読書ノート

2024年5月 7日 (火)

東野圭吾『白鳥とコウモリ』

 東野圭吾『白鳥とコウモリ』(幻冬舎)を読みました。かなり面白かったです。『容疑者Xの献身』を読んだときに近い読後感であり,上巻の途中から,読むのを止められなくなりました。連休中のやや余裕があるときだったので,よかったです。以下,ネタバレ注意。

 2017年,東京の竹芝桟橋近くで,弁護士(白石健介)の刺殺死体が発見されました。通りがかりの殺人ではなさそうですが,弁護士ですので白石を恨む人が皆無ではないとしても,殺意までいだくような人物は浮かんできません。そんななか,白石の携帯電話の履歴から,愛知県に住んでいる倉木という人物が浮かびあがりました。倉木は,当初は警察に対して,白石には遺産相続についての相談をしただけと言っていたのですが,突然,白石殺害を自供しました。その自供は,1984年の別の殺人事件についての自供も含んでいました。1984年の事件は,金融業者である灰谷という男が事務所で刺殺された事件でした。容疑者として逮捕された福間は,獄中で自殺していました。倉木は,犯人は自分であり,福間は冤罪なので,その贖罪のために福間の遺族である浅羽母子(洋子と織恵。旧姓に戻している)に遺産を渡したいが,自分には相続資格のある息子の和真がいる(倉木の妻はすでに死亡)ので,どうすればよいかということを白石弁護士に相談したところ,殺人については時効がきているが,家族には真実を告白するように強く迫ってきたので殺害したというのです。動機もあり,犯人しか知らない「秘密の暴露」もあったので,倉木が犯人であることは疑われず,これで白石弁護士殺人事件は一件落着となったのですが,担当刑事の五代は違和感をもっています。元の被害者であるはずの浅羽母子も,倉木に恨みを感じているようなところがありません。殺人犯の家族ということでつらい目にあってきたにもかかわらずです。それどころか,浅羽の娘の織恵は倉木に恋愛感情さえ抱いていたようです。一方,同じく被害者家族である白石の娘の美令も,倉木に対して父の健介が語ったとする内容に違和感をもちます。白石弁護士は,相談者に強く迫ったりすることはせず,つねに寄り添う姿勢をとっていたからです。さらに倉木の息子の和真も,日頃の倉木の言動から,父が殺害行為をしたことが信じられないと思っています。和真は,一流企業で働いていましたが,殺人犯の息子ということでマスコミが騒ぐので,会社からも自宅待機を命じられます。その間に和真は,真相解明に動き出します。
 裁判では,倉木が自供して事実を争わないので,あとは情状酌量だけの問題となります。国選弁護人の堀部は,和真が父の自供の信憑性にいだいている違和感について,真剣にとりあってくれません。和真は父から直接話を聞きたいと思っているのですが,父は頑なに面会を拒否します。
 白石美令は,被害者参加制度を利用することにしますが,担当してくれる元検事の弁護士との間で方針が食い違います。検察側は,もちろん倉木を死刑にしようと考えていますし,美令の母もそれを望んでいますが,美令は真相にこだわります。容疑者が自供しているなかでは,司法手続で真相を明らかにすることができないというのが,この事件のポイントです。そこで美令もまた,真相をつきつめようとします。
 こうして加害者側の家族の和真と被害者側の家族の美令がそれぞれの立場で真相を追求するのです(やがて協力しあうようになります)が,徐々にいろんなことが明らかになってきました。美令は父の健介の若いころをたどるなかで,健介の父は離婚していて,健介の実母は愛知で一人に住んでいたこと,健介は継母の下で育てられたが,大学生になってもこっそり実母に会いに行っていたこと,資産はあった継母ですが,金融業者にだまされて大金を失っていたこと,そして,その金融業者こそが,1984年に倉木が殺したと自供した灰谷であったことです。美令は嫌な予感がします。
