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2024年4月の記事

2024年4月30日 (火)

女性管理職の妊娠・出産とキャリア

 アメックス事件の東京高裁判決(2023427日)は,女性労働者の妊娠・出産によるキャリアの中断という問題について考えさせる事件です。チームリーダーとして活躍していた女性従業員が,妊娠による悪阻などによる傷病休暇,その後の産前産後休業,育児休業を経て復帰したときには,企業の組織再編で,女性のチームは消滅しており,復職後は,部下のいない部署での業務に配置換えとなりました。ただし賃金は下がりませんでした。チームリーダーとしてバリバリ働いていた女性が,復職すると,部下はなく,やりがいのない仕事に配属となったということです。第1審は,経済的不利益がないことを重視して,均等法93項や育児介護休業法10条で禁止されている不利益取扱いではないと判断しました。しかし,高裁は,この判断を覆しました。有名な広島中央保健生活共同組合事件の最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)の136事件)を参照しながら,これらの条文で禁止されている不利益取扱いについて,「基本給や手当等の面において直ちに経済的な不利益を伴わない配置の変更であっても,業務の内容面において質が著しく低下し,将来のキャリア形成に影響を及ぼしかねないものについては,労働者に不利な影響をもたらす処遇に当たるというべき」とする一般論を述べ,当該事案では,禁止されている不利益取扱いに該当することを認めました(結論として,会社の損害賠償責任を肯定していますが,債務不履行としているところは,どのような債務であるかは明記されていません。職場環境配慮義務違反というのが労働者側の主張ですが)。
 高裁判決も,女性をリーダーとしていた部署の廃止自体は不利益な取扱いではないとしていますが,その後の配置の仕方に問題があったということです。会社としては出産後の女性の負担を考えて,賃金を下げないまま,軽いポストにつけたということなのかもしれません(妊娠中の軽易業務への変更については,女性労働者が請求した場合における使用者の義務となっている[労働基準法653項])が,本判決は,上記のようにキャリアへの不利益も,法の禁止する「不利益取扱い」に該当するという解釈を示し,あとは判例が示していた不利益取扱いに該当しないと判断される2つの場合(自由な意思に基づいて当該措置を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき,業務上の必要性による場合で,法の趣旨・目的に実質的に反しないものと認められる特段の事情が存在するとき)に該当するかをチェックするというものです(なお,不利益な取扱いが,休業取得などを理由としたものであるかも問題となります)。
 会社としては困った判決といえそうですが,不利益取扱いにならないようにするためには,労働者の同意を得るという方法はあり,判例の言葉を使えば,「自由な意思に基づいて当該措置を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」であれば,不利益取扱い性は消失するのです。本件では,不承不承の同意であったということですが,逆にいうと,しっかり説明して,本人の納得した同意を得ていれば結論は違っていたのです。私は,この問題については,判例よりは少し労働者に厳しく,当該人事措置が就業規則や労働契約によって根拠づけられている人事権の範囲での措置であれば,あとは納得同意を得るように誠実説明をしていれば(かりに同意がなくても)有効となるという解釈をとっています(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)201頁。納得同意や誠実説明の概念については,18頁以下を参照)。ただこの解釈であっても,本件の認定事実からすると,誠実説明が不十分であるので,結論は判決と同じになっていたでしょう。
 いずれにせよ,この判決は,キャリア権の労働契約論への影響についての一適用事例と位置づけることができるでしょう。これまでも,キャリア権の観点から,配置転換における労働者の不利益においてキャリア面での不利益が考慮されるべきという解釈や,就労請求権との関係で,たとえ賃金を支払っていても,キャリア面を考慮すると同請求権を肯定すべきという解釈がありましたが,今回の事件は,この両面にかかわるものとして,キャリア権論をさらに豊かにする意味があると思います。
 なお,『労働法実務講義(第4版)』(日本法令)ではアメックス事件は地裁判決の紹介にとどまっているので(863頁),この判決は補遺に追加しておきます。また,上告審で取り消されなければ,「最新重要判例200労働法」の次版において,稲門会事件(137事件)との入れ替え候補になりそうです。

2024年4月29日 (月)

映画「The Burial」

 邦語タイトルは「眠りの地」ですが,直訳すると「埋葬」というタイトルです。葬儀ビジネスにおける全国展開の大企業とローカルな中小企業との間の戦いという法廷ドラマですが,根底には,名もなき黒人奴隷たちの墓石もないままの埋葬とその上にたつ白人の銅像ということに象徴されるような人種差別問題が扱われています。主演はJamie Foxx,共演者に日本のCMでもおなじみのTommy Lee Jones。監督は,Maggie Betts。 実話に基づくもので,Willie Garyという連戦連勝で成金的な匂いがプンプンする黒人弁護士と,資金難で州の当局からも目をつけられ,Loewenグループにつけ込まれて,先祖から引き継いでいる会社の一部を二束三文で売る羽目に陥りそうなO’Keefeが主人公です。彼には多くの子や孫がいて,しっかり資産を残すことが最大の願いです。戦争にも功績があり,市長経験があり,家族思いであるという人格者です。
 O’Keefeは,Loewenグループとの契約が履行されていないとして,裁判を起こすことを決断します。彼の友人である弁護士Mikeは白人ですが,裁判が行われる地では,黒人が陪審員の多数派になり,裁判官も黒人となる可能性が高いので,白人よりも黒人の弁護士のほうが有利となりそうです。新たに採用した若い弁護士Halのアドバイスで,Garyに弁護団に入ってもらうことにします。Garyは,人身傷害(personal injury)専門で,契約は専門ではないし,白人は弁護しないということで当初は依頼を断っていたのですが,大企業相手に勝つことによって栄誉も得られるというHalの説得に応じて事件を引き受けます。Loewen側も,HarvardLSの首席で反対尋問が厳しいことで有名な女性弁護士Mame Downesを立てます。
 Garyは,仲間の反対を押し切り,O’Keefeの人格を強調するために,彼を準備不足のまま証言台に立たせますが,Downesによって資金難に陥った過程を追及され窮地に陥ります。自分をきちんと守れなかったことに立腹したO’KeefeはGaryを主任弁護士から外し,Mikeが主任弁護士となりますが,今度はMikeが,Downesから彼の祖父がKKKのメンバーで黒人虐待に加担していた事実について追及されます。これによりMikeも弁護団から外れます。勝訴への見込みなとして,O’Keefeは訴訟を取り下げようとしていたとき,Halが,Loewenグループと黒人のBaptist教会との間の疑惑に気づき,教会を通して黒人に不当に高額のパッケージを販売していたことを明らかにします。次々とLoewenグループに不利な証言が出てきて,ついにDownesは,Loewenグループの総帥のRaymondを証言台に立たせることにします。しかし今度は,これが失敗でした。Garyが反対尋問で,契約の内容についての尋問ではなく,契約を交わした場所である豪華船のことについてしつこく尋問し,Raymondが黒人から吸い上げた金で豪勢な生活をしていることを,陪審員に印象付けます。契約の専門家ではないGaryが,人身傷害事件で勝ってきたときの戦法が使えたようなシーンです。
 不利を悟ったLoewen側は和解をもちかけます。もともとGary1億ドルの和解案を提示していました(Mikeは,提訴時は800万ドルの和解を提示していましたがGaryがそれをキャンセルして釣り上げていました)が,Loewen側は最終的に7500万ドルまで譲歩します(この和解交渉は興味深いです)。しかし,それすらもO’Keefe夫婦は拒否します。彼らにとっては大金ですが,応じませんでした。そして,陪審員の評決が出ます。なんとO’Keefeの勝利であるだけでなく,賠償額は1億ドル,さらにアメリカ特有の懲罰的損害賠償額が4億ドルという巨額の賠償命令が出ました。最後に,控訴審で和解をしました(和解金は1億7500万ドル)が,Raymondは解任され,最終的にLoewenは破産したことがエンドロールで説明されていました。
 実話なので,何かものすごいドンデン返しがあるわけではなく,悪い白人Raymond が,訴訟内でいったん挫折をしながらもめげずに立ち向かい最後は黒人陪審員を味方につけた黒人弁護士Garyによって,最後はやっつけられるというわかりやすい筋で,しかも黒人と白人の友情,家族愛の強調など,あまりにも典型的なストーリーではあるのですが,それでも十分にスリリングであり,最後に懲罰的損害が命じられるところは,すっきりさせてくれます。
 Garyは,8歳から砂糖きび農場で働いていたそうです。不動産を黒人ゆえに売却してくれなかったという屈辱的な差別体験から,猛勉強して弁護士になりました。母親思いで優しく,でも巨悪には立ち向かうという正義の味方の弁護士(自家用ジェットには,wings of justiceと書かれているが,同時にジェットをもつだけの大金持ちだということでもある)ということですが,その成功話よりも,その生い立ちにおいて経験していた,かつて奴隷州であったアメリカ南部の凄まじい黒人差別の名残りや,加えて,そうした黒人をなお食い物にしている白人のビジネスの欲深さが印象的です。映画のなかのMikeRaymond からうかがわれる黒人に対する抑えきれない嫌悪や差別意識(俳優の名演技なのですが)に,あらためてアメリカの闇を知るような気がしました。

2024年4月28日 (日)

使用者の義務

 昨日は,久しぶりに隔月実施の例外で2カ月連続の神戸労働法研究会の開催となりました。報告内容は,季刊労働法で掲載されるので,ここでは紹介しませんが,2つの報告で関連する論点として出てきたのが,労働法上の義務の効力論です。
 努力義務を例にあげると,教科書的な説明では,努力義務は私法上の効力がありません。もう少し言うと,法律上の義務ではあるが,義務内容を司法の場で実現することはできない(労働法でいえば,労働者に権利性は認められない)ものであり,行政指導などの行政的な手法による義務の履行が想定されているものです。ただ,努力義務という言葉は,義務の名宛人の任意の履行に期待するというニュアンスが強く,そうなると義務といっても,道義的な義務と同じようにも思えます。とはいえ,私法上の効力がないといっても,義務違反により損害が発生した場合に,損害賠償請求が認められることはあり(たとえば均等の配置・昇進に関する男女差別が努力義務規定であったときも,女性の昇格差別を不法行為とした裁判例は少なくなかった),その意味では損害賠償責任という制裁による履行強制効果はあるともいえます。逆に,短時間有期雇用法8条は,労働契約法旧20条のときからの解釈として,同条には私法上の効力があるとしながら,「不合理な待遇の禁止」に違反した場合の直律的効力は否定し,履行確保を実質的には損害賠償に全面的に頼っているのであり,これはいわば「不完全な」私法上の効力ということができるでしょう。

