読書ノート

2022年5月28日 (土)

労働判例百選(第10版)

 『労働判例百選(第10版)』は,今回は執筆者ではないので,自分の研究費で購入しました。判例百選は振り返ると,2002年の第7版で初めて執筆に加えていただき,第8版と第9版まで書かせてもらいました。事件は,それぞれ高知放送事件・最高裁判決,第四銀行事件・最高裁判決,パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件・最高裁判決でした。第9版は,すでに評釈を書いていた事件であり(第8版もそうでしたが),同じようなことを書いても意味がないと思い,自説を「180度回転させて」,すでに発表している評釈とは正反対のトーンで書いてみました。読者には読み比べてもらえると教育的効果があると思ったのですが,この試みは成功したかはよくわかりません。いずれにせよ,この原稿は,自説によるものではないので,私の業績リストには加えていません。まあ,こういうこともあって,判例百選は第9版で引退となりました。短い間でしたが,どうもありがとうございました。編者の先生には心より感謝しています。判例百選の執筆者に名を連ねるということは,現役バリバリということを意味するので,少し寂しい気がしますが,今回の執筆者には,私の知らない研究者の名前もたくさんいて,世代交代があるのは読者にも新鮮でよいことでしょう(今回はオランゲレル(烏蘭格日楽)さんも入ってよかったです)。拙著の『最新重要判例(第7版)』(弘文堂)は,ロートルの私が一人で200の判例を扱うという無謀なことをしていますが,『労働判例百選』の良い意味でのコラテラルな効果に便乗して,労働判例の理解の広がりに貢献できればと思っています。
 選択判例を見比べると,ほとんど重なっていますが,『労働判例百選』のほうが収録判例が少ないにもかかわらず,私が採り上げていないテーマも採り上げられていて(障害者雇用など),拙著の第8版がもしあるならば,判例選択の参考にさせてもらおうと思っています。また,同じ項目でも,違う裁判例が採り上げられているものもあり,私のほうが保守的な選択をしている感じがしましたが,拙著では解説で新しい動向を書こうとしている点の違いによるものだと思います。
 それはともかく,一読者としてコメントをいうとすれば,本を開けた瞬間,余白が少ないなと思いました。できるだけ多くの情報を盛り込もうとしたのでしょうかね。事件によっては,文献の引用がやや多すぎるのではないか,と思うところもありました。巻末に文献一覧を載せて,文中では引用を簡略化したほうが(菅野・2019など),読者にとっては読みやすいのではないかと思いましたが,判例百選にはすでに固まった様式があるのかもしれませんね。

 

 

2022年5月14日 (土)

