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2025年7月の記事

2025年7月31日 (木)

V.Schoolカフェ

 自宅のエアコンが故障して暑い1日となりました。少しバテ気味でしたが,夕方から本日は,V.School で『公共政策における法学と経済学の役割』をいっしょに執筆した内田浩史先生と,この本のフォローアップをかねるようなイベント(V.School カフェ)がありました。私は,同書の最後の議論のなかで出てきたテーマと関連して,労働政策の立案過程に焦点をあて,諏訪康雄先生の「労働政策審議会」(日本労働研究雑誌731号),中窪裕也先生の「労働法における立法学・法政策学」(日本労働研究雑誌705号)なども参考文献としながら,労働政策プロセスの問題点や限界について考えるところを話題提供としてお話しました。
 その後の議論でも,いろいろな話をしましたが,経済学については,個人の判断の合理性,営利の追求や成長を是とする考え方への疑問などをあえて内田先生にぶつけてみました。そのほか,イントロで,政策で実現すべき価値としての生存の重要性や,自由と効率性の関係について私がいま考え方を見直していることなど,頭のなかでもやもやとしていることをぶつけてしまい,聞いている人たちには申し訳なかったかもしれませんが,一研究者が悩む姿から,何か考えるヒントをつかんでもらえたら幸いです。

2025年7月30日 (水)

王位戦第3局

 藤井聡太王位(竜王・名人,七冠)に永瀬拓矢九段が挑戦する王位戦七番勝負の第3局は,藤井王位が勝って3連勝になりました。永瀬九段は,進出してくる藤井王位の銀に大駒を抑えられてしまい,最後は89手で投了。見せ場をつくれませんでした。藤井王位は強すぎます。 
 秋に行われる竜王戦での藤井竜王への挑戦を決める3番勝負は,佐々木勇気八段と石田直裕六段との戦いとなり,第1局は佐々木八段が勝って,2年連続挑戦に向けて王手をかけました。石田六段の竜王戦ドリームは,ここで終わるでしょうか。
 女流棋戦では,福間香奈清麗(女流六冠)に渡部愛女流四段が挑戦する清麗戦5番勝負は,福間清麗の豪快な角切り,飛車切りと切れ味の鋭い攻めが炸裂して連勝となりました。これで防衛に王手をかけました。
 ところで先日,加古川青流戦での小山怜央四段と山口裕誠三段の角換わり戦の対局で,なんと小山四段は,107手まで時間を4分しか使わないという早指しでした。互いに想定内だったそうで,つまり事前に研究がなされていたということです。勝負は108手目からということです。最後は山口三段が勝ち,スリリングな終盤でしたが,107手まで研究がされているとすると,そこまでは駒を並べるだけで,そこからがほんとうの勝負という戦いになります。AIを活用して事前に十分に研究をしている者どうしの勝負となると,実戦は研究成果を試す場ということになるのでしょう。ファンとしては,そういう最新レベルの勝負もよいですが,事前の研究が参考にならない力将棋(手将棋といったりします)も素人としては面白いのです。AI時代のプロ将棋の楽しみ方は,いろいろです。

2025年7月29日 (火)

自民党の石破おろしに思う

 自民党の両院議員懇談会で,石破茂首相に対して退陣を求める声が相次いだそうです。しかし,石破首相自身は続投に意欲を示しているとのこと。自民党内の問題とはいえ,単に党総裁を続けるかどうかにとどまらず,国のリーダーである首相の地位に関わる話ですから,国民としても無関心ではいられません。 私は「石破辞めるな」運動を支持するわけではありませんが,一方で自民党内に広がる「石破おろし」の動きにも違和感を覚えます。
 石破首相は選挙で3連敗したと言われていますが,最初の衆議院選挙の敗北は,石破氏が首相に就任した直後のタイミングであり,責任を問うのは酷でしょう。都議選は国政選挙ではありませんし,今回の参議院選挙は逆風の中で善戦したと評価することもできそうです。そもそも参政党の躍進については,誰が総裁であっても防ぎきれなかったはずです。
 自民党が選挙に苦しんだ最大の原因は,旧安倍派の議員たちが「政治とカネ」の問題に対して明確なけじめをつけないまま,政界に居座っている点にあるからでしょう。旧安倍派の萩生田氏や西村氏らが,反石破的な発言を繰り返している姿をみて,やはり自民党は変わっていないという印象をもった人も多いでしょう。自分の責任を棚に上げて石破氏にだけ責任を押し付けようとする姿勢に,国民はフェアでないものを感じているのではないでしょうか(西田が言うな,中曽根が言うな,という声もありますよね)。
 そもそも「選挙に勝ったか負けたか」が首相続投の基準になるべきなのでしょうか。首相はスポーツの監督ではなく,負けたからといってすぐに責任を取るべきという議論には違和感があります。たしかに自民党は,選挙で勝てそうな人物として石破氏を総裁に選んだ経緯があります。しかし,今回の選挙でも,自民党は,国民の中で相対的に最も支持を集めている政党であることに変わりありません。票を減らしたことを反省するとしても,それは政策の見直しや他党の政策とのすり合わせをしていくこととなるはずで,そうしたプロセスが「民意の反映」といえるのです。
 つまり,次の総裁には誰がふさわしいのか,という問題は,「選挙に勝てる人物」という表層的な話ではなく,「どのような政策を掲げ,どのように国を導くか」という観点から議論されるべきです。「選挙に負けたから辞めろ」というたぐいの声が聞こえてくる自民党に未来はなさそうです。
 明治政府が掲げた五箇条の御誓文の第1条には,「広く会議を興し,万機公論に決すべし」とあります。これは日本の民主主義の原点ともいえる精神です。多様な声に耳を傾けようとしてきた石破茂首相こそ,この精神にふさわしい政治家なのではないか,と感じることもあります。
 ただ,これは石破氏を少し持ち上げすぎているのかもしれません。岸田政権を引き継ぐ形で進められている現行政策には,どうも物足りなさを否めません。「地方創生2.0」など,石破氏独自のビジョンもありますが,十分にアピールされていないように思えます。とはいえ,首相の退陣を求めるのであれば,石破氏とは異なる具体的な政策ビジョンをめぐって議論がなされるべきではないでしょうか。

2025年7月28日 (月)

レッド・パージ

 2日前の書簡の話の続きです。マッカーサー書翰(「書簡」ではなく,「書翰」という漢字が使われています)については,労働法の主要な論点にはなっていませんが,実は共産主義者の解雇という問題が関係しています。194614日の公職追放令は,戦後の復興に邪魔になるとアメリカ側が考えた軍国主義者らを公職から追いやるのが目的でしたが,冷戦となり「逆コース」が始まると,公職追放の趣旨が,共産主義者追放,すなわち「レッド・パージ(Red Purge)」に変わります。19506月,マッカーサー書翰が,当時の吉田茂首相に「レッド・パージ」を命じます。
 共同通信社事件・最高裁大法廷1952年42日決定は,マッカーサーのレッド・パージ指令に基づき,共産党員またはその支持者に対して行われた解雇を有効としています。信条による差別を禁じる労働基準法3条に反する解雇であるかとかは問題とならず,最高裁は「日本の国家機関及び国民が連合国最高司令官の発する一切の命令指示に誠実且つ迅速に服従する義務を有すること(昭和2092日降伏文書5項,同日連合国最高司令官指令112項),従って日本の法令は右の指示に牴触する限りにおいてその適用を排除されることはいうまでもないところであるから,相手方共同通信社が連合国最高司令官の指示に従ってなした本件解雇は法律上の効力を有するものと認めなければならない」と判示しました。憲法はすでに施行され,そこでは国の最高法規とされているのです(98条1項)が,実質的には,そうではなかったということです(浦部法穂「イールズ事件(レッドパージ)」ジュリスト90051頁(1988年)) 。
 アメリカ大統領の書簡による関税率の設定は,日本だけではなく,ここまで大げさな話ではないのかもしれませんが,アメリカからの書簡というと,どうしてもマッカーサー書翰によって統治されていた屈辱的な占領時代のことを想起してしまいますね。

2025年7月27日 (日)

