映画・テレビ

2022年11月29日 (火)

『鎌倉殿の13人』も,いよいよ大詰め

 日本史では,公暁は「くぎょう」と習いました,大河ドラマでは「こうぎょう」と呼ばれていました。実朝を暗殺した公暁は,三浦義村に殺され,ついに北条義時の天下となりました。最後の難敵は京の朝廷です。後鳥羽上皇との決戦である承久の乱が,今回の大河ドラマのフィナーレとなるのでしょうかね。
 日本史の授業では,なぜ公暁が実朝を暗殺したのか,詳しく習いませんが。そのあと,あっさり公暁も殺されており,印象としては,公暁はたんなる向こう見ずな行動をとった男ということになっています。大河ドラマでは,三浦義村が背中を押したということのようです(最後には裏切ります)。実朝の太刀持ちとして行列に参加していたはずの義時は同行せず,代わりに太刀持ちの地位を義時から奪った源仲章が公暁に殺されてしまったのですが,義時が同行せずに難を免れたことから,公暁の犯行の背後には義時がいたという説もあるようですが,三谷さんはその説はとらなかったようですね。義時が暗殺対象となっていたことを,義村は知っていたものの,それを止めはせず,しかし義時が生きていたことを知って,義時側に寝返ったというシナリオです。義村がすれすれの「ゲーム」をしているというストーリーですね。
 実朝の後継者は,朝廷から受け入れるという話がどうなるかも問題で,歴史の教科書では,朝廷からではなく,摂関家から受け入れることで妥協して藤原将軍が誕生することになったということは知られていますが,なぜそうなったのかということは教わっていません。大河ドラマでは,後鳥羽上皇の親王を鎌倉殿の後継者にするという実朝と後鳥羽上皇との約束を,実朝死去後も,鎌倉側からは断らずに,朝廷から断るように仕向けようという義時の策略が示されたところで,前回の番組は終わりました。上皇も親王を危険な鎌倉に送りたくないと思っているでしょうし,鎌倉側も朝廷の支配を受けたくないわけで,ただ言い出したほうが負けというなかで,義時は朝廷をたたく口実をみつけていこうとする大胆な発想をもっていたのでしょう。武士が朝廷と一戦をかまえるという発想は,田舎サムライだからもてたものかもしれませんが,これが歴史に残る承久の乱につながったのです。私たちは結果を知っています。鎌倉が朝廷を破り,上皇は島流しになり,これにより北条家の支配が確立し,のちに有名な北条時宗などがでてくることになるのですが,日本史のよくわからない部分に光をあてて,ドラマであるとはいえ,楽しませてくれています。残りの回が楽しみです。

2022年11月15日 (火)

「ウォーデン 消えた死刑囚」

 昨日に続いて,もう一本,映画を紹介します。今度はイラン映画です。「ウォーデン 消えた死刑囚」という邦語タイトルです(ペルシャ語の原語が読めないのですが,alphabetでは Wardenとなっています。Redskin という意味だそうで,これはタイトルにある消えた死刑囚のあだ名です)。以下,ネタバレあり。

 空港建設のため移設が決まった刑務所。刑務所の所長は,無事,新刑務所への移転ができれば,出世が約束されていました。ところが,囚人を無事移転させたと思ったところ,一人足りないことが発覚しました。死刑囚アフマドです。所長は刑務所内にいることは確実であるとして,必死に探しますが見つかりません。この死刑囚を担当していた社会福祉士の女性カリミ(これが超美人)にも協力を求めて,何とか見つけ出そうとします。所長は,カリミに恋心をもっていましたが,カリミは,実はアフマドをなんとか脱走させたいと思い,所長の周りにいました。カリミがそう思うのは,アフマドが無実である可能性がきわめて高いからです。所長も徐々に無実ではないかと疑い始めます。死刑囚の家族からの嘆願,アフマドの蛙を大事にする心優しさ,死刑囚に不利な証言をした証人が実は偽証していたことの告白などがあったからです。とはいえ,アフマドが見つからなければ,どうしようもありません。建物を閉鎖してガスを充満させますが成功しません。アフマドは靴墨を顔に塗って隠れていたのですが,この映画ではシルエットは一瞬出てきますが,最後まで顔は明らかになりません。
 刑務所の解体が始まったとき,所長は絞首台の設計図をみて気づきました。絞首台のなかに隠れ場所があったのです。ちょうど絞首台は,刑務所からトラックで外に運び出されていました。所長は,新しい刑務所には,新しい絞首台の製作を囚人に依頼していました。古い絞首台は不要となったから廃棄されようとしていたのでしょう。
 所長はアフマドの家族と一緒に,絞首台を乗せたトラックを追いかけます。そして追いついてトラックを止めて,絞首台の基礎部分の扉を開きます。彼は何かを確認したようで(アフマドがいるのに気づいたのでしょう),そのままトラックを行かせます。この最後のシーンで,実はアフマドは登場することになります。なぜかというと,そのシーンは,アフマドの視線でみた情景が描かれているからです。所長の顔を確認し,その後,家族(妻と娘)の顔を確認します。車が立ち去るなか,所長が彼を捕まえなかった安堵感に包まれて映画は終わります。
 所長の任務に忠実であろうとすること,しかも自身の昇進がかかっていることがある一方で,無実の者を絞首刑にすることへのためらい,カリミへの恋心などが交錯する人間ドラマです。とくに劇的な展開があるわけではありませんが,落ち着いた感じの良い映画だと思いました。

