労働法

2022年12月 7日 (水)

労災保険給付の支給処分の取消訴訟の原告適格

 総生会事件で,東京地裁判決を維持した2017921日の東京高裁判決は,労働保険の保険料についてメリット制の適用を受ける特定事業主が,労災保険給付支給決定の違法性を争うことができるかという,行政法上の「違法性の承継」と呼ばれる問題について,これを否定的に判断した際に,その理由の一つに,事業主は,労災保険給付支給決定の取消訴訟を提起する原告適格(行政事件訴訟法9条)があることに言及していました。それなら,実際に取消訴訟を提起すればどうなるかということで,やってみた事業主がいたのですが,原告適格は認められないとした東京地裁の判断が2022415日に登場しました(あんしん財団事件)。ところで,その控訴審が先日(1129日)出されて,地裁判断はひっくり返され,一転して,事業主の原告適格は肯定されました(差戻し)。おそらく上告されると思いますが,実は,この間に,厚生労働省で,「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」も開催されていて,①保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性を主張することはできるが,②これが認められても労災支給処分自体は取り消されず,また,③労災支給処分に関する特定事業主の不服申立適格も認めないという線で,取りまとめをしようとしているようです。
 これは,労災保険給付の支給決定により保険料の増額処分を受ける特定事業主の不服に配慮しながら,被災労働者や遺族の法的地位の安定性にも配慮するということなので,その気持ちは理解できます。ただ,先日の大学院の授業で,厚労省の上記検討会で提出されていた論点資料(今回の報告書案のベース)に基づき議論をしたときには,労働保険料の認定決定において,労災保険給付の支給要件非該当性が認められたとすると,たとえ支給決定は取り消されないとしても,不支給という判断がほんとうは正しかったという理解がなされかねず,民事損害賠償請求の判断に影響するかもしれない,という意見が出てきました。労災保険制度のなかでの法的安定性はあっても,もう少し広くみて民訴まで視野にいれれば,現行より労働者に事実上不利になる面があるということです。
 ところで,あんしん財団事件の控訴審が,事業主に取消訴訟の原告適格を認める判断をだしたことから,厚労省の原案は,少なくとも③については裁判例とバッティングすることになりました。もともとは総生会事件の東京高裁の判断とあんしん財団事件の東京地裁の判断が正反対であったので,厚労省はあんしん財団事件(地裁)の線でいこうとしたのでしょうが,東京高裁レベルでは総生会事件とも判断が一致してしまったので,このままでは行政対司法の対立ということになってしまいます。労災保険給付の不支給決定における取消訴訟において,事業主に補助参加を認める最高裁判決(レンゴー事件・2001222日)があるのですが,報告書案は,「補助参加の要件である法律上の利害関係と,不服申立適格等に関する要件である法律上保護された利益は異なるものである」として,同判決の先例性を否定しています。ただ,これはやや苦しい説明であるような気もします。
 労災保険制度において,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるのは,(レンゴー事件・最高裁判決からロジカルに考えると予測できないものではなかったものの)労働法実務のこれまでの常識からすると,天地がひっくり返るほどのショッキングな判断です。その点で,厚生労働省の報告案③のスタンスは理解できるところです。ただし,最高裁であんしん財団事件の控訴審判決が支持されてしまう可能性は十分にあり,そうなった場合にそなえてプランBも考えておく必要があるでしょう。事業主の原告適格を認めることの問題点がどこにあるのかを理論的に精査したうえで,その問題点にできるだけ対応でき,被災労働者や遺族の救済という労災保険の機能が損なわれないようにするためには,どうすればよいかについて,知恵を絞ることが必要です。いずれにせよ,報告書案で,何が何でも突っ走るという玉砕戦法は危険でしょうし,立法してしまえばよいという乱暴なことは考えないほうがよいでしょうね(もちろん①についても,ほんとうにこれでよいのか,という点も,議論の余地があるでしょう)。

2022年12月 4日 (日)

