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2024年5月15日 (水)

誰のための環境行政か

 日本経済新聞の社説「環境省は真摯な水俣病対応を」(電子版59日)から引用すると,「熊本県水俣市で1日に開かれた伊藤信太郎環境相と水俣病患者らの懇談で,被害者側の発言時間が予定の3分間を超えたとして,同省の担当者がマイクの音を切って発言を遮った」そうです。
 「51日は水俣病の公式確認日である。環境相は毎年この日に水俣市での慰霊式典に出席し,患者団体などと懇談する。担当閣僚が被害者の声に耳を傾ける趣旨の会合なのだ。にもかかわらず,悲痛な思いを述べる発言を一方的に妨げるなど言語道断である。強い抗議が出たのは当然だ。」というように,強い論調で非難されています。
 大臣の帰京のスケジュールを優先したことによるようですが,そもそも役人は「段取りがすべて」みたいところがあり,分刻みでいろんなことを決めているので,3分と決めたら,何が何でも3分でいくということであったのかもしれません。その3分という時間制限も,先例踏襲のようですが,そのときも,次のスケジュールとの関係などから逆算してはじき出すという,より大きな段取りの下で決められていたのかもしれませんね。
 もちろん,段取りどおりに物事を進めることは日本では大事なことであり,たとえば役所関係の会議の司会(座長など)のようなポストにつくと,段取りだけは守ってくれというようなことが言われます。アドリブは厳禁です。タイムキーピングがうまく行かなければ,「司会の不手際で,時間が押してしまい申し訳ありませんでした」と謝罪をしなければなりません。これが,発言の時間が減ってしまった人への謝罪であれば理解できますが,むしろ秩序を維持できなかったことへの謝罪という感じがあり,それは単なる形だけの白々しいものです。
 一方で,偉い人の遅刻は,問題ありません。偉い人が進行を乱しても,役人は何も言いません。また,大臣の発言時間は,(仕事としての)文章を読むだけですから,そもそも時間は厳守しやすいでしょう。最初から不公平にできているのです。もちろん役人の立場からすると,段取りを守り,偉い人に迷惑をかけないことこそ,その中心的な仕事なので,そこは譲れません。
 こう考えると,今回の件では,担当の役人からすると3分でマイクを切るのは当然のことでしょう。3分の時間制限は,さすがに事前に通告していたのでしょうが,だからといって3分というのは厳しすぎるものです。大臣の前で話すなど滅多にないことでしょうし,独特の雰囲気のなかで,お堅い感じの役員の応接を受けたうえで,「はい,お話しください」と言われても,場の雰囲気に慣れるだけで制限時間が終わってしまうことでしょう。どのような話をするかによるとはいえ,私たちのように話すのに慣れている人間でも,事前に準備していても,3分で話をまとめろというのは難しいことです。ましてや素人には無理です。
 もちろん,わざわざ大臣が来てくれているのだから,時間くらいはこちらの言うことを聞けということかもしれません。しかし,むしろ大臣というのは,実際には「顔」にすぎないということを考えると,被害者たちの話を聞くことは「本務」として,たっぷり時間をとってもよいのでないでしょうか。政治家こそ,そういう仕事に向いているのです。しかも,この会合は,水俣病という,環境行政を整備するうえでのターニングポイントとなった公害にかかわるもので,環境省という役所としても最も重視すべきものであったはずなのです。
 ついでに言うと,リモート時代なので,もし大臣が不在であれば困る仕事が東京などであったとしても,それは大きな問題ではないでしょう。よほどのことがないかぎり,画面に顔を見せて,文章を読ませれば済むことなので,リモートで十分です。それよりも,被害者たちの生の話を直に聞くということこそ,対面型でやる仕事なのです。

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