 一方,和真は,灰谷の殺人事件のあった515日から数年後の同じ日に,倉木が新居に引っ越しをしようとしていたことに違和感をもちます。もし殺人を悔いていたら,その日に人生の夢であった新居への引っ越しなどをしようとするはずがないからです。さらに,1984年の殺人事件では,倉木も灰谷にからまれて迷惑を受けていたり,殺害現場近くにいたりしたので捜査線に上がったのですが,倉木にはアリバイがあって捜査対象から早々に外されていたというのです。当時の捜査資料などはほとんどなくなっていたのですが,わずかな証言から,灰谷殺害事件で倉木がシロである要素が次々と出てきます。
 和真は,父が誰かをかばっていると考えるようになりますが,堀部はとりあってくれません。本人がやったといっている以上,国選弁護人としてはどうしようもないということでしょうし,そこからさらに真相を追求してもしかたがないのでしょう。
 しかし実は,被害者と加害者が逆転するというドンデン返しがありました。ガンに罹患していて死期が近いと感じていた倉木は,誰かを庇っていました。なぜ庇ったのでしょうか。そして,白石の家族,福間・浅羽の家族は,結局,加害者側,被害者側のいずれであったのでしょうか。灰谷だって,被害者でありながら,加害者であったといえそうです。
 白石健介殺人の犯人は,福間(浅間)の孫の安西知希(14歳)でした。知希の母の織恵は,財務官僚と結婚していましたが,父が殺人犯であることが知られるようになり,結局,離婚し,知希は元夫のところに引きとられていましたが,ときどき会っていました。浅羽母子は東京の門前仲町で小料理屋「あすなろ」を営んでいましたが,倉木は被害者家族のことが気になって,身分を隠して年に数回,息子のところに行くついでに,客として行くようになっていました。そこで倉木は織恵と親しくなり,織恵は二人のホットラインのために倉木にスマホをプレゼントします。倉木はそれをつかってインターネットにアクセスしていて,白石が弁護士をしていることを知り,白石に会います。また,倉木は,織恵に1984年の事件の真犯人は彼女の父の福間ではなく,白石であることを伝えるために,スマホでメールを送ります。知希は,倉木が織恵に送ったそのメールを盗み見て,白石が灰谷殺しの犯人であることを知り,復讐したのです。加害者(福間)の家族から,一転して被害者側(冤罪犯の家族)となり,しかし白石殺害によって再び加害者になるという急転回です。ただ,冤罪犯の家族であり,父の仇討ちをしたともいえるわけで,同情の余地があると思わせながら,ここでもドンデン返しがあり,知希の動機は違っていたというおまけまでついていました。
 自供は危険ということを教える小説でもあります。倉木は,白石を殺害する前にプリペードの携帯電話をつかって彼を呼び出し,そこで殺害し,証拠隠滅のために携帯電話を捨てたと述べていました。しかしそれならば周囲にいくらでもあった公衆電話をつかって呼び出せばよかったのです。倉木は自身の携帯電話を捨てたと主張しているので,この供述の物的証拠はありませんでした。しかし,ここに盲点があったのです。倉木は,白石殺害の犯人が織恵ではないかと思い問い詰めたところ,知希がメールをみていたことを知り,知希が自身の犯行であることを認めます。倉木は,なんとか織恵のためにも知希を守ろうと考えます。刑事から公衆電話を使えば,街中の監視カメラがあるので,すぐに犯人がみつかると聞いたので,知希を守るために上記のような供述をしたのです。案の定,警察は監視カメラで調べれば知希が電話をしていたことがわかり,本人を問い詰めると,あっさり自供しました。
 倉木は事件の真相を知っており,それを隠蔽するために,自身に罪が及ぶような完璧なストーリーを構築し,そのとおりに自供をしていました。すでに犯行を知っているので秘密の暴露は容易で,都合の悪い証拠は破棄したことにしておけば,警察はだまされてしまうということですね。動機にやや弱いところがあっても,それなりの筋があれば,信じてしまうということです。実際の警察はそう簡単には騙されないだろうと思うのですが,その違和感は,検察や国選弁護人が手っ取り早く事件処理をしようとするという話を盛り込んで,無理のないようにストーリーを展開していました。『沈黙のパレード』では,関係する者が全員黙秘したケースでしたが,今回は完全な自供をしたケースを扱っており,この点も興味深かったです。

2024年5月 6日 (月)

