政策

2023年8月 7日 (月)

サラリーマン増税?

 増税は困りますが,通勤手当への課税や退職所得の税額控除の見直しについて「サラリーマン増税」だと言って批判するのは,どうかと思います。もちろん,個人的には,こういう改悪は困ります。しかし,もし歳出改革をしっかりして,それでもなお増税しなければならないとすれば,通勤手当は賃金の一種なので,それへの課税は筋が通るものと思っていますし,退職所得控除についても,これが伝統的な日本型雇用システムと整合性のあるものなので,日本型雇用システムの変容にともない見直すのは,理解できるところです。
 通勤手当について言うと,これは,そもそも,企業が支払う義務があるものではありません。民法485条は,「弁済の費用について別段の意思表示がないときは,その費用は,債務者の負担とする」と定めているので,労働契約でいえば,労働義務の履行のための費用は労働者が負担すべきものなのです。もちろん,これを企業が負担するという合意はできるのですが,それは業務費用ではなく,労働の対償として,賃金に該当すると解されています(労働基準法11条の賃金に該当し,24条の定める賃金支払に関する諸原則が適用されます)。社会保険における報酬月額にも含まれます。もっとも,税法上は,通勤手当は,実費補填的なものであるので,所得税法上は,1ヶ月15万円までは非課税とされてきました。ところで,今回,問題となっている政府税制調査会の答申「わが国税制の現状と課題令和時代の構造変化と税制のあり方」(20236月)では,「非課税所得等については,それぞれ制度の設けられた趣旨がありますが,本来,所得は漏れなく、包括的に捉えられるべきであることを踏まえ,経済社会の構造変化の中で非課税等とされる意義が薄れてきていると見られるものがある場合には,そのあり方について検討を加えることが必要です」と書かれているだけであり,私が見落としていなければ,積極的に通勤手当の非課税限度額を引き下げたり非課税所得扱いを撤廃したりするようなことは書かれていません。これは「火のないところの煙」であったようです。通勤手当の税法上の取扱いに変更が加えられることは,いまのところまったく改革の俎上に載せられていないと言ってよいでしょう。
 誤解が発生したのは,退職所得控除についての議論も併行してなされていたからです。現行の退職所得控除については,上記の政府税調の文書では,「退職金は,一般に,長期間にわたる勤務の対価の後払いとしての性格とともに,退職後の生活の原資に充てられる性格を有しています。このような退職金の性格から,一時に相当額を受給するため,他の所得に比べて累進緩和の配慮が必要と考えられることを踏まえ,退職所得については,他の所得と分離して,退職金の収入金額から退職所得控除額を控除した残額の2分の1を所得金額として,累進税率により課税されます(2分の1総合課税)(個人住民税は比例税率)。退職所得控除は,勤続年数 20 年までは1年につき40万円,勤続年数20年超の部分については1年につき70万円となっています」が,「現行の課税の仕組みは,勤続年数が長いほど厚く支給される退職金の支給形態を反映したものとなっていますが,近年は,支給形態や労働市場における様々な動向に応じて,税制上も対応を検討する必要が生じてきています」と書かれています。これについては,「三位一体の労働市場改革」では,「退職所得課税については,勤続 20年を境に,勤続1年あたりの控除額が40万円から70万円に増額されるところ,これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害しているとの指摘がある。制度変更に伴う影響に留意しつつ,本税制の見直しを行う」と明確に改革の姿勢を示し,また骨太の方針でも,「自己都合退職の場合の退職金の減額といった労働慣行の見直しに向けた『モデル就業規則』の改正や退職所得課税制度の見直しを行う」としており,実際「モデル就業規則」の改正はすでに前月実施されているので,退職所得控除についても,勤続20年超の部分の控除額の引上げをなくすことが,近いうちに実行されるのではないかという不安が出てきているのでしょう。こちらは「火のない所の煙」ではありません。
 野党は,退職金税制の話に,通勤手当の話を無理矢理くっつけて,「サラリーマン増税」といったネーミングをつけて,政府批判をしようとしている印象があり,かつてホワイトカラー・エグゼンプションを「残業代ゼロ法案」というネーミングで攻撃したことを想起させます。
 個人的には退職所得税制の改正(改悪)はとても困るし,大衆迎合の岸田政権によって実施されたら嫌だなと思うところもありますが,政策としては,いつかは退職所得について,現在の分離課税であることも含め,徹底的に見直すことが必要であると思っています。退職金のあり方が今後激変することが予想されるなか,それをふまえた政策論議をしなければなりません。退職金のことについては,ビジネスガイド(日本法令)で連載している「キーワードからみた労働法」の最新号でも論じているので,関心のある人は読んでみてください。

