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2024年8月の記事

2024年8月31日 (土)

『Q&A現代型問題管理職対策の手引』

 弁護士法人高井・岡芹法律事務所編『Q&A現代型問題管理職対策の手引―組織強化と生産性向上のための実務指針を明示』 をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。
 本書は,問題のある「管理職」の実務的対応について法的側面のみならず,人事管理上の望ましさという観点から実務的なアドバイスをするというものです。管理職は企業において重要な役割をもっているのです(それゆえに管理職になりたがらない若者が増えているのですが)。そこで問題のある人がいれば,企業としては生産性に直結しますし,そもそも適性を欠く人を管理職にしてはいけないのであり,もし適性に欠けると判断したときには,できるだけ早急に対処する必要があります。
 とくに今日の管理職は,現場の従業員を指揮したり,訓練したりするだけでなく,様々な悩みへのケアもしなければなりません。ハラスメント,メンタルヘルス,さらにコンプライアンスなどで,部下の悩みに適切に対応しなければ,企業の生産性を下げますし,同時に,場合によっては,管理職本人だけでなく,企業のほうも法的責任を追及される可能性があります。管理職の役割の拡大にともない,企業が気をつけるところも増えるのです。
 こうした時代ですから,本書のような実践的な本が必要となるのです。労働法の実務書としての価値だけでなく,労働法の一般理論を管理職のケースにあてはめるという点で研究者にも参考になるところが多いと思います。何よりも企業の経営陣は手元に置いておくべき本と言えるでしょう。

2024年8月30日 (金)

共通善の実現方法

  少し古いエッセイですが,松下良平氏(武庫川女子大学教授)が,TASC Monthlyの第551号(202111月)で「趣味は世界を道徳的混乱から救う」という興味深い随想を書かれていました。
 それによると,道徳には集団や関係に根ざすもの(共通善の尊重など)と,個人に根ざすもの(自由や権利など)の二つがあり,本来,思想や信条が異なる人々が共存する社会では,個人に根ざす道徳が基本となるべきであり,一方,家族や友人関係,地域の互助組織など「仲間」から成る共同体では,集団に根ざす道徳が基本となるべきとします。
  しかし,松下氏は,この二つの道徳が相互にその領域を侵犯しつつあると指摘します。その具体例として,違法も辞さず政府を私物化する「トランプ現象」や,家族や友人関係においても個人の道徳が過度に重視されることを挙げています。そして,こうした状況を回避する可能性を秘めているのが「趣味の共同体」であると主張します。趣味の場で「実践や批評の卓越性を追求しつつ,各人が個性を発揮して自由に競い合いながらも,共同体の共通善を追求することで,二つの道徳はうまく調和する」というのです。
 
ここで思い出されるのが,故安倍晋三元首相がTrump氏と頻繁にゴルフを行っていたことです。思想信条が異なる者同士でも,ゴルフの場では仲良くできるのです。こうしたことが,個人的な道徳を超えて,集団的な道徳を実現する契機となるのかもしれません。もちろん,Trump氏がこれによって共通善の重要性に目覚めることはなかったでしょうが,ともかく個人の道徳が暴走するのを抑えるきっかけが,このような「趣味の共同体」にあるとは言えそうです。かりにもしパレスチナ(Palestine)とイスラエル(Israel)の間で「日本アニメの共同体」が広がれば,共通善の基盤が形成され,和平の可能性が広がるというのは楽観的すぎるでしょうか。日本が果たせる役割として検討する価値があるかもしれません。
 共通の趣味があれば,見知らぬ人との間でも,心理的距離がぐっと近づくというのは,誰しも経験があるでしょう。趣味をもつ人が増えていくことは,とりわけ個人的道徳が強調されがちな国際関係において重要だと思います。オリンピック(Olympics)も,本来はこのような共通善を広げるための場であるはずですが,実際にはどうでしょうか。

2024年8月29日 (木)

王位戦終わる

 王位戦の第5局は,有馬温泉(神戸)の「中の坊瑞苑」で行われました。結果は,藤井聡太王位(竜王・名人,七冠)が,渡辺明九段に勝って,41敗で防衛しました。これで連続5期となり永世王位の資格を得ました。2つ目の永世資格です。永世王位は,大山康晴,中原誠,羽生善治に次ぐ4人目です。王位戦は紅白のリーグ戦を勝ち抜いて挑戦者決定戦を実施し,その勝者が挑戦してくるというルールで,この棋戦に相性がよかった棋士としては深浦康市九段(これまでの唯一のタイトルが,王位3期),広瀬章人九段(初タイトルが王位。その後,竜王位も1期),菅井竜也(唯一のタイトル)が挙げられます。木村一基の悲願の初タイトル(「中年の星」と言われました)も王位でしたが,翌年に藤井聡太の登場でタイトルを奪われてしまい,その後,藤井王位は,豊島将之九段を2期連続,佐々木大地七段,そして今回の渡辺九段を破って永世王位となりました。
 今回の最終局は,藤井王位が先手でしたが,途中で藤井玉が7七にいて,渡辺九段の5五角が直射していて怖い位置にあるようにみえました。しかし,うまく5五角を追い払い,居玉であるものの堅そうにみえた渡辺玉をあっという間に寄せてしまいました。最後は,渡辺九段は無理攻めとわかっていても頑張りましたが,投げるに投げれなかったのでしょう。
 藤井七冠は,叡王を奪われたことで,その後の棋戦に影響するのではないかという見方もありえましたが,そういうことに影響されない精神的な強さが藤井七冠の特徴です。盤上没我で,対局に入ると,余計なことが気にならないのでしょう。渡辺九段との戦いはいつも白熱したものとなっていましたが,この王位戦は第4局も第5局も,渡辺九段にほとんど勝機がなかったようです。ということは,かなり実力差がついてしまったということでしょうかね。
 次のタイトル戦は,永瀬拓矢九段との王座戦5番勝負です。藤井王座は,王位戦が早く終わったので,王座戦の防衛戦に集中できますね。第4局の会場が神戸のホテルオークラなので,ストレートの結果にならないかぎり,再び神戸に来ることになります。永瀬九段も対策を十分に練ってくるでしょうから,熱戦を期待しています。

2024年8月28日 (水)

柴田哲孝『暗殺』

 柴田哲孝『暗殺』(幻冬舎)を読みました。話題の本でしたので,Kindleで買って読んでみました。寝る前に少し読み始めたら,止まらなくなってしまいました。小説ですが,ノンフィクションの要素もあり,その点では,松本清張の社会ものに近い感じです。以下,ややネタバレありです。
 安倍晋三元首相の暗殺事件を素材としたものです。登場人物は,赤報隊の朝日新聞阪神支局襲撃事件に関する部分のような一部実名のところもあります(この部分はノンフィクション)が,登場人物の多くは実名ではなく,ただ実在の人物を推測できるものでした。
 安倍元首相(小説では田布施博之)の暗殺は,山上徹也(小説では上沼卓也)の単独犯ではなく,別のスナイパー(sniper)がいたこと(Kennedy大統領暗殺のときと同じで,あれもOswald単独犯ではないと言われている),動機は,右翼の大物が,安倍首相が「令和」という元号を認めたことから「禁厭」という処分(ここでは処刑)を下すことにしたこと,これに自衛隊と警察から協力者がいたこと,さらに自民党(小説では,自憲党)の大物議員である二階氏(小説では豊田)が関わっていること,そこにはオリンピックのときの利権が横取りされたことへの恨みが関係していることなどが出てきます。統一教会(小説では合同教会)の問題などはカムフラージュであるとされ,赤報隊事件との関係などもあり,いろんな出来事が錯綜して大変ですが,読み応えはあります。
 ちょうどテレビで,二階氏が超党派の議員団(日中友好議連)を率いて中国に訪問しているところが報道されていましたが,この人が黒幕の一人であったのかと思ってしまうほど(小説と現実とを混同してしまっているのですが),この小説にはリアリティがありました。
 いずれにせよ,安倍首相の死因に疑問をもった(これは多くの人が同意すると思います)ということがきっかけとされる著者の執筆意図は,社会への問題提起として重要です。私たちは日本の歴史に残る首相で,当時なお政治的に大きな力をもっていた人が,白昼,国政選挙の応援演説中に暗殺されたという重大事件について,その犯人について疑義が残っているという事実を真剣に受け止めるべきだと思いますが,これはよくある陰謀論に毒されているだけなのでしょうか。著者の仮説は,動機のところがやや弱いような気もしますが,単なるミステリー小説というわけにはいかない日本の闇のような部分も扱っており,ベストセラーになっているのも当然だと思いました。

2024年8月27日 (火)

日本IBM事件和解

 人事評価システムでのAIの使用をめぐる日本IBM事件の和解(「日本IBMAIでの人事評価で項目開示 労使紛争和解」)について,日経クロステックの記者からの取材を受けました。東京都労働委員会で長い間係属していましたが,8月1日に和解となったようです。事件の経緯はよくわかりませんが,東京都労働委員会は,よく粘って和解にこぎつけたと思います。労働委員会での個別事件の論評は,立場上しないと事前に伝えておきましたが,このような合意が得られたことの意義について,AIの人事における活用のあり方という観点からコメントをしました。記者は,拙著AI時代の働き方と法―2035年の労働法を考える』(弘文堂)を読んで私に取材依頼をしてきたそうです。30分ほど話をしましたが,基本的には,いわゆるAIは有用であるが,使い方を間違えると危険性もあるので,企業内での人事という場面での利用は労使で話し合ってルール形成をするのが好ましいであろうという趣旨のことを述べました。そのほかにも,AIをめぐる立法や政策のあり方など一般的な話もしました。
 今日の取材では,労働法の話はほとんどしませんでしたが,この事件について,労働組合法上の論点,人事管理の観点からの議論などは,次号の「キーワードからみた労働法」(ビジネスガイド11月号)でとりあげるつもりです。
 その「キーワードからみた労働法」は,現在,発売中のビジネスガイド9月号では,「自由意思法理」というタイトルで,山梨県民信用組合事件・最高裁判決の影響を検討しています。さらに10月号では,「退職事由」というタイトルで,合意による退職事由というものについて検討しています。有期雇用の期間満了も定年も合意による退職という面がありますが,その他にこうしたものを認める余地はないか,というような問題意識で執筆しています。やや変わった切り口を,読者の皆さんに味わってもらえればと思います。