名古屋場所終わる

 名古屋場所は,琴勝峰が132敗で優勝しました。東の横綱の豊昇龍が早々と休場し,今場所は大の里の場所になるかと思っていたのですが,そうはいきませんでした。大の里は,少し押し損なうと,すぐに引いてしまうという悪い癖があり,途中でそれを反省したように思える取り組みもありました(対霧島戦など)が,勢いのよい力士には通用しませんでした。琴勝峰にも負けてしまい,結局,2差で平幕下位の力士に優勝をさらわれました。大関の琴櫻も存在感がなく(お父さんの琴の若に似た雰囲気が出てきました),関脇の若隆景も10勝が精一杯で,霧島も8勝どまりで,来場所の主役は,どう考えても,今場所を最後まで盛り上げた安青錦や草野でしょう。高安も小結で10勝したので,大関復帰への足がかりとなりました。若貴景も来場所で大きく勝てば大関の声がかかるでしょうが,よほど頑張らなければ苦しいでしょう。熱海富士や伯桜鵬のような期待されていた若手もいるのですが,新勢力の台頭に印象が弱まっています。
 ということで,大の里のように短期間で出世した力士が,そのほかにも,あっという間に大関になりそうな力士が出てきています。1年後の番付がどうなっているか,楽しみです。

2025年7月26日 (土)

書簡

 Trump大統領が,相互関税について,書簡を送ると言っていて,それは要するに,手紙一つで,税率と実施時期を伝えるということですよね。これは外交上,普通のことかよくわかりませんが,こんな形で税率が決まっていくということであれば,ずいぶん簡単なことだなと思います。王国なのでしょうね。これでふと思い出すのは,戦後の日本のマッカーサー(MacArthur)の書翰です。日本はアメリカの「直接統治」は免れたものの,実質的にはGHQの最高司令官マッカーサーの書翰で,そこで書かれている指令どおりに政権は動いていました。「間接統治」であり,占領下である以上,仕方がないとはいえ,彼の手紙一つで,日本政府は動かされていたのです。レッド・パージ(Red Purge)指令なども有名です。労働問題では,19487月の政令201号が有名です。当時の芦田均内閣に向けたマッカーサー書翰で,公務員の争議行為が禁止され,その後の国家公務員法の争議行為の禁止などにつながっていきます。
 Trump大統領が手紙を送ると言われると,占領下時代のマッカーサー書翰で国の大事なことが決められていた屈辱的な時代を想起してしまうのは私だけでしょうか。当時の日本の支配層は,戦争に負けるというのはこういうことだと身にしみて感じたことでしょう。いまでもアメリカ大統領に,配慮の行き届いた書翰を書いてもらうために,何度もお願いにうかがうという伝統が残っているのでしょうかね。
 ところで,1948年のクリスマスころ,A級戦犯の岸信介,笹川良一,児玉誉士夫がなぜか釈放されます。児玉はCIAのスパイ説がありますが,本当のことはわかりません。アメリカが,軍人は処刑する(広田弘毅は例外)ものの,利用できそうな民間人は釈放して,独立後も間接統治をしつづけるための準備をしていたと考えると,いろんなことが腑に落ちてきます。そうすると,アメリカになびかなかった田中角栄が転落したこともよく理解できるのです(仮名が使われていますが,児玉,岸,佐藤栄作,田中などのことは,ダイヤモンド・オンラインの辻トシ子をモデルにした「小説・昭和の女帝」が面白いです)。
 さて石破茂内閣は,もともと対米追従ではなかったと思いますが,今回の関税に関する交渉でアメリカのおぼえがよくなったでしょうかね。それとも,今後の展開いかんでは,アメリカの反発を受けて,田中角栄と同じように,追い落とされてしまうのでしょうか。日本の政治家のなかで誰がどのような(親米すぎる)行動をとるか(とくに麻生太郎元首相や茂木敏充氏には注目)。こういう視点で,これからの日本の政治をみてみることも必要かもしれませんね。

2025年7月25日 (金)

猛暑

 とにかく猛暑です。エアコンは贅沢という感覚がある私ですが,エアコンなしでは命の危険があるということなので,しかたありません。でもエアコンにあたリ続けていると体調の維持が難しいですね。
 いったい,昔と比べてどれだけ暑くなっているのでしょうか。今日の神戸市中央区でみると,朝6時は29度,9時は31度,12時は33度,15時は32度,18時は30度,21時は29度です。夜が暑いですね。
 気象庁で発表している7月のデータを,10年ずつ遡っていきました。たまたま暑い年もあったかもしれませんが,だいたいの傾向はわかるかもしれません。もちろん専門的な分析は,私にはできませんが,数字を並べてみました。
 20257月は,現時点までは,平均は29.3度,最高は33.2度,最低は26.7度です。以下7月の平均,最高,最低気温です。
 2015年は,26.629.624.3
 2005年は,27.0,30.224.6
 1995年は,26.329.923.5
 1985年は,26.530.723.4
 1975年は,26.330.223.3
 1965年は,25.428.523.2
 1955年は,26.830.324.3
 1945年は,23.828.020.2
 2015年までは,それほど変わっていない印象もあります。酷暑化はこの10年くらいの現象かもしれません。ただ年間平均のデータがあり,神戸はずっと15度前後でしたが,16度に初めて突入したのが1959年です。その後も16度を超える年はあまりありませんでしたが,1998年に17度に突入し,その後は17度超えが普通になり,2023年に18度に突入して,2024年は18.4度です。こうみると,温暖化は着実に進んでおり,実感もそうです。とりわけ今年の7月の暑さは,上記の数字をみても,やはり記録的です。人生のなかでこれだけ気温が変化していくと身体がなかなかついていけませんね。これに順応していくためには,徐々に北に移動していくべきか。意外に沖縄のほうが気温が低いということもあるので,南下していくべきか。どうしましょうね。

2025年7月24日 (木)

地震

 NHKの朝ドラ「あんぱん」をみていたら,昭和南海地震のシーンが登場しました。高知ではとくに大きな被害が出た地震であり,画面から伝わってくる緊迫感に,改めて自然災害の恐ろしさを感じさせられました。私の父方の祖母も,生前「前の地震が怖かった」と話していたことがありました。それはこの昭和南海地震のことだったはずです。祖母は兵庫県の加古川に住んでいたはずですが,その地域もかなり揺れたのでしょう。私たちの世代であれば「前の地震が怖かった」と言うときにあてはまるのは,1995年の阪神・淡路大震災になるでしょう。ただ,この地域の地震の過去の周期に照らせば,昭和南海地震からすでに80年近くが経過しているので,再び大地震が起こってもおかしくありません。「前の地震」が,阪神・淡路大震災ではなくなるときが来ないか心配です。
 最近では鹿児島南部でも地震が続き,カムチャツカ(Kamchatka)半島でも地震活動が報告されています。さらに気になるのは,アイスランドのレイキャネス(Reykjanes)半島での火山噴火です。この地域は,18世紀に大規模な噴火を起こしたことで知られており,とりわけ1783年のラキ(Laki)火山の噴火は,地球規模の気候異変をもたらし,日本でも天明の飢饉の一因になったといわれています。この年,浅間山も噴火しており,大河ドラマ『べらぼう』でも描かれています。
 ところで,食料問題は,気候の影響を受けるのは当然のことです。今回の日米合意では,関税がかからないミニマム・アクセスの枠をアメリカ側に大きく振り分けることで,実質的に輸入量を増やす内容になっています。政府は,輸入米は主に飼料用や加工用に用いられるため,米価には影響しないと説明しているようですが,農家の側からは信用できないとの声も聞かれます。結局のところ,国民としてほんとうに知りたいのは,国内の米は足りているのか,という根本的な問いです。もしほんとうに足りていないのであれば,ミニマム・アクセスの枠自体の拡大もやむを得ないという判断になっていくかもしれません。ただ,米が流通経路のどこかに残っているのであれば,話は違います。ほんとうのことはよくわからないのですが。
 今回の日米の合意が日本にとってプラスだったのでしょうか。株価は肯定的に反応しています。ただ,15%もの高い関税をかけられるということには違いがないのであり,最初に非常に高い税率が提示されていたからこそ,まだましと感じているだけで,これは心理学でいう「参照点」のマジックかもしれません。

2025年7月23日 (水)

