私の作品

2022年6月21日 (火)

読売クオータリーで紹介されました

 少し前の話になりましたが,読売クオータリー61号(2022春号)の高橋徹さん(調査研究本部主任研究員)が,「コロナ禍で深刻化 労働力不足を克服するには」という論考のなかで,拙著『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書)を採り上げてくださいました。この雑誌のことは,今回初めて知りました。取材はリモートで受けて,会社員が消える展望について,いろいろお話しをしましたが,ここでも最後は,教育の重要性という話になりました。高橋さんの論考では,宮本弘暁さんの「自己開発優遇税制」が興味深く,「社会保障や税制は転職に中立になるように改革すべきだ」というコメントも紹介されています。これも教育に関係しますね。
 労働法において,職業教育を正面から論じた業績は,ほとんどないと思います。職業教育を労働法の枠組みにおいて論じるときは,現在では「キャリア権」というテーマで議論するが定番となっており,日本労働法学会の『講座労働法の再生』(日本評論社)でも,「キャリア権の意義」(第4巻で,両角道代さんが執筆)という項目が採り上げられていました。諏訪康雄先生がこの概念を提唱されて以降,私も含めて,なかなかうまくこの概念を発展させることに成功できていない感じがします。いま必要なのは,企業による職業教育それ自体が,広義の職業教育の一部にすぎず,まさに憲法26条の問題として,政府が広義の職業教育にどうコミットするかを論じていくことです。そういう意味での「職業教育法」は,自営的就労者(フリーワーカー)の時代が来ることにより,いっそう重要性を高めると思います。最近の講演では,いつもそういう話で終わるのですが,問題は,これを具体的にどう政策提言に組み入れていくかです。人的資本への関心が高まっているなか,経済学者や教育学者の方たちとも共同して研究を深めていかなければならないでしょうね。

2022年5月 6日 (金)

人はなぜ働くのか

 昨日は休日の話をしましたが,やはり働かないことの価値をもっと考えたいですね。こういう問題意識は,若いときのイタリア留学体験の影響が大きいです。
 労働と失業・貧困を対置すれば,労働は良いこととなります(すくなくも収入が得られる)。山中伸弥さん流のwork hard もよくわかるのです。ただ労働の意味を,労働しないという反対の視点から再考できないかということにも,私はこだわってきました。
 実は『雇用社会の25の疑問―労働法再入門』(弘文堂)の最終話は,初版から3版まで,働くことの意味を問うテーマにしてきました。労働法の再入門というとき,最後の最後はこのテーマに行き着くのです。法律に関心のある読者にはスルーされてしまいそうなテーマですが,本人としては,単なる最後の付け足しというものではなく,真剣に採り上げてきたつもりです。
 初版(2007年)の第25話(最終話)は,「ニートは何が問題なのか。―人はどうして働かなければならないのか―」というタイトルでした。そこでは,働くことを無条件に善と考えて,働かないニートに対して批判的な目を向けることへの疑問を提起しました。しかし,働くことの意義については,結局は,読者に投げかけた形で終わっています。
 第2版(2010年)の第28話(最終話)も,タイトルは同じでしたが,終わり方は少し違っていました。「エピローグ」という小見出しをつけて,左京泰明氏の『働かないひと。』(2008年,弘文堂)にふれながら,「仕事をすることは,社会の中の役割分担である」という話を採り上げています。ここに働くことの本質があるのではないかと思ったのです。これが現在,労働とは,個人が分業して,社会課題の解決のために貢献すること,という私の労働論とつながっていきます。
 第3版(2017年)の第25話(最終話)は,第2版までのサブタイトルだけを残し,少し修正して「私たちにとって,働くとはどういうことなのか。」というタイトルにしました。もうニートという話題でもないからです。AIやロボットの出現を視野に入れながら,人間の労働とは何かということを根本的に考えなければならない,という問いかけで終わっています。そのなかには,ブッシュマンの生活にも言及しています。労働というものを,生存というものの根源的な行為に結びつける発想を,そこでは示しています。
 こうしたなかから,2020年の『デジタル変革後の「労働」と「法」~真の働き方改革とは何か?』で示した(上記のような)労働論につながっていきます。
 人が働くのは,根源的には,動物としての人間の宿命であり(食料を確保するためには動かなければならない),それが徐々に社会を形成するなかで,その一員として社会に貢献する行動へと広がっていきます。そうした貢献は社会への責務としてとらえなければなりません。労働の義務性です。しかし,どのようなことで貢献するかというところで,本人の選択の余地もあります。もちろん,適職を選択したほうがよいのですが,適職は何かは自分で見つけ出すのであり,そこに自己決定の余地があるのです。企業の事業活動も,実は労働の延長線にすぎないのですが,雇用という働き方が出てきて,個人の労働の主体性が失われてしまいました。
 私が『雇用社会の25の疑問』で初版以来ずっと問い続けてきてことの私なりの答えが,いまようやく固まりつつあります。しかし,それもまだ通過点にすぎません。さらに,拙いものであっても,自分なりの思索を深めて,世に問うことができればと思っています。