2024年8月26日 (月)

柔道と誤審

  先のパリオリンピックで,柔道について,審判の誤審問題が連日採り上げられていて,非常に不愉快な気持ちになったのですが,よく考えると,これまでもシドニーのときの篠原の勝負の例をはじめ,誤審はよくありました。全然改善されていないのか,それとも,実は誤審ではなかったということなのでしょうか。 
 柔道の難しさは,日本流の正しい柔道というものが,国際スタンダードと違っており,しかもそれはルール化が難しいということでしょう。そもそも,「指導」をどのタイミングで出すかということについても,大会ごとに微妙に違っており,大会当初は審判員の間でもばらつきがあり,やがて統一されていくこともあると言われています。審判員の癖をしっかり調べたり,その大会での審判の方針を早期に分析したりしなければならず(当然,やっているでしょうが),観ているほうも,前の大会での基準で,審判員の判定を批判するということはしてはならないのでしょう。
 柔道については,反則にならなければ何をしてもよいということは当てはまらないのかもしれません。上記のような日本流の正しい柔道があるということを,素人の観戦者は柔道経験者のコメントからうかがい知ることができます。しかし,実際に,日本人だから正しい柔道をしてきたといえるのでしょうか。
 かつて絶対王者であった山下泰裕が全日本の選手権で遠藤純男の蟹挟みで骨折して試合続行不可能となり,引き分けとなったことがありました。現在では反則技となっていますが,当時は反則とされておらず,柔道における普通の技であったようです。ただ,遠藤が変則的な技で山下を骨折に追い込んだとして,そこまでして勝ちたいのかなという印象をもったことがあります。遠藤は,山下に勝つために,ルールの範囲内で必殺技を考えていたようです。今振り返ってみると,禁止されていないルールで勝つのは問題ないのであり,これは私たちがしばしば不満を抱く外国人選手の柔道にもあてはまるものでしょう。後に反則技になるとしても,そうならないうちは自由です(朽木倒など,組み合わずに足を狙う技などは,日本人選手からすると邪道かもしれませんが,反則にならないうちは,くらうほうが悪いというべきでしょうが,かつては外国人選手がオリンピックなどでこの技を使うことに,日本人側から批判的な意見があったと思います)。遠藤が山下に蟹挟みをしたように,ルールに反しない以上,技として認められているものはかけてよいのです。
 山下・遠藤戦は,それ以外にも考えさせられることがありました。この勝負で山下は骨折して試合続行不可能とされました。負傷したのは山下なので山下が負けのはずですが,引き分けになり,山下の連勝記録(203)は,引退まで続きました。なぜ山下は遠藤戦で敗戦とならなかったのはよくわかりません。審判員は,やはり山下に負けてほしくなかったのではないかと思います。現在の絶対王者であるフランスのRiner(リネール)には,消極的な姿勢でも,なかなか指導が出ないのも,やはりRinerに,こんな相手との勝負で負けてほしくないという思いが審判員の間にもあるのかもしれません。勝手な想像ですが,柔道競技とは,そういうものかもしれません。
 素人がこういうことを言うと柔道関係者に怒られてしまうかもしれませんが,専門の解説者らが審判員の問題点を指摘するのは,あまり聞いていて良い気分はせず,かえって柔道の面白さを損なっているということを関係者はわかったほうがよいでしょう。柔道は,国際大会とかに出ずに,国内の大会だけにして,日本流の正しい柔道を純化してやればよいのかなという気もしますが,いかがでしょうか。

2024年8月25日 (日)

病気休暇

 817日の日本経済新聞の電子版で,「仕事しながら通院する人,4割に 両立支援の法整備課題」という見出しの記事があり,「育児や介護と異なり,両立を支援するための法整備が進んでいないとの指摘の声が上がる」と書かれていました。実は,厚生労働省は,病気休暇制度を導入しようという呼び掛けをしています。ネット上で確認したパンフレットにも,「新型コロナウイルス感染症など病気の影響により,療養が必要になった場合に取得できる休暇を,年次有給休暇とは別に設けておくことは,万が一に備えたセーフティネットとなり,労働者の安心につながります」と書かれています。
 労働者のなかには病気になったときに備えて年次有給休暇を取得せずにいることもあり,これは年次有給休暇の本来の目的とは違う使用法ですし,結局,病気にならないために取得機会を逸するということもあり,病気休暇制度があれば,こういう問題は若干回避できます。「若干」というのは,やはり年次有給休暇は有給であるのに対して,病気休暇は,原則として無給となるので,無給の病気休暇しかないならば,年次有給休暇を取って置くということは起こり得るからです。
 業務上の疾病以外の病気(私傷病)により労務を履行しないことは,原則として,企業には帰責性がないので,賃金請求は認められません。判例上,軽易な業務なら従事できると申し出ていれば,実際には就労しなくても(企業が就労させなくても),賃金請求が認められることはあります(片山組事件・最高裁判決,拙著『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)の89事件)が,そうした申し出ができる状況になければ,賃金請求は認められないのです。4日以上仕事ができなかった場合には,健康保険から傷病手当金(3分の2の補填)が支給されることはありますが,労働契約上の賃金という点からは,企業に支払う義務は基本的にはないのです(逆に,企業に帰責事由があれば,労働基準法上,平均賃金の6割の休業手当の請求が認められますし,別段の定めや合意がなければ,民法5362項により10割の賃金の請求もできます)。
 有給の病気休暇をもし制度化するなら,これは傷病手当金の労働法への取り入れというようなことになり,その妥当性は問題となりえます。ただ,無給であるとしても,病気による欠勤が,就労義務違反や労働契約上の債務不履行とはならない正当な労務不提供であるということが確認されれば,労働者には安心感を与えるでしょう。このような意味で,無給の病気休暇制度の法制化くらいまでは,企業は許容すべきかもしれません。企業側としては,労働者の年次有給休暇が余っているなら,そちらで充当してほしいと言いたいかもしれませんが。
 なお,ドイツには,賃金継続支払法(Entgeltfortzahlungsgesetz)により,企業は6週間,従前の賃金の100%支払う義務が課されています。ずいぶん昔にこの制度に関する論文を読んだとき(水島郁子「ドイツにおける疾病時の賃金継続支払」季刊労働法172号(1994年)),ドイツはずいぶんと気前がよいなと思ったことがあります。
 日本に話を戻すと,私傷病欠勤が長引いても,ただちに解雇にはならず,傷病休職にして,雇用を継続する企業も少なくありません。これは解雇猶予措置であり,正社員の場合には長期の勤続期間の途中で病気になるということはありうるので,そんなことでいちいち解雇していては人材の無駄遣いとなるということでしょう。病気になっても解雇しないということは,企業への忠誠心を高めるという効果も期待できます。ただ,こうした取扱いをしている企業でも,さすがに有給ではなく,賃金は無給で,所得保障は傷病手当金にまかせているところがおそらく多いはずです。
 病気の労働者が増えつつあるなか,私傷病にかかって労務提供ができない労働者の雇用保障や所得保障のあり方は,社会保障法にもまたがるこれからの重要な研究テーマとなるでしょう。

2024年8月24日 (土)

夏休み

 全国高校野球も終わり,そろそろ秋の気配が感じられる頃ですが,実際はそうではありません。朝夕は少し涼しくなってきたものの,日中の暑さは依然として厳しいままです。さらに,来週には大型台風が直撃する恐れもあります。
 LSの期末試験の採点もようやく終わり,これでやっと夏休みを迎えた気分です。LSでは前から秀,優,良上以上はそれぞれ人数制限が課せられているので,いちおうの採点をしたあとに,とくに良上の答案と優の答案との線引をきちんとするために,かなりの時間がとられます(採点基準を微妙に修正して優の答案の一部を良上に引き下げると,優と良上に関係のない他のすべての答案も採点基準の統一性の維持のために見直す必要がでてくるのです)。
 これからは研究に専念できそうですが,本来の研究以外にも,賞の選考などのために期限内に読まなければならない書籍や論文が山積しており,引き続き忙しい日が続きそうです。また来週にはLSの答案返却会がありますし,来月の終わりにはLSの後期の授業が始まるため,その準備も考えると,少し慌ただしい気持ちです。通常の大学院や学部の担当もありますが,やはりLSには,いつも追いかけられている気分です(今年は,これに加えて,他学部の1年生向けにやる初めての授業もあるので,その準備もしなければなりません)。
 とはいえ,ワークライフバランス(WLB)が最優先であり,生活(L)を中心にしつつ,ときおり仕事(W)を取り入れるというマインドセットを心がけています。そうでなければ,仕事に生活が侵食されてしまい,働き方に関する説得力のある政策提言(究極的には,しっかり自己管理で休息をとりながら,やるべき仕事をきっちりこなすこと)もできなくなると考えているからです。

2024年8月23日 (金)