2023年8月 5日 (土)

環境政策について思う

 今日は用事があって外に出なければならなかったのですが,あまりの暑さに,このままだと倒れるのではないかと感じるほどでした。これまでの人生で感じたことがないような暑さによるダメージを受けた気がします。
 これが地球温暖化の影響なのかは,よくわかりません。地球温暖化はフェイクだという議論もあるようで,私はそうした議論には反対ですが,肝心の科学者の意見も分かれているようです。そうなると,政府がGXの実現ということで,特定の対策に予算をどんどん使うことは危険です。ほんとうに環境問題の解決につながるかよくわからないものもあるからです。再生エネルギーも,そうです。
 少し前のことになりますが,テレ東のWBSで,ある不動産会社が,建造物の屋上に太陽光パネルを設置することに力を入れていることが紹介されていました。再生エネルギーの推進に協力し,CO2削減に貢献する取組をしている企業として,十分にアピールできると考えているようですが,個人的には,太陽光パネルについては,その廃棄方法が十分に確立していないのではないかという疑念があり,その点が説明されていなかったので,簡単には評価できないところがあります。
 また,洋上風力発電については,国会議員の贈収賄問題も起きてしまいました。検察が捜査中ということなので,まだ真相はわかりませんが,報道によると,国会議員が,企業から金をもらい,国会で,その企業に有利になるような質問をしていたそうです。こういう場合,所属する自民党は,国会議員の出処進退は個人で決めるものと言って,党の責任を曖昧にしがちですが,自民党の議員として国会で業者に有利になるような質問をしていて,その行為が贈収賄に関わっているとすると,自民党の党としての責任を免れることはできないでしょう。収賄を本気で重い事柄と考えるならば,党幹部の誰かが責任をとらなければ,おさまらないはずです。
 さらにこの議員は,自民党の再生可能エネルギー普及拡大議員連盟の事務局長もしていました。議連にはいろんなタイプのものがあり,Wikipediaの「議員連盟の一覧」をみると,その多さに驚きます。そこにはたんなる同好会的なものから,政策立案に関するなど政治的な色彩が強いものもあり,後者については,やや要注意かもしれません。こういう議連は,政治家が,業界団体などを呼びつけてヒアリングをし,業界団体に対して政治家の影響力を示す絶好の機会となっているようにもみえます。業界団体も,その業界に関連する議連ができることを歓迎することがあるでしょう(どの政党に属する議員かにもよるでしょうか)。そのようななかから,政治家と業界団体との癒着が生まれ,立法過程を金で歪めることも起こりえて,今回の事件は,そういうものである可能性もあります。政策形成にかかわる議連には,その分野を主管する関連省庁もくっついていることが多いでしょう。役所が背後できちんとコントロールして対応している場合もあるでしょうが,役人は議員には頭が上がらないので,議員が暴走すれば止められないですよね。
 いずれにせよ,環境政策が,ビジネスや利権といった思惑から,金で歪められるのは不幸なことです。地球温暖化フェイク論にも勢いを与えてしまいそうです。政府はGXに取り組むのは結構ですが,いたずらに予算をつけるのではなく,(見解が分かれているとしても,できるだけ)科学的な根拠に基づいて,環境問題対策に必要なことは何か,そのために具体的にどのように税金を使うのかということを,ごまかしなしに,わかりやすく説明して,私たち国民を納得させてもらいたいです。