2022年11月14日 (月)

Un Homme Idéal

  フランス映画です。邦語タイトルが「パーフェクトマンー完全犯罪―」ですが,ちょっと違うなという訳です(いつも,邦題にケチをつけていますね)。直訳すると「理想の男」ですが,なにが「理想」かは,実は私はよくわりませんでした。
 Alain Delon(アラン・ドロン)の「Plein Soleil(太陽がいっぱい)」をどこか彷彿とさせる映画です。ある美青年の犯罪なのですが,最後は少し悲しいです。フランス映画は,こういうのがうまい印象があります。評価は分かれるでしょうが,私は好きな映画です。以下,ネタばれあり。

 主人公のMathieu(マシュー)は作家志望ですが,出版社に原稿を送るも相手にされず,日頃は運送業の仕事で生計を立てていました。夢追い型のフリーターという感じでしょうか。あるとき仕事で遺品処理の作業をしていると,アルジェリア戦争に参戦したらしい故人の日記が出てきました。その内容が素晴らしかったので,Mathieuはそれを「Sable noir(黒い砂)」というタイトルの自分の作品として出版社に送ったところ,出版が決まり,ベストセラーになりました。彼は受賞パーティで,Aliceという美しい文学研究家と会います。Aliceは,以前に講演しているところを,バイト中に目撃して,その話を聞いたことがありました。文学作品の批評は厳しいAliceですが,Mathieuの作品(にせもの)は彼女のお眼鏡にかないました。二人は恋に落ちます。3年後,Mathieuは,Aliceの両親の過ごす豪華な別荘に滞在しています。ただMathieuは,当然のことながら,次作がなかなか書けません。前借りした原稿料は底を突き,出版社からは矢のような原稿の催促がきます。原稿については,暴漢に襲われたことを偽装して大けがをしたことを理由に,なんとか時間稼ぎをしました。そのようななか,彼の著書のサイン会で,一人の男が現れて,Mathieuを脅迫します。この男は,Mathieuが盗んだ日記の持ち主のことを知っていたのです。お金のない彼は,Aliceの父親が大事にしている銃を,泥棒が入ったような偽装工作をして盗んで脅迫者に渡します。脅迫はエスカレートしますが,あるときMathieuが盗んで部屋に隠していた銃を,Aliceの幼なじみで,別荘に一緒に滞在していたAliceの従兄弟Stanが見つけます。Stanは,Mathieuのことを,その小説家としての能力も含め,不信を抱いていました。もみ合うなか,MathieuStanを殺してしまいます。死体はバスルームに隠し,Stanは失踪したことにします。そして,夜にStanの死体をうまく梱包して,海に沈めます。しかし,その後,Stanの死体が浮かび上がります。ツメに皮膚が残っていたということで,全員にDNA検査が求められることになりました。絶体絶命のMathieuは,脅迫男を連れて事故を起こし,車ごと焼いてしまいます。彼の腕に時計を付けることによって,死体はMathieuであると偽装します。Mathieuは,Alice が先に旅立つ前に,書き上げた作品を渡していました。タイトルは,自分のこれまでの嘘を告白して書いた「Faux-Semblants」(偽物)というタイトルの本でした。自分のことだったので,すらすらと書けたのでしょう。2年後,彼は元の仕事に戻っていました。あるとき,書店で,彼の本が並べられていました。Alice が店内で講読会をしているようでした。その後,Aliceは一緒にいた彼女の母が抱いていた赤ん坊を受け取ります。Aliceは何かの気配を感じたように,窓の外をみますが,Mathieuは立ち去ります。
 Mathieuは再び(今度は自身で)ベストセラーを書いたのですが,もはや彼はこの世にいない存在です。完全犯罪は成功しましたが,最愛の妻も子も失いました。

2022年9月19日 (月)

