読書ノート

2024年8月31日 (土)

『Q&A現代型問題管理職対策の手引』

 弁護士法人高井・岡芹法律事務所編『Q&A現代型問題管理職対策の手引―組織強化と生産性向上のための実務指針を明示』 をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。
 本書は,問題のある「管理職」の実務的対応について法的側面のみならず,人事管理上の望ましさという観点から実務的なアドバイスをするというものです。管理職は企業において重要な役割をもっているのです(それゆえに管理職になりたがらない若者が増えているのですが)。そこで問題のある人がいれば,企業としては生産性に直結しますし,そもそも適性を欠く人を管理職にしてはいけないのであり,もし適性に欠けると判断したときには,できるだけ早急に対処する必要があります。
 とくに今日の管理職は,現場の従業員を指揮したり,訓練したりするだけでなく,様々な悩みへのケアもしなければなりません。ハラスメント,メンタルヘルス,さらにコンプライアンスなどで,部下の悩みに適切に対応しなければ,企業の生産性を下げますし,同時に,場合によっては,管理職本人だけでなく,企業のほうも法的責任を追及される可能性があります。管理職の役割の拡大にともない,企業が気をつけるところも増えるのです。
 こうした時代ですから,本書のような実践的な本が必要となるのです。労働法の実務書としての価値だけでなく,労働法の一般理論を管理職のケースにあてはめるという点で研究者にも参考になるところが多いと思います。何よりも企業の経営陣は手元に置いておくべき本と言えるでしょう。

2024年8月28日 (水)

柴田哲孝『暗殺』

 柴田哲孝『暗殺』(幻冬舎)を読みました。話題の本でしたので,Kindleで買って読んでみました。寝る前に少し読み始めたら,止まらなくなってしまいました。小説ですが,ノンフィクションの要素もあり,その点では,松本清張の社会ものに近い感じです。以下,ややネタバレありです。
 安倍晋三元首相の暗殺事件を素材としたものです。登場人物は,赤報隊の朝日新聞阪神支局襲撃事件に関する部分のような一部実名のところもあります(この部分はノンフィクション)が,登場人物の多くは実名ではなく,ただ実在の人物を推測できるものでした。
 安倍元首相(小説では田布施博之)の暗殺は,山上徹也(小説では上沼卓也)の単独犯ではなく,別のスナイパー(sniper)がいたこと(Kennedy大統領暗殺のときと同じで,あれもOswald単独犯ではないと言われている),動機は,右翼の大物が,安倍首相が「令和」という元号を認めたことから「禁厭」という処分(ここでは処刑)を下すことにしたこと,これに自衛隊と警察から協力者がいたこと,さらに自民党(小説では,自憲党)の大物議員である二階氏(小説では豊田)が関わっていること,そこにはオリンピックのときの利権が横取りされたことへの恨みが関係していることなどが出てきます。統一教会(小説では合同教会)の問題などはカムフラージュであるとされ,赤報隊事件との関係などもあり,いろんな出来事が錯綜して大変ですが,読み応えはあります。
 ちょうどテレビで,二階氏が超党派の議員団(日中友好議連)を率いて中国に訪問しているところが報道されていましたが,この人が黒幕の一人であったのかと思ってしまうほど(小説と現実とを混同してしまっているのですが),この小説にはリアリティがありました。
 いずれにせよ,安倍首相の死因に疑問をもった(これは多くの人が同意すると思います)ということがきっかけとされる著者の執筆意図は,社会への問題提起として重要です。私たちは日本の歴史に残る首相で,当時なお政治的に大きな力をもっていた人が,白昼,国政選挙の応援演説中に暗殺されたという重大事件について,その犯人について疑義が残っているという事実を真剣に受け止めるべきだと思いますが,これはよくある陰謀論に毒されているだけなのでしょうか。著者の仮説は,動機のところがやや弱いような気もしますが,単なるミステリー小説というわけにはいかない日本の闇のような部分も扱っており,ベストセラーになっているのも当然だと思いました。