 

 

2022年4月25日 (月)

書評御礼

 島田陽一先生が『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』(明石書店)の書評を法学セミナー(6612118119頁)で書かれていたことを先週知って,今日,ようやくPDFファイルを入手しました。大学によく行っていたときには,教員控室に,ジュリスト,法学セミナー,法律時報などの最新号が置かれていて,それをみることによって,最新の文献を確認していたのですが,コロナ後はすっかり大学に行かなくなってしまい,そうした情報を確認することもなくなっていました。別に最新の情報を追わなくても,私の場合,とくに研究に影響することもないのでかまわないのですが,まさか書評が掲載されているとは夢にも思っていなかったので,お礼が遅くなりました。担当編集者の方も法律専門ではないので,気づかなかったようです。
 しかも,この本は,一般人向けに書いたつもりなので,研究者の方には基本的には献本しておらず,研究者の方に書評をしてもらえるとは思っていませんでした。
 ということで,長い言い訳になりましたが,こういう失礼なことをしているのに,島田先生が書かれていた内容は,ほんとうによく本書の意味を理解してくださっていて,感謝の言葉もありません。島田先生には昨年も学会のワークショップに声をかけていただくなど,いろいろお気遣いいただいており,日頃から感謝しているのですが,そのわりには,何もお返しができていないことを,申し訳なく思っております。学会の重鎮の先生に私の問題意識をしっかり受け止めてもらい,それなりの評価をいただいたことは,今後の研究活動への大きな励みになります。

2022年3月31日 (木)

『研究開発部門の新しい“働き方改革”の進め方』

 技術情報協会から今日刊行された『研究開発部門の新しい“働き方改革”の進め方』のなかに拙稿が掲載されています。執筆者は60名という大人数で,原稿が集まるのだろうかと思っていましたが,見事に集まったようですね(私は,この協会からの同種の本の執筆は2回目です)。私の原稿は,「テレワークという働き方がもたらすもの~デジタル変革のインパクトと働き方改革」というもので,既存のものに加筆修正を加えたものでよいということでしたので,昨年に学士会会報に寄稿したものが,あまり一般の人が目にすることがないであろうと思い,これに手を加えたものを寄稿しました。とはいえ,この本は高額で一般の人が目にする機会がどれだけあるかは何ともいえません。実務家の方には役立つ部分が多い盛りだくさんの内容なので,それを考えると決して高いものではないと思いますが。
 このほかにも,いま,DXやテレワーク関係の原稿を数本抱えています。読者層を考えながら,わずかでも違う角度から論じようとしていますし,新しい論点も少しずつ追加していっています。この関係のテーマで依頼が来始めてからかなり経ちますが,いつまでブームは続くでしょうかね。
 実は今日締め切りの原稿もありました。しっかり準備はしてきたのですが,ちょっと自分なりに納得できていないところがあったので,1週間締め切りを延長してもらいました。原稿の締め切り直前の追い込みのときに,何かがひらめいて,内容を追加したり,構成をがらっと変えたりしたくなることがときどき起こります。書く内容の基本はほとんど変わりないのですが,それでも全く違う趣の原稿に変わることがあります。読者にはあまり伝わらないようなことかもしれないのですが,本人には大きな変化で,それが気になり始めると,どうしても締め切りを延ばしてくださいということになってしまいます。出版社は優しく受け入れてくれますが,締め切りを守れないというのは,自身の能力のなさの証しであり,恥ずかしいことだと思っています(定期刊行の雑誌では,そういうことはしたことがないですが)。

