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2025年5月の記事

2025年5月31日 (土)

有期労働契約判例

 弘文堂『ケースブック労働法(第8版)』が出たのが2014年3月で,それから11年が経過しています。たった11年という気もしますが,この間に最も激しく変化があったのが,有期労働契約に関する部分でしょう。ケースブックでは,有期労働契約については雇止めに関する判例しか掲載されていません。労働条件の均衡については,丸子警報器事件判決は掲載されていますが,いまさらこの判決というわけにはいかず,授業では扱う判例を追加しています。私の『最新重要判例200労働法(第8版)』には掲載されていますが,判決は全文を読んでもらいたいので,そう促すような質疑応答をするように心がけています(ソクラティック・メソッド)。昨年には名古屋自動車学校事件の最高裁判決が出ており,基本給,賞与,退職金,諸手当について,だいたい判例がそろってきましたが,そこから判例分析としては何を導き出せるでしょうか。最高裁は,「困った」法律になんとか対応しているということかもしれません。私が裁判官なら,短時間有期雇用法8条に強行性を認める解釈は難しいとして,立法趣旨とは違うかもしれませんが,訓示規定と解したくなります。地裁でもいいので,どこかでそういう解釈を示す裁判例が出てこないですかね。訓示規定や理念規定としても,状況によっては,不法行為が成立して損害賠償請求できることはありえます(現在の規定でも,結局は救済方法は不法行為なのですが)。そうなると,丸子警報器事件の判決も参考になりうるので,一転して,これを授業で取り扱うことにもなるかもしれないのですが……。

2025年5月30日 (金)

名人戦第5局

 藤井聡太名人(七冠)に永瀬拓矢九段が挑戦している名人戦の第5局(ここまで藤井名人の3勝1敗)は,千日手になり指し直しとなりました。大熱戦でした。途中まではずっと永瀬九段が優勢でしたが,藤井名人の勝負手の後,徐々に藤井名人に評価値が傾いていきました。最後は1分将棋のなかで,安定した手を指し続け,最後は永瀬九段の攻撃をしのぎ,みごとに名人を防衛しました。これで3期目です。永世名人(5期で達成)に着々と近づいています。
 王座戦は挑戦者決定トーナメントが進行中ですが,少し意外な展開となっています。ベスト4に羽生善治九段と屋敷伸之九段が残っています。この二人が次に対局しますが,対戦成績は圧倒的に羽生九段がよく,決勝進出は濃厚です。タイトル100期をかけた挑戦の可能性が出てきました。ただ,もう一つの山は,ベスト4をかけて,永瀬九段と伊藤匠叡王,そして郷田真隆九段と広瀬章人九段が対戦します。決勝は永瀬九段と羽生九段の対戦になる可能性が高いと思いますが,羽生九段がかつて得意にしていた王座戦で,永瀬九段,藤井王座を撃破して,前人未到の100タイトルに到達するでしょうか。
 竜王戦1組のランキング戦決勝は,なんと八代弥七段が佐々木八段に勝って優勝しました。両者はすでに決勝トーナメント進出を決めていましたが,順位戦で最も低いC級2組所属の八代七段の1組優勝は快挙です。佐々木八段はA級棋士のプライドにかけても負けられないところでしたが,逆転負けを喫しました。二人とも決勝トーナメントでは1勝すれば決勝三番勝負に進出できます。ともに竜王挑戦まであと3勝ということです。八代七段が竜王挑戦となれば面白いですね。順位は低いですが,その実力は誰もが認めるところです(だからなぜC級2組から抜け出せないのが謎なのですが)。

2025年5月29日 (木)

ピラティス体験



  先日,ピラティスというものをはじめて体験しました。ちょうど自宅のすぐ近くに教室があったので,体験レッスンをしてきました。他にもやっているところがあるのかと思って調べてみると,意外にたくさんあることを,今回始めて知りました。流行っているのでしょうか。
 やってみると,器具を使うことによって,普段あまり意識していなかった深層の筋肉を動かすことができ,毎日テレビ体操はしているのですが,まだまだ十分に動かせていない筋肉があることを実感しました。足の動かし方に関するアドバイスを受けることで,
うまくできなかった動作もスムーズにできるようになるなど,インストラクターの指示もありがたかったです。自己流で体操をしていても限界があります。
  
腹部の筋肉を使用したので,終了後には軽い筋肉痛がありましたが,これは心地よい痛みです。それから呼吸法の重要性を改めて認識しました。この日も最初は呼吸法から入りました。呼吸と動作は密接に関係しているのです。とはいえ,吸うタイミングと吐くタイミングのとりかたが難しくて,なかなか指示どおりにできません。これは訓練が必要ですね。
  ということで,せっかく近所にあるので,会員になろうかと思案中です。

2025年5月28日 (水)

「そうすると」

 判決文で「そうすると」という接続詞が使われることがよくあります。私が知らないだけなのかもしれませんが,これは正式な法律用語であったり,あるいは慣用的な法律用語であったりというわけではありませんよね。一般用語としてみたら,「そうすると」というあとに来る結論は,「それゆえ」「このような理由により」「したがって」などと比べると,かなり説得力が小さいものでしょう。あまり論理としてクリアでない場合に使うものだと思っています。逆にいうと,個人的には,労働委員会の命令などでも,できれば「そうすると」という接続詞を使わなくてすむようなクリアな論理が展開できればいいなと思っています。
 なんてことを日頃思っていたのですが,たまたま最近届いた『最新不当労働行為事件重要/命令・判例』(菅野和夫先生が監修ということは知りませんでした)の最新号(2025年4月号)に,学研エデュケーショナル事件の都労委命令(令和6年2月20日)が掲載されていて,それを読んでおやっと思うことがありました。この事件は,以前の公文の事件と同様,フランチャイズ経営の学習塾におけるフランチャイジーの労働者性が争点となっているものです。公文事件では,都労委の初審命令では労働者性を肯定していました。学研のほうは,これと違う判断がされて,労働者性は否定されました。事案が違うのでしょうかね。命令文を読んでいると,労働者性を否定する要素もあるし,肯定する要素もあるなか,どっちに転ぶのかはっきりしないまま,「そうすると」という接続詞が来て,労働者性が否定されていました。「そうすると」というのが,どういう論理で結論に結びついているのかよくわかりません。微妙なケースであったので,仕方がなかったのかもしれませんし,和解がうまくいかず,白黒つけなければならないことになったので,こういう書き方になったのかもしれません。気持ちはわかるのですが,申立人からすると納得がいかないところもあるでしょうね。
 こういう場合,せめて労働者性の判断だけを専門に迅速にする特別な手続をつくったらどうか,そしてその認定にAIを使ったらどうかというのが,いつもしつこく書いている私の提案です。じっくり審査して正確性を期すという観点からは雑に思えるかもしれませんが,そもそも実体ルールとして労働者性の判断基準がよくわからないものなので,とくに複雑な事案や先進的な事案になれば,正確性の期しようがないのです。それだったら迅速にやってしまったらどうかというのが私の提案の趣旨です。生成AIのクセからすると,「そうすると」と書かずに,「それゆえ」と書いて,思い切った結論を出すでしょう。労働者性については,立法論としては,これを論じる実益がどこまであるのかということに疑問を感じているので,どうしてもラディカルな提案になってしまいますね。

