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2024年5月12日 (日)

母の日

 母の日です。井上陽水の「白いカーネーション」のことを書こうと思ったのですが,前に書いたことがありそうだと思い,調べてみると,2年前のBlogに,次のようなことを書いていましたので,再掲します(少し訂正を入れています)。

「いまの子どもたちは,レコードプレーヤーで音楽を聴いていた時代のことなど,想像もつかないかもしれませんね。中学生くらいになってから,家に新しいステレオが届いたのをきっかけに,おこづかいでレコードを買って聞くようになりました。当初はフォークソング,とくに吉田拓郎のものばかりでしたが,一つだけ井上陽水のものをもっていました。それは,自分で買ったものではなく,年長のいとこからもらったものなのですが,陽水がアンドレ・カンドレから井上陽水という名になって2枚目のアルバムの「陽水 センチメンタル」でした。これは何度も聞きましたね。ギターの練習によかった「東へ西へ」もありましたし,「夏まつり」も耳に残っています。子どものころは,陽水の曲は,心にしみるということはなかったのですが,年を重ねていくと,陽水はいいなと思うようになってきました。
 「センチメンタル」に入っている曲に「白いカーネーション」があります。短い曲ですが,頭に残っています。今日は母の日なので,ついつい私も口ずさんでしまいました。もうレコードは手元にありませんが,YouTubeで聴くことができました。とても懐かしかったですね。私の世代より上では,私と同じように思わず口ずさんでしまう人も少なくないのではないでしょうか。
 白いカーネーションという花は,亡くなった母を偲ぶものだそうですが,陽水の曲でもそういう意味で,あえて「白い」と言っているのかはよくわかりません。ただ,歌詞のなかにある「どんなにきれいな花も,いつかはしおれてしまう。それでも私の胸にいつまでも」というのは,亡き母のことをいつまでも思っているという意味で理解することもできそうです。
 私自身,この年齢になっても,9年前に亡くなった母のことを,いまでもときどき思い出すことがあります。母は偉大です。世間では,幼いときに死別したり,虐待などで離別せざるを得なかったりという理由で,母親の愛情に十分にふれることができていない子どもたちもいるでしょう。母の日が,赤いカーネーションを贈ることができない境遇の子どもたちのことを考える日でもあればと思います。」

 ということで,以上のようなことを書いていたのですが,母が亡くなったのが9年前というのは,いまでは11年前になります。
 ところで,最近「attachment」(愛着)という言葉をよく耳にします。愛着理論は,乳幼児期に,どれだけ親(とくに母親)と触れ合っていたかが,その後の性格形成に大きな意味をもっているということのようです。乳幼児はとても弱い存在で,多くの危険にさらされています。不安に感じることが多いので,泣き叫んだりもするのです。そのときに,ぐっと抱きしめてくれる人が近くにいてくれれば安心します。そして安心できるから,外界に向かっての冒険もできるようになるのです。つまり「愛着」があるからこそ,子どもは精神的に安定し,社会性を身につけていけるのです。「愛着」を与えるのは,肉親でなくてもよいのかもしれません。でも肉親のほうが,より深い愛情を注げる可能性が高いでしょう。私たちは,親からそういう愛情を注がれて育ててもらったことに感謝し,同時に,親からそういう愛情を注いでもらう機会が何らかの理由でない子に対して,きちんと「愛着」のための手を差し伸べられる社会をつくらなければなりません。

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