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2024年8月17日 (土)

兵役

 国の安全保障の重要性は総論としては誰も否定しませんが,個人の安全保障もまた大切と考える人が多く,この両者のどちらを優先するかが問題となります。祖国を守るために自分や家族の命も差し出すというのは,国の安全保障重視の立場であり,戦時中の日本人が強要されたものです。現在のUkraine(ウクライナ)は自発的にそういう立場にいる国民も多いのでしょうが,それは祖国消滅の危機にさらされているからなのでしょう。東大准教授で,メディアにもよく登場される小泉悠氏は,ロシアの侵攻が,ウクライナのアイデンティティを形成させたという趣旨のことを言っていたと思います。しかし,そのウクライナの人も,本音のところはどうなのでしょうか。
 徴兵制は,祖国のために死んでもらうという考え方が根底にあるはずですが,しかしそれでは徴兵制を導入した人たちやそれを運用している人たちが,死ぬ可能性があるかというと,それは小さいわけです。徴兵制というのは,いわば上級国民には適用されないことが多く,現在のロシアでも「赤紙」が来ても戦争に行っていない人が多いそうです。ロシアに限らず,兵役義務のある国でも,実は様々な方法で兵役を免れる仕組みがあり,エリート層は,実際には兵役を免れていることが多いのではないかという疑いがあります(本当のところはわかりませんが,Trump氏の兵役逃れが問題となったこともありました)。しかし,こうした抜け道の情報は一部の人しかもっておらず,国民みんなが知っているわけではありません。自分は戦争に行かなくてもいいとわかっていたら,国の安全保障の重要性ということだって,声高に主張できるでしょう。
 ところで,かつてイタリアに留学中に,電車のなかで,これから兵役に行くという若者といっしょになったことがありました。兵役を免れる合法的な方法はあったそうですが,それはあとから知ったそうで,そのことを彼は,悲しげに語っていました。当時のイタリアはどこかの国と戦争していたわけではありませんでしたが,交戦国に派遣される可能性はあり,命の危険はあったはずです。不公平だし,気の毒だなと感じたことを覚えています。
 イタリアでは,民法典上は,徴兵されると労働契約が解消すると定められています(2111条)が,1946年にこの規定は廃止され,現在は,労働ポスト保持権が認められており,日本法でいえば,法律上の休職権が保障されているという感じです。イタリアでは,労働関係の中断(ないし停止)の一類型と位置づけられています(拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,労働政策研究・研修機構)174頁)。韓国では,在学中に兵役となることが多いそうです。兵役が残っていると,仕事に支障があるので,企業に採用されにくいということのようです。戦前の日本では,どうだったのでしょうか。「赤紙」が来ると,生きて帰ってくることを想定した議論などすべきではないということだったかもしれませんね。日本で,兵役期間中の労働関係というようなことを議論しなければならない時代が来ないことを心より願っています。

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