渋谷労基署長(山本サービス)事件・控訴審判決から思うこと
研究者コースの大学院で渋谷労基署長(山本サービス)事件の控訴審判決(東京高判2024年9月19日)について報告をしてもらい,議論しました。よくわからないところが多い事件でした。訪問介護事業と家政婦紹介あっせん紹介事業を行っている会社Aにおいて,24時間介護の必要な重度要介護者Bのところに,訪問介護ヘルパーと家政婦として送り込まれたCが7日間の泊まり込みでの業務(休暇取得者の代替業務)の後に心疾患で死亡したところ,家政婦は家事使用人(労働基準法116条2項。労働基準法の適用除外)であるとして,労災保険の不支給処分がなされたことに対して,取消訴訟がなされたケースです。第1審(東京地判2022年9月29日)は,Cは,家政婦としての家事業務と訪問介護としての介護業務の双方を行っているが,前者は要介護者の家族Dとの雇用契約によるものであり,それについては家事使用人としての扱いになるので,労災保険の対象とはならないとされ,介護業務の部分(時間的には家事業務よりもかなり少なかった)は業務の加重性は認められない(複数業務要因災害が認められる前の事案)として,結果としてC側の敗訴となりました。ところが,控訴審の東京高裁は,原判決を取り消して,不支給処分を取り消しました。高裁判決は,CはA会社との間で,家事業務についても雇用契約を結んでいると判断し,かつCは家事使用人には該当せず,そしてCには「短期間の加重業務」があったとして,業務起因性を肯定しました。
結論は妥当であるとしても,この法律構成でよいのか,ということは議論になりました。とくにD(Bの子)とCの契約はどうなったのか,ということです。重度の要介護者を抱える家族としては,同じヘルパーさんに,介護業務以外に自費負担で家事業務もお願いするということは,よくあることなのでしょう。この場合,家事業務については,サービス会社にあっせんを依頼することはありますが,意識としては,あくまで自分が契約者というものでしょう(私の個人的な経験からも,契約者とならざるをえないという感じです)。もっとも,このときの契約は人を雇うというよりも,プロの人材に介護と融合しているような家事を業務委託するか,あるいは,専門会社にプロ人材の派遣を求めるという感覚であることが多く,いずれにせよ,直接,ヘルパーを「雇用」する契約を締結する意識はないような気がします。業務委託なら,今日ではフリーランス法の問題となり,プロの派遣であれば,労働者派遣の問題となるでしょう。
家政婦が家事使用人であることはおかしいというのは,濱口桂一郎さんが,『家政婦の歴史』(文藝春秋)という本で,歴史的経緯からも,きちんと説明されています(マニアックな本だと思いますが,労働法に関心のある人が読むと,とても面白い本だと思いますし,もちろん勉強になります)。GHQによる労働者供給事業の禁止に巻き込まれ,なんとか派出婦会の事業は職業紹介として生き残ったが,家政婦は女中と同じ家事使用人にされてしまい,労働法の適用対象から除外され,労災保険から除外され,その後,かろうじて特別加入だけ許された存在になってしまったということです。そして,濱口さんは,家政婦ビジネスの正しい法的な地位は,一般家庭(非事業主)が雇い主であるとみるのではなく(つまり職業紹介ではなく),家政婦紹介所が雇い主となった労働者派遣であるとします。
ただ,労働者派遣となると,派遣先が労働者を指揮命令することになりますが,本判決のような場合には,要介護高齢者の家族が,プロのヘルパーに指揮命令をするというのは実態に合っているのかはやや疑問があるところです(たしかに,ヘルパーにいろいろなリクエストはするでしょうし,本件のDもそのようですが)。
本判決は,A会社とBさんは,家事と介護の両方について単一の雇用契約を結んでいたとし,Dの存在は契約当事者から消えていきました。DがBにしていた指示は,A会社の指揮命令を代行していたということかもしれませんが,やや苦しい法律構成です。また,Dが提示していた日給16000円の趣旨は,どうみても家事業務に対する賃金のように思えるのですが,裁判所はそれを家事業務と介護業務の全体に対する賃金であると認定していました。ここは,裁判所の説明が,よく理解できませんでした(私の理解不足なだけかもしれません)。もちろん,Cさんの自宅での就労の実態からみると,家事と介護を分けることには無理があり,第1審のような結論はAさんに酷であるというのはよくわかります。ただ,そのことから契約の単一性まで認めるのは,やや強引な気がするのです。
ここからは,私のいつもの議論となります。病気やケガなどについて,私は,雇用労働者であれ,家事使用人であれ,フリーランスであれ,そのステイタスに影響されずに,統一的な保障が認められるべきではないかとか考えています。さらに,就労しているかどうかによっても左右されるべきではないと思います。本件のCさんのような働き方をする人が救われるようにするためには,こういう個人に着目したセーフティネットの構築こそが必要なのです。もちろん,そうなると,労災保険としての優遇がなくなります。従前の収入(平均賃金に準拠する給付基礎日額)が反映しないことにもなります。しかし,私は種々の制度の狭間に落ち込み不公平な結果が生じないようにすることこそが重要で,そのためにも,(現実性はさておき)公的な保障は,個人に着目したミニマムなものを内容とする制度にすることが必要だと考えています(ただし,本件のような死亡の場合,遺族補償というものをどう考えるかは,個人単位の保障を考えるとすると,検討が必要です)。
« サトテルは2番でいこう | トップページ | 遺族補償から社会保障について考えてみた »
「労働判例」カテゴリの記事
- あんしん財団事件・最高裁判決(2024.12.05)
- 渋谷労基署長(山本サービス)事件・控訴審判決から思うこと(2024.11.11)
- 格差是正の方法(2024.10.23)
- 間接差別(2024.10.03)
- 三菱重工長崎造船所事件・最高裁判決(2024.09.12)