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2025年3月の記事

2025年3月31日 (月)

プチ・ブラックマンデー

 昨年85日のブラックマンデーの4451円には至っていませんが,1502円の下げもかなりのものです。日経平均株価のことです。Trump政権の関税引上げを見越したものでしょう。こんなことをすれば,日米両国の企業は大きな影響を受けるでしょう。日本は,首相や経産相が訪問して懇請しても,まったく聞く耳をもってもらえなかったということで,普通なら顔に泥を塗られたと言いたいところなのでしょうが,そうは言えないところが情けないです。
 株価というのは,こういうように上がったり下がったりということはあります。ただ,想定外のむちゃくちゃな政策で,個人の資産形成が左右されかねないとなると,やっぱりリスクはあります。リスク分散が必要ということですが,金融資産よりも,もっと確実な人間関係に投資したほうが,老後は安心ということかもしれません。コロナ禍ですっかり減ってしまった友人との会食なども,いまやどこで飲食してもかつてより35割くらい高いような感じもしますが,それでも,そういうことにお金を使ったほうがよいかもしれません。お金のかからない生活も必要です。私はワインと本だけは,あまり躊躇せずにお金をかけてしまいますが,それ以外のモノ消費はできるだけしないようにはしているつもりです。あとは健康であることが一番安上がりであることも事実なので,そこも大切ですが,今日は寝ているときに喘息の発作のようなものが出てしまい,何年かぶりに呼吸器科に行きました。あまり数値はよくなく,しばらく薬が手放せない生活になりそうです。ただ,今日のクリニックは,予約も問診表もWebですし,支払いなどもキャッシュレスでよかったです(まだ少ないのですが)。近所の薬局も同様で,マイナンバーカードとスマホですべて用事が終わりました。

2025年3月30日 (日)

羽衣学園事件・最高裁判決

 先日は,神戸労働法研究会を5年ぶりに対面でやりました。この春に修了した大学院生は,一度も研究会を対面でやったことがないということで,一度やっておいてよかったです。研究会後の懇親会というのも,久しぶりでした。花粉症をこじらせていて,喉や鼻の調子が悪かったのですが,久しぶりにみんなと話ができてよかったです。
 研究会では,昨年10月に出た,羽衣学園事件・最高裁判決(第1小法廷20241031日判決)を議論しました。
 大学の人間生活学部人間生活学科生活福祉コースの講師について,大学教員任期法411号所定の職に該当して,労働契約法18条の無期転換要件の特例である10年(原則は5年)が適用されるかが問題となったものです。高裁判決は,特例の適用を認めず,無期転換を認めたのですが,最高裁は,411号該当性を肯定して高裁判決を破棄して差し戻しました。
 任期法411号では,「先端的、学際的又は総合的な教育研究であることその他の当該教育研究組織で行われる教育研究の分野又は方法の特性に鑑み,多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき」(下線は筆者)に任期をつけることができ,その場合は,労働契約法18条の特例が認められるとなっているのですが,411号該当性をどのように判断するかは難しいところがあります。ただ,31項で,学長は「任期を定めた任用を行う必要があると認めるときは,教員の任期に関する規則を定めなければならない」と定め,52項で,大学は,「教員との労働契約において任期を定めようとするときは,あらかじめ,当該大学に係る教員の任期に関する規則を定めておかなければならない」と定めていることから,基本的には,どの範囲の教員に任期を定めるかは,大学の裁量に委ねられているという解釈も十分に可能であり,そう解釈していた大学も少なくなかったと思います。しかし,高裁判決のように,411号該当性について,たとえば研究の側面が乏しい担当職につける場合には該当しないというような解釈をとると,これまでの扱いを変えなければならない大学も出てきそうでした。最高裁判決は,任期法の上記の規定は,「大学等への多様な人材の受入れを図り,もって大学等における教育研究の進展に寄与するとの任期法の目的(1条)を踏まえ,教員の任用又は雇用について任期制を採用するか否かや,任期制を採用する場合の具体的な内容及び運用につき,各大学等の実情を踏まえた判断を尊重する趣旨によるものと解される」とし,任期法4条1項1号を含む同法の関連規定は,任期法7条が設けられた際にも改められず、上記の趣旨が変更されたものとも解されないとし,「そうすると,任期法4条1項1号所定の教育研究組織の職の意義について,殊更厳格に解するのは相当でないというべきである」としました。そして本件では,生活福祉コースでは,実務経験をいかした実践的な教育研究が行われていたということができ,それを行うに当たっては,教員の流動性を高めるなどして最新の実務経験や知見を不断に採り入れることが望ましい面があり,このような教育研究の特性に鑑みると,上記の授業等を担当する教員が就く本件講師職は,多様な知識又は経験を有する人材を確保することが特に求められる教育研究組織の職であるというべきである」としました。
 注目されるのは,労働契約法18条の無期転換ルールの例外としての任期法7条は,限定的に解釈すべきとする立場もありうるところですが,それを否定したとみられることです。もちろん大切なのは,5年か10年かよりも,それが事前に明確になっていることでしょう。大学側もそれに応じた採用や雇用管理をするのであり,4条の解釈に曖昧な要素があることにこそ問題があるのです。その意味で,大学側の裁量をある程度広く認めることは理解できますし,「人事労働法」の発想からは,採用時に,7条の適用により無期転換の特例があることを当該教員に誠実に説明し,納得同意を得ていれば,7条の適用を認めてもよいという結論になります。

2025年3月29日 (土)

坂の上の雲とロシア

 NHKBSで,「坂の上の雲」を再放送していたので観ていました。原作は司馬遼太郎の同名の小説です。松山出身の秋山真之・好古兄弟と正岡子規の3人の人生を追いながら,明治の日本人がどのように考えて生きていたのかが描かれていました。ハイライトは日露戦争です。
 満州などの中国大陸での権益をめぐってのロシアとの戦争は,列強に並ぶために必死に努力してきた明治の人たちの思いの集大成でした。「坂の上の雲」は,明治の人たちの,ひたすら上を向いて頑張っていた頃の楽観的なところを描いています。目標が決まったときの日本人の強さはあるのでしょう。必死に西洋の文物を吸収し欧化を進めます。この本に登場する秋山兄弟も,それぞれ留学して外国の軍事を学んできます。しかし,あまりにも早く駆け上がった日本は,分不相応のまま国際舞台に登場し,やがて無謀な戦争に突進し,手痛い敗戦を喫することになります。
 ところでロシアですが,日露戦争のときの皇帝であるニコライ2世は,皇太子時代に日本で斬りつけられて負傷したり(大津事件),日露戦争でまさかの敗戦を喫したりして日本と因縁のある皇帝ですが,何と言っても,その最期は悲惨でした。第1次世界大戦への参戦で国民は疲弊し,ストが頻発し,結局,ロシア革命が起こってロマノフ王朝は退陣を求められます。皇帝一族は監禁されて,最後は反革命派により奪還されることを恐れた革命派により,幼い家族らを含め全員処刑されました。歴史上,これまで誰も経験をしていなかった共産主義革命が,このように展開していくとは,誰も予想していなかったかもしれず,ロシアの歴史における大きな汚点となっていると思います。レーニンがこの処刑を命じたかどうかについては議論があるようですが,革命の出発点でのこの血なまぐささは,ソ連のその後のスターリン体制にも引き継がれてしまったような気がします。そしていまウクライナ戦争です。隣国である以上,付き合っていかざるをえないのですが,この国の不気味さは不安です。

2025年3月28日 (金)

プロ野球開幕

 プロ野球が開幕して,個人的には悩ましい季節が始まります。今年は,阪神は,マツダスタジアムというビジターでの開幕を迎えました。甲子園は高校野球をやっているからです(東洋大姫路は2戦目で負けてしまいました。夏に向けて,エースの復調を期待します)。ただ,それで気楽にできたのか,初戦は快勝でした。2023年のMVPの村上が見事な投球で,最後は岩崎にマウンドを譲ったとはいえ,ほぼ完封という完璧なピッチングでした。打線は初回にサトテルの2ランが大きかったです。良いスタートが切れました。近本も3安打,大山と前川もタイムリー安打を打ち,文句ない出だしです。明日の先発は,若い富田です。打線の援護が欲しいです。
 巨人は,ヤクルト相手に5点差をひっくり返してサヨナラ勝ちで,これも大きな勝利です。横浜は中日に快勝で,終わってみれば,昨年の上位で,今年も優勝候補とされている3チームがそろって勝ちました。このまま進んでいくのでしょうかね。

2025年3月27日 (木)

