福岡国際マラソン
12月になりました。師走です。慌ただしくなります。
福岡国際マラソンがありました。吉田祐也選手が2度目の優勝をはたしました。記録は2時間5分16秒です。日本記録に20秒届きませんでしたが,見事な記録です。2000年に藤田敦史(現在は,駒澤大学の駅伝監督)が,当時の日本記録である2時間6分51秒で優勝したときは驚きました。海外の大会で好記録を出した選手はいますが,優勝のほうが価値があります。吉田選手は,2000年にも2時間7分5秒で優勝しています。福岡で2度の優勝は見事です。複数優勝は,中山竹通,瀬古利彦あたりにまで戻らなければなりません。
瀬古さんは,福岡で4回優勝していますが,1983年の4回目の優勝の記録は,2時間8分52秒でした。当時は2時間10分を切るのが大変な時代で,2時間8分台の記録に興奮したことを覚えています。しかもこの勝負は,日本でもおなじみのタンザニア(Tanzania)のイカンガー(Ikangaa)が先行逃げ切りをはかり,最後の100メートルで,瀬古がスパートして抜き去った劇的なレースでした。ライバルの宗兄弟や伊藤国光にも勝ち,世界記録保持者のサラザール(Salazar)も破り,その年の2月にあった東京マラソンでの優勝に続き,世界一の実力を世界にとどろかせたのが,この福岡の大会でした。日本のマラソン選手が,記録でも勝負でも,世界に最も近い時期でした。
瀬古選手はオリンピックでは勝てませんでした(最盛期のモスクワオリンピックのときはボイコットの犠牲になりました)。しかし,オリンピック前年の1983年の福岡に,代表選考レースという大勝負で,アフリカの選手に負けなかった瀬古選手は,いまなお日本の誇りです。