法学の中の労働法

 労働法の研究者として,この分野を専門としない人に向けて話しをするとき,その相手のパターンに応じて話し方を変える必要があると思っています。そのパターンは3つあって,第1は,研究者ではない人,第2は,法学以外の分野の研究者,第3は,労働法以外の法学研究者です。意外に話をしにくいのは,第3の場合です。労働法は,法学のなかでは,社会的不平等に対処するために,国家が介入する法分野という位置づけになっています。弱者たる労働者を救うための法分野ということで,労働法の役割はそこにあるというのが,法分野のなかの役割分担であり,世間でも多くの人はそう考えています。私のように,労働法は変わっていかなければならないと考えている人間は,労働法の立場からはどうですか,と聞かれると,二通りの答えが必要となります。一つは,労働法の普通の考え方によればこうなります,もう一つは,でも労働法のこの考え方は個人的にはおかしいと思いますので,個人的にはこう考えます,というものです。前者を仮にA説とし,後者をB説とすると,相手(学生も含む)のリクエストや期待に応じて,A説,B説,あるいは両説を答えることになります。普通の方にはA説だけで答え,私個人の考え方を知りたい奇特な人や,新たな視点を求めているような人にはB説で答え,余裕があれば,両説を話すという感じです。
 法学全体のなかの労働法というものをみると,南野森編『新版・法学の世界』(日本評論社)で私が担当した「労働法」は,A説も紹介しながら,基本的にはB説で書いたものといえます。本の趣旨にふさわしいものかはよくわからず,編者の南野さんには,当初,執筆依頼にお断りの返事をしていたのですが,私が書くとすれば,こういうものになるということを事前に了承していただいたような記憶があります(間違っていればすみません)。
 最近,東大法学部のスタッフが共同で書いた『まだ,法学を知らない君へ―未来をひらく13講』(有斐閣)を買って読んでみました。とても面白い内容で,法学に興味をもつ高校生が増えてくれればいいなと思いました。憲法ではいろんなところで大活躍されている宍戸常寿さんが,デジタルのことを扱い,民法では沖野真己さんが同性婚のことを扱っています。なかでも,頭の体操として知的刺激をたいへん受けたのは,刑法のところの「無期週末拘禁刑」の提案や教師と生徒との恋愛感情による性行為の届出制です。また法哲学のところの「一人一票の原則を疑う」は思考実験として実に興味深かったです。こういう柔軟な発想で法政策を考えていくのは,とても楽しくワクワクすることです。
 私は上記の原稿では,法学は,「実務的な知識を付与する専門分野,経済主体として独立していくうえで最低限標準的に身につけておくべき基礎分野,そして知的創造性に必要な教養としての分野に分類して,再編成する必要がある。そうなると,法学教育が展開される場は,法科大学院や専門学校(専門分野)と義務教育(基礎分野と教養分野)に二分され,大学の学部で教育する必要はなくなるかもしれない(アメリカと類似するものとなろう)。」といったことを書いていました(生成AIが登場した現在では,この内容は大きく修正しなければなりません)。ただ,上記の東大の本を読んでいると,各分野の最新の話題が面白すぎて,やはり法学部でそれぞれの分野の勉強をしたほうがよいと思う反面,この本を教材にして,高校で必修の授業をやるほうがよいのでは,という気もしました。
 東大の本では,労働法関係もあり,神吉知郁子さんが,「「非正規格差」をなくすには」というテーマで執筆されています。これは私からみれば上記のA説で書いているもので,立法論にふれられてはいますが,A説の延長です。おそらく,こういう書き方のほうが,読者には安心感があるでしょう。私ならもう少し現行法を疑って「「非正規格差」はなくならない」というテーマで,全く異なったものを書きますが,さすがにそれは高校生向けには書いてはならないのでしょうかね。

2025年7月22日 (火)

ドッジ・ラインの教訓

 「あんぱん」は,戦後すぐの時期の物語であり,闇市で物資を入手するという話がたびたび出てきます。闇市は,言葉どおり「闇」でなされる非合法な取引の場のはずですが,配給制や価格統制がなされていた当時は,物資が十分に流通しておらず,人々の生活のためには不可欠なものだったのでしょう。当然,闇市では統制価格よりも高い価格で取引されていたと考えられます。
 戦後のインフレが進む中で,194812月には経済安定9原則が出され,それを具体化するドッジ・ライン(Dodge Line)が発表されました。これにより,日本は経済的自立に向かうことになりますが,その過程では倒産や失業などの多くの痛みをともなうことになりました。大争議も起きています。それえも,その苦難を経て,戦後の経済復興が進んだと言われています。いつまでも敗戦国として戦勝国に頼ったままではいけません。アメリカでは,敗戦国の日本を支えることについて国内での不満も出ていました。それ以上に,冷戦が始まり防共の砦としての日本の強化ということから,アメリカは,ライオンの子を崖から突き落とすようなつもりで,日本にあえて厳しい試練を与えたということもできます。
 ところで,Trump大統領の相互関税が問題となっています。これは,いつまでもアメリカを輸出市場として頼っていてはひどい目にあうという警告かもしれません。Trumpは,アメリカのことしか考えていないのでしょうが,こうして日本を突き放してくれたほうが,多少の痛みを伴っても自立への道をたどることができるというように前向きに考えられないわけでもありません。もちろん国民は,その途中の痛みには反発をします。私も痛みはいやです。でも,そこを乗り越えた先にある未来像を示すのが政治家の役割ではないでしょうか。減税や給付で消費を増やし経済成長を図るというのは,短絡的な政策です。消費を増やすことが本当によい政策なのかも,環境問題などを考えると冷静に考えるべき事柄です。Wise spending (賢明な支出)の重要性は,家計レベルでもそうですし,また政府レベルでもそうです。Austerity(緊縮財政)は,財政規律の観点から原理主義的にすると,行き過ぎてしまい,社会を疲弊させ混乱させるのですが,だからといってpopulistic (大衆迎合)なバラマキ政策では,中長期の社会の未来を描くことができません。
 歴史を学びつつ,Trumpのもたらした災厄をどう乗り越えるかを,賢く考えていきたいものです。それができるならば,石破内閣にしばらく任せてもよいかもしれません。野党に任せるのには,やや不安があります。

2025年7月21日 (月)

参議院選挙の続報

 朝起きたら,結果がほぼ出ていました。兵庫県は,結局,泉(無所属・立民推薦),加田(自民),高橋(公明)の3人でした。維新の候補は落選です。兵庫県の維新は,知事選の総括ができていないという評価でしょうかね。非改選の片山さんも不安がいっぱいでしょう。参政党の勢いがどこまで続くかわかりませんが,いまのところは,自民の末松さんも心配でしょう。
 今回の選挙で勝ったのは国民民主党と参政党であり,実は自民党以上に衝撃が走ったのは立憲民主党ではないかと思います。これだけ与党票が減ったのに,立憲民主党には票が集まらなかったというのは,野党としての「賞味」期限が切れかかっているということでもあります。比例代表の議席数で,国民民主党にも参政党にも敗れたのは,その証拠です。茨城では,まさかの現職落選で,参政党の議員に議席を奪われました。落選した小沼さんは得票率では6年前とほぼ同じでした。自民党のトップ当選した上月さんは得票率も獲得票も大きく減っていたのですが,その多くが参政党の桜井さんに流れたのでしょう。参政党の嵐に飲み込まれた象徴的な選挙区となりましたね。福岡(3人区)にいたっては,現職の立民の野田さんは惨敗で,参政党の議員が公明党の下野さんをも抜いて,2位当選となりました。
 結局,自民,公明,立民,共産という既存の組織政党は敗れ,国民,参政といった新興勢力(国民は新興勢力というべきではないかもしれませんが)が躍進し,維新,れいわなどはそこそこ力をみせましたが,国民,参政の勢いの前にかすんだというところでしょうか。SNS選挙の威力であり,組織票に頼らなくても,党首のアピールで勝負ができるということです。党首の魅力が票数の違いに出ているのでしょう。国民は「手取りを増やす」(所得税の実質減税),参政は「日本人ファースト」,維新は「社会保険料の引下げ」というところに政策の個性を出してアピールしました。国民の玉木氏は自分で政策が語れる実力派,参政の神谷氏はまだよくわかりませんが,いちおう自分の言葉で政策を語っている感じがします(その是非はさておき),維新も同様であり,万博と兵庫県知事選がなければ,ここまで国民と参政の進出がなかったかもしれませんでした。れいわは,どこかにブレーンがいて,それを党首がラップ調で語っているという印象があり(ほんとうかどうかわかりませんが),年配層に受けそうにないので,今後大きく票を伸ばすことは難しいでしょう。
 いずれにせよ,こういったワン・イシューで突破する政党は,過半数の支持を得るのは困難としても,政策の魅力で一定数の支持は得ることができ,連立時代になると,それで十分に存在感を発揮できるのです。欧州をみても,どこも連立政権であり,選挙の結果によって,組み合わせが変わります。自民党は大幅に議席を減らしたとはいえ,相対的な得票数では圧倒的な1位です。世間は自民党を中心とした連立政権を期待したとみるのが,石破内閣誕生後の選挙結果の正しい読み方ではないでしょうか。
 ただ自民党の未来はかなり暗いことも事実です。和歌山や鹿児島のようなやや特殊な例は別として,青森は66歳の男性現職が立民の女性新人に敗れ,富山は72歳の男性現職が国民の女性新人に敗れ,千葉は自民は2議席維持をねらったものの,富山と同様に,72歳の男性現職が国民の女性新人に敗れ(3人区でトップ当選),宮崎は男性の2世議員が立民の女性新人に敗れるというのをみると,ここに自民党の問題が明確に現れています。老人はイヤ,二世もイヤということかもしれません。
 ところで京都は,維新の有力な新人候補(関西では有名なアナウンサー)の新美さんが堂々とトップ当選し,ひめゆり発言の西田さんと共産党の倉林さんの2人の現職が争いましたが,ここは西田さんが競り勝ちました。共産党はここで勝てないようでは厳しいです。共産党にとっては今回の選挙を象徴する選挙区となりましたね。維新もどことなくその使命を終えた感もあるのですが,前原さんや新美さんを軸に据え,良い人材を発掘して,まずは大阪以外の関西をしっかり固めるところからやり直したらどうですかね。