 

2022年3月25日 (金)

SF的手法

 今朝の日本経済新聞において,「日立,SFが導く研究開発 小説から新技術を議論 メタバースの課題探る 既存の手法に限界」という長いタイトルの記事が出ていましたが,「幅広い産業で創造的破壊(ディスラプション)が起き,既存技術を積み上げる従来型の研究開発では10年以上先の予測は難しい。小説で描く未来像から必要な技術や法制度を逆算して経営の道しるべにする」ということのようです。
 SF小説とまで行かなくても,現実にはまだ空想の世界だけれど,技術が発展すれば出来そうなことを空想するのは,すでに私もやってきたことです。想像力と創造力が大切だというのは,講演でしゃべれば語呂がよすぎて軽い感じになりますが,ほんとうにそういうことが求められているのだと思います。日本企業は,日立のような会社は別なのかもしれませんが,多くは組織の上層部の頭が堅くて,想像力を少しでも働かそうものなら,もっと現実的なことを考えるべきだと叱られそうな感じです。
 私はこれからの経営者は,いかにして自分にない創造力(それは想像力を必要とする)を,他人から提供してもらえるかが勝負になるということを書いていて,逆に人材側はそういう力がなければやっていけないと主張しています。SF小説家に頼るのもよいのですが,できるだけ多くの人が,大きなことから小さなことまで,いろんな想像力を働かせるところから,ディスラプションが起きるのでしょうね。
 私はこれからの企業は,経営者は,いかにして自分にない創造性(それは想像性にもつながる)を,他人から提供してもらえるかということが勝負になるということを書いていて,逆に人材側はそういう創造性がなければやっていかないと主張しているのです。SF小説家に頼るのもよいのですが,普通の人が,大きなことから小さなことまで,いろんな想像を働かせるところから,企業においても社会においてもディスラプションが起きるのでしょうね。
 そういえば,私が5年以上前に連載していた弘文堂スクエアでの「絶望と希望の労働革命―仕事が変わる,なくなる」の 第8回「闘うのはいつだ!」と第9回(最終回)「Reconciliationの力」第9回(最終回)「Reconciliationの力」では,未来の社会の男二人の会話を書いています。想像の世界ですが,自分で読み返しても,結構面白いので,皆さんもぜひ読んでみてください。
 それと昨年上梓した『労働法で企業に革新を』(2021年,商事法務)は,最後の場面は,ワインバーをリモートで営業し(バーチャルバー),ソムリエが世界中の人にワインを提供できるという話で終わっています。これはまだSFの世界かもしれませんが,誰かビジネス化してくれたら愉快なことですね。

 

2022年3月15日 (火)

神戸新聞に登場

 共同通信の配信の「漂うリアル11 コロナ禍働くとは」に登場しました。まず312日の神戸新聞の夕刊に掲載されています。テレワークが進展するなかで,職場の仮想化といった変化についての問題意識からの取材でした。1時間くらいコメントしましたが,テレワークのもつ社会的価値とこれからの労働において知的創造性が重要という部分が採用されていました。私以外に,仮想オフィスサービスを提供する会社OPSIONの深野社長,話題の『ブルシットジョブ』の訳者の一人である大阪府立大学の酒井隆史教授のコメントが掲載されていて,短いながらも内容があるよい記事になっていると思いました。
 今回の写真は,最近マスコミ用に提供している自宅で撮影したものです。ふだんはbust-upの部分が掲載されていますが,今回は全体だったので,ラフに撮影した感じがそのまま出てしまっています。でも,テレワークっぽくて,記事の内容に合っていてよいかなと思います。神戸新聞以外の地方紙にも,そのうち掲載されるかもしれませんので,地方在住の方には,いつか見てもらえるかもしれません。