2025年5月27日 (火)

叡王戦第4局

 伊藤匠叡王に斎藤慎太郎八段が挑戦している叡王戦5番勝負ですが,2敗して後がなかった斎藤八段が勝って最終局の決戦にまで持ち込みました。斎藤八段は,かなり早い段階で1分将棋となったのですが,しっかりと伊藤玉を追い詰めました。攻め将棋の斎藤八段のいいところがでました。伊藤叡王は若手のバリバリですが,少し消極的なところがあれば,やはりトッププロ相手にはつけこまれますね。紙一重なのです。本局をみると,斎藤八段に少しタイトル奪取のチャンスが出てきた気がしました。
 王位戦の挑戦者は,永瀬拓矢九段になりました。佐々木勇気八段を挑戦者決定戦で退けました。これで名人戦に続き,藤井聡太王位(七冠)・永瀬九段戦となります。藤井七冠は,その間に,杉本和陽七段との棋聖戦を戦います。賭けのオッズ的にはほぼ1倍でしょうが,番狂わせがあるでしょうか。
 永瀬九段は竜王戦は2組でしたが,1組に昇級を決めています。竜王戦は2組にいても,勝ち抜けば決勝トーナメントに進出でき,挑戦者になることができます。昨年も2組優勝の佐々木八段が勝ち上がって挑戦権を得ました。今期は1組の佐々木八段は,前期に続き決勝トーナメント進出を決めており,連続挑戦を狙っています。
 ところで先日,NHKでやっていた小学生将棋名人戦を観ていましたが,強かったですね。子どもたちは早指しに対応できますし,鋭い攻めを繰り出すことはできるのですが,曲線的な攻めや粘り強い手といったプロらしい指し回しはなかなかできません。相手に追い込まれても,受けるだけではだめで,攻めにつなげられるような鋭い手を見出さなければならないのです。そういうことが決勝戦の二人はできていましたね。優勝した子はプロ希望だそうですが,数年後には四段になっているでしょう。

2025年5月26日 (月)

鹿島茂『パリ万国博覧会―サン=シモンの鉄の夢』(講談社学術文庫)

 はじめは別に万博のことを知りたくて買ったわけではなかったのです。社会学の創始者と言われるサン=シモン(Saint-Simon)のことを調べていて,この本に出会ったのです。社会学を確立したとされるオーギュスト=コント(Auguste Comte)は,彼の弟子でした。世界史の教科書にも出てくるサン=シモンですが,あまり詳しいことは知りませんでした。
 本書のなかで,サン=シモンが1823年の『産業者の教理問答』で書いた内容が紹介されています。サン=シモンのこの本は,「社会の25分の1でしかない貴族とブルジョワを権力から退け,残りの24を占める産業者,つまり,農業,工業,商業の3分野で働く人間の利益に沿った『純粋産業体制』を確立するための方法論が展開され」たものと紹介されています。「サン=シモンの言うブルジョワは,軍人,法律家,金利生活者など『生産』とは無縁な寄生階級であり,フランス革命とは,実はこのブルジョワが貴族に取って代わって権力を握ったに過ぎない」とし,「これからの社会は,産業者が第一の階級となるような方向に進んでいかなければならないし,またそうした必然性を持っている,とサン=シモンは断言する」(43頁)と書かれています。
 サン=シモンのいう「産業者」には,商工業に従事する新興の市民層が含まれていて,彼らが手を携えて「第一階級」を奪取するのだとし,そのために国王の手を借りるという計画は,マルクスやエンゲルスからすると空想的と揶揄されるのですが,実はそうではなかったということがわかります。それが万博に関係しています。本書の見どころは,1867年のパリ万博(パリでは2回目)は,ナポレオン3世という皇帝を使って,サン=シモンの弟子たちが,サン=シモンの構想を実現する過程が克明に描かれているところです。サン=シモン主義によると,万博は,産業者(労働者が中心)の祭典であり,産業者に夢を与える技術の祭典なのです。このようにみると,万博は素晴らしいものに思えてきます。
 さて,今回の大阪万博はどうなっているでしょうか。そろそろ重い腰を上げようかと思っています。観てみなければ,なにも言えませんからね。それに,周りで行ったという人から悪い評判は聞いたことがありませんしね。万博に行くかどうかはともかくとして,本書を読むと万博への関心が高まることは間違いありません。

2025年5月25日 (日)

夏場所終わる

 2日前に大の里のことを書きましたが,もう一度。全勝優勝を逃しましたが,このあたりの甘さが横綱昇進が遅れた理由でしょう。私は以前のブログでも書いていましたが,彼は大関は2場所で通過すると思っていましたから。といっても4場所での通過ですが。実力は段違いです。2横綱時代となりますが,今度は大関が寂しくなりますね。琴桜は,なんとなくお父さんの琴の若に似てきた気がしました。どこかの2場所だけ爆発して横綱になれるか,というところですね。
 若隆景が復活しました。12勝はみごとですし,強かったです。大怪我から復活してよかったです。小結で12勝ですので,大関への足がかりとなります。霧島も復活しましたね。関脇で11勝ですので,これも次期大関の有力候補です。前の大関のときは,まともに働けず6場所で陥落したので,本人も霧島の名を汚さないように復活を期しているでしょう。その次となると,実は十両優勝した学生横綱上がりの草野かもしれません。来場所はいきなり大勝ちするかもしれませんね。

2025年5月24日 (土)

ルソーの教え

 ルソー(Rousseau)は,社会契約論で有名ですが,彼の教育論である『エミール(Emile)』もまた有名です。今日でも教育論において参考にされているようです。人民の一般意志が公共善を実現するものとなるためには,個々の人民がしかるべき知性を備えていなければなりません。だから,彼は社会契約論と並んで教育論であるエミールを書いたのでしょう(エミールという子どもの設定はかなり極端ですが)。 
 ルソーが,エミールのなかで,ラ・フォンテーヌの寓話(La Fontaine Fables)を幼い子どもに聞かせるべきではないと述べているのは有名です。その寓話の代表例として「カラスとキツネ」があります。これは,カラスがチーズをくわえて木にとまっていると,キツネがお世辞を言ってカラスに歌を求めたため,カラスが鳴こうとして口を開くと,チーズが落ちて,キツネに取られてしまう,というものです(イソップ物語でも同じ話があり,そこでは,チーズが肉になっています。岩波文庫の『イソップ物語』の第124話を参照)。
 この寓話には,「お世辞にだまされるな」という教訓が含まれているのは確かですが,この話が子どもたちにどのように受け取られるかは別の問題です。子どもたちは,「キツネのように狡猾であること」が成功への道であると学んでしまうかもしれないからです。これでは道徳教育としては逆効果です。 「兎と亀」なら,兎側であれば油断大敵となりますし,亀側であればコツコツ努力すればよいという話になるので,これはどちらであっても教育的に問題はないでしょうね。子どもに寓話を読み聞かせるときには,きちんと選別をしなければいけないということですね。