2025年7月20日 (日)

参議院選挙

 まだ最終的な結果が出ていませんが,テレビの速報では,兵庫県は,予想どおりに泉房穂さんが当選しました。1度,道でばったり会って,握手をしました。温かい方という印象を受けました。無所属ですが,立憲民主党推薦です。参議院議員としてどんな政治活動をするかはよくわかりませんが,何か新しい風を吹かせてもらえればと思います。残りの2議席は激戦のようです。先日知り合いの美容師さんから今回の自民党の候補者がお客さんで,長い付き合いだが良い人だと言っていました。しかし,今回は大苦戦のようです。兵庫県は,自民,維新,公明でほぼ不動といえそうだったのですが,泉さんが入ってきて,2議席を3人で争うということになり,しかし,そこに参政党が伸びてきていて,たいへんな争いとなりました。公明党の候補が,最終日に名前をメロディーにして流し続けていたのを見て,ちょっとかわいそうになりました。いずれにせよ,N党にかき乱されていた選挙が,今回はまともなものになってよかったです。
 それにしても参政党の勢いはすごかったです。神谷氏はスターとなって,とりあえず話を聞いてみたいという人が増えていたようです。しっかり話はしているし,有望な若者という感じもしますが,個々の政策の方向性には心配なものもあります。保守的な層から,自民党に幻滅した人の票を集めたという声もありますが,それはむしろ国民民主党のほうで,参政党は政治に関心をもたない人を掘り起こしたような気がします。参政党の候補者は,わりとさわやかなイメージの人が多いという印象があり,よい候補者を集めてきたのでしょう。ここが他の政党との違いのように思えました。
 それにしても,自民党の退潮ぶりは激しいですね。何がどうかということよりも,魅力的な良い人材が自民党から出なくなったのかなという気もします(和歌山県など)。自民党は,公明党だけと組んでいても未来がないとなると,国民民主党と組むか,維新と組むかということになっていくでしょうが,政治の枠組みが変わっていくことは確実ですね。

2025年7月19日 (土)

新刊

 弘文堂から,坂井岳夫さん,土岐将仁さん,山本陽大さんと執筆したフリーランス法制を考える-デジタル時代の働き方と法が届きました。「難産」でしたが,とにかく刊行にいたってよかったです。私が担当したところはともかく,他の3人の書いたところは,どれも重要なものですので,多くの人に読んでもらえればと思います。
 本書の全体像は序章で書いていますので,まずはそこをみてもらえればと思います。本書では,ギグワーカーのようなタイプのフリーランスに焦点をあてたものではありません。むしろプラットフォーム労働といっても,いまはギグワーカーはいますが,それよりも自立的なプラットフォームも念頭におきながら,そうした者もプラットフォームを活用しながら働くことになるということを想定し,来たるべき法制を考えています。なかでも社会保障は重要な分野となりますが,既存の法制の延長では不十分であり,新たな発想でセーフティネットの再編をすべきとする理論志向が示されています。また政府の規制だけでは限界があり,民間との共同規制の必要性も指摘しています。
 本書では,具体的にどのような法律を制定すべきかというところまでは踏み込んでいません。ただ,今後,どのような方向で議論をすべきであるかという問題提起はできていると思います。研究者としての立場からは,序章でも書いたように,既存の法制度を前提とした漸進的な改革ではなく,様々な思考実験をして理論的な模索を続けることが重要だということであり,そうしたメッセージが読者の皆さんに伝わればと思っています。

2025年7月18日 (金)

冤罪事件

 今週は司法試験が行われている週です。これに伴い,今日のLSの授業は休講でした。在学中に受験している学生もいるからです。この暑さの中,大変ですね。期間中に司法試験があるため,授業スケジュールがやや変則的になりますが,今日の回は飛んで,来週の授業が最終回となります。その次はいよいよ期末試験です。LSの期末試験については,例年,少し凝りすぎた出題をしてしまう傾向があるので,今年はややシンプルにしようかと考えています。ただ,まだ試験問題の提出締切までは少し時間があるので,もう少し悩んでみるつもりです。
 話は変わりますが,今日,福井女子中学生殺人事件の再審で無罪が確定しました。およそ40年間,「殺人犯」とされていた方の名誉がようやく回復されたことになります。こうした再審事件が目立ちますね。もちろん,事件そのものはずっと以前に起きたものですが,村木厚子さんの事件などはそんなに昔のことではないでしょう。法律に携わる者として,検察官が冤罪に加担し,裁判所がそれを見抜くことができなかったという事実は,極めて深刻な問題だと思います(真犯人を取り逃がしたということは,より大きな問題ですが)。自分の描いたストーリーに執着し,証拠と誠実に向き合うことができなくなるとすれば,これはきわめて危険なことです。それによって,無実の人の自由が奪われるのだとすれば,法の根幹を揺るがす重大事です。
 「何が真実なのか」という問いは,どれほど証拠と向き合っても,そう簡単に答えが出るものではありません。まずは仮説,つまり事前のストーリーをもって証拠を検討することは,ある意味でやむを得ないことです。証拠を調べるという作業は能動的なものであり,ただ受け身に証言を聞いたり,物証を眺めているだけでは,真実が見えてこないことが多いように思えるからです。だからこそ,複数の目で厳正にチェックする体制が必要です。確証バイアスもあります。そもそも仮説は仮説にすぎないので,何度も見直す必要があるのです。危険なのは,組織全体が間違った方向で統一されてしまうとか,一定のストーリーが優勢になってしまい,仮説がきちんと検証されないまま定説になってしまうことです。いったん,そうなると組織の論理が働き,そこから抜け出すのは難しくなりそうです。
 本来,法律家というのは,絶対的な正義や真理に疑いの目を向け,対立する当事者,原告と被告,弁護人と検察官が互いに主張をぶつけ合う中で,真実に近づいていくという考え方を前提にしているはずです。その原点に立ち直る姿勢が,いま,求められているように思います。

2025年7月17日 (木)

『法と経済で読みとく雇用の世界』

 ある高校生からメールが来て,『法と経済で読みとく雇用の世界―これからの雇用政策を考える』を読んで興味をもったので,神戸大学に入って私の授業を聞きたいという趣旨のことが書かれていました。どうしてこういう本を高校生が目にすることがあるのか,というのに驚きましたが,意欲をもっているなら,ストーリーつきでもあるので,読みやすいものであったのかもしれません。大学教授に直接メールを送ってくるという積極性も見事です。
 ただ,私は学部の授業では,この高校生が思っているような内容のことをやっているわけではなく,法律の解釈や判例の紹介を中心にやっているので,期待してもらっているのに応えるような内容とはなっていないのではないかと不安になりました。ミスマッチが起きては申し訳ないと思って,幸い,法経連携プログラムというものも神戸大学にあり,多くの分野での法学と経済学の先生の共同授業というのをやっているので,まずはそちらのプログラムをみてもらって,関心があれば神戸大学に来てくださいという趣旨の返事をしておきました。
 よく考えると,これまで学部では普通の講義でもゼミでも『法と経済で読みとく雇用の世界』を教科書にして授業をしたことはありませんでした。有斐閣の方には申し訳ないのですが,もともと教科書用で書いたわけでありませんし,一般人向けの読み物として書いたというところもあるし,経済学の部分については,やはり川口さんにきちんと説明してもらわなければ無責任となるので,川口さんとの共同授業ということがあったなら教材に指定してよかったのですが,これまではそういう機会もないまま来てしまいました。
 でも定年後に市民講座などをやる機会があれば,この本を使って講義をしてみるのも面白いかなと思っています。普通の本より,この本のほうが労働法や労働政策への関心も高まるのではないかと思います。
 そうそう,学部相手に使わなかったほんとうの理由は,ストーリーの内容が「大人の世界」のことだったのですが,そのことは読んだことがある人にはわかるでしょう。

2025年7月16日 (水)

