政策

2026年9月23日 (水)

真のresilienceに向けて

 シルバーウイークに関東地方などを襲った台風25号は,各地に浸水や土砂崩れなどの被害をもたらしました。私の住む神戸では大きな影響を感じませんでしたが,どうも台風の進路が,これまでのイメージから大きく変わってきているように感じます。台風が,これまで来襲していなかったところに,向かってきているようです。「100年に一度の豪雨」といったことが,今後,各地で増えるおそれがあります。「これまで大丈夫だった」からといって,「これからも大丈夫である」とは限りません。
 災害対策では,危険が迫ったときに避難することだけでなく,被害を生じにくくすること,そして被災後も生活を支え続けることも重要です。たとえば,都市の排水施設や送電網,交通網の整備,斜面の管理など,平常時の備えが災害時の被害の広がりを左右します。しかも,これらは互いに関連しています。電気が止まることで給水や通信に支障が生じ,交通が途絶えることで物資の供給や医療へのアクセスが妨げられるなど,一つの機能の停止が別の機能に波及することがあります。施設を個別に守るだけでなく,社会全体として必要なサービスをどう維持するかも,考えていく必要があります。
 私は,『労働政策の再創造』(弘文堂)で,政策を考える際には,「共同体の生存確保能力の維持・向上」を究極の目標とすべきだと書いています。この立場からすると,一人ひとりが生きていくために必要な水,食料,電気,医療などを,社会全体として確保し,届け続けられるというセーフティネットの確保こそ,最も基本的な政策目標となります。ここでキーワードとしたいのが,レジリエンス(resilience)です。これは,災害に耐えるだけでなく,被害を受けても基本的な機能を維持し,回復し,変化した条件に適応していくことを意味します。
 とくに長く使うインフラであれば,現在だけでなく,将来の気候も,設計や更新の判断材料になります。災害後の復旧と,事前に被害を減らすための投資をどう組み合わせるか。大きな施設の建設だけでなく,変化する気候の下で,既存施設の補修,雨水をためる場所の確保,代替電源や輸送経路の整備などの暮らしを支える機能を維持するという視点が重要となります。
 そして,ここに,AIの活用を考える余地があります。気候モデルが示す降雨の変化に,地域の地形や人口,施設の状態,電力・交通網などの情報を重ね,被害がどこで生じ,生活にどう波及するかを検討する。そのうえで,対策ごとの費用と効果を比較する。こうした作業を,気候モデルや被害シミュレーションと組み合わせたAIが支援するという使い方が考えられます。もちろん,将来予測には幅があり,AIが常に正解を出すわけでもありません。AIはあくまで補助道具であり参考資料なのです。ただ,過去の災害の記録と将来の気候予測をあわせて検討し,複数の条件の下で対策を比較する作業には,AIの活用による効率化には大きな期待が寄せられます。
 またレジリエンスは,一度設備を整えれば完成するものではありません。観測結果や将来予測が更新されれば,備えの前提も再点検する必要があります。そうした継続的な見直しの支援の面でも,AIが大きな役割を果たすでしょう。

2026年9月 1日 (火)