 このほか,高年法の高年齢者雇用確保措置義務や労働者派遣法の2012年改正前の40条の440条の5における派遣先の直接雇用申込義務なども,学説上は異論があったものの,私法上の効力を否定する考え方がとられてきましたが,違反に対する損害賠償責任はあると解されてきました。
 ただ行為規範としてみた場合,こうした義務の性質の違いにどこまでの意味を認めるべきでしょうか。一定の法の理念に基づき義務づけがなされているのであり,履行強制方法に違いがあるとはいえ,これらは等しく履行すべき義務なのです。どうもこの点が正しく理解されないこともあり,私法上の効力がないとすると,ただちに履行しなくてもよいという誤解があるように思います。もちろん,裁判所をとおした制裁がないとしても,実際には評判などを気にして事実上の履行強制があるということはあるでしょう。ただこれは恩恵的な履行ではなく,やはり義務の履行であるということを明らかにしておきたいです。私はこういう発想をもっているので,『人事労働法』(弘文堂)では,法律上の義務は,私法上の効力があるかどうかに関係なく,標準就業規則で定めるデフォルトとの関係では,原則として差をつけない解釈を展開したつもりです。

 ところで,労働委員会の救済命令は,交付の日に効力が生じます(労組法27条の124項)。この意味は,救済命令が出た場合,使用者は,命令の交付日から命令を履行する公法上の義務があるとするのが一般的な解釈でしょう。ただし,この義務に違反しても,ただちに制裁があるわけではありません。命令の履行については,再審査をした場合,中央労働委員会から履行勧告があることがありますし(労働委員会規則51条の2),取消訴訟を提起した場合には,緊急命令が発せられることもあります(労組法27条の20)が,他方で,再審査や取消訴訟が認められているということは,初審命令の効力はあるとはいえ,公法上の義務は原則としてなく(あるいは抽象的なものにとどまり),中央労働委員会の履行勧告や裁判所の緊急命令が発せられた場合にのみ具体的な義務となるという解釈もありえないわけではなさそうです。とはいえ,不当労働行為の迅速な解決のために専門的な機関として労働委員会が設けられている以上,初審命令の交付日から効力があるという規定の意味は重いのであり,交付日の時点から具体的な履行義務があると解するのが妥当でしょう(命令が確定した後は,法文上も,義務が強化されているとみることができます[労組法27条の132項,28条,32条]が,それ以前の段階でも履行義務はあるということです)。そうなると,たとえ初審命令に不服があり,使用者が再審査申立てや取消訴訟提起をしていても,なお初審命令の履行義務はあると解すべきですし(おそらく通説),さらにこれが公法上の義務であるからといって,使用者の対労働組合・労働者との関係で,当然には私法上の履行義務がないとまではいえないと思います。労働委員会は,労働組合や労働者の(私法上の)権利を守るために,救済命令を発したといえるからです。もちろん私法上の履行義務があるといっても,その違反に対してどのような制裁があるかは上記の法律の規定どおりのものとなるのですが(この場合も,一般条項である不法行為として損害賠償責任が生じることはありえるでしょう),命令の履行は恩恵的な行為ではなく,法律上の義務の履行であり,義務違反はコンプライアンスの観点から厳しい社会的批判を受けるべきあるという点は再確認したいところです。

 

 

2024年4月27日 (土)

競業避止義務と競争法

 昨日の日本経済新聞の記事に「米独禁当局「競合に転職禁止」違法 新ルール,賃金抑制を是正 経済界は猛反発」というのが出ていました。FTC(アメリカの公正取引委員会)の若きLina Khan委員長は,いろいろやってくれますね。
 日本においても,公正取引委員会の「人材と競争政策に関する検討会報告書」(2018年)では,フリーランスが中心ですが,労働者を含む就労者の競業避止義務のことが扱われています。日本法でも,優越的地位の濫用など,独占禁止法に抵触することはありえます。ただ,労働者に対するものについては,労働法で具体的な規定は設けられておらず,民法の公序良俗違反かどうかの判断に任せてきました。
 大企業が,優秀な人材を抱え込んで,競争上不当に優位な立場にたつことは問題ではないかという議論はずっとあります。これまでの議論では,とくに退職後の競業避止義務については,これを定める約定の有効性を,企業側の利益と労働者の職業選択の自由とを衡量して有効性を判断する傾向にありましたが,市場に及ぼす影響(競争制限的効果)も考慮すべきという議論がないわけではありませんでした。また在職中の競業避止義務については,副業規制の問題と重なり,従来,その有効性はあまり疑問視されていませんでした。しかし,大企業がデジタル人材を抱え込んでいることを批判するベンチャー企業の経営者の声などもあり,副業解禁の動きが広がってきました。
 競業避止義務に関する法的ルールは,かなり曖昧なものであり,どのような約定が有効となるかについて,予見可能性が低いものとなっています。『人事労働法』(弘文堂)では,在職中の競業避止義務は,デフォルトとしては認めてよいが,その具体的な範囲については,労働者の納得同意を中心とした制約をかけています(120121頁)。労働市場の流動化が進むと,この義務に対する適切な法規制のあり方重要性を高めるでしょう。今後,アメリカの動きに刺激を受けて,この問題をめぐる議論が活発になる可能性はあると思います。

2024年4月26日 (金)

アメリカに臣従する日本

 「線路は続くよとこまでも」は,実はアメリカの歌で,原題は「I've Been Working on the Railroad」です。先日,NHKの名曲アルバムでこの曲が採り上げられ,アメリカの鉄道列車が走る風景が流れていました。この歌は,幼児らが唄う明るく元気な歌というのとは違い,原題からわかるように労働歌です。「線路は続くよ」は,はてのないきつい労働を意味するもので,この歌は労働哀歌なのです。
 それでも労働者は報酬が払われるだけ,まだましかもしれません。1869年に完成した大陸横断鉄道は,もっと悲惨な状況を生み出していました。それは白人たちが勝手に西部を開拓するなかで,先住民を虐殺していたからです。家も財産も,そして生命まで奪われました。黒人奴隷の問題と並ぶ,アメリカの先住民虐殺という黒歴史は,人類史に残る悪行といってよいでしょう。さらにアメリカは,日本に二度も原爆を投下し,民間人を大量に殺戮しました。そんなアメリカに,いまだに臣従している日本は情けないです。岸田文雄首相は,国賓として呼ばれたといって得意満面でしたが,どんな約束をさせられて帰ってきたのでしょうか。懸案の日本製鉄のUS Steelの買収については,アメリカはゼロ回答だったと思います。岸田首相は個人的にはハッピーな旅行だったのかもしれませんが,日本国民のためにどんな成果を挙げたのでしょうかね。そして今度は麻生太郎副総裁のTrump詣でです。節操のない自民党の二股外交です。「もしトラ」に備えて保険をかけたのでしょうが,もう少しうまくできないものでしょうか。それにTrumpに何を約束させられてきたのか心配です。
 話題の本,森本卓郎『書いてはいけない―日本経済墜落の真相』(フォレスト出版)では,なぜ日本がアメリカに臣従するようになったかについて書いています。あの日航機の御巣鷹山の墜落は,自衛隊の誤射が原因であったのを,ボーイング社の機材不良を原因として責任を負ってもらったことにより,大きな借りができてしまったというのです。この話は,安部譲二『日本怪死列伝』でも似たようなことが書かれていて,以前に私も紹介したことがあります。その後に出された青山透子『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)も含め,かなりのことが明らかになってきています。事故の真相を明らかにし,アメリカへの借りを返し,真の独立国になってもらいたいものです。 まずは123便事故のある意味で派犠牲者であったJALにこそ,勇気をもって真実を公表し,日本国民を負の歴史から脱却させてもらいたいと期待するのは酷でしょうか。

 

2024年4月25日 (木)

名人戦第2局

 藤井聡太名人(八冠)に豊島将之九段が挑戦する名人戦の第2局が,23日から24日にかけて行われました。藤井名人が勝って2連勝です。最終盤では,豊島九段に評価値がふれたときもあったのですが,先手である豊島九段が千日手回避のために指した手が緩手で,藤井名人の逆転勝利でした。もっとも,この将棋も,前半は藤井名人が優勢で,そこから豊島九段が持ち直したということで,決して藤井名人が圧勝したという感じはしません。しかし,最後の最後で緩手が出てしまうのは,体力勝負の名人戦において,藤井名人の若さには勝てないというところもあるのでしょうか(とはいえ,豊島九段のミスは,難解な詰み手順にかかわるもので,やむを得ないところもあります)。
 ところで,第2局の大詰めのときに地震が起きました。対局場は千葉の成田山新勝寺で,茨城県北部の震源地と近く,かなり揺れたようですが,藤井名人はまったく動じずに集中して手を読んでいたそうです。この集中力が藤井名人の最大の武器なのかもしれません。外野のことを気にせず,盤面に集中できる才能はうらやましいです。こういう人は,どんなところでも実力を100%近く発揮できるのでしょう。でも,うらやましいと同時に,あまりに人間離れしていて,自分とは違う人が頑張っているなという感想しかもてませんね。同じように人間離れしているようにみえるけれど,信頼していた身近な人に大金を奪われてしまう大谷選手のほうが,ちょっと人間らしくして親近感をもてるかも,なんて思ってしまいます。

 

 

2024年4月24日 (水)