『公共政策における法学と経済学の役割』

 昨年,V.School の授業で行った内田浩史先生との対談をブックレットにした公共政策における法学と経済学の役割が刊行されました。私は解雇規制を例にとりながら,法学や経済学において,価値の問題をどこまで扱えるかについて論じました。立法のありかたについても議論をしました。いま思えば,もっと論じるべきことがあったと思いますが,この対談をきっかけに,私自身もいま労働政策論の分析を深める研究をしているところです。
 フロアとの議論のなかで出てきた,大学が公共政策において果たすべき役割というのも重要です。大学での研究や教育がどうあるべきかということです。この点で,内田先生が,政府の研究会に参加して感じられたことなども,非常に興味深いものです。審議会などでの政策形成における専門家の役割というものかということと関係しているので,ぜひブックレットのなかで確認してみてください。比較法の意義ということについても考えさせられます。
 このブックレットでは,私は価値相対主義的な立場から議論していたつもりですが,ただ現在の考えは,やや違っています。やはり最も重要な価値というものがあり,その下で価値の階層構造があるのではないかという仮説の下に思索を重ねています。ただ,最も重要な価値というのは,普通の人が考えるような法的な正義ではなく,また人権や自然権のようなものでもありません。近いうちに考え方をまとめて発表したいと思っています。

 

2025年3月26日 (水)

花粉症

 黄砂がやってきているようで,ここ数日,なんとなく体調がすぐれません。仕事に支障が出るほどではなく,今日も労働委員会で争議調整のあっせん手続を行ってきましたが,どうにも鼻の調子が悪く,声も出にくい状態でした。周囲の皆さんには,ご迷惑をおかけしてしまったかもしれません。頭のほうは働いているつもりなので,実質的な支障はなかったとは思いますが,ハンカチは手放せず,私自身の不快感は否めません。
 風邪かなとも思ったのですが,どうもそうではありません。こうした原因不明の不調は,ここ数年で確実に増えてきた気がします。特に午前中に頭が重いことが多く,これには本当に困っています。どこか,花粉も黄砂もない場所はないのでしょうか。思い切って海外移住,なんてことも考えたくなりますが,もちろん現実にはいろいろ制約もあり,そう簡単にはいきません。
 数年前までは,幸いなことに,花粉症とは無縁に過ごしてきましたし,自分は大丈夫だと思っていたのですが,最近の体調不良を考えると,どうやらその自信もあやしいものだったのかもしれません。原稿が書けなくなるわけでも,授業や講演ができなくなるわけでもないのですが,それでも,できればベストコンディションで仕事がしたいです。こうなったら,デジタル技術に頼って,私のコンディションもなんとか補正してくれないだろうかとつい願ってしまいます。もっとも,私の症状などは,重症の方々と比べれば本当に軽い部類に入るのでしょう。たぶん,大げさだと思われるでしょう。きっと,そうなのだと思います。でも,これはあくまで主観の問題です。常に100%の力で仕事をしたいと願っている人間にとっては,たとえ90%であっても十分につらいものなのです。これまでの仕事精神論なら,何%の力しか出せないとか言わずに,しっかり結果を出せとなるのでしょうが,デジタル時代の発想は少し違います。環境の良い場所に移住してテレワークというのも,個人的には現実的な選択肢になってくるかもしれません。まずはアレルギーの反応がでない国を探すことからはじめなければなりませんが,ぐずぐずしていると,こちらの寿命が尽きてしまいますね。

2025年3月25日 (火)

交通事故回避のためにブレインテックを

 静岡での交通事故は,ほんとうに悲しいです。小学生の姉妹がはねられ,妹は死亡し,姉は重体だそうです。軽ワゴンを運転していた78歳の男性は事故のことは覚えていないとのこと。ブレーキ痕がないので,眠っていたのでしょうか。親御さんの心痛をお察しします。数日前には,三重の観光バスで交通事故が起きています。こちらは,運転手本人は死亡で,乗客に多数のけが人でました。やはりブレーキ痕はなかったそうです。
 いつも言っていることですが,自動車は,運転手がきちんと制御能力のなければ,走る凶器と化します。観光バスでは,会社がきちんと安全を確保しなければなりません。これは前にもふれたブレインテックの利用を必須とすべきでしょう。こうしたテックを使って,運転手の注意力などをリモートでチェックしていないかぎり,事故があったときに,会社は,客との運送契約上の債務不履行責任ないし不法行為責任を負うとすべきです。ヘッドギアなどのデバイスを着用して運転するよう義務付けることは,労務管理の強化であるという反論もあるかもしれませんが,人間の生命・身体の安全性が優先します。
 個人の運転の場合は,免許更新や健康診断などで一定の運転障害の危険性が確認できれば,乗車禁止にしてほしいですが,そこまでは無理だとしても,医師はデバイスの着用を指示し,その脳波をAIによって分析して,注意力が低下したときには脳を刺激する電気信号を送るなどの対応ができる仕組みを作ってほしいです。もし不着用で運転した場合には,厳罰に処すべきです。
 すでに睡眠改善などでブレインテックは使われていますが,こういうことだけでなく,事故対応こそ優先性が高いです。自動車会社も,自動車が凶器になるかならないかは,この技術にかかっているというくらいの気持ちをもって臨んでもらいたいです。少しでも事故の危険性があるような運転手には,車が運転できないようにできれば,自動車会社も事故防止のためのブレインテックの開発にお金を出すでしょう。
 少し接触しただけで,人間の命など簡単に吹き飛んでしまうものが,自分のすぐ横を走っているというのは,おそろしくてたまらないです。怖がりすぎているのかもしれませんが,ただ,せっかくテクノロジーが実用可能な状況に来ているわけですから,それをぜひ活用してもらいたいのです。ブレインテックの倫理的な問題については,先日の研究会でも少し議論しましたが,たとえば脳という人間の内心を外部からチェックすることは人間の尊厳に対する重大な侵害といえなくはないとしても,生命・身体の安全には劣後すると考えています。
 ブレインテックは,交通事故の被害で高次脳機能障害を負ってしまった人にも助けになります。事故が起きないようにするのが何より大切ですが,起きてしまったときのサポートは,自動車を運転した人だけでなく,こういう機械を生み出した会社やそれを利用している社会全体で担うべきでしょう。

2025年3月24日 (月)

日本人と東大

 NHKでNHK100年,東大150年ということで企画された番組があり,第1回は『エリートの条件花の28年組はなぜ敗北したのか』というものでした。明治28年の東大卒(とくに法学部卒)は,藩閥政治を打破して新たな政党政治の担い手となる俊英たちが集まっていました。その代表が,後に首相となる浜口雄幸でした。大蔵省を経て,国会議員となった浜口は,国のために何ができるかということを考えていたエリートでした。番組では,エリートとは何かということを考えていきます。花の28年組は,民主主義の力を信じながら,軍部に破れ,浜口自身も東京駅で狙撃されて重傷を負い,翌年(1931年),志半ばで亡くなります。その後,515事件では犬養毅首相が暗殺されるなど,テロが続き,無謀な戦争に突入します。当時の国民は,戦争を支持していました。メディアもそれを煽りました。しかし,浜口ら真の国益を考えていたエリートたちが目指していたのは軍縮でした。それが国民にはよく理解されなかったようです。さらに悪いことに恐慌が重なりました。国民に「食べさせることができない」政府は,いくら高邁な理想を掲げても支持されないのでしょう。
 しかし,ここからエリートの無力という結論を導き出してはいけないと思います。私は,エリートが支えない国は滅ぶと考えています。ほんとうに国のことを考えてくれる優秀なエリートたちが,この国を支えてくれなければ困ります。現在の東大生の進学先の第1位はアクセンチュアだそうです。個人の可能性を引き出してくれて,良い仲間もいて,報酬もいいとなると,若者を惹きつけるのも仕方がないと思います。問題は,官僚の仕事に,それ以上の魅力がないことです。今日でも国士的な気概をもっている東大生は少なくないと信じています。官僚という仕事が,そういう人たちを惹きつけて,その能力を発揮できる場になってもらいたいです。
 番組では,広渡清吾先生が出てきて,東京大学憲章のなかに出てくる,東大生がめざすべき「世界的視野をもった市民的エリート」という言葉について説明されていました。世界の公共性に奉仕するための人材になれ,自分たちの社会を自覚的に形成していこうとする市民になれ,というメッセージがこめられているそうです。なかなか言葉からは伝わりにくいかもしれませんが,世界のために,社会のために,何ができるかを考えて,そのもてる能力を存分に発揮せよということかなと思っています。そのためには,エリートとしての矜持をもちながら,目線は市民レベルで,ということでしょう。そういうエリートが,現在の官僚や政治家にどれくらいいるでしょうか。

2025年3月23日 (日)