映画「Suburra」

 邦語では「暗黒街」というタイトルのイタリア映画です。主人公は,少し前にも詳解したマフィア映画「Il Traditore」でも主役であったPierfrancesco Favinoです。ローマ近郊の再開発(カジノ建設など)をめぐる政治家と闇の怪しげな人たちの暗躍をめぐるストーリーです。登場人物すべてが悪人です。2011年115日から12日までの話という設定です。
 Favinoが演じる与党の大物政治家 Malgradiは汚職議員で,「Samurai」と呼ばれる裏社会のボスと古くから友人関係です(ここにサムライという言葉が使われるのは,ちょっと日本人としては複雑な気分ですが,強いボスというイメージでしょうか)。Malgradiは,ホテルに売春婦Sabrinaともう一人未成年者を呼んでドラッグセックスをしますが,そこで未成年者のほうがオーバードーズで死亡してしまいます。Malgradiは,とっとと逃げて,後の処理をSabrinaに頼みます。Sabrinaが頼ったのが,暗黒街を牛耳るジプシーのAnacleti一族のボスManfred の弟のSpadinoでした。死体を処理したSpadinoは,Malgradiに,ビジネスの利権をほしいとゆすりはじめたことから,Malgradiは,知人をとおして,ローマ近郊のOstia地方の裏社会のボスである,通称Numero 8に,Spadinoの脅迫を止めさせるようにしますが,彼は勢い余ってSpadinoを殺してしまいます。Spadinoの死を知って恐怖を感じたSabrinaは,旧知の実業家Sebastianoを頼ります。ところが,Sebastianoは,父親がManfred に多額の借金をして自殺していたことから,その借金の肩代わりとして別荘の引渡などを求められていました。Sebastianoは,保身のためにSabrinaをManfredに引渡します。彼らから事件の首謀者がNumero 8 と知ったManfredは,Numero 8を襲撃し,さらにはMalgradi にも復讐しようとします。Samuraiは,Ostiaの利権を得るために,Malgradiの抱える問題の解決に尽力することを申し出ます。Samuraiは,Manfredとは,再開発ビジネスの利権の一部を与えることを約束して弟の復讐を止めさせますが,Numero8は,Manfredと争わないようにというSamuraiの説得に応じません。そこで,Samuraiは,Numero8を殺してしまいます。一方,Sebastianoは,情報を提供したり,Sabrinaを引き渡しても,結局,財産を奪われてしまいそうで,自身も暴力をふるわれたので,Manfredを殺害します。そして,そのSamuraiは,Numero8の襲撃をかろうじて逃れた彼の愛人で薬物中毒者であったViolaにより,Numero8殺害の復讐として殺されてしまいます。
 Malgradiは,未成年者殺人の嫌疑で捜査対象となりそうでした。国会議員であれば不逮捕特権があるのですが,ちょうど首相が退陣すると告げたことを知ります。翻意させるために首相官邸があるPalazzo Chigi(キージ宮殿)にまで駆けつけたものの,首相に反発する集会が開かれていて行く手を阻まれてしまったMalgradiは,首相を乗せた車が去りゆくのを呆然と見つめます。この首相退陣は,どことなくBerlusconi退陣を想起させるものです。現実にも20111112日は第2Berlusconi政権がたおれたときで,その後にMonti政権が誕生して,昨日も書いたイタリアの解雇改革につながっていきます。

 

2022年9月12日 (月)

「ちむどんどん」の楽しみ方

 自民党の政治家(落選中)が「ちむどんどん」の内容がひどいとNHK批判をしているようです。政治家がどう言うかはさておき,これだけ批判が集まる朝ドラも珍しいのではないでしょうか。民放なら批判があっても視聴率が高ければそれだけで成功ということかもしれませんが,NHKはそうはいかないでしょうね。ただ,私は,この番組が好きで,これまで全部観ています。
 嫌われるのは,ストーリーが強引とかそういう理由もあるでしょうが,前にも書いたように,私はそれほど気になりません。このドラマは,ストーリー展開の洗練性よりも,別のものを大切にしているのでしょう。頼りなくも,ピュアに自分の人生を突き進んでいる暢子に,次々に難題が降りかかり,でも家族や周りの人が助けてくれて乗り越えられるという救いがあるところが,それがワンパターンであってもホッとするのです。
 面白かったのは,料理人の矢作が,暢子の店で働くときに,きちんとジョブ型の契約を結んだことです。自分は厨房内で料理することだけが仕事で,接客などは手伝わない,給料の遅配があれば辞める,残業はしないなど契約条件をしっかり提示し,暢子もそれを承諾して雇用契約を結んでいます(自分がいなければ店が回らないことはわかっているので,交渉力では矢作が圧倒的に上です)。実際,矢作は契約以外の仕事はせず,残業もしなかったのですが,それを周りの人間が批判したりします。昭和的な対応です(というか,これは現在でもよくあることでしょう)。しかし矢作の態度は変わりません。今後は日本でも,こうしたスタイルで働くジョブ型のプロ人材が増えていくでしょう。ただ,職場に昭和時代の価値観が残っていれば,矢作のケースのように,うまくいかないこともあるので要注意です。ちなみに,矢作は,経営者である暢子の信頼の厚さに感動して,ジョブ型を捨てて働くようになります。ジョブ型を徹底できないウエットなところも,日本人の琴線に触れるところかもしれません。
 こういう視点で番組を楽しむこともできるのです。今月で終わりになるのが残念です。いままで家族に迷惑をかけどおしであった長男の賢秀が,最後にどうなるかが楽しみです。子どものときに大事に飼育していた豚を両親が勝手に解体して,お客さんにだしたときに涙をしていた賢秀が,大人になって,その豚のおかげで,失敗続きの人生を大逆転というようなフィナーレになればよいですね。