2024年6月 9日 (日)

大局観

 NHKのEテレの「0655」か「2355」か,どちらの番組か忘れましたが,羽生善治『大局観―自分と闘って負けない心』(KADOKAWA)のなかの「反省はするが,後悔はしない」という言葉が紹介されていました。ちょっと気になったので,2011年刊行の本でしたが買ってみました(以前に読んだことがあるような気もするのですが,忘れているので)。私は勝負の世界に生きているわけではありませんが,役立つ話がたくさん出てきました。この「反省はするが,後悔はしない」も,実践はなかなか難しいのですが,前向きに生きていくためには必要なことです。
 本のタイトルにある「大局観」も,将棋界の用語ではありますが,いろいろ実生活にも応用が可能です。勝負の世界では,年齢を重ねると,若いときのような瞬発力はなくなっていくとはいえ,大局観を蓄積していればそこそこ勝負ができるのです。とはいえ,AI全盛の今日,大局観でどこまで勝負できるのかということにはやや疑問がありますが,ベテランが若手に勝つとすれば,それしかないというところもあるでしょう(今日のNHK杯でも,ベテランの郷田真隆九段が,昨年,藤井八冠に連続でタイトル挑戦した若手強豪の佐々木大地七段に勝って驚きましたが,これは大局観だけでないかもしれません)。
 将棋以外のことでいうと,法学の議論でも,細かい解釈論の議論となると,若手でも十分にできるのですが,説得力のある議論を展開するとなると,大局観というか,視野の広い議論が必要となるでしょう。とくに政策論の世界になると,細かい解釈論に秀でていても,そうした若者では通用しないことがよくあります。むしろ若手でも,解釈論はあまりぱっとせず凡庸な感じでも,実は広い視野をもっているような人のほうが,政策論の場では通用しそうな気がします。
 ところで「後悔しない」というのは「忘れること」が重要だということでもあります。「忘れること」は簡単ではないのですが,羽生さんはこれを努力してできるようになったと書いています。人の生来の性分かと思っていましたが,努力によってできることなのかもしれません。「忘れること」によって,雑念を払って集中できるようになり,そのメリットは大きいです。これはなかなかできないことですが,訓練でできるのであれば,やろうと頑張ってみる価値はありそうです。
 「後悔はしない」は,自分はもっとこんなことができたはずなのに,というような余計なことを考えるなという意味もあります。これは今日のように選択が過剰にある時代にはなおさらです。いろんなことが選択できすぎて情報に踊らされているだけのことがあるかもしれません。羽生さんも,棋士以外にいろんな可能性があったでしょうが,そういうことを考えても仕方がないと言っています。それは羽生さんが大棋士になったからということではなく,後戻りできないことをくよくよ考えても仕方がないということでしょう。
 そもそも無限にありそうな選択肢も,現実的には初めから多くの選択肢はないに等しいかもしれないのです。過剰な情報をつきつけられて選択するほうがよほど疲れます。疲れた末の選択は誤る可能性が高まります。
 羽生さんはミスが起こるのは,状況認識を誤っているときと,感情などに左右されているときであると言います。常に冷静に状況を把握して行動することが重要です。これをもっと広くみると,自分というものを冷静に客観的に把握して行動選択し,そこでミスがあっても,反省はして同じミスを繰り返さないようには努めるが,後悔のような後ろ向きの行動はしないということでしょう。難しいことですが……。 

 

2024年6月 3日 (月)

『法学部生のためのキャリアエデュケーション』

 弁護士の松尾剛行さんから『法学部生のためのキャリアエデュケーション』 (有斐閣)を送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。これは良い本です。たくさん付箋紙をつけながら読みました。大げさではなく,法学部生全員にとって必読だと思います。とくに本人だけでなく,法学部生をもっている親御さんにも読んでもらいたいです。最近では,大学生でもそのキャリアの決定について親が影響力を持っていることが多いので。