韓国の物流ストに思う

 11月29日の日本経済新聞の電子版で,韓国の物流ストに対して,韓国政府が,運送業者に業務開始命令を出したという記事が出ていました。それによると,貨物事業者の法令をもとにストライキをしている者に現場復帰を求め,もしストを継続すれば免許停止や罰金を科す構えのようです。運送業者は個人事業者のようです。個人事業者のストライキが,韓国の法制上,どのように考えられているのかわかりません。
 日本では,労働者の場合には,争議行為に対して,労働関係調整法上の公益事業(8条)についての一定の制限があることに加え,緊急調整の決定にともなう50日間の争議禁止という(すごい)規定があります(38条)。このほか,電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(スト規制法)というものもあります。「公衆の日常生活に欠くことのできない」エッセンシャル・サービスは,憲法28条で保障されている団体行動権の中核にある争議権ですらも,一定の制限を受けざるを得ないということです。日本の場合,運輸事業は公益事業に含まれているので(労働関係調整法811号),もし同じような物流ストを労働者が行えば,労働委員会が職権で調停をすることができますし,さらに政府が乗り出すとすれば,上記の緊急調整がありえることになります。ただ緊急調整は,「内閣総理大臣は,事件が公益事業に関するものであるため,又はその規模が大きいため若しくは特別の性質の事業に関するものであるために,争議行為により当該業務が停止されるときは国民経済の運行を著しく阻害し,又は国民の日常生活を著しく危くする虞があると認める事件について,その虞が現実に存するときに限り,緊急調整の決定をすることができる。」(35条の21項)と定められていて,かなり要件は厳格です。争議調整は,中央労働委員会で行われます(35条の3)。緊急調整がなされている間は,労務に従事しなければ(争議行為を継続すれば)罰則が適用されます(401項)。つまり,国民経済の運行を著しく阻害したり,国民の日常生活を著しく危くしたりするような場合であれば,この緊急調整・争議行為の50日間の禁止という規定の発動の問題となるのです。
 緊急調整の決定は,195212月に一度,発動されています。当時は,賃上げを求める電産スト,炭労ストが国民生活に脅威を与えていました。その後,1953年に上記のスト規制法が制定され,当初は3年の時限立法でしたが,その後,恒久法になっています。2014年の電力自由化の際に,スト規制法が再び話題となり,厚生労働省の部会で検討されました。労働組合側はスト規制法の廃止を要求しましたが,通りませんでした。たしかに労働関係調整法上も公益事業に関する規制があり,電気事業は公益事業と明記されているので,同法の規制で十分という組合側の考えもわからないではありません。スト規制法は,憲法28条との緊張関係があることも考慮されるべきでしょう。
 ところで,日本ではあまり想像できませんが,たとえばコロナ禍で,エッセンシャル・ワークにおいて,待遇改善を求めてストライキをするような組合が出てくればどうなるでしょうか。エッセンシャルだからこそ待遇を改善してよいということにもなりそうです。ところが,彼ら・彼女らはギグワーカーで労働者ではないから,労働組合が結成できないとなればどうでしょうか。こうなると,この前の都労委のUber Japan1社事件の命令の話にもつながってきます。労働者性を肯定すると,ギグワーカーもストライキができることになります。ところがエッセンシャルな業務ということを重視すると,理論的には,前述のように,内閣総理大臣が,労働関係調整法82項に基づき公益事業としての指定をし,緊急調整を決定して,争議行為を禁止するということもありえないわけではありません。フリーランス新法がどうなるかわかりませんが,新法では扱わないであろう団体法の領域に入ってくると,難しい問題がいっぱい出てきます。
 なお,イタリアでは,エッセンシャルな公共サービス(servizi pubblici essenziali)な部門でのストライキについての規制がなされており(イタリアは憲法により明文でストライキ権が保障されていますが,他の憲法上の権利との調整から一定程度の制限はありうると解されています),そのなかで,憲法上の人格権に対する重大かつ切迫した損害が発生する(根拠ある)危険性があるときには,専門の委員会が,徴用(precettazione)を命じることができるとしています(イタリア法における徴用については,拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,日本労働研究機構)220頁以下)で概要を紹介していますので,関心のあるかたは参照してください)。この命令の対象には,独立労働者(自営業者)のストライキも含まれています。独立労働者のストライキが憲法上保障されているかどうかは議論がありますが,少なくともスト規制法での徴用の対象を考えるうえでは,エッセンシャルな公共サービスの提供が従属労働か独立労働(自営)のどちらであるかは関係なく,サービスが停止すること自体が問題だとされているのです。
 ここには労務の集団的放棄をめぐるきわめて難解な理論問題が横たわっており,研究を深めるのに足りる重要テーマ(まさに労働法の香りが強いテーマ)だと思います。若手研究者の取組みに期待したいです。

2022年11月25日 (金)