2023年6月13日 (火)

育児とテレワーク

 育児とテレワークの相性の良さは,ずっと指摘してきたことですが,ようやく政府もその方向に動こうとしているのかもしれません。今日の日本経済新聞は,「育児期,働き方柔軟に」というタイトルで,厚生労働省の会議で,育児と仕事の両立が一段とやりやすくなるよう制度を盛り込んだ報告書案が出されたと報じていました。おそらく,この会議とは「今後の仕事と育児・介護の両立支援に関する研究会」であり,報告書案をみると,「子が3歳になるまでの両立支援の拡充」として,「現在,努力義務となっている出社・退社時間の調整などに加えて,テレワークを企業の努力義務として位置付けることが必要である。」とし,また「短時間勤務が困難な場合の代替措置の一つに,テレワークも追加することが必要である。」と書かれています。前者は,育児介護休業法2412号で,子が1歳から3歳に達するまでの子を養育する労働者について,育児休業に関する制度か始業終業時刻変更等の措置に準じるものを講じることなどが努力義務として定められているので,これにテレワークも追加するということだと思われます。後者は,3歳に満たない子を養育する労働者について認められている,所定労働時間の短縮措置について,例外的にその適用対象外となる場合に,フレックスタイム制,始業・終業時刻の繰上げ・繰下げ,事業所内保育施設の設置運営などの便宜供与のいずれかを講じなければならないとされています(育児介護休業法232項,同法施行規則742項)が,その選択肢にテレワークを追加することだと思われます。
 また報告書案では,「子が3歳以降小学校就学前までの両立支援の拡充」として,「業種・職種などにより,職場で導入できる制度も様々であることから」として,短時間勤務制度,テレワーク(所定労働時間を短縮しないもの),始業時刻の変更等の措置(所定労働時間を短縮しないもの。フレックスタイム 制を含む。),新たな休暇の付与(子の看護休暇や年次有給休暇など法定の休暇とは別に一定の期間ごとに付与され,時間単位で取得できるもの) などの柔軟な働き方を措置する制度の中から,事業主が各職場の事情に応じて,2以上の制度を選択して措置を講じる義務を設けることが必要である」とされていて,これは育児介護休業法2413号の強化をめざすものと思われます。
 ということで,テレワークが,育児期の労働者に対するサポートの手段として認められるのは望ましいと思いますが,「異次元の対策」というなら,もっとテレワークの地位を高めてもいいでしょうね。少子化の直接的な対策となるかはさておき,育児期の労働者にとって在宅勤務のテレワークは最も助かるものと思われるので,育児期の労働者にテレワークを認めた事業者への補助金(同僚の負担増に対する手当として使えるようにするなど)を認めたり(もしかしたら,そういうのはすでにあるのかもしれませんが),所定労働時間の短縮かテレワークの請求を選択的に認めたりすることもあってよいように思いますが,どうでしょうね。

2023年6月 4日 (日)

