法律

2024年9月 9日 (月)

公益通報者保護法の精神

 全国ニュースでも報じられているように,兵庫県の斎藤元彦知事に関する問題が大きく取り上げられています。前回の選挙で知事を支援した日本維新の会も,辞職勧告を行う方針のようであり,政治的には知事はかなり危機的な状況にあると思われます。しかし,不信任決議までは至っていないため,県議会が本気で知事を追い詰める意図があるのか,単に抗議のポーズを取っているだけなのかは明確ではありません。いずれにせよ,来年には知事選が控えているため,県民の関心は次の知事が誰になるかという点に移っていることでしょう。斉藤知事も候補に挙がるでしょうが,現在の県民の大多数は新たな知事の誕生を求めているのではないかと思います。名前が挙がっている人物としては,前明石市長の泉房穂氏,加古川市長の岡田康裕氏,芦屋市長の高島崚輔氏,西宮市長の石井登志郎氏などがいます。さらに,神戸市長の久元喜造氏や,前回の選挙に出馬した元副知事の金沢和夫氏も候補になるかもしれませんが,斎藤知事誕生の背景には井戸県政への批判があったため,井戸氏に近かった久元氏や金沢氏はやや厳しいかもしれません(本人たちも,その気はないでしょう)。
 斎藤知事に関する問題では,最近,公益通報に焦点が当たっているようです。実はちょうど1カ月前,某国営放送の取材で公益通報者保護法についてテレビカメラの前でインタビューを受けましたが,まだ放映はされていません。もしかしたらお蔵入りになるかもしれませんので,その際に私が話した内容を少しだけ共有したいと思います(以前に,このテーマでは,公務員の公益通報という観点から,少し書いたことがあります)。
 
公益通報者保護法は,世間ではあまり理解されていない法律の一つです。マスコミもこの法律について十分な知識がないまま報道しているように見えますし,県の関係者や百条委員会で追求している議員たちも当初はあまり理解していなかったように思えます。この法律は内閣府(消費者庁)の所管ですが,消費者行政に限定されないコンプライアンス全般に関わるものであり,かつその内容は,労働者保護が中心となっています。そのため,どの分野の研究者が,この法律の専門家であるのかわかりにくく,マスコミも誰に話を聞けばよいのか,よくわかっていなかったようです。
 
公益通報者保護法は,労働者等が公益通報をしたことによる報復的な不利益扱いを禁止する法律です。もちろん解雇や懲戒などの人事上の不利益があれば,通常の労働法の法理が適用されるので,それによって通報者は保護されます。公益通報者保護法の存在意義は,通報者に対して,どのように通報すれば確実に保護される(されやすい)かを明確に示す点にあります。企業内の就業規則(秘密保持義務など)に違反するリスクがあっても,保護の要件が明確になっていることで,通報者が安心して通報できるよう背中を押す効果が期待されているのです。
 
