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2024年5月の記事

2024年5月31日 (金)

叡王戦第4局

 藤井聡太叡王(八冠)に,伊藤匠七段が挑戦する叡王戦第4局は,藤井叡王が勝って22敗のタイとなりました。伊藤七段が初タイトルをとり,藤井の八冠時代を終わらせるかが注目されましたが,藤井叡王が踏ん張りました。本局は藤井叡王の快勝でした。伊藤七段はあまり見せ場をつくれなかった気がします。藤井八冠には追い込まれて精神的に乱れるというようなことはなさそうですね。これで,決着は最終局にまで持ち越されました。620日の第5局は大注目となるでしょう。藤井八冠は,その間に,棋聖戦のタイトル戦が始まり,その第1局(66日),第2局(17日)があります。山崎隆之八段が挑戦します。藤井八冠は,名人戦が第5局で終わったので,第6局目に予定されていた13日と14日の名人戦がなくなりましたが,それでも相変わらずタイトル戦続きのハードスケジュールですね。すべてのタイトルをもつ以上,しかたないのですが。

 7月から始まる王位戦のほうは,挑戦者決定戦が行われ,渡辺明九段が,斎藤慎太郎八段に勝って藤井王位への挑戦権を得ました。渡辺九段は久しぶりのタイトル戦登場です。年齢的には,そう多くのチャンスはないでしょうから,なんとか藤井八冠からタイトルを奪取したいと考えていることでしょう。とくに藤井八冠から名人を取られたことは痛かったと思います。あと2期で得られる永世名人をほしかったでしょうから。渡辺九段にとっても,渾身の力をふりしぼった戦いをするでしょうから,好勝負が期待できると思います。

 他の棋戦では,王座戦の挑戦者決定トーナメントに,鈴木大介九段が快進撃しています。二次予選からの登場で,藤井猛九段,佐藤和俊七段,横山泰明七段を破り,挑戦者決定トーナメントに進出して,その後も,勢いのある若手有望の藤本渚五段,昨年,藤井聡太八冠相手に,棋聖戦。王位戦の連続挑戦をした佐々木大地七段を破ってのベスト4です。次の相手の永瀬拓矢九段は強敵ですが,健闘を期待したいです。このほかは,ベスト4をかけて豊島将之九段と広瀬章人九段が,また糸谷哲朗八段と羽生善治九段が戦います。実力者ぞろいですが,そのなかに久しぶりに挑戦に近いところに鈴木九段が入っているのは特筆すべきことです。

 

 

2024年5月30日 (木)

定額減税政策に思う

  今回の減税はあまり嬉しくありませんね。給与所得者の多くは,日頃から税金を源泉徴収されており,納税感が乏しいので,その部分について減税しても,インパクトは小さいでしょう。一人3万円(所得税分)で引ききれなかった場合には,複数月にまたがって引くそうです(このほか住民税1万円の減税もありますが,これは引き方が違っています)。しかも,減税額の明記まで企業に義務づけるとのことです。政府は,減税してあげたから,有り難く思ってねということでしょうが,恩着せがましいです。減税したからといって,すぐに消費にまわるわけでもありません。物価高による家計負担の足しにしてということでしょうが,私たちの多くは賢い消費を心がけて対応しているのではないでしょうか。むしろ,こういう政策をすることで,財政は大丈夫かということが気になるでしょう。
 しかもこれは減税だけではないのです。調整給付と呼ばれるものがあり,税金を支払っていない人や税金額が減税額に足りない人には,お金を配るそうです(1万円未満は切り上げられます)。税金を払っていない人にも金をばらまくのであれば,最初から,減税などという措置をとらなくて,全員にばらまいても同じだろうという気もします。企業に余計な負担をかけているだけです。どうせなら,減税ではなく,全員給付にして,マイナンバーカードと連動させていたら,このカードがもっと普及したかもしれません(昨年6月時点で,だいたい7割程度の普及でした)。もちろん,こんなバラマキをやっていてよいわけはないのですが。
 そういえば,住民税非課税世帯への給付金という問題もあります。日本経済新聞の4月8日電子版における,山本由里記者の「もう一つの「年収の壁」壊せ 住民税非課税が映す不公平」という記事では,富豪の高額のふるさと納税の問題と並び,「豪邸に住み,住民税非課税世帯向け給付金の支給を受ける」という問題を採り上げていました。たとえば不動産や金融資産がたっぷりあっても,就労しなかったり,年金受給だけであったりした場合には,住民税を支払わないことがあるのです。非課税世帯の算定に資産や利子・配当所得を含まないことから,こういうことが起こるのです。住民税非課税世帯イコール貧困世帯ではないということは知っておかなければなりません。ばらまき政策はひどいですが,どうしてもばらまくというのなら,せめてほんとうに必要な人に限定してばらまいてください,と言いたいです。

2024年5月29日 (水)

15年ぶりに経済セミナー登場

 昨日は,台風の影響で暴風警報が出ました。すさまじい雨量でしたが,今日は一転してからっとした好天です。

 ところで,本日,大学で経済セミナーの最新号を受け取りました。慶応大学の太田聰一さんとの対談が掲載されています。「これからの労働市場改革を考える」という特集号のなかの「「日本型雇用」はどこへ行く?」というテーマでの対談です。太田さんとの対談は,たぶん初めてで,オンラインでしたが,とても有意義でした。前に日本労働研究雑誌の編集委員を一緒にやっていたこともあり,太田さんの学識には,いつも尊敬の念をもっていたので,今回の対談が実現してとても嬉しかったです。

 経済セミナーということで読者が法律の専門家ではないことをふまえて,政策論をやりましたが,ただ解雇法制だけはしっかり法律論もやりました。個人的には,いつも述べているように,解雇の金銭解決の議論が進んでいないことを歯がゆく思っており,こういう目立つ媒体でしっかり議論をすることができたことは有り難く思っています。

 経済セミナーの編集長の尾崎大輔さんは,川口大司さんと私が編著者である『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(有斐閣)の生みの親です。出版社が変わったとはいえ,この本には尾崎さんにも思い入れがあったと思います。なぜ解雇規制を問い直す必要があるかということは,対談のなかでふれていますので,ぜひ読んでみてください。

 対談のほかに掲載されている論文では,上記の本の共著者でもある川田恵介さんが,完全補償ルールの実装に向けた課題を論じておられます。完全補償ルールは基本的にはアイデアであり,それを具体的な法規定に落とし込むうえでは,ブラッシュアップの必要があるので,その点については,ぜひ経済学者の方にがんばってもらいたいです。

 このほか,宮本弘暁さんの人的投資の論文も興味深かったです。私たちの対談のなかでも,このテーマについてかなり論じていますが,宮本さんの論文を読むと,いっそう今日の政策課題が浮き彫りになると思います。

 また,フリーランス関係も,これからの労働政策では重要です。この点については,フリーランス協会の平田麻莉さんがしっかり書いてくださっています。そこで指摘されているフリーランス法の課題(社会保険の問題,偽装フリーランスの問題)は,政府にしっかり取り組んでもらいたいです。

 ところで,経済セミナーへの登場は,15年ぶりです。15年前は,会社法の大杉謙一さんと,経済学者の大竹文雄さん,柳川範之さんとの座談会でした。また,このときは同時企画として,法学セミナーにも同じメンバーの座談会が掲載されていました。日本評論社は面白い企画をしましたね。ただ,それ以来,私自身は,法学セミナーには「法学者の本棚」というコーナーのエッセーで登場しただけです(三島由紀夫の本を採り上げました)。あのときのメンバーでもう一度,座談会をやってみたい気分でもありますが,どういうわけか(?)日本評論社の法律系とは縁がないので,別の媒体でやれないですかね。

 

 

2024年5月28日 (火)

名人戦終了

 今期の名人戦は,藤井聡太名人(八冠)の初防衛で終わりました。41敗でした。後手番の豊島将之九段は,どういうわけか振り飛車で挑みましたが,藤井名人は穴熊戦法を採用し,結局,豊島九段からは一度も王手をかけることができないまま,最後は防戦一方となり,ほとんど見せ場をつくれないまま終わってしまいました。藤井名人相手に振り飛車で勝つことが大変であることは,振り飛車の第一人者である菅井竜也八段が,今年1月から2月にかけての王将戦で藤井王将に4連敗したときにある程度わかっていたことですが,豊島九段は何か秘策でもあったのでしょうか。結局は,うまくいかずに完敗となりました。

 これで藤井名人は八冠を維持し,今週末の伊藤匠七段との叡王戦に気持ちよく臨めそうです。現在,12敗(5番勝負)のがけっぷちですが,しのげるでしょうか。

 竜王戦は,決勝トーナメントの進出者がほぼ決まりました。5人が出場できる1組では,6月からの棋聖戦で藤井棋聖に挑戦を決めている山崎隆之八段が好調を持続して1位となり,2位以下は,佐藤康光九段,久保利明九段,広瀬章人九段,斎藤慎太郎八段が進出です。2組からは2人で,佐々木勇気八段と郷田真隆九段が進出です。3組から6組は,各組優勝者だけが進出できて,3組は池永天志六段,6組は藤本渚五段です。4組と5組はこれから優勝決定戦です。前期挑戦者で1組の伊藤匠七段が敗退したのはやや驚きです。康光九段と久保九段に連敗してしまいました。なお今期の1組は,羽生善治九段,豊島九段,永瀬拓矢九段という実力者が2組に降級となる「事件」がありました。1組は初戦から2連敗したら即降級で厳しいです。竜王戦は順位戦とは違うランキングがあり,多様な観点から棋士を評価できるので面白いですね(中村太地八段のように,順位戦は最上位のA級ですが,竜王戦は下から2つめの5組というのは,いくらなんでも問題ですが)。

 

 

2024年5月27日 (月)

テレワークの普及の障害要因?

 一昨日の話の続きですが,出産後の女性の復職の問題を考える上で,やはりデジタル技術の活用と経営者の意識改革が重要だと思います。一昨日紹介した 『仕事と子育ての両立』(中央経済社) の第5章「子育て社員が働く環境」が,これに関係するところだと思いますが,この点には,ほとんどふれられていなかったのは(わずかにテレワークやICTという文言は出てきますが),おそらく日本の企業の現状では,テレワークやそれに適合した職場のデジタル化は,現実の課題として取り組むにはまだハードルが高いのかもしれません。

 私の周辺でも,法学研究科の授業について,意外に若い先生でも,リモート授業に前向きではないという印象を受けています。若いから体力があるということではなく,むしろリモート授業は,授業のパフォーマンスを下げると真剣に心配しているようです。それは理解できないわけではありません。同僚の教員は,高学歴で優秀な人材であり,自分たちがこれまで受けてきた教育は,対面型であったわけです。彼ら・彼女らにとっては,リモート授業は,自分の成功体験をあえて捨てて,あらたなリスクの多い授業方法に取り組むことに思えるのでしょう。また,就職後に授業をするようになって,対面型のスキルをようやく身につけて,それなりに成果をあげてきたという自信もあるでしょう。そのスキルを捨てて,新たなリモート学習のスキルを習得するというのは,それが面倒であるということよりも,当初はおそらくパフォーマンスが下がるので,真面目に良い授業をしようと考えている教員にとっては望ましいことには思えないのです。自分が自信をもってできる対面型の授業を継続したいというのは,教育としての責任感からくるものであり,そうなると,なかなか変化は望めないことになります。

 シニアの先生にも,同様の考え方の人は少なくないと思いますが,そうでない先生は若い先生よりも多いかもしれません(きちんとアンケートをとったわけではありませんが)。自分が学生時代に教育を受けたときから年数が経るにつれ,客観的に自分がやってきた教育方法を振り返り,その反省もふまえて新たなことにチャレンジする意欲をもちやすく,また,おそらくリモートでもやりこなせるという余裕と自信がでてきているからではないかと推察しています。

 対面型にこだわる教員の気持ちもわからないわけではありませんが,だからといって変化をしないというのは,やはり間違いだと思っています。学生にとっての教育の質も,リモート学習で教員がスキルを高めれば,対面型よりはるかに高いものになる可能性があるのです。最初の23年は質が下がっても,たとえば5年後には質が上がるということであれば,全面的にリモート学習に踏み切って,そのためのスキル形成に取り組むべきであると思います。まずはリモート教育・学習のメリットをしっかり検証して,デメリットとの比較をし,そのうえで,前者に舵をきるべきとなれば,学長や理事のリーダーシップが必要です。同様のことは,企業や自治体にも,あてはまるでしょう。

