書籍・雑誌

2022年3月 7日 (月)

労働者協同組合と優生思想

 一昨日紹介した「わが名はキケロ」という映画では,ナチスの優生政策「T4作戦」も扱われていたことを紹介しました。このおぞましい作戦は後のホロコーストの予行演習となったと言われています。ガス室で何もわからないまま障害のある子どもたちが殺されようとしていたシーンは戦慄を与えるものでした。日本でも,相模原事件と呼ばれる障がい者の大量殺傷事件があり,その背景には優生思想があったと言われています。犯人がどういう動機でこの犯行に至ったのかはよくわかりませんが,資本主義における競争社会において,勝者と敗者が明確につくなか,障がい者をその競争のレールに最初から乗っていないとみなして嫌悪するという屈折した優生思想が,私たちの社会のどこかにあるのかもしれません。そうなると優生思想と資本主義は密接な関係があることになります。そんなことを考えさせられたのが,ときどき採り上げているJT系の「TASC Monthly」という雑誌の551号(202111月)に掲載されていた,「ワーカーズコープへの想い」という坂部明浩さんの論説を読んだときでした。この論説では,最近法制化された労働者協同組合を採り上げながら,障がい者中心の協同組合活動のことを紹介されており,そのなかで「いかなる優生思想(の芽)にも抗する強靱でしなやかな地域社会づくり」というスローガン(目的)に言及されていました(なお坂部さんは障がい者に「障碍者」という正しい漢字をあてておられます。私は,通常は「障がい者」とし,法律用語としては法文にしたがって「障害者」を使うことにしています。ときどき混同してしまうこともありますが)。
 ところで障害者雇用促進法は,「障害者である雇用労働者」の雇用促進のために事業主に責任を課しており,この面では事業を遂行する企業において生じる強い事業主と弱い労働者という縦の関係にくさびを打ち込もうとする労働法的なつくりを採用しているといえます。資本主義社会で営利企業で働こうとしても,普通の労働者間競争では,簡単に排除されてしまいがちな障がい者に合理的な便宜をほどこして,競争の世界に参入できるようにするという趣旨です(この点がより明確なのが,アメリカの障がい者差別禁止法であるADAAmericans with Disabilities Act]です)。一方,労働者協同組合は,企業とは異なり,「組合員が出資し,それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ,及び組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織」であり(労働者協同組合法1条),そこにあるのは,組合員間の横の関係です。そして組合は「持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とするものでなければなら」ず(同法31項柱書),「営利を目的としてその事業を行ってはならない」とされています(同条3項)。地域への社会貢献を非営利で行うものであり,これは労働の原点となる活動だといえます(労働の原点がこういうものであることは,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)でもふれています)。
 自らの属する共同体において自己のできる範囲で社会課題の解決に貢献するのが「労働」であるとすると,必ずしも営利社団法人である企業という場で雇用されて働くという形をとらなくてもよいのです。労働者協同組合は,企業に代替しうる「労働」の場の最有力候補といえるでしょう(組合員は労働契約で採用されるとなっていますが,本来は労働契約でなくてもよいと思われます)。そうした労働者協同組合が,障がい者の「労働」の場として適しているという坂部さんの指摘は興味深いものです。
 ただ,労働者協同組合の意義は,障がい者以外にも及ぶものです。誰もが取り残されないというSDGsの理念を実現するためにも,何のために労働をするのかという原点に立ち返るべきです。資本主義にどっぷりそまり,競争に勝つことばかりに気をとられ,競争に負けたり,あるいは競争に乗れない人を下にみる人は,実は自分をとても窮屈な世界に閉じ込めているのだということに気づく必要があるでしょう。

2020年9月21日 (月)

危険なビーナス

 東野圭吾『危険なビーナス』(講談社文庫)のなかに,父親の病院を継いで医師になるとみられていた明人が,その通っている中学でコンピュータのサークルをつくっていると聞いた,獣医志望の異父兄の伯朗が,明人との間で交わす次のような会話があります(75頁以下)。

 「医者になるのに.コンピュータは必要ないと思うけどな」……
 「逆だよ。コンピュータがあれば,大半の医者はいずれ必要なくなる。医者がやってることを考えてみなよ。問診票やいろいろな検査結果から病名を推測して薬を処方する―ただそれだけだ。経験というデータベースが武器だけど,全世界の全症例を記憶するなんて,一人の人間には無理だ。でもコンピュータなら不可能じゃない」……
 「獣医も必要なしってわけか」
 「さあ,それはどうかな。費用対効果を考えると当分の間は人間が診たほうが安上がりかもしれない」
 「それを聞いて安心した」