 本書は前半の総論と後半の各論とから構成されています。第1章から第7章の前半はキャリア論一般であり,第8章から第12章の後半は法学部生をとくに念頭においた具体的なキャリアガイダンスになっています (法曹はもちろん,公務員や政治家まで採り上げられています)。第12章のAI時代以降の話については,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)も引用してくださっています。

 法学部生以外の人でも,前半の内容は十分に参考になります。これは基礎理論編ともいえるのですが,実際に悩める若者に対して,きわめて実践的で役立つことも書かれています。つまり,理論と実践双方が平易な言葉でわかりやすく書かれているのが,この本の凄さです。戦略的な思考が重要というと硬そうですが,将来をしっかり見越して,必要な努力を的確に行うことが大切ということを呼びかけ,そのために具体的にどのようなことをすべきかも書かれています。
 個人的には,経営学の知見が散りばめられていることも良いです。法学と経営学にまたがるところは,相当の力量がなければ書けないでしょう(労働法学者も,経営や人事管理論の知見をもたなければならないと思っていますが,そういう人はあまりいません)。これは松尾さん自身が,普通の弁護士ではなく,色んな分野に関心をもち,ポジティブに行動されていることによるものだと思います。

 私はAI時代やデジタル時代における将来志向の教育の重要性をいろんなところで述べていますが,大学の法学部については,どちらかというと未来はあまり明るくないと言ってしまうことが多かったのです。しかし,本書を読むと,きっちり戦略的にキャリア計画を立てれば,法学部生にも十分未来があるということがわかりました。教えられることが多い本です。

 

2024年5月25日 (土)

『仕事と子育ての両立』

 矢島洋子・武石恵美子・佐藤博樹著『仕事と子育ての両立』(中央経済社)をお送りいただきました。佐藤さんと武石さんからは,いつも「シリーズ ダイバーシティ経営」の著書をいただいており感謝しております。今回のテーマは,両立支援をめぐる課題です。
 先日のこのBlogで,アメックス事件の東京高裁判決を紹介したところでしたので,人材マネージメントの観点から,どういう議論ができるかということに関心をもって,本書を開いてみました。
 アメックス事件は,バリバリのキャリアウーマン(言葉が古いか?)が,妊娠・出産して育児休業から戻ったときに,かつての部署がなくなり,部下のいない部署に移されてしまったというものです。基本給に変化はありませんでしたが(業績連動給は減りました),裁判所は,男女雇用機会均等法や育児介護休業法で禁止している不利益取扱いにあたると判断しました。
 マミートラック(mommy track)の問題は,かつては母親労働者へのサポートという面で肯定的にとらえられた時代もありましたが,その一方で,キャリア展開という点では,不利となりえるという否定的な面もあり,近年では,後者の点が批判されるようになっています。上記の裁判所は,そうした否定的な面を許さないということであり,人事担当者にはショックな判決であったかもしれません。
 本書の第3章「子育て期の女性のキャリア形成支援」が,この論点に関連するところですが,章末のまとめ(POINTS)をみると,次のように書かれていました(93頁)。
 「短時間勤務や所定外労働の制限を活用して就業継続する女性が増加する一方で,企業は,育休から復職した社員の能力開発やキャリア形成支援への関心が弱く,フルタイムでかつ残業を前提とした正社員を主たる正社員層とする人事制度やマネジメントが持続していた。そのため,短時間勤務など両立支援制度を活用している正社員女性は,能力発揮やキャリア形成が困難となり,いわゆるマミートラックにはまる者が増加し,また,周囲で働くフルタイム勤務の正社員との軋轢も高まった。」 
 「女性活躍推進法の施行によって女性の支援課題が両立から活躍に拡大する中で,短時間勤務など両立支援制度を利用する正社員女性の能力発揮やキャリア形成を促すための環境整備の必要性を企業も認識し始めている。企業は,短時間勤務等の両立支援制度を導入するだけでなく,制度を利用する社員が能力を発揮し活躍できるよう,当該社員への仕事の配分,評価のあり方,昇格・キャリア形成の考え方等,制度の運用面の課題の解消に取り組む必要がある。」
 これをみると,アメックス事件が起こる背景的な事情も推測できそうな気もします。実際には,マミートラックの否定的な面の解決は容易ではないのでしょう。
 企業は,女性に活躍してもらうためには,マミートラックを設けて配慮するだけでは十分でなく,その否定的な面にまで配慮して,マミートラックが通常のトラックと変わらぬようなマネジメントをするよう心がける必要があるのでしょうね。そのためには,まず経営陣が,こういう問題があることを自覚しなければならないでしょう。育児介護休業法上の義務をはたせば十分ということではないのであり,より踏み込んだ取り組みが求められるということです。そして,それが不十分であれば,アメックス事件判決のように,キャリアへの配慮の足らない配置が明示的に禁止されているわけではないものの,現行法の解釈として,マミーたちに「不利益取扱い」をしていると評価される可能性があるということです(なお,育児介護休業法や男女雇用機会均等法の指針では,「不利益な配置の変更を行うこと」などは禁止例に挙げられおり,「不利益」性の判断には「当人の将来に及ぼす影響」なども考慮事項の一つにあげられてはいますが,明確性に欠けます)。


