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2025年1月の記事

2025年1月31日 (金)

Trumpとの付き合い方

 Trump大統領に,就任前に会ってもらえなかった石破茂首相です。人間関係を築くことが大切だということから,まずは会わなければならないということだったのかもしれませんが,友人関係にあるわけでもなく,懸案事項があるわけではないとすると,大統領となる前にわざわざ会う必要がないと判断されたとしても不思議ではありません。むしろ緊急に会いたい首脳というのは,何か懸案を抱えていて,これからディールしなければならない人なのでしょう。それだけ日米関係は,少なくともTrumpの目からは安定しているという認識かもしれず,そうだとすれば悪い話ではありません。
 孫正義氏ら,IT関係企業の首脳のように,大金を持参して,尻尾を振って会いに来てくれる人には,喜んで会うのかもしれません。わかりやすすぎて,かえってすっきりします。孫氏もみっともないように思いますが,ディールのためなら,恥も外聞もなく,実をとるということなのでしょう。
 
 ところで,先日,BSフジのプライムニュース(CMACジャパンだらけでしたね)で,木村太郎が,US Steel 買収は,USという名が入っている会社である以上,買収は無理だと言っていました。買収に名乗りを上げているクリーフランド・クリフス(Cleveland-Cliffs)のCEOの,日本邪悪発言にみられる日本蔑視思想こそ,アメリカ人の本音で,USJapanに乗っ取られるなんていうのは感情的に受け入れられないということでしょう。そうだとすると,Biden前大統領は,この買収の経済的合理性を考えて,やや結論を出すの渋っていただけ,まだましだったともいえそうです。
 ではTrump大統領との間ではディールの余地がないのでしょうか。彼には,ひょっとしたら人種差別思想とかそういうものも,経済的なメリットと比較すれば優先順位が低いかもしれません。石破首相がトップ会談で,これがアメリカ人に得になるという取引であるということを明確に示し,それを支持者にアピールできるようにしてあげれば,買収話は進むかもしれません。Biden大統領相手の訴訟などの法的な問題とするよりも,Trump大統領に直接ディールで臨んだほうがよいといえそうです。ただディールは,双方に利益がなければなりません。あくまで民間企業の買収案件にすぎないので,ゆめゆめ国益を損なうような大きな「お土産」を渡さないようにしてもらいたいです。

2025年1月30日 (木)

追悼

 モリタク(森永卓郎)さんが,亡くなりました。67歳ということなので,若すぎます。フルスイングで人生を過ごすと言っていたそうです。前にも書いたことがありますが,私がまだ大学院生のときに参加させてもらった三和総研の研究会(たぶん労働省の委託研究)でお目にかかったことがあります。労働協約に関する比較法の研究会において事務局を担当されていました。その後,しばらくしてからテレビなどで大活躍されるようになり驚いたのですが,労働政策などについては彼の意見とは合わないなと思っていました。でも前に紹介した『書いてはいけない』(三五館)は渾身のメッセージで,賛否はともかく多くの人に読んでもらいたいです。
 元兵庫県議会議員の竹内英明氏が亡くなりました。まだ50歳で,自殺だと言われています。報道によると,家族が自宅で震えていなければならないような脅迫や中傷を受けていたようであり,こんなことが許されてよいわけがありません。議員になって政治活動をすれば,こんな仕打ちを受けるとなると,普通の感覚をもった人は議員になろうとは思わないでしょう。竹内議員の斎藤知事に対する追求に不満があるのなら,そういう人たちは,普通の言論で批判すればよいのであり,罵詈雑言を浴びせ,自宅にまで押しかけるようなことまでいうのは,たとえ単なる脅しにすぎなくても普通の言論の域を超えたものです。Wikipediaがもし正しければ,竹内氏の経歴からは,若い頃から政治を志し,実際,兵庫県議会でも活躍されていたようです。まっとうな政治活動をしていて,将来の活躍が期待され, 妻も子もいるバリバリの政治家であった竹内氏のような人が命を絶つほど追い込まれる社会に未来はありません。
 いったい10ヶ月前の元県民局長の告発から,何人の人が亡くなったのでしょうか。これで終わるのでしょうか。兵庫県民としても,まことに悲しく,情ないことです。

 

 

2025年1月29日 (水)

A級順位戦のラス前

 128日にA級順位戦のラス前の一斉対局(8回戦)がありました(ただし7回戦のうち渡辺明九段と永瀬拓矢九段の対局は延期となり221日に行われる予定です)。名人挑戦争いでは,佐藤天彦九段が渡辺九段の投了(夕食休憩時にケガによる痛みのため対局続行不能として投了)で62敗となりトップを維持しました。渡辺九段は前局の千田翔太八段戦に続き,途中での投了で34敗となりました。永瀬九段は千田八段に勝ち,それぞれ52敗,44敗となりました。4勝組のうち,佐々木勇気八段は,菅井竜也八段に敗れて,それぞれ44敗,35敗となりました。増田康宏八段は,稲葉陽八段に勝って,それぞれ53敗,26敗となり,これで稲葉八段は降級が決定しました。稲葉八段は,他の棋戦も含めた今期の成績からすると,A級棋士としては物足りないものであり,降級もやむなしでしょう。もう1局は中村太地八段が豊島将之九段に快勝し,それぞれ44敗,35敗となりました。これで4勝しているのは,佐々木八段,中村八段,千田八段,3勝は,渡辺九段,菅井八段となります。
 挑戦者争いは,2敗の佐藤九段と永瀬九段,3敗の増田八段に絞られました。最終の9回戦は,永瀬九段と増田八段の直接対決があります。佐藤九段は佐々木八段との対局となります。一方,降級争いは残り1人です。現時点で3勝の豊島九段,渡辺九段,菅井八段には降級の可能性があり,さらに4勝していますが,順位が下の千田八段(順位9位)にも降級の可能性があります。詳しくみると,豊島九段の最終局の相手は千田八段なので,勝てば二人が45敗と並び,順位の上の豊島九段(順位1位)は残留確定です。その場合の千田八段の運命は,渡辺・菅井戦の結果しだいとなります。渡辺九段は延期されている永瀬九段に勝てば4勝に到達するので,かりに菅井八段に敗れても残留です。このときは,豊島九段と千田八段の対局で負けたほうが降級となります。もし渡辺九段が永瀬九段に敗れて3勝止まりであれば,最終局の菅井八段との対局で負けたほうが降級します(このときは豊島九段と千田八段は,両者の対局の結果に関係なく残留)。まずは221日の渡辺九段と永瀬九段戦が,降級争い,挑戦争いのどちらにも影響する大一番となります。
 千田八段は,4勝していても,なお降級の可能性があり(渡辺九段が永瀬九段に勝って菅井八段に負け,自身が豊島九段に負けた場合のみ降級),そうなると気の毒ではありますが,今回,菅井八段が佐々木九段との戦いで勝ち,豊島九段が中村八段に負けたことで,大混戦になった感じです。佐々木八段は順位に救われ,また中村八段は豊島九段の不調に救われた感じですが,ふたりとも見事にA級棋士の座を2期連続守ることが決まりました。千田八段は,豊島九段に勝てば,自力残留の可能性があるので,これからの1ヶ月準備に全力をあげることになるでしょう。両者の対戦は約5年ぶりで,過去は豊島九段からみて43敗で,現在2連勝中です。

 

 

2025年1月28日 (火)

要件裁量はないとしても……

 大学院(理論法学専攻)での授業で,受講者が選んできたNPO 法人エス・アイ・エヌ事件(広島高裁20231117日)について検討しました。これは広島県労働委員会が発した不当労働行為救済命令(202263日)の取消訴訟で,広島地裁で法人側が勝訴し(2023327日),その判断が広島高裁でも維持されたというものです(最高裁も上告棄却・不受理)。以下は,もちろん研究者としての個人の感想です。
 事案は,障害者の就労支援などの事業を行う特定非営利法人において,通勤手当の不正受給をした労働者に対する退職勧奨の懲戒処分(諭旨退職処分?),組合執行委員長の配転拒否に対する解雇が,労組法71号(および3号)該当性が問題となったというものです。労働委員会と裁判所で,認定事実の評価が違っていたのですが,おそらく広島県労委としては納得できない結果でしょう。裁判所は,通勤手当の不正受給について当該組合員が反省をしていないことを重視していますが,不正受給分は返還していること,不正受給の事実を法人の理事が認識していながら,そのまま従来の通勤手当を支給し続けていたこと,懲戒委員会の手続での期間が4日ときわめて短いなどの事情がある一方,法人の理事長らの反組合的言動があったとされていたことから,広島県労委が不当労働行為の成立を認めたのには無理からぬものがあるように思えます。また,組合の執行委員長に対する解雇も,通常,執行委員長に対する配転や解雇は,組合活動に大きな影響を及ぼすものなので,不当労働行為意思が推認されやすく,それを打ち消す事情がどれだけあるかが慎重に判断されるのであり,広島県労委も慎重に判断して不当労働行為の成立を認めていました。裁判所のほうは,執行委員長に対する配転の距離が1.5キロで近いと判示するなど,組合活動への影響についての判断に首をかしげたくなるところがあります。
 不当労働行為救済命令の取消訴訟では,救済命令の内容については,労働委員会の裁量を広く認めるとされています(第二鳩タクシー事件・最大判1977223日)が,要件面での裁量はないとされています。しかし,労働委員会の専門性は,不当労働行為の成立要件の,とくに規範的要件においても発揮されるべきものであり,三者構成の存在意義は,どのような場合に不当労働行為意思があると判断してよいかといったところでも認められるのです。経営陣の行動や発言,あるいはそのタイミングなどについて,労使関係上どのような意味をもっているかということについて,労使の参与意見を聴きながら(労組法27条の122項も参照),事件を担当する公益委員は判断をしていくのであり,そうした部分についても,裁判所は一定のリスペクトをしてもらえればと思います。解雇や配転などは民事上の事件として争うこともできるとはいえ,民事事件と同様の視点で処理されてしまうと,事案によっては,労使関係に固有の視点が抜け落ちて,今回のような取消判決が今後も出ることになりかねません。
 なお,この事件で,裁判所は,解雇が労組法7条1号または3号の不当労働行為に該当するというためには,使用者に不当労働行為の意思,すなわち反組合的な意思又は動機があったと認められる必要があるところ,解雇が合理性や相当性を欠くことが明らかな場合には,反組合的な意思または動機があったことを推認し得るとし,こうした推認ができない場合には,次に,使用者の言動等の事情から,反組合的な意思や動機があったと認められるかを判断するものとし,本件では結論として,いずれも否定しました。また「仮に」として,本件で組合嫌悪の情が認められたとしても,それが決定的な動機として解雇がされたわけではないとしています。これは,動機の競合の場合における決定的動機説に立ったものとみることができそうです。
 これまでの労委命令では,解雇に必要性や合理性があれば,それが不当労働行為意思の推認を妨げる要素として考慮される例が少なからずあったと思いますが,本判決のように,「解雇が合理性や相当性を欠くことが明らかな場合」に反組合的な意思や動機の推認を肯定するという定式化をしたうえで,しかし実際の判断では「欠くことが明らかな場合」でないので,反組合的な意思や動機を否定すると判断したものは多分珍しいと思いますし,この論旨にはすっきりしないものを感じます。動機の競合の議論も含め,不当労働行為意思の判断枠組みについて,いまいちど理論的な検討を深める必要があるように思います。