映画撮影技師と労災保険

 先日のLSの授業では,労働者性がテーマで,まずは『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第3講の新宿労基署長事件を扱いました。そこのQ1は,「Zが労災保険法上の「労働者」とされるか否かによって,Zの遺族のXにはどのような違いが生じるのか。」というものです。この事件は,映画撮影技師のZが脳梗塞で死亡したため,Zの子のXが労災保険の遺族補償給付等の支給を請求したところ,新宿労基署長は,Zの労働者性を否定して不支給決定をしたというものでした。労働者性の判断を学んでもらうための教材ですが,Q1はその前提として,労働者性が認められるかどうかによって,どのような差があるかを答えてもらうものです。労働者であれば,Xは遺族補償給付を受けることができますし(労災保険法16条以下),社会復帰促進等事業(同法291項)として特別支給金もあります。一方,労働者でなければ,子であるXZによって生計を維持していて,18歳未満で未婚であれば国民年金の遺族基礎年金が支給されます。その額は年間816,000円であり,労災保険が適用されて,給付基礎日額の153日分(労災保険法別表第1)に特別支給金の加算のある労働者と比べて,ずいぶん差があります。遺族基礎年金は,たとえば労災保険の給付基礎日額が8000円となる程度の収入があったとすると,102日分になり,特別支給金を除いてみても労災保険の3分の2程度になります。特別支給金を入れると,もっと差がつくでしょう。LSでは支給額のことまでは聞きませんし,私も正しい答えはよくわからないのですが,重要なことは,労働者でなければ,死亡事故の場合,遺族が国民年金,ケガや病気の場合は,本人が国民健康保険の適用となり,労働者でも業務災害でなければ健康保険の適用になるといった違いがあり,それぞれ給付内容や保険料負担,自己負担の有無などが異なるという点にあります。要するに,この設問は,労働者でなくても,狭義の社会保障(医療,年金)でカバーされるということ,しかし狭義の社会保障の場合は,労災保険の場合とは内容に差があるということです。

 少し前までは,ここまででよかったのですが,現在はほんとうなら労災保険の特別加入のことも話をしなければならないのかもしれません。映画撮影技師のような芸能従事者は,20214月以降,労災保険の特別加入のカテゴリーに追加されているからです(労災保険法施行規則46条の186号)。こうなると,労働者でないとしても,特別加入する道があるので,そのことも考慮して答えなければなりません。ということで,Q1に対する解答をつきつめていけば,大変なボリュームとなるので,時間の関係上,今回は特別加入のことは省略しました。ただ,もし特別加入が,政府が検討しているようにフリーランス全般に広がると,特別加入のこともきちんと話さなければならないでしょうね。たとえば特別加入で,みなし労働者になるとはいえ,本来的な労働者とではかなり差があって,給付基礎日額の選択といった特別の方法があったり,保険料の負担の仕方が違ったり,業務上外の判断も違ったりするなどの説明が必要で,そうなると労働者性の話をする前に労災保険法の話をしたほうがよいということになりそうです。でも労働者性の話というのは,ほんとうはそれだけを独立して論じても意味がなく,労働法の適用対象の範囲の問題であるという私の主張からすると,まずは労働者とされることにより適用される労働法の内容(また,労働者とされないことにより,どういうことになるか)から説明するのは当然ということになるのです。

 いずれにせよ,このQ1は,実はフリーランスと労働者の間のセーフティネットの格差という問題を扱っており,それはまさに今日のHOT ISSUEになっています。ケースブックの利用者の先生方は,Q1をいろんなかたちで活用して授業をしていただければと思います。

 

 

2024年4月23日 (火)

前川孝雄『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』

 FeelWorksの代表取締役の前川孝雄さんから『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。若者世代の早期離職に悩む企業が考えるべきポイントが紹介されています。
 「若者を育ててきた日本企業の矜持を取り戻そう」というのが,本書のモチーフです。具体的な実践方法は,ステップ1「リアリティショックを緩和する」,ステップ2「組織の論理をキャリアに翻訳する」,ステップ3「仕事を通じた成長実感をつくる」だとされています。実社会の経験がない若者は,企業社会に入ると理想と現実の違いにショックを受けるので,まずそのショックを緩和することが離職を防ぐための第1のステップです。次いで,組織の論理を本人にとっての働きがいにつながるように説明するのが第2のステップです。そして,ステップ3として成長を実感できるようなことがあれば,離職を防ぐことができるというのです。
 私が日頃言っているのは,どちらかというと,この本の主張とは真逆で,若者に対しては,組織の論理にそまるなとか,ギャップを感じればすぐに転職したほうがよいということですし,企業に育ててもらうことを期待するなということなのですが,これは現状を変えるためには,対極的なことを言わなければならないからであり,実際には,きちんと若者を育ててくれる企業がいて,その企業が発展していくのなら,それに越したことはないのです。ただ問題は,学生の段階から,それを期待しすぎて自己研鑽を怠ってはならないということです。
 ただ上司側からすると,Z世代以下の新たな価値観をもっている若者に手を焼いていることは確かで,そういうなかでは,本書のような実践的な本があれば助かることでしょう。

 

2024年4月22日 (月)

叡王戦第2局

 叡王戦5番勝負の第2局は,20日に行われ,ついに挑戦者の伊藤匠七段が,藤井聡太叡王(八冠)に勝ちました。対藤井戦の連敗を11で止め(1持将棋),同時に,昨年秋の竜王戦からの藤井八冠とのタイトル戦での連敗も8で止め,さらに藤井叡王のタイトル戦の連勝記録を16で止めました。17が大山康晴15世名人の記録であったので,それに一歩届きませんでした。しかし16も偉大な連勝記録であることに変わりありません。タイトル戦は,絶好調の棋士が相手となるのです。
 これで叡王戦は11敗となり,実力的にはいま一番藤井八冠に迫っているはずの伊藤七段が,ここからどう挽回するかが見ものです。
今週には名人戦の第2局もあり,挑戦者である豊島将之九段も勇気づけられたかもしれません。

 2つのタイトル戦が並行して進んでいますが,もう一つ,6月からは棋戦戦が始まります。その挑戦者決定戦が,本日,山崎隆之八段と佐藤天彦九段との間で行われました。山崎八段は独創性が高い将棋で,この棋戦の準決勝でも,永瀬拓矢九段を鋭い攻撃で「瞬殺」したような切れ味鋭い終盤力が魅力的です。対照的に,天彦九段は,名人3期の実力者ですが,近年は低迷していました。しかし昨年,振り飛車党に変わり再生しました。振り飛車党から居飛車党に変わって飛躍するということはよくあるのですが,その逆は珍しいです。受け中心の棋風には振り飛車が合っていることを発見したのでしょう。これは一般の会社員にも参考となる話かもしれません。いったん棋界最高峰の名人をとった棋士でも,AI時代の到来もあって,自分の将棋のモデルチェンジをして,独自の道を歩みながら成果をあげているのです。自分の成功体験を捨てて,新たなことにチャレンジするのは大変なことですが,天彦九段の復活には勇気づけられます。

 ということでこの二人の対局でしたが,182手までの熱戦で山崎八段が勝ちました。まさか43歳の山崎八段がタイトル戦の舞台に再び登場するとは誰も予想していなかったでしょう。15年ぶり2回目のタイトル戦です。前回は王座戦で当時の羽生善治王座に挑戦しましたが,3連敗で敗退しています。タイトル獲得経験はないですが,タイトル戦に昇格する前の叡王戦の初代王者ですし,NHK杯でも2回優勝するなど,実績は十分です。普通に考えれば,山崎八段が藤井棋聖からタイトルを奪取することはきわめて困難ですが,対戦成績は11敗であり,2018年の初手合いのときは山崎八段が勝っています。あのときからは藤井棋聖の実力はパワーアップしていますが,天才山崎がどこまで王者藤井棋聖に迫れるか楽しみにしています。

 

 

2024年4月21日 (日)

自治体でのパワハラ問題に思う

 昨日に続いてハラスメントの話です。昨年あたりから,ジャニーズのセクハラ問題,宝塚歌劇団のパワハラ問題などのような,世間の大きな注目をひく事件がでてきて,ハラスメントは,労働法の問題にとどまらず広く社会問題として関心を集めているように思います。パワハラとは,労働施策総合推進法でいうものがすべではありません。同法は,職場のパワハラを対象としたものですが,職場以外でのパワハラというものもあるのです。具体的な法律の規制対象となっていなくても,その組織や集団において,個人の尊厳がふみにじられているようなことがあれば,広くパワハラとみるべきなのです。

 そうしたなか,また一ついやなパワハラ問題が報道されています。北海道の参議院議員のパワハラ問題です(ある意味では,カスハラ問題といえなくもありません)。もし報道どおりであれば,議員と自治体職員との間で,わかりやすい権力濫用問題があったように思います。それは当然のことながら,自治体で働く職員のパフォーマンスに影響を及ぼすものであり,住民に迷惑をかけるものです。
 前に静岡県の川勝知事の新入職員への訓示に関してコメントしたときに,ほんとうに職員が誇りをもって働けるような環境であることが大切という趣旨のことを書きましたが,まさに北海道庁や札幌市の職員は,この議員によって尊厳をくじかれ,時間も奪われていた可能性があります。知事や市長の管理責任も問われることになるかもしれません。
 自治体職員にとっては,国会議員だけでなく,地元の地方議員との関係もあるでしょう。議員だから,職員より上の関係にあるということではないはずなのですが,それを勘違いしている議員もいるようです(これは霞が関の国会議員と官僚との関係にもあてはまると思います)。

 私も労働委員会の公益委員をしているときは,特別職の地方公務員であり,任期途中に一方的に報酬が変更されるといった理不尽な扱いを受けている弱い立場ですが(いやなら辞任すればよいだけなのですが,報酬だけの理由でこの仕事を放り出すことは当面はできません),サポートしてくださっている職員との関係では,今度はこちらが権力的な関係になりかねず,自覚して注意をしておかなければなりません。プロとしての仕事はしっかりしなければダメなので,そのためには,場合によっては厳しい要求をしなければならないこともあるでしょうが(幸い,私のいるところでは,そういう必要性はありませんが),それ以上に人格的な尊厳を損なうようなことはしてはならないのは当然です。

