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2024年9月24日 (火)

不平等条約

 自民党の総裁選の党主催の那覇での演説会で,石破茂氏が,日米地位協定の見直しに着手すべきと言及したことが話題になっています。那覇に行ったからリップサービスで発言したというような軽いものではなさそうです。石破氏自身,安全保障の専門家を自認しているのであり,日米地位協定のもつ意味や見直しの難しさは十分にわかったうえで,あえて,これまでのような運用の改善だけでは不十分ということで思い切った発言をしたようです。勇気ある発言であり,なお沖縄を苦しめている米軍基地問題について,中央の政治は見捨てていないということを示した点でも意味があると思います。
 日米地位協定17条というのが問題の条文です。私は専門家ではないので,この条文の意義について詳しく解説することはできませんが,はなはだ素人的なコメントとしてあえて言うと,治外法権ではないにしても,日本の司法権がかなり制限されていることは間違いないでしょう。軍の公務中の事故や事件とされたら,実際上手出しができなくなり,アメリカの配慮にすがるということでは,情けない気がします。一応,この点に関する外務省の関連するサイトのリンクを張っておきます。
 次元が違う話かもしれませんが,江戸幕府の末期に,列強から不平等条件を押し付けられたとき,その内容として,関税自主権の喪失と並ぶものとして領事裁判権があったことは,日本史で習うことです。明治政府は,これは日本が欧州のような法治国家になっていないことが原因だと考えて,欧州化を進めていき,ようやく1894年に,陸奥宗光の外務大臣のときに,イギリスとの日英通商航海条約により領事裁判権の撤廃をはたしました。ノルマントン(Normanton)号事件(イギリスの船が和歌山沖で座礁し,イギリス人ら船員は救命ボートで脱出して日本人に救助されたが,日本人乗客25人は全員死亡したという「不自然」な事件で,領事裁判権による裁判で船長は微罪にとどまった)により,日本の世論が条約改正を強く求めたことも後押ししました。イギリスに続いて,アメリカ,フランス,ロシア,オランダとの間でも同様の改正がされました。関税自主権も含め,不平等条約が完全に撤廃されたのは1911年で,明治も終わろうとしていました。半世紀以上,日本は外国と不平等な状況に置かれていたのです。
 明治政府の努力はたいへんなものであったと思います。現在の沖縄の問題は,もちろん世界に展開する米軍との間では,沖縄だけで解決できるものではないのかもしれませんが,絶対に個別の解決ができないものともいえないでしょう。ノルマントン号事件のときに,当時の日本人が味わったであろう屈辱感と同じようなものを,沖縄の人たちがずっと持ち続けているかもしれないのです。しっかりした戦略と理論武装をしなければ打開できないものでしょうが,陸奥宗光がやったような粘り強い外交で,少しでも沖縄の人が納得するような地位協定の見直しが実現できるか,これからの政府の対応に注目してこうと思っています(だからといって,必ずしも石破氏が首相にふさわしいと言っているわけではありません)。

*なお,「日本外交の父」と呼ばれる陸奥宗光については,昨年,日本経済新聞の朝刊で,辻原登「陥穽 陸奥宗光の青春」が連載されていて,愛読していました。現在は単行本になっています。その波乱に富んだ人生(投獄された経験など)は,実に興味深いです。

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