政策

2022年7月24日 (日)

これからの社会保障への不安

  7月22日の日本経済新聞の経済教室で,八代尚宏先生が「参院選後の岸田政権の課題(下) 高齢化社会の不安払拭急げ」という論考を発表されていました。全世代型社会保障構築会議の中間整理において,年金や医療・介護の費用の膨張にどう対応するかという論点が欠落していることを批判されていました。年金制度は,祖父母が孫からお年玉を取り上げているようなものだとし,高齢者の定義を75歳とすべきだと主張されています。75歳現役社会を前提に,制度設計をし直すべきということで,これは雇用政策にも関係してきます。私はこうした改革は不可避だと考えており,激変緩和は必要ですが,できるだけ早く着手すべきでしょう。高年法の改正で,20214月から70歳までの高年齢者就業確保措置の努力義務が導入されましたが,こうした措置の年齢上限はさらに5歳引き上げることも必要でしょう。しかし,より根本的には,雇用も自営もふまえた75歳までの就業促進策をどう実行するかが重要で,その鍵となるのは,高齢者が持続的に能力を発揮できるようにするためのデジタル技術の活用です。
 年金については,国民年金の保険料を廃止して,年金目的消費税を導入すべきという提言もされています。かつて八田達夫先生は,日本労働研究雑誌605号(2010年)の提言「国民年金は,所得税や消費税で賄うべきか,人頭保険料で賄うべきか」 で,国民年金の保険料は,所得税でまかなうべきという提言をされています。私も消費税よりは所得税のほうがよいと思っています。ただ,八代先生も,「豊かな高齢者から貧しい高齢者への同一世代内の所得再分配を強化し,後世代の負担を減らす工夫も必要だろう」と述べておられており,そうした工夫の一つは,年齢に関係なく,豊かな人から,貧しい「高齢者」への所得再分配が可能な税制の活用ではないかと思っています。
 一方,医療・介護については,財政の問題と同時に,マンパワーの問題もあります。医療人材のことについては,宇沢弘文の社会的共通資本の考え方に賛同するということを何度も述べていますが,それとは別に,ここでもデジタル技術の活用が求められると思います。急速に医療人材や介護人材を増やすことができない以上,いかにしてデジタル技術を活用して,省力化・効率化を図るかがポイントです(これも何度も述べています)。デジタル技術の活用は,高齢化社会への対応にしろ,医療・介護人材の不足への対応にしろ必要不可欠なものであり,政策の基本は,常にここから始まるのです。

2022年6月28日 (火)

副業の促進

 625日の 日本経済新聞の朝刊の1面に「厚労省 副業兼業の促進」という記事が出ていました(今日も続報が出ていました)。副業を規制する場合には,企業はそのことを開示することが求められることになりそうです。副業は,昔ならマージナルな論点だったのですが,いまや日本型雇用システムの転換を象徴する論点といえそうです。
 そもそも日本企業が好んで副業を制限してきたことと,法律論としてみた場合,副業の制限はおかしいということの交錯が,この問題を考えるうえでのポイントとなります。企業が副業を制限したがるのは,三つの側面があります。一つは,日本の正社員の場合には,残業が付きものであり,休日労働すらもあるということからすると,副業する余裕などないはずだということです。副業をする余裕のあるような働き方は想定していないということです。また正社員はその企業の一員として忠誠を尽くすべきなのであり,別の企業にも雇用されて忠誠を尽くすという「二股をかけること」は許さないという意味もあります。さらに 企業は人材育成に費用をかけているので,そこで蓄積した技能を他の企業で使われるのは困るということもあります。副業にはいろんなパターンがありますが,蓄積した技能を生かすとすれば同業他社での副業であって,そういうものは困るということです。競業避止義務はそのために課されるのです。また同業他社でなくても 企業が副業によって新たな知見や技能を身につけると転職されやすくなります。日本の企業は,従来,教育投資からのリターンを確保するために,いかにして従業員に長く居続けてもらえるかを考えてきたのであって,そういう点でも副業は望ましくないわけです。
 ところが,この前提状況が変わってきました。日本型雇用のシステムの根幹である正社員の働き方,そして企業による人材の育成やそのための長期雇用の必要性がなくなってきていることが重要なポイントなのです。自社で教育訓練をしないから,他社での就業経験でスキルアップしてもらうことには,むしろ利益があるのです。同業他社ではなく,異業種での経験のほうがプラスになるということもあります。根本的には,副業解禁の背景には雇用の流動化があり,それは同時に日本型雇用システムの崩壊および長期雇用慣行の終焉というものを意味しています。
 もう一つの視点は,労働者にとって,勤務時間以外の時間をどのように使うかは私的自由の問題であるということです。副業制限には,職業選択の自由という憲法上の権利の制限という意味もあります。ただ,これは原理的な問題で,具体的に副業を規制する法律は存在しないので(民間企業の場合),就業規則の合理的な規定によれば副業を制限をすることはできないわけではなく,厚生労働省が作成したモデル就業規則でも,少し前までは副業の許可制をモデルとして定めていて,これが事実上の指針となり,副業制限について,厚生労働省もお墨付きを与えていたのです。そのモデル就業規則が改正され,さらに今回のような動きが出てきたのであり,厚生労働省は大きく方向転換をしたといえます。副業イコール雇用の流動化ではありませんが,上記のように副業促進は雇用の流動化と親和性の高い政策です。一方で,雇用調整助成金のダラダラとした延長をやっているようなこともあり,厚生労働省は,雇用流動化政策を,どうやって一貫したシナリオで提示できるかが,いま問われているのでしょう。