2025年5月23日 (金)

大の里優勝

 大相撲夏場所は,大の里が13連勝で,13日目で優勝を決めてしまいました。ほぼ横綱昇進を決めました。すでに横綱の風格があります。恵まれた身体ですが,押しきれないとわかったときに引き技が多いことで,失敗することもありました。今場所も引き技があるのですが,立合いの踏み込みがあるので「攻撃的な」引き技となっており,致命傷になっていません。ただ,横綱になったら,あまり引かずに勝ってもらえたらと思います。
 あの身体なのにスピードがあり,土俵際でもしぶといです。若いですが,すでに大勝負を何度も経験しています。力士というのは,横綱になった後のモチベーションはどうなるのかよくわかりませんが,将棋の藤井聡太七冠と同様,眼の前の勝負にだけ集中して,勝ち続けてほしいです。白鵬型のような立合いの駆け引きで勝つのではなく,貴乃花のように相手の攻撃をしっかり受け止めながら勝ち切るという真の王者の勝ち方をみせてもらいたいと思います。ケガをせずに普通にやれば常に13勝以上はできる力士ですからね。

2025年5月22日 (木)

「あんぱん」と反戦

 「あんぱん」は出演者の熱演で素晴らしいです。最近の朝ドラのなかでも,格段に充実しているような気もします。テーマは重いですが,実在した人の話を扱っていて,最終的にどうなるかはわかっているものの,それでもこの出征と残された家族や恋人の悲劇は心が打たれます。第2次世界大戦での日本の戦死者は約230万人(それに加えて市民の死者は80万人)であり,どれだけ多くの家庭が同じような悲劇を味わったかということをかみしめなければなりません。尋常小学校の先生になったのぶですが,愛国一辺倒の教育に少しずつ疑問を持ち始めています。お国のために立派に死んで英霊になりたいと言っている子どもたちにどう声をかければいいか。そんな洗脳された子どもをつくりだしてよいのか。彼女の悩みは現代にもつながります。あの時代,私たちの祖父に近い世代で,祖父たちの仲間が,なんの意味もない戦争に駆り出されて,天皇陛下万歳と言って死んでいったという歴史をしっかり伝えていかなければなりません。それだけでも,この朝ドラの意味は十分にあると思います。いまからみれば滑稽な愛国の強制ということを,普通の人たちが行っていたのです。このほか,この時代の女性の不自由な生き方もテーマとなっていますが,これは,ひょっとしたら今でも緩和したとはいえ残っているかもしれませんね。

2025年5月21日 (水)

労働者性の問題

 やはり江口農水大臣は更迭されました(辞表の提出ということですが)。すぐに更迭していたら石破首相の株も上がっていたでしょうが,野党から追い詰められての対応という印象なので,あまりポイントにはならないでしょう。
 話はかわり,厚生労働省で,労働基準法における「労働者」に関する研究会というものが始まったようです。最終的には,EUのプラットフォーム就労者の指令などを参考にした提案が出てくることになるような予感がします。また,予測可能性を高めるということも書かれていますが,せいぜい推定くらいであり,私の推奨しているAIの活用というところまでいくでしょうか。
 労働者性のことを考えるなら,私は,ワーカーズ・コレクティブの議論に立ち返る必要があると思っています。東京高裁の2019年6月4日の企業組合ワーカーズ・コレクティブ轍・東村山事件判決で,企業組合の組合員の労働者性を否定したものです。その後に,労働者協同組合法ができて,組合は組合員と労働契約を締結しなければならないという規定を置いたので(20条),労働者性を肯定するということで問題は解決したかのようですが,法律がどう定めるかに関係なく,そもそも組合員を労働法令上の労働者として保護すべきかどうかという価値判断は残っているのです。労働法の歴史を考えたときに,ある種の階級的従属性という視点からみた労働者の保護という思想があったことは明らかでしょう。階級的従属性を乗り越えるために協同組合が結成されたことも事実です。資本家なき事業経営です(ただマルクスは協同組合には警戒感を示していました)。協同組合の組合員は出資するという点で資本家の要素をもち,また経営者ともなり,そして労務を提供するという意味では労働者でもあるのです。こうした組合員を,通常の労働者性の判断基準にあてはめて労働者かどうかを判断することに,あまり意味があるとは思えません(裁判所としては,そうせざるをえないのでしょうが)。この事件で争われたような割増賃金の請求を認めるべき組合員かどうかを判断する最も正しい基準は,割増賃金規制によって保護すべき労働者の利益は何かを明らかにし,それに照らして,要保護性があると判断される者かどうかという基準です。そう考えると,現在の労働者性の判断基準とされているものには余計なものが多く含まれていることがわかるでしょう。それを進めると,統一的な労働者概念を放棄して,労働保護法上の種々の規定についてその趣旨などを明確にし,それに応じて主体的適用範囲を決めていくということになります。そのうえで,経済的従属性に関係するような規定については,デロゲーションの可能性も認めていく必要があるだろうという議論になっていくというのが,20年くらい前に私が中嶋士元也先生の還暦記念論文集に寄稿した論文で書いたことです。もちろん,その後は,こういうアプローチとは別に,前述のようにAIの活用により割り切って労働者性の判断をするとか,さらに,労働者性というものを論じることをやめて,フリーランスも含めた就労者全体の共通のルールを設けるものといったことも提言しています。時代の変化をみるとき,現在の労働者性の基準では無理ということはわかっていますし,海外をみたからといって何か大きな発見ができるわけではなさそうです。どこまでラディカルにいくかによって政策提言の在り方も変わるでしょう。これまでの判例を分析するというような作業は,来るべきAI審査に向けた学習データの作成としては意味があるでしょうが,それ以上に大きな意味があるとは思えません。21世紀も4分の1を過ぎた現在,そろそろブレイクスルーが求められています。この研究会の成果に注目したいです。

2025年5月20日 (火)

