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2024年9月28日 (土)

袴田事件に思う

 静岡地方裁判所で,元死刑囚に対して無罪判決が言い渡されました。裁判官は,検察による証拠の捏造を断罪し,袴田さん側に謝罪しました。検察は捏造の根拠が示されていないとして不満を示しており,控訴の可能性もありますが,そういうことをすると、世論の反発が強まることが予想されます。これは,一人の人生(おそらくお姉さんの人生も含めれば二人の人生)を大きく狂わせる,取り返しのつかない出来事となったかもしれないのです。そのことを思うと,冷静にこの事件をみていられません。
 もちろん,事件の真相は依然として不明ですし(誰が犯人かわからない),最も気の毒なのは被害者であることに変わりはありません。しかし,事件の悲惨さから,安易に犯人を特定しようとすることがあってはなりません。刑事裁判には冤罪を生まないための厳格な手続が定められており,それが法的正義を実現するためのものです。いったん判決が確定したあととはいえ,再審手続のハードルが非常に高い現状は,手続的正義としてどうなのかという疑問があります。再審は例外的な手続かもしれませんが,冤罪を防ぐ最後の砦でもあります。
 検察が証拠を捏造したとは信じたくありません。しかし,袴田さんの血痕がついた衣類が,事件発生から1年以上経って発見されたという不自然さは,どうしても疑問を禁じえません。血痕が1年後も残っているかについては専門家の意見が分かれているようですが,発見の経緯も含め,静岡地裁は踏み込んだ判断を下したのでしょう。「捏造」という言葉が使われなければ,検察も人道的な配慮から控訴を断念しやすかったかもしれませんが,裁判長は,裁判が終わらないリスクを理解したうえで,それでも検察を厳しく断罪する必要があると判断したのかもしれません。
 一人の冤罪も許さないという観点からすれば,疑念が残る証拠で有罪判決(ましてや死刑判決)を下すことは,人権の観点からは、当然、許されるべきではありません。過去にも村木事件のように,証拠の捏造が明らかになった事件がありました。検察は,半世紀以上前の事件のことに,いつまでもそのメンツにこだわるべきではなく,人道的な観点からこの事件に終止符を打ったほうがよいと思います。
 昨日の日本経済新聞の社説では,「現行の刑事訴訟法には再審手続きに関する規定がほとんどなく,検察側が持つ証拠の開示がされないため,再審が認められるハードルは非常に高い。これが長期化の要因となっている。再審請求手続きにおける証拠開示の制度化や,検察の抗告禁止を含む法整備を早急に検討すべきだ」と指摘されていました。私もそのとおりだと思います。ただし,政治家に任せきりにしてしまうと,これをきっかけに,自分たちの利益を守るために(再審の問題を超えて)検察権力を制約するようなものができるおそれもあります。有識者の視点を取り入れたうえで,客観的かつ信頼性のある法整備が求められます。

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