映画・テレビ

2023年10月21日 (土)

桃色争議

 NHKの朝ドラの「ブギウギ」を観ています。笠置シヅ子の自伝的な内容のドラマです。朝ドラは,「ちむちむどんどん」以来ですね。主人公の福来スズ子は,小学校を出て自分の将来の道を探すときに,自分は歌と踊りが好きということで,花咲少女歌劇団(モデルは宝塚少女歌劇団)の試験を受け,それに落ちたのですが,梅丸歌劇団の試験を受け(試験日を間違えて,その翌日の受験となりましたが),みごとに特別に合格をもらって,修行を始めました。そして,なんとかプロになれたというのが先週までの話(スズ子は子役が演じています)で,今週からは,そこから6年が過ぎた時代に飛び,スズ子役として,主役の趣里(水谷豊と伊藤蘭の娘)が登場しました。
 ドラマでは,会社は大恐慌の影響で経営が苦しくなり,人員カットと賃金カットを進めてきました。そのようななか,劇団を引っ張ってきた梅丸トップで演出にも取り組んでいた大和礼子(蒼井優)が,ストライキをすることに決め,スズ子たちも加わります。新聞では「桃色争議」として採り上げられ,世間の注目を集めたというところまで話が進みました。
 ストライキに至るまでのシーンが面白かったです。礼子たちは労働組合を結成したというわけではなさそうで,外部からのオルグがあったわけでもありませんが,労働者のごく当然の行動のように,嘆願書を会社に出し,要求が受け入れられなければストライキをすると通告し,会社からのゼロ回答を受けてストライキに突入しました。礼子は,団員たちには,ストライキに参加するかどうかは自由であると告げますが,大半は彼女に従ってストに参加しているようです(いずれにせよ礼子らがいない以上,公演は中止です)。さらに,会社の関係者が,スズ子らの家にやってきて,争議を中止すれば一時金を払うという,わかりやすい争議つぶしのシーンも出てきます。お金をもらってしまって,会社側についた者もいました。この争議がどう決着するのかわかりませんが,今後の展開が楽しみです。
 ストライキをすると観客に迷惑をかけるから止めるべきという盟友の橘アオイ(翼和希)の反対もあるなかで,礼子は自分を大切にするためにもストライキをするのだと言います。なんとなくストライキを人格権とみるイタリア労働法を想起させるようなセリフで,これもよかったです。
 今年は西武・そごうの労働組合のストライキもありました。ストライキに,近年ないくらい関心が高まっているような気がします。ストライキについて,根本的に考えてみたい方は,拙著『雇用社会の25の疑問(第3版)』(2017年,弘文堂)の第5話「労働者には,どうしてストライキ権があるのか」も読んでみてください。

2023年5月15日 (月)

何を報道するか

  数日前まで,学校の教諭の事後強盗殺人事件について,NHKのニュース番組は,連日,かなり詳しく報道をしていました。本人は黙秘しているそうなので,警察の見立てについてリークを受けて流しているということでしょう。事件の凶悪性や衝撃の大きさから世間の関心は高いものの,まだ犯人と決まったわけではない段階(推定無罪)で,少し過剰に一方的な報道をしているような気がします。この容疑者が犯人である可能性は高いのかもしれませんが,ワイドショーではなく,NHKのニュースなので,もう少し冷静中立的な報道姿勢をとったほうがよいと思います。そう思う理由は,Yahooニュースでみた日刊GENDAIデジタルの記事が,東京オリンピックの汚職事件の公判で,検察が事件の背後に森元首相がいることを示す供述調書を読み上げたことなどから,森元首相を不問に付してよいのか,という問題提起をしていたからです(「森喜朗元首相の「接待漬け」が五輪汚職公判で明るみに検察の不問は許されるのか」)。私が見落としていただけかもしれませんが,NHKのニュースでは,この汚職事件について,青木会長らの裁判の結果は簡単に報道されていましたが,公判で出てきた供述などをきちんと追った報道はされていなかったように思います。公判前の容疑者に関する警察側の一方的な情報がどんどん報道されているのに対して,国民にとってより重要な公共性が高い元首相の汚職への関与という問題についての扱いの小ささはバランスを欠いていると思います。
 真実はよくわからないのですが,少なくとも報道の姿勢としては,ワイドショー的な関心で番組を選ぶのではなく,公共性の高い政治家の問題には,積極的に多くの情報を提供するということであるべきでしょう。権力に弱いということでは困ります。国民の間には,NHKの報道するニュースが公正かつ適切に選択されていないのではないかという疑問が渦巻いていることでしょう。
 このほか,ウクライナの戦局についても,重要なことではありますが,軍事的なことについて必要以上に細かい情報を出したり,また爆撃シーンの映像を次々と出したりするなど,子どもが観ている時間帯であることに配慮がないことが気になります(ケガをしている映像などがなければよいということではありません)。
 報道するニュースの取捨選択などについて,根本的な検討が必要だと思います。ニュース以外は良い番組が多いのに,どうもニュースの質が気になるのです。NHKの番組審議会は,こういうところにも,しっかり目配りしてもらいたいです。

