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2025年6月 4日 (水)

長嶋茂雄

 阪神ファンの私にとって,巨人は宿敵です。とくに子ども時代は,ちょうどV9の時期の巨人と重なっていました。阪神からすると,どんなに頑張っても勝てない相手という感じでした。名球会入りしている阪神のエースの村山実は対巨人戦で3955敗,江夏豊も3540敗(江夏はリリーフに転向していた広島時代の4勝を含む)です。エースがこれではどうしようもありません。その巨人の主砲が長嶋茂雄であり,王貞治でした。この二人がいるかぎり,阪神は優勝できないと思っていました。実際,1964年の優勝から遠ざかり,次に優勝したのは長嶋が引退したはるかあとの1985年でした(巨人は王監督の時代)。
 長嶋選手の最後の試合はテレビで観ていました。最後の打席のショートゴロも覚えています。引退セレモニーも記憶しています。すでに衰えていた長嶋は,それでも4番以外の打順はなかったでしょう。1974年にV10が中日に阻止されたとき,長嶋もバットを置きました。そしてすぐに監督となりました。監督の1回目は苦難の歴史でした。1年目は最下位(広島が優勝)。しかし,2年目は張本を獲得するなどの強化策が実って優勝(阪神も健闘したが2ゲーム差の2位)。3年目も優勝。しかし,どちらの年も阪急との日本シリーズは敗退しました。4年目は2位(ヤクルト優勝),5年目は5位に沈み(広島が優勝),6年目は3位(広島が優勝)で,結局,監督を解任されました。当時の巨人は,優勝できなくてはだめで,3年連続優勝を逃すというのは許されなかったのでしょう。
 1993年に13年ぶりに2度目の監督に就任します。2001年までの9年間で,セ・リーグ優勝3回,日本一2回という成績です。選手時代の華やかな実績とは異なり,監督時代の成績は地味ですが,でもなんとなくこのころの監督姿のほうが記憶に残っています。選手をしっかり育てたという印象があります。
 選手時代の話に戻ると,やはり天覧試合のサヨナラホームランが重要です。私の生まれる前の1959年のことで,その瞬間をリアルタイムではみていません。しかし,村山実投手から放ったホームランの映像は何度もみています。村山投手が「あれはファウル」と繰り返し主張してきたことで,村山びいきのファンとして,長嶋はいいところをもっていってずるいという印象をもっていました。ただ,ファウルだったかどうかは,今となっては重要ではないように思います。重要なのは,長嶋茂雄が,両陛下の前でサヨナラホームランを打ったという事実です。あの時代に天皇が観戦しているという特別な試合で,劇的なことをやってのけるというスター性が,日本のプロ野球に待望されていたものだったということです。1960年代は高度経済成長の時代で,新幹線が走り,東京オリンピックが開催されます。敗戦で自信を失った日本人に明るい光をもたらしてくれたのが,巨人の長嶋だったのでしょう(相撲では大鵬)。長嶋は輝く大スター,村山は悲運の大エース。この構図でいいのだと思っています。天国での再会を祈っています。

 

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