 いずれにせよ,今回の北海道の問題を契機に,自治体において,ILOのいう「decent work」ができる環境かどうかを,知事や市長が中心になって総点検してもらいたいものです。対議員もそうですし,悪質なクレーマー住民との関係もあるでしょう。もちろん知事や市長がパワハラの源泉になっていないかの自己点検も必要でしょう。職員からの内部告発には真剣に対応するということも含めて,しっかり取り組んでもらう必要があります。

 

 

2024年4月20日 (土)

『欧米のハラスメント法制度』

  滝原啓充編著/労働政策研究・研修機構編『欧米のハラスメント法制度』(労働政策研究・研修機構)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。各国のハラスメントの法制が紹介されたものです。「編者が推奨する本書の読み進め方」というのが親切にも書かれており,そこで序章と終章を先に読むことを推奨すると書かれていましたので,そうしてみました。

 序章から,本書が,JILPTから公表された報告書に加筆をし,末尾に「修復的正義」の解説を追加したものであるとの説明があります。終章では,「結局のところ,ハラスメントについては,各国における法制を参照しても,必ずしも当該問題を解決に導く明確な解は存在しないようにも思われる」と書かれていて(312頁),まことに正直なのですが,終章から読むように推奨されていたわりには,なんとなく残りの章を読もうとする気勢がそがれたような気もしましたが,「明確な解」が存在しないというも一つの発見であるので,それは学問的な誠実さということでしょう。

 「修復的正義」というのは,私の不勉強で,よく知らないし,本書を読んでもどれだけ理解したか自信がありませんが,企業の自発的な対応を重視する試みにつながるものであるのであれば,少なくとも私の『人事労働法』(弘文堂)と接点はありそうです。私が規制手法として関心をもっている共同規制にもつながるものです(本書では,「協働規制」と訳されている)。ハラスメントが,従来型労働法における最後の規制領域であったのは,それが企業の経営上の裁量と密接に関連する分野であり,なかなか法が踏み込めなかったからではないかと私は考えています。そうした分野であるからこそ,経営に働きかける政策が効果的なのだと思います。
 かつてWedgeで,ハラスメントが起こる企業は,経営の失敗であるという趣旨のことを書いたことがあります(20191月号「
企業の体たらくが生んだ『パワハラ法』小手先の対応で終わらせるな」Wedge20192月号17-19頁)。まさにハラスメントは経営が解決すべき問題であり,法的な解決には限界があるという趣旨でした。そうみると,ハラスメントの問題について,従来とは違う新たなアプローチが必要であるという滝原氏の主張も,理解できるものだと思います。

 私がWedgeの原稿で書いたのは,デジタル化を進めて,組織の水平化を進めるなどして,パワハラが起こる土壌を除去することが大切というものでした。こういうことを規制として進めるとすれば,やはり共同規制的なアプローチが必要となるのでしょうね。

 

 

2024年4月19日 (金)

川口美貴『労働法(第8版)』,『労働者概念の再構成(新版)』

 関西大学の川口美貴さんから,『労働法(第8版)』(信山社)をお送りいただきました。充実の第8版というところでしょう。改版のスピードは半端じゃないですね。 さらに,もう1冊『労働者概念の再構成(新版)』(関西大学出版部)もお送りいただきました。ありがとうございます。
 後者のほうは,12年ぶりの新版だそうです。現在,労働者概念が再び注目されつつあるなか,学界に大きく貢献した業績をリニューアルされたということで,すばらしいと思います。
 もちろん,川口さんの労働者概念には異論もあるところです。「自ら他人に有償で労務を供給する自然人で,独立事業者でない者」というすっきりした定義がなされていて,(前にも書いたことがあるのですが)これは就労者を統一的にみようとする私の立場と基本的には通じるものがあるのですが,川口さんは,これを広く労働者(労働保護法制の対象者)に引きつけてしまおうとするところで,私とは根本体な方向性の違いがあります。また,「独立事業者でない者」という消極要件の範囲が明確でなければ,ご本人が主張されている労働者概念の客観性・明確性は損なわれるのですが,おそらく批判を意識されて,「供給する労務の内容が,①労務の供給を受ける事業者の事業内容の一部ではなく,②専属的継続的な労務供給でもない」という独立性の要件は充足することがほとんどなく,判断が難しそうな「独立した事業に必要な資産を有しそれを利用して労務を供給する」という要件が問われるケースはほとんどないと説明されています。
 労働者性を明確に定義しようというならば,これくらい思い切った定義をする必要があるのかもしれません。グレーゾーンとされてきた人たちは,基本的に,労働者として扱う方向に解釈することになるのでしょう。フリーランス法の「特定受託事業者」も,川口説によると,基本的には,労働者になってしまいます。
 私にとっての最大の疑問は,労働者概念は,労働法の適用範囲を画するための概念であり,労働法がこれだけ発展して多様化し,その適用範囲も柔軟に判断してく必要があると思われるなか,統一的な労働者概念で労働法の適用範囲を論じていく必要がどこまであるのかということです。このあたりは,川口さんとは根本的な考え方の違いがあるかもしれません。

 

2024年4月18日 (木)

協同組合グローブ事件

 416日に協同組合グローブ事件の最高裁判決が出ました。日本経済新聞に私のコメントが掲載されました。時事通信社からの取材も受けてコメントをしたのですが,それは私のみるかぎりアップされていませんね。詳細な分析は,そのうちビジネスガイド(日本法令)の「キーワードからみた労働法」でとりあげる予定ですが,とりあえず言えることは,本判決は新たな法解釈を提示したわけではなく,事例判決の積み重ねをしたにすぎないことです。また高裁判決において,ややずさんな業務日報の「正確性の担保」の認定がされていたところが突かれたものであり,それがこの事件のポイントでした。もっとも,業務日報による管理ということにどれだけの意味をもたせるのがよいかは難問です。正確な業務日報であればあるほど,みなしは適用されにくくなるとすれば,企業側はそうした業務日報を作成しなくなるかもしれません(もちろん,きちんとした労務管理をするためには,業務日報は必要なので,その意味では労働時間のみなし制に関係なく,正確な業務日報を作成するインセンティブはあるのでしょうが)。また,そもそも「労働時間を算定し難い」かどうかを技術的な困難性という観点からとらえると,実は現代社会では,GPSその他のICTの活用により,本人の行動を完全に把握することは可能で,それはテレワークの場合も同じです(監視カメラとAIによる分析などを組み合わせれば,業務状況の把握はできます)。となると,事業場外労働のみなし制が適用される場面はほとんどなくなるのです。これでよいのか,ということです。林補足意見は,テレワークにも言及しながら,裁判所としては,事業場外労働のあり方が多様化しているなか,「個々の事例ごとの具体的な事情に的確に着目した上で」,「労働時間を算定し難いとき」の判断をすべきとしていますが,結局それは,明確な基準がないなかでカズイスティックな(casuistic)判断をするよう求めるものであり,技術的困難性をどう考えかも含め,裁判所にかなり負担のかかることを求めているように思います(もちろん,裁判所は求められれば判断はするでしょうが,結論の予測可能性は低くなります)。
 しかし翻って考えると,労働時間の把握をしようとすること自体,そもそもおかしいというのが私の主張ですので,みなし制などはやめて,健康管理にシフトすればよいということになります。この点については,ジュリストの最新号の「労働時間規制を超えて」を参照してください。

 

 

2024年4月17日 (水)

神戸大学のコスパ

 神戸大学の同窓会組織の雑誌「凌霜」の最新号に,経済学研究科の小林照義教授が「学生が求める大学コスパ」というエッセイが掲載されていました。一橋大と大阪公立大学と神戸大の3つの大学が集まる「三商大ゼミ」で,神戸大学側からは「神大コスパ悪い説」の検証をしようという提案があったそうです。結局,それはやらなかったそうですが,小林教授は,神大生からそういう提案が出てきたことについて思うところがあったようです。「神大と同レベルの入試難易度の私立大と比較したとき,神大の方が授業料は安いものの,私立大の入試科目の少なさや通学の利便性,私大生の順調な就職状況を考えたら,神大はコストパフォーマンスが悪いのではないか」ということです。

 たしかに,少なくとも神大のロケーションには問題がありそうです。六甲台キャンパスの景色(とくに夜景)は素晴らしく,ややハードな運動を兼ねた散歩をするには最適です。しかし通学となると,急な坂が続きますし,バスはいつも混雑しています。いったんキャンパスまで上がってしまうと,飲食できるところが少なく,キャンパスの居心地はあまりよくありません。コロナ禍でリモート学習を経験してしまうと,通学したくないと思う学生が出てきてもおかしくありません。

 個人的には,大学の教育面だけでいえばリモート学習でよいと思っているので,神戸大学も,地理的なハンディを乗り越えるために,もっとリモート学習環境を高めるべきだと思っています。自然豊かな環境というのは,教育以外の面で活用すればよいのです。大学の周りで学生の住居,食事,リクリエーションなどが完備しているならともかく,教育施設だけ飛び地のようにあるのでは,これからの学生には魅力的ではないでしょう。もちろん飛び地といっても,バスに乗れば10分くらいで行けるところなので,陸の孤島のような感じではありません。それでも電車から降りて混雑したバスに乗らなければならず,ちょっとした飲食をしようと思えば,降りてこなければならないというのでは,やはりいまの学生からは敬遠されかねません。

 神大ブランドが威力をもっているかぎり,神大に通いたいという学生は,こうした不便は織り込み済みで神大を選んでいるのかもしれませんが,これがいつまで続くでしょうか。

 

 

2024年4月16日 (火)