2022年12月24日 (土)

「鎌倉殿の13人」のラスト

 「鎌倉殿の13人」は,衝撃のラストと予告されていましたが,最後にとどめを刺したのが姉の政子であったというところが,たしかに衝撃的でしたね。その前の回で,後鳥羽上皇から義時追討の院宣を個別に受けた御家人が動揺するなか,義時は自分の首を差し出して戦いを回避しようとするのですが,そのとき政子は有名な演説をして御家人に鎌倉を守るために上皇と戦うよう説得します。こうして承久の乱が起こるのですが,泰時らの活躍で上皇側は敗れ上皇は隠岐に島流しとなります。政子は義時の命を救ったのです。しかし,その後,義時の妻のえが,義時の後を継ぐのが先妻の子である泰時であり,自分の子の政村が執権の座を継げないことに恨みをもって,義時に毒を飲ませます。毒を渡したのは,盟友の三浦義村であり,義時は義村にも裏切られたことを知ります(でも義時が義村に最も怒ったのは,女はキノコが好きだという義村の言葉が嘘だということです。このキノコが伏線となって,最後は毒キノコを食べて義時が死ぬのでは,という予想もあったようですが,三谷さんは,そんな単純なストーリーにはしなかったですね)。
 義時は衰弱しますが,泰時の治政を盤石なものとするために,もう一人,皇族(おそらく4歳の仲恭天皇)を殺そうとしていました。政子は,泰時はもう立派にやっていけるのに,義時は,それを理解できず,息子かわいさに,この世の地獄を全部引き受けるつもりでいました。政子は,もうこれ以上,義時に殺人をさせないようにするためでしょうか,義時が政子に取ってきて欲しいと頼んだ薬をわざとこぼし,義時が飲めないようにします。こうして義時は,政子の手によって,死ぬのです。しかし,これは義時が,頼朝と政子の子である頼家までを殺していたことを知った政子による,息子のための処刑であったようにも思います。
 頼朝がつくった鎌倉を,縁者としての地位を最大限に利用し,またライバルを次々とたおして執権家としての地位を得た北条氏。その刃は源氏の嫡流にも及んでいたのです。政子は自分の手で,北条氏のために義時が犯してきた罪を裁き,過去を清算して,泰時以降の北条家の繁栄を願ったのでしょう。

2022年12月11日 (日)

