読書ノート

2024年11月22日 (金)

武石恵美子『「キャリアデザイン」って,どういうこと』

 武石恵美子さんから,岩波ブックレットの『「キャリアデザイン」って,どういうこと―過去は変えられる,正解は自分の中に』をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。キャリアデザインって言われても,どうやったらよいかわからないという若者向けに書かれたものだと思います。
 日本でキャリアのことを学ぶということは,日本型雇用システムについて学ぶということと同じです。そして,その大きな変容過程のど真ん中にいる若者は,これまでがどうであったかを知ったうえで,しかし,これからは違うということを知り,そのうえで,どういうことをすべきかを考えていく必要があるのです。本書のなかの言葉を使えば,「見通せるキャリア」の時代から,「見通せないキャリア」の時代へ,ということです。そもそも「見通せるキャリア」の時代というのは,つまらないものでもあります。安定は得られますが,大きな可能性も開けません。せいぜい企業の社長どまりです。組織のなかの出世にすぎません。「見通せないキャリア」の時代は,不安定ですが,可能性は大きく広がるともいえます。そもそも,デジタル化などのビジネス環境の激変でVUCAの時代に突入したことと,人生100年時代というような健康寿命の延伸のなかで,単一の安定したキャリアデザインは無理なことなのです。大きく羽ばたけよと,時代が若者を後押ししているのです。
 武石さんは,これからはキャリア自律が大切だとします。キャリアは自分のものであり,自分で描いていかなければなりません。そのなかで他者の助けも必要です。いつも書いていることですが,私は学生たちに,人生を幸福に過ごすためには,良い人に出会うことが大切だということを言ってきました。良い人に会うためには,自分が良いオーラを出していなければなりません。この人とだったら一緒にいたいという人がたくさんいたほうが,人生は豊かになり,何かのときの助けにもなります(友達がうまくできなくても,親や親戚,あるいは近所の人たちと良好な関係を保つということでもよいのです)。
 本書の終章では,サブタイトルにあるように,「過去は変えられる」とし,「正解は自分の中に」ということが書かれています。キャリアデザインの正解は,自分の選択したものを肯定的に受けとめていこうということだと思いますが,それならむしろ,正解などないと言ったほうがよい気もします。過去を変えられるというのは,過去の失敗があっても,それを活かすことができるという意味が含まれていると思いますが,そうすると結局,正解や失敗というのは,存在しないということでもあるのです。選択が求められたときに,自分で熟慮して決めたことが結果がどうあれ最善で,ただその選択ができるだけうまくいくように,日頃から前向きに努力していくことが大切なのだと思います。そう考えると,キャリアデザインとは,まさに日々の営みそのものともいえます。
 本書は,ときどき難しい用語がでてきますが,そこは気にせずに,ぜひ読み通してもらえればと思います。キャリアについて学びながら,実践的なキャリアデザインへの準備もできると思います。

 

 

2024年11月 7日 (木)

山田喜昭『労務管理に関する法令チェック項目180(第2版)』

 静岡県の社会保険労務士の山田喜昭さんから,『労務管理に関する法令チェック項目180(第2版)』(ヤマダSRオフィス)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。これは役立つ本だと思います。労務管理に関する18の法令をとりあげて,それぞれについて実務上チェックすべきポイントを挙げています。研究者は,手続面についてはよく知らないことが多いので,こういうようにまとめて書かれているものがあると参考になります。労働法を手続からみてみると,また新たな発見があります。おそらく,研究者と社会保険労務士の方とは,同じ労働基準法などの法令に対しても,ずいぶん違った見方をしているのではないかと思います。
 この本では,働き方改革以降の主要な法改正の動きを紹介したり,「労働者の人数別の法令上のタスク一覧」を掲載したりして,これらの情報もとても有益です。この本は,もっとメジャーなところで出版してもよいのではないかと思います。社会保険労務士の方だけでなく,労働法に関心のある人のすべてに役立つでしょう。通常の教科書の末尾に別冊として付いていても助かるような本です。Amazonでは買えないようなので,直接,ヤマダSRオフィスに申し込むのでしょうね。