労働新聞に書評掲載

 労働新聞の令和6年5月13日号の「書方箋 この本,効キマス」に,浜田冨士郎先生の『リンカンと奴隷解放』(信山社)について書かせてもらいました。依頼が来た時に,締切日に余裕がなかったので,自身の手元にある本の中から選ぼうと思い,書棚をながめているときに目に飛び込んできたのが,この本でした。2022年刊行の本でしたので,少し古いかなと思ったのですが,個人的にはたいへん勉強になったので,書評というよりも(きちんと書評する能力も資格もありませんので),僭越ながら紹介をさせてもらいたいという気持ちで採り上げました。
 改めて読んでみて,アメリカのことに関心が深まりました。アメリカの州の位置も再確認し,日常のニュースや映画でも,州の名前が出てくると,それはどのあたりかということもわかるようになってきました。奴隷州であった南部諸州は,やはり人種差別は,いまなお大きな問題なのでしょう。
 本書はタイトルにあるようにリンカンが主役なのですが,私は,浜田先生がリンカンの業績を単純な英雄譚とせず,一人の誠実で,信念があり,しかし野心もある政治家かつ法律家のリンカンの英雄らしからぬ人生に深く共感しながら,同時に少し突き放した視線で客観的に描こうとされたのではないかと感じたのですが,それはまったくの的外れな指摘かもしれません。
 いずれにせよ,黒人奴隷という人類史に残る過ちをおかし,まだ贖罪もはたせていないアメリカが,民主主義や平等の理念を声高に掲げることへの違和感をもったり,その偽善性に対する感情的な反発をしたりするのは,誰でもできる非知性的な行為であり,本書のように,なぜアメリカがそうであるのかを冷静に分析していこうとする姿勢こそ,まさに研究者ならではの知性的な業績なのでしょう。とりわけ憲法などの法的背景や政治的な動きが克明に描かれていて法律家にとっては興味深いところが多く,さらに大統領になったあとの南北戦争の前夜から奴隷解放宣言,さらに戦争終結に至るまでのスリリングな展開は,格調高い浜田先生の文体とみごとなハーモニーを奏でていて,サスペンス作品のような面白さもありました(もちろん,前半は奴隷制度の教科書としての意味もある教養書でもあります)。このことを書評に書いたほうがよかったのかもしれませんが,字数の制約もあったので,ここで補足させてもらいます。ぜひ多くの方に読んでもらいたい本です。

2024年4月26日 (金)

アメリカに臣従する日本

 「線路は続くよとこまでも」は,実はアメリカの歌で,原題は「I've Been Working on the Railroad」です。先日,NHKの名曲アルバムでこの曲が採り上げられ,アメリカの鉄道列車が走る風景が流れていました。この歌は,幼児らが唄う明るく元気な歌というのとは違い,原題からわかるように労働歌です。「線路は続くよ」は,はてのないきつい労働を意味するもので,この歌は労働哀歌なのです。
 それでも労働者は報酬が払われるだけ,まだましかもしれません。1869年に完成した大陸横断鉄道は,もっと悲惨な状況を生み出していました。それは白人たちが勝手に西部を開拓するなかで,先住民を虐殺していたからです。家も財産も,そして生命まで奪われました。黒人奴隷の問題と並ぶ,アメリカの先住民虐殺という黒歴史は,人類史に残る悪行といってよいでしょう。さらにアメリカは,日本に二度も原爆を投下し,民間人を大量に殺戮しました。そんなアメリカに,いまだに臣従している日本は情けないです。岸田文雄首相は,国賓として呼ばれたといって得意満面でしたが,どんな約束をさせられて帰ってきたのでしょうか。懸案の日本製鉄のUS Steelの買収については,アメリカはゼロ回答だったと思います。岸田首相は個人的にはハッピーな旅行だったのかもしれませんが,日本国民のためにどんな成果を挙げたのでしょうかね。そして今度は麻生太郎副総裁のTrump詣でです。節操のない自民党の二股外交です。「もしトラ」に備えて保険をかけたのでしょうが,もう少しうまくできないものでしょうか。それにTrumpに何を約束させられてきたのか心配です。
 話題の本,森本卓郎『書いてはいけない―日本経済墜落の真相』(フォレスト出版)では,なぜ日本がアメリカに臣従するようになったかについて書いています。あの日航機の御巣鷹山の墜落は,自衛隊の誤射が原因であったのを,ボーイング社の機材不良を原因として責任を負ってもらったことにより,大きな借りができてしまったというのです。この話は,安部譲二『日本怪死列伝』でも似たようなことが書かれていて,以前に私も紹介したことがあります。その後に出された青山透子『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)も含め,かなりのことが明らかになってきています。事故の真相を明らかにし,アメリカへの借りを返し,真の独立国になってもらいたいものです。 まずは123便事故のある意味で派犠牲者であったJALにこそ,勇気をもって真実を公表し,日本国民を負の歴史から脱却させてもらいたいと期待するのは酷でしょうか。