王位戦第2局

 1局の藤井聡太王位(竜王・名人,七冠)に永瀬拓矢九段が挑戦する王位戦7番勝負の第2局は,有馬温泉の「中の坊瑞苑」で行われました。近くで実施されているので,観に行きたい気もしますが時間なく,いつかまたタイトル戦は行われるでしょうから,老後の楽しみにとっておきます。
 2日制の対局で,藤井王位が勝って2連勝です。最後は打ち歩詰めでした。永瀬九段は,歩を打つと藤井玉を詰ますことができましたが,玉を歩を打って詰ますのは反則なので,打たずに投了しました。永瀬九段は打ち歩詰めになることはわかっていましたが,最後まで指しました。ぎりぎりの勝負なのでしょうが,最後は藤井王位が勝ってしまいますね。
 秋に予定されている竜王戦の決勝トーナメントは,ベスト4をかけて,松尾歩八段と石田直裕六段が戦い,石田六段が勝ちました。所司和晴七段門下の兄弟弟子で,弟弟子が兄弟子をやぶりました。石田六段は,4組ランキング戦で優勝して決勝トーナメントに進出し,その後も谷会廣紀四段(現五段),森内俊之九段に連勝しています。竜王戦はときどき,こうして下から勝ち上がってくるドリーム棋士がいます。次は,いよいよ八代弥七段と決勝3番勝負進出をかけて戦います。もう一つの山は永瀬九段と佐々木勇気八段の対戦です。
 女流の清麗戦5番勝負の第1局は,福間香奈清麗(女流六冠)が,挑戦者の渡部愛女流四段に勝ちました。絶好調の渡部女流四段ですが,福間清麗は強かったです。でも,勝負はまだこれからです。

 

 

2025年7月15日 (火)

『外国人労働者に関する重要判例と今後の展望』

 山川隆一・早川智津子・山脇康嗣・冨田さとこ編著『外国人労働者に関する重要判例と今後の展望』(第一法規)をお送りいただきました。どうもありがとうございます。外国人に関する裁判例は少しずつ増えているような印象もありますが,あまり突き詰めて考えたことがありませんでした。外国人といっても,技能実習生などをめぐる特別な問題は別として,基本的には,日本人と同じように考えなければならないというところで思考を止めていたところもあります。しかし,本書でとりあげられている判例や解説をみていると,そう単純でもないことがわかりました(とくに賃金格差の問題など)。企業にとっては,外国人労働者の雇用管理について,入管法だけでなく,労働法も知っておく必要があるのは当然なので,本書は大いに活用できるでしょう。理論的にも,外国人労働者の問題は,昨日も扱った社会保障法も含めて,さらに研究の余地があるかもしれません。本書を手元に置きつつ,じっくりと考えていきたいと思います。
 総論の章では,山川隆一先生が外国人労働者政策の流れと育成就労法の内容をコンパクトにまとめてくださっていて,非常にわかりやすかったです。また早川さんが,「労働市場テスト」というタイトルのコラム(91頁以下)において,最後に「我が国でもこのようなシステムを導入してはどうか」と書かれており,彼女の持論が感じられる内容でした。「これを書かずには終われない」という思いが伝わってくるようでした。

2025年7月14日 (月)

生活保護と外国人

 ネット上では,「外国人への生活保護は2014年に最高裁で違法判決が出て確定している」といった主張が複数拡散していますが,それが誤りであることが,日本ファクトチェックセンターのサイトでも明確に記されています。
 日本人ファーストのような主張をする政党が出てきていますが,Trumpと同じようなことは言わないでほしいです。ただこういう主張が出てくるのは,そこに現在の日本人の本音が隠れている気もします。生活保護をもらうような外国人は来るな,日本に富をもたらす外国人だけwelcomeということなのでしょう。
 ところで,上記の2014年の最高裁判決とは,2014718日の第2小法廷の判決です。この判決は,「現行の生活保護法は,1条及び2条において,その適用の対象につき『国民』と定めたものであり,このように同法の適用の対象につき定めた上記各条にいう『国民』とは日本国民を意味するものであって,外国人はこれに含まれないものと解される」し,「生活保護法を始めとする現行法令上,生活保護法が一定の範囲の外国人に適用され又は準用されると解すべき根拠は見当たらない」として,「一定の範囲の外国人も生活保護法の準用による法的保護の対象になるものと解するのが相当であり,永住的外国人である被上告人はその対象となるものというべきである」とした原判決を否定しました。そして,「外国人は,行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得る」が,それにとどまり,「生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく,同法に基づく受給権を有しないものというべきである」としています。
 この判決は,永住者の資格をもつ中国籍の人が,生活保護申請却下処分の取消しを求めた行政訴訟において,この処分は違法ではないとした第1審の判断を支持したものです。要するに,生活保護を支給しなかったことは適法としたものにすぎず,生活保護をしたことが違憲であるとした判決ではありません。しかも,最高裁は,「行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象」とすることは否定していないと読めるので,外国人に事実上の生活保護を支給することは否定していないのです。
  とはいえ,悪意でデマを流そうとする人は論外ですが,普通の人でも,生活保護を支給しないことが適法であれば,もし生活保護の支給をすればそれは違法であるということではないのか,と考えても不思議ではありません。「外国人への生活保護は2014年に最高裁で違法判決が出て確定している」という言説は上述のように誤りですが,外国人への生活保護を法がどう考えているのか,という視点で考えると,生活保護法は,国民を対象としたもので,外国人を対象としていないということは事実ですので,そのうえで,外国人に対して行政上の裁量で生活保護を認めることが妥当なのかどうか,という問題提起はあり得るでしょう。その際には,この判決の原告のような永住者の在留資格をもつ外国人とそうでない外国人を区別すべきかどうかという点も問題となるでしょう。
 いずれにせよ,上記のフェイク情報は,日本人の国際的な地位が低下しつつあるなか,国民に余裕がなくなり,デマでもいいから排外的議論を支えるもっともらしい根拠がほしい」と考える人たちの存在があることの現れのように思えます。困ったことです。

2025年7月13日 (日)

日曜スポーツ

 阪神は夢のような11連勝が,まさかの最下位ヤクルト戦で止まりましたが,これは豪雨の影響とか,いろんなこともあり,翌日からはしっかり切り替えて2連勝です。負けた試合でも,エースが大崩したにもかかわらず,試合そのものは最後まで期待をもたせるような追い上げをしたなど,今年の阪神の強さを示してくれました。ファンも,いまはなんとなく藤川監督のやりたい野球がわかりつつあり,違和感を感じることがあっても,何か理由があるのではないかと考えるようになっています。やっぱり監督というのは結果がすべてであり,結果がでると,ファンもついてくるということでしょう。
 一つ思うのは,藤川監督のインタビューはそっけないのですが,岡田前監督が,サービス精神がありすぎるのは,相手チームに余計な情報を流しすぎて,どうかと思うことがありました。また,監督から選手への直接のアドバイスをせず,マスコミに話して間接的に伝えるということもあり,これは岡田監督クラスだから許されることで,新人監督では難しいでしょう。新人監督はマスコミには言わず,選手にきちんと伝えているということです。いずれにせよ結果がすべての世界であり,その結果も目先の1勝ではないということをわかって,しっかり自分のやりたい野球の方針を貫き優勝を目指している藤川野球が最後にどういうように形になるかが楽しみです。
 話は変わり,夏場所が始まりました。新横綱の大の里は,まずは順調に白星で発進です。実力は群を抜いているので,普通にやればいいだけですが,昇進場所は稽古に専念する時間がとれないと言われますので,そこが心配ではあります。豊昇龍も苦手の高安をひとひねりしました。
 今場所は関脇が強そうです。霧島と若隆景です。霧島は元大関ですから,体調さえ戻れば,実力はあるので,力は発揮するでしょう。若隆景は大怪我から這い上がってきました。照ノ富士の例もあります。いまは朝乃山もようやく上がってきています。若隆景の活躍は怪我をした力士に希望を与えるものでしょう。お兄さんの若元春も上位で頑張っていますが,今朝のNHKの番組で,その上の長男の若隆元のことが取り上げられていました。若隆元はまだ関取になっていません。3兄弟の長男が出世できないというのは,かつての逆鉾,寺尾と同じようなケースですね(逆鉾たちの長男の鶴嶺山は,関取にはなれました)。実力の世界なので仕方ないですが,親としては複雑な気持ちでしょうね。若貴は,お兄ちゃんは横綱になれましたが,貴乃花との実力格差ははっきりしていて,貴乃花からすれば自分の考える横綱道からして,こんな人が横綱でよいのかという疑問があり,それが貴乃花のその後のいろんな迷走(?)を生んだのかもしれません。