2022年6月27日 (月)

賃上げ政策

 参議院選挙の主要な争点に物価高対策があります。物価高への対応として,各党のほとんどが賃上げをあげています。年金受給者は令和2年度で4051万人もいることからすると(厚生労働省の「令和2年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」),年金受給者への対応も必要です(その意味で,N党の年金受給者らへのNHK受信料の減免という政策は,年金受給者には「刺さる」ものです)が,やはり現役生活者の収入の底上げも重要です。
 問題は,賃金を上げるための正しい政策は何かです。賃上げは結果であって,いきなり賃金だけ上げようとしても市場をゆがめることになるでしょう。もちろん,それは上げ方いかんであり,適度の賃上げであれば,かえって労働市場の効率化につながると言われています。生産性向上へのインセンティブとなり,好循環が生まれるというシナリオもあります。企業の設備投資を促す税制度とリンクさせることにより,効果的な循環が生まれるというのも理解できます。ただ,賃上げをどの程度の水準にすれば,こういう良い効果がうまれるかは,とても難しい問題でしょう。ここは経済学者に任せるしかないのですが,それに加えて,多くの党がふれている最低賃金の引上げについては,法律家からすれば,現在の最低賃金法の枠組みをどうするのかということも言ってもらいたいところです。最低賃金は審議会方式で決まるのであり,例えば地域別最低賃金を廃止して全国一律にするとか,1500円にするとか言ったとしても,それが審議会方式を維持したうえでやろうとしているのか,それともまったく新しい制度を考えているのか,よくわかりません。正直なところ,全国一律とか1500円とかは,単なる努力目標にすぎないのであり,1500円という数字で人を惹きつけようとするのは,よくないポピュリズムではないかと思います。
 当たり前のことですが,賃金は当事者間の合意で決まるのであり,最低賃金は,あくまで法律で罰則付きで強制する最低基準にすぎません。これを引き上げることに慎重であるのは当然なのです。むしろ,こういう法律上の賃金より,実際の賃金がどうやったら上がるかを考えるべきであり,正しい手法は経済政策をとおして賃上げできる状況をつくることでしょう。
 賃金の水準が実際に問題となるのは,中小企業の社員と非正社員です。中小企業はコロナ禍で種々の補助金で支えられてきたと思いますが,そこから脱却して,いかにしてDX時代の競争で生き残れるかというところが勝負となるでしょう。中小企業の中核は,スタートアップ企業などのDXに立ち向かっている企業であるべきであり,そういう企業を助成し,そこに人材が集まってくるようにするのが,じつは最も効果的で持続性のある賃上げ政策でしょう。そのためには人材育成も必要です。学校教育の改善というルートもありますが,大企業からの優秀な人材が中小企業に流れてくるというルートもありえます。雇用の流動化が,大企業から中小企業へ雇用移転という形で起これば,一時的には賃金が下がることもあるかもしれませんが,人々が自分の適職を求めて移動していくことが増える環境ができてくることは望ましいことであり,これにより生産性の高い企業が生き残っていくことになれば,全体として賃金は上がっていくことになるでしょう。私たちの提唱している解雇の金銭解決制度も,このシナリオに貢献できると考えています(本日の日経産業新聞に,先日の電子版にも掲載された水野裕司さんの記事「解雇の金銭解決,日本も動き」が掲載されています)。実は各党のなかで,この考え方に近いものを出している政党が日本維新の会でした。HPには,「労働移動時のセーフティネットを確実に構築した上で,解雇ルールを明確化するとともに,解雇紛争の金銭解決を可能にするなど労働契約の終了に関する規制改革を行い,労働市場の流動化・活性化を促進します」と書かれていて,これは私の主張に近いものであり,驚きました。また国民民主党も,「給与の引き上げ」を前面に出していますが,最低賃金などではなく,労働市場政策を重視しているなど,その政策はしっかりしたものだと思いました。もっとも両党とも,私からみれば,安全保障政策などに難があります。共産党と維新や国民民主党の中間のような政策を出す政党が出てくればよいのですが。
 なお消費税廃止は,賃上げと同様の効果はありますが,もし無制限に行うのであれば,無責任な政策だと思います。消費税は,逆進性がある部分とそうでない部分とがあります。一括して廃止や低減というのは,保護しなくてもよい人まで保護し,国の財政を危うくする愚策です。特定の生活必需品に限定して,明確に期限を切って消費税を低減するという政策でなければ,とても支持はできませんね。

