私の作品

2026年8月 1日 (土)

経済セミナー751号に登場

 日本評論社の経済セミナー751号に,「AIによる労働社会の再編――人間と機械の新たな分業」という私の論考が掲載されました。基本的には,私の新刊『労働政策の再創造―AI共生社会における生存と自由』(弘文堂)で展開した議論に沿ったものですが,今回は経済誌への寄稿であることを意識し,専門家だけでなく,一般の読者にも読んでいただけるように書いたつもりです。
 今回の企画は,財務省の財務総合政策研究所で昨年来行われてきた「人材マネジメントと組織開発に関するワークショップ」のメンバーが中心となっています。その成果の一部については,先日,財務省の広報誌『ファイナンス』に掲載された座談会でも紹介され,私もそこで発言する機会をいただきました。今回はさらに,『経済セミナー』という場で,自分の考えをまとまった形で示すことができました。
 私が重視しているのは,AIが単に労働の場面で人間の仕事を代替したり,補助したりすることが問題なのではないという点です。AIは個人をエンパワーすると同時に,社会システムそのものの設計にも大きな影響を与えます。そして,AIを活用して設計された社会システムが,再び個人の働き方や生き方に影響を及ぼしていくという循環があります。
 私たちは,個人としてどのように生きていくかを考える場合にも,これからの社会をどのように構築するかを考える場合にも,AIの力をうまく活用していかなければなりません。ただし,そこで忘れてはならないのは,AIはあくまでも人間のために用いられるべきだということです。当たり前の話に聞こえるかもしれませんが,技術の発展があまりにも速いからこそ,この原点を繰り返し確認しながら,これからの社会を展望する必要があります。
 このような問題関心から出発すると,私の議論は,次第に狭義の「労働」の問題だけには収まらなくなっていきます。しかし,そもそも労働とは,雇用契約のもとで行われる従属労働だけを意味するものではなく,人間が生存し,社会を維持するための,もっと広い営みであったはずです。そう考えると,社会のさまざまな現象が労働問題として見えてきますし,そこには人間とAIとの新たな分業という問題が深く関わっていることになります。詳しくは新刊書を読んでいただきたいところですが,まずは今回の『経済セミナー』の論考を,AIと労働社会の未来について考えるための一つの思考の素材としていただければと思います。この号には,ほかにも興味深い論文や鼎談が掲載されていますので,ぜひ多くの方に手に取っていただきたいです。
 今回も,編集長の尾崎大輔さんには大変お世話になりました。2年前に同誌(738号)で,太田聰一さんとの対談を企画してくださったのも尾崎さんです。また,以前から,経済学者ではない私とも本づくりをご一緒くださり,川口大司さんとの共著書『法と経済が読みとく雇用の世界』(有斐閣)を世に出してくれました。神戸大学関係の『エコノリーガル・スタディーズのすすめ―社会を見通す法学と経済学の複眼思考』(有斐閣)の出版に際しても,大変丁寧な編集をしていただきました。今回,また一緒に仕事ができたことを,とてもうれしく思っています。機会があれば,ぜひまた新しい企画をご一緒できればと思います。

2026年7月18日 (土)

「ファイナンス」に登場

 財務省が発行する雑誌『ファイナンス』の最新号(728号)に掲載されました「『人材マネジメントと組織開発に関するワークショップ』座談会1~変わる働き方、変わる組織~」において,一橋大学経済研究所の宮本弘曉教授,政策研究大学院大学の安田洋祐教授,財務総合政策研究所の上田淳二副所長との座談会に参加しています。とくに今をときめくお二人の経済学者と初めてご一緒でき,とても楽しかったです(私はリモート参加でしたが)。 
 この座談会には,財務省財務総合政策研究所が開催した「人材マネジメントと組織開発に関するワークショップ」のメンバーだったことから,その流れで参加することになりました。
 財務省が人材マネジメントや組織開発をテーマに議論するというと,「なぜ財務省がそのようなテーマを扱うのだろう」と思われるかもしれません。しかし,ワークショップでは,財務省自体の人材マネジメントや組織開発も重要な検討対象となっており,これからの財務省はどうあるべきかについて,さまざまな角度から議論が行われました。私は,自身の問題関心から,AI時代の働き方や組織のあり方は財務省にも当然当てはまるという視点で議論に参加しました。参加者の基本的な見解にはそれほど大きな違いはなく,終始スムーズで建設的な議論ができたように思います。
 この号では私たちの座談会は誌面の最後のほうに掲載されており,全体としてみれば付録的な位置づけに思えます。また,『ファイナンス』という雑誌自体,読者はそれほど多くないでしょう。私もこの雑誌の存在は,今回初めて知りました。せっかく,珍しいメンバーこうしたテーマについて議論する機会だったのですから,もう少し広く発信してもらえないかという気もしました。そのほうが,税金のより有効な使い方にもなるように思います。