映画「罪の声」

  Amazon Primeで「罪の声」という映画を観ました。小栗旬と星野源が主演で,監督は土井裕泰です。塩田武士の原作は読んでいませんでしたが,原作も面白そうです。あのグリコ・森永事件を基にした作品です。実際の事件でも,子どもの声が犯人からの指示として使われていたのですが,その文章を読まされた子どものその後の運命がどうなったのかが,本作の主題となっています。私は,あまり根拠なく,機械で合成された声が使われていたのかなと思っていたのですが,実際の子どもの声が使われていたとすると,その子たちがその事実を知れば,たいへんなショックを受けるでしょう。
 映画では,父親が開業したオーダーメードの洋服屋を継いでいる曽根俊也(星野源)が,家に残されていたカセットテープの自分の声を聴いたところから話が始まります。彼は自分の幼いときの声が,あの犯罪(映画では,「ギンマン事件」となっています)で使われていたことを知り,ショックを受けます。同じように声を使われた他の2人の子どものことが気になります。一方,新聞記者の阿久津(小栗旬)も,上司の命令で,すでに時効になっているこの未解決事件を追っていて,曽根のところにいきつきます。二人は協力して,残りの2名を探し,さらに曽根家で見つかった,父親の兄の達雄(宇崎竜童)の手帳のことを阿久津に話します。手帳では英語で,事件に関係しそうなことが書かれていました。阿久津は,達雄がイギリスに住んでいたことをつきとめ,事件の真相を聞き出します。実は俊也の母も,事件に関係していました。
 曽根俊也は,妻と娘と幸せな人生を送っていますが,残りの2人(姉弟)は,壮絶な人生を歩んでいたことがわかります。大人たちの身勝手な理由から,巻き込まれてしまった子どもたち。その理不尽さに怒りを覚えますが,日本にはある時期,反権力や反資本主義といった大義のためなら,暴力も家族の犠牲も,そして反社会的集団と手を組むことも許されるという考え方があったのでしょう。一方,達雄が手を組んだ相手はお金が目的でした。企業脅迫をすることによって株が下がることを見込んで空売りで大もうけし,そのお金が政治家に流れたという事件の真相に迫る部分もありますが,映画では深追いをしていません。
 35年前に起きたあの事件は,いったい何だったのか。この映画は,一つの推理を示していますが,現実において確かなことは,グリコ・森永事件は未解決であり,犯人も,犯行動機もわからず,そして,あの声の子どもたちのその後もわかっていないということです。いつか真相が明らかになるときが来るのでしょうか。

2022年11月29日 (火)

『鎌倉殿の13人』も,いよいよ大詰め

 日本史では,公暁は「くぎょう」と習いました,大河ドラマでは「こうぎょう」と呼ばれていました。実朝を暗殺した公暁は,三浦義村に殺され,ついに北条義時の天下となりました。最後の難敵は京の朝廷です。後鳥羽上皇との決戦である承久の乱が,今回の大河ドラマのフィナーレとなるのでしょうかね。
 日本史の授業では,なぜ公暁が実朝を暗殺したのか,詳しく習いませんが。そのあと,あっさり公暁も殺されており,印象としては,公暁はたんなる向こう見ずな行動をとった男ということになっています。大河ドラマでは,三浦義村が背中を押したということのようです(最後には裏切ります)。実朝の太刀持ちとして行列に参加していたはずの義時は同行せず,代わりに太刀持ちの地位を義時から奪った源仲章が公暁に殺されてしまったのですが,義時が同行せずに難を免れたことから,公暁の犯行の背後には義時がいたという説もあるようですが,三谷さんはその説はとらなかったようですね。義時が暗殺対象となっていたことを,義村は知っていたものの,それを止めはせず,しかし義時が生きていたことを知って,義時側に寝返ったというシナリオです。義村がすれすれの「ゲーム」をしているというストーリーですね。
 実朝の後継者は,朝廷から受け入れるという話がどうなるかも問題で,歴史の教科書では,朝廷からではなく,摂関家から受け入れることで妥協して藤原将軍が誕生することになったということは知られていますが,なぜそうなったのかということは教わっていません。大河ドラマでは,後鳥羽上皇の親王を鎌倉殿の後継者にするという実朝と後鳥羽上皇との約束を,実朝死去後も,鎌倉側からは断らずに,朝廷から断るように仕向けようという義時の策略が示されたところで,前回の番組は終わりました。上皇も親王を危険な鎌倉に送りたくないと思っているでしょうし,鎌倉側も朝廷の支配を受けたくないわけで,ただ言い出したほうが負けというなかで,義時は朝廷をたたく口実をみつけていこうとする大胆な発想をもっていたのでしょう。武士が朝廷と一戦をかまえるという発想は,田舎サムライだからもてたものかもしれませんが,これが歴史に残る承久の乱につながったのです。私たちは結果を知っています。鎌倉が朝廷を破り,上皇は島流しになり,これにより北条家の支配が確立し,のちに有名な北条時宗などがでてくることになるのですが,日本史のよくわからない部分に光をあてて,ドラマであるとはいえ,楽しませてくれています。残りの回が楽しみです。

2022年11月15日 (火)