東野圭吾『ラプラスの魔女』,『魔力の胎動』

 東野圭吾は,脳のことを扱った話が多いような気がしますね。『ラプラスの魔女』は,脳の手術により,特殊な能力をもつようになった人の話です。
 お父さんが著名な脳神経外科である羽原円華は,母親を竜巻の被害で亡くすという悲劇に見舞われます。そんな彼女が,温泉地(赤熊温泉と苫手温泉)での硫化水素の死亡事故の現場に現れているのが目撃されます。それを目撃したのが,この問題に詳しい大学教授の青江です。最初に亡くなったのは水城という映画プロデューサーですが,同行していた年の離れた若い妻は,途中でカメラを取りに引き返したために助かります。この妻は,多額の保険金を受け取ることになり,そうとうに怪しいのですが,硫化水素中毒で人を殺すというのは不可能というのが,専門家の青江の判断でした。もう1件の硫化水素中毒は,遠く離れた温泉地でしたが,そこで亡くなったのは,目立たない俳優でした。二人に関係する人物として映画監督の甘粕才生が浮上します。彼は,妻と長女を自宅の硫化水素事故で亡くしており,長男もこの事故で脳に重篤な障害を受けていました。事故の原因は,長女の自殺で,妻と長男はそれに巻き込まれたとされました。甘粕は,その後,この事故の顛末をブログに書いて,素晴らしかった家族に襲いかかった不幸をつづりました。ところが,このブログの内容は,ほとんど嘘で固められていたことがわかります。実は家庭は崩壊していたのです。
 青江は事故のあったそれぞれの温泉地の依頼を受けて調査に出かけます。この事件をしつこく追っている刑事からは,殺人の可能性を質問されますが,それは否定します。しかし実は,彼の想像を超えるようなことが起きていたのです。
 脳に甚大な障害を受けていた長男の謙人は,奇跡的に復活していました。羽原教授の手術の成果です。彼は単に復活しただけでなく,脳の神経回路を新たにつくる能力が格段に速くなっていました。それゆえ様々な物理法則も瞬時に分析して,次に起こることが予想することもできるようになっていました。風の動きを分析して,発生した硫化水素が次にどこに流れていくかも予想できました。
 謙人は,入院中に父親の独白を聞いていました。父親は謙人が植物状態であり,また過去のことについて記憶喪失に陥っていると聞いて安心していたのですが,それは謙人のフェイクでした。実は甘粕家の事故は,事件だったのです。才生が仕組んだことでした。謙人は姉と母を殺した二人に復讐をしていたのです。そして,最後に,父親を殺そうとしていました。
 羽原教授は,彼の手術のおそるべきインパクトに驚いていましたが,これが手術の成果なのか,謙人のもともとの能力なのかは明確ではありませんでした。その再現性を確認するために,なんと娘の円華に対して,同様の手術をしたのでした。もちろん,それは,円華が自ら望んだことだったのです。もし竜巻を予測できていたら母親を救えていたかもしれないと考えた円華は,その能力を得ることを望んだのです。
 謙人と円華は,同じ病棟で知り合うことになるのですが,謙人は失踪をします。円華は,謙人が硫化水素で二人を殺したと考えて,事故のあった温泉地に姿をみせ,そこで青江教授と遭遇していたのです。円華は,謙人が父親を殺すことを阻止しようと考えて,奔走します。最後,円華は,謙人が才生を犯そうとするところを,彼女が新たに得た予知能力を使って寸前で阻止します。しかし,才生は結局,自殺してしまいます。
 という話なのですが,その続編が,『魔力の胎動』です。こちらは短編なのですが,円華の特異な予知能力が,いろんな人を救っていくという話です。才生の映画の犠牲者といえる鍼灸師の工藤ナユタが主人公なのです(前作と同様,才生の映画への異様なこだわりが,周りに不幸をもたらします)が,青江教授もまた登場します。うまい続編になっています。私は続編のほうから読んだのですが,それでも十分に楽しめるものでした。
 久しぶりに東野ワールドに浸ることができて良かったです。 

2022年5月12日 (木)

冤罪の生まれ方

 昨日,紹介した岡田尊司『マインド・コントロール』(文春文庫)の続きです。この本では,人間を使った実験において,外界からのあらゆる刺激を遮断してしまうと,人間は簡単におかしくなってしまうことも紹介されています。脳というのは情報から遮断されてしまうと,情報飢餓状況が生まれ,そうなると,どんな情報でも受け入れてしまうのです。これがマインド・コントロールの一つの手法であり,監禁状態に置くと,その期間がそんなに長いものでなくても,こういう状況が生まれてしまうようです。拘留されて,外界から遮断されてしまい,そして連日厳しい捜査を受けると,早くそのような状況から解放されたいというように脳が欲して,捜査機関のいう情報を受け入れてしまうこともあるのです。いったんそうなると裁判でも,証言は真実を語られることがなくなります。嘘と分かっていて嘘をつくのではなく,本人は吹き込まれた情報が正しいものであると心の底から信じているのです。誤った情報の受容が無意識に行われるのが怖いところです。このため,裁判になっても,吹き込まれた情報を真実と信じて証言をしてしまうので,注意深い裁判官であっても,それがマインド・コントロールされた証言と見破ることができないのです。ただ,どこかの段階でマインド・コントロールが解けると,本人は真実を語れるようになります。それが間に合えばよいのですが,処刑されてしまうと,その機会もありませんし,独裁政の国では,絶対にマインド・コントロールが解けないようにし,とっとと処刑してしまうのでしょう。
 そういえば少し前に北朝鮮を旅行していたアメリカ人大学生が窃盗で逮捕されて有罪とされ,結局,廃人同様の状況で帰国し,そのまま亡くなったということがありました。拷問されたのではないかと言われていましたが,肉体的には拷問はされていなかったようです。しかしながら本人はやはり脳に大きな損傷を受けていた可能性があります(精神的な拷問)。彼は謝罪会見も行っていましたが,強いマインド・コントロールにより,自分が北朝鮮側の言うような犯罪をおかしたと信じ込まされていたのかもしれません。その会見の直前にはおそらく過酷な監禁や精神的な負荷が与えられて,自分の無意識の認識が書き換えられてしまった可能性があるのでしょう。脳というのは恐ろしいものです。
 ところで,この本では,マインド・コントロールの5つの原理というものが示されています。①情報入力を制限する, または過剰にする,②脳を慢性疲労状態におき,考える余力を奪う,③確信をもって救済や不朽の意味を約束する,④人は愛されることを望み,裏切られることを恐れる,⑤自己判断を許さず,依存状態に起き続ける,です。
 例えば,過剰な情報にさらされ,脳が疲労状態に陥るなかで,他人からの優しい言葉をかけられてしまい,その相手を信用し,その相手から自信たっぷりの指示を受けて,これに従えば大丈夫と言われてしまうと,簡単にそれに従ってしまうかもしれません。マインド・コントロールの罠に落ちないように,日頃から気を付けて生きていきたいものです。

