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2025年6月16日 (月)

ストライキについて

 今日もまた大学院の授業で,ストライキのことについて議論をしました。憲法28条が制定されたとき,資本主義経済の下での勤労者の団結権や団体行動権にどれだけの規範的意義を盛り込むことができるか。それをめぐってプロレイバーとプロキャピタルの対立が生じたこと(プロキャピタルは自分たちがそうだとは思っていなかったでしょうが),受忍義務説や違法性阻却説の対立は,たんなる組合活動の正当性をめぐる学説の対立以上に,資本主義社会において労働法ができることの限界を探るという深い意味があることなどを語りました。昔は学部の授業でやっていたような内容ですが,徐々に学部では扱わなくなりましたね。
 労働者の戦う手段としてのストライキは,若いときには非常に重要な権利だと思っていましたし,いまでも理屈のうえではそういう気持ちはありますが,やっぱりストライキよりもっと良いやり方はないかという気もしています。SNSも,使い方によっては,強力な争議手段となるでしょう。そう書きながら,でも最近の公職選挙などにおけるSNSの「暴力的な」使い方を目の当たりにすると,やっぱりアナログ世界の戦いのほうが良いのかなという気もしています。感情をむき出しにして「肉弾戦」をしたからこそ,「雨降って地固まる」ということもありそうです。
 私は少し前にオンライン交渉をもっと認めるべきというスタンスで論文を書いていますし,その気持に変わりはないのですが,リアル交渉にはそれなりの意味もあるとは思っています。
 というように迷っていますが,やっぱりいちばん良いのは,平和的な労使コミュニケーションで,それはオンラインでもいいのでしょうし,ときどき「オフ会」的に対面で協議をすればよいというところでしょう。

 

 

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