首相のAI学習

 8月28日,高市首相は,チームみらいの安野貴博党首らを「AI家庭教師」として官邸に招き,生成AIの使い方について説明を受けたそうです。そこで首相は,音声で指示を出し,政府の物価高対策が世帯ごとにどの程度の効果をもたらすかを示す「物価高対策シミュレーター」を短時間で作成しました(首相官邸「高市総理へのAI家庭教師」)。
 一見すると,首相が最新技術を体験したというだけのニュースにみえます。しかし,これは政策形成のあり方を変える可能性を示す出来事です。これまで政策の効果を試算するには,担当部局がデータを集め,外部の専門家や事業者にシステム開発を依頼する必要がありました。生成AIを使えば,政策担当者自身が,「所得や家族構成によって効果はどう違うのか」「制度を少し変更すれば誰が得をし,誰が取り残されるのか」といった問いについて,その場でシミュレーションできるようになります。
 私は,拙著『労働政策の再創造』(弘文堂)で,政策形成における「デジタル優先主義」を提唱していますが,これは,従来の政策を単にデジタル化するという意味ではありません。データとデジタル技術の利用を政策立案の出発点とし,政策の効果を事前に検証しながら制度を設計するという発想です。今回の実演は,その可能性をわかりやすく示しているのかもしれません。もちろん,数分で作ったシミュレーターを,そのまま政策判断に使うことはできないでしょう。どのデータを用いたのか,計算の前提は何か,同じ結果を再現できるか,誤りがあった場合に誰が責任を負うのかを明らかにする必要があります。AIによる試算も,行政の意思決定に用いられる以上,保存,検証,説明の対象とされなければなりません。
 このような慎重な利用が必要なのは当然ですが,AIを政策決定にいかにリスクや制御しながら,積極的に利用するかが重要なのです。今回の首相の取り組みは,一種のパフォーマンスという面もあるのかもしれません。それでも,トップが変われば,その下の組織も変わります。高市首相の政策には疑問を感じる点も少なくありませんが,デジタル技術の活用に前向きな姿勢は,数少ない,しかし重要な評価できる点だと思っています。

2026年2月13日 (金)

インセンティブと教育

 

 私たちは日常的に「インセンティブ」という言葉を使っていますが,この概念は厳密に使おうとすると悩みこんでしまいます。インセンティブはしばしば金銭的報酬による外発的な誘因として理解されますが,人間の行動を動かすものは,金銭だけではありません。社会的承認,名誉,他者からの評価といった非金銭的な要素も,強い動機づけとして機能します(内面的な動機づけと外面的なインセンティブの関係も難しく,そう簡単に区別できるものではありません)。人は社会のなかで評価されたいと願い,そのことが自己の存在価値の確認につながります。そこにはおそらく生物学的な基盤もあるのでしょう。評価されることが,結果として良い子孫を残す可能性を高めるといえるからです。
 どのような行為が社会的に評価されるのかは,社会ごとの価値体系によって異なります。富が称揚される社会では金銭的成功を得ることがインセンティブとなりますし,共同体への貢献が重視される社会では他者への奉仕がインセンティブとして機能しやすいでしょう。
 市場メカニズムは,基本的に金銭的インセンティブを中心に構築されています。個人が利得を求めて生産し,交換することで社会全体の富が高まるという構図です。そして市場で十分に供給されない公共財については,政府が介入するという図式が一般に想定されています。
 実はインセンティブのことを考え始めたのは,公共財というものについて,もう一度しっかり考えてみたいと思ったからです。公共財は市場の失敗の典型例であり,それゆえその財の提供のために政府が登場するというのはよくわかるのですが,なにが公共財かは,とくに政府の失敗に敏感な論者からは,絶えず議論が投げかけられるところです。
 さらに,そもそも社会にとって本当に意味のある財やサービスが提供されるためのインセンティブとは,どのように設計されるべきなのでしょうか。競合性や排除性がないから市場メカニズムの下では過小供給になるという,よくある説明は,インセンティブの議論と関係しています。インセンティブとして非金銭的なものを重視するならば,たとえば資産家が,自身の名誉に反応してくれれば,税の優遇などがなくても,また,たとえフリーライダーがいるとしても,社会に役立つものに資産を提供してくれるでしょう。それにより,結果として,国家によるのとは異なる形で,再配分が実現できればよいといえそうです。
 これからの教育において重要なのは,単に金銭的報酬を動機として行動する人材を育てることではなく,非金銭的なインセンティブによって行動を選択できる人材をどのように育成するかという点にあるのではないでしょうか(私自身が,そういう人材になりきれていないから,いっそうそういうことを思うのです)。
 インセンティブの問題は,単なる経済理論の話ではなく,教育論であり,法政策論でもあり,さらには社会の存続条件そのものに関わるテーマであるように思われます。

