自民党の解雇規制論争に望みたいこと
自民党総裁選に出馬した小泉進次郎氏の「聖域なき規制改革」は,お父さんの小泉純一郎元首相の「聖域なき構造改革」を真似ているだけかもしれませんが,改革という姿勢自体は評価できます。さらに,その勢いで解雇規制に踏み込むことも結構ですが,無謀な斬り込みによってあっさりとかわされ,討ち取られるような結果になっては困ります。
解雇規制の「緩和」という話になると,これまでの規制改革論が一気にかき消されてしまう可能性があります。私は法学者の中でも解雇規制の「改革」に前向きな論者の一人であると自負していますが,決して規制「緩和」論者や「自由化」論者ではありません。解雇規制の論点はすでに出そろっており,単純な緩和や自由化といった議論にはなりません。政治家にはまず十分に勉強してから議論を進めてほしいと願います。おそらく小泉氏にはそれが難しいでしょうから,少なくとも周囲にいるブレーンたちがしっかり理解し,助言することが求められます。
解雇の自由化を主張するならば,たとえばアメリカのように原則として解雇を自由とする制度が一応は考えられます(ただし,差別的解雇は除外されます)。もしその立場を取るなら,それは一つの見解ですが,日本ではそのような主張は受け入れられないでしょう。アメリカ型を提案しないのであれば,どのような解雇規制を採用するのか,具体的に示さなければ議論は空回りしてしまいます。金銭解決についても,数日前に書いたように,事前型か事後型かによって制度設計は大きく異なります。解雇の予測可能性が欠如していることが問題であるならば,それは解雇の要件に関することなのか,雇用終了コストに関することなのか,もしくはその両方なのかによって議論が変わってきます。
また労働力の流動化が求められているのなら,自発的な移動を促す政策をとるべきであり,必ずしも解雇規制を変更する必要はありません。私は,これは政策の一貫性の問題であると考えています。現行の雇用調整助成金と解雇規制は雇用維持型の政策ですが,雇用流動型の政策に転じる場合,雇用調整助成金は緊急時のみに限定し,解雇については差別的・報復的な解雇を除き,一定の金銭補償によれば労働契約を解消できるという解雇規制を採用する必要があります。労働市場の流動化に関しては,岸田政権の改革にも評価できる部分がありましたが,解雇の問題に踏み込まなかった点で腰が引けていたという印象です。
解雇規制の議論を深めていくと,最終的には私たちが提唱している完全補償ルール型の解雇規制に行き着くと考えています。このルールのもつメッセージは,「不当な解雇は無効」ということではなく,「解雇をしたければ,企業は十分な補償をしなければならない」というものです。これは法的には「十分な補償をしない解雇は無効である」ということと同義ですが,ニュアンスはかなり異なると考えています。
解雇には「許されない解雇」と「許されうる解雇」があります(これについては,『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(2018年,有斐閣)の序章を読んでください)。後者は,解雇の理由は正当であっても,企業側には「許される」ためにさらに充足すべき要件があるというのです。現在の解雇ルールでは,その要件が明確ではありません。客観的合理性や社会的相当性といった要件は不明瞭であり,とりわけ整理解雇では4要素の総合判断となって,裁判の結果の予測が難しいです。労働者が解雇によって被る損害(逸失賃金)を完全に補償すれば,解雇は可能となるというルール(完全補償ルール)を導入すれば,解雇の要件と雇用終了コストの双方が明確になります(補償額は勤続年数に応じて算出され,政府の統計資料に基づき適宜改定されることが想定されています)。
現行の制度下でも労働審判などで金銭解決が行われているから,あえて金銭解決制度を導入する必要はないという意見もありますが,これは解雇に関する法的原則と実態との乖離を放置するもので,法律家としては看過できません。こうしたギャップは労働者や中小企業経営者のように交渉力の低い側に不利に働きがちです。中小企業では労働組合が組織されていないことが多いため,従業員が不当に弱い立場に置かれるという意見もあり,そうした実態が完全にないとは言い切れませんが,労働問題に不慣れな中小企業経営者が,戦う労働組合であるコミュニティユニオンに対して交渉力で劣位に立つケースも存在することを指摘しておきたいです(これは,経営者は労働組合法を学ぶべきだ,という話にもつながり,拙著の宣伝となっていくのですが)。
いずれにせよ,どのような具体的な解雇規制を考えているのかを明確にし,その上で議論を進める必要があります。無責任な規制緩和論がなされていくと,真の解雇規制改革論の展開可能性が潰されてしまう危険があります。かつて日本型ホワイトカラー・エグゼンプションが,野党からの批判にきちんと反論できず挫折し,その後何年もかけて高度プロフェッショナル制度として実現したものの,本来必要とされていた本格的なエグゼンプションとはほど遠いものとなってしまったという失敗を繰り返してはならないのです。
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