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2024年6月の記事

2024年6月30日 (日)

新経済連盟「労働基準法等の見直しに関する提言」

 労働基準関係法制研究会の動きに対して,経済界もたいへん関心をもっているようです。新経済連盟は,先般,「労働基準法等の見直しに関する提言」を発表して,同連盟に加盟する企業の要望が示されています。私も構想段階で「意見交換」したいと言われたので,若干の意見というか,感想のようなものを述べました(こういうときは「意見交換」という言葉を使うのですかね)。提言内容の大きな問題意識は共有するものの,具体的な提案には疑問があるというのが,私の感想でした。
 現在の法律を前提に,そのなかでの改善提案を求めるのか,より根本的な観点からの意見を出すのかによって,提言内容は異なります。今回は前者のほうであって,私のように後者のほうに関心がある者にとっては,やや物足りなさを感じます。
 使用者の時間管理義務は残すとか,労働者性の判断基準について,予測可能性が低いというのは誰もが言っていることなので,せっかく提言をするのなら,具体的にどのような方法があるのかを提言しなければインパクトがないとか,労使コミュニケーションのあり方についても,個別同意のことにはふれていますが,これは原理的に,労働者性の問題(交渉力格差の多様性)と関わるものなので,そこと連関させて議論しなければ仕方がないとか,そういうことを言った記憶があります。
 ところで,今回の提言のうち,年休の時間単位取得の上限撤廃については,かなり具体的なものでした。「会員企業からは,育児・介護や急に通院等をする場合における時間単位の休暇の必要性がアピールされた」ようで,それだったら企業が任意にこれを認めればよいのではないか,というコメントをした記憶があるのですが,企業側は法定年休のなかで上限なく取得できるようにしてほしいということだったのですね。時間取得の5日縛りは,年休は1日以上の取得が原則で,その例外だからということなのでしょうが,労働者側が取得したいといっていて,企業もそれでよいといっているのに,制限する必要はないように思います。半日年休を認めていることとの一貫性も気になります。ただ今回のように企業側から上限撤廃を求めるという提言がでてくると,もしかしたら労働者の育児・介護などの都合といいながら,企業が時間単位年休をおしつけるようなことが実際に起こらないかという懸念が生じそうです。そうなるとやはり労使協定と上限設定が必要ということになってしまいます。理論的には,これもデロゲーションの問題と位置づけ,企業が提案するかどうかに関係なく,個人の納得同意があれば,法定年休であっても,時間単位の付与を上限なく認めてよいという考え方もありうるように思います(なお,私は年休の消化について企業主導でよいという立場です。拙著『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(弘文堂)191頁の「思考1」を参照)。その一方で,私は,年休制度それ自体については,連続取得が原則であると考えており,デフォルトの設定を重視する『人事労働法』では,時間単位の年休取得はこれに逆行するものなので,これについての納得同意によるデロゲーションにはふれていません。もし時間単位の取得のニーズが,育児・介護や病気通院にあるとすれば,前者は現行法において子の看護休暇や介護休暇の時間取得がすでに認められている(育児介護休業法16条の2第2項,16条の5第2項)ので,企業が労働者のニーズに配慮するというのであれば,法定年休を使って有給とするのではなく,企業がこれらの休暇(法律上は無給)について賃金補填をするくらいの対応をしてもよいような気がします。病気通院についても,有給の病気休暇の創設で対応してもらえればと思います(上限があってもよいですが。そういえば,令和2年10月の最高裁5判決の一つである日本郵便〔東京〕事件(『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)の第73事件)では病気休暇の正社員・非正社員格差が問題となっていましたね)。つまり時間単位年休のニーズが上記のようなものであれば,連続取得を重視する年休制度は維持して,特定のニーズに応じた有給休暇の増設で対応したほうが,経済団体としては社会的使命を果たしているとアピールができるのではないかと思います。

2024年6月29日 (土)

法定労働時間

 6月23日の日本経済新聞の電子版に「1日8時間労働,長いか短いか 77年間変わらぬルール」という見出しの記事が出ていました。厚生労働省の労働基準関係法制研究会で,法定労働時間のことが話題となったようです。世間では長時間労働は,法定労働時間の問題であるという誤解があります。法定労働時間というのは,それを超えれば罰則がかかるとか,割増賃金の支払義務が発生するとか,そういう効果との関係での基準であり,現実の労働時間の規制力を直ちにもつわけではありません。むしろ労働時間の実効的規制は時間外労働の規制のほうにあるはずです。もちろん法定労働時間が短くなれば,割増賃金発生の起算点が早まるわけで,労働時間数が同じであれば収入が増えるでしょうし,コスト負担を避けようとする企業が労働時間を減らすという時短効果が生じる可能性はあります。ただ割増賃金の時間外労働抑制効果については疑問があることはすでに指摘されていることです。むしろ法定労働時間が6時間になったからといって,業務が過重であるという状況に変わりがなければ,時間外労働とされる部分が増えるだけで,労働時間の短縮につながらない可能性はあります。他方で,法定労働時間はどうあれ,企業は所定労働時間を6時間とすることは可能であり,とくに育児世代においては,それは育児介護休業法で権利としても認められています(同法23条1項,同法施行規則74条1項を参照)。同法は賃金面については何も定めていませんが,もしかりに,これを法定労働時間という労働時間規制全体の議論にもちこんで,割増賃金で対処しようとするものであれば,あまり筋のよい議論とは思えません。労働時間規制は,より大きな視点での体系的一貫性のあるものとすべきだからです。
 労働時間を短縮すればこんな良いことがあるという指摘は,いろいろできるでしょう。ただ,有識者の研究会では,より高い次元から考えてもらう必要があります。おそらく研究会では,まだブレインストーミング(brainstorming)の段階で,いろいろな自由な議論(放談?)をしたうえで,徐々に本格的な検討がなされていくのだと思います。せっかく立派な方が参加されているのですから,今後は,労働時間規制は何のためのものなのか,そのためには,実は労働時間規制がほんとうに適しているのか,というような根本からの深い議論がなされることを期待しています。

 

2024年6月28日 (金)

痛風再発

 1カ月半程前に痛風のようなものになって,それ以降,ビールを断っていたのですが,喉元すぎれば熱さ忘れるで,しばらくすると「痛風なんて,ぶっとばせ」と威勢のいいことを言いながら,少しずつビールを解禁していました。当初は,脳の回路が,ビールを飲みたいということにならず,ビールを口にしてもおいしくなかったのですが,徐々にそれも回復しました。気の持ち方で味も変わってきますね。というように油断していたことが悪かったのかわかりませんが,3日前から左足の親指の付け根に痛みが出てきました。うっすらと腫れもあります。これは医師に行くまでもなく痛風と自己診断しました。前は右足のアキレス腱の付け根あたりだったのですが,今回は迷うことがない典型的な痛風の発症箇所です。幸い,腫れはそれほどひどくなく,一晩だけよく眠れない日がありましたが,それほど痛みはひどくありませんでした。靴を履いて歩くのは多少痛いのですが,幸い今回もリモートでできる仕事ばかりで助かりました。とりあえず,片付けたばかりの杖をまた引っ張り出しました。1カ月半前の痛みのときは,ちょうど美容院の予約を入れていて,キャンセルをしないで,タクシーを使って行ったのですが,それでも多少は歩かなければなりませんでした。そのときはEtroのスニーカーで行ったのですが,痛みで苦しみました。サンダルを履いていけばよかったのですが,美容院なので,少しおしゃれをしたほうがよいと思ったのが失敗でした。そして今日もまた美容院に予約をしていた日でした(だいたい1カ月半くらいの頻度で行っています)。今回は,たまたまですが,数週間前に新しいスニーカーを買っていて,これが役立ちました。Cole  Haanのスニーカーで,底に弾力性があるものです。多少値が張りましたが,歩くのが楽しくなる「魔法」のスニーカーです。これが痛風のときの痛みを緩和するのにも多少役立ちました。
 私の痛風話はさておき,昨日,リモートでできた仕事の一つが労働委員会の会議でした。労働委員会というと,委員の任命をしている知事のパワハラ問題が,地元のメディアでは連日報道されています。百条委員会も設置されました。真相はよくわかりませんが,これだけパワハラのネタが出てくると,たんに知事を政治的に追い落とそうとする動きによるものとは言い切れないところがあるでしょう。いずれにせよ,知事は,私たち県民に対して,わかりやすい説明をしてもらう必要があります。労働委員会での私たちの仕事に影響することはまったくありませんが,県庁内でかなり深刻な揉め事があるという状況は,職員の士気にも影響するので,できるだけ早く解消してもらいたいです。真相がもう少し明らかになってきたところで,コメントをすべきものがあれば,忖度なしにコメントしたいと思っています。

2024年6月27日 (木)

外国語での情報発信の重要性

 最近,イタリアのMilano国立大学の修士課程の女子学生を短期の特別研究生として受け入れることがありました。日本の労働時間法制について調べたいということで,具体的な研究サポートは研究助手にお願いしたのですが,2回だけ会って話をしました。彼女は日本語はまったく読めなくて,基本的には英語での情報収集をするということで,大丈夫かなと思っていたのですが,助手の助けを得て,それなりに情報を集めることはできたようです。ただ,私の自己健康管理論のことやナッジの活用といった話に興味をもったようで,それを書いた論文を引用したいと言われて困りました。そんなものを引用しない方がよいという「親心」です。
 それはさておき,そのときに彼女が,データさえあれば,DeepLで翻訳して読むことができると言ったことには驚きました。外国法の研究というのは原語で読まなければダメというのは,旧い時代の研究者の発想なのでしょう。ただ,DeepLの精度からして,きちんと翻訳できないのはわかっているので,これは危険だなと思いました。
 昨日,海外向けの発信ということを書きましたが,ネット上で自分の書いた日本語の内容をDeepLなどで翻訳されて,それを私が書いた内容だとされると困ります。たしかに,私が英文を書く時にも,ChatGPTやDeepLを使って第1次的な翻訳をすることはあるのですが,それがファイナルなものとなることは考えられません。そもそも,現段階では,人間のnative checkがなければ,怖くて公開できないのは当然です(言うまでもなく,Springerなど,ちゃんとした出版社であれば,必ずnative check が入るはずです)
 自分で書いたものを改めて見直しても,想定した読者にとって当然の前提となる部分は省略したり,レトリックでちょっとした「遊び」をするようなところがあったりして,こういうのは単純な機械翻訳では対応できないでしょう。
 日本のことを学ぶなら,日本語を読めるようになってほしいなと思う反面,この特別研究生のように,研究者志望ではない人にはそれはハードルが高すぎます。日本法に興味をもってくれただけでもありがたいと思うべきなのでしょう。むしろ,私たちがネット上に,日本の労働法のことをもっと英文で執筆し,海外で日本の労働法に関心のある者にとっての共有資料となるような情報を提供することが必要なのでしょう(実務面では,以前に紹介したことがある,嘉納英樹『Japanese Labor & Employment Law and Practice』などがあります)。とくに判例解説などは,外国人にはアクセスが難しいのでニーズがあるはずです。有斐閣の『注釈労働基準法・労働契約法』なども翻訳版が出れば素晴らしいのですが,難しいでしょうね

2024年6月26日 (水)

ハゲタカジャーナル?

