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2024年9月 2日 (月)

大学から研究者が消える?

 今朝の日本経済新聞の社説に,「若手が研究に専念できる時間を増やせ」というものがありました。これまでも大学研究者の多忙ぶりは何度も記事になっています。今回の記事では,とくに医学部のことを念頭においたことが書かれていますが,文科系にも多くの部分が該当します。大学では無駄な作業が多すぎるので,効率化や外部委託などを真剣に考える必要がありますが,現状ではマネジメントのセンスが欠如しています。最も重要なのは,研究者に必要な資源(カネ,時間など)をどのように提供するかです。研究者はもともと高いモチベーションをもっており,インセンティブをあえて提供する必要はありません。むしろ,そのインセンティブを損なうようなことを避けることが,大学の人事管理において重要です。このような視点をもつ大学がどこまで存在するでしょうか。
 現在,東大法学部の学生でも,官僚を志望する人が減っているといいます。東大卒の官僚や官僚出身の政治家が,知性のない(きつい表現で申し訳ないですが)首相に振り回されている姿をみると,官僚になる意欲を失ってしまうのも理解できます。つまり,官僚ブランドが低下し,民間企業で活躍したいと考える若者が増えているのです。知的エリート層に国を思う気持ちがないわけではないでしょう。ただ,自分が国のために何ができるかを考えたとき,官僚になることがプラスにはならないと考える人が多いということでしょう。知的エリート層が政治や行政に目を向けなくなる社会の未来は暗いものです。
 同様に,博士課程の進学者らが,大学の研究者となることを避ける可能性も危惧されます。たとえば民間の研究所やシンクタンクのほうが自分の能力を発揮できると感じる人が増えることが予想されます。これは大学教授ブランドが低下していることと関係しています。数年前から,国立大学での就職を望む研究者のなかには,「大学のセンセイになる」ことが目的で,必ずしも研究を行う動機をもたない人が増えているように思えます。国立大学が教育機関としの役割を強化すること自体は悪いとは言えませんが,それだけなら,学費の安い学校ということになるだけで,私立大学でも奨学金を充実させるよう国が助成すればよいともいえます。ましてや,国立大学で教える教授陣の研究能力が下がり,質の低下が進むと,その存在意義が失われるおそれもあります。そうなると,研究の志のある若者はますます大学の研究者になることを希望しなくなるでしょう。
 こうした動きは,もはや避けられないかもしれません。研究者を希望する人にとって魅力的な環境をどのように整備するか,それを文部官僚が頭で考えても答えはでないでしょう。研究者目線での取り組みが求められますし,文科系と理科系では状況がかなり異なることも考慮すべきです。早急にこの問題に手を付けなければ,(真の意味での)研究者が大学から消えてしまいかねません。

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