2022年9月 2日 (金)

Une Intime Conviction

   実話に基づいたフランス映画だそうです。邦題は,「私は確信する」です。ある大学教授Jacques Viguierが,妻Susanneを殺した容疑で逮捕されましたが,証拠不十分で釈放されました。それから10年後に突然起訴されることになります。
 Susanneの死体はみつかっていません(彼女は名前だけで,映画では一度も登場しません)。殺人の証拠はなにもありません。いつ,どこで,どのように殺したかも不明です。
 そんななか重罪の刑事裁判を扱う重罪院(cour d'assises)は,参審制のようですが,そこで彼は無罪となりました。かつてのフランスではここで終わっていたのですが,制度改正があり,二審制となっていました。それでも普通は,検察官は,いったん無罪となった事件について控訴しないのですが,異例の控訴をしました。
 1審で陪審員として参加していた,シングルマザーで,シェフのNoraは,Jacquesの無罪を信じて,腕利きの弁護士Éric Dupond-Moretti(現在のフランスの法務大臣)を,駆り出そうとします。最初はいやがっていた彼ですが,引き受けるときにNoraに条件をつけます。それは,彼の助手のような形で,膨大な通信録音記録を紙にまとめることです。Noraは,一人息子の家庭教師をしていたJacquesの娘のためにも,二審でも無罪を勝ち取ろうとしていました。Jacques の裁判は必ずしも有利には進んでいませんが,職場にも,一人息子にも迷惑をかけながらも,ひたすら録音テープを聴き続けます。そして,裁判の進行に合わせて,的確なメモを Éric に渡し続けます。それで,なんとか盛り返すことができています。
 あやしいのはSusanneの愛人であったDurandet という男です。彼がマスメディアやネットを使ってJacquesを批判する発言をして,世間がJacquesが犯人であるという印象を持つように誘導していました。それが検察官にも影響しているようです。しかし,しだいにNoraは,Jacques が無罪というだけでなく,Durandetこそが犯人ではないかと考えるようになります(可能性としては,Susanneの失踪という線もありましたが)。
 この映画のタイトルは,原語からすると「心からの確信」というような意味でしょうか(あまり自信はありません)。Noraがなぜ他人の裁判にここまで入れ込むのかは理解できないところもありますが,無罪の人が有罪になるのは不正義だという純粋な信念からなのでしょう。Intimate の原義は「深いところから」というような意味です。そこからごく親しいというような意味も派生しています。Noraが無罪と確信するのは,ほんとうに心の深いところからそう思っているということなのでしょう。
 この映画では,フランスの警察も検察も裁判所も,推定無罪の原則を軽視し,警察はろくな捜査をせずにJacquesを犯人扱いし,検察も仮説と想像だけでJacquesが犯人というストーリーをつくって起訴していました。しかも裁判長までそのストーリーに乗りかけているなか, Éricは,証拠がない以上,推定無罪であるはずだということを,最終陳述で説得的に述べます。ここは感銘を与えます。
 一方で,Éricは,Noraが,DurandetがSusanneを殺したとする見解について, Éricはそれも仮説にすぎないとしてはねつけます。Durandet にも推定無罪があてはまるということです。Éricは,証拠に基づいた裁判をすべきで,安易に想像で物を言ってはならないという警告をしたのだと思います。仮説で人を罰するなということでしょう。
 とはいえ,Jacques が無罪となったのには,Noraの物的根拠のないJacques 無罪の「確信」があり,その正義感も大いに意味があったのです。ただ裁判でJacquesが勝てたのは,判事たちにJacques 有罪の確信がなかったからです。Éricが勝てたのは,真犯人が誰かを追求するのではなく,Jacquesが犯人である証拠がないというところにこだわったところにありました。弁護士としては当然のことですが,裁判というのも一つの専門的なゲームなのであり,素人のNoraの情熱とプロの技をもつ優秀な弁護士がタッグをくんで,Jacques 無罪を勝ち取ったのだと思います(映画のエンドロールでは,その後も,Susanne は見つかっていないし,Durandetもつかまっていないことが,流れていました)。
 私たちのいまいるネット社会では,簡単に犯人の決めつけがなされ,それが私たちの「確信」につながってしまう危険性があります。そうした主観的な犯人像の形成が,検察官や裁判員の判断に影響してしまうおそれもあります。推定無罪の原則,証拠に基づく裁判という原則の重要性を改めて確認させられるような映画でした。
 東京五輪の汚職事件では,どんどん検察から(?)リークがされている点が気になります。裁判所が有罪という判断をするまでは,私たちは,安易に有罪を「確信」しないように気を付ける必要があります。