 いわゆるハゲタカジャーナル(journal)の疑いのあるところからメールが届くことがあります。最近でも,Springerから出ている「Econo-Legal Studies」(有斐閣から出された『エコノリーガルスタディーズのすすめ』の英語版のなかの1章で,神戸大学の経済学研究科の勇上和史さんとの共著である「Determining the Desirebale Rules for the Labor Market: Labor Law」について,特集記事で採り上げたいというような趣旨のメールが来ています。同様のものが, Research Outreachというところからも来ています。海外ジャーナルへの投稿の勧誘であり,俺も国際派かと勘違いしそうになりますが,最後のほうにコストについても相談するということが書かれているので,こちらがお金を払って掲載してもらうものだということがわかります。
 インターネットで調べてみると,いくつかの情報が出てきますが,少なくとも私の場合は,お金を払ってまでして公表しなければならないような研究成果はありませんし,その必要も感じていないので,メールはスルーしました。しかし,分野によって,あるいは人によっては,お金を払ってでも掲載してもらいたいという研究者もいるでしょう。こういう依頼について,おそらく個人で対応すると危険なので,学会ごとに,あるいは大学で優良認定をするなどして,研究者が選別できるようにしてもらえれば助かりますね。
 個人的には,英語で発信することに関心がないわけではなく,とくに約5年前にサバティカルが終わった頃には,そういう意欲が強くありました。その後,しばらく外国語からは離れていましたが,コロナも終わり,そろそろ海外出張も含めて,外国語にふれる活動を再開しようかなと思っています。とはいえ,お金を払ってまでして研究成果を公表するつもりはありません。
 ちなみに海外での雑誌への寄稿で,これまでお金を払ったことはありませんが,逆に原稿料をもらったこともありません。書籍に関しても,少なくともイタリア関係では,原稿料をもらうようなことは経験したことがありません。研究者からの依頼で執筆することが多く,掲載されること自体が名誉であったり,編者である研究者への友情による寄稿であったりするからです。
 いずれにせよ世にいうハゲタカ海外ジャーナルの餌食にならないように,研究者のみなさんは十分に注意しましょう(もしかしたら,私に情報がないだけで,法学系であっても,情報はかなり共有されているのかもしれませんが。上記のジャーナルも,優良かもしれません)。

2024年6月25日 (火)

カスハラ予防と高齢者

 日本経済新聞の6月21日の電子版で,「厚労省,カスハラ巡り資料修正 「高齢者差別」指摘受け」という見出しの記事が出ていました。厚労省が民間に委託した「あかるい職場応援団」のサイトで,「職場におけるハラスメント対策」という資料の中に,カスハラをする人の特徴として「社会的地位の高い人,高かった人,定年退職したシニア層などに傾向が見られる」との記載があり,それが高齢者差別ではないかとの指摘を受けて,それを削除したということのようです。
 「定年退職したシニア層」となると,高齢者を広く指し,現状では男性が多いでしょうから,かなり特定されたカテゴリーの人がカスハラ要注意とレッテルを貼られたということでしょう。言われているほうは,あまり良い気分はしないでしょう(私もドキッとしました)が,事実として,そういう傾向があるのなら仕方がないです。実際,「社会的地位の高い人,高かった人,定年退職したシニア層 」はカスハラしやすいよね,という認識はかなり広く共有されています。とはいえ,政府のHPに掲載されるのなら,ほんとうにその認識が正しいのかというデータはほしいところであり,もしデータがあるのなら,逆に削除すべきではないといえるでしょう。削除したということは,データが十分になかったということでしょうかね。
 また,かりにデータがあったとしても,「Aをする人のなかには,Bという属性をもつ人が多い」(命題1)ということと,「Bという属性をもつ人のなかには,Aをする人が多い」(命題2)とは必ずしも同値ではないのであり,今回は命題1のことを言うはずが,命題2のことを言うような表現になっているともいえるのです。そうであれば,命題1が真であっても,命題2は真とは限らないので,たいへんミスリーディング(misleading)です。私は差別という用語は軽々しく使うべきではないと考えていますが,今回は「高齢者差別」と言われても仕方がないケースであった可能性もあります。
 ところで,先日の大学院の授業でカスハラ問題について扱ったとき,カスハラは,こういうシニア層による「典型的な」ものだけでなく,若者たちによるSNSを利用したものもあり,これからはそういうもののほうが深刻ではないかという意見もありました。つまり,命題1が真であるかどうかも,かなり怪しいのです。カスハラを接客系の業務における対面によるものに限定していると,狭すぎるのかもしれません。
 ところで上記の削除された表現で気になるのは,「社会的地位」です。常識的にはある程度共通了解が得られる言葉かもしれませんが,あえていうと,各個人にはそれぞれの「社会的地位」があるのであり,それが高い低いというのは,どういう基準によるのでしょうかね(つまり,先の命題でいうと,Bは定義がされていないので真偽の判定もできないということです)。マスコミで犯罪などについて報道価値があるかどうかは,被疑者の社会的地位によって決めるということを耳にしますが,その基準も漠然としたものです。おそらく大学教授は社会的地位が高いと考えられているのでしょうが,私自身はそういう自覚はあまりありません。
 ただ,そういう自覚があるかどうかに関係なく,カスハラは自分たちがカスハラ的な行動を知らぬうちにしていないかについて自己点検することは必要でしょう。まずは「社会的地位が高い」人や定年退職後のシニア層は,世間ではカスハラ要注意人物と思われているようなので,自分は関係ないと思わずに,自己点検することが必要です。
 カスハラの場合,被害のことに焦点があたっていますが,他のハラスメントと同様,ここでも予防が大切です。ただ加害者は企業にとっては雇用関係にない第三者(潜在的にはすべての国民)が相手なので,通常の労働法的な規制手法をとることはできません。政府は,潜在的加害者に,自分がいつ加害者になるかもしれないと気づかせるようにする必要があります。 行動経済学の出番なのかもしれませんね。

2024年6月24日 (月)

小池百合子の強み?

  7月7日投票の都知事選は,候補者乱立で大変な状況ですね。もっとも勝負は,小池知事と蓮舫氏の一騎打ちでしょうから,ある意味では単純です。むしろ問題は,この二人しかまともな候補者が出ていないという選択肢の少なさでしょう。
 私もかつて東京都に住んでいたことがありますから,都知事選に投票したことがあります。衝撃を受けたのは,青島幸男知事の誕生のときで,あのときはまだ東京にいたのですが,冗談かと思ってしまいました。でも都知事選の有権者は,当時の私も含めて地方出身者が多いと思いますので,地元のことを考えてくれるからとかそういう基準ではなく,結局は人気投票となるでしょう。「意地悪ばあさん」が都知事になっても,おかしくなかったのです。
 私の記憶にある都知事は,美濃部亮吉以降であり,鈴木俊一,青島幸男,石原慎太郎,猪瀬直樹,舛添要一,小池百合子です。猪瀬氏と舛添氏は途中で辞任ですが,1期で退いた青島氏を除くと,美濃部氏,鈴木氏,石原氏が長くやっているように現職は強いです。小池知事も現職の強みがあるでしょう。
 でも彼女の強みは,それだけではないように思います。1期目のとき,小池知事の当選に大きく貢献したのが,石原慎太郎の「大年増の厚化粧」発言と言われています。現在の日本郵政の社長の増田寛也氏(元岩手県知事)も自民党側で立候補しましたが,小池氏に完敗でした。石原発言への反発で,年配の女性票が大きく小池氏に流れたのではないかと言われました。男性中心社会のなかで,男性をうまく利用しながらも,自分の力でキャリアを切り開いてきた小池氏に,小池氏に近い世代だけでなく,広い年齢層において,憧れと共感をもつ人が少なくないのでしょう。有権者の半分は女性なのです。学歴詐称は,ほんらい大きな問題ですが,それですら小池氏にとって致命的にはならないのは,男性ほどは学歴にこだわらない女性たちにとって(自分の息子には高学歴を期待するかもしれませんが),小池氏が学歴で叩かれることに納得していないのかもしれません(公職選挙法違反などは重要ではないのでしょう)。カイロ大学卒業という肩書は,彼女がのしあがるために必要なことだったのであり,アラビア語のレベルが低すぎるといったことで叩いても,むしろ揚げ足取りのような批判と受け取られ,かえって小池氏への共感の理由になってしまうのです。この程度の嘘で塗り固めなければ,やっていけないのよ,ということへの支持なのかもしれません。「大年増であっても,厚化粧であっても,そのどこが悪い? 私たちは小池氏を何が何でも応援するわ」という人たちに支えられている限り,小池当選は揺るがないでしょう。
 これはあたかもTrumpが,どんなに無茶苦茶なことを言ったりやったりしても,不倫の口止め関係で有罪判決を受けるなどの恥ずかしい犯罪をしていたとしても,彼がアメリカの政界のエリートたちに叩かれるなかで果敢に戦っている「俺たちの英雄」というイメージがある限り,「有罪が何なんだ」というノリになってしまうのと似ている感じがします。Trumpも,叩かれば叩かれるほど,票は減らないどころか,固まる可能性があるのです。
 もちろん小池氏にしろ,Trump氏にしろ,知事や大統領に適していないと冷静に考える人も少なからずいるでしょう。しかし人気投票選挙となると,こういう冷静な票は伸びにくいのでしょうね(もちろん知事選は,蓮舫氏も著名人ですから,反自民票を集め切れれば勝機があるかもしれません)。首相公選制はやめたほうがよいですね。

2024年6月23日 (日)

AI法

 5月21日に,EUのAI法が可決されました。AIに関する包括的な法律ですが,これはAIを規制する一面がある一方,AIの利用に関する見通しのよいルールを設けて,過剰な利用による弊害を回避し,他方で,開発者や事業者たちが慎重になりすぎて過小な利用となることによって,この技術の潜在的な価値を活かせないことがないようにするものといえるでしょう。
 AI法はリスクベースアプローチをとったとされ,AIシステムを,①unacceptable risk(許容できないリスク),②high risk(ハイリスク),③limited risk(限定されたリスク),④minimum risk (最小リスク)というようにリスクの程度に分け,それそれに合った規制の内容としています。①に該当すると禁止となるので,重要なのは禁止するほどではないが,リスクが高い②をどのように扱うであり,AI法の中心も②に関するものとなっています(具体的には,リスクマネジメントシステムの構築などのAIシステムに求められる要件(requirements)と,provider やdeployer の義務が詳細に定められています)。労働に関するものでは,「雇用,労働者管理,自営的就労へのアクセス(employment, workers management and access to self-employmen)」において,募集・選考,労働条件に影響する決定,昇進・契約関係の終了,個人の行動や特徴に基づく仕事の割当,個人の監視や評価のために使用されるAIシステムが,②に分類されています。将来のキャリア,個人の生活,就労者としての権利にかなりの影響を及ぼす可能性があるからだと説明されています。雇用も自営も区別しないところがデジタル社会に適合的ですね。
 ③については,いわゆる透明性の義務のみが課されています。そこには,たとえば生成AIやディープフェイク(deep fakes)も含められ,コンテンツがAIによって生成されたものであることを示しておかなければならないとされています。
 日本でも,従来のAI関係のガイドラインを統合する形で,4月19日に「AI事業者ガイドライン」が発表されています。先日,閣議決定された「骨太の方針」では,「AIの安心・安全の確保」という項目で,「我が国は,変化に迅速かつ柔軟に対応するため,『AI事業者ガイドライン』 に基づく事業者等の自発的な取組を基本としている」とされています。ガイドラインの内容は,まだよくみてはいませんが,一見したところ,たいへんわかりやすく,使い勝手がよさそうです。ここでも,EUと同様,リスクベース・アプローチがとられるとされていますが,雇用や労働面におけるAI利用のリスクについてハイリスクと分類され,強い規制対象となるかについて,今後の動向が注目されます。
 いずれにせよ,個人情報保護と並び,AIの利用規制は,今後のデジタル労働法においても中核的な領域を形成すると考えられますので,私たちも,その議論や規制の動向を注視しておかなければなりません(フォローしていくのは大変なのですが)。