 現在,国会で審議中の育児介護休業法の改正案には,「住居その他これに準ずるものとして労働契約又は労働協約,就業規則その他これらに準ずるもので定める場所における勤務」という文言があり,これが「在宅勤務等」と略称されます。役所の文書では,これがテレワークと呼ばれています。改正案では,3歳未満の子を養育する労働者に対して,事業主が講じる措置(努力義務)のなかにテレワークが追加され,要介護状態にある対象家族を介護する労働者にも同様の定めが置かれています(24条の改正)。まずは第1歩を踏み出したというところでしょうが,今後はテレワークの位置づけをもう少し高めてもらいたいです。政府は「働き方改革の実行計画」のなかの「柔軟な働き方がしやすい環境整備」で挙げられていた「副業」の推奨にあれだけ熱心に取り組んできたのですから,今度はもう一つの柱である「テレワーク」の推奨にもっと取り組んでもらいたいです。

 テレワークの効用については,ぜひ拙著『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』(2021年,明石書店) を読んでみてください。

 

 

2024年5月26日 (日)

大相撲界のスター誕生

 大相撲の夏場所(5月場所)は,新小結の大の里の優勝で終わりました。幕下付出しで入幕7場所目の優勝は,輪島の15場所目を抜く,圧倒的な記録です(なお前相撲からでいうと,先場所の尊富士の9場所目が史上最速です)。今場所をみても,実力は図抜けていて,3敗したのが意外という感じがします。高安,平戸海,豊昇龍に負けましたが,来場所は大丈夫でしょう。名古屋場所(7月場所)で14勝以上の優勝でもすれば,大関に上げてもよいのではないかと思いますが,どうでしょうか。遅くとも九州場所(11月場所)では大関でしょう。怪我さえしなければ,大関は2場所で通過して,来年の大阪場所(3月場所)では横綱ということもありえます。それくらい敵なしの強さです。

 もちろん,大の里の活躍は,横綱,大関陣が弱すぎるということも関係しています。霧島は大関としての実績は何も残せず陥落です。貴景勝は引退間近の力士の雰囲気が出ています。横綱照ノ富士もそうです。照ノ富士はもう十分頑張ったでしょう。琴櫻は11勝で,まずまずの活躍ですが,負けた相撲の印象が悪く,また湘南乃海に変化して勝つなど,大の里が堂々と湘南乃海に寄り切って勝ったのと対照的であり,大関としての力強さはあまりありませんでした。10勝した豊昇龍は,早々に負けが込んでしまい,大の里には勝ったとはいえ,琴櫻以上に存在感がありませんでした。

 熱海富士や豪ノ山のような最近活躍していた若手も負け越してしまい,いっそう大の里の充実ぶりが光ります。

 大栄翔は,関脇にまでは上がりますが,星が安定しません。朝乃山は怪我が多いので,大関復帰は難しいでしょう。むしろ十両優勝した若隆景に期待したいところです。お兄ちゃんの若元春は,途中休場もあり,かつての大関候補としての輝きがなくなってきたので,弟の復活に期待したいです。十両では,このほか遠藤も12番勝って,1場所で幕内に復帰でしょう。宮城野部屋の騒動に巻き込まれた伯桜鵬はコロナ感染などもあり,幕下陥落のピンチでしたが,途中出場でかろうじて関取の地位を守りました。伯桜鵬は,そういえば,昨年の名古屋場所は新入幕で優勝争いをして,幕下付出の入幕4場所目で優勝かということが話題となりました。怪我で十両に落ちてしまいましたが,その間に,尊富士が新入幕優勝をし,大の里が幕下付出の最速優勝をし,追い抜かれてしまいました。大の里ほどではありませんが,三役の常連くらいには上がれる力はあるでしょう。

 

 

2024年5月25日 (土)

『仕事と子育ての両立』

 矢島洋子・武石恵美子・佐藤博樹著『仕事と子育ての両立』(中央経済社)をお送りいただきました。佐藤さんと武石さんからは,いつも「シリーズ ダイバーシティ経営」の著書をいただいており感謝しております。今回のテーマは,両立支援をめぐる課題です。
 先日のこのBlogで,アメックス事件の東京高裁判決を紹介したところでしたので,人材マネージメントの観点から,どういう議論ができるかということに関心をもって,本書を開いてみました。
 アメックス事件は,バリバリのキャリアウーマン(言葉が古いか?)が,妊娠・出産して育児休業から戻ったときに,かつての部署がなくなり,部下のいない部署に移されてしまったというものです。基本給に変化はありませんでしたが(業績連動給は減りました),裁判所は,男女雇用機会均等法や育児介護休業法で禁止している不利益取扱いにあたると判断しました。
 マミートラック(mommy track)の問題は,かつては母親労働者へのサポートという面で肯定的にとらえられた時代もありましたが,その一方で,キャリア展開という点では,不利となりえるという否定的な面もあり,近年では,後者の点が批判されるようになっています。上記の裁判所は,そうした否定的な面を許さないということであり,人事担当者にはショックな判決であったかもしれません。
 本書の第3章「子育て期の女性のキャリア形成支援」が,この論点に関連するところですが,章末のまとめ(POINTS)をみると,次のように書かれていました(93頁)。
 「短時間勤務や所定外労働の制限を活用して就業継続する女性が増加する一方で,企業は,育休から復職した社員の能力開発やキャリア形成支援への関心が弱く,フルタイムでかつ残業を前提とした正社員を主たる正社員層とする人事制度やマネジメントが持続していた。そのため,短時間勤務など両立支援制度を活用している正社員女性は,能力発揮やキャリア形成が困難となり,いわゆるマミートラックにはまる者が増加し,また,周囲で働くフルタイム勤務の正社員との軋轢も高まった。」 
 「女性活躍推進法の施行によって女性の支援課題が両立から活躍に拡大する中で,短時間勤務など両立支援制度を利用する正社員女性の能力発揮やキャリア形成を促すための環境整備の必要性を企業も認識し始めている。企業は,短時間勤務等の両立支援制度を導入するだけでなく,制度を利用する社員が能力を発揮し活躍できるよう,当該社員への仕事の配分,評価のあり方,昇格・キャリア形成の考え方等,制度の運用面の課題の解消に取り組む必要がある。」
 これをみると,アメックス事件が起こる背景的な事情も推測できそうな気もします。実際には,マミートラックの否定的な面の解決は容易ではないのでしょう。
 企業は,女性に活躍してもらうためには,マミートラックを設けて配慮するだけでは十分でなく,その否定的な面にまで配慮して,マミートラックが通常のトラックと変わらぬようなマネジメントをするよう心がける必要があるのでしょうね。そのためには,まず経営陣が,こういう問題があることを自覚しなければならないでしょう。育児介護休業法上の義務をはたせば十分ということではないのであり,より踏み込んだ取り組みが求められるということです。そして,それが不十分であれば,アメックス事件判決のように,キャリアへの配慮の足らない配置が明示的に禁止されているわけではないものの,現行法の解釈として,マミーたちに「不利益取扱い」をしていると評価される可能性があるということです(なお,育児介護休業法や男女雇用機会均等法の指針では,「不利益な配置の変更を行うこと」などは禁止例に挙げられおり,「不利益」性の判断には「当人の将来に及ぼす影響」なども考慮事項の一つにあげられてはいますが,明確性に欠けます)。


2024年5月24日 (金)

西谷敏先生の著作集

 西谷敏著作集第1巻『労働法における法理念と法政策』(旬報社)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。著作集というと,私には,末弘厳太郎,沼田稲次郎,蓼沼謙一,外尾健一といった大先生のものが,まずは思い浮かぶのですが,これから西谷先生の著作集が続々と刊行されることになるということで,とても楽しみです。

 第1巻では,拙著の『AI時代の働き方と法』(弘文堂),『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)で,私が「労働法の終焉」論を唱えていることを批判し,ばっさり斬られています。個人的には,きちんと採り上げてくださることは光栄なことであり,自虐でも何でもなく,ほんとうに有り難いことです。もっとも,私からすれば,「労働法の終焉」という表現はともかく,従属労働論の限界ということについては確信をもっています。従属労働者を保護する労働法というものは,特定の歴史のなかで生み出されてきたものであり,社会における新たな支配従属関係というものへの警戒感をもつことは必要ですが,それは時代とともに変わるので,新しい時代には新しいツールを用意しなければならないのです。規制手法論が重要なのは,その点と関係しており,西谷先生は,ソフトローや手続規制論などに反対されていますが,規制手法の多様化・柔軟化は避けられないものであり,そこには実は従属労働論のもつ限界がすでに現れているのです。

 ところで,本巻の第1章「労働法の理念と政策」の冒頭にあるのは「問題の所在―法学と経済学の論争―」です。この部分は,先生が本書に向けて書き下ろされたものですが,どうも内容が古いと思わざるを得ません。なんとなく20年前の議論状況を前提とした労働経済学批判がなされているような感じなのですが,現在では状況がかなり異なっています。現在の労働経済学は,実証研究が中心ですし,理論研究についても,法学の議論について何が「地雷」であるかを十分に察知して,あまり踏み込んでこない人が多いと思います。つまり,当初の「異文化交流」時期にあった異文化への好奇心と無思慮な介入という段階は終わっており,労働法学に関心のある人は一段階上の協働の作業に入っているし,関心があまりない人は,法学とはあまりかかわらず,ひたすら実証を中心とした労働市場の分析に向かっているような気がします。いずれにせよ,労働法学が危険と感じたような状況はないというのが私の認識です(これが甘いのかもしれませんが)。かつて民法学者のほうが労働法学者よりも労働者寄りであると思ったことがあるのと同じような感じが,最近,労働経済学者にも感じることがあります。労働市場をより効率的にしたほうがよいというのは,確かに変わっていないかもしれませんが,そのためには,むしろ規制をしたほうがよいという考え方もあり,たとえば同一労働同一賃金のための介入は,経済学者のほうがより積極的に主張する傾向にあると思っています。いずれにせよ,「経済学者=規制緩和論=労働法の敵」という図式は,とっくの昔のことではないかと思います(もちろん経済学者にも,いろいろな方がいるのですが)。

 というような感想をもちましたが,だからといって本巻の内容が時代遅れと言いたいわけではありません。デジタル,AI,フリーランス,テレワークなどの最新の動きもフォローされていて,文献も豊富に参照されています。第1巻から読み応え十分です。第2巻以降も,しっかり読み込んでいきたいと思います。

 

 

 

2024年5月23日 (木)

国産コーヒーに期待

 私は毎朝1杯だけコーヒーを飲みます。遅い時間に飲むと眠れなくなるので,ときたまは飲みますが,基本的には控えています。かつては朝でもデカフェ(decaffeinato)しか飲みませんでしたが,数年前からそこまで神経質にはならなくなりました。老化現象なのか,それほどカフェイン(caffaine)の影響を受けなくなったからです。
 近くにコーヒー豆店がいくつかあり,いまはTAOCAという店の地元の特産,六甲ブレンドを愛飲しています。ブラジル(Brazil)・アカウア(Acaua)・natural,エチオピア(Ethiopia)・イルガチェフェ(Irgachefe)・washed,コロンビア(Colombia)・ナリーニョ(Nariño)・washed のブレンドです。コーヒーというと,このようにブラジル,エチオピア,コロンビアなどが有名ですが,昨日,NHKの朝のニュースで,和歌山県の白浜農園でのコーヒー栽培が採り上げられていました。ちょっと中途半端な現地中継でしたが,それはさておき,国産であれば,安定供給に役立つかもしれないと思い,味次第ではありますが,期待しています。品種は「ティピカ」で,これはアラビカの一種ですね。NHKでは,南米原産とされていましたが,もともとはアフリカ由来のはずです。アラビカ種自体は,エチオピア発祥であり,それがいろいろな経緯があって,アジア,中南米などに広がっていきました(大航海時代の影響の一つでしょう)。
 モノを捨てられない性分の私は,コーヒー粕も,不要となったマスクにくるんで靴の消臭用に使ったり,容器(コバエ取りケース)に入れて,部屋の脱臭用に使っています。どの程度,効果があるのか,よくわかりませんが……。

2024年5月22日 (水)

社会福祉法人A事件

 神戸労働法研究会で土岐将仁さん(4月以降,所属は東京大学)に報告してもらったときにも,少し紹介した事件です(千葉地判2023年6月9日)。今回,季刊労働法の最新号(284号)で,土岐さんの評釈が掲載されたので,じっくり読ませてもらいました。労働密度が薄い夜間勤務の時間帯において,その時間帯が労働時間とされたことにより,深夜労働や時間外労働が発生することになったとき,割増賃金の算定基礎はどうなるのかが問題となっています。この問題は,有名な大星ビル管理事件・最高裁判決で,労働時間性の判断枠組みと並び,ほぼ決着がついている論点だと思っていましたが,この判決は,従来の判例に反する判断をしています。