2026年6月20日 (土)

季刊労働法に登場

 季刊労働法の最新号に登場しています。昨年から,労働者の個人情報保護に関する比較法の研究会を立ち上げており,そのメンバーを中心に科研費Bも取ることができましたので,徐々に成果を発表させていただくということで,今回の連載企画が生まれました。まず初回は,この研究会の背景のそのまた背景にあるようなAI論について,私の見解を書かせてもらったもので,これは新刊の『労働政策の再創造』(弘文堂)の問題意識に基づくものです。個人情報保護の問題がなぜ大切か,そして,それにどのようにアプローチすべきなのかについての問題提起をいささか挑発的にさせてもらったものです。とはいえ,これは研究会で共有している問題意識ではありません。研究会そのものは,まだ探索的なものであり,各国の比較をとおして,どのようなものが生まれてくるかは注目していきたいです。AIを活用するためにはデータが不可欠で,とりわけ個人情報は重要です。私はAIを積極的に人類に役立てるためには,個人情報の活用は不可避であると考えていますが,それは法学の分野ではおそらく少数派でしょう。比較法分析をとおして,そのあたりの各国の現状がわかれば面白いです。そして,今回の研究会では,なかでも労働者の個人情報保護の特殊性にもっと配慮しなければならないという問題意識をもって臨んでいます。これは私の先の主張と矛盾するところもありそうですが,そうでもありません。というのは,労働関係における個人情報のあり方は,労働関係の特殊性をふまえると別途検討する必要があると思っているからです。私は将来的には,伝統的な意味での雇用関係というのはなくなっていくと思うので,私の頭のなかのプランでは時限的・経過的な問題ではあるのですが,個人情報を適正に扱いながらAI共生社会を実現していくというプロセスでは,労働関係における適正な個人情報の取扱いという課題はどうしても避けられないと考えています。
 日本では現在の国会でも個人情報保護法の改正が実現しそうで(とくに注目されるのは「個人データ等の第三者提供及び公開されている要配慮個人情報の取得について,統計情報等の作成にのみ利用される場合は本人同意を不要とすること」,「顔特徴データ等についてその取扱いに関する一定の事項の周知を義務化し,利用停止等請求の要件を緩和するとともに,オプトアウト制度に基づく第三者提供を禁止すること」など),AI時代に向けた取り組みが進みそうです。また,EUでは,AI法やGDPRのような一般法以外に,プラットフォーム就労者の就労条件の改善に関する指令が出たり,昨年12月には職場でのアルゴリズム管理に関する欧州議会の勧告が出たりするなど,労働分野に関する注目すべき動向もあります。
 このテーマについても,ぜひ数年後には成果を出して,できれば英語で世界に発信できればと願っていますが,どうなるでしょうか。
 

2026年6月 9日 (火)