大相撲春場所

 大相撲は,新横綱の豊昇龍が,予想どおりというか,残念ながらというか,途中で休場となりました。平幕3人に負けて金星を提供してしまいました。私は昇進にはもう1場所待ったほうがよいということを書いていましたが,横綱審議委員会はゴーサインを出しました。それで,この結果です。この場所がどうかということではなく,横綱の実力はまだないというのが客観的な評価でしょう。相撲協会は横綱不在が嫌だったのでしょうかね。しかし,こういう横綱だったら,いなくてもという気もします。1場所だけで評価しては可哀想かもしれませんが,よほどしっかり鍛え直してくれなければ,史上最弱の横綱となりかねません。
 優勝は,大の里でした。123敗で,高安と同星で優勝決定戦となりましたが,本割では負けていた大の里が勝ちました。12勝の内容は,決して良いものばかりではありません。引き技が多く,これでは横綱になれないなというようにみていました。王鵬に負けて3敗となったところで,優勝は無理かなとも思いましたが,昨日の大栄翔戦,今日の琴櫻戦,そして決定戦は,強い大の里でした。この相撲なら,来場所は好成績で優勝して,文句なく横綱に推挙されるでしょう。安定して,この強さが出せるかがポイントですね。
 高安は勝負弱さが出てしまいました。優勝のチャンスは十分にありました。昨日の美ノ海戦の敗戦が痛かったですね。高安が千秋楽に優勝の可能性がある状況というのは,今日で9例目だそうです。いずれも優勝に手が届きませんでした。印象的なのは,貴景勝,阿炎との巴戦のときでした。このときは阿炎が優勝でした。これまで阿炎には痛いところで負けているので,今日の本割で阿炎に勝った時にはいけるのではないかというムードがありました。でも大の里が強かったです。
 今場所は,ウクライナ出身力士や美ノ海が大勝ちすることが目立つ反面,王鵬はやっぱりムラがあり,熱海富士は伸び悩みです。前頭筆頭の若隆景,若元春の兄弟は96敗で,来場所は三役でしょう。高安が小結にくれば,若元春は西から東に移るだけかもしれません。尊富士,伯桜鵬は9勝をあげて,来場所は幕内上位に上がってきます。上位にとっては脅威になるでしょうし,とくに優勝経験もある尊富士は今場所と同様,優勝争いをするかもしれません。十両は怪物草野が141敗で優勝し,十両を1場所で通過する可能性があります。加古川出身で期待していた大辻は残念ながら負け越しで,幕下に戻って出直しです。

2025年3月22日 (土)

自己とは何か

 昨日,組織のアイデンティティなので,今日は,その流れで個人のアイデンティティのことを考えると,実は免疫というのがヒントになるという趣旨のことを,YouTubeの何かの番組のなかで養老孟司さんが言っていました。生まれたばかりの赤ちゃんは自己の免疫はなく,半年くらいは母親の免疫がありますが,その後はなくなり,自分で免疫をつけていきます。そこで「自己」と「非自己」を見極めて,「非自己」を異物と認識して排除します。ここに生理学的には,自己の始まりがあるといえそうです。もしかしたら,この免疫の確立と自我の確立は関係しているのかもしれません。
 免疫との関係でいうと,たとえばiPS細胞のようなものは,自己の体細胞とはいえ,体外で培養したものなのですが,免疫拒絶反応がない(あるいは小さい)ということのようです。これは自己の範囲が広がったということでしょうか。
 そもそも私たちの細胞は数年経てば,すべて入れ替わっているので,細胞レベルでは,同一性は維持されていません。それでも前の自分と今の自分が同じ自己であるというのは,どういうことなのでしょうか。そう考えると,法律の世界では,法人と自然人という区別をして,前者は人為的に人の集合体や財産の集合体に法人格を与えたものという説明をしますが,自然人だって,動的平衡で何とか維持している「人という器」に法人格を与えているだけかもしれません。
 ところで,今日は,神戸労働法研究会で,弁護士の松尾剛行さんより,ブレインテックの話を聞きました。ブレインテックを使うと,脳にまでテクノロジーが侵入してきます。テックを使って脳のパワーアップもできる可能性も教えてもらいました。テックであれば免疫で排除しないでしょうが,その侵入は「異物」なのでしょうか,それとも,「自己」の一部となるのでしょうか。

2025年3月21日 (金)

法科大学院のプレとアフター

 歓送迎会のシーズンです。3月は送迎です。私の職場でも,多くの教員が定年か定年前の自発的退職で去っていきます。知らぬうちに勤続年数では,私は上位数人の範囲に入ってきました。これだけ出入りがあると組織の同一性がなくなるようにも思えますが,ずっとみていると,人体と同じで,「動的平衡」を維持しているような気がします(意味が違うとして,福岡伸一先生に叱られるかもしれませんが)。非常によい職場風土はずっと維持されていて,これは他の職場を経験している人の多くが語るところです。
 ただ,法科大学院が始まる前に来ていた人(プレの人)と,その後に来た人(アフターの人)との間には,感覚の違いがあるような気もします。退職者の言葉を聞いていると,プレの人は,かつては良かったけれど,法科大学院が誕生して研究環境をはじめ多くのことが悪くなったという趣旨のことを述べる傾向にあるような気がします。私もプレの人なので,その気持はよくわかります。一方,アフターの世代,とくに法科大学院を修了して教員になった人は,それ以前を経験していないこともあるでしょうし,そもそも法科大学院生OBということで,法科大学院教育にそれほど強い違和感をもっていないように思えます。実は同じ組織内でも,かなり深刻な分断があるのかもしれません(別に争いが起きているわけではありませんが)。そのうちプレ世代が退職して絶滅し,昔はこんなに良いところだったんだよという語り部がいなくなるでしょう。古き良き大学の再来を願っても,実際にそれを経験した世代がいなくなると難しいでしょうね。 私は,大学における法学部は不要になり,職業専門学校としての法科大学院だけが残ると考えているので,とりたててこうした状況を問題視する必要はないのですが。

2025年3月20日 (木)

選抜高校野球

 兵庫県の評判が下がっているなか,希望の星は,東洋大姫路です。かつては東洋大姫路と報徳学園は,県内で高校野球の全国クラスの強豪として競い合っていましたが,新興勢力の台頭で,甲子園ではあまり見かけなくなりました。ただ報徳は,ここ数年は頑張っていて,昨年春の選抜は決勝で山梨学院に負けましたが準優勝でした。ところが,期待された夏の大会は,まさかの初戦敗退でした。阪神にドラフト2位で指名された今朝丸がいたのですが,大社の勢いに飲まれました。
 そんななか,今日の選抜の初戦で,東洋大姫路が久しぶりに勝ちました。春は3年前に出場していますが,初戦敗退でした。夏は14年前にベスト8まで行っています。今回は,それ以来の甲子園での勝利でした。2022年にOBの岡田龍生監督が着任して,期待がもたれていました。履正社の監督として大きな実績があったからです。
 東洋大姫路は,何と言っても1977年の夏の大会の優勝が印象深いです。左のエース松本が,前年春にはチームをベスト4に導き,満を持しての夏の大会でした。決勝は,アイドル的な人気のあった1年生投手の「バンビ」坂本のいる東邦との戦いで,東洋大姫路は悪役となりました。延長戦に入り勝負を決めたのは主将の安井捕手でした。劇的なサヨナラ3ランでした。安井選手の強烈な個性は,いまでも記憶に残っています。
 さて,あの優勝から50年ちかく経っています。選抜の初戦の相手は21世紀枠の壱岐高校でした。良いチームでしたが,近畿のチャンピオンの東洋大姫路が負けるわけにはいきません。波乱の出だしでした。プロも注目の阪下が乱調で連続四球から2失点。なんと岡田監督は,阪下を1回で交代させました。何かアクシデントがあったのかもしれません。ところが,リリーフの木下が残り8回を2安打無失点に抑えるという完璧な投球で,準完投です。木下は打っても1点差を追う5回の先頭打者で3塁打を打ち,大量得点のきっかけをつくりました。エース乱調の大ピンチも切り抜けて,終わってみれば王者の勝ち方でした。
 今回の打線は,パワーヒッターが多そうですが,壱岐の先発投手のようなスライダー中心の軟投派はちょっと苦手にしそうではあります。どこまで勝ち進むか,楽しみにしています。

2025年3月19日 (水)

炭素循環

 テレビで,元朝日新聞記者のコラムニストの稲垣えみ子さんが出ていました。人類のグレート・ジャーニーを扱ったNHKBSの番組ですが,そこで,彼女は,家電製品を使わない人であると紹介されていました。脱原発派ということです。電気をできるだけ節約しようとしうことで,気持ちはわかります(私にはできませんが)。
 二酸化炭素は,環境問題からは悪者扱いですが,シアノバクテリアや植物が光合成をして,炭素固定してくれるから,人間ら動物は生きていけるともいえます。逆にいうと,二酸化炭素の過剰が問題であるのなら,植物をもっと栽培すればよいといえそうです。もっとも,植物も呼吸をして二酸化炭素を排出しているので,夜間は二酸化炭素の過剰排出です。できるだけ光合成をする時間を長くするなどができれば,少しは効果はあるのか,というようなことも考えたりはしますが,こんなことはとっくに専門家は考えていて,やれることはやっているでしょう。やっぱり庶民がでkることは,家電が捨てられなくても,地道に電気を節約するということにいなるのでしょうか。
 ところで,人間の身体の構成元素のうち炭素(C)は約2割です。人間は死んで火葬されると,この炭素が二酸化炭素になり,煙突から上っていきます(白くみえるのは,炭素ではなく水蒸気ですが)。その二酸化炭素は,植物の光合成によって酸素や炭素化合物(有機物)になるかもしれませんし,その植物を食べた動物の身体を構成していきます。これが炭素循環のサイクルの一つです。自分の肉体は滅んでも,そこから出された炭素は,地球のどこかで,植物になったり,動物になったり,あるいは,その他の形で存在しているのです。仏教などでいう輪廻転生というのは炭素循環のことを意味しているのかもしれません。死ぬ前に,自分の身体を構成する炭素は,次は,地球上のどの生物になるのかと考えると,死の恐怖は多少やわらぐかもしれませんが,経験したことがないので,何とも言えません。ただ環境問題を考えると,火葬されないほうがよいのかもしれません。これも議論はあると思いますが,埋葬(土葬)となると,どれくらい環境に良いのか,悪いのか。炭素循環にどう影響するのか。一度,しっかり調べてみたいです。なお,法律上は,「墓地,埋葬等に関する法律」というのがあり,埋葬(土葬)も火葬も認められています。