2022年2月21日 (月)

「かけはし」に登場

 産業雇用安定センターという団体が刊行しているかけはしという雑誌に,「デジタルトランスフォーメーション(DX)と働き方の変化」という論考を寄稿しました。よく書いているテーマですが,内容は各誌の編集者からのリクエストなどや分量などに応じて,それに合わせたものを書いているつもりです。
 今日は,確定申告のために,源泉徴収票を整理していました。これにより,昨年1年どのくらいの仕事をしたかが確認できます。今回の産業雇用安定センターは初めて仕事をしたところだと思いますが,昨年は新規の仕事は少なかった感じがします。とはいえ学士会会報のように初めて寄稿した雑誌もあり,今年もこういう新たな執筆機会があればよいなと思っています。
 そうは言いながら,アウトプットはやりすぎるとアイデアが枯渇するので,インプットの期間をしっかり確保することも必要です。2018年秋から1年間とったサバティカルのおかげで,自分自身の研究の根本的な再建ができたと思っていますが,そのときに積み立てた貯金は早くも尽きようとしています(貯金が少なかったからでしょうが)。いまいちどインプットをしっかりして貯金を殖やさなければ,これからのアウトプットができなくなるというあせりはあります。とくに年齢を重ねると,インプットの効率が悪くなっている(文献を読むのに時間がかかる,理解力が弱ってきているなど)のが悩みの種です。

2022年1月19日 (水)

経済教室に登場

 日本経済新聞の経済教室に登場しました。テーマはテレワークです。テレワークのことは,すでに明石書店から刊行した『誰のためのテレワーク?ー近未来社会の働き方と法』(2021年)で詳しく書いていますので,詳細は同書を参照してください。テレワークはコロナ禍で経験者が増えましたが,本格的な導入は広がっていませんし,コロナ後どこまで定着するかは何ともいえないのですが,DXの広がりとテレワークのもつ価値(書籍では,労働者,企業,社会にとっての価値という書き方になっています)を考えると,企業はテレワークに本格的に取り組まなければならなくなるだろうという展望を書いています。DXの部分もまたすでに多くの媒体で書いていますが,新聞という目立つ媒体で書くことができて個人的には満足しています。とくに最後に書いたデジタル時代への政策課題は,最近の私の書くもの(ここ何回かの経済教室も含む)では,お決まりのパターンではあるのですが,これが大切だという私の考えに変わりはないので,何度もしつこく,ただできるだけワンパターンにならないように意識しながら書いています。
 経済教室では3000字という制限があるので,絞りに絞って書いています。もっといろいろなキーワードを入れたかったのですが,SDGsESG投資などは,昨年5月のギグワークのところでも書いたので今回はあえて入れませんでした(ただ,社会的責任,多様化(ダイバーシティ)経営,環境などのタームを使って実質的には盛り込んでいるつもりです)。ジョブ型,日本型雇用システムという,いつもの言葉も今回は入れませんでした。一方,健康テックの話は学会報告でもふれたことなので盛り込んでみました。
 テレワークは,もはや導入するかどうかという問題ではなく,どのように導入するかが問題だという書籍のほうで書いたメッセージは,今回の経済教室でも伝えているつもりです。テレワークはコロナ禍の一時的な緊急避難的な働き方ではなく,DX時代の標準的な働き方となるのです。
 コロナ禍は,場所主権と時間主権の重要性を再認識させてくれました。オミクロン株が急速に拡大するいま,たとえ重症化リスクが低いとはいえ,少なくとも仕事を理由として,3密に引っ張り出されることがないような社会をつくっていかなければなりません。そうしたことを可能とするICTを含むデジタル技術がすでに私たちの手にあるのです。
 私たちはもともと場所主権と時間主権があるはずではないかというメッセージが,今回の原稿から多くの人に伝われば嬉しいです。

2022年1月11日 (火)