「ウォーデン 消えた死刑囚」

 昨日に続いて,もう一本,映画を紹介します。今度はイラン映画です。「ウォーデン 消えた死刑囚」という邦語タイトルです(ペルシャ語の原語が読めないのですが,alphabetでは Wardenとなっています。Redskin という意味だそうで,これはタイトルにある消えた死刑囚のあだ名です)。以下,ネタバレあり。

 空港建設のため移設が決まった刑務所。刑務所の所長は,無事,新刑務所への移転ができれば,出世が約束されていました。ところが,囚人を無事移転させたと思ったところ,一人足りないことが発覚しました。死刑囚アフマドです。所長は刑務所内にいることは確実であるとして,必死に探しますが見つかりません。この死刑囚を担当していた社会福祉士の女性カリミ(これが超美人)にも協力を求めて,何とか見つけ出そうとします。所長は,カリミに恋心をもっていましたが,カリミは,実はアフマドをなんとか脱走させたいと思い,所長の周りにいました。カリミがそう思うのは,アフマドが無実である可能性がきわめて高いからです。所長も徐々に無実ではないかと疑い始めます。死刑囚の家族からの嘆願,アフマドの蛙を大事にする心優しさ,死刑囚に不利な証言をした証人が実は偽証していたことの告白などがあったからです。とはいえ,アフマドが見つからなければ,どうしようもありません。建物を閉鎖してガスを充満させますが成功しません。アフマドは靴墨を顔に塗って隠れていたのですが,この映画ではシルエットは一瞬出てきますが,最後まで顔は明らかになりません。
 刑務所の解体が始まったとき,所長は絞首台の設計図をみて気づきました。絞首台のなかに隠れ場所があったのです。ちょうど絞首台は,刑務所からトラックで外に運び出されていました。所長は,新しい刑務所には,新しい絞首台の製作を囚人に依頼していました。古い絞首台は不要となったから廃棄されようとしていたのでしょう。
 所長はアフマドの家族と一緒に,絞首台を乗せたトラックを追いかけます。そして追いついてトラックを止めて,絞首台の基礎部分の扉を開きます。彼は何かを確認したようで(アフマドがいるのに気づいたのでしょう),そのままトラックを行かせます。この最後のシーンで,実はアフマドは登場することになります。なぜかというと,そのシーンは,アフマドの視線でみた情景が描かれているからです。所長の顔を確認し,その後,家族(妻と娘)の顔を確認します。車が立ち去るなか,所長が彼を捕まえなかった安堵感に包まれて映画は終わります。
 所長の任務に忠実であろうとすること,しかも自身の昇進がかかっていることがある一方で,無実の者を絞首刑にすることへのためらい,カリミへの恋心などが交錯する人間ドラマです。とくに劇的な展開があるわけではありませんが,落ち着いた感じの良い映画だと思いました。

2022年11月14日 (月)

Un Homme Idéal

  フランス映画です。邦語タイトルが「パーフェクトマンー完全犯罪―」ですが,ちょっと違うなという訳です(いつも,邦題にケチをつけていますね)。直訳すると「理想の男」ですが,なにが「理想」かは,実は私はよくわりませんでした。
 Alain Delon(アラン・ドロン)の「Plein Soleil(太陽がいっぱい)」をどこか彷彿とさせる映画です。ある美青年の犯罪なのですが,最後は少し悲しいです。フランス映画は,こういうのがうまい印象があります。評価は分かれるでしょうが,私は好きな映画です。以下,ネタばれあり。