この法律の最も重要な点は,通報先に応じて保護要件が異なるということです。組織内への通報(内部通報)は要件が緩く,組織外への通報(外部通報)は厳格になります。これにより,労働者が内部通報を選ぶよう誘導されているのですが,組織が適切に対応しない場合には,外部通報も保護される仕組みになっています。このように,組織がその違法行為に対して自浄作用を発揮し,自分たちでコンプライアンスを実現できる態勢を整備するよう促すのが,公益通報者保護法の最も重要な目的なのです。
 そのことを踏まえると,通報を受けた組織は,まず通報内容を精査し,コンプライアンス向上に生かすべきです。外部通報した通報者を処分するかどうかは,公益通報が法の保護要件に該当せず,一般の解雇法理や懲戒法理などの要件にも合致しないことを確認して,最後に考慮すべき事項です。少なくとも図利加害目的がなく,組織の改善につながるような通報であれば,公益通報者保護法の要件に充足するかどうかに関係なく,一定の保護はされるべきでしょう(懲戒処分をするにしても,軽い処分にとどめるなど)。
 今回の事件については,インタビュー時点では事実確認が不十分であり,私自身の発言はあくまで一般論として断って語っていますが,県の対応に疑問の余地はありうるということは語っています。少なくとも真実相当性(外部通報の場合の保護の要件の一つ)は,組織側のことではなく,通報者側のことであり,うわさ話を集めたというのは,発言の所在をぼかすために述べたものにすぎず,それだけで通報者に真実相当性がなかったと即断するのは不適切です。
 そもそも,公益通報者保護法については,通報者が保護要件に満たされる通報をしたかどうかが問題なのでありませんし,保護要件を満たさない通報者を処分するための法律でもありません。条文だけみるとそうみえなくもないのですが,法の趣旨はそういうことではなく,通報を受けた組織がコンプライアンスのために対応をすることにこそ主眼がある法律なのです(直近の法改正で,公益通報対応業務従事者の設置を義務づけているのも,このような趣旨です)。インタビューでは,このような公益通報者保護法の「精神」を強調しました。

2023年10月 6日 (金)

フリーランス新法の立法趣旨

 ジュリストの最新号(1589号)の特集で「フリーランス法の検討」があり,その最初に4人連名での法律の概要に関する解説文が掲載されていました(「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の概要」)。執筆分担ははっきりしていないのですが,内容は内閣官房,公正取引委員会,中小企業庁,厚生労働省ですりあわせた公式発表のようなものなのでしょう。
 そのなかの冒頭で,本法は,「フリーランスが個人で事業を行うという性質上,『組織』として事業を行う発注事業者との間の業務委託においては交渉力などに格差が生じやすいことに鑑み,フリーランスに業務委託を行う事業者に対して,最低限の規律を設けることにより,フリーランスに係る取引の適正化等を図ることを目的に制定された法律である」と書かれています(46頁)。ここでいう「個人」と「組織」の対置は,大臣答弁でもあらわれており,これがいわば契約の自由を修正して,フリーランスの取引に介入する根拠となっているようです。しかし,これは同法の目的規定にはなく,どうもあとから作った説明ではないかという疑問があります。1条の目的規定からは,「個人」の保護という要請はうかがえても,委託者側は「組織」だから義務を課してよいという説明が出てくる根拠は見いだせません。新法の制定で,最も要望が大きかった取引条件などの明示義務を定める3条は,「個人」対「個人」の取引を含むものであり,いきなり「個人」対「組織」の構図から外れてしまっています。この法律は「個人」対「組織」との間の交渉力格差に着目して制定されたものと考えるのは困難です。
 また特定受託事業者(フリーランス)として認められるためには,「従業員を使用しないもの」であることが必須の要件となっています(2条1項)。ところが,「本法における『従業員を使用』とは,『組織』としての実態があるかどうかを判断する基準となるものであるところ,組織としての実態があるものと認められるためには,ある程度継続的な雇用関係が前提となると考えられる。このため,労働者を雇用した場合であっても,短時間・短期間のような一時的な雇用であるなど,『組織』としての実態があると言えない場合には,そのような労働者は『従業員』に含まれず,本法の『従業員を使用』したものとは認められない」と解説されています。政府の説明では,どうも「従業員」として想定されているのは,雇用保険の加入資格がある人のようなのですが,人を継続的に使用していれば「組織」としての実態をもつことになり,そして個人のフリーランスとの関係で支配的な地位に立つということだとすると,相当無理な論理です。従業員という一般用語に近い概念を持ち出して,十分な根拠なく限定解釈することは,恣意的な感じもします。
 ビジネスガイドの次号の「キーワードからみた労働法」では,「フリーランス新法」というテーマをとりあげて,同法の内容を紹介しています。上記の「個人」と「組織」という構図に対する疑問は,そこでも書いていますので,参考にしてください。
 このほかにも,紙数の関係で「キーワードからみた労働法」では書けていませんが,フリーランス新法には,理論的にも,実務的にも,大きな問題点があります。そういう問題点を,すっ飛ばしたからこそ,制定にこぎつけることができともいえるのですが,研究者としては看過することができないものがあります。このことは,別の機会にしっかりと書きたいと思っています。