 

2024年4月23日 (火)

前川孝雄『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』

 FeelWorksの代表取締役の前川孝雄さんから『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。若者世代の早期離職に悩む企業が考えるべきポイントが紹介されています。
 「若者を育ててきた日本企業の矜持を取り戻そう」というのが,本書のモチーフです。具体的な実践方法は,ステップ1「リアリティショックを緩和する」,ステップ2「組織の論理をキャリアに翻訳する」,ステップ3「仕事を通じた成長実感をつくる」だとされています。実社会の経験がない若者は,企業社会に入ると理想と現実の違いにショックを受けるので,まずそのショックを緩和することが離職を防ぐための第1のステップです。次いで,組織の論理を本人にとっての働きがいにつながるように説明するのが第2のステップです。そして,ステップ3として成長を実感できるようなことがあれば,離職を防ぐことができるというのです。
 私が日頃言っているのは,どちらかというと,この本の主張とは真逆で,若者に対しては,組織の論理にそまるなとか,ギャップを感じればすぐに転職したほうがよいということですし,企業に育ててもらうことを期待するなということなのですが,これは現状を変えるためには,対極的なことを言わなければならないからであり,実際には,きちんと若者を育ててくれる企業がいて,その企業が発展していくのなら,それに越したことはないのです。ただ問題は,学生の段階から,それを期待しすぎて自己研鑽を怠ってはならないということです。
 ただ上司側からすると,Z世代以下の新たな価値観をもっている若者に手を焼いていることは確かで,そういうなかでは,本書のような実践的な本があれば助かることでしょう。

 

2024年4月20日 (土)

『欧米のハラスメント法制度』

  滝原啓充編著/労働政策研究・研修機構編『欧米のハラスメント法制度』(労働政策研究・研修機構)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。各国のハラスメントの法制が紹介されたものです。「編者が推奨する本書の読み進め方」というのが親切にも書かれており,そこで序章と終章を先に読むことを推奨すると書かれていましたので,そうしてみました。

 序章から,本書が,JILPTから公表された報告書に加筆をし,末尾に「修復的正義」の解説を追加したものであるとの説明があります。終章では,「結局のところ,ハラスメントについては,各国における法制を参照しても,必ずしも当該問題を解決に導く明確な解は存在しないようにも思われる」と書かれていて(312頁),まことに正直なのですが,終章から読むように推奨されていたわりには,なんとなく残りの章を読もうとする気勢がそがれたような気もしましたが,「明確な解」が存在しないというも一つの発見であるので,それは学問的な誠実さということでしょう。

 「修復的正義」というのは,私の不勉強で,よく知らないし,本書を読んでもどれだけ理解したか自信がありませんが,企業の自発的な対応を重視する試みにつながるものであるのであれば,少なくとも私の『人事労働法』(弘文堂)と接点はありそうです。私が規制手法として関心をもっている共同規制にもつながるものです(本書では,「協働規制」と訳されている)。ハラスメントが,従来型労働法における最後の規制領域であったのは,それが企業の経営上の裁量と密接に関連する分野であり,なかなか法が踏み込めなかったからではないかと私は考えています。そうした分野であるからこそ,経営に働きかける政策が効果的なのだと思います。
 かつてWedgeで,ハラスメントが起こる企業は,経営の失敗であるという趣旨のことを書いたことがあります(20191月号「
企業の体たらくが生んだ『パワハラ法』小手先の対応で終わらせるな」Wedge20192月号17-19頁)。まさにハラスメントは経営が解決すべき問題であり,法的な解決には限界があるという趣旨でした。そうみると,ハラスメントの問題について,従来とは違う新たなアプローチが必要であるという滝原氏の主張も,理解できるものだと思います。

