下山事件
1949年は,戦後日本の方向性が決まる重要な年であったと思います。1948年12月に「経済安定9原則」が出され,翌年にアメリカから銀行家のDodgeがやってきて,いわゆる「ドッジ・ライン」(Dodge line)が発表されました。日本経済の安定と自立化が目的とされ,1ドル360円という単一為替レート(円の過小評価による大幅な円安といえるか,実勢を反映したものかは議論があるようです)の設定がその代表ですが,さらに緊縮財政を進め,政府からの財政出動が抑制された影響も大きく,公共事業や政府からの発注に依存していた企業は経営が悪化し,大企業でも人員整理が進められて,社会不安が広がりました。そのようななか,労働組合法の改正がなされています。終戦直後から,ニューディーラー(New Dealer)たちにより進められた労働組合改革は,1948年のマッカーサー書簡に基づく芦田均内閣の政令201号(公務員の争議行為の禁止)あたりから方向転換がなされます。GHQ内のウィロビー(Willoughby)らが率いるG2(参謀第2部)とケーディス(Kades)らが率いるGS(民政局)の対立も関係しており,東西対立による冷戦がしのびより(1949年は,NATOが誕生したり,中華人民共和国が建国された年でもありました),反共を担当するG2の影響力が高まりつつあるなか(ケーディスは,鳥尾鶴代子爵夫人との不倫スキャンダルで失脚します),労働組合法はかなりの改正を受けました。当初の改正案はより抜本的なものを含んでいたので,それに比べれば小粒にはなりましたが,それでも当初の統制的なものから,現在にも続いている内容へと,かなりの改正がなされました。
1949年は下山事件を始めとする国鉄における3大事件(あとは三鷹事件,松川事件)があった年でもあります。同年7月5日に,同年6月1日に公共企業体となったばかりの日本国有鉄道の初代総裁の下山定則氏が轢死した事件は,いまなお誰がどのような理由で殺したか(自殺説もあります)がはっきりしていません。国鉄も大規模なリストラを打ち出しており,それに反発する労働組合や左翼勢力が行ったとする説(なお,公共企業体での争議行為を禁止することなどを含む公共企業体労働関係法が,国鉄誕生と同時の同年6月1日に施行されており,労働運動への締付は強まっていました。なお,公共事業体である三公社が民営化した現在でも,この法律は,行政執行法人の労働関係に関する法律として生きながらえています),反共政策に利用するためにGHQ(G2)が仕組んだとする説,国鉄をめぐる膨大な利権の背後にある贈収賄に批判的な下山氏が利権を守りたい勢力(政治家,経済人ら)によって始末されたとする説など,いろいろあります。
ところで,先日紹介した,安倍元首相の暗殺事件を素材にした小説『暗殺』(幻冬舎)の著者である柴田哲孝の『下山事件 最後の証言(完全版)』(2007年,祥伝社)は面白かったです。上に書いたことも,この本から得た情報が多いです。下山事件に関する書籍は,松本清張の『日本の黒い霧』をはじめ,汗牛充棟ですが,この本の特徴は,事件の舞台の一つになった亜細亜産業が,著者の祖父が働いていた会社であり,その祖父が下山事件に関与していた疑いがあったということです。柴田氏は,自分の家族の真実を知るためにも,事件の解明に執念を燃やします。いろいろと仮説を立てながら,それを検証するために,自分の母や伯母などの親族へのインタビューを含め,膨大な証言を集めていて,迫力のある内容となっています。
政治的には,下山事件が起きたころは,G2と近い吉田茂の第3次内閣のときでした。この本を読んでいると,下山事件の背後に吉田茂やその「弟子」であった佐藤栄作がちらつきますし,満州鉄道の関係者もちらつきます。また張作霖が爆殺された奉天事件と下山事件の類似性など,日本史や日中史を知るうえで興味深いことも出てきます。最後には,名前は伏せられていますが,本当の黒幕は誰であったかが示唆されています。私は,それは有名な大物経営者ではないかと推察していますが,そうだとすると,著者も推測だけでは書けなかったのでしょう。
多くの登場人物が出てきて大変なのですが,それだけ情報が豊富であるということであり,一読の価値はあるでしょう。
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