 

 

2024年10月12日 (土)

東野圭吾『透明な螺旋』

 東野圭吾『透明な螺旋』(文藝春秋)を読みました。ガリレオ(湯川学)シリーズの作品です。私は,あまり湯川学自身に興味があるわけではなく,純粋にストーリーを楽しんでいるのですが,今回は,生まれたばかりの子を捨てなければならなくなった母の物語という面があります。以下,少しネタバレに近いものがありますので,気をつけてください。

 一人の若い女性が,生まれたばかりの子を児童養護施設に預けました。そのときに,子どもにつけるはずであった名前を書いた人形も同時に置いていきました。女性は,妊娠中に夫を脳出血で突然亡くし,生活が苦しく,自分の体調も悪い中,やむを得ない選択だったのです。
 時は経ち,ある男(上辻)の死体が見つかりました。上辻は銃で撃たれていました。上辻は園香という女性と同棲しており,彼女は上辻の行方不明届を出していましたが,その後に姿を消していました。監視カメラには,彼女が,誰かといっしょに外出するところが残っており,旅行にいくような感じでした。
 園香の母の千鶴子は,児童養護施設で育っており,母親と二人暮らしをしていましたが,クモ膜下出血で亡くなっていました。一人になった園香は,母が生前親しくしていて,自分もお世話になっていた絵本作家の松永奈江(ペンネームは,アサヒ・ナナ)を頼りにしていました。警察官の草薙たちは,奈江が何か知っているかもしれないと考え,彼女のことを追っていたところ,彼女の書く絵本のなかで,友人の湯川の本が参考文献にあげられていることをみつけました。そこで,湯川のところに行き,(園香の居場所を知っているはずの)奈江にメールを送ってほしいと頼みます。
 園香は,花屋で働いていましたが,警察は,その店長から,彼女のところに老女が会いに来たことがあるという話を聴きます。一方,上辻の携帯電話歴に銀座のママの根岸秀美とのものがありました。草薙は秀美の店に行き,彼女の写真を得て,花屋の店長に確認したところ,園香に会いに来ていたのは秀美であることがわかります。さらに秀美は園香の家にも何度か行っていることがわかりました。一方,園香といっしょに逃げているのは奈江であり,どうもその裏に警察の捜査状況をリークしている湯川がいることがわかります。園香,奈江,湯川,秀美はいったいどういう関係にあるのでしょうか。園香は,上辻にDVを受けていました。近所の人はそのことを知っており,秀美も奈江もそのことを知っていた可能性があります。犯人は園香かその共犯者という線が強そうですが,ほんとうにそうでしょうか。
 園香が,かつて女が赤ちゃんとともに児童養護施設前に置いた人形をもって撮影された写真が,ネットに流れていました。それをみた女(赤ちゃんの母)が,園香を孫と思ったところから不幸が始まりました。また,奈江にも悲しい過去がありました。二人の女性は,産んだ子と引き裂かれる運命にありました。一人は,児童養護施設に預けたり,一人は未婚の母となることを許されず,子を養子に出すことを強制されたりしていました。それぞれの母の人生も,この事件に絡んできています。
 本書で,湯川の過去(それが何かは読んでお楽しみ)がわかるという点はファンにとっては嬉しい驚きなのでしょうが,やや強引に盛り込んだかなという印象も受けました。ただ湯川の家族やその人間的な面に関する話が出てきたことで,(それが好きか嫌いかはともかく)ガリレオシリーズに新たな味わいが与えられたような気もします。
 なお本書には「重命(かさな)る」という短編もついています。末期がんで命が尽きようとしている男と,その妻との不妊治療がようやく成功して生まれようとしている命の重なりを敵視している者が殺人事件を引き起こします。テーマ自体は,よくある遺産相続をめぐるものですが,面白い作品でした。

2024年9月14日 (土)