2022年6月 9日 (木)

これも「人への投資」? 

 「骨太の方針」(「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え,持続可能な経済を実現~」)をみました。政策の目玉となる「新しい資本主義に向けた重点投資分野」として,(1)人への投資と分配,(2)科学技術・イノベーションへの投資,(3)スタートアップ(新規創業)への投資,(4)グリーントランスフォーメーション(GX)への投資,(5)デジタルトランスフォーメーション(DX)への投資を挙げているのは,どれも重要であり文句のつけようがありません。もっとも,その内容を読んでみると,少し違った感想が出てきます。そもそも「新しい資本主義」というネーミングが失敗でしょう。「新しい」という以上,どれだけ「新しい」かと期待させます。安倍政権時代から感じることですが,自分たちの打ち出している政策について,良さそうな形容語をつけてよく見せようとするのですが,中身をともなっていなければ,羊頭狗肉だとして,失望感を大きくするリスクがあります。
 ところで,「人への投資」というところでは,最初に,次のような文章が出てきます。

 「デジタル化や脱炭素化という大きな変革の波の中,人口減少に伴う労働力不足にも直面する我が国において,創造性を発揮して付加価値を生み出していく原動力は「人」である。自律的な経済成長の実現には,民間投資を喚起して生産性を向上することで収益・所得を大きく増やすだけでなく,「人への投資」を拡大することにより,次なる成長の機会を生み出すことが不可欠である。「人への投資」は,新しい資本主義に向けて計画的な重点投資を行う科学技術・イノベーション,スタートアップ,GX,DXに共通する基盤への中核的 な投資であるとも言える。こうした考えの下,働く人への分配を強化する賃上げを推進するとともに,職業訓練,生涯教育等への投資により人的資本の蓄積を加速させる。あわせて,多様な人材の一人一人が持つ潜在力を十分に発揮できるよう,年齢や性別,正規雇用・非正規雇用といった雇用形態にかかわらず,能力開発やセーフティネットを利用でき,自分の意思で仕事を選択可能で,個々の希望に応じて多様な働き方を選択できる環境整備を進める。」 