2022年5月11日 (水)

マインド・コントロール

 ロシア国内では,Putinの戦争に対して多数の国民が支持をしているそうです。国外にいると,ありえないことのように思えます。ただ,ロシア人だから,あるいはロシアを愛しているから,Putinを支持しているというわけではなく,実際ロシア人のなかでも国外に逃げている人がたくさんいますし,戦争前から外国に住んでいるロシア人はPutinの戦争に反対をしている人が多いようです。 要するに,国内にいればPutin支持になるということで,そこにはロシア国民が何らかの形で情報統制を受けてマインド・コントロールがあると考えてもおかしくないでしょう。
 岡田尊司『マインド・コントロール(増補改訂版)』(文春新書)を読むと,マインド・コントロールが起こるプロセスを「トンネル」にたとえて説明する話がでてきます。 「トンネル」という言葉には,「外部の世界からの遮断」と「視野を小さな一点に集中させること」という意味が含まれています。これが,たとえば普通の人がテロリストになっていくようなときに,共通して経験することなのだそうです。オウム真理教の修行などにもあてはまるのでしょう。 そういうカルト集団だけではなく,ある特定の組織の中で,その文化にどっぷりつかまって,他の価値観を受け入れることをせず,そういうなかで,その組織のためというような限定された目標を指示され,その指示に従う者は賞賛され,そうでない者は徹底的に非難されるような環境があると,非常にマインド・コントロールが起こりやすい状況となります。もちろんマインド・コントロールされても,支配側が正しくコントロールしてくれる場合であればよいのですが(親が幼児に行う場合など),犯罪組織や独裁者などに利用されてしまうおそれもあるわけです。
 この本では,マインド・コントールの手法だけでなく,マインド・コントロールされる側の特性やする側の特性も示されています。とくに恐ろしかったのは,する側の特性です。「悪しきマインド・コントロールに走る者は,他者を支配する快楽が強烈なのに比して,それを思いとどまる共感や思いやりを稀薄にしかもたないと言える。そうした特性は,精神医学的には,一つの人格構造の特徴に一致する。それは自己愛性である。自己愛性人格構造は,肥大した自己愛や幼い万能感と,他者への共感性の乏しさや搾取的態度を特徴とするもの」なのだそうです(54頁)。そして,「万能感の肥大した誇大自己を抱えた人は,自分が死ぬときには,世界を道連れにしたいという思いを抱きやすい。その人にとっては,自分が世界より重要なので,自分が滅んだのちも,世界が存在するということが許せないのだ」ということです(57頁)。
 Putinはもはや出口のない戦争に突入しているようにみえます。世界を敵にしてもうダメと観念したとき何が起こるのか。世界を道連れに核戦争に突入する危険がないと誰が言えるでしょうか。

 

2022年4月20日 (水)

日本労働弁護団編著『新労働相談実践マニュアル』ほか

 