下山事件

 1949年は,戦後日本の方向性が決まる重要な年であったと思います。194812月に「経済安定9原則」が出され,翌年にアメリカから銀行家のDodgeがやってきて,いわゆる「ドッジ・ライン」(Dodge line)が発表されました。日本経済の安定と自立化が目的とされ,1ドル360円という単一為替レート(円の過小評価による大幅な円安といえるか,実勢を反映したものかは議論があるようです)の設定がその代表ですが,さらに緊縮財政を進め,政府からの財政出動が抑制された影響も大きく,公共事業や政府からの発注に依存していた企業は経営が悪化し,大企業でも人員整理が進められて,社会不安が広がりました。そのようななか,労働組合法の改正がなされています。終戦直後から,ニューディーラー(New Dealer)たちにより進められた労働組合改革は,1948年のマッカーサー書簡に基づく芦田均内閣の政令201号(公務員の争議行為の禁止)あたりから方向転換がなされます。GHQ内のウィロビー(Willoughby)らが率いるG2(参謀第2部)とケーディス(Kades)らが率いるGS(民政局)の対立も関係しており,東西対立による冷戦がしのびより(1949年は,NATOが誕生したり,中華人民共和国が建国された年でもありました),反共を担当するG2の影響力が高まりつつあるなか(ケーディスは,鳥尾鶴代子爵夫人との不倫スキャンダルで失脚します),労働組合法はかなりの改正を受けました。当初の改正案はより抜本的なものを含んでいたので,それに比べれば小粒にはなりましたが,それでも当初の統制的なものから,現在にも続いている内容へと,かなりの改正がなされました。
 1949年は下山事件を始めとする国鉄における3大事件(あとは三鷹事件,松川事件)があった年でもあります。同年75日に,同年6月1日に公共企業体となったばかりの日本国有鉄道の初代総裁の下山定則氏が轢死した事件は,いまなお誰がどのような理由で殺したか(自殺説もあります)がはっきりしていません。国鉄も大規模なリストラを打ち出しており,それに反発する労働組合や左翼勢力が行ったとする説(なお,公共企業体での争議行為を禁止することなどを含む公共企業体労働関係法が,国鉄誕生と同時の同年6月1日に施行されており,労働運動への締付は強まっていました。なお,公共事業体である三公社が民営化した現在でも,この法律は,行政執行法人の労働関係に関する法律として生きながらえています),反共政策に利用するためにGHQG2)が仕組んだとする説,国鉄をめぐる膨大な利権の背後にある贈収賄に批判的な下山氏が利権を守りたい勢力(政治家,経済人ら)によって始末されたとする説など,いろいろあります。
 ところで,先日紹介した,安倍元首相の暗殺事件を素材にした小説『暗殺』(幻冬舎)の著者である柴田哲孝の『下山事件 最後の証言(完全版)』(2007年,祥伝社)は面白かったです。上に書いたことも,この本から得た情報が多いです。下山事件に関する書籍は,松本清張の『日本の黒い霧』をはじめ,汗牛充棟ですが,この本の特徴は,事件の舞台の一つになった亜細亜産業が,著者の祖父が働いていた会社であり,その祖父が下山事件に関与していた疑いがあったということです。柴田氏は,自分の家族の真実を知るためにも,事件の解明に執念を燃やします。いろいろと仮説を立てながら,それを検証するために,自分の母や伯母などの親族へのインタビューを含め,膨大な証言を集めていて,迫力のある内容となっています。
 政治的には,下山事件が起きたころは,G2と近い吉田茂の第3次内閣のときでした。この本を読んでいると,下山事件の背後に吉田茂やその「弟子」であった佐藤栄作がちらつきますし,満州鉄道の関係者もちらつきます。また張作霖が爆殺された奉天事件と下山事件の類似性など,日本史や日中史を知るうえで興味深いことも出てきます。最後には,名前は伏せられていますが,本当の黒幕は誰であったかが示唆されています。私は,それは有名な大物経営者ではないかと推察していますが,そうだとすると,著者も推測だけでは書けなかったのでしょう。
 多くの登場人物が出てきて大変なのですが,それだけ情報が豊富であるということであり,一読の価値はあるでしょう。

2024年8月31日 (土)