 

2025年3月18日 (火)

いしだあゆみ

 私の記憶のなかにある最初の歌手は,いしだあゆみさんでした。「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌っている記憶です。Wikipediaによると19681225日リリースとされているので,私が5歳のときですね。私にはそのときよりも前の記憶はあまりないので,少なくともテレビというのを観るようになったのが,このくらいの年齢だったのか,それとも我が家にテレビが来たのはこの頃だったのか,それとも来ていたけれど,親がみせないようにしていたのか,いまとなればよくわかりません。いしだあゆみという歌手・女優のとくにファンであったというわけではありませんが,まだ親の庇護の下にいた幸福な時代の記憶と彼女がリンクしているので,特別な存在でもありました。「歩いても,歩いても~」が印象的な歌詞を,意味もよくわからず,口ずさんでいたものです。
 彼女の逝去の報道では,白黒テレビで彼女が「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌うシーンが使われていました。私が5歳のときに観ていたのと同じ映像であったかもしれません。懐かしいですし,そして寂しくもあります。76歳は早すぎます。御冥福をお祈りします。

2025年3月17日 (月)

首相だけの責任ではないと思うが……

 石破茂首相が窮地に陥っていますね。自民党の1年生議員に10万円の商品券のお土産を渡したことが問題となっています。政治資金規正法に違反するかどうかよくわかりませんが,その点は別にすると,ボスが新人に小遣いを渡したようなものなのでしょう。10万円というのは庶民感覚からするとありえない額ですが,政治家の世界ではそれほどでもなく,むしろそれくらい渡さなければボスの威信にかかわるくらいの感覚であったのかもしれません。石破首相が政治の師と仰ぐ田中角栄の時代などでは,当然のように,こうしたお金を配っていたでしょうし,ケチなボスと言われることのほうが,政治家として致命的であった可能性もあります。ほんとうのところはよくわかりませんが,田中角栄だけでなく,歴代の首相もやっていたのでしょう。だから側近も止めなかったのかもしれません。でも,タイミングが悪かったです。政治とカネで自民党が大敗した先の衆議院選挙も,それは安倍派の問題であり,石破はカネにきれいであるというのが,政権延命の出発点でした。今回のことでカネにきたないといえるかはさておき,イメージがよくないです。現在の社会における市民感覚に鋭敏な人が側近にいなかったことが,まずかったように思います。「危ないから止めたほうがよい」という人がいて,首相に聞く耳があれば,今回のことは避けられたかもしれません。
 首相は多忙です。一人ですべてができるわけではありません。周りの助けを得られなければ,首相の仕事などやれるわけがありません。石破派を解散してしまい,有能な側近を手放してしまっていたことが,今回の事態を招いた遠因であったのではないかと思います。
 首相の退陣は時間の問題かもしれませんが,こういうことは国益を損なってしまいます。他に望ましい首相候補がいないので,石破さんにはもう少し頑張ってもらってほしかったのですが,残念なことになりました(まだわかりませんが)。

 

 

2025年3月16日 (日)

NHK杯の決勝

 藤井聡太竜王・名人(七冠)が,NHK杯で勝ち,2回目の優勝をはたしました。NHK杯の決勝は,過去2年は佐々木勇気八段との対戦で,1昨年は藤井竜王・名人が,昨年は佐々木八段が勝っていました。3年連続の期待もありましたが,佐々木八段の夢を打ち砕いたのが郷田真隆九段で,郷田九段は,佐々木大地七段,佐々木勇気八段,八代弥七段と勢いのある若手を撃破し,さらにA級順位戦で最後まで挑戦を争った佐藤天彦九段,そして来期にA級昇級が決まっている近藤誠也八段にも勝って,意外といっては失礼ですが,大活躍でした。決勝戦も,途中までは互角のスリリングな対局でしたが,最後は藤井竜王・名人の際どい寄せが決まりました。今期は,一般棋戦は,JT杯,銀河戦,朝日杯と優勝を逃していたので(それぞれ渡辺明九段,丸山忠久九段,近藤八段が優勝) ,最後にNHK杯で優勝できて安心したでしょう。羽生世代の郷田九段も,まだまだ強いというところをみせてくれて良かったです。
 藤井竜王・名人がすでに敗退している叡王戦の準決勝で,斎藤慎太郎八段が,永瀬拓矢九段に逆転勝利をあげて,決勝で糸谷哲郎八段と対戦します。関西勢のタイトル戦登場が確定しました。伊藤匠叡王も強いですが,藤井竜王・名人よりは勝てる確率が高いでしょうから,関西に久しぶりにタイトルを持ち帰ってほしいです。永瀬九段は,王将戦に続き,すでに挑戦が決まっている名人戦と併行して叡王戦があるかもしれないという状況でしたが,名人戦のみとなりました。
 順位戦の最後のC2組は,ちょっとしたドラマがありました。91敗で並んでいた池永天志六段 山本博志五段,上野裕寿四段は,勝てば昇級で,負ければ運がよければ昇級という状況でした。82敗の上位5人にも昇級の可能性があり,順位の関係で岡部怜央五段,髙野智史六段,佐々木大地七段,狩山幹生五段,黒沢怜生六段の順にチャンスがありました。このうち山本八段と佐々木七段だけが直接対決です。最初に黒沢六段が勝利。その後,狩山五段が2018分に勝利,続いて2140分に高野六段が勝利。2211分に岡部五段の勝利となり,この時点で狩山五段と黒沢六段の昇級はなくなりました。その後,上野四段が大逆転で2338分に勝利し,みごと昇級し五段への昇段を決めました。1期抜けの快挙です。これで高野六段と佐々木七段の昇級がなくなりました。その後,
池永六段が,0時に,瀬川晶司六段に敗れて2敗となりました。瀬川六段には失礼ですが,かなり意外な結果なのですが,これで64敗となって降級点が1つ消える大きな勝利でした(C2組は降級点が3回つくとフリークラスに陥落)。この時点で池永六段は82敗となり岡部六段と並び,順位の関係で岡部六段より下になりました。山本五段が勝てば,昇級は岡部五段のみ,山本五段が負ければ,池永六段も昇級できるという状況になりました。ただこのときすでに山本五段は必敗の状況で,0時4分に投了となりました。山本五段は惜しくも昇級を逃し,上野五段,岡部五段,池永六段の昇級となりました。C2組は,実力があってもなかなか脱出できず,2度のタイトル挑戦経験のある佐々木大地七段でさえ,このクラスに来期で9期目となりますし(今期は82敗で,来期は,C1組から6人降級してくるので,順位は8位となりそうですが,実質的には2位といえるでしょう),他の棋戦での活躍が目立ち今期順位が4位であった八代七段(来年で14期目)や順位が3位であった梶浦宏孝七段(来期で11期目)も,今期はともに64敗で,来期は大幅に順位をさげて苦しい状況となりそうす(佐々木七段や八代七段は実力的にはB級1組レベルと言われています)。この3人にタイトル挑戦経験が1度ある本田六段(今期は55敗で,来期で7期目)を含めて,C2組四天王と呼ばれるようですが,このありがたくない称号から,来期は誰か脱することができるでしょうか。

 

 

2025年3月15日 (土)

