« 「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」の評価 | トップページ | 棋聖戦第1局 »

2024年6月 5日 (水)

労働安全衛生規制の根拠と労働者性

 かなり古い論文になりますが,日本労働研究雑誌566号(2007年)に,経済学者の江口匡太さんの「労働者性と不完備性―労働者が保護される必要性について―」が掲載されています。私が編集委員であったときの「雇用と自営のあいだ」という特集号に掲載されていて,私が解題も書いていたので,よく覚えています。江口論文については,次のようにまとめています。

 「同論文によると, 「雇用」 とは,契約の不完備性があり市場からの望ましい労働サービスの調達ができない場合に用いられるものであるのに対し, 「請負」とは, 不完備性がなく市場からの労働サービス調達を得ることができる場合に用いられるものであるとする。 そして, 不完備契約である 「雇用」 では, 事後的に労働者は使用者の指揮命令を受けることがあることから要保護性が生じる。そのため, 労働法が, 雇用契約で働く 「労働者」 のみを保護するのは, その不完備契約としての性質から説明できるとする。 また, 専門的技能を用いる業務については, 働くほうに安全対策の負担をさせたほうが効率的であるとして, こうした業務で「請負」 が用いられ, 発注者側が安全衛生面の負担を負わないことの合理性が説明されている。 また, 転職しやすい場合には, 労働者の要保護性が小さくなるが, 業務の諾否の自由がない 「労働者」 には, やはり保護の必要性があるとする。この論文でとくに注目されるのは, 企業が 「雇用」 という組織的取引を用いる理由を不完備契約により説明し, そこから 「雇用」 で働く者の要保護性を導き出している点である。 これは, 労働者性の特徴を「使用従属性 (人的従属性)」 とする伝統的な労働法の立場が, 不完備契約という経済学の理論と整合的であるという主張である。 ところが, 最近の労働法学の議論は, むしろ 「使用従属性 (人的従属性)」 を重視する伝統的な立場に再考を促そうとするものである」。

 もちろん経済学の論文ですので,的確にまとめることができていないかもしれませんが,私がこの論文から何を学んだかということはわかるような紹介をしています。

 ところで,昨日採り上げた個人事業者への労働安全衛生規制の拡張の動きは,上記の江口論文の内容にあてはまらないように思えます。むしろ労働安全衛生規制の拡張をすべきような就労者は「雇用」で働く労働者と性質決定すべきものといえそうです。それは同時に,指揮命令関係下にない者に対して注文者が労働安全衛生規制の責任を負うことへの違和感につながっていきます。

 労働者概念をめぐる議論にも関係しそうです。労働法の議論では,労働者概念は実態を考慮して判断するとし,そこで使用従属関係(広い意味での指揮命令関係)の存否をみていくことになるのですが,むしろ行為規範としてみた場合,注文者と個人事業者との間で,職業リスクについての情報の非対称性があり,契約で十分に書き込めず不完備性がある場合には,注文者はその就労者を雇用する責任があり,働く側が労働者として雇用されることを認めない場合には,注文者は契約を締結してはならないというような議論もありえそうです。あるいは,私が考えている労働者性の事前認証制度においては,当該契約における職業リスクについての客観的な評価がなされて,労働者(雇用)かどうかが判定され,当事者はそれに従わなければならないといった発想もありえます。これまで労働者性の判断を客観的に行うべきという場合には,たんに契約の実態から総合判断で労働者性を決定するということを意味していましたが,そうではなく,業種や職種の客観的評価から事前に労働者性の有無を決定するという発想もあるのであり(ただし,労働者性が否定されていても,事前の契約どおりに契約が遂行されなければ,遡って労働者性は肯定される),それはAIによる審査にもなじむものといえます。それこそが真の意味での客観性ではないでしょうか。

 政府の立場は,個人事業者に対する安全衛生の問題と,労働者性の有無は別の問題であるとして切り離していますが,そもそも労働者性の判断と労働安全衛生規制とは密接に関連して交錯しているのであり,原理的に考えると,両者を切り離すことはできないのではないかというのが,江口論文から導き出されるような気がします(江口さんからは,そんなことは言っていないと叱られるかもしれませんが)。

 

 

« 「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」の評価 | トップページ | 棋聖戦第1局 »

労働法」カテゴリの記事