中倉陸運事件
先日の神戸労働法研究会では,中倉陸運事件・大阪高判2024年1月19日(令和5年(ネ)860号,861号)を千野弁護士に報告してもらいました。今回も活発な議論ができたと思います。
事案は,貨物自動車運送会社Yの現場の営業所長Aが,乗務員Xについて,うつ病であることがわかったうえで採用しておきながら,Xが精神障害3級の手帳があることがわかったところで,Y会社の指示により退職勧奨をしたというものです。就労したのが3日間であり,本人の雇用継続のための措置について検討していないことからすると,障害者雇用促進法の精神に反して許されない,というのが第1印象であり,実際,裁判所はY会社に慰謝料80万円の支払いを命じているのですが,判決を読んでいくと,どこか違和感が残る部分もありました。争点は,退職合意の有無とその有効性,および,退職勧奨行為の違法性(不法行為)です。
退職合意については,X側は解雇されたと主張していますが,この主張は認められていません。第1審は,本件は解雇ではなく,退職合意があったとし,そのうえで,Xの錯誤や心裡留保を否定し,さらに,Y会社の退職勧奨行為自体は,Xに執拗に迫って退職の意思表示を余儀なくさせるような行為とはいえず,退職に関する自由な意思決定を阻害するものであったとは認め難いとして,公序良俗にも反しないとしました。本件の退職勧奨は,Xが提出した扶養控除等申告書中の「精神障害3級」との記載を目にしたY会社の取締役業務部長が,A所長に服薬等があるのであれば,本社として雇用を継続することは難しい旨の意向を示し,それがA所長をとおしてXに伝えられたというものでしたが,これだけをみると,この退職勧奨行為は,たしかにXの自由な意思決定を阻害するほどの執拗なものではなく,裁判所の判断は妥当といえそうです。ただ,そうだとすると,損害賠償も認められないことになりそうですが,裁判所は,不法行為には該当するとしたのです。契約の公序良俗違反かどうかの判断に,労働者が同意をした経緯などは考慮しないということであれば,こうした判断もあるのかもしれませんが,労働者が同意をした経緯なども合意の公序良俗違反性に影響するという解釈によれば,一貫しない判断となりそうです。それとは別に,労働法においては,山梨県民信用組合事件・最高裁判決以降の自由意思法理に照らして,労働者に不利益な同意の存否について判断するというアプローチもあり,その観点から,労働者の同意がなかったとする判断はありそうです。ただ,同法理は,退職の場合には適用されないとするのが裁判例の傾向であり(自由意思法理については,ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の次のテーマで取り上げていますので参考にしてください),それによれば,やはりこのケースでは同意があるということになるのかもしれません。
さらに,そもそも本件で,不当な退職勧奨行為があったかという点について,少なくとも,これまでの裁判例に照らすと,退職勧奨行為の態様だけをみると不当とは言いづらいところもあります。
では,Y会社に何の問題もなかったのかというと,そうではありません。たとえ退職勧奨行為が執拗になされたものでなくても,退職勧奨をしたこと自体が,前述のように障害者雇用促進法の精神に照らして問題があるでしょう。実際,Y会社には,職安の所長から,不当な退職勧奨による心理的虐待があったとして,改善措置が求められています。この点をふまえると,本件の退職合意は,障害者雇用促進法35条による障害者差別があったとし,同条がかりに私法上の効力のない規定であったとしても,公序良俗に反するとして無効とすることは可能性であったように思います。退職を求める行為だけをとりあげると不当ではないし,Xは任意に退職に応じたとしても,Y会社のXに対する一連の対応を総合的に評価すると,Xを退職させる合意それ自体が障害者差別的な内容を含むものであり,公序良俗に反するといえるのではないかということです。
では損害賠償責任のほうはどうでしょうか。Y会社が合理的配慮をまったく講じていないところは問題であり(障害者雇用促進法36条の3。36条の2も参照),上記の行政指導でも,是正が求められています。かりに,退職合意を無効とすることができないとしても,Xを,退職を余儀なくさせるような事態に追い込んだ点で職場環境配慮義務違反があるとして,損害賠償責任を認めることはありえるでしょう。(有効に)退職したかどうかということと,退職に至る過程でのY会社の行為とは切り離して評価できるはずです。この点は,セクシュアル・ハラスメントなどにより退職した労働者が,職場環境配慮義務違反で損害賠償請求をする場合などと似ています。
実際,控訴審判決は,「Xを既に採用し,雇用主という立場にありながら,Xが服薬治療を受けているという抽象的な情報に接しただけで,病状の具体的内容,程度,業務遂行に与える影響といった諸点の検討を何もしないまま,即日,上司であるA所長をして退職勧奨をさせたというY会社の対応が社会通念上不適当であることは明らかであって,そのことは,結果的にXが退職勧奨に応じて任意に退職をしたことによって左右されるものではない」と判断しています。広い意味での合理的配慮義務違反の不法行為を認めたような印象を受けます。理論的には,もし退職合意が無効となった場合にも,退職過程での会社の行為の評価として,同じ程度の慰謝料が認められることになるか,それとも雇用が継続する場合には,精神的な苦痛は慰謝されたということになるかが,気になります。これは不法行為の問題ですので,専門家の千野弁護士にまた別の機会に教えていただければと思っています。
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