コロナの教訓

 朝ドラの「おむずび」をみていて,2020年のコロナ騒動のことを思い出しました。いまから思えば過剰な警戒をしたものですが,あの時点では個人的には最善の行動をしたような気がします。いま冷静に振り返ったとき,ロックダウンを避け,経済活動を止めず,集団免疫により感染拡大の収束を図るという考え方はありえたのだろうか,という気がしないわけではりませんが。
 コロナで重症化する可能性が高いのは基礎疾患がある人など限られているという情報は早い段階で流れていたと思いますが,それでも日本政府がスウェーデンのような集団感染重視の方針をとらなかったのは,医療崩壊を避けるということもあったのでしょう。「おむすび」では,医療崩壊は出てきませんでしたが,その危険性を感じさせるシーンがあり,あのときの恐怖がよみがえってきました。
 ワクチンの接種により感染や重篤化を避けるというのが現実的な対策であったのかもしれませんが,ワクチン提供の遅延というものが大きな問題となりました。ワクチンの接種証明というのも懐かしい話です。
 労働法の観点からは,新たな感染症の到来にそなえて,感染リスクを避けることをきちんと理論化しておく必要があるでしょう。いざ感染症が起きたときに,感染したくないという労働者の気持ちは正当なものであり,それをどう実現していくかということです。政府が集団感染方針をとったとしても,労働者からすれば,企業によってそれをただちに強制させられるわけではありません。私たちの生存は,感染によっても,経済活動のストップによっても,危険にさらされるということをふまえ,どのような政策が最も望ましいかを,いまの段階から考えておく必要があります。厚生労働省では,きっとやっていると思いますが。

 

 

2025年3月14日 (金)

労災保険制度の在り方

 ビジネスガイドで連載中の最新号(956号)の「キーワードからみた労働法」のテーマは,「労災保険制度の在り方」でした。先日,規制・制度改革学会の雇用分科会でも,このテーマでプレゼンをしました。あんしん財団事件・最高裁判決に触発されたもので,また現在,厚生労働省でも研究会が開催されているので,旬のテーマだと思い,私なりの尖った意見も含めて,労災保険制度の「独り歩き」問題について解説しています。労働者性の判断の困難性(労働者性が問題となる裁判では,労災事件が比較的多い),脳・心臓疾患や精神障害の業務起因性の判断の困難性というのが基底的な問題意識としてあります(労災保険という保険制度がなぜ存在しているかという根幹的な問題に関わります)し,加えて,個別的な論点としては,メリット制は災害防止のインセンティブとして機能しているのか,災害補償責任が無過失責任であることと注意義務の履行へのインセンティブを与えることを目的とするメリット制は整合性があるのか,業務起因性がなく保険料を増額すべきではないと判断された場合でも支給処分が取り消されないのは,どのような「理論」的な根拠によるものか(実際上の理由はよくわかりますが),特別加入制度は労働者に準じる要保護性がある就労者のための特別の任意加入制度であるという建前は放棄されたとみてよいのか,もしそうなると労働者の業務災害の保険という意味は希薄化しそうであり,労災保険の性格に変化が生じることにならないか,さらに,労災の補償は民事損害賠償と労災保険の「分業」であるという観点からゼロから総合的に補償システムを考えた場合,どういう制度が考えられるかなどなど,いろいろな論点が出てきます。厚生労働省では採り上げられない論点だろうと思いますが,研究者の立場からみて,たとえ実務上難しいとしても,思考実験として,公正で効率的な労災補償制度とは何かということを,自分なりの切り口で考えていければと思っています。

 

 

2025年3月13日 (木)

『障害者雇用促進法・障害者総合支援法』

 永野仁美・長谷川珠子・富永晃一・石﨑由紀子『詳説 障害者雇用促進法・障害者総合支援法―多様性社会の就労ルールをひもとく』(弘文堂)をお送りいただきました。執筆者の皆様,どうもありがとうございました。前書『詳説 障害者雇用促進法―新たな平等社会の実現に向けて』も手元に置いている本でした。今回は,石﨑さんが執筆者に加わってパワーアップしたことでしょう(また本書は,類書の長谷川珠子・石﨑由紀子・永野仁美・飯田高『現場からみた障害者の雇用と就労』の後継書でもあるようです)。前書と比べて,障害者総合支援法がタイトルに入り,サブタイトルが変わり,平等から多様性を意識したものになりました。法学的な平等・差別よりも,人事管理的な多様性(ダイバーシティ)の概念が使われたようですね。本書は理論書ではなく解説書をめざしたもののようですが,レイアウトも含めわかりやすく作られていて,とくに障害者法を専門としない者にはとても有り難いです。

 以下は,本書とは関係なく,障害者政策という点から,いま考えていることを2つ書いてみます。障害者政策を考えるうえで,「雇用さもなければ福祉」という雇用優先主義という考え方が強いように思います。障害者の自立や社会参加の支援(障害者基本法1条も参照)という視点からは,こうなるのかもしれません。私もずっとそう考えていたのですが,AI時代における労働というものを考えていくなかで,「福祉,可能であれば雇用」くらいがちょうどよいのではないかと考えを変えつつあります。社会保障一般も,「生活保障,可能であれば雇用」でいけないかと考えています。きちんと理論化して提案したいと思いますが,この問題意識からすると,障害者政策の基本は福祉であるべきで,雇用への(ゆきすぎた)誘導は危険であり,そうした誘導がないかのチェックが必要だということになります。
 もう一つは,障害者政策を考えるうえでも,やはりデジタル技術が重要だということです。障害者への行政サービスなどを含め,デジタル・デバイドの弊害が最も現れやすい障害者が,実はデジタル技術の活用を最も必要としていると思います。障害者雇用という文脈では,企業の合理的配慮の話となり,そうすると「過重な負担」とならないかという議論となってしまうのですが,少なくともテレワークについては,合理的配慮の別枠として,企業に強く実施を求める政策が展開されるべきだと思います。高齢化すると誰もが障害者になりうることを考えると,これは私にとっても他人事ではなく,テレワークができるかできないかで,老後の経済的自立の可能性が大きく変わると強く実感しています。

2025年3月12日 (水)

花魁の身請け

 NHK大河ドラマの「べらぼう」は毎回観ています。前回は,花魁の瀬川の身請けのシーンでした。蔦重(蔦屋重三郎)との恋愛は儚く破れました。現実を直視させられた蔦重は,これから幾多の妨害を乗り越えながら,出版業で出世していくことになりそうです。
 ところで,吉原の花魁は,楼主との間で,今日的にいうと,芸娼妓契約を締結しているということになるのでしょう。芸娼妓契約は,1955107日の最高裁判決において,公序良俗違反で無効とされ,さらに不法原因給付として,借金も返さなくてよいとされました(民法90条,708条)。かつては,芸娼妓としての稼働契約は無効だが,消費貸借契約の部分は有効とする大審院の判例(1914512日など)がありましたが,戦後はそういう考え方は見直されたのです。
 瀬川は年季が明けるまえに,大金持ちによる「身代金」で,花魁から解放されるのですが,もともとなぜ花魁になったかというと,それはおそらく親の前借金のために働きに出されたということでしょう。昔から,この「職業」がなくならないのは,極貧のなかで餓死するくらいなら,身を売っても生きながらえたほうがよい,あるいは少なくとも家族は助けられる,ということだからだと思います。貧困問題がなくならいかぎり,売春はなくならないというのと同じです。現在は売春は禁止されています(売春禁止法3条)が,それなら貧困対策をきっちりせよという声がほんとうはあるはずです。
 ところで,大学生のときに民法の米倉明先生の授業で,利息制限法について,利息の上限を設定するのは,一見,庶民の助けになりそうではあるが,庶民にとっての金融の道を妨げるという弊害もあるということを聞いて,なるほどそういうものかと思った記憶があります。規制の副作用というのは常にあるのであり,これは経済学では常識的なことですが,法学ではしばしば見落とされがちなことです。
 吉原の花魁は,楼主のあくどさは,8つの徳を失った「忘八」と呼ばれるくらいですが,それでも彼ら・彼女らがいるから,遊女やその家族の生活も支えられるという面もあるのです。とはいえ,今日の観点からは,職業安定法違反,労働基準法は6条をはじめ多くの規定に抵触するでしょう。梅毒にかからないようにするといった安全配慮義務違反もあるでしょう。そのとき,この人たちは労働者かどうか,というようなことで頭を悩ませるのが労働法学者ですが,労働者であろうがなかろうが,ダメなものはダメです。前借金相殺はダメ(労働基準法17条),最低就労年齢は厳守(同法56条),親が勝手に契約を結んだり,報酬を受けとったりしてはダメ(同法58条,59条)というのは,法的な意味での労働者かどうかに関係のない普遍的なルールでしょう。
 そのうえで考えなければならないのは,法的にダメなものでも,生活のためというときにどうすればよいのかです。もしかしたら現在でも,実際上は,現代版の女衒がいて,現代版の遊女として働かされている女性がいるかもしれず,そうなると,これを江戸時代の話とばかりは言ってられません。労働と自己決定について,福祉の貧困が自己決定の選択肢を狭めているといった問題があり,これは,労働法の問題も,広義の社会保障(生活保障)の枠内に位置づけなければならないということを示しているような気がします。
 なお,遊女とはまったく違いますが,京都の舞妓さんが労働者かという問題について,数年前に厚生労働大臣の答弁をしています。こちらは芸のプロフェッショナルとして零細事業主といえるかという問題でしょうが,きちんと契約が結ばれていなかったり,未成年者でありながら仕事中に飲酒をしたりすることもあるということで,記者が質問していました。大臣は,労働者性があるかや「置屋」に事業場性があるかなどは,ケースバイケースの判断であるという趣旨の答弁をしています。ただここでも,飲酒はさておき,労働法に関係する部分については,労働者かどうかに関係なく,道徳的な観点から,ダメなものはダメというものがあるような気がします。