2024年6月22日 (土)

ライドシェア問題

 ライドシェアについての政府の消極的な姿勢は,いろいろな角度から批判がなされています。なかでも,移動難民や(地域的ないし身体的理由などによる)移動困難者の問題の解決より,結局は,タクシー会社の既得権を守るだけではないのかという点は重要な論点です。一部解禁されているとはいえ,現状は,ドライバーは,タクシー会社に雇用されなければならないのであり,これは少なくとも,ライドシェア解禁論として待望されてきたものとはまったく違うものです。この点で,早急な制度改正が必要という制度・規制改革学会有志による「ライドシェア法制化に関する緊急提言」は重要な内容を含んでいます。そこではタクシー業界の既得権益批判が中心となっていますが,この提言には含まれていない,もう一つの規制問題として,労働法に関係するものもあります。
 もしライドシェアが全面解禁されると,その就労形態は,業務委託となると考えられます(そうなるとフリーランス法の適用対象下となるでしょう)。現状のライドシェアでは,雇用形態しかできないので,通常のアルバイトやスポットワークと同様,労働法が全面適用され,その他の問題としては,会社員が副業的にやる場合に,就業規則における副業規定との関係など,副業に関する一般的な論点が出てくるだけとなります。しかし,雇用に限定しないとなると,まさに海外で起きているドライバーの労働者性という論点が出てくることになります。
 おそらく安全性や事故時の責任といったライドシェアでしばしば指摘されている問題について,プラットフォーム事業者の責任を高めようとするならば(上記の緊急提言でも,「ライドシェア会社と乗客との直接の契約を義務付けることにより,事故の際の責任を明確化することで対応することも考えられる」と書かれています),それにより労働者性の問題は解決するかもしれません。というのはプラットフォーム事業者が責任をはたすためには,直接契約をするだけでは不十分で,雇用して指揮命令をすることが必要となるだろうからです。これはライドシェアサービスを業務委託で行ってはならないことと同義であり,これはこれで一つの解決方法ではあります。後発国の日本だからこそ,最初から労働者性の問題を(労働者性を肯定する形で)回避できるという見方もできます。海外では,プラットフォーム事業者が仲介者(契約当事者ではない)としてマッチングをするビジネスモデルから出発し,そのあとから労働者性や使用者性はどうするのか,という既存の法理との関係が問題となったのです。日本はライドシェアビジネスが封じられてきたので,労働法の問題を考えてから解禁ということができそうです。
 では,ほんとうに業務委託型ではダメなのでしょうか。ドライバーのなり手のなかには,隙間時間を使って,空いている自家用車で,困っている人を運び,報酬を多少得て生活の足しにするというような働き方を望んでいる人は少なからずいるでしょう。そういう人は,雇用されなければライドシェアのドライバーになれないというのは,硬直的な規制だと思うかもしれません。そうしてドライバーのなり手が減ると,移動困難者などの問題の解決は難しくなるでしょう。安全の問題は,デジタル技術を駆使して解決できるのではないかと思います。プラットフォーム事業者が,自動車メーカーとも協力しながら,いかにして指揮命令をしないで安全確保をするかが,ポイントではないでしょうか。そして,それは,交通事故の防止といったより一般的な問題の解決にもつながる技術革新へのインセンティブとなるかもしれません。危ないから規制しようでは,なかなか技術革新は生まれないのではないでしょうか。
 整理するとこうなります。現在の技術水準であれば,プラットフォーム事業者の安全責任を重視すると,ライドシェアは雇用形態に限定されるかもしれない(業務委託契約であっても,安全管理をしっかりすればするほど,労働者と判断される可能性が高まる)のですが,安全管理をできるだけ自動的にできるようにし,社内の状況もつねに遠隔で監視できるようにすること(遠隔監視だけであれば指揮命令があるとはいえないでしょう)などができれば,業務委託契約でも安全なライドシェアは可能となり,これはプラットフォーム事業者,ドライバー双方にメリットとなります。デジタル技術を活用して安全にライドシェアサービスを提供したり,利用したりできる社会というのが,DX社会の一つの理想像です。ライドシェア問題は,こういう切り口からも論じてもらえればと思います。

2024年6月21日 (金)

世界史学習の重要性

 昨年の紅白歌合戦にも出ているMrs. GREEN APPLEというグループの「コロンブス」という楽曲のミュージック・ヴィデオ(MV)が問題となっています。日本経済新聞でも,電子版の6月13日に「ミセス新曲MVが公開停止 歴史理解に欠ける表現」というタイトルで紹介されていまいた。「CMに新曲を使っていた日本コカ・コーラは「いかなる差別も容認しない」などとコメントを発表し,同曲を使用した全ての広告素材の放映を停止した」となっていましたが,常識的にはコカ・コーラが事前に知らなかったはずはないので,コカ・コーラも同罪といえそうです。
 このMVのことをもちろん私は知りませんでしたが,YouTubeで,観ることができる範囲で観ました。自分の趣味には合わないものの,それほど騒ぐほどのものかとも思いました。もちろんコロンブスというのは,とんでもないことをやった人であり(Genova 出身のイタリア人で,イタリア名はCristoforo Colombo),アメリカ大陸の先住民にとっては大犯罪者です。
 コロンブスの悪行についてはいまさら紹介するまでもありませんが,そもそも産業革命前の大航海時代に始まる欧州人によるアメリカ大陸や東アジアへの進出は酷いものでした。とりわけスペインやポルトガルが,アメリカ大陸の高度な文明を破壊したことは,人類史に残る蛮行であり,そのことは学校でも教えられているでしょう。ただ世界史は,どの国の立場からみるかによって,描き方もずいぶんと変わります。たとえばオーストラリアの歴史を,(混血を除くと)絶滅したと言われているタスマニア人の視点で書けばどうなるでしょうか。
 世界史の教え方の難しさは,白人文明批判に傾斜しすぎてもいけないのですが,だからといって,今日の私たちが享受している繁栄した文明の原点に,白人の蛮行があったことは否定できないという点にあります。まずは歴史的事実をしっかりおさえて,それをどう評価するかは子どもたちに考えさせるということが必要です。そういうことをやっていれば,今回のコロンブス問題についても,この歌手グループが,もし何か主張があってやったことなら,それはそれで聞いてみようということになるのですが,どうもそういうことではなさそうですね。
 もちろん,日本も他国のことをとやかく言える立場ではありません。明治時代に,西洋国家の植民地にされないよう頑張ったのはよいのですが,西洋国家のマネをして列強の仲間入りをさせてもらい,帝国主義的政策をとったという恥ずかしい歴史もまた拭い去れないものです。日清戦争,日露戦争の勝利と聞くと,何か日本人のプライドをくすぐるようなところがありますが,結局は,欧米のマネをして,仲間に入れてもらおうと頑張り,でも本当の仲間にはしてもらえず,裏切られて虚仮にされてきたのです。先の第二次世界大戦の直前の1939年8月に,ドイツなどとの防共協定の強化に苦心していた平沼騏一郎首相が,総辞職時に述べた「欧州の天地は複雑怪奇……」は ,独ソ不可侵条約の衝撃を示す言葉とされていますが,結局,欧州の情勢をしっかりつかめないままドイツに翻弄されたということでしょう。そのソ連と1941年に日ソ中立条約を結びましたが,1945年4月に破棄通告され,日本政府は最後までソ連を信じていた(条約は更新されないが1946年4月に失効するまでは有効と考えていた)ようですが,結局は,終戦直前にソ連は日本に宣戦布告し,筆舌に尽くしがたいほどの日本人への暴虐を中国大陸でやりましたし,アメリカには広島と長崎に原爆を落とされました。こういう歴史をみると,ひょいひょいと外交の舞台に出ていって,あたかも名誉白人的な気分で仲間に入れてもらい,いろんな負担を押し付けられているような首相をみると,最後は「欧米の天地は複雑怪奇」といって,そのツケを国民に回すのではないかと不安でたまりません。
 さて,コロンブス問題は,企業としては,時代の流れを意識して,企業イメージを損なう表現行為は避けるべきというような話となりますが,より根本には,私たちが世界史をどうとらえているかということと関係します。今回のMVが,なぜダメかということについて,ビジネスの観点から論じるだけではもったいないのであり,せっかくの素材ですから,なぜこれが問題となるのかを,一方的にこのMVはダメだということを押し付けるのではなく,むしろ,MVを支持する理由(表現の自由など)や支持しない理由を挙げながら議論をして論点を浮き彫りにすることが大切だと思います。

2024年6月20日 (木)

新叡王誕生

 将棋話の連投です。ついに藤井聡太竜王・名人の八冠が崩れました。伊藤匠七段が,2勝2敗で迎えた叡王戦5番勝負の最終局で,藤井叡王に勝ち,初タイトルを獲得しました。竜王戦,棋王戦と敗れましたが,ついに叡王戦で藤井竜王・名人を倒しました。21歳と同年齢の二人は,子どものころからのライバルでしたが,プロになってからは大きく差がついていました。伊藤新叡王にとっては感無量でしょう。
 この将棋は,振り駒で先手となった藤井叡王は,途中で飛車を切って,伊藤玉をほぼ裸にして追い詰めたようにみえました。評価値でも70%を超えて,藤井防衛と思った人が多かったと思います。しかし,伊藤七段は粘り強く指し続けて,決め手を与えません。とはいえ,王手飛車取りがかったときは絶体絶命かと思いましたが,藤井叡王が伊藤七段の飛車をとるタイミングは,その瞬間,馬が伊藤玉から遠くに離れて,伊藤玉が安全となりました。ここで伊藤七段は藤井玉に攻めかかります。藤井玉は穴熊で守られていましたが,徐々に剥がされていきます。その後,伊藤七段は,勝勢になりますが, 1手でも間違えればおしまいというところで,正確な手を指し続けて,1分将棋になっても乱れず,藤井叡王を投了に追い込みました。
 歴史的な1勝でしょう。藤井竜王・名人にとって,タイトル戦での初の敗北(失冠)であり,全冠(八冠)制覇が終わりました。それでも七冠というのはすごいのであり,今回の伊藤叡王の誕生でも,藤井一強時代がただちに崩れるとは思えません。とはいえ,タイトル戦で藤井竜王・名人から3勝したことの意味は大きいと思います。藤井有利になっても,ひっくり返すことができる力があるのは,いまのところ伊藤叡王以外にはいないでしょう。両者の対戦成績はまだ差はありますが,今後は5分になっていくのではないでしょうか。もちろん二人が,真のライバルとなるためには,伊藤叡王は,あと2,3はタイトルを奪取したいでしょう。現在,タイトル戦の途中である棋聖戦は山崎隆之八段が挑戦しており,次のタイトル戦の王位戦は渡辺明九段の挑戦が決まっています。さらに挑戦者決定トーナメントが進行中の王座戦やこれから始まる竜王戦では,伊藤叡王はすでに敗退していますし,王将戦も1次予選で敗退しているので,当分は伊藤叡王がタイトルに登場する機会はありません。早くても来年の棋王戦となるでしょうが,それまでは藤井七冠は,タイトルをすべて維持している可能性は高いでしょうね。