 経済成長を軸としたものである点は,もっと社会の持続性や国民の幸福といったものを軸としたほうがよいとは思いますが,この方針自体が,「成長と分配」をめざすものなので,「成長」に言及することは仕方がないでしょう(「成長」を強調したことで,株式市場も安心したようです)。ただ「正規雇用・非正規雇用といった雇用形態にかかわらず」は,「雇用や自営などの就労形態にかかわらず」と書くべきでしょうね。このあたりが,古くさい印象を与えます。
 ただこういう細かいことより,もっと気になるのは,この投資分野のなかで,個別の投資項目として,「人的資本投資」,「多様な働き方の推進」,「質の高い教育の実現」と,ここまではよいのですが,そこから,「賃上げ・最低賃金」と来て,最後に「「貯蓄から投資」のための「資産所得倍増プラン」」となると,どうも理解できなくなります。「最低賃金」は,「人への投資」に関係するのでしょうか。唐突に,「人への投資のためにも最低賃金の引上げは重要な政策決定事項である」と書かれています。以前にも書きましたが,賃金の引上げは,かえって人への投資にマイナスになるのではないかと思うのですが。教育への投資が生産性の向上をもたらし,それが賃上げにつながるというストーリーならわかりますが,そうなると,賃上げはあくまで政策の効果となります。それとは別に需要喚起のための賃上げというのはあるのでしょうが,それは人への投資とは違った筋の議論ではないかと思います。賃金が上がると,モチベーションが高まり,人的資本の蓄積に励みやすくなるというストーリーも考えられるかもしれませんが,そういう話なのでしょうか。
 さらに「資産所得倍増プラン」となると,「投資」の意味が変わってしまっています。「人への投資」とは無関係ですよね。
 まあ,そんなことはどうでもよく,良いことは良いのだということかもしれません。ただ,こういう関連性がはっきりしない投資目標が並べられていることに不安も感じるのです。一貫した政策方針があって,それを基にして論理的に体系づけて個々の分野の政策を展開していくということではなく,各省庁からの予算要求に対応するために,いろんなものを寄せ集め,それを一見して関連性があるように見せかける作文をして,それを「新しい資本主義」という美しい包装にくるんで,国民を煙に巻くということであっては困るのです。
 冒頭の5つの重点投資分野は,私の目にはロジカルにつながっていて,もっときれいなストーリーが書けるものです。それなのに,そういうことができていないように思えます。それは,おそらく政府が,その全体像をしっかり体系的にとらえることができていないからではないでしょうか。言葉だけが踊るというのは,近年の政府の傾向ですが,これではwise spendingができず,ただ財政を痛めるだけに終わらないかが心配です。私の理解不足で,政府の深遠な構想が理解できていないだけなら,よいのですが。

2022年6月 3日 (金)

みずほの裁量労働制廃止に思う

 昨日の日本経済新聞で,みずほ銀行が,企画職に20年前から導入されていた裁量労働制を廃止するという記事が出ていました。裁量労働制が,過重労働を引き起こし,行員の働きがいを奪っていることが理由のようです。
 導入されていたのは裁量労働制のなかの企画業務型裁量労働制(労働基準法38条の4)だと推察されますが,今回のみずほの動きが,大企業における企画職における裁量労働制の「失敗」を意味するものであれば,これは労働法的にも注目すべきものとなります。裁量労働制,とりわけ企画業務型裁量労働制はもともと評判がよくないところがあり,やっぱりこういう制度はないほうがよいという議論になっていかないかが心配です。
 注意すべきは,この銀行の企画職が,ほんとうに裁量労働制に適した業務をしていたのか,です。労働基準法上は,企画業務型裁量労働制について,「事業の運営に関する事項についての企画,立案,調査及び分析の業務であつて,当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量に委ねる必要があるため,当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務」を対象とするとしています(同条11号)。みずほでは,もしかしたら「当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしない」というような働き方になっていなかったのかもしれません。もし,そうだとすると,裁量労働制は,企業が,割増賃金(労働基準法37条)を支払わずに長時間労働をさせることが可能なシステムにすぎないものとなります。本来,そうならないように,厳格な要件(労使委員会の5分の4以上の多数で,所定の事項についての決議をして,労働基準監督署長に届け出ることなど)が導入されているのですが。
 私は裁量労働制については,こうした厳格な要件があるため,使い勝手が悪いので見直しが必要だという主張と並んで,この制度を導入しても,日本ではこれに適したプロ人材が少ないことが問題だという観点からの懸念も表明してきました。自らの裁量で業務を遂行し,賃金は成果で評価して決めてもらうという人材がもっと増えなければならないのですが,そういう人材が少ないので,日本企業の競争力は高まらないのです(類似の問題意識で,かつて現代ビジネスに寄稿したことがあります。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55457?imp=0)。
 みずほも,結局は,企画業務型裁量労働制にふさわしい人材がいなかったということなのでしょうかね。時間管理(さらに健康管理)をきちんとできるだけの裁量が与えられていない労働者が,割増賃金のない働き方をさせられるとなると,働きがいがなくなってしまうのは当然でしょう。ほんとうは,その逆に,時間管理も健康管理も自分でやるから,しばられない働き方をさせてほしいという人材を多く抱えなければダメで,そのためにも現在の法規制は厳格すぎるという声が企業のほうから出てきてほしいのですが,今回のみずほの動きは,その逆のようです。
 そう思ってしまったのは,日本経済新聞で連載されていた「みずほリセット100日」を読んだからでもあります。記事で指摘されていたのは,閉鎖的な企業風土,「言うべきことを言わない,言われたことだけしかしない」行員たち,社内のデジタル化やデジタル戦略の遅れ,取引先への上から目線,出世のモチベーションが専用車のあるポストにつくこと,情報システムという基盤技術をベンダー任せにしていること,文系出身で占める経営企画部の力が強く,ポストは年次で決まる要素が強いことといった数々の大企業病でした。もちろん,その解決に挑んではいるものの,記事をみるかぎり,なかなか結果が出そうにありません。おそらく,これはみずほだけでなく,他の業界も含めた大企業に共通する問題であり,また役所にもあてはまるものでしょう。上記のような大企業病があるかぎり,優秀な若者は逃げていくでしょう。
 裁量労働制の廃止という時代に逆行する動きのなかに,本来なら従業員のやりがいを高めるために活用可能な裁量労働制を使いこなすことができなかった企業の「未来のなさ」が現れているように思います。