2025年1月27日 (月)

法律学小辞典(第6版)

 私も少しだけ執筆に加わった高橋和之他編『法律学小辞典(第6版)』(有斐閣)が届きました。有斐閣の判例六法やポケット六法は,元編集協力者ということで現役から引退していますが,法律学小辞典ではまだかろうじて現役です。でも,次の版では,世代交代となるでしょうね。
 ところで,労働法に関する分野では,法学者以外の方もいろいろな政策提言をされることが増えていますが,法学特有の用語もあるので,法学の領域に立ち入って建設的な議論をするためには,用語については法学の用語を尊重してもらう必要があるように思います。その意味でも,こういうハンディな「法律学小辞典」はとても有用です(強行法規や任意法規という言葉は,法律の専門家以外の人は,あまり正確に理解していないように思います。そうなるとデロゲーションの議論も混乱が生じてしまいます。あるいは,「不当労働行為」という言葉は,法律家の間であっても,労働法の専門家以外の人には,よく誤解されています)。それだけでなく,法律用語の修正(平易化など)も進んでいるので,その点では,古い法学教育を受けている人間が,情報をアップデートするためにも,本書は役立ちます。たとえば刑法では,強姦罪は強制性交等罪となり,さらに最近,不同意性交等罪となり,その間に処罰対象となる行為の範囲が徐々に広がっています。もちろん新しい法律の内容を詳しく知りたければ,教科書や専門書で確認しなければなりませんが,この小辞典を読むだけでも,かなりの情報が得られます。
 私も,これまで
本書を旧版のときから座右の書としてきましたが,今回の第6版も同様です。

 

 

2025年1月26日 (日)

王将戦第2局

 藤井聡太王将(七冠,竜王・名人)に永瀬拓矢九段が挑戦している王将戦の第2局は,藤井王将が勝って2連勝となりました。2日目の午後から攻め合いになり,評価値でも差が付き,最後は豪快な攻めが炸裂して,藤井王将の快勝となりました。永瀬九段とは日頃からよく練習将棋を指している仲であることもあり,指しやすいのかもしれませんね。なかなか永瀬九段が力を出せません。第3局の前に,藤井王将は,増田康宏八段との棋王戦も始まり,ダブルタイトル戦となります。体調に気をつけて,よい将棋をみせてもらいたいです。
 今日は,大相撲初場所の千秋楽でもありました。最後のほうで大変盛り上がりました。本日は本割で金峰山が王鵬に負けて優勝決定戦が確実となり,豊昇龍が琴櫻に勝って先場所の雪辱を果たしました。巴戦となった決定戦では,金峰山,王鵬に連勝して2度目の優勝を決めました。123敗の優勝ですし,あわや平幕に優勝をさらわれそうであった場所での優勝ですので,他の大関(とくに琴櫻はまさかの負け越し)がふがいなかったことから豊昇龍の活躍が目立ちましたが,これで横綱昇進というのは,ちょっと甘いなという気がします。横審には,もう一場所みようと言ってほしいところです。古い話ですが,直前の星が12勝3敗での昇進は,三代目の若乃花以来ですが,そのときも甘いなと思った記憶があります(結局,在位11場所で,皆勤したのは5場所で,そのうちの1場所は皆勤で負け越しですし,昇進後の優勝ゼロで終わっています)。照ノ富士の引退で空位となった横綱の穴を埋めたいという相撲協会の気持ちもわからないではないですが,あわてて横綱をつくらないほうがよいように思いますが……。

 

 

2025年1月25日 (土)

アクティビスト

 先日の学部の授業で,日本型コーポレートガバナンスの変化ということを説明するなかで,時事ネタとして今回のフジテレビの問題を採り上げました。芸能人の大スキャンダルに,フジテレビ社員が関係していたという報道があるなかで,フジテレビ側の調査や情報公表が不十分であるということを,フジテレビの親会社である「フジ・メディア・ホールディングス」の株主であるアメリカの投資会社であるダルトン・インストルベンツ(Dalton Investments)が批判し,第三者委員会の設置などを求めたことから,事態は動き始めました。ジャニーズ問題に続いてまたも外圧によらなければならなかったというのは情けないことですが,ジャニーズ問題は,日本のマスコミが知っていたのに知らぬふりをして,当該事件が起きていた芸能事務所の芸能人を使い続けていたという問題があり,それがBBCによって暴かれたというものであるのに対して,今回は,その事務所にかつて所属していた超人気タレントに(報道によると)刑事事件となりかねないような深刻な事件が起きていて,それに社員が関与していた可能性があるのに,いい加減な会見(テレビ局にはあるまじき静止画像会見)で済まそうとしたメディアの経営陣に,外国の株主がNoを突きつけたというものです。今回は報道機関の問題を,株主がチェックしたという点で興味深いです。株主は,スキャンダルを放置すれば,自分たちが株式を保有する会社の価値が下がるので「モノを言う」わけです。まさに株主による経営チェックであり,コーポレートガバナンスの原点といえるものでしょう。
 日本型コーポレートガバナンスは,ステークホルダー型で従業員の利益を重視するものとされており,株主の利益が十分に守られていないことから,近年のアクティビストの活動につながり,その結果,ずいぶん変化してきています。要するに,経営者の視点は,内向きではなく,株主という外の目も意識しなければならず,それは結局,社会の目を意識するということです。テレビという特殊な業界にどっぷりつかっていると,社会の目を意識した株主の行動にまで目配りできず,それを軽視していたのかもしれません。会社は,社会に向けて商品を売るわけですから,社会に支持されなければ持続しないし,したがって会社の価値を重視する株主も,社会の目を意識するということです。
 それにしても,番組のスポンサーであった会社が,いっせいに横並びで,スポンサーを降りようとしているのも興味深いです。おそらく,これらの企業も,漫然とコマーシャルを流し続けていると,やはりその会社の株主に批判されることを恐れているのでしょう。このような「社会」と「会社」の関係を知るうえで,今回のフジテレビ問題はよい教材となりました(ちなみに会社も社会も,イタリア語では,societàです)。

 

 

2025年1月24日 (金)

Mー1棋士?

 メディアではM-1棋士と紹介されている服部慎一郎六段(M-1に冨田誠也五段と「もぐら兄弟」を結成して挑戦したが1回戦敗退)が,朝日杯将棋オープン戦のベスト8で藤井聡太七冠(竜王・名人)に勝ったことが話題になっています。番狂わせのような受け止め方もあるようですが,服部六段は,実は今期344敗で895厘という驚異的な勝率です。過去の最高勝率は,中原誠十五世名人が1967年に478敗で855厘ですが,これを破る可能性は高いです。史上最高勝率になると,将棋界の歴史に名が残ります。藤井七冠やタイトル99期の羽生善治九段でさえ,これまで達成していない記録です。服部六段は,朝日杯でベスト4に進出を決め,その後順調に勝ち進むと,この棋戦はあと2局(準決勝,決勝)あります。次の準決勝の対局は,211日に井田明宏五段が相手で,勝てば同日に決勝戦となります。対戦成績は54敗で,ここのところ服部六段は2連敗という強敵です。また,順位戦のB2組で残り2局あります。対戦相手は,藤井猛九段,高崎一生七段です(いずれも初対局)。現在昇級の1番手です。今期はC1組から昇級したばかりで順位は低いのですが,1勝すれば昇級確定です。B2組の1期抜けができれば,C1組と連続で1期抜けとなります。これはトッププロへの道を歩んでいることを意味します。
 それはさておき、朝日杯で連勝して優勝し,順位戦で2連勝すれば,最高勝率にぐっと近づきます。叡王戦,王位戦は早々に敗れていますが,王座戦は2次予選で谷川浩司十七世名人に勝って残っており(今年度は,谷川十七世名人と4回あたって全勝しています),今年度内に二次予選の対局(狩山幹生四段と出口若武六段の勝者との対局)が組まれることになるでしょう。棋王戦の予選もあるでしょう(過去4連勝の牧野光則六段との対局)。竜王戦は3組に昇級して,ランキング戦が始まります(過去1勝の梶浦宏孝七段と対局)。王将戦は,予選で柵木幹太四段との対局が予定されています。
 残りの対局は,朝日杯で1局,最大で2局,順位戦で2局が確定で,そのほかに,王座戦,棋王戦,竜王戦,王将戦の対局があるかもしれません。ということで,今期中に何局の対局が残っているかわかりませんが,歴代最高勝率となる可能性は十分にあると思います。

2025年1月23日 (木)