2024年6月10日 (月)

保護司の仕事の重要性

 保護司の方が,過去に担当していた保護観察対象者に殺害された疑いがあります。もし事実であれば嘆かわしいことです。保護司の仕事はボランティアであり,長年勤務していた人は勲章がもらえるような重要な社会貢献活動をしているのですが,相手が犯罪者ということで,二の足を踏む人が少なくありません。保護司のなり手をみつけるのは大変です。私も,兵庫地方労働審議会の会長をしていたときは,保護司選考会の委員となっており(保護司の選考に関する規則3条1項10号で,地方労働審議会会長は委員となると定められています。その他は,地方裁判所長,家庭裁判所長,検事正,弁護士会長,矯正施設の長の代表,保護司代表,都道府県公安委員会委員長,都道府県教育委員会教育長,地方社会福祉審議会委員長,学識経験者です),その大変さはよく知っています(ちなみに,この委員の仕事もボランティアです)。
 地域社会の安全を維持するためには,刑務所を出た人が再び犯罪をおかさないようにすることが大切です。その意味で,保護司の役割はとても大きいものといえます。とはいえ,日中に職場に出かけている会社員となると,なかなかこの仕事を務めることはできません。これは会社員が地域社会の担い手になれないという問題の一つといえます。テレワークは会社員を自分が住んでいる地域社会に回帰させるための手段となるといういつもの話になるのですが,地方政治への参加などと並んで,保護司のような仕事をできる状況をつくるということもテレワークのメリットの一つというべきでしょう。
 犯罪者の更生には,就職による社会復帰が重要でしょう。
厚生労働省及び法務省は,2006年度から,刑務所出所者等の就労の確保のために,刑務所出所者等総合的就労支援対策を実施しているようです。刑務所出所者等の雇用に協力する事業者は,「協力雇用主」として登録するという制度もあるようです。労働市場における弱者としては,女性,高齢者,若年者,障害者,(単純技能の)外国人などのカテゴリーが挙げられることが多かったのですが,刑務所出所者もこれに加える必要があるかもしれません。雇用政策で論じられることはあまりありませんが,保護司選考会に地方労働審議会会長が委員となっていることは,保護司の活動は雇用政策とも関係していることを示しています。犯罪者の更生を雇用政策におけるテーマとして論じることは,取り組むに値するものだと思います。

 

 

2024年5月30日 (木)

定額減税政策に思う

  今回の減税はあまり嬉しくありませんね。給与所得者の多くは,日頃から税金を源泉徴収されており,納税感が乏しいので,その部分について減税しても,インパクトは小さいでしょう。一人3万円(所得税分)で引ききれなかった場合には,複数月にまたがって引くそうです(このほか住民税1万円の減税もありますが,これは引き方が違っています)。しかも,減税額の明記まで企業に義務づけるとのことです。政府は,減税してあげたから,有り難く思ってねということでしょうが,恩着せがましいです。減税したからといって,すぐに消費にまわるわけでもありません。物価高による家計負担の足しにしてということでしょうが,私たちの多くは賢い消費を心がけて対応しているのではないでしょうか。むしろ,こういう政策をすることで,財政は大丈夫かということが気になるでしょう。
 しかもこれは減税だけではないのです。調整給付と呼ばれるものがあり,税金を支払っていない人や税金額が減税額に足りない人には,お金を配るそうです(1万円未満は切り上げられます)。税金を払っていない人にも金をばらまくのであれば,最初から,減税などという措置をとらなくて,全員にばらまいても同じだろうという気もします。企業に余計な負担をかけているだけです。どうせなら,減税ではなく,全員給付にして,マイナンバーカードと連動させていたら,このカードがもっと普及したかもしれません(昨年6月時点で,だいたい7割程度の普及でした)。もちろん,こんなバラマキをやっていてよいわけはないのですが。
 そういえば,住民税非課税世帯への給付金という問題もあります。日本経済新聞の4月8日電子版における,山本由里記者の「もう一つの「年収の壁」壊せ 住民税非課税が映す不公平」という記事では,富豪の高額のふるさと納税の問題と並び,「豪邸に住み,住民税非課税世帯向け給付金の支給を受ける」という問題を採り上げていました。たとえば不動産や金融資産がたっぷりあっても,就労しなかったり,年金受給だけであったりした場合には,住民税を支払わないことがあるのです。非課税世帯の算定に資産や利子・配当所得を含まないことから,こういうことが起こるのです。住民税非課税世帯イコール貧困世帯ではないということは知っておかなければなりません。ばらまき政策はひどいですが,どうしてもばらまくというのなら,せめてほんとうに必要な人に限定してばらまいてください,と言いたいです。