 日本労働弁護団編著の『新・労働相談実践マニュアル』を,お送りいただきました。私のような者にまでお気遣いいただき感謝いたします。労働者にとってのマニュアルなのかと思いましたが,拝読すると,本書は,タイトルどおり,弁護士の方など相談を受ける側のマニュアルなのですね。細部の論点にまで気配りされており,実務に大いに役立つでしょう。外国人労働者の相談という項目も含まれていて,よかったです。実は今日,学部授業(オンデマンドの録画)で,強制労働の説明をしているところで,ついつい外国人技能実習生の問題点を熱く語ってしまいました。現代の奴隷問題から私たちは目を背けてはいけません。労働弁護団の方たちにも,いっそう頑張ってもらう必要があるでしょう。ところで,本書の内容こそ,今後はデータで蓄積して,随時,情報をアップデートし,相談はチャットボットで対応するというようにしたらどうかと思いました。
 また,川口美貴さんから『労働法』(信山社)もいただきました。すさまじいスピードの改訂で早くも第6版です。つい先日,第5版をいただいたばかりと思っていたので,驚きです。いつも,どうもありがとうございます。同書は,拙著『人事労働法』でも参照した部分があったので,修正する必要があるか,これから確認させてもらいます。

 山川隆一編『プラクティス労働法』(信山社)も,執筆者の方からいただきました。まことに,ありがとうございます。こちらは第3版です。「信頼の執筆陣により,基礎から応用的視点まで,読者を的確に導く最新型テキスト」という帯の言葉がぴったりです。個人的には,もう少し若手研究者が自由に書ける欄があってもよいのかなという印象ですが,それは本のコンセプトからして仕方ないのでしょうね(たとえば皆川宏之さんは,もっと労働者性のところで腕をふるいたいのではないかと思ってしまいました)。

 

 

 

2022年4月18日 (月)

『労働法における最高裁判例の再検討』

 注目していた労働法律旬報の連載が書籍化されました。『労働法における最高裁判例の再検討』(旬報社)です。お送りいただき,どうもありがとうございました。いまやマスメディアで労働法というと,濱口さんか沼田さんかというくらいの存在感のある沼田雅之さんが筆頭編者で,浜村彰,細川良,深谷信夫共編という書籍です。労働法学の重鎮と次代のエースが編者に入ったという感じでしょうか。この連載では,石田信平さんの三菱樹脂事件の論文をゼミで扱ったこともありました。
 古い判例を検討し直すという企画はとても重要だと思います。採り上げられている最高裁判決は,いずれも重要で,LS生などが深く学習するのに役立つでしょう。解雇に関するものやロックアウトに関するものが落ちているのは,前者は制定法となったから,後者は実際上の重要性が低下したから,ということでしょうかね。日本食塩製造事件などは,解雇の観点からも,ユニオン・ショップの観点からも,採り上げてもらいたい判例でしたし,このほか第二鳩タクシー事件も,労働委員会関係者としては気になるところですが,ないものねだりですね。
 第四銀行事件では,私の判例評釈も批判的に検討され(沼田さん),また,日新製鋼事件では,私の論文が批判的に検討されています(井川志郎さん)。前者については,第四銀行事件の評釈を書いたころ,私自身もともと判例の就業規則法理に批判的な集団的変更解約告知説を発表していて(『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)で書いた集団的労働条件の段階的構造論),ただ,それはそれとして判例をどう評価するかという難しい作業をしていた頃のことを懐かしく思いだしました。第四銀行事件の最高裁判決は,みちのく銀行事件の最高裁判決とともに,『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載はしていますが,先週から始まった今学期の学部の授業で,いきなり就業規則の話をしたときには,秋北バス事件以外は,詳しくふれませんでした。就業規則論自体は重要ですが,私の『人事労働法』(弘文堂)では,すでに新たな理論フェーズに入ってしまっています(詳細は,同書34頁以下)。後者のほうは,日新製鋼事件について,デロゲーションを認めた判決だという私の理解への批判がありましたが,前からこの点は,皆川宏之さんの指摘もあり,それはおっしゃるとおりかもしれないと思っています。ただ,労働基準法の強行規定性というのは,それほど絶対的なものではないのであり,この判決をそうしたことを示したものとして挙げてもよいだろうと思っています。もっとも,この点についてもまた,『人事労働法』では,上記の就業規則論と関係して,新たな理論フェーズに入っていて,判例がどうかということより,強行規定の任意規定化を理論的にどう展開すべきかということに関心が移っています。
 ところで,私も実は判例を新たな視点で学生たちに学んでもらいたいという観点から,10年前に『労働の正義を考えようー労働法判例からみえるもの』(有斐閣)を刊行しています。今回の沼田さんたちの本のような硬派なものではなく,軽いタッチで描いています(ただし内容は決して軽くはなく,もしかしたらむしろ難解もしれません)が,比較して読んでもらえれば,労働判例を多角的に理解できるのではないかと思います。