「掘って,掘って,掘りまくれ」

 Trump大統領は,就任してさっそくパリ協定からの離脱を宣言しました。WHOからの離脱は,新型コロナウイルスをめぐる対応が中国寄りであったという前政権からの批判的立場を一貫させたものです。これも問題ですが,パリ協定からの離脱も,多くの人が怒っているのではないでしょうか。2015年のCOP21で気温の上昇を産業革命時から1.5度以内におさえることとし,その達成のためには,2050年までにカーボン・ニュートラルを実現するというという目標が立てられました。日本でも菅政権がこの目標を掲げ,GX(グリーン・トランスフォーメーション)という言葉がよく使われました。ところが,再任されたTrump大統領は,化石燃料に傾斜しようとしています。「掘って,掘って,掘りまくれ」です。エネルギー価格を抑え,インフレを抑えるという目的は良しとしても,その手段が恐ろしい戦略です。私はTrumpが批判する「気候過激主義者」ではないつもりですが,二酸化炭素の排出が少ないほうがよいに決まっています。ただ,だからといって原発がよいわけではありません。ここが難しいのです。
 ところで,もしこのまま気候温暖化が進行して氷河が溶けて海面水位が高くなるとどうなるのでしょうか。縄文時代の前の旧石器時代は氷河時代であり,瀬戸内海はなく,海水面はもっと低い状態にありました。兵庫県から和歌山南まで地続きだったようです。縄文時代になり,その中期の約6000年前のヒプシサーマル(hypsithermal)期に海面水位はピークとなり(縄文海進),現在より46メートル高かったそうです。その後,徐々に温度が下がり,海面水位も下がってきて,今日に至っています。温暖化の影響があると,ヒプシサーマルのころくらいの水位になる覚悟は必要かもしれません。地名に水に関するものがあるところは,少し不安です。地球温暖化対策がうまくいって,海面水位の上昇を止めることができるとしても,地震のときの津波のことを考えると,できるだけ高い位置のところに住んだほうがよいのかもしれません。
 人類は氷河期を経験して生き残ってきたのですが,気候は適度に温暖なほうが快適です。二酸化炭素があり,大気で熱を保存してくれるから,夜も生活できるのです。それがある程度のレベルにおさまっていたらよかったのです。エネルギーを使いすぎて二酸化炭素の放出が自然界のキャパを超えたことから問題が出てきました。ただ,二酸化炭素が悪者になっていますが,もちろん悪いのは人間のほうです。実際の影響という点では焼け石に水かもしれませんが,政治家も,せめて二酸化炭素を吸収してくれる植物を「植えて,植えて,植えまくれ」くらいのことを言ってほしいです。

2025年1月22日 (水)

西山さんは棋士になれず

 西山朋佳女流三冠が,棋士編入試験に挑んだ最終局で敗れて,23敗で合格できませんでした。柵木幹太四段が意地を見せました。柵木四段は,西山女流三冠に奨励会時代に5勝して負け知らずでした。このめぐり合わせが西山さんには不運でした。最終局も,柵木四段は強かったです。相手の飛車を封じ込め,自陣は米長玉で,8筋・9筋から攻められましたが,角をただでとらせても,しっかり攻めきりました。
 
 西山さんが勝ったら,これは女性にとって大きな勇気を与えるものとなると書こうと思っていたのですが,そう甘くはありませんでした。でも,そういう真剣勝負だからこそ,価値があるのです。公式戦ではなくても,柵木四段は,見事な戦いをしました。一方,西山さんに再度のチャンスがあるかはわかりませんが,棋士となる実力がすでにあることは周目の一致するところであり,今後も男性の棋士相手に勝利を重ねていくことでしょう。
 
 今回の対局前,西山さんの将棋は,研究され尽くしている可能性があると言われていました。女流棋士として多くの対局をし,さらに男性の棋士との公式戦も多い西山さんは多くの棋譜を残しています。一方,柵木四段は,棋士になったばかりです(だからこそ,今回の試験官になっています)。奨励会時代の棋譜は公開されておらず,結果,彼の公開されている棋譜はきわめて少ないです。つまり,奨励会時代の対局はあるとはいえ,最近の柵木四段の情報は少なかったのです。これは,実際には,西山さんにかなり不利な状況と言えました。現在は,過去の棋譜をAIを使って分析することが普通に行われています。情報戦となっている現在のプロの棋戦では,棋譜が残っているかどうかは,作戦を考えるうえで,きわめて大きな意味をもつのです。
 一方で,西山さんは大勝負を何度も経験しているのに対して,柵木四段は慣れない大舞台に引っ張り出され,しかも公式戦でもないという状況で,モチベーションが上がらない戦いであるという点では不利でもありました。もちろん,大舞台だからその存在価値を示すこともできるのであり,実際,柵木四段は名を上げました(今の時代は,「男を上げた」とは言うべきでないのでしょうね)。
 故米長邦雄永世棋聖の名言に,「自分にとっては消化試合でも,相手にとって重要な対局であれば,相手を全力で負かす」というものがあります。たとえば順位戦で,自分では昇級も降級も関係しない状況でも,相手が昇級か降級に関係していると,全力で戦うというような意味です。柵木四段は,今回はこれに近い状況でした。米長玉にしたのは,「君には悪いけれど,全力で負かしにいくよ」というメッセージであったというのは,深読みしすぎでしょうか。

2025年1月21日 (火)

初場所の後半戦を展望する

 なかなか大相撲をゆっくり観る余裕がないのですが,NHKプラスのおかげで,早送りで幕内上位の相撲は確認しています。綱取りの琴櫻があっさり脱落し,同じく綱取りの豊昇龍も充実していた感じでしたが早くも3敗です。その間に照ノ富士が引退し,平幕力士がトップを走っていて落ち着かない場所となっています。貴景勝が引退して,ぽっかり空いた感じですが,大の里の時代の到来前のちょっとした混乱期といえるでしょう。
 そのなかで,明らかに強くなったと思えるのが王鵬です。大鵬の孫という血筋もありますし,横綱は無理としても,大関に行けそうな予感を感じる相撲をとっています。若元春と若隆景の兄弟は,どちらも好きな力士なのですが,ややピークをすぎ,少しでも調子が悪ければ軽量をつかれてしまう感じがします。大栄翔は,単純な相撲で,これだけやれているのはびっくりですが,関脇がぴったりという気がします。阿炎にも同じような印象をもっています。熱海富士が伸び悩んでいるのは,指導の問題でしょうか。今場所は琴櫻に実質的には2回勝ち,豊昇龍にも勝ちながら,それ以外の力士には全敗ですでに負け越しというバランスの悪さが魅力でもあり,物足りなさでもあります。翔猿,宇良のような番狂わせをしそうな力士もいいですし,正代や霧島のような元大関で体調さえ良ければ実力的に大関に勝っておかしくないような力士もいるし,玉鷲,遠藤のような,いてくれて安心する力士もいいですが,やはり若手で大の里と綱を一緒に張れるようなライバルが出てきてほしいです。その点では,ケガから復活してきた尊富士や伯桜鵬が注目です。
 今場所は金峰山がトップを走っていますが,上位と当たるとなかなか勝てないでしょう。明日の大の里戦が勝負です。大の里は地力的には,残り全勝できそうですが,一つ取りこぼすと,幕内優勝が起こるかもしれません。とくに霧島は上位との対戦が終わり,連勝で調子を上げているので,3連敗後の12連勝で優勝ということも,ありえないわけではありません。

2025年1月20日 (月)

土田道夫『労働契約法(第3版)』

 土田道夫先生から『労働契約法(第3版)』(有斐閣)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。あまりに分厚すぎて,大学のメールボックスには入らず,別のところに置いてあったので,今日まで気づきませんでした。たぶん,かなり前にいただいていたのではないかと思いますので,お礼が遅くなり申し訳ありません。
 いつものように,若干の書籍内エゴサーチをさせてもらいました。驚いたことに,拙著『人事労働法』(弘文堂)が,主要文献略語に入っていました。拙著『人事労働法』は学会ではほとんど認知されていないと思っていましたので,この大著で大御所の先生に認めてもらい,ほんとうに有り難いことです。
 しかも,第1章の注26頁)でいきなり,私の企業性悪論批判を採り上げて「同感である」と書いてくださいました。また規制手法論との関係(16頁)では,土田先生の任意法規の活用論とは別に,私のペナルティ・デフォルト論(通常のそれとは少し違っているのですが)を採り上げて紹介してくださっています(注13)。これもたいへん有り難いです。AI時代を見据えた私の論考などが文献として挙げられているのも驚きでした(30頁の注38)。解雇の金銭解決論についても,私たちとは立場は違うものの,「完全補償ルール」について,正確に紹介されています(898頁注225)。
 こうした私の文献だけでなく,膨大な文献に目配りして参照されており,しかも,それらをご自身の体系のなかできちんと整理して位置づけられています。驚嘆という以外の言葉がみつかりません。現時点の労働法の最高峰の業績にあるといってよいでしょう。
 もちろん個々の論点で,必ずしも土田先生と私の見解が一致しているわけではありません。むしろ見解を異にするところが少なくはないでしょう。今回,少し気になったのが,賞与の支給日在籍要件と既履行分の報酬請求権の保障規定(民法624条の2)との関係です。土田説は,民法624条の2が任意規定であるとしても,就業規則の定める支給日在籍要件は合理性審査(労契法7条)に服し,その際には民法624条の2の趣旨が考慮されるとし,支給日在籍要件に基づき全額不支給とする場合には,合理性が否定される解釈が可能とされています(361頁以下)。私は民法624条の2は,労務の提供に対して刻々と使用者に利益が発生しているという場合を想定した規定ととらえられていますが,10の工程のうちの9まで完成したが,最後の1工程が完成しなければ全体の価値がないという場合は,9工程まででは,使用者に利益がないということになりそうです。こういうのは請負だと言ってもいいのですが,現代社会の雇用には,こういうタイプの仕事もあるでしょう。成果型賃金で一定の成果をあげることが職務になっている場合がそうでしょう。そうした場合には,624条の2とは異なる特約が結ばれているという意思解釈がなされるのかもしれません。では,賞与はどうなのでしょうか。賞与にもいろいろなタイプがありますが,支給日在籍要件がある場合は,賞与の評価算定期間は,あくまで賞与の算定基準に関するものにすぎず,支給日まで在籍して働くことこそが本質的な要件であるとみることはできそうです。そうすると,賞与に対応する労働とは,支給日で働くという「工程」を完遂した「成果」への対価であるといえないでしょうか。これは決して強引な解釈ではありません。というのは,賞与を支払われる労働者にも,通常の労働に対する賃金は支払われているのであり,その部分については既往分の履行の保障はされるとしても,プラスして支払われる賞与は,これとは別といえそうだからです。賞与は「労働の対償」であるとしても,そこでいう「労働」の意味は,日々刻々と蓄積されていくというものとは違うといえないでしょうか。というようなことを考えていました。民法624条の2の解釈についての私の理解が間違っているかもしれないのですが,ただ,この新設条文は,従来の民法の異論のない考え方を成文化しただけであるとされているので,賞与の請求日在籍要件の解釈も,少なくとも,その有効性に反対していなかった学説においては,この規定の新設によって解釈が変わるということはないのではないかと思います。このあたりは,土田説の問題提起に刺激されながら,もう少し私自身も考えてみたいと思います。