 

2022年8月30日 (火)

Il traditore 

 昨日,Godfather のことを書いたので,その延長で,イタリアのMafiaものの比較的最近の映画を紹介します。邦題は,「シチリアーノ 裏切りの美学」です。原語は,「裏切り者」という意味です。
 この映画は,Mafia(Cosa Nostra)のボスで,PentitoになったTommaso Buschettaの半生を描いたものです。Pentitoとは,直訳すると「悔い改めた人」ということですが,犯罪者が改悛して当局に協力する者を指すことがあり,ここではこの意味です。
 映画は,Cosa Nostra内部でのPalermo派とCorleone派(Salvatore TotoRiinaがボス)が麻薬取引をめぐって対立するなか,Tommasoが,両派の手打ちを仕切ろうとしますが,うまくいかず,現在の妻と子をともなってブラジルに移住するというところから始まります。Tommasoは,ブラジルで麻薬取引の容疑でつかまり,激しい拷問を受けますが,口を割らず,結局,イタリアに送還されます。そして反マフィアで有名であったGiovanni Falcone判事を相手に組織の実情を話します。その結果,次々と逮捕者が出て,後のマフィア大裁判につながります。裁判では,Tommasoは,かつての親友であり,ブラジルに行くときに自分の先妻の子を託したGiuseppe Calò と対決し(Calòは,ブラジルでのTommasoの居場所について言わないTommasoの子を殺していました。子たちは父の居場所はほんとうに知らなかったのですが),Riinaとも対決し,さらにイタリアで何度も首相をつとめた大物政治家Andreottiの裁判で証言をするなど,なかなか見応えがあります。イタリア全土を震撼させたFalconeの暗殺シーンも出てきます。イタリアの80年代から90年代くらいまでのMafia のことを知るのに役立つ映画ともいえます(あくまでTommaso側からの見方が中心となりますが)。
 Tommasoは,若いころ,ある男の殺人を組織から命じられますが,最初に実行しようとしたとき,その男が洗礼が終わったばかりの息子を抱いていたので,諦めました。Cosa Nostraの掟で,子どもを殺すことは禁止されていたからです。命を狙われているこの男は,その後,外出時には,子どもと必ず一緒にいて,子どもを楯にしていました。Tommasoは,男の息子が結婚したときに,殺そうと決めており,映画の最後のシーンは,その殺人を実行するところで終わります。これは何を意味しているのでしょうか。Tommasoは,組織の掟に忠実な男ということを表現したかったのでしょうか。Tommasoは,Riinaに対しては,麻薬に手をだし,多くの人を殺し,Cosa Nostraを堕落させたと非難しています。一方,Riinaのほうからは,Tommaso が女性にだらしなく,組織で禁じられている離婚をしていることを非難していました。Riinaは恐ろしい殺人者でしたが,愛妻家だったようです。
 Tommasoは,その後はアメリカで過ごし71歳まで生きました。Pentitoは,仲間からするとTraditore です。身内も多数殺されました。それでも彼の証言で,Mafiaの全貌がかなり明らかになったのであり,その貢献は大きなものです。それでもAndreottiは逃げ切りました。国民の多くは,Andreottiがマフィアと深く関係のある政治家であることはわかっているのですが,それでも彼は塀の向こうに落ちずに94歳まで生きました。Riinaは獄中死ですが,87歳まで生きました(イタリアには死刑はありません)。
 主演は,一度見たら忘れない個性的な俳優Pierfrancesco Favino,監督はMarco Bellocchio です。

 

 

2022年8月24日 (水)

夜の来訪者(An Inspector Calls)