2024年5月24日 (金)

西谷敏先生の著作集

 西谷敏著作集第1巻『労働法における法理念と法政策』(旬報社)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。著作集というと,私には,末弘厳太郎,沼田稲次郎,蓼沼謙一,外尾健一といった大先生のものが,まずは思い浮かぶのですが,これから西谷先生の著作集が続々と刊行されることになるということで,とても楽しみです。

 第1巻では,拙著の『AI時代の働き方と法』(弘文堂),『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)で,私が「労働法の終焉」論を唱えていることを批判し,ばっさり斬られています。個人的には,きちんと採り上げてくださることは光栄なことであり,自虐でも何でもなく,ほんとうに有り難いことです。もっとも,私からすれば,「労働法の終焉」という表現はともかく,従属労働論の限界ということについては確信をもっています。従属労働者を保護する労働法というものは,特定の歴史のなかで生み出されてきたものであり,社会における新たな支配従属関係というものへの警戒感をもつことは必要ですが,それは時代とともに変わるので,新しい時代には新しいツールを用意しなければならないのです。規制手法論が重要なのは,その点と関係しており,西谷先生は,ソフトローや手続規制論などに反対されていますが,規制手法の多様化・柔軟化は避けられないものであり,そこには実は従属労働論のもつ限界がすでに現れているのです。

 ところで,本巻の第1章「労働法の理念と政策」の冒頭にあるのは「問題の所在―法学と経済学の論争―」です。この部分は,先生が本書に向けて書き下ろされたものですが,どうも内容が古いと思わざるを得ません。なんとなく20年前の議論状況を前提とした労働経済学批判がなされているような感じなのですが,現在では状況がかなり異なっています。現在の労働経済学は,実証研究が中心ですし,理論研究についても,法学の議論について何が「地雷」であるかを十分に察知して,あまり踏み込んでこない人が多いと思います。つまり,当初の「異文化交流」時期にあった異文化への好奇心と無思慮な介入という段階は終わっており,労働法学に関心のある人は一段階上の協働の作業に入っているし,関心があまりない人は,法学とはあまりかかわらず,ひたすら実証を中心とした労働市場の分析に向かっているような気がします。いずれにせよ,労働法学が危険と感じたような状況はないというのが私の認識です(これが甘いのかもしれませんが)。かつて民法学者のほうが労働法学者よりも労働者寄りであると思ったことがあるのと同じような感じが,最近,労働経済学者にも感じることがあります。労働市場をより効率的にしたほうがよいというのは,確かに変わっていないかもしれませんが,そのためには,むしろ規制をしたほうがよいという考え方もあり,たとえば同一労働同一賃金のための介入は,経済学者のほうがより積極的に主張する傾向にあると思っています。いずれにせよ,「経済学者=規制緩和論=労働法の敵」という図式は,とっくの昔のことではないかと思います(もちろん経済学者にも,いろいろな方がいるのですが)。