小西康之『働く世界のしくみとルール―労働法入門』

 明治大学の小西康之さんから『働く世界のしくみとルール―労働法入門』(有斐閣)をお送りいただきました。どうもありがとうございます。初の単著でしょうか。ほんとうは,単著は研究書で行きたかったところでしょうが,入門書で来ましたね。入門書は類書がいろいろあるので,どこまでそれと差別化ができるかが重要ですが,本書は結構個性を出していると思いました。とくに導入部分から読みやすくできていて,がっつり労働法ということではなく,むしろ労働法の周辺も取り入れながらの説明になっているところがよいように思いました。小西さんは,もともと労働法学では珍しい雇用保険の専門家であり,労働市場法全般に目配りができる大きな視点をもっているので,入門書においても,独自の切り口ができるのかなと思いました。個人的には,イタリアテイストが随所にみられるところも良かったです。

 年齢的にも,油の乗り切ったところでしょうし,今後,いっそう活躍されて存在感を高めていくのではないかと楽しみにしています。

 

 

2024年4月15日 (月)

『労働者の自立と連帯を求めて』

 國武英生・淺野高宏編『労働者の自立と連帯を求めて―道幸哲也先生の教えと実践の奇跡』(旬報社)をお送りいただきました。どうもありがとうございます。道幸先生の追悼本ということでしょう。表紙のお顔もいいですね。本書は,道幸先生の業績をたどりながら,それについてお弟子さんたちが解説をされています。道幸先生が幅広い分野で業績を積まれてきたことがよくわかります。なかでも,長年の労働委員会の経験からくる不当労働行為救済制度に関する研究,労働法教育に関する取り組みなどが印象的です。
 何よりもお弟子さんたちが道幸先生を慕っていることがよくわかります。こうした本を出版されるというのは,道幸先生のお人柄によるものなのでしょうね。
 道幸先生の論文については,よく物足りないという「悪口」を書いていたので,亡くなられた後にまで,それを繰り返すのはやめますが,いま思えば,その物足りなさ(結論をしっかり書かないところ)も道幸流で,しかもそれは学問的な誠実さからくるのかなと思っています(先生からは,いい加減なことを言うなと,天国から叱られるかもしれませんが)。
 ただ今回読んでいて,1点だけやっぱり先生の結論を聞きたかったと思うところがありました。98頁以下の「個人申立ての法理」のところです。このテーマ自体は先生の初期の代表的な研究領域のところですが,論じられているJRバス関東事件は比較的新しい事件です。脱退勧奨がなされた事案で,双方申立てがなされたのですが,組合が申立てを取り下げた場合において,なお個人(その後に別組合に加入している)が救済されるのかが問題となったものです。東京都労働委員会(2021年8月17日命令)は救済を認め,中央労働委員会(2023年1月11日命令)は救済を否定するという形で結論が異なっていたのですが,道幸先生はこれらを紹介したうえで,ありうる考え方を複数提示され,しかしどれがよいかは述べておられませんでした。
 これと少し関連する論点について,私は2013年に「不当労働行為救済制度における集団的利益の優越について-複層侵害事案における申立適格をめぐる一試論」『石川正先生古希記念論文集 経済社会と法の役割』(商事法務)949頁以下という論文で取り扱ったことがあり,そのときの主張に照らすと,集団的利益の優越(個人の救済利益は否定すべき)となり,結論は中央労働委員会と同じことになりそうなのですが,ほんとうにそれでよいのかについて,道幸先生と議論できればよかったなと思っています。こういう論点で議論していただけそうなのは,道幸先生か山川先生くらいしかいないでしょう。
 昨日,法科大学院の教育のことについて書きましたが,道幸哲也先生は,「労働法の面白さ」というところで,紛争処理能力を獲得するためには,「法的な知識・能力とともに紛争の全体状況を把握するストーリーテラーとしての能力が不可欠である」とし,「人間心理や紛争解決のメカニズムを適切に理解できない者は,労働法というより法律家に向かない」と書かれています(23頁)。法曹を養成するためのポイントをつかれていると思いますが,「人間心理や紛争解決のメカニズムを適切に理解」するのは,とくに和解をするような場合には不可欠とはいえ,簡単なことではありません。労働委員会の公労使三者構成の良さは,どうしても実社会経験が乏しい学者系の公益委員が,労使の委員からいろいろ教わることができることです。法律万能に陥らず,謙虚に適切な紛争解決を模索する姿勢をもつこともまた,「人間心理や紛争解決のメカニズムを適切に理解」し,紛争処理能力を得るために必要なことなのでしょうね。
 道幸先生の声が聞こえてきそうな本だと思います。編者や執筆者の皆様お疲れ様でした。

 

2024年4月14日 (日)

『労働法ケースブック』『ケースブック労働法』

 私が編者として参加している菅野和夫監修『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)のライバル(といっても競い合っているわけではなく,ともに手をとりLS教育をがんばろうということなのですが)である,有斐閣の『ケースブック労働法』は,弘文堂の『ケースブック労働法』 と同様,長い間,改訂版が出ていません。ということで,アップデートの必要はあるのですが,私個人は授業では拙著『最新重要判例200労働法』で最新判例を補充しながらやっています。ただ,『最新重要判例200労働法』は事実関係が短いので,学生には判決原文を読んでもらうため,結局,判決文を各自でダウンロードしてもらい,それにこちらがQuestionを追加して問うような形になっています。将来的には,『最新重要判例200労働法』からさらに判例を精選して,判決文を詳しく掲載し,Questionをつけるようなものを作ってもよいかなと思っていますが,それは若い人に任せることになりますでしょうか。
 ところで,有斐閣のほうは,新たに,書名をひっくり返して神吉知郁子・皆川宏之編『労働法ケースブック』という本が刊行されました。お送りいただき,まことにありがとうございました。執筆者のほとんどはよく知っている優秀な若手研究者で,次代を担う若手が,きちんと既刊のものをアップデートしてパワーアップしたのだと思います。うまく代替わりができたということでしょう。設問についても参考にさせてもらいますし,情報が新しくなっているのがありがたいです。多くのLSで活用されるだろうと思います。
 興味深いのは,この本は,弘文堂の『ケースブック労働法』とは,根本的に発想が違うもののように思えたことです。弘文堂のほうは,事実関係を徹底的に読み込むことができるようにした本です。私は,授業でも,判決の立てた規範や論理は大切とはいえ,それだけを追っていてはだめということを,口酸っぱく注意しています。判決は,実際の紛争に対して,裁判官が実質的に妥当とする解決を,法的な論理を使って行ったもので,法的な論理は手段にすぎません。大切なのは,どのような紛争であったかという実態をしっかり把握し,それについて原告はどのような論理で自分たちの権利を主張し,被告は反論し,そして裁判官がそれについてどう判断したかというダイナミックな流れをつかむことこそが大切なのです。弘文堂のケースブックは,そういう学習をするうえで適した教材であると思っています。
 一方,『労働法ケースブック』のほうは,事実より,規範を重視したもので,それは最初のほうに「労働法の学び方」として説明されているところからもわかります。私が指導しているものと,こう対極的な学び方が提示されると,自信がなくなってしまうのですが,いまさら変えることはできませんし,変えるつもりもありません。教員の教育方針によって,弘文堂派と有斐閣派が分かれるかもしれませんね。
 先日のLSの授業では,実質的に初回ということで,弘文堂のケースブックの第1講に掲載されている『女工哀史』や『あゝ野麦峠』の文献を読んでもらい,それについての質問をしました。労働法的な感覚を身につけるためには,原生的な労働関係のことを知ってもらう必要があるからです。さらに,ついつい余計なこととして,日本型雇用システムとは何か,そしてこれが判例にも影響を与えているとか,上場企業と非上場企業では違うというところから始まって,コーポレートガバナンスのことにうつり,会社法と労働法の関係とか,さらに最近のフリーランスの動きとの関係で経済法と労働法の関係とか,あんまり司法試験の合格につながらないことを,長々と話してしまいました。どのLSでも同じような授業をするのでは面白くないのであり,神戸大学のLSの労働法は,テキストは弘文堂の『ケースブック労働法』をベースにはしていますが,それに加えて,私の授業でしか聞けないものを聞いてもらうということで,少しでも私も楽しく,学生にも,司法試験合格の「後」に(ひょとしたら)役立つ(かもしれない)授業をしようと心がけています(かつてはDXやAIのこととかも話していましたが,以前に書いた理由と時間の関係で,今年は控えめです)。

 

 

 

2024年4月13日 (土)

名人戦始まる

 桜の時期というと,名人戦です。410日から藤井聡太名人(八冠)に,名人経験者である豊島将之九段が挑戦する7番勝負が始まりました。持ち時間9時間の2日制で,心身ともに強靭でなければ勝てない過酷な勝負です。第1局は,藤井名人の逆転勝利でした。途中までは豊島九段が評価値でも70%くらいにまでなっていて優勢でした。とはいえ,そう簡単に勝ちが見えているわけではなく,あくまでAIの目では優勢ということにすぎませんでした。藤井玉はずっと不安定で,豊島九段の竜に追われて危険な状況であったのですが,藤井玉を上部に逃さないようにする金と玉の田楽刺しの4四香が痛恨の失着で,金を見捨てて玉が5七に落ちることができ,つかまらなくなりました。正着は,竜で4八の金をとり,藤井玉が下段に落ちれないようにすることだったようです。おそらく4八竜と指していれば豊島九段が勝ちでした(それでもまだ大変な勝負だったようですが)。たった一手で敗勢となり,最後は藤井名人の華麗な4一銀捨てで,豊島九段を投了に追い込みました。藤井名人の相手を間違いやすいような局面に引き寄せる勝負術はすごいものです。羽生善治九段の「羽生マジック」というのも,終盤に不思議に相手が間違えて逆転するということでした(同じ11日に木村一基九段は,王位戦リーグで,羽生九段との必勝の勝利を,最終盤の大失着で逆転されて負けましたが,木村九段はこれまで羽生マジックに最もやられた棋士の一人でしょう)が,藤井八冠の場合は「マジック」という言葉があまりしっくりきません。羽生九段の「羽生にらみ」のようなプレッシャーがあるわけではなく,藤井八冠は盤上没我で,相手にただ無言の威圧感を与えているだけなのですが,それだけで相手がみずから転んでしまうのです。

