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2024年6月11日 (火)

季刊労働法284号

 季刊労働法284は,前に土岐将仁さんの評釈を紹介しましたが,その他にも,いろいろ読み応えがある論稿が掲載されていました。なかでも,石田眞先生の,豊川義明『現代労働法論―開かれた法との対話』(日本評論社)の書評では,率直に批判的なことが書かれていて興味深かったです。
 石田先生は,豊川弁護士の「法解釈方法論」について,豊川弁護士の主張する「事実と法の相互媒介」の意味が必ずしも明確ではないと指摘しています。法的三段論法を重視すると,法規範どうしの比較や法律の違憲性の評価などのプロセスが判断外となる危険性があるとする豊川弁護士に対して,石田先生は,裁判の恣意を抑えるための法的三段論法の形式論理の重要性を指摘します。
 末弘厳太郎の「三つ巴」論にもあるように,事実認定,法律解釈,結論は,相互に独立した段階的なプロセスではなく,一体的なプロセスといえますが,ただ裁判として示されるときには,外形的には法的三段論法は維持される必要があり,このことにはあまり異論がないと思います。裁判では,結論を出すことを避けることはできません。どのような結論であれ,そこに至るまでの法的な形式論理がきちんとあるからこそ,裁判が恣意的な感情的な判断によるものでないことを,少なくとも外形的に示すことができ,裁判の信用性を担保することになります。
 一方で,裁判での事実認定は,純然たる客観的な事実の発見ではなく,裁判官による法的なフィルターにかけたうえでの「法的事実」の創出という面があります。そうした「法的事実」は,当然,適用すべき法律についての裁判所の解釈の影響を受けているわけで,純然たる客観的なものではないのです。「三つ巴論」のプロセスは,客観的な作業ではなく,裁判官の価値観に基づく事実認定や法解釈がなされています。判例評釈では,事実認定についての論評はしないものの,法解釈への論評は,事実認定への論評も包摂していることになります。
 ところで,話は少し変わりますが,季刊労働法の同じ号に掲載されている,新屋敷恵美子さんは「イギリスにおける労働者(Worker)概念と経済的従属性・コントロール・事業統合性」という論文のなかで,集団的労使関係法上の労働者概念について,イギリスの最高裁が,条文の文言の法解釈を重視しているのに対して,日本の労働組合法3条について,「どこか法から離れたものとなっている印象である」と書かれています(132頁)。イギリスでも,Uber判決にあるように, 法の規制目的は,法解釈で考慮はされるのですが,判決文のなかではそれをストレートに押し出すということはないということでしょう。これは先の議論でいうと,イギリスでは,形式的な法的三段論法を意識し,裁判所は,文言に忠実に解釈した法律を適用して事実にあてはめて結論を出すという形を厳格に維持しているといえるのかもしれません。この点で,日本の労組法3条のINAXメンテナンス事件などで,最高裁はもちろん法律を事実にあてはめて結論を出すという形はとってはいるのですが,適用すべき法律についての解釈が示されていないため,裁判所がピックアップした事実(あるいは判断要素)から,裁判所がしたであろう法解釈を推測するしかないということになっています。
 ところで,先般の事業場外労働のみなし労働時間制に関する協同組合グローブ事件の最高裁判決(2024416日)では,労働基準法38条の2の「労働時間を算定し難いとき」 について,従来の判例と同様,それをどのように解釈すべきかは示さないまま,たんに業務日報の正確性の担保に関する具体的な事情の検討不足を指摘して原審に差し戻しています。この事件については,ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号でも採り上げていて,実務的にこの事件をどうみるかという観点から論評していますが,判決自体が「労働時間を算定し難いとき」をどう解釈すべきかを示していないので,その点の理論的論評は今回はしませんでした(同連載の以前の号ではやったことがあります)。
 ここであえて書くと,事業場外の労働であっても,GPS(Global Positioning System)機能を使えば技術的には移動履歴の把握は可能ですし,そのようにしてリモート監視下に置き,かつスマホなどで常時連絡が可能な状況にすることにより,具体的な指揮監督下に置くことができるので,労働時間の算定はできると考えられます。そうだとすると,技術的には労働時間の算定が困難な場合はほとんどなくなり,あとはそうした(情報通信)技術の導入についての費用面からの困難性をどう考えるか,そして在宅勤務の場合,リモート監視下に置くことがプライバシーとの関係でどうなるかというような,いわば規範的困難性をどう考えるかが論点となってくると思います。そして,こういう技術的,経済的,規範的な困難性についてどう解す
べきかこそ,本来,裁判所に判断を示してもらいたいところです。協同組合グローブ事件でいうと,GPSの導入可能性について経済的困難性がどれくらいあったか,また業務でGPSを活用することによる本人ないし訪問先(外国人研修生や研修実施企業)のプライバシー保護などの法的な問題による制約がどの程度あるのかなどのような,まったく異なる争点が出てくることになります。セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件(季刊労働法では,この事件の高裁判決の評釈も掲載されています)のようなMRに勤怠管理システムが導入されている事案で上告されれば,最高裁も何らかの法解釈の判断をすると思うのですが。

 

 

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