2024年3月22日 (金)

小嶌典明『新・現場からみた労働法』

 小嶌典明先生から,『新・現場からみた労働法―法律の前に常識がある―』(ジアース教育新社)をいただきました。どうもありがとうございました。『現場からみた労働法』シリーズの新作です。常識にこだわる小嶌先生の姿勢が,本書のサブタイトルに示されています。小嶌先生は,ある意味では超リアリストであり,現場できちんと法律を適用していくということにこだわっておられます。その経験に基づき,法律や法解釈のおかしさを指摘するという立場を貫徹されていて説得力があります。またデータへのこだわりの強さも,労働法学者のなかでは随一でしょう。本書に収録されている「労働時間の減少に歯止めを」(初出は,「労働判例」の遊筆に執筆されていた「労働時間によせて」)でも,過去15年の労働投入量の日米比較をデータで示しながら,労働時間は短ければよいというものではないと書かれています。同感です(私は,同趣旨のことを,ジュリスト最新号の論稿で「労働の両義性」という観点から書いています)。
 小嶌先生の著作からは,結論はともかく,示唆を受けることが多いです。学会のなかには「食わず嫌い」ならぬ「読まず嫌い」の方もいそうですが,読めば勉強になると思います。

 

2024年2月26日 (月)

社会保障の再構築

 今朝の日本経済新聞の「核心」で大林尚編集委員が,「年金の主婦優遇は女性差別」というタイトルの記事を掲載していました。国民年金の3号被保険者問題です。「夫への依存を前提にした昭和の年金をいつまでも引きずるのは,みっともない。女性が真に自立するカギは,令和の年金改革である。」というのが,彼の主張です。連合も昨年,3号被保険者廃止論を唱えています。専業主婦を優遇しているというより,専業主婦を家庭に閉じ込めているという構図でみるべきだということでしょう。記事の中では,連合は,「所得比例と最低保障の機能を組み合わせた新しい年金制度への衣替えを提唱している」と書かれていました。私は不勉強で,連合がこういう主張をしていたのは,知らなかったのですが,個人的にはフリーランスの社会保障という問題を考えるうえで,現在の年金制度には問題があると考えていました。働く人のセーフティネット問題を根本から考え直そうということをいまやっていて,そこでは,これは労働法の問題,あちらは社会保障の問題といったことは言ってられなくなっています。自営的就労者(フリーランス)は,企業に頼らずに働くわけで,そうした人の保障のあり方を考える際には,政府が直接関与する社会保障のあり方を考えざるを得ず,そうした視点から現在の社会保障のことをみると,いろいろ改善すべき点がみえてくるのです。3号被保険者問題はその一つですが,より大きな問題は,最低保障+所得比例保障という仕組みを,いかにして現行の枠組みにとらわれずに(つまり働き方に中立的に),国民に公平な形で再構築できるかということになります。
 この点を考えるため,3月15日に神戸大学でミニシンポジウム(オンライン)を開きますので,関心のある方はご参加ください。制度を変えると誰が得をするか損をするかという話とはいったん切り離し,また移行にともなうコストもいったん忘れ,タブラ・ラサ(白地)から制度を作ると,どういうことになるかという思考実験ができればよいと思っています。法学と経済学と実際のフリーランスの立場から論客に参加してもらいます。このシンポの詳細は,近いうちに神戸大学の社会システムイノベーションセンターのHPに掲載されると思います。

