濱口桂一郎『管理職の戦後史―栄光と受難の80年』
濱口桂一郎さんから『管理職の戦後史―栄光と受難の80年』(朝日新書)をいただきました(昨年いただいており,お礼が遅くなりました)。いつもどうもありがとうございます。新書といってもかなりの分厚さで,管理職というテーマのもと,関連する実務や法制度の変遷を論じる,いつものスタイルで,今回も内容豊富でたいへん勉強になります。「お前たちはこういうことも知っておかなければならないんだぞ」と叱りつけられているような感じもしますが,知らないことは素直に教わるべきなのでしょう(金融機関での労働組合の動きに対して労働省がうろたえ,誤った内容の通達を出したというくだりなどは,とくに興味深かったです)。アネクドート(anecdote)が豊富で,濱口さんにしか書けない内容が多く,こうした記録を今後もぜひ残していっていただきたいと思います。
管理職というと,私はいつまで経っても「◯◯長」になることもなく(一時的になったことはありましたが),世間的には出世できていないダメ教授ということになるのかもしれません。しかし,管理職は「罰ゲーム」という本書の帯に書かれている言葉は,私自身も実感として理解できるものです。その一方で,そうした「罰ゲーム」的な役割を皆が順番に担っているなかで,自分だけが担っていないことについて,組織に対する申し訳なさのような感覚もあります。良い組織とは,管理職が本当にやりがいのある仕事としてその役割を担っているところなのでしょうが,そのような組織はどれだけあるのでしょうか。しかも労働法は,管理職になると割増賃金が支払われなくなるとか,労働組合に加入できなくなるといったイメージで語られがちです(厳密にいえば,いずれも正確ではなく,管理職であっても当然に労働基準法41条2号の管理監督者として労働時間規制が適用除外となるわけではなく,また労組法2条ただし書1号の利益代表者になるわけでもありません。さらに,利益代表者であっても労働者に該当する限り労働組合の結成・加入は可能ですが,ここでは詳細には立ち入りません)。結果として,管理職になると保護の薄い労働者になるというイメージが広がっています。本来の論理は,管理職は強い労働者であるから保護は相対的に薄くてよいというものですが,現実には管理職のインフレなどが生じ,必ずしも強い立場とはいえなくなり,そこに法と実態の乖離が生じているのです。
本書に描かれている管理職の歴史をたどると,まさに日本型雇用システムの特徴(とくに年功型処遇)と労働基準法などの法制度との相性がなぜ悪いのかが理解できるように思われます。
ところで,本書146頁で,「西宮市管理職員等職員組合」が1975年5月30日に全国自治体で初めて結成されたという記述を見つけたとき(それは,松岡三郎が著書のなかで管理職組合の例として公務員の管理職組合しか挙げていなかったのは残念であるという文脈でしたが),胸に熱いものがこみ上げました。この組合は,私の父が立ち上げたものだったからです。結成当時にはNHK(ローカルだと思いますが)でも取り上げられ,車で迎えが来たことを覚えています。またその番組のなかで,当時の西宮市長が父のことを批判していたことに,子どもながらに嫌な気持ちを抱いた記憶もあります。労働法の研究者となった後も,西谷敏先生はこのときの父の活動をご存じで,私に親しく声をかけてくださいました。プロレーバーの方々とは,かつては学風的には必ずしも相容れないところもありましたが,人間関係が良好であったのは,父のおかげかもしれません。日本労働法学会で最初に報告したテーマが「管理職組合」であったことも,まったくの偶然ではありますが,不思議な縁を感じました。しかし,父とは生涯にわたって管理職組合について語り合うことはありませんでした。いま思えば,こちらから話題にしてもよかったのですが,労働問題の話になると衝突することが多く,お互いに避けてきた結果,そのままになってしまいました。この点については,いまでも強い後悔が残っています。
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