党首選

 小泉進次郎氏が総理になる可能性はあるのでしょうか。個人的には,前にも書いたように,知性と実行力を兼ね備えたリーダーを期待していますが,進次郎氏にその資質があるかはやや不安です。若い政治家であっても,国民は長い目でしっかりとした人材を支えるべきですが,そのためには,それなりの人材である必要があります。
 一方,コバホークは早々に名乗りを上げ,知名度を高めようとしています。知性は十分にあるように思えますが,実行力は未知数です。先に立候補を表明することで,批判やゴシップが飛び交うことが懸念されますが,それは覚悟のうえでしょう。とはいえ,自民党内の力学から考えると,麻生氏や菅氏からの支持がなければ,コバホークの目はないのかもしれません。しかし,もし麻生氏や菅氏のような旧来の自民党の支配者に対抗する若手議員たちが彼に集結するようなことがあれば,チャンスがあるかもしれません。
 もちろん,若さだけを理由に支持するのは危険です。某県知事の例もあるので,慎重に見極める必要がありますが,進次郎氏やコバホークに関しては,その点については安心して良いかもしれません。そういえば,河野太郎氏も立候補するそうです。前にはこの人に期待したこともありましたが,輝きを失っている気がします。要職を経験していましたし,自民党内ではそれなりの支持を得るかもしれませんが,期待されたほどの力を発揮できていないため,国民の間の期待感はしぼんできている印象もあります。
 一方,立憲民主党は現在のところ,候補者の顔ぶれがいまひとつです。都知事選の敗北で勢いを失い,岩手県の参議院補選で勝利しても,それが党全体の勢いにつながるかは疑問です。自民党以上に,立憲民主党は人材育成に課題があるように感じますが,いかがでしょうか。小川淳也氏あたりが台頭するというようなことは難しいのでしょうかね(自民党と同じ推薦人20名という要件は,立憲民主党の若手政治家にとって厳しいハードルでしょう)。

2024年8月22日 (木)

4分1と3分の1の違い

 阪神タイガースの岡田監督が,昨日の時点で,記者から残り30試合(しかない)と言われて,まだ4分の1もあるではないかと返したそうです。たしかに,残り30試合で首位と4ゲーム差と考えると追いつくのは厳しいなと思いそうですが,まだ1ヶ月以上も試合があるとなると,挽回が不可能ではない感じもします(先頭を走っているのも,逃げ切るのは大変ということを岡田監督は言いたいのでしょう)。厳密には,これまで戦ってきた113試合のうちの4分の1強の30試合が残っているということですが,全体143試合からみると,8割はすでに終わっているので,残りは5分の1ということもできそうです。ただ,気持ちとしては,残り5分の1と思うと焦るでしょうが,残り4分の1あると思うと,まだまだやれるという気持ちになれそうです。ここで投手陣と打撃陣を整備して,新たな開幕のような気持ちで始めれば,4ゲーム差くらいは簡単にひっくりかえせるかもしれません。
 人生でも還暦を迎えて,人生80年と考えたとき,残り20年で4分の1しかないと考えるか,岡田流にこれまで60年生きていて,その3分の1が残っていると考えるかで,やはり気分が変わってくるような気がします。3分の1マイナス4分の1なら,たった12分の1しか差がない(ちなみに分母が1違いの場合は,引いても,掛けても同じです)のですが,感覚的的には,3分の1÷4分の11.33倍くらいの違いがありそうです。ということで,人生も岡田流で考えたほうが,前向きになれそうですね。還暦は,まさに言葉どおり「元の暦に還る」のであり,野球でいえば開幕のようなものなので,ここで「戦力」を整えてもう一勝負ということになりましょうか。

2024年8月21日 (水)

哀悼

 Alain Delon(アラン・ドロン)が亡くなりました。私たちより上の世代では,二枚目の代名詞でしたし,「太陽がいっぱい」が印象的です(私はこの映画のDVDをもっていて,昔は,アラン・ドロンを知らない世代に観せたりしていました)。どこか暗い影がある美青年であり,男性からも,同性愛者でなくてもその美しさに惹かれた人は多かったのではないでしょうか。晩年は,いろいろ問題を抱えていており気の毒でした。また今回改めてWikipediaで知ったのですが,彼は幼いころから,あまり良い家庭環境にはなかったようですね。彼の独特の憂いを含んだ表情は,そういう過去から来ていたのかもしれません。いずれにせよ,ジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)と並ぶフランスの大スターの死去は,映画界における大きな損失です。
 もう一人,日本のフォークシンガーの高石ともやさんも亡くなりました。フォーク少年であった私は,拓郎派でしたが,もちろん高石ともやさんのフォーク界での存在の大きさも知っていました(途中からは,マラソンランナーとしてのほうが有名になった感じがありますが)。とはいえ,御本人の歌としては「受験生ブルース」くらいしか知りません。私の世代なら誰でもくちずさむことができる歌でしょうが,その歌詞の内容は現在でもリアリティがあります(作詞は,中川五郎)。ただ,少子化が進み,大学の推薦入学も増え(東大にも推薦入学,正確には「学校推薦型選抜」があることを最近知りました),受験というものが徐々に縮小していくなか,いつかは「受験生ブルース」がリアリティを失う時代がくるかもしれません。個人的には,本人の到達度に応じた持ち点である成績スコア(AIで審査しデータで管理)で合否が決定できれば,受験は不要となりますが,私が大学教員をやっている間には実現しないでしょうね。

2024年8月20日 (火)

王位戦第4局

 藤井聡太王位(七冠)に,渡辺明九段が挑戦している王位戦第4局は,藤井王位が勝って31敗となり,防衛に王手をかけました。渡辺九段は先手でしたが,攻勢に出たのは藤井王位で,銀を5五に進出し,1三にでた角を5筋に直射させ中央突破を図り,角切りで相手陣を脆弱化し,飛車が成り込んで王手をかけたところでは,藤井王位が優勢となりました。それにしても,あの渡辺九段が,こうまで一方的に押し込まれるとは驚きです。よほど藤井王位は渡辺九段との相性が良いのでしょうね。
 竜王戦は,挑戦者決定3番勝負で,佐々木勇気八段が,広瀬章人九段を2連勝でくだして,藤井竜王(七冠)への挑戦権を得ました。藤井竜王のデビュー以来の連勝を29で止めたのが佐々木八段ですし,2年連続での対決となった前期のNHK杯の決勝でも,佐々木八段が藤井竜王をやぶって前年の雪辱をはたして優勝しています。対戦成績は藤井竜王からみて52敗ですが,大事な勝負では勝っている佐々木八段の,竜王戦での藤井竜王との対決はとても楽しみです。 
 佐々木八段は,順位戦でもA級で,2連勝で好調な出だしです。このほか2連勝は,佐藤天彦九段,増田康宏八段で,名人挑戦の本命の豊島将之九段は,渡辺明九段に敗れて2連敗,そのほか,菅井竜也八段,稲葉陽八段も2連敗と関西勢は苦しい出だしです。11敗は,永瀬拓矢九段,渡辺明九段,中村大地八段で,さらに増田八段とならんで初昇級組である千田翔太八段も11敗です。
 B1組は,連勝は近藤誠也七段だけ(2勝)で,21敗に斎藤慎太郎八段,羽生善治九段,糸谷哲郎八段,高見泰地七段が並んでいます。2連敗ないし3連敗はおらず,すでに昇級・降級争いは混沌としています。
 ところで,佐々木勇気八段は,王将戦でも,最強メンバーが集まるとされる挑戦者決定リーグ入りにあと1勝というところまで来ています。昨期はリーグに入ったものの,24敗で陥落しました。今期はリーグ入りすれば,昨年の経験を糧にして,ひと暴れが期待できそうです(リーグにシードされているのは,菅井八段,羽生九段,永瀬拓矢九段,近藤七段の4人です)。

2024年8月19日 (月)

新幹線の臨時列車

 先日の台風直撃を受けて,816日,東海道新幹線は始発から運休をしましたが,それを2日前には発表していました。台風の進行の予測が正確にできるのが驚きですし(いまさら驚くことでもないのでしょうが),それに早めに対応して,旅行客への便宜を図ったJR東海の動きもよかったといえるでしょう。ただ,前日に臨時列車を出したと報道されていたので,ふと思ったのは,先日,このBlogでも採り上げた年休に関するJR東海事件です。臨時列車などの増発の可能性があることが,年休の取得日の特定方法や時季変更権の行使などに影響してくることが,この事件をとおしてわかったのですが,私は労働者の休暇保障の観点からは,AIなどを使って事前予測をして,できるだけ早い時期に年休日を確定できるような取扱いをすべきではなかろうかと考えていました。とはいえ,突然の台風などとなると,AIの予測にも時間的に限界があるでしょう。臨時列車を出して公共交通機関としての社会的使命を果たすべきなのか,それとも労働者に無理をしても働いてもらうということになるのか。実際に,今回の臨時列車がどれだけ労働者に無理がかかっているのかわからないので,無責任なことはいえません。ただ,欧州人的な発想(古い発想かもしれませんが)でいけば,臨時列車を出してもうかるのは鉄道会社なので,自分たちはこうした追加的な仕事はしないとしてストライキをしたり,みんなが困っているときにこそ,ストライキをすれば,自分たちの要求事項が社会に知ってもらえると考えたりするのでしょうが,そこは日本の労働組合はそういった発想にはならないし,ストライキをすれば世論の支持を得られないのでしょう。もちろん旅行者としては,計画運休を早めに告知し,臨時列車で対応するというのは,有り難いことです。とはいえ,その背後に労働問題がないことを祈ります。