 

 

2025年7月12日 (土)

水難事故を避けるために

 若い人たちが川や池で溺れて亡くなるというニュースは,毎年のように耳にします。どうしてそのような事故が起きてしまうのか,考えさせられます。たとえば,川岸でバーベキューをしていて,少しお酒が入ると,「ちょっと川に飛び込んでみようかな」という気持ちになることがあるかもしれません。自分は泳げるし,そんなに酔っているわけでもないから,少し涼もうと思って水に入ってみよう。その気持ちは理解できないわけではありません。しかし,それが命取りになることがあるのです。私自身,川で泳いだ経験は,記憶に残る範囲ではありません。ただ,水の中が濁っていて見えないのが怖いなと感じたことはあります。怖さの本質は,足がつくかどうかわからないということにあるのではないでしょうか。足がつくと思っていたのにつかなかったとき,人は不意を突かれて慌ててしまいます。そして,まさにその瞬間が危険なのだと思います。
 人間の体は,肺に空気が入っていれば自然と浮くといわれています。しかし,一度水を飲み込んでしまうと,体に水の重さが加わり,浮力よりも重力が勝って,沈んでいってしまうそうです。だからこそ大切なのは,絶対に水を飲み込まないことです。そのためには,驚いて叫んだりしないようにと言われています。むやみに動かず,体が自然に浮かぶのを待つ(背浮き)。それが生き延びるための大事な知恵なのです。
 しかも川には水流があります。ふだん私たちは,水流のある場所で泳ぐという経験をあまりしていません。水流がある場所では,水温の変化も急激で,心臓に負担がかかったり,筋肉が痙攣したりすることもあるでしょう。もちろん,泳ぐつもりがなくても,足をすべらせて川に落ちてしまうことだってあります。浅瀬で底が見えているような場所を除けば,川の近くにはむやみに近づかないという意識が必要ではないかと思います。学校などでも,水辺の危険についてはきちんと教えているとは思いますが,「川で泳ぐなんてことをするから悪い」と突き放すのではなく,「川はどれほど危険なのか」「泳ぎに自信があっても関係ない」ということを,大人の側がきちんと教えていく必要があるのではないでしょうか(河童だって川流れがあるのですから)。 

2025年7月11日 (金)

学部授業

 学部の労働法の授業も,今日を入れて,いよいよ残り3回となりました。この限られた回数だけで集団的労使関係法の話をする予定です。ただこれは,正直なところ,かなり無理があります。かつては,4単位すべてを使っていました(つまり30回分)。そのくらい時間があれば,争議行為の類型ごとの正当性についても,細かく丁寧に論じることができました。しかし,今回は3回です。もはや“エッセンスだけ”を伝えるしかありません。相手は学部生ですから,実務的な細かい論点を話しすぎても仕方がないし,その一方で,理論的にこだわりすぎても,消化不良になってしまうでしょう。となると,やはり「これだけは知っておいてほしい」というポイントに絞って授業を組み立てる必要があります。
 と言いながらも,私の場合,ユニオン・ショップの話になるとどうしても力が入ってしまいます。昔から関心のあるテーマなので,つい語りすぎてしまうのです。それでも今日は,短めにしました。また,団体交渉の問題も,日本の労働法の特徴がよく表れる領域なので,どうしても取り上げて,丁寧に説明しておきたいです。これは次回のお話です。不当労働行為については,私自身が労働委員会の委員を務めていることもあり,つい本筋から脱線して,いろいろな話をしてしまいそうですが,時間が足りなさそうです。争議行為については,公務員に対する制限は憲法の問題でもありますから,「この部分は憲法の授業に任せよう」と思いながらも,最高裁判決には触れたくなりますが,ここもがまんします。
 では,もっと集団的労使関係法の回数を増やすべきではないかということになりそうですが,そうではないでしょう。改めて労働組合の組織率を見てみると,厚生労働省の令和6年の労働組合基礎調査によると,16.1%という数字です。この数字を前にすると,労働組合に関する話に大きく時間を割くのは難しいということになります。
 学部の授業を担当するのは,今年を含めてあと4回です。最終の2028年度には,自分なりに納得のいく「完成形」の労働法の授業ができるように,今はそのための準備期間と位置づけて,残りの時間を大切に使っていきたいと思っています。

2025年7月10日 (木)

べらぼうと米騒動

 NHKの大河ドラマの「べらぼう」での米騒動が,現在の米騒動に酷似していると話題になっているようですね。私もそう思いました。ドラマでは,流通での滞りが米不足の原因であることから,株仲間の解散という提案が出てきますし,また囲い米(備蓄米)の放出,札差(仲介業者)との裏ルートでの交渉など,現在でも通用するような話が出てきます。ドラマでは浅間山の噴火の甚大な影響も描かれていました。災害や飢饉はまとまってやってくるかもしれないということを感じさせられます。
 幕府で権力を握る田沼意次と息子の意知ですが,ドラマでは明らかに危険が差し迫っています。佐野政言が田沼親子を恨んでいること,松前藩の密猟関係のことでも意知が恨まれていること(意知が花魁をつかって松前藩藩主の弟の廣年にしかけたハニートラップをめぐるトラブル)などがあります。歴史上,佐野政言が田沼意知を襲ったことは知られていて,それが原因で意知は死に,佐野政言は切腹となりますし,田沼意次も頼りにしていた息子を失い,さらに重用してくれていた将軍家治の死により,まもなく失脚します。佐野政言が意知を襲った原因については,いろいろな説があるようですが,どうもこのドラマでは,意知に家系図を渡して一族の登用を願い出た佐野政言が,その願いをきいてもらえなかったことに恨みをもっていたことが原因と思われます (家系図は田沼意次が池に投げ入れていましたが,そこには田沼家が足軽上がりということで家系などへの反感があったことも関係しているようです)。ただ,このほかに,上記のハニートラップ問題や幕府の蝦夷貿易への介入に対する松前藩側の反発などもあり,これが佐野政言の事件とどう関係してくるのか,しないのか。ドラマでどう描かれるのかが楽しみです。

 

 

2025年7月 9日 (水)

メガネを買いました

 最近,新しいメガネを購入しました。普段はコンタクトレンズとの併用ですが,家ではほとんどメガネで過ごしています。特に細かい文字を見るときは,メガネを外した方が見やすく,コンタクトだと老眼鏡をかける必要があり,これが意外と面倒です。
 今回は眼科医の処方箋をもとに,初めて「中近両用メガネ」を選んでみました。1つのレンズで,中距離も近距離も見られるというものです。以前から便利だとは聞いていたのですが,なんとなく面倒な気がして,気づけば10年近く試さずに過ごしてしまっていました。ですが,思い切って買ってみたところ……これが実に快適でした。自宅での作業や読書がぐっと楽になりました。目は重要な商売道具(?)なので,お金を惜しんではいけなかったのですが,後回しになっていました。もっと早く買っていればよかったです。
 次は,遠近両用のコンタクトレンズを試してみようかと考えています。中近両用のメガネは遠方が見にくく,外出には不向きと眼科で注意を受けていました。外出しても,それほど細かいものを見るわけではありませんが,できれば外ではコンタクトの方が安心です。いつも老眼鏡を持ち歩くわけにもいかないので,やはり遠近両用レンズが良さそうです。もう一度,眼科医に相談して,処方箋をもらおうと思います。

2025年7月 8日 (火)

参議院選挙

 参議院の選挙戦が始まっています。兵庫県は,かなり注目されてるようです。例のNHK党の党首も立候補していて,撹乱しないでほしいのですが。MAGAの帽子をかぶっているなど困ったものです。泉房穂さんは,ほぼ当選確実で,これまで議席をもっていた自民党,維新,公明党の3人のうち1人が落選するということになりそうです(維新は新人です)。兵庫県では,維新は,現在はイメージが悪すぎますが,どこまで挽回できるでしょうか。公明党は兵庫県では盤石かと思っていましたが,あまりそうでもなさそうです。もちろん自民党も油断はできないということで,激戦が予想されます。自民党は非改選議員には末松信介元文科大臣もいるのですが,統一教会問題などもあり,それほど有権者の受けがいいわけではなさそうなので,どこまでサポートできるか未知数です。
 減税や給付のようなことばかり言わず,国家の将来をもっと真剣に考えてくれる政党や議員に投票したいのですが,そういう政党や議員がなかなかみつかりません。個人的には「生活」より「生存」が大切と思っています。「生存」と「生活」では前者が優先順位が上なのは当然のことですが,現在の政党は,目先の生活苦に関する政策のことしか言わず,環境やエネルギー問題,安全保障問題など,生存と直結する大きなテーマについては,しっかりと語ってくれません。この点では,石破茂首相は,かなり良いことを言っているのですが,これは自民党の政策というより,石破氏の個人の政策であるという点が問題であるように思います。