『Q&A現代型問題管理職対策の手引』

 弁護士法人高井・岡芹法律事務所編『Q&A現代型問題管理職対策の手引―組織強化と生産性向上のための実務指針を明示』 をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。
 本書は,問題のある「管理職」の実務的対応について法的側面のみならず,人事管理上の望ましさという観点から実務的なアドバイスをするというものです。管理職は企業において重要な役割をもっているのです(それゆえに管理職になりたがらない若者が増えているのですが)。そこで問題のある人がいれば,企業としては生産性に直結しますし,そもそも適性を欠く人を管理職にしてはいけないのであり,もし適性に欠けると判断したときには,できるだけ早急に対処する必要があります。
 とくに今日の管理職は,現場の従業員を指揮したり,訓練したりするだけでなく,様々な悩みへのケアもしなければなりません。ハラスメント,メンタルヘルス,さらにコンプライアンスなどで,部下の悩みに適切に対応しなければ,企業の生産性を下げますし,同時に,場合によっては,管理職本人だけでなく,企業のほうも法的責任を追及される可能性があります。管理職の役割の拡大にともない,企業が気をつけるところも増えるのです。
 こうした時代ですから,本書のような実践的な本が必要となるのです。労働法の実務書としての価値だけでなく,労働法の一般理論を管理職のケースにあてはめるという点で研究者にも参考になるところが多いと思います。何よりも企業の経営陣は手元に置いておくべき本と言えるでしょう。

2024年8月28日 (水)

柴田哲孝『暗殺』

 柴田哲孝『暗殺』(幻冬舎)を読みました。話題の本でしたので,Kindleで買って読んでみました。寝る前に少し読み始めたら,止まらなくなってしまいました。小説ですが,ノンフィクションの要素もあり,その点では,松本清張の社会ものに近い感じです。以下,ややネタバレありです。
 安倍晋三元首相の暗殺事件を素材としたものです。登場人物は,赤報隊の朝日新聞阪神支局襲撃事件に関する部分のような一部実名のところもあります(この部分はノンフィクション)が,登場人物の多くは実名ではなく,ただ実在の人物を推測できるものでした。
 安倍元首相(小説では田布施博之)の暗殺は,山上徹也(小説では上沼卓也)の単独犯ではなく,別のスナイパー(sniper)がいたこと(Kennedy大統領暗殺のときと同じで,あれもOswald単独犯ではないと言われている),動機は,右翼の大物が,安倍首相が「令和」という元号を認めたことから「禁厭」という処分(ここでは処刑)を下すことにしたこと,これに自衛隊と警察から協力者がいたこと,さらに自民党(小説では,自憲党)の大物議員である二階氏(小説では豊田)が関わっていること,そこにはオリンピックのときの利権が横取りされたことへの恨みが関係していることなどが出てきます。統一教会(小説では合同教会)の問題などはカムフラージュであるとされ,赤報隊事件との関係などもあり,いろんな出来事が錯綜して大変ですが,読み応えはあります。
 ちょうどテレビで,二階氏が超党派の議員団(日中友好議連)を率いて中国に訪問しているところが報道されていましたが,この人が黒幕の一人であったのかと思ってしまうほど(小説と現実とを混同してしまっているのですが),この小説にはリアリティがありました。
 いずれにせよ,安倍首相の死因に疑問をもった(これは多くの人が同意すると思います)ということがきっかけとされる著者の執筆意図は,社会への問題提起として重要です。私たちは日本の歴史に残る首相で,当時なお政治的に大きな力をもっていた人が,白昼,国政選挙の応援演説中に暗殺されたという重大事件について,その犯人について疑義が残っているという事実を真剣に受け止めるべきだと思いますが,これはよくある陰謀論に毒されているだけなのでしょうか。著者の仮説は,動機のところがやや弱いような気もしますが,単なるミステリー小説というわけにはいかない日本の闇のような部分も扱っており,ベストセラーになっているのも当然だと思いました。

2024年6月 9日 (日)