2023年10月 2日 (月)

興津征雄『行政法Ⅰ 行政法総論』

 本日,大学に行くと,同僚の興津征雄さんからいただいた『行政法Ⅰ 行政法総論』(新世社)がメールボックスに入っていました。どうもありがとうございました。先日紹介した経済産業省(トランスジェンダー)事件の最高裁判決についての行政法上の問題を確認しようと思い,さっそく本書を参照することにしました。
 実は研究会では,あの最高裁判決は判断過程審査論をとっているが,考慮すべき事実の重み付けが明確ではないという意見がありました。この判決のような実体審査をしている場合には,判断過程審査というのはおかしいような気もしたのですが,それは私の勉強不足でした。ただ,興津さんの本で,「『過程』という言葉が手続を連想させることからこれを避けて『判断要素』の審査と呼ぶ者もいる」(433頁)と書かれているのをみて,少し安心しました。
 ところで,この判決は,最初に,「国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては,広範にわたる職員の勤務条件について,一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から,人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり(同法71条,87条),その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。したがって,上記判定は,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に違法となると解するのが相当である」と述べています。人事院の裁量が認められる根拠に「専門的な判断が求められる」という点があるということでしょうが,これは興津さんが紹介している「専門技術的」な裁量と「非専門技術的」な裁量という区分でいえば,事案としては後者にあてはまるべきもののように思えますが,なぜ最高裁が「専門的」という言葉にあえて言及したのかは,わかりにくいところがありました。いずれにせよ,最高裁は,裁量があると述べてはいるものの,87条の条文が示す基準があるなかでは,その「専門的な」裁量にはおのずから限界があるのかもしれません。
 本件で,裁量権の逸脱ないし濫用があったとされたのは,興津さんの本における,「裁量審査の観点」というところで書かれている内容が,ぴったりしていると思いました。
 「ごく一般的にいえば,裁量判断において処分の相当性を根拠づける事情として考慮された要素のうち,その根幹にあたる中心的な要素に他事考慮や過大評価があれば,その判断に基づいて行われた処分は違法となりやすいだろう.また,処分の相当性を阻害する事情(処分によって失われる利益など)の中に重要な要素があるにもかかわらず,それについて考慮遺脱や過小評価がある場合も同様である」(440頁)。
 つまり,考慮要素の重み付けがポイントとなるのです。本判決は,トランスジェンダーの職員のもつ不利益をきわめて大きく考慮しています。それは,憲法的価値とまでは言わないまでも,それに近いものが制限を受けた事案であるとする理解が根底にあったと思われます。一方で,本判決は行政裁量に関する判決によく出てくる「社会通念」という言葉が出てきませんが,これはトランスジェンダーをめぐる社会通念が確立していないことも関係しているのでしょうね。
 最近,公務員の懲戒処分に関する判例が注目を集めているように思います。もともと懲戒事件については数多くの行政判例があるものの,労働法との接点は明確ではありませんでした。ただ裁量をめぐる議論が,私が昔教わった行政法とはちがって,かなり精密化していることがわかったので,もう少し興津さんに教わって,勉強したい気持ちになりました。労働法の議論にも参考にできるところがあるかもしれません。

 

2023年8月13日 (日)