 この事件では,雇い主は夜勤手当を支払っていますが,その額を時間数で割った額(この事件では750円)と原告主張の所定労働時間ベースの額とでは大きく差がありました。法文上は,算定基礎は「通常の労働時間の賃金」ですが,それが何なのかをめぐり争いがあります。最高裁は「当該法定時間外労働ないし深夜労働が,深夜ではない所定労働時間中に行われた場合に支払われるべき賃金」が算定基礎であると述べていますが,労働密度が異なる場合も同じように考えてよいのかは,理論的には問題となりうるところです。本判決は,労働密度が違う以上,所定労働時間の賃金を基礎にはできないとし,夜勤手当を算定基礎としました。
 この論点については,かつて研究会で梶川敦子さんが何度もとりあげて,精緻な分析をしてくださり(季刊労働法221号にも掲載されています),その度に勉強させてもらいました。今回,土岐さんが久しぶりにこの論点を取り上げ,裁判例や学説の状況をきれいに整理してくださって,また勉強になりました。土岐さんは,さらに自説として,労働密度が異なる(薄い)時間の労働について,算定基礎を変動させることは認められるとしたうえで,ただ,そのことが労働者に認識できるようにしておく必要があるとしています(本件では,この点について事業主側に問題がありました)。「通常の労働時間の賃金」は契約で決めることができますが,脱法を防ぐ必要はあるということです。なお算定基礎の下限としては,土岐さんは,所定労働時間の賃金の3分の1という基準もあげています(労働時間規制の適用除外が認められる断続的な宿日直労働に関する許可基準で挙げられている,同種の労働者の所定内賃金の平均の3分の1以上という基準を参照したものです[労働基準法413号,労基則23条]。なお,算定基礎賃金の下限については,最低賃金の規制のあり方とも絡んで難しい理論的課題を含んでいます)。

 このほか,もう一つ興味深い論点があります。時間外労働とは,法律の文言によると,「労働時間を延長」することです(労働基準法36条,37条など)。「延長」を規制しているので,延長の前提となる元の労働時間が何かが重要になります。普通に考えれば,所定労働時間となるのですが,本件のように所定労働時間帯が2つに分割しており(午後3時から9時と午前6時から10時。変形労働時間制が導入されていて,所定労働時間=法定労働時間が10時間),その間に夜間勤務がはさまっている(それが時間外労働であり,かつ一部が深夜労働)という場合,土岐さんが書かれているとおり,午後3時から10時間+休憩1時間が経過した午前2時からが時間外労働となるとする考え方もありえると思います。もしこう考えて,さらに土岐説のように,算定基礎が時間帯によって変わりうるとすると,夜勤手当の対象外である午前6時以降は,所定賃金を算定基礎とすることになりそうです(199頁)。算定基礎の変動を認めるかどうかはさておき,「延長」はどこを起点とするかは興味深い問題です。もし勤務間インターバルの規制が入ると,インターバル後の8時間+休憩時間を経過したところが起点となると考えてよさそうですが,現状ではどう解すべきかは,土岐評釈に刺激されてもう少し検討してみたくなりました。

 そもそも割増賃金の算定基礎という論点は,割増賃金制度における判例が前提とする趣旨(時間外労働の抑制と労働者への補償)からすると,どう解するのが制度趣旨に最も適合的かということをシンプルに議論していくことも必要なような気がしており,今後の課題です。

 ところで『人事労働法』(弘文堂)の発想でいけば,算定基礎の問題は,どうなるでしょうか。拙著では,この論点を扱っていませんが,追記するとすれば,次のようになると思っています。「標準就業規則」では,所定労働時間外の時間帯について,その性質の違い(労働密度の薄さなど)から,特別の手当(夜間勤務手当など)を支払うことにしている場合,割増賃金の算定基礎のデフォルトは,所定労働時間の賃金とすべきですが,納得規範に基づく「就業規則の不利益変更」の手続をふめば(過半数の納得同意を得ることと,少数派には納得同意を得るべく誠実説明すること),特別の手当を算定基礎とすることはできるということになるでしょう(37頁等を参照)。デフォルトは,やはり所定労働時間の賃金となるのです(判例と同旨)。

 なお,私の考えている労働法は,①「おこなわれている労働法」,②「あるべき労働法」,③「デジタル労働法」の3段階があり,労働法実務講義は,①が中心で,ときどき②を,人事労働法は,②が中心で,第10章は③を扱っています。今回の問題は,もし③のレベルで議論をすれば,あまり重要な論点ではなく(契約で自由に決めてよい),自己健康管理をしっかりサポートしようという話になっていきます。

 

 

2024年5月21日 (火)

『講座・現代社会保障法学の論点[下巻]現代的論点』

 大阪大学の水島郁子さんから,『講座・現代社会保障法学の論点[下巻]現代的論点』(日本評論社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。同書には,水島さんの「第5章 働き方の変化と社会保障」が掲載されており,労働法とまたがるもので,後述のように私の文献も引用してくださっていることから,お送りいただいたのだと思います。

 この論文では,働き方の変化からくる社会保障法上の論点について扱われていますが,非正社員の社会保障については,講座の別の論文で採り上げられていることから,本論文では兼業労働者とフリーランスの問題が扱われています。どれも興味深い論点です。

 兼業労働者については,まず労災保険法の2020年改正で,複数事業労働者と複数業務要因災害という2つの新たな概念が登場したことが説明されています。重要なのは,このことが,労災保険の法的性格に変化をもたらしたのかです。労災保険の独り歩き(労働基準法の災害補償責任の責任保険という原点からの乖離)という指摘はつとにされており,実際,通勤災害や障害や遺族補償における年金給付に典型的にみられるように,労働基準法の災害補償責任の枠を超えた補償がなされています。その意味で,労災保険制度が,すでに生活保障機能をもっていることは確かでしょう。ただこれは「おこなわれている法」であり,「あるべき法」としてみた場合,これを労災保険という枠組みのなかで行うことが妥当かが問題となります。労災保険については,使用者(事業主)の集団的責任論としてとらえる見解(ドイツ流のもので,西村健一郎先生らが主張)が有力ですが,こうした事業主全体で責任をシェアすることについては,現行法の説明としてはありえても,こうした責任論を是として,補償の範囲を拡大していくことが妥当かについては,なお検討の余地があると思われます。就労者の生活保障は重要であるとしても,その目的のために必要な制度としては,健康保険の枠内での所得保障もあるし,死亡事故については,厚生年金による遺族補償もあるわけで,そうした関連する制度のなかで労災保険のもつ役割は何かを問う視点が必要となるわけです。そうすると,事業主責任の個別性を重視せず,メリット制のところを配慮するだけで,どんどん責任範囲を拡大していくことについては,これでよいかという疑問も出てくるところでしょう。水島さんは,「本改正は,労働者の生活主体としての側面に着目したものであり,保障についての基本的な考え方を雇用関係ベースから労働者ベースに変更するものといえる」(103頁)と評価されており,法改正の内容を前提とするとそういうことになるでしょう。この改正は,労災保険を労働基準法から一層乖離させることになりそうですが,それは労災保険の発展とみるのか,それとも実は労災保険の独自性を弱め,総合的な事故補償制度の一つに位置づけやすくし,将来的な制度の抜本改革をしやすくする動きとみることもできそうです。これは実務レベルの問題ではなく,労災保険とは何かという本質論にかかわり,すぐれて理論的な問題です。

 雇用保険については,65歳以上の「マルチジョブホルダー制度」以外は,兼業労働者に対応したものは存在していません。水島さんは被保険者資格の拡大を支持されていますが,雇用保険の前提とする生計維持の家庭モデルの古さをふまえると,ここでも生活保障という目的のために最も適切な制度は何かという点から再考すべきでしょう。私たちが『解雇規制を問い直す』(有斐閣)で提案する「解雇の金銭解決」では,事業主に帰責性のある失業については,事業主に費用負担させる解雇保険で対応すべきとしています。一方,労働者からの自発的な失業については,モラルハザードの問題など,制度の根幹にかかわる論点が横たわっています。個人的には,雇用保険が扱っている問題は,事業主帰責の解雇保険と,その他の総合的な所得保障制度に分けて考えるという発想で臨む必要があるのではないかと思っています。また現行の雇用保険制度に付着している育児や介護のときの休業給付や教育訓練給付は,むしろフリーランスを含めて,普遍的に適用されるべき真の社会保障制度の枠内で対応すべきもので,雇用保険制度の枠内で行うことを見直す必要があると考えています。

 次に,フリーランスについては,皆保険・皆年金ということで最低限の保障はあることもあり,水島論文では,被用者保険(社会保険)との関係では詳しい分析は省略されていますが,「私見は,将来的に,社会保障制度を普遍主義的な制度に組み替える可能性まで,否定するものではない」(115頁)と書かれていて,普遍主義の主張として,私の文献を引用してくださっています。心強いです。

 いずれにせよ,労働法と社会保障法は,細かい制度論になると,違いが鮮明になりますが,原理レベルにたちかえり,働く人のセーフティネットをどうするかというところでは,共通性があり,その内容にも相互関連性があります。労働法の研究者であっても,社会保障の問題に関心をもっていかなければならないと考えています。

 

 

2024年5月20日 (月)

脳の活性化

 できるだけ「柔らか頭」をもちたいという気持ちで,ずっと研究をしてきたつもりですが,だんだん年をとると,それも難しくなってきています。脳のなかに蓄積された知識が,自由な発想の邪魔をします。その意味で,子どもがうらやましいです。せめて,子ども向けの番組をみて刺激を受けようと思っていますが,実際,大人でも勉強になるものがたくさんあります。NHKのEテレのお気に入りは,「ノージーのひらめき工房」です。「レッツ」のときは,視聴者参加となります。この番組の刺激を受けて,Amazonなどの空き箱を使っての工作をしたりすることもあります。週1回の番組が楽しみです。「ピタゴラスイッチ」も,必ずみています(同じ内容のものが何度も出てきますが,飽きません)。見逃しても,NHKプラスできちんとフォローします。ビー玉は偉大です。Kugelbahn(ドイツ語で「玉の道」)にもかなりはまっていて,ときどき積み木を組み立てて遊んでいます。毎回違う設計にして,いろんな玉の道を考えているので,ボケ防止に役立ちそうです。 

 それにしても,いまの子は,学習環境が良すぎますよね。NHKの子ども向けの番組やテレビ東京のシナぷしゅなどをみていると,英語は23歳くらいから自然に親しめますし,YouTubeでは,その気になればいくらでもすぐれた学習番組があります。イタリア語も,初歩から勉強できます。むかし,オランダ人が英語が得意なのは,地理的にBBCをいつも観ることができて,子どものときから英語に親しんでいたからだということを聞いて,羨ましく思ったことがあります(もともとオランダ語と英語の言語的な近さもあるのですが)。でもいまや日本にいても,インターネットをうまく使えば,世界中の言語に親しむことができます。それが良いことかどうかはよくわかりませんが,少なくとも学習機会が豊富であることは肯定的にとらえることができるでしょう。
 もちろん,いつも言っているように,外国語はただ話すだけで意味があるのではなく,何を話すかが大切であり,自分の国の言語で考えたほうが深い考察ができることは多いでしょう。

 それでも,いろんな言葉を話すこと自体,楽しいことであるはずです。最近,神戸でも三ノ宮あたりに行くと外国人がわんさかいます。英語はいやですが,イタリア語が聞こえてきたら,思わず「Di dove siete?」(どこ出身ですか)と話しかけたくなります。イタリア語を使っていると,頭が活性化されていき,ボケ防止にもつながりそうです。できれば早く円高になって,イタリアを再訪したいのですが,その前に失効して4年経っているPassport(Passaporto)を再発行してもらう必要があります。ユーロ高がおさまるまでに,戸籍入手も含めて,オンラインで手続を完結できるときが来たらよいのですが。

 

 

2024年5月19日 (日)

名人戦第4局

 名人戦第4局は,別府で昨日から行われ,挑戦者の豊島将之九段が,3連敗のあと,藤井聡太名人(八冠)に,今シリーズ初勝利をあげました。先手の豊島九段は居玉のまま,積極的に攻める戦法をとり,途中までは評価値も優勢でした。ただ終盤で,素人にはわからないような悪手があったようで,評価値は五分に戻ったのですが,藤井名人に緩手があり,最後はしっかり攻めきりました。豊島九段は,最近,負けが込んでいて不調かと思いましたが,名人戦で調子を取り戻した感じです。これで流れが変わるでしょうか。

 藤井聡太王位(八冠)への挑戦権を争う王位戦リーグは,紅組と白組のトップが挑戦者決定戦を戦うという方式ですが,14日,リーグ戦が終わりました。紅組は斎藤慎太郎八段,白組は渡辺明九段が,それぞれ41敗でプレーオフなしで1位となり,両者が戦うことになりました。渡辺九段は,タイトル獲得数は歴代4位ですが,意外なことに王位のタイトルはまだ取ったことがありません。斎藤八段は王座のタイトル1期の実績があるだけです。どちらも王位戦の挑戦自体はじめてです。両者の対決というと,2020年,2021年に2年連続で渡辺名人(当時)に斎藤八段が挑戦するということがあり,いずれも渡辺名人が防衛しています。斎藤八段は,今回の大一番でぜひ雪辱したいでしょう。今期はB1組に陥落して,出直しの1年ですが,最近は好調で,王位戦リーグでも,最終戦は若手有望の藤本渚五段をやぶりました。一方,渡辺九段は,羽生善治九段に負けて1敗しており,羽生九段の最終局は,ここまでリーグ戦全敗の飯島栄治七段が相手なので,悪くてもプレーオフだと思っていたでしょうが,羽生九段が珍しく最終盤で大逆転をくらうということが起きて2敗目となり,渡辺九段の1位通過が決まりました。羽生九段は,森内俊之九段に負けた1敗が痛かったですが,リーグ戦残留をはたしたのは見事です。

 

 

2024年5月18日 (土)

オレは痛風だったのか?