2024年6月19日 (水)

棋聖戦第2局

 藤井聡太棋聖(八冠)に山崎隆之八段が挑戦する棋聖戦5番勝負は,藤井棋聖の先勝で始まり,一昨日の17日,第2局が行われました。結果は,藤井棋聖の勝利でした。後手の山崎八段が飛車を2筋に振る向い飛車戦法を採用しました。評価値は初手から最後まで藤井棋聖優位のままでした。見せ場はいろいろありましたが,藤井棋聖は冷静に対応してノーミスで乗り切り,最後は,見事に山崎玉を詰ましました。なんとか1つは山ちゃんに勝ってもらいたいですが,相手が強すぎますね。
 順位戦も始まりました。C級1組は井上慶太九段などベテラン勢が頑張ったことが話題になりましたが,井上九段の弟子で藤井八冠,伊藤匠七段に次ぐ若手有望棋士である藤本渚五段も勝利でスタートです。昇級の最有力候補でしょう。B級2組は,井上九段と同じ還暦棋士である谷川浩司17世名人の今期はどうでしょうか。順位は5位と昇級に向けては良い位置にいますが,今期は対戦相手が厳しいです。初戦は高崎一生七段に快勝でしたが,このクラスは,今期はC級1組からの昇級組の3人が強いのです。一人は叡王にあと1勝の伊藤七段で,初戦は横山泰明七段に勝ちました。あとの二人のうち,服部慎一郎六段は強敵の丸山忠久九段に勝ち,古賀悠聖六段も北浜健介八段に勝ちました。谷川17世名人は,40歳下のこれら若手3人との対戦があるので,ぜひ壁になってもらいたいです。C級2組は,所属棋士が多いので2日に分けられます。1日目はすでに終わりましたが,このクラスは,実績十分なもののなぜか抜け出せていない佐々木大地七段と八代弥七段が注目です(毎年注目されていますが)。ともに白星でスタートしましたが,対戦相手をみると佐々木七段は今期こそ昇級の大チャンスです。順位戦では冴えないけれどタイトル挑戦経験のある本田奎六段あたりを乗り越えれば大丈夫でしょう。ただこのクラスは1敗でもすると危ないです。佐々木七段の順位は14位とあまりよくないので,全勝で乗り切りたいところです。
 A級順位戦も始まりました(最後の2局以外は,一斉対局ではありません)。初戦は,佐藤天彦九段が永瀬拓矢九段に逆転勝ちで好発進です。ここ何年かは佐藤九段はなかなか挑戦権にからめていませんが,振り飛車転向で新境地を切り開き,名人復位に向けた挑戦権の獲得に期待がでてきています。昨日は,A級1年目の増田康宏八段が,菅井竜也八段に勝ちました。菅井八段はA級では,過去4年は5勝4敗を3回あげて安定しています。今期こそ名人戦挑戦権をつかみたいところでしょうが,出だしでつまずきました。
 明日20日はいよいよ叡王戦の最終局です。このほかB級1組が始まり,C級2組の残りの対局もあります。

2024年6月18日 (火)

復職は4割?

 昨日の日本経済新聞において,「解雇無効で勝訴の労働者,『4割』も復職 厚労省調査」という記事が出ていました。「労務関係者には勝訴後も大半は退職するとの見方が多かったため,復職率の意外な多さが注目を集めている」と書かれていまいた。「労務関係者」は誰を指すのかはさておき,これまでは解雇裁判で労働者が勝訴しても,実際には復職が困難で解決金を得て退職する例が多いので,それであれば,法律で金銭解決制度を導入したほうがよいという主張を私もしてきました。
 では,記事で書かれているように,退職する例が少ないとなると,私の主張の前提が崩れるのでしょうか。まず,記事では,「勝訴後に復職した労働者のうち19%は退職していたことがわかった」とも書かれています。多くの「労務関係者」が退職する人が多いというときには,この復職後の退職を念頭に置いているのであり,結局,全体で3割近くしか復職していないということであれば,解雇の金銭解決の必要性を疑問視しなければならないほどのことではないでしょう。「「4割」も復職」という表現は意外感を与えて読者をミスリードするものであり,気をつけなければなりません。
 また,約3割は復職したままであるという事実についても,評価は難しいところがあります。解雇裁判で労働者が勝訴しても結果的に退職していると考えられていたのは,人的な信頼関係が重視される労働関係において,解雇という極限的なことを企業が行い,労働者が企業を訴えるというこれもまた極限的なことを行ったあと,信頼関係が復元することは困難であるという推察が前提にあり,そのことが,退職例が多いという形で実証されていると考えられてきたのです。上記の推察が正しいとなると,退職例が少ないのは,もっと悲惨なことが起きていることを示唆しています。つまり企業は辞めさせたくても,十分な解決金を払えないので辞めてもらえなかったり,労働者は辞めたくても,再就職は容易ではないなどの理由で,十分な解決金が払われなければ辞められない,ということがあったり,さらにその両方が生じているので,退職が起こらず,仕方なく労働関係が継続している可能性があるのです。そうだとすると,この点からも私たちが提唱する「完全補償ルール」による解雇の金銭解決制度の導入が必要となります。今回の調査の実物を私はみていないので,これらの点はきちんと説明がされているのかもしれませんから,最終的な論評は留保しておきます。
 なお,解雇については,大内伸哉・川口大司編著『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(有斐閣)の冒頭で書いているように,「許されない解雇」と「許されうる解雇」があり,「許されない解雇」は,差別的解雇や報復的解雇のような文字どおりに許されてはならない違法な解雇であるので,解雇無効判決後に退職しない労働者がいても不思議ではありません(たとえば労働組合の役員に対する反組合的解雇が無効となれば退職しないのは当然です)。また,一応「許されうる解雇」の範疇に入っても,解雇事由がそもそも存在しないような解雇などは,実質的には「許されない解雇」であり,やはり退職しない労働者がいてもおかしくありません。こういう解雇も少なくないであろうと予想されることから,復職者が3割程度であれば,それほど違和感はないのです。解雇規制で最も重要なのは「許されうる解雇」をどう扱うかにあり,金銭解決のターゲットは,「許されうる解雇」にあるのです。

2024年6月17日 (月)

AIと倫理

 6月12日の日本経済新聞で紹介されていたFTの翻訳記事「AI,脱炭素に祝福と呪い 電力を大量消費する利点は」は,AIと環境問題との関係を考えるうえでの重要な問題提起しています。「最新のAIモデル用のデータセンターは,途方もない量のエネルギーと冷却用の水を消費する。気候変動という喫緊の課題に関して言えば,AIは解決策というよりも,むしろ問題を引き起こしているのではないだろうか。」というのです。
 私の立場は,今後,AIの活用が進み,本格的なAI社会が到来することを前提に労働政策を考えるべきだというものです。しかし以前から指摘されている環境負荷の問題について,いまだに明確な解決策が示されていないということであれば,AI社会の到来という前提それ自体に疑問が出てくるかもしれません。
 EUのAI法をはじめ,日本政府も推奨しているAIの国際規制といった動きは,AIの軍事利用などの特定分野での利用の禁止や制限にはつながるものの,「適正な」利用ができれば,それまでを抑制しようとするものではありません。たとえば,EUのAI法も,最小リスクのAI利用のカテゴリーになると規制はありません。
 ところがいくら適正に利用しても,環境に大きな負荷を与えるならば,その利用を抑制せざるを得なくなります。人類の生存が最優先の課題であることは言うまでもありません。記事では,「AIが環境に与えるマイナス面があまりに明白であることを踏まえると,その良い面を把握することはなおさら重要だ」と書かれていました。AIを使って気候を制御することができても,それにより環境破壊が進むと意味がありません。巨大IT企業には,その社会的責任として,AIのもたらす地球環境へのプラスとマイナスに関する分析を含め,いかにして地球の持続可能性に配慮し,実際に取り組んでいるかということについて,情報発信をし続けてもらう必要があり,政府やマスメディアは,私たち国民にその情報をわかりやすく伝える必要があるでしょう。
 サミットのテーマが軍事や経済の話に偏りがちななか,ローマ教皇Francesco(イタリア語読み)が人類の最大の問題にAIがあるとして演説をしたのはさすがであると思います(イタリア語でなされたスピーチはYouTubeで全部観ました)。技術は決して中立的なものではないのであり,使い方次第では害悪をもたらす,AIは道具(strumento)なのであり,それを利用する場合の倫理(etica)が重要だ,と言っていました。教皇は,algoreticaという聞き慣れない言葉を使っていましたが,Vaticano(バチカン) のAI問題への取り組みに向けた本気度がうかがえます。最後には「sana politica」という言葉を繰り返していました。「健全な政治」という意味でしょう。G7という政治舞台にわざわざ登場したローマ教皇からの強いメッセージです。現在の世界のリーダーたちで大丈夫でしょうか。

2024年6月16日 (日)

交流戦が(ほぼ)終わる

 一昨日あたりから,少し咳が出て気管支に不快感が出てきました。これが出てくるとかなり長引くというのが,いままでのパターンですが,例年は冬から春であったのが,今年は梅雨入り前の時期で,ちょっと感じが違います。桂ざこばさんが喘息で死亡したと聞いて驚いていますが,たかが咳と軽視してはならないと改めて認識しています。プールに通うことも考えましょうかね。
 話は変わり,プロ野球は,交流戦が終わりましたが,この間,阪神ファンにとっては辛い試合が続きました。日本ハムとの,雨で流れた甲子園での試合が1つ残っていますが,現時点で611敗で「Booby賞」確定です。もっと負けている感じですが,投手陣の頑張りで,まだこの程度の成績でとどまっています。他のセ・リーグのチームも,それほど勝っているわけではないので,まだ2位にとどまっていて,首位の広島と3ゲーム差で十分に射程圏内ですが,あまりに打てない試合で,観ていてフラストレーションがたまります。木浪の骨折は痛いですが,ライバルの小幡の調子が出ていないので,ルーキーの山田脩也を抜擢してもよいのではないでしょうかね(岡田監督は,そういうことはしそうにないですが)。大山の不調はとてつもなく痛いですが,今シーズンは大山に期待せずに乗り切れないかと思いはじめています。ノイジー(Neuse)も使わないでよく,サトテルは守備が少しましになったようなので,しばらくは3塁で様子をみて,外野は前川,近本,森下で固定してよいでしょう。

