよく,10条の文言に則していうと,個別的な合理性は,「その他の就業規則の変更に係る事情」のなかで考慮すればよいのだと思います。第四銀行事件の最高裁の法廷意見によるかぎり,個別的な合理性を考慮するアプローチには否定的にならざるをえないので,司法試験の答案では書きにくいのでしょうが,でも,みちのく銀行事件の最高裁では,個別的な合理性を考えているようでもあります。
 有期雇用労働者の就業規則は,無期雇用労働者の就業規則とはかなり異なる性格をもつと思われます。無期雇用労働者のように,企業共同体の一員である場合は就業規則という制度は自身の身分的な立場と一体化しており,そこに改めて自身の契約への編入という段階を観念しにくいのに対し,有期雇用労働者のように,共同体の一員ではないので,なぜ就業規則という制度が自身の契約に編入されるのかという問題を論じやすいと思われます。そして,企業共同体的な労働法が徐々に崩壊しつつある今日,就業規則がなぜ個人に適用されるのかということを,もっと根本的に考える必要があります。解雇権濫用法理による雇用保障の交換条件としての就業規則の一方的不利益変更という説明は,おそらく普遍的な意味をもっていないと思われます(私が博士論文を書いたときから,こだわっていた論点です)。
 以上の点は,先日の研究会では,あまり深めることができなかったので,また機会があればしっかり議論して勉強していきたいと思います。

 

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