 ただ,この将棋は決して豊島九段が完敗したわけではありません。ぎりぎりの戦いだったと思います。今期の名人戦は第1局から白熱の攻防が繰り広げられたのであり,どこかで豊島九段がきっかけをつかめば,第2局以降の行方はまだわからないという感じがしました。ファンの期待は7戦までもつれることですが,まずは藤井八冠のタイトル戦の連勝がこの名人戦で止まるのかが注目です。

 

 

2024年4月12日 (金)

川勝発言に思う

 職業差別として批判されて,川勝平太静岡県知事が辞職しました。県の新入職員への訓示として,彼ら・彼女らを鼓舞するためにした発言が批判されました。これが職業差別かと言われると,やや疑問もあります。今回の発言は,NHKニュース「静岡川勝知事 発言撤回“職業差別と捉えられるの本意でない”」によると,「県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり,牛の世話をしたり物を作ったりとかと違って,基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」というもので,「毎日野菜を売ったり,牛の世話をしたり物を作ったり」している人を差別するというより,県庁職員を鼓舞するような話なので,差別があるというのは,「反射的効果」にすぎません。ただ結論としては,知事発言は不用意であったことは否めないわけで,結局,撤回と謝罪に追い込まれたのはやむを得ないのかもしれません。
 労働には,知的なものと肉体的なものとがあるという区別は,アカデミックな場では普通にやります。ホワイトカラーとブルーカラーの区別もあります。こうした区別をせずに労働を一般的に論じても,適切な議論ができません。上記のような区別があることは,常識として誰もが知っていて,また感じていることでしょう。これは,労働者概念が,法律の世界では,職業に関係なく統一的かつ包括的であるということとは別の話です。
 川勝発言の失敗は,「頭脳・知性の高い方」という表現にあったともいえます。「高い」という表現が,職員を鼓舞するには適切なのでしょうが,その場にいない人たちを「低い」と呼んだと誤解され,差別的な印象を与えてしまったのです。高低ではなく,「頭脳・知性を使う人」という表現であれば,ここまで問題とならなかったと思います。
 ただ実は,ほんとうの問題は,県庁の職員の仕事が,「頭脳・知性」を使うものばかりではないということにあるようにも思います。実際には,議員や県民にどなられたり,デジタル化の遅れからくる非効率な仕事をさせられたりすることが少なくないのではないでしょうか(静岡県がどうかはよく知りませんが)。ほんとうに職員が「頭脳・知性の高い方」というプライドをもって働けるような環境があるのかが真の問題なのです。
 もう一つは,農業は決して知的な仕事でないことはないということです。アグリテックという言葉もあるように,既存の産業とAIとの融合は,全産業的に起こっており,農業も例外ではありません。元知事のもっているイメージは,一時代前のものかもしれません。他方で,デジタル化が遅れているホワイトカラーの仕事こそ,非効率であり,むしろ肉体労働に近いものとなっている面があります。
 さらに視点を変えると,これからの社会において,「毎日野菜を売ったり,牛の世話をしたり物を作ったり」する肉体を使った仕事こそ,人間のやるべき仕事として評価が復活してきているともいえます。知的労働はAIで代替されていくからです。
 県民,国民としては,県庁職員や霞が関の役人たちに,しっかり仕事をしてもらいたいです。こういう人たちに,「あなたたちは頭脳・知性の高い方」ですと,モチベーションを高めるような訓示をすることは,ほんとうはやってもよいように思えます。でも,そのためには,そうしたプライドをもって働ける環境が用意されていなければなりません。これこそ問題の本質です。これを知事の職業差別問題といったものに矮小化して論じるべきではないように思えます。

2024年4月11日 (木)

価値観の断絶

 産政研フォーラム141号の大竹文雄さんのコラム「社会をみる眼」の「技術・家庭科男女共修の長期的影響」は,とても面白かったです。中学校での技術と家庭科の科目は,1977年生まれ(中学になるときに1990年)以降かどうかで,大きく変わったそうです(知りませんでした)。それ以前は,技術・家庭科は男女別であったそうです(私も,もちろんその世代です)。それ以降は,男子も家庭科を学び,女子も技術を学ぶようになります。その影響について調査した原ひろみさん(明治大学教授)たちの研究が紹介されていて,技術・家庭科の男女共修化によって,家事労働時間の男女平等化が観察され,それが現在でもなお進行中であるというのです。男女共修第一世代は現在46歳で,それ以前の世代と比べ,男性は家庭での子育て時間や家事労働を重視し,女性は性別役割分担に反対し,正社員の比率も高いそうです。大竹さんは,「今まで伝統的な価値観で運営がなされることが多かった企業でも,意思決定者の過半数が新しい価値観をもってくると,働き方改革が進む可能性がある」と述べています。ただ,「部長級や経営トップ層の年齢層は,まだ技術・家庭科別学世代であ」り,「古い価値観の世代は,働き手の多数派が新しい価値観をもていることに気が付かないと,企業の組織運営はうまくいかない可能性がある」と指摘されていて,まさに同感です。価値観がどこかの世代のところで大きく変わっているということは直感的にはわかっていたとしても,これがきちんとした経済学の分析により,しかも46歳という明確な数字で示してもらえたことで,問題点がわかりやすくなりました。教育による価値観の断絶は,他の場面でも起きているかもしれず,今後も経済学者の方の実証研究に注目していきたいですね。

2024年4月10日 (水)

「あるべき労働法とおこなわれている労働法」

 拙著『労働法実務講義(第4版)』(日本法令)の刊行を記念して,本書の主たる読者層として想定されている社会保険労務士の皆さん向けに行った1時間超の講演の動画が,社労士限定情報サイトにアップされています。ぜひご覧になっていただければと思います。本書の「はしがき」に書いているような「あるべき労働法」と「おこなわれている労働法」の区別(これについては,『人事労働法』(弘文堂)の序文(1頁)で紹介した山口浩一郎先生の言葉に由来しています),両者を分ける必要性などをまず説明しています。そして,本書では「おこなわれている労働法」に焦点をあてて書いているものの,実はよくみてみると「あるべき労働法」にも言及しているので,その点についてピックアップして,簡単な解説をしています(もちろん詳細は本書を読んでもらう必要があります)。全体を視聴してもらうと,みなさんが,日頃,実務で活用している労働法について,たんに通説や判例を追うだけでは得られないような新たな視点をつかむ取っ掛かりが得られるかもしれません。最後のほうでは,労働法を超えて,実務家は企業人事にどのように取り組むべきかということにもふれています。お時間のあるときに,本書を片手に,ゆっくり聞いてもらえればと思います(もちろん1.25倍速で聞いてもらっても大丈夫です。1.5倍ですと,少し聞きづらいかもしれません)。

 ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」は,今回は,第202回で「労働条件明示義務」がテーマです。この4月から労働基準法施行規則が改正されて,労働条件明示義務の内容が拡大されていますので,それを素材に執筆しています。

 

 

2024年4月 9日 (火)

裁判官の弾劾

 岡口基一裁判官に対する弾劾裁判には,いろいろ考えさせられました。裁判官の弾劾について,憲法は,「裁判官は,裁判により,心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては,公の弾劾によらなければ罷免されない」としており,逆にいうと,公の弾劾があれば,罷免できるということです(78条)。また,憲法は,「国会は,罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため,両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける」(64条1項)と定めているので,弾劾は,国会に設置された弾劾裁判所によることになります。「弾劾に関する事項は,法律で定める」とされており(642項),実際,裁判官弾劾法という法律で弾劾手続が定められています。同法によると,罷免事由は,①「職務上の義務に著しく違反し,又は職務を甚だしく怠つたとき」と,②「その他職務の内外を問わず,裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」です(2条)。本件では,②の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」の該当性が問題となったようです。
 裁判官の訴追は,国会議員で構成される訴追委員会が行いますが,訴追委員会への罷免の訴追の請求は,国民は誰でも行うことができます(裁判官弾劾法151項)。また最高裁判所も,「裁判官について,弾劾による罷免の事由があると思料するときは,訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない」とされています(同条3項)が,本件では,最高裁判所は訴追の請求はしていないようです。もちろん裁判官が身内をかばうということもあるので,最高裁判所が訴追請求をしていないことは重視できないのかもしれませんが,岡口裁判官は裁判所からすでに懲戒処分を受けているようであり,それで十分だと判断されていた可能性もあります。ただ,懲戒処分といっても,裁判官への懲戒の種類は,戒告と1万円以下の過料(裁判官分限法2条)だけであり,それと罷免との差は極端です。もう少し中間的な処分はありえないのでしょうかね。
 憲法に根拠があるとはいえ,国会議員が裁判官を裁くことには違和感もあります。とくに今回のような表現行為について,裁判官を罷免できることに危うさも感じられます。裁判官のSNSでの発信行為をどうみるかは難しいですが,表現の自由ということの前に,そもそもSNSは通常の国民の日常の生活の一部です。裁判官といえども,そこは同じでしょうし,同じだと考えるべきでしょう。もちろんSNSを利用する際には,モラルは必要でしょうし,裁判官の場合は,いっそうそれが厳格に求められるとはいえそうですが,それをどうみてもモラル面で問題なしといえない人が混じっていそうな国会議員(今回の弾劾裁判所の裁判長と裁判員がそうだと言っているわけではありません)だけでモラル面の判断をさせることには違和感があるのです。
 罷免の法的性質は不勉強でよくわからないのですが,かりに懲戒と同種のものであるとすれば,労働法的な感覚でいえば,これは懲戒解雇(免職)であり,懲戒事由該当性は厳格に判断されますし,非違行為と処分との均衡も問題となります。岡口氏の投稿による被害者側の不快な感情はわからないではありませんが,裁判官の身分保障の重要性,表現行為だけで罷免されることによる,裁判官への萎縮効果の危険性など,多くの人がすでに指摘している論点が私も気になります。
 司法の独立性は重要である一方,裁判官の逸脱をチェックするシステムが必要であるのは当然です。三権分立は権力を分立させ,互いにチェックさせるシステムですので,行政による懲戒はできないとしても(憲法782文),国会議員による罷免は認めるということは理解できないわけではありません。しかし,憲法の解釈はともかく,現状をみた場合,裁判官の弾劾は,実体面では,明確で限定された基準によりなされるべきであるし,手続面では,国会議員に全面的にゆだねることにはおおいに疑問があります。実体面では,重大な犯罪行為がある場合に限定すること,手続面では,国会議員以外の外部の有識者の参画(弾劾裁判所や訴追委員会の構成員とするかはさておき)を認めることが望ましいでしょう(個人的には,いずれも憲法には反しないと思います)。裁判官のモラル違反を国会議員が裁くということには,国会議員自身がモラル違反について同僚議員への自浄作用を働かせることができていない現状をみても疑問があります。たしかに国会議員には選挙という形で政治責任を問われるのに対し,裁判官にはそういう場がないという違いはあるのです(最高裁判事だけは国民審査がありますが)が,いずれにせよ,犯罪行為でもないモラル違反についてまで,国会議員だけで裁判官を罷免できるということが,司法制度の独立性を危険にさらさないか(とくに国会議員に対する刑事裁判に影響しないか)という視点で,今回の弾劾裁判をみておく必要があると思います。