『労働政策の再創造』刊行

 すでに何度かアナウンスしていましたが,新作が出ました。専門書というよりは,これまでの私の思考をまとめたというもので,ジャンルは不明の異色の本ですが,弘文堂さんとその編集者の清水千香さんのご理解とご協力を得て上梓することができました。いちおう私は労働法研究者であり,タイトルに労働政策が入っているので,労働に関する本ではありますが,サブタイトルは「AI共生社会における生存と自由」であり,AI本という意味もあります。
 私のもとには,ときおり労働法に関する取材があったり,質問を寄せられたりするのですが,その多くが割と表面的なものであるので,私の考えを本当に理解してもらうためには,根本的なところから話さなければならないことがよくありました。たとえば,政府の裁量労働制の見直しについてどう考えますか,というのはよくある質問で,その答えはいろんなレベルで可能ですが,私が考えている労働時間規制,さらにはデジタル技術を用いた健康管理というようなところまで話さなければ,私の言いたいことは伝わりません。しかし,限られた時間で説明することは難しいのです。そのほかにも,労働者性,労働組合関係の問題など,さらには近年ではAIと労働に関するものなど,様々なテーマがあり,どこかで私の政策論をまとめておいて,それを読んでもらうほうがよいかなと思うこともありました。
 しかし,そう考えているうちに,そもそも労働政策はどうあるべきかをもっと体系的に論じたいという気持ちになってきました。それには「労働」とは何か,「政策」とは何かということについての分析が必要となり,さらにはデジタル技術やAIの発展が関係することになり,そこで,これまで執筆してきたものをまとめながら,さらに一歩踏み出す必要があるという認識に至ったのです。本書の「はしがき」に記した「思考の旅」は,そうして始まったのです(この「旅」というフレーズは,本書でもエネルギー関係の記載で参考にした古舘恒介氏の『エネルギーをめぐる旅』が気に入ったことから,使っています)。
 これは,見知らぬ大海に乗り出したようなもので,まだ浮遊中という感じであり,旅の途中経過のようなものを本にすることに意味があるのかと言われるかもしれません。もっと専門書としてブラッシュアップしてから刊行すべきという意見もあるでしょう。しかし,本書が扱ったすべての領域で専門家と対話して納得のいくものにすることは時間的にも能力的にも不可能ですし,私はその意味もあまりないと考えました。本書で試みたかったのはアイデアの提示であり,それが不十分という批判を受けるとしても,議論を喚起することができれば,そのこと自体に意味があると考えているからです。
 ただ,本書がAI共生時代の政策として提案しているものは,現在の労働法制とはまったく異なるものであるとはいえ,私なりの専門家知見に基づく提言のつもりです。労働法制の専門家でなければできないようなことを論じているからです。なお,第1章では,公共政策の議論もふまえ,専門家の重要性ということにも触れています。政策形成に携われるべき真の意味の専門家はどういう人なのか,とくに生成AIの時代にそれはどういう問題意識をもっている人であるべきかということも本書のなかでは論じています。
 第2章では,政策の基底とすべき概念や理念を検討しました。自由,生存,企業,営利,分業などについて,私の考えを整理したり,見直したりしたところです。自由と生存の関係は,第3章以下の労働を生物的営みと考えるときに,どうしても解決しなければならない論点となっています。
 第3章では,その「労働」というものを,根源的に考えてみたのですが,そこにはAIも労働をして私たちと分業しているという捉え方をして,そのうえでAIと人間の違いは何かを考えてみました。それは突き詰めれば生物かそうでないかということにあるのですが,エネルギーの使い方という点での共通点と相違点があり,その相違点のほうが実は8章の最後にも論じる環境問題につながっていきます。労働問題は,環境問題にもなるという点は,すでに書いた本でも示唆していたものですが,本書でも重要なテーマとして考えています。もっとも環境問題それ自体は私の専門領域でないのですが,今後の研究課題として取り込んでいければと思っています。なぜ労働法研究者が環境問題を論じる必要があるかという論拠を本書では提示したつもりです。
 第4章では,社会制度やそれを支える思想を,労働の成果物の分配という視点から整理しています。ここでは経済・政治思想・社会思想の歴史などに首を突っ込んでおり,いろいろとご批判もあるところでしょう。労働について人類がどのように向き合ってきたかを考えるうえでは,第3章の理系的なアプローチとは異なる,本章におけるような文系的アプローチは不可欠と考えて概観しました。
 第5章と第6章では,日本の労働政策・社会政策を論じるのですが,そこでは,労働政策を社会政策の中核に位置づけたうえで,そこでいう労働は従属労働を指すが,それは産業革命後の社会問題の解決のための枠組みにすぎず,第3章以下でみたより広いパースペクティブで労働をとらえると,もっと広い射程をもち,そしてAIとの分業という捉え方も可能となり,そうしたなかで,19世紀以降に展開した労働政策,そしてそれと連動して展開してきた日本における日本型雇用システムは時代に合わなくなり,新たな社会政策が必要となるというのが主張の骨子となります。ここで大切と考えているのが,AIと人間との分業をいかに効率的に展開して,人類の生存可能性を高めるかであり(これを私は人類が生存のために構築した「共同体の生存確保能力の維持・向上」という言葉で論じています),そのための政策をデジタル技術を使って実現し(「デジタル優先主義」と呼んでいます),同時にいかにしてAIのリスクを制御するか,というところに話を展開しています。
 ということで,本書それ自体は,ツッコミどころ満載でしょうが,数十年後の私たちの社会において本当に必要な政策は何かということを考えていくと,それなりに意味のある思考実験ができたのではないかと思いますが,いかがでしょうか。いずれにせよ,子や孫の世代から,あのとき,こんなことを考えていた人間がいたのかというように思ってもらえれば,それで満足すべきだと思っています(出版社は,それでは困るでしょうが)。
 かつて『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)を上梓したとき,こんな本を出してしまってよいのか恐ろしくなったことを覚えています。今に思えば,労働法を,労働条件の形成・変更の段階的構造論というように呼び,契約の自由(私的自治),民主的形成(労働条件の集合性に着目したもの),個別の適用段階での実質的妥当性(衡平性)という原理の交錯ととらえ,就業規則論や労働協約論を論じたものですが,こういう原理的な議論をすること自体,許されるのかという不安のなかでの出版でした。その後の労働関係図書優秀賞の受賞など想像もできませんでした。あの本は,その後の私の学説の出発点であり,自分の起点を作ったものでした。2018年のサバティカルに入ると,自分の学説をもう総点検し,まったく違った体系を作ることを試みました。その手始めが,企業が労働法の理念を実現するためには,権利論ではなく,企業に直接働きかける義務履行のシステム化にあるとする発想で,解釈論を展開した『人事労働法』(弘文堂)でした。そして,その間に進めていた未来志向の政策論は,『AI時代の働き方と法』(弘文堂),『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)を経て,今回の本にたどり着いたのです。自由よりも生存を重視するという本書の主張は,『労働条件変更法理の再構成』から180度近い転換のようにも思えますが,私にはあまり転向したという自覚がありません。むしろ労働者にとって大事なこと,人間にとって大事なことが,どうやったら実現できるか,ということを考えることには変わりはなく,その方法についていろいろ試行錯誤して本書にたどりついたことが,結果として転向のようにみえてしまうのかもしれない,というように考えています。
 さて,すでに本書を起点に多様な研究プロジェクトを,いろいろな方向で展開しつつあります。多くの研究者たちとともに研究を重ね,この地球を持続可能なものとして後世に残せるようにすることを微力ながら考えていければと思っています。