 先週発症した右足のアキレス腱の付け根の痛みは,整形外科医の最終診断は痛風でした。しかし,私は,その診断結果に疑問をもっています。

 振り返ると,連休明けの57日(火曜)に,少し痛みを感じはじめました。触ると痛いので,筋肉痛の一種かと思っていました。でも,違和感はあったので,翌日(水曜)は,鍼に行こうと思ったのですが,うまく予約がとれませんでした。予約がとれる時間をメールで返信してもらっていたのですが,こちらのメール確認が遅れ,その間に別の人の予約が入ってしまいました。その日は,もう普通には歩けずに,足を引きずっていましたが,それでもかなり外で歩いてしまい,症状が悪化してしまいました。夕方に整形外科に予約をしようとしましたが,混んでいるので断念したこと,その晩は痛みでよく眠れなかったこと,翌日(木曜)に行った整形外科(2番目に近いところ)は,保険証を忘れるなどのことがあり,結局,診断を受けることができなかったこと,ただタイガーバームのおかげで夜の睡眠はできるようになったことなどは,前に書いたと思います。その翌日(金曜)は,授業が終わったあとの10時半ごろにすぐに別の整形外科(木曜は休診であった,1番近いところ)に予約を入れたのですが,なんと診てもらえたのは16時近くでした。そのときのレントゲンは異常なしで,そこでさらに血液検査をしてもらうことになり,その結果は翌週ということで,結局,病名は不明のまま週末を迎えました。とりあえずは,ロキソニンを飲んで様子をみるということになりました。

 自己診断は,当初はアキレス腱痛でしたが,その後,痛風かもしれないと思ったのですが,整形外科の金曜段階の診断では,医師の考えている痛風の症状と違うということで,痛風とは診断されず,その可能性があるという程度のものでした。自宅では痛みはかなりおさまっていたのですが,靴を履いて歩くとやはり痛くて,足をひきずらなければ歩けませんでした。腫れはひどく,患部には熱もある状態で,もしかしたら痛風以外の可能性もあると思い,調べていくと,蜂窩織炎という病名にぶつかりました。細菌が足のなかに入り込んで炎症を起こすというものです。ネット上の画像からみても,私の症状とぴったりなので,私の自己診断では,ここで蜂窩織炎となりました。ということで,日曜日にも空いている皮膚科があったので,そこに行きましたが,すでに整形外科にかかっていて,その血液検査待ちであると正直に言うと,その結果を待ったほうがよいという感じで,結局,炎症を抑える薬をもらっただけで,きちんとした病名はわからないままでした。皮膚科の医師が言ってくれたのは,痛風であることは否定せず,ばい菌が入ったかもしれませんという程度でした。

 こちらは病名を知りたかったのですが,それはそう簡単にはわからないということですね。そして,医師から得た情報は,私がネットで調べて得た情報以上のものはなく,結局,この足の腫れと痛みの原因が,細菌か尿酸かはっきりわからないまま(個人的にはビールを飲んでよいのかわからないまま),月曜を迎えました。午後に整形外科に行って血液検査の結果をみたところ,尿酸値はやや高いが,異常値ぎりぎりのところで,白血球数は多く,CRPという炎症の値も高いということでした(その他の数値は良好で,それを知ることができたことは良かったです)。医師は,おそらくは尿酸値を決め手として,痛風だと診断したのでしょう。尿酸値は,それほど高くないのです(医師は知らないのですが,私は25年人間ドックを受けているので,今回の数値はそのなかでかなり低い方の数値でした)が,痛風の発作がおさまると下がることがあるそうです。とはいえ,私の場合,尿酸値が痛風発作でいったん上がったあとサイトカインの影響などで下がったのか,それとももともと低い(それほど高くない)ままであったのかは,はっきりしません。検査をしたのが,痛みがはっきり始まった火曜から4日目の金曜であったので,なんともいえないところです。個人的には,今回の尿酸値だけでは,痛風と診断しきれないのではないかと思っています。

 実は,皮膚科にもらった感染症を抑える薬を飲み始めたところ,腫れは引き,痛みもどんどん軽くなりました。そのため,個人的には蜂窩織炎に対して薬が効いたという仮説も立てなくなりました。ただ,これも,時間の経過により何もしなくても,同様の進行をしていた可能性もあります。飲み始めたのが,痛みが始まった火曜から6日目の日曜だったからです。

 そんなこんなで若干の痛みを抱えながら月曜を迎えましたが,そのころには,テレビ体操も問題なくできるようになりました。ただ,アキレス腱を伸ばすような動きをすると痛みはあり,それが完全に消えたのは昨日(2度目の金曜)でした。

 結局,痛風だったのか,蜂窩織炎などの感染症であったのか,それともアキレス腱の炎症だったのか。皮膚の組織をとればわかったかもしれませんが,そこまでしなくても,わかる方法はないのでしょうかね。個人的には,医師には,腫れ具合や色などで判断して,これは痛風だろうとか,そうじゃないだろうかというような,数値だけではわかりそうにないことで,その経験からくる所見を教えてもらいたかったのですが,やはり見て触っただけでは難しいのでしょう。とはいえ,血液検査をして数値をみたとしても,尿酸値,白血球数,CRP定量だけでは,だいたいの診断しかできないのです。診断とは,そういうものなのかもしれませんね(あまり医師にかかったことがないので,医師に過大な期待をしすぎなのでしょう)。

 今回のことで,医師から,こちらの知りたかったことは何もわかりませんでした。数値で示されても,医師からの説明は説得力があるものではありませんでした。一方,個人でネットで調べたもののほうが,はるかに情報があったのですが,これをどうすれば正しい病名の診断につなげることができるのかが素人にはできません。やはり医師に頼るしかないのですが,実は,どの医師にかかればよいのかも大きな問題です。整形外科(蜂窩織炎には詳しくないでしょう),皮膚科,あるいは今回は行きませんでしたが,内科なども候補にありましたが,それぞれ専門領域のことしかわからないでしょう。

 痛風ならまた発作が起こる可能性があります。私は痛風の経験がこれまでなかったのですが,今回のことが痛風であったのなら,再発を気にしなければならないでしょう。痛みがある間は,どうしようかと思っていましたが,いまはもし痛風でも,そんなものぶっとばせという気分になっています(「喉元すぎれば熱さ忘れる」ですかね)。

 ネット情報といえば,医学的なこと以外に,痛風の予防のこともかなり勉強しました。プリン体が問題であることや,プリン体の多い飲食は何であるかなどの知識はすでにもっていましたが,アルコールの摂取それ自体が,尿酸値を上昇させるということも学びました(厚生労働省のHPから,「アルコールと高尿酸血症・痛風」)。プリン体の少ない焼酎でも,たくさん飲むと,やはり尿酸値を増加させるのです。プリン体の多い食べ物は珍味が多く,また夏にかけてビールを止めることは難しいので,せめて日頃はできるだけ水分をとって,尿酸がたまったとしても,できるだけ尿で排出できるようにするという作戦を採用することにしました。かりに痛風でなかったとしても,これは身体に良いことでしょう。

 

 

2024年5月17日 (金)

レジ係の働き方改革

 日本経済新聞の電子版(515日)で,「座ってレジ接客,人手不足解決に スーパーのベルクなど」という記事が出ていました。これが記事になるのは,日本ならです。
 私がかつて住んでいたイタリア・Milanoの近所のスーパーマーケットでは,レジの店員は当然座っていて,カゴに入れた商品は,客が自らベルトコンベアの上に並べて,それを店員はピックアップしてレジに打ち込み,横に滑らせていき,そこでたまっていった商品を客が自分で回収して袋に詰めます(他の欧州諸国も私の知る限りはほぼ同じ)。ぐずぐずしていたら,次の人の商品がやってくるので,急がなければなります。商品は棒で区切られるので混ざりませんが,焦らされます。
 これが近所のいかりスーパーになると,高齢者の客が多いためかもしれませんが,商品カゴを置くだけで,レジの店員(もちろん立っています)がそれを一つひとつ取り出してスキャンして,それをもう一人の店員(英語ではsacker[袋係])が受け取って,丁寧に袋に詰めてくれます。しかも持ち運ぶときに傾いたりしないように,よく考えて丁寧に詰めてくれます。ときどき研修生がいますが,横でベテランがいて,しっかり指導しています。ベテランは,卵,いちご,ワインなどが混在していても,上手に商品が壊れないように安全に詰めてくれて,まさに名人芸です。楽ちんですが,おそらくイタリア人がこれをみたら驚くでしょうし,(質的に)過重労働だとして労働組合が文句を言ってくるかもしれません。ちなみに,いかりスーパーでは,お客がいなくても,レジ係の人はずっと立っています。余計なお世話ですが,椅子に座らせてあげたいですね。
 客としても,そこまでやってくれなくてもよいです。過剰サービスであり,むしろ労働者が楽に働けるようにしなければ,いずれは働き手がいなくなってしまわないかが心配です。ただその前に,レジ係(英語ではchecker)は,人間がやらなくてもよくなるでしょうが。

2024年5月16日 (木)

日本郵政に未来はあるか

 今朝の日本経済新聞で,日本郵政グループが,金融事業への依存を強めていると書かれていました。もともと郵政は3事業(郵便・貯金・簡易生命保険)で出来ているビジネスで,郵便は赤字で,それを郵貯(金融)とかんぽ(保険)で補うという構造であったのですが,郵貯銀行とかんぽ生命保険は将来的には日本郵政の持ち株を完全売却するということが予定されていて,郵便事業をどう立て直すのかが,日本郵政・日本郵便にとって重要な課題となっています。
 とはいえ,電子メールやSNSの時代において,封書・葉書・切手のようなアナログ媒体はなくなっていくでしょう。役所は簡易書留が大好きですが,ほんとうは必ずしも必要でないものまで書留にしていると思いますし,いずれにせよデジタル化の進行により,残念ながら郵便ビジネスは絶滅に向かいつつあるように思います。宅配などのニーズはありますが,専門の民間業者との競争に勝てるでしょうか。ヤマトや佐川はアプリで荷物配送の事前連絡があるのですが,日本郵便はLINE登録しているものの,事前通知が来ることはあまりないのです(私の設定の問題でしょうかね)。 
 郵便事業の危機は,日本郵便の雇用問題などにも影響するでしょう。同社のHPをみると,臨時従業員を除いても従業員数が171,804名(2024年3月31日現在)という日本有数の大企業です。経営危機になったときの影響は甚大です。
 今日の問題は,森永卓郎氏に言わせれば,アメリカの言いなりになって,小泉純一郎が郵政民営化をやったからだということになりそうです(『書いてはいけない』)が,郵政民営化の功罪についての評価は難しいところです。郵政民営化の経緯において,アメリカが,日本人がこつこつ貯めてきた膨大な郵便貯金に狙いを定め,なんとかそこに自国の金融機関が参入できるようにするためにかけたプレッシャーに負けたということがあるのですが,かりにそうでも,郵政民営化が国民のためになっていたらよいのですが,ほんとうのところはどうなのでしょうか。
 現在,自民党は,郵政民営化法の改正の検討を進めているようです。日本郵政と日本郵便を合併し,郵貯銀行とかんぽ生命保険の完全民営化をやめて日本郵政が3分の1の株を保有し続けることとし,日本郵政への外資規制を導入することなどが内容です。振り返れば,2005年の嵐のような郵政民営化選挙は,刺客の小池百合子の東京進出を可能としたり,自民党の重鎮を落選させたり,その後の政治に大きな影響を与えましたが,あれは何だったのかということを,きちんと総括してもらいたい気もします。あのとき小泉首相と同じ清和会に属しながら一人毅然と反対票を投じた城内実氏(静岡7区)は,その後の総選挙で刺客として送り込まれた片山さつきに惜敗しましたが,その後リベンジをはたし,現在は自民党に復党しています。城内氏が,あのときのことをどのように語っているか聞いてみたいですね。