法学の課題

 前に書いた大学改革の話の続きですが,文理融合などを考えていくだけでなく,法学のなかにおいても,いろいろ検討すべきことがありそうです。
 AIの進化により,たんなる法律に関する情報の提供はもちろん,法解釈などの技術的な側面もAIを活用することになるでしょう。法律を一定の政策目的のためにどう使うかという法道具主義的なアプローチにおいても,AIが大いに活用されることになるでしょう。そうなると,法学研究は,より原理的な問題に傾斜し,実用性からやや遠くなっていくかもしれません。現時点ではまだAI社会に対応した新たなルールというような観点から,実用面に傾斜した研究が多いように思います(社会からのニーズも,こういうものが強い)が,徐々に基礎法的な議論が中心になっていくでしょう。
 一方,DX時代の一つの特徴は,学問の境界線をまたがるような論点が次々と出てくることです。法学内部でも同じであり,研究機関としての大学の法学部は,もはや民法,刑法などの○○法の専門というような分け方をすることは適さず,分野横断的に総合的な関心をもっている研究者が必要となると思います。民法はわかるが,労働法はよくわからないというようなことでは,おそらくこれからはダメなのでしょうね(Vice versa)。
 現在では,基本科目とされている民法,行政法などにおける一般性のありそうな議論も,実は現場に近い応用系の科目では,すでに独自の発展を遂げていることがあります。例えばデュアル・エンフォースメントやトリプル・エンフォースメントという議論(刑事的手法,行政的手法,民事的手法の二つまたは三つの活用)については,実は労働基準法はトリプル・エンフォースメントの代表例です。ダブルトラック(行政手続と民事手続)をめぐる議論についても,不当労働行為救済制度では,ずっと議論されてきているものです。もちろん労働法の議論が,具体的にどのように貢献できるかはわかりませんが,すでに多年にわたる実務経験の蓄積があり,そこでいろんな問題もかなり論じられているので,それをみないで議論をするのは非効率でしょう。
 労働法は特殊な分野であるので,あまり参考にならないという思い込みと,よくわからない分野なので首を突っ込むことができないという消極姿勢があり,他方で,労働法側にも遠慮があったり,どうせ周辺科目であるという屈折した感情もあったりして,分野をまたがった交流があまりなされてきませんでした。しかし,労働法は特殊とはいえ,世の中の多数の人がその適用を受けているのであり,この分野の理論を摂取していかなければ,適切な法理論の構築は難しいでしょう。
 いまフリーランス政策が話題になっていますが,これが,労働法と経済法のどちらの土俵でやるのかが議論の対象となっています。学問的に整理されていないため,フリーランス新法は両者をそのままくっつけてしまったもの(理論的には未熟なもの)になっています。既存の分野をまたがる知見を結集し,それを統合して,新たな理論を構築する必要が出てきていると思います。

2023年7月13日 (木)

官報のデジタル化

 3日前の日本経済新聞で,「政府は法令や企業情報などを載せている刊行物の官報について,紙の出版からインターネット上での公表を原則にする」という記事が出ていました。
 新しい法律についてはだいたいフォローできますが,それよりも下位のものは,私の情報収集力の弱さによるのでしょうが,なかなか適時にはフォローできません。実務をやっているわけではないのでそれほど急ぐ必要はないにしても,ある程度の速度で情報収集しておく必要があります。
 そういえば先日,職業安定法の指針の名称が長いというクレームをこのブログで書きましたが,令和4610日の厚生労働省告示198号で,名称が短くなっていたことに気づきました。改正前の名称について間違った情報を流して,たいへん申し訳ありませんでした。とはいえ,名称が依然として長いことに間違いはないのですが。

 改正前の名称
「職業紹介事業者,求人者,労働者の募集を行う者,募集受託者,募集情報等提供事業を行う者,労働者供給事業者,労働者供給を受けようとする者等が均等待遇,労働条件等の明示,求職者等の個人情報の取扱い,職業紹介事業者の責務,募集内容の的確な表示,労働者の募集を行う者等の責務,労働者供給事業者の責務等に関して適切に対処するための指針」