少子化対策と時間主権

 出生率が1.26という数字は少子化という点では危機的な数字ですが,その原因を十分に分析しないまま,財源の議論もせず,ただなんとなく金をばらまくという政治は許してはなりません(63日の日本経済新聞の社説の「少子化を克服する道筋も財源も見えない」も参照)。現在の子育て世代にお金をばらまくのは,もらうほうとしては嬉しいかもしれませんが,これで少子化の対策になるとは思えません。これから子どもをもつかもしれない世代からすれば,こんな財源無視の政策が長続きするわけがなく,強行すれば,その負担は自分のほうに返ってくるので,結局,子どもを育てる余裕をもてなくなると思うでしょう。しかし,よく財源を後回しにしたような無責任な政策を堂々と公表できるものですね。あきれてしまいます。
 日経の同日の記事「少子化,見えぬ反転 働き方改革は官民進まず 若者の不安払拭急務」も重要で,そのなかで,小峰隆夫氏は,「本当の病気は古い雇用慣行などにあり,少子化は副作用だ」と指摘しています。若者世代における時間と金銭の余裕のなさが少子化に影響していることは否定できないでしょう。ただ,これが非正社員の正社員化や賃上げという対策に安易に結びつきやすい点は要注意です。
 少子化対策のことは,これまでもいろいろ書いてきましたが,結局のところ,いかにして国民が時間主権を回復するかが最も大切ではないかと思っています。私生活にかける時間が増えることは,それだけで少子化対策として十分というわけではありませんが,それなしでは少子化は実現しにくいでしょう。では,人々はどうしたら時間主権を回復できるのでしょうか。すぐに思いつくのは労働時間の短縮ですが,それだけでは,時間主権の回復に直結するわけではありません。自分の時間を労働に多く使いたいという人もいて,これも本人の時間主権として認められるべきだからです。
 ただ,私生活に時間をかけたいと思う人にとって,公的な面からその実現について制約がかけられているとすれば時間主権に関係します。労働時間数で社会保険や雇用保険の加入資格が決まるというのは,時間主権への制約機能があるかもしれませんし,不可欠な行政手続が役所の非効率性のために国民の時間を奪っていたり,公的な医療サービスの非効率性から,病院などでの長時間の待ち時間があったりすることもまた,時間主権を制約しているといえます(霞が関の役人が国会議員へのレクのために時間をとられるというのもまた,役人たちの時間主権の制約といえます)。このように考えると,人々が時間主権を自由に行使することを奪っている可能性がある種々の制度的要因を洗い出すことが必要であり,それが実は一見遠回りであるようですが,少子化対策にもつながりうると思っています。人々が,「この時間は無駄だよね」というのがどんどん減っていくと,もっと余裕のある生活ができるようになり,子どもが増えやすい状況が生まれるような気がします。

2023年5月18日 (木)

人口推計への疑問

 国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口(令和5年推計)」に対する疑問を取り上げた,制度・規制改革学会の「年金分科会」の動画(2023年 人口推計の問題点)を視聴しました。426日に公表されたこの人口推計について,まずこの時期が統一地方選挙後であり,政府が公表時期を操作したのではないかということが複数の参加者から指摘されました。本来1月に公表すべきものを,4月に遅らせる理由はとくになかったわけで,ここに政府の意図が感じられるというのです。たしかに統計の信用性という点でも,できるだけ公表時期は決まった時期にしておくべきであり,それが政府の都合で左右されるということがあれば,そのこと自体,統計の信用性を揺るがすことになります。
 統計の内容については,外国人が増えることを想定した人口推計をしていることについて疑問が出されました。外国人が増えるというのは,外国人労働政策と密接に関係しますが,その分野の専門家がいないまま,適当な希望的観測が入ってしまっているのではないか,ということです。一時的に外国人が増えるとかそういうことではなく,政策として外国人労働者や移民問題についての対応を明確に決めなければ,将来の人口推計に外国人のことを取り入れることなどできっこないということでしょう。
 また,出生率の改善の見込みについても疑問が提起されていました。2070年に1.36とされていますが,2021年の1.30より増えるという見込みです。しかし,未婚化がどんどん進むと予想されることをどう考えるのか(これは日本では少子化に直接影響します),また外国人がかりに増えるとしても,ほんとうに少子化の改善となるほど定着してくれるのか,ということも問題となるでしょう。
 人口がどうなるかという単なる予測だけであれば話のネタ程度でいいのですが,重要なのは,これが年金制度における政策決定の資料に利用されるということです。人口減少を甘くみると,つけを払うのは,将来世代です。これまでもほとんど出生率の予想ははずれていたのであり(高すぎる予想であった),その反省もないままやっていることを八代尚宏先生は強烈に批判されています。この動画は,ぜひ多くの人に視聴してもらいたいです。
 今後,未婚世代は増え,少子化は著しく進行し,外国人も日本の少子化を改善するほどは定着せず,ましてや年金保険料を支払ってくれるほどの定着は期待できないと考えておくのが,現実的なシナリオであり,それをベースにすれば,どのような年金制度にする必要があるのかということこそ,国民がほんとうに知りたいことでしょう。この動画をみて,政府サイドも反論があれば,ぜひやってもらって,私たちの子や孫の社会保障制度に対して責任をもった議論をできるようにしてもらいたいです。
 なお,未婚化については,荒川和久・中野信子『「一人で生きる」が当たり前になる』(2020年,ディスカヴァー・トゥエンティワン)が,おそろしい内容ですが,勉強になります。