Uber Japan ほか事件

 東京都労働委員会が,ウーバーイーツ配達員の労働組合法上の労働者性を肯定する命令を出しました(Uber Japan事件命令書交付|東京都 (tokyo.lg.jp))。ちょうど昨日,あるところの研修会でフリーランス・ギグワーカーのことについて話す機会があり,労働者性の問題についてもふれたところでした。こういう命令が出る可能性があると予測していたので,とくに驚きはありません。
 ウーバーイーツユニオンのことは,自営的な就労の例として,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(2020年,日本法令)の冒頭にもとりあげていましたが,そこでは労働組合法上の労働者性が肯定される「可能性」に言及していました(4頁,18頁)。また『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書)でも,ライドシェアのケースではありますが,ドライバーが雇用労働者と判断される「可能性」があると書いており(160頁),労働組合法上の労働者概念のほうが,労働基準法や労働契約法上の労働者概念よりも広いと解されている(このことに理論的には疑問の余地はあるのですが)ことからすると,今回のような命令が出ることは予想できないわけではなかったのです。他国でも,不当労働行為救済制度という状況とは異なりますが,労働者性を肯定する判断があります。
 プラットフォームが使用者かということも問題となるのですが,プラットフォームは,法的に使用者かどうかに関係なく,その社会的責任として,業務委託関係にある就業者の利益に配慮した行動をとるべきであるということは,日経新聞の経済教室をはじめ,いくつかの論考で書いています。法的な労働者性や使用者性にこだわらずに,企業として働く人の環境整備をする責任があるということです。今回のUber Japanの業界でも,フードデリバリーサービス業界の配達員の就業環境の整備に関するガイドラインが出されており(私もかかわっています),これはそのような事業者の団体の社会的責任の一つといえるでしょう。
 今回の都労委命令は,今後,理論的な検証が必要となるでしょう。たとえば労働者性については,配達員は事業の遂行に不可欠な労働力として確保されているものの,個々の個人レベルでは複数のプラットフォームに登録することが許されていて,特定のプラットフォームの事業に必ずしも組み込まれているわけではないという状況をどう評価するのかが気になります。今後,研究会で取り上げて分析する必要があると思っています。
 ただ,どのように判例や命令を分析しても,労働者性や使用者性は,その概念の曖昧性や総合判断としての性格から,明確性を期待することは困難で,微妙なケースとなると紛争は不可避です。私の提案は,いつも書いているように,事前認証手続の創設です。たとえば労働組合法上の労働者性であれば,労働委員会で事前認証して労働者性の有無などを確定させるという手続を導入することが必要ではないかと考えています(拙著『人事労働法ーいかにして法の理念を企業に浸透させるか』(2021年,弘文堂)242頁)。紛争が生じる前に一定の法的性質決定をしてしまうことにより,余計な紛争が起きないようにするのです。たとえば,もし配達員が労働者であると性質決定してしまえば,それを前提にプラットフォーム側も対応しなければならないということです。
 ただこれとは別に,そもそもプラットフォーム・エコノミーという新たな経済システムをどう育成するかという視点も必要で,そうした政策論のレベルに立つときには,労働法の労働者性や使用者性という狭い議論を乗り越えていかなければならないでしょう。

 

2022年11月13日 (日)

ジョブ型

 学部の少人数授業で,先日は,濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)を採り上げました(いつもご著書を,お送りいただき,ありがとうございます)。ジョブ型の元祖提唱者の議論をしっかり理解してもらおうということです。ちなみに,濱口さんは,つい先日,NHKの視点論点にも登場されてジョブ型のことを語っておられました。私も実は,この番組からのオファーがあり,今月末に収録予定です(自宅からSkypeで)。
 濱口さんのジョブ型の議論は,もともと日本のメンバーシップ型との対比で欧米のジョブ型を念頭においているものですが,それは広義のジョブ型の一つにすぎないものです。日本企業がジョブ型をめざすというときには,いろんなタイプのものがありえるはずです。とはいえ,ジョブ型という以上,最低限,必要なこともあります。それは,職務を明確にして採用され,賃金もその職務を基本とするものであるということです(本書における,ジョブという椅子に賃金という値段が貼り付けてあるというのは,うまい表現です)。そのうえで,雇用保障がどうなるか,賃金について職務以外の要素をどこまで組み込むかをめぐり,バリエーションがありうるのです。ただ,職務が明確になっていれば,その職務について求められている技能がないことを理由とする解雇は有効と認められやすくなるでしょう(企業に求められる解雇回避の範囲が限定される)し,ビジネスモデルが変わって,従来のジョブが不要となれば,解雇は有効となりやすいでしょう。これがジョブ型の世界です。
 また,職務給については,ブルーカラーの職務給はわかりやすいですが,専門性が高くなりその職務が請負的なものとなってくると,成果型報酬とも親和性が出てきます。それゆえ,ジョブ型だからといってつねに成果型とまったく違うとは言い切れないところがあります。要するに,ジョブ型の定義に左右される話なのです。
 学生の間では,メンバーシップ型にシンパシーを感じる意見が多かったように思います。メンバーシップ型の良さもあるとして,ジョブ型とのハイブリッドに人気があった気がしますが,その内容はいろいろで,一つの企業で徐々にジョブ型を導入していくというもの,企業内で非管理職だけジョブ型にするもの,大企業はメンバーシップ型で中小企業はジョブ型にするものといった感じです。
 職が先行し,職に人を割り当てる外国型(純然たるジョブ型)と,まず人が先行し,人に職を割り当てる日本型は,まったく違うスタイルであり,後者の日本型の非効率性が露呈してきているので,移行期はいろいろありますが,最終的には完全なジョブ型になっていかざるをえないでしょう(私はデジタル変革がそれを進めるという見解です)。ただ,そのなかで,どのようなタイプのジョブ型となるかは,いろいろ可能性があるように思います。
 いずれにせよ,政策の場では,どのような意味でジョブ型という言葉を使っているのかを,しっかり定義して議論をしていかなければならないでしょう。どう定義しようが,ジョブをコントラクトで限定し,賃金はそのジョブに対して支払われるというジョブ型の要素は基本となりますが,そのうえで解雇と賃金をどう考えるかというところまで結びつけて政策論議をしなければ,論者のそれぞれのジョブ型のイメージが合致せずに生産的な議論がされない可能性があります。そう考えると,むしろジョブ型という言葉をあえて封印して議論をしたほうがよいのかもしれません。そうしなければ,いつまでも,濱口さんから,誤解に満ちた間違いだらけのジョブ型であると叱られ続けるでしょう。