 

 

2025年7月 7日 (月)

七夕

 今日は七夕です。天気がよくてよかったです。七夕の日は,短冊に願いごとを書いて祈るということになっていたのは,江戸時代からだそうです。もともとは中国伝来の織姫と彦星の非恋ということで,大人のロマンティックな話という感じでしたが,いまは幼稚園児も含む子どもも大人も楽しんでいます。
 一般社団法人七夕協会のサイトをみると,「たなばたさま」の歌は,戦時中のもので,小学校の新しい国定教科書が作られたときに音楽の教科書に載せるために作られたそうです。シンプルで単純なメロディーと歌詞が,いかにも政府推奨の唱歌ですが,だからこそ長く歌い続けられているのでしょう。
 七夕は,季節の移り変わりの節目となる「節句」の一つですが,旧暦でみるので,新暦になおすと今年は829日になります。四季がなくなりつつある日本では,節句というものの意味も薄れ,新暦でお祝いするというと,むしろ星に願いをかけるお祭りの日という感じになってきています。ということで,七夕は,大人たちには,どこからでも星がきれいにみえるような地球をつくろう,たとえば大気汚染をなくし,夜はできるだけ無駄な光をつけないようにしようなどの思いを新たにする日になればと思います。

 

 

2025年7月 6日 (日)

王位戦第1局

 藤井聡太王位(竜王・名人,七冠)に永瀬拓矢九段が挑戦する王位戦7番勝負の第1局は,千日手のあとの指し直しで,藤井王位が先勝しました。評価値では,途中までは,永瀬九段が優勢でしたが,永瀬九段の攻めが届かず,無念の投了となりました。藤井王位は今日も強かったです。
 その藤井七冠に王座戦で挑戦する相手が決まりました。挑戦者決定トーナメントの決勝で羽生善治九段をやぶった伊藤匠叡王です。羽生九段相手の対局で,強さを見せつけました。途中まで研究済みという感じで,ほとんど時間をつかわずに指していました。最後も残り時間は大差で終わりました。こうなると少し寂しい気もしますね。研究が十分に行き届いている若手の将棋は,その手順に入り込んでしまうと,羽生九段でさえもなすすべなく負かされてしまうのです。若手の特定の研究グループは,互いに研究を深めあい,AIも活用しながら独自の高みに上りつめようとしています。もうその他の棋士は眼中にないようです。しかし,この状態が続くのでしょうか。藤井・永瀬,藤井・伊藤のタイトル戦しかみられないとなると,面白くないですよね。昨日から始まった王位戦,そして9月に始まる王座戦が終わると,次のタイトル戦は竜王戦です。現在,決勝トーナメントが進行中で,5組優勝の石田直裕六段が勝ち進んでいます。このあとは松尾歩八段との対局で,それに勝つと八代弥七段との対戦です。その勝者が挑戦者決定3番勝負に進出です。ここはフレッシュな顔ぶれです。もう一方の山は,1組で伊藤叡王を破って2位になった佐々木勇気八段と3組優勝の近藤誠也八段の対局,その勝者は,永瀬九段と木村一基九段の勝者との対局です。この山は,普通に予想すれば,永瀬九段が勝ち上がるでしょう。八代七段と永瀬九段が挑戦者決定3番勝負で対決出る可能性が高いです。八代七段は棋士人生最大のチャンスが来ているのではないでしょうか。順位戦は最も下のC級2組でくすぶっていますが,竜王戦という最高の舞台で,永瀬の壁を超えて藤井竜王に挑戦できるか注目です。

 

 

2025年7月 5日 (土)

松尾剛行『ChatGPTと法律事務(増補版)』

 弁護士の松尾剛行さんからChatGPTと法律事務―AIとリーガルテックがひらく弁護士/法務の未来(増補版)』(弘文堂)をお送りいただきました。つい先日,生成AIの本(『生成AIの法律実務』(弘文堂))をいただいたばかりであり,その生産量には脱帽です。
 いまや知的生産活動は,生成AIなしでは無理という状況になってきています。だからこそ,この驚異的な技術にどう向き合うべきかは,国民的な課題なのです。
本書は弁護士など法律事務家を読者に想定して書かれたものですが,一般の人にも参考になるところがあるのは,『生成AIの法律実務』と同様です。
 今回は増補版であり,すでに書かれていた内容について,情報をアップデートしたものです。帯には「<2040年の法律実務>を見すえつつ考える」となっていますが,おそらく2040年までに,本書は何度も改訂されることになるでしょう。それくらい技術の進歩は急です。そこは松尾さんは,丁寧にも,別の本で
『法学部生のためのキャリアエデュケーション』(2024年,有斐閣)を刊行されており,これから法律実務家になろうとする人,さらには一般の人向けに,AI時代においてどのようにキャリアデザインを描くべきかについてアドバイスをしてくれています。
 とはいえ,生成AIの広がりに漠然とした不安をもっている人は多いでしょう。政策の動きもリードしている松尾弁護士の著作をしっかり読んで,まずは基本的なところから勉強していくことが必要でしょう。

 

松尾剛行『ChatGPTと法律事務(増補版)』

 弁護士の松尾剛行さんから『ChatGPTと法律事務(増補版)』(弘文堂)をお送りいただきました。つい先日,生成AIの本(『生成AIの法律実務』(弘文堂))をいただいたばかりであり,その生産量には脱帽です。
 いまや知的生産活動は,生成AIなしでは無理という状況になってきています。だからこそ,この驚異的な技術にどう向き合うべきかは,国民的な課題なのです。
本書は弁護士など法律事務家を読者に想定して書かれたものですが,一般の人にも参考になるところがあるのは,『生成AIの法律実務』と同様です。
 今回は増補版であり,すでに書かれていた内容について,情報をアップデートしたものです。帯には「<2040年の法律実務>を見すえつつ考える」となっていますが,おそらく2040年までに,本書は何度も改訂されることになるでしょう。それくらい技術の新法は急です。丁寧にも,松尾さんは,別の本で
『法学部生のためのキャリアエデュケーション』(2024年,有斐閣)も刊行されており,これからの法律実務家になろうとする人,さらには一般の人向けに,AI時代においてどのようにキャリアデザインを描くべきかについてレクチャーしてくれています。
 とはいえ,生成AIの広がりに漠然とした不安をもっている人は多いでしょう。政策の動きもリードしている松尾弁護士の著作をしっかり読んで,まずは基本的なところから勉強していくことが必要でしょう。

 

2025年7月 4日 (金)

経歴詐称

 公職選挙法235条は,虚偽事項公表罪について定めています。「当選を得又は得させる目的をもつて公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者の身分,職業若しくは経歴,その者の政党その他の団体への所属,その者に係る候補者届出政党の候補者の届出,その者に係る参議院名簿届出政党等の届出又はその者に対する人若しくは政党その他の団体の推薦若しくは支持に関し虚偽の事項を公にした者は,二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する」(1項)。
 伊藤市の市長が,市の広報誌に記載されていた「東洋大学卒業」が虚偽であった可能性が高いと報道されています。選挙期間中にこのような虚偽の経歴を公表していた場合は,上記の罪に該当するおそれがありますが,市長は「選挙中に公表したわけではない」と説明しているようです。もしそれが事実であれば,本罪に問われない可能性もあるでしょう。東洋大学の卒業であったかどうかが市長としての職責をするうえでどの程度の意味があるかは,よくわかりませんが,日本社会では,最終学歴が社会的評価に大きな影響をもつため,市民の関心が高まるのも当然です。市の広報誌とはいえ,「卒業」と明記していたにもかかわらず,実際には「除籍」だったとすれば,厳しい批判を受けるのは避けられないでしょう。
 個人的には,なぜ除籍となったのかが気になります。一般的には授業料未納や在籍年限超過などが理由として考えられます。もし,大学時代に「授業には出ず,”社会勉強”をしまくっていて,気づけば除籍になっていた」などと語っていれば,一種の武勇伝として受け取られたかもしれませんが……。
 ところで,「経歴詐称」という論点は,昨日扱った日本版DBSにも関係しています。労働法の通常の解釈では,業務と密接に関連する重要な事項について経歴を詐称した場合,懲戒解雇が認められることがあります。性犯罪歴がある場合についての経歴詐称をめぐる議論は,それほどないと思いますが,少なくとも企業は従業員や顧客の安全に配慮する義務の観点から,そうした人物を採用しないようにする必要があるでしょう。とりわけ,小児に対してサービスを提供する企業においては,小児やその保護者に対する広義の安全配慮義務が問われる可能性が高いでしょう(もっとも,実際に義務違反として損害賠償責任が認められるかどうかは,事案によります)。
 経歴詐称は,現在では,企業が関心をもつ従業員の個人情報の取得のあり方という観点からも議論されます。とくにそれが要配慮個人情報であれば,真実を答えなくてもよいということもありうるため,難しい論点となります。企業が,性犯罪歴の有無について調査をすることは,通常の職場であれば許容せざるをえないのですが,その調査の方法は,本人にとってきわめて高度なプライバシー情報であることを考慮し,それについて虚偽の回答をすることも含め,本人に真実告知義務を厳格に求めることは適切ではないように思います。他方で,本人のプライバシーに配慮したうえで,事業者が調査をすることは認められ,そこで得た情報は,事業者が責任をもって厳正に管理したうえで,採否の判断に利用することは認められるべきだと思います(性犯罪歴があり,それを秘匿していたことがわかった場合,採用拒否や採用後の普通解雇はできるが,懲戒解雇はできないということです)。おそらく日本版DBSを労働法の面からみていくと,このようなことになるのかなと思いますが,詳しいことはもう少し考えていきたいと思います(勉強すべきことがたくさんありすぎて,時間が足らないのですが)。