2022年4月12日 (火)

ワクチン休暇

 今日から学部の授業も始まるはずでしたが,私が原因ではない事情があり,休講でした。それで補講はオンデマンドで行うことになり,あわてて動画を作り,配信しました。個人的には,オンライン授業は,対面授業とクオリティは変わらず,むしろ多数の受講生がいる大講義においては,どうせ授業はかなり一方通行にならざるをえないので,オンデマンドのほうが,意欲ある学生にはよく届き,復習もしやすいので良いと思っています。文部科学省がオンライン授業に消極的にみえるのは,理系とかをみているのかもしれませんが,少なくとも法学部の授業で,オンライン授業がダメな理由は明確ではありません。ちなみに社会人大学院生となると,仕事の都合で東京などに戻らざるを得ないというようなこともあり,そうなると単位取得に困るのですが,授業がオンラインで配信されていれば,その問題が解決するのです。こうした例からもわかるように,本気で教育機会を保障するということを考えるならば(例えば,北海道に住んでいる人で私の授業を聴講したいという(奇特な)人がいて,でも金銭的な事情で神戸に来れない人を想定せよ),むしろ大学はオンラインで授業を配信することこそ原則とすべきで,これにより台風があるから休講とか,そういうことも避けられるのです(もちろん,授業のなかには,どうしても対面でなければできないようなものは,とくに理系では多いでしょうが,それもまたARやメタバースの活用により克服できるかもしれません)。
 もう一つ気になるのは,やはりコロナですね。新規感染者は減っていません。対面型の大講義は密集を引き起こします。授業だから仕方がないという発想よりも,オンライン授業であれば避けられるという視点が必要かもしれません。それはさておき,現在のコロナ対策について,私も大竹文雄さんたちが言っているように,いまとなれば強い行動規制が必要とは思っていません。飲食店は最近ときどき行ってはいますが,そこで感染しそうな感じは全くないくらい,対策が行き届いています。もちろんいろんな飲食店があるから,一概に大丈夫とは言えませんが,国民の自主的な行動でかなりの予防ができるように思います。むしろ自主的な行動ができない子どもたちや,うまく防御態勢がとれない高齢者や病人のところこそ問題なのであり,それは経済行動の規制とは違うタイプの規制が必要だということですよね。ワクチン接種も気になります。原理主義的なワクチン反対派はさておき,副反応がいやでワクチン接種をいやがる人もいるわけで,その気持ちはわかるので(そうは言っても,私の場合,ワクチン3回目のときは,腕が腫れた程度で,結局,仕事には何も支障はありませんでしたので,副反応のつらさをほんとうにはわかっていないかもしれませんが),そこに何らかの対応をするということはあってよいと思います。ワクチン接種した人が,就業に著しく困難な場合には,休暇を保障するということをすればどうでしょうか。これは労働基準法67条の生理日の休暇にならったものですが,若者が感染源となっている事情があるのなら,機敏にピンポイントの対策をとってもらいたいです。社員に休暇をとられて困る中小企業に助成するというのとセットでもいいです(生理日の休暇は無給ですが,場合によっては政府が助成して賃金補償してもよいでしょう)。飲食店に営業規制をして,それで損失補填の補助金のようなものをつけるというコロナ対策よりも,よっぽど意味があると思いますが,どうでしょうかね。 