 

 

2024年6月15日 (土)

PugliaサミットとMeloni首相

 日本では,今回のG7サミットは,プーリア・サミットと呼ばれています。プーリアはPugliaと書いて,「リ」は「li」でも「ri」でもない「gli」で,日本人には発音が難しい言葉です。
 ところで,イタリア国内はいろんな町に行ったつもりではありますが,Puglia州は,BariとLecceくらいで,その他のところには行っていません。今回サミットが開催されたホテルは,Borgo Egnaziaというホテルで,初めてその名前を知りました。アドリア海(Mar Adriatico)に面しているリゾート地のようですね。ホテルのあるPugliaは州(Regione)の名前で,県(provincia)の名前でいえばBrindisi,市町村(comune)の名前でいえばFasanoです。まあFasanoサミットと呼んでもよいかもしれません。場所は,Pugliaの州都のBariとBrindisiのちょうど中間にあります。
 Bariは,イタリア労働法の大物であったGino Gigni が教えていたこともあるBari大学があり,山口浩一郎先生の親友のBruno Veneziani 教授もいました。私も山口先生の紹介でBrunoに会いにBari大学に行ったことがありますし,Brunoには日本で講演をしてもらったこともあります。ということで,Bariには縁があります。Brindisiは降りたことはありませんが,移民が流れ着く港のある町として有名です。
 今回のサミットで,Giorgia Meloni イタリア首相は,開会挨拶(discorso d’apertura)で,サミットの場所をここにしたのは偶然ではないと言っています。南部(sud)の州を選んだのは,グローバルサウス(sud globale)の国々との対話をしたいというG7議長国としてのイタリアのメッセージが込められているとし,またこの場所は,西洋と東洋の架け橋となるところであり,大西洋とインド太平洋とを結ぶ中間にある地中海の中心場所という意味もあると述べています。排外的な主張をする極右政治家とはまったく違う,まさにG7の議長国にふさわしい世界情勢を視野に入れた政治家という姿を見せようとしていたと思います。
 ところで昨日の日本経済新聞で,「メローニ伊首相,欧州の「陰の権力者」に  保守束ねEUで発言力」というタイトルの記事が出ていました。たしかに,Meloniが率いる「イタリアの同胞(Fratelli d‘Italia)」はサミット直前にあった欧州議会選挙でイタリアに割り当てられている76議席のなかで最も多い24議席を獲得しました(得票率は28.8パーセント)。また,Meloniが率いる欧州議会内の欧州保守改革党(ECR)は,第4勢力に躍進しました(720議席のうち76議席)。このほかは,中道右派の最大グループで,EU委員長のvon der Leyenが率いる欧州人民党(EPP)が190議席のトップで,イタリアの同盟(Lega)やフランスのLe Penが属する国民連合(Rassemblement National)などが参加するID(アイデンティティと民主主義グループ)は58議席を獲得しています。Meloniは,経歴からすると,極右と呼ばれても仕方がないのですが,首相になってからは,欧州と歩調を合わせて,現実的な政策をとり,保守勢力をうまくとりこんでおり,日経の記事に書かれているように,今後,EU内でも影響力を高める可能性(ある立場からは危険性)があります。今回の堂々たる演説からもわかるように,欧州を率いるような大政治家に化けるかもしれません。最近のイタリアの政治情勢をきちんとフォローしていているわけではありませんが,少なくとも今回出席した首脳のなかで,彼女が今後最も長くサミットに参加しそうな人ではないかと思いました。

2024年6月14日 (金)

官僚に休息を

 先日,NHKのクローズアップ現代で,官僚の過労問題が採り上げられていました。まだこんなに働いているのかとわかり驚きました。議員レクの問題も改善されていないようです。目の前の仕事に追われてしまい,やりたい政策に取り組めないという不満をもらす若手官僚の声も紹介されていました。

 私は先般ジュリスト1595号に書いた「労働時間規制を超えて」という論文の最後に,官僚ら政策担当者が,長時間労働によって,独創的な政策立案のための時間もエネルギーも投入できないことこそ真の問題であるというメッセージを込めました。これは取り方によっては官僚を揶揄しているようにも思われるかもしれませんが,まったく逆で,とりわけ厚生労働省の官僚に時間を与えて,しっかり将来をみたバックキャストの発想で労働政策に取り組んでもらいたいという応援メッセージです。それと同時に,若手官僚にそういう機会を与えることができていないかもしれない上司世代に対する批判,そして,さらには官僚を部下のようにこきつかおうとする政治家への嫌悪感も根底にあります。

 あまりに現実をみすぎていると,抜本的な提言ができません。もし私が厚生労働大臣になれば(なりたいわけではありません),本気で働き方改革をします。仕事はテレワークが原則,出社した場合でも17時で仕事は終了,週休2日は絶対保障(休日出勤はなし)くらいのことを決めなければダメでしょう。緊急の場合の例外はもちろんありえますが,緊急の定義はきわめて厳格にすべきです(国民の生命や身体に重大な影響がある場合や国益を深刻に損なう危険がある場合など)。人手が足りなくなるかもしれませんが,これくらいの勤務条件を実現すると,官僚になろうという人はもっと増えてくるのではないでしょうか。国のために何かをしたいという若者は潜在的にはたくさんいるからです。

 国益というと,国会対応もしなくてよいでしょう。とくに大臣答弁の準備など,大臣が自分か政策秘書といっしょにやればよいのです。もちろん官僚の勤務時間内に終わるようなレクや多少のサポートは求めてよいでしょうが,残業をさせる「権利」はありません。野党からの質問なども,勤務時間内にできる範囲でやればよく,あとは断ってよいでしょう(「できませんでした」という勇気をもとうということです)。それでは充実した質疑ができないというならば,会議の日程の入れ方も含め,官僚がしっかり対応できるような時間的な余裕をもって質問書を送るべきなのです。

 これは国会を軽視することではありません。その逆です。裁判でも,双方の当事者に十分に主張してもらうためには時間をしっかりとって手続を進めます。国会のような重要な場であればこそ,質問への回答には(内容に応じた)適切な時間的余裕を与えて,きっちり答えられるようにすべきなのです。そんな悠長なことを言ってられないということかもしれませんが,そういうことを言っていれば,優秀な若者はほんとうに官僚にならなくなるという危機感をもつべきです。

 国会の答弁は,そもそも何でも大臣が答える必要はないでしょう。大きなことは大臣が,細かいことは官僚が答えればよいのです。それにより,いろいろレクをする時間や大臣答弁用の作文の時間も省略できるのです。首相は,きちんと自分で答弁ができるエキスパートを適材適所で大臣に据えるべきです。もし政治家に適当な人がいなければ,民間から登用することも考えるべきでしょう。デジタル大臣や少子化担当大臣などは,むしろ民間のほうに良い人材がいるのではないでしょうか。

 クローズアップ現代では,官僚の働き方を変えるためには,官僚と政治家は対等であること,そして,官僚の役割を社会で守るという意識を国民がもっともつことが大切だというような趣旨のことが言われていたと思いますが,そのとおりだと思います。政治家との対等性については,まずは役所の幹部が,政治家に対して,部下たちを守るために,どれだけの発言ができるかということとも関係します。

 私は,官僚に対してとくに親近感をもっているわけではなく,ことさら擁護するつもりはありませんし,また仕事の内容に疑問があれば,当然きびしく批判はしますが,同時に,官僚も公務員とはいえ労働者なのであり,その労働条件を改善し,ひいては国のために,意欲ある優秀な人材がしっかり活躍できるよう応援するための発言をするのもまた,労働法研究者としての私の仕事だと思っています。

 

 

2024年6月13日 (木)

男の日傘

 最近では,男性も日傘を差すそうです。昭和中期生まれのおじさんからみると,なんて軟弱なという気もしますが,こういうことを口にしてはいけない時代です。男女の違いというものはなくなっていますね。もちろん,個人的には,こうした行動パターンなどの男女の違いというものにあまり違和感はなくなっていますし,もともと女性の社会進出は大賛成という立場です。そういえば,私の職場の研究科長は女性ですが,それが初めての女性であったということに,昨日気付いたくらいで,それくらい女性がリーダーになることに違和感がありません。

 紫外線対策に男性も女性もないです。「女もすなる日傘というものを,男もしてみむ」という感じで,男性とはこういうもの,女性とはこういうもの,というような先入観による直感的な拒否感は,いったん捨てて,ゼロから考えて合理的な行動をとろうという意識をもつと,新しいことに取り組めて,ボケ防止にもつながりそうです。しみ・そばかすのケアだけでなく,皮膚がんの危険もあるので,避けるのは当然であり,そのためには化粧をしていない男性こそ日傘を差すべきなのでしょう。平成の若者に負けないように,昭和のおじさんもやってみようという気になってきました。とはいえ,そもそも雨のときにも,できるだけ傘を差したくない私にとっては,日傘はちょっとハードルが高いので,結局は使わないかもしれません。手でもたなくてよい日傘というものを誰か発明してくれませんかね。

 

 

2024年6月12日 (水)

社会権論

 昨日の季刊労働法における石田書評の続きです。石田眞先生は,豊川義明弁護士の「社会権論」をとりあげています。石田先生によれば,「社会権論」には「国家志向型社会権論」(国家の積極的な役割を含意する社会権論)と「個人志向型社会権論」(個人の自由・自律を基底に据える社会権論)との対立があるなか,第3の「社会志向型社会権論」(国家と個人以外の社会の存在に着目する社会権論)があるとし,豊川弁護士が「社会」を重視する議論をされていることから,この第3の社会権論を志向しているとします。そのうえで,そこでいう「社会」とは何かについて,石田先生は「自然発生的人間集団」と「人為的人間集団」があるとし,そのどちらによるかで「社会」と「国家」および「個人」との関係が異なり,とくに「人為的人間集団」として社会をとらえると,個人との関係で「強制」や「排除」の契機をはらんで緊張感が生じ,また国家とは「部分社会」と「国家」との関係という問題に遭遇して緊張感が生じるとします。そして,この2つの緊張関係をどう規範的に整序するかの検討が大切であると石田先生は主張されます。

 この問題は,私のような「個人志向型社会権論」に親近感をもつ立場からは,人為的社会集団の典型である中間団体の社会学的な実在性(あるいは事実上の権力性=社会権力性)を認めたうえで,それをできるだけ個人によってコントロールできるような規範論こそが重要ということになります。具体的には,中間団体の典型例といえる労働組合でいうと,その正統性の淵源を私的自治に求め,それが機能しない例外的な場合にのみ立法や司法の介入を認めることになるのです(つまり,「国家」は,「社会」による抑圧から「個人」を守るためにのみ介入できるということ)。一方,人為的人間集団であっても,社会権力性をもたないのであれば,徹底的に国家から自由であるべきで(つまり個人のことも放任してよく),国家による介入は許されないことになります。