 

2024年5月15日 (水)

誰のための環境行政か

 日本経済新聞の社説「環境省は真摯な水俣病対応を」(電子版59日)から引用すると,「熊本県水俣市で1日に開かれた伊藤信太郎環境相と水俣病患者らの懇談で,被害者側の発言時間が予定の3分間を超えたとして,同省の担当者がマイクの音を切って発言を遮った」そうです。
 「51日は水俣病の公式確認日である。環境相は毎年この日に水俣市での慰霊式典に出席し,患者団体などと懇談する。担当閣僚が被害者の声に耳を傾ける趣旨の会合なのだ。にもかかわらず,悲痛な思いを述べる発言を一方的に妨げるなど言語道断である。強い抗議が出たのは当然だ。」というように,強い論調で非難されています。
 大臣の帰京のスケジュールを優先したことによるようですが,そもそも役人は「段取りがすべて」みたいところがあり,分刻みでいろんなことを決めているので,3分と決めたら,何が何でも3分でいくということであったのかもしれません。その3分という時間制限も,先例踏襲のようですが,そのときも,次のスケジュールとの関係などから逆算してはじき出すという,より大きな段取りの下で決められていたのかもしれませんね。
 もちろん,段取りどおりに物事を進めることは日本では大事なことであり,たとえば役所関係の会議の司会(座長など)のようなポストにつくと,段取りだけは守ってくれというようなことが言われます。アドリブは厳禁です。タイムキーピングがうまく行かなければ,「司会の不手際で,時間が押してしまい申し訳ありませんでした」と謝罪をしなければなりません。これが,発言の時間が減ってしまった人への謝罪であれば理解できますが,むしろ秩序を維持できなかったことへの謝罪という感じがあり,それは単なる形だけの白々しいものです。
 一方で,偉い人の遅刻は,問題ありません。偉い人が進行を乱しても,役人は何も言いません。また,大臣の発言時間は,(仕事としての)文章を読むだけですから,そもそも時間は厳守しやすいでしょう。最初から不公平にできているのです。もちろん役人の立場からすると,段取りを守り,偉い人に迷惑をかけないことこそ,その中心的な仕事なので,そこは譲れません。
 こう考えると,今回の件では,担当の役人からすると3分でマイクを切るのは当然のことでしょう。3分の時間制限は,さすがに事前に通告していたのでしょうが,だからといって3分というのは厳しすぎるものです。大臣の前で話すなど滅多にないことでしょうし,独特の雰囲気のなかで,お堅い感じの役員の応接を受けたうえで,「はい,お話しください」と言われても,場の雰囲気に慣れるだけで制限時間が終わってしまうことでしょう。どのような話をするかによるとはいえ,私たちのように話すのに慣れている人間でも,事前に準備していても,3分で話をまとめろというのは難しいことです。ましてや素人には無理です。
 もちろん,わざわざ大臣が来てくれているのだから,時間くらいはこちらの言うことを聞けということかもしれません。しかし,むしろ大臣というのは,実際には「顔」にすぎないということを考えると,被害者たちの話を聞くことは「本務」として,たっぷり時間をとってもよいのでないでしょうか。政治家こそ,そういう仕事に向いているのです。しかも,この会合は,水俣病という,環境行政を整備するうえでのターニングポイントとなった公害にかかわるもので,環境省という役所としても最も重視すべきものであったはずなのです。
 ついでに言うと,リモート時代なので,もし大臣が不在であれば困る仕事が東京などであったとしても,それは大きな問題ではないでしょう。よほどのことがないかぎり,画面に顔を見せて,文章を読ませれば済むことなので,リモートで十分です。それよりも,被害者たちの生の話を直に聞くということこそ,対面型でやる仕事なのです。

2024年5月14日 (火)

表現の自由を守れ

  足の痛みはようやく消えました。多少の違和感は残っているのですが,とりあえず普通に歩けるようになりました。(心配してくださった方へ)ご心配をかけました。とはいえ,今回,久しぶりに医療機関にかかり,病名をはじめ,いろいろ思ったことがあったので,これは後日ご報告します。

 ところで,衆議院補選東京15区でのある政党の選挙活動について,他候補の選挙活動の妨害があったとして警視庁に家宅捜索されたと報道されています。公職選挙法225条(選挙の自由妨害罪)は,「交通若しくは集会の便を妨げ,演説を妨害し,又は文書図画を毀棄し,その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」,その行為をした者を処罰とするとしています(2号)。少なくとも演説の妨害はあったようです。「表現の自由を守れ」という私のメッセージは,決して,この政党が「表現の自由」の範囲の適法な行為をしていたとの主張を応援するものではありません。その逆です。表現の自由は,他者の表現の自由を侵害する自由までありません。表現の自由を守るためには,表現の自由の濫用は許してはならないのです。ただ表現の自由の濫用というのは,わかりにくい言い方であり,そこに問題があります。つまり何が許される表現かは,本来は市民社会においてモラルのレベルで各自が判断し,他者への攻撃的な表現は,おのずから限界があることを意識しながら自制的に行うべきであり,また,その行き過ぎは市民社会の力で抑止していくことが望ましいのです。実際,この政党からの候補者は,最下位で落選しており,投票率は低かったとはいえ,一定の市民社会の賢慮が示されたといえるでしょう。しかし,来たる都知事選などもふまえ,これだけでは不十分ということで,政府が乗り出してきて,ある表現が問題であるなどとして処罰するというようなことになってくると,これは危険なことです。「表現の自由を守れ」とは,こういうことに注意せよという意味です。
 表現の自由は誰に対して主張すべきものかというと,それはもちろん第一義的には政府です。公権力による表現の自由の侵害は,思想の自由の侵害と並ぶ最も深刻な人権侵害です。これらの自由は,私たちの自由な社会の根幹であり,これは何としても守らなければなりません。さっそく与党のみならず,一部野党も選挙妨害対策の法改正をするという話が出てきています。一方,立憲民主党や共産党は慎重な姿勢を示しています。選挙の重要性を考えると,うまいやり方があれば,法改正もありだとは思いますが,やはり危険性があり,その点では立憲や共産の慎重な姿勢のほうがよいと思っています。
 
いずれにせよ,選挙妨害をしている動画をネットにアップロードして,それを観て面白がる人たちがいて,それによっていっそう妨害行為がエスカレートするというのは,飲食店で迷惑行為をしているのと変わらないことです。こういうことを「表現の自由」と主張して,私たちの生活において最も重要な選挙の場で行うのは嘆かわしいことです。できれば公権力の手を借りるのは最小限にとどめて,うまく市民社会の手で対応できることを願いたいです。選挙妨害行為だけに目を奪われるのではなく,それに対して,公権力がどのように対応しようとするかを注視することが重要です。

 

 

2024年5月13日 (月)

愛着理論と社会保障

 昨日の愛着理論の続きです。フリーランスの時代においてなぜ社会保障が重要かというと,それはたんに雇用労働者との間に格差があるだけではありません。社会保障は,英語ではsocial security です。Security には,安全や保障という意味もありますが,主観的な安心という意味もあります。乳幼児が親の愛着があってこそ精神的に安定して,より積極的にsocialな活動に踏み出せるという話は,親を政府に置き換えると,フリーランスの社会保障に応用できそうな気がします。国民がさまざまな仕事をしていくうえで,セーフティネットを充実させることは,安心していろんなことにチャレンジしていくうえでの基礎となるのです。これは国の経済政策においても考慮すべきことでしょう。
 そもそも雇用労働者の場合には,労働法によってsecurityが与えられていますし,手厚い被用者保険もあるので,フリーランスに対してこそsecurityが大切といえます。独立してやっていくためには,政府による精神的・物的な安心の提供が必要ということです(加えて,地域社会や仲間たちとの共助共済も大切です)。
 もちろん,乳幼児ではないので,本人の自助は必要ですが,その自助が実現できるようにするためにも,安心の制度的な保障(セーフティネット)が必要なのです。今日言われている社会保障の見直しに,こういう視点があればよいなと思います。その原点が,乳幼児の愛着にあるというのは突飛な考えでしょうか。
  社会保障の中核にある社会保険は,強制保険である点で,しばしば父権主義(paternalism)によるものとも呼ばれ,個人の自己決定や選択の自由を重視する立場から批判の対象となってきました。社会保障を,父権的な強制保険ではなく,母性主義(maternalism)により個人に安心感を与える公的扶助を中核に据えることにしてはどうでしょうかね。もちろん,甘えさせるだけではダメというのは,人間の育児と同じですが,安心をベースにした自助ということであれば,それが理想でしょう。母性主義というと,母親へのサポートという話になりがちですが,ここでは,父権主義との対比で,母性的なアモーレで個人に寄り添うということなので,意味がまったく異なります。
 「母の日」の余韻のなかでの「甘ったるい」話かもしれませんが。

2024年5月12日 (日)

母の日

 母の日です。井上陽水の「白いカーネーション」のことを書こうと思ったのですが,前に書いたことがありそうだと思い,調べてみると,2年前のBlogに,次のようなことを書いていましたので,再掲します(少し訂正を入れています)。

「いまの子どもたちは,レコードプレーヤーで音楽を聴いていた時代のことなど,想像もつかないかもしれませんね。中学生くらいになってから,家に新しいステレオが届いたのをきっかけに,おこづかいでレコードを買って聞くようになりました。当初はフォークソング,とくに吉田拓郎のものばかりでしたが,一つだけ井上陽水のものをもっていました。それは,自分で買ったものではなく,年長のいとこからもらったものなのですが,陽水がアンドレ・カンドレから井上陽水という名になって2枚目のアルバムの「陽水 センチメンタル」でした。これは何度も聞きましたね。ギターの練習によかった「東へ西へ」もありましたし,「夏まつり」も耳に残っています。子どものころは,陽水の曲は,心にしみるということはなかったのですが,年を重ねていくと,陽水はいいなと思うようになってきました。
 「センチメンタル」に入っている曲に「白いカーネーション」があります。短い曲ですが,頭に残っています。今日は母の日なので,ついつい私も口ずさんでしまいました。もうレコードは手元にありませんが,YouTubeで聴くことができました。とても懐かしかったですね。私の世代より上では,私と同じように思わず口ずさんでしまう人も少なくないのではないでしょうか。
 白いカーネーションという花は,亡くなった母を偲ぶものだそうですが,陽水の曲でもそういう意味で,あえて「白い」と言っているのかはよくわかりません。ただ,歌詞のなかにある「どんなにきれいな花も,いつかはしおれてしまう。それでも私の胸にいつまでも」というのは,亡き母のことをいつまでも思っているという意味で理解することもできそうです。
 私自身,この年齢になっても,9年前に亡くなった母のことを,いまでもときどき思い出すことがあります。母は偉大です。世間では,幼いときに死別したり,虐待などで離別せざるを得なかったりという理由で,母親の愛情に十分にふれることができていない子どもたちもいるでしょう。母の日が,赤いカーネーションを贈ることができない境遇の子どもたちのことを考える日でもあればと思います。」

 ということで,以上のようなことを書いていたのですが,母が亡くなったのが9年前というのは,いまでは11年前になります。
 ところで,最近「attachment」(愛着)という言葉をよく耳にします。愛着理論は,乳幼児期に,どれだけ親(とくに母親)と触れ合っていたかが,その後の性格形成に大きな意味をもっているということのようです。乳幼児はとても弱い存在で,多くの危険にさらされています。不安に感じることが多いので,泣き叫んだりもするのです。そのときに,ぐっと抱きしめてくれる人が近くにいてくれれば安心します。そして安心できるから,外界に向かっての冒険もできるようになるのです。つまり「愛着」があるからこそ,子どもは精神的に安定し,社会性を身につけていけるのです。「愛着」を与えるのは,肉親でなくてもよいのかもしれません。でも肉親のほうが,より深い愛情を注げる可能性が高いでしょう。私たちは,親からそういう愛情を注がれて育ててもらったことに感謝し,同時に,親からそういう愛情を注いでもらう機会が何らかの理由でない子に対して,きちんと「愛着」のための手を差し伸べられる社会をつくらなければなりません。

2024年5月11日 (土)

名人戦第3局

 将棋の初心者の戦法に棒銀というのがあります。銀をどんどん繰り出していくのですが,これが結構,強力であり,受け方を間違えると,ボコボコにされます。ただ攻めは単純なので,素人どうしでは,よく出てくる戦法ですが,プロではまず成功しません。ところが,それが名人戦第3局に,あの藤井聡太名人(八冠)が採用したというのですから驚きです。もちろん一直線の攻めが成功したわけではないのですが,あっという間に優勢になってしまい,2日目(名人戦は2日制)は,挑戦者の豊島将之九段がほとんど見せ場をつくることができませんでした。最後は少し早いようにも思えましたが,ぽっきり折れたように投了となりました。これで藤井名人の3連勝です。この対局をみると,ここから4連勝して豊島九段が名人位を奪還する可能性はほぼないと言えそうです。あとはなんとか1勝できるか,というところでしょうか。