 

2022年3月29日 (火)

意欲ある役人に任せよ

 328日の日本経済新聞の社説では,「こども家庭庁は本来の役割を果たせるか」というタイトルで,現在の子ども政策について厳しいコメントがされていました。幼保一元化が進まないのは,幼稚園行政の権限を手放さない文科省が悪いという書きぶりでした。長年議論されていながら,なかなか出口がみえない幼保一元化について,一度わかりやすく論点を整理して国民に示してもらえればと思います。たんに官庁の縄張り争いというだけでもないようです。
 ただ,いずれにせよ,幼稚園と保育所が異なる制度として併存していることがわかりにくいのは確かです。子どもと家庭のためにどういう政策が望ましいのか,そのためにはどういう仕組みが必要なのか,という逆算方式で考えてもらたいものです。
 これからは従来の官庁の縄張りをまたがる問題がどんどん出てくることでしょう。労働の場面でいうと,フリーワーカー(フリーランスなどの自営的就労者)の扱いが,厚生労働省と経済産業省にまたがっており,さらにテレワークとなると総務省も関係し,業界規制という観点から,業種によっては農林省や国土交通省なども関係してくるというように,担当官庁が錯綜してしまっています。内閣府が,それを統合するということになるのでしょうが,内閣府自身もそもそも混成部隊で,出身官庁からどこまで独立して仕事ができるかよくわかりません。
 私は,政府が決めたプロジェクトごとに,省庁の枠を超えて意欲と能力のある官僚を集めて,出身省庁から独立して活動してできるTask forceを作り,そこで法案を練り上げて,直接,国会に提出するというようなことをやってもらえればと思っています。若手官僚は,政策のことをやりたくて役所に入ったはずです。できるだけ若くて柔軟で体力も気力もあるうちに,政策にタッチさせてやってもらいたいです。出身省庁から独立して(つまり省益ではなく,真の意味での国民の利益を考えて)活動しても,出世に役立たないから本気でやらないだろうという声もありそうですが,出世などを気にせずにやる気を見せてくれる官僚はきっといると信じています。それに官僚も今後は長く働くつもりはなく,中途で退職して次のキャリアを展開しようとする人が増えていくと思います。そうなると組織は流動化し,中途で辞めていく人がいても,また良い人材が入ってくるという好循環が起こるでしょう。
 それともう一つ指摘したいのは,役所の会合は,私が知るかぎり,役人は事務局で,委員には有識者というような編成が多く,その委員の名前はだいたい同じになります。役人は裏方に回り,自ら腕をふるえない以上,自分たちが使いやすい委員を選任する必要があるので,どうしても候補者はかぎられてくるのです。たとえば労働政策でいえば,バリバリのプロレーバーは選ばれないわけです。しかし,役人が自らチームをつくって委員となっていれば,外部の意見は,いわば「参考意見」として,いろんなタイプのものを聞くことができ,それだけ視野が広がって良い政策立案ができるはずです。とくに落としどころが決まっていない課題には,多様な意見を集めることが必要です。難題に直面して必死に解決を模索しながら,政策をつくりあげる場が官庁であるということになってほしいものです。そうなると研究者志望でも,政策志向があれば,官庁に入ってみようかという気になるかもしれません。
 こども家庭庁のような新しい組織に対しては,とくに子育て世代の若い役人のなかで,自ら腕をふるってみたいと思っている人が多いと想像しています。新しい官庁が,省益を考えず,国民そして自分たちのこどものために何ができるかを真摯に考えてくれる役人が叡智を結集できる場となってほしいと心から願っています。

2022年1月25日 (火)