 ところで,今日,プラットフォームは,新たな社会権力となりつつあり,従来の国家と個人と社会の枠組みではとらえきれないものになりつつあります。取引型プラットフォームについては,政府も次々と規制を加えようとしており,EUでもこの面で積極的です。私見では,ここでも個人を守るためのときにのみ例外的に国家が介入できるという図式でとらえるべきだと思っていますが,プラットフォームの重要性に鑑みると,これは国家が管理すべき公的な存在とみることもできるかもしれません。つまり,国家の枠を超えるようなプラットフォームが登場するなか,権力と自治という枠組みは根本的な再考を求められているのかもしれないのです。さらに労働の場でもプラットフォームが登場し,それがグローバルなものとなっていくなか,どのような規範的な枠組みで対応していくかは,労働問題でもあるのです。というようなことを,石田書評を読みながら考えていました。

 

 

2024年6月11日 (火)

季刊労働法284号

 季刊労働法284は,前に土岐将仁さんの評釈を紹介しましたが,その他にも,いろいろ読み応えがある論稿が掲載されていました。なかでも,石田眞先生の,豊川義明『現代労働法論―開かれた法との対話』(日本評論社)の書評では,率直に批判的なことが書かれていて興味深かったです。
 石田先生は,豊川弁護士の「法解釈方法論」について,豊川弁護士の主張する「事実と法の相互媒介」の意味が必ずしも明確ではないと指摘しています。法的三段論法を重視すると,法規範どうしの比較や法律の違憲性の評価などのプロセスが判断外となる危険性があるとする豊川弁護士に対して,石田先生は,裁判の恣意を抑えるための法的三段論法の形式論理の重要性を指摘します。
 末弘厳太郎の「三つ巴」論にもあるように,事実認定,法律解釈,結論は,相互に独立した段階的なプロセスではなく,一体的なプロセスといえますが,ただ裁判として示されるときには,外形的には法的三段論法は維持される必要があり,このことにはあまり異論がないと思います。裁判では,結論を出すことを避けることはできません。どのような結論であれ,そこに至るまでの法的な形式論理がきちんとあるからこそ,裁判が恣意的な感情的な判断によるものでないことを,少なくとも外形的に示すことができ,裁判の信用性を担保することになります。
 一方で,裁判での事実認定は,純然たる客観的な事実の発見ではなく,裁判官による法的なフィルターにかけたうえでの「法的事実」の創出という面があります。そうした「法的事実」は,当然,適用すべき法律についての裁判所の解釈の影響を受けているわけで,純然たる客観的なものではないのです。「三つ巴論」のプロセスは,客観的な作業ではなく,裁判官の価値観に基づく事実認定や法解釈がなされています。判例評釈では,事実認定についての論評はしないものの,法解釈への論評は,事実認定への論評も包摂していることになります。
 ところで,話は少し変わりますが,季刊労働法の同じ号に掲載されている,新屋敷恵美子さんは「イギリスにおける労働者(Worker)概念と経済的従属性・コントロール・事業統合性」という論文のなかで,集団的労使関係法上の労働者概念について,イギリスの最高裁が,条文の文言の法解釈を重視しているのに対して,日本の労働組合法3条について,「どこか法から離れたものとなっている印象である」と書かれています(132頁)。イギリスでも,Uber判決にあるように, 法の規制目的は,法解釈で考慮はされるのですが,判決文のなかではそれをストレートに押し出すということはないということでしょう。これは先の議論でいうと,イギリスでは,形式的な法的三段論法を意識し,裁判所は,文言に忠実に解釈した法律を適用して事実にあてはめて結論を出すという形を厳格に維持しているといえるのかもしれません。この点で,日本の労組法3条のINAXメンテナンス事件などで,最高裁はもちろん法律を事実にあてはめて結論を出すという形はとってはいるのですが,適用すべき法律についての解釈が示されていないため,裁判所がピックアップした事実(あるいは判断要素)から,裁判所がしたであろう法解釈を推測するしかないということになっています。
 ところで,先般の事業場外労働のみなし労働時間制に関する協同組合グローブ事件の最高裁判決(2024416日)では,労働基準法38条の2の「労働時間を算定し難いとき」 について,従来の判例と同様,それをどのように解釈すべきかは示さないまま,たんに業務日報の正確性の担保に関する具体的な事情の検討不足を指摘して原審に差し戻しています。この事件については,ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号でも採り上げていて,実務的にこの事件をどうみるかという観点から論評していますが,判決自体が「労働時間を算定し難いとき」をどう解釈すべきかを示していないので,その点の理論的論評は今回はしませんでした(同連載の以前の号ではやったことがあります)。
 ここであえて書くと,事業場外の労働であっても,GPS(Global Positioning System)機能を使えば技術的には移動履歴の把握は可能ですし,そのようにしてリモート監視下に置き,かつスマホなどで常時連絡が可能な状況にすることにより,具体的な指揮監督下に置くことができるので,労働時間の算定はできると考えられます。そうだとすると,技術的には労働時間の算定が困難な場合はほとんどなくなり,あとはそうした(情報通信)技術の導入についての費用面からの困難性をどう考えるか,そして在宅勤務の場合,リモート監視下に置くことがプライバシーとの関係でどうなるかというような,いわば規範的困難性をどう考えるかが論点となってくると思います。そして,こういう技術的,経済的,規範的な困難性についてどう解す
べきかこそ,本来,裁判所に判断を示してもらいたいところです。協同組合グローブ事件でいうと,GPSの導入可能性について経済的困難性がどれくらいあったか,また業務でGPSを活用することによる本人ないし訪問先(外国人研修生や研修実施企業)のプライバシー保護などの法的な問題による制約がどの程度あるのかなどのような,まったく異なる争点が出てくることになります。セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件(季刊労働法では,この事件の高裁判決の評釈も掲載されています)のようなMRに勤怠管理システムが導入されている事案で上告されれば,最高裁も何らかの法解釈の判断をすると思うのですが。

 

 

2024年6月10日 (月)

保護司の仕事の重要性

 保護司の方が,過去に担当していた保護観察対象者に殺害された疑いがあります。もし事実であれば嘆かわしいことです。保護司の仕事はボランティアであり,長年勤務していた人は勲章がもらえるような重要な社会貢献活動をしているのですが,相手が犯罪者ということで,二の足を踏む人が少なくありません。保護司のなり手をみつけるのは大変です。私も,兵庫地方労働審議会の会長をしていたときは,保護司選考会の委員となっており(保護司の選考に関する規則3110号で,地方労働審議会会長は委員となると定められています。その他は,地方裁判所長,家庭裁判所長,検事正,弁護士会長,矯正施設の長の代表,保護司代表,都道府県公安委員会委員長,都道府県教育委員会教育長,地方社会福祉審議会委員長,学識経験者です),その大変さはよく知っています(ちなみに,この委員の仕事もボランティアです)。
 地域社会の安全を維持するためには,刑務所を出た人が再び犯罪をおかさないようにすることが大切です。その意味で,保護司の役割はとても大きいものといえます。とはいえ,日中に職場に出かけている会社員となると,なかなかこの仕事を務めることはできません。これは会社員が地域社会の担い手になれないという問題の一つといえます。テレワークは会社員を自分が住んでいる地域社会に回帰させるための手段となるといういつもの話になるのですが,地方政治への参加などと並んで,保護司のような仕事をできる状況をつくるということもテレワークのメリットの一つというべきでしょう。
 犯罪者の更生には,就職による社会復帰が重要でしょう。
厚生労働省及び法務省は,2006年度から,刑務所出所者等の就労の確保のために,刑務所出所者等総合的就労支援対策を実施しているようです。刑務所出所者等の雇用に協力する事業者は,「協力雇用主」として登録するという制度もあるようです。労働市場における弱者としては,女性,高齢者,若年者,障害者,(単純技能の)外国人などのカテゴリーが挙げられることが多かったのですが,刑務所出所者もこれに加える必要があるかもしれません。雇用政策で論じられることはあまりありませんが,保護司選考会に地方労働審議会会長が委員となっていることは,保護司の活動は雇用政策とも関係していることを示しています。犯罪者の更生を雇用政策におけるテーマとして論じることは,取り組むに値するものだと思います。

 

 

2024年6月 9日 (日)

大局観

 NHKのEテレの「0655」か「2355」か,どちらの番組か忘れましたが,羽生善治『大局観―自分と闘って負けない心』(KADOKAWA)のなかの「反省はするが,後悔はしない」という言葉が紹介されていました。ちょっと気になったので,2011年刊行の本でしたが買ってみました(以前に読んだことがあるような気もするのですが,忘れているので)。私は勝負の世界に生きているわけではありませんが,役立つ話がたくさん出てきました。この「反省はするが,後悔はしない」も,実践はなかなか難しいのですが,前向きに生きていくためには必要なことです。
 本のタイトルにある「大局観」も,将棋界の用語ではありますが,いろいろ実生活にも応用が可能です。勝負の世界では,年齢を重ねると,若いときのような瞬発力はなくなっていくとはいえ,大局観を蓄積していればそこそこ勝負ができるのです。とはいえ,AI全盛の今日,大局観でどこまで勝負できるのかということにはやや疑問がありますが,ベテランが若手に勝つとすれば,それしかないというところもあるでしょう(今日のNHK杯でも,ベテランの郷田真隆九段が,昨年,藤井八冠に連続でタイトル挑戦した若手強豪の佐々木大地七段に勝って驚きましたが,これは大局観だけでないかもしれません)。
 将棋以外のことでいうと,法学の議論でも,細かい解釈論の議論となると,若手でも十分にできるのですが,説得力のある議論を展開するとなると,大局観というか,視野の広い議論が必要となるでしょう。とくに政策論の世界になると,細かい解釈論に秀でていても,そうした若者では通用しないことがよくあります。むしろ若手でも,解釈論はあまりぱっとせず凡庸な感じでも,実は広い視野をもっているような人のほうが,政策論の場では通用しそうな気がします。
 ところで「後悔しない」というのは「忘れること」が重要だということでもあります。「忘れること」は簡単ではないのですが,羽生さんはこれを努力してできるようになったと書いています。人の生来の性分かと思っていましたが,努力によってできることなのかもしれません。「忘れること」によって,雑念を払って集中できるようになり,そのメリットは大きいです。これはなかなかできないことですが,訓練でできるのであれば,やろうと頑張ってみる価値はありそうです。
 「後悔はしない」は,自分はもっとこんなことができたはずなのに,というような余計なことを考えるなという意味もあります。これは今日のように選択が過剰にある時代にはなおさらです。いろんなことが選択できすぎて情報に踊らされているだけのことがあるかもしれません。羽生さんも,棋士以外にいろんな可能性があったでしょうが,そういうことを考えても仕方がないと言っています。それは羽生さんが大棋士になったからということではなく,後戻りできないことをくよくよ考えても仕方がないということでしょう。
 そもそも無限にありそうな選択肢も,現実的には初めから多くの選択肢はないに等しいかもしれないのです。過剰な情報をつきつけられて選択するほうがよほど疲れます。疲れた末の選択は誤る可能性が高まります。
 羽生さんはミスが起こるのは,状況認識を誤っているときと,感情などに左右されているときであると言います。常に冷静に状況を把握して行動することが重要です。これをもっと広くみると,自分というものを冷静に客観的に把握して行動選択し,そこでミスがあっても,反省はして同じミスを繰り返さないようには努めるが,後悔のような後ろ向きの行動はしないということでしょう。難しいことですが……。 