2025年1月19日 (日)

大学教員のやるべき業務とは

 大学入学共通テストというイベントが毎年あり,大学教員はその試験監督に駆り出されます。とてもすべて読むことができないような分厚いマニュアルを渡され,そのマニュアルどおりに機械のように働かされます。知的な仕事をしているという研究者としてのプライドは失われるような気がします。すっかり飼いならされた日本の大学教員から創造的な成果が出てくることなど期待できないのは当然のことでしょう。いつもこの時期になると言っている不平です。
 東京大学環境安全本部助教・産業医の黒田玲子氏が書かれた「大学&教員の『ダブル意識改革』で効率化を」というものです。
  そこでは,大学教員の特殊性は,「大学からサラリーをもらう『給与所得者』でありながら,仕事の内容や働き方を自分で決める『自営業・自由業的な職種』という点」を挙げ,「大学をショッピングセンターにたとえるなら,研究室はテナント」であるとし,「教授や准教授のような研究室を取り仕切る教員は,労働者である一方で『一国一城の主』,経営者のような存在」とします。「各学部の意思決定が教授会で行われるように,民主的な手法で運営され」,「つまり,『個人商店の協同組合』のような組織なので,大学が教員に仕事の内容や働き方まで指図するのは難しいのです」。ところが,「定義上は普通の労働者ですから,問題視される」と書かれています。うまいまとめ方です。
 また,労働時間管理の難しさについて,次のように書かれています。
「大学の教員は本来,『研究職』としての比重が高いものです。研究論文を執筆したり,学会で研究発表したりといった学外での研究活動もあるでしょう。これが教育活動なら,学生に対するサービスとして労働時間をカウントしやすいのですが,研究活動は,必ずしも研究室に閉じこもって行うわけではなく,フィールドや自宅でも行うことがあるわけです。大学が教員の労働時間を把握するのは,非常に困難なのです。」
 まさにそのとおりなのです。大学教員の労働時間管理については,小嶌典明先生が,経営法曹222号(2024年)の座談会のなかで,「大学教員の場合,労働時間規制については本来適用除外にすべきだったと思います」とし,「裁量労働制は便法として導入しているにすぎない」と述べておられます(305頁)。これもそのとおりで,少なくとも大学の教授や准教授を,労働基準法上の労働者とすることの妥当性が問われるべきでしょう。
  黒田さんの論考に戻ると,調査の結果から,過重労働の要因は教育・研究以外の業務にあるとし,「教員をサポートする事務局機能(専門スタッフ)を強化したりして,管理・運営業務を圧縮することが先決で」あり,さらに,「専門の研究アシスタントであるURAUniversity Research Administrator)などのアシスタントや,研究環境の安全衛生を維持改善する専門スタッフを増員するなどして,教員が教育・研究に専念できる環境を整えることも重要です」と提言されています。
 
 そして最後に,教員の研究活動にも競争原理が導入され,研究室の経済格差が生じる一方で,教員の健康リテラシーは低いということも指摘されています。健康リテラシーの向上も重要ですが,好きな研究をしていれば健康を害する可能性も下がるので,根本の原因はやはり研究以外の業務負担を軽減することにあるといえるでしょう。

2025年1月18日 (土)

谷川浩司十七世名人の1400勝

 震災のとき,谷川浩司十七世名人は王将のタイトルをもっていました。その年は羽生善治九段が六冠をもっていて,七冠(当時の全冠)がかかっていました。谷川さんは自宅で被災しましたが,その後も対局を続け,その年は王将を防衛しました。
 あれから30年が経過し,その谷川さんが1400勝を達成しました。羽生九段の1577勝,大山康晴十五世名人の1433勝に次ぐ歴代3位です。その次が,加藤一二三九段の1324勝,中原誠16世名人の1308勝であり,現役では,佐藤康光九段の1118勝が谷川さんの次なのでかなり差があります。むしろ今後,谷川さんに追いつく可能性があるとすると,まだ393勝ですが藤井聡太七冠(竜王・名人)でしょう。かりに年間40勝というのを続けると,1400勝までは,だいたい25年かかるのですが,今の勢いだと達成できるかもしれません。
 1400勝は偉大な記録ですが,谷川さんも言うように,40歳を超えると,あまり勝てなくなりました。最近では,若手にはほとんど勝てていません。仕方がないですね。今季も7連敗しているとき,先日竜王戦4組で西川和宏六段に勝ってようやく連敗を脱出し,順位戦で郷田真隆九段に勝って915敗となりました。3割台の勝率は谷川さんにとっては屈辱的でしょうし,昨年で通算勝率も6割を切ってしまい,年齢には勝てないところでしょうが,今期も若手で勝率が高い池永天志六段に勝つなどしており,まだまだ頑張ってもらいたいです。
 B2組の順位戦の成績は当初は3連勝したのですが,その後は勝てず,とくに昇級候補の若手3人と連続して戦い激戦でしたが勝てず,4連敗していました。郷田九段に勝って44敗で,降級点は逃れたと思います(B2組は上位3人が昇級,下位6人に降級点がつき,2回降級点がつけば降級となります)。
 羽生九段もさすがにかつての強さはかげりをみせていますが,まだ強いです。通算勝率は7割を切りましたが,まだ若手ともかなり良い勝負をしています。ただ順位戦のB1組は,さすがの羽生九段も苦戦しています。116日の第11回戦で,近藤誠也七段のA級昇級と糸谷哲郎八段のA級復帰が決まりました。問題は降級争いで,山崎隆之八段が負けて28敗で降級が決まりました。三浦弘行九段も負けて3勝7敗となり,厳しい状況です。大石直嗣七段は,昇級の可能性のあった斎藤慎太郎八段に勝って4勝6敗となり,残留に期待をもてるようになりました。そして,羽生九段ですが,広瀬章人九段と4勝どうしで対決し,広瀬九段が勝って56敗となり,羽生九段は46敗となりました。広瀬九段は残り1局ですが,現時点ではそれに負けて57敗となると,わずかですが降級の可能性があります。羽生九段のほうは,残り2局ですが,1局でも敗れると危なくなります。残りは,山崎八段と大橋貴洸七段(55敗)との対局となります。26日の第12回戦が注目されます。
 A級は,ケガで120日まで休場中の渡辺明九段と永瀬拓矢九段の対局が延期となっていますが,それ以外は第8回戦が終わり,佐藤天彦九段が52敗で暫定トップ。永瀬九段が42敗,佐々木勇気八段,千田翔太八段,増田康宏八段が43敗で追っています。渡辺九段は33敗。豊島将之九段と中村太地八段が34敗,菅井竜也八段と稲葉陽八段が25敗となっています。菅井八段と稲葉八段はピンチですが,順位が4位と5位と比較的上位なので,残り連勝すると,残留の可能性はあります。最終局の稲葉八段対中村八段が残留をかけた大勝負になる可能性もあります。現在4勝している佐々木,千田,増田各八段も,連敗すると降級の可能性があります。挑戦も降級も最後までわからない激闘のA級です。挑戦のほうは,プレーオフになる可能性はきわめて高いと思います。

2025年1月17日 (金)

震災の日に思う

 今年で,あの震災から30年。記憶が風化しつつあるという人もいますが,毎年,語り継がれているおかげで,個人的にはあまり風化していません。私自身は1995117日午前546分は東京にいて,かすかな揺れを感じた程度でした。西宮の実家の家族たちの体験談を通じて,地震の恐ろしさを間接的に知りました。妹は,揺れを感じたときのとっさの行動で,寝ている場所の頭に,重量物が落下してくることから逃れていました。間一髪だったのです。その後,西宮に戻ってくる途中にみた地元の光景のすさまじさには,言葉を失いました。街がとてつもない力によって蹂躙されたという感じで,これは30年経っても消えない記憶です。
 その後,東日本大震災では,たまたま出張で東京にいて,このときは強烈な揺れを感じました。私にとって地震の直接的な恐怖体験は,こちらのほうです。
 南海トラフ地震は,いつ来るかわからないのですが,そのような状況でずっと危機感をもち続けるのは,かなり難しいことです。「現在バイアス」が働き,どうしても,対策は後回しになりがちです。先手を打つための行動を促すならば,リスクを数値でわかりやすく提示するという方法があり,これもまた,脳の認知バイアスを活用した対策といえますが,その数値の信用性がしばしば問題となり,いまや数値がその効果を発揮しづらくなっているような気がします。
 実際に地震が生じたときに,避難行動を先延ばししがちなのは「現在バイアス」でしょうし,客観的に高まってきている地震のリスクへの対応を先延ばしがちなのも「現在バイアス」です。そうした傾向をもつ私たちに対して,どうしたら行動するよう促すことができるでしょうか。もし,それが難しいとしたら,ここでもデジタル技術の活用に期待できるかもしれません。例えば災害時に,被害状況と位置状況をAIが分析して,どう行動すべきかを音声で誘導するということはできないでしょうか。Google Map が経路を音声案内してくれるように,災害時には,AIが適切な場所を目的地に設定して,その経路を人々に教えるのです。このためには,デジタルツイン上でシミュレーションをして,適切な避難経路に関するデータを蓄積しておく必要があるでしょう。あとは,通信が遮断されないように,スターリンクなどの衛星インターネットが活用できるようすることも,いまから準備しておく必要があるように思えます。

2025年1月16日 (木)