マクロからミクロに 

 今朝の日本経済新聞に「『ロボットが雇用を奪う』は誤りか」というThe Economistの記事が掲載されていました。ロボットによる自動化は,必ずしも雇用を奪うとは限らず,むしろ雇用を増やすこともあるという実証データが出てきているという話です。そして,「現段階で明らかなことは,ロボットによる自動化について,悲観一辺倒のシナリオが世界を席巻する時代は完全に終わったということだ。」と結んでいます。マクロ的にみると,ロボットによる自動化は,必ずしも雇用者数を減らさないかもしれません。また企業レベルでみても,配置転換などがうまくいけば,雇用は減らないかもしれません。しかし,個々の労働者が従事するジョブのレベルでみると,自動化はジョブの新陳代謝を引き起こすのであり,そこで新しいジョブへの転換がうまくいかなければ,失業する危険があります。したがって重要なのは,現在やっているジョブが機械化になじむかどうか,ロボットによって代替されうるかどうかであり,Oxford大学の研究者が2013年に発表した衝撃的な研究成果("THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?”)は,その点について示したものです。記事では,この研究成果に批判的ですが,失業率が高まらなかったことと,個々のジョブレベルでみた機械化の可能性とは関係がないとはいえませんが,直接的ではありません(もっとも,実は個々のジョブレベルでの機械化の可能性や数値については,その後,様々な研究で2013年の発表には異論が出されてはいます)。日本企業でいっても,自動化によって企業の収益が改善し,解雇回避をしなくても,雇用を維持できる余力ができたために失業率は高まらないということはありえます。ただ,それだとやはり潜在的な失業者を抱えこむことになるので,経営が悪化したときにはリストラされてしまう可能性があります。機械化の影響は,伝統的なジョブに従事している従業員の企業内でのjob switchingがどのように進んでいるかという実証研究をみなければ,何ともいえないように思います。
 マクロ的な数量だけで論じてはいけないのは,賃上げ論でもあてはまります。今日から春季労使交渉が事実上スタートするということで,政府肝いりの「賃上げ春闘」となりそうですが(もともと春闘は賃上げが中心だったのですが,近年は様相が変わってきていました),大企業中心の経団連が前向きでも,多くの中小企業にとっては賃上げは簡単ではないでしょう。賃上げは何%といったマクロの目標は政府レベルでは必要かもしれませんが,個々の企業にとってみてれば,賃金は従業員に対してどのようにインセンティブを与えるかということにかかわる最も重要な経営マターなのであり,どのくらい上げるかという量的なものではなく,どのような賃金制度の設計にするかという質的な部分が重要です。よりよい賃金制度を構築して生産性が上がり,企業収益が上がり,それが従業員に還元されていくという循環が起きなければならないのですが,それは基本的には経営者が考えて取り組むべきことです。内部留保をため込んでいる企業もあるかもしれませんが,それは種々の未来の不確実性が関係しているわけで,政府の役割は,そうした経営者の不安をできるだけ取り除くことにあるべきです。
 いずれにせよ賃上げは結果なのであり,個々の企業が賃金制度設計をどうすれば経営改善につながるかというところがポイントです。法的には,そうしたことを目指す賃金制度の変更に対して過度の制約が生じないようにしなければなりません。例えば年功型賃金から成果型賃金への移行は,賃金が不安定になる(上がるかもしれないが,下がることもある)ことから不利益変更であるとして,労働者が同意しないかぎり,労働契約法10条により合理性が求められます。また判例上,賃金の不利益変更は,高度の必要性がなければならないとされています。ただストレートに賃下げをするのではなく,制度のコンセプトを変えるような場合,高度の必要性や合理性を厳格に求めると,制度変更が難しくなります。しかも合理性というのは,どういう場合に認められるのか,労働契約法10条をみているだけでははっきりしません。労働者の同意があればよいのですが,これも判例によって客観的な合理性が求められます(昨日のブログを参照)。こういうことでは,企業は訴訟リスクを抱え安心して制度変更ができないので,私は納得規範というものを提唱しています。それによれば,企業は納得をえるように説明することは必要であるが,それをきっちりやっていれば変更は可能であるというものです(詳細は拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)37頁の「既存就業規則の不利益変更」の議論を参照)。 私の「人事労働法」の話はともかく,賃上げ論は,こうした個々の企業の賃金制度の話にまで降りていかなければ,うまくいかないでしょう。マクロからミクロへ,ということのです。

2022年1月 7日 (金)