 

2023年10月25日 (水)

岸田減税に思う

 岸田首相が,昨日,WBSに登場して,経済の成長を阻害しないようにすることが重要だと強調していて,減税はそのための手段ということでした。減税は税収が予想を上回ったため,物価高に苦しむ国民に還元するということのようです。実は所得税を最もきちんと納めているのは源泉徴収のある会社員です。とくに重い税負担を感じているのは,ある程度の収入があり,所得水準が税率20%に上がっていくくらいの層ではないでしょうか。この層の人たちは,富裕層とまでは言えなくても,かなりの税金を支払っており,還元政策には歓迎の声が上がるかもしれません。ただ,低所得者向けの給付金も同時に提供される予定です。ここが問題です。税金を支払っていないか,わずかしか支払っていない層にまで,金をばらまくのとセットの政策では,釈然としないものが残るでしょう。
 もちろん,税制のあり方として,課税所得未満の人々に給付金(一種の負の所得税)を支給する「給付付き税額控除」というものはあります。そのような制度を設計しようというのなら,検討の余地がありますが,今回は選挙目当てに場当たり的にやっている感じです。国民は金をばらまけば喜ぶだろうというようにみえる政策は,おとなしく税金を払ってきた会社員からは反発を生むことになるでしょう。会社員は納税により国のために貢献していると考えて,税負担にも納得しているのです。しかし,ときの政権の選挙対策として税金が使われるとなると話は違います。
 減税は,これまで(いわば受け身で)源泉徴収されてきた会社員の税意識を目覚めさせるかもしれません。まじめに働いて,ある程度稼げるようになって,でも所得税や住民税でかなり持っていかれるけれど,それも国民の義務だと自分に言い聞かせてきたサイレント・マジョリティの多くは,決して自民党の支持層ではありません。その層が本気で動くと,自民党政権はたちまち崩壊することになるでしょう。減税は経済政策として問題があるだけでなく,多くの会社員の感情としても逆効果であり,しかもそれが低所得者の給付とセットとなっていて,その財源も自分たちの支払った税金であるとなると,次の選挙では反与党に結集するかもしれません。この前の日曜の選挙結果には,その兆候が現れています。首相は,簡単には衆議院を解散できないでしょうね。

2023年10月16日 (月)

日本版(型)◯◯

 10月12日の日本経済新聞のDeep Insightで,中村直文編集委員が,「日本版VSガラパゴスの行方」というタイトルの記事を書いていました。最近,日本版という言葉を聞く頻度が増えており,それは日本が,海外モデルにならおうとする姿を示しているものではあるが,「自立性が低下している日本の現実を象徴しているようだ」と述べています。実は日本には,独自の発想の良い文化がありながら,それが「国際競争の場で生かせていない」という問題も指摘されています。そして「日本版で満足せず,日本発のプレミアム・ガラパゴスを伸ばしていく時期だ」と提言しています。
 私が日本版ないし日本型という言葉を耳にしたときに,気にいらないのは,それが本質を隠蔽するごまかしの言葉になっていることがあるからです。代表例は,日本型同一労働同一賃金です。外国では同一労働同一賃金があり,日本も同様にすべきだということを言ってきた人は,でも日本ではそのままは導入できないので,日本型とつけてごまかしているのです。職務給ベースの海外での同一労働同一賃金を,そのまま職能給ベースの日本に導入できるわけがありません。結果,「日本型」同一労働同一賃金は,本家の同一労働同一賃金とはまったく異なるものとなっています。海外の先例を学ぶということでもありません。おそろしいことに,働き方改革で,日本も「同一労働同一賃金」を導入したと思っている人がいることです。いったいどこをとらえて「同一労働同一賃金」なのか。日本型とつけているので,本家の「同一労働同一賃金」と違うという説明はつくのでしょうが,説明がつくかどうかは官僚だけに関係する話で,説明がつこうがつくまいが,実態は異質のものです。日本型ジョブ型という言葉にも同様の問題があります。
 労働の分野では,海外でやっていることを取り入れるので新しい改革だというニュアンスを出しながら,同じことはできないから日本型とつけてごまかしているような気がします。ほんとうに改革をするなら,「日本型」という言葉を除かなければならないのです。「日本型」とつけているかぎり,改革は進まず,新しいことをやっている「雰囲気」だけでごまかされてしまいます。
 日本型雇用システム(この「日本型」は,ほんとうの意味の「日本型」です)は,独自の進化を遂げた「ガラパゴス(Galapagos)」です。かつては海外でも参考にされましたが,いまでは見向きもされません。それでも日本型で行くというなら,それはそれで一つの選択です。しかし,改革でもなんでもないものを,ただ海外にあるから日本向けに適当にアレンジして導入し,それを「日本型」と呼ぶのは,混乱をもたらすだけなので,やめてもらいたいですね。