コメとヒ素

 米価の高騰もあり,コメ離れが加速しないか心配です。農林水産省のサイトをみると,「お米の1人当たりの消費量は,1962年度をピークに減少傾向です。ピーク時は年間118.3キロのお米を消費していましたが,2022年度は年間50.9キロまで減少しました。」となっていました。日本人としては米を大切にしたいのですが,ちょっと心配でもあります(ちなみに,アメリカを米国と書くのは止めることにしませんか)
 若いころは米なしでも大丈夫でしたし,私の世代であれば,すでにパン食も普通に入り込んでいましたが,年齢を重ねるにつれて米なしの食生活はきついですし,いまは朝食では必ずご飯,納豆,味噌汁を食しています。
 ところで,かつてスウェーデン(Sweden)で,食品庁が,6歳未満の子どもにコメやコメ製品を与えないように勧告したということがありました(産経新聞の2016110日の記事「玄米のとりすぎはがんになる? コメの安全性に世界が厳しい目 その真相は…」
 土壌にあるヒ素の影響が大きいということです。農産物にヒ素が含まれるのは避けられないのですが,それが人体に有害なレベルかどうかが問題です。とくに子どもに影響があるとなると,安心して食べさせられないことになります。
 ヒ素という言葉が,ちょっと恐怖心を与えます。和歌山カレー事件もあります。死刑判決が確定してからかなり時間が経過していますが,再審請求が何度も出されているようです。冤罪どうかわかりませんが,大量のヒ素が使われたことは間違いがないのであり,私たちがヒ素という言葉を聞くと,まずこの事件が思い出されます(なお,袴田さんの例もあるので,法務大臣も簡単には死刑にサインできないでしょう。帝銀事件の平沢貞通のようになるのでしょうか)。
 ヒ素は無味無臭で,昔から人をこっそり殺害する際に使われていたようです。ヒ素(As)は元素周期表の第15族で,リン(P)と同族です。同族の元素は,類似の化学的性質をもつと言われますが,もちろん違いもあります。リンの化合物であるリン酸は,言うまでもなく,ATP(アデノシン三リン酸)という,私たちの身体に不可欠な物質を構成していますし,DNAの構成物質でもあります。周期表ではリンの親戚のようにみえるヒ素は,他の元素と結びついて毒性の強いものとなっているようです。
 さて,もう一度,農水省のHPに戻ると,次のような記述がありました(2024628日更新)。
 「ヒ素は,地球上に広く存在する元素です。自然環境中にあるヒ素を完全に避けることは難しく,飲料水や農畜水産物に移行するため,様々な食品には微量のヒ素が含まれています。
 平成2512月,食品安全委員会が,食品中のヒ素に関する食品健康影響評価をとりまとめました。食品安全委員会は,『ヒ素について食品からの摂取の現状に問題があるとは考えていない』とした上で,『食品を通じたヒ素の摂取については特段の措置が必要な程度とは考えていないが,これまで行ってきた調査・研究をさらに充実させることが必要』としています。」
 なんとなく不安な内容ではありますが,その後の調査・研究がどうなっているのか,続報を期待したいところです。とりあえずは,バランスよく,いろんなものを食べることが大切ということでしょうかね。

2025年1月15日 (水)

多国籍な音楽用語

 ドレミは,イタリア語であることは,よく知られていると思います。ちなみにレは「Re」で,ラは「La」なので,外国人相手に発音する際には気をつけなければなりません。シは「Si」なので,「シィ」となるのですが,映画「The Sound of Music」のなかで,ヒロインのMaria先生が子どもたちに歌う「ドレミの歌(Do-Re-Mi)」では,シは「Ti」と発音していました(映画では,私には「ティ」ではなく「チ」と聞こえます)。ずっとおかしいなと思っていたのですが,さきほどWikipediaで調べてみたら,英語圏では「Ti」というそうです。ソの「So」とSが重なるのを避けるためだと書かれていました。
 ところで,英語の音楽用語というと「スラー」(Slur)が思い浮かびます。子どもがピアノを練習し始めて,楽譜を読めるようになってくると,初期の記号としてスラーが出てきます。スラーは,イタリア語のレガート(legato)とほぼ同じだと思うのですが,なぜ英語なのでしょうね。意味的には,スラーは「滑らかに」であるのに対して,レガートは言葉としては「結びついて」となりますし,こういう語感的なものとは別に,専門家からすると意味が違うのかもしれませんが,素人からすると違いを意識する必要はないでしょう。Wikipediaでスラーを調べても,その由来は書かれていませんでした。ちなみにレガートはLegare の過去分詞で,不定形では「レガーレ」となり,三宮に,そういう名前の飲食店があり,「結びつける」という意味だとするとよい名前で,以前に労働委員会の宴会で使われたことがありました。
 ドレミの話に戻ると,ドイツ語では,「ツェー(C),デー(D),エー(E),エフ(F),ゲー(G),アー(A),ハー(H),ツェー(C)」といい,私が子どものときにピアノを習った際に教わったのは,この呼び方でした。子どものときには気づきませんでしたが,BHになっているのはおかしいですね。ドイツでも,最初からHであったわけではないようです。いろいろな説があるので,みなさんで調べてみてください。ちなみに英語では,Hは,語順どおりBだそうです。
 日本語のドレミは,「ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ・ハ」ですね。これは例えば「ハ長調」とか「ロ短調」とかいうときに使われています。ハ長調は,イタリア語では「Do maggiore」で,ロ短調は「Si minore」になります。ではロ短調は,ドイツ語ではどうなるでしょうか。「h-moll」で「H」を使います。英語では,「B minor」で「B」を使います。
 ドレミと言いながら,調名では,ハ長調やロ短調と言い,そしてギターを弾く時はBマイナーと言ったりするということで,ものすごく「多国籍」です。音楽関係者には常識かもしれませんが,これから楽器を学ぶ子どもたちには,こういう外国語の混在についても,由来なども含めて教えてもらえればと思います。音楽と語学の両方を同時に学べるというのは,素敵なことです。

2025年1月14日 (火)

検察の信用回復

 昨年の言葉に「失」という言葉を選んだ理由に,信用の失墜を挙げていました。そこで書かなかったこととして,検察の信用失墜があります。昨年に限らないのですが,昨年少し目立ったような気がします。大昔のこととはいえ,袴田事件がありますし,プレサンス事件や大川原化工機事件での不当な取り調べが問題視されています。また,元検事の在任中の部下の女性検事への性的暴行事件もショッキングでした(当初は有罪を認めていましたが,現在は無罪を主張しているようです)。
 検察官には絶大な権力があるだけに(敵に回すと怖いです),その信用を堅持してもらわなければ困ります。ストレスの多い仕事かもしれませんが,巨悪を倒せるのは検察であり,国民の期待も大きいです。実際,法科大学院生のなかにも,検事志望が少なくありません。かつて,労働法の研究者にスカウトした優秀な女子学生に,検事になりたいと言って振られたこともあります。
 他方で,検察官が作る事件のストーリーに沿った供述が求められる傾向があることも指摘されています。これは非常に危険なことです。優秀な検察官ですから,緻密なストーリーを作ることができるのでしょうが,それが正しい保証はありません。
 私も労働委員会の事件では,たんに当事者の申立書や答弁書,その他準備書面に出てくる事情だけではなく,その背景に何があるのかということを推測し,事件のストーリーを構想します。そうしなければ,事件の全体像がみえてこず,和解を進めるにしても,間違った方向に誘導してしまうおそれがあるからです。もっとも,そこで構想するストーリーは,暫定的なものにすぎず,その後,何度も練り直すことになります。三者構成ですので,労働者側や使用者側の参与委員の意見を聴きながら修正することが多いですし,事務局の意見も聴きます。もちろん当事者の意見も徹底的に聴きます。しょせん,私は大学の研究者にすぎないのであり,まずは事実をしっかり当事者や関係者から聴取し,そのうえでストーリーを考えなければ,誤る可能性は高いです。この仕事をしてから長くなり,それなりに知見も蓄積しているとはいえ,やはり限界があります。社会常識について,知らないところがたくさんあるということを自覚しています。ということで,ストーリーは何度も練り直されます。さらに審問で証言を聴いて初めてわかることもあり,その段階でもストーリーを練り直し,そして最後陳述の陳述書をみて,そこでストーリーを最終確認したうえで,和解での解決が望ましいとある程度確信できれば,和解を強く勧めますし,そうでない場合には命令文の作成にとりかかるということになります。
 いずれにせよ,当初のストーリーは的を射ていないことが多いです。人間とはこういうもの,企業とはこういうもの,といった思い込みは危険で,マクロの視点でみると,ある程度,属性ごとの平均的な行動特徴はあるとしても,事件はミクロのレベルで起こるのであり,そこでは,個々の当事者たちの個々の事件があり,それに応じた個性があるのです。刑事事件でも同じことでしょう。多くの場合は,検察官は正しいストーリーを作り上げることができるのでしょうが,もしかしたら,検察官には想定できないような平均値からはずれた被疑者の行動があったということもあるかもしれません。そこで気になるのが,検察OBの人たちがテレビで発言するときに感じる,検察という組織への強い愛着です。組織防衛意識の強さには,かなり違和感があります。検察の職務遂行において組織の重要性は否定しませんが,組織の論理にこりかたまると,一般市民との遊離が生じてしまい,それがひいては,事件のストーリーの質にも影響し,独善的な思い込みが生じ,冤罪の温床になりかねません。
 黒川弘務氏は,ジャーナリストと賭け麻雀をしたとして捕まっていましたが,賭け麻雀はともかく,一般市民ともう少し交流をもってみるのもよいかもしれません。検察審査会よりも,もう少し前の段階(捜査段階など)で,市民が関与できるような手続も,(検察からは反対の声が出るでしょうが)考えてみてよいのかもしれません。

2025年1月13日 (月)