2024年8月18日 (日)

南海トラフ地震臨時情報とは何だったのか

 817日の日本経済新聞の春秋と社説で,地震情報のことが採り上げられていました。地震予知はできないし,そのために予算を注ぎ込みすぎることへの問題点は,以前から指摘されてきました。島村英紀氏の戦いなどは,その著書『私はなぜ逮捕され,そこで何を見たか。』について,かなり前にBlogでも採り上げたことがありました。また,まだ読んでいないのですが,小澤慧一氏の『南海トラフ地震の真実』(東京新聞)も,どうも南海トラフの地震確率の高さへの疑念を告発したものだそうです(小澤氏の署名記事「南海トラフ地震30年以内の発生確率「70~80%に疑義 備えの必要性変わらないけど…再検討不可欠」もあります)。
 いすれにせよ南海トラフは来ることは間違いないので,用心を怠ってはならないのは言うまでもありませんが,今回の臨時情報は,地震のことを忘れるなという警告にはなっても,おそらく想定以上に人々の行動を縛ってしまい,観光業などに大きな打撃を与えてしまったかもしれません。そもそも,南海トラフの西端のほうで起きた地震について,静岡あたりから紀伊半島,四国,そして九州南部まで延びる一連の地域のどこが危ないかはわからないのであり,1週間という期限も地震に対する警戒期間の区切り方としては,あまりにもいい加減ということで,もしかしたら,今回は強すぎる警告であったのかもしれません。
 「春秋」では,かつて,統計に基づき50年内に大地震が起こるという予測に対して「浮説」として批判した学者が,実際に18年後に関東大震災が起きたために逆に批判されることになったという話を紹介しています。南海トラフ地震は確率としては,言われているほどは高くないかもしれませんが,明日,起こるかもしれないのです。地震確率の発表は,地震が起きたあとに,だから「言ったでしょ」という政府からの言い訳に使われそうですし,確率が低いとされているところでも,実際に地震は起きているので,その場合は,「地震の予知は難しい」というのであり,結局,確率などあまり当てにならないということです。
 社説では,今回の臨時情報について,「危機感を伝え,備えてもらうことで,被害を減らす狙いがある。発表時の記者会見で『普段よりも確率が高まった』と説明しながら『必ず発生するわけではない』と付け加えた。戸惑った人も多いだろう。背景情報を含めて,ていねいに説明すべきだった。」と書いています。そのとおりです。テレビでは,政府の人がそれなりの説明をしていましたが,誰に向けて説明しているのかわからないような,一般市民には伝わらない内容でした。結局,記者会見の内容からすると,政府側も地震の予知などできないことがわかります。しかし,政府は,もともと高い確率を発表しているなかでの「臨時情報」なので,一般市民がそれにより警戒感を高めるのは当然です。そして,1週間過ぎたから解除したとなると,今度は警戒感を弱めることになってしまいます。これこそ,政府の発表が,防災について誤誘導していることにならないでしょうか。いずれにせよ,地震対策は,コロナのときと同様,政府情報に振り回されずに,自分が信じられる情報を自分で見つけることが大切です。ただ,そうなると,何のための政府なのでしょうね。

2024年8月17日 (土)

兵役

 国の安全保障の重要性は総論としては誰も否定しませんが,個人の安全保障もまた大切と考える人が多く,この両者のどちらを優先するかが問題となります。祖国を守るために自分や家族の命も差し出すというのは,国の安全保障重視の立場であり,戦時中の日本人が強要されたものです。現在のUkraine(ウクライナ)は自発的にそういう立場にいる国民も多いのでしょうが,それは祖国消滅の危機にさらされているからなのでしょう。東大准教授で,メディアにもよく登場される小泉悠氏は,ロシアの侵攻が,ウクライナのアイデンティティを形成させたという趣旨のことを言っていたと思います。しかし,そのウクライナの人も,本音のところはどうなのでしょうか。
 徴兵制は,祖国のために死んでもらうという考え方が根底にあるはずですが,しかしそれでは徴兵制を導入した人たちやそれを運用している人たちが,死ぬ可能性があるかというと,それは小さいわけです。徴兵制というのは,いわば上級国民には適用されないことが多く,現在のロシアでも「赤紙」が来ても戦争に行っていない人が多いそうです。ロシアに限らず,兵役義務のある国でも,実は様々な方法で兵役を免れる仕組みがあり,エリート層は,実際には兵役を免れていることが多いのではないかという疑いがあります(本当のところはわかりませんが,Trump氏の兵役逃れが問題となったこともありました)。しかし,こうした抜け道の情報は一部の人しかもっておらず,国民みんなが知っているわけではありません。自分は戦争に行かなくてもいいとわかっていたら,国の安全保障の重要性ということだって,声高に主張できるでしょう。
 ところで,かつてイタリアに留学中に,電車のなかで,これから兵役に行くという若者といっしょになったことがありました。兵役を免れる合法的な方法はあったそうですが,それはあとから知ったそうで,そのことを彼は,悲しげに語っていました。当時のイタリアはどこかの国と戦争していたわけではありませんでしたが,交戦国に派遣される可能性はあり,命の危険はあったはずです。不公平だし,気の毒だなと感じたことを覚えています。
 イタリアでは,民法典上は,徴兵されると労働契約が解消すると定められています(2111条)が,1946年にこの規定は廃止され,現在は,労働ポスト保持権が認められており,日本法でいえば,法律上の休職権が保障されているという感じです。イタリアでは,労働関係の中断(ないし停止)の一類型と位置づけられています(拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,労働政策研究・研修機構)174頁)。韓国では,在学中に兵役となることが多いそうです。兵役が残っていると,仕事に支障があるので,企業に採用されにくいということのようです。戦前の日本では,どうだったのでしょうか。「赤紙」が来ると,生きて帰ってくることを想定した議論などすべきではないということだったかもしれませんね。日本で,兵役期間中の労働関係というようなことを議論しなければならない時代が来ないことを心より願っています。

2024年8月16日 (金)

国防軍

 世論調査では,自民党総裁候補の1番手として常に名前があがっている石破茂は,党内では不人気ということで,そういうところがかえって国民の人気を高めるというところがあります。もはや総理には無理と考えられていたのに,復活の可能性が出てきました。しかし,石破氏の議論のなかで,どうしても気になるのは「国防軍」構想です。この人の近著を読んだわけではありませんが,従来からの持論であり,憲法92項を削除して,自衛隊を国防軍に改めるべきとするものです。石破氏に限らず,こうしたことをいう人は前からいたわけですが,岸田首相が,憲法への自衛隊の明記について8月中に論点整理を行うよう指示したということで,にわかにこの議論が再燃しそうな勢いです。これは,岸田政権の延命につながる可能性もあるものでしたが,退陣表明後の現在は最後の「置き土産」のようなものになった気がします。もちろん護憲派にとっては余計な土産ですが。
 日本経済新聞の78日の記事「自衛隊の新規採用、想定の半数止まり 過去最低」では,「防衛省は8日,2023年度の自衛官の採用想定人数の充足率が過去最低の51%だったと発表した。19598人を募集したところ,9959人の採用にとどまった。」とされています。自衛隊で働こうという人は減っているのです。こうなると心配になるのは,兵役の義務化でしょう。ここにも,労働力の確保という,現在の労働市場の一般的な問題が関係してきます。
 終戦記念日の昨日,戦争の悲惨さに関する多くの番組がつくられていました。大事なことです。特攻の話は涙なしにはみることができません。こういう愚かなことを,日本のためということで若者に強要させたのです。この歴史についてのきちんとした反省がないかぎり,自衛隊にしろ,国防軍にしろ,そこに入隊したいと考える若者が増えるとは考えられません。
 ただ,自衛隊が憲法上の存在ということになると,労働力不足は問題だというだけではすまず,強制的にそれを解決する動きが出てくるおそれがあります。つまり徴兵制という強制就労の悪夢がちらついてくるのです。それが憲法13条(幸福追求権)や18条(奴隷的拘束や意に反する苦役の禁止)により無理だとすると,外国人傭兵を使うということになるのでしょうか。そうなると今度は,ある種の外国人労働問題が出てきます。
 このように,自衛隊の問題も,視点を換えれば雇用問題という面があります。ただ,もし入隊者が増えず,徴兵も無理なら,政府は,教育段階から洗脳して,自発的に入隊をしたいと考える若者を増やそうとするかもしれません。ある種の愛国教育です。愛国教育を,およそやってはいけないというわけではありません。しかし,できれば子どもたちに愛国などということをあえて強調しなくてもすむように(つまり,国際協調と両立する健全な愛国心が芽生えるようにして),ここでも,徹底したデジタル化によって,国防軍の省力化を進め,労働力不足の解決に取り組んでもらいたいです。もちろん,戦争を避けるための外交努力こそが最も重要であるし,デジタル技術についても戦争回避のために活用することが最優先というのは言うまでもありません。

 

2024年8月15日 (木)