 というような感想をもちましたが,だからといって本巻の内容が時代遅れと言いたいわけではありません。デジタル,AI,フリーランス,テレワークなどの最新の動きもフォローされていて,文献も豊富に参照されています。第1巻から読み応え十分です。第2巻以降も,しっかり読み込んでいきたいと思います。

 

 

 

2024年5月 7日 (火)

東野圭吾『白鳥とコウモリ』

 東野圭吾『白鳥とコウモリ』(幻冬舎)を読みました。かなり面白かったです。『容疑者Xの献身』を読んだときに近い読後感であり,上巻の途中から,読むのを止められなくなりました。連休中のやや余裕があるときだったので,よかったです。以下,ネタバレ注意。

 2017年,東京の竹芝桟橋近くで,弁護士(白石健介)の刺殺死体が発見されました。通りがかりの殺人ではなさそうですが,弁護士ですので白石を恨む人が皆無ではないとしても,殺意までいだくような人物は浮かんできません。そんななか,白石の携帯電話の履歴から,愛知県に住んでいる倉木という人物が浮かびあがりました。倉木は,当初は警察に対して,白石には遺産相続についての相談をしただけと言っていたのですが,突然,白石殺害を自供しました。その自供は,1984年の別の殺人事件についての自供も含んでいました。1984年の事件は,金融業者である灰谷という男が事務所で刺殺された事件でした。容疑者として逮捕された福間は,獄中で自殺していました。倉木は,犯人は自分であり,福間は冤罪なので,その贖罪のために福間の遺族である浅羽母子(洋子と織恵。旧姓に戻している)に遺産を渡したいが,自分には相続資格のある息子の和真がいる(倉木の妻はすでに死亡)ので,どうすればよいかということを白石弁護士に相談したところ,殺人については時効がきているが,家族には真実を告白するように強く迫ってきたので殺害したというのです。動機もあり,犯人しか知らない「秘密の暴露」もあったので,倉木が犯人であることは疑われず,これで白石弁護士殺人事件は一件落着となったのですが,担当刑事の五代は違和感をもっています。元の被害者であるはずの浅羽母子も,倉木に恨みを感じているようなところがありません。殺人犯の家族ということでつらい目にあってきたにもかかわらずです。それどころか,浅羽の娘の織恵は倉木に恋愛感情さえ抱いていたようです。一方,同じく被害者家族である白石の娘の美令も,倉木に対して父の健介が語ったとする内容に違和感をもちます。白石弁護士は,相談者に強く迫ったりすることはせず,つねに寄り添う姿勢をとっていたからです。さらに倉木の息子の和真も,日頃の倉木の言動から,父が殺害行為をしたことが信じられないと思っています。和真は,一流企業で働いていましたが,殺人犯の息子ということでマスコミが騒ぐので,会社からも自宅待機を命じられます。その間に和真は,真相解明に動き出します。
 裁判では,倉木が自供して事実を争わないので,あとは情状酌量だけの問題となります。国選弁護人の堀部は,和真が父の自供の信憑性にいだいている違和感について,真剣にとりあってくれません。和真は父から直接話を聞きたいと思っているのですが,父は頑なに面会を拒否します。
 白石美令は,被害者参加制度を利用することにしますが,担当してくれる元検事の弁護士との間で方針が食い違います。検察側は,もちろん倉木を死刑にしようと考えていますし,美令の母もそれを望んでいますが,美令は真相にこだわります。容疑者が自供しているなかでは,司法手続で真相を明らかにすることができないというのが,この事件のポイントです。そこで美令もまた,真相をつきつめようとします。
 こうして加害者側の家族の和真と被害者側の家族の美令がそれぞれの立場で真相を追求するのです(やがて協力しあうようになります)が,徐々にいろんなことが明らかになってきました。美令は父の健介の若いころをたどるなかで,健介の父は離婚していて,健介の実母は愛知で一人に住んでいたこと,健介は継母の下で育てられたが,大学生になってもこっそり実母に会いに行っていたこと,資産はあった継母ですが,金融業者にだまされて大金を失っていたこと,そして,その金融業者こそが,1984年に倉木が殺したと自供した灰谷であったことです。美令は嫌な予感がします。