 

2022年11月 9日 (水)

Twitterのリストラ

 Elon Muskの買収したTwitterの大量解雇が問題となっています。Twitterなどは,新しい技術を活用したビジネスの最先端を走っていると思っていましたが,Web3.0に移行しつつある今日,すでにオールドテクノロジー企業になってきているということかもしれません。もっとも,いちはやくWeb3.0に対応を始めているMeta(Facebook)は苦戦しているようです。
 経営者が変わると,経営方針ががらりと変わることは,よくあることです。さすがに日本では,いきなり解雇というのは難しいですが,希望退職の募集というところから入っていき,リストラを進めていくことはありえるでしょう。
 企業買収となると,こういうドライなことが起きてしまう可能性が十分にあるのです。外部の目からみて余剰人員があるとき,それを削減したら収益が上がると思うから買収することもあるのです。日本だと,買収しても,そうした人員整理が容易ではないから買収が起こりにくいのです。これは従業員の雇用が守られてよいといえそうですが,経営者の経営規律を緩めてしまい(市場での監視が弱まる),非効率な経営が温存されてしまうおそれがあるので,日本経済にとっては良いこととはいえません。シェアホルダー型のコーポレートガバナンスを支持する論者は,このような立場なのです。
 シェアホルダー型のコーポレートガバナンスが必ずしもよいとは思いませんが,人材の流動化は必要だと思っています。こうしていつもの話になります。経営者は,解雇する場合には労働者の逸失賃金の補償をすることは必要ですが,それさえすれば解雇ができるとすべきなのです。そうなれば,コストの関係から,それほど無茶な解雇はされないでしょうし,どうしても経営上ペイしないと考えられる余剰人員は適切な補償を受けて,別の転職先を探すことになるのです。Twitterだけでなく,Amazon,Meta,Alphabet(Google) のようなIT時代の寵児企業でも,結局,こういうことが起こりえます。これが,いつの時代にもあった技術革新による雇用変動です。ただ,マクロ的にみると,古い技術を使った産業から新しい技術を使った産業へと労働移動していく動きの過程とみることができます。
 ただし,デジタル時代は,全般的に労働需要は縮小化と専門化が進むのであり,必ずしも労働移動がスムーズにいくとは限りません。このあたりのことの基本的な部分は,『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)の第5章でも書いています。事業再編とリストラに関する現行法の話と立法論について関心がある方は,ぜひ読んでみてください(そこでの解雇の金銭解決の話は,後に2018年の『解雇規制を問い直す』(2018年,有斐閣)で,上述のような新たな提言に置き換えられています)。

 

 

 

 

2022年11月 8日 (火)

