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2024年11月12日 (火)

遺族補償から社会保障について考えてみた 

 昨日の話の続きですが,個人単位の社会保障というものを考えた場合,一つの論点は,遺族補償がどうなるのか,ということでしょう。渋谷労基署署長事件でも,ヘルパーの遺族が,遺族補償給付と葬祭料の支給を求めた事案でした。
 個人単位で社会保障を考えるということにすると,生計を同一にしていた配偶者が死亡した場合の所得保障をどう考えるのか,という問題にぶつかります。ただ,共働き(ツートップ型)や独身世帯が増えていくなかで,個人で生計を支えていくのが原則になると,配偶者への給付は不要ということになるかもしれません(未成年の子については,扶養する親に,その収入に応じた手当などで対応することになるでしょう)。
 現行法では,妻が先に労災で死亡した場合,夫は60歳以上でなければ遺族保障年金の受給資格はありません(労災保険法16条の211号)。一方,夫が先に死亡したときの妻にはこのような年齢要件はありません。妻は夫に経済的に支えられているので,夫が死亡した場合には年齢に関係なく保障が必要だが,夫の場合は,60歳未満であれば,自力で生計を立てることができるので,保障は不要ということでしょう。これが生活の必要性ということからくる議論であるとすると,今後は共働き化の定着により,妻も経済的に自立するようになっていくので,夫と同様,60歳未満であれば,受給資格はないという方向での平等化も考えられそうです。実際の裁判は,夫の年齢要件をなくす方向での議論をするのですが。
 ちなみに,2017321日の最高裁判決は,地方公務員のケースですが,遺族補償年金の受給資格で妻以外に年齢要件があることを,憲法14条の平等原則に反せず合憲と判断しています。その理由は,「男女間における生産年齢人口に占める労働力人口の割合の違い,平均的な賃金額の格差及び一般的な雇用形態の違い等からうかがえる妻の置かれている社会的状況に鑑み,妻について一定の年齢に達していることを受給の要件としないことは,……合理的な理由を欠くものということはできない」というものです(
平成27年(行ツ)375)。この最高裁判決には,当然,批判もあるところです。
 ところで,最近いただいた森戸英幸・長沼建一郎『ややわかりやすい社会保障(法?)』(弘文堂)で,この点について,どういうことが書いているだろうかと思って,本を開いてみました。こちらは遺族厚生年金についての箇所で,この論点に触れていました(遺族厚生年金は,やはり夫にだけ55歳以上の年齢要件があります)。
 「ちなみに遺族年金を廃止して,年金をすべて個人単位にすれば『すっきりする』との指摘も多い。確かに遺族が誰もいないケースも増えてくるだろうし,その方が今の時代にマッチしているともいえるのだが,もしそうすると,たとえば早く死んでしまい,ずっと保険料を払ってきたのに年金をあまり(さらには「まったく」)もらえなかった場合の『保険料の払い損』の問題などが正面に立ちあらわれるだろう。」(191頁)。
 私は,老後の所得保障は,現在の基礎年金に相当するものは税金ベースとし,それ以上の部分は,iDeCo(個人型確定拠出年金)のような個人の積立てに税制優遇を認めること(拠出・給付の双方での優遇を想定していて,こうした優遇は現金給付と同様の効果があるので,広義の社会保障に入ると思っています)でよいのではないかと考えていますが,途中で死亡した場合,後者については,年齢に関係なく遺族に支給されることにすればすっきりします。これだと保険料の払い損という問題も出てこないと思います。労災保険も,医療面は健康保険に吸収し,遺族補償はなくし(個人単位の年金制度に吸収し)たうえで,使用者や第三者の帰責部分については,民事で安全配慮義務違反等を理由とする損害賠償を請求することでよいというのはどうでしょうかね(労災保険制度の趣旨の一つである無資力の危険への対応は難しいのですが,立証の負担については,労働者側に有利なルールを立法で定めることはありえるでしょう)。もちろん労働者から損害賠償請求するのが大変ということはよくわかるのですが,現行法の下でも,労災保険は全額の補償はしてくれないので,差額分(とくに慰謝料)は民事損害賠償請求をすることになるのです。そう考えると,裁判をする手間という点では,いまと変わらないといえるでしょう。詳細は詰めなければならない論点はたくさんありますし,現実無視の暴論かもしれませんが,徹底した個人単位の社会保障というものの理論的シミュレーションはやってみてもよいと思っています(すでにどなたかが,されているのかもしれませんが)。
 ところで,この森戸・長沼本は,プレップ労働法と同様の森戸カラーの強い本ですが,いつものように読み物として面白く,書名の「ややわかりやすい」という謙虚なタイトルは,社会保障の難しさを直視した正直なものなのでしょう。人生も60年以上になり,家族の介護なども経験し,自分の年金受給開始年齢に近づくと,社会保障の重要性は身にしみて感じます。その割には,この制度の複雑さには閉口することも多いです。私たちの生活において,とくに高齢になってくると最も重要性が高い社会保障制度の話は,社会保障法の素人もどんどん議論に参加して,良き社会の設計のために意見を言うことができてもよいと思っています。今回いただいた本をきっかけに,みんなで社会保障を論じてみることが必要だと思いました。森戸・長沼本の表紙の黄色は,社会保障に関心をもたなければ大変なことになるという警告を示す色かもしれません。もっとも,いきなりこの本だと,読者はびっくりするかもしれませんから,同じ弘文堂の島村暁代さんの『プレップ社会保障法』から(まだの人は)読み始めたほうがよいかもしれません。
 ちなみに,国民民主党の103万円の壁の引上げ論に便乗して(?),社会保険のほうの106万円の壁を撤廃しようとする厚生労働省の動きを素材に,みんなで議論をしてみてはどうでしょうか。これによりパート労働者が厚生年金に加入できれば,手取りは減りますが,保険料の事業主負担もあるし,厚生年金で老後の所得保障につながるという話を聞かされています(健康保険なら病気で休業したときの傷病手当金もあります)。でも,老後の保障については,手取りが減った部分は国に運用してもらうということで,若い人なら何十年も先にならなければもらえない給付を(政府から委託されたGPIFという専門家とはいえ)他人の運用任せにするのです。その金があれば,新NISAで,自分で投資したいという人もいるかもしれません。新NISAも政府は推奨していました。いま厚生年金に入っている人にとっては,加入者が増えたほうがありがたいかもしれません。少子高齢化で年金財政がますます厳しくなるからです。でも,これから加入する人は,加入資格が生じることが,どれだけ魅力的かは,ほんとうのところはよくわかりません。手取りが多少は減っても,老後は安心だよというように,簡単に考えてはならないと思います。もちろん厚生労働省からの反論もあるのでしょうが,それもふまえて,自分で考えて,社会保障制度に問題意識をもつことにしましょう。  

 

 

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