 イギリスの有名な小説を映画化したものです。何度も映画化されているものだそうです。以下,ネタばれあり(細部は記憶違いがあるかもしれませんので,そのときはお許しを)。
 1912年。第1次世界大戦より2年前のイギリス。爵位(Knight)をもらう寸前というところまできていた成り上がりの実業家Arthur Birling。長女Sheilaがライバル企業の御曹司Croft家のGeraldと婚約したことで,それを祝う晩餐をしていました。政略結婚はかなりミエミエですが,二人は幸せそうで,Arthurも妻のSybil(上流階級出身でタカピー)も満足しています。弟のEricは,素直に喜んでいるわけではなさそうで,ひたすら酒を飲んでいます。
 そんななか,突然一人の警部Gooleが訪問します。Gooleは,若い女性(Eva Smith)が自殺したと告げて,情報が欲しいと言います。Arthurたちは,自分たちには関係がないことだと思っていたのですが,Gooleは彼女の日記を読んだといい,彼女の過去のことを話し始めます。そこでわかったのは,Evaは,以前にBirling社の工場で働いていたのですが,労働争議の首謀者となり,Arthurに嫌われて解雇されていました。Geraldはアーサーの態度に同調しますが,Ericは非難をします。あまりにも低い賃金を上げてくれという要求をしただけなのに,解雇はひどいというのです(Ericは,父のようなブルジョワに嫌悪感をもっているようです)。Arthur Evaに故郷に帰ればよいと言いますが,Evaは身寄りのない女性でした。しかしそれは2年前のことです。自殺とは直結しそうにありません。その後,Evaは,あるブティックで働くようになります。仕事は順調にやっていたのですが,ある客に理由のないクレームをつけて,二度と店にいないように支配人に命じたため,再び解雇されます。クレームをつけたのが,実はSheilaでした。Sheilaは一緒に買い物に来ていたSybilとの関係があまりよくなく,むしゃくしゃしていました。Evaは美人で,Sheilaよりも洋服が似合いました。そのことへの嫉妬もあったようです。Evaは再び無職となりました。Evaは,男性が女性を買うために集まるバーに出入りするようになり,そこでGeraldと会います。Evaの美しさに惹かれたGeraldは,彼女を囲います(愛人にする)。彼女は幸せな生活をしていましたが,GeraldはSheilaとの婚約があるため彼女と別れることにします。生活苦となったEvaが頼ったのは,女性のための慈善協会でした。Evaは妊娠していました。その協会の会長がSybilでした。Sybilは,妊娠している彼女からの申請に対して,父親は身分違いなので結婚できないと言っていたのですが,Sybilは,その男と結婚して,生活の面倒をみてもらえばよいとして,Evaの申請を却下しました。ところが,Evaの父はEricだったのです。EricEvaと出会ったのは,例のバーでした。EvaにぞっこんであったEricは,父の会社の顧客から金を盗んでEvaに渡していました。彼もお金はあまりもっていなかったのです。しかし,Evaは盗んだ金は受け取れないと言い,またEricからの結婚の申込みにも,身分違いだと言って断っていました。慈善協会からも見放され,生活に窮した彼女が選んだのは自殺でした。
 ところで,Gooleが来たときには,実はまだEvaは死んでいませんでした。Gooleが帰ったあと,Gooleが警官らしくないこと,最初からすべてEvaとArthurらの関係がわかっている感じであったこと,そして記録もとっていなかったことを不審に思ったGeraldは,ひょっとすると自分たちが関わったEva(彼女は様々な偽名をつかっていました)が同一である保証はなく,これは誰かが自分たちを陥れるためにした策略ではないかと言い出しました。Arthurは警察の署長に電話をして,Gooleのことを聞きましたが,そんな警部はいないという返事でした。Geraldも自殺者がいたかを調べたところ,そういう人はいないということでした。少なくとも,彼らが会ったGooleは存在せず,Evaも自殺していないことがわかり,EricSheilaを除き,喜びの乾杯を始めました。しかしSheilaはGooleが語ったことは,すべて真実であったことにこだわっていました。そしてEricは,彼女を探しに行こうと言い始めました。
 そんなときに1本の電話がかかってきました。警察から,若い女性が自殺したという連絡があり,これから事情聴取に来るということでした。Goole は,Evaの死体に向き合い,その手をとっていましたが,次のシーンでは忽然と消えていました。Gooleは何者だったのでしょうか。なぜEvaの自殺を予測していたのでしょうか。答えは一つですね。
 裕福な人は,困窮している人のことも考える責任があるというGooleの言葉は,とりわけ絶望的な身分格差があるイギリスでは,重い言葉でしょう。

2022年8月21日 (日)