王将戦

 王将戦が始まりました。藤井聡太王将に,永瀬拓矢九段が挑戦します。王将戦は,開始直前に衝撃が走りました。長年,王将戦を主催してきた毎日新聞とスポニチ(毎日新聞系)が主催から外れるということです。現在は,特別協賛がALSOKであり,棋戦の正式名称は,「ALSOK杯王将戦」となっていますが,来期から,日本将棋連盟の単独主催となり,毎日新聞とスポニチが特別協力となることが,連盟のHPで発表されています。理由はよくわかりませんが,いずれにせよ,名人戦を朝日新聞と共同主催で,王将戦も主催していた毎日新聞は,主催が名人戦だけになりそうです。なお,王将戦は,2019年には餃子の王将が主催して,「大阪王将杯」となったこともありました。
 王将戦は,名人戦について朝日新聞と主催の取り合いをしていた毎日新聞が,名人戦を主催できなかった時代に創設したもので,今期で第74期という歴史があります。タイトルの格としては,契約金で決まるので,八大タイトルのなかでは下から2つ目です(最上位が竜王戦で,以下,名人戦・順位戦⇒叡王戦⇒王位戦⇒王座戦⇒棋王戦⇒王将戦⇒棋聖戦となります)が,挑戦者決定リーグには,そのときの最強棋士が集まる重要棋戦です。今期は西田拓也五段が大活躍して51敗の成績を残したのですが,リーグ戦で1回勝っていた永瀬九段との挑戦者決定戦(プレーオフ)で負けてしまいました。
 さて本日の第1局は,藤井王将の逆転勝ちでした。序盤から永瀬九段が優位に進め,2日目の昼食休憩時には,永瀬九段の桂馬が4五と6五に並ぶ攻撃的な形で,3筋は香車が通っており,手持ちの角と合わせて総攻撃の態勢が整っていました。その後,飛車も捕獲しました。藤井王将の玉に,永瀬九段の馬が迫り,さすがに今日は藤井王将の負けだろうと思っていました。しかし,ここから1手の隙を活かして,攻めを繰り出していき,互角の状態に戻し,最後に永瀬九段の若干弱気の受けの手が出たところで,一気に攻め倒しました。最後は永瀬九段も必死に抵抗しましたが,藤井王将は読み切っていました。
 途中の藤井陣の形をみるとばらばらで,素人がみると,大差がついているようなのですが,そこからでも勝ってしまうというのはすごいです。永瀬九段も先手番であったので,この敗戦はきついでしょうが,これでへこたれることはないでしょう。七番勝負は,最後までもつれると3月末まで続きます。その間に,藤井王将は,増田康宏八段との棋王戦5番勝負が22日から始まります。昨年も同じようなダブルタイトル戦でしたが,王将戦は菅井竜也八段に4連勝,棋王戦は伊藤匠七段(当時)に3連勝で,あっさり防衛しています。今年はどうでしょうか。

2025年1月12日 (日)

大学の授業

 今期は法学部以外の学部生を対象に「社会生活と法」という授業を担当しています。対面形式で行っており,1限に設定されています。教室までは歩いて20分ほどかかるため,第3クオーターの初め頃は,歩くだけで汗だくになり,冷房がなければ授業どころではありませんでした。第4クオーターになるとやや涼しくなり,12月に入ると今度は寒さで凍えそうになりながら教室へ向かい,暖房がなければ授業はできません。日本の季節の変化は激しいですね。特に秋の気候が短くなっているように感じます。
 教室が広いせいもあり,学生の少なさが目立ちます。逆にいうと,専門科目ではない1限目の授業に出席する学生は,きっととても熱心なのでしょうね。教師の立場からは,私自身は学生が1人でも,10人でも,100人でも,やることもやる気も変わりません。受講生はわずかですが,相変わらず90分間話しっぱなしの授業です。話し始めると止まらないのは私の悪い癖です。定年まで,あと何回講義できるかわからないと思うと,1回1回の授業を大切にしたいと思います。
 来年度もこの講義を担当する予定ですが,実は来年度はオンデマンド形式で実施することになっています。1限に設定されていることもあり,オンデマンドのほうが受講者が増えるかもしれません。オンデマンドには難しさもありますが,それに対応しながら進めていきたいと思います。
 ところで,小学校から大学まで,学校の授業は朝8時台から始まることが多いですが,頭を使う作業をするには8時台は早すぎるのではないでしょうか。早起きをして,ぼっとした頭で授業に臨むということが多くなると思うからです。また,大学の90分授業も,学生の集中力の限界を考えると無理がある気がします。ちなみに,NHKの「おかあさんといっしょ」は25分程度の番組ですが,2~4歳の集中力が2~3分程度であることを前提に,複数のコーナーを設けているそうです。おそらく年齢ごとに集中時間の限界があり,その限界に応じた授業時間の設定も必要なのでしょう。
 もちろん,大学では,授業方法を工夫すれば解決できる部分もあるかもしれません。しかし,受講生が多い大講義では双方向の授業は難しく,どうしても一方的に教師が話す形式になりがちです。その場合,40分+休憩10分+40分くらいがちょうど良いかもしれません。来年度おこなう法学部生を対象にする労働法の授業では,露骨に「休憩10分」と宣言すると怒られるかもしれませんが,途中で10分程度のシンキングタイムを設けるなどして,40分×2のスタイルを試してみようかなとも思っています。

2025年1月11日 (土)

天動説は誤りか

 自分が正しいと思う学説にこだわることは,研究者にとっては大切なことです。それは,正しいとされている学説を疑うところから始まります。
 ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)は,天動説をキリスト教会が支持していた時代に,コペルニクス(Copernicus)の地動説を支持したことから,異端審問にかけられ,彼は「それでも地球は動いている」と述べたとされています。天体を素直に観察すると,太陽が動いており,アリストテレスでさえ天動説を支持し,それをプトレマイオスが「アルマゲスト」(Almagest)で体系化したため,その後,16世紀にコペルニクスが登場するまで,1700年近く,天動説は,アリストテレス哲学とキリスト教会の権威により支持されてきたのです(しかし,その2000年近く前に,ギリシャのアリスタルコスは地動説を唱えていたのですが,顧みられなかったようです)。同じ天体を観察していても,ガリレオのときには望遠鏡が発明され,観測精度が上がっていたことも,地動説への移行を決定づけました。天文学が今日的な意味での科学になったのです。
 これは理科の授業で習う事柄ですが,なぜ天動説を長年人々が信じたのかというと,望遠鏡がない時代において,それが直感に合致していたことに加え,自分たちのいる地球が中心であるという発想が,聖書でいうような,神が人間のいる地球を創造したというストーリーと整合的だったからでもあります。
 このことは,天動説と地動説というのを英語にしてみるとよくわかります。天動説は,英語では「Geocentric model」,地動説は「Heliocentric model」と呼ばれていて,それぞれ「地球中心モデル」と「太陽中心モデル」と訳せます。「天動説」は「地球中心説」,「地動説」は「太陽中心説」です。聖書は,地球中心説でなければ困るのでしょう。
 ちなみに,Geoは「大地」と言う意味で,阪急系のマンションの「ジオ」シリーズはそこから来ていますし,geographic, geometry など,geo を接頭語とする言葉はたくさんあります。Helioは「太陽」という意味で,これを接頭語とする言葉はあまり知りませんが, たとえば太陽圏(heliosphere)という言葉があります。
 それはさておき,ほんとうに地球は動いているのでしょうか。「動く」や「止まる」も,実は基準次第であり,地球を基準点に置くとすると,やはり太陽は動いていることになります。天文学では太陽中心主義であり,学校で学ぶのは地動説ですが,人間の意識や行動それ自体をみると,昔から地球中心主義のような気もします。地球中心主義はたとえ非科学的であっても,その立場からすると,ガリレオらは異端です。プトレマイオスの地球中心主義(天動説)が,かくも長く支持されたのは,科学の未発達ゆえであるという面だけでなく,基準点をどこに置いて考えるかという哲学的な問題も背景にあり,それが数理的な根拠を得ただけであったといえるかもしれません(数理的な根拠があれば十分という人が大半でしょうが)。地動説でさえも,とりあえず疑ってみるというのは,暇人の遊戯なのか,それとも真理の追求に向けた真摯な姿勢といえるのか,皆さんはどう考えますか(昔,野口悠紀雄さんが,『「超」整理日誌:地動説を疑う』(2004年,ダイヤモンド社)という本を出していますね)。

2025年1月10日 (金)

降雪に思う

 瀬戸内海式気候のおかげで,私の住んでいる地域では雪が降ることはほとんどありません。せいぜい2年に1回程度積雪があるかどうかという感じで,雪はむしろ珍しいもので,「久しぶりに雪景色を見てみたい」と思うくらいです。天気予報では兵庫県全体をひとまとめに扱われがちです(サンテレビなどのローカルな放送局は例外です)が,兵庫県北部と南部では気候が大きく異なります。また,同じ神戸市内でも北部と南部では状況がかなり違います。たとえば,神戸市北区では雪がよく降るそうです。今日は南部でも雪の予報が出ていましたが,結局降りませんでした。
 豪雪地域に住む方々からは,「雪景色を見てみたい」などと呑気なことを言うと,叱られるかもしれません。実際,豪雪地域では,雪かき中の事故による命の危険,積雪による家屋の倒壊,ホワイトアウト(whiteout)による車の立ち往生,凍結した歩道での転倒事故などが起こっています。さらには,雪の影響で独居高齢者の家に生活物資が届かなくなるなども深刻な問題でしょう。被災地のように元々生活が不便な地域では,雪がさらなる打撃となることも想像に難くありません。
 ただ,こうした自然の影響を「迷惑」と捉えるだけでなく,何とか有効活用できないでしょうか。たとえば,「雪冷熱エネルギー」などの技術が既に存在し,雪が多い地域ではさまざまな工夫が進められていることをネットで調べて知りました。そもそも,日本では昔から雪室や氷室といった方法で冷気を保存し,夏まで活用していた歴史があります。温暖化が進む現代においても,こうした冷気保存技術をうまく利用すれば,電気を使わないエコな冷房として活用できる可能性があります。これがどの程度効率的な技術なのか詳しくはわかりませんが,電力を必要としないアナログ技術の改良として期待できる分野かもしれません。
 ちなみに再生可能エネルギーと言えば,人糞も可能性があるのではないでしょうか。かつては肥料として利用されていた人糞には,窒素,カリウム,リンなど,植物の成長に適した成分が含まれています。一方,現代の化学肥料は窒素酸化物を生み出し,これは二酸化炭素よりもはるかに強い温室効果を持つとされています。このような状況を考えると,昔のように人糞を活用する方法に回帰できないかと思い,ネットで調べてみると,「エコロジカル・サニテーション(Ecological sanitation)」という技術が存在することがわかりました。こうした試みが進められていることに感心すると同時に,自分ももっと学ぶ必要があると痛感しました。

2025年1月 9日 (木)