 ここにはAIやロボットが雇用を代替するときに出てくる論点が,そのまま出てきていますね。
 ところで,私も含め多くの人は,医師にはたいへん感謝をしてはいるのですが,医師のあまりにアナログ的な仕事ぶりには驚かされてもいます(パソコンを置いているというだけでは誤魔化されません)。そもそも患者の健康情報なのに,なぜ患者にはデータでもらえないのでしょうか,それを医療研究用にきちんと分析するならまだしも,必ずしもそういうことではないようです。おそらく今後は,私たちは自分の健康データは自分で把握・管理して,それを自分でアプリなどをつかって分析し,わからないところを医師に聞くというようなことになっていくでしょう。ホームドクターは,リアルな病院やクリニックでなくても,オンラインで対応してくださればいいのです。熱があるときに,医者のところに行くつらさは誰もが感じています。往診してくれなくても,とりあえずオンラインで診察してくれれば助かるということが多いはずです。まだ重くなっていないのでそのうち治るかもしれないが,念のために診てもらいたいというときも,病院に行くと,ほんとうの重病人から感染させられないかと心配になります。待たされる時間が長いから,余計に心配です。
 こういうことを避けるためにもオンライン診療は必要なのです。対面型でなければならないという医師の言い分もわからないではないですが,そこはもっとテクノロジーをつかって,どうやったら対面以外の方法で患者の情報を入手できるか工夫をしてもらいたいですね(同じようなことは1月にも書きました)。 


 それで『危険なビーナス』はどうかというと,これは東野圭吾の作品にときどき出てくる最新医療ものです。サヴァン症候群の話をからめながら,伯朗と明人の母の謎の死や明人の失踪などが組み合わさり,そしてちょっとセクシーで小悪魔的な女性も出てくる,一級のミステリー娯楽作品です。

2020年9月13日 (日)

嘘を愛する女

 自宅にいる時間が長くなると,ちょっと気分転換という口実を自分に与えて,Amazonのプライムビデオをみることが増えました。いろんな映画をランダムにみていますが,何日か前に,長澤まさみ主演の「嘘を愛する女」をみました。どこかでみたことがある気もするけれど,どうしてもストーリーが思い出せないので,予告編でもみたのかなと思いながら,最後までみました。以下,ネタバレあり。
 由加利は,小出桔平と5年前から付き合っていて,そろそろ結婚をと思い,彼を紹介するため彼女の両親を呼んで食事をすることにしましたが,約束の場に桔平は現れませんでした。実は桔平はくも膜下出血でたおれて病院にかつぎこまれていたのです。一命はとりとめたものの,意識がもどらない状態にいました。しかし,そこで衝撃の事実がわかりました。病院で働く医師であると言っていた彼がもっていた職員証は偽物で,名前も偽名。彼は身元不明人だったのです。彼の所持品のなかにコインロッカーの鍵があったことから,そのロッカーをみつけだし,そこから出てきたのがパソコンでした。彼はパソコンをつかって小説を書いていました。若い夫婦と男の子が出てくる家庭小説です。しかし,場の設定は瀬戸内海でした。その描写の細かさから,彼の出身地が舞台で,彼がその家族について書いたものではないかと推測されました。由加利は私立探偵の海原と,彼が誰なのかを探る旅に出ます。そこでわかったのは,彼は働き盛りの医師で,妻子がいたこと,そして妻が育児ノイローゼになり子を殺してしまい,妻も自殺をしていたことでした。彼は自分を責め,自分の過去を捨てるため東京に出てきたのです。由加利は,彼がかつて住んでいた家を見つけ出しました。そこにはまだ幼い子のいる家庭の雰囲気が残っていました。ところが,海原はあることに気づきます。部屋に残されていた家族写真に写っていたのは女の子でした。小説に出てくるのは男の子だったのです。
 由加利は,桔平に,男の子が欲しいな,と語ったことがありました。小説のなかには,そのほかにも,由加利と桔平の間で交わされていた会話がしっかり書かれていました。由加利も海原も,桔平がずっと自分の過去の家庭を振り返って小説を書いていたと思っていたのですが,実は,桔平は由加利との幸福な生活を想像しながら小説を書いていたのです。由加利は,桔平の愛を疑った自分を責め,彼の快復を祈ります。
 恋愛小説というのは,会いたいのに,なかなか会えないという「すれ違い」ものが多いですが,この場合,会えているけれど会話ができないという設定になっていて,これは上手だなと思いました。
 という映画だったのですが,実は小説で先に読んでいたことが,昨日わかりました。部屋の本棚を整理していると,この小説がひょっこり出てきたからです。こうやってブログにでも書いていれば記憶に残っていたのでしょうが。肝心なところはすっかり忘れていたので,映画ではしっかり感動させてもらいました(上記のあらすじは,小説をベースにしていますが,映画の部分も取り込んだものです。小説では,会話ができない桔平の気持ちが書かれていて,いっそう切なくなります)。