大局観

 NHKのEテレの「0655」か「2355」か,どちらの番組か忘れましたが,羽生善治『大局観―自分と闘って負けない心』(KADOKAWA)のなかの「反省はするが,後悔はしない」という言葉が紹介されていました。ちょっと気になったので,2011年刊行の本でしたが買ってみました(以前に読んだことがあるような気もするのですが,忘れているので)。私は勝負の世界に生きているわけではありませんが,役立つ話がたくさん出てきました。この「反省はするが,後悔はしない」も,実践はなかなか難しいのですが,前向きに生きていくためには必要なことです。
 本のタイトルにある「大局観」も,将棋界の用語ではありますが,いろいろ実生活にも応用が可能です。勝負の世界では,年齢を重ねると,若いときのような瞬発力はなくなっていくとはいえ,大局観を蓄積していればそこそこ勝負ができるのです。とはいえ,AI全盛の今日,大局観でどこまで勝負できるのかということにはやや疑問がありますが,ベテランが若手に勝つとすれば,それしかないというところもあるでしょう(今日のNHK杯でも,ベテランの郷田真隆九段が,昨年,藤井八冠に連続でタイトル挑戦した若手強豪の佐々木大地七段に勝って驚きましたが,これは大局観だけでないかもしれません)。
 将棋以外のことでいうと,法学の議論でも,細かい解釈論の議論となると,若手でも十分にできるのですが,説得力のある議論を展開するとなると,大局観というか,視野の広い議論が必要となるでしょう。とくに政策論の世界になると,細かい解釈論に秀でていても,そうした若者では通用しないことがよくあります。むしろ若手でも,解釈論はあまりぱっとせず凡庸な感じでも,実は広い視野をもっているような人のほうが,政策論の場では通用しそうな気がします。
 ところで「後悔しない」というのは「忘れること」が重要だということでもあります。「忘れること」は簡単ではないのですが,羽生さんはこれを努力してできるようになったと書いています。人の生来の性分かと思っていましたが,努力によってできることなのかもしれません。「忘れること」によって,雑念を払って集中できるようになり,そのメリットは大きいです。これはなかなかできないことですが,訓練でできるのであれば,やろうと頑張ってみる価値はありそうです。
 「後悔はしない」は,自分はもっとこんなことができたはずなのに,というような余計なことを考えるなという意味もあります。これは今日のように選択が過剰にある時代にはなおさらです。いろんなことが選択できすぎて情報に踊らされているだけのことがあるかもしれません。羽生さんも,棋士以外にいろんな可能性があったでしょうが,そういうことを考えても仕方がないと言っています。それは羽生さんが大棋士になったからということではなく,後戻りできないことをくよくよ考えても仕方がないということでしょう。
 そもそも無限にありそうな選択肢も,現実的には初めから多くの選択肢はないに等しいかもしれないのです。過剰な情報をつきつけられて選択するほうがよほど疲れます。疲れた末の選択は誤る可能性が高まります。
 羽生さんはミスが起こるのは,状況認識を誤っているときと,感情などに左右されているときであると言います。常に冷静に状況を把握して行動することが重要です。これをもっと広くみると,自分というものを冷静に客観的に把握して行動選択し,そこでミスがあっても,反省はして同じミスを繰り返さないようには努めるが,後悔のような後ろ向きの行動はしないということでしょう。難しいことですが……。 

 

2024年6月 3日 (月)

『法学部生のためのキャリアエデュケーション』

 弁護士の松尾剛行さんから『法学部生のためのキャリアエデュケーション』 (有斐閣)を送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。これは良い本です。たくさん付箋紙をつけながら読みました。大げさではなく,法学部生全員にとって必読だと思います。とくに本人だけでなく,法学部生をもっている親御さんにも読んでもらいたいです。最近では,大学生でもそのキャリアの決定について親が影響力を持っていることが多いので。

 本書は前半の総論と後半の各論とから構成されています。第1章から第7章の前半はキャリア論一般であり,第8章から第12章の後半は法学部生をとくに念頭においた具体的なキャリアガイダンスになっています (法曹はもちろん,公務員や政治家まで採り上げられています)。第12章のAI時代以降の話については,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)も引用してくださっています。