2023年5月17日 (水)

東京新聞登場

 5月13日の東京新聞にAI関係の記事(「AIに仕事が奪われる? 働く者たちの未来はどこへ 創作活動もデータ合成で…その対価は」)のなかで,私のコメントも出ています。前日に電話取材を受け,すぐに記事になりました。AIと雇用のことですから,私としてもいろいろ考えることはあり,授業の合間の30分間でしたが,質問にお答えしました(そのうちのごく一部分が記事になりました)。
 ChatGPTやBardの登場によりAIと雇用という問題は,新たな段階に入ったかもしれません。当分は,このテーマについて,エッセイ的なものの執筆が続くでしょうが,そのうち『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)のその後,というようなものを書く必要が出てくるかもしれませんね。基本的には,当時から予想されていたことが起こっているのですが,自然言語処理の社会実装は,少し予想より早かったです。これまでは,AIの雇用への影響については,少し悲観的な予測をもって臨むべきだと述べていましたが,悲観の程度を少し高めなければいけないでしょう。
 教育も雇用も,もはや生成AIを無視して議論をしていくことはできません。いろんな人がリスクを指摘していますし,もちろんリスクは大きいのですが,それに対応することはできるはずです。ビジネス界からの声は,競争に出遅れた人が追いつくために,先頭集団のスピードを弱めようとする狙いもあるので,ここはできるだけビジネスとの利害関係がない人(研究者など)に客観的な議論をしてもらえればと思います。また研究者であってもビジネス親和的な人とそうでない人もいるので,できればそうでない人も入って公平な議論をしてもらいたいです。規制される側のOpenAIのCEOであるAltman氏からはライセンス制の導入提案がされていますし,AIにより生成されたものである場合は一種の「原産地証明」を義務づけるなどのアイデアもありますが,そういうものを含めて建設的な議論を期待したいですね。
 雇用政策に関心をもっている私たちは,AIの開発が止まらず,社会実装もどんどん進むという前提で議論をする必要があります。記事では,雇用面への考慮が,AIの議論において少ないのではないかという私のコメントが使われていました。実際,少し前まではSFの話であったことが現実化していく社会の到来が間近に迫っているなか,人はどのように生き,働くのか,ということを真剣に考えなければなりません。教育の現場でも,やることを根本から変えなければなりません。政府も,危機意識をもって動いてもらいたいところです。これは何度も繰り返して訴え続けたいと思っています。

2023年4月 4日 (火)