 一方,和真は,灰谷の殺人事件のあった515日から数年後の同じ日に,倉木が新居に引っ越しをしようとしていたことに違和感をもちます。もし殺人を悔いていたら,その日に人生の夢であった新居への引っ越しなどをしようとするはずがないからです。さらに,1984年の殺人事件では,倉木も灰谷にからまれて迷惑を受けていたり,殺害現場近くにいたりしたので捜査線に上がったのですが,倉木にはアリバイがあって捜査対象から早々に外されていたというのです。当時の捜査資料などはほとんどなくなっていたのですが,わずかな証言から,灰谷殺害事件で倉木がシロである要素が次々と出てきます。
 和真は,父が誰かをかばっていると考えるようになりますが,堀部はとりあってくれません。本人がやったといっている以上,国選弁護人としてはどうしようもないということでしょうし,そこからさらに真相を追求してもしかたがないのでしょう。
 しかし実は,被害者と加害者が逆転するというドンデン返しがありました。ガンに罹患していて死期が近いと感じていた倉木は,誰かを庇っていました。なぜ庇ったのでしょうか。そして,白石の家族,福間・浅羽の家族は,結局,加害者側,被害者側のいずれであったのでしょうか。灰谷だって,被害者でありながら,加害者であったといえそうです。
 白石健介殺人の犯人は,福間(浅間)の孫の安西知希(14歳)でした。知希の母の織恵は,財務官僚と結婚していましたが,父が殺人犯であることが知られるようになり,結局,離婚し,知希は元夫のところに引きとられていましたが,ときどき会っていました。浅羽母子は東京の門前仲町で小料理屋「あすなろ」を営んでいましたが,倉木は被害者家族のことが気になって,身分を隠して年に数回,息子のところに行くついでに,客として行くようになっていました。そこで倉木は織恵と親しくなり,織恵は二人のホットラインのために倉木にスマホをプレゼントします。倉木はそれをつかってインターネットにアクセスしていて,白石が弁護士をしていることを知り,白石に会います。また,倉木は,織恵に1984年の事件の真犯人は彼女の父の福間ではなく,白石であることを伝えるために,スマホでメールを送ります。知希は,倉木が織恵に送ったそのメールを盗み見て,白石が灰谷殺しの犯人であることを知り,復讐したのです。加害者(福間)の家族から,一転して被害者側(冤罪犯の家族)となり,しかし白石殺害によって再び加害者になるという急転回です。ただ,冤罪犯の家族であり,父の仇討ちをしたともいえるわけで,同情の余地があると思わせながら,ここでもドンデン返しがあり,知希の動機は違っていたというおまけまでついていました。
 自供は危険ということを教える小説でもあります。倉木は,白石を殺害する前にプリペードの携帯電話をつかって彼を呼び出し,そこで殺害し,証拠隠滅のために携帯電話を捨てたと述べていました。しかしそれならば周囲にいくらでもあった公衆電話をつかって呼び出せばよかったのです。倉木は自身の携帯電話を捨てたと主張しているので,この供述の物的証拠はありませんでした。しかし,ここに盲点があったのです。倉木は,白石殺害の犯人が織恵ではないかと思い問い詰めたところ,知希がメールをみていたことを知り,知希が自身の犯行であることを認めます。倉木は,なんとか織恵のためにも知希を守ろうと考えます。刑事から公衆電話を使えば,街中の監視カメラがあるので,すぐに犯人がみつかると聞いたので,知希を守るために上記のような供述をしたのです。案の定,警察は監視カメラで調べれば知希が電話をしていたことがわかり,本人を問い詰めると,あっさり自供しました。
 倉木は事件の真相を知っており,それを隠蔽するために,自身に罪が及ぶような完璧なストーリーを構築し,そのとおりに自供をしていました。すでに犯行を知っているので秘密の暴露は容易で,都合の悪い証拠は破棄したことにしておけば,警察はだまされてしまうということですね。動機にやや弱いところがあっても,それなりの筋があれば,信じてしまうということです。実際の警察はそう簡単には騙されないだろうと思うのですが,その違和感は,検察や国選弁護人が手っ取り早く事件処理をしようとするという話を盛り込んで,無理のないようにストーリーを展開していました。『沈黙のパレード』では,関係する者が全員黙秘したケースでしたが,今回は完全な自供をしたケースを扱っており,この点も興味深かったです。