 改正後の名称
「職業紹介事業者,求人者,労働者の募集を行う者,募集受託者,募集情報等提供事業を行う者,労働者供給事業者,労働者供給を受けようとする者等がその責務等に関して適切に対処するための指針」

 句読点を入れて161文字から89文字への減少なので,文字数は半数近くになりましたが,なお長すぎるので,前のクレームは維持しておきたいと思います。
 話を戻すと,ChatGPT時代には,情報収集を自ら検索して追跡するというGoogle型ではなく,簡単な問いかけで入手できるようにするパターンに変わっていくのではないかと思います。いまでも,法令提供情報をしてくれる業者と契約をすれば,そういうことは可能でしょうが,できれば,政府のサービスとして,アプリで事前に設定して,関心のある分野の法令の改正情報がすぐに届くようにしてもらえたら助かります。
 インターネット官報は,助かる面もありましたが,紙の官報のPDFにすぎないようなので,ほんとうのデジタル化とは言えませんでした。公布という概念を,デジタル時代にあわせて根本的に変えていくことが必要でしょう。もはや紙の官報という時代ではないのは明らかです。

2023年7月 4日 (火)

那須雪崩事故事件に思う

 少し前にも取り上げた公務員の個人責任についての論点ですが,628日に,那須雪崩事故について,栃木県に国家賠償法による賠償を命じる判決が出ましたが,引率した教諭ら個人には,賠償責任は認められませんでした(判決文はみていませんので,各種新聞の報道の情報をみているだけです)。同法11項の「公権力の行使」という要件が充足されると,この結論に至ることは予想されたところです。
 条文上は,公務員個人の免責は明文の規定があるわけではなく,国家賠償法上は,故意または重過失がある場合の求償が定められているだけです(12項)。しかし,最高裁は,1955419日の判決で,国家賠償が認められる場合に,公務員個人は責任を負わないとする立場を示し,それが確立した判例となっています。この判例が変わることが難しそうなのは,被害者側は,国などから賠償を得られるのでそれで十分であり,公務員個人に請求するのは,被害者の復讐心を満足させる以外の意味はないと考えられているからでしょう。
 ただ,不法行為については,被害者側にできるのは損害賠償請求だけであるので,金銭の支払いを求めるという形をとりますが,本当は謝罪を求めたいという気持ちがメインで,金銭は二の次であることが多いとも言われています。国家賠償法の場合には,それが満たされないことになります。
 しかも故意・重過失の場合の求償についても,実際にはそれが行われないことが多いようです。そのため,地方公共団体では,公務員個人に求償をするよう求める住民訴訟も提起されていて,それに関する判例もあります(最3小判2020714日など)。故意・重過失があるような公務員は,懲戒免職などの処分を受けていることがあり,本人にはそれで十分に制裁がなされているので,国や地方公共団体側は,さらに求償までするのはどうかという配慮があるかもしれませんが。
 ところで個人責任否定論というと,労働法学では,違法争議行為の場合の議論が有名です。かつてはプロレイバーの立場から,ドイツの議論を参考にして,組合員の個人責任否定論(労働組合のみが責任を負う)が有力に唱えられていました。裁判例上は,個人責任否定論は支持されていませんが,それは組合員個人の不法行為や債務不履行が免責されることの説明がつかないからでしょう(労働組合法8条からも正当性のない損害賠償の免責は解釈上困難です)。組合員の責任を認めたうえで,どの程度の賠償を認めるか,あるいは労働組合の責任との関係を整理するかなどの解釈論も可能であり,実際に個人責任肯定説の学説もその点で多様な見解を展開してきました。個人責任を端から認めないというのは解釈論としては難しく,現在ではほとんど支持する学説はないのではないでしょうか。
 これとは問題の前提は異なるものの,国家賠償法において,明文の規定がないにもかかわらず,公務員の個人責任を否定する解釈が定着し,民法から離れた独特の法理が展開している点は注目されます。労働組合における組合員の責任も否定されていないなか,違法行為の抑止という機能がより強く求められる公務員において,(実際にはあまり活用されていない)故意・重過失の場合の求償規定や懲戒処分があるからということが,個人責任を否定する説得的な論拠にどこまでなるか,個人責任を肯定したうえで,その責任を制限するような解釈論を展開するという労働法的なアプローチの余地はないかなど,いろいろ理論的な興味があるところです(最近の法学セミナー822号で,この問題を扱っている,津田智成「国家賠償法11項に基づく責任の根拠と公務員の個人責任の位置づけ」という論文が掲載されていますが,対外的な個人責任の否定を前提として論じられています)。