 

2020年1月19日 (日)

久しぶりに小説紹介

 

  昔は,ブログで,読んだ小説の紹介をする読書ノートをよく書いていたのですが,最近はあまり書かなくなりました。読んでも詳しく紹介する時間がなくなっていたという事情もありますが,専門書を読むことが増えて,一般書を読むことが減ったことも一因です。数年前までは,お風呂で1冊という感じでしたが,最近はお風呂では必ず寝てしまうので,本も雑誌も持ち込んでいません。また本をKindleで買うことが増えていて,お風呂に持ち込めなくなったという事情もあります。お風呂という読書タイムがなくなったため,Kindleにダウンロードした本がどんどん滞留してしまっています。

 それでもこの12年以内に読んだ本を2冊ほど紹介したくなったので,記憶を呼び覚ましながら書いてみます。1冊目は,映画化もされているし,続編も出ている,志賀晃『スマホを落としただけなのに』(宝島社文庫)です(ネタバレあり)。

 麻美の彼が落としたスマホがとんでもない男に拾われて,その彼のスマホに残っていたデータから麻美のことが知られて,ストーカーされてしまうという話です。男が,情報を分析して徐々に麻美に近づいていくところが怖いです。スマホにほぼすべての情報を一元的に管理している現代人にとって,セキュリティに十分に気をつけているつもりでも,専門家にかかれば,簡単にプライバシーが暴かれてしまうというところが,小説の次元を超えて,リアルに怖かったです。

 小説は,これと併行して,連続猟奇殺人の話もあるのですが,こちらの話は犯人が誰かを推理するということではなく,いわば麻美に降りかかった災難のBGM的な流れで進行しています。麻美が自殺した友人(本当の麻美)の入れ替わりであり,友人の借金のためにAV女優をしていたというのは,麻美の少しエロいところが描かれていたところも含めて,ちょっとした男性読者サービスかなという気もしましたが,ただ友人の自殺の動機が弱いかなという印象ももちました。あっという間に読めてしまいますし,スマホを落としたら大変なことになるということを確認できる意味でも,読んでみて損はないでしょう。

 もう一冊は,村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)です。2016年上期の芥川賞受賞作です。36歳でコンビニ店員一筋の古倉恵子。彼女は,コンビニのアルバイト店員という「生き物」になることにより,自分を完全に空っぽにすることができました。現実の社会では,社会の掟なるものがあって,みんなそれにごく自然に順応しているのですが,どうしても順応できない恵子。でも彼女には自分が浮いていることはわかっても,浮いてしまう原因がわかりません。家族に心配をかけたくない彼女がとった自衛手段は,自分を捨てることでした。自分を空虚にしても,コンビニ店員としては,立派にやっていけます。マニュアルどおりにやればいいのです。そんな恵子が,ひょんなことから,白羽という男性と同棲することになります。白羽は,プライドはあるものの,コンプレックスの塊で,やはり社会にうまく順応できず,コンビニの店員もクビになってしまった男でした。彼は,世間(とくに社会的な常識を押しつけてくる兄嫁)から逃げようとしたところ,独身・処女ということで居心地の悪さがあった恵子と,仮面夫婦をすることで利害が一致したのでした。しかし,同棲を始めたことをコンビニの仲間に知られてしまったとたん,これまで恵子を「あっち側」の社会の人として敬遠していた仲間が,「こっち側」の社会の人間とみて,社会の掟を押しつけてくるようになったのです。いたたまれなくなった恵子は18年間勤めたコンビニを辞めますが,そのとたん彼女はからっぽの存在に戻ってしまいます。依って立つべき基準がなくなってしまった彼女は,生きる目標を失います。白羽は恵子に働きに出るように薦めます(自分がヒモで居続けるためなのです)が,その途中でコンビニ店に立ち寄ったとき,彼女は自身を再確認できたのでした。彼女はコンビニ人間であり,コンビニ以外では生きていけないのです。本質は縄文時代と何も変わっていない(白羽の言葉)社会で,しかし縄文時代と違い,性欲も食欲も極端に減退している若者が,(おじさんの目からみると)目的をもてずに生きている様子が,乾いた文章でつづられているという感想をもちました。