こどもまんなか社会

 こども家庭庁が創設され,「こどもまんなか社会」をスローガンに掲げているのは,結構なことです。ただ具体的な政策が,経済支援に偏るのは適当とは思えません。経済支援の重要性は否定しませんが,経済面以外の支援こそまずしっかり考えてもらいたいと思います。それは,財源が厳しいなかで無理をすると,結局は,こどもたちに負担がかかるからです。たとえば手厚い保育のためには,保育士を増やす必要がありますが,潜在保育士が多いことにどう対処したらよいか,という問題があります。給料を上げたらよいというのが第1に出てくる発想であり,保育士の仕事に特別な最低賃金を導入し,そのうえで事業者に補助金を出すというような政策が出てくる可能性があります。ただ,ここでは安易に経済支援策に打って出るのではなく,これをいったん封印して,そのほかに何ができるかを考えてみてもらいたいです。保育士の生活はもちろん大切ですが,たとえば働く環境が良いというような,賃金以外の労働条件の改善も,実は労働者にとっては魅力的なベネフィットです。ハラスメントがない環境(ハラスメントには保護者からのハラスメントもあり,そうしたものに事業者側がきちんと対応することも含まれます),休息時間が確保できる環境,年次有給休暇が100%消化できる環境,育児休業はMax取得できる環境なども,結局はコストにかかわるものとはいえ,賃金を上げるというのとは異なるもので,それがしっかりできれば潜在保育士のなかから戻ってくる人も多いのではないかと思います。よく成果主義に対しては,かえって働く意欲が下がり生産性が下がるというクラウディング・アウト(crowding-out effect)効果が生じる(外的報酬が,本人の内発的動機をかえって減退させる)という批判がされますが,それを少し参考にすると,内発的動機をもっている保育士さんたちに,報酬面での刺激を与えすぎるのは,かえって逆効果ではないかいうこともできそうです。潜在保育士も,よい就労環境があれば働いてよいと考えている可能性が大きいのであり,どのようにして,そうした内発的動機を刺激するような就労環境を用意するか(繰り返すように賃金の重要性も否定しませんが)ということについて知恵を使う必要があると思います。 
 これは一例ですが,こどもまんなか社会というとき,このほかにも,たとえば,親に近くにいてほしいこどものためにテレワークを推進することが重要ですし(いつも言っていることです),育児や介護をしている従業員は時間どおりに行動することは難しいので,あまり時間管理を厳格にしないことも重要だと思いますし,労働以外の分野でも,無意味な騒音をまき散らす選挙カーは,小さなこどもの睡眠を邪魔するものなので,保育園近辺だけでなく,一般の住宅の近辺でも日中は禁止するというようなことが,実はこどもまんなか社会ということを言う以上,ぜひやってほしいことです(選挙活動はネットでやってください)。さらに,よちよち歩きの子が安心して歩道を歩けるように,自転車の歩道利用を禁止するとか,公共輸送機関での優先座席における一般人の利用を制限するとか,エスカレーターの歩行の禁止とか(急いでいる人に追い抜かれるときが危ないです)が,大切なことです(これは高齢者のためにも必要なことです)。罰則付で禁止するのはやりすぎでしょうが,社会的強者が弱者(こども,老人,あるいは育児や介護をしている人)に配慮できるよう,うまく誘導することが必要だと思います。6月の骨太の方針に向けて,おそらく各役所が予算をとれるための作文に注力するのでしょうが,少ない予算で成果が大きそうなコスパの高い政策はいくらでもあるように思えるので,そういうことに重点を置いてほしいものです。
 なお,児童手当についての所得制限撤廃は,難しい問題です。所得制限は差別につながるというような主張もあるようですが,非金銭的なサービスはすべての子に平等にすべきなのはそのとおりとはいえ,厳しい財政状況を考えると,個人に直接金銭を支払う支援はやや違うのではないかと思います。所得制限撤廃は,こども支援政策に対して,こどもに無関心な人たちのいっそうの離反を招かないか気になるところです。その一方で,若い世代の人に,子をもてば,公的助成があるというメッセージを送ることは重要であるという気もします。難問ですが,ここでも金銭をばらまく以外の支援方法がないかを,まずは考えたほうがよいように思います。

2023年3月31日 (金)

マイホームの夢?