最新重要判例200労働法

 弘文堂から刊行している『最新重要判例200労働法』の第7版が届きました。今回も編集者の清水千香さんには,大変お世話になりました。2009年の初版から13年経ちます。2年に1回のペースで版を重ねることができたのは,ひとえに読者の皆さんのおかげです。
 第7版では,7つの判例を新たに追加しました。判例のチョイスについては異論もあるかもしれませんが,私の独断で現時点で掲載したほうがよいと考えた判例を選択しています。また今回は昨年刊行した『人事労働法』とも連動させています。『最新重要判例200労働法』では限られた字数のなかで,判例実務を意識した解説になっているので,企業人事に関係する点や私見については『人事労働法』を参照してもらえればと思っています。LSの授業で使っている『ケースブック労働法(第8版)』の改訂が2014年で止まってしまっているので,『最新重要判例200労働法』には,その後の判例を補充する役割もあります。いまは団体法が3割を占めていますが,この割合は徐々に減っていくかもしれません。また初版からの構成は基本的に維持していますが,どこかの段階で,構成を大きく変えてしまう必要が出てくるかもしれません。せっかちな私は,今回の版でもそういうことをやりたい誘惑に駆られたのですが,読者の方を混乱させてはいけないということで,思いとどまりました。
 新しい政策課題に関心の大半が向いている現在ですが,地道に判例の勉強をすることは,法律家として修業を始めたときの原点に回帰できるので継続してやっていかなければならないと思っています。研究会などでの判例報告は引退していますが,若手研究者の報告を聞いて一緒に議論をするとやはり勉強になります。今回の第7版でも,こうした勉強の成果がうまく出ていればと願っています。
 有斐閣の『労働判例百選』も第10版が出るようで(こちらのほうには今回は,私は執筆しておりません),うまく共存共栄(?)できればと思っています。昔は巨像に挑むアリのような気分でしたが,いまは「挑む」というような勇ましい気持ちはまったくなく,どちらの本を使ってもらっても,労働判例の理解が広がればよいと思っています。
 

2022年1月 3日 (月)

仕事と幸福

 労働しながら幸福を実現する。少し前にこんなことを言うと,二兎を追う者は,一兎を得ずという先人の教えを知らないのかと叱られたかもしれません。あるいは二兎を追えるなどというのは,怪しく社員をマインドコントロールする経営者のようだとして胡散臭く思われたかもしれません。
 私はいまから約6年前の2016年に「勤勉は美徳か?―幸福に働き,生きるヒント」という新書を光文社から出しました。それほど多くの人に読まれた本ではないように思いますが,二兎を追う可能性を追求したものです。
 13日の日本経済新聞の1面に「心の資本」というテーマが採り上げられていました。法律家のメリットに,憲法で幸福追求権が保障されているということを教わることがあると思います(13条)。これが個人の尊重と並んで最も高い法的価値であることを,たたき込まれます。心の資本もそういうことにつながると思います。もちろん幸福追求や個人の尊重が大切であることは誰でも知っていることでしょうが,それを単に抽象的な理念としてでなく,具体的な議論において大真面目にやるのが法律家なのです。そういうことをやる人たちも社会には必要でしょう。
 上記の拙著も,労働者が仕事をとおして幸福を追求するためにどうしたらよいかを,私なりに論じたものです。大学入試でも本書の一節が採り上げられたことがありました。Kindle unlimitedにも入っていて,サブスクしていれば無料で読めますので,冬休みの間に(今日までの人も多いかもしれませんが,その人は春休みに)ぜひ読んでもらえればと思います。いまとなればデジタルを活用した幸福というものも,論じていればよかったなと思いますし,もっと柔らかく書けたかもしれませんが,6年前の私には無理でした。同じ光文社新書の『君の働き方に未来はあるか?』と並んで,これからの職業人生に向けて悩んでいる人に手に取ってもらえればと思います。本文最後に紹介したヴェネツィアのゴンドラ職人は,イタリア人であるのに(?),仕事に喜びをみつけています。そんな風になれたらいいなと思います。仕事と幸福の両立はじっとしていてもダメで,明確な戦略と正しい戦術をもってすれば実現できるというのが本書のメッセージです。なんていうと,やはりどこか胡散臭い本のように思われるでしょうかね……。

 

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