 法学部生以外の人でも,前半の内容は十分に参考になります。これは基礎理論編ともいえるのですが,実際に悩める若者に対して,きわめて実践的で役立つことも書かれています。つまり,理論と実践双方が平易な言葉でわかりやすく書かれているのが,この本の凄さです。戦略的な思考が重要というと硬そうですが,将来をしっかり見越して,必要な努力を的確に行うことが大切ということを呼びかけ,そのために具体的にどのようなことをすべきかも書かれています。
 個人的には,経営学の知見が散りばめられていることも良いです。法学と経営学にまたがるところは,相当の力量がなければ書けないでしょう(労働法学者も,経営や人事管理論の知見をもたなければならないと思っていますが,そういう人はあまりいません)。これは松尾さん自身が,普通の弁護士ではなく,色んな分野に関心をもち,ポジティブに行動されていることによるものだと思います。

 私はAI時代やデジタル時代における将来志向の教育の重要性をいろんなところで述べていますが,大学の法学部については,どちらかというと未来はあまり明るくないと言ってしまうことが多かったのです。しかし,本書を読むと,きっちり戦略的にキャリア計画を立てれば,法学部生にも十分未来があるということがわかりました。教えられることが多い本です。

 

2024年5月25日 (土)

『仕事と子育ての両立』

 矢島洋子・武石恵美子・佐藤博樹著『仕事と子育ての両立』(中央経済社)をお送りいただきました。佐藤さんと武石さんからは,いつも「シリーズ ダイバーシティ経営」の著書をいただいており感謝しております。今回のテーマは,両立支援をめぐる課題です。
 先日のこのBlogで,アメックス事件の東京高裁判決を紹介したところでしたので,人材マネージメントの観点から,どういう議論ができるかということに関心をもって,本書を開いてみました。
 アメックス事件は,バリバリのキャリアウーマン(言葉が古いか?)が,妊娠・出産して育児休業から戻ったときに,かつての部署がなくなり,部下のいない部署に移されてしまったというものです。基本給に変化はありませんでしたが(業績連動給は減りました),裁判所は,男女雇用機会均等法や育児介護休業法で禁止している不利益取扱いにあたると判断しました。
 マミートラック(mommy track)の問題は,かつては母親労働者へのサポートという面で肯定的にとらえられた時代もありましたが,その一方で,キャリア展開という点では,不利となりえるという否定的な面もあり,近年では,後者の点が批判されるようになっています。上記の裁判所は,そうした否定的な面を許さないということであり,人事担当者にはショックな判決であったかもしれません。
 本書の第3章「子育て期の女性のキャリア形成支援」が,この論点に関連するところですが,章末のまとめ(POINTS)をみると,次のように書かれていました(93頁)。
 「短時間勤務や所定外労働の制限を活用して就業継続する女性が増加する一方で,企業は,育休から復職した社員の能力開発やキャリア形成支援への関心が弱く,フルタイムでかつ残業を前提とした正社員を主たる正社員層とする人事制度やマネジメントが持続していた。そのため,短時間勤務など両立支援制度を活用している正社員女性は,能力発揮やキャリア形成が困難となり,いわゆるマミートラックにはまる者が増加し,また,周囲で働くフルタイム勤務の正社員との軋轢も高まった。」 
 「女性活躍推進法の施行によって女性の支援課題が両立から活躍に拡大する中で,短時間勤務など両立支援制度を利用する正社員女性の能力発揮やキャリア形成を促すための環境整備の必要性を企業も認識し始めている。企業は,短時間勤務等の両立支援制度を導入するだけでなく,制度を利用する社員が能力を発揮し活躍できるよう,当該社員への仕事の配分,評価のあり方,昇格・キャリア形成の考え方等,制度の運用面の課題の解消に取り組む必要がある。」
 これをみると,アメックス事件が起こる背景的な事情も推測できそうな気もします。実際には,マミートラックの否定的な面の解決は容易ではないのでしょう。
 企業は,女性に活躍してもらうためには,マミートラックを設けて配慮するだけでは十分でなく,その否定的な面にまで配慮して,マミートラックが通常のトラックと変わらぬようなマネジメントをするよう心がける必要があるのでしょうね。そのためには,まず経営陣が,こういう問題があることを自覚しなければならないでしょう。育児介護休業法上の義務をはたせば十分ということではないのであり,より踏み込んだ取り組みが求められるということです。そして,それが不十分であれば,アメックス事件判決のように,キャリアへの配慮の足らない配置が明示的に禁止されているわけではないものの,現行法の解釈として,マミーたちに「不利益取扱い」をしていると評価される可能性があるということです(なお,育児介護休業法や男女雇用機会均等法の指針では,「不利益な配置の変更を行うこと」などは禁止例に挙げられおり,「不利益」性の判断には「当人の将来に及ぼす影響」なども考慮事項の一つにあげられてはいますが,明確性に欠けます)。