官僚のお仕事

 先週まで日本経済新聞で連載されていた「ニッポンの統治」の最終回(第5回)では,「「官邸1強」の後(5)政策立案で省庁「困惑と空白」 縄張り返上,押しつけ合い」というタイトルの記事が出ていました。役所というと縄張りの奪い合いをするイメージがあるのですが,どうもそうではなくなってきているということです。官邸がちょっとした思いつき程度の政策を出して,それを所管官庁に,なんとか法律にまとめてこいと言うようなことが,どうも増えているのではないか,という懸念があります。実は,フリーランス新法も,その類いではないかと心配しています。
 昨年3月のフリーランスガイドラインも,厚生労働省と公正取引委員会とが,双方の立場を何も調整せずにミックスしただけという,私の目からは,あまりにもわかりやすい「手抜き工事」がなされていました。法の適用範囲を明確にしたという程度のもので,関係者のなかでは,よくできたと思っているのかもしれませんが,私からすると,広報リーフレットに毛の生えた程度のものです。
 厚生労働省は,これまでの検討過程からは,雇用類似のフリーランスにまでしか関心がないように思われますし,公正取引委員会のほうは,下請法では適用範囲が狭いと言われたので,そこを拡張しようということなのでしょう(ただ,すなおに下請法の改正という形をとらなかった理由はよくわかりません)。フリーランス新法は,21世紀型社会の新たな労働法・社会保障法を志向するものでなければならないのです。縄張りの押し付け合いの中で,いいかげんな法律を誕生させるというようなことになれば,とても残念ですし,国民は迷惑です。最低限のやってる感を出すことができれば,官邸周辺は喜ぶのでしょうが,誰の目を意識して法律をつくるのかが大切です。
 冒頭の記事で問題なのは,忙しすぎる官僚が,期限を切られるなか,丁寧な仕事ができなくなっていることにあります。フリーランス新法についても,じっくりと関係官庁間で関心と知見のある官僚をあつめて勉強会をし,比較法もしっかりやり,そのうえで独自の法制度を構築していくということをやってもらわなければなりません。比較法に関しては,最近,石田信平・竹内(奥野)寿・橋本陽子・水町勇一郎『デジタルプラットフォームと労働法―労働者概念の生成と展開』(東京大学出版会)という,労働者概念にフォーカスをあてた研究をまとめています(お送りいただき,ありがとうございました)。若い官僚たちには,こういう文献も参考にしながら,ある程度じっくり時間をかけて,彼ら,彼女らがぜひやりがいの感じられるような仕事をしてくれればと願っています。

 

2022年11月 4日 (金)

フリーランス新法をめぐる気になる動き

 Yahoo ニュースで,「命令違反に罰金50万円以下 フリーランス保護新法で検討 政府」という記事が出ていました。新法に向けた動きがありますが,もし罰金にまで踏み込むとすれば,これはかなり問題があります。これについては,いずれきちんと論じますが,すでに私がこれまで日本経済新聞の経済教室で発表した論考や先般の政府の税制調査会で話したこととの関係で,簡単なコメントをしておきたいと思います。
 フリーランス政策の最も難しい点は,対象となるフリーランスをどうとらえるのかです。拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)204頁では,自営的就労者を,偽装自営的就労者,準従属労働者,真正自営的就労者の三つを分けて考えるべきとし,そのうち真正自営的就労者には,自営をサポートする法制度が必要と書いていました。また先般の政府の税制調査会のプレゼンでは,特殊スキル型,ハイ・ミドルスキル型,ロースキル型に分けるべきとも述べました。後者は,ギグワーカーを意識して,ロースキル型は区別して考えるべきということを明確にするための分類です。いずれにせよ,異なるタイプのフリーランスや自営的就労者(フリーワーカー)をゴチャゴチャにして論じてもうまくいかないのです。
 今回の新法の構想は,フリーランスのどこに焦点をあてるのかが明確ではありません。このため,法の趣旨も射程も明確ではない状況にあります。偽装自営的就労者の問題は,労働法の問題そのものですので新法は不要です。準従属労働者にターゲットをあてるのなら,新法が必要かもしれませんが,真正自営的就労者と明確に区別をした規制をする必要があります。この点については,弁護士ドットコムでの平田麻莉さんのインタビューが,ポイントをついた素晴らしい内容ですので,ぜひ政府の関係者や国会議員も読むべきです(フリーランスの法的保護「かわいそうな人扱いされると議論が歪む」フリーランス協会・平田代表が語る課題)。
 もしかりに真正自営的就労者を対象とした場合,どのような「規制手法」が望ましいのかも重要です。保護ではなく,サポートという視点が重要です。しかし,この点について,役人に良いアイデアがないので,うまく規制の枠組みが作れないのだと思います。私たち研究者がもっとアイデアを出す必要があります。経済教室でも書いたように,新しい酒には新しい革袋を,です。その革袋は,労働法の単純な延長や,独禁法・下請法の単純な延長上にあるものではないと思います。この点については,現在,共同研究をしているので,そのうちに成果を発表できると思います。

2022年10月23日 (日)