 

2022年4月16日 (土)

『労働者派遣法(第2版)』(三省堂)

 鎌田耕一・諏訪康雄編,山川隆一,橋本陽子,竹内(奥野)寿著『労働者派遣法(第2版)』(三省堂)を初版に続いてお送りいただきました。どうもありがとうございます。労働者派遣法にしぼった体系書であり,執筆メンバーの充実ぶりからもわかるように,信頼性の高い本です。労働者派遣法は,授業では,まとまって扱うことはあまりないのですが,個々の判例を扱うときに,労働者派遣のケースがけっこうあって,労働者派遣についての知識を要するという場面が少なくありません。法人格否認の法理,雇止めなどがそれです。もう一つ,重要なのが,昨日も言及した使用者性の問題です。労働者派遣とそれと隣接する業務委託契約(偽装請負がありうるので)の場合における派遣先・委託先の使用者性の問題です。
 実は兵庫県労働委員会で,先月,大学が警備業務を委託していたことに関係した国際基督教大学事件の東京高裁判決(2020610日)を採り上げて検討する機会があったのですが,この判決は,中労委の結論は維持しているものの,使用者性についての判断枠組みについて,中労委と見解が違っていました。この事件は,セクハラ問題を契機とする解雇について,最終的に撤回されたのですが,それについて大学側が,労働組合から求められたこの件で謝罪や金銭補償をすることを議題とする団体交渉を拒否したというものでした。大学側の使用者性は一貫して否定されているのですが,問題は判断枠組みです。朝日放送事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(2022年,弘文堂)の第179事件を参照)が基本となるのですが,中労委は,この議題は「解雇を含む一連の雇用管理,すなわち,採用,配置,雇用の終了に関する決定に関わるもの」であり,こうした「一連の雇用管理に関する決定について,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していなければならない」という基準を示しました。一方,取消訴訟の地裁は,「雇用終了の決定について,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していることが必要であり,かつ,それで足りるというべきである」とし,高裁判決もこれを支持し,「当該労働者の採用の場面において,当該事業主が雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配,決定できる地位になければ,仮に当該労働者の配置や契約終了(解雇)の場面においては,これを現実的かつ具体的に決定できる立場であっても『使用者性』は否定されることになるが,そのような結論は相当でないといわざるを得」ないとして,中労委の判断は採用できないとしています。結論は,雇用終了についても,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していることが否定されたのですが,判断枠組みは大きく異なっています。
 裁判所は,団体交渉事項ごとに使用者性を考えるという帰納的アプローチを明示的にとっており(相対説),私はこういう立場にもともと反対なのです。集団的労使関係における当事者とは誰かというのが先決問題であるべきであり(演繹的アプローチ),たとえ当該事項について具体的な支配決定力があっても,それと使用者性とは別問題なのだと思っています。中労委も帰納的アプローチのように読めなくもありませんが,ただ少なくとも,この事件等での判断枠組みは,当該団交事項における具体的な支配決定力にとらわれないという点では,結論としては演繹的アプローチと近似してくる面があると思っています。
 ちょうど,この論点について,上記の本で言及されていました。山川先生が書かれている箇所なので,とくに注目されます。派遣の場合,派遣先が直接雇用を求める議題で団体交渉が申し込まれた場合において,それが採用に関する事項であるので,その採用に関する点で,雇用主と部分的同視できる現実的かつ具体的に支配,決定できる地位にあるとすれば,使用者としてそれに応じなければならないのかという論点において,山川先生は中労委のすでに先例のある中国・九州地方整備局事件の判断に言及したうえで,もし上記のような採用の点だけで使用者性を認めてしまえば,労働組合が採用を求めて団交を申し入れたあらゆる事業主が使用者に該当してしまうという不都合があるとし,さらに事業主が労働者を採用するということは,単に採用するのにとどまらず,その後の配置や雇用終了等の雇用管理を行うことも想定されているので,使用者該当性の判断は,採用,配置,雇用の終了の一連の雇用管理全般について雇用主と部分的に同視されるかという観点に立ってなされることが必要だと述べておられます(284頁以下)。この点は初版でも言及されていた部分ですが,第2版では前記の国際基督教大学事件にもふれて「謝罪や補償にかかわる団交も委託元の行為が解雇と同視されることを前提とするのではないか,また,雇用の終了は労働契約の解消を意味するが,これについてのみ雇用主と同視される場合は,委託元が取引先としての力関係の中で委託先にその従業員の解雇を求めたにとどまる場合とどう異なるかといった問題を検討する必要が生じよう」(286頁)というように,裁判所の判断基準にかなり不満をにじませるコメントをされているのが興味深かったです(山川先生が中労委の会長をされていた時の事件だから当然かもしれませんが)。

