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2024年9月12日 (木)

三菱重工長崎造船所事件・最高裁判決

 後期のLSの授業は,労働時間のところから始まります。労働時間の概念ということで,まずは三菱重工長崎造船所事件の最高裁判決を扱うことになるのですが,これまでは最高裁の事実認定を確認し,判旨の内容(労働者上告と会社上告の判決がありますが,主として前者を扱います)を検討していました。ただ,いつも同じことをやっていたら飽きてしまうので(学生は毎回新しく判決をみるので飽きはしないでしょうが),もっと事実関係に深く迫るようなこともできたらなと思ったりもします。
 言うまでもなく,長崎造船所は,江戸幕府が建設したものを明治政府から三菱が払下げを受け,その後,造船大国日本を支える造船所となりました。そういう歴史的な事業所で起きた労働事件となると,学生の見る目も少し変わってくるかもしれません。
 私の本棚に眠っていた鎌田慧『ドキュメント労働者!19671984』(1989年,ちくま文庫)を引っ張り出すと,そこには「反合理化闘争―三菱重工業長崎造船所」という章があります。長崎造船所の第3組合である三菱重工長崎造船労働組合(長船労組)のことが書かれています。長崎造船所には,このほか全日本造船機械労働組合三菱重工支部長崎造船分会(長船分会・第1組合)と全日本労働総同盟全国造船重機械労働組合連合会三菱重工労働組合長崎造船支部(重工労組あるいは長船支部・第2組合)とがありました。第2組合は,第1組合から1965年に分裂して誕生し,第3組合はそれとは別に1970年に結成されています。第2組合が従業員の圧倒的多数を組織する組合です。上記の最高裁判決は,第3組合の長船労組の組合員が提訴したものでした。ちなみに,私の『最新重要判例200労働法(第8版)』(2024年,弘文堂)では,三菱重工長崎造船所事件が,この労働時間に関する事件(第98事件)以外に2つあります。1つは政治ストの正当性が問題となったもので,これは第1組合(長船分会)の組合員が訴えたものです(第164事件)。もう一つは,ストライキのときの賃金カットの範囲が問題となったものであり,こちらは第3組合(長船労組)が訴えたものです(第168事件)。また計画年休の労使協定の効力が問題となった福岡高裁の事件(第113事件)でも,原告は長船労組(そのときの名称は,全国一般労働組合長崎地方本部長崎連帯支部長崎造船分会)の組合員でした。長船労組は,しっかり日本の労働法の歴史に名を刻んでいるといえるでしょう(その後,2013年に組合員の従業員がいなくなり解散したという情報が掲載されているブログをみつけました)。この判決について,石川源嗣氏の『労働組合で社会を変える』(2014年,世界書院)は,はしがき(10頁)で,次のように書いています。
 「2000年に最高裁が初判断し,確定した『作業着への着替えも,労働時間』との長船労組提訴の判例は『労働者が始業時刻前及び終業時刻彼の作業服及び保護具の着脱等に要した時間が労働基準法上の労働時間に該当するとされた事例』として,いまでも実際に活用している。私たち以外でもこの判例による恩恵を受けている全国の労働者と労働組合は多いと思う。」
 中卒出身者のブルーカラーは,社内では身分差別を受けていました。会社に恭順の姿勢を示すこともできたでしょうが,出世を諦め,労働運動に身を投じて,労働者の権利擁護と地位向上に取り組むことを選択した組合員が,第3組合を支えていました。会社が打ち出した労働時間に関する管理の見直しは合理的なものであったかもしれませんが,組合員らには,奴隷的な労働のなかのささやかな息抜きでもあった従来の緩い労務管理からの決別のように思え,それへの抵抗に全力で取り組んだということでしょう。労働時間だけでなく,就業規則の不利益変更,労使慣行の効力,一般的拘束力の否定などは,法的な概念をまといながら,そのなかには労働者の必死の訴えがあったのかもしれません。
 それはともかく,上記の最高裁判決では,当初は就業規則で,始終業時刻とされる時間に,どのような状況でいなければならないかなどが具体的に定めていなかったときに,現場でこのあたりが妥当であろうという感じで続けられていた運用方法(の一部)が,裁判所の判断する客観的な労働時間概念に照らして妥当であったと認められたものです。そういう観点から見ると,結果としてではありますが,労使自治で決めたルールは,それなりに合理性があったということです(もちろん,これは結果論で,ただちに中核的活動以外の周辺的な部分は合意や慣行で決めてよいとする2分説が支持されるわけではないのでしょう)。こうした労使間の不文のルールを,就業規則で明文化して変更していこうとすると,どうしても紛争が起きてしまうのであり,これは労働委員会に持ち込まれる事件にも,しばしばあるパターンです。
 判例の形成という点では,労働組合が裁判に持ち込んでくれるのは有り難い面があるのですが,そうなると長い時間とコストがかかり,とくに労働者側に多くの犠牲がのしかかるように思います。一般論として,不文であっても既存のルールを変更しようという場合,経営側は労働側としっかり話し合って,できるだけ紛争にならないようにするのがベストだと思います(ストライキのときの賃金カットの範囲については,逆に,労使慣行とは関係なく,賃金2分説という法理論で労働組合は戦い,高裁まで勝っていましたが,最高裁で敗れました)。

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