2024年4月 8日 (月)

国会でのタブレット禁止に思う

 Yahooニュースで,「うんざり」「全く意味不明」...国民・玉木代表が嘆息 本会議場のタブレット使用に歴代正副議長が「拒否権」発動という記事が出ていました。国会の本会議場でのタブレット使用は,品位や権威の観点から禁止されているということのようです。玉木代表が嘆息するのは当然です。そういえば,河野太郎デジタル大臣がスマホでメモ内容を確認しながら質問をしようとして,制止されたこともありましたね。
 自分で作成した原稿を紙で印刷して持ち込まなければならないなど,どれだけ時代錯誤であるか。他人に作ってもらった原稿を読んでいるだけの人にはわからないのかもしれません。デジタル化を政府が本気で進めるなら,まず国会議員から紙を禁止にし,全員,原稿はタブレットかスマホ上のものを読むことを義務づけたらいいのだと思います。これなら裏方作業をしている役人の仕事の軽減化にもつながるでしょう。
 国会におけるデジタル化を阻む慣行こそ,その権威を損なっているといえます。おそらくタブレットなどを禁止しようとしている人は,議員にしろ,事務局にしろ,タブレットやスマホをミニパソコンとして使ったことがないのではないでしょうか。私たちの生活において,スマホは携帯電話としての利用はごくわずかで,主として情報収集・発信の手段であるわけで,何か調べたいときにスマホを使ったり,自分のメモをスマホで確認したりすることが禁じられるなど,現代社会ではありえないのです。
 ライドシェアも解禁されたとはいえ,安全性を重視して,規制のがんじがらめです。新しい時代に対応できていません。高プロ(労働基準法41条の2)を,健康確保といった観点から,規制のがんじがらめにして,使い勝手の悪いものとしているのと同じようなことです。
 このように,いろんな面で世間から遊離しているようにみえる国会ですが,実は,それは日本社会におけるデジタル格差を映し出しているのかもしれません。格差をつけられているほうが,日本の支配層にいるのは嘆かわしいことです。

 

 

 

 

2024年4月 7日 (日)

叡王戦第1局

 伊藤匠七段が,タイトル戦に登場しました。叡王戦5番勝負です。昨年の竜王戦,今年の棋王戦に次く挑戦です。これだけタイトル挑戦が続くのは,とてつもない実力があることを示すものですが,その一方で,藤井聡太八冠は,これまで伊藤七段に負けたことがないというのも驚異的です。伊藤七段は,昨年度の最多勝,藤井八冠は最高勝率(史上最高勝率は逃しましたが)と,どちらも昨年度の将棋界においてナンバー2,ナンバー1の活躍でした。対戦成績が,これまで藤井八冠の100敗1持将棋という結果はちょっと信じられないのですが,実際は実力差は紙一重のところです。

 ということで,叡王戦の初戦でしたが,これも藤井八冠の勝ちでした。評価値的には,途中まで微差ですが,伊藤七段が優位でしたが,最後は藤井八冠が勝負手を放って見事に勝ちました。このレベルになると,途中まではほとんど研究範囲内で,そこからどう相手の研究を超えた新手を指すかということが重要となります。本局も,歩で5五銀が取られそうなところに,さらに連続して歩で取られそうな位置に5六銀が上がるという常識を超える藤井八冠の勝負手が,局面を大きく動かしました。評価値的には評価の高い手ではなかったのですが,結局,そこから伊藤七段の逸機もあり,藤井八冠の勝利となりました。

 二人はともに21歳ですが,もう1年若い20歳の兵庫県加古川市出身の上野裕寿四段がNHK杯に登場しました。上野四段は新人王をとっており,予選免除でいきなりNHK杯登場です。ただ,この対局は,澤田真吾七段にうまくさされて,見せ場をつくれず敗れました。苦い経験になったと思いますが,これから頑張ってほしいです。彼は井上慶太九段門下ですが,同門には,藤井八冠と最高勝利を争った藤本渚五段(18歳)という,若手の超有望格がいます。井上門下の現在の大将格は,菅井竜也八段ですが,長男格の稲葉陽八段も含めA級棋士が2人もいます。いまのところは,藤井八冠を脅かす存在になれていませんが,関西勢を引っ張る存在として井上門下の棋士たちには頑張ってもらいたいです。

 

 

 

 

2024年4月 6日 (土)

姫路で桜を観る

 若い頃は,桜にはそんなに関心はなかったのですが,いまでは毎年の桜の観賞がとても大切な行事になっています。今日は満開ということなので,姫路城まで遠出をして桜を観に行ってきました。三ノ宮からJRの新快速で40分という微妙な距離で(新幹線に乗れば新神戸から15分),遠すぎることもないけれど,近くもない,ちょっとした遠足でした。予想どおり,姫路城前の公園では,花見をしている人であふれていました。外国人も多かったです。姫路は,昔から神戸より東に住んでいる私には,それほど行く機会がないところであり,世界遺産の姫路城にも入ったことはありませんでした。今回も,姫路城に入るのではなく,その周りの公園の桜を観に行っただけですが,いつかは姫路城に入って最上階まで登ってみたいです。
 姫路はしばらくみないうちに,すっかり垢抜けた感じで,世界遺産の姫路城を中心に据えた観光地としてうまく開発できているように思えました。やはりお城の存在感は圧倒的で,近くでみてその威容を味わうもよし,遠くからみて,その美しさを味わうのもよしです。
 もちろん私が現在住んでいる六甲にも,近所に桜のトンネルという桜の名所があります。阪急六甲から,神戸市バスの18系統に乗ると,途中で桜のトンネルを通ります。途中でバスを降りて歩いてみると,桜に囲まれた感じになります。坂の上なので,南にみえる海の景色も素晴らしいです。
 近所の都賀川も桜が綺麗で,ここには1年中よく行っています。暑い日には,川に足をつけて涼むこともできます。川辺でBBQをしている人もいたりして,市民の憩いの場です。
 阪急電車に乗って,少し東に行くと,夙川というところがあります。ここも見事な桜が咲いています。阪急夙川駅から甲陽園線の苦楽園口駅あたりまで歩きながら桜を愛でるのもよいでしょう。梅雨時になると,紫陽花もきれいです。
 4月は,多くの人にとって多忙な時期でしょうが,せっかく桜のきれいな国に生まれたのですから,桜休暇でも取って,ゆっくり自然を味わうのもいいでしょう。せっかくきれいな桜をみるので,宴会などで捨てられたゴミはみたくありません。今日の姫路城の公園では,大きなゴミ捨て場があり,きちんとゴミが分別して捨てられていました。日本人だけでなく,外国人もきちんとルールを守ってくれているのだなと思いました。

2024年4月 5日 (金)

授業開始

 LSの授業は今日からスタートとなりました。初回ですので,多くの学生が参加しました(履修するかどうかの判断をするためでしょう)。LSの場合は,1回たりとも,授業を無駄にしたくないこともあり(通常の大学院の授業では,自己紹介的なものを入れたりしますが,そういうものは省略です),時間はフルに使います。昨年の初回には,今後の労働法ということで,DXと労働法という内容でレクチャーしました。ここ何年かはそういうことをやっていました。司法試験には無関係なことなので,あとのほうでやると学生に不評と思い,でも聴いておいて為になると思ったので,初回にやっていました。しかし,今年は,やめました。DXの話は,最近ではいろんなところで聴けるようになったので,あえて私がやらなくてもよいと思ったのです。昔は,DXと労働法なら私からしか,聞けないだろうと自負していたために,多少責任をもって話していましたが,そうした必要がなくなってきたと判断しました。そこで何を話したかというと,昨年の学部の授業の最終回にやった「労働法の全体像」というのを,LSの初回にやってみました。学部の授業では,体系的な労働法ではなく,『雇用社会の25の疑問』(弘文堂)を使ったので,毎回独立したテーマで授業をしていました。そして最終回に体系的に理解できるように,労働法の全体像をまとめて解説したのです。LSでは,これを初回にやって,まずは全体像をつかんでもらったほうがよいと判断したのです。深堀りはできないので,わかりにくいところがあるのは仕方ないと割り切り(あとの授業で詳しくやります),LS生ならとりあえずついてこれるであろうという判断をしました。これから学期が始まり,少し忙しくなります。

 

 

2024年4月 4日 (木)

パンダと政治

 神戸市立王子動物園のパンダのタンタンが亡くなりました。人間でいえば100歳くらいの高齢でした。私はそれほどパンダに関心はありませんが,パンダ好きな人は周りに多いので,その悲しみには共感しています。王子動物園は繁殖に失敗しており,神戸にはもうパンダが来ないかもしれません。