知性と実行力のある総理の登場を待望する

 昨日,岸田文雄首相が突然,自民党の次期総裁選に出馬しない意向を表明しました。これにより,10月には新しい総理大臣が誕生することが確実となりました。もちろん,その前に総選挙があり,現在の野党が勝利すれば野党から総理大臣が選ばれる可能性もありますが,それは低いでしょう。順当にいけば,議席を減らしたとしても,自公連立政権が継続し,自民党総裁が首相となる見通しです。
 岸田首相に対する不満の一つは,その言葉に力がないことでした。官僚が書いた台本をただ読むだけなら誰でもできる仕事です。もっと伝わるスピーチができるはずでしたが,それができなかったのは,岸田首相が台本の内容を十分に理解していなかったからではないかと疑いたくなります。この言葉の力の欠如が,逆に,どこにでも顔を出して「台本を読む」ことができた要因かもしれません。少しでも考えながら話そうとすれば,頭が疲れてしまうのが普通ですから。
 岸田首相は政策が理解されなかったと述べていましたが,それは理解されるような政策を打ち出していなかったからでしょう。周囲からは「岸田の政策は悪くない」という声が聞こえていたのでしょうが,国民の多くは政治家の金銭感覚の悪さに不満を感じていました。岸田首相は,政治と金の問題は基本的に安倍派や二階派の問題であり,これを機に派閥解消や政治資金規正法の改正に取り組んだと主張したかったのかもしれません。しかし,派閥解消は自身の力を拡大するための手段であり,政治と金の問題自体も自らの権力保持のために利用しているように国民には映っていたのでしょう。さらに,定額減税などのバラマキ型政策は,実はお金に対する杜撰さを示しており,それが政治資金問題につながっていたのではないかと国民には考えられていたと思います。国民が払っている税金を無造作にばらまくという金銭感覚の鈍さが,岸田政権が支持を得られなかった根本的な理由の一つではなかったでしょうか。将来の世代に負担を押し付けてまで,現在の生活を改善したいとは国民も思いません。しかも,どんなにばらまきが行われても,生活苦がそれほど改善されていないのが現実です。賃上げがあっても物価高が続く限り,実質賃金は上がりません。この点について,岸田政権は有効な政策を打ち出すことができなかったと思います。新NISAの実現も功績としたいようですが,国民を危険な投資ゲームに引き込んだ側面もあります(個人的には,貯蓄から投資への転換自体は間違っているとは思いません)。85日の記録的な株価下落は,岸田首相にとって不運だったのではなく,潜在的なリスクが表面化したものと言えるでしょう。
 一方で外交面では,対米追従が目立ち,せっかく広島に先進国を招いたにもかかわらず,核廃絶や戦争終結に向けた具体的なアクションは何もありませんでした。突然Ukraine(ウクライナ)に乗り込むなど,行動力はありましたが,日本が世界に尊敬されるような外交を展開できていたとは思えません。むしろ,ロシアや中国と正面から対立しすぎていました。日本の地政学的位置を考えると,アメリカ一辺倒の政策は危険であり,より慎重な外交が求められていたのではないかと感じます。
 雇用政策においても,「労働移動」や「ジョブ型」といったキーワードが掲げられましたが,その具体化は役人に任され,岸田首相からは明確な構想が見えてきませんでした。最低賃金の引上げへの介入は,それなりの政治的指導力さえあれば,誰でもできることですが,問題はそれを支える生産性の向上にどう取り組むかです。しかし,その点の政策は先送りされました。防衛費の増強や原発再稼働など,もっと慎重に取り組むべきとされていた政策を推し進めたことにも,少なからぬ反発があるでしょう。
 結局,岸田首相は様々なことに取り組み,やっている感を出すという,安倍政権時代からのスタイルを,実はそのまま(それを強化しながら)踏襲しただけなのかもしれません。自己満足や自己陶酔が目立ち,昨日の会見の中での「政治家としての意地」という言葉が象徴するように,目線は国民に向けられていませんでした。彼が日本に残したものは,後世の人々の厳しい評価にさらされることになるでしょう。
 次期首相に期待するのは,平凡なことですが,これからの社会についての大きなビジョンを語れる知性と,それを実現させる実行力です。知性なき実行力は危険であるというのが岸田政権の負の教訓です。知性だけで実行力がない人物は政治家には向きません。両方を兼ね備えた人物に登場してほしいと思います。知性には歴史認識や科学技術への造詣なども含まれます。すべてで及第点をとれなくても,足りない部分は信頼できるブレーンに補完してもらえるような人物に首相になってほしいのです。政治村の村長ではなく,村長に支えられるような人物でもなく,真の意味での国民のリーダーとなれる人物を待望します。素養さえあれば,40代の若手でも良いでしょう。もしこれだという人材がいれば,国民は,多少の失敗も大目にみて,その人物を育てていくという覚悟をもつことが必要でしょう。

2024年8月14日 (水)

もう一つの障害者雇用対策

 今朝の日本経済新聞では,「ギグワーカー働きやすく 賃金・休日,基準明確に 厚労省が指針 待遇改善,働き方多様に」という見出しの記事が,まず目に飛び込んできました(紙媒体のものなら,いっそうでしょう)。ただ,厚生労働省がどういうことをしたいのか,よく伝わらない記事でもありました。私は実際の施策内容がわからないので,この記事が使っている「みなし」という言葉が,法律用語としての「みなし」という意味なのかよくわかりませんでしたが,たぶん違うでしょう。たぶん労働基準法上の労働者性の判断基準についての新たな通達を出すということなのでしょうが,編集委員の水野裕司さんらによるきちんとした解説記事によって補充してもらいたいですね。
 それよりも今朝気になったのは,Yahoo ニュースでみた共同通信の「障害者5000人が解雇や退職  事業所報酬下げで329カ所閉鎖」という見出しの記事です。閉鎖が増えているのは,障害者と雇用契約を結んで事業を行う「就労継続支援A型」で,これは障害者の就労へのサポートのためにも,また一般就労への移行のためのステップという意味もあります。日本経済新聞の5月17日の「沖縄の観光産業,障害者が支え 官民で働く環境整備」
という記事では,「沖縄県で積極的に障害者を雇用する企業が増えている。20236月時点の障害者雇用率は企業の法定雇用率(2.5%)を大きく上回る3.24%で,2年連続で全国トップだった。雇用に熱心な『ールモデル』」となる中小企業がけん引役となり,障害者でも働きやすい職場づくりが広がっている。」と書かれています。これは成功例ですが,一方で,A型事業所には,補助金目的の悪質な事業者もいるということも言われていて,きちんと事業で稼げておらず指定基準(生産活動からの利益が賃金総額を上まわっていること)を満たしていない事業所もあり,共同通信の記事によると,事業所閉鎖の増加は,「公費に依存した就労事業所の経営改善を促すため,国が収支の悪い事業所の報酬引き下げを2月に発表,4月に実施したことが主な要因」のようです。このほかにも,A型の場合は,最低賃金の引上げなどの影響も受けるし,事業者が増えて競争激化という問題あるなど,経営環境の厳しさもあるようです。この事業分野におけるスタッフの確保の難しさという問題もあります。日本中に広がりつつある労働力不足の影響を最も強く受けそうな分野の一つでしょう(ここでも職員側の業務をデジタル化で効率化できる部分があるのではないかと思います)。さらに無視できないのは,こうした事業所に仕事を発注する企業や個人がどれだけいるかということです。雇用問題というと,事業者と労働者という図式だけで考えがちですが,障害者雇用となると,こうした事業所に発注する側,つまり社会一般のこうした事業所への理解と支援という要素が大切です(この点で労働法の適用領域のなかでも,かなり独特のものではないかと思います)。それが不十分であると,政府の補助金がますます必要となってしまい,そうなると補助金目当てで,制度趣旨どおりの事業をしてくれない業者がどうしても参入してしまいます。この事業には補助金はどうしても必要であるとしても,それ以上に厚生労働省に力を入れてほしいのは,就労継続支援事業というものを,より広く認知してもらうための広報活動をし,社会からの支援を得やすくして,この事業ができるだけ自力で存続できる環境を整備することではないかと思います。これがより効果的な障害者雇用対策(自立支援政策)ではないでしょうか。私が不勉強なだけで,すでにやってくれているのかもしれませんが,私の周りでも,この事業についてはほとんど知られていません。A型,B型といった表現も,一部の専門家や業界の人しかわからないので,見直したほうがよいかもしれません(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律施行規則6条の10にある法令用語です)。国民目線は,ここでも必要です。

2024年8月13日 (火)

官僚たちの夏

 城山三郎が通産官僚のことを描いた作品のことではなく,数日前に日本経済新聞で取り上げられていた霞が関の蒸し風呂状態のことです。エアコンの設定温度が高かったり,夜には切られたりというような劣悪な労働環境で官僚(とくに厚生労働官僚)が働いているということのようです。ちょっと信じられないのですが,これが事実であれば,即刻改善しなければならないでしょう。いつも言っているように,日本の多くはすでに亜熱帯気候だと考えたほうがよく,しかも湿気が多い不快指数が高い国です。国の重要な政策を担う官僚には,きちんとクーラーが効いている良好な環境で働いてもらう必要があります。テレワークの推進ももちろん必要です。

 若い官僚であれば,多少は劣悪な空間でも働けるでしょう。しかし,大学の同級生たちが民間企業で,エアコンが効いて快適な空間,あるいはテレワークや場合によってはワーケーションでばりばりと仕事をして,しかも高給を得ていたりしているときに,なんで自分はこんな環境で働いているのかと思うようになると,官僚志望の人は減り,あるいは転職者が増えるでしょう。

 記事を読んでいると,官僚がかつての炭鉱労働者のような環境で働いていないかと心配になってきました。苦労して働いた経験は将来に役立つことがあるとしても,やらなくてよい苦労もあります。寿命を縮めながらも,日本のエネルギー産業を支えるべく炭鉱労働に従事してくれた人たちのことを思いながら,現代において日本のために働いてくれている官僚にはせめて少しでも涼しい環境で働いてもらえればと思います。有力な政治家には,炭鉱労働者の苦労を知っていなければならない家系出身の人もいるのであり,ここで一声かけて官僚の労働の環境改善に取り組んでもらいたいです。