 主人公のMathieu(マシュー)は作家志望ですが,出版社に原稿を送るも相手にされず,日頃は運送業の仕事で生計を立てていました。夢追い型のフリーターという感じでしょうか。あるとき仕事で遺品処理の作業をしていると,アルジェリア戦争に参戦したらしい故人の日記が出てきました。その内容が素晴らしかったので,Mathieuはそれを「Sable noir(黒い砂)」というタイトルの自分の作品として出版社に送ったところ,出版が決まり,ベストセラーになりました。彼は受賞パーティで,Aliceという美しい文学研究家と会います。Aliceは,以前に講演しているところを,バイト中に目撃して,その話を聞いたことがありました。文学作品の批評は厳しいAliceですが,Mathieuの作品(にせもの)は彼女のお眼鏡にかないました。二人は恋に落ちます。3年後,Mathieuは,Aliceの両親の過ごす豪華な別荘に滞在しています。ただMathieuは,当然のことながら,次作がなかなか書けません。前借りした原稿料は底を突き,出版社からは矢のような原稿の催促がきます。原稿については,暴漢に襲われたことを偽装して大けがをしたことを理由に,なんとか時間稼ぎをしました。そのようななか,彼の著書のサイン会で,一人の男が現れて,Mathieuを脅迫します。この男は,Mathieuが盗んだ日記の持ち主のことを知っていたのです。お金のない彼は,Aliceの父親が大事にしている銃を,泥棒が入ったような偽装工作をして盗んで脅迫者に渡します。脅迫はエスカレートしますが,あるときMathieuが盗んで部屋に隠していた銃を,Aliceの幼なじみで,別荘に一緒に滞在していたAliceの従兄弟Stanが見つけます。Stanは,Mathieuのことを,その小説家としての能力も含め,不信を抱いていました。もみ合うなか,MathieuStanを殺してしまいます。死体はバスルームに隠し,Stanは失踪したことにします。そして,夜にStanの死体をうまく梱包して,海に沈めます。しかし,その後,Stanの死体が浮かび上がります。ツメに皮膚が残っていたということで,全員にDNA検査が求められることになりました。絶体絶命のMathieuは,脅迫男を連れて事故を起こし,車ごと焼いてしまいます。彼の腕に時計を付けることによって,死体はMathieuであると偽装します。Mathieuは,Alice が先に旅立つ前に,書き上げた作品を渡していました。タイトルは,自分のこれまでの嘘を告白して書いた「Faux-Semblants」(偽物)というタイトルの本でした。自分のことだったので,すらすらと書けたのでしょう。2年後,彼は元の仕事に戻っていました。あるとき,書店で,彼の本が並べられていました。Alice が店内で講読会をしているようでした。その後,Aliceは一緒にいた彼女の母が抱いていた赤ん坊を受け取ります。Aliceは何かの気配を感じたように,窓の外をみますが,Mathieuは立ち去ります。
 Mathieuは再び(今度は自身で)ベストセラーを書いたのですが,もはや彼はこの世にいない存在です。完全犯罪は成功しましたが,最愛の妻も子も失いました。

2022年9月19日 (月)

映画「Suburra」

 邦語では「暗黒街」というタイトルのイタリア映画です。主人公は,少し前にも詳解したマフィア映画「Il Traditore」でも主役であったPierfrancesco Favinoです。ローマ近郊の再開発(カジノ建設など)をめぐる政治家と闇の怪しげな人たちの暗躍をめぐるストーリーです。登場人物すべてが悪人です。2011年115日から12日までの話という設定です。
 Favinoが演じる与党の大物政治家 Malgradiは汚職議員で,「Samurai」と呼ばれる裏社会のボスと古くから友人関係です(ここにサムライという言葉が使われるのは,ちょっと日本人としては複雑な気分ですが,強いボスというイメージでしょうか)。Malgradiは,ホテルに売春婦Sabrinaともう一人未成年者を呼んでドラッグセックスをしますが,そこで未成年者のほうがオーバードーズで死亡してしまいます。Malgradiは,とっとと逃げて,後の処理をSabrinaに頼みます。Sabrinaが頼ったのが,暗黒街を牛耳るジプシーのAnacleti一族のボスManfred の弟のSpadinoでした。死体を処理したSpadinoは,Malgradiに,ビジネスの利権をほしいとゆすりはじめたことから,Malgradiは,知人をとおして,ローマ近郊のOstia地方の裏社会のボスである,通称Numero 8に,Spadinoの脅迫を止めさせるようにしますが,彼は勢い余ってSpadinoを殺してしまいます。Spadinoの死を知って恐怖を感じたSabrinaは,旧知の実業家Sebastianoを頼ります。ところが,Sebastianoは,父親がManfred に多額の借金をして自殺していたことから,その借金の肩代わりとして別荘の引渡などを求められていました。Sebastianoは,保身のためにSabrinaをManfredに引渡します。彼らから事件の首謀者がNumero 8 と知ったManfredは,Numero 8を襲撃し,さらにはMalgradi にも復讐しようとします。Samuraiは,Ostiaの利権を得るために,Malgradiの抱える問題の解決に尽力することを申し出ます。Samuraiは,Manfredとは,再開発ビジネスの利権の一部を与えることを約束して弟の復讐を止めさせますが,Numero8は,Manfredと争わないようにというSamuraiの説得に応じません。そこで,Samuraiは,Numero8を殺してしまいます。一方,Sebastianoは,情報を提供したり,Sabrinaを引き渡しても,結局,財産を奪われてしまいそうで,自身も暴力をふるわれたので,Manfredを殺害します。そして,そのSamuraiは,Numero8の襲撃をかろうじて逃れた彼の愛人で薬物中毒者であったViolaにより,Numero8殺害の復讐として殺されてしまいます。
 Malgradiは,未成年者殺人の嫌疑で捜査対象となりそうでした。国会議員であれば不逮捕特権があるのですが,ちょうど首相が退陣すると告げたことを知ります。翻意させるために首相官邸があるPalazzo Chigi(キージ宮殿)にまで駆けつけたものの,首相に反発する集会が開かれていて行く手を阻まれてしまったMalgradiは,首相を乗せた車が去りゆくのを呆然と見つめます。この首相退陣は,どことなくBerlusconi退陣を想起させるものです。現実にも20111112日は第2Berlusconi政権がたおれたときで,その後にMonti政権が誕生して,昨日も書いたイタリアの解雇改革につながっていきます。