 

 

 

 

2019年10月21日 (月)

書籍紹介3

 『ベーシック労働法』(有斐閣)は, 浜村彰・唐津博・青野覚・奥田香子さんという著者の名前をみるだけで,その重厚さにめまいがしそうですが,そういう先生方が書かれた労働法の初心者向けの教科書です。早くも第7版です。好調ですね。わかりやすい教科書へのニーズは高いのでしょうね。ところどころにプロレイバー色がみられますが,これこそが労働法のスタンダードなのでしょう。


 『ウオッチング労働法』(有斐閣)は,今日,手にしました。編者は,土田道夫・豊川義明・和田肇さんという,上に負けず劣らず重厚な名前が並んでいますが,こちらのほうは,土田シューレ,和田シューレの俊英の若手研究者が勢揃いして,がっちりサポートしています。第4版ですが,世代交代がうまく進めば,いっそうの改訂が見込まれるでしょう。法学部のゼミ向きの演習本ですね。


 番外編として,『判例六法(令和2年版)』(有斐閣)も届きました。今年から編集協力者から外れることになりました。いつもこの仕事のために春ごろに判例を読み込む作業をしていたのですが,これからは自分でスケジュールを組んで勉強しなければなりません。


 上記の先生方および有斐閣には,いつもご配慮いただき,厚く御礼申し上げます。

2019年10月14日 (月)

「その日暮らし」の人類学

 


 


 小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学―もう一つの資本主義経済』(光文社新書)と『都市を生きぬくための狡知-タンザニアの零細商人マチンガの民族史』(世界思想社)を読みました。サントリー文化財団での仕事(学芸ライブ)でご一緒することになり,事務局の方から事前にお送りいただいていました。後者はサントリー学芸賞を受賞されている重厚な学術書です。そして,前者の新書は,その内容を中心としながら,さらに内容を追加して一般人向けに書かれたものです。


 これらの本から,タンザニアの商人たちの商売の仕方や生き方にディープに潜入した著者による,私たちが普遍的と考えているような資本主義とは違う,草の根のたくましい商人たちが支える資本主義があるのだという,強烈なメッセージが伝わってきます。著者は,別に彼らの生き方がよいと言っているわけではないのですが,この「もう一つの資本主義経済」のもつ私たちへのインパクトは非常に大きいものです。


 実は,私自身もサバティカル期間中,いまさらながらですが, 資本主義と労働というものをずっと考えていました。資本主義社会の到来により,雇われなければ生きていけない労働者が生み出されたところに今日の様々な問題の根源があるのです(それは労働法の原点でもあります)が,そうした資本主義社会に対して,共産主義に一気に傾斜するわけにもいかないなか,どのように向き合っていくかということは,私自身がこれから考えて行かなければならないことです。人間のとどまることを知らない欲望とどう向き合うか,物質的な欲望がもっと制御された,資本主義とは違う社会があるのではないか,という問題意識は重要だと感じています。


 もっとも,小川さんの紹介するタンザニア商人は,別に欲望を抑制しているわけではありません。資本主義の洗礼を強くうけないまま,ただたんに前向きに「その日暮らし」をしながら,グローバルな経済社会の底辺でたくましく生きているのです。だまされても,だました人の助けになっていたらいいし,ほんとうに困っているときに人を騙して窮地を脱することもあっていい。そういうことはお互い様である。でもやってはいけない最低減の道義のラインはある。そうしたラインが自然発生的に存在しているものの,国の規制として存在しているわけではなく,そこにある種の新自由主義的な経済社会があるともいえるのです。


 欲望がどんどん膨らみリスクの大きい資本主義のなかにいながらも,不安定さを嫌って,安心を求める日本人。いったん資本主義の洗礼を受けてしまった日本人がタンザニア人のようになることは無理だろうという気はしますが,なんとなく自分にまったくできそうにない生き方ではないのではないか,という気もしています。大学院生時代にイタリアに初めて留学したとき,それほど貧乏ではなかったものの,生存ギリギリのラインには,今よりもはるかに近いところにいたことは確かで,自分の将来がまだよくわからなかったあの頃の「その日暮らし」感は,ちょっと懐かしい気もします。


 いずれにせよタンザニアという,まったく想像もできないような国のことを,ここまで見事に私たちに描いてくださった小川さんに感謝すると同時に,体験と分析という肉体と知性の融合する研究のもつ迫力と面白さを存分に教えてもらいました。


 


 




 


2019年10月 7日 (月)