 私がWedgeの原稿で書いたのは,デジタル化を進めて,組織の水平化を進めるなどして,パワハラが起こる土壌を除去することが大切というものでした。こういうことを規制として進めるとすれば,やはり共同規制的なアプローチが必要となるのでしょうね。

 

 

2024年4月16日 (火)

小西康之『働く世界のしくみとルール―労働法入門』

 明治大学の小西康之さんから『働く世界のしくみとルール―労働法入門』(有斐閣)をお送りいただきました。どうもありがとうございます。初の単著でしょうか。ほんとうは,単著は研究書で行きたかったところでしょうが,入門書で来ましたね。入門書は類書がいろいろあるので,どこまでそれと差別化ができるかが重要ですが,本書は結構個性を出していると思いました。とくに導入部分から読みやすくできていて,がっつり労働法ということではなく,むしろ労働法の周辺も取り入れながらの説明になっているところがよいように思いました。小西さんは,もともと労働法学では珍しい雇用保険の専門家であり,労働市場法全般に目配りができる大きな視点をもっているので,入門書においても,独自の切り口ができるのかなと思いました。個人的には,イタリアテイストが随所にみられるところも良かったです。

 年齢的にも,油の乗り切ったところでしょうし,今後,いっそう活躍されて存在感を高めていくのではないかと楽しみにしています。

 

 

2024年4月15日 (月)

『労働者の自立と連帯を求めて』

 國武英生・淺野高宏編『労働者の自立と連帯を求めて―道幸哲也先生の教えと実践の奇跡』(旬報社)をお送りいただきました。どうもありがとうございます。道幸先生の追悼本ということでしょう。表紙のお顔もいいですね。本書は,道幸先生の業績をたどりながら,それについてお弟子さんたちが解説をされています。道幸先生が幅広い分野で業績を積まれてきたことがよくわかります。なかでも,長年の労働委員会の経験からくる不当労働行為救済制度に関する研究,労働法教育に関する取り組みなどが印象的です。
 何よりもお弟子さんたちが道幸先生を慕っていることがよくわかります。こうした本を出版されるというのは,道幸先生のお人柄によるものなのでしょうね。
 道幸先生の論文については,よく物足りないという「悪口」を書いていたので,亡くなられた後にまで,それを繰り返すのはやめますが,いま思えば,その物足りなさ(結論をしっかり書かないところ)も道幸流で,しかもそれは学問的な誠実さからくるのかなと思っています(先生からは,いい加減なことを言うなと,天国から叱られるかもしれませんが)。
 ただ今回読んでいて,1点だけやっぱり先生の結論を聞きたかったと思うところがありました。98頁以下の「個人申立ての法理」のところです。このテーマ自体は先生の初期の代表的な研究領域のところですが,論じられているJRバス関東事件は比較的新しい事件です。脱退勧奨がなされた事案で,双方申立てがなされたのですが,組合が申立てを取り下げた場合において,なお個人(その後に別組合に加入している)が救済されるのかが問題となったものです。東京都労働委員会(2021年8月17日命令)は救済を認め,中央労働委員会(2023年1月11日命令)は救済を否定するという形で結論が異なっていたのですが,道幸先生はこれらを紹介したうえで,ありうる考え方を複数提示され,しかしどれがよいかは述べておられませんでした。
 これと少し関連する論点について,私は2013年に「不当労働行為救済制度における集団的利益の優越について-複層侵害事案における申立適格をめぐる一試論」『石川正先生古希記念論文集 経済社会と法の役割』(商事法務)949頁以下という論文で取り扱ったことがあり,そのときの主張に照らすと,集団的利益の優越(個人の救済利益は否定すべき)となり,結論は中央労働委員会と同じことになりそうなのですが,ほんとうにそれでよいのかについて,道幸先生と議論できればよかったなと思っています。こういう論点で議論していただけそうなのは,道幸先生か山川先生くらいしかいないでしょう。
 昨日,法科大学院の教育のことについて書きましたが,道幸哲也先生は,「労働法の面白さ」というところで,紛争処理能力を獲得するためには,「法的な知識・能力とともに紛争の全体状況を把握するストーリーテラーとしての能力が不可欠である」とし,「人間心理や紛争解決のメカニズムを適切に理解できない者は,労働法というより法律家に向かない」と書かれています(23頁)。法曹を養成するためのポイントをつかれていると思いますが,「人間心理や紛争解決のメカニズムを適切に理解」するのは,とくに和解をするような場合には不可欠とはいえ,簡単なことではありません。労働委員会の公労使三者構成の良さは,どうしても実社会経験が乏しい学者系の公益委員が,労使の委員からいろいろ教わることができることです。法律万能に陥らず,謙虚に適切な紛争解決を模索する姿勢をもつこともまた,「人間心理や紛争解決のメカニズムを適切に理解」し,紛争処理能力を得るために必要なことなのでしょうね。
 道幸先生の声が聞こえてきそうな本だと思います。編者や執筆者の皆様お疲れ様でした。