江藤失言

 政治家は,米をもらうことができて羨ましいです。さすが二世議員は違います。地元の名士なので,そういう貢物が引きを切らないのでしょう(と,思われても仕方ありませんね)。庶民は米価の値上がりに困っています。朝食のご飯の量が少しずつ減っています。生産者と直接のルートをもっている飲食店はあまり困っていないようですが,庶民は米の物価高をひしひし感じています。大学生協でのご飯の料金も上がっていて,学生も困っているというニュースが出ていました。政治家が庶民の味方かどうかはどうでもよく,政治の結果を出してくれたらそれでいいのですが,米価については結果が出ていません。結果も出せず,オウンゴールをするような大臣はいらないでしょう。
 消費税に関する石破首相や森山裕幹事長の発言を私は支持しています。安易に減税をすればよいというものではありません。しかし米のような主食をはじめ,物価高騰について何らかの効果的な対策をとることができなければ,参議院選は苦しくなるでしょう。その点でも江藤失言は庶民感情を逆なでするようなもので痛かったし,自民党の選挙対策を考えるのであれば,とっとと更迭したほうがよいのではないでしょうかね。

2025年5月19日 (月)

ストライキ

   今日の大学院の授業では,台湾からの留学生が争議行為の予告制度に関するテーマで報告してくれました。このテーマで日本に来て学ぶ意義があるのだろうかと,正直,最初は疑問に思っていたのですが,報告を聞いて認識が変わりました。数年前の航空会社のストライキを契機に,予告を法律で義務づけるべきかどうかという議論が台湾でも起こったとのことで,理論的にも発展の余地があり,非常に興味深い内容でした。
 台湾では争議行為については調停前置主義が採られており,あえて予告の義務化を追加する必要はないのではないかとも感じました(もう少し詳しく確認する必要があります)。公益事業に限らず,すべての争議行為について調停前置が法律で定められているという点は,日本との比較において非常に興味深い点です。ちょうど現在,日本でも電気事業などを対象とするスト規制法の見直し作業が,労政審の部会で進められているようです。このタイミングで,日本のストライキ規制についても,現代的な視点からあらためて再考する必要があると思っています。
 そもそもストライキとは,労働者が自らの権利や利益を守るために行う集団的な労務の不提供という実力行使であり,本質的に「尋常ではない」行為です。しかし,他に交渉手段を持たない労働者にとっては,やむを得ない手段として歴史的に認められてきたものです。私がイタリアで直接見たストライキは,怒りに満ちた強いエネルギーが注ぎ込まれており,単なる労務提供の停止にとどまらず,デモやテレビ出演などを通じて,自らの行動の大義を社会に訴えるものでした。やる側も,やられる側も,ともに疲弊します。まさに「戦争」であり,だからこそ,労働協約は「休戦協定」なのです。こうした事態は,できれば避けられるに越したことはありません。ストライキとは,そういうものなのです。 それでもイタリアでは,ストライキは憲法上の権利として明確に承認されています(日本のように団体行動権という表現はなく,明確に「ストライキ権(diritto di sciopero)」として保障されています)。ストライキ権があるからこそ,労働者の交渉力は担保されるのですが,それでも現実に行使されるべきではない,まさに,伝家の宝刀なのです。
 ストライキは,歴史的には,未熟練労働者の集団的な違法行為から出発し,やがて憲法上の権利にまで高められたという劇的な変遷をたどってきました(団結も同様の面がありますが,ストライキは,企業に対する実力行使という点で,より強い違法性があったといえます)。だからこそ,その行使に際しては慎重さが求められ,そこで誤れば大きな社会的損失を招きかねません。産業平和という観点からも,本来であれば避けられることが望ましいのです。しかし,過度な抑制がなされると,かつての全体主義時代のドイツやイタリアのように,ストライキの全面禁止につながる危険性もあるため,(とくに憲法的にスト権保障がある国においては)政府の介入には慎重さが必要です。先述の調停前置主義の是非も,この観点から議論の余地があるでしょう。他方で,公益事業においては,継続的な労務の提供の重要性という観点もあり,日本の現行の労働関係調整法による規制が適切かどうかについて,規制強化と緩和の両面から検討する余地があります(公務員の争議行為禁止との均衡,他方で,そもそも公務員の争議行為禁止自体の是非も問われるべき問題です)。このように,スト規制法の見直しは,複雑な難しい論点をはらんでおり,慎重な議論が求められます。
 いずれにせよ,ストライキを紛争解決の手段の一つととらえるならば,これが必ずしも最も効率的な方法とは思えません。ちょうど『日本労働研究雑誌』の最新号でも,ストライキを特集していました。その中で最も印象に残ったのは,特集の最後の座談会における労働組合関係者の最後の発言でした。それは,顕在課題の解決よりも,課題の予測や潜在課題の察知に力を入れ,それについて労働組合の立場から企業を変えていこうとする活動の重要性に関するものでした。そして,「未来視点で想像・創造していくアクションを心掛け活動しています」と語られていたことに,非常に感銘を受けました。この言葉は,ストライキという手段にこだわらず,組合員の利益を中期的視点でどう守るかという問題に真摯に向き合っているからこそ出てきたものでしょう。これが労働組合の方の言葉であるという点に意義があると感じました。

2025年5月18日 (日)

名人戦第4局

 藤井聡太名人に永瀬拓矢九段が挑戦している名人戦第4局は,初日はまさかの千日手になり,2日目は指し直しで始まりました。藤井名人が先手であったので,千日手は本意ではなかったでしょうが,やむを得なかったようです。指し直し局では,中盤まで互角でしたが,徐々に藤井リードとなり,押し切りそうでした。しかし終盤でもつれて,1分将棋になったあとは評価値が振れ動きましたが,最後は永瀬九段が自玉を安泰にしてからしっかり藤井玉を詰ましました。これで31敗です。ここから永瀬九段の反撃が始まるでしょうかね。
 加古川青流戦では,注目の16歳の最年少棋士の炭崎俊毅四段と,同じく注目されている16歳で,プロ入りをほぼ決めている山下数毅三段とが対決しました。1分将棋になってからの攻防は見ごたえがありましたが,山下三段が勝ちました。炭崎四段はプロデビュー戦でしたが,ほろ苦いスタートとなり,藤井聡太七冠のようなロケットスタートはできませんでした。それを阻止した山下三段は,竜王戦の5組優勝という快挙で,決勝トーナメントへの進出を決めました。勝ち上がっていくと,竜王に挑戦できる可能性があります。プロ入りをほぼ決めているというのは5組の決勝に進出した時点で,三段リーグの次点1回が付与されており,すでに三段リーグで次点1回をとっているので,次点2回という昇段要件をクリアしたのです(厳密には,勝率25分以上という条件がありますが,問題はないしょう)。三段リーグで上位2人に入れば普通に昇段できるのですが,次点2回というルートもあり,この場合は順位戦には参加できず,フリークラスに入ります(ただし,昇段の権利を行使しないこともできます)。その後,一定の成績をクリアすればC2組に入れます。過去に,その後,名人になった佐藤天彦九段は,この権利を放棄しています。一方,2年前に藤井聡太七冠に立て続けにタイトル(王位戦,棋聖戦)に挑戦した佐々木大地七段は権利を行使し,その後,成績条件をクリアしてすぐにC2組に昇級しています。三段リーグは激戦ですが,山下三段としては次点2回ルートではなく,上位2人に入るという「正規」ルートで堂々と四段になりたいでしょう(現時点では22敗)。いずれにせよ,三段で竜王戦の決勝トーナメントに進出というのは前代未聞の快挙であり,藤井竜王(七冠)を追う若手が,また一人出てきたというところでしょう。