 

2022年3月26日 (土)

水町勇一郎『 労働法(第9版)』

 水町勇一郎さんから,『 労働法(第9版)』(有斐閣)を頂きました。どうもありがとうございました。はしがきを見ると,この2年間にも,大きな法改正があることを改めて確認することができました。本書は,いまや司法試験受験生の教科書の定番といえるでしょう。実務家の方は,これと並んで『詳解労働法』(東京大学出版会)を利用することになるのでしょうね。非正社員の処遇のところなどは,水町労働法が広がることは,社会にとって良くないことだと思っていますが,こればかりはどうしようもありません。今日の神戸労働法研究会では,少し前に話題になった茨城の家電量販店における労働協約の拡張適用の事例について山本陽大さんに詳細な分析をしてもらいましたが,水町さんの教科書でも早くも紹介されていました。情報の新しさという点でも,本書の利用価値は大きいでしょう。
 ところで,研究会では,いままでほとんど考えたことがない労組法18条の論点について教えてもらいました。そのうえで思ったことは,労組法18条は何のために存在しているのか,よく考え直したほうがよいのではないかということです。ドイツ法を参考にした制度ですが,山本さんによると,本家のドイツ法でもこの制度は大きく変わってきているようです。また研究会では,これも有名な建設アスベスト事件の最高裁判決を,高橋聡子さんに報告してもらいました。通常の判例分析だけでなく,環境リスクに対する法規制のあり方といった広い観点からも議論することができて,これも勉強になりました。個人的には,労働安全衛生法の目的それ自体の重要性は高まる一方,同法の規制手法自体が根本的な見直しを求められているのではないかという感じがしました。今後の検討課題です。

2022年3月23日 (水)

香川孝三編著『アジア労働法入門』

 香川孝三編著『アジア労働法入門』(晃洋書房)をいただきました。どうもありがとうございました。韓国,台湾,フィリピン,タイ,カンボジア, マレーシア,シンガポール,インドネシア,ミャンマー,インド,バングラデシュ,中国,ベトナム,ラオスが対象国です。各国の情報が項目ごとにコンパクトにまとめられています。長年アジア労働法の研究を引っ張ってこられた香川先生は, 今なお精力的に研究活動されています。私よりも20年先輩であることを考えると,信じられない感じです。上記の国のなかでも,カンボジア, マレーシア,シンガポール,ミャンマー,インド,バングラデシュ,ラオスは香川先生が担当されています。個人的に関心があるのは,マレーシア,シンガポールと吉田美喜夫先生が担当されたタイです。労働法への関心というよりは,国としての魅力ですが,コロナ禍が終わると,また訪問してみたいですね。
 欧州の労働法は,DXへの対応などで一見進んでいるような印象も与えますが,労働の現場における大きな変化への適応力は,アジアのほうがはるかに高いものがあります。欧州の労働法よりも,新しい労働法の可能性はアジアのほうにあるかもしれないという予感は,ずっと前からしています。日本人の間には,アジアといえば,どうしても先進国の法を継受するだけの国という見方があり,大きな関心を持つ研究者は少なかったかもしれませんが,見方を改める必要があるでしょう。私自身,自分で新たに勉強することは難しいかもしれませんが,今回いただいた本を使ってしっかり勉強していければと思っています。香川先生はまだ現役バリバリで頑張られていますが,そろそろアジア法研究をひっぱる後継者も必要かもしれませんね。余計なお世話かもしれませんが。

 

2022年3月13日 (日)

子どもたちにかかわりたい?