  少子化対策として,住宅金融支援機構の住宅ローンである「フラット35」の金利を子育て世代に引き下げる優遇策を導入することを政府が検討しているそうです。なぜこれが少子化対策かというと,若い世代の住宅取得や生活の負担を軽減できて,安心して子育てができる環境づくりになるからだそうです。これで助かる人が多いのなら良いような気がします。ただ,これからは,住宅は持つのではなく,借りる時代になっていくと思っていて,いまの子育て世代がどう考えているかはよくわかりませんが,ひょっとするとあまり響かない政策かもしれません。
 話は違いますが,日本経済新聞の312日の文化欄に掲載されていた作家の篠田節子さんのエッセイ「小市民の夢の跡」は,両親が夢を実現して取得したマイホームを相続することになった苦労が書かれています。ご自身はあまり家にこだわりがなかったようですが,相続だと無理やり引き継がされるので,困惑する人もいるでしょう。売ればいいといいますが,売るのも簡単ではありません。そもそも相続手続が大変でしょう。
 マイホームは,いまなお多くの人の憧れなのでしょうかね。篠田さんのご両親はそうだったようです。ただ,家をもつと,近所づきあいが深くなるし(それが好きならよいですが),修理も自分でやらなければならず,固定資産税もかかってきます。住宅ローンはいくら優遇されても,重くのしかかることになるでしょう。レンタル住まいは,家賃はかかるけれど,面倒なことがかなり少ないです。自分では手に入らないような高級マンションも,賃貸(分譲貸し)に出されることも少なくなく,そうなると少し背伸びをすれば手の届く範囲で借りられることもあります。さらに重要なのは,ライフスタイルの変化に応じて自由に住む場所を変えられることです。広い家が必要なときもあれば,そうでなくなるときもあります。二階に登るのが大変ということもあるでしょう。最後は施設に行くことも考えなければなりません。マイホームも,不要となれば,売ればよいといえそうですが,繰り返し述べますが,売買はそれほど簡単なことではありませんし,大きな損をすることもあります。何千万円もする物の売買は,フリマでの売買とはまったく異なるものです。
 モノよりコトという世代は,どんなに優遇されても,多額の借金を背負うことになるマイホーム購入より,コトに多くの消費をあて,フットワークを軽くできるレンタル住まいのほうを望むのではないかと思います。
 今回のフラット35の優遇策については,不動産業界が泣きついて少子化対策のプランに入れてもらったのではないかと邪推したくなるくらい,個人的には違和感がありますね。

2023年3月25日 (土)

男性の育児参加と絵本のジェンダーバイアス

 先日の日本経済新聞の「大機小機」で,少子化対策として,男性の育児参加の推進が必要ということが書かれていました。そこにあるように若者の意識は変わってきていて,ワーク・ライフ・バランスへの配慮がない企業は敬遠されるであろうというのは,そのとおりだと思います。
 ところで,政府の人たちは,子どもたちのもつ絵本を読んだことがあるでしょうか。そこには驚くほど古典的な「家事や育児は女性」を前提としたストーリーが,日本のものも海外のものも関係なく,描かれています。こういうものを子どもたちは読み聞かされて育つということを知っておいたがほうがいいでしょう。もしかしたらバリバリ働いている人は,なかなか子どもにゆっくり絵本を読んであげる時間がなく,保育園に任せてしまっているのかもしれませんが,少しでも絵本を読んでいると,すぐに大きな違和感をおぼえることでしょう。男性の育児参加を進めるうえでの支障とまでは言えないかもしれませんが,男性が子どもに読んであげる絵本のなかでの男性不在ぶりを感じると,なんとなく気持ちが盛り上がらないということもあるでしょう。一例として,Pat Hutchins作の『The Doorbell rang』(日本語版の題名は『おまたせクッキー』)という本がありますが,人種の平等性への配慮はあるのですが,クッキーを焼くのはお母さんとお祖母さんという前提(性別役割分担?)で,大人の男性が出て来ない話です。家事は女性であることに何も疑問がないかつての時代の話が読み継がれているのでしょうか。この絵本自体は,とてもよい内容で素晴らしいです(算数の勉強にもなります)が,時代感覚が古い感じがしますし,同様のことは多くの古き良き絵本にみられます。
 少子化対策は,前に書いた不妊治療への助成(20224月から保険適用がされてずいぶん改善されたといえますが,まだやれることはあると思います)以外にも,意外なところに盲点があって,やれることが眠っているかもしれません。金銭をばらまくことだけではなく,もっと知恵を集めてみてはどうでしょうか。金銭的なことが必要かと問われれば,誰でも必要と答えるのですが,それにとどまらず,実は思わぬところに男性育児の阻害要因があって改善できることがあるかもしれないのです。官僚や政治家の男性に育児経験者を増やすことこそ,最も効果的な少子化対策かもしれませんね。