2025年5月16日 (金)

松尾剛行『生成AIの法律実務』

 弁護士の松尾剛行さんから,『生成AIの法律実務』(弘文堂)をいただきました。これはお世辞なしで,すごい本です。タイトルどおりなのですが,法律関係者だけでなく,総論のところの生成AIについての一般的な説明を読むだけでも勉強になります。いままでChatGPTを使ったことがないような人も,生活が一変することになるでしょう。いまや幼稚園児もChatGPTに話しかけて対話をするような時代です。良いか悪いかに関係なく,生成AIは現代人の必需品であり,その使い方をしっかり知っておく必要があります。これまでは誰もそういうことを教えてくれず,一部の人だけが情報をもって,高い生産性を発揮する活動に従事していた可能性があるのですが,これはみんなで活用すべきものです。まずは本書の総論だけでも読んで,使ってみるべきでしょう。
 生成AIの精度が上がり,判決予測で十分使えるレベルにまでなると,裁判で争われるケースは減り,和解による解決が増えるでしょう。裁判はAIでの評価が分かれるような難しい分野など,AIで解決できないものの補充的な役割になるかもしれません。それはそれで裁判官の仕事を軽減させてよいことかもしれません。また,人間の叡智が試される分野,たとえば判例変更が求められるような分野でも訴訟提起がなされるのかもしれません(以上のことは,本書の370371頁に書かれています)。これらは,裁判や法的紛争の分野での生成AIと人間のよき分業というものを目指す試みですが,今後は,社会全般でそうした試みをしていく必要があるのでしょうね。
 松尾さんには,次は一般人向けの新書を期待します。

2025年5月15日 (木)

子どもが安心して通学できる社会を

 「あんぱん」では,主人公の浅田のぶが,子ども時代に「ハチキン」と呼ばれくらい活発で,走り回っていたシーンが印象的です。いまでも地方では,子どもが走って学校に行くなんてことは普通にあることなのでしょう。しかし,私の家の周りでは,子どもが走って学校や幼稚園に行けるような環境にありません。車がひっきりなしに走っています。ガードレールに守られた歩道はあるのですが,アクセルとブレーキがわからなくなるような人が運転して,ガードレールを突っ切ってくるかもしれません。朝であっても飲酒運転をしている人がいるかもしれません。それに歩道を自転車がスピードを出して,歩行者を縫うように進んでいきますので,ちょっとでも歩行者がよろめくと衝突するおそれもあります。いつも同じようなことを言っていますが,自動車には車体自体に安全措置をつけ,自転車には運転手に厳格なルールを身につけさせるということでなければ,危険でたまりません。
 現在の文明社会は,そういうものと諦めるべきなのでしょうか。いやなら田舎に行けばということでしょうか。田舎に行って,自動車の有り難さを感じてこいと言われるかもしれません。
 でも小学生たちが自動車事故で亡くなったり,ケガをしたりすることが,運が悪かったですまされる社会でいいとは思えません。自動車は,関税問題で大変なのでしょうが,これをもっと安全な機械(イタリア語では,自動車も機械と同じくmacchina と呼ばれる)にするために,業界で努力すべきことがあるように思います。

2025年5月14日 (水)

「同一労働同一賃金」?

 あんまり悪口を書くのは精神衛生上よくないのですが……。
 厚生労働省の労働政策審議会 (職業安定分科会・雇用環境・均等分科会同一労働同一賃金部会)が,6年ぶりに再開されたようです。「同一労働同一賃金の施行5年後見直しについて」ということですが,いまさらながら「同一労働同一賃金」っていうのは,どこにあるのでしょうかね。これは,まさに括弧付きの特別なネーミングで,政治的なスローガンでもあり,法の内容を表すものではないので,せめて日本型とか日本版とかいう言葉を前につける必要はないでしょうか。一度間違ったことをやってしまえば,行政はとにかく突っ走るしかないのでしょうが,おそろしいことです。多くの国民を誤解させたまま,専門家を集めて,マニアックな議論をしてどうするのでしょうかね。

2025年5月13日 (火)

4派13流

 先日の神戸労働法研究会で,JILPTの山本陽大さんの報告(灰孝小野田レミコン外2社事件・中労委命令)を聞いて刺激を受けたので,次号の「キーワードからみた労働法」(ビジネスガイド)では,そこで争点となっていた労働組合法上の使用者概念をテーマにしました。朝日放送事件・最高裁判決を中心に解説して,最高裁判決の法理がどのように形成され,そこにどのような問題があり,最後は実務上どういうことに心がけたらよいか,立法論としてどういう課題があるかということを書いてみました。朝日放送事件・最高裁判決のことは,これまでもいろんなところで論じていますが,何回読み直してみても,よくわからないところがある判決です。この判決については私なりの理解もあるし,私なりに考えている使用者性論もあります。学説の対立も深刻なように思えます。かつての就業規則の法的性質論と同様,きちんと分析すると,◯派◯流ということになるかもしれません。
 就業規則については,いまの若い研究者はあまり知らないかもしれませんが,かつて諏訪康雄先生が,文献研究で学説を分析をされ,「413流」と命名されたことがあります。これは新左翼の「5流13派」をもじったものですね。
 ところで,先日,LSで就業規則を扱う回があり,そのときに法的性質論についても,少し時間を使って話しました。労働契約法が制定されてから,重要性は下がっているかもしれませんが,私たちの世代は,この議論についてはしっかり話しておきたくなります。そのうえで,就業規則の不利益変更について,もし労働契約法が制定される前の時点であれば,答案に書く時に,どう論証しますか,というような質問もしてしまいました。「労働契約法10条によると」ということが書けない時代の司法試験受験生になってもらったということです。実務的には,労働契約法が制定される前のことをやっても仕方がないかもしれず,どこまでLSの授業でやるべきなのかはよくわかりません。労働契約法後に労働法を学んだ若い世代の先生たちは,どのような授業をしているのでしょうかね。

2025年5月12日 (月)

