公訴時効について
先日,名古屋で26年前の殺人事件の容疑者が逮捕されたというニュースがありました。この事件は,発生当時の法律であれば公訴時効が成立していたはずですが,遺族の方の努力もあり,2010年の法改正によって殺人罪の時効が廃止されたため(刑事訴訟法250条を参照),26年経っても訴追が可能となっています。
そもそも公訴時効という制度は,時間の経過によって証拠が失われ,公正な裁判を行うことが難しくなるという理由で設けられてきました。また,いつまでも事件が人々を縛りつけることのないよう,社会的安定や法的確定性を確保するという目的もあります。さらに,長い年月が経過すれば,犯人が更生して社会に適応している可能性もあり,刑罰の実効性が薄れるという理由もありました。
しかし,殺人という行為は人の生命を奪うという最も重大な犯罪であり,その重みは時間の経過で薄れるものではありません。しかも近年では,DNA鑑定技術の進歩によって,事件から何十年経っても有力な証拠が得られるようになりました。今回の名古屋の事件でも,遺族が長年にわたって現場を保存していたことが,DNA照合による決定的な証拠の発見につながりました。技術と人の努力が結びついて,時間が経てば立証が困難となるという時効制度の前提が,崩れてきているのです。
個人的には,児童への性犯罪についても時効の撤廃を検討すべきだと思います。こうした犯罪は被害者に深刻な心の傷を残し,告発までに長い時間を要することが多いからです。さらに再犯の可能性も高く,社会としても被害を未然に防ぐ視点が求められます。
時効制度を支持しうる理由には,刑事司法におけるマンパワーの限界という現実的な事情もあるかもしれません。捜査や起訴には膨大な人手と時間が必要であり,限られた捜査資源を新しい事件に集中させるために,一定期間を過ぎた事件は優先順位を下げざるを得なかった,という可能性です。しかし,現在ではAIによるプロファイリングや監視カメラ映像の解析などが格段に進歩しています。これらを組み合わせれば,マンパワーにあまり依存しない効率的な捜査体制が可能でしょう。私自身は,私的な空間を除いては監視カメラの設置を認めることは仕方ないと思っています。AIによる画像解析や顔認識技術を適切に運用すれば,事件発生後の追跡だけでなく,犯罪の未然防止にも大きく役立ちます。こうした省力化・効率化の流れは,まさに「デジタル優先主義」が刑事司法にも当てはまる好例だと思います。
科学技術や社会の価値観が変われば,法制度もまた見直されていくべきです。こう考えると,公訴時効のあり方は,人間とデジタル技術との関係といういつものテーマの応用例といえるかもしれません。