2025年3月11日 (火)

王将戦終わる

 藤井聡太王将(竜王・名人,七冠)に永瀬拓矢九段が挑戦していた王将戦の第5局は,藤井王将が勝って41敗で防衛しました。これで藤井七冠はタイトル獲得が28期になり,谷川浩司17世名人の27期を抜き,羽生善治九段,大山康晴15世名人,中原誠16世名人,渡辺明九段に続く歴代単独5位で,現役でも単独3位となりました。このままいくと,今年中には渡辺九段(31期)を抜く可能性があります(藤井七冠は,次は名人戦で,その途中で棋聖戦,王位戦があり,王座戦,竜王戦と続きます)。驚異的なスピードです。永瀬九段は,この対局では,ほとんど見せ場をつくれなかったと思いますが,次の名人戦で出直しでしょう。本人は2日制の棋戦に慣れていなかったと言っています(2日制は,名人戦,竜王戦,王将戦,王位戦です)。王将戦の経験を,名人戦でいかしたいところですね。
 女流棋戦では,八大タイトルのタイトル戦を,ずっと福間香奈女流5冠と西山朋佳女流3冠との間でやっています。福間女流5冠は産休で休んでいましたが,復帰後はずっと勝っていて,タイトル戦でも先日,女流王座戦が行われて3連勝で防衛しました。女流名人戦の初戦も勝っています。西山さんはプロ棋士挑戦が惜しくも失敗に終わり,プチ不調になっているかもしれませんが,そろそろ巻き返してくることでしょう。それにしても,この二人とそれ以外の女流棋士の差があまりにも大きすぎます。他の女流棋士も頑張ってもらいたいです。

2025年3月10日 (月)

新たな政治思想の必要性

 Trump大統領の登場で,他人のことを悪く言うことは問題がないという意識が世間に広まったと思います。日本の小学生でも遠慮して言わないようなことを,あの大統領はこれまでも言ってきました。欲望むき出しの粗野な野蛮人という感じです。それを隠すためにスーツとネクタイを着用していますが,それが逆にいかがわしいです。
 ホッブズ(Hobbes)は,国家ができる前の「自然状態」は「万人の万人に対する戦い」と述べていました。人間は生存のために戦うのですが,それだけでなく欲深い存在だということです。アダム・スミスが人間の利己的な行動を肯定したのは,見えざる手で調整されるからというよりも,人間には道徳感情があり自制的であると考えていたことがむしろ重要なポイントでした。利己的な行動だけであれば,まさにホッブズ的な自然状態になりかねません。
 しかし,いまのTrump大統領をみていると,領土に対する欲望は丸出しで,恫喝も辞さないという恥も外聞もない利己主義外交を展開しています。この国もまた「ならず者」国家だという気がします。彼は軍事戦争は嫌いなようなので,グローティウス(Gloutius)やホッブズのいた30年戦争のころとは違うかもしれないのですが,Trumpがしかけている経済戦争・貿易戦争も,現代では,生存に影響しかねない点では同じです。Trumpのような人が出てきたことをふまえ(ただ,これは彼の問題というより,こういう人をうんだアメリカの政治的・社会的状況の問題というべきでしょう),新たな政治思想に基づく国際平和の枠組みが必要なのかもしれません。

2025年3月 9日 (日)

ZoomからTeamsへ

 大学のWeb会議ツールについて,この4月から, ZoomからTeamsに契約を切り替えることになりました。Zoomの利用を継続したければ,私費か研究費を使用せよということです。お金がない私は,仕方がないので,授業のオンラインもTeamsに切り替えることにします。Zoomで何も問題がなかったので残念ですし,面倒です。何か費用面で大きな差があったのでしょうか。Teamsは,中央官庁では利用しているところが多かったのですが,慣れの問題かもしれないものの,使い勝手が悪かったので,あまり良い印象はもっていません。兵庫県ではWebEXで,これも使いにくいです(Google Meetは,ほとんど使ったことがありません)。複数のサービスが競合してサービス競争をしてもらったほうが結局は利用者のためになり,むしろ特定のサービスにロックインされるほうが危険だとはいえるのですが,スイッチ期の当初のトラブルが起こらないか心配です(事業者としては,できるだけ独自性のあるシステムを作ったほうが,スイッチングコストが高くなり,利用者をロックインさせやすくなるのでしょうが)。
 PCはSurfaceを主として使っているので,Microsoftで統一できるTeamsのほうがよいといえそうなのですが,Teamsの利用のメリットはあり感じられません。ちなみに検索エンジンのBingも,Googleより劣るように思います。ブラウザーも,Google Chromeを利用していて,Microsoft Edgeはあまり利用しません。ブラウザーも検索エンジンも,こちらは乗り換えが簡単なので,良いとわかったほうを使いたいと思いますが,いまのところはGoogleに軍配があがっています。
  LMS(学習管理システム)は,これまでGoogle Classroomを主として使っています。大学独自のLMSもあるのですが,何度か切り替えがあったりして,面倒になったので,あまり使っていません。困っている人のために,情報関係の専門の助手の方はいるのですが,相談すること自体,面倒です。システムの契約は,利用者の利便性をふまえてじっくり検討したうえで,長く持続できるものにし,そう簡単に切り替える必要がないものにしてもらいたいです。切り替えがテクノストレスになって,仕事の生産性を下げることになります。なんてことを言っていると,DXに対応できないおじさんの繰言のようですが。
 企業がDXを推進するためには,やはり従業員にストレスなく導入できるようにする必要があります。手順がよく変わるというようなことがないようにすることは必須です。ちなみにE‐Taxは,確定申告のために1年に1回しか使いませんが,よく画面が変わっている気がします。ただ,基本的には,使いやすくなる方向に変わっており,しかも本質的な構造は変わっていないので,ストレスは感じません。おそらく国も,納税者がやりやすいように必死に考えてくれているのだと思います。お役所もやろうと思えばできるのです。

2025年3月 8日 (土)

ポトラッチ

 江戸時代の庶民の価値観に「宵越しの金をもたない」というものがあったとされます。「稼いだ金は貯め込まず,その日のうちに使う」ことが粋とされました。「粋」は当時の重要な価値観であり,それと対極的なのが「無粋」で,そういう行動をとる人は「野暮」と言われます。
 ポトラッチ(potlatch)は,Wikipediaによると,「アメリカ合衆国およびカナダ・ブリティッシュコロンビア州の太平洋岸北西部海岸に沿って居住する先住民族によって行われる祭りの儀式」と説明されています。「贈答競争」などとも呼ばれ,部族長が派手に振る舞ったり,大事なものを壊したりするというものです。これも「宵越しの金をもたない」の精神と似ています。
 余剰があれば,貯め込んだり,投資に回したりというのが現代的な発想というか,資本主義的な発想なのですが,余剰を「資本」と考えないで使い切るというのが,江戸時代の庶民の発想であったり,ポトラッチをする部族の発想であったりするのです。投資をして富を増やすことが環境に良くないということを先祖伝来の教えで知っていたのかもしれません。もちろんポトラッチは,部族長がその権威を示したり,振る舞われた人に貸しをつくろうとしたりするなどの意図もあったでしょうし,江戸時代の人は粋がることで,見栄をはるということもあったのでしょうが,環境という面からみると,一見もったいないような行為が,実は環境に良いということもあったのだと思います。
 ところで,老後2000万円問題にみられるように,投資や貯蓄などが大事という話になるのは,将来に不安があるからです。江戸時代は,いまよりもっと未来が不確実で,いつ死ぬかわからないなかで,刹那的な生き方をせざるをえなかったのかもしれません。逆にポトラッチは,散財しても,生きていくのに必要な食料資源が確保できる見込みがあるなかで行われたとみられます。こうした時代に比べて,もしかしたら現代のほうが,一見,富に溢れているようでも,実は必死に財を増やさなければ生きていけないという状況に追い込まれているようにも思えます。資本主義は,貨幣があれば何でも手に入るかもしれませんが,貨幣がなければたちまち野垂れ死にです。ポトラッチをしている狩猟採集民のほうが豊かであるかもしれず,また江戸時代の人たちのほうが割り切っていて,私たちは,どちらと比べても,貧しい生活をしているのかもしれません。

2025年3月 7日 (金)