2024年5月 6日 (月)

労働新聞に書評掲載

 労働新聞の令和6年5月13日号の「書方箋 この本,効キマス」に,浜田冨士郎先生の『リンカンと奴隷解放』(信山社)について書かせてもらいました。依頼が来た時に,締切日に余裕がなかったので,自身の手元にある本の中から選ぼうと思い,書棚をながめているときに目に飛び込んできたのが,この本でした。2022年刊行の本でしたので,少し古いかなと思ったのですが,個人的にはたいへん勉強になったので,書評というよりも(きちんと書評する能力も資格もありませんので),僭越ながら紹介をさせてもらいたいという気持ちで採り上げました。
 改めて読んでみて,アメリカのことに関心が深まりました。アメリカの州の位置も再確認し,日常のニュースや映画でも,州の名前が出てくると,それはどのあたりかということもわかるようになってきました。奴隷州であった南部諸州は,やはり人種差別は,いまなお大きな問題なのでしょう。
 本書はタイトルにあるようにリンカンが主役なのですが,私は,浜田先生がリンカンの業績を単純な英雄譚とせず,一人の誠実で,信念があり,しかし野心もある政治家かつ法律家のリンカンの英雄らしからぬ人生に深く共感しながら,同時に少し突き放した視線で客観的に描こうとされたのではないかと感じたのですが,それはまったくの的外れな指摘かもしれません。
 いずれにせよ,黒人奴隷という人類史に残る過ちをおかし,まだ贖罪もはたせていないアメリカが,民主主義や平等の理念を声高に掲げることへの違和感をもったり,その偽善性に対する感情的な反発をしたりするのは,誰でもできる非知性的な行為であり,本書のように,なぜアメリカがそうであるのかを冷静に分析していこうとする姿勢こそ,まさに研究者ならではの知性的な業績なのでしょう。とりわけ憲法などの法的背景や政治的な動きが克明に描かれていて法律家にとっては興味深いところが多く,さらに大統領になったあとの南北戦争の前夜から奴隷解放宣言,さらに戦争終結に至るまでのスリリングな展開は,格調高い浜田先生の文体とみごとなハーモニーを奏でていて,サスペンス作品のような面白さもありました(もちろん,前半は奴隷制度の教科書としての意味もある教養書でもあります)。このことを書評に書いたほうがよかったのかもしれませんが,字数の制約もあったので,ここで補足させてもらいます。ぜひ多くの方に読んでもらいたい本です。

2024年4月26日 (金)

