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2025年9月25日 (木)

労働時間規制の見直し論

 最近,経営サイドから労働時間制度の見直しを求める声が高まってきています。裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の使い勝手の悪さに対する不満が背景にあるようです。たしかに現行制度には不都合もありますが,もう少し要件を緩めてほしいという程度の希望を伝えるだけでは,大きな成果は生まれにくいのではないでしょうか。
 そもそも,現行の労働時間制度があることによってどれほど多くの支障があるのかは,冷静に検証する必要があります。もちろん,企業によっては,ほんとうに困っているところもあるでしょう。しかし,多くの場合,労働時間の管理はそれほど厳格にされているわけではなく,労働者が自らの意欲さえあれば,長時間働くことができてしまうというケースも多いのではないかと思います(もちろん業種や職種によります)。過労死のような事態は絶対に避けなければなりませんが,そうした極端なケースに至らない限り,労働者自身が満足して働いている場合も少なくありません。そうした労働者からすると,たとえサービス残業をしていても,とくに現在の法制度に異を唱える気持ちはないでしょう。
 労働時間制度が話題になることがあるのは,企業が労働者を過剰に働かせて健康障害を招き,労災の対象になる場合や,サービス残業を強いるようなケースです。このような企業が「制度に不満だ」と言っても聞き入れる必要はないでしょう。問題は,真面目に制度を守ろうとしている企業が,はたして本当に困っているのかどうかです(労働者のやりがい搾取になっているだけという声もありえますが)。
 私は,労働時間制度の根本的見直しは必要だとは考えています。ただ,前提となるのは,企業が労働者に成果に応じた公正な評価と処遇を行い,労働者もそれに納得しているという関係が成立していることです。そのうえで,労働者のほうから,成果をあげたくても,労働時間規制(1週40時間しか働けないとか,法定の時間外労働しか認められないとか)があるから,それができなくなっているという不満がでてきてはじめて,規制緩和論は説得力をもつのです。日本社会にとっては,そうした成果意欲が高い人材が数多く育つことが望ましいと思いますが,現状はまだそこに至っていないのではないかと感じています。ほんとうの意味での成果に応じた賃金という体系が確立していないのではないかという疑問です。賃金体系の透明化が,労働者のモチベーションを高め,そこではじめて労働時間規制の桎梏が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 労働時間制度があるから,こうした人材が育たない,という主張もありますが,本当にそうなのかは疑問です。もし制度の見直しが必要ならば,労働者の側からもそのような声が出てきても不思議ではありません。そうした声が出てくる状況になって初めて,経営者サイドが考えているような労働時間制度の見直しが,社会的に受け入れられることになるのだと思います。

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