2023年7月 2日 (日)

続・電動キックボードこわい

 先日は,自転車に関する道路交通法の規定を確認しましたが,71日に施行された電動キックボードに関する規定も確認してみました。
 電動キックボードは,道路交通法では,特定小型原動機付自転車と呼ばれます。その定義は,「車体の大きさ及び構造が自転車道における他の車両の通行を妨げるおそれのないものであり,かつ,その運転に関し高い技能を要しないものである車として内閣府令で定める基準に該当するもの」とされています(2110号ロ)。そして,特定小型原動機付自転車の歩道走行については,17条の2が新設され,特定小型原動機付自転車のうち,①歩道等を通行する間,当該特定小型原動機付自転車が歩道等を通行することができるものであることを内閣府令で定める方法により表示していること(1項1号),②①の規定による表示をしている場合においては,車体の構造上,歩道等における歩行者の通行を妨げるおそれのない速度として内閣府令で定める速度を超える速度を出すことができないものであること(1項2号),③①および②に規定するもののほか,車体の構造が歩道等における歩行者の通行を妨げるおそれのないものとして内閣府令で定める基準に該当すること(1項3号),を充足するもので,他の車両を牽引していないもの(遠隔操作により通行させることができるものを除く)は「特例特定小型原動機付自転車」とされ,道路標識等により特例特定小型原動機付自転車が歩道を通行することができることとされているときは,当該歩道を通行することができる,とされています(1項柱書)。この場合,特例特定小型原動機付自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分(普通自転車通行指定部分があるときは、当該普通自転車通行指定部分)を徐行しなければならず,また,特例特定小型原動機付自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは,一時停止しなければなりません(2項)。2項に違反した場合には,罰則として,2万円以下の罰金または科料に課されます(12118号)。
 なお,上記の①から③に出てくる内閣府令(道路交通法施行規則)は,その5条の62で,次のように定めています。
 1項 「法第17条の21項第1号の内閣府令で定める方法は,道路運送車両の保安基準第66条の172項及び第3項の基準に適合する最高速度表示灯を点滅させることにより表示する方法とする。」
 2項 「法第17条の21項第2号の内閣府令で定める速度は,6キロメートル毎時とする。」
 3項 「法第17条の21項第3号の内閣府令で定める基準は,次の各号に掲げるとおりとする。
   側車を付していないこと。
  二 制動装置が走行中容易に操作できる位置にあること。
  三 歩行者に危害を及ぼすおそれがある鋭利な突出部がないこと。」
 時速6キロ以下であれば歩道走行ができるというのは,上記の2項が根拠となるわけですね。いずれにせよ,どうして,こういう法改正がされてしまったのでしょうか。私は新しい技術には前向きな立場ですが,同時に安全確保も講じなければならないと考えています。自動車はもちろんですが,自転車にも,日頃,危険な目にあわされています。自動車なら,デジタル技術を用いて事故回避をもっとできるはずです。自転車もスピードがもっとでないような設計にするか,せめて車道走行を厳格に義務づけること(道路交通法をきちんと遵守させること)ができれば事故を回避できるでしょう。しかし,そういうことが十分にできていないなかで,さらに電動キックボードまで認めるとなると,国民の歩道での歩行の安全・安心はどうなるでしょうか。上記の道路交通法をきちんと守られることなどとても期待できないのは,自転車の例からも明らかでしょう。事故が起きないこと(とくに歩行者との衝突事故)を,心より願っています。