2026年5月17日 (日)

水島書評(御礼)

 私が共著者の一人(他の共著者は,坂井岳夫,土岐将仁,山本陽大の各氏)となった『フリーランス法制を考える―デジタル時代の働き方と法』(弘文堂)の書評が,日本労働研究雑誌790号に掲載されました。大阪大学の水島郁子先生が執筆してくださいました。どうもありがとうございました。丁寧に内容を紹介し,私たちの執筆意図を十分に汲み取ってくださったうえで,問題点も含め,きちんと批評をしていただきました。こういう書評をいただけると励みになりますし,自分たちの足りないところを補い,さらなる研究に進もうという意欲もわいてきます。
 私自身は,この本の企画からかなり年月が経ったこともあり,すでに次なるステップへ進もうとしています。それが6月に刊行される『労働政策の再創造』です。こちらは,今回の本のような学術色の強いものではなく,『AI時代の働き方と法』(弘文堂)と『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)の続編という位置づけになります。そのときどきの研究関心を,本という形でまとめることができるのは,出版社のサポートのおかげであり,ほんとうに感謝しています。
 ところで,先日のアジア国際法学会でのプレゼンでも述べたことですが,フリーランス法制は,今後ますますプラットフォームを軸としたものになっていくでしょう。しかし,ギグワーカーのような働き方だけを見ていては不十分です。AIなどのデジタル技術がふんだんに活用される社会を前提として,個人がどのように働くのか,そこではプラットフォームの役割もどのように変化していくのか,さらに,そのような中でどのような政策が必要となるのかを考えていく必要があります。水島書評では,「研究者だからこそできること」とご指摘いただきました。私は,これは最大級の褒め言葉だと思っています。研究者が自由な発想で議論をすると,「実現可能性のないことを言ってどうする」といった批判を受けることが少なくありません。しかし,実現可能性というものは,今の時代,従来よりもはるかに克服しやすくなっています。だからこそ,既存の枠組みにとらわれず,自由な発想でさまざまな思考実験をぶつけ合うことが重要なのではないかという信念をもって研究をしています。
 AIの登場によって,私の研究関心は,さらに別の世界へと広がりつつあります。現在は,さらにその次のプロジェクトに向けて準備を進めているところです。今回のフリーランスの本は,若い研究者との協働と,さらに弘文堂とその編集者の木村さんの理解と支援もあって,世に出すことができました。フリーランス法が制定されたこともあり,その解釈や運用に関心をもつ人は多いでしょう。しかし,一歩引いた立場から,フリーランス法がどのような意味をもつのか,これからの労働社会がどのように変わっていくのかを考えてみたい方には,ぜひ手に取ってほしいです。