2025年7月 3日 (木)

日本版DBS

 最近,学校の教員による盗撮などの性加害行為が次々と報道されています。子どもたちの成長を支えるべき教員の中に,性的な対象として児童を見るような者が紛れているとすれば,それはもはや教育制度の根幹を揺るがす深刻な問題です。
 性的嗜好の幅広さや多様性について,私自身は頭ごなしに否定するつもりはありませんが,社会的に守られるべき子どもを対象とした性的関心は,それが表面化した時点で,もはや「多様性」などとは呼べません。たとえ一線を越えていなかったとしても,そのような嗜好が子どもに近づく職業に結びついたとき,そのリスクはもはや許容限度を超えるものであり,そこは厳しくチェックしなければなりません。
 昨年,「こども性暴力防止法」(学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律)が成立しました。現在は,施行に向けた準備が進められています。この法律の第41項では,「学校設置者等は,教員等としてその本来の業務に従事させようとする者について……,当該業務を行わせるまでに,……犯罪事実確認書……による特定性犯罪事実該当者であるか否かの確認……を行わなければならない」とされています。つまり,教員などを採用する際に,過去の性犯罪歴を「犯罪事実確認書」により確認することが義務づけられているということです。いわゆる「日本版DBS」と呼ばれる制度で,イギリスのDisclosure and Barring Serviceにならった仕組みです。
 子どもを狙う性加害は,本人や保護者の信頼を巧妙に利用し,優越的な地位を悪用して行われる卑劣な犯罪です。そしてこの種の加害者は,自己抑制が効かず,反復的に同じ行動に至る傾向があるとも指摘されています。すべての事例がそうだとは限りませんが,一種の依存症に近いものがあるのではないかという見解は,専門家の間でもあるようです。もちろん,医学的な確定的知見は専門家に委ねるべきですが,こうした行為の 深刻さと繰り返される性質を考えれば,より踏み込んだ措置で子どもの安全を守る必要があると思います。
 ところで,この問題は,学校等が雇った労働者の行為の規制という点では労働法上の問題がありますし,犯罪歴という個人情報を使うものであるので,労働法上の経歴詐称が関係するし,個人情報保護法上の問題もあります。加えて,憲法上のプライバシー問題も関係してくるでしょう。
 しかし,こうした法的問題に加えて,私はもう一歩踏み込んだ措置が必要ではないかと考えています。たとえば,小学校や学習塾の教室を原則としてガラス張りとし,授業の様子を学校関係者や保護者が見える形にすること,さらにAIなどを活用し,不審な動作を検出するような監視を導入することも,検討されてよいのではないでしょうか。
 もちろん,こうした措置は,労働者の人格的利益,とくにプライバシーや尊厳との間に緊張を生みます。すべての教員を「疑ってかかる」ような仕組みに見えるのも事実です。しかしながら,性的に子どもを標的にするような加害者が,年に何人も見つかっている現実の前に,私たちはより現実的な犯罪防止策を考えていくべきではないかとも思います。
 日本版DBSも,初犯には無力でしょう。初犯を防ぐにはどうすればよいでしょうか。そのためには,無責任な教育運営,教員への丸投げ,密室での授業といった現状を根本的に問い直さなければなりません。労働者の人格的利益は重要ですが,子どもの安全も,きわめて大きな価値です。とくに後者が侵されるときの回復不能性に注目すべきでしょう。
 現行法の枠を超えることかもしれませんが,立法論の観点も含めて,子どもを守るためにどうすればよいかということを,技術も活用しながら,そしてプライバシー概念についての根本的な再検討をしながら,議論が進められることを期待したいです。

2025年7月 2日 (水)

復員兵

 朝ドラの「あんぱん」は,いよいよ戦争時代が終わりましたが,その後もまた大変です。嵩はなんとか生きて復員してきましたが,当時,こういう人たちが700万くらいいて,海外からの復員が完了するには3年近くかかったとされています(NHKニュース)。軍隊で人格を徹底的に否定されるような経験をしたあとに戻ってきた兵士たちの社会復帰がいかに大変であったかは想像に難くありません。嵩もそうですが,いまは職探しに苦労しています(暢は新聞記者となることができました)。
 軍隊という場所は確かに過酷な環境だったでしょうが,そこでの厳しい上下関係や規律が,その後の日本の労働社会にどのような影響を与えたのかは,興味深い問題です。特に幹部クラスの兵士たちは,戦後に比較的よい就職先を得た可能性があり,そうした職場に軍隊的な規律や文化が持ち込まれた可能性は否定できません。もっとも,こうした「軍隊的な規律」が,戦争をきっかけに新たに社会に導入されたものかというと,必ずしもそうではないかもしれません。日本社会にはもともと,農村的な文化や儒教道徳に根ざした,上下関係や集団の規律といった価値観があり,それが軍隊という極端な環境で凝縮・強化されただけとも考えられます。もしこれが文化的な根の深い要素だとすれば,現在の人権感覚と相容れない側面があったとしても,そう簡単には消えてなくなるものではないのかもしれません。戦前から存在するような大企業では,復員者を多数受け入れており,そこでどのような雇用管理がなされていたのか,またそれが戦後に設立された新興企業とどう異なっていたのか,興味のあるところです。すでに研究もあると思いますが,まだ私自身は勉強不足なので,少しずつ調べてみたいと思っています。

 

 

2025年7月 1日 (火)

三種の神器

 2日前の天皇家の話の続きです。日本的経営や日本的雇用の中には「三種の神器」という言葉がありますが,やや畏れ多い表現にも感じられます。天皇家の三種の神器とは,草薙剣(くさなぎのつるぎ),八咫鏡(やたのかがみ),八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指します。かつて建武の新政が失敗に終わった後,後醍醐天皇がこれらを持って比叡山延暦寺に立てこもった事件がありました。この結果,南北朝が分立し,北朝の天皇は三種の神器を持たずに即位したそうです。南朝は明治政府により正統と認められることになりました(しかし,現在の皇室は北朝系です)。さらに遡って,草薙剣に関しては,安徳天皇が壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた際,海中に沈んだと伝えられています。現在のものはレプリカだとも言われていますが,いずれにせよ,天皇家にとってこれらは極めて重要な品であす。ちなみに皇族にも税金は課されますが,皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける」とされ,三種の神器は「由緒ある物」に該当し,その結果,相続税法1211号により非課税財産となります(つまり,相続税は課されない)。まあ当然でしょうね。
 ところで,日本型雇用(日本的経営)について,かつてアベグレン(Abegglen)が指摘した終身雇用(終身コミットメント),年功型処遇,企業別組合の3つの特徴が,冒頭に述べたように,いつからか「三種の神器」と呼ばれるようになりました。ただ,最近ではそのような言い方はほとんどされなくなっています。そもそも,天皇家の三種の神器のように継承すべき価値があったわけでもないのでしょう。アベグレンに発見されて,それを日本人が大事なものなので継承しようとしたということかもしれません(命名の由来については諸説あるようです)。いずれにせよ,この神器は,現代ではもはや継承されず,どこかに「持ち去られた」と言える状況です。「三種の神器」という表現自体が,もともとoverestimateだったのかもしれませんね。でも日本型の雇用システムというのは,存在していると思います。それは,おそらく「三種の神器」と呼ばれたようなもの(外形的な特徴)ではなく,より本質的な部分にあると思います。そのあたりは,改めて別の機会に論じることにしたいです。
*文章を少し修正しました。

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