 ネットニュースで,タレントのつるの剛士さんが,幼稚園免許の取得をしたというのが出ていました。彼が保育士資格をとることをめざしながら,受験資格がなかったというところまでは知っていたのですが,短大にかよって資格をとろうとしていたことまでは知りませんでした。今回短大を卒業し,幼稚園教諭Ⅱ種免許をとり,いよいよ保育士の国家資格をめざすのでしょう。なぜ,このニュースが気になったかというと,それは二つの点からです。一つは,私も定年後の仕事の候補として保育士にチャレンジできないか,ということを少し思ったことがあったからです。筆記試験はいまの記憶力では心もとないですが,頑張ればできるかもと思ったのと,実技試験のほうは,それほど苦手ではないので(音楽と言語。造形は絶対にダメですが),そんなに甘いものではないとわかっていながら,老後のチャレンジの目標にできればと思っていたからです。定年になっても,何かやっていかなければ生活できませんし,できれば同じ教育の世界に携わることも悪くないなと,セカンドキャリアのことを考えていたのです。つるのさんの挑戦はとても励みになりますね。いまはとても勉強の時間はないですが,少なくともピアノの練習だけは仕事の合間をみてやっておきたいです。二つ目は,実は,少し前に読んだ塩谷隆英『21世紀の人と国土―下河辺淳小伝』(商事法務)のなかに,下河辺淳さんが,(本気かどうかわからないのですが)若手からの「もし,生まれ変わったら何になりたいですか」という質問に,「幼稚園の先生になりたい」と答えられた部分を思い出したからです(343頁)。私自身,上記の保育士のことだけでなく,江戸時代の寺子屋のようなことが,老後にできればいいかなと思っていたところでもあったので,下河辺さんの「幼稚園の先生」という答えが記憶に残っていました。
 ところで,この本は,連合総研のお仕事をしたときなどにご一緒したことがある薦田隆成さんからいただいたものです(お礼が遅くなり申し訳ありません)。下河辺さんという立派な大官僚の伝記的な内容で,こういうものは読むと,こちらの小人物ぶりを思い知らされて辛くなるので,なかなか読む気にならずに,本棚に積んでいたのですが,あるとき,なんとなく手に取ってページをめくっているうちに,彼の活躍のすごさに驚きながら,全部読んでしまいました。この本のなかで,とくに印象に残ったのが,2002年に行っていた講演の収録部分です(303頁以下)。公共性を重視するというスタンスで,情報技術にもふれながら,精神復興のことも語られていました。「専門」から「統合」へ,「国家」から「個人」へという重要な問題提起もされていました。私は,社会の構成員である個人が深い教養を身につけて,社会のために何をやれるのかを考える社会,そして,その際には,デジタル技術を十分に活用しながら,それとアナログ的なヒューマンな要素とを融合させていけるような社会を目指さなければならないと思っているのですが,そういう考え方がこの講演にはしっかり詰まっていました。その箇所をスキャナでとってデジタル保存しました(私は大事な書類や文書はデジタル保存しています)。
 下河辺さんは「生まれ変わったら」と言われていましたが,ほんとうはこういう立派な方が,幼稚園や小学校低学年の先生になってもらう必要があるのだと思います。いまも同じかわかりませんが,東京大学の教養課程の「法学」(正式な科目名は忘れました)の授業は,定年直前の先生が担当するという伝統があり,法学部生(教養学部文科1類)が最初に聴く専門科目の授業の一つが,最もシニアの教授の授業なのです。これは大学のことですが,次世代のことを真剣に考えている経験あるシニアが,若い人や子どもの教育に携わるのは,良いことだと思います。

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