2023年6月30日 (金)

電動キックボードこわい

 電動キックボードの規制緩和で,その扱いは原付と同じではなくなり,免許不要,ヘルメット不要,歩道走行可となります。歩道走行は時速6キロ以下が条件で,歩行者並みということですが,歩行者は4キロくらいであり,6キロはやや速いです。自転車の歩道走行がよいのなら,6キロ以下の電動キックボードはOKだろうということかもしれませんが,そこは根本的に間違っている感じがします。現在の自転車の歩道走行は危険なことが多く,むしろこれを規制することこそ必要だと思っています。あえて数値化すれば,現在の自転車の歩道走行が,危険度10であるのに対し,電動キックボードが危険度5だから認めてよいだろうというのは誤りで,これによって,危険度0の歩行者が電動キックボードに乗り換えると歩道走行の危険度が15となるというイメージです(単純な足し算ではおかしいのですが,あえてわかりやすい例としています)。自転車を歩道から追い出して,それより危険性の低い(安全性の高い)電動キックボードを認めるというのならOKですが。
 そもそも自転車について,この春から導入されたヘルメットの努力義務は,ほとんど守られていないようにみえます。相変わらずママチャリに乗ったママが,ノーヘルメットで猛スピードで歩行者のことなどまったく気にせず歩道を疾走する姿を何度も目にします。自転車は原則車道であり,歩道で行く場合も徐行が原則です。老若男女を問わず自転車を気軽に歩道で使いすぎです。ぶつかると自分も相手も大けがのおそれがあります。そういう意識をもっているので,電動キックボードなど私にとっては論外です(なお,私は自動車免許をもたないだけでなく,原付免許も10代のときにとっただけで1度も更新しませんでしたし,自転車はもう何年も乗っていませんし,電動キックボードも乗ったことがありません)。
 関連する法律を確認してみました。
 自転車は,道路交通法上「軽車両」とされ(211号イ),「車両」の一種であり(28号),車両は原則として車道を通行しなければなりません(171項)。これに違反すれば,3月以下の懲役または5万円以下の罰金です(119条16号)。例外的に歩道を通行できるのは,①道路標識等により普通自転車が当該歩道を通行することができることとされているとき,②当該普通自転車の運転者が,児童,幼児その他の普通自転車により車道を通行することが危険であると認められるものとして政令で定める者であるとき,③前2号に掲げるもののほか,車道または交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき,です(63条の41項)。②において「政令で定める者」とは,道路交通法施行令26条によると,児童および幼児,70歳以上の者,普通自転車により安全に車道を通行することに支障を生ずる程度の身体の障害として内閣府令で定めるものを有する者とされています。なお,道路交通法では,児童は6歳以上13歳未満,幼児は6歳未満と定義されています(143項)。13歳未満,70歳以上であれば,自転車の歩道走行はOKということです。
 歩道を例外的に通行できる場合でも,その歩道の中央から車道寄りの部分を徐行しなければなりませんし,自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは,一時停止しなければなりません(63条の42項)。これに違反すれば,2万円以下の罰金または科料となります(12118号)。
 一般成人が自転車で歩道を通行することはきわめて例外的しか認められず,ましてや歩行者を危険にさらして通行することなどできないはずなのです。守られない状況がこれ以上続くなら,AIによる監視を活用した摘発もOKにしてもらいたい気分です。
  電動キックボードに関する新しい規定は,また改めて確認します。

2023年6月17日 (土)

