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2024年8月 1日 (木)

たぶん最後の人間ドック

 今日は人間ドックの日でした。いつものところで受診しました。血液検査の結果は,今回はわかりませんでした(受診者が多かったのか,医師の最後の結果説明の時間までに間に合いませんでした)が,身長が少し縮んだことはわかったので,それがショックでした。
 胸部レントゲンは,どういうわけか撮り直しということがあり,X線の被ばく量が増えました。健康に影響がない線量と言われていますが,謝罪があってもよいと思いました。 相変わらず適当っぽい腹囲の検査もありました。問診票の手書きという点も変化がなく,とくに同年齢の人と比べて,歩く速度が遅いかとか,食べるのが早いかなどという,答えようのない質問には困りました。何も書いていなかったので,記載の欠如があると指摘され,同年齢の人と歩くことはないし,一緒に食べることもないので,答えようがないと言いました。睡眠で疲れがとれているかという質問も同様で,日によって違うので答えられません。そう堅苦しいことを言わずに,適当に答えてもいいのですが,ついつい真面目に考えてしまうので,疲れてしまいます。質問事項は何のために聞いているのかという目的を示してもらえれば,こちらも答え方があるのです。毎年,同じ様式の問診票を使うのではなく,少しは改良していってほしいですね。

 それでも毎年同じところに人間ドックに行っているのは,全体としてはサービスに満足しているからでしたが,そろそろ,人間ドックをやめてもよいかなと思い始めています。
 今後は,いろんなところにガタが出てくるでしょうから,そのたびにその箇所に特化した検査をすれば十分ではないかと思っています。あえて総合的な検査である人間ドックに行く必要もなさそうです。父親と体質が似ている私は,だいたい自分の弱点もわかっています。もちろん,がんとかの検診はしておく必要があると思いますが,それは人間ドックでもオプションにすぎません。

 人間ドックは,年齢が高くなるからこそ受けるべきなのでしょうし,これまで深刻な検査結果が出なかったのは単に若かっただけだからかもしれません。ただ,人間ドックで数値が悪くなければ,安心してしまうので,むしろそのほうが危険であるような気がします(肝臓の数値はよくないのですが,ずっとやや悪い程度の数値のままで安定していれば,やはり油断してしまうのです)。人間ドックをやめることにより,むしろ不定期に生じる心身の異常にもっと注意するようになるかもしれません。アプリを活用した健康保持も忘れないようにします。 もちろん,これは心がけの問題にすぎないのですが,費用の問題もあり,定期的な健康診断は,無料でなされる法律上の義務の健康診断にとどめようと思い始めているのです。これまで,人間ドックの効用を主張して,受診を勧めてきた方には,申し訳ありません。「宗旨替え」をしました。

 

 

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