 

2024年4月14日 (日)

『労働法ケースブック』『ケースブック労働法』

 私が編者として参加している菅野和夫監修『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)のライバル(といっても競い合っているわけではなく,ともに手をとりLS教育をがんばろうということなのですが)である,有斐閣の『ケースブック労働法』は,弘文堂の『ケースブック労働法』 と同様,長い間,改訂版が出ていません。ということで,アップデートの必要はあるのですが,私個人は授業では拙著『最新重要判例200労働法』で最新判例を補充しながらやっています。ただ,『最新重要判例200労働法』は事実関係が短いので,学生には判決原文を読んでもらうため,結局,判決文を各自でダウンロードしてもらい,それにこちらがQuestionを追加して問うような形になっています。将来的には,『最新重要判例200労働法』からさらに判例を精選して,判決文を詳しく掲載し,Questionをつけるようなものを作ってもよいかなと思っていますが,それは若い人に任せることになりますでしょうか。
 ところで,有斐閣のほうは,新たに,書名をひっくり返して神吉知郁子・皆川宏之編『労働法ケースブック』という本が刊行されました。お送りいただき,まことにありがとうございました。執筆者のほとんどはよく知っている優秀な若手研究者で,次代を担う若手が,きちんと既刊のものをアップデートしてパワーアップしたのだと思います。うまく代替わりができたということでしょう。設問についても参考にさせてもらいますし,情報が新しくなっているのがありがたいです。多くのLSで活用されるだろうと思います。
 興味深いのは,この本は,弘文堂の『ケースブック労働法』とは,根本的に発想が違うもののように思えたことです。弘文堂のほうは,事実関係を徹底的に読み込むことができるようにした本です。私は,授業でも,判決の立てた規範や論理は大切とはいえ,それだけを追っていてはだめということを,口酸っぱく注意しています。判決は,実際の紛争に対して,裁判官が実質的に妥当とする解決を,法的な論理を使って行ったもので,法的な論理は手段にすぎません。大切なのは,どのような紛争であったかという実態をしっかり把握し,それについて原告はどのような論理で自分たちの権利を主張し,被告は反論し,そして裁判官がそれについてどう判断したかというダイナミックな流れをつかむことこそが大切なのです。弘文堂のケースブックは,そういう学習をするうえで適した教材であると思っています。
 一方,『労働法ケースブック』のほうは,事実より,規範を重視したもので,それは最初のほうに「労働法の学び方」として説明されているところからもわかります。私が指導しているものと,こう対極的な学び方が提示されると,自信がなくなってしまうのですが,いまさら変えることはできませんし,変えるつもりもありません。教員の教育方針によって,弘文堂派と有斐閣派が分かれるかもしれませんね。
 先日のLSの授業では,実質的に初回ということで,弘文堂のケースブックの第1講に掲載されている『女工哀史』や『あゝ野麦峠』の文献を読んでもらい,それについての質問をしました。労働法的な感覚を身につけるためには,原生的な労働関係のことを知ってもらう必要があるからです。さらに,ついつい余計なこととして,日本型雇用システムとは何か,そしてこれが判例にも影響を与えているとか,上場企業と非上場企業では違うというところから始まって,コーポレートガバナンスのことにうつり,会社法と労働法の関係とか,さらに最近のフリーランスの動きとの関係で経済法と労働法の関係とか,あんまり司法試験の合格につながらないことを,長々と話してしまいました。どのLSでも同じような授業をするのでは面白くないのであり,神戸大学のLSの労働法は,テキストは弘文堂の『ケースブック労働法』をベースにはしていますが,それに加えて,私の授業でしか聞けないものを聞いてもらうということで,少しでも私も楽しく,学生にも,司法試験合格の「後」に(ひょとしたら)役立つ(かもしれない)授業をしようと心がけています(かつてはDXやAIのこととかも話していましたが,以前に書いた理由と時間の関係で,今年は控えめです)。