光る君へ

 昨年の大河ドラマの「光る君へ」はすべて観ました。視聴率は悪かったそうですが,多くの人が大河ドラマに期待するものと違っていたからでしょうかね。藤原道長と紫式部(まひろ)のラブストーリーという性格が強かったのが敬遠された理由でしょうか。しかも,それは史実ではないことは明らかということで,そこで引いてしまった人がいたのかもしれません。でも,藤原道長の時代というのは,日本史として興味があるところであり,勉強のためという気持ちもあって観ていました。
 摂政となった藤原兼家の三男である道長は,兄が二人いるので,普通であれば後継者にはならなかったはずです。実際,兼家の死後,長男の道隆が関白となり(990年),その死後,次男の道兼が関白となりますが,すぐに亡くなります(995年)。そして,道長に順番が回ってきます。ドラマでは,道兼は,粗暴な人柄で,まひろの母を殺しているという設定になっています。道長には姉の詮子がいて,彼女は円融天皇に入内して女御になっています(978年)が,皇后にはなれず,天皇にも相手にされない状況に不満をもっています。しかし,後の一条天皇を生んでおり(980年),父の兼家にとっては,それが重要なことでした。
 道兼の死後,後継者として,道隆の長男の伊周と,道隆の弟の道長の争いとなります。一条天皇(986年即位)は,中宮(正妻)である定子の希望もあり,彼女の兄である伊周を後継者にしたいと考えますが,天皇の母の詮子は道隆父子への反発から,道長を強く推します。一条天皇は悩んだすえに母の意見にしたがいます。その後,長徳の変があり(995年),伊周兄弟が自滅すると,道長が権力を拡張していきます。道長は自分の娘の彰子を,わずか12歳で一条天皇に入内させ(999年),権力基盤を固めます。しかし,一条天皇の寵愛を受けていたのは定子であり,彰子は長らく相手にしてもらっていませんでした。定子は,清少納言を側においており,「枕草子」は定子に捧げたものです。ドラマでは,清少納言とまひろのライバル関係も描かれています。定子は兄たちの失脚などの失意のなかで,1001年に24歳で亡くなります。
 彰子は敦成を生みますが,一条天皇にはすでに定子の間に敦康親王がいて,定子の死後は,彰子の下で育てられていました。彰子は,一条天皇の後継は敦康と考えていましたが,道長は自分の孫である敦成を後継に強く推し,一条天皇の死後に即位したのは,敦成でした(後一条天皇)。これにより道長は天皇の祖父として権力基盤を確かなものにしていきましたが,道長と彰子との間には深い溝ができました。
 このあたりの道長の権力奪取のストーリーをたどっていくことができて,そこが面白かったです。もちろんドラマのメインは,まひろの人生のほうであり,下級貴族の娘であるが,父の影響で教養があったまひろが,一条天皇の気持ちが彰子に向くようにするために,道長の依頼により源氏物語を執筆するようになったという話になっています。まひろは彰子に仕えるようになりますが,他の侍女たちとは違い,彼女の仕事は源氏物語の執筆にだけ従事するという専門職でした。まひろには,夫を早くに失うシングルマザーで,家計を支えるために宮仕えで家をあけ,育児は父に任せているという「職業婦人」(表現が古いか?)の面がある一方,道長との熱愛があり,そして一人娘の賢子は,実は道長との不倫の子であったというような,恋愛ドラマの仕掛けもありました。個人的にも,吉高由里子の演じるまひろの人生には共感できるところがありました。
 このほか,刀伊の入寇という大事件も,あまり詳しく知らなかったので,勉強になりました。
 私が気に入ったドラマは視聴率が低いことが多いのですが,個人的には十分に楽しませてもらいました。最近では,「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」に続く「完走」です。今年の「べらぼう」も初回を観て面白そうなので,しばらく観ていきたいと思います。

2025年1月 8日 (水)

石田和外

 法学教室のIntroductionでかつての同僚であった橋爪隆さんが,NHKの朝ドラの「虎に翼」のなかで,尊属殺違憲判決が出てきたときの話を紹介しています。この判決は有名ですが,事案はよく覚えていなかったので,このドラマで観て,そういうことであったのかなということを認識できました。もちろんドラマはフィクションですが,実話に基づいています。判例変更をしたときの最高裁長官は,松山ケンイチが演じる桂場等一郎であり,これは石田和外がモデルです。
 昭和4844日の判決ですが,労働法との関係では,同月25日の公務員の争議行為に関する全農林警職法事件・大法廷判決(拙著『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)の第162事件)を出したときの裁判長として有名です。この判決以降,公共部門の争議行為禁止規定は,限定解釈を施されることなく適用されることになり,今日にまで至ります。
 石田和外は,保守派のエースであり,公務員の争議行為に好意的な判断が出た19661026日の全逓東京中郵事件と196942日の都教組事件の各大法廷判決では,いずれも反対意見を述べていました。とくに都教組事件では,石田はすでに長官となっていましたが,多数意見は石田の立場とは異なる合憲的限定解釈でした。石田が長官となった背景には,当初長官となることが想定されていた田中二郎のリベラルな姿勢に自民党が反発していたという事情があるようです(当時の首相は,佐藤栄作)。全逓東京中郵事件のころは,リベラルな立場にあった横田喜三郎長官(国際法学者),横田正俊(次の長官),田中二郎(行政法学者)に加えて,松田二郎,大隅建一郎(商法学者),色川幸太郎といったリベラルな最高裁判事がいました。しかし,全農林警職法事件のときには,松田二郎は退官するなどして,保守派が主流となっていました。実質的には87の判例変更であり,石田裁判長は定年前になんとしても判例変更を成し遂げたかったのかもしれません。この事件自体は,政治ストゆえに,かりに争議行為が可能であったとしても正当性を欠くという論理で処理することもできたので,あえて判例変更をする必要はないともいえました。法律それ自体を個々の事件から切り離して抽象的に合憲性判断をするというのは,日本の違憲審査は付随的違憲審査(具体的な訴訟事件の解決に必要な憲法上の争点について審査するというもの)であるとする通説とは異なるものでもあります。
 石田コートの果たした歴史的役割は,多くの人がすでに検証していると思います。公務員の争議行為の問題を考える際には,誰でも昭和40年代の劇的な判例変更(実質違憲判断に近い合憲的限定解釈から全面的合憲判断へ)のことを想起するでしょう。労働法の研究者やおそらく憲法の研究者も,石田和外という人にはネガティブなイメージをもっている人が多いのではないかと思います(詳しくふれることはしませんが,「ブルーパージ」問題もあります)。
 ところで,石田和外を演じるなら,イメージ的には,松山ケンイチだと,必死に渋面をつくっても限界があるような気がするので,別の俳優さんのほうがよかったかもしれませんね(もう亡くなりましたが,中尾彬という感じでしょうか)。

2025年1月 7日 (火)

2040年の労働政策

 月刊経団連の2025年1月号に,「2040年の労働社会と政策課題」というタイトルの拙稿が掲載されています。経団連において,「FUTURE DESIGN 2040」が取りまとめられたのを受けて,2040年と労働政策というテーマでの依頼があったので,執筆しました。経団連には,ぜひ将来を見据えた政策提言に取り組んでもらいたいという期待もこめて執筆しています。特集号への寄稿は,私以外はどの方も各界の第一人者で,私で申し訳ない気がしますが,経団連出版でを出していたこともあったので依頼が来たのでしょう。
 2040年となるとAIを意識したものにならざるをえません。最後にヒトのデジタルツインの話も盛り込んでいます。どんな労働社会が到来するか,かなり思い切った空想をしても,あっという間にそれが実現してしまいそうな時代です。生成AIの普及が,いっそう予測を難しくしています。そういうなかで,人間とは何かという問題が,より重要性を増しているように思います。哲学がブームになっているのも,そのためでしょう。そして,人間とは何かという問題は,私には
,他の動物との比較という問題に関心を向かわせています。想像するという行為ができるのは,おそらくチンパンジーにはできない人間の特性であり,AIにもできないでしょう。一方,創造のほうは微妙で,少なくとも生成AIはこれができるようになっています。AIに負けないためには,想像,さらには空想をすることでしょう。3歳から4歳くらいの子どもは,人形を与えなくても,周りにある適当なものを,人間に見立てて遊んでいます。空想の世界と現実の世界とを行ったり来たりできるのです。人間は成長をすれば,現実の世界にどっぷりそまるようになり,徐々にこうした想像力は衰えていき,同時に創造力も衰えていくのかもしれません。しかし,これは教育で防ぐこともできるでしょう。家庭や学校の教育の重要性を再認識すべきです。
 ということで,教育の重要性と関連して,「先端教育」という雑誌の2025年2月号に 「機械と人間,企業と個人の関係が変わる 生成AI時代,人材育成はどうあるべきか」というタイトルの拙稿が掲載されています。そこでは企業の人材育成に頼れない時代が来るという話を中心に書いていますが,根底には家庭教育の重要性や公教育の役割の再定義の必要性という問題意識があります。

 

2025年1月 6日 (月)

講義始まる

 今日が御用始めです。多くの方も同じでしょう。
 新年最初のLSの講義では,批判されるべき最高裁判決を3つ扱うことになりました。判例重視のLSでは教えにくいものです。一つは,企業施設内での無許可のビラ貼付(組合活動)をめぐる国鉄札幌運転区事件(最高裁判所第3小法廷1979年10月30日判決)です。判例の許諾説は,時代が経つにつれて,違和感をもたない学生が増えているような気がしますが,戦後,憲法で28条が設けられたことの意味をプロレーバーの人たちがどう考えて受忍義務説を展開したか,そのなかで,この最高裁判決は,企業内組合活動の法理の展開に対する反動的な意味をもつ歴史的なものであるといった私なりの評価を説明しました。最高裁の許諾説では,組合活動が憲法上の権利として保障されたとすることの意義が減殺されるのではないかという疑問には,それなりに共感する学生もいたように思います。もう一つは,大成観光事件(最高裁判所第3小法廷1982年4月13日判決)です。リボン闘争の正当性をめぐるものですが,その前提となる厳格な職務専念義務論に疑問を投げかけている伊藤正己裁判官の補足意見もみながら考えてもらいました。最後に,済生会中央病院事件(最高裁判所第2小法廷1989年12月11日判決)です。無許諾の職場集会に対する警告が支配介入となるかが問題となった不当労働行為事件です (チェック・オフ中止の支配介入該当性も問題となっています)が,支配介入の成否の前提となる職場集会の正当性の判断において,最高裁が許諾説により,あっさりと支配介入該当性を否定したことへの違和感を伝えました。この3つの最高裁判決のうち,少なくとも国鉄札幌運転区事件と済生会中央病院事件については,司法試験の答案でも,必ずしも最高裁判決に従う必要はないのではないかと思っています。
 今日の講義では,石川吉右衛門先生の名前も何度か登場しました(労働組合法7条の私法上の効力との関係など)。あまり司法試験の合格に直結しない話をしてもどうかという気持ちもしますが,大学でやっている授業なので,今年も研究者として伝えたいことは伝えるという方針でやっていきたいと思います。