映画「Smetto quando voglio」

 イタリア映画「Smetto quando voglio」の3部作をみました。2本目のタイトルは,「Smetto quando voglioMasterclass」,3本目のタイトルは「Smetto quando voglio- Ad honorem」です。邦語タイトルは,「いつだってやめられる 7人の危ない教授たち 」「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」「いつだってやめられる 闘う名誉教授たち」です。「いつだってやめられる」まではよいですが,そのあとはちょっと意味不明です。劇中では主人公のZinniProfessore と呼ばれているのですが,これは「教授」という意味ではなく,たんに「先生」くらいの意味で(実際,刑務所で受刑者相手に授業を担当している),大学の講師クラスでも「Professore」と呼ばれるのですが,Professore a contratto(任期付き講師)のような表現になるので,これを「教授」と訳してしまうと意味が違ってきます。それとも「教授」くらいの能力がある人だからという意味をこめて「教授」と呼んでいるのでしょうかね。
 それはさておき,登場人物は,大学のすぐれた研究者であったのですが,大学の資金不足で政府の援助もなく,研究を諦めざるを得ず,アルバイトやそれに毛の生えた程度の仕事で糊口をしのいでいます。主人公のPietro Zinniも,優秀な研究者でしたが,教授のサポートを得ることができず(それどころか大切なプレゼンの場で,教授のミスでプロジェクターが使えなくなるなどの迷惑をかけられます),結局,契約が更新されず失業してしまいます。パートナーのGiuliaに,ほんとうのことを言えなかったPietroは,窮余の策として,合法的なドラッグを製造して売ることを考えます。6人の研究者仲間を集めて,それぞれの専門を活かすと製造できるのです。これが当たって,お金持ちとなります。しかしGiuliaにバレてしまい軽蔑されるし,縄張りを荒らされた「業界」のMurena に脅されて,Giuliaを誘拐されてしまい,解放の条件として大量のドラッグの引渡しを求められます。その製造に必要な原料を仕入れるために薬局に侵入したときに,店番にいた者(Zinniの生徒)にケガを負わせてしまいます。その後もいろいろあるのですが,結局,Zinniが刑務所に収監されるというところで,話は終わります。
 続編は,Zinniたち一味(banda)の力を認めた警察が,釈放と犯罪歴の消去を条件に,ちまたにでまわっている30の合法ドラックの成分分析をすることを依頼し,彼らはこれに成功します(メンバーが3人追加されています)。ノルマを達成してお祝いをしているところに,最後にもう一つSOPOXというドラッグの分析を依頼され,苦労の末,製造のアジトをみつけたのですが,犯人たちはすでに脱出していました。ちょうどタイミング悪く,ある女性ジャーナリストが警察とZinniたちの協力関係をすっぱ抜いたところ,警察はZinniたちとの関係を認めず,逆に彼らはSOPOXの製造の犯人として全員捕まります(Zinniは,出産したGiuliaのところに駆けつけて,子どもの顔を見ようとしたところで捕まるという切ないシーンもあります)。Zinniは,SOPOXが神経ガスであることに気づいたところで,話は終わります。
 3作目は,SOPOXを使ったテロの可能性を察知したZinni は,第1作でZinniにはめられて収監されていたMurenaの協力を得て,全員の脱獄を成功させます。Rebibbia刑務所からの脱獄ですが,ちなみにRebibbiaは,ローマの地下鉄のA線の終点の一つなので,よく目にする地名です。テロの実行場所は,ローマのSapienza大学で,Giulia の新しい彼氏のFabioの名誉学位授与式という行事が予定されていました。そこに大臣などが集まるところを,犯人は狙っていたのです。犯人もまた研究者でしたが,予算が削られるなか研究施設が事故で爆発し,恋人が死んでしまいます(実はMurenaも研究者で,この事故の犠牲者でした)。大学に恨みをもっていた彼は神経ガスで関係者を皆殺しにしようとしていたのです。すでにZinniの心から離れていたGiuliaですが,彼女も参加するこの行事にZinniは命がけでテロを阻止しようとします。最後は,仲間が神経ガスを中和させることに成功して,事なきを得ました。
 ドタバタコメディですが,大学は資金不足であること,研究者がテニュアをとれず苦しい生活をしていること,一方で,テニュアをすでにもつ教授たちはろくに研究もせずに政治と金儲けにいそしんでいる状況は,妙にリアリティがありました。研究者たちは貧しくても,どこまでも良い意味での研究者バカで,自分の専門分野にこだわりをもっていたところは大いに共感を覚えました。

 

2022年8月20日 (土)

