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2024年5月22日 (水)

社会福祉法人A事件

 神戸労働法研究会で土岐将仁さん(4月以降,所属は東京大学)に報告してもらったときにも,少し紹介した事件です(千葉地判2023年6月9日)。今回,季刊労働法の最新号(284号)で,土岐さんの評釈が掲載されたので,じっくり読ませてもらいました。労働密度が薄い夜間勤務の時間帯において,その時間帯が労働時間とされたことにより,深夜労働や時間外労働が発生することになったとき,割増賃金の算定基礎はどうなるのかが問題となっています。この問題は,有名な大星ビル管理事件・最高裁判決で,労働時間性の判断枠組みと並び,ほぼ決着がついている論点だと思っていましたが,この判決は,従来の判例に反する判断をしています。

 この事件では,雇い主は夜勤手当を支払っていますが,その額を時間数で割った額(この事件では750円)と原告主張の所定労働時間ベースの額とでは大きく差がありました。法文上は,算定基礎は「通常の労働時間の賃金」ですが,それが何なのかをめぐり争いがあります。最高裁は「当該法定時間外労働ないし深夜労働が,深夜ではない所定労働時間中に行われた場合に支払われるべき賃金」が算定基礎であると述べていますが,労働密度が異なる場合も同じように考えてよいのかは,理論的には問題となりうるところです。本判決は,労働密度が違う以上,所定労働時間の賃金を基礎にはできないとし,夜勤手当を算定基礎としました。
 この論点については,かつて研究会で梶川敦子さんが何度もとりあげて,精緻な分析をしてくださり(季刊労働法221号にも掲載されています),その度に勉強させてもらいました。今回,土岐さんが久しぶりにこの論点を取り上げ,裁判例や学説の状況をきれいに整理してくださって,また勉強になりました。土岐さんは,さらに自説として,労働密度が異なる(薄い)時間の労働について,算定基礎を変動させることは認められるとしたうえで,ただ,そのことが労働者に認識できるようにしておく必要があるとしています(本件では,この点について事業主側に問題がありました)。「通常の労働時間の賃金」は契約で決めることができますが,脱法を防ぐ必要はあるということです。なお算定基礎の下限としては,土岐さんは,所定労働時間の賃金の3分の1という基準もあげています(労働時間規制の適用除外が認められる断続的な宿日直労働に関する許可基準で挙げられている,同種の労働者の所定内賃金の平均の3分の1以上という基準を参照したものです[労働基準法413号,労基則23条]。なお,算定基礎賃金の下限については,最低賃金の規制のあり方とも絡んで難しい理論的課題を含んでいます)。

 このほか,もう一つ興味深い論点があります。時間外労働とは,法律の文言によると,「労働時間を延長」することです(労働基準法36条,37条など)。「延長」を規制しているので,延長の前提となる元の労働時間が何かが重要になります。普通に考えれば,所定労働時間となるのですが,本件のように所定労働時間帯が2つに分割しており(午後3時から9時と午前6時から10時。変形労働時間制が導入されていて,所定労働時間=法定労働時間が10時間),その間に夜間勤務がはさまっている(それが時間外労働であり,かつ一部が深夜労働)という場合,土岐さんが書かれているとおり,午後3時から10時間+休憩1時間が経過した午前2時からが時間外労働となるとする考え方もありえると思います。もしこう考えて,さらに土岐説のように,算定基礎が時間帯によって変わりうるとすると,夜勤手当の対象外である午前6時以降は,所定賃金を算定基礎とすることになりそうです(199頁)。算定基礎の変動を認めるかどうかはさておき,「延長」はどこを起点とするかは興味深い問題です。もし勤務間インターバルの規制が入ると,インターバル後の8時間+休憩時間を経過したところが起点となると考えてよさそうですが,現状ではどう解すべきかは,土岐評釈に刺激されてもう少し検討してみたくなりました。

 そもそも割増賃金の算定基礎という論点は,割増賃金制度における判例が前提とする趣旨(時間外労働の抑制と労働者への補償)からすると,どう解するのが制度趣旨に最も適合的かということをシンプルに議論していくことも必要なような気がしており,今後の課題です。

 ところで『人事労働法』(弘文堂)の発想でいけば,算定基礎の問題は,どうなるでしょうか。拙著では,この論点を扱っていませんが,追記するとすれば,次のようになると思っています。「標準就業規則」では,所定労働時間外の時間帯について,その性質の違い(労働密度の薄さなど)から,特別の手当(夜間勤務手当など)を支払うことにしている場合,割増賃金の算定基礎のデフォルトは,所定労働時間の賃金とすべきですが,納得規範に基づく「就業規則の不利益変更」の手続をふめば(過半数の納得同意を得ることと,少数派には納得同意を得るべく誠実説明すること),特別の手当を算定基礎とすることはできるということになるでしょう(37頁等を参照)。デフォルトは,やはり所定労働時間の賃金となるのです(判例と同旨)。

 なお,私の考えている労働法は,①「おこなわれている労働法」,②「あるべき労働法」,③「デジタル労働法」の3段階があり,労働法実務講義は,①が中心で,ときどき②を,人事労働法は,②が中心で,第10章は③を扱っています。今回の問題は,もし③のレベルで議論をすれば,あまり重要な論点ではなく(契約で自由に決めてよい),自己健康管理をしっかりサポートしようという話になっていきます。

 

 

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