シフト制

 昨日の神戸労働法研究会では,駒澤大学の篠原信貴さんがシフト制について裁判例などを素材に分析してくれました。たいへん勉強になりましたし,知的刺激を受けました。
 今年1月にシフト制についての留意事項なるものが厚生労働省から出されていますが,シフト制というのは,いろいろなタイプがあるようで,よくわからないところがあります。いわゆる交代制とは違い,この留意事項では,「一定期間ごとに作成される勤務割や勤務シフトなどにおいて初めて具体的な労働日や労働時間が確定するような形態」が対象とされています。とくに気になるのは,募集時には,たとえば「週4日勤務希望」と書かれていますが,実際には毎週,どのシフトに入るかについて労働者が希望を出し,それを調整して企業側が確定するというようなパターンについてです。この場合,週4日というのは,いわば目安のようなもので,労働者がシフト希望を出さなければ週0ということもあります。そういうような契約であった場合,企業がたとえばコロナ禍で休業したような場合に,どうなるのかが問題となります。ここでは,具体的な労働日(労働義務の履行日)が特定していない労働契約とは何なのか,また労働日の特定が使用者の指揮命令によるのではなく,労働者との合意(シフトの確定には労働者の希望が不可欠の前提)が必要という場合の法律関係はどうなるのか,という難問が横たわっています。労働契約を締結しているだけでは,具体的な労働義務が発生していないような場合には,企業が操業停止したとしても,それは労働義務の履行不能をもたらすものではないので,労働基準法26条の休業には該当せず,たとえそれが使用者に帰責事由があっても,休業手当の請求はできないと解すことになりそうです(実際には雇用調整助成金との関係では,こういう場合も休業手当の対象としている可能性がありますが,理論的には疑問の余地があります)。しかし,さらにいうと,労働契約の締結をしていても,具体的な労働義務はなく,その義務は労働者の希望がなければ確定しないようなものであれば,そこには労働契約はなく,具体的なシフトの希望とその確定があったところで,その都度の労働契約が成立するという解釈もありうるような気がします。あたかも,登録型派遣のような感じで,それが派遣元と派遣先が一体化しているだけのようなものとみることもできるのです。もっとも,企業のほうが,一定のシフトを入れるというようなことを約束している状況があれば,労働者に一定の就労により収入を得ることについての期待を生じさせるとして,その期待的利益の侵害の不法行為が成立することはありえるかもしれません。その場合でも,損害は逸失賃金ではないでしょう。あるいは週4日の勤務を前提に,収入を期待して労働契約を締結している以上,それだけの労働を請求する権利があるというような議論ができる状況になると,場面はかなり違うものの,就労請求権と少し似たような問題になってくるのかもしれません。また労務の履行の提供はしているけれど,企業が受領していないとみることができるような場合を考えると,受領遅滞の場合と似た議論にもなるでしょう。ただ,それらはやはり使用者に一定の範囲の労働を与える(指揮命令する)義務があることが前提とならなければならず,そういう契約だと認定できるかが問題です。シフト制を導入している場合には,たとえ週4日と書いていても,何日働く義務があるとか,何日分の仕事を与えるとか,そのようなことについて契約上の拘束性を与える意思がない場合が少なくないでしょう。そういう場合には,使用者に労働付与義務や指揮命令をする義務などを認めるのは困難でしょう(もちろん契約の運用上,固定的に週4日の勤務になっていた場合,いわば労使慣行として契約上,週4日という内容に拘束性が生じ,企業が4日の労働を付与しないことは合理的な理由がなければ,その日数分は休業手当の対象となったり,民法5362項の帰責事由として認められたりすることはあるかもしれません)。
 いずれにせよ,シフト制が,労働量の変動があることが織り込み済みで,労働者も使用者もそれを前提に働いている場合には,実際に働いた分だけ約束の時給が支払われる契約とみてよく,その意味で,登録型派遣の直用版のようにみてよいのではないかと思います。そして,その内容が委託であれば,これはギグワーカーの働き方と類似となります(アカウント登録関係+個々の業務委託契約関係と類似の構造)。企業側からすると,非正社員よりも柔軟な雇用調整手段となりますが,働く側も雇用労働者のような拘束性がない働き方(諾否の自由がある)なので,労働者性や労働契約性が希薄といえるでしょう。ただ,ほんとうに,こういう純粋なシフト制なのか,それとも企業側が雇用量を確保するために,単なるインセンティブではなく,制約的な方法をとっている場合(他の企業での勤務の制限など)かでは,やはり違いがあります。後者の場合には,最初から労働契約が成立しているということになるでしょう。事案に左右されるところが多いですが,労働法の境界線を考えるうえでも理論的に興味深い素材です。以上は,まだ現時点でのプリミティブな考察にすぎず,もう少し考えを深めていかなければならないと思っています。いずれ私なりの考えをしっかりまとめたいと思います。

2022年10月 5日 (水)