 和歌山のアドベンチャーワールドにはパンダは4頭もいて,やっぱり和歌山は中国と縁の深い政治家がいるからかと邪推したくもなりますが,そう考えると神戸にパンダがいなくなるのが癪に障ることは事実です。でも政治力という点では,引退したとはいえ,隠然たる力を発揮しそうな二階俊博氏のいる和歌山には勝てそうにありませんね。
 神戸近辺から選出の自民党議員というと,盛山氏(兵庫県第1区)か西村氏(兵庫県第9区)となるのですが,前回比例復活の盛山氏は,これだけ叩かれてしまったので,次の選挙は危ないでしょう。西村氏は1年以内に選挙があって自民党の公認がもらえなくても,選挙は盤石かもしれません(前明石市長の泉房穂氏が出馬すればわかりませんが)が,当選しても政治的な影響力は発揮できないかもしれません。ちなみに県内でも播州勢は頑張っていて,渡海紀三朗氏(兵庫県第10区)は自民党の要職(政務調査会長),松本剛明氏(兵庫県第11区)は現役の総務大臣,山口壮氏(兵庫県第12区)は前環境大臣ですが,党内で政治力が強いという感じはしません。
 ところで,二階俊博氏の先日の引退(?)会見をみると,彼はあまりにも偉いから,細々としたことは,手下の林幹雄氏に話をさせるということなのか,それとも答弁させると怪しいから,保佐人として林氏がついているのか,よくわかりませんが,いずれにしても二階氏が党内でも屈指の権力者であることに変わりはないでしょう。二階氏は,もとはといえば田中角栄の派閥にいて,その田中角栄が中国と国交正常化をすると,パンダが送られてきました(当初は無償であったようです)。二階氏は媚中派と呼ばれることもあるくらい,中国との関係はよいと言われています。田中の地位を引き継いだというところでしょうか。

 もちろん政治力をつかってパンダを神戸につれてきてほしいと言いたいわけでありません。むしろ日本人がパンダにこだわることが,中国依存につながりかねないという懸念のほうがあります。お金の面でも,パンダのレンタル料は小さくないようなので,一神戸市民としては, 集客のためのパンダという安易な方法は捨ててもらいたいです。ましてや,中国や親中派の議員に頭を下げたりしてまで,パンダに来てほしいとは思いません。白浜にまで行って,温泉のついでに,パンダをみれば十分でしょう。

 

2024年4月 3日 (水)

菅野和夫・山川隆一『労働法(第13版)』

 菅野和夫先生の『労働法(第13版)』(弘文堂)に山川隆一先生が共著者に加わりました。記念すべき菅野・山川労働法であり,お送りいただき,ほんとうに有難うございました。いつかは,菅野先生の単著でなくなるときが来るとは思っていましたが,共著者となることができる方がいるとすれば,山川先生しかいないというのは,多くの人が考えていたことでしょう。
 第13版は,まず本の厚さに驚きました。第12版は1227頁でしたが,第13版では1370頁にふくらんでいました。150頁近い増加であり,充実の改訂版です。 
 体系的には,第3編(「個別的労働関係法」)の第3章(「労働関係の展開に関する法規整」)のなかの第3節にあった「非典型労働者」が,独立して第5章に格上げになったのが,最も大きな変化だと思います。内容も第4節「短時間・有期雇用労働者法」の情報が充実したものとなっています。「非典型労働者」の重要性が高まっていることを示すものといえるでしょう。
 この本は,学生を除くと,1頁から順番に読んでいくものではなく,何か調べたいものがあるときに参照するものだと思いますが,何か確認したいと思って参照すると必ず書かれており,それはすごいことです。
 「はしがき」のなかに,「相次ぐ身体の故障を経験するようになった」と書かれていて心配です。ちょうどほぼ1年前に傘寿の会でお目にかかって以降,お会いする機会はありませんが,この第13版を,学生のように1頁から読んで,本を通して,もう一度,先生を感じたいと思っています。YouTube を使って,この本を使った先生のレクチャー動画があれば,たぶん学生時代に戻った気分になり,気が引き締まって,しっかり勉強しなければという気持ちになれると思うのですが,先生に,負担をかけてはなりませんね。

菅野和夫・山川隆一『労働法(第13版)』

 菅野和夫先生の『労働法(第13版)』(弘文堂)に山川隆一先生が共著者に加わりました。記念すべき菅野・山川労働法であり,お送りいただき,ほんとうに有難うございました。いつかは,菅野先生の単著でなくなるときが来るとは思っていましたが,共著者となることができる方がいるとすれば,山川先生しかいないというのは,多くの人が考えていたことでしょう。  第13版は,まず本の厚さに驚きました。第12版は1227頁でしたが,第13版では1370頁にふくらんでいました。150頁近い増加であり,充実の改訂版です。   体系的には,第3編(「個別的労働関係法」)の第3章(「労働関係の展開に関する法規整」)のなかの第3節にあった「非典型労働者」が,独立して第5章に格上げになったのが,最も大きな変化だと思います。内容も第4節「短時間・有期雇用労働者法」の情報が充実したものとなっています。「非典型労働者」の重要性が高まっていることを示すものといえるでしょう。  この本は,学生を除くと,1頁から順番に読んでいくものではなく,何か調べたいものがあるときに参照するものと思えるのですが,必要なことが必ず書かれているというのはすごいことです。  「はしがき」のなかに,「相次ぐ身体の故障を経験するようになった」と書かれていて心配です。ちょうどほぼ1年前に傘寿の会でお会いしてから,お会いする機会はありませんが,この第13版を,学生のごとく1頁から読んで,本を通して,もう一度,先生から労働法を受講したいと思います。YouTube を使って,この本を使ったレクチャー動画などがあれば,たぶん学生時代に戻れたような気分になり,気が引き締まって,しっかり勉強しなければという気持ちになれると思うのですが。

2024年4月 2日 (火)

新入社員へのメッセージ

 

 41日の日本経済新聞で,社長の夢として「社会課題の解決」や「世界一」を目指すものが一番多かったと紹介されていました。社長が個人的にどのような夢をもつのかは自由ですが,企業が何のために存在を「許されている」のかという原点に帰ると,それは広い意味での「社会課題の解決」にあるからであり,それを抜きにした企業経営などないと思っています。「社会課題の解決」以外の夢を掲げている経営者は,この点をどう考えているのか知りたいところです。

 解決すべき「社会課題」は多様であり,多くの企業はその解決を目指していると信じたいです。「社会課題の解決」を本業のプラスαとしてとらえているところ企業もあるかもしれませんが,「社会課題の解決」と関係しない本業というものの価値に私は懐疑的です。株主のなかには,「社会課題の解決」とは無関係に短期的な利益を追求した要求を突きつける者もいるでしょうが,「社会課題の解決」という企業の大義をいかにしてそうした株主にも説得できるかが経営者の資質といえるでしょう。

 4月に入り,新しく入社した社員も,自身が「社会課題の解決」に貢献するという気概をもって仕事に臨んでもらいたいです。そして,自分が選んだ企業が,自身の力を発揮できる場でないと判断すれば,迷わず,自分に適した企業を見つけるようにアクションを起こしてもらいたいです。できれば,そういうミスマッチが起こらないように,学生の間に情報を収集し準備しておいたほうがよいでしょう(それでも実際に働いてみると,話は違うということは起こるのですが,少しでも,そうしたことを減らすための情報収集活動が必要なのです)。

 これからの社員はプロ人材にならなければなりません。企業がどのような「社会課題の解決」に取り組んでいるかをしっかり見極め,それに自分の力でどのように貢献できるかということを具体的にイメージして企業を選択する必要があるのです。自身のキャリアは自分で築いていかなければなりません。場合によっては,起業するという手もあります。企業に雇われるだけがすべてではありません。

 社会課題の解決というのは,突き詰めれば,私たち人類が生きていくうえで必要なニーズを満たしたり,充実した生活を送るために必要なものを作ったりすることです。後者にはentertainmentのようなものも含まれます。私のいう社会課題というのは,このような広い意味のものです。一人ひとりはきっと自分なりに社会課題の解決に貢献できることがあるはずです。それを見つけ出して,それを発揮する場を探すことが大切であるということを,新入社員に伝えたいです。

 

 

2024年4月 1日 (月)

HPの項目追加

 4月1日となると,日本人は新たな気分になります。1月1日よりも,4月1日のほうが新年という感じです。グローバルスタンダードとは違うのですが,もう身体に染み込んでしまっているので,感覚的にはどうしようもありませんね。
 この週末をつかって,HPに多少手を入れました。新たに「補遺その他」という項目を「研究活動」のなかに作りました。2月に刊行した『労働法実務講義(第4版)』(日本法令)において補遺や誤植・訂正など以外に,新しい情報もアップしていくようにしたいと思ったからです。早速,早稲田大学事件の情報を入れました。また『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の参考文献のところで,『労働法実務講義』の旧版の頁数が記載されているので,第4版の該当頁の情報もアップしていくことにしました(時間をみつけて,少しずつやっていきます)。そのほか,重要な判例が出た場合には,『最新重要判例200労働法(第8版)』(弘文堂)に関して,判例や解説部分に追加すべき情報をアップして,内容の「最新」性を維持できればと思っています。
 HPには,このほか私が日本経済新聞の「経済教室」に記載していたものをまとめて「論文」の項目のなかでリスト化しました(電子版の契約者以外の人は読めないかもしれませんが)。最近,政策的な面での質問がされることが多いので,とりあえず,ここらあたりの論考を読んでから質問してくださいと言えるようにするために,まとめました。
 HPは,最初の制作は業者にお願いしましたが,その後の改定作業は素人の私がやっており,ちょっと苦労しています。きちんと勉強したわけではなく,htmlとHPの対応関係を確認して,このタグは,こういう使い方だろうとネット情報も活用して「逆算」し,実際に試しながら手探りでやっています。きちんと一から勉強したほうがよいのでしょうが,高度なことをするつもりは当面はないので,文章執筆に必要なタグだけ覚えて,なんとか独学でやっています。ということで,HPの改定作業は,時間がかかり,気が向いたときにやっているだけですが,お時間があるときにでも立ち寄ってみてください。

 

 

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