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2025年7月23日 (水)

法学の中の労働法

 労働法の研究者として,この分野を専門としない人に向けて話しをするとき,その相手のパターンに応じて話し方を変える必要があると思っています。そのパターンは3つあって,第1は,研究者ではない人,第2は,法学以外の分野の研究者,第3は,労働法以外の法学研究者です。意外に話をしにくいのは,第3の場合です。労働法は,法学のなかでは,社会的不平等に対処するために,国家が介入する法分野という位置づけになっています。弱者たる労働者を救うための法分野ということで,労働法の役割はそこにあるというのが,法分野のなかの役割分担であり,世間でも多くの人はそう考えています。私のように,労働法は変わっていかなければならないと考えている人間は,労働法の立場からはどうですか,と聞かれると,二通りの答えが必要となります。一つは,労働法の普通の考え方によればこうなります,もう一つは,でも労働法のこの考え方は個人的にはおかしいと思いますので,個人的にはこう考えます,というものです。前者を仮にA説とし,後者をB説とすると,相手(学生も含む)のリクエストや期待に応じて,A説,B説,あるいは両説を答えることになります。普通の方にはA説だけで答え,私個人の考え方を知りたい奇特な人や,新たな視点を求めているような人にはB説で答え,余裕があれば,両説を話すという感じです。
 法学全体のなかの労働法というものをみると,南野森編『新版・法学の世界』(日本評論社)で私が担当した「労働法」は,A説も紹介しながら,基本的にはB説で書いたものといえます。本の趣旨にふさわしいものかはよくわからず,編者の南野さんには,当初,執筆依頼にお断りの返事をしていたのですが,私が書くとすれば,こういうものになるということを事前に了承していただいたような記憶があります(間違っていればすみません)。
 最近,東大法学部のスタッフが共同で書いた『まだ,法学を知らない君へ―未来をひらく13講』(有斐閣)を買って読んでみました。とても面白い内容で,法学に興味をもつ高校生が増えてくれればいいなと思いました。憲法ではいろんなところで大活躍されている宍戸常寿さんが,デジタルのことを扱い,民法では沖野真己さんが同性婚のことを扱っています。なかでも,頭の体操として知的刺激をたいへん受けたのは,刑法のところの「無期週末拘禁刑」の提案や教師と生徒との恋愛感情による性行為の届出制です。また法哲学のところの「一人一票の原則を疑う」は思考実験として実に興味深かったです。こういう柔軟な発想で法政策を考えていくのは,とても楽しくワクワクすることです。
 私は上記の原稿では,法学は,「実務的な知識を付与する専門分野,経済主体として独立していくうえで最低限標準的に身につけておくべき基礎分野,そして知的創造性に必要な教養としての分野に分類して,再編成する必要がある。そうなると,法学教育が展開される場は,法科大学院や専門学校(専門分野)と義務教育(基礎分野と教養分野)に二分され,大学の学部で教育する必要はなくなるかもしれない(アメリカと類似するものとなろう)。」といったことを書いていました(生成AIが登場した現在では,この内容は大きく修正しなければなりません)。ただ,上記の東大の本を読んでいると,各分野の最新の話題が面白すぎて,やはり法学部でそれぞれの分野の勉強をしたほうがよいと思う反面,この本を教材にして,高校で必修の授業をやるほうがよいのでは,という気もしました。
 東大の本では,労働法関係もあり,神吉知郁子さんが,「「非正規格差」をなくすには」というテーマで執筆されています。これは私からみれば上記のA説で書いているもので,立法論にふれられてはいますが,A説の延長です。おそらく,こういう書き方のほうが,読者には安心感があるでしょう。私ならもう少し現行法を疑って「「非正規格差」はなくならない」というテーマで,全く異なったものを書きますが,さすがにそれは高校生向けには書いてはならないのでしょうかね。

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