 

2022年9月12日 (月)

「ちむどんどん」の楽しみ方

 自民党の政治家(落選中)が「ちむどんどん」の内容がひどいとNHK批判をしているようです。政治家がどう言うかはさておき,これだけ批判が集まる朝ドラも珍しいのではないでしょうか。民放なら批判があっても視聴率が高ければそれだけで成功ということかもしれませんが,NHKはそうはいかないでしょうね。ただ,私は,この番組が好きで,これまで全部観ています。
 嫌われるのは,ストーリーが強引とかそういう理由もあるでしょうが,前にも書いたように,私はそれほど気になりません。このドラマは,ストーリー展開の洗練性よりも,別のものを大切にしているのでしょう。頼りなくも,ピュアに自分の人生を突き進んでいる暢子に,次々に難題が降りかかり,でも家族や周りの人が助けてくれて乗り越えられるという救いがあるところが,それがワンパターンであってもホッとするのです。
 面白かったのは,料理人の矢作が,暢子の店で働くときに,きちんとジョブ型の契約を結んだことです。自分は厨房内で料理することだけが仕事で,接客などは手伝わない,給料の遅配があれば辞める,残業はしないなど契約条件をしっかり提示し,暢子もそれを承諾して雇用契約を結んでいます(自分がいなければ店が回らないことはわかっているので,交渉力では矢作が圧倒的に上です)。実際,矢作は契約以外の仕事はせず,残業もしなかったのですが,それを周りの人間が批判したりします。昭和的な対応です(というか,これは現在でもよくあることでしょう)。しかし矢作の態度は変わりません。今後は日本でも,こうしたスタイルで働くジョブ型のプロ人材が増えていくでしょう。ただ,職場に昭和時代の価値観が残っていれば,矢作のケースのように,うまくいかないこともあるので要注意です。ちなみに,矢作は,経営者である暢子の信頼の厚さに感動して,ジョブ型を捨てて働くようになります。ジョブ型を徹底できないウエットなところも,日本人の琴線に触れるところかもしれません。
 こういう視点で番組を楽しむこともできるのです。今月で終わりになるのが残念です。いままで家族に迷惑をかけどおしであった長男の賢秀が,最後にどうなるかが楽しみです。子どものときに大事に飼育していた豚を両親が勝手に解体して,お客さんにだしたときに涙をしていた賢秀が,大人になって,その豚のおかげで,失敗続きの人生を大逆転というようなフィナーレになればよいですね。

2022年9月 2日 (金)