 

 

2025年1月 5日 (日)

睡眠

 少し前にネットで,金谷啓介という若手研究者の,「睡眠は「脳の誕生」以前から存在していた…なぜ生物は眠るのか「その知られざる理由」」というエッセイを読みました。快眠というのは,多くの人が渇望していることです。私はもともと眠りが浅いですし,最近は老化もあって,よく夜中に目が覚めてトイレに行きます。若い頃から眠りには関心がありましたが,どうしてよいかよくわからないまま,これまで生きてきました。ただ,よく眠らなければ脳はきちんと働いてくれないと思っていましたので,どうすれば自分の脳がよく働いてくれるように眠れるか,ということは意識してきました。しかし,結局のところ,かなり疲れていても脳はそこそこ働いてくれるし,朝のほうが脳はよく働いてくれる気はしますが,それは脳だけではなく,その他の部分も元気だからかもしれないと思っていました。
 そんなとき,金谷氏の『睡眠の起源』(講談社現代新書)の内容を紹介した,上記のエッセイに出会いました。脳のないヒドラも睡眠をとっているというのです。睡眠の定義にもよるのでしょうが,このエッセイでは,睡眠を「可逆的な行動の静止」「反応性の低下」「恒常性」という行動指標でみるとし,そうすると,ヒドラも睡眠しているのです。では脳のない生物は,なんのために睡眠をするのか。まだ研究途上ということですが,睡眠不足にすると細胞増殖が低下するようであり,「寝る子は育つ」は正しいのではないかと彼は述べています。
 睡眠は脳に関するものなので,脳にとって意味があるという思い込みがありました。睡眠の本質になかなか迫ることができないのは,問題の設定自体に問題があったかもしれないのです。まったく違った発想で睡眠にアプローチすると,見えなかったものも見えてきます。金谷さんの場合は,そのきっかけは,ヒドラの観察にありました。観察や実験こそ,真理に近づく近道であるということであり,これが16世紀以降の自然革命の基本思想でした。
 人類の起源についても,アフリカが起源であるはずがないという思い込みが,真理への到達を妨げていました。眼の前にある遺骨すらも,正しく分析できなかったのです。遺伝子解析という超絶した技術が出てきて,異論がはさめないようになってはじめて,真理への到達が近づいたということです。観察や実験に支えられた仮説で分析することの重要性を再認識させられた感じがします。ただ,社会科学ではそこが難しく,自然科学的な観察や実験と,統計データとを同視できるのかは,現時点では何ともいえないところです(EBPMの評価の難しさです)。それでも,思い込みをできるだけもたず,議論が行き詰まったときには,まったく違った発想でアプローチすることが,研究の発展に重要であることは疑いがないことでしょう。

2025年1月 4日 (土)

U.S. Steel買収失敗に思う

 日本製鉄(日鉄)によるUSスティール(U.S. Steel)の買収を禁止する命令が,バイデン大統領によって出されました。日鉄の経営者は,大統領選挙後には静穏な環境で安全保障上の問題が審査されると楽観していました。同盟国である日本企業による買収に安全保障上の懸念があるとは考えにくかったのでしょう。しかし,対米外国投資委員会(CFIUS)は結論を出せず,大統領の判断に委ねた結果,買収禁止の命令が出されました。この背景には,USスティール労働組合の反対が影響したと言われています。 さらに,次期大統領候補のTrump氏も買収に反対を表明しており,Biden大統領としては民主党が労働組合の味方である印象を残して任期を終える意図があったのかもしれません。ただ,この決定はUSスティールのさらなる弱体化を招き,合理的に考えればアメリカの利益にもならないものです。
 アメリカは民主主義国家というイメージが強いものの,実際には「国王」のような権力を持つ大統領が,自由経済の原則を簡単に覆すことができる国です。今回の件でもBiden大統領の行動はその一例といえるでしょう。Trump氏が「王国」建設を目指していると揶揄されることがありますが,Biden氏の行動にもまた同様の側面を持ちます(自身の息子を含む大量の恩赦は,権力の濫用にうつります)。
 今回のBiden大統領の決定が完全に予測不可能だったわけではありません。一部では,岸田前首相がバイデン大統領との会談で日鉄の買収案件を議題にしなかった点を問題視する声もあります。「日鉄の件をよろしく」と一言述べるだけでも結果は変わったかもしれません。自由主義の原則として,政府は個別の企業案件に介入すべきでないという姿勢は重要ですが,相手国がその原則を守る気がない場合には,現実的な対応が必要です。日鉄としても,事態を楽観視せず,日本政府により強い働きかけを求めるべきだったと後悔しているかもしれません。
 私たちはアメリカを自由で民主的な国家と捉えがちですが,現実には「国王」による統治に近い国家に変わりつつあるのかもしれません。そして,経済的自由主義もまた「国王」の利益にならない場合には簡単に切り捨てられることを理解しておく必要があります。しかし,日本はそのような国になるべきではありません。日本政府は,経済的自由主義がアメリカ自身にとっても利益が大きいことを粘り強く伝え,理解を促す努力を続けるべきでしょう。

2025年1月 3日 (金)

駅伝

 元旦のニューイヤー駅伝は,西脇工業から大学に進学せずに旭化成に入った長嶋幸宝選手が,見事に1区で区間賞をとり,チームの優勝に貢献しました。昨年はルーキーで1区に抜擢されましたが,転倒して力を発揮できませんでした(それでも区間13位)。今年は,福岡国際マラソンの覇者の吉田祐也選手(GMOインターネットグループ)やオリンピアンの三浦龍司選手(SUBARU)に競り勝ちました。長嶋といえば,やはり1区です。高校駅伝でも1区を独走した走りは印象的です。彼くらいの選手なら,もちろん多くの大学から声がかかったでしょうし,箱駅駅伝も走りたかったのではないかと思いますが,それを捨てて実業団入りしました。
 その箱根駅伝は,今年も青山学院が優勝して連覇しました。中央大学の独走で始まりましたが,終わってみれば,3強(青山,駒澤,國學院)の上位独占でした。ただ,3冠をめざした國學院は,最後は3位に入ったのはさすがですが,勝負どころはなかったですね。中央大学,早稲田大学は存在感を発揮しましたが,総合力では3強と差があった感じです。
 往路優勝の青山学院は第6区の山下りで勝負を決めましたが,7区で駒澤大学の佐藤圭汰の猛烈な追い込みで「ピクニックラン」とは行きませんでした。すべて2位で無冠に終わった駒澤ですが,4年生は一人しか走っておらず,箱根の復路は優勝で,往路の1年生の活躍も含め,来年は大エースの佐藤を軸に三冠を狙える位置にいると思います。

2025年1月 2日 (木)

今回の紅白歌合戦

 NHKの紅白歌合戦は,一部をライブで,残りはNHKプラスで観ました。あまり期待していませんでしたが,思っていたより良かったです。
 司会者が曲や歌手を紹介するときに,今年ブレイクしたとか,バズったとか,大ヒットしたとかいう説明が入りますが,そうした歌のほとんどは知りませんでした。昨年も書いたかもしれませんが,◯◯46とか,Kポップとか,似たようなタイプのものがたくさんあって,そういうのは,2組くらいに限定してほしいというのが,おじさん世代の要望ですが,紅白はおじさんたちのためだけのものではないので,諦めるしかありませんね。おじさん向けでないとしても,Kids向けのものやDisneyものは,個人的には楽しめました。
 懐メロもかなりあり,満足できました(こちらのほうは若者たちは面白くなかったかもしれませんね)。南こうせつの「神田川」やイルカの「なごり雪」,The ALFEE の「星空のディスタンス」,GLAYの「誘惑」,石川さゆりの「能登半島」,玉置浩二の「悲しみにさよなら」などはとても良かったのですが,やはり圧巻だったのはB’zでした。朝ドラの「おむすび」は,主題歌の「イルミネーション」を聞きたいためにみているという面もあり,それを生演奏で聴けたので感動しました。しかも,そこで終わらず,司会者も知らされていなかったサプライズで,2曲(LOVE PHANTOM」「ultra soul」)のメドレーがあり,マイクトラブルも吹き飛ばす熱唱を聴かせてくれました。Liveで観ていましたが,NHKプラスでも再視聴しました。年の最後に良いものをみせてもらいました。
 B’z と並ぶもう一人の主役は,司会者の一人の橋本環奈さんです。朝ドラの主役ですが,女優のときより,司会のほうが存在感があります。彼女一人で,若い女性歌手が何人集まっても勝てないような別格のオーラと存在感がありましたね。B’zと橋本環奈のための紅白だったような気がします。

2025年1月 1日 (水)

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。戦禍に苦しむ人達がいるなかでは「おめでとう」は簡単には言えないのすが……。戦争に慣れてきているようで,困ったものです。平和に生きられることの幸せを噛み締めていきたいです。人の命が軽すぎます。
 ホモ・サピエンスは残虐だというのは誤りで,むしろホモ・サピエンスは,その社会性で生き残ってきたのです。このことを考えるうえでは,山極壽一『共感革命―社交する人類の進化と未来―』(河出書房新社)がお薦めです。誰もが知っているゴリラ研究の第一人者で,京大元総長の山極さんの本です。私も含め,ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(河出書房新社)の「認知革命」「農業革命」「科学革命」というホモ・サピエンスの歴史上の「革命」という図式に影響を受けている人が多いと思いますが,山極さんは,「認知革命」の前に「共感革命」というのがあり,これこそが人類史上最大の革命であるという説を主張しています。人類の本性は暴力的だとするのは,たしかにホモ属はサピエンスしかおらず,他の種はすべてサピエンスが殺してしまったといわれると,なんて私たちは残虐なんだろうと自虐的な気分になりますが,実はそうではなく,人類はその歴史上,共感をもって平和的に生きていたというのです。
 戦争は仕方がないとあきらめずに,共感力を発揮する知恵を探り出す1年になってもらいたいです。

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