書籍紹介2

 労働法関係の本でご寄贈いただいた本の御礼とご紹介の続編です。今回も教科書関係を中心にします。

・森戸英幸『プレップ労働法(第6版)』(弘文堂)
 本の帯にある「最初の1冊はこれで決まり!」がぴったりです。改訂版は,自分の関心のあるところから読むということで,労働契約法20条関係から入ったのですが,いきなり「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」の略称が「パー有法」となっていてびっくり(150頁)。これって「ぱーゆーほう」と読むのでしょうか(水町さんが怒り出しそうですが)。大胆な略称の付け方に脱帽です。その次の頁にいって,真ん中から下の会話を読んで爆笑してしまい,そこでとりあえず終わってしまいました。読んで笑える珍しい労働法の教科書です。

・水町勇一郎『詳解労働法』(東京大学出版会)
 水町さんから重厚な本が届きました。索引なども含めて1500頁近くに及ぶ大作で,とても最初から最後まで読みとおすことはできないですが,辞典のように机の上に置いておくことを想定したものなのかもしれません。日本の労働法を完全に描こうとするには,これだけの分量が必要ということなのかもしれません。帯に書かれているように「労働法を詳しく知りたいすべての人の必携書」であることは間違いないでしょう。ただし,労働法を「深く」知りたい人のニーズを満たすかどうかは,評価が分かれるかもしれません。

・川口美貴『労働法(第3版)』(信山社)
 上の水町「詳解」に負けないくらいに迫力のあるのが川口さんの教科書の第3版です。第2版が出たばかりと思っていたので,実に精力的ですね。川口さんは,一流の教科書ライターだと思います。細かい論点にまで気がまわっていて学習者への配慮があるし,その反面きちんと自説も展開しているし(懲戒権の契約説など)。研究者のなかには,この本のファンが多いのではないか,と密かに思っているのですが,どうでしょうか。

 文字通り詳しい解説を求めるなら「詳解」,初心者向けなら「プレップ」,ディープな労働法を学びたいなら川口本というところでしょう。

 

 





 

 

2019年10月 2日 (水)

書籍紹介1(表題変更)

 今週から大学の通常業務に復帰しました。この間にも時々お送りいただいた本の整理はしていましたが,きちんとできていませんでした。できるだけ早く,お礼をかねてご紹介していきたいと思います。

・土田道夫『労働法概説(第4版)』(弘文堂)
  もう第4版になるのですね。土田先生の『労働契約論』(有斐閣)のエッセンスを凝縮した本ですが,それなりの分量になっています。精密な土田労働法の世界を堪能できます。土田先生には,今月の日本労働法学会のワークショップでもお世話になります。

・野田進・中窪裕也『労働法の世界(第13版)』(有斐閣)
  こちらは13版ということで,いまや労働法の教科書の定番中の定番です。登場したころは新しいスタイルという印象でしたが,もはや堂々たるスタンダードの教科書です。「はしがき」で「せっかく『働き方改革』が喧伝されたのであるから,それぞれの現場でお仕着せでない工夫と努力を重ね,真に公正でゆとりのある働き方へと繋げてほしいものである」という落ち着いた大家としてのコメントが印象的です。加えて,「第9版までの共著者である和田肇氏の声が随所に残り,本書の血肉となっている」という気遣いも印象的でした。  

・水町勇一郎『「同一労働同一賃金」のすべて(新版)』(有斐閣)
  同一労働同一賃金の伝道師である水町さんの本の新版が早くも出ました。改正法の施行半年前の絶妙のタイミングであり,多くの実務家が手にとることになるでしょう。私とはこの問題に関する立場は全く逆であり,もちろん水町さんのほうが正統派で,私は異端派ですが,異端派が火あぶりにならないように,もう少し抵抗を続けていきたいと思います。

・黒田有志弥・柴田洋二郎・島村暁代・永野仁美・橋爪幸代『社会保障法』(有斐閣)
  有斐閣のストゥディアのシリーズの教科書です。最初は,このシリーズに対して消極的な印象をもっていたのですが,初心者にとって,ちょうど分量,内容とも良いレベルであり,印象は大きく変わりました。これは企画の勝利だと思います。先日は,このシリーズの行政学の『はじめての行政学』と,平野光俊さんらの『人事管理』(Kindle)を買いました。どちらも私費で買ったのですが,たいへん満足しました。このシリーズは新しい教養書としての地位を確立していくのではないでしょうか。今回の社会保障法も,ざっと読んだだけですが,最初の第一歩としては十分です。もっとも,これを3日で読み終えて次にステップアップしようとするとき,どのような本を読むべきかとなると選択が難しいかもしれません。