 盆踊りのシーズン。あまり聞かれなくなった炭坑節を口ずさみながら,そんなことを考えていました(荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」は盆踊りに向いていないと思いますが,なぜかいまでも定番ソングになっています。でも,それだったら炭坑節を流してほしいですね)。

 

 

2024年8月12日 (月)

日曜スポーツ(一日遅れ)

 8月11日,阪神タイガースの高橋遥人が京セラドームの広島戦に先発して3年ぶりの勝利をあげました。待望の左腕の復活です。昨年からの戦力アップがほとんどない今期ですが,高橋の復活こそが戦力アップであると私は言ってきましたが,自力優勝が消えるかもしれない,首位広島との連敗後の第3戦に,見事な投球で復活してくれました。開幕投手の青柳は不調,昨年のMVPの村上も調子が上がらず,才木と大竹を中心にビーズリー,西勇輝らでなんとか回してきた先発陣ですが,これから高橋が10日に1日でも,残り5戦くらいをしっかり投げてくれれば大きな貢献になるでしょう。江夏ほどでないにせよ,井川クラスの阪神史上屈指の左腕投手は,ガラスの左腕でもあり,怪我をさせないように慎重に登板させてもらいたいです。今期の優勝は,広島がどれだけ転んでくれるかにもよりますが,少なくてもクライマックスシリーズには出れるでしょうから,高橋はそこで活躍してもらえればよいような気がします。

 夏の高校野球は,兵庫県代表の報徳学園がまさかの初戦敗退です。選抜準優勝でしたが,兵庫県予選でも社戦はほとんど負けていたような試合で,盤石ではありませんでした。豊富な投手陣があっても,結局は今朝丸に投げさせるしかなく,彼が意外に勝負弱いところが心配でした。島根県の大社が初戦の相手になったとき,多くの報徳ファンは,大社には悪いですが,普通にやれば勝てると思ったはずです。しかし,そんなに甘いものではありませんでした。好投手にあたると,こういうことがあるということですね。大番狂わせと言われていますが,報徳学園のもろさが出てしまった感じです。しかし兵庫県代表としてのこの試合は,県民としては残念です。

 

 

2024年8月11日 (日)

アメリカ大使欠席問題について思う

  昨年も書いたことですが,86日や9日を,日本のメディアが,広島や長崎に原爆が投下された日と言っているのは,誰が投下したかの主語をはっきりさせない表現で不適当だと思っています。アメリカが原爆を投下した日というようにはっきり言うべきであり,そうしないから原爆投下がまるで自然災害かのような印象を与えてしまっています。補償問題をめぐる日本政府の対応を追及する話に焦点が移ってしまい,それはそれで重要としても,原爆投下という国際法違反の行動をしたアメリカの責任こそが,ほんとうはより重大なことです。これは,当時の日本政府や天皇の戦争責任とは別の問題です。
 そのアメリカの駐日大使が長崎市の式典には参加しませんでした。イスラエルの大使を招待しなかったことと,アメリカの大使が参加しないことは別の問題であり,両者を結びつけて不参加を正当化しているアメリカには,原爆投下への真摯な反省の態度がうかがえません。これこそが報道価値がより高いことです。アメリカでは,報道官にこの点に問いただすやりとりがあったということが,HuffPostで報道されていました「「長崎に原爆投下したアメリカの大使出席は特に重要では?」問いただされた米国務省の見解は」。いつまでも昔の話を引きずるべきではないという意見も理解できますし,ことさらにアメリカと喧嘩するようなことをすべきではないのですが,しかしこの人類史上最もおぞましい出来事の一つである原爆投下,しかも長崎へはトドメの投下であり,この責任について,アメリカに軽く考えられては困ります。日本人としては,せめて1年に1度(8月6日と9日)は,きちんと過去の歴史において何があったかを語り継いでいかなければならないでしょうし,同時に,アメリカの罪を忘れはしないということをアメリカに向けて発信し続ける必要があるでしょう。 
 ということで,長崎市がイスラエルを招待しなかったことの適否はもちろん議論があるでしょうし,アメリカ以外の国がそれにどう対応するかは自由ですが,アメリカだけは違った立場にあるというように思っています。皆さんはどう考えますでしょうか。

 

 

 

 

2024年8月 9日 (金)

オリンピックと国籍

 パリオリンピックは,毎朝起きると,Yahoo ニュースで,審判批判の問題をとりあげたものが出てくるので,気分が憂鬱になります(そういうのを1回みてしまうと,連続して出てくるので困ります)。オリンピックの商業主義を批判して,オリンピックを観ないという人もいるそうですが,そういうことではなく,スポーツの祭典らしくないところが,だんだん嫌になってきました。国別のメダルの数を競うのも,どうかと思います。これだけ人種が混じり合ってきているなかで,国別はあまり意味がありません。ラグビーのワールドカップのように,外国籍の人でも,一定の要件を充足していれば代表選手になれるというのでよいような気がします。日本人かどうかよりも,日本と深く関係している人で,日本代表として出場してくれるならウエルカムということです(とはいえ,高校駅伝でケニアからの留学生がダントツの成績を残すことにはやや抵抗感があるので,一貫していませんね)。
 そんなことを思うのも,外国人の血が入っている日本人選手が,活躍しているケースが増えているからです。これは素晴らしいことであり,いまや多くの人が,何も違和感をおぼえなくなっているでしょう。テニスの大坂なおみは,日本語を話してくれないので,あまり日本人っぽい感じがしませんが,バスケットボールの八村塁,陸上のサニブラウン,村竹ラシッド,豊田兼,中島佑気ジョセフ,柔道のウルフ・アロン,村尾三四郎,サッカーの小久保玲央ブライアン,佐藤恵允,藤田譲瑠チマなど。私が知らないだけで,他にもまだたくさんいるでしょう。父親や母親が日本人でないということが,どれだけの意味があるのか。個人のアイデンティティは,人種などによって分類しきれないということでしょう。
 ボクシングの性別の問題もありました。女子であるが,性染色体がXYの人について,男性的なストステロンが多いなど,競技上優位な特徴があるとして,失格になるのかどうかです。ボクシングのような打撃で競うスポーツでは,これは難しい問題で,対戦相手が怖がることは理解できないわけではありませんが,女性のなかでも訓練して強くなった人もいるでしょうから,そことの違いがどこにあるのかはよくわかりません。しかも個人の性に関するアイデンティティの問題が関係してきます。性自認を尊重するのがオリンピックの精神なのか,それともスポーツとしての公平性を重視するのか。
 日本の保守派にはLGBT理解増進法に絶対反対の人たちがいますが,男性と女性の境界線がはっきりしなくなっているなか,社会では,男性と女性を区別しないことへの理解度が高まっているような気がします。むしろスポーツ界こそ,この点において対応が遅れているかもしれませんが,それは結局のところ,スポーツに競争や順位という要素をどこまで盛り込むのか,という問題なのでしょうね(参加することに意義があるのであれば,男女混合の市民マラソンのようなものでよいのであり,100メートルであっても,男性も女性も混じり合って走っていいのです。男性のNo.1,女性のNo.1を決めるという発想が,そこに性別意識があるのだと言ったりするのは,暴論なのでしょうかね)。

2024年8月 8日 (木)

Minnesota

  民主党の次期副大統領候補にミネソタ(Minnesota)州の知事のTim Walz氏が指名されました。Harris次期大統領候補にはない属性(白人,男性,北部州の政治家など)をもつ人が選ばれたのでしょう。Minnesotaというと,最近,たまたまFargoという映画(1996年。監督は,Joel Coen, Ethan Coen)を観たところだったので,びっくりしました。偶然です。Fargoというのは,土地の名前で,North Dakota州の都市ですが,Minnesotaとの州境にあります。ただ,映画のなかで登場する事件(テロップでは実話に基づいていると出ていましたが,フィクションだそうです)は,ほとんどMinnesotaで置きています。
 義父の経営する自動車販売会社の営業部長をしているJerryは借金に苦しんでおり,妻Jeanを偽装誘拐して,金持ちの義父に身代金を払わせて,借金の返済をしようと考えます(妻の承諾はなし)。Jerryは,会社で働く一人の修理工にチンピラの紹介を頼み,彼らに誘拐をさせるのですが,いろいろな手違いが重なり,人々が次々と死んでいくという話です。Frances McDormanが演じる妊婦の警察署長のMarge Gunderson 役がとても良かったです。残虐な事件が次々と起こるのです(最後のほうで,チンピラが仲間割れして,殺されたほうがwoodchipperで粉砕されていくところは吐き気がしました)が,Jerryの間抜けぶりがひどくて,どこか喜劇的な要素のあるブラック・コメディという感じです。映画のなかの風景は雪景色が多く,寒そうな田舎の州というのが,Minnesotaにもったイメージでした。
 Walz氏の名は今回はじめて知りましたが,田舎者で,人の良さそうなおじさんという印象です(60歳にはみえないですが)。この面でも,検事上がりのHarrisとは好対照です。共和党の副大統領候補のVanceとは正反対の印象です。Walz氏は,どこまでrust belt の白人労働者の心をつかめるでしょうかね。

2024年8月 7日 (水)