「ちむどんどん」と「鎌倉殿の13人」

 NHKの朝ドラの「ちむどんどん」と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は,これまですべて欠かさず観ています。
  「ちむどんどん」は,脚本が批判されているようですね(『ちむどんどん』への批判が激化…なぜ「朝ドラの脚本家」はここまで叩かれるのか?)。まあ強引なストーリー展開に対しては,もっと洗練されたシナリオが欲しいという人がいるのもわからないではありませんが,関西人は「よしもと新喜劇」とかに慣れていて,シナリオがそこそこあれば,あとは面白ければよいという感じの人が,私も含めて多いのではないでしょうか。個人的には,イタリアン・レストランのところが,とてもしっかりしていて,そこも評価しています(きちんとした人が監修しているのでしょう)。
  ストーリーとしては,何よりも主演の比嘉暢子(結婚して青柳暢子)の,とにかく前向きな姿にとても好感を抱いています。暢子は,幼いときからの目標である料理人になることを目指して,沖縄から上京し,たまたま家に泊めてもらった鶴見の沖縄県人会会長の平良三郎の推薦で「Alla Fontana」というイタリアレストランで7年修業をし(暢子とレストランのオーナーの大城房子が実は親戚であったり,房子と三郎には過去の恋愛物語があったりします),その間に幼なじみの智の熱烈なプロポーズを断って,青柳和彦との恋愛を成就して結婚し,その後に独立して沖縄料理店を開くというここまでのストーリーは,順風満帆とはいえないまでも,視聴者も暢子とともに成長していける感じがいいです。「家族」というテーマの扱いもよくて,どうしようもない比嘉家の長男(賢秀)と彼を溺愛するお母さんが,ありがちな母息子関係ですが,ハラハラしながらも「母親ってこうだよね」と思うし(和彦と鈴木保奈美演じる重子との関係も,こういうのあるよね,という感じです),しっかり者の長女(良子)が仕事と家庭の両立で苦しむとき,意外にも助けてくれたのが,夫の実家である石川家の古いしきたりに異議を申し立てた,石川家の女性たちでしたが,そのシーンは痛快でした。暢子はこれからもまだいろいろありそうですし,賢秀が養豚場の娘とどうなるのか,妹の歌子が歌手となることができるか,歌子が幼いときから慕ってきた智とどうなるかなど,目が離せません。
 『鎌倉殿の13人』は,小四郎(北条泰時)がいよいよ鬼になっていくところです。とにかく武士の話は人殺しのシーンが多いので(仕方ないのですが),夜寝る前に観てしまうと,眠りに影響してしまうのが困りものです(NHKの番組は定時には観ず,NHKプラスで好きな時間に観るのですが,実際には仕事に疲れた後の夜寝る前になることが多いのです)。
 ドラマでは,頼家が重病で死の床についたとの判断から,後継争いが激化します。ライバルが次々と滅んでいくなか,北条家にとって残された最後のライバルは比企家でした。その当主である比企能員の娘である妻せつ(側室)が産んだ一幡が有力な後継者ですが,その後につつじ(正室)が善哉を産みます。善哉の乳母夫は三浦義村(演じる山本耕史は存在感があります)で,義時の盟友です。一方,頼家には弟がいて,それが千幡であり,後の三代将軍の源実朝です。千幡の乳母夫は,頼朝の弟の阿野全成で義時の妹の実衣の夫です。政子からすると,一幡と善哉は孫,千幡も息子です。頼家の後継者候補としては,一幡,千幡,善哉の3人がいたのですが,比企家は一幡を後継者に,北条家は千幡を後継者にしようとして暗闘が始まります。義父の北条時政とその後妻りくに唆された阿野全成は頼家を呪詛しましたが,それがバレて幽閉され,最後は比企側の手で処刑されます。こうして比企家と北条家との全面戦争が始まります。義時は一幡と千幡とで領土を分割する案を提示しますが,一幡こそ後継者と考える比企能員はこの提案を拒否します。ただ,これは義時の仕掛けた罠であり,これで比企家を討つ大義名分が得られたとして比企家を攻撃し,一家皆殺しにします。せつも一幡もです。政子は一幡の助命をしましたが,それが史実かははっきりしません。いずれにせよライバルは根こそぎ絶やすという徹底ぶりが恐ろしいですね。子に情けをかけて生かしていると必ず復讐されてしまうのは,まさに源頼朝自身の例からもわかることだからでしょう(平治の乱で父の義朝は敗れて長男の頼朝も処刑されそうでしたが,平清盛の継母の嘆願で伊豆への流刑でとどまり,その彼が弟の義経らをつかって平家を滅ぼしたのです)。
  このあと,死の床から奇跡的に復活した頼家も惨殺され,千幡が三代将軍実朝となるも,公暁(善哉)に暗殺され,その公暁も殺されてしまいます。政子の子や孫が次々と北条側(実質的には義時)の手で殺されていくのです。最後は,朝廷との一大対決である承久の乱が最大の見せ所となるのでしょうね。大河ドラマの脚本は,歴史を扱うので,すでにわかっていることがあるのですが,そのなかでよくわかっていない部分をいかにして脚本家が想像力を働かせるかが腕の見せ所です。例えば,実朝暗殺の原因などは諸説あるところなので,三谷脚本が,どのように描いてくれるかが楽しみです。