 

2024年6月 8日 (土)

大相撲改革の思考実験

 寝る前にWhiskyの友として,YouTubeをみることも多く,ときどき「貴闘力部屋」をみています。八角理事長批判,貴乃花びいきというところが,私の好みに合っているのですが,いろいろ相撲界の裏話をしてくれるのを,話半分のつもりで観ています。その貴闘力がホリエモンの番組(名前は忘れました)のゲストに呼ばれていたとき,ホリエモンが言った大相撲もプロレスのように複数の団体で競えばよいのではという提言を面白いと思いました。そのときは,元力士の貴闘力はやはりその提言には否定的でした。ただ,貴闘力が言うところでは八百長が蔓延している大相撲なので,それとは別に,ガチンコでやる相撲団体を併存させるのは面白いと思います。もちろん,貴景勝のような八百長をしない力士はケガが多いですし,先場所は貴闘力が言うには八百長が少なかったそうで,そうなるとやはりけが人が続出するということでしょうが,八百長が普通に行われているのなら,それのないスポーツとしての相撲も観てみたいと思います(八百長があろうが,国技としての大相撲はそれとして残してもらって結構です)。

 かりに別団体を作らないとしても,格闘技として,ほんとうは誰が強いのかをみせてもらうことも期待したいです(いまなら大の里が一番強いのでしょうが)。将棋でいえば,順位戦(番付に相当)以外の竜王戦のようなスタイルも多少参考にして,ランキング制にしたらどうでしょうか。1組から4組くらいまで置いて(おおむね,それぞれ現在の三役以上,幕内,十両,幕下上位に相当),各組の上位者16人を集めて決勝トーナメントに出れることにして,そこでその時点での最強者を決めるのです。たとえば1組(三役以上)は12人で上位6人がトーナメント進出,2組(幕内で三役未満)は20人で上位5人が,3組(十両)は20人で上位3人が,4組(幕下上位)は20人で上位2人がトーナメント進出にできることとします。各組の予選で成績不良者は下位に降級します。本場所とは別に年に3回くらいこういうのをやって,最強者を決定するのです。現在の大関でも弱ければ,すぐに4組に落ちるというようなことになり,その時点の実力をリアルタイムで反映できるようにすれば,もっと盛り上がるのではないでしょうか。などと将棋ファンの発想で大相撲のことを考えてみました。

 

 

2024年6月 7日 (金)

非正社員労働法

 前にも同じようなことを書いたことがありますが,本日の法科大学院(LS)の授業のテーマが非正社員の処遇であったので,今日も書きます。
 労働法の授業における非正社員の比重が増大して久しくなります。とくに労働契約法の旧20条,短時間有期雇用法8条に関係する判例は,近年急激に増えたので,残念ながら2014年の『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)では対応できません(丸子警報器事件しか掲載されていませんので)。 
 法科大学院の授業では,足らない部分は拙著『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)(最重判)を指示しながら,判決文は自分でダウンロードするように頼んでいます。同書でも,ハマキョウレックス事件,長澤運輸事件,メトロコマース事件,日本郵便〔東京〕事件の最高裁判決を掲載し,さらに下級審ですが,九州惣菜事件も掲載しています。最低限これらの判決の学習は必要でしょう。今後も,不合理性をめぐって新たな判例が登場する可能性もありますが,さすがにこれ以上は事件の「数」を増やさずに,入れ替えをしていくことになるでしょう(将来的には,名古屋自動車学校事件の昨年の最高裁判決の差戻審が出て,それが上告されて新たな判断が出れば,入れ換えられる可能性は大きいと思っています)。
 拙著『労働法実務講義(第4版)』(日本法令)でも,「不合理な格差の禁止」は,それだけで15頁(936951頁)を割いており,かなりの分量です。多くの教科書でも,この部分の叙述は拡大傾向にあると思います。法科大学院生にとっても,学習の必要は高く,なかでも定年後の有期労働契約での再雇用時の労働条件の設定は重要な論点であり,日本郵便事件の雇止めのほうの最高裁判決(最重判65事件)も含め,しっかり広く勉強しておく必要があるでしょう。
 一方,政策的な観点からも,高年齢者雇用政策は重要です。これからは高年齢者雇用確保措置と高年齢者就業確保措置の対象年齢が5歳ずつ引き上がる可能性もあり,来たるべき75歳現役世代の到来に備えた政策や人事対応を考えていく必要があるでしょう。この点は,昨年,日本法令から出したDVD『企業における高年齢者雇用の論点整理』も参考にしてください。

2024年6月 6日 (木)

棋聖戦第1局

 いよいよ棋聖戦が始まりました。藤井聡太棋聖(八冠)に,山崎隆之八段が挑戦します。現在7連勝中と好調の山崎八段でしたが,初戦は,藤井棋聖に完敗でした。
 山崎八段が先手で,途中までいい勝負でしたが,徐々に押し込まれ,捨て身の1七角という勝負手を放ちますが(銀とりの先手ですが,簡単に受けることはでき,むしろ打った角が窮屈になりそうでした),不発で終わりました。暴発という評価もできそうです。玉が危ない位置にあって壁銀なので,素人目にも勝ちにくい形で戦っていました。実際,これがたたって,素人でもわかるシンプルな攻めで寄せられてしまいました。もともと居玉のような悪形でも気にせずに,独創的な攻めを繰り広げる山崎八段ですが,今回は残念な結果になりました。やっぱり藤井棋聖は強かったです。

 その藤井八冠と叡王戦で激闘を繰り広げていて最終局で勝てばタイトル奪取というところにまで来ている伊藤匠七段ですが,先日のNHK杯で梶浦宏孝七段に敗れました。ここで敗戦するのは勢いという点ではよくないです(収録日がいつであったかも気になります)。また最近の王将戦でも,一次予選でいきなり岡崎怜央四段に敗れており,なかなか勢いがつかない状況です。叡王戦の第5局まではもう少し時間があるので,立て直すことを期待しています。

 

 

2024年6月 5日 (水)

労働安全衛生規制の根拠と労働者性

 かなり古い論文になりますが,日本労働研究雑誌566号(2007年)に,経済学者の江口匡太さんの「労働者性と不完備性―労働者が保護される必要性について―」が掲載されています。私が編集委員であったときの「雇用と自営のあいだ」という特集号に掲載されていて,私が解題も書いていたので,よく覚えています。江口論文については,次のようにまとめています。

 「同論文によると, 「雇用」 とは,契約の不完備性があり市場からの望ましい労働サービスの調達ができない場合に用いられるものであるのに対し, 「請負」とは, 不完備性がなく市場からの労働サービス調達を得ることができる場合に用いられるものであるとする。 そして, 不完備契約である 「雇用」 では, 事後的に労働者は使用者の指揮命令を受けることがあることから要保護性が生じる。そのため, 労働法が, 雇用契約で働く 「労働者」 のみを保護するのは, その不完備契約としての性質から説明できるとする。 また, 専門的技能を用いる業務については, 働くほうに安全対策の負担をさせたほうが効率的であるとして, こうした業務で「請負」 が用いられ, 発注者側が安全衛生面の負担を負わないことの合理性が説明されている。 また, 転職しやすい場合には, 労働者の要保護性が小さくなるが, 業務の諾否の自由がない 「労働者」 には, やはり保護の必要性があるとする。この論文でとくに注目されるのは, 企業が 「雇用」 という組織的取引を用いる理由を不完備契約により説明し, そこから 「雇用」 で働く者の要保護性を導き出している点である。 これは, 労働者性の特徴を「使用従属性 (人的従属性)」 とする伝統的な労働法の立場が, 不完備契約という経済学の理論と整合的であるという主張である。 ところが, 最近の労働法学の議論は, むしろ 「使用従属性 (人的従属性)」 を重視する伝統的な立場に再考を促そうとするものである」。

 もちろん経済学の論文ですので,的確にまとめることができていないかもしれませんが,私がこの論文から何を学んだかということはわかるような紹介をしています。

 ところで,昨日採り上げた個人事業者への労働安全衛生規制の拡張の動きは,上記の江口論文の内容にあてはまらないように思えます。むしろ労働安全衛生規制の拡張をすべきような就労者は「雇用」で働く労働者と性質決定すべきものといえそうです。それは同時に,指揮命令関係下にない者に対して注文者が労働安全衛生規制の責任を負うことへの違和感につながっていきます。

 労働者概念をめぐる議論にも関係しそうです。労働法の議論では,労働者概念は実態を考慮して判断するとし,そこで使用従属関係(広い意味での指揮命令関係)の存否をみていくことになるのですが,むしろ行為規範としてみた場合,注文者と個人事業者との間で,職業リスクについての情報の非対称性があり,契約で十分に書き込めず不完備性がある場合には,注文者はその就労者を雇用する責任があり,働く側が労働者として雇用されることを認めない場合には,注文者は契約を締結してはならないというような議論もありえそうです。あるいは,私が考えている労働者性の事前認証制度においては,当該契約における職業リスクについての客観的な評価がなされて,労働者(雇用)かどうかが判定され,当事者はそれに従わなければならないといった発想もありえます。これまで労働者性の判断を客観的に行うべきという場合には,たんに契約の実態から総合判断で労働者性を決定するということを意味していましたが,そうではなく,業種や職種の客観的評価から事前に労働者性の有無を決定するという発想もあるのであり(ただし,労働者性が否定されていても,事前の契約どおりに契約が遂行されなければ,遡って労働者性は肯定される),それはAIによる審査にもなじむものといえます。それこそが真の意味での客観性ではないでしょうか。

 政府の立場は,個人事業者に対する安全衛生の問題と,労働者性の有無は別の問題であるとして切り離していますが,そもそも労働者性の判断と労働安全衛生規制とは密接に関連して交錯しているのであり,原理的に考えると,両者を切り離すことはできないのではないかというのが,江口論文から導き出されるような気がします(江口さんからは,そんなことは言っていないと叱られるかもしれませんが)。

 

 

2024年6月 4日 (火)