株取引と認知バイアスと労働

 日経平均株価の歴史的な乱高下で,とまどっている人も多いことでしょう。余裕資金で運用するようにせよという忠告を聞いている人でも,これだけ急激に下がったり,上がったりということになると,やはり落ち着かないでしょう。余裕資金であるかぎり,何もせずじっとしておいたほうがよいのだと思いますが,何もしないで見過ごすというのは,心理的な負担もあります。
 もっとも,行動経済学でいう「プロスぺクト(prospect)」理論では,むしろ人々は「損切り」をしづらいと言われます。損切りは損害を確定することになり,人々はそうしたことをできるだけ先延ばしにしたがる「損失回避バイアス」があるからです。こうしたバイアスを避けて合理的な判断をするために,一定以上の下落があれば売るというルールを最初から決めておくべきという忠告を受けることもあるでしょう。
 82日と5日の下落では,自身の「損切りルール」を決めていた合理的な人は,とっとと売ってしまったかもしれません。難しいのは,「損切りルール」は,市場の乱高下のようなときにはあてはめるべきではないという点です。「損切りルール」は,個別銘柄において,業績がdownwardになっているような場合には有効なのでしょうが,市場全体が大荒れのときには,嵐が過ぎるのを待つほうがよいのです。ただ,いまが嵐なのかの判断は,普通の場合は難しいので,結局は,投資信託のプロに任せたほうがよいということになるのでしょう。
 ということで,投資信託をつかうのは,合理的な行動といえるのですが,ここでも,なかなか合理的に行動ができないのが人間です。例えば,馬券を買うときに,プロの予想屋の話を聞くのではなく,自分で馬の状態をみたり,いろんな情報を分析したりして,納得して馬券を買うことにしている人がいるように,株も投資信託に任せず,自分で銘柄を選びたいという人もいるでしょう。これは合理的な判断ではないのでしょうが,そこには「コントラフリーローディング(
contrafreeloading)」という認知バイアスが働いている可能性があります。手数料を払っているから完全にfree loadingではないのですが,やっぱり自分で苦労したいという心理が働くことが多いのでしょう。これは「労働」の意味を考えさせるという点でも深い意味がありそうですが,機会を改めてまた考えてみたいと思います。

 

 

2024年8月 6日 (火)

あんしん財団事件・最高裁判決に思う

 あんしん財団事件の最高裁判決(202474日)については,前に速報的な紹介をしましたが,昨日は,大学院の授業(最終回)で,学生に報告してもらい,検討しました。高裁判決のときも,授業で取り上げて,かなり検討をしましたが,最高裁では結論が逆転したことから,もう一度検討し直しました。今回の最高裁判決を改めて読み直してみると,バランスがとれているようには思えるものの,もやもや感が残るものでした。おそらく,労災支給処分と保険料認定処分を「切り離す」ことの違和感です。労災支給処分は,被災者の早期救済を重視し,事業主に取消訴訟の原告適格は認めないものの,保険料認定処分は,違法性の承継を認めて,メリット制の適用を受ける特定事業主が支給要件の非該当性を主張できるようにして(そこで支給要件該当性が否定されると,安全配慮義務違反の民事損害賠償事件にも事業主に有利に影響するかもしれない),それでみんなに不利益がないということかもしれません。しかし,保険料認定処分で,支給要件の非該当性が認められると,被災労働者は,支給されるべきではない給付を受けていたことにならないか,という疑問が出てきます。手続が違うからよいというのは便宜的な議論のように思えます。最高裁は,結論が決まったものについて,なんとか理屈をつけて作文したという印象を否めません。もちろん,多くの研究者からの支持(高裁判決批判)もあるから,最高裁もそれでよいと考えたのでしょう。ただ,労災保険については,ときおり最高裁のこうした制度趣旨などを形式的になぞったような判断がなされて気になります。特別支給金や年金の将来分の非控除説などがその例であり,しかも後者との関係で,労災保険給付を(損害賠償をした)事業主が代位取得することまで否定している点もそうです。

 ところで,ある学生から,メリット制の適用を無過失の事業主にも行っていることの疑問点が出され,はっとしました。メリット制は,最高裁もいうように,「事業主間の公平を図るとともに,事業主による災害防止の努力を促進する趣旨」とされています。「事業主間の公平を図る」という点では,労災保険が多いところと少ないところで保険料の差が生じることは当然といえそうですが,「事業主による災害防止の努力を促進する趣旨」のほうは,無過失の事業主にはあてはまらないと思います。「事業主間の公平」といっても,メリット制が適用される特定事業主の数はわずかであり,労災保険の保険料を支払っている全事業主間の公平性というのは,あまり強調できないのではないかという気もします。むしろ重要なのは災害防止の努力の促進というほうであり,そこにメリット制を活用するのなら,それに適した方法をとるべきということになるのです。そこから出てきた一つのアイデアは,労災支給手続と保険料認定手続を,まったく違う趣旨のものに変えたらどうかということです。どちらも支給要件の該当性を判断するとなると,判断が不一致の場合の気持ち悪さが残ります(精神障害についても,業務起因性の判断を広げる認定基準が出されているので,労災支給処分は幅広に認められる一方,保険料認定との関係では支給要件を否定するというような実務が広がっていく可能性があります)。労災保険給付の基礎となる労働基準法上の災害補償責任は無過失責任であることからすると,労災支給処分がされたケースのなかには,事業主が無過失の場合と有過失の場合とがあり,災害防止の努力という観点からメリット制に反映させるべきなのは,過失がある場合だけではないかということです。そうすると,保険料認定手続では,業務起因性だけでなく,過失の有無についても判定する(あるいは,重過失・故意があるかを判定する)ことにし,メリット制の適用できる場合を限定するものと位置づければ,この手続に独自の意味を与えることになります。業務起因性があり労災支給処分は適法であるが,過失がないからメリット制を適用せずに保険料額を認定するといったことを,矛盾なく行うことができます。このアイデアは現行のメリット制を根本的に見直すことになるのですが,今回の最高裁判決や(厚生労働省が公表していない?)通達の運用を前提とすると,こうした見直しがなければ,気持ち悪さが残り続けるように思います。

 さらにデジタル労働法の視点を追加すれば,労災保険の支給決定手続に,AI審査を導入し,そこで業務起因性について,A業務起因性あり(故意あり),B業務起因性あり(重過失あり),C業務起因性あり(過失あり),D業務起因性あり(軽過失あり),E業務起因性なしという判定も同時に行い,保険料額に反映させるのは,たとえばABだけとし,また事後の民事損害賠償でも,この判定を尊重して,審理のスピードアップを図るというようなことにすればどうでしょうか。さらに附帯私訴的な発想で,労災の支給決定手続でも,労働者が請求すれば,AIに損害賠償の審査もしもらってもよいかもしれません。というような妄想的な議論が膨らんでいきますが,何か根本的に考えていかなければ,この最高裁判決や行政実務への違和感は消えません。バランスがとれているからいいだろうというのは,少なくとも研究者がもってはいけない発想です。妄想的見解も,ときには大当たりすることがあるので,ダメ出しされ続けても,めげずに頑張ることも大切です。

 

 

2024年8月 5日 (月)

ブラックマンデーの再来

 19871020日,アメリカで起きた「ブラックマンデー」と呼ばれる株の大暴落の余波を受けて,日経平均株価は,3836円下落しました。それが先週末の82日に,これに次ぐ史上2番目の下落幅2216円となり,そしてついに今日は史上最大の4451.28円の下落となりました。下落率は12.39%で,ブラックマンデーのときの14.9%よりは低いものの,年初から続いていた新NISA相場は終焉を迎えました。新NISAにより投資を始めたような人は,株の恐ろしさを知ったことでしょう。本日は午前も続落でしたが,午後になると,とどまることのない下落になりました。アメリカの雇用統計からくる景気後退の懸念に加え,政策金利の引上げ,日米金利差の縮小による円高とそれによる輸出産業の業績悪化予想など,いろんな状況が重なり,歴史的な下落となりました。円高自体は,海外旅行待望組にとっては喜ばしいことですが,日本経済への影響という点では悩ましいです。現在,日本に来ている海外旅行者は,為替レートの変動に驚いているかもしれません。7月初めには160円を超えていたのが,いきなり143円(一時は141円台)になるなど,1カ月で20円近くも円高になるのでは,たまったものではないでしょう。

 「投げ売り」というのは,今日のようなことを指すのですね。「落ちるナイフはつかむな(Don’t catch a falling knife)」で,価格が下落している株に,値ごろ感があると思って買ったりすると,もっと下がって損をするということです。底まで落ちて,ナイフがつかめる状態になってから買ったほうがよいということでしょうが,3営業日連続で,大幅な下落をしている日経平均は,いつ底を打つのでしょうかね。



 

 

2024年8月 4日 (日)

令和6年度地域別最低賃金

 最低賃金の決め方は,一般の人にはわかりにくいものです。中央最低賃金審議会で決めているのは,目安であり,各都道府県の地方最低賃金審議会を拘束するものではありません。また新聞報道で労使が折り合ったとされる目安についても,まずは中央最低賃金審議会の目安に関する小委員会で審議され(テレビなどで流れているのは,この小委員会のものです),「目安に関する公益委員見解」というものが出され,これが実際上は目安として報道されているものとなります。この公益委員見解については,労使がともに不満を述べて,報告書にも労使の合意がなかったと明記されているので,「労使が折り合った」という報道の意味がわかりにくいのですが,最初から労使は合意に至らず,不承不承(?)「公益委員見解」に従うということがお約束であり,そのうえで,今回でいえば全国すべて50円の引上げという公益委員見解を出すということには承諾したということなのでしょうね(ただ,これは推測であり,このあたりのインフォーマルな部分は,いつか委員として参加している先生から教わることができればと思っています)。これを受けて兵庫県の最低賃金についても,兵庫地方最低賃金審議会での審議がなされ,明日くらいに決まるのではないでしょうか。もし目安どおりであれば,50円の引上げとなり,10月以降,兵庫県の最低賃金は1051円(時給)となります。