古川景一・川口美貴『新版 労働協約と地域的拡張適用―理論と実践の架橋―』

 古川景一・川口美貴『新版 労働協約と地域的拡張適用―理論と実践の架橋―』(信山社)をいただきました。旧版に続き,どうもありがとうございます。旧版は,近年では,ほとんどあまり研究がされていない労働協約の地域的拡張適用(労組法18条)について本格的な分析検討を加えた唯一の文献といえるものでしたが,ちょうど家電量販店での地域的拡張適用が認められる事例(UAゼンセンヤマダ電機労働組合他事件)が出てきたこともあり,新版では,その情報も追加してアップデートされています。
 本書では,地域的拡張適用には,労働者間の公正な競争だけでなく使用者間の公正な競争という意義があり,さらに協約締結使用者の利益に資することに何度も言及されていますが,労働条件が有利に拡張される場合,拡張適用される側の使用者の利益をどう考えるのかという問題がありそうです。当該労働協約の締結主体である使用者ではないという状況は,公正な労働条件の適用を免れているという場合もありえるでしょうが,自分たちの経営体力からすると,高い労働条件は提示できず,労働者もそれに納得して同意している可能性もあります。拡張適用のもつ強制的な性格は,労組法17条の場合によく議論してきましたが,18条の場合にもあてはまるものでしょう(なお,UAゼンセンヤマダ電機労働組合他事件では,協約外使用者2社のうちの少なくとも1社は,拡張適用される協約の条項よりも有利な規定をもっているので,この点は問題となりませんでした)。この点は,具体的には,労働委員会の決議や厚生労働大臣または都道府県知事の決定の際に考慮される事項かが問題となるのでしょう。前に紹介したことがある季刊労働法277号の山本陽大さんの論文「労働組合法18条の解釈について」では,労組法182項で,労働委員会に協約の修正権限が認められていることを考慮して,拡張適用の妥当性についても労働委員会に判断を行わせるのが適切と述べています(26頁)。一方,本書では,労働委員会の裁量を認めることを否定します(2956頁)。ただ,それについての次のような理由付けにはやや疑問があります。
 「労働委員会の裁量を肯定すると,使用者や使用者団体等から地域的拡張適用に対する反対意見が出されたとき(特に協約当事者以外の使用者については想定しうる),使用者等の反対を押し切って地域的拡張の決議に賛成した公益委員については,「公正さを欠いており,再任の際には使用者委員の同意見(ママ)を行使して不再任とするのが相当」との批判や圧力を防ぐことができず,地域的拡張適用が事実上困難となるところ,使用者等の反対による拡張適用ができないのであれば,同制度の存在意義自体が揺らいでしまうであろう」。
 不再任となるのを恐れて使用者側の意見に従うような公益委員がどこまでいるのかわかりませんし,そんなことを言ってしまえば,不当労働行為の救済命令だって,参与意見における使用者委員の意見に従った命令が出ることになりそうです(労組法27条の12第2項を参照)が,実際にはそういうことはないでしょう。ここで重要なのは,労組法18条が,協約適用外の使用者(および労働者)の意思に反して適用される強制的な性格をもつことで,その利益をどこかで考慮する機会がなければならないのではということであり,そのための適切な場としては,労働委員会以外はないであろうということなのです。労働委員会に裁量を認めても,(本書が懸念するように)使用者側が反対したから直ちに拡張適用ができなくなるというわけではなく,使用者側の反対の理由が妥当なものでなければそれを重視しないことは十分にありえます。この程度の判断をすることを労働委員会に認めないようでは,労働委員会制度はそもそも成り立たないのではないかと思います。労働委員会の判断の適否は,決議の内容から事後的に検証されるのであり,そうしたチェックで十分たと思います。ということなので,私は山本説と同様,労働委員会の裁量肯定説に立ちたいです。
 この問題は不利益変更のケースでは,いっそう深刻な話となるでしょう(本書では300頁を参照)。労働協約の効力を,私的自治的正当性の観点からみていこうとする私の立場からは,強制的な拡張適用の正当化をどのように行うかという原理的論点に,どうしても関心が向いてしまいます(なお, 日本労働研究雑誌の最新号747号の桑村裕美子さんの論文「労働法における集団の意義・再考」28頁でも,協約外の労使との利害調整の問題に言及していますので参考にしてください)。17条については,同種の労働者の4分の3以上という要件による高度の民主的正当性によって,私的自治的正当性の欠如を補う(したがって,不利益変更の場合でも裁判所の内容審査をすべきではない)というのが私の立場です(拙著『労働条件変更法理の再構成』(1999年,有斐閣)308頁以下)が,そこでは論じていない18条について,改めて考えてみると,私的自治的正当性の欠如を補う民主的正当性が,「労働者の大部分」への適用では弱く,そうすると労働委員会の決議のところでチェックせざるをえず,しかし,これでも私的自治正当性の欠如を補充するのには不十分なので,司法審査を受けなければならないという結論になりそうです。四半世紀前の宿題という感じで,いつかしっかり議論したい論点です。
 いずれにせよ,18条の立法論的な妥当性,および諸々の解釈論的論点は,同条の趣旨をどう捉えるかというところが重要となります。本書は,私とは違う立場ではあるものの,お二人の壮大な労働協約論のなかで地域的拡張の問題も一貫した形で展開しようとされている点で重要な文献だと思います。