アメリカに臣従する日本

 「線路は続くよとこまでも」は,実はアメリカの歌で,原題は「I've Been Working on the Railroad」です。先日,NHKの名曲アルバムでこの曲が採り上げられ,アメリカの鉄道列車が走る風景が流れていました。この歌は,幼児らが唄う明るく元気な歌というのとは違い,原題からわかるように労働歌です。「線路は続くよ」は,はてのないきつい労働を意味するもので,この歌は労働哀歌なのです。
 それでも労働者は報酬が払われるだけ,まだましかもしれません。1869年に完成した大陸横断鉄道は,もっと悲惨な状況を生み出していました。それは白人たちが勝手に西部を開拓するなかで,先住民を虐殺していたからです。家も財産も,そして生命まで奪われました。黒人奴隷の問題と並ぶ,アメリカの先住民虐殺という黒歴史は,人類史に残る悪行といってよいでしょう。さらにアメリカは,日本に二度も原爆を投下し,民間人を大量に殺戮しました。そんなアメリカに,いまだに臣従している日本は情けないです。岸田文雄首相は,国賓として呼ばれたといって得意満面でしたが,どんな約束をさせられて帰ってきたのでしょうか。懸案の日本製鉄のUS Steelの買収については,アメリカはゼロ回答だったと思います。岸田首相は個人的にはハッピーな旅行だったのかもしれませんが,日本国民のためにどんな成果を挙げたのでしょうかね。そして今度は麻生太郎副総裁のTrump詣でです。節操のない自民党の二股外交です。「もしトラ」に備えて保険をかけたのでしょうが,もう少しうまくできないものでしょうか。それにTrumpに何を約束させられてきたのか心配です。
 話題の本,森本卓郎『書いてはいけない―日本経済墜落の真相』(フォレスト出版)では,なぜ日本がアメリカに臣従するようになったかについて書いています。あの日航機の御巣鷹山の墜落は,自衛隊の誤射が原因であったのを,ボーイング社の機材不良を原因として責任を負ってもらったことにより,大きな借りができてしまったというのです。この話は,安部譲二『日本怪死列伝』でも似たようなことが書かれていて,以前に私も紹介したことがあります。その後に出された青山透子『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)も含め,かなりのことが明らかになってきています。事故の真相を明らかにし,アメリカへの借りを返し,真の独立国になってもらいたいものです。 まずは123便事故のある意味で派犠牲者であったJALにこそ,勇気をもって真実を公表し,日本国民を負の歴史から脱却させてもらいたいと期待するのは酷でしょうか。

 

2024年4月23日 (火)

前川孝雄『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』

 FeelWorksの代表取締役の前川孝雄さんから『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。若者世代の早期離職に悩む企業が考えるべきポイントが紹介されています。
 「若者を育ててきた日本企業の矜持を取り戻そう」というのが,本書のモチーフです。具体的な実践方法は,ステップ1「リアリティショックを緩和する」,ステップ2「組織の論理をキャリアに翻訳する」,ステップ3「仕事を通じた成長実感をつくる」だとされています。実社会の経験がない若者は,企業社会に入ると理想と現実の違いにショックを受けるので,まずそのショックを緩和することが離職を防ぐための第1のステップです。次いで,組織の論理を本人にとっての働きがいにつながるように説明するのが第2のステップです。そして,ステップ3として成長を実感できるようなことがあれば,離職を防ぐことができるというのです。
 私が日頃言っているのは,どちらかというと,この本の主張とは真逆で,若者に対しては,組織の論理にそまるなとか,ギャップを感じればすぐに転職したほうがよいということですし,企業に育ててもらうことを期待するなということなのですが,これは現状を変えるためには,対極的なことを言わなければならないからであり,実際には,きちんと若者を育ててくれる企業がいて,その企業が発展していくのなら,それに越したことはないのです。ただ問題は,学生の段階から,それを期待しすぎて自己研鑽を怠ってはならないということです。
 ただ上司側からすると,Z世代以下の新たな価値観をもっている若者に手を焼いていることは確かで,そういうなかでは,本書のような実践的な本があれば助かることでしょう。

 

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