2026年2月17日 (火)

『最新重要判例200労働法』

『最新重要判例200労働法』(弘文堂)の第9版が届きました。ありがとうございました。品切れになってからずいぶんと時間が経ってしまい,ご迷惑をおかけしました(電子版もありますが,やはり紙媒体のほうがよいという方は依然として多いようです)。収録判例数を200ちょうどにすると決めてからは,取捨選択がいっそう難しくなっています。せっかく新判例として収録しても,より重要な判例が現れ,次の版で削除せざるを得ないこともありました。もっとも,執筆者が一人で対応しているため,機動的に改訂できる点は利点でもあります。もちろん,一人で作業していることのデメリットもありますが,そこはこれまでと同様,読者のみなさんのご意見にも助けていただきながら,少しずつブラッシュアップしていければと思っています。
 法科大学院の授業では,『ケースブック労働法(第8版)』がやや古くなってきましたので,4月から始まる次年度からは,『最新重要判例200労働法』をベースに,各事件ごとの設問を私のほうで作成する形にしたいと考えています。まずは1年間試験的に実施し,そうした設問を利用したいというニーズがあれば,今後,それに応える形も検討していきたいと思います。
 いつまで続けられるかは分かりませんが,第9版まで来ることができたのは,ひとえに読者のみなさんのおかげです。厚く感謝申し上げます。

2026年1月20日 (火)

リスクマネジメントTodayに登場

 久しぶりに,新たな雑誌に寄稿することになりました。「リスクマネジメントToday」という雑誌です。その1月号に,「これからの労働時間規制のあり方を考える◎「弱い労働者」保護からの転換」というタイトルのエッセイ的なものを書いています。私のいつもの主張を書いているのですが,サブタイトル「「弱い労働者」保護からの転換」は編集者がつけたものですが,原稿のなかで印象的な部分であったのでしょうね。世間が労働時間規制に関心をもつようになっているので,それなら私も,これまで立法政策論については,かなりいろいろ書いてきたつもりなので(しかも,自分のなかでも,DXを取り入れるなど,変化・進化(?)をしています),引き続き論陣を張っていきたいです。私は,自分の研究テーマとして労働時間のことを挙げたことはないのですが,振り返ると,一般の方向けには,最もこのテーマで書いてきたように思います。今回のような,様々なタイプの雑誌に書くことで,少しずつ自分の見解を理解する人が広がればよいなと思います(と書いておきながら,別に理解されなくてもいいか,と思っている自分もありますが)。
 このほか,珍しい仕事として,看護管理学習テキストというものの第3巻『人材管理論(2026年版)』のなかで,労働法の簡単な紹介を書いています。すでに前のバージョンの原稿があり,執筆者交代ということです。私の自説を書くようなものでもないので,看護関係の人のニーズを考えて書かれたであろう前任者の流れを基本的に尊重しながら書いたものになっています。ということなので,私でなくてもできる仕事でもあったのですが,引き受けることになりました。厚生労働省の看護関係の会議に以前に有識者として参加したことがあったので,その付き合いからです。
 

2025年11月 7日 (金)

