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2024年5月14日 (火)

表現の自由を守れ

  足の痛みはようやく消えました。多少の違和感は残っているのですが,とりあえず普通に歩けるようになりました。(心配してくださった方へ)ご心配をかけました。とはいえ,今回,久しぶりに医療機関にかかり,病名をはじめ,いろいろ思ったことがあったので,これは後日ご報告します。

 ところで,衆議院補選東京15区でのある政党の選挙活動について,他候補の選挙活動の妨害があったとして警視庁に家宅捜索されたと報道されています。公職選挙法225条(選挙の自由妨害罪)は,「交通若しくは集会の便を妨げ,演説を妨害し,又は文書図画を毀棄し,その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」,その行為をした者を処罰とするとしています(2号)。少なくとも演説の妨害はあったようです。「表現の自由を守れ」という私のメッセージは,決して,この政党が「表現の自由」の範囲の適法な行為をしていたとの主張を応援するものではありません。その逆です。表現の自由は,他者の表現の自由を侵害する自由までありません。表現の自由を守るためには,表現の自由の濫用は許してはならないのです。ただ表現の自由の濫用というのは,わかりにくい言い方であり,そこに問題があります。つまり何が許される表現かは,本来は市民社会においてモラルのレベルで各自が判断し,他者への攻撃的な表現は,おのずから限界があることを意識しながら自制的に行うべきであり,また,その行き過ぎは市民社会の力で抑止していくことが望ましいのです。実際,この政党からの候補者は,最下位で落選しており,投票率は低かったとはいえ,一定の市民社会の賢慮が示されたといえるでしょう。しかし,来たる都知事選などもふまえ,これだけでは不十分ということで,政府が乗り出してきて,ある表現が問題であるなどとして処罰するというようなことになってくると,これは危険なことです。「表現の自由を守れ」とは,こういうことに注意せよという意味です。
 表現の自由は誰に対して主張すべきものかというと,それはもちろん第一義的には政府です。公権力による表現の自由の侵害は,思想の自由の侵害と並ぶ最も深刻な人権侵害です。これらの自由は,私たちの自由な社会の根幹であり,これは何としても守らなければなりません。さっそく与党のみならず,一部野党も選挙妨害対策の法改正をするという話が出てきています。一方,立憲民主党や共産党は慎重な姿勢を示しています。選挙の重要性を考えると,うまいやり方があれば,法改正もありだとは思いますが,やはり危険性があり,その点では立憲や共産の慎重な姿勢のほうがよいと思っています。
 
いずれにせよ,選挙妨害をしている動画をネットにアップロードして,それを観て面白がる人たちがいて,それによっていっそう妨害行為がエスカレートするというのは,飲食店で迷惑行為をしているのと変わらないことです。こういうことを「表現の自由」と主張して,私たちの生活において最も重要な選挙の場で行うのは嘆かわしいことです。できれば公権力の手を借りるのは最小限にとどめて,うまく市民社会の手で対応できることを願いたいです。選挙妨害行為だけに目を奪われるのではなく,それに対して,公権力がどのように対応しようとするかを注視することが重要です。

 

 

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