 ところで,2日前に書いた私の足についての話の続報です。昨日,医者に行くことができたのですが,これがまたちょっと大変でして,授業が終わった直後の10時40分くらいにすぐにオンラインで予約をいれて22人待ちということで,ずっと待っていたのですが,結局診察をしてもらえたのが15時30分くらいで,自宅に帰ってきたのが16時30分でした(一人の診察に20~30分くらいかけている感じです)。オンライン予約は,残り2人になるとメールで呼び出しがあるのですが,その呼出が来てあわてて行ってから(自宅から普通なら2分。足をひきずっているので5分くらい),さらに1時間くらい待たされました。丁寧に診察する先生なので仕方がないとはいえ,これではちょっと困りますね。あげくに,痛風という診断はしてくれず,血液検査の結果を待ちましょうということで,結局病名はいまなおよくわかりません。すでに今日の段階で,痛みは大幅にひいているのですが,くるぶしが腫れて紫色の状態は変わらず,これはなんだろうということが,血液検査の結果がでる1週間後まで不明というのは困ります。痛風ならビールを控えることから始めようということになりそうですが,違う病名であればまた違った対応になります。根本的には,ビールが飲めるかどうか知りたいということなのですが,飲めないなら焼酎中心に変えますし,ワインはどっちにしても飲むでしょう。

2024年5月10日 (金)

みなし労働時間制に関する判例についての拙著の追記・訂正

 協同組合グローブ事件の最高裁判決が416日に出たこともあり,次のビジネスガイド7月号の「キーワードからみた労働法」の第204回では,「事業場外みなし労働時間制」をテーマに取り上げています(すでに脱稿済み)。
 その執筆のために,事業場外みなし労働時間制をめぐる裁判例を,もう一度,調べていたら,基本的には,阪急トラベルサポート〔第2〕事件判決以降は,同判決を明示的に参照するかどうかはともかく,それを意識した判断をするものが多く,とくに業務内容の事前の特定があり労働者の裁量が限定され,業務遂行中の指示などが可能で,事後に日報などの提出で業務内容や遂行方法が把握できる場合には,「労働時間を算定し難いとき」には該当しないとする傾向にありました。今回の協同組合グローブ事件の1審判決(おそらく高裁判決)も,この傾向に乗ったように思えますが,日報が重視されすぎていて,事案としては,阪急トラベルサポート事件判決やこれまでの下級審裁判例との比較でも,「労働時間を算定し難いとき」に該当するかどうか微妙であったと思います(最高裁は,日報の正確性の担保についての検討が不十分としていますが,そもそも日報があるということで勤務の把握が可能と判断してよいのかという問題もありそうです)。とりあえず,『労働法実務講義(第4版)』の読者の方は,情報をアップデートするために,666頁の阪急トラベルサポート〔第2〕事件の最高裁判決を紹介している部分の最後(下から12行目の文末)に,次の1文を挿入しておいてください。

「その後の裁判例でも同様の判断がされていますが,企業コンサルティングの営業職において,業務内容について労働者側の裁量により決定ができ,業務中の個別の指示や業務後の報告も簡易なものである事案では,「労働時間を算定し難いとき」に該当するとした裁判例があり(ナック事件・東京高判2018.6.21),さらに,外国人技能実習者の指導員のように,業務内容が多岐にわたるもので,業務中に随時具体的な指示があったり報告をしたりされておらず,事後に提出される日報についても客観的な正確性の担保ができていない場合には,「労働時間を算定し難いとき」に該当しない可能性があります(協同組合グローブ事件・最3小判2024.4.16を参照)。」
 裁判例としては,医薬品会社のMRに関するセルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件のように第1審と控訴審との判断が分かれるものもあり,今回の最高裁判決だけでは,今後の見通しは不透明です。「おこなわれている労働法」の解説を中心とする『労働法実務講義』では,現時点で,この論点に関する判例の動向について書けることには限界がありそうです。
 なお,ここで言及したナック事件については,667頁の1行目の「ただし,」から始まる文章で引用しており,そこでは,携帯電話使用の場合についても経済的負担がある場合などには,なお「労働時間が算定し難いとき」にあたるとした裁判例として紹介していますが,これは1審に関するもので,控訴審の判断として紹介すべきではないので削除をお願いします。
 「キーワード」の原稿では,テレワークへの事業場外みなし労働時間制の適用に関する若干の私見も,最後に述べています。
 協同組合グローブ事件・最高裁判決は,もし『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)で情報をアップデートするとすると,102頁の101事件(阪急トラベルサポート〔第2〕事件)の解説の第2段落の最後に,次の1文を追記することになると思います(本の性質上,若干,『労働法実務講義』と内容を変えています)。
 「その後の裁判例も同様の判断をする傾向にあるが,業務内容が労働者側の裁量により決定でき,業務中の個別の指示や業務後の報告も簡易なものである事案では,みなし労働時間制の適用を否定した裁判例があり(ナック事件・東京高判平成30621日),さらに,外国人技能実習者の指導員において,業務内容が多岐にわたり,業務中に随時具体的に指示を受けたり報告をしたりしていなかったことから,使用者の勤務状況の具体的把握が容易でなかった事案で,業務日報による確認に基づき「労働時間を算定し難いとき」に該当しないとした原審について,業務日報の正確性の担保に関する具体的な事情の検討が不十分であるとして,破棄・差戻しをした最高裁判決がある(協同組合グローブ事件・最3小判令和6416日)。」
 『最新重要判例200労働法』の次版では,協同組合グローブ事件の差戻審の上告審が登場すれば,その判断しだいでは,阪急トラベルサポート〔第2〕事件との判例の入れ替えも検討し,解説もテレワークなどについての記述をもっと拡充して,政策へのインプリケーションを追記できればと思っています。
 なお同書でもナック事件について,上記と同様の記述がありましたが,携帯電話使用等の場合の経済的負担等を考慮するという考え方はありえるので,完全に削除はせず,次のように訂正したいと思います。よろしくお願いします。
  同頁(102頁)の解説における第4段落の2行目の「裁判例には,」を削除,7行目「ものもある」⇒「考え方もある」とし,「(ナック事件・東京高判平成30621日)」を削除。

 以上の情報は追記・訂正の情報は,私のHPにも掲載しています。
 

2024年5月 9日 (木)

足の痛み

 2日前から,右かかとの上部が痛くなって,昨日は足を引きずらなければ歩けなくなりました。左の膝にも負担がかかっていて,ちょっとピンチです。昨日の夕方,近所に2つある整形外科に電話したのですが,どちらも混雑していて,診療時間内に診てもらうことは無理そうでしたので,翌朝に行くことにしました。一つは今日は休診でしたので,残りの一つに行ったのですが,なんと……。元気なときには23分くらいで行ける距離ですが,足をひきずりながらなので10分近くかかり,ようやくたどりつき,受付に診察券を提示して,これでよいと思っていたら,以前に来たときから時間が経っているので保険証が必要ですと言われました。受付だけはするので,保険証を取ってきてもらえますかと聞かれたのですが,あの痛みのなかで,さらに往復する気力はありませんでした。タクシーを使うような距離でもなく,また乗っても歩く部分は結構残ってあまり意味がないので,自費にしようかと思いましたが,今度はこの医院ではクレジットカードが使えないということで,日頃は数千円しか持ち合わせていないので(いくらくらいかかりますかと聞くのも変ですし),急速にこの医院で診てもらう気持ちが失せて,結局,帰ってきました。医者に日頃かかることがなく,行こうとしていた医院の診察券をみつけて喜んでしまい,保険証をもっていかなかったことは,こちらのミスでした。確かに月に1度は保険証を提示するというのは,医院によく行く人には常識なのです。でも,そういう人なら,たまたま忘れても,あとでもってきてくれればよいと言ってもらえるかもしれませんが,こちらはめったに医者にかかることなどない「悪い客」ですから,そういう特別待遇はしてもらえないのでしょう。せめて自費診療対応でクレジットカードくらい使えるようにしていてほしいなという,ちょっと逆ギレ的な気分にもなりましたが,どうしようもありません(カスハラになりそうでした)。はやくスマホに保険証を組み入れてほしいです。結局,今日は我慢して,明日,より近所の整形外科のほうに行くことにしました。

 昨晩は痛みで寝ることができず,これがもう1日あるかと思うと辛いのですが,まずは自力でやれることをやろうと思い,ネット情報で(危険な)自己診断を試みました。どうも,これはアキレス腱の炎症による痛みであり,この診断が間違っていなければ医者に診察してもらっても,たいしたことはしてもらえないと思い,それなら無駄なお金を使わなくて済んだと自分を納得させていました。そこで,ロキソニンを飲み,炎症を抑える(腰痛にはとても効果のある)湿布を貼りました(ニオイは強烈なので,家の外では使いにくいですが)。しかし,痛みはひかず,くるぶしが腫れ上がってきました。これはアキレス腱の炎症ではないと思い,今度はネットのAI診断を利用しました。2度目の利用です。前は症状が微妙であったこともあり,当たらなかったので,半信半疑でしたが,とりあえず利用してみようと思いやってみると,結構,あてはまる症状などがあって,それをクリックしていくと,痛風か偽痛風のどちらかの可能性が高いという診断結果にたどりつきました。その後もネットで確認作業をしましたが,たぶん痛風だろうと自己診断しました(尿酸以外による同様の炎症の偽痛風か,細菌による炎症の可能性もありますが,もともと尿酸値が高く,くるぶし付近にも痛風はでるということなので,まずこれだろうと思いました)。診断結果の正否はわかりませんが,明日,整形外科医のところに行って確かめたいと思います(1限から授業があり,午前中にうまく予約とれるか心配ですが)。とりあえずは再度ロキソニンを飲むことにしました。

 家庭内の歩行もたいへんなので,早速,アマゾンで杖を注文しました(今日は傘で代用しました)。日課のテレビ体操は,椅子に座っている人向けの体操をはじめてやりました。下半身を使わない体操は,負荷が小さいですが,やらないよりマシでしょう。仕事は,リモート中心でやらせてもらっているので,穴をあけずにすみました。テレワークは,歩行弱者の強い味方であることも再確認できました。

2024年5月 8日 (水)

井上はやはり強かった

 連休最後の日は,Amazon Prime Videoで,スーパーバンタム級(Super Bantamweight)の4団体のチャンピオン井上尚弥と,日本人からすると因縁のあるLuis Neryの戦いを堪能しました。i井上の初回のダウンには驚きましたし,すぐに立たなかったので効いていたのかと思いましたが,試合後に,エイトカウントまで座って休むという準備をしていたと話していました。プロになってダウンをしたことがなかったモンスターでしたが,もしダウンしたらどうするかというイメージトレーニングをしていたというから驚きです。真の強者は,ここまで周到に準備するものなのですね。この危機を乗り切ってからは,Neryのパンチを見切って,あとはいつ仕上げるかという勝負になっていきました。6ラウンドのノックアウトで,Neryを沈めました。

 日本の歴代のチャンピオンのなかでも有数の実績を誇っていた山中慎介がNeryによりタイトルを奪われ,Neryのドーピング疑惑があって再戦となりましたが,体重オーバーになったとき,山中の雪辱を信じていたファンたちは怒り心頭でした。とりあえず試合はしましたが,山中は敗れてしまいました(減量をしていない選手と戦うのは圧倒的に不利です)。これでNeryは永久追放となったはずなのに,また舞い戻ってきたということで,井上には山中の無念を晴らしてほしいというファンのプレッシャーがあったことでしょう。もっとも井上は,純粋にNeryとの戦いに向き合っていたようで,余計な雑念を入れなかったところがまたすごいです。この集中力は見習いたいですね。

 井上・Nery戦のインパクトで印象が弱くなりましたが,その前の試合のWBO世界バンタム級(Bantamweight)のチャンピオンJason Moloneyと挑戦者武居由樹との戦いもすごかったです。無敗だけれどボクシング経験は浅く9戦目の武居と,相手はベテランのチャンピオンのMoloney。井上に挑戦したが敗れていたMoloneyは,井上が階級を上げたために返上したベルトをとり,今回が2度目の防衛戦でした。しかし武居は強かったです。勇敢に攻めていき,ボディも効果的でした。ローブロー(low blow)を最初はレフリーに厳しくとられていましたが,おそれずにボディを打ち続け,途中からはローブローはとられなくなりました。それまでの貯金から,最終の第12ラウンドは,逃げ切れば勝ちというところでしたが,さすが王者のMoloneyは,スタミナ切れの武居を一方的に打ち続け,最後の1分は防戦一方で,観ていた人はみんな武居がんばれと応援したことでしょう。彼はぎりぎりのところで立ち続け,判定勝ちにもちこみました。最終ラウンドを除くと,ほとんど武居が攻勢かイーブンであり,Hometown Decisionではなく,文句なしの武居の勝ちといえるでしょう。

