「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」の評価
厚生労働省が,「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」を発表しました。昨年10月の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会」の報告書を受けたもので,労働政策審議会安全衛生分科会の議論を経て策定されました。議論の経過は,議事録が公開されているのでフォローできます。熱心に議論をされてきたことがわかります。
先日の大学院の授業で学生が採り上げてくれましたので,今回,報告書とガイドラインに目を通すことになりました(議事録のすべてはもちろん読めていません)が,やや疑問をもちました。たしかに,私のように雇用労働者とフリーランスとの格差をなくし,とりわけ就労者の人格的な利益にかかわるものについては共通ルールを設けるべきであるという立場からは,安全衛生問題の射程に個人事業者(労安衛法の枠内でやっているので「事業者」という言葉が使われています)を入れることは妥当という評価になります。そして,とくに就労場所に関係するリスクについては,その物理的な空間を共有するかぎり,雇用労働者であれ,フリーランスであれ,同じリスクにさらされるのですから,同じような保護が受けられるべきというのも,そのとおりであると思います。一人親方に対しても,労働安全衛生法22条や57条などによる保護の対象となるとした建設アスベスト事件・最高裁判決の考え方は,まさにそうした観点から説明がつきます。そして,場所のリスクという点では,就労者以外の人も射程に入るのであり,これは民法717条の土地工作物責任ともつながるものです。
気になるのは,厚生労働省が基本的な考え方として示している「労働者と同じ場所で就業する者や,労働者とは異なる場所で就業する場合であっても,労働者が行う作業と類似の作業を行う者については, 労働者であるか否かにかかわらず,労働者と同じ安全衛生水準を享受すべきである」についてです。最高裁でいう場所のリスクを飛び越えて,異なる場所であっても,労働者の作業との類似性があれば,労働者と同じように扱うべきということのようです。こうなってくると,企業の場所的なリスク管理責任ということでは説明がつかず,より抽象的なリスク管理責任というものを観念する必要があります。そうしたものを事業者(注文者)に求めるには,きちんとした正当化根拠が示されなければならず,さもなくば,経済活動への不当な介入となりかねません。
私が考えているのは,労働者にも自己健康管理を導入することを政府が推進し,それを企業がサポートするという図式であり,そうした政府の推進は,(企業がサポートするところはなくても)フリーランスにもあてはまるというものです。一方,厚生労働省が考えているのは,そうではなく,労働者の現行の健康管理のあり方と同じようなものを個人事業者にも適用するというもので,そのために労働安全衛生法上の事業者に相当するような役割を「注文者等」に担わせるということのようです。これはフリーランス法の「特定業務委託事業者」と「特定受託事業者」との関係に似ています。
個人事業者のことだけを考えて,注文者の責任根拠を考えていないと,責任を負うべき人の範囲は無限定に広がりかねません。実はガイドラインには,「注文者等が一般消費者である場合についても,その注文や干渉が個人事業者等の健康に影響を及ぼす可能性があることに変わりはないため,その旨を十分に理解した上で,注文等を行うことが重要である」と書かれています。一消費者である私が,たとえば自宅の冷蔵庫の修理を個人事業者に注文するとき,冷蔵庫のある場所の安全衛生に注意をして,事業者の健康に配慮しなければならないということでしょうかね。そういうことをやったほうがよいという気もしますが,厚生労働省に言われてやるようなことではないでしょう。ガイドラインの周知をするように委員は盛んに求めていますので,ぜひ周知してください。そして「注文者等」にあてはまる消費者にも周知してください。「あなたたち,やりすぎだ」というリアクションが起こるのではないでしょうかね。
建設アスベスト事件の最高裁の判断は納得できるものでした。そこでいう場所のリスクでとどめればよかったのです。もちろん,個人事業者の就労にともなう人格的利益に対するリスクへの配慮は必要ですが,それは同時に,誰にどのような責任を課すことが正当かという議論をきっちりやらなければいけないのです。私は,政府が直接個人に働きかける自己管理が大切であるし,そのためのナッジの手法などを活用すべきであると考えているのですが,厚生労働省のほうは,個人事業者の自己健康管理を第一義的なものと考えているようではあるものの,なお誰かに責任を負わせようともしています。しかし,繰り返すように,責任を負わせるなら,その根拠を明確にする必要があります。
ガイドラインであるから,そこは多少アバウトでもいいということではありません。国民に行動を求める限りは広義の規制に含まれるのであり,そのようなものとして正統性が求められるのです(参考になる文献として,興津征雄「行政機関の定める指針の行政法上の位置づけ」季刊労働法280号33頁以下(2023年))。
なお,ガイドラインのなかには,個人事業者の自己健康管理のツールとして,役所アプリ(「マルチジョブ健康管理ツール」など)の使用に言及されています。スマホをみると,いつやったか忘れましたが,このアプリをインストールしていました。でも,このアプリでは,私が推奨しているデジタル技術を活用した自己健康管理のニーズには応えられないでしょう。
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