差別的取扱い禁止規定の片面性と両面性

 今日の大学院の授業で,AIと差別の問題を扱っていたとき,労働基準法4条の片面性と両面性について少し議論となりました。私は片面説,すなわち,労働基準法4条は,女性に有利な取扱いは禁じていないという立場です。3条も同様です(拙著『労働法実務講義(第4版)』(2024年,日本法令)827頁Column40を参照)が,学説は,両面説,すなわち有利な取扱いも禁止するという立場です。たしかに行政解釈も,寺本廣作『労働基準法』でも両面説ですが,社会的弱者に対する不利益な取扱いを禁止する趣旨であると考えると,片面説をとるべきようにも思います。
 かつては片面説もあったようですが,いまでは論点にもなっていません。たしかに4条についていうと,均等法でも性差別法となっているので,それにあわせるなら両面説のほうがいいような気がします。平等を重視すればそうなるでしょう。
 ただ労働基準法は,刑罰法規でもあります。社会的弱者に対して有利な扱いも刑罰も禁止するという規定だとすると,それはちょっとやりすぎではないでしょうか。差別的取扱いという言葉の通常の意味にも反します。
 賃金について女性であることを理由として有利な取扱いをすれば,労働基準法4条違反となるのか。労働条件について国籍を理由として有利な取扱いをすれば,労働基準法3条違反となるのか。そうした結論は,普通に考えればおかしいと思うのです。かつて,どのような片面説(私からすると正しい学説)が唱えられていたのかについて,詳しく検討してみてみたいと思います。

2025年5月11日 (日)

日曜スポーツ

 阪神タイガースが村上頌樹投手の2試合連続の完封勝利などロースコアで勝っています。前回3タテをくらった中日戦にも2連勝で盛り返し首位を守っています。村上に続き,今日はルーキーの伊原が5回をゼロで抑え,6回のピンチで後を引き継いだ湯浅,その後は及川,石井,岩崎で完封リレーとなりました。攻撃陣が拙攻を繰り返していましたが,投手陣は踏ん張りました。阪神先発陣は6回が鬼門となっていますが,後ろに4枚いれば,5回までに1点でもリードしていたら,あとは1イニングずつの投手投入で勝ちきれるという感じになっています。サトテルも着実に打点を稼いでいて,頼りになる4番になっています。
 また今日から大相撲が始まりました。先場所優勝の大の里の綱取りの場所です。初日は若元春に快勝です。横綱2場所目の豊昇龍も若隆景相手に快勝です。琴櫻に勝った王鵬は,前頭に落ちましたが,初日だけでは何ともいえませんが,なんとなく大勝ちしそうな予感もあります。尊富士も安定していますので,期待できます。ところで元大関の朝乃山はいまどこにいるかと思って調べてみたら幕下でした。上位にいるので,全勝優勝すれば十両に復帰できそうですが,どうなるでしょうか。

2025年5月10日 (土)

名人戦第3局

 藤井聡太名人に,永瀬拓矢九段が挑戦している名人戦の第3局は,藤井名人が勝って,3連勝となりました。永瀬九段は,完敗だったのではないでしょうか。これだけ勝ちまくっている永瀬九段も,どうしても藤井名人には勝てませんね。4連敗では悔しいので,なんとか1勝はしたいところでしょう。藤井名人は3連覇に王手をかけました。
 王位戦は,紅組は佐々木勇気八段が優勝し,白組で全勝で優勝した永瀬九段とともに,挑戦者決定戦に進出しました。佐々木八段と永瀬九段は子どもの頃からのライバルで,最近は重要棋戦で立て続けに対戦しているような気がします。先日も王座戦の挑戦者決定トーナメントの初戦であたり,永瀬九段が勝っています。佐々木八段は,なんとか挑戦権を得て,先般の竜王戦での雪辱をしたいところでしょう。伊藤匠叡王も,藤井七冠にタイトル戦に負け続けるなかで,ようやく叡王戦でタイトルを奪取しましたし,同じパターンを追求したいでしょう。王位戦リーグでは,棋聖戦で藤井七冠に挑戦することが決まっている杉本和陽六段が,すでに陥落が決まっていましたが,最終戦も羽生善治九段に敗れました(羽生九段もすでに陥落が決まっています)。また伊藤叡王に挑戦中の斎藤慎太郎八段も古賀悠聖六段に負けてリーグ陥落が決まりました(古賀六段は残留)。タイトル挑戦者は勢いが大切であり,杉本六段も斎藤八段も調子を落としているところが心配です。これではタイトル奪取は難しいでしょうね。タイトル挑戦に到達したところで燃え尽きてしまったのでしょうか。

2025年5月 9日 (金)

レオ14世

 新しいローマ教皇として,レオ14世(Leo XIV) が誕生しました。アメリカ出身ということで,Trumpが手をまわしたのではないかと一瞬疑いましたが,そういうことではないようです。
 レオ教皇というと,労働法との関係では,レオ13世が1891年に発したRerum Novarum(レールム・のバールム)が有名です。「新しいことについて」という意味ですが,資本主義の発展のなかでそれがもたらす新たな社会問題についての教会の立場を示したカトリックの社会教説(dottrina sociale)は,欧州では,労働法理論に直接的ではなくても,影響を及ぼしたと思います。労働法におけるカトリックへのシンパシーは,この社会教説にあるのではないかと思います。
 レオ14世自身が,レオの名を選んだのだとすれば,多くの人が期待するのは,新たな社会教説でしょう。資本主義の限界が問われるなか,資本主義の誕生時に出されたときと対になるような資本主義の限界がみえつつある現在の新たな社会問題に関する新「Rerum Novarum」が打ち出されるのかが注目されるところです。

2025年5月 8日 (木)

増刷御礼

 『どこまでやったらクビになるか』(新潮新書)が増刷(6刷)となりました。2008年に刊行された私が最初に書いた新書です。電子書籍になり,Kindle Unlimited入りということで,紙媒体を誰が買うのかなと思いますが,ほそぼそと売れているようです。結局,私の人生のなかで最も売れた本になりそうですね。個人的には,『会社員が消える』(文春新書)のほうを,もっと多くの人に読んでもらいたいのですが,なかなか思うようにはいきません。入学試験に使われた本という点では,光文社から出した新書である『君の働き方に未来はあるか』『勤勉は美徳か?』なのですが,残念ながら増刷の声はかかりません。

2025年5月 7日 (水)

阪神タイガース9連戦終わる

 2年前の岡田監督のときは,5月に19勝したこともありましたが,今年はそう簡単にはいかないでしょう。首位で始まったゴールデンウイーク9連戦は,中日にまさかの3連敗をしたり,なぜか巨人には快勝したりと,よくわからないところがありますが,結局4勝5敗と負け越しで終わりましたが首位は維持できました。新人監督しては順調にやっていると思います。やはりサトテルが復活したのが大きいです。もっとも,彼の体力不足は有名で夏になるとどうなるか心配ですが,森下,大山,サトテルの誰か1人でも打ってくれれば投手陣は安定しているので,大きな連敗はしないでしょう。遊撃手も,木浪と小幡の高いレベルの競争がようやくされるようになりました。レフトもまだ前川だけでというわけではなく,競争があります。投手陣は,石井が登録抹消で心配ですが,湯浅が復活してきました。実績はありますから,彼が普通に活躍してくれれば,ゲラはいらないですね。デュプランティエ(Duplantier。やっと名前を覚えました)が勝ち運には恵まれていませんが,安定した投球です。現在は,村上と才木が表と裏のエースで,それにデュプランティエが加わり,さらに伊原と門別もローション入りで,ときどき富田という感じですね。今日の門別のように,若手にはムラがありますが,どういうピッチングをすれば次があるのかということがわかってきた感じもします。一軍と二軍の入れ替えは思い切ってやっており,そのことに批判もありますが,藤川監督はどの選手が戦力になるかを広くみていこうとしているのでしょう。今年は監督にとっても勉強の年であり,9月まで混戦が続くでしょうが,途中で脱落せず,最後の大事なところで抜け出せるように,監督の考えるプランを進めてもらえればと思います。