Une Intime Conviction

   実話に基づいたフランス映画だそうです。邦題は,「私は確信する」です。ある大学教授Jacques Viguierが,妻Susanneを殺した容疑で逮捕されましたが,証拠不十分で釈放されました。それから10年後に突然起訴されることになります。
 Susanneの死体はみつかっていません(彼女は名前だけで,映画では一度も登場しません)。殺人の証拠はなにもありません。いつ,どこで,どのように殺したかも不明です。
 そんななか重罪の刑事裁判を扱う重罪院(cour d'assises)は,参審制のようですが,そこで彼は無罪となりました。かつてのフランスではここで終わっていたのですが,制度改正があり,二審制となっていました。それでも普通は,検察官は,いったん無罪となった事件について控訴しないのですが,異例の控訴をしました。
 1審で陪審員として参加していた,シングルマザーで,シェフのNoraは,Jacquesの無罪を信じて,腕利きの弁護士Éric Dupond-Moretti(現在のフランスの法務大臣)を,駆り出そうとします。最初はいやがっていた彼ですが,引き受けるときにNoraに条件をつけます。それは,彼の助手のような形で,膨大な通信録音記録を紙にまとめることです。Noraは,一人息子の家庭教師をしていたJacquesの娘のためにも,二審でも無罪を勝ち取ろうとしていました。Jacques の裁判は必ずしも有利には進んでいませんが,職場にも,一人息子にも迷惑をかけながらも,ひたすら録音テープを聴き続けます。そして,裁判の進行に合わせて,的確なメモを Éric に渡し続けます。それで,なんとか盛り返すことができています。
 あやしいのはSusanneの愛人であったDurandet という男です。彼がマスメディアやネットを使ってJacquesを批判する発言をして,世間がJacquesが犯人であるという印象を持つように誘導していました。それが検察官にも影響しているようです。しかし,しだいにNoraは,Jacques が無罪というだけでなく,Durandetこそが犯人ではないかと考えるようになります(可能性としては,Susanneの失踪という線もありましたが)。
 この映画のタイトルは,原語からすると「心からの確信」というような意味でしょうか(あまり自信はありません)。Noraがなぜ他人の裁判にここまで入れ込むのかは理解できないところもありますが,無罪の人が有罪になるのは不正義だという純粋な信念からなのでしょう。Intimate の原義は「深いところから」というような意味です。そこからごく親しいというような意味も派生しています。Noraが無罪と確信するのは,ほんとうに心の深いところからそう思っているということなのでしょう。
 この映画では,フランスの警察も検察も裁判所も,推定無罪の原則を軽視し,警察はろくな捜査をせずにJacquesを犯人扱いし,検察も仮説と想像だけでJacquesが犯人というストーリーをつくって起訴していました。しかも裁判長までそのストーリーに乗りかけているなか, Éricは,証拠がない以上,推定無罪であるはずだということを,最終陳述で説得的に述べます。ここは感銘を与えます。
 一方で,Éricは,Noraが,DurandetがSusanneを殺したとする見解について, Éricはそれも仮説にすぎないとしてはねつけます。Durandet にも推定無罪があてはまるということです。Éricは,証拠に基づいた裁判をすべきで,安易に想像で物を言ってはならないという警告をしたのだと思います。仮説で人を罰するなということでしょう。
 とはいえ,Jacques が無罪となったのには,Noraの物的根拠のないJacques 無罪の「確信」があり,その正義感も大いに意味があったのです。ただ裁判でJacquesが勝てたのは,判事たちにJacques 有罪の確信がなかったからです。Éricが勝てたのは,真犯人が誰かを追求するのではなく,Jacquesが犯人である証拠がないというところにこだわったところにありました。弁護士としては当然のことですが,裁判というのも一つの専門的なゲームなのであり,素人のNoraの情熱とプロの技をもつ優秀な弁護士がタッグをくんで,Jacques 無罪を勝ち取ったのだと思います(映画のエンドロールでは,その後も,Susanne は見つかっていないし,Durandetもつかまっていないことが,流れていました)。
 私たちのいまいるネット社会では,簡単に犯人の決めつけがなされ,それが私たちの「確信」につながってしまう危険性があります。そうした主観的な犯人像の形成が,検察官や裁判員の判断に影響してしまうおそれもあります。推定無罪の原則,証拠に基づく裁判という原則の重要性を改めて確認させられるような映画でした。
 東京五輪の汚職事件では,どんどん検察から(?)リークがされている点が気になります。裁判所が有罪という判断をするまでは,私たちは,安易に有罪を「確信」しないように気を付ける必要があります。

 

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