2022年9月29日 (木)

理研の大量リストラ問題について

 理化学研究所において有期雇用の研究者の大量雇止めが話題になっています。事件の詳細はわかりませんが,おそらく労契法18条の無期転換ルールの影響でしょう。5年の無期転換が科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律(イノベ法)で10年になっているので,(同条施行の2013年4月から起算して)20183月に起こるはずであった有期の研究者の雇止めが20233月まで引き延ばされていましたが,いよいよ「そのとき」が来ているということです。前に専修大学事件の東京地判で語学教員の事案について紹介しましたが,今回は一線の研究者も含まれているようなので,より事態は深刻です。
 労契法18条は悪法ですが,本来5年(イノベ法などの適用があれば10年)も雇っているなら無期にせよという理屈は,わからないではありません。ただ,これは有期にするか,無期にするかを,5年あるいは10年のところまでに判断せよということでもあり,そこで無期にならなかったら雇止めになるということを織り込み済みの法的ルールなのです。その意味で,無期転換回避目的の雇止めは違法という理屈はやや苦しいところがあると考えています。
 もちろん雇止めは簡単にはできるわけではありません。かつての判例の雇止め制限法理を成文化した労契法19条があるからです。ただ,同条は,10年の期間を超える更新の期待に合理的な理由がないと判断されれば,雇止めそれ自体の正当性審査に入るまでもなく雇止めが有効となる可能性のある規定でもあります。財政的に余裕がない研究機関側が,労契法19条の制約を乗り越えて有効な雇止めを行う方法は,この法理に詳しい弁護士などに聞けば,それを見つけ出すこと(不更新条項,更新上限条項など)はそれほど難しくないでしょう。かりに,このような方法を使用者が模索したとしても,その行動を頭ごなしに非難することはできないと考えています。
 もちろん,無期にできないから雇止めにするというのは,研究者側にはやりきれないところがあるでしょう。ましてや,それが無期で雇うだけの財政的余裕がないということであれば,財政支援を十分にしない国を恨みたくもなるでしょう。ただ,これは労働法だけでは解決が難しい問題で,研究者の研究環境をどのように確保するかという観点からも議論すべきもののように思います。
 ところで,労契法18条は,無期転換後の労働条件は従前と同一でよいとしているので,実は財政的な面だけが理由であれば,有期契約を10年で切らずに更新して無期転換すればよいともいえそうです。有期から無期に転換した研究者には,特別な就業規則を設けて,最初から無期で採用されている研究者とは違った処遇を用意することは可能です(そこでも,まったく法的な問題が起こらないとは言えませんが,詳細は省略します)。処遇が他の無期の研究者並みでなければいやという研究者もいるかもしれませんが,雇止めになるよりは,雇用の安定を得て,従来の処遇を維持できて,研究環境を維持できるメリットは大きいと考える研究者も多いでしょう。雇止めにするか,従来の無期研究者と同じ地位を付与するかという選択肢しかないのではなく,処遇を維持したまま無期にするという第三の選択肢(これこそが労契法18条が想定している本来の選択肢)もあるのです。もっとも,第三の選択肢に対しては,無期である以上,テニュアの研究者として,しかるべき処遇を認めるべきであり,半端な処遇はすべきではないという説得力のある反論もありそうです。そう考えると,労契法18条が想定していた第三の選択肢は,研究機関にはあてはめるべきではないのかもしれません(そうだとすると,期間の特例を設けるより,そもそも労契法18条それ自体の適用除外とすべきことになるでしょう)。
 また無期になると,能力不足が判明したり,財政状況がいっそう悪化したりしたときの解雇が難しくなり,研究者全体の処遇を低下させなければ雇用を維持できないことになりかねません。そうなると,優秀な人材が転職したりヘッドハンティングされたりする可能性が高まるでしょう。有期の研究者の雇用や研究環境の安定を考えたがゆえに,研究機関の存続に影響するようなことになれば,それは本末転倒でしょう。
 こうなると,解決策はおのずから限られてきます。研究機関には十分な財政支援をすべきであると同時に,一方で,研究者の能力審査は厳密にし,能力がない研究者には去ってもらうという解雇ルールが求められるということです。能力を度外視した雇用保障のためには財政資源は使わないが,今回の理研問題のように能力がある研究者まで雇用や研究環境を失うことがないようにお金を使うということが明確にされれば,国民の納得する税金の使い方といえるでしょう。研究機関(とくに税金が入っている国の研究機関)は通常の民間企業とは違うところがあり,国の将来を支えることになる研究には,徹底した能力主義が求められるということです(ただし安易な成果主義は,成果の出にくい基礎的な研究が不利になるので避けなければなりません)。もちろん,実はこれは民間企業でも同じことなのかもしれないのですが。

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