2025年5月 6日 (火)

おばあさんに助けてもらおう

   昨日は,こどもの日でした。少子化の進行が進み,Iron Muskが言ったような「日本はなくなる」は,大げさとはいえ,今後,加速度的な少子化が予想されます。政府がどんなにテコ入れしても状況は変わりそうにありません。こども家庭庁の存在感もないですね。子育て世代に現金をふりまいても,それで少子化が改善されるとは思えません。少子化の話は何度もしているので,もうこれ以上論じることはないのですが,一つ新たな視点としては,「おばあさん」の活用をもっと考えるということです。
 親世代は自分の子どもは可愛いですが,余裕がないので,それほど他人の子どものことまで面倒をみていられません。しかし育児が終わっている世代は,もちろん孫がいれば孫はかわいいでしょうが,かつての育児経験を活かせる場があれば,喜んで貢献してくれる人が少なからずいると思います。地方ではそういう助け合いの場が普通にあるのでしょうが,都会になると,ある程度,公的な介入がなければうまくいかないでしょう。地域で子を育てると言えば平凡な提案ですが,時間も体力も情熱も十分にある「おばあさん」たちの協力を得られるという安心感があれば,若い世代も出産への意欲が少しは高まり,少しは状況が変わるかもしれません。保育園となるとそこに入るのは簡単ではないこともあるでしょうが,一番大変な時期に,ワンオペや夫婦だけでの育児をしなくてもよいという確証が得られれば,行動が変わるかもしれません。
 近所を歩いていると,小さな子どもに優しい視線を投げかける老夫婦はたくさんいます。おじいさんでもよいのですが,昭和世代のおじいさんは,育児をほったがらしにしいてた世代が多いでしょうから,やっぱりおばあさんのほうがおすすめです。

2025年5月 5日 (月)

叡王戦第3局

 叡王戦第3局は,伊藤匠叡王が斎藤慎太郎八段に勝って2勝1敗となりました。伊藤叡王が調子をあげてきた感じです。防衛に向けて,貴重な一歩を踏み出しました。将棋の内容は途中まで互角で,やや斎藤優勢だったようですが,伊藤叡王がしっかり受けて,最後は鋭く攻めきりました。
 王位戦は大詰めになってきました。白組は,永瀬拓矢九段は4連勝で,すでにプレーオフ進出以上は決めています。最終局は,まだ勝ち星がなく4連敗の都成竜馬七段が相手です。3勝1敗で追う古賀悠聖六段は,最終戦で自身が勝って,永瀬九段が敗れれればプレーオフ進出となります。古賀六段は,最終戦の相手は残留がかかっている斎藤八段です。なお,今回,斎藤八段に敗れた羽生善治九段は,最終局を待たずに,王位戦リーグから陥落が決まってしまいました。世代交代は着実に進んでいます。
 王位戦の紅組は,大橋貴洸七段と佐々木勇気八段が3勝1敗で並び,最終局は両者が対戦するので,勝ったほうが紅組優勝で,白組優勝者と藤井聡太王位(七冠)への挑戦権を争います。
 ところで,昨日のNHK杯は,山崎隆之九段が,若手で勢いのある岡部怜央五段に勝ちました。研究は万全という若手棋士と,独創性では棋界一と思われる山崎九段との対局は,山崎九段の快勝でした。山崎九段は,棋聖戦に挑戦したあとは不調で,順位戦もB級2組へと陥落し,来期からはNHK杯はシードではなくなりますが,もともとNHK杯は2回優勝経験のある相性の良い棋戦であり,強いときと弱いときの波があるのが難点ですが,この日は強いときのヤマちゃんでした。

2025年5月 4日 (日)

前の万博の忘れ物

 5月3日のNHKの番組で,1970年の大阪万博のシンボルであった太陽の塔の4つの顔のうち,地下で展示されていた「地底の太陽」が,閉幕後,半世紀もの間,行方不明になっており,それを追うというものがありました。福岡伸一氏がナビゲータです。
 70年の万博のころも,万博反対の議論が多く,岡本太郎もその一人でした。いまや万博のシンボルである太陽の塔ですが,これは岡本太郎が反万博の象徴としてつくったものでした。未来に向けた安易な楽観論を排し,それを諌めようとして,縄文時代の人類を示すような巨大な塔をつくったそうです。 
 それで「地下の太陽」はどうなったかというと,なんと産業廃棄物として廃棄されていました。ひょっとしたら,現在の万博の会場の夢洲の下に眠っているかもしれず,それを掘り起こせるかもしれないという期待もありましたが,夢洲に廃棄物が持ち込まれ始めた時期よりも前に廃棄されていました。結局わかったのは,神戸にある産業廃棄物処理場に無惨に細断されて埋められているということでした。
 人間は死んでも自然界に帰って,また別の生き物として再生します。しかし,産業廃棄物は自然に戻りません。生物学者の福岡氏が廃棄物処理場でプラスチックの破片をみて,生を感じないと述べたのが印象的です。地底の太陽が,そんなところに廃棄されたのでは,岡本太郎も浮かばれません。

2025年5月 3日 (土)