労働時間制度改革

 労働時間をめぐる改革論が注目を集めています。この問題について,ようやく経済界もほんとうの問題に気づいたのか,という気がしないわけではありませんが,ぜひ何が真の政策課題であるかを理解するために,10年前に私が中央経済社から刊行していた『労働時間制度改革―ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』をぜひ手にとって読んでもらいたいです。ここに同書の「はしがき」の部分だけ掲載しておきます(10年前のものなので情報が古くなっているものもありますが,そのまま掲載しています。ちなみに編集担当の木村さんは,現在は弘文堂に移籍して,先般も『フリーランス法制を考える―デジタル時代の働き方と法』の担当をしてくださいました)。

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  労働時間といえば,これまで長時間労働による過労の問題が論じられることが多かった。ここに,近年,ホワイトカラー・エグゼンプションという新たな議論が加わってきた。ただでさえ長時間労働問題があるなか,ホワイトカラー・エグゼンプションという割増賃金を廃止する制度を導入するのは,長時間労働をいっそう誘発する論外の試みとして,厳しく批判する声も強い。他方で,ホワイトカラー・エグゼンプションを,「時間ではなく成果で賃金を支払う制度」と定義して,「ホワイトカラー・エグゼンプション=成果型賃金」というイメージをまとわせて,この制度の導入を主張する声もある。

  私は,ホワイトカラー・エグゼンプションをめぐる,このどちらの主張にも物足りなさを感じている。その原因は,ホワイトカラー・エグゼンプションが,労働基準法の改正論,つまり法律問題であるということへの意識が希薄なまま,議論がなされているところにある。きちんと労働時間制度を論じるためには,労働基準法の第4章「労働時間,休憩,休日及び年次有給休暇」の条文(32条から41条)やそれに関する判例を知ったうえで行わなければならない。労働時間は,一見,誰にでも語れそうで,「参入障壁」が低いようであるが,法律の専門家にも理解が難しい部分のある「落とし穴の多い」分野である。

 本書の目的は,まず,労働時間制度を論じるために,必ず知っておかなければならない法律の基本的な知識をわかりやすく解説し,そのうえで,現在の法律の内容に,どのような問題があるかを読者とともに考えるための情報を提供することにある。これに加えて,一般の人には,あまり知られていない外国の労働時間制度を,参考までに紹介している。そして最後に,労働時間制度改革をめぐる現在の議論を整理したうえで,私の改革案を提示している。

 

 ところで,本書を執筆するにあたり,まず考えたことは,長時間労働を批判する人たちの偽善である。上から労働時間短縮を唱える人たちの多くが,実は長時間労働をしている。日本の社会では,「寸暇を惜しんで働く」ことは,美徳であった。それだけなく,社会に大きな価値をもつ創造的な成果は,「寸暇を惜しんで働く」なかから誕生したものである。私たちは,そうしたすぐれた成果を生み出した人を賞賛してきた。そのことは,それを生み出した働き方も,同時に承認してきたことを意味する。

 もちろん,法律家の立場からは,長時間労働が法律に違反して行われているかぎり,それを悪とせざるをえない。不払(サービス)残業を,いろいろ理屈をこねて正当化する経営者を許すことはできない。

 ただ,法律家がこだわるべきは,既存の法律のコンプライアンス(遵守)だけではない。既存の法律を変えるための,具体的な法改正を提案する作業(立法論)も,法律家の大事な役割である。労働時間をめぐる立法論では,創造的な成果が,長時間労働から生み出されてきたという事実を直視する必要がある。つまり,長時間労働には良いものと悪いものとがあるのである。良いものは残し,悪いものは是正する,というのは当然であろう。この峻別の理論が,ホワイトカラー・エグゼンプションなのである。

 

 労働法は,すでに大きな変動期に入っている。それは,雇用社会の大きな変動の流れと軌を一にしている。日本の雇用社会の未来を見据えて,必要とされる制度改革論を積極的に提示することが,私のライフワークである。その第1弾が2013年に発表した『解雇改革―日本型雇用の未来を考える』(中央経済社)であり,本書が第2弾である。その意味で,本書は,労働時間をテーマにしたものではあるが,私の目線は,もっと先のところにある。