 殴り合いのスポーツはどうかという気持ちはいつも持っているものの,それでも観てしまうのは,男たちの人生をかけた真剣勝負に魅了されるからでしょうね。

 

 

2024年5月 7日 (火)

東野圭吾『白鳥とコウモリ』

 東野圭吾『白鳥とコウモリ』(幻冬舎)を読みました。かなり面白かったです。『容疑者Xの献身』を読んだときに近い読後感であり,上巻の途中から,読むのを止められなくなりました。連休中のやや余裕があるときだったので,よかったです。以下,ネタバレ注意。

 2017年,東京の竹芝桟橋近くで,弁護士(白石健介)の刺殺死体が発見されました。通りがかりの殺人ではなさそうですが,弁護士ですので白石を恨む人が皆無ではないとしても,殺意までいだくような人物は浮かんできません。そんななか,白石の携帯電話の履歴から,愛知県に住んでいる倉木という人物が浮かびあがりました。倉木は,当初は警察に対して,白石には遺産相続についての相談をしただけと言っていたのですが,突然,白石殺害を自供しました。その自供は,1984年の別の殺人事件についての自供も含んでいました。1984年の事件は,金融業者である灰谷という男が事務所で刺殺された事件でした。容疑者として逮捕された福間は,獄中で自殺していました。倉木は,犯人は自分であり,福間は冤罪なので,その贖罪のために福間の遺族である浅羽母子(洋子と織恵。旧姓に戻している)に遺産を渡したいが,自分には相続資格のある息子の和真がいる(倉木の妻はすでに死亡)ので,どうすればよいかということを白石弁護士に相談したところ,殺人については時効がきているが,家族には真実を告白するように強く迫ってきたので殺害したというのです。動機もあり,犯人しか知らない「秘密の暴露」もあったので,倉木が犯人であることは疑われず,これで白石弁護士殺人事件は一件落着となったのですが,担当刑事の五代は違和感をもっています。元の被害者であるはずの浅羽母子も,倉木に恨みを感じているようなところがありません。殺人犯の家族ということでつらい目にあってきたにもかかわらずです。それどころか,浅羽の娘の織恵は倉木に恋愛感情さえ抱いていたようです。一方,同じく被害者家族である白石の娘の美令も,倉木に対して父の健介が語ったとする内容に違和感をもちます。白石弁護士は,相談者に強く迫ったりすることはせず,つねに寄り添う姿勢をとっていたからです。さらに倉木の息子の和真も,日頃の倉木の言動から,父が殺害行為をしたことが信じられないと思っています。和真は,一流企業で働いていましたが,殺人犯の息子ということでマスコミが騒ぐので,会社からも自宅待機を命じられます。その間に和真は,真相解明に動き出します。
 裁判では,倉木が自供して事実を争わないので,あとは情状酌量だけの問題となります。国選弁護人の堀部は,和真が父の自供の信憑性にいだいている違和感について,真剣にとりあってくれません。和真は父から直接話を聞きたいと思っているのですが,父は頑なに面会を拒否します。
 白石美令は,被害者参加制度を利用することにしますが,担当してくれる元検事の弁護士との間で方針が食い違います。検察側は,もちろん倉木を死刑にしようと考えていますし,美令の母もそれを望んでいますが,美令は真相にこだわります。容疑者が自供しているなかでは,司法手続で真相を明らかにすることができないというのが,この事件のポイントです。そこで美令もまた,真相をつきつめようとします。
 こうして加害者側の家族の和真と被害者側の家族の美令がそれぞれの立場で真相を追求するのです(やがて協力しあうようになります)が,徐々にいろんなことが明らかになってきました。美令は父の健介の若いころをたどるなかで,健介の父は離婚していて,健介の実母は愛知で一人に住んでいたこと,健介は継母の下で育てられたが,大学生になってもこっそり実母に会いに行っていたこと,資産はあった継母ですが,金融業者にだまされて大金を失っていたこと,そして,その金融業者こそが,1984年に倉木が殺したと自供した灰谷であったことです。美令は嫌な予感がします。
 一方,和真は,灰谷の殺人事件のあった515日から数年後の同じ日に,倉木が新居に引っ越しをしようとしていたことに違和感をもちます。もし殺人を悔いていたら,その日に人生の夢であった新居への引っ越しなどをしようとするはずがないからです。さらに,1984年の殺人事件では,倉木も灰谷にからまれて迷惑を受けていたり,殺害現場近くにいたりしたので捜査線に上がったのですが,倉木にはアリバイがあって捜査対象から早々に外されていたというのです。当時の捜査資料などはほとんどなくなっていたのですが,わずかな証言から,灰谷殺害事件で倉木がシロである要素が次々と出てきます。
 和真は,父が誰かをかばっていると考えるようになりますが,堀部はとりあってくれません。本人がやったといっている以上,国選弁護人としてはどうしようもないということでしょうし,そこからさらに真相を追求してもしかたがないのでしょう。
 しかし実は,被害者と加害者が逆転するというドンデン返しがありました。ガンに罹患していて死期が近いと感じていた倉木は,誰かを庇っていました。なぜ庇ったのでしょうか。そして,白石の家族,福間・浅羽の家族は,結局,加害者側,被害者側のいずれであったのでしょうか。灰谷だって,被害者でありながら,加害者であったといえそうです。
 白石健介殺人の犯人は,福間(浅間)の孫の安西知希(14歳)でした。知希の母の織恵は,財務官僚と結婚していましたが,父が殺人犯であることが知られるようになり,結局,離婚し,知希は元夫のところに引きとられていましたが,ときどき会っていました。浅羽母子は東京の門前仲町で小料理屋「あすなろ」を営んでいましたが,倉木は被害者家族のことが気になって,身分を隠して年に数回,息子のところに行くついでに,客として行くようになっていました。そこで倉木は織恵と親しくなり,織恵は二人のホットラインのために倉木にスマホをプレゼントします。倉木はそれをつかってインターネットにアクセスしていて,白石が弁護士をしていることを知り,白石に会います。また,倉木は,織恵に1984年の事件の真犯人は彼女の父の福間ではなく,白石であることを伝えるために,スマホでメールを送ります。知希は,倉木が織恵に送ったそのメールを盗み見て,白石が灰谷殺しの犯人であることを知り,復讐したのです。加害者(福間)の家族から,一転して被害者側(冤罪犯の家族)となり,しかし白石殺害によって再び加害者になるという急転回です。ただ,冤罪犯の家族であり,父の仇討ちをしたともいえるわけで,同情の余地があると思わせながら,ここでもドンデン返しがあり,知希の動機は違っていたというおまけまでついていました。
 自供は危険ということを教える小説でもあります。倉木は,白石を殺害する前にプリペードの携帯電話をつかって彼を呼び出し,そこで殺害し,証拠隠滅のために携帯電話を捨てたと述べていました。しかしそれならば周囲にいくらでもあった公衆電話をつかって呼び出せばよかったのです。倉木は自身の携帯電話を捨てたと主張しているので,この供述の物的証拠はありませんでした。しかし,ここに盲点があったのです。倉木は,白石殺害の犯人が織恵ではないかと思い問い詰めたところ,知希がメールをみていたことを知り,知希が自身の犯行であることを認めます。倉木は,なんとか織恵のためにも知希を守ろうと考えます。刑事から公衆電話を使えば,街中の監視カメラがあるので,すぐに犯人がみつかると聞いたので,知希を守るために上記のような供述をしたのです。案の定,警察は監視カメラで調べれば知希が電話をしていたことがわかり,本人を問い詰めると,あっさり自供しました。
 倉木は事件の真相を知っており,それを隠蔽するために,自身に罪が及ぶような完璧なストーリーを構築し,そのとおりに自供をしていました。すでに犯行を知っているので秘密の暴露は容易で,都合の悪い証拠は破棄したことにしておけば,警察はだまされてしまうということですね。動機にやや弱いところがあっても,それなりの筋があれば,信じてしまうということです。実際の警察はそう簡単には騙されないだろうと思うのですが,その違和感は,検察や国選弁護人が手っ取り早く事件処理をしようとするという話を盛り込んで,無理のないようにストーリーを展開していました。『沈黙のパレード』では,関係する者が全員黙秘したケースでしたが,今回は完全な自供をしたケースを扱っており,この点も興味深かったです。

2024年5月 6日 (月)

労働新聞に書評掲載

 労働新聞の令和6年5月13日号の「書方箋 この本,効キマス」に,浜田冨士郎先生の『リンカンと奴隷解放』(信山社)について書かせてもらいました。依頼が来た時に,締切日に余裕がなかったので,自身の手元にある本の中から選ぼうと思い,書棚をながめているときに目に飛び込んできたのが,この本でした。2022年刊行の本でしたので,少し古いかなと思ったのですが,個人的にはたいへん勉強になったので,書評というよりも(きちんと書評する能力も資格もありませんので),僭越ながら紹介をさせてもらいたいという気持ちで採り上げました。
 改めて読んでみて,アメリカのことに関心が深まりました。アメリカの州の位置も再確認し,日常のニュースや映画でも,州の名前が出てくると,それはどのあたりかということもわかるようになってきました。奴隷州であった南部諸州は,やはり人種差別は,いまなお大きな問題なのでしょう。
 本書はタイトルにあるようにリンカンが主役なのですが,私は,浜田先生がリンカンの業績を単純な英雄譚とせず,一人の誠実で,信念があり,しかし野心もある政治家かつ法律家のリンカンの英雄らしからぬ人生に深く共感しながら,同時に少し突き放した視線で客観的に描こうとされたのではないかと感じたのですが,それはまったくの的外れな指摘かもしれません。
 いずれにせよ,黒人奴隷という人類史に残る過ちをおかし,まだ贖罪もはたせていないアメリカが,民主主義や平等の理念を声高に掲げることへの違和感をもったり,その偽善性に対する感情的な反発をしたりするのは,誰でもできる非知性的な行為であり,本書のように,なぜアメリカがそうであるのかを冷静に分析していこうとする姿勢こそ,まさに研究者ならではの知性的な業績なのでしょう。とりわけ憲法などの法的背景や政治的な動きが克明に描かれていて法律家にとっては興味深いところが多く,さらに大統領になったあとの南北戦争の前夜から奴隷解放宣言,さらに戦争終結に至るまでのスリリングな展開は,格調高い浜田先生の文体とみごとなハーモニーを奏でていて,サスペンス作品のような面白さもありました(もちろん,前半は奴隷制度の教科書としての意味もある教養書でもあります)。このことを書評に書いたほうがよかったのかもしれませんが,字数の制約もあったので,ここで補足させてもらいます。ぜひ多くの方に読んでもらいたい本です。

2024年5月 5日 (日)

低投票率を嘆く前にやるべきこと

 1週間前の日本経済新聞の記事「衆議院3補欠選挙,投票率過去最低を記録」によると,そのタイトルどおり,「衆院3補欠選挙の投票率は,東京1540.70%,島根154.62%,長崎335.45%となり,いずれも過去最低を記録した」そうです。選挙区がなくなることになっていて,野党どうしの対決となった長崎3区はさておき,自民と立憲の一騎打ちとなった島根1区でさえも55%程度で,全国の注目を集めた江東区の東京15区は40%そこらというのは,この選挙の結果の民主的正統性が疑われそうな数字です。島根1区は県庁所在地の松江市を中心とする選挙区で,島根県民の関心の低さが嘆かわしいですし,東京都の江東区は,自民不在の乱打戦という感じで,激しい選挙妨害があったことも含め,情けない選挙であったと思います。
 ただ投票率が低いことについては,有権者の意識の低さを指摘するだけでは不十分です。今回の選挙はわかりませんが,直近の選挙で私が経験したことでいえば,投票所に行くと,紙と鉛筆を渡され,候補者の名前を手書きし,自分で投票箱に入れ,それを投票立会人がみつめているというものです。タイパ重視の若者は,よほどのことがなければ,こういうスタイルにはなじめないのではないでしょうか。わざわざ投票所にでかけたあと,紙と鉛筆を渡されるというのは,レトロな感じがするでしょう。私は選挙とはこういうものだと,何も疑問をもたずにしがってきましたが,はじめて選挙に行く若者たちにとっては,「なんでスマホを使って投票できないのか」と思うことでしょう。それに投票締め切りになった途端に,候補者の当確が出たりするのも興ざめです。仕方ないのかもしれませんが,なんとなく選挙をやる前から結果がわかっているような感じで,これだと選挙に行く気がなくなるでしょう。
 これは低投票率の原因が有権者の意識の低さではなく,選挙のやり方がまちがっていることに起因している可能性を示しています。区割りをどうするかとか,小選挙区制や比例代表制をどうするかとか,そういう問題もあるのですが,まずは投票方法から変えてみたらどうでしょうか。電子投票にはいろいろ課題があるのでしょうが,前にも書いたように,株主の議決権行使などでも,スマホでできる時代であり,工夫をして技術的に乗り越えてほしいです。選挙は大事なことだから人間のアナログ的な手法でという考え方もあるのでしょうが,もしそうならDXを推進している政府の立場と矛盾します。デジタル技術を活用できるものは原則として,デジタル技術でやるという意味の「デジタルファースト」をここでも適用して,投票方法を変えなければなりません。よく言われるデジタル化は高年齢者に不利であるという話は,少なくとも組織票をもっている政党には影響しないでしょう。自民を支持する高齢者だけでなく,公明を支持する創価学会員,立憲民主や国民民主を支持する労働組合員,共産党員にも高齢者はたくさんいるでしょうが,彼ら,彼女らは,どんな投票方法であっても投票するでしょう。むしろ遅れている日本社会のデジタル化に活を入れるためにも,これまでデジタルになじんでいなかった人にデジタル技術を浸透させるきっかけとなりそうな投票のデジタル化は効果的だと思いますが,いかがでしょうか。