「フリーランス&副業で働く!実践ガイド」

 ChatGPT関係の原稿を立て続けに書いており,ずっと締め切りに追われていましたが,ようやくすべて脱稿しました。このテーマに対して世間の関心が高まっていることを感じます。ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」も次号は「生成AI」がテーマです(最新号は,国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」の令和5年推計版が出たことと関連させて,「高年齢者雇用政策」をテーマにしています)。
 ところで,日経ムックから刊行されるプロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会「フリーランス&副業で働く!実践ガイド」には,私の受けたインタビュー記事が出ています。フリーランス新法が制定されて,フリーランスへの注目がますます高まるなか,フリーランスの人たちの働き方がこれからどうなるのかについて,関心をもっている人も少なくないでしょう。本書には実践的な情報が,いろんな角度から盛り込まれており,目次をみるだけでもわくわくします。フリーランスで働いている人にとっても,またフリーランスに何らかの関心をもっている人にとっても,ぜひ手に取って読んでもらいたいです。
 本書に掲載されている私のコメントは,実務的なものではなく,法律家の立場からのものです。フリーランス政策は今回の新法で終わりではなく,まだ解決されるべき課題があると述べています。新法は関連規則がまだ制定されていないので,それをみなければ評価が難しいのですが,いずれにせよ法律の施行にあたる関係官庁が,きちんとフリーランスの地位向上のために仕事をしてもらえるものと信じています。

 

2023年6月11日 (日)

ジェンダー・アイデンティティ

 LGBT理解増進法と呼ばれている「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」の法案の「性同一性」が「ジェンダー・アイデンティティ」に変わることになりそうです。gender identity をどう訳すかをめぐり,立憲民主党などの野党は「性自認」にこだわり,与党案は「性同一性」でしたが,維新と国民民主党の提案した「ジェンダー・アイデンティティ」を受け入れたということのようです。「ジェンダー・アイデンティティ」なら英語をそのままカタカナにしただけで,芸がない感じもします(しかも,このカタカナのとおりに読んで,外国人に通じるか不安です)が,法案を通すための苦肉の策ということなのでしょうか。
 労働法では,パートタイムとかハラスメントとかはそのまま使わずに,法文では日本語にすることにこだわってきたことからすると,「ジェンダー・アイデンティティ」がそのまま法律の文言になるとすれば,かなり驚きです。
 アイデンティティは,たしかに訳しにくい言葉ですが,ジェンダーが前に付けば「性自認」でよいし,それで定着してきたと思います。これには「トランス」と「シス」があってというような説明がされてきて,それで紛れはありません。自民党(のなかの法案反対派)からは,性自認というと,「心は女とさえ言えば,女性トイレやお風呂に入れるようになってしまい,これを拒むと差別になってしまう」というヘンテコな議論がなされているようです。虚偽の「性自認」を認めないことと,自認された性により差別を許さないということは両立しうるのであり,どうすれば具体的にその両立が可能かを考えるのが立法者の仕事でしょう。政治家も馬鹿ではないでしょうから,自分がヘンテコなことを言っていることはわかっているのでしょうが,それでもそういうことを言わざるを得ない政治家の背後には,何がなんでも法案をつぶせと言っている支援団体がいるのかもしれないと勘ぐりたくもなります。
 ただ,そういう私も正直なところ,10年くらい前なら,自民党のヘンテコ議員と同じようなことを言っていたかもしれません。性自認はシスで,性的指向はヘテロが当然という考え方に染まっていたからです。しかし,それは知識不足だったのであり,そういう自分の無知を自覚して,過去を悔い改め,まさに性自認も性的指向も多様なものがあることを理解し,互いの人格を尊重し合うという当たり前のことにいまは気づいています(それは立派なトランスジェンダーの人との交流があったことも大きいです)。その意味で私は転向者といえるので,それだけにいっそう転向前の自分を想起させるような政治家に嫌悪を感じるのでしょうね(タバコを止めた人が喫煙者に抱く嫌悪感と似たものかもしれません)。
 それでやっぱり「ジェンダー・アイデンティティ」は,「性自認」に戻したほうよくないでしょうか。

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