 

 

 

2024年4月 3日 (水)

菅野和夫・山川隆一『労働法(第13版)』

 菅野和夫先生の『労働法(第13版)』(弘文堂)に山川隆一先生が共著者に加わりました。記念すべき菅野・山川労働法であり,お送りいただき,ほんとうに有難うございました。いつかは,菅野先生の単著でなくなるときが来るとは思っていましたが,共著者となることができる方がいるとすれば,山川先生しかいないというのは,多くの人が考えていたことでしょう。
 第13版は,まず本の厚さに驚きました。第12版は1227頁でしたが,第13版では1370頁にふくらんでいました。150頁近い増加であり,充実の改訂版です。 
 体系的には,第3編(「個別的労働関係法」)の第3章(「労働関係の展開に関する法規整」)のなかの第3節にあった「非典型労働者」が,独立して第5章に格上げになったのが,最も大きな変化だと思います。内容も第4節「短時間・有期雇用労働者法」の情報が充実したものとなっています。「非典型労働者」の重要性が高まっていることを示すものといえるでしょう。
 この本は,学生を除くと,1頁から順番に読んでいくものではなく,何か調べたいものがあるときに参照するものだと思いますが,何か確認したいと思って参照すると必ず書かれており,それはすごいことです。
 「はしがき」のなかに,「相次ぐ身体の故障を経験するようになった」と書かれていて心配です。ちょうどほぼ1年前に傘寿の会でお目にかかって以降,お会いする機会はありませんが,この第13版を,学生のように1頁から読んで,本を通して,もう一度,先生を感じたいと思っています。YouTube を使って,この本を使った先生のレクチャー動画があれば,たぶん学生時代に戻った気分になり,気が引き締まって,しっかり勉強しなければという気持ちになれると思うのですが,先生に,負担をかけてはなりませんね。

菅野和夫・山川隆一『労働法(第13版)』

 菅野和夫先生の『労働法(第13版)』(弘文堂)に山川隆一先生が共著者に加わりました。記念すべき菅野・山川労働法であり,お送りいただき,ほんとうに有難うございました。いつかは,菅野先生の単著でなくなるときが来るとは思っていましたが,共著者となることができる方がいるとすれば,山川先生しかいないというのは,多くの人が考えていたことでしょう。  第13版は,まず本の厚さに驚きました。第12版は1227頁でしたが,第13版では1370頁にふくらんでいました。150頁近い増加であり,充実の改訂版です。   体系的には,第3編(「個別的労働関係法」)の第3章(「労働関係の展開に関する法規整」)のなかの第3節にあった「非典型労働者」が,独立して第5章に格上げになったのが,最も大きな変化だと思います。内容も第4節「短時間・有期雇用労働者法」の情報が充実したものとなっています。「非典型労働者」の重要性が高まっていることを示すものといえるでしょう。  この本は,学生を除くと,1頁から順番に読んでいくものではなく,何か調べたいものがあるときに参照するものと思えるのですが,必要なことが必ず書かれているというのはすごいことです。  「はしがき」のなかに,「相次ぐ身体の故障を経験するようになった」と書かれていて心配です。ちょうどほぼ1年前に傘寿の会でお会いしてから,お会いする機会はありませんが,この第13版を,学生のごとく1頁から読んで,本を通して,もう一度,先生から労働法を受講したいと思います。YouTube を使って,この本を使ったレクチャー動画などがあれば,たぶん学生時代に戻れたような気分になり,気が引き締まって,しっかり勉強しなければという気持ちになれると思うのですが。

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