2024年5月 4日 (土)

叡王戦第3局

 藤井聡太叡王(八冠)に,伊藤匠七段が挑戦する五番勝負は,前局で対藤井戦の連敗をとめてタイトル戦の初勝利をした伊藤七段が,連勝して2勝1敗となり,タイトル獲得まであと1勝としました。藤井叡王のタイトル戦の連敗は初であり,もしタイトルを失うと,これもまた初ということになります。藤井叡王は防衛のためには,2連勝する必要があります。

 この将棋は,終盤のほうはAbemaLiveで観ていましたが,途中までは先手の藤井叡王が優勢でした。藤井叡王は2八飛の前方に2六香を打って,6六の角とあわせて,2筋に殺到する攻撃態勢をとり,その後,伊藤七段が桂を7三にはねて攻めに転じ,桂を犠牲にしながら銀を進出して角にあてました。そこで藤井叡王が角を5五にかわして,伊藤陣の8二飛にあてたところが一つのポイントでした。そこで伊藤七段は,飛車を逃げずに6六桂と打って,藤井玉に迫ります。その後も飛車を見捨てて,藤井玉に切り込んでいき,一手もミスが許されないというなかで,正確に攻め続けて藤井叡王を投了に追い込みました。

 評価値では途中で伊藤優勢に逆転したのですが,藤井叡王が悪手を指したわけではなく,神(AI)からみれば悪手であったというくらいのものでしたが,それをしっかりとがめて攻めきった伊藤七段の強さが示された一局でした。最後はずっと1分将棋でしたが,ミスはしませんでした。この将棋をみると,伊藤七段が,これまでの戦績ほど藤井叡王と差がないことがよくわかります。後手番で,藤井叡王の得意戦法である角換わりの将棋を勝ったことは大きいでしょう。藤井叡王にポカがあったとかではなく,実力を出し切って負けたということで,これは逆に尾を引く敗戦かもしれません。
 これで伊藤七段は残り2局のうち1つを勝てば,難攻不落と思われていた藤井八冠の牙城を一つ崩すことができます。叡王戦の第4局は531日(第5局は620日)で,その間に,藤井八冠は,豊島将之九段と2日制の名人戦を3局やる(589日,1819日,2627日)というハードスケジュールになっています。ここで調子をつかんで伊藤戦に臨めるかです。藤井八冠としては,名人戦を連勝して,19日に名人防衛を決めて,叡王戦に臨みたいでしょうが,豊島九段も2連敗しているとはいえ接戦なので,そううまくはいかないかもしれません。叡王戦の第4局を勝ったとしても,今度は山崎隆之八段との棋聖戦5番勝負が,6月6日から始まります(第2局は6月17日)。体調管理が大切ですね。

 

 

2024年5月 3日 (金)

小池都知事の学歴詐称問題

 小池百合子都知事の学歴詐称がまた話題になっていますね。以前に石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)をこのblogで採り上げたことがありますが,この問題が再燃しています。世間の常識はすでに「カイロ大学卒業」は眉唾で,それを前提に,それでもこの人に都政を任せてよいかというところに関心が移っているような気もします。

 民間企業であれば,最終学歴に詐称があれば,懲戒解雇となることが多いのですが,ただ学説には,経歴詐称があっても,その後の勤務状況や仕事のperformanceに問題がなければ,当初の詐称だけを理由に懲戒解雇をするのは重すぎるという議論はあります(普通解雇はありうるということですが)。同じ理屈でいえば,小池氏の場合は政治家生活が長いし,都知事だけをみても2期やっているので,学歴詐称だけを問うのは妥当でないという意見が出てくるかもしれません。しかし,民間企業の会社員と議員や知事を同列にはおけないでしょうし,政治家特有の選挙で禊を済ませたという言い分については,本人が詐称を否定しているので,禊になっていないでしょう。そもそも詐称は,公職選挙法に違反するので(同法2351項の虚偽事項の公表罪),その点からも最終学歴を問題とせざるをえないのだと思います。実際,外国の大学での卒業が虚偽であったとして辞めた議員は少なからずいたと思います(きちんと数えたことはありませんが。国内の大学の卒業を詐称するのは,すぐにバレるので難しいでしょうが,以前に東京六大学のある大学の中退を詐称したことがバレて辞めた議員はいましたね)。

 先日の衆議院の東京15区の補選では,さすがの小池氏もその神通力が衰えたとされています。彼女の応援した乙武氏の不人気に加えて,小池氏の学歴詐称問題が影響したことは確かでしょう。本来はこの選挙区は,もうすぐ知事の任期が切れる小池氏が国政復帰をめざして出馬すると言われていたところで,出れば当選は確実で,そこで一挙に,岸田後継に名乗りをあげるというシナリオがあったようですが,学歴詐称問題を抱えたままでは首相になることは難しく,それなら都知事3期を目指したほうがよいと考えたのかもしれません。しかし,その都知事選も,よい対抗馬がいるか不明とはいえ,小池氏の再選はあやしくなっているのではないでしょうか。そもそも公職選挙法違反の疑惑を抱えながら,出馬できるのでしょうかね。

 学歴詐称は,アンフェアなことであり,これだけ話題になっているのですから,明確な解決をしてもらわなければ,社会的にも大きな影響があるでしょう。将来的には,(希望的観測も含め)学歴社会ではなくなるのでしょうが,これまで学歴詐称で議員辞職になった人もいれば,民間でも懲戒解雇になった人もいたわけであり,有名人であり権力があるから許される,ということになれば,国民は納得できないでしょう。マスメディアも知っていることがあるなら,もっとしっかり報道すべきで,ジャニーズ問題の教訓も活かすべきです。

 卒業の有無は,海外の大学にはいろいろあるとはいえ,比較的簡単に証明できると思う(外国の大学は日本とは違うとはいえ,卒業の証明ができないような大学は,そもそも卒業したといっても価値がないといえるでしょう)ので,それをきちんとやり,もし卒業が虚偽であるなら(あるいは,なんらかの見解の相違があり誤解を招いたのなら),そのことを謝罪して,そのうえで遅くとも来年10月にはある次の衆議院選挙に出れば,状況は変わるのではないかと思います。反小池派は,小池氏が開き直って乾坤一擲の大勝負に出ることを一番恐れているのではないでしょうか。

 

 

2024年5月 2日 (木)

阪神タイガースの序盤総括

 阪神タイガースの序盤戦を総括しましょう。15勝9敗4引き分けで,貯金が6つ。気がづけばセ・リーグで貯金があるのは阪神だけです。自慢の投手陣が大量失点をしたりして,出だしは不安定でしたが,その後の得点能力が極端に低いときも,投手順が復調して踏ん張ってくれて,それほど大きな借金もせずに乗り切ることができました。その後,ようやくペースをつかんで,最近では連勝が続いています。昨年から思うのは,このチームは敗戦をあまりひきずらないところがいいです。投手陣は昨年とほぼ同様ですが,ゲラ(Guerra)の補強が大きく(彼はPanama 出身で,Guerraは,スペイン語やイタリア語では「戦争」という意味ですね),これに岡留や門別などが戦力に加わりました。門別は,明日の巨人戦で,待望の今季初先発です。開幕カードと同じで,本来は青柳の順番であるはずですし,雨天で登板が延びている西勇輝が投げてもよいのですが,青柳は不調で二軍で,門別の抜擢となりました。相手は巨人の開幕投手の戸郷であり,敵地で門別がどこまでやってくれるか楽しみです。

 打線はパッとしません。好調な選手は代打の前川か糸原くらいですが,監督はなかなかレギュラーに定着させませんね。レフトは,ノイジー(Neuse)が,打撃に波があるものの,守備が安定しているので岡田監督好みなのでしょう。前川の守備力の向上は期待できないので,打撃でよほどのアピールができなければ,先発定着は難しいかもしれません。サードは,サトテルが打たない,守れないということで,外してもよいのでしょうが,糸原が1試合だけサトテルの代わりにスタメンに入って活躍したにもかかわらず,すぐにサトテルに戻しています。このあたりの辛抱(しすぎ)がファンからすると不満なのですが,でもよく考えるとシーズン全体でみると,サトテルはそれなりの成績を残しているのです。期待が大きいからファンはすぐにサトテルたたきをしますが,監督は冷静にみているのでしょう。我慢して使い続けることによって本人のモチベーションを維持させ,大事なシーズン後半に活躍してトータルで貢献してくれればよいということでしょう。

 各チームについて対戦が2周りして,だいたい今年の力量はみえてきました。開幕当初は中日が走りましたが失速しました(中田はよい選手ですが,ピークは過ぎていて,彼に4番を任さなければならないようではしんどいでしょう) 。巨人も自力がありますが,昨年のようにはいかないとはいえ,それほど強敵という印象はありません。一番強そうなのはヤクルトです。開幕は出遅れていますが,両外国人が安定していますし,村上も実績があります。先日の3連戦も阪神は連勝を止められ,さらに3戦目は神風が吹いたラッキーな逆転勝利をしただけで,内容的にはおされていたと思います。岡田監督以外に優勝経験のあるのは高津監督だけであり,阪神が最も警戒しなければならないチームでしょう。

 

 

2024年5月 1日 (水)

映画「Nomadland」

 夫の故郷でともに生活し働いていた女性(Fern)が,夫に先立たれ,また企業が倒産して企業城下町が丸ごと消失するなか,財産を処分してVanに乗って始めたノマド生活を追った映画です(実際のノマドも出演しているそうですが,ノンフィクションではありません)。とくに何かストーリーがあるわけではなく,かといってドキュメンタリーでもないという不思議な作品ですが,いろんな感想がありそうです。
 Fernは,わずかな年金と蓄えだけでは生きていけないので,Amazonの倉庫で働いたり,レストランで働いたりなど,職を転々とし,またVanで住居の拠点も転々とします(彼女は自分はhomeless ではなく,houselessだと言います)。まさにノマドという言葉にふさわしいのです。ノマド生活には,ほんとうはいろいろなサバイバル術があり,それを
知らないまま始めるのは無謀なことなのですが,Fernは,いろんな人に助けられて,少しずつ学んでいきます。

 ある意味では,究極の自由な生活です。Fernには姉がいてほんとうは帰るところがあるのですが,あえて一人の生活を選んでいます。一緒に住もうと言ってくれる男性もいましたが,その申し出も断ります。とはいえ,完全に一人では生きていけないのであり,ノマドのコミュニティなどにも頼りながら生きていくのです。印象的な台詞がありました。ノマドには,「Good-byeは,finalな別れではない」というのです。ノマドだから,またどこかで会うことがあるのです。この感覚がいいなと思いました。

 この映画では,大自然が描かれていて,資本主義から背を向け,人間らしい生活の原点に帰ることが重要だというようなメッセージも感じられるのですが,資本主義の象徴でもある自動車(Van)が不可欠であるところからすると,しょせんは贅沢な自由生活ではないかと思ったりもしました。

 日本でノマドを描くなら,もっと違った映画になるかもしれませんね。私は積極的にノマドになりたいと思うほど,資本主義に傷つけられた意識はありませんが,でもノマドのようになってもやっていけるようなたくましさはもっていなければならないと思っています。といっても,いまさら運転免許は取れないので,アメリカ型ノマドは無理そうです。

 

 

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