「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」の評価

 厚生労働省が,「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」を発表しました。昨年10月の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会」の報告書を受けたもので,労働政策審議会安全衛生分科会の議論を経て策定されました。議論の経過は,議事録が公開されているのでフォローできます。熱心に議論をされてきたことがわかります。
 先日の大学院の授業で学生が採り上げてくれましたので,今回,報告書とガイドラインに目を通すことになりました(議事録のすべてはもちろん読めていません)が,やや疑問をもちました。たしかに,私のように雇用労働者とフリーランスとの格差をなくし,とりわけ就労者の人格的な利益にかかわるものについては共通ルールを設けるべきであるという立場からは,安全衛生問題の射程に個人事業者(労安衛法の枠内でやっているので「事業者」という言葉が使われています)を入れることは妥当という評価になります。そして,とくに就労場所に関係するリスクについては,その物理的な空間を共有するかぎり,雇用労働者であれ,フリーランスであれ,同じリスクにさらされるのですから,同じような保護が受けられるべきというのも,そのとおりであると思います。一人親方に対しても,労働安全衛生法22条や57条などによる保護の対象となるとした建設アスベスト事件・最高裁判決の考え方は,まさにそうした観点から説明がつきます。そして,場所のリスクという点では,就労者以外の人も射程に入るのであり,これは民法717条の土地工作物責任ともつながるものです。
 気になるのは,厚生労働省が基本的な考え方として示している「労働者と同じ場所で就業する者や,労働者とは異なる場所で就業する場合であっても,労働者が行う作業と類似の作業を行う者については, 労働者であるか否かにかかわらず,労働者と同じ安全衛生水準を享受すべきである」についてです。最高裁でいう場所のリスクを飛び越えて,異なる場所であっても,労働者の作業との類似性があれば,労働者と同じように扱うべきということのようです。こうなってくると,企業の場所的なリスク管理責任ということでは説明がつかず,より抽象的なリスク管理責任というものを観念する必要があります。そうしたものを事業者(注文者)に求めるには,きちんとした正当化根拠が示されなければならず,さもなくば,経済活動への不当な介入となりかねません。
 私が考えているのは,労働者にも自己健康管理を導入することを政府が推進し,それを企業がサポートするという図式であり,そうした政府の推進は,(企業がサポートするところはなくても)フリーランスにもあてはまるというものです。一方,厚生労働省が考えているのは,そうではなく,労働者の現行の健康管理のあり方と同じようなものを個人事業者にも適用するというもので,そのために労働安全衛生法上の事業者に相当するような役割を「注文者等」に担わせるということのようです。これはフリーランス法の「特定業務委託事業者」と「特定受託事業者」との関係に似ています。
 個人事業者のことだけを考えて,注文者の責任根拠を考えていないと,責任を負うべき人の範囲は無限定に広がりかねません。実はガイドラインには,「注文者等が一般消費者である場合についても,その注文や干渉が個人事業者等の健康に影響を及ぼす可能性があることに変わりはないため,その旨を十分に理解した上で,注文等を行うことが重要である」と書かれています。一消費者である私が,たとえば自宅の冷蔵庫の修理を個人事業者に注文するとき,冷蔵庫のある場所の安全衛生に注意をして,事業者の健康に配慮しなければならないということでしょうかね。そういうことをやったほうがよいという気もしますが,厚生労働省に言われてやるようなことではないでしょう。ガイドラインの周知をするように委員は盛んに求めていますので,ぜひ周知してください。そして「注文者等」にあてはまる消費者にも周知してください。「あなたたち,やりすぎだ」というリアクションが起こるのではないでしょうかね。
 建設アスベスト事件の最高裁の判断は納得できるものでした。そこでいう場所のリスクでとどめればよかったのです。もちろん,個人事業者の就労にともなう人格的利益に対するリスクへの配慮は必要ですが,それは同時に,誰にどのような責任を課すことが正当かという議論をきっちりやらなければいけないのです。私は,政府が直接個人に働きかける自己管理が大切であるし,そのためのナッジの手法などを活用すべきであると考えているのですが,厚生労働省のほうは,個人事業者の自己健康管理を第一義的なものと考えているようではあるものの,なお誰かに責任を負わせようともしています。しかし,繰り返すように,責任を負わせるなら,その根拠を明確にする必要があります。
 ガイドラインであるから,そこは多少アバウトでもいいということではありません。国民に行動を求める限りは広義の規制に含まれるのであり,そのようなものとして正統性が求められるのです(参考になる文献として,興津征雄「行政機関の定める指針の行政法上の位置づけ」季刊労働法28033頁以下(2023年))。
 なお,ガイドラインのなかには,個人事業者の自己健康管理のツールとして,役所アプリ(「マルチジョブ健康管理ツール」など)の使用に言及されています。スマホをみると,いつやったか忘れましたが,このアプリをインストールしていました。でも,このアプリでは,私が推奨しているデジタル技術を活用した自己健康管理のニーズには応えられないでしょう。

 

 

2024年6月 3日 (月)

『法学部生のためのキャリアエデュケーション』

 弁護士の松尾剛行さんから『法学部生のためのキャリアエデュケーション』 (有斐閣)を送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。これは良い本です。たくさん付箋紙をつけながら読みました。大げさではなく,法学部生全員にとって必読だと思います。とくに本人だけでなく,法学部生をもっている親御さんにも読んでもらいたいです。最近では,大学生でもそのキャリアの決定について親が影響力を持っていることが多いので。

 本書は前半の総論と後半の各論とから構成されています。第1章から第7章の前半はキャリア論一般であり,第8章から第12章の後半は法学部生をとくに念頭においた具体的なキャリアガイダンスになっています (法曹はもちろん,公務員や政治家まで採り上げられています)。第12章のAI時代以降の話については,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)も引用してくださっています。

 法学部生以外の人でも,前半の内容は十分に参考になります。これは基礎理論編ともいえるのですが,実際に悩める若者に対して,きわめて実践的で役立つことも書かれています。つまり,理論と実践双方が平易な言葉でわかりやすく書かれているのが,この本の凄さです。戦略的な思考が重要というと硬そうですが,将来をしっかり見越して,必要な努力を的確に行うことが大切ということを呼びかけ,そのために具体的にどのようなことをすべきかも書かれています。
 個人的には,経営学の知見が散りばめられていることも良いです。法学と経営学にまたがるところは,相当の力量がなければ書けないでしょう(労働法学者も,経営や人事管理論の知見をもたなければならないと思っていますが,そういう人はあまりいません)。これは松尾さん自身が,普通の弁護士ではなく,色んな分野に関心をもち,ポジティブに行動されていることによるものだと思います。

 私はAI時代やデジタル時代における将来志向の教育の重要性をいろんなところで述べていますが,大学の法学部については,どちらかというと未来はあまり明るくないと言ってしまうことが多かったのです。しかし,本書を読むと,きっちり戦略的にキャリア計画を立てれば,法学部生にも十分未来があるということがわかりました。教えられることが多い本です。

 

2024年6月 2日 (日)

連敗脱出

  阪神タイガースが交流戦初勝利。連敗も5でストップということですが,内容はあまり誉められたものではありません。今回は,才木に頼りっぱなしで,今期は彼の超人的な活躍でなんとか乗り切っています。とにかく貧打が半端ではありません。大山は7番に落とされても(今日は6番ですが),全然期待をもてません。打率は2割を切り,まぐれで5回に1回くらいヒットが出るという程度で,とても主軸を任せられる感じではありません。森下は,今日は決勝の先頭打者ホームランでしたが,安定感は低いです。現在の4番は,どうみても1番が最適なはずの近本であり,苦し紛れの打線という印象をいなめません。もちろん1番森下はあってもよいのですが,近本はせいぜい3番でしょう。また,左投手には右打者というのも,あまりあてはまらず,近本は左投手からのほうが,打率がよかったはずです。ぜひ前川も,左投手のときにも使ってほしいです。現在の阪神で一番期待がもてる選手だからです。前川4番でもいいでしょう。
 投手はストッパーの岩崎とゲラ(Guerra)が疲れ気味で不安定となり,自慢の投手力で最少得点をなんとかしのいで逃げ切るという形にできていません。石井と桐敷は安定しているので,それでなんとかまだ勝負になっています。ゲラはこれまでのフル稼働の疲れが出てきているかもしれませんし,岩崎は「勤続疲労」がでている可能性もあります。先発陣は,青柳や西勇輝にはあまり頼らず,才木を中心に,ビーズリー(Beasley),大竹,そして昨年の調子を取り戻してほしい村上と伊藤でなんとか交流戦をしのいでほしいです。門別は1軍に戻してほしいですし,髙橋遥人の1軍復帰が待ち遠しいです。
 さて問題はサトテルです。2軍ではそこそこ打っているようですが,守備に不安が残ります。村上の勝利を2つ消す致命的なエラーをやっているので,守備に不安がある間は,よほどのことがなければ1軍にあげることは難しいかもしれません。とはいえ,守備というのはシーズン中の特守くらいで上達するのでしょうか(ライトを守らせる手はありますが)。ノイジー(Neuse)は守備は安定していますが,打撃にムラがありすぎて,使いにくい外国人になっています。とはいえ,監督お気に入りのミエセス(Mieses)は打てそうにないですし,監督の悩みは尽きないでしょうね。
 まだ5月だから,あれこれ言うのは早いと思います。数年前の阪神からすると,これだけの試合をしていながら3位でいるだけで十分であり,これはまさに監督の手腕でしょう。今期は最後まで大混戦となりそうで,勝負どころは9月以降かもしれません。それまでは勝ったり負けたりしながらも現状をなんとかキープし,最後のラストスパートに向けて,しっかり戦力を整えることが大切でしょう。

2024年6月 1日 (土)

生成AIとの付き合い方

 日本経済新聞社の5月の「私の履歴書」は,囲碁のレジェンドである趙治勲さんの話で,とても味わい深かったです。韓国人でありながら,日本の囲碁界に飛び込んで,その頂点を極めるという,その劇的な人生は読み応えがありました。ライバルであった小林光一九段への率直な評価なども面白かったです。彼は天才棋士ではあったのですが,彼なりの苦労もありましたし,交通事故という試練もありました。最後に,がんへの罹患も書いてくれて,彼の劇的な人生は,まだ続くという感じでした。

 ところで,今朝の日本経済新聞の「春秋」では,趙治勲さんがAIついて語っていた内容に言及していました。「AIで学ぶ世代は形が悪い手を平気で打つ。自分で使う気は無い。AIに答えを聞いて学ぶより,自ら葛藤を繰り返すのが囲碁の醍醐味だから」。AIへの向き合い方を自覚的にすべきという春秋子のメッセージに合う,当面はAIと距離を置くという姿勢を示した趙治勲さんの言葉が使われたのでしょう。
 囲碁にせよ将棋にせよ,トッププロがAIの登場に翻弄されてきました。過去の経験がうまく使えなくなってきているということです。天才の頭脳の世界で起きている変化は,必ず一般のレベルにまで降りてくるでしょう。AIが日常の業務に本格的に浸透してきたときのAI前とAI後の世代の断絶が心配ではあります。
私はAI前の世代になりそうですが,なんとかAI後の世代についていければと思っています。例えば,生成AIの活用は,現状ではそれをしなくても仕事はこなせるのですが,あえて使ってみて,来たるべき時代に備えるよう努めたいと思っています。

 

 

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