 最低賃金は,政府の手柄として可視化されやすいので,政策的に引上げ論が出てきやすいのですが,ほんとうは自発的な賃上げの流れが生じるようにするための経済政策こそが必要です。最低賃金の引上げは,低賃金で人を雇っている企業が不正競争をしているという視点から(最低賃金法1条でも,「事業の公正な競争の確保」が最低賃金法の目的の一つに挙げられています),ある程度の引上げは必要でしょうが,今日では低賃金では人が集まらないという状況があり,むしろ最低賃金に関係ない賃上げ競争が繰り広げられているともいえます。

 労働力不足時代においては,労働者保護のために賃金を上げるということだけでなく,むしろ賃上げによる人件費に耐えられない企業の廃業が増えないようにすることへの対応も必要です。最低賃金を思い切って上げることは大切としても,どこかに労使合意によるデロゲーション(derogation)の仕組みを設けておく必要がないかも議論したほうがよいように思います。減額特例(最低賃金法7条)だけでは不十分でしょう。うまく最低賃金に柔軟性を盛り込むことができれば,最低賃金設定の自由度は格段に高まるでしょう。

 もちろん,以上とは別に,現在の最低賃金の決定方式でよいのかは重要な論点です。現行制度のように,いわば労使の交渉に公益委員がかかわるというような三者構成でよいのか,むしろ,データを用いて適正な最低賃金をAIに設定してもらうことでもよいような気がします。現在の公益委員は,おそらく奉仕の精神でやってくれているのだと思いますが,いつまでもそういう善意に頼ってばかりもいられないでしょう。良い委員人材がみつからなくなる危険性にもそなえた対策が必要でしょう。

 

 

2024年8月 3日 (土)

南海トラフ地震に備えよ

 宮崎県の日向灘震源の地震は,南海トラフ地震の予兆ではないかという不安があり,注意情報も流れたことから,改めて地震への意識を高めることになりました。いつ来てもおかしくないとわかっていても,ついつい忘れがちです。「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)は,防災の意識を常にもつべきという警句でしょう。とはいえ,何をしてよいか,必ずしもよくわからず,水やインスタント食品の蓄えのチェックをし,防災グッズを買って安心ということにとどまりそうでもあります。

 人間は,「正常性バイアス」があり,ちょっとした危険でも,これはよくあることで「正常の範囲内」と理解してしまう心理的バイアスがあるそうです。危険を客観視できないため,災害時などには命取りになるとされています。防災においてもそうかもしれません。南海トラフの危険が近づいているかどうかは,ほんとうのところはよくわかりませんし,専門家もそれほど強いアラート(alart)を出していないなかでは,どうしても正常性バイアスにより安心したがるという脳の癖を自覚しておくと,少々心配しすぎくらいの心構えをしておいたほうがよいのかもしれません。

 もちろん「正常性バイアス」に対しては,実際に災害が起きた時にこそ,それを回避するよう自覚しておかなければなりません。まだまだ大丈夫と考えていると,前述のように命取りになります。こういうことを知っておくことも,防災グッズを用意することなどと並んで,重要な災害対策なのかもしれません。

 災害があったときは災害対策基本法上,知事には多くの権限があります。県政がごたごたしていることは,災害対策においては大きなリスクです。わが兵庫県には,災害対策態勢をしっかりとって,来たるべき災害への備えをおさおさ怠りなきようお願いしたいです。

 

 

オリンピック陸上始まる

 田中希実さんは惜しかったですね。積極果敢に先頭を走っていましたが,ラスト1周で,先頭グループ9人のなか残り全員に抜かれてしまい9位となり,決勝進出の8人に入れませんでした。彼女のレースをしたと思いますが,先頭で走るなか,後続の8人はそれほど体力を削られておらず,他方,田中さんはかなり削られていたのですね。そう簡単には世界では結果を残せないということでしょう。これをよい経験にしてほしいです。まだ1500メートルはありますが,こちらは5000メートルより厳しいかもしれません。でも応援しています。 

 話は変わり,昨日はLSの期末試験でした。いつものように90分の試験で,学生は集中していて,誰一人として途中退席者はいませんでした。試験問題は,有期労働契約の不更新条項とか,無期に任意転換した労働者に対する職種転換などに,男女差別や健康障害などの論点をからめた問題を出しました。時間をたっぷり与えてパーフェクトな解答を求めるというより,限られた時間のなかで,どれだけのことが書けるかを問うというのが,いつもの私のやり方です。今学期は,なぜか受講者が多いので,学生はもうすぐ夏休みですが,私は採点という重い仕事が残ります。今年は,昨年よりも老眼が進行しているので,答案をみるのはかなり苦痛です。学生が必死に書いている答案なので,丁寧に読みますが,目の疲労を考えて,1日数枚という感じになりそうです。できれば来年度くらいから,少し前倒しで,答案はパソコンで書くようにしてもらえればありがたいのですが。

 

 

2024年8月 2日 (金)

王位戦第3局

 王位戦第3局は,藤井聡太王位(七冠)が,挑戦者の渡辺明九段を下しました。途中までは渡辺九段がやや優勢であったような気がしますが,終盤は両者の対局ではよくあるスリリングな展開ながら,最後は藤井王位が勝つという結末でした。
 渡辺九段が飛車を捨てながら,藤井陣の金をとって角が成り込んだ局面では,藤井玉は風前の灯火のようでした。実際,評価値でも渡辺九段の優勢でしたが,最後は藤井王位の華麗な攻めが決まり,渡辺九段が投了に追い込まれました。なんだかギリギリのところまで攻めさせておいて,最後はしっかり逆転するという感じで,渡辺九段にとっては心理的なショックが大きい負け方でしょう。しかも,いまはAIで検証できますから,すぐに最善手は何かわかります。渡辺九段は最善手を指していれば勝っていたので,悔しいでしょう。しかし,少し前までは,渡辺九段くらいのクラスであれば,終盤のギリギリのところになると最善手を発見できるものだと,多くの人は思っていたことでしょう。おそらく渡辺九段も,普通の相手なら,そういう手を指せるのでしょう。しかし藤井七冠は,そこが違うのです。評価値的には少し劣勢でも,相手がミスするような手を指させる勝負術があります。その手を指すと罠かもしれないと相手が疑心暗鬼になり,その時間を削っていき,最後に悪手を指させるのです。羽生善治九段が言ったように,将棋は最後に悪手を指したほうが負けです。その前に悪手や疑問手を指しても,それでへこたれず,最後の最後に相手に悪手を指させるようにすればいいのです。

 王将戦の菅井竜也八段相手のような序盤から圧倒して勝つというのも相手には堪えるでしょうが,接戦を最後にひっくり返されるのも堪えるでしょう。渡辺九段は,対藤井戦では,後者のパターンが多いようです。でも,将棋ファンとしては,もう一踏ん張りで勝てそうな渡辺九段に頑張ってもらって,1局でも多くみたいと思います。

 

 

2024年8月 1日 (木)

たぶん最後の人間ドック

 今日は人間ドックの日でした。いつものところで受診しました。血液検査の結果は,今回はわかりませんでした(受診者が多かったのか,医師の最後の結果説明の時間までに間に合いませんでした)が,身長が少し縮んだことはわかったので,それがショックでした。
 胸部レントゲンは,どういうわけか撮り直しということがあり,X線の被ばく量が増えました。健康に影響がない線量と言われていますが,謝罪があってもよいと思いました。 相変わらず適当っぽい腹囲の検査もありました。問診票の手書きという点も変化がなく,とくに同年齢の人と比べて,歩く速度が遅いかとか,食べるのが早いかなどという,答えようのない質問には困りました。何も書いていなかったので,記載の欠如があると指摘され,同年齢の人と歩くことはないし,一緒に食べることもないので,答えようがないと言いました。睡眠で疲れがとれているかという質問も同様で,日によって違うので答えられません。そう堅苦しいことを言わずに,適当に答えてもいいのですが,ついつい真面目に考えてしまうので,疲れてしまいます。質問事項は何のために聞いているのかという目的を示してもらえれば,こちらも答え方があるのです。毎年,同じ様式の問診票を使うのではなく,少しは改良していってほしいですね。

 それでも毎年同じところに人間ドックに行っているのは,全体としてはサービスに満足しているからでしたが,そろそろ,人間ドックをやめてもよいかなと思い始めています。
 今後は,いろんなところにガタが出てくるでしょうから,そのたびにその箇所に特化した検査をすれば十分ではないかと思っています。あえて総合的な検査である人間ドックに行く必要もなさそうです。父親と体質が似ている私は,だいたい自分の弱点もわかっています。もちろん,がんとかの検診はしておく必要があると思いますが,それは人間ドックでもオプションにすぎません。

 人間ドックは,年齢が高くなるからこそ受けるべきなのでしょうし,これまで深刻な検査結果が出なかったのは単に若かっただけだからかもしれません。ただ,人間ドックで数値が悪くなければ,安心してしまうので,むしろそのほうが危険であるような気がします(肝臓の数値はよくないのですが,ずっとやや悪い程度の数値のままで安定していれば,やはり油断してしまうのです)。人間ドックをやめることにより,むしろ不定期に生じる心身の異常にもっと注意するようになるかもしれません。アプリを活用した健康保持も忘れないようにします。 もちろん,これは心がけの問題にすぎないのですが,費用の問題もあり,定期的な健康診断は,無料でなされる法律上の義務の健康診断にとどめようと思い始めているのです。これまで,人間ドックの効用を主張して,受診を勧めてきた方には,申し訳ありません。「宗旨替え」をしました。

 

 

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