2024年5月24日 (金)

西谷敏先生の著作集

 西谷敏著作集第1巻『労働法における法理念と法政策』(旬報社)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。著作集というと,私には,末弘厳太郎,沼田稲次郎,蓼沼謙一,外尾健一といった大先生のものが,まずは思い浮かぶのですが,これから西谷先生の著作集が続々と刊行されることになるということで,とても楽しみです。

 第1巻では,拙著の『AI時代の働き方と法』(弘文堂),『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)で,私が「労働法の終焉」論を唱えていることを批判し,ばっさり斬られています。個人的には,きちんと採り上げてくださることは光栄なことであり,自虐でも何でもなく,ほんとうに有り難いことです。もっとも,私からすれば,「労働法の終焉」という表現はともかく,従属労働論の限界ということについては確信をもっています。従属労働者を保護する労働法というものは,特定の歴史のなかで生み出されてきたものであり,社会における新たな支配従属関係というものへの警戒感をもつことは必要ですが,それは時代とともに変わるので,新しい時代には新しいツールを用意しなければならないのです。規制手法論が重要なのは,その点と関係しており,西谷先生は,ソフトローや手続規制論などに反対されていますが,規制手法の多様化・柔軟化は避けられないものであり,そこには実は従属労働論のもつ限界がすでに現れているのです。

 ところで,本巻の第1章「労働法の理念と政策」の冒頭にあるのは「問題の所在―法学と経済学の論争―」です。この部分は,先生が本書に向けて書き下ろされたものですが,どうも内容が古いと思わざるを得ません。なんとなく20年前の議論状況を前提とした労働経済学批判がなされているような感じなのですが,現在では状況がかなり異なっています。現在の労働経済学は,実証研究が中心ですし,理論研究についても,法学の議論について何が「地雷」であるかを十分に察知して,あまり踏み込んでこない人が多いと思います。つまり,当初の「異文化交流」時期にあった異文化への好奇心と無思慮な介入という段階は終わっており,労働法学に関心のある人は一段階上の協働の作業に入っているし,関心があまりない人は,法学とはあまりかかわらず,ひたすら実証を中心とした労働市場の分析に向かっているような気がします。いずれにせよ,労働法学が危険と感じたような状況はないというのが私の認識です(これが甘いのかもしれませんが)。かつて民法学者のほうが労働法学者よりも労働者寄りであると思ったことがあるのと同じような感じが,最近,労働経済学者にも感じることがあります。労働市場をより効率的にしたほうがよいというのは,確かに変わっていないかもしれませんが,そのためには,むしろ規制をしたほうがよいという考え方もあり,たとえば同一労働同一賃金のための介入は,経済学者のほうがより積極的に主張する傾向にあると思っています。いずれにせよ,「経済学者=規制緩和論=労働法の敵」という図式は,とっくの昔のことではないかと思います(もちろん経済学者にも,いろいろな方がいるのですが)。

 というような感想をもちましたが,だからといって本巻の内容が時代遅れと言いたいわけではありません。デジタル,AI,フリーランス,テレワークなどの最新の動きもフォローされていて,文献も豊富に参照されています。第1巻から読み応え十分です。第2巻以降も,しっかり読み込んでいきたいと思います。

 

 

 

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