順位戦

 B1組は,羽生善治九段が大橋貴洸七段に敗れて48敗となり,B2組に陥落することになりました。勝てば残留で,こういう大一番では負けない人でしたが,さすがに年齢による衰えは隠せないところでしょうか。王位戦リーグなどでは好調なので,順位戦に星が集まらなかったということかもしれませんが,まさか羽生九段がB1組を3年しか在籍できなかったというのは驚きです。歴史に残る大棋士ですが,順位戦は厳しいです。世代交代は急速に進んでいますね。そのなかでは,同世代の佐藤康光九段が残留を決めているのは光ります。
 これで今期の順位戦はC2組を除き,すべて終わりました。A級はプレーオフで,永瀬拓矢九段が佐藤天彦九段に勝ち,王将戦に続いて名人戦への出場を決めました。陥落は,菅井竜也八段と稲葉陽八段です。B1組は,昇級は近藤誠也八段と糸谷哲郎八段,降級は,羽生九段,三浦弘行九段,山崎隆之九段です。B2組は,服部慎一郎七段,伊藤匠叡王,青嶋未来七段が昇級です。服部七段と伊藤叡王は二期連続の昇級で,いよいよ鬼の住処のB1組です。二人とも次期もA級昇級候補でしょう。なお服部七段は,順位戦最終戦に勝って歴代最高勝率に向けて,あと3連勝となっています。C1組は,斎藤明日斗六段,藤本渚六段,佐藤和俊七段の昇級となりました。佐藤七段は46歳での昇級でびっくりです。
 今回の昇級者をみると2年後のA級は伊藤叡王,服部七段,藤本六段は入っていそうです。そうなると,現在のA級から3人がはじきとばされるわけです。そのときの勢力図は,藤井聡太名人,永瀬九段,佐々木勇気八段,増田康弘八段,近藤八段あたりが中核になると予想されます。渡辺明九段,天彦九段がどこまで頑張れるか,関西勢の豊島将之九段,糸谷哲朗八段もどこまで粘れるかが注目です。やや実績に劣る中村太地八段(ただし王座1期は光っています),千田翔太八段が降級候補となりそうですが,意地をみせるか,というところでしょう。

2025年3月 6日 (木)

政体循環論

 古代ギリシャの歴史家ポリュビオスの政体循環論というのは,政治学においては,どれくらい有力な見解なのかわかりませんが,アリストテレスの6政体論と並んで興味深いものがあります。宇野重規『西洋政治思想史』(有斐閣)によると,「政治体制には王政・貴族政・民主政の三つがあるが,これらは長く続くと腐敗や制度の老朽化により,それぞれ僭主政,寡頭政,衆愚政へと堕落する。人々を抑圧する僭主政は少数の貴族によって打倒されるし,自分たちの利益だけを優先する寡頭政は民衆の蜂起によって打倒される。そして衆愚政に陥った民主政はやがて独裁者を招き寄せるというように,この六つの政体は永遠に循環を続けるとポリュビオスは主張した」とされています(2829頁)。ちなみにアリストテレスの6政体は,支配者の数と公共の利益にかなうかどうかで区別され,一人の支配は,王政・僭主政,少数の支配は貴族政・寡頭政,多数者の支配は国政・民主政(それぞれ前者が公益にかない,後者がかなわない)と位置づけています(22頁表11)。アリストテレスが現実的に最善としたのが国政(politeia)で,これは寡頭政と民主政を混合したものだそうです。そこでは「支配と服従の両方を経験した中間階層の役割が必要とされ」ています(22頁)。
 ところで,ポリュビオスの政体循環論の枠組みを使うと,アメリカは衆愚政から王政へ移行しつつあるという捉え方もできそうです。もちろん,民主党時代の政治が衆愚政であったというわけではないでしょう。ただ民主政が機能不全となったあとには王政や独裁制が登場し,私利私欲に走る僭主政に陥るおそれがあるというように循環論を理解すると,現在のアメリカにもあてはまるかもしれません。政治学者の意見を聞きたいところです。
 それとは別に,アメリカの憲法秩序が,現実の政治の前に,ボキボキと音を立てて崩れていっているような気もします。悠長に憲法論なんてやってられないかもしれません。憲法で禁止されている3選だって,Trump大統領がその気になればやれるかもしれないのです(禁止されている3選は,連続3選だけであるという解釈など)。
 アメリカで起きていることは,日本にも波及するかもしれません。日本は大統領制ではないものの,たとえば自治体の首長は,大統領制と同様の二元代表制です(首長と議員の双方を住民が選べます)。ちなみに国政では,首相を選ぶことはできず,議員をとおして選ぶという形になっている議院内閣制です。自治体の首長は,国政レベルの首相よりも,議員に対して強い対応をとることができる可能性があります。国政の首相と違い,直接,住民に選ばれているという点で民意を反映していると主張しやすい立場にあるからです(議会の構成員である議員とは違い,首長は個人である点に強みがあります)。ましてや議会の不信決議案を受けたあと,失職したが再選されたとなると「最強」です。一方,現在の石破首相のような少数与党になれば,民意という点では野党の方に分があるともいえます。
 地方の二元代表制は,民主政のメリットとデメリット(リスク)が如実に現れるのです。良識ある住民が選挙で沈黙すると,民主政は衆愚政になり,そして王政が出現し,僭主政に陥るおそれがあるということを,私たちは心のどこかにとどめておいてもよいかもしれません。

 

 

2025年3月 5日 (水)

関税戦争に思う

 世界史で習ったことがあるイギリスの19世紀初頭の穀物法。国内農業を保護するために穀物の輸入に高い関税を課す穀物法をめぐり,著名な経済学者であるマルサス(Malthus)とリカード(Ricardo)が対立していました。マルサスは,人口論で採り上げたばかりですが,彼は穀物法について,国内の農業が守られることで,多くの雇用を生み,地方の経済を支えるとして,これに賛成でした。一方,比較優位論で有名なリカードは,関税によって食糧価格が高騰すれば,一般市民の生活が圧迫されるし,またその比較優位論で,各国は最も効率的に生産できる分野に特化し,貿易を通じて互いに利益を得るべきであるとして,穀物法に反対していました。
 現在のトランプ(Trump)政権は,貿易赤字のある国を対象に関税を引き上げようとしています。マルサス的な保護主義の支持者は,関税が国内産業の競争力を高め,雇用を守ると主張するでしょう。なかでもトランプ支持者の多いラスト・ベルト(rust belt)地区では,その地区の製造業が外国の安価な輸入品に押される中,政府による介入が必要だと考えます。一方,リカード的な自由貿易の支持者は,関税が消費者価格の上昇を招き,経済全体に悪影響を及ぼすとし,自由貿易こそがアメリカや世界の経済成長を促すと考えます。
 どちらも一理ありそうですが,そもそも貿易赤字が発生しているのは,ドルが高すぎるためであり,それは裏を返せばアメリカ経済の強さを示しているのであり,貿易相手国の責任ではないのかもしれません。さらに輸入製品の品質がアメリカ製品よりも高ければ,関税を引き上げても,アメリカの国内製品に置き換わるわけではありません。結果として,アメリカの消費者が関税分を上乗せされた高い価格の製品を買わされるだけになる可能性が高いのです。
 結局,トランプ政権は関税を経済政策というよりも,外交におけるディールの条件として利用しているのでしょう。しかし,こうした高圧的なビジネス手法で外交を進める国が,長期的に栄華を享受し続けられるとは考えにくいです。関税は一時的な効果をもたらすかもしれませんが,長期的には経済や国際関係に良くない影響を与えるものであることは歴史が示していると思います。アメリカの関税の刃は,日本にも向けられていますが,タリフマンなどといって調子に乗って関税を引き上げてくるアメリカ大統領は,いつか手痛い報いを受けるのではないでしょうか。

 

 

2025年3月 4日 (火)

選挙ゴロ

 兵庫県知事選の余波はまだ残っています。兵庫の維新は厳しい状況にありますね。
 いま振り返れば,あの選挙は,立花氏が登場してから,「ちょっと知ってる,あなた。実はね……」という噂話がネット上で伝播して,それを多くの人が口にするにつれて,それだけ多くの人が言うのなら正しいのだろうということになって,その結果が,あの知事の大逆転勝利につながったように思います。人間は,噂話は好きです。というか,人間の言葉は,噂話をするためにあるという説も有力です。昔は,噂の輪に入っていることが,生存のために必要でした。150人というダンバー(Dunbar)数は,噂話でつながることができる人の限界の数字を指しています。ただネット時代には,この限界はなくなり,無限大に広がってしまいました。
 しかし,噂はしょせんは噂です。真偽は確かではありません。そして真偽はほんとうに明らかにされるかもしれません。今回の件では,選挙だから民意で決まるという議論は危険であり,勝てば官軍では困ります。きちんとした検証ができていないところに,知事の正統性も,盤石とならない原因があるのです。
 ところで,法哲学者の大屋雄裕さんが,ジュリスト1605号の時論で,「自由な選挙を支えるもの」という論考を書いています。立花氏のような「選挙ゴロ」は昔からいたとし,そういう人が出てくる背景に選挙制度があるとしています。大屋氏は,いったんは絶滅した「選挙ゴロ」が蘇った背景には,「アテンション・エコノミー」があるとします。「善悪良否を問わず人々の耳目をそばだてる『注目』の喚起がカネになるエコシステムがアテンション・エコノミーだとすれば,現代の選挙ゴロたちが活用しているのはまさにそれにほかならない」とします(109頁)。原因がわかれば対応策もありそうですが,大屋氏は,原因は,結局のところ,「彼らの活動が一定のインパクトを得ているのは,一般市民の得票率が低く,選挙活動や政治活動にも積極的に―聴衆としてでさえ―参加しないためにほかならない」と述べています(111頁)。政治家の日常の活動やそれを支える市民の運動というような政治文化がきちんと根付いていれば,政治ゴロの活動できる余地は小さくなるということでしょう。選挙ゴロを,規制で力づくで押さえつけるというのは,自由な選挙の死となるので危険なことです。そして,それこそが実は選挙ゴロの真の狙いかもしれないのです。
 