憲法記念日

 憲法記念日には,いつも何か憲法のことを書きたくなります。平和的生存権や戦争放棄のことなどは,すぐに頭に浮かぶものです。国際的な平和なしに,私たちの生存は危険にさらされるというのは当たり前のことですが,戦後長らく平和が続いたので,そのことを忘れがちでした。しかし,ウクライナ(Ukraine)やガザ(Gaza)での戦争は,遠い国のことではあるものの,いつ戦争に巻き込まれるかもしれないという恐怖心を私たちに植え付けるものでした。
 平和に生きていくためにはどうすればよいか。私たちが西洋から学ぶ意味があるとすれば,戦争を繰り返してきた地域だからこその戦争を避けるための知恵があるはずだからです。国家の枠を越えた共同体の設立を目指したEC,EUの存在も,その一つでしょう。しかし,一方で,対ソ連のための北大西洋条約機構(NATO)は,欧州の安全をアメリカも巻き込んで確保するという意味があった軍事同盟でした。対ソ連・対共産主義の名残りであるNATOへのウクライナの加盟の可能性が,ロシアにとっての脅威となり,ウクライナ侵攻の動機となった可能性があります。欧州は域内平和は実現したものの,完全には平和問題の解決はできていなかったのでしょう。ガザ問題もまた,英仏が第1次世界大戦時のパレスチナで行った「ニ枚舌(あるいは三枚舌)」が問題の根源にあることは,よく知られています。欧州の外でやったことの後始末ができておらず,おそろしい禍根を残してしまい,もはや収拾がつかないことになっているのです。
  Trump大統領の登場により,アメリカのNATO離れが加速しつつあり,またパレスチナにおけるイスラエル寄りの姿勢も顕著になってきました。欧州は,アメリカが頼りにならなくなってきて,いまうろたえています。それでもなんとかアメリカ頼みから脱却しながら,新たな平和秩序をつくりださなければなりません。Trump大統領のような反欧州的な大統領は,いずれ現れる運命だったのでしょう(アメリカに近いイギリスは,すでにEUから離脱して,経済的な結びつきは徐々に薄くなっています)。いまTrump大統領は,軍事よりも,相互関税という劇薬をつかった取引で,アメリカの再建を図っています(MAGA)。唯一の救いは,彼が戦争への出費は無駄と考えていることですが,国内の軍需産業を潤しているとわかると翻意するかもしれません。彼はMAGAを実現し,独裁体制を確立しようとしているようにみえます。三権分立が崩壊しつつあるのです。これもまた憲法秩序にとっての脅威であることを忘れてはなりません。欧州における絶対王政や宗教的抑圧から逃れるために来た人による自由な国家として誕生したアメリカは,権力の危険性を憲法というものに書き込みましたが,その憲法秩序にTrumpは公然と挑戦しているようにみえます。
 憲法記念日というと改憲派と護憲派との対立といった国内的な話題になりがちですが,現在は国際的,歴史的な視点で憲法を考える必要があるといえるでしょう。

2025年5月 2日 (金)

次の感染症に備えて

 今朝のNHKのニュースで,ダイヤモンド・プリンセス号でコロナ感染が発症したときの医師の苦労話が報道されていました。このときのことをテーマとした映画「フロントライン」がもうすぐ公開されるそうです。次の感染症に備えて,しっかり反省しておくべきことがありそうです。
 労働法の問題もあるのですが,こうしたことを考えるうえで,JILPTの山本陽大さんの執筆した報告書「新興感染症と職場における健康保護をめぐる法と政策―コロナ禍(COVID19­Pandemic)を素材とした日・独比較法研究」は参考になるでしょう。そこで紹介されているドイツの精緻な議論は,日本法の問題を考えるうえでも貴重な情報です。
 個人的には,コロナ禍での出社命令のことが気になっていたので,報告書内の記述を確認してみました。企業には出社命令権はあるものの,権利濫用性の審査に服することを前提に,そこでどのような事項が考慮要素となるかが,ドイツ法と比較して検討されていました(97頁)。出社命令を拒否して懲戒処分を受けたり,賃金カットを受けたりした場合には,そこで示されている判断枠組みで審査されることになりそうです。
 ただ問題は,出社命令を受けた時点で,労働者はどう行動すればよいのかです。個人で権利濫用かどうかの判断がきちんとできるはずがありませんので大いに迷うところでしょう。実際には,よほどの強い意思があるか,出社しづらい事情がない限り,出社命令に従ってしまうでしょう。実は私見では,企業の必要性などをあまり考慮しない解釈を提示しています。拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)112~3頁で,労働者は安全(健康も含む)に疑念のあるときは,就労を拒否できるべきという大胆な解釈を唱えています(「安全就労の抗弁」と名付けており,このブログでも何度も採り上げています)。そんなものを認めたら労働者の濫用が心配されるという意見が出てきそうですが,私は,だから就業規則でこういう場合の対応方法をルール化したらよいという提案も同時にしています。すなわち,どのような場合に安全の危険があると判断されるかも含めて,危険時の就労に関するルールを,企業はきちんと手順をふんで就業規則で定めていれば(「◯◯の場合は,◯◯の事情がなければ出社しなければならない」「〇〇の場合は,〇〇の申告をすれば,出社しなくてもよい」など),そのルールに従って,企業は出社命令を出せるかどうかを判断し,また労働者もそれに従わなければならないか判断できるということです(手順というのは,「人事労働法」では「納得規範」に基づいたルール化です)。ルールに基づいて出社命令を発する場合も,企業は納得同意を得るように誠実説明をしなければなりませんが,それを尽くしていれば出社命令は有効となり,原則として権利濫用として無効となる余地はありません(これは人事労働法では,企業の人事権などの行使一般にあてはまる解釈です)。なお,このルール自体に解釈の余地のある曖昧な要素があれば,それは労働者に有利に解釈をすべきであり,そのことは企業に明確なルールをつくるインセンティブを付与するものとなります。
 以上の私見は,要するに,災害時などの危機のときに当事者がどう行動したらよいかの対応をしやすいように,事前に明確なルールを定めるように促すこととし,そのための法解釈として,出社命令の有効性やその拒否の有効性について,事後的な裁判所の権利濫用性に依存せずに確定させるようにしたものです。次なる感染症や自然災害に備えて,こういう解釈が必要だと思いますが,普通の法律論ではないので,残念ながら,支持者はいなさそうです。

2025年5月 1日 (木)

賀川豊彦とハル

 神戸の労働争議というと,戦前の1921年の三菱・川崎大争議があります。文献は多数ありますが,武田晴人『事件から読みとく日本企業史』(2022年,有斐閣)の第7章がわかりやすいです。この争議を指導したのが,神戸出身の賀川豊彦でした。クリスチャンであった彼のキリスト教と労働運動の融合というのは,今日の日本の労働運動からは想像がつきにくいものです(西欧では普通ですが)。賀川は,もともと貧民救済活動をしていましたが,労働運動の必要性を感じ,1921年の大争議を指導したのですが,これに敗北し,彼の平和主義的な労働運動路線は,過激な運動路線へと転換することになります。
 ロシア革命後の世界の情勢のなかで,団体交渉権を求めて戦った労働者たちは,経営側の厚い抵抗を崩すことはできませんでした。兵庫県知事や神戸市長の調停が不調に終わったり,賀川が逮捕されたりと,ドラマもありました。
 賀川は戦後,2度にわたり,日本人で初めてのノーベル文学賞の候補になったことで知られています。さらにノーベル平和賞の候補にも4回なっています(ノーベル財団のアーカイブを参照)。彼の人道主義的な活動が世界でも注目されていたのでしょう。また,彼は「生協運動の父」と言われ,現在のコープ神戸(日本で最初の市民による生活協同組合)の創設にも関わっています(コープこうべのHPより)。
 メーデーの日に,かつての熱い労働運動のことを,そして神戸の偉大な先人である賀川豊彦のドラマチックな人生を,振り返ってみたくなりました。ちなみに,その賀川と二人三脚で社会運動に従事した奥さんのハルのことは,玉岡かおるさんが『春いちばん』(2022年,家の光協会; New版)という作品で採り上げています。

 

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