 2014年12月の衆議院総選挙で大勝して誕生した第3次安倍政権は,これまでの雇用改革,とりわけ労働時間制度改革の歩みを加速化させるだろう。政府内での改革作業では,労使の対立する利害を調整するために妥協的な改革内容となる可能性が高いが,半端な改革なら,やらないほうがよいこともある。改革にほんとうに必要なのは,その理論的な「筋」であり,本書では,その改革のための筋を示したつもりである。日本の経済が今後も競争力をもち,労働者にも企業にも望ましい雇用社会を生み出すために必要な改革とは何か,という高い視点で作業が進められることを望んでやまない。本書がそのために何らかの貢献をすることができれば,望外の喜びとなろう。

 

 本書の執筆においては,労働時間に関する多くの法学の先行業績に負っている(巻末の参考文献も参照)。また,神戸労働法研究会では,つねに若手の研究者から多くの刺激を受けており,本書の執筆にも大いに役立っている。とりわけホワイトカラー・エグゼンプションをはじめとする労働時間をめぐっては,神戸学院大学法学部の梶川敦子准教授の業績から多くの教えを受けたことを,ここに特記しておきたい。

 最後に,本書でも,前書『解雇改革』と同様,編集を担当してくださった木村寿香さんに,たいへんお世話にあった。途中で筆足が鈍った私を粘り強く励まして,また適切なアドバイスをくださった木村さんには感謝の言葉もない。

                                                                2015年1月 大内伸哉

2025年7月19日 (土)

新刊

 弘文堂から,坂井岳夫さん,土岐将仁さん,山本陽大さんと執筆した『フリーランス法制を考える-デジタル時代の働き方と法』が届きました。「難産」でしたが,とにかく刊行にいたってよかったです。私が担当したところはともかく,他の3人の書いたところは,どれも重要なものですので,多くの人に読んでもらえればと思います。
 本書の全体像は序章で書いていますので,まずはそこをみてもらえればと思います。本書では,ギグワーカーのようなタイプのフリーランスに焦点をあてたものではありません。むしろプラットフォーム労働といっても,いまはギグワーカーはいますが,それよりも自立的なプラットフォームも念頭におきながら,そうした者もプラットフォームを活用しながら働くことになるということを想定し,来たるべき法制を考えています。なかでも社会保障は重要な分野となりますが,既存の法制の延長では不十分であり,新たな発想でセーフティネットの再編をすべきとする理論志向が示されています。また政府の規制だけでは限界があり,民間との共同規制の必要性も指摘しています。
 本書では,具体的にどのような法律を制定すべきかというところまでは踏み込んでいません。ただ,今後,どのような方向で議論をすべきであるかという問題提起はできていると思います。研究者としての立場からは,序章でも書いたように,既存の法制度を前提とした漸進的な改革ではなく,様々な思考実験をして理論的な模索を続けることが重要だということであり,そうしたメッセージが読者の皆さんに伝わればと思っています。

2025年6月24日 (火)

ジュリスト最新号に登場

 ジュリスト最新号に登場します(私はまだ受け取っていませんが,もう刊行されているかもしれません)。依頼されたテーマは,「労使コミュニケーション」でした。労働基準関係法制研究会の報告書では,過半数代表のことが扱われていて,その大半は過半数代表者のことに紙幅が割かれていたので,そこに焦点をあてて論じました。といっても,実務雑誌のジュリストですので,本来は報告書の提言内容について細かく評価をしたものを書くべきであったのですが,私の論考は,そもそも方向性自体が間違っているということを書いてしまいました。過半数代表者制に問題があるのは明らかですが,だからといって,そこまでテコ入れする必要があるのか,そもそも労働者代表制はどうあるべきかというところから論じました。あまり知られていないのでしょうが,私は,こうした問題について,20年近く前に上梓した『労働者代表法制に関する研究』(有斐閣)において,かなりディープに議論しています。過半数代表者の正統性なんてことを正面から論じていたのは,私くらいではないかと思います。ということで,このテーマについては,私の意見を書いてよいであろうと考え,空気を読めていないものを書きました。でも,原理論だけでなく,現実論としても,過半数代表者の機能強化ということは難しいと思います。労働者は,その代表者を通さなければ,その利益が守られないということについては,疑ってみてよいと思います。ICTが発達した今日,デジタル時代に対応した労働者利益の反映方法というものを,根本から考えてみたらどうでしょうか。そうすると直接民主制的な発想が浮かんでくるでしょう。ルソーの一般意志論は,もっと勉強してよいように思っています。

 

 

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