2023年10月 3日 (火)

ライドシェア解禁の議論の加速化を

 八代尚宏先生から,プレジデントに投稿したという情報をいただいたので,拝読しました(「80代運転手をコキ使ってまでタクシー業界を死守…世界で普及の「ライドシェア」断固阻止する抵抗勢力の言い分」)。私も会員になっている制度・規制改革学会の提言です。
 過激なタイトルですが,書かれている内容は,私がこのブログでも訴えてきたことと方向性は同じです。タクシー業界の人手不足対応で,国土交通省は個人タクシーのドライバーの更新の上限年齢を80歳にまで引き上げました(法人のドライバーは,これまでも年齢制限はなかったそうです)が,高年齢者の免許返納が推奨されているなかで,それと逆行する動きのような気がします。これで国民の安全が守られるのでしょうか。タクシードライバーはプロだから大丈夫ということかもしれませんが,運転技術において,平均的にみて,プロと素人との間に,どれほど大きな差があるかは疑問です。私は免許をもっていないので,乗せてもらう立場からの意見ですが,プロのドライバーでも下手な人はいるし,素人でも上手な人はいます。
 そうなると,そこまでして「プロ」の世界を守って,ライドシェアという形で「素人」が参入することを阻止するのかが妥当なのかという話になります。「プロ」に80歳まで認めるならば,「プロ」も「素人」も70歳以下に限定するという規制のほうが,国民にとっては望ましいのではないでしょうか。そのほうが,安全に運転できるドライバーの裾野が広がり,モビリティの人手不足の解決に貢献するでしょう。
 運転技術には個人差があるのであり,プロであれ,素人であれ,下手なドライバーから被害を受けないようにするためには,いつものように,テクノロジーに期待するところは大きいです。シェアリング・エコノミーの時代において,どのようにライドシェアサービスを育成していくかという視点が大切です。問題もありますが,それは解決可能であることは,八代先生の原稿でも詳しく論じられています。私のような安全重視派からしても,車はどっちにしても危険なものであり,ことさらライドシェアのほうが危険とは思えません(高齢のタクシードライバーのほうが怖いです)。素人ドライバーのかかえる危険性も,それはタクシードライバーとどこまで違うのか疑問でありますし,それについては対策もあるのです。
 「神奈川版ライドシェア」案というのは,タクシー業界にだけライドシェアを認めるというものであり,現実的な選択肢のような気もしますが,そもそもタクシー業界にそこまで忖度する必要があるのかという八代先生の意見にも耳を傾けてもらいたいです。
 ゆくゆくは自動運転にしてもらえれば,人手不足の問題は解消します。でも,あまりゆっくりしていられないと思います。気づけば,タクシーは数時間待ち,バスは計画運休で,私たちの日常生活はストップということが起こりかねません。想像力をもって,早めに対応することが必要です。走りながら,(でも質の高い)議論をするというスピード感覚が必要です。

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