2023年3月18日 (土)

子育てとテレワーク

 岸田首相は,子育て政策を中心に据えて支持率の回復に向けて活路を見いだそうとしているようです。子どもを大事にする政策は,昨日も書いたのですが,バラマキやイメージ戦略だけにとどまるのであれば困るのですが,そうでない本当に役立つものであれば大歓迎です。神戸市と隣の明石市とを比較して,育児世代においては,明石市の取組みが魅力的で(https://www.city.akashi.lg.jp/shise/koho/citysales/index.html ),ちょっと田舎というイメージの明石市(明石市民の方,スミマセン)にでも住みたいという人が多いように思います。収入的にまだ十分に高くない若い世代において,子どもが一人生まれたときに,急に負担が重くなるのは辛く,そこで自治体からの助成があれば助かるのは当然です。泉房穂・明石市長に対しては毀誉褒貶が激しいようですが,私は応援したいですね。財源と給付を明確にして,そのうえである程度のリーダーシップをとって実績を上げるというのは,当然やるべきことですが,簡単なことではありません。もちろん,明石市も,どこかに負担がかかっていて,その問題点がいつかは顕在化するかもしれませんので,最終的な評価がどうなるかわかりませんが,何かやってくれそうな市長という点で,私は明石市民ではありませんが,関心をもってみています。加古川市長とやりやっているようですが,それも含めて,良い意味での競争をしてもらえればと思います。泉さんは,政治家を辞めるそうですが,このままあっさり引っ込むとは思えませんね。彼のような人を必要としているところは,多いでしょう。
 ところで,今朝の日本経済新聞で「女性の力が生きる地方議会に」というタイトルの社説がありましたが,問題意識は私も共有しています。子育ての問題も含めて,女性の視点を政治や行政の場でもっと反映させたほうが,大きな改善を期待できます。そして,子育ても,女性の地方議会進出も,テレワークが重要なポイントになると考えています。
 テレワークをうまくできれば,賃金を減らさず,キャリアを中断せず,仕事を継続できます。収入不安の問題がなくなるのです。現状では,テレワークができない企業や業種や職種も多いのでしょうが,ここにもっと力を入れるべきなのです。これが子育て問題への対処として最も効果的なものだと思っています。地方議会についてもテレワークの効果は大です。テレワークにより,地方政治に関心をもつ人が増えると思われるからです。自分の家にいる時間が長くなれば,住む地域の問題への関心が高まり,そうしたところから,地方政治の活性化が生まれるのだと思います。そして,女性はもともと男性よりも家にいる時間が長かったとすれば(それが良かったかどうかはさておき),そうした女性が地方政治に参加しやすくするようにすることもまたとても大切です。女性やテレワークにより居住地に戻ってきた男性・女性が増えることが,自分たちの住んでいる地域を良くするためにも必要なことなのです。かりに女性が家事に忙しいとしても,やはりテレワークができれば,議員活動をしやすくなるでしょう。
 ということで,子育て問題の解決についても,地方議会の問題についても,テレワークの推進をぜひ政策課題に入れるべきです。しかし,政権中枢にいる人は,誰もテレワークをしていないでしょうから,そういう問題意識は出てこないかもしれませんね。

 

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