 人間は,噂に影響されやすい動物です。「人の噂も75日」と言いますが,そんな不安定な噂で,知事や議員が選ばれないようにするためには,どうすればよいでしょうか。認知バイアスの一つに「確証バイアス」というのがあり,たとえば,インフルエンサーの意見などをついつい信じ込んで,他の意見が耳に入らなくなるという傾向が人間にはあるのです。兵庫県知事選でもそういうことが起こった可能性があります。やっぱりいろんな人の意見を聞いて,自分の頭で冷静に考えて,知らぬまに誰かの意見に洗脳されていないかという自己点検を怠らぬことが,平凡ではあっても,堅実な対策なのでしょう。

2025年3月 3日 (月)

正装について

 今日はひな祭りですね。お内裏様とお雛様たちが綺麗な服を来ています。とりわけお雛様は綺麗です。十二単は,女性貴族の正装ですが,着るのにさぞ大変だったことでしょう。
 ところで,衣食住といいますが,食の重要性は私たちにとって明らかですし,住もそうでしょうが,衣はどうでしょうか。生物のなかで,衣類を着用するのはホモ属からです。サピエンスの親戚でも,初期のホモ属はアフリカに住んでいたので裸族であった可能性が高いですが,ホモ・エレクトスのように寒冷地にまで進出した場合には,寒冷対策として衣類を着用していた可能性が高いようです。縫製技術をもっていたのは,サピエンス以降のようです。ただ初期のころは,動物を捕獲してその毛皮を肩からかけていたり,頭からかぶったりしていただけかもしれません。寒冷地では,毛皮の靴を履いていた可能性もあるでしょう。
 ホモ・サピエンスの衣服は,生存のためというより,社会的機能のほうが重要です。どのような服装かによって,本人の社会的地位を誇示できます。お雛様の十二単もそうです。現代の成人男性のビジネスの正装はネクタイを締めるスタイルでしょうが,このスタイルは冷静にみるとかなり奇異です。ネクタイに実用的な意味があるとは思えませんし,男性性器の象徴とみるならば卑猥なものと言えなくもありません。むしろネクタイは良い仕事をするうえでの邪魔となるともいえます。南国では,ネクタイのスタイルは,本気で仕事をする気がない気楽な立場の人とみられるかもしれません。南国では,ネクタイのスタイルは,本気で仕事をする気がない気楽な立場の人とみられるかもしれません。反権力や自由という観点から,あえてネクタイをしないというスタイルをとっている人もいますね。
 十二単のような面倒くさい服装は,普通の人には着ることができず,社会的に高い地位を象徴するという意味があったでしょう。古代ローマ時代のTogaもその例でしょう。奴隷に着せてもらっていたはずであり,奴隷をもてるような地位にあったからTogaを着ることができたのです。ただ,奴隷制も徐々に縮小し,それにともない,面倒なTogaも廃れていきました。
 ネクタイ文化もいずれ廃れていくと思いますが,社会的動物である私たちは,新たな面倒くさいファッションを生み出して,それが社会的地位を象徴するというようなことになるかもしれません。将来は,ロボットをもてるような富裕層だけが,ロボットに着せてもらう手間のかかるというような服装が出現するかもしれませんね。

 

2025年3月 2日 (日)

棋王戦終わる

 藤井聡太棋王(竜王・名人,七冠)に増田康宏八段が挑戦した棋王戦5番勝負の第3局は,藤井棋王の2連勝を受けて行われましたが,千日手指し直しの後,藤井棋王が勝って3連勝で防衛となりました。これで3連覇です。実はこの日はNHK杯でも両者が戦っており,藤井棋王が,絶体絶命の状況から大逆転をしました。NHK杯の準決勝で顔を合わせ,棋王戦のタイトル戦でも顔を合わせるのは,増田八段の充実ぶりを示すのですが,藤井棋王には歯が立ちませんでした。これで藤井棋王は,永瀬拓矢九段との王将戦に集中できますし,叡王戦は敗退したので,名人戦に向けた十分な準備もできるでしょう(NHK杯の結果はすでに出ているかどうかわかりませんが,こちらも番組上は優勝まであと1勝となりました)。
 名人戦の挑戦者については,佐藤天彦九段と永瀬九段のプレーオフになりました。両者は3年前のA級順位戦で,コロナ禍のときに天彦九段がマスクが外れた状態で対局したことについて永瀬九段がクレームをつけて,天彦九段が反則負けになったことがありました。イエローカードなしの一発レッドカードという厳しい裁定でした。因縁の対決というほどではありませんが,最近では振り飛車党に転向して活躍しており,元振り飛車党である永瀬九段がどう受け止めるか注目です。天彦九段は,名人位3期をもち実績は十分。永瀬九段はタイトル戦出場は常連となっており,王座などのタイトル獲得もありますが,名人や竜王のビッグタイトルはまだです。とくに将棋界では名人をとったことがあるかどうかが格としては重要なので,永瀬九段はこのチャンスをしっかりつかみたいでしょう。
 もう一つ,気になっているのが,服部慎一郎七段の勝率です。9割に到達してから3連敗して大きく後退しましたが,その後,2連勝して,387敗で,勝率は0.8444です。中原誠16世名人の歴代最高記録は478敗の勝率0.8545です。服部七段は4連勝すれば逆転しますが,どうなるでしょうか。年度内に4つくらいの対局はありそうです。羽生善治九段と棋聖戦決勝トーナメントの初戦で対局が予定されているので,3月中に対局があれば,ここで勝って最高勝率を決めたいと本人は考えているかもしれません。なお,1敗しても9勝すれば,同率で並びますが,さすがに10局の対局はないでしょう。ということは,服部七段は1敗もできない状況で,記録に向けてスリリングな対局を続けていくことになりますね。

 

 

2025年3月 1日 (土)

人口論

 有名なマルサス(Malthus)の人口論は,農業生産性と人口増加を比較した際に,後者のほうが速いペースで進むため,人口抑制の必要性を説いたものです。彼は救貧政策を人口増加を助長するものと捉えて批判していました。しかし,現代では農業生産性が飛躍的に向上し,食料不足の懸念は薄れたようにみえます。そのため,かつてのような人口政策の必要性は低下したかのように思えます。しかし,人口増加がもたらす環境負荷や,工業的な食料生産が地球環境に及ぼす影響を考慮すると,依然として人口問題は人類の持続可能性にとって重要な課題であり続けています。
 中世において人口が大きく増加しなかった背景には,医療の未発達だけでなく,飢饉,感染症,戦争といった要因が常に存在していたことが挙げられます。一方,日本では戦後,これらのリスクが大幅に低減しましたが,人口増加はむしろ停滞し,現在では少子化が深刻な問題となっています。令和に入り,新型コロナウイルスの流行やウクライナ戦争の勃発があり,日本では飢饉とは言えないものの米騒動が発生しました。ウクライナ戦争自体は日本に直接の影響を及ぼしているわけではないものの,世界情勢の不安定化は日本にとっても潜在的な戦争リスクを高めています。これらの要因が人口減少を加速させる可能性も考えられます。
 環境問題に関しては,自然環境の悪化が食料不足や自然災害を引き起こし,人類の存続を脅かす可能性が指摘されてきました。ただ,飢饉(日本の場合は農業政策の失敗も一因か),感染症,戦争といった古典的なリスクは,実は形を変えながら現在も存在し続けているのです。ただマルサス的な視点では,これらのリスクはある程度,肯定的に受け入れられるのかもしれません。
 1798年にマルサスが人口論を著した時代と現代の大きな違いの一つは,資本主義の影響です。資本主義経済の成長には労働力が不可欠であり,機械化が進んでもなお,一定の労働力の確保が求められています。現在の政府が少子化対策を推進するのも,その観点からでしょう。しかし,近年注目される脱成長論の立場から見ると,人口の適正規模をどのように考えるべきかという問題が浮かび上がります。成長を志向することが生態系の破壊や地球環境への悪影響をもたらすと指摘される中,少子化対策にどのような姿勢で臨むべきかは,より難しい議論が求められます。もちろん,戦争や飢饉,感染症が望ましいわけではありませんが,人口の適正規模という観点からの社会の持続可能性を考えると,少子化の問題も違った視点で考えることができるかもしれません。

 

 

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