あんしん財団事件・最高裁判決に思う
あんしん財団事件の最高裁判決(2024年7月4日)については,前に速報的な紹介をしましたが,昨日は,大学院の授業(最終回)で,学生に報告してもらい,検討しました。高裁判決のときも,授業で取り上げて,かなり検討をしましたが,最高裁では結論が逆転したことから,もう一度検討し直しました。今回の最高裁判決を改めて読み直してみると,バランスがとれているようには思えるものの,もやもや感が残るものでした。おそらく,労災支給処分と保険料認定処分を「切り離す」ことの違和感です。労災支給処分は,被災者の早期救済を重視し,事業主に取消訴訟の原告適格は認めないものの,保険料認定処分は,違法性の承継を認めて,メリット制の適用を受ける特定事業主が支給要件の非該当性を主張できるようにして(そこで支給要件該当性が否定されると,安全配慮義務違反の民事損害賠償事件にも事業主に有利に影響するかもしれない),それでみんなに不利益がないということかもしれません。しかし,保険料認定処分で,支給要件の非該当性が認められると,被災労働者は,支給されるべきではない給付を受けていたことにならないか,という疑問が出てきます。手続が違うからよいというのは便宜的な議論のように思えます。最高裁は,結論が決まったものについて,なんとか理屈をつけて作文したという印象を否めません。もちろん,多くの研究者からの支持(高裁判決批判)もあるから,最高裁もそれでよいと考えたのでしょう。ただ,労災保険については,ときおり最高裁のこうした制度趣旨などを形式的になぞったような判断がなされて気になります。特別支給金や年金の将来分の非控除説などがその例であり,しかも後者との関係で,労災保険給付を(損害賠償をした)事業主が代位取得することまで否定している点もそうです。
ところで,ある学生から,メリット制の適用を無過失の事業主にも行っていることの疑問点が出され,はっとしました。メリット制は,最高裁もいうように,「事業主間の公平を図るとともに,事業主による災害防止の努力を促進する趣旨」とされています。「事業主間の公平を図る」という点では,労災保険が多いところと少ないところで保険料の差が生じることは当然といえそうですが,「事業主による災害防止の努力を促進する趣旨」のほうは,無過失の事業主にはあてはまらないと思います。「事業主間の公平」といっても,メリット制が適用される特定事業主の数はわずかであり,労災保険の保険料を支払っている全事業主間の公平性というのは,あまり強調できないのではないかという気もします。むしろ重要なのは災害防止の努力の促進というほうであり,そこにメリット制を活用するのなら,それに適した方法をとるべきということになるのです。そこから出てきた一つのアイデアは,労災支給手続と保険料認定手続を,まったく違う趣旨のものに変えたらどうかということです。どちらも支給要件の該当性を判断するとなると,判断が不一致の場合の気持ち悪さが残ります(精神障害についても,業務起因性の判断を広げる認定基準が出されているので,労災支給処分は幅広に認められる一方,保険料認定との関係では支給要件を否定するというような実務が広がっていく可能性があります)。労災保険給付の基礎となる労働基準法上の災害補償責任は無過失責任であることからすると,労災支給処分がされたケースのなかには,事業主が無過失の場合と有過失の場合とがあり,災害防止の努力という観点からメリット制に反映させるべきなのは,過失がある場合だけではないかということです。そうすると,保険料認定手続では,業務起因性だけでなく,過失の有無についても判定する(あるいは,重過失・故意があるかを判定する)ことにし,メリット制の適用できる場合を限定するものと位置づければ,この手続に独自の意味を与えることになります。業務起因性があり労災支給処分は適法であるが,過失がないからメリット制を適用せずに保険料額を認定するといったことを,矛盾なく行うことができます。このアイデアは現行のメリット制を根本的に見直すことになるのですが,今回の最高裁判決や(厚生労働省が公表していない?)通達の運用を前提とすると,こうした見直しがなければ,気持ち悪さが残り続けるように思います。
さらにデジタル労働法の視点を追加すれば,労災保険の支給決定手続に,AI審査を導入し,そこで業務起因性について,A業務起因性あり(故意あり),B業務起因性あり(重過失あり),C業務起因性あり(過失あり),D業務起因性あり(軽過失あり),E業務起因性なしという判定も同時に行い,保険料額に反映させるのは,たとえばAとBだけとし,また事後の民事損害賠償でも,この判定を尊重して,審理のスピードアップを図るというようなことにすればどうでしょうか。さらに附帯私訴的な発想で,労災の支給決定手続でも,労働者が請求すれば,AIに損害賠償の審査もしもらってもよいかもしれません。というような妄想的な議論が膨らんでいきますが,何か根本的に考えていかなければ,この最高裁判決や行政実務への違和感は消えません。バランスがとれているからいいだろうというのは,少なくとも研究者がもってはいけない発想です。妄想的見解も,ときには大当たりすることがあるので,ダメ出しされ続けても,めげずに頑張ることも大切です。
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