賃上げ

 岸田首相の口から「賃上げ」という言葉がよく聞かれます。これは安倍政権時代の「非正規をなくす」と同じように,労働者にとって良い話だし,経営者も文句を言いにくいし,本当にそれがうまく実現できれば経済も良くなり,悪いことがないマジックワードのようです。しかし,「賃上げ」と言われても,そのままでは企業も賃金を上げることはできないでしょう。補助金があっても,しょせん一時的なものにすぎません。
 企業が成長して価値を増やしたときに,その果実を従業員に還元するという賃上げは,企業の戦略として当然ありえることです。それをしなければ従業員のモチベーションが下がり,持続的な成長は期待できません。ただ,成長をするためには,投資が必要でしょう。これからの成長には,まずはDXGXへの投資が鍵となり,そこにまず資金を投入し,成果が出れば賃金で還元するというシナリオはありえます。しかし成長の前に,まず賃上げというのは,どうなのでしょうか。賃上げして,それが消費に回れば需要が高まり経済も回るという循環は,現実的なシナリオなのでしょうか。
 DXGXとは別に,企業の成長の源泉はいまや無形資産だと言われています。実は私は昨年の年初に次のテーマとして一つ考えているものがあると書いていましたが,それが無形資産でした(十分に研究できておらず,今年に持ち越しています)。無形資産から企業が価値を生み出す時代になっているなか,そこへ投資をすることは当然のことであり,それは要するに人への投資です。連合の芳野会長も「人への投資」ということを言っていますが,それがこの意味であるならば同意できます。ただそれは,目先の賃上げではありません。むしろ賃上げの原資とされそうなものは,無形資産の価値を高めて将来の賃上げにつなげるための投資に充てるべきしょう。目先の賃上げを考えるのか,将来を見据えた賃上げを考えるのか。二兎を追うのは難しいでしょう。そう考えると,政府が人気取りのために,目先の賃上げを進めようとするのは,将来のことを考えると間違った政策ではないかが心配です。

2021年12月13日 (月)

新しい価値観にあった賢い政策を

 岸田政権の本質は,最終的に世論に迎合した政策よりも,打ち出して引っ込めた政策のほうをみて評価すべきかもしれません。今回の子育て世代の現金給付については,10万円を支払うことにより国民の支持を得ることができ,(貯蓄に回すことができない)クーポン券の利用に半額を充てることにより消費喚起の経済対策にもなり,貧困家庭への援助にもなるという一石三鳥(あるいは,もっと多くの鳥を得られるかもしれませんが)だと考えたかもしれませんが,どうでしょうか。
 クーポン券をもらっても,あわててそれほど必要でもないものには使いたくないという国民の価値観(無駄な消費を控えるというSDGs思考)についていけてないかもしれませんし,貧困対策に部分的にはなっていても貧困世帯でないところにもばらまかれるのが,節約志向を強めている国民の感覚にあわず,さらには多額の事務経費の問題などが出てくると,国民の支持を得るのは難しいのではないでしょうか。財政出動の重要性は否定しませんが,wise spendingをしっかり考えてもらう必要があります。結局,全額現金でもよいということになったようですが,政府への不信感は容易には払拭できないでしょう。安倍政権時代のアベノマスク(非常用に置いていますが,うっかり付けて外に出たら馬鹿にされそうなマスクです)に象徴されるような税金の無駄づかいをしてしまうようでは,支持率は現在の様子見的な段階が終わると,急降下するかもしれません。
 岸田政権がひっこめた政策には,金融所得課税の強化もあります。富裕層には金融所得が多いことを念頭に置いたものですが,そのねらいはともかく,メッセージとしては株式投資にネガティブなものとなりました。老後2000万円問題のときとは逆方向のメッセージです。この課税強化の話がでたときは,株式市場も敏感に反応していましたよね。賃上げ政策により上がった賃金は,消費につながるというシナリオもありますが, 株式投資がなされて,それをもとでにして,企業が将来に向けて良き投資をするというシナリオもあり,SDGs時代の価値観からは,後者のほうが優先されるべきではないかと思うのです。それにESG投資の動きは,機関投資家などだけでなく,国民にも広がってきており,まさにwise investmentが注目される時代になるなかで,金融所得課税はそれに逆行している感があります。また,国に支払う税金も同じで,未来社会に役立つことに使ってほしいという思いを国民はもっているのです。だから必ずしも減税を望んでいるとは限らないのは,減税を主張する政党が必ずしも多数の支持を得ていない点に表れています(先の衆議院選挙では,維新は消費税の5%への引下げを主張していましたが,規制改革で支出を刈り込む案を出してwise spending の道筋を示しているところが支持されたのでしょう)。
 新